Reader Store
知的生産の技術
知的生産の技術
梅棹忠夫/岩波書店
作品詳細ページへ戻る

総合評価

307件)
3.9
72
102
79
9
2
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「勉強しなさい!」といわれるけれども、どうやったらうまく勉強できるのかわからない。「整理整頓しなさい!」といわれるけれども、どうやったらうまく整理整頓できるのかわからない。こんな経験、ありませんか? 世の中にはいわゆる「知識」のほかに、「ものごとをうまくやるため」の知識が存在します。けれども、そういった知識はあまりにも身近なことなので、体系的に教わる機会はそうそうありません。「暗黙知」であり「ブラックボックス」なのです。 大学には世界中からたくさんの人が集まります。「あの人はどうしてあんなに頭がいいのだろう」と、自分の不器用さ、どんくささに悩むこともあると思います。そんな時はぜひ、この本を開いてみてください。明確なこたえは書いていないかもしれませんが、きっと「うまくやる」ための考えのタネが、書いてあるはずです。 ポッケやポーチに入るサイズで、気軽によめるのもうれしいところ。てはじめに、レポートがかけない、と悩んでいるあなた。この本をひらいて「文章」の項目をよんでみてはいかがでしょうか。人よりも「うまいやりかた」で文章がかけるようになるかもしれません。 (ラーニング・アドバイザー/地球 SUZUKI) ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1115869

    1
    投稿日: 2017.04.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    文章にひらがなが多い。書類の整理の仕方や情報の収集、活用法など今でも参考にしている。古典的名著だと思う

    0
    投稿日: 2017.03.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    いくら頭の良い人でも記憶はあいまいになるから記録が大切であると著者。 知的生産とは何かしらの新しいこと、本や資料、観察した事柄等々の様々な情報を記録して、つなぎ合わせたりして発見した事柄(これも情報)をわかり易く人に伝えること。 1969年が初版。情報の重要性について述べています。 開発新人の時に習ったKJ法(ブレーンストーミングの後の情報整理する方法)を開発した川喜多二郎氏と同じ時代に生きた著者が、川喜多氏と同様な手法で、収集した情報の記録方法や整理方法、アウトプットする方法を考察されていて、40年以上経った今でも参考になる部分が多かったです。 自分で考えて試すことの繰り返しが重要であること、勇気をもらえます。

    0
    投稿日: 2017.03.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    〇研究の仕方の基礎のキをまとめた、研究者のバイブルであってもいい本 相当以前に書かれた本だ。1969年に第1刷が出て、わたしが入手したのは2015年の第94刷である。昔の本なのに読みやすいなぁと思ったら、改版して文字を現代の版に変えているために少し読みやすくなっていたことに後から気づいた。 読み始めてからも違和感を特に感じなかった理由は、改版されていたからだけではない。 なんとなく、今にも通じそうな話題ばっかりなのだ。 本書は、全11章の構成で、情報を入手する方法、情報を整理する方法、情報をアウトプットする方法の3つくらいに分かれているような気がする。 とりわけ、筆者は民族学の専門であったことからフィールドワークでの手法をどのように日常や学問に応用するかが考えられていて、詳しく、実践的だ。 ただし、情報を整理する方法については昔のように書斎を持って机がある生活をしている方だけではないだろうから、カードをフォルダにまとめ引き出しで一覧化する方法は難しいだろう。梅棹先生の方法に即して現状でできそうなことを考えるとすれば、先輩の職員がやっていた方法に、A4を8つ切りにした紙の左上にパンチで穴を開けリングを通し、それをメモ帳の代わりにするのである。そうすると、ジャンルごとにメモ帳に記入していき、1日もしくは1週間単位くらいでフォルダに整理すれば体系的に自分の考えをまとめることもできるのではないか。もっとも、A4サイズのフォルダでは大きすぎるので、A4サイズクリアファイルを4つ切りにしたサイズくらいでファイルを作るとちょうどよいかもしれない。 また、アウトプットの際は、"苦心して文章を短くすることの愚をさとった。みじかいことよりも、わかることのほうが大切である。(p226)"とあるように短くったって意味が通じないとその文章に意味はない、ということである。かといって長くあればあるほど良いと言っているわけでもないので中庸が肝心なのだろう。 総括すれば、タイトルは「知的生産の技術」であるが、知的情報を情報として生産するためには、整理するのが大事だし、どうわかりやすく伝えるかが大事だ、と言っているように感じます。 いまもうすでに通じなくなった話題と言えば、 p133からの第7章「ペンからタイプライターへ」という章だ。手紙を出すときに、手でローマ字で(こんにちは→konnitiha など)書くということから、タイプライターでローマ字で打つ、さらにそれをカタカナやひらかなで打つ、というところまで話が進んでいるのは、そのときの時代だろう。 そのタイプライターはワープロになり、パソコンへと進化していった。今では手紙の送付ではなくメールを送るというように行為そのものが変わっている。 また、日本語をいまのローマ字やひらがな・カタカナではない何か別の文字で表現しようとした学者もいたようである。 現代の研究者はこの梅棹先生の手法をどう真似しどう変革しているだろう。 決して現在の研究水準が劣っているわけではない。しかし、梅棹先生のやってきた基礎的な、あるいは現場での実際的な研究にはこの記録方法はかなり大きな役目を果たしたに違いない。 インターネットが発達した現代を、梅棹先生はどのように評価し活用するだろうか。

    0
    投稿日: 2017.01.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ただのメモ ・本より ★私見 ----- ★京大型カードは初耳。大きめのカード ★調べたところ、サイズのA系は世界共通、B系はお役所でよく使われるらしい ・メモを書くのは覚えるのではなく忘れるため ・見返す時には忘れているので未来の自分=他人に向けて書く ★学生の時は覚えるために書いたので逆だ ・分類はゆるい方がメモとメモを組み合わせやすい ・ノートではなくカードに書くと書き出す量(自分の価値)の少なさにがっかりするが、まずはそれを乗り越えないとカードへのメモは定着しない ★カードにするつもりはないけれど、なるほど ・整頓とは見た目がきれいなこと、整理とは必要な時に取り出せるようになっていること ★整頓より整理が重要 ・読書記録と感想文は別に整理する ★自分は欲しいものリストはamazon、読書記録はブクログ、感想はノート→ブログ ・新しいことを書いた本は引用や参考文献が少なくなる。参考文献の少なさは恥じることではない ★?ローマ字運動、今はどうなってるか ・新字論はだめ。どんなに素晴らしくても流行らせられない ★世界共通言語(エなんとか)みたい ★?漢字が残った日本と消えた韓国の違いとは ★出した手紙のコピーを控えるのはいいアイディアだ ・物事はなるべく記憶するのではなく記録するのが知的生産する人の基本的心得 ・「やがて情報科ができる」文章整理、情報整理 ★?情報科ができたけど、実際どうか ★私の大学はもっと公共的な整理術だった。十進分類法とか ★Trelloアプリで「こざね法」できるな --- ★戦後の知的活動の移り変わりが読めて面白い ★日記についての話もあった --- 気になった参考書籍 『知的生産者たちの現場』藤本ますみ

    0
    投稿日: 2017.01.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    古い本だが,日々考えるアイディアや,気づきなど無駄にせず,活かす技術が書かれている. 現在なら,様々なツールで代用できそうだ. アナログとデジタル,各々のツールの使い分けの参考にもなりそう.

    0
    投稿日: 2016.10.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    新しい実用本ばかり読む自分にとって、1960年代の書籍を最初から最後まで読了するというのは珍しい経験かも。だいたい皆同じ感想を持つと思うが、知的生産の技術は、時代が変わっても原理原則は変わらないことを認識させる。 「発想はメモに残す」 ヒラメキやアイディアを宇宙線に例えていて面白い。<誰の頭にも平等に宇宙線は降り注いでいるのに>、メモに残す人と残さない人がいるという表現。梅棹先生にはカードと万年筆があった。我々にはスマホがある。Evernoteがある。ブログがありTwitterがある。これ以上ない検索性。ありがたい時代だなと思う。 「複写を残す」 この時代、複写といえば、ペンと紙で書き写すことを言った。<提出論文の複写>って今と当時の違いを想像するだけで気が遠くなる。現代に生まれてよかった・・・。 「ノートからカードへ」 整理法を変えていく過程は丁寧に書かれていて、とても納得感の感じられるものである。工夫、こだわり、思い切りの積み重ね。この方の場合、周りの研究者のやり方を取り入れたり参考にしたりと、本人も友人に恵まれていると書く通り、周囲との切磋琢磨による工夫改善が優れている。そのうちの一人にKJ法の川喜田二郎がいるというのも素敵すぎるエピソードです。 「線の引き方=二重読み」 読書時に、2本以上のペンや色を使い分けるとき、そのルールが人によって違うのが面白い。梅棹は、「大事なところ」と「面白いところ」で線を引き分けるという。前者は筆者の主張に追随して感心したところ、後者は読者である自分の感じ取ったこと。後者を「筆者とは別の『あらぬこと』を考えながら読んでいることの証拠」とした表現が面白い。本を二重に読むということ。割と誰もがしていると思うが、プロになるほど、聞かれて答えられるような明確なルール化があるように思う。 院に、「納得したこと」と「納得できない腹が立つこと」の二色に引き分けているという先生がいた。社会学の先生っぽくてこれも面白いね。 「読むと”みる”の違い」 耳の痛い話。本は最後までしっかり読了するものと、つまみ食いして読むものがあるけれど、前者を「読む」として、後者は「みる」とする。本にはその構成も含めて著者の思考体系があるわけだから、「読んだ」本でないかぎり、少なくとも批評はしないという。これは現代社会への教訓と思う。ネットにおけるキュレーション(まとめサイトみたいな)の盛り上がりで、情報とはつまみ食いする(べき)ものだと、いつのまにか道理となってしまった気がする。ナナメ読みならまだいいが、目次を見て関心の無いところは読むなと指南する者までいる。論文だってアブストラクトと本文の最後しか読まなかったりするのは当たり前。でもそれじゃ本質に触れたことにはならないんだよね。確かに。 ”みた”だけで、読んだ気にならないようにしたいと思う。

    1
    投稿日: 2016.10.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    著者は、日本の文化人類学の先駆者で京都大学名誉教授の梅棹忠夫氏。京都大学時代、今西錦司、森下正明、梅棹忠夫、吉良竜夫などと探検隊を結成した方でもあり、同世代にKJ法で有名な川喜田二郎がいます。この本は今では相当年月が経ってしまいましたが、個人的には一度は目を通しておきたい本でした。 筆者は、人間の知的活動を教養としてではなく、社会参加の一つの方法としてとらえ、「知的生産の技術」を整理しました。当時、1960年代後半、会社に新しいシステムや機械が次々に導入されていましたが、革命は個人の能力には及ばず、個人の知的生産力が発揮できていないことを問題視されていたようです。つまり、筆者自身は組織の人材のスキルアップに注目されていたのですが、その重要性は今も変わらないと思います。 ツールとして、筆者が考案した京大型カードの紹介がされています。カードはB6版で本書の中で作成方法から使用方法まで詳細に記述されている。なお、アイデアは当時、ヒマラヤで調査していた川喜田氏の野外調査法の体系化の論文であるとのこと。 文章の書き方について、筆者の考え方が書き綴られていて面白かったです。まず、いい仕事をした人がおそまつなものしか書き残していないことに驚かされると述べられており、筆者自身も遅筆で文章アレルギーに近いとまで書いておられます。ただ、一方で、文章を書ける人は、うまれつきの才能もあるが、教育と訓練におうところが大きいと述べており、梅棹氏の書かれた本は実際にはとても多いと思います。文章として書き残すことについて、とても肯定的に考えておられたのでしょう。 さて、具体的な文章の書き方についてです。まず、書くという作業は、①「考えをまとめる」、②「実際に文章に書き表す」という2つの段階で構成されるといいます。そして、第一の「考えをまとめる」作業が実は非常に重要であると指摘されています。この重要な作業に役立つ方法として、「こざね法」という方法を紹介されており、この方法は個人用・密室向きのKJ法のようなものだそうです。筆者は、「人間の頭の中はシリメツレツなものであり、知識やイメージがめちゃくちゃな断片として詰まっており、論理的かつ整然と意識の表面に出てくるものではない」と言っています。現在でも意外と使えるかもしれません。

    0
    投稿日: 2016.07.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    【感応電流のための読書】 読書には食物と同じように、糧となる知的生産の為の読書と味わう為の読書がある。糧とするためには、著書を正確に理解する事とは別に、自分にとって発見があった箇所をカードにまとめる事で、本に書かれている内容を越えた知的生産のための素材を獲得できる。 このように本の正確な理解に加えて、本をダシに自分の思想を開発する「感応電流」を起こす事が知的生産の読書で重要である。

    1
    投稿日: 2016.05.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    1969年に初版が出版された。電子計算機やインターネットの発達によって、この本が出版された時代とは情報管理の「作業方法」は全く異なる。しかしながら、一部を除き、全編にわたり普遍性のあるこの本は、是非とも手元に置くべき。学生時代に読みたかった。

    0
    投稿日: 2016.03.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    以下、マーカーを引いた1文と備忘。 知的生産とは、知的情報の生産である。既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させてそこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである。 先に読んだ波頭さんの本では、情報は不確実性を減らす物という定義があった。 つまり、人は既存/新規の情報に思考を加えることで、不確実性を減らす新しい物を産みだすと。それが知的生産ということになるのかもしれない。 本文では、この知的生産を行う為の技術に王道はなく、安直な道も無いという。そして、考えるだけでなく実際にやってみる事に大変さと面白みがあり、価値があると締めていた。 この本が書かれたのは1969年。もちろん例示が古い部分もあるが、現代に置き換えても通じる物は多々あり、面白かった。

    1
    投稿日: 2016.01.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    日本における文化人類学のパイオニアであり、生態学、民族学、情報学ほか多方面に多くの影響を与えた梅棹忠夫氏(1920~2010年)が1969年に発表したベスト&ロングセラーのひとつ。 フィールドワークや京都大学人文科学研究所での自らの経験を基に著した本書は、1965年と1968年に岩波書店の雑誌「図書」に「(続)知的生産の技術について」と題して連載されたものをまとめたもので、“知的生産・知的生活”をテーマとした書籍では、渡部昇一氏の『知的生活の方法』(1976年)と並ぶ古典中の古典である。 本書では、梅棹氏が考案し商品化された「京大式カード」があまりにも有名であるが、自らの経験のほかにも、加藤秀俊の『整理学』、小泉信三の『読書論』、大内兵衛・茅誠司他の『私の読書法』、川喜田二郎のKJ法と『発想法』、大宅壮一、鶴見俊輔等、当時知的生産を行っていた多くの人々のアイデアや書籍が紹介されている。(今では絶版になっているものあるが) 50年経った現在でも参考になるアイデアは少なくなく、私は、「おくときには、つんではいけない。なんでもそうだが、とくに本や書類はそうである。横にかさねてはいけない。かならず、たてる」というアイデアを、オフィスでも書斎でも極力実践している。

    0
    投稿日: 2016.01.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    書籍や論文という形にとどまらず、メールでもエッセイでも、はたまたLINEのメッセージでも、「文章」を書く人間には必携の書であろう。 ただし、「ひらかなタイプライター」など、梅棹氏の方法が幾分時代遅れになっている感は否めない(今でも愛用者はいるのだろうか?だとしたらその点は私の不勉強です。)が、氏の言葉を借用すれば、どんな方法であれ「使い始めたら努力が必要」なのである。 すなわち氏の言う「知的生産の技術」を身につけるためには、みずから決めた方式を一定のあいだ続ける努力が必要不可欠であるのだ。 ……そんな私は早速京大式カードで「書誌」を付けようと思います。

    0
    投稿日: 2016.01.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    書店で見つけて面白そうだったので読んだが、 発見の手帳の後で誰かが読んでもわかるように文で書く整理は自分が見つけやすいようにするために置くことなど実用的なことも学べた。 この本から小さいものはファイル、大きいものはフォルダ良いかなと考えた。 ドクター中松や夏野剛なんかより全然すごい。先見の明に優れていたとしか言いようがない。 使えそうなものはすぐ使って手慣づくまでやってみたい。

    0
    投稿日: 2015.12.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    情報社会における知的生産の必要性と、情報収集、整理、編集の原理原則は、時代が変わっても不変のものだと感じさせられた。

    0
    投稿日: 2015.11.29
  • もっと早く出会いたかった

    紙媒体で欲しかったんですが、書店をはしごしても見つからず、取り寄せには時間がかかりそうだったので、電子版を購入。 あと30年…いや、20年早くこの本に出会っていたら、もう少し違った生活を送れていたのではなかろうかと、しみじみ思いました。自分が生まれるより以前に、既に出版されていたこの本。40年以上前に、現在のような情報産業時代の到来を予見しおられた、著者の慧眼にただただ感服です。今読んでも、なるほどと感じるところはとても多く、「知的生産」という言葉に惹かれた方は、是非一読していただきたいです(結局紙媒体も欲しくて、通販しました^^)。

    4
    投稿日: 2015.11.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

     カード1枚に1件の情報、書いたり、貼ったり、コピーしたり。メタ情報、メタメタ情報、作成・活用した頃が懐かしいです! アナログ時代の情報の整理と活用、デジタル時代でも基本は同じだと思います!  本居宣長は、書棚からあかりをつけずに必要な本を取り出すことができたと。アナログ時代の整理の究極と思います。梅棹忠夫(2010.7.3没、享年90)著  「知的生産の技術」、1969.7発行、20歳の時に読んだ本です。メモ帳、手帳、日記、手紙、読書、切り抜き・・・、1頁1項目、規格化(ノートからカードへ)。アナログ時代の情報整理の集大成は、この本に尽きると思っています。そして、その考え方は、今も全然色あせていないと思っています。  梅棹忠夫(1920.6.13~2010.7.3、享年90)「知的生産の技術」、1969.7発行。内容は:①発見の手帳 ②ノートからカードへ ③カードとその使い方 ④切り抜きと規格化 ⑤整理と事務 ⑥読書 ⑦ペンからタイプライターへ ⑧手紙 ⑨日記と記録 ⑩原稿 ⑪文章  ミスターアナログと勝手に命名させていただいています(^-^) 梅棹忠夫先生。当時はアナログの情報化時代、今はデジタルの情報化時代。変わらないモノと変ったモノがわかります。情報アンテナの指向と整理の仕方は同じ気がします。

    0
    投稿日: 2015.11.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    情報を取捨選択し、整理する。 整頓とは目の前の資料などを一時的にしまうだけのこと。整理とはどこにどの書類を納めているかを頭の中で把握しておく作業。 文章を書くのは2段階ある。 1.考えを整理する 2. 整理した考えを文章にする いまから40年以上前に書かれた本だけど今読んでも新鮮。現代の自己啓発本なんかで書いてあることの集約、原点だと思う。 読み書き能力=基礎能力を磨くことが如何に大事か。歴代の偉人も努力を重ねた普通の人、という印象がとても良かった。

    0
    投稿日: 2015.07.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    内容自体は古いのですが,現代に通じることも多く書かれています。 著者も「ハウ・ツーものではない」といっているとおり,この本の内容を軸にして,現代の環境にあった手法を考えて実践すること,また継続的に改善していくことが重要だと感じました。 また,著者の文章は理路整然にまとめらていて,私の好みでした。 スムースに頭のなかに入ってきて,読んでいて気持ちよかったです。

    0
    投稿日: 2015.04.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読む・考える・書くという「勉強」や「研究」のやり方にヒントを与えてくれる本。資料の整理が銀行の預金口座のように項目を分けるだとか、思考を整理しやすいフィールドワーク中のメモの取り方(フィールドワーク中は単語のみ書き記して、あとで単語を切ってノートに貼りながらまとめるなど)を考えるきっかけになった。

    0
    投稿日: 2015.04.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    本書は1969年に出版された。著者は、「今日は情報の時代」であり、読み書きを超えて、書類の整理、検討、発表。情報の検索、処理、生産、展開の技術を個人の基礎的な素養として大切さを自分の経験則から書いている。具体的な話の中には、些か時代の経過や歴史を感じさせられたが、試行錯誤の末に効果的なアウトプットを考える著者の姿勢にエネルギーをもらう。また、自分は得た情報をどれだけ、取り込み、活用しているのか。自分は、情報を得て何を生み出せているのか、振り返りのきっかけをもらった一冊である。

    0
    投稿日: 2015.03.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

     「読書においてだいじなのは、著者の思想を正確に理解するとともに、それによって自分の思想を開発し、育成することなのだ。わたしは、読書というものは、電流の感応現象のようなものだとおもっている。ひとつのコイルに電流をながすと、もうひとつのほうのコイルに、感応電流という、まったくべつの電流が発生する。両者は、直接にはどこもつながっていないのである。たいせつなのは、はじめにながす電流ではなくて、あとの感応電流のほうなのだ。これをうまくとりだすことによって、モーターははじめて回転しはじめるのである。」(P114)  わたしのやりかたでいけば、本は何かを「いうためによむ」のではなくて、むしろ「いわないためによむ」のである。つまり、どこかの本にかいてあることなら、それはすでに、だれかがかんがえておいてくれたことであるから、わたしがまたおなじことをくりかえす必要はない、というわけだ。自分のかんがえがあたらしいものかどうかをたしかめるために本をよんでいるようなものだから、よんだ本の引用がすくなくなるのはあたりまえなのである。」(P116)

    0
    投稿日: 2015.01.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    忘れるために書く、書きとめる みためはともかく、必要なものが必要なときに取り出せるようになっている 読むことと、見ること 本好きの読みべた

    0
    投稿日: 2014.12.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    パソコンがこれだけ普及し、コピー機にしたってFAXにしたってあらゆる情報が電子機器で扱えるようになった現在に、いまさらこの本もないだろう、とおもいながらも古本屋でみつけてよみだした。当時(1960年台)の状況がわかるということと同時に、とにかく梅棹先生の先見性のすごさをかんじずにはいられない。さらにいまでも十分に通用するもののかんがえかたが多々登場する。おどろいたのは梅棹先生自身が文章をかくのがにがてだということ。これだけおおくの文章をかかれているにもかかわらず。それにしても先生の本はよみやすい。わかりやすくかくのが当然というふうにしてかかれている。このようなわかりやすい文章がかけるようになるきっかけはどうもタイプライターにあるらしい。日本語の文章をローマ字でかかれていた。同音異義語などもおおく、ローマ字やカタカナばかりで日本語の文章をかくのはむずかしい。それを、はなしことばを意識しながらわかりやすくかいていかれた。日本語ワープロが登場したときはどんなおもいでいらっしゃったことだろう。コピー機が登場したときはどうだったろう。そのときどきの梅棹先生のことばをききたい。きっとどこかにかいていらっしゃるのだろうけれど。奥付の著書紹介をみるとまだまだよんでいない本がたくさんある。最初から著作集をかえばよかった。しかし、いまとなっては古本屋でがんばってさがしてよんでいくことにしよう。(それとも図書館で著作集を購入してもらおうか。)梅棹先生のご冥福をおいのりします。

    0
    投稿日: 2014.12.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「ハウツー本ではない」とはいえ、カードシステムによる文書管理、ローマ字表記の普及などの具体的な方法論を、現代に持ってきてそのまま活用するのは難しいので、本書の価値は時間とともに漸減していると思う。 頭脳労働もある程度を機械に代行させる事も増えつつあり、技術は恐ろしい速さで変わっていくので、皮相の技術論は永遠に定本化できないテーマだろう。 当然、ディバイスが変わっても使う側はそれほど変わっていないので、根っこの考え方やエッセンスは勉強になると思うが、ちょっとタイトル負けしている感は否めないかなぁ…

    0
    投稿日: 2014.11.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    なにかと話題に上る本書を読んでみた。 まだ日本語ワープロもなかった時代か。 いまなら私にはポメラがある! 読書メモを打って、レバレッジメモで活用しやすい時代だ。 基本的な知的生産の技術は変わっていない。 使う道具が変わっているということだ。 これからも知的生産のためにレバレッジメモは続けよう。 超メモ術と同様に重要なインスピレーションはその場でメモしなければならないナマモノだということ。 メモをいつも持ち歩き何でも書いておくことが知的生産には大事。

    0
    投稿日: 2014.10.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ・紙を節約しようとしない →ノートを大きく使う。  罫線の間隔が広いものを使ってみようと思う。 ・本を版型によって並べるな、内容で並べ替えろ ・つむな ・元の位置にもどす →これが一番重要 アウトプットの部分はあんまり読まなかったのでまたいつか読み直したい。

    0
    投稿日: 2014.10.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    書かれたのが40年ほど昔なので、まだPCも個人では持っていない時代だが、資料の整理や管理の方法など、情報の扱いについて深く考えて研究された内容。PCがない当時は本当にこういった資料だったり考えをまとめたものの管理や、すぐに引き出す方法など大変だったことがよくわかる。この本読んでると現代ってなんて便利なんだろうと思う反面、保存の仕方は変われど本質的なところは変わっていないことがよくわかる。 この著者はけど、情報という概念をこのときすでに将来学問として成り立つほど重要なことだと認識していたのはすごいと思う。(現代の情報ってプログラムとかそういう感じだけど。) また、メモするときもちゃんとした文章でメモするとか、メモの内容も調べたことでもいいし、ラーメン屋の名前でもなんでもいいから色々メモをして、記録を蓄積していくというのは本当に大事だと思う。人間の記憶は全くあてにならないので、記録をするというのは確かに。 自分ももっと好奇心と知識欲をもって色々なことをメモしていきたいと思う。そしてこの著者は本を読むときに大事なところは鉛筆で線を引くみたいなことが書かれていて、自分もこれから本を読むときに、気になった文はガンガンマーカーで色をつけていこうかと思った。そして新聞もまた昔のように読んでみようかと思った。(見出しだけでも)

    0
    投稿日: 2014.08.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    産業社会全盛の1960年代において、いち早く情報化社会の到来を予測し、情報の管理・活用についての新しい方法を提案した古典的著作。 個々の記述はさすがに時代を感じさせる部分もあるが、取り扱われているテーマは、例えばアイデアのデータベース化や情報の一元化の方法であったり、身の回りの整理術であったり、要するにわれわれにとっての永遠の課題とも言うべきものであって、全く古臭さを感じさせない。 それどころか、数年前に『情報は一冊のノートにまとめなさい』という本が流行ったが、本書ではノートに情報を一元化することの問題点についても的確な指摘がされており、ある意味では今の時代を二歩も三歩も先取っているとも言える。いや、そもそも本書は「知的生産の技術(自己の中に眠る創造力を開花させるための技術論)」なのであって、後発の単なるハウツー本と比べるのは失礼に当たるだろう。一方には明確な「目的」があるのに対し、他方には「自己目的」しかないのだから。 半世紀近く前の本であるし、本書で推奨されている京大式カードはさすがにもう売っていないだろうと思っていたが、Amazonを見るとなんとまだまだ絶賛発売中であった(値は張るが)。梅棹流の実践者がいることの証左であろう。私も一度試してみようと思う。

    0
    投稿日: 2014.08.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    専門家だけでなく一般の人々も文章を書くようになりはじめた頃書かれた本。1969年。ノートの書き方、カードへの進化のさせ方、整理の仕方などから始まり、読書を生産的にする方法、手紙と日記そして文章の書き方などが続く。印象的だったのは、日記でも手紙でも、文章は文学的であるべきという幻想から解放されるべき、という主張。それは国語の授業は国文学の授業と混同されているためだと述べられてる。自分のことを振り返ると、1985年生まれだけどその時点では相変わらず国語教育は変わってなかったと思う。

    0
    投稿日: 2014.08.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「学び方の技術」をまとめた本という試み自体がすごい。ただ、内容が具体的(タイプライターの使い方とか)であるだけに古いのが惜しい。

    0
    投稿日: 2014.07.31
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    内容は古いですが。 京大式カードとか、分類しない。というのはなかなか今に通じる。パーソナルコンピュータの時代ですから、ずいぶんやりやすくなった、と思いますが。

    0
    投稿日: 2014.07.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    45年前に書かれたものだけど,今でも参考になる内容が多い.現在利用できる情報ツール(コンピュータやタブレット端末)のアプリで応用ができないかを考えながら読むと面白さが増すと思う.

    0
    投稿日: 2014.06.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    [配架場所]2F展示 [請求記号]080/I-3 [資料番号]2004133164 [請求記号]116.5/3 [資料番号]0000426181

    0
    投稿日: 2014.04.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    1969年に出版されただけあって内容は古いが、今でも参考になるところもたくさんある。また、古さが逆に当時の趣を伝えてきて面白かったりする。

    0
    投稿日: 2014.03.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    ◆1969年、知的生産の時代の到来をいち早く予言した名著です。知的生産とはなんともかたい言葉ですが、人びとがおこなう情報のインプットとアウトプットといった程度の意味です。したがって「知的生産の技術」とは、知識の獲得から生産までの方法を、自分なりに体系立てることです。◆その点、「知的生産の技術」は長らく問題になってこなかったといいます。たとえば、学校という場所は、勉強は教えても、「勉強の仕方」は教えてくれないし、考えさせる機会も用意しないわけです。◆そこで著者は、「知的生産の技術」についてみんなで考えようではないか、と問題を提起しています。この本がすごいのは、この問いかけとそれに対する著者の考えが、いまなお生き続けているということではないでしょうか。 ◆この本では、著者のかんがえから生まれた「京大式カード」というものが紹介されています。ふつうならばノートに書くようなことを、論理のまとまりごとにカードに細分化して記述し、それらを自在にくみあわせることで新たな思考をうながすという方法です。◆それは、日常のひらめきやかんがえ、学習内容を手軽に書き留め、それらを組み合わせることで「新しい考えを生み出す」という知的創造のために、著者が試行錯誤の末に導き出した方法でした。◆これは、いまやたらとみかける「ブレイン・ストーミング」とも似ていて、「記録」を具現化するか、「頭のなかのもの」を具現化するかという違いぐらいしかないような気がします。 ◆とうぜん「記録」というのは「頭のなかのもの」より幅広くて、そこには日常のひらめきや考え、学習内容、その問題以外のことまですべてを含んだあらゆる知的活動の産物です。著者は「カードは、わすれるためにつけるもの (p. 54)」といっていますが、これらのことをぼくなりにいいかえれば、ほんらい頭のなかにいれるべきことを記録として外部化することで、「頭のなか」をかんたんに拡張できるのです。そして、実際の頭は、それらを結びつけることに専念できるのです。 ◆ただひとつ、この本についてぼくが(個人的に)注意すべきだとおもうのは、この本は「ハウトゥ本」ではないということです。たしかにカード法や”こざね法”(KJ法)はとても役立つものですが、それらを使ったからといって勉強がはかどるとは限りません。◆大切なのは、この本の問題提起をうけて、自分の「知的生産の技術」を試行錯誤してゆくことだと思います。パソコンやインターネットにあふれたいま、この本をよんで、新しいかたちの、そして自分なりの「知的生産の技術」についてかんがえる意義は、とても大きいと思います。 ◆なんとこの本、近所のブックオフで108円で転がっていました。あら?もう8%価格?(そういえば、これから1円玉の発行枚数はどれぐらい変わるんだろう) 引用したのは、自分につねに忠告しておきたいなとおもう言葉です。 ◆ぼくがこの本をおすすめしたい人は、小学生から大学一回生の人たちです。反対に大人は、自分なりの勉強法を確立していることも多いので、この本を読んでも「当たり前のことじゃないか」と思うだけかもしれません(とはいえ、その提言をいち早くおこなったこの本はやはりすごいと思います)。むしろ、若い人がこれを読めば、自分なりの情報の活用法をかんがえ、それを「技術」として昇華させることができるのではないかと思います。

    0
    投稿日: 2014.03.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    はじめに 1.発見の手帳 2.ノートからカードへ 3.カードとそのつかいかた 4.きりぬきと規格化 5.整理と事務 6.読書 7.ペンからタイプライターへ 8.手紙 9.日記と記録 10.原稿 11.文章 おわりに

    0
    投稿日: 2014.03.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     実に、40年近く前に書かれた本なんですね。ローマ字論やらひらかなタイプライターやら、今から見ると不思議な話題もいくつか出てきます。  しかし、技術的な部分は古さがあっても、本質的な部分では、今でも十分に通用するものばかりです。私自身は知的生産と呼べるほどの活動はしてませんが、ちょっとした文章や考えをまとめるときには、参考になりそうです。  p.216 「実行しないで、頭で判断して、批判だけしていたのでは、なにごとも進展しない。どの技法も、やってみると、それぞれにかなりの努力が必要なことがわかるだろう。こういう話に、安直な秘けつはない。自分で努力しなければ、うまくゆくものではない。」  まさにそのとおりです。  私は、この手の本を実にたくさん読んだ。  あとは実行するのみである。

    0
    投稿日: 2014.03.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    仕事術の草分けとなった本。それまで高尚なものだと考えられていた研究という営みを「知的生産」という観点から見なおし、その「技術」をハウツー的な知識として提示するという発想は、この本以降すっかり定着しました。 もちろん、条件が変わってしまったために今では当てはまらないと思われる点もあります。とくに、パソコンの登場によって解決された問題も多いように思います。それでも、「知的生産」の根幹についての本書の基本的な考え方は、現在多く刊行されている類書にも受け継がれているように思います。 とくに、創造的な「知的生産」を楽しみのための「消費」と区別するという考えに基づいて、メモの取り方、整理の仕方、読書の仕方などの「技術」を見なおすという本書の観点は、今日でもけっして古びてはいないのではないかと思います。どれほど便利なツールが登場したとしても、こうした問いかけを続けていくことがもっとも大切だということに、改めて気づかされました。

    0
    投稿日: 2014.02.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    まず、本というものは、はじめからおわりまでよむものである。 との記述があった。 今まで読んだ読書法に関する本では全く逆のことを言っていたので、初めに見たときは驚いた。しかし、現代の膨大な情報量を考えれば、初めから終わりまで読んでいる時間がもったいないと思う。

    0
    投稿日: 2014.02.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ・知的生産に必要な部分的空間は、仕事場と事務所と資料庫と材料置き場。 ・本は読んだ後に、積んでおいて後日レビューする。 ・読書において大事なのは、著者の思想を正確に理解するとともに、それによって自分の発想を開発し育成すること。 ・技術の開発と発展のためには成果よりも、それにいたるまでの経過の記録と、その分析が大切。 ・こざね方式(紙を列にしてつなげる)によって頭の中の思考を外に出す。

    0
    投稿日: 2014.02.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    さすが読み続けられている本。 なるほどと思うことがたくさんあった。個人的に筆者の語り口が好きです。おじいちゃんの話を聞いているみたいに読み進められる。 筆者は和語は基本的にひらがなで、漢語は漢字で書いているようです。 それもまた読みやすく感じた。

    0
    投稿日: 2014.01.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    本書は,メモ(カード)の取り方,ファイル整理の仕方,読書論,文章作成方法とに大きく分けられる。 現在では,メモ(カード)の取り方についてはEvernote等,読書論については,ブクログ等のサービスで代替できそうである。自分はそちらにはあまり習熟していないので,他の人の書評を参考にさせてもらうとして…。 個人的に,ファイル整理の仕方は一番参考になった。事務処理用のファイルと資料用のファイルを分けて整理する。 もっとも,自分は事務処理用の書類は少ないので,場所をとるようなものにはならなそう。 読書の仕方については,「だいじなところ」と「おもしろいところ」の別,消費的読書と想像的読書の分け方が目に留まった。 前者については,読書の際に二色の付箋を使い分けることで実際に応用できそう。 数十年前の本だし,冗漫だったり自慢だったりが入ったりするところもあるが,特に情報整理術関係の本を読んだことのない人にとっては,現在においても参考になる。 「読書論においても,技術論と鑑賞論は,いちおう別のこととかんがえたほうがいい 」(98頁)

    0
    投稿日: 2013.12.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    梅棹さんは洗濯をせんだくという。 ひらかなタイプライターの手紙 最後の「う/ふ」ってなんだ。 清書した原稿は誤植が多くなる。 印刷工を油断させるのだろう。って。

    0
    投稿日: 2013.10.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    発想力・発想法について、現代でも通用する深みを感じた。1970年代初頭で情報産業・知的生産についてこれだけの思索を持っていたことは衝撃的である。 しかしながら、事例が古いこともありそのまま応用するには古さを感じずにはいられない。

    0
    投稿日: 2013.08.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「京大式カード」の発案者の本。情報をどう取り出しやすく管理するか。紙だろうが電子だろうが、お題は同じ。目的も、情報は取り出しやすく整理してもっとアタマを他のことに使いたい、ってことで同じ。管理手法について青い鳥症候群になってしまいがちなのも、この本がでて四十数年経っても、おなじ。 しかし、ひらがなタイプライターの記述があるあたり、時の流れを感じる。

    0
    投稿日: 2013.07.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    京大式のカードは、大きさが中途半端過ぎて今は使いにくく感じます。 でも、手法としては決して色褪せたものではないと思う。

    0
    投稿日: 2013.06.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    本書は,知的生産の技術について書かれているものだが,体系的にかかれているものではなく, 「これをよまれたかたがたが,その心のなかに問題を感じとって,それぞれの個性的にして普遍的な知的生産の技術を開発されるためのひとつのきっかけになれば,それでいいのである。」P19 とあるように知的生産の技術を紹介しつつ,問題提起としての本となっている。 古い書籍ではあるが,知的生産の技術の一つとして紹介されているカード記法については分類したものの順番を入れ替えたり,組み合わせを考えることで自分の思考を創造的にするというのはevernoteに近いと思う。 このカード分類は,現在のevernoteを運用するにあたって参考になる点だと思う。 evernoteのノートブックがこの本で紹介されているカードにあたり,タグが思考をつなぐためのシステムになる。 メモをアナログでとるかデジタルでとるかの違いであってこの本から学べることは大きいと考える。 わたしたちが「手帳」にかいたのは,「発見」である。まいにちの経験のなかで,なにかの意味で,これはおもしろいとおもった現象を記述するのある。あるいは,自分の着想を記録するのである。それも,心おぼえのために,みじかい単語やフレーズをかいておくというのではなく,ちゃんとした文章でかくのである。ある意味では,それはそのままでちいさな論文ーないしは論文の草稿ーとなりうるような性質のものであった。P24 そこで発見のあるたびに,せっせと「発見の手帳」にかきとめて,ちくせきをはかることにしたのである。記憶があてにならないという事実も,「発見の手帳」をつかっているうちに,うかびあがってきた一つの「発見」であった。わたしは,自分自身の発見や着想をも,すぐにわすれてしまうのである。その証拠に,わたしの「発見の手帳」をよみかえしてみると,まったくおなじ内容の「大発見」がしばしばあらわれてくる。まえに一ぺん「発見」したことをわすれてしまって,またおなじことを「発見」してしまうのだ。 P27 かいておきさえすれば,まえの発見が,つぎの発見のためのふみ石になって,しだいに巨大な構築物にまでつみあげることも可能なはずである。やや逆説的ないいかたになるが,なんべんもおなじことを「発見」してしまうという,「発見の手帳」における失敗の経験が,かえって逆に「発見の手帳」の有効性をおしえてくれているのである。思想の構築のためには,「発見の手帳」は,やはりたいへん有効な素材蓄積法であろうと,わたしはかんがえている。P28

    0
    投稿日: 2013.06.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    KJ 法に感心があり読みました。 忘れるために記録する。 本は一度に読んでしまう。 手紙は雛形を作っておく。 等々色々興味深かったです。

    1
    投稿日: 2013.05.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ワープロ,パソコン以前のアイデア整理の方法.この分野では古典的名著.多少,古い部分はあるものの基本的な考えは十分通用.

    1
    投稿日: 2013.05.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    古いけれど、現代にも通用する部分が多い。コンピュータが発達した今、この本に書いてある整理法は実践しやすくなったと思う。

    1
    投稿日: 2013.05.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    『知的生産の技術』 梅棹忠夫 ……ただひとつだけ、たいへん鮮明に覚えていることがある。それは、ダヴィンチの手帳のことである。(p21) モレスキンはこの手帳を元ににしている。 私たちが「手帳」に書いたのは、「発見」である。(p24) 逆に日常のことや実用的なことは書かなかったそうだ。そして単語ではなく文章という注意もある。断片的に書く癖があるので留意したい。 ……紙と鉛筆をはなれて、ねながらそらで数式をくみたててあつかうことをおぼえてから、うそのように数学がよくわかるようになった。(p26) やってみたい。これは新しい。 いつでも身につけていなければならない。これが、「発見の手帳」についての、第一原則である。(p30) じっさいをいうと、わたしはいまでは、ここにしるしたとおりの形の「発見の手帳」は、もうつかっていない。いまでは、その機能をカードで代行させているからである。(p32) 最後でひっくり返している。カードは難儀だ。手間がかかりすぎる。 ただし、道具はしょせん道具である。道具はつかうものであって、道具につかわれてはつまらない。道具をつかいこなすためには、その道具の構造や性能をよくわきまえて、ちょうど適合する場面でそれをつかわなければならない。(p62) こころに留めておきたい。道具の特徴を見極めることが大切。 ……本にもよるし。よみ手の時間的条件にもよることだが、ごく一般論としていえば、一気によんだほうが理解という点では確実さがたかい。すこしずつ、ことこつよんだ本は、しばしばまるで内容の理解ができていないことがある。(p106) 一気読み派。なるほど。理解はできるが、物語は別ではないか? 長編などは一気には読めない。 ……本に線をいれる箇所にはあきらかにふたつの系列がある、ということである。第一の系列は、「だいじなところ」であり、第二の系列は、「おもしろいところ」である。(p112) これが洗練されて、3色ボールペンになってのだろう。

    1
    投稿日: 2013.05.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    知識習得の方法を著者なりの方法で論じる本。 メモの取り方、文章のアウトプットの仕方等、内容は多岐に亘る。 1969年発刊ということで、やり方は今の時代に合わないことも多い。 但し、考え方は今も十分通じる内容。 特に情報の整理の仕方については、パソコンのフォルダの整理の仕方に、 おおいに役立つであろう。 メモは「忘れないため」でなく、「忘れてもよいように行う」という考えは、 情報が氾濫している現在に生きる我々にとって必要な思考だと思う。

    0
    投稿日: 2013.04.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    勉強の仕方、知識取得の方法を整理・体系化がテーマ。長年悩んでいた新聞記事の整理方法は、早速実践しているがなかなか有益。 1969年初版だがすでにPCの普及を予言するなど、内容は今読んでも全く色あせていない。

    1
    投稿日: 2013.03.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ビジネスハックの元祖として紹介されていたkら読んだ一冊。 50年近く前の本なので、 現在でも通じるテクニックは少ない。 ただ、情報の整理のやり方は目を挽くものがある。 如何に得た情報を整理して自分のために活かすか。 どれだけ情報の入手先が変わろうとも それを咀嚼するのは”人間の脳”である。 記憶できる量はPCには絶対に敵わないし、 加工する質は無限の可能性も持っている。 最近のハック術にハマっている人は一読の価値はあると思う。

    1
    投稿日: 2013.03.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    情報活用法を教えてくれる一冊。 参考になることもあった。 自分のすることに意味をもって、 考えることが重要だと感じた。 二度読みなどは特に実践したいものであった。

    1
    投稿日: 2013.01.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    コレは、現代人必読でしょう。 確かに、初版は1969年と、書かれた時代と現代では、環境に大きな差がありますが、中に書かれた内容は、驚くほど21世紀になった現代でも通じる。それは、進歩していないのか、筆者に先見の明があったのか。 どちらも、かな。

    1
    投稿日: 2013.01.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    以前読んだ本ですが再読しています。知的生産というと身構えてしまいますが、勉強法の本ではないのです。今日はビジネスマン・研究者・学生でなくとも、多くの書類・データに囲まれて生活しています。パソコンという情報端末を使う人の人口は日々増え、私たちの生活に深く浸透しています。こういった様々なデータを、京大式カードを使うかどうかは個人の選択に一任するとして、効率的に理解・処理・分類し、知的生産に生かす方法が示されています。ブログを書く時の心構えとして、一冊手元に置いておいてもよさそうな本かもしれないなァ、と再読してみて思いました。

    1
    投稿日: 2013.01.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    当時と今との違いを思う。 知的生産という概念とその方法論を確立しようとする意志に共感。 自分にはややなじめなかったが。

    1
    投稿日: 2012.11.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    著者は、知的生産とは、「頭を働かせて何か新しい情報を人にわかる形で明らかにすることである」と定義している。 知的生産は一般的には、個性的・個人的営みであり、普遍性がなく公開不可能なものであると受け止められがちであるが、実際はその反対で、皆同じような工夫や失敗をしており、技術と呼ぶに足る客観性・普遍性をもっている。 具体的には、著者が独自に開発したカードを活用することによって、「読む」という行為(日常の発見、新聞記事、ファイリング、読書など)から、いかに新たな情報を生産するか、ということを紹介し、一方でまた、「書く」という行為(日記や文章の書き方など)では、いかにわかりやすく自分の考えをまとめるか、ということを著者発明のカードはもちろんのこと、タイプライター、原稿用紙など、その他のツールの活用法を、実例を挙げながら述べている。 情報社会のもとでは、「いかに読み、いかに生き、いかに考えるか」を絶えず試行錯誤していく行動力を持つことこそ、知的生産の技術を磨く上で最も肝要である。 本書は1969年初版であり、今日のIT社会から見ると、活用するツールがやや古いと感じる点はあるものの、本質的な肝は変わらず、多くの情報が氾濫する現代社会でも十分通用する「技術」であると感じた。受験生当時使っていた京大カードの発明者が著者であると、今更ながらに知った。「読書力(齋藤孝)」の中で述べられている「線を引きながら読む」と本書の「傍線をひく」という箇所が重なっている部分があり、大変印象に残った。

    2
    投稿日: 2012.11.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読後感としては、さすがに古すぎるかな、と言いたい。 もちろん、本書が知的生産のバイブルであることは間違いないが、現代の情報化時代では、本書のやり方は時代遅れ感が否めない。 しかし、参考になる点も多少はある。 それにしても、昔は知的活動において、とても手間がかかっていたんだなと思う。今の時代どれだけ恵まれているか、痛感した。

    0
    投稿日: 2012.11.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    目次(抜粋): ま え が き は じ め に 1 発見の手帳 2 ノートからカードへ 3 カードとそのつかいかた 4 きりぬきと規格化 5 整理と事務 6 読 書 7 ペンからタイプライターへ 8 手 紙 9 日記と記録 10 原 稿 11 文 章 お わ り に

    1
    投稿日: 2012.11.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    こざね法 「まず、紙きれを用意する。 、、、 その紙きれにいまの主題に関係のあることがらを 単語,句,または短い文章で一枚に一項目づつかいてゆくのである。 おもいつくまま、順序かまわず、どんどんかいてゆく。 すでにたくわえられているカードも、 きりぬき資料も 本からの知識も つかえそうなものはすべて一ど、この紙きれにかいてみる。 、、、 それとつながりのある紙きれがほかにないかさがす。 あれば、それをいっしょにならべる。 、、、 分類するのではなく,論理的につながりがありそうだ、と思われる紙きれをまとめてゆくのである。」 すごい。 KJ法B型による文章化ともいうらしい。

    1
    投稿日: 2012.10.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     過去に読みましたが,なぜだか,もう一度,読んでみました(書棚の上の方に積まれていたため・・)。内容,古くなってますが,新しいところもあります(読書の技法など)。でも,もう,43年も前の本なんですね,私と同い年。

    1
    投稿日: 2012.10.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    古いがまだまだvalid。 みんな試行錯誤していることがよくわかる。 最適なシステムは、環境によって変化するのだから、万人にとって完璧なシステムなど存在しない。あるのは、原則だけ。 この原則は時代が変わっても変化しない。 そして、この本で論じられているのは原則。 だから、この本はまだまだvalid。 タイプライターの歴史は非常に面白く思った。 全てひらがなの手紙を書いていたとは恐れ入った。 これとてまだvalidだと思う。 僕は、ローマ字入力→変換しているけど、 英語を打つときは、変換なし。 そもそもかな入力が自然で、労力も半分で済むはずなんだ。

    2
    投稿日: 2012.10.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    1969年に初版が発行されたとき、梅棹先生がこの本で提案・指摘したことのうち、あるものは標準化され、またあるものはIT化によって、まるで当時の梅棹先生のご苦労などどこ吹く風のように解決された。 しかし、今なお、当時のままであることも多いと感じた。ネット環境にあってもなお、いやだからこそ、情報の整理や処理、伝達の仕方について、子どものころから教育をしたり、また大人であっても、この本に書かれているような実践的な技術を磨いていくべきだと思った。

    1
    投稿日: 2012.09.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    カードの活用法が半分くらい続くが、コンピューター世代には、カード以前と比較して検索しやすい、使いやすいという「カード」の活用を力説されてもあまり響かない。本人の意図に反して、最後の平明な文章の行のところは、なかなか良かった。

    1
    投稿日: 2012.09.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ・筆者が1970年に書かれたこの中で悩んでること、特にタイプライターの下り、がPCというたった一つの道具で大抵片付けられる現実に驚愕。 ・かといって、ただ時代遅れの本に成り下がってるわけではなく、むしろ予言書の趣も。 ・技術も今でも応用できるものがあるし、読書法は現代こそ必要かも。能動的に読書しましょう。

    1
    投稿日: 2012.08.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    いまや「古典」といってもよいであろう一冊。情報化社会となって久しい今日、私たちの周りには膨大な量の情報(あえてここでは重要性・種類を問わない)が氾濫した。そして、私たちは改めて気づかされる。「情報≠知」であると。むしろ、情報単体での価値は、低下したといっていい。では、私たちは、この大量の情報をどのようにして整理し、意味付けし、ある一定の文脈をもつ「知(知識ないし思考)」に練りあげていけば良いのか。その過程こそ、まさに「知的生産」であり、この本がいわんとするところである。現代版や類似本は多数出版されているが、原典に当たらずして、語ることなかれ。一種の通過儀礼として、一度頭に読み込ませておきたい一冊だ。

    2
    投稿日: 2012.08.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    非常に勉強になった。自分のやる気を継続させ、そのうえ役に立つノートテイキングの方法を模索していただけに、非常に参考になった。

    1
    投稿日: 2012.08.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

     本書の存在は、「アイデアを形にする技術」(著者原尻淳一)の中で知った。本書の著者である梅棹忠夫氏は、知的生産について言及した草分けだそうだ。  初版が1969年と40年以上前だが、本質的なことは、現代でも十分通用すると思う。目の付け所や斬新な提案に、当時の読者は相当、インパクトを受けたのでは。。。 気になった言葉(いっぱいになってしまった):  ・「カードは蓄積の装置というよりはむしろ、創造の装置なのだ。」  ・「娯楽としての読書なら別だが、一般には著者の思想を正確に理解するというのは、読書の最大目的の一つであろう。(中略)内容の正確な理解のためには、とにかく全部よむことが必要である。(中略)半分よんだだけとか、ひろいよみとかは、本のよみかたとしては、ひじょうにへたなよみかたである。」  ・「よみおわって、読書ノートとして何をかくのか。(中略)つまり、わたしにとって「おもしろい」ことがらだけであって、著者にとって「だいじな」ところは、いっさいかかない。なぜかといえば、著者の構成した文脈は、その本そのものであって、すでにそこに現物として存在しているからである。著者の文脈をたどって、かきぬきやらメモやらをつくっていたのでは、けっきょくその本一冊をそっくりカードにうつしとるようなことになってしまって、むだなことである。必要なら、その本をもういっぺんみたらいいではないか。(中略)こういう読書ノートは、まえにかいた「発見の手帳」の、まさに延長線上に位置するものである。あるいは、それ自体一種の「発見の手帳」であって、読書は、「発見」のための触媒作用であったということができる。読書においてだいじなのは、著者の思想を正確に理解するとともに、それによって自分の思想を開発し、育成することなのだ。」。  ・「「自分」というものは、時間とともに、たちまち「他人」になってしまうものである。(中略)日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、と考えておいた方がいい。」  ・「ものごとは、記憶せずに記録する。はじめから、記憶しようという努力はあきらめて、なるだけこまめに記録をとることに努力する。これは、科学者とはかぎらず、知的生産にたずさわるものの、基本的な心得だろう。」 ・「仕事をした人間は、だれでも、その仕事について、情報を提供する社会的責任をおうているのである。」 ・「こざね法というのは、いわば、頭のなかのうごきを、紙きれのかたちで、そとにとりだしたものだということができる。それはちょうど、ソロバンのようなものである。ソロバンによる計算法は、けっきょくは暗算なのだが、頭のなかのうごきを、頭のそとでシミュレートしてみせるのが、ソロバンの玉である。こざね法は思想のソロバン術で、一枚一枚のこざねは、ソロバンの玉にあたる。  この方法のいいところは、創造的思考をうながすことであろう。バラバラな素材をながめて、いろいろくみあわせているうちに、おもいもよらぬあたらしい関係が発見されるものである。もうひとつ、文章というてんからいってたいせつなことは、この方法でやれば、だれでも、いちおう論理的で、まとまった文章がかける、という点である。」 ・「わたしは、苦心して文章をみじかくすることの愚をさとった。みじかいことよりも、わかることのほうがたいせつである。」 ・「知的生産のための基礎技術としての文章は、ひとに感動をあたえるような、芸術的な文章ではない。ものごとと、思想とを、まちがいなく、わかりやすく、ひとに伝達できるような、機能的な文章である。」  著者は京都大学人文科学研究所教授、国立民族学博物館長を歴任された方で、専攻は民俗学、比較文明学である。  このブクログでもそうだが、著者のネタをひけらかす内容(物語でいうあらすじ紹介)から、その読書を触媒にした自分の考えを述べることができるようになったらなあ、と思った。  また、本書の中で紹介されている東京工業大教授の川喜田二郎氏の発想の体系的技術(KJ法)について書いた「発想法」(中公親書)も気になったので、機会があれば読んでみようと思う。

    1
    投稿日: 2012.08.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    時代は移り変わり、科学技術は進歩したが、この本で述べられている知的生産の技術はなお色あせることはないと感じた。むしろ、進歩した科学技術を組み合わせることでより有効なものにできる。 個人的には、カード・システムはEvernoteで代用できると思う。ミニ論文をEvernoteに、そこから発展した長い文章はブログに、という風にしていきたい。今までも、思いついたアイデアは随時記録していたので、より発展させたい。 ☆4なのは、タイプライターのくだりはあまり現在においては有効ではないと感じたから。

    2
    投稿日: 2012.07.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    京大式カードでのデータ管理の考え方は、デジタル化が進んだ今でも十分参考となる。 かなタイプライターについては、今はパソコンがあるので、もっとすごいことが容易にできる。 せっかくこれだけ恵まれた環境にあるのだから、我々はそれを最大限に活用しなければならない。

    1
    投稿日: 2012.05.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    古い本なので、役に立つ部分たたない部分の差が激しかった。一番役に立ったのがカード法で、コレは真似させてもらっている。後、本に付箋を付ける方法、ファイル方法もよさそう。 ただ、読めなかったのが後半。お陰で読書がしばらく止まってしまった。 タイプライターからのローマ字・カタカナ・かな文字の使用については、先に「日本語と外国語」鈴木孝夫著と読んでいたため、全く共感できなかった。それと同じ知的生産系の本を読むなら「知的生活の方法」渡部昇一著のほうが個人的に好きだ。

    0
    投稿日: 2012.04.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ツイッターで、勉強法について教えてもらった。カードに書く、というものだった。 カードに書く勉強法をググったところ、「京大カード」というものがあって、興味を持って、読んだ。 メモからカード、読書から文章を書くことまで、多岐にわたる内容だった。 カードは、早速買って実践してみようと思う。

    0
    投稿日: 2012.04.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    なんと1969年に、情報を整理し活用して新しい価値を生み出す、という事について書かれたこの本。 この中で挙げられてる課題にはITの発展で出来るようになった事も、まだまだ出来てない事もあり、これからの時代に何をして行くべきか、何が出来るかを考えたい。 発刊当時は文書を早く奇麗に書けてカーボンコピーも取れるタイプライターを使うべき、でも仮名漢字まじりの日本語はタイプライターで記せないので、どうにも解決策が無い。いっその事ローマ字を国字にしてしまおうか。といった事が議論されていたそうで。 もちろん今では、まさに今、僕が当たり前のように仮名漢字まじりの文を書いて、いろんな所にそのコピーを表示している。 この本を僕たちが普段どうにもならないと思っている問題を解決していく時の考え方のヒントにしたい。

    0
    投稿日: 2012.04.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     「知的生産」とは,著者・梅棹忠夫の造語で,人間が頭を働かせて,何か新しい情報の生産を行い,人にわかる形で提出することを意味する。本書は今から43年前の1969年に出版されているが,梅棹は当時から,「現代」を「知的活動が著しく生産的な意味を持ちつつある」時代と認識し,全ての人間がそのような社会に対応するために,個人による知的武装の必要性を主張している。  梅棹の知的生産は,ノート,カード,ファイルといった知的生産の「装置」と,読み書きを中心とする知的生産の「様式」の2つに大別される。実際,本書で紹介された「装置」の方法論は,パソコンもワープロも無い時代のアナログ的な知的生産技術であり,21世紀の今日においてはもはや面倒極まりない。だからといって,今日の我々が当該部分を読む価値なしと判断するのは,極めて早計である。知的な「発見」を捉える意義――「発見」には常に感動が伴い,その感動が冷めぬうちに文章化しないと,永久に書けなくなる――や,カードを書く意義――記憶するかわりに記録する――は,いまも色あせぬ普遍的な概念だからだ。  以上に加えて,梅棹は,技術の開発と発展のために,成果に至るまでの経過を記録として残す大切さを訴える。梅棹によると,日本人には,自分の成し遂げた仕事の記録を残すという習慣が身についていない。これは,高度経済成長期であろうと,リーマンショック後の日本経済であろうと,変わらぬ事実である。「日本人は,記録軽視,成果第一主義で,実質的で,たいへんけっこうなのだが,社会的蓄積がきかないという大欠点がある。やはり,どうしてこうしてこうなった,ということを,かきのこしておいてくれないと,あとのもののためにならない」(174-175頁)という文章は,東日本大震災及びそれに伴う原発事故対策の政府会議で議事録が作成されなかった失態を,既に40年以上も前から痛烈に批判していたのではないだろうか。

    0
    投稿日: 2012.03.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    第1刷が1969年。 今年2012年。 人の頭で考える事ってのは、 驚くほど変わらないものなのかもしれない。 それだけに、この本の価値もまた 推して知るべしと言ったところでしょうか。 人と話すとき、場合によっては、 この本が共通認識としてあるような、 そんな気がする。 実際、ここに書かれていることが 最低限の教養といえるのかも知れない。 特に面白かったのは、「読書」と「文章」についてのくだり。 逆に、タイプライターについての予想は、 予想以上に現実の技術が先を行ってた、ということか。 「文章は俳句のつもりでか」くべからず と言われながら、ついつい俳句のような文章に憧れてしまう、 反省。 とにかく読みやすくてあっという間に読んでしまった。

    0
    投稿日: 2012.03.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    梅棹せんせいの本を初めてよみました~ 知的生産の技術、もっとお堅い本かと思いきや、とっても梅棹せんせいご本人よがりなとっても個人的な意見がたくさん書かれているなーという印象を受けました。梅棹せんせいの個人レッスンを受けているような感覚に・・ あと、ノートとかカードとか別にそこまでこだわるのか?!ということまで書いていてその情熱の傾け方にぷぷと笑ってしまいたくなるほどでした。 でも最後の文章の書き方に関しては本当だなと思いました。大学で、誰も文章の書き方、本の読み方、ノートの取り方さえも教えてくれません。誰かに教えてほしいなんて甘えてるかもしれませんが、教えてほしいですよ、それはwでも今はテクノロジーが進みすぎて、ノートをとることとパソコンを使いこなすことどちらを取るかの話とかにもなりそうですが・・

    0
    投稿日: 2012.03.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    論文集。 知的生産をどのように管理するかの技術について、様々なジャンルの人間が語る。 参考になった部分もあるけど、全体で言えば「古い」につきる。 PCが普及している現在では、ローカルな手法は時代遅れ。 どや顔でアイデアを提唱していても、基本的にPCやネット上ではあたりまえに使われてる情報管理法ばかりだったりする。 (タグの概念とか) PC駆使できてる人にとってはあまり有効じゃない。

    0
    投稿日: 2012.03.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    最近、京大カードを手作りして持ち歩いている。京大カードに代わるものとして、ファイロファクスやモレスキンと様々なものを使ってみたのだが、どこに書いたかすぐに取り出せずにいたところ、兄がこの本を読んで参考にしてみたらと梅棹忠夫さんの知的生産の技術を貸してくれた。 早速、読んでみると情報を整理して取り出すということは、今の時代の方が多くなっている行為なのだと思いあたり、この本は元祖ライフハック本だという気がした。 そして、京大カードの使い心地は、わたし個人にはとてもいいものだった。 最近、全てを京大カードに書き込みたい衝動にかられている。

    0
    投稿日: 2012.03.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    知的生産を行うための技術、今でいうライフハックの古典名書であることは間違いない。 いろいろな示唆は得られるけど、どうしても時代背景が古いので、何が何でもこれを読まなくてはいけないということはないと思う。 作者の生きた時代の創意工夫の葛藤自体を楽しみ、参考に出来る人は読んで面白いけど、今現在において即効性のあるヒントを得たい人は、最近の知的生産術系の本を読めば良いと思う。

    0
    投稿日: 2012.02.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ----- 自分が生まれるよりも前に書かれた、 知的生産に関する「お作法」を切々と説明した本。 知的生産のためにはそれだけ「蓄積」と「整理」が 重要なんだということなんだと思う ----- ゴールデンスランバーにあった一節。 大切なのは「習慣と信頼」というのが ここで妙に繋がる。 「蓄積」も「整理」も、習慣になっていないと意味がない。 -----

    0
    投稿日: 2012.02.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    京都大学名誉教授、国立民族学博物館名誉教授の梅棹忠夫(1920-)によるデータ整理術紹介。 【構成】 はじめに 1 発見の手帳 2 ノートからカードへ 3 カードとそのつかいかた 4 きりぬきと規格化 5 整理と事務 6 読書 7 ペンからタイプライターへ 8 手紙 9 日記と記録 10 原稿 11 文章 おわりに 本書は読まずともB6サイズの京大型カードの名は聞いたことがある人もいるかも知れない。本書は最初から最後まで、一貫したデータ整理術について述べられており、その中核をなす思想が記録の「規格化」であり、その規格化の主要ツールが京大型カードによる記録と分類である。 本書が1969年と既に40年以上経過しているため、その手法も今となっては手間と物理的スペースばかり食うものに見える。しかし、データを蓄積し、それを知的生産の必要に応じて取り出すという作業そのものは無くなっていないし、人文系の研究のように今なお紙媒体からの情報取得に重きを置いている分野については、梅棹式の整理術もまだまだ通用するのかもしれない。

    0
    投稿日: 2012.02.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    カードは、忘れるために書く。パソコン、インターネットの発達前夜、著者が試行錯誤してきた、情報の取扱術。今や、パソコンがタイプライターに代わり、カードもevernoteで代用できよう。だが情報をたいせつにするしつけが必要。だが、情報をたいせつにすることのしつけが必要という、著者の精神は、現代にも通用する。来たるべき情報社会を予言していたかのような、先見性や、情報取扱術のトライには瞠目する。1969年初版。

    0
    投稿日: 2012.02.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    大阪でやってた梅棹忠夫展が東京にも来るのが気になってたもので。 1969年っていうと43年前か。 当然パソコンもなかった時代に、肉体労働による生産から、頭を使った知的生産が今後の世の中のメインになるだろうと予想して、んじゃあ知的生産がちゃんと出来るようになるための技術について考えなきゃいけないよね、という事について、京大式カードの使用みたいな具体的な方法で説明した本。 先見の明が明るすぎて、今読んでも充分面白かった。 この本のなかで具体的にあげられている情報のメモ、記述法、整理法などなどは、今現在はパソコンがおおかた手助けしてくれるようになった。 ただこの本のいちばん面白いところだと思った、情報の使用法みたいなものは、まだどんなアプリもわかりやすく実装してない気がした。 つまり、まだこの本が考えている情報社会との付き合い方まで、IT技術が追い付いていないともいえるわけで。 となるとこれは新しい技術開発のヒントになりますよ。 情報ってのは、集めるだけじゃなくて、それを分類して整理しないといけない。 しかも知的生産のためには、分類したものを組み合わせて、新しいものにするために情報をうまく使ってあげなきゃいけない、と。 情報を集めたり、整理するだけで何か生産した気分になってしまうため、作業机と書斎は分けるべき、なんてことを聞いて感じた自戒も含め、とても刺激を受ける内容でした。 この中に書いてあること何個かやってみようかなあ。 集めた情報をタグ付けしながら分類して整理したあと、それを関連タグ順に緩やかに結びつけ、その情報群を同一画面上に並列して表示するアプリなんかがあったら一発で解決するんだけど。誰か作って。

    1
    投稿日: 2012.01.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「知的生産」を掘り下げた本の中でのクラシックです。40年以上前の本ですが、インプット、アウトプットの関係を考えるという点で基本的な構え方を確認できました。今流行っている「手帳術」や「ライフハック」に通じる事が多くあって興味深く読めました。ここで、知的生産とは、「頭を働かせて新しい事柄を人にわかるかたちで提出すること」です。さらに具体的にいえば、「既存、新規の様々な情報をもとにしてそれぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、そこに新しい情報を作り出す作業」です。これはパソコンのない時代の言葉ですが、現代でも変わらない事だと思います。さらにこれからも変わらないであろうと思います。ネットやコンピューターが人間に取って代わる部分もきっとあるであろう未来において、大切なことなんじゃないかと思います。本のなかでは「手帳」「ノート」「読書」「日記」等を考察しています。これらの普遍的な役割の再確認や現代でパソコンで代用出来ることを考え、刺激を感じながら読めました。

    0
    投稿日: 2012.01.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     本書は梅棹忠夫氏個人の知的生産の工夫について書かれたものである。以下では,それを読んでの感想を中心に書きたい。  本書が出版されたのは1969年のことだそうで,実に43年前の作品ということになる。そのため,今とは知的生産に関する環境がかなり異なっている。例えば,当時はパソコンが普及していなかったし,他にも様々な道具や手段が現在よりも遥かに少なかった。  それゆえ,環境が違うことで現在の知的生産に活かせる英知は限られてくると思ってしまうことは自然なことである。事実,本書に書かれている内容で,いくつかの事例に関しては現在ではあまり役に立たない道具や手段であったりする。  しかしながら,本書は環境が違う過去だからこそ,現在において価値を見出している点が主に2つある。まず一つ目に,昔は道具や手段が限られていたからこそ,その限られた手段を最大限効率的に活かすエッセンスがぎっしりつまっており,その点においては現在出回っているハウツー本よりもはるかに価値のある考察がなされている点である。二つ目に,環境が違うからこそ,その価値ある考察をいかに現在に適応されるかという,時間を超えた知的生産を考える材料を提供していることである。これらの長所は,先述した短所をはるかに上回るものである。  つまり,昔の本だから役に立たないということは決してなく,昔の本だからこそ読む価値がある本であるといえる。

    0
    投稿日: 2012.01.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    初出1969年のものが今もずーっと重刷されて 私のもっているのが88刷!! 本当にロングセラーの本です。 Re:sの編集長 藤本智さんが紹介してくださったのを きっかけに知った一冊。 情報が溢れる時代が来て 来て 来続けたなら…。 おぼれないための「整理整頓」が できた方が良いなぁと考えさせられました。 私にとって2012年のテーマ本。

    0
    投稿日: 2012.01.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    日々の発見は今まで通りモレスキンのノートで。こざね法は、パソコンではできなさそうだから、まねして小さい紙でやってみよう。

    0
    投稿日: 2012.01.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    初版から40年以上経ったこともあり、扱われているツールに関しては古さを感じてしまう。しかし、筆者の視点、思考、姿勢などは時代に関係なく一目おいていいと思う。「1.発見の手帳」「3.カードとそのつかいかた」の章は再読したい。

    0
    投稿日: 2012.01.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    初版の出版が1969年とのこと。時の試練に耐えた本です。もはや古典と言っていいレベルではないでしょうか。ものすごく面白い本です。この本でもっとも興味深いのは、やはりカードシステムでしょう。■カードシステムこの作者が京大カードを発案したとのこと。カードは一枚につき、一件のメモやノートを記述します。これは一つ一つが「豆論文」といういえるレベルの内容のものを記述します。ひとつのトピックにとどめる。でも、全く知らない人(たとえば数年後の自分)が見ても、わかるような詳細さで書く。カードがたくさん集まると、関連するものや、前後関係などで並べ変えたり、分類したりするだけで、ほとんど自動的に体系立った知的アウトプットが出来上がる、とのこと。たしかに、その通りだと思います。こんな方法があったのかと。非常に合理的です。おそらく、本書もこの方式で作られています。(そうとしか思えない構成です)このあたり、川喜田二郎の「KJ法」だとか、外山滋比古の「思考の整理学」などとつながるところがあり、非常に興味深いです。作者自身がどういう経緯を経て、そういう「知的活動スタイル」を獲得するに至ったか、という点にも触れられており、とても面白いです。この本で読書会とかやったら、絶対に面白いでしょうね。

    0
    投稿日: 2012.01.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    歴史を感じる1冊。 1969年において情報化社会の到来を予見、また、創造することの価値を見出しており、感銘を受ける。 物事の本質を捉え、Bestを追求する情熱、姿勢には到底及ぶ事もないが、少しでも追従したい。 情報管理の根本的な発想もくつがえされ、とても参考となる。 和文タイプライター問題については全く知らない事であったが、歴史を知る事により色々な事が納得ができた。 歴史を知るという意味の大きさを知り、今後の自分のあり方を変えてくれました。

    0
    投稿日: 2011.12.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    p.8 技術というものは、原則として没個性的である。だれでもが、順序をふんで練習してゆけば、かならず一定の水準に到達できる、という性質をもっている。それは、客観的かつ普遍的で、公開可能なものである。 p.16 知的生産をめぐる物質的条件の変化が、現代人の、人間として必要な素養の性質を、おおきくかえつつあるということも、みおとすことはできないだろう。 p.28 かいておきさえすれば、まえの発見が、つぎの発見のためのふみ石になって、しだいに巨大な構築物にまでつみあげることも可能なはずである。 p.58 おなじ材料からでも、くみかえによって、さらにあたらしい発見がもたらされる。 分類法をきめるということは、じつは、思想にあるワクをもうけるということなのだ。 p.62 カードを使うには、有限性に対する恐怖にうちかつだけの、精神の強度が必要である。 p.71 規格化・単位化が、その後いっさいのとりあつかいの基礎になっている。分類も、整理も、保存も、すべてその上のことである。 p.151 形式はややわずらわしく、おぼえるのに手間はかかったが、おぼえてしまえばだれでもが、自分のつたえたいとおもう内容をのべることができた。 p.162 形式や技法を無視していたのでは、すぐに、自分でも何のことがかいてあるのか、わからなくなってしまう。 p.173 カードは、どのカードでも、かいたらかならず日づけをいれる。これは、カードにかぎらず、すべての文書について、実行すべきものであろう。 p.174 技術の開発と発展のためには、成果よりも、それにいたるまでの経過の記録と、その分析がたいせつである。 p.175 日本ではそのような記録保存のための公共施設の発達がわるいから、記録がのこっていない、というせいもあるけれど、じっさいは、それ以上に、はじめから保存の対象になるような記録がとってない、というのが真相だろう。 p.177 仕事をした人間は、だれでも、その仕事について、情報を提供する社会的責任をおうているのである。

    0
    投稿日: 2011.12.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    梅棹忠夫氏逝く。朝刊の1面に訃報が掲載されてゐました。改めてその存在の大きさを思ふのであります。 公式な肩書きは民俗学者といふことになるのでせうが、広く一般の読者を魅了してゐたと思はれます。 中学校の教科書で初めて出会ひ、その文章では自分はあまり読書をしないといふ話を堂々としてゐました。 当時の学校教育では、本を読むこと=善、読まないこと=悪といふ空気がぷんぷんしてゐたので、新鮮に感じたものです。 『知的生産の技術』は、梅棹氏の著作の中では、おそらく3本の指に入るくらゐ、広く読まれてゐると考へます。根拠はないけど。41年前のこの本が、今でも読まれてゐるといふ事実がまづ驚異ですね。情報整理の考へ方と技術を伝授する本としては、その思想は現在でも通用します。もちろん駆使するツール類は変るでせう。しかし発見の方法や、記録する意義、いつでも取り出せる整理の仕方などは、PC時代でも思想は変らない。 「ペンからタイプライターへ」の章は、もちろん今では古い内容になつてゐます。1960年代後半の、日本語の表記問題がどう揺れてゐたのかが分かる文章です。臨場感がありますね。いふまでもなく日本語ワープロの出現によつて、ここに書かれてゐる問題のほとんどは解決してしまつてゐます。同時に、国語ローマ字化運動もなりを潜めました。当然ですね。やはりひらがなが多い文章は読みにくい。 日本語=非論理的言語論といふ、かなりの知識人も唱へてゐた主張をあつさりと否定するところも愉快であります。非論理的なのは、日本語ではなくそれを書く人間のことでした。 最近は本屋の岩波新書コーナーへ行つても、新赤版しかないことが多いので、本書を入手するには注文した方が早いと思はれます。ちなみに岩波新書は赤→青→黄→新赤の順に刊行されてゐます。 ところで気になるのは、「只棹埋男」なる人物が出てくる本のこと。何といふ書名なのか... http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-152.html

    0
    投稿日: 2011.12.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    how to本ではないし、示唆に富んだ一冊でもない。 扱っている点は以下という印象。 ・ふいに思いつく発想を逃さない方法の紹介 ・その発想伝達精度向上の方法紹介 特に印象には残らなかった。 ただ、これから研究の道に足を踏み入れる方は 示唆を得られるかもしれない。

    0
    投稿日: 2011.12.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    記憶には限界があるのだから、自分の外に記録する、ということを1969年の時点で学者たち、いや、戦前から学者は実践していた、というのは凄いことだな、と思う。今流行りのライフハックとか、Evernoteの使い方、フランクリン手帳の考え方とかの考えの根源って「外に記録して脳みそスッキリ」だと思っているので、あとは道具をどうするか。その時に使えるものをどう使うか。この時には京大式カードが最適だったのだろう。なぜカードなのか、ということも書かれていてとても面白い。 大学生の頃にこの本、多分読んでるんだけど、あまり響かなかった気がする。それだけ未熟だったということか。今読むと、この人の文具オタクぶりがとても楽しい。 とてもひらがなの多い文体が不思議でいたのだけれど、Wikipediaで調べたらローマ字論とかエスペラント、漢字廃止論の人だというのに驚いた。本の中でも文を書くスピードに言及していて、ひらがなタイプライターについて書かれている。この議論をコンピューターの進化が追い越していった、というのがとても感慨深い。あと20年、日本語ワープロの登場が遅れていたら、漢字のない世界になっていたのかも知れない。 生まれる前に書かれた本だけど、とても新しい発見が多い本だった。

    0
    投稿日: 2011.12.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    111202 さっと読める。1969年に書かれているが内容は今でもまったく色褪せない。多くの人が読むべき原書。 以外内容抜粋 学ぶ姿勢、盗み取る、人は教えてくれない スケジュール帖と手帳はべつのもので揃える 発見したことを蓄積する手帳 日記は魂の記録か業務事務 新聞の切り抜きはあとから見返しできるようにしなければ意味がない 情報を規格化 よんだ、みた 読書論、私の読書法 本はいっきに、著者の気持ちに没入すること 著者の言いたいことと自分が思ったことの差を大事に KJ法、発想法 文章は俳句の様に、ではわからない 論理的とはわかりやすいこと 日本語の訳が意味不明なものが多いのはまだ非論理的な言葉が多いから

    0
    投稿日: 2011.12.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    元祖ライフハック本。 ワープロもスマートフォンも無かった時代の話であり、 大半はそんな時代もあったんだなあという感想である。 そんな中でも普遍的な輝きを持っているのが、 メモを取るための京大式カードについての話だろう。 ノートという物の不便さに思わず納得。

    0
    投稿日: 2011.11.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    文の書き方、読み方、思考、データのまとめ方等について 第一刷発行が今から40年以上前なだけあって、 現代ではパソコンを使えば、 苦もなく出来る事(データ整理、管理や、日本語タイピング)に 40年前は苦労していたことが分かる。 パソコンの普及に伴い、 データ整理に苦労しなくなった現代、 知的生産活動により創造されるモノの 効率、品質は上がっているんだろうか。

    0
    投稿日: 2011.11.27