
総合評価
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powered by ブクログ視覚障害者に対する認識を大きく変えられた。目が見えないことは不自由ととらえがちであるが、情報量が少ないことで自由になれたり、視野が広がったり、安らかささえ得られるのである。福祉に関する見方にも「視野」が広がった気がした。
0投稿日: 2015.10.12
powered by ブクログ「自分と異なる体を持った存在」になりきる変身願望を持っていたという著者の、「視覚障害者になりきってみよう」という呼びかけで始まるこの本。見えない人たちの空間認識の仕方、感覚や体の使い方、彼らとのコミュニケーションで発揮される言葉の力など、さまざまな視点から語られる内容は、理系と文系の文脈を行き来するまさに「リベラルアーツ」という感じで、とても面白かったです。 視覚障害者の美術鑑賞の試みとして紹介されている、視覚障害者と晴眼者を含む複数の人で同じ絵画について言葉で語り合う「ソーシャル・ビュー」。これはとっても面白そう。「他人の目で物を見る」経験、してみたいです。 このソーシャル・ビューを行う林さんという方のお話がとてもよかったので引用します。 「見えていることが優れているという先入観を覆して、見えないことが優れているというような意味が固定してしまったら、それはまたひとつの独善的な価値観を生むことになりかねない。そうではなく、お互いが影響しあい、関係が揺れ動く、そういう状況を作りたかったんです」 p185-186 自分とは異なる体を持つ人の感じ方を想像することも、何かに偏らずニュートラルな視点を持ち続けることも難しい。でもそうしようと努力することはやはり意味のあることだと思えました。 気になったら迷わず読んでみてほしい本。おすすめです。
0投稿日: 2015.10.02
powered by ブクログ見えないことを不足していると捉えるのではなく,そういう状態(機能をもって)で世界を意味づけていると捉えるといわゆる健常者とは異なる表象世界が構成される。見えることに因る弊害,見えないことによって生じる能力や機能の加速。最後をユーモア感覚でまとめているのが面白い。
0投稿日: 2015.09.28
powered by ブクログ視覚障害者が世界をどのように捉えているかを身体論などをベースに説明してくれている。 健常者からの視点で考えるのではなく、視覚障害者の視点を基本として考えることによって世界に新たな意味や視点を作ることができるのが興味深い。 「障害」とは個人に属するものではなく、その性質を持つことによって「社会で生活しにくくなること」が「真の障害」なのである。
0投稿日: 2015.09.22
powered by ブクログ目から鱗の読書体験ができました。「見えない人の美術鑑賞」は、絵を描く方も、観るのが好きな方も、必読の内容。と、思ったので、絵を描く友人に贈りました。多くのイラストも理解を深める(イメージを把握する)助けになってくれます。「手やお尻も、目と同じ働きを持つ」「ブラインドサーフィン──視覚を使わずにどうやって波に乗るか」「陶器だと言われた瞬間に陶器になる」…… どうでしょう。小見出しを見ただけでも、惹かれませんか?
0投稿日: 2015.09.06
powered by ブクログ視覚情報を利用しない人がどのように世界を把握するか,また,そういう人とのコミュニケーションについて書かれている.当たり前のように使っている視覚情報がない場合,人はどのように状況をとらえるか.実際に想像しながら読むと面白い.
0投稿日: 2015.08.28
powered by ブクログ見える人と見えない人の「差異」を「面白がる」ことをきっかけとする、コミュニケーションの橋を作る本。 空間。感覚。運動。言葉。そして、ユーモア。 このユーモアという視点が大事で、本書を「読んでよかった」を思わせるのはここだ。 世界という情報があるだけではない。 情報を受け容れて解釈することで意味が発生する。 その意味は個別のもので、見えない人の生活は本人にとってはごく当たり前のもの。 できないことを自虐することで「痛」「快」なユーモアが生まれる。 また個別の生活感覚に寄り添うことで、具体的なエピソードが豊富なのも理解の助けになった。 ちょっとだけ「変身」させてもらいました。
0投稿日: 2015.08.20
powered by ブクログ目の見えない人、つまり視覚に頼らない生活を送っている方々の生活実態を通して、いかに人間があるひとつの見方に縛られているかを示した一冊。 議論の射程は幅広く、身体論を深めようとヴィトゲンシュタインまで絡めた論説が続くと思いきや、フロイトのユーモア論を持ち出して、 現代社会の障害者の方々への見方に対する問題提起が始まる。 今までにない視点をたくさんもらって学びになったという感想に加え、伊藤さんのいろんな立場の方々への強い愛を感じた、読んでて気持ちよい本。
0投稿日: 2015.07.20
powered by ブクログ障害者に対して上から目線で助けてあげようではなく、できない部分をどうやってカバーし、どう物事を捉えているのか、その違いを面白がって興味をもつというアプローチが提案されていて個人的には斬新だった。目が見える人には見えない景色があるのだろうか。
0投稿日: 2015.07.15
powered by ブクログ昔から目がとても悪く、高校のときには網膜が弱くなっていると言われてレーザーを当て、最近では人よりもかなり早く白内障になって手術をすることになったので、視覚についてはちょっと人よりも気になる。 目の見える人は世界を二次元で捉え、目の見えない人は世界を三次元で捉える、というのはなるほどと思わされた。大岡山や富士山の話を聞いて納得。 もう少し深堀りもできたテーマかも。たとえば、生まれたときから全盲の人と、途中で失明した人とでは視覚や、世界の構成についてもずいぶんと違うはずだが、その違いについてはあまり深く触れられていなかったように思う。
0投稿日: 2015.07.13
powered by ブクログ本書では、「見えない」特殊な体からの「身体論」を、「美学」(芸術や感性的な認識について哲学的に探求する学問。言葉にしにくいものを言葉で解明していこうとする)を専門にされている研究者が論じています。 自分にとっての「当たり前」から離れてみること。 目をつぶり視覚情報を遮断し、視覚の欠如を感じるのではなく、視覚抜きで構成されている世界を感じてみること。 その世界を想像してみること。 視覚がないから、死角がないこと。 「表」も「裏」もないということ。 「内」と「外」が等価であること。 自分がいかに2つの「目」に縛られてきたか、視点に縛られてきたかに気付かされました。 そこから自由になったとき、何が見えるのだろう。何を感じるのだろう。 不思議な気持ちになりました。 器官と能力を結びつける発想を手放してみること。 それは例えば、目で聴くこと。耳で見ること。 触覚で見ること。 そして、拡張する体。 触覚面を通して、相手の体、あるいは物とひとつになる感覚。 自分以外の人や物と同調して、一緒に仕事を成し遂げること。 身体の本質として、シンクロする力があるということ。 福祉のものの見方から離れて、目の見えない世界を想像してみること。 自分がいかに思い込みの中で生きてきたかを知らされました。 世の中にはまだ、私の知らないものの見方、考え方があるんだろうな、と思いました。
0投稿日: 2015.07.11
powered by ブクログ人間の可能性の拡張のヒントになり得る認知についての考えを改めさせてくれる良書である。 ダイアローグ・イン・ザ・ダークという体験プログラムがある。これは真っ暗闇に放り込まれて様々な体験をするものである。ある縁で体験したのだが、その時のことを鮮明に思い出せた。 このプログラムのガイド役の人は全盲でなのだが、真っ暗になって右往左往する我々6人を前後左右、距離を含めて正確に把握するなどそのスキルに驚いた。 視覚に頼りすぎていることを思い知らされ、聴覚、触覚、皮膚に感じる風や温度、嗅覚などでこんなにも豊かに世界を捉えることが出来るということを改めて知ることが出来た。 この本がスッキリと納得出来るのは、正にその時の感覚を見事に目の不自由な人達からのヒアリングで再現していることが理由なのだろう。 イヤホン、ヘッドホンで音楽を聴くのが趣味な私は、そういう意味では現実逃避、バーチャル旅行をしているようなものなのだろう。音質が良い機器は、より世界を正確に描写できる。改めてオーディオとは面白い趣味なのだと思った。
0投稿日: 2015.06.26
powered by ブクログなんだかもやっとした感覚を言葉で的確に表現することを研究する美学の専門家の著者。 見えないひとの見えないものを説明する表現力が確かな感じ。でも決して変わった言葉を使うわけでもなく、馴染みのある表現ばかりで読みやすい。 視覚障害を持つ人たちの障害ではなく、見える人たちとの違いを、体の使い方、言葉の使い方、感じ方、ユーモアなどの切り口で比較。 なんとなくタブーに感じがちな、なかなか聞けないけど気になることを説明してくれています。 障害とは見えないことではなく、見えないことによって出来ないことがあること。 社会の在り方や人々の考え方によって、障害と言うものはなくなるかもしれない…?
0投稿日: 2015.06.19
powered by ブクログ目が見えない人々が、どの様に空間を認識しているのか、また視覚以外の感覚を如何に使っているのか、非常に面白い研究テーマである。 視覚障害者にもいろんなタイプの人がいて、わりと慎重に歩く人もいれば、物にぶつかりながら空間を認識するタイプの人もいるらしい、また視覚障害者の方は皆さん点字が読めるものだと思っていたが、実際には日本の点字識字率は12%ほどだそうだ。 目が見えなくても絵画を鑑賞したり、サッカーの試合に参加する人のエピソードを読むうちに、我々目の見える人間が物事を見るという行為は、GoogleやWikipediaで言葉の意味だけを調べて、なんとなく物知りになったような気がするのと同じ事なのだと感じた。 見えない人にだけ見えている空間や世界があり、逆に見える人の方が多くの物事を見落としているという事実は大変興味深いと思う。
0投稿日: 2015.06.14
powered by ブクログ薦められて期待して読んだんだんだが、期待ほどの内容ではなかった。目が見えないと言う状態で世界をどう捉えるか、ということにインタビューなどを通じて迫っているのだと思うけど、あんまり深くは無い。ま、そうだろうな、と想像できる範囲でした。障害者と付き合った経験がある人には、ここに書かれている著者の発見はつまらないことのような気がする。
0投稿日: 2015.06.14
powered by ブクログブクログの「本と出会う」のところで見つけ、興味を持って読んでみることに。目の見えない人が、どのようにして世の中を「見て」いるのか、限られた情報を結びつけながら、私たちとは違う視点で捉えていることを知ったのは新たな発見だった。
0投稿日: 2015.06.01
powered by ブクログ呟き程度に。 知ったからといって自分の中の何かが急にガラっと変わるわけでも無かろうと分かっていながら、長い間知りたいと思っていたことの一つが、この本の主旨です。全盲、特に先天的な全盲の人の世界観というものがずっと知りたかったのです。 生まれつき目が見えないという状況を必死に想像してみたこともあって、何となく掴めたような気がして、一人勝手に衝撃を受けたこともありました。たとえば色という概念であったり、美的感覚だったり、人間とそれ以外の動物の違いであったり、境界線という概念であったり、いくらでも考えられますが、視覚があるがゆえに情報として入ってくるもの、逆に何らかの制限となるもの、そういったものは山ほど存在していて、それらから解放されている人達はその分ゆとりがあって「見える」人には掴みきれない何かを掴んでいるのではないか、そんなことをぐるぐると考えてワクワクしたり。 そういった私の混沌とした想像を、この本は、実際の聞き取り調査などを裏付けとして明快に記してくれました。想像だけでは辿り着かなかった箇所の補完やそれこそ「盲点」というところ、沢山ありました。 こういった本が、想像すらしたことの無い人の元に届いたら、恐らく相当面白いことになるだろうな、というのが専ら漠然とした楽しみです。とことんのところ、自分の基盤を覆す、if、もしも、という仮定にまで掘り下げて物事を考えるという行為は必要な労力が大きすぎて、日頃忙しい人にはなかなか出来ない、寧ろやろうと思わない、というのが実状ではないかと思います。でも、「見えない」世界を考えるというのは、頭を柔らかくするのに間違いなく役立つし、それは自分にとっても他人にとっても必要な優しさに繋がっていると思います。この理屈でいうと、必ずしも「見える」「見えない」でなくても構いません。「聞ける」「聞けない」でもいいでしょう。ただ、本作でも記述があるように、健常者にとって視覚というのは五感の中でも一際重要な位置を占めているというのは恐らく事実です。したがって、まずは導入として「見える」「見えない」を考えるというのは良い入り方だと思います。そこから、自分の知的好奇心などに応じて理解を深めていけばいいのですから。 問題提起というのか何というか、とにかく入門書としては、ここ数年目にした新書の中で最高の書籍の一冊です。私個人の興味関心にあまりにドンピシャで、もう一歩踏み込んでくれてもいいんだよ、という完全なエゴイズムで★4つとさせて頂きます。今後の執筆活動、楽しみにしております。
11投稿日: 2015.05.25
powered by ブクログ書名が目に留まり、読むことに。 また、私的なことだが、自分も目の病気に罹っており、興味深く読んだ。 目の見えない人が、どのように世界を捉えているのかについて、いろいろな事例で紹介し説明している本書。 視覚障碍者の方にとっての「点字」との関わり方。 「目の見える人にとっての富士山、目の見えない人にとっての富士山」、「見えない人の色彩感覚」「見えなくなってからかえって転ばなくなった」…など、全盲の人のインタビューを基にさまざまに解説。 ブラインドサッカーについては、少し知っていましたが、「視覚に障碍がある人との観賞ツアー」には驚きました。 「絵画を『観賞』する」のです。 (詳しいことは本書を読んでほしいです) まさに、書名通り「目の見えない人は世界をどう見ているのか」について、書かれており、どの部分も目から鱗のような読書体験。 2015年、今年読んだ新書の中で(まだ半年あるが)、一番の新書だと思う。 この本を読む前と読んだ後では、違った世界が広がる。
0投稿日: 2015.05.22
powered by ブクログ伊藤さんはもと生物学者を目指し、のち美学に転じた人だけに、発想が斬新だ。このタイトルにしても、ぼくなんかは新聞の広告を見てすぐ読みたくなった。中身も予想に外れぬ刺激的なものでいろいろ考えさせられた。人はそもそも目に頼りすぎているのではないか。視覚を筆頭に聴覚、嗅覚、味覚、触覚があるが、人はこれらの働きを固定したものと考えてはいないだろうか。たとえば、盲人というと点字を連想するが、実際に点字のできる人はそれほど多くないし、減りつつあるそうだ。目の見えない人は目が見えない分触覚に頼ることが多いと思われがちだが、点字にしても本質的には「読む」という行為を点字を通じてしているに過ぎない。生理学の研究によれば、目の見えない人が点字を読むときには、脳の視覚を司る部分が発火しているのだそうだ。さらには、ある機械を使えば、目の見えない人でも「見える」に類似した感覚を経験できるのだそうだ。見えるということは本質的に脳の機能とかかわるが、要するに人は目によってのみ「見ている」のではないと伊藤さんは言うのである。器官も「目で物の質感を捉えたり、耳で聞いた音からイメージを連想したり、甘い匂いを嗅いだり」(p111)といったふうにそんなにはっきりと分けられるものではない。以上は主に本書第2章の「感覚」の部分。第1章の「空間」では、晴眼者は外界を二次元として捉えがちであるのに対し、目の見えない人は三次元でとらえるとか、「運動」では「見えなくなってからの方が転ばなくなった」、電車が急停車してもよろつかない、ブラインドサーフィンなどの例が報告されている。見えていない分だけ平衡感覚が発達するのだろうか。第3章「言葉」では目の見えない人との美術鑑賞を紹介している。目が見えても自分の顔を人に尋ねるときがあるが、あの要領で目が見える人たちが言葉で絵の印象を伝えるのである。また、「ユーモア」では、障害そのものを笑いのネタにするということが紹介されている。障害者というと腫れ物を触るようになってしまうが、それが二つの世界を分けてしまうのかもしれない。わたしたちは目が見えない人がいろんなことができると「すごいね」と言ってしまうが、「すごい」というのはやはり上から目線で、本当は「面白いね」と言うのがいいのではないか。伊藤さんはそう言う。
2投稿日: 2015.05.05
