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すばらしい新世界
すばらしい新世界
オルダス・ハクスリー、黒原敏行/光文社
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総合評価

97件)
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    常識や価値観にギャップがある者同士の関わりを俯瞰して見ると、ここまで狂気的に映るのだなと思った。その上で、バーナードやレーニナたちの住む世界は全てが非常に効率化されている一方、心のつながりがかなり希薄になっているのが興味深かった。読者である僕たちの住む世界もどんどん効率化されていっていて、その行く末を見ているかのようだった。どちらが正しいのか僕にはわからないけれど、心のつながりを無くした世界は少し寂しい気もする。

    0
    投稿日: 2025.09.29
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    え、これ100年近く前の小説って ちょっと待ってよ 人間が大量生産される未来 そこは幸せしかないユートピア 不満も孤独も執着も病気もない 死の恐怖も消されてる 睡眠学習による洗脳で 老いや不潔を嫌悪 不調は早めの薬で治し ゴルフなどのスポーツ最高 余暇には映画や旅行を楽しむ おいおい いま私がいる世界は すでにユートピアではないか しかも不満はないです 今を楽しむのは良い事だと思います モラルに縛られ 欲に潔癖なジョンを生きづらそうな 変な人と思ってしまいます すでに 条件付けされている 新世界に住むわたし

    0
    投稿日: 2025.08.18
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    再読。ユートピアとディストピアの違いは何かを考えさせられる。時代はフォードが大量生産を始めた頃を始めとするフォード紀の後の世界。その世界では瓶で子供が生殖され、人間同士が生殖行為によって子供を作るなど野蛮な原始人のような行為とみなされている。 さらに洗脳教育および階級付け、ソーマといった快楽を得る薬物の存在。かなり前の小説であるものの、ユートピアを実現するための手段を、用意周到に練って考えられていることに驚く。 上記の技術自体、倫理的な観点を考えなければ実現可能であると想定されるし、倫理など世論でいくらでも変わる。例えば、少子化がこのまま進み続けて子供を人間が持つことへの意味がなくなってきたら、本小説のように瓶詰めで人工生殖が普通になるかもしれない。 それの何が悪いのか?と言われた時、悪いとは言い切れないところに面白さがある。SFの良いところは、こうした既存の善悪を取っ払い、空想の世界を考えるところにあるなと改めて感じた。

    7
    投稿日: 2025.08.18
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    グーテンベルク版をKindle Unlimitedで読んでみる。古典的なSF小説。ユートピア小説であるが、やっぱり興味が続かなくて、解説だけ読んで積ん読状態に。

    0
    投稿日: 2025.08.08
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    一九八四年と並び評されるらしいので読んでみた。 舞台設定がわかったあとはもう統制官との会話だけで良かったんじゃないかなと思ってしまった。 全体的に読みづらいしシェイクスピアの引用多すぎで楽しめなかった。 100年前の海外小説は自分には難しすぎた。 逆に現代の小説はほんとうに洗練されてるんだなと思えた。

    0
    投稿日: 2025.06.25
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    環境が人を作ると思ってるから、この本の洗脳教育を実際にやっても功を奏しそうで怖い。 多分階級社会を受け入れさせて、階級を明確にすることが1番効率的なのかもしれない。差別はきっと無くならないし、それをモチベーションに仕事をする、っていうのもリアルだなと思った。きっとこの物語は人がめちゃくちゃ単純になったら一番効率的(経済面)で、みんな幸せ(不幸だと思えない)なモデルな気がする。 この本の洗脳教育をされている登場人物は盲信的に自分たちの価値観が正しく、優れていると思っているけど、実際の人間には少しは疑う心があって欲しい。 けど、その考えもいろんなことを考えましょう、という教育の影響かもしれないから、なんともいえない。 多様性多様性言われる世の中になっていて、この本の思想統一とは真逆にも取れるが、脳死で多様性っていいじゃんーってならないようにしないと、結局この物語と同じな気がする。

    0
    投稿日: 2025.05.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    1984と並んでディストピア文学の祖と評される。1984とは異なり全体的な雰囲気は明るい。ムスタファ統制官と野人の会話が、この小説で描かれている世界になぜ至ったのか、どう維持しているのかを分かりやすく示しており面白かった。

    0
    投稿日: 2025.04.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この物語のなかで起きていることに困惑したり嫌悪したりするのは、わたしはわたしで現実世界で条件づけ教育を受けているからだろうかと悩まされた。こうするのが正しくて道徳的だと信じ込まされているだけであって、違った理想が掲げられていればそちらを不思議に思ったりはしないはずだ。 終盤のムスタファ・モンドとジョンの会話が面白くて素晴らしかった。ジョンはジョンでいくらか偏った考えを持っていて、それ故にふたりのどちらにも共感できないのだけれど、どんな意図での言動なのかがわかりスッキリした。 麻薬がなければ新世界でもやっていけないのならまったく安定していないし、生まれる前から遺伝子を捜査されて階級が決められていることや、生まれたあとも洗脳を繰り返し、ひとりと深い関係にならないような仕組みになっていることや、発展のためにとにかく消費が求められることなど、受け入れがたい点が多い。 でも過去の戦争によって人々の意識が変わり、幸福な世界を望んだというならもうそれには反対できないと思った。現実に起きている戦争が頭にチラついてくるし、ジョンの攻撃性の高さを見ていると、これくらい管理されないと人間は争いをやめないような気がしてくるのだ。ジョンのラストは悲劇だった。

    3
    投稿日: 2025.01.08
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    管理されすぎた世界を描いている。その世界をどう感じるか、ディストピアなので負の世界と思うか、それでも幸福と思うか。苦労をする権利を主張できるか。

    0
    投稿日: 2024.08.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    昔の小説かつ翻訳本ということで読み辛かった。。。 15〜16章の哲学弁舌対決の部分以外は正直面白さは感じなかった。 面白くなかった理由は物語全体を通して分かりやすい"主人公"がいないからかもしれない。 また"最大多数の最大幸福"を実現した未来世界は、野蛮人ジョンの視点からディストピアのように描かれているが、争いが絶えず格差が広がるばかりの現代社会よりかはマシなように思った。

    0
    投稿日: 2024.07.28
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    1984よりは明るいディストピア 明るいからと言ってもディストピア 1930年代に書かれたと言うのは驚き。 今の世界も実はジワジワとこのすばらしい新世界になっていってるのかも。 思考を手放したら蟻と同じ。 蟻の巣のような世界だ。

    0
    投稿日: 2024.06.23
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    この小説で描かれた世界は気持ち悪い。 「人類全体の幸福のために」と考えたはずであるが、倫理を無視した手段を採ってしまったと感じる。

    0
    投稿日: 2024.05.31
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    ディストピア的なものに対して畏怖と憧れが同時に存在していたあの時を懐かしく感じる。 今はどうだろう。。

    0
    投稿日: 2024.05.22
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    あーはいはい、そっちね、そっち系のやつね というわけで『一九八四』と並びたつディストピア小説の名作中の名作オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』であります 『一九八四』が★5でしたからね!当然こちらもって★2やないかーい!っていうね だってもう注釈が多すぎるよ>< ぜんぜん本筋が入ってこない でもうマ、ジ、で平均すると1ページに1回くらいシェイクスピアからの引用絡めてくるんだもん どうせ絡めるなら甘辛いやつでお願いしたい ストラットフォードの馬泥棒じゃなくて甘辛いやつ いやちゃんと読んだら面白いんだけどね そりゃもう面白いんだけど、面白いよりも「あーイギリス人だったらもっと楽しめるんだろうな〜」が勝っちゃうのよ! だってさ、こんなん今更ちょっとくらいシェイクスピアかじったところで追いつかないよ そんなん毎ページ毎ページ『オセロー』や『ハムレット』や『リア王』や『マクベス』引用されたらもうイギリス人じゃなきゃ無理じゃん!10年くらい3食フィッシュ&チップスと紅茶で過ごさな追いつかないじゃん こちとら甘辛いので育ったお出汁の国の人なんだもん お出汁でお箸だもん こうしてみんなイギリス文学の古典から離れて行くんだな〜ってのをあらためて思った一冊でした わいは大当たりもあるの知ってるからまだまだ読むけどねん

    59
    投稿日: 2024.02.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    社会の上層部が利益のほぼ全てを享受するユートピアを支えるためには奴隷の労働力が必要である。 とはいえ、奴隷にも幸せはある。労働後のささやかな報酬という形で。 そのような光景を描く本書はディストピア小説として今に知られている。労働力を自前で生産している点で、オフショア、グローバル化という言葉で奴隷の労働力のアウトソーシングを正当化した現代の筆頭資本者らよりも自助的であり、責任の所在を明確にしているといえる。非人道的な社会を描きあげた作家であっても、資本主義が要求する過酷なコスト意識を甘く見ていたか、見逃していた観がある。 つまり、現代はすでにハクスリーのディストピアを実現している。一部ではそれを超えてすらいる。 ボス敵と語る。 このシチュエーションはどこからやってきたのか考えたことがある。回答は得ていない。本書には相当するシーンがあり、考え抜かれた著者の思想を与えられたボス敵は揺るぎない。これも、よく見かけるものだ。主役は言い返せないが、勝たなくてはいけないので殴って勝つ。これもよく見かける。 本書の主役サイドの言葉はすべて理性的な反論を受ける。主役サイドはついに自らの言葉を失い、過去の権威にすがるが、それに対するこたえも考え抜かれている。ボス敵もまた過去に深く悩み考えた末に、現実を受け入れたのだと強く理解させられる。『ミストボーン』シリーズは最終的には好みではなくなってしまったが、この構造を持っていたことは好ましく覚えている。 主役サイドは言葉を失うが、殴りかかることはない。少年漫画ではないからだ。否、相手は絶対的な悪ではないからだ。その社会においては秩序善ですらある。 本書はまた、夢想家や革命家()に辛辣な言葉を投げかけているようにも見える。ある秩序の中で、その恩恵を受けながら、その秩序を否定する活動を行う。「働いてる感を出してるヒモ」という印象が、わかちがたくその印象に重なる。主役サイドはそちら側に属している。 人生は生まれにおいてすでに公平ではないと悟らせる以上の役割を果たせぬまま、主役の一人は去る。 宗教が信者に施す道徳教育は、ディストピア社会が社会を維持するために施した道徳教育と相似形である。いずれも他者を傷つけることもあるという点でもまた類似している。それを背負わされた主役サイドの一人は苦悩のあまり死ぬという物語の結末を担う。物語としての出来はよくないが、教訓としてはまあわかる。 本書解説には「学問のふりをする科学」について語られている。学問のふりをしたなにかが旗を振った結果が奴隷労働のグローバル化であるのなら、そこを改めない限り、いかに手を尽くしても虚しかろう。 ------------------------------ 読中、超人ロックの初期のエピソードが想起されてきて、その名の通り『新世界戦隊』で発火したのかなと読み返してみたら『ジュナンの子』と『ロンウォールの嵐』だった。 『ジュナンの子』には、出生時点で身体的に不利な特徴が出現しないようコントロールするようになった社会で不利な特徴が出現してしまった人々の苦難が語られていた。この構図に相似形を見たのであろう。 『ロンウォールの嵐』には、ナディアという女性が登場する。やりなおしがうまくいかず記憶を失ったロックの恋人だが、体制側のいうなりにロックを売る。ありように類似性を感じてしまったのだろうが、よくある人物像ではある。 本書には多幸感を与え多用すると死に至ることもあるソーマという薬物が登場する。『聖者の涙』には、そんな偶然の一致ではなさそうな影響が見受けられるような気がする。

    0
    投稿日: 2024.01.16
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    全ての人が与えられた役割に満足し、幸せを感じるよう教育された未来世界... 怒りも悲しみもない世界ってきっと楽だけど、ゾッとします。喜怒哀楽すべてが大切だと(根拠は言えないけれど、)感じているからかしら? 主人公格の登場人物がちょいちょい変わるので、名前を覚えるのが少し大変でした。 あと、「アルファ・ベータ・ガンマ・デルタ・エプシロン」の順番を覚えていた方が、物語がわかりやすくなります。 また、シェイクスピア作品からの引用が多く、そちらにも興味がわきました。 約90年前に書かれたとは思えない新鮮さのあるディストピア小説でした。 文庫本表紙の並んだ顔のイラストも、中身を読んでから見ると「まさしく!」と言った感じです。

    11
    投稿日: 2023.09.17
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    作中では時々、詳細な科学用語・物質名が引き合いに出され科学的にかなり発展していることが伝わり、その世界で宗教、文学、歴史が禁忌、禁書となっていることで「現在の我々読者の常識は非効率的な世界である」という雰囲気が出ている。 しかし、性については野蛮人そのもので、誰とでも性交をするのが良しとされ、1人の人を愛する感覚がない彼らは果たして文明人と言えるのだろうか。 また、異様なまでにシェイクスピアが引用されており、SFを描くにしては過剰な著者の文学的趣向が滲み出てしまっているように思えた。

    1
    投稿日: 2023.07.27
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    明るいディストピアな未来を舞台とした小説。ファスト消費、経済性、快楽主義を第一とする全体主義世界。1930年代に書かれたにも関わらず、ある意味現代社会を描いている様にも思える。著者による新版前書、解説なども必読。

    0
    投稿日: 2023.07.02
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    瓶詰めの科学的に調整を施す人間培養、その調整によって格付けされた人間社会、あらゆる快楽を叶えることで欲望や不満、絶望を排除したユートピア。人間の最大の欲求は信頼関係のある人付き合い、と定義する人がいるが、それさえ叶えることのできるユートピアは果たしてディストピアなのか。かなり極端な世界ではあるが、今自分が置かれている自由はとても幸福なことであると実感する。もし自分に苦難が降り掛かったとき、本当に「ソーマ」を拒絶出来るかは怪しいとは思います。16章、17章のジョンと世界統制官との論戦は興味深いが、個人的にはやや宗教的思想に偏るジョンにも賛同できないところがある。 そして衝撃のラスト。自分への鞭打ちさえなければ穏やかな生活を営むことができそうだが。

    3
    投稿日: 2023.04.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    当時こんなことを考える人がいたことは驚きだ 本気でやっている苦悩をエンターテイメントとして受容されることのなんと耐え難いことか… モンドの苦悩が大多数の幸福を支えている歪さがいい意味で気持ち悪かった

    0
    投稿日: 2023.03.10
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    階級社会を作るために、受精卵から操作され、条件付けされた人間を作る社会。 ディストピアなんだけど、その階級の人はその階級で幸せになるようにされているためなのか、そんなに不幸せそうには思えなかった。 居留地から来たジョンが、ほんとに辛いと思ってしまった。自分の気持ちとこの社会が全くあってなさすぎる、ジョンどうなってしまうんだろう。。。

    0
    投稿日: 2023.02.08
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    ディストピア小説の古典とも言われる本著。しかし、1932年に書かれたとは思えない位、新感覚にも読めるし、あるいは既に社会に浸透した一種のSF的仮説の基礎とも読める。最近の作品では、貴志祐介の『新世界より』が影響を受けてるのかなと感じたがどうなのだろうか。 階級を容認し、寧ろ階級がある事を前提に構築される社会。そして、その階級意識を遺伝子操作というよりも、主には、オペラント条件付けにより、無意識下に学習させて統制させていく。一見、共産主義の思考実験による皮肉にも見えるが、恐らく、この仮定に主義は選ばない。資本主義であれ、その報酬は金銭の多寡をKPIとして、条件付け、刷り込まれたものであり、階級は偏差値や年収を指向する事で成立されている。右も左も、人間社会の本質を究極的にデフォルメ化して皮肉っているのではないか。 社会とは、洗脳により与えられた報酬から役割を規定され、条件付けにより繰り返す事が労働である。成果物の搾取や交換、分配の手法が、主義の相違を生んでいるだけである。 変な読み方をしてしまったかも知れないが、面白いな、素直に読んでもそう感じた。

    2
    投稿日: 2022.11.29
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    来るかもしれないディストピアを描いた作品。フィクションを通じて、自由主義・資本主義の問題点を伝えている。どんなイデオロギーが妥当か、正直議論が抽象的すぎて、自分にはわからない。けどとにかく、今の社会を生きる人間として、読んでおいてよかった!

    0
    投稿日: 2022.11.29
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    近未来ディストピア小説 人間は工場生産されるようになり、家族という概念はなくなり、フリーセックスと快楽薬で不快や欲求不満を解消した、非常に安定した世界が描かれている。 ディストピアだけど、きっとこの世界が本当にあったらここに生きる人は、結構幸せじゃないかと思う。 徹底的に管理された階級社会、でもそれぞれの階級はその階級を不満に思うことのないように小さい頃から睡眠教育を受けている。なので、上の階級にも下の階級にも行きたいと思わない。 動物園のライオンとサバンナのライオン、どちらがより幸せかがわからないのと同じ。

    0
    投稿日: 2022.11.03
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    昭和初期の発表されたディストピア小説。現代でも全く違和感を感じさせない。 「一九八四年」(途中で挫折)と対比されるが、こちらは読みやすかった。 いろいろな風刺やオマージュが詰まっていることが解説を補足することでさらに見えてくる。 いろいろな翻訳本がでているので、また機会があれば読み比べてみたい。 そして、「一九八四年」をもう一度挑戦してみる。

    4
    投稿日: 2022.10.06
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    ディストピアを題材にした小説は初めて読んだ。未来の描写を読むのは単純にわくわくする。こんな未来は確かに来そうだとか、嫌だなとか、中途半端に機械化されてないな、みたいな考えが去来する。 ところでこの小説の社会では、安定や幸福が何より優先されている。そのために人間を生産する技術が高められ、健康的害の少ない薬物が生活必需品となり、フリーセックスが奨励されている。社会は階級分けされ、低層階級の者は単純な肉体労働をこなしている。 こんな未来がやってきそうかというと、やってこないだろう。この本が書かれた当時には想像もできなかったであろうインターネットの進化は、別のディストピアを用意していると思う。

    0
    投稿日: 2022.07.31
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    登場人物の台詞に時折ぐさっとくることがあるはず。そのくらい現代にも示唆的な小説だった。 シェイクスピアの引用も面白い。そして切ない。 作者は1946年のあとがきで、われわれが権力を分散し、応用科学を人間を手段として使うためではなく、自由な諸個人からなる社会をつくるために利用する道を選ばないとすれば、取りうる選択肢は軍事優先主義もしくはそれがエスカレートした世界、もしくはここに書かれたようなユートピアの2つしかないだろうと言っている。偶然にも前者も未だ現実的であることを思い知らされている現状が世界で起きており、考え込んでしまった。

    0
    投稿日: 2022.03.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    効率よい労働力になるために規格化された手順で工場で生まれ育てられる人たち。トラブルやアクシデントが起きることもなく、常に十分な快楽が与えられ日々楽しく、とても幸せに暮らしている。考えもせず余計な意思も持たずに。不安や老いの苦痛、恐怖もなく安らかに死ぬところまで、一生が高度にコントロールされている社会。 1932年に書かれた小説の舞台はその600年後の想定だが、100年も経たないうちにずいぶんと近いところまで来ているように感じる。

    1
    投稿日: 2021.12.02
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    2020年に、初めて読んだ。 図書館で、光文社と、ハヤカワepi文庫の訳を2冊借りて、わかりにくい部分は、もう一方を参照したりしながら。 光文社の訳の方が好き。 それにしても これほど重要な古典的作品を、これまで読んでいなかったことに愕然とした。 特に、オレは、ジョージ・オーウェルの『1984年』を、徹底的に読み込んだことがあり、その際、関連の深いこの作品をスルーできたのは、ナゼだろう? この小説の内容をよく知りもせず、軽視していた。 読んでいて、軽いメマイを感じた。 直感的に思ったのは、『1984年』より重要な作品かもしれない、ということ。 そして、驚いたのは、あの『知覚の扉』の著者と、この小説の著者が、同一人物、という事実。 気づかずに読んでたんだよね。 読み終わってから、気づいて、もう、ビっっっクリした。 『知覚の扉』は、1960年代の意識革命の発端として評価が高く、ハーバード大学の幻覚剤研究者であるティモシー・リアリーの理論の主柱となった。 この小説にも、副作用のないドラッグ「ソーマ」が、重要な小道具として出てくるけれど ハクスリーは、知覚の拡大に興味があって、自身も、メスカリンを始めとする様々なドラッグを体験している。 1963年に死んだ際の遺書は「LSDを100mg・・・」だった。 その意味では、ソーマを描いた作者が『知覚の扉』の著者と同一人物であったとしても、驚くに値しないんだけど。 しかし オレの中では、『知覚の扉』はすっげー先鋭的で実験的な書物であるのに対し 『すばらしい新世界』は、たしかに現代社会を予見した、ある意味で先鋭的な小説なんだけど、一方では、やたらとシェイクスピアの作品が出てきたり、イギリスの階級社会をそのまま残したような未来世界の描き方や、フォードという前時代の神様が、いかにも古臭いんだよねえ。 ハクスリーは、イギリスという、いまだに階級制度を残した特殊な国に生まれたエリートで、イートン校からオックスフォード大学に進学した、典型的な上流階級のお坊ちゃんだ。 親戚関係も、歴史に名を残す特級のエリートばかり。 今、ケインズの『一般理論』に関する本を読んでるから分かるんだけど、ケインズにも通じる、イギリスの特権階級特有のイヤミったらしさが『新しい新世界』には満載されてる。 特権的な上級国民だったケインズもハクスリーも、どこかで、当時の大きなトピックであったはずのマルクスやレーニンのことを鼻で笑ってる雰囲気がアリアリと見える。 だから、この小説の中では、来たるべき未来社会において、階級制度が必然的なものとして描かれたワケだが、その部分については、ずいぶんとまー時代遅れな未来像だなと、呆れた。 もし、日本人や中国人やアメリカ人が書いてたら、こんな階級制度の残された未来社会なんか描かないんじゃない? それに、作中で描かれる、神の座についたフォードも、古臭い。すっごい昔、フランスのレギュラシオン学派が、やたらとフォーディズムやトヨタのカンバン方式(ポスト・フォーディズム)のことを論じていたのを思い出して、それって過去の話じゃん、としか思えなかった。 だから、『知覚の扉』の先鋭さと、『素晴らしい新世界』の古臭さが、オレの中では、どうしても一致しなかった。 だって、ハクスリーは、一方では、カリフォルニアへ移住して、ハリウッドでは、仏教やヒンドゥー教の関係者と交流し 1950年代には、自らを被験者として、LSDとメスカリンを試してる、 カウンターカルチャーを体現するような、過激な人物でもあったワケだから。 サイケデリックという言葉は、ハクスリーの実験に立ち会った精神科医のハンフリー・オズモンド博士が、彼との手紙のやり取りの中で初めて使われた造語なんだって。 スゴクない? こーゆー、まさにティモシー・リアリーの先駆けであったハクスリーが、イギリスの階級社会に固執し、シェイクスピアやフォーディズムといった時代遅れの小道具を振り回した小説家と同一人物だったなんて、信じられないんだよね。 そして、最も驚いたのは ジョージ・オーウェルが、イギリスのイートン校で、ハクスリーからフランス語を習っていた、という事実! この2人が、歴史的に交錯してたなんて・・・・・・ノケゾったよ。 ハクスリーが、オーウェルに送った手紙を見つけたので、備忘録の意味で、ここにコピペしておく。 この手紙には、この作品の核となる、重要な着想が述べられてる。 『支配的少数独裁者たちは統治と権力欲を満たす方法としてもっと困難と無駄の少ないやり方を見つけ出す、そしてそのやり方は私が「すばらしい新世界」で描いたものに似たものになる、というのが私自身の信じるところです。』 この作品が極めて重要だと感じたのは、まさに「支配的少数独裁者たちは統治と権力欲を満たす方法としてもっと困難と無駄の少ないやり方を見つけ出す」という部分だ。 これはもう現代社会において、すでに実現されてる。 私たちは、フォードならぬ、グーグルやAmazonやフェイスブックやアップルに、その圧倒的な利便性と引き換えに、無条件で、ありとあらゆる個人情報を捧げだし、生活の全てを委ねようとしている。 オレはジョンみたいな野人で、ヤハウェやキリストやフォーディズムを押し退けて、神の座に着いたグーグルさまに全てを捧げだすなんて、ジョーダンじゃねーフザケんな!と思って、必死に抵抗を続けてきたけど、もームリ・・・。グーグルさまには勝てない、って断念した瞬間が何度もあった。 もしこれが、paypayみたいなキャッシュレスの世界になるとか、中国の「デジタル人民元」みたいな、政府が支配する電子マネーを使って暮らすことになれば、イロイロと便利なことがイッパイあって、さぞかしユートピアだろうけど、生まれてから死ぬまで、生活の全てが支配されてしまう、最悪のディストピアになる。 これこそが 「統治と権力欲を満たす方法としてもっと困難と無駄の少ないやり方」だ。 そーなったらもう、誰一人として、グーグルさまやAmazonさまや、paypayさまや中国共産党さまには逆らえない。 つーか、もう、そういう時代になってる。 遅れてきた野人が何を言おうと、もう、手遅れになってる。 これはもー、マジで恐ろしい「すばらしい新世界」だ。 『次の世代のうちに世界の支配者たちは、未熟状態と麻酔催眠の方が警棒と牢獄よりもずっと統治の手段として効果的であること、人々が隷属を愛するよう仕向けることは鞭や蹴りで服従させるとの同じくらい権力欲を満たすことに気がつくだろうと私は信じています。言い換えれば「一九八四年」の悪夢は別の世界の悪夢へと変化する定めにあり、その世界は私が「すばらしい新世界」で想像したものの方により似ているだろうと感じるのです。この変化は効率を上げる必要を感じた結果としてもたらされるでしょう。』 我々は、警棒や牢獄や、ムチや蹴りで服従させようとする権力者には、抵抗してきたが、新しい時代の、高度に知的で狡猾で独占的で、情け容赦ない(ベゾスが好きな言葉)支配者であるグーグル様やAmazon様やアップル様や、政府に支配されたデジタルな貨幣がもたらす圧倒的な利便性や快適なライフスタイルの前では、無条件で隷属を愛するようになるだろう。 これこそが、新しい「隷従への道」であり、『1984年』の悪夢の後に訪れた、新しい悪夢だ。 ------------------------------------------------- オルダス・ハクスリーからジョージ・オーウェルへの手紙 カリフォルニア、ワイトウッドにて 一九四九年十月二十一日 オーウェル氏へ あなたの作品を私に送るよう出版社へ言ってくれてありがとうございます。到着した時、ちょうど私はたくさんの参考文献を読み込んで調査することが必要な仕事をおこなっている最中で、見積もりが甘かったために自分のための読書で手一杯でした。「一九八四年」に取りかかれるようになるまでにずいぶん時間がかかってしまいました。 評論家たちが既に書いているのでこの作品がどれほどすばらしく、どれほど深い重要性を持っているかについては改めて私が書く必要も無いでしょう。代わりにこの作品の細部……究極的革命……について書かせていただけるでしょうか? 究極的革命……この革命は政治と経済にまたがり、個人の心と肉体の完全な破壊を目指しています……の根本原理に関する最初の手がかりは自身をロベスピエール[1]とバブーフ[2]の後継者であり完成者であると考えていたマルキ・ド・サド[3]に見つけられます。「一九八四年」の支配的少数者の根本原理はサディズムで、これは性的なものの超越と否定から論理的帰結として導かれています。しかし実際のところ、この「人間の顔を踏みにじるブーツ」というやり方が永続的であるかどうかは疑問に思えます。支配的少数独裁者たちは統治と権力欲を満たす方法としてもっと困難と無駄の少ないやり方を見つけ出す、そしてそのやり方は私が「すばらしい新世界」で描いたものに似たものになる、というのが私自身の信じるところです。私は最近、動物磁気と催眠術の歴史について詳しく調べる機会に恵まれ、そこでのやり方に大きな衝撃を受けました。百五十年の間、世界はメスメル[4]、ブレイド[5]、エスデイル[6]といった人々の発見を真剣にとらえることを拒絶してきたのです。 それは一部には広まっていた物質主義のため、また一部には広まっていた世間体のためです。十九世紀の哲学者と科学に通じた人々は政治家や軍人、官憲といった実務的な人々のための奇妙な心理的事実を研究したり、統治という分野に適用しようとはしなかったのです。私たちの父祖を自主的に無視したおかげで究極的革命の到来は五、六世代、先送りにされました。もうひとつの幸運な偶然はフロイト[7]が催眠をうまく再現できず、結果として催眠術を軽視したことです。これによって精神医学に対する催眠術の全体的応用が少なくとも四十年は先送りにされたのです。しかし今や精神分析は催眠術と結び付けられつつあり、またバルビツール酸系薬物の利用を通して催眠術は容易に、そして無限に延ばすことができるようになりました。そこには軽催眠や暗示状態も含まれ、それらは最も反抗的な被験者に対してさえ有効です。 次の世代のうちに世界の支配者たちは、未熟状態と麻酔催眠の方が警棒と牢獄よりもずっと統治の手段として効果的であること、人々が隷属を愛するよう仕向けることは鞭や蹴りで服従させるとの同じくらい権力欲を満たすことに気がつくだろうと私は信じています。言い換えれば「一九八四年」の悪夢は別の世界の悪夢へと変化する定めにあり、その世界は私が「すばらしい新世界」で想像したものの方により似ているだろうと感じるのです。この変化は効率を上げる必要を感じた結果としてもたらされるでしょう。もちろん一方で、生物兵器や核兵器による大規模な戦争が起きる可能性もあります……その場合には私たちは別の、ほとんど想像もつかない悪夢を迎えることになるでしょう。 本については改めてお礼を申し上げます。 敬具 オルダス・ハクスリー ^ロベスピエール:マクシミリアン・ロベスピエール。18世紀フランスの革命家、政治家。 ^バブーフ:フランソワ・ノエル・バブーフ。18世紀フランスの革命家。 ^マルキ・ド・サド:18世紀フランスの貴族、小説家。 ^メスメル:フランツ・アントン・メスメル。18世紀ドイツの医師。「動物磁気」の存在を提唱し、これが後に催眠術の基礎となった。 ^ブレイド:ジェイムズ・ブレイド。19世紀イギリスの医師。当時提唱されていた「動物磁気」を研究し、それが暗示によるものであることを証明し「催眠(Hypnotism)」と命名した。 ^エスデイル:ジェームズ・エスデイル。19世紀イギリスの医師。インド駐留時に麻酔の代わりに催眠を使用して外科手術を行っていたことで知られる。 ^フロイト:ジークムント・フロイト。オーストリアの精神医学者、心理学者。精神分析学の創始者として知られる。

    4
    投稿日: 2021.11.24
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    文庫版の裏表紙に書かれている本書のあらすじは、下記の通りだ。 【引用】 西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め・・・・驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版。 【引用終わり】 本書の初版の発行は、1932年であり、なんと約90年前のことだ。ディストピアはユートピアの反対語であり、反理想郷とか、暗黒社会とかと訳されるようだ。 ディストピア小説と表現されているが、この物語に描かれている社会は、ある意味ではユートピア社会だ。人類は、階級化され、その階級内で不満を持たないように、生まれる前から条件付けをされる。それはおおよそ成功しており、この社会で暮らす人々は、全く不満を持たない。 一方で、「不満を持たない」ということと「幸福である」ということは異なる。この世界で人々が不満を持たないのは、実際の生活条件に対して不満を持たないように条件付けられている、プログラミングされているからであり、そこには、主体性というものはない。与えられた条件の中でのみ不満がないのであって、そこから外れようとすることは想定されていない。すなわち、人間に自主性を期待しないし、実際にこの世界で暮らす人は自主性・主体性を持たない。ただ難しいのは、「自主性・主体性を持たない」ということに、この世界の人間は気がつかないということである。そもそも自主性とか主体性という概念を持たないように生まれ、育てられる訳であり、そのような考えを持ちようがないのだ。 そういう意味で、この世界は、「現在の我々の目から見れば」ディストピアなのであるが、では、我々自身の世界は全く違う目で見るとどうなのか、ということを考えさせる内容の小説になっている。

    12
    投稿日: 2021.08.31
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    人間が工場で企画生産され、条件付けと快楽薬物の多用によって一律に幸せを感じる世界に『野蛮人』としてやってきたジョンは違和感を覚えるが………。 『1984』で描かれるディストピアより、幸せで快適だけれどもやはりディストピアには違いないし、何だかより現代に近い感じもある。 終わり近く、世界統制官と野蛮人の問答は『カラマーゾフの兄弟』の大審問官パートを意識している。

    0
    投稿日: 2021.07.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    p.317 社会的不安なしに悲劇はつくれないんだ。 幸せってなんだろう、感情ってなんだろう、生きる意味ってなんだろう、、、いろいろ考えちゃう作品でした。 幸せなら娯楽もこうやって本を読むことも不要になるのかな?

    1
    投稿日: 2021.03.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    生まれる前からの英才教育によって、それぞれの階級に適した教育を施し、 幸せな世界を作り出している。 健康的でかつ幸せな世界だから、ある意味理想的なのだと思う。 ただ、なんだかもう人ではないかのように見えてしまう。 ある意味人造人間ばかりの世界。

    1
    投稿日: 2021.01.24
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    途中すこし難しかった表現はさらっと読み飛ばしてしまったけど今までに読んだ事がないジャンルの小説だなと思った。

    1
    投稿日: 2020.12.30
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    1984の後に読んだが、全体主義的でかなり似ている所がある。階級の保存というところが肝。ただシェイクスピアの引用が多いので、個人的には1984の方が好き。人物のフォーカスがよく変わるので読むのが大変。

    0
    投稿日: 2020.12.23
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    ようやく読めましたBrave New World/すばらしい新世界。著者による新版への前書きは良い補完だった。「幸福度ランキング」なるものが国家間、都道府県間で発表される世の中において、ハクスリーの「“幸福の問題”とは、言い換えれば、どうやって人々に隷属を愛させるかという問題だ」という一節は現実的な問題として立ち現れてくる。1932年より、よりこの“ユートピア”は私たちに近い。 この世界に描かれる世界は滑稽でグロテスクだ。だが自分がそのような世界に住みたいと思っていることを発見した時(なお、世の中の労働者はそれを発見するようにできていると思う)、その気持ち悪さは自身の思考、思考の枠組みに向けられるのだ。なんともおぞましい、すばらしい新世界!

    1
    投稿日: 2020.12.19
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    幸せな人生、生活とは一体なんなのか? 全ての苦痛が極力排除され、 快楽のみを感じることを良しとした社会。 真理よりも幸せを。 だが、 それは幸せなのか? 全ての人は試験管で生まれ、あらかじめ遺伝的に優れたものを少数、劣ったものを多数生み出させる。 フリーセックスが横行し、試験管で生まれたものたちにとっては、妊娠や母や父という概念は卑猥なものとなる。 ソーマという、薬を定期摂取することで、気分はいつもハイ。睡眠学習という名で、生まれてから今までひたすらに、服従する事をよしとする音声を聴き教育される。 そして、死は悲しむものでも何でもないもの。 そして、 そこに異端者が現れる。 自由意志を尊重し、ソーマを拒否し、若返り薬を飲まず、母を愛する。 そこでの大勢の大衆は、 異端者扱いする。 常識とはなんなのか。 何が良いか何が悪いのか。 多数だからといってそれが正しいということなのか。多数の暴力ではないか。 現代を生きる私たちが 実は頭おかしい可能性がないとも 言い切れない。

    1
    投稿日: 2020.04.26
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    ディストピアものの名作の一つと聞いて読んでみたが、翻訳が新しいこともあってか古さを感じなかった。この本が書かれてからおよそ90年たつが、今の世の中はこの小説をフィクションだと一蹴することができるだろうかと考えると空恐ろしいものさえあった。 世界観以外に読んでいて印象に残ったのは、社会の構成員が幸せに暮らしている中孤独を感じているバーナードという人物の描写だった。彼は上司に脅されたのを本気ととらないで高を括っていたのを後で所長が本気だったのを知って後悔したり、自分の非礼を許してくれた友人の寛大なところに感謝しつつ恨んだり、彼が自分の連れてきた未開人と仲良くなったのを見て嫉妬したりするといった行動をとる。そこに非常に人間味を覚え、自分はこういうふるまいとは無縁であるといえるだろうかと自省した。 解説や年表も充実しており、特に訳者のあとがきで作中に何度も出てくる"pneumatic"という単語の訳出に苦労したという話が載っていた。読んでいてこれはどんな英単語をどのような意図で訳したのか気になっていた点を知ることができ、翻訳家はどんなことを考えながら仕事をしているのかを垣間見ることができて得した気分になった。

    6
    投稿日: 2020.04.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    優生思想による産み分け、思想教育、フリーセックスと麻薬(ソーマ)による快楽。人間の行きつく未来がここにはある? ディストピアというテーマ自体は分かりやすいが、シェークスピアを始め様々な文学に精通していないと完全には楽しめない難解な小説。 科学技術により労働は必要無いものの、余暇を与えすぎると人間は不幸になるため無駄に7時間働かさせる。優れた知能を持つアルファ型人間だけにすると戦争を起こし大半が殺し合い不幸な結末になった。

    0
    投稿日: 2019.08.31
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    程度の差はあれ、今の日本も同じような政策がなされてないか。 ファッションやアイドルやテレビやスポーツや賭け事などなど。 現実逃避と適度なストレス。 回す側と回される側。 本人が良ければそれでいいのか。 とても考えさせられた。

    0
    投稿日: 2019.07.08
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    ディストピアものでは1984年に並ぶような作品であるが聞いたことなかった。ちなみに1984年もまだ読んでないけど。 これが1931年に書かれたというのもすごい。あとがきでは核について記述がなかったことについて触れているけど、それにしてもフリーセックスやソーマという麻薬のようなものだったり、当時の社会の規範ではびっくりされるような内容だったろう。アルファだけの社会を実験してみたのも面白い。結局はうまく立ち行かなくなってしまったと。階級とそれを受け入れる気持ちというのは、例えば江戸時代とかもそうなのかもだが、社会の安定に必要なのかもしれない。現実に人間の能力差があって社会的な地位といった意味でも格差がある、でも人間は平等だという神話が逆に人間を苦しめてたりして。野蛮人ジョンも正常な人間の代表というわけではなく、ここでおれが言った正常もそれぞれの社会背景という文脈の中でのもので、正常なんてものがそもそも存在しないのかもしれない。

    3
    投稿日: 2019.06.13
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     ちょっとあきれたり身につまされたりしつつ、苦笑しながら読めるディストピア小説です。壜詰めで育てられる赤ん坊、ボカノフスキー法で生み出される同じ顔をした労働者たち…… “ああ、すばらしい新世界!”  ドタバタとパロディー満載のおちゃらけ小説のようでいて、実はしっかりと哲学している作品でした。幸福とは何か、人間らしさとは何か? 人間らしくあることと幸福とは相容れないものなのか? 人間らしさを犠牲にしてまで守らなければならない社会の秩序とは何なのか?  膨大なシェイクスピア作品を諳んじる野蛮人ジョンと、本当は科学者になりたかった世界統制官閣下との言葉の応酬(第17章)には思わず唸らされました。話題は芸術、科学から神の存在にまで至り、著者の教養と思索の深さを感じます(これはドストエフスキーの大作“カラマーゾフの兄弟”の「大審問官」のパロディーであるとの由)。  結末はちょっと残念でした。こういう結末にしなくちゃいけなかったのかなあ……

    4
    投稿日: 2019.05.17
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    ブンガク かかった時間 こまぎれなのでわからない。2時間ぐらい? ホモ・デウスの冒頭を読んでいると、その筆者のとらえた現代の姿とともに、SF?のディストピア小説について言及がある。ちょっとそのあたりが気になって読んでみた。 受精〜出産(試験管で育てられるのでこの言い方が適切かどうかはともかく)の過程ですでに、遺伝子によって選別され、肉体や能力をコントロールされて生まれた、それぞれの階級の一卵性多生児たち。彼らは、その階級に見合った教育を受け、社会を動かすための仕事と、健康で老いのない肉体と、いつでも快楽に浸ることができる薬物とを与えられている。 また、この世界においては、1人が1人をずっと愛することや、孤独に浸ること、家族のつながり、自我を持つこと、等々は不必要なものとして、というか、むしろ忌むべきものとして位置づけられる。 その中で、上位の階級に生れながらも、出産までの過程からか、階級にそぐわない貧弱な肉体をもつ男。彼は、自分が生きる「現代の生活」とは異なる生活を送る「野蛮人」の生息区域へ赴き、そこで、「現代の生活」からはぐれた女性と出会う… みたいな話。 この1932年に書かれた小説は、なんていうか、いろんなところで言われているように、まさに人間の行く先の予言であるなぁ。というか、人間は想像できないことはできない。逆に、想像できることにはなりうるので、ブンガクはやっぱり必要だと思った。想像できたなら、推進も抑制もそれぞれの価値観でやってゆける。こういった世界が見えていない人に、あるかもしれない姿を物語として見せる、という、なんというか、小説というカタチのもつ価値を再認識した。 というか、オルダスハクスリーすごすぎ。

    0
    投稿日: 2018.12.29
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    「すばらしき新世界」 ジョン  野蛮人氏。  青年になるまで、非文明地区で暮らしていたが、レーニナとバーナードの訪れを機会にロンドンへ向かうこととなった。  文明人である母、リンダの影響で「すばらしき新世界」としての憧れを抱いていたが、実際には科学技術は発達しているものの、宗教も、文学も、科学も完全に統制され、停滞したディストピアたる世界に愕然とし、自殺する。 リンダ  ジョンの母親。  不妊個体(フリーマーチン)だったが、手違いで妊娠し、捨てられ、非文明地区に置き去りにされる。  ジョンを産み育て、後年ロンドンに戻るが、「ソーマ」の飲み過ぎで早く死去する。   バーナード  「代替血液にアルコールが入った」と揶揄される、アナーキストな傾向を持った青年だった。その傾向を避難され、左遷(島流し)の危機に見舞われる。  が、レーニナとともに非文明地区からリンダ・ジョン親子を連れ帰ったことにより、一変、一躍、時の人となった。  だが、それも長く続かず、結局は島流しとなる。   ヘルツホルム  バーナード、ジョンの友人。自身が創作した詩を生徒たちの前で発表し、嘲笑された。  彼も最終的にはバーナードとともに島流しとなった。   レーニナ  「弾みのいい」魅力的な若い不妊個体(フリーマーチン)。  バーナードとともに訪れた、非文明地区でジョンとであい惹かれるが、結局はその好意は拒絶される。   ムスタファ・モンド  世界統制官。  世界を統制するために、宗教も、文学も、科学も完全に統制している。  「禁書」を多く持っている。   世界観  アルファ、ベータ、イプシロン、デルタに分かれた階級社会。  既に発生段階から統制され、睡眠学習によって、それぞれの等級に満足し、社会が安定するように仕向けられている。  不都合や忘れたいことがあれば、副作用のない薬剤、ソーマがあり、労働の対価はソーマである。  発生も完全に統制され、特定の相手を持たない「フリーセックス」が奨励されている。  そこでは関係の私有(特定の相手を持ち、家庭を作り、父親、母親になること)は野蛮で恥ずべきこととされている。  一方、非文明地区では昔ながらの状態が保たれている。

    0
    投稿日: 2018.12.22
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    不安のない理想?の社会を極限まで進めたらの「もしも」をありありと描いている。 随所で妙な気持ちになるのは、私が作中でいうところの古い世界の人間だからか。 また、解説に詳しくあるが、著者が生物学者の家系なのも物語の設定に深みのあることに関係していると思う。

    0
    投稿日: 2018.11.18
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    この本が1932年に書かれた本とは信じられない。今、新作としても通用するような内容だ。幸せとは何かを改めて深く考えさせられる。しかし、悩みがない世界というのはなかなか難しいようだ。この理想社会でも、ソーマという麻薬を使うことがストレスから逃れるために必要なのだから。

    0
    投稿日: 2018.11.12
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    本人によるあとがきがオタクっぽいのに比べ、大変読みやすいSFだった。2540年の世界。全く個人の自由の尊重のない世界。工場の試験管で目的ごとにレベル別に人間が作られる。人間同士の繁殖はなし。 沼正三のやつに比べると向こうは欲望が渦巻いているが、こちらは何かおかしいぞ、と思うと同時にぼんやりする薬を噴射されるのでとにかく自己が全く育たない。小学生位の気持ちの持ち方。人間とは何か。嫌でも考えさせられる。 こんな世界はやっぱり起こり得ない。苦悩したのちの達成感。これがないとかなり不細工な顔になるのではないか。

    0
    投稿日: 2018.07.05
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    講談社文庫でむかし読んだときさっぱり文章が頭に入ってこず、内容がわからなかった。「つまらんなぁ、これほんとに20世紀の重要文学なの?」と思った。 だがこの新訳版はどうだ。読んでの感想は「めちゃめちゃ面白いじゃん!」。 ディストピア小説として名声を築き上げた作品ではあるが、作品中の世界について「ふーん、魅力的じゃん。ソーマ欲しいじゃん。フリーセックスできるなんてアリじゃん。」という考えがどこか頭をよぎってしまった。 これから「すばらしい新世界」を読むならこの光文社古典新訳文庫のものかハヤカワepi文庫のものをお勧めする。

    0
    投稿日: 2018.06.28
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    なんとかワトスンの「恐怖条件付け」による教育(は後にトンデモと認定の前に先生がお弟子の娘さんとゲス不倫をして一応大学を追はれる)と、オナイダ・コミュニティを足してヘンリー・フォードの経営する一応アンチが付くはずのディストピア。  ただ、作中の皆さんは「この世界は、なんてすばらしい!!」を延々言ひ、インディアンに育てられたジョンはその楽園外のナニで世界の中のいろいろへ指摘とかはほぼ一切できず、「鬱かなと思ったら効いたよね早めのp ソーマ」でなんかが解決する。  キリスト教の相対化と言ったら、 「そのシェイクスピアもキリスト教もエンターテインメントじゃないのかね。ここでやってるアレ(お歌はやってる)と何か違うものでも」  とかあってもいいなとは思った。

    0
    投稿日: 2018.05.02
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    CRISPRの本に名前が出てきていたので読んでみた。 ディストピア小説。人類はみな人工授精で生まれ、化学的操作で知能や体格を分けられてα~εの階級に分けられる。家族や恋人のような強い感情は不道徳とみなされ、フリーセックスとドラッグで平和な世の中。技術により肉体は若いままに保たれ60で皆死ぬ。道徳や価値観は睡眠教育で刷り込まれ、社会のどの階層の人間も自分の境遇に満足している。死も恐れないよう教育される。βでも歯車で自分のやっている仕事の背景を全く理解していない。苦痛や我慢や孤独は全否定され、一人で過ごす時間がなくなるように社会が設計されている。全員αにする社会実験はかつて失敗した。 "幸福と安定"、"科学(真実)と美"はどちらかを選ぶしかなく、幸福と安定を選んだ世界はこのディストピアになるという考えらしい。1932年出版らしいがその頃にすでに科学技術に依存した生活が前者に傾いているという感覚らしい。

    0
    投稿日: 2018.02.18
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    ジョージ・オーウェルの『1984年』を久しぶりに読んでネットで書評を眺めていたら知った小説。『1984年』とは真逆のユートピアSF小説と言われるもの。 全体的に軽快な文体に感じた。壜詰めで人間を造るという発想・シーンは斬新・衝撃的で良かったが、フリーセックス・ソーマによる麻痺・障害物ゴルフなどはあまり魅力的に感じなかった。『1984年』と比べて絶望感は少なくむしろ理想的な社会という気もした。 野蛮人のジョンがロンドンに戻ってからの古典引用のセリフ回しはくどい。世界統制官との討論シーンは良かった。 印象的だったのは「科学の追及は至上の善」という現代において否定しがたい言説を、否定している点。小説内ではその結果炭疽菌爆弾を使用した九年戦争が勃発し人類が滅亡仕掛けたと言う。解説によると、著者のオルダス・ハクスリーは原子力研究に対する警鐘を鳴らしたものとしているが、昨今ではAI(人工知能)などの情報技術が当てはまるような気がした。技術的な発展の先に、それを使いこなせない未来が待っているのか。(シリコンバレーのリバタリアニズム)

    0
    投稿日: 2018.01.18
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    規格化された人間の量産、幼児期条件付けによる価値観の操作、セックスとドラッグの無制限の配給等により、誰もが自ら考えることや我慢することを放棄し、幸福で不満のない快楽漬けの人生を送る未来社会を描いたSF小説。 コンプレックス塗れの癖に自意識だけ高いツイッタラーみたいなマルクスや喋ることのほとんどがシェイクスピアの引用な野蛮人のジョン(しかもなんかあるとすぐ自分を鞭で叩く)等、とんちきな登場人物もよい!

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    投稿日: 2017.12.20
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    そんなにディストピアを代表する小説か、とは思った。ありうる社会像ではないか。「条件付け」で全てうまく行くほど、人間は甘くはない点が気になるが、薬の使用、大衆の好奇心はこちらの今の世界でも変わらない。科学、芸術、宗教については考えらさせられる。人間の弱さ、ダメさ、「世間」から外れる葛藤の描写も良かった。

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    投稿日: 2017.09.07
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    本書で描かれている世界はまさにすばらしい世界である。人々は現状に満足し、不満を感じることはない。大量消費、フリーセックス、ドラッグの溢れた世界で、「誰もがみんなのもの」が合い言葉になっている。厳格な身分制があるが、それすらも人々は当然のこととして受け入れるようになっている。T型フォードの発売以来、大量生産、大量消費を良しとする社会、そして、科学万能主義が蔓延する社会がいきつく未来が見事に描き出されている。ウェルズの『1984年』とともに20世紀のディストピア小説を代表する作品だ。訳、解説もすばらしい。

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    投稿日: 2017.06.23
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    勇気ある時代の異端児がことごとく迫害され、追い詰められ、死に貶められるのがディストピア世界観の見所だと思う。作中に数珠の如く散りばめられたシェイクスピアの名文。シェイクスピアを本気で読んでみようと思えた作品

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    投稿日: 2017.06.15
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    西暦2540年、長い戦争を経て、人々は科学的、生物学的に統制された階級社会を築いていた。そこでは、大量生産大量消費の草分けであったフォードをキリストの代わりに神とし、幸福と安定の追求を第一とする。過去は顧みず、未来に思いを馳せない。倫理観を睡眠教育で子供たちに植え付け、麻薬とフリーセックスを奨励し、芸術や真理は一顧だにされず、「誰もがみんなのもの」という社会。その社会ではみ出し者のバーナードは野蛮人居留地に赴き、現地で生まれ、インディアンたちと育ったジョンをイギリスに連れて帰る。そこでジョンはずっと憧れていた世界に来たが、どうもこの世界はおかしいと気づき始める…という話。 リンダが常識と思ってやっていることが、インディアンたちとの倫理とは相いれないため、村の男と誰でも寝ると村八分にされ、ソーマのような快楽を求めてアル中になり、母親という概念を忌避しているためジョンを虐待するという、悲劇的状況になってしまうのが(倫理観が真逆なので当然ながら)滑稽だった。 ジョンのレニーナに対する好意のしぐさが人間らしくて良い。周りの人間がそうでないという描写の中でそれがなされるのでよりいっそうそれが心に迫ってくる気がする。人間は人を好きになるとそうなってしまうな、と。レーニナがジョンを好きという気持ちで悩むのもまた良い。 シェイクスピアが多く引用されるので、シェイクスピアが好きな人は楽しいかもしれない。

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    投稿日: 2017.06.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    『1984年』と並び称されることの多いディストピア小説。 孵化・条件付けセンターによる、人間の大量生産と思考管理、塞いだ気分を副作用なしに取り去るソーマという薬、廃止された全ての文学の代わりに導入された触感を楽しむだけの愚劣な映画、「みんながみんなのもの」というスローガンのもとにフリーセックスに耽る、科学の力で若さを保つ人々…徹底された管理社会に生きる登場人物たちと、そこに放り込まれた「野蛮人」の物語。 小説としては盛り上がりが少なく、設定にも粗さが見られるものの、現代に通じる示唆に満ちている。現実の世界には、何が幸せで何が不幸かを教え込む孵化・条件付けセンターはないけれど、人間は自分で自分に条件付けを行わずにいられないのかもしれないとも思う。

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    投稿日: 2017.06.07
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    引用 頁三三四〜三三五  「“ 人は年をとる。それとともに自身のうちに根源的な衰弱と、倦怠感と、不快感を覚える。そうした感覚に襲われた者は、これは単に病気になっただけだと思いこむ。この苦しい状態には特定の原因があるのだと考えて不安をなだめ、病気のときと同じように治りたいと願う。むなしい思いこみだ! その病気とはすなわち老いなのだ。確かにこれは恐ろしい病気だ。人 年をとるにつれて死を恐れ、死後の世界を恐れるゆえに宗教に助けを求めると一般に言われる。しかしわたしが自分の経験から確信しているのは、そうした恐れや想像とはまったく別個に、宗教的感情は加齢とともに育っていくということである。なぜそうなるかというと、激しい情念が鎮まり、想像力や感受性が活発でなくなるにつれて、理性はその働きを妨げられなくなり、かつて自分を呑みこんでいたいた想像や欲望や気晴らしに曇らされなくなるからだ。かくして、雲のうしろから神が現れる。われわれの魂はすべての光の源を感じ、それを見、そちらを向く。自然に、必然的に。感覚の世界に生命と魅力を与えていたものすべてが支えられなくなってくるとき、われわれは何か持続的なもの、われわれを騙さないもの——すなわち実体を、絶対的かつ永続的な真理を、頼りにしたくなるのである。そう、われわれは必然的に神に向かう。この宗教的感情は純粋なものであり、それを経験する魂にとってたいそう歓ばしいものであるため、われわれが失うものすべてを補って余りあるのである ’’」 頁三三七〜  「人が直感で信じていることについてつまらない根拠を与えるのが哲学だと言った。だが人は直感で信じるわけじゃない! 人があることを信じるのはそれを信じるよう条件づけられているからだ。だから人がつまらない根拠で信じていることに別のつまらない根拠を与えるのが哲学なんだよ。人が神を信じるのは神を信じるよう条件づけられているからだ」 1900年代初めに書かれたものとは到底思えない、トンデモ物語。 思考を放棄し、あらゆることを知らずに済むことは幸福である。しかし、そこは楽園か否か。 引用文の多用やパロディ的要素に富んだ文章、そして一見突拍子もないように感じられる設定が、ある種のコミカルさと不気味なリアリズムを生み出している。翻訳作業はさぞ大変だったことだろう。冒頭からウッヒョー!の嵐、大笑いした台詞も多数。 『知覚の扉』や『ルーダンの悪魔』など、ゾクゾクするような大作を生み出してきたハクスリーだが、社会的背景への考察や彼が専門にしている分野への展望も多く見え隠れする。この物語の世界で、宗教の代わりに人間たちが与えられているものは気軽なセックスとドラッグである。極端な設定ではありながらも人間の精神と身体のシステムを冷静に見つめた上で巧みに利用し、逆説的に神、あるいは神に似た存在の必要性と無力さをわれわれに再認識させる。わたしたちの常識や善悪の観念、その曖昧さについてはっとさせられた。

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    投稿日: 2017.03.14
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    ・管理幸福社会ディストピア ・不安のなかで生きる権利 ・自由ー幸福 ・不在という形であらわれる神 ・社会安定の為の階級教育と幼稚性の保護

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    投稿日: 2017.01.09
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    西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め…というのが粗筋。 ディストピア小説の代表の一つと数えられていることもあって手に取ったのですが、刊行されたのが1932年と知って読み始めたこともあり、背筋が冷たくなるといいますか、読み進めて行くと不気味な印象を受けます。 多分、刊行当時は”皮肉めいたおとぎ話”程度に読まれていたのだろうけど、昨今の世を眺めてみると所々現実味を帯びているのではないかな、なんて思ったりします。…いや、当時もどこぞの国では禁書扱いになったらしいし、今よりも危惧されていたのかもしれない。 舞台は今よりもずっと未来の地球。 ただ、ハイテクノロジーの類いは流石に出てきません。第二次世界大戦前ですし、ネットワーク云々もありません。それでも、今読んでみてもこうして考えさせられるのは、人間に対する本質的な問いかけが、今の世の中にも十分通用し、且つ、ここから派生した内容が今のSF作品などで問われ続けているからなのでしょうね。 人の幸福とは何か? 人は何故、人足り得るのか? SF小説の読書量は少ない方だと思いますけど、哲学めいた小説でありながら難解で読みにくい作品ということはありませんでした。 作中、シェイクスピアの引用が多用されるのだけど、それも注意書きとして添えられているし、海外翻訳としては読み易い部類に入るんじゃないかな。 とはいえ、普段小説を読まない方が本テーマに興味を持ち、エンターテイメント的な内容を期待して読み始めようとするなら、お薦めしません。 物語の進行は遅めですし、ラストも救われない。 なんだかんだ言っても、やっぱりSFーとりわけ社会や人間の在り方への考察が好きな方にお薦めの作品ではあります。

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    投稿日: 2016.12.29
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    「社会の善良で幸福なメンバーになるためには、総合的理解の度合いはできるだけ低い方がいい。なぜなら誰もが知る通り、細々とした具体的な事柄こそが美徳と幸福の源泉だからだ」 # 1932年に世に出た小説だそう。 オルダス・ハックスリーさん。イギリスの人ですね。 イギリスで1932年ということは、第二次世界大戦が1939年からですから、その7年前。 ヒットラーさんがドイツの首相に就任した年です。ソ連ではスターリンさんが着々と巨大な権力を積み上げていました。 一方でアメリカでは資本主義、貧富の差、が進んでいました。 ちなみに日本では1931年に満州事変。満州事変って、要するに日本(関東軍)と中国との戦争ということですね。 日本側が自分たちの鉄道を爆破して、「中国側がやった」と大嘘をついて開戦したものです。 ここから若干断続的ではありますが、1945年まで日本は戦争をしっぱなし。「十五年戦争」というのは、「太平洋戦争」「日中戦争」などをひっくるめていちばん即物的に事実を表している呼び名だなあ、と思ったりします。 閑話休題。それはさておき。 「すばらしい新世界」。 1932年、今からだと80年以上前に、ハックスリーさんが想像した、「未来社会」を舞台にした物語です。 まず、世界はどうやら、アメリカの資本、フォードが支配しています。 この世界では「神=フォード」なんですね。 ですから、「Oh my God!」の代わりに皆、「Oh my Ford!」と言います。 そして、「家族」という概念はけがらわしいものになっています。 ひとびとは皆、母体からではなく、「胎外人工授精」みたいな形で、試験管みたいなところから生まれてきます。 だから、「家族」という単位がありません。 そして、出生段階で、遺伝子操作によって、「階層」が決められていきます。 低い階層、単純労働に従事してもらう人々、は、何かしらかちょっと障害みたいな、ハンディを負わせて生まれる。 そして、教育。 赤ちゃんの頃から、子供のころから、大人になるまで。政府支配者側の都合のいい感性、スローガンみたいなものを、刷り込みのように聞かされて育ちます。 ぢゃあ、どういう考え方生き方がオススメなのかというと。 簡単に言うと、あまり考えない。批判しない。摩擦を起こさない。享楽を旨とする。 「ソーマ」という名前の、政府推奨の錠剤薬品があって、これがまあ、麻薬のように皆のストレスを除く効果をもっているんですね。 そして、階層に応じて、全員が、自分の状況に満足するように刷り込んでいる。 「家族」という考え方は不潔なものになっていて、恋愛も変わっています。 衛生的なことが医学の進歩で問題がなくなっている設定なんでしょうが、要はフリーセックスに近い。 貞操、純潔、純愛みたいなことも、これまた笑止千万であり得ないことになっています。 そして、書物、文学、芸術というのもほぼ衰退しています。 単純に視覚的な刺激になるような、映画のようなもの、を皆が楽しんでいますが、 なにしろ家族とか恋愛とか葛藤というのを排除されて育っているから、そういう内容ではなくて。 爆発とかスリルとかそういう、単純な刺激快楽媒体みたいなもの。 つまり。 セックス。支配者層から与えられる反復のようなメッセージ。与えられる深みのない刺激快楽のような娯楽。 それに、ドラッグ的薬品がくわわって、誰も権力批判なんかせずに楽しく暮らしている訳です。 家族とか恋人とかっていう単位もないので、みんな社会の一員としてのポジションだけで自我を保っているんですね。 基本的にここまでの設定だけで、何十年経ってもすごく示唆に富んでいて。 思わずにやっとしたり、「うーむ」と唸ってしまいます。 もちろんのこと、「すばらしい新世界」というのは皮肉です。 「こんな世の中になっちゃうと怖いね」というところから始まって、 「でもさ、こんな世の中になりつつあるんじゃないの?」ということです。 よく、ジョージ・オーウェルさんの「1984年」(1949)と並んで、「悪夢の未来を描く、ディストピア小説の双璧」と言われます。両方、イギリス産ですね。 僕としては、ここに、フィリップ・K・ディックさんの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(1968)と、レイ・ブラッドベリイさんの「華氏451度」(1953)、という二つのアメリカ小説を足して、四大悪夢の未来小説、と呼びたいと思います。 いずれ、「すばらしい新世界」(1932)が嚆矢であることは間違いありません。後に続く骨のあるSF未来物語への影響は計り知れないでしょう。それは、2016年現在の、例えばゲームとか漫画の世界にも。 # オハナシとしては。 すばらしい新世界、の世の中に若干の不満をもっているインテリ男性がいて。 そのヒトが好意を持っている女性がいます。けれど、彼女は社会への不満にはまったく共感してくれません。 そして、ふたりで観光でいった「原始社会見学」で、「新世界と原始社会のあいのこ」みたいな野蛮人男性を研究対象とし連れ帰ります。 この原始社会見学っていうのは、どうやら「インディアン部族観光」みたいなことなんですね。 さて、野蛮人男性は、家族もいれば、旧世界的な情緒も持っている。その上、シェイクスピアなんて暗誦できちゃう。 つまり、「すばらしい新世界」では、奇異な見世物でしかない。 さて、この野蛮人が新世界で苦労をします。 そして、主人公的女性が、この野蛮人に興味と好意を持ちます。 なんだけど、この野蛮人は、新世界に絶望して、すべてを拒んで独りで生きて行こうとするけれど、最後は死んじゃう。 そんなお話です。 # 話しが転がり出すのは遅いです。 最後もすかっとしません。 なので、エンターテイメントか?と問われると、そうでもないかもです。 でも、「新世界」のありようを知るだけでも、それはそれでちょっと、面白いんです。 いちいち、1932年段階での皮肉が効いているのも、うっすらわかります。 だから、感覚的に、肉体的に愉しめちゃう娯楽小説、と言う訳ではありませんが、大脳にコリコリと歯ごたえ豊かな読書。それはそれで面白い。 いちいち、警句というか、評論というか、アフォリズムっていうか、気が利いていてにやにやしちゃいます。 そういうところ、イギリス・インテリゲンチャな味わいですね。 巻末に、後年、ハックスリーさんが自分で書いた解説が愉しい。 「すばらしい新世界」が、老いて振り返れば、「哲学的にも小説としても不満足」だとしつつ、「まあ、でもいじってもしょうがないし、いいや」みたいな(笑)。 # 「自然の愛好は工場に需要をもたらさない。そこで、少なくとも下層階級に関しては自然の愛好をやめさせることにしたのだ」 「大衆は自然を嫌うと同時に、田園地帯で行うスポーツを愛好するよう条件付けをするのだ」 「人から軽蔑されていると感じている者が、人を軽蔑の目で見がちなのは、理解できることだ」 「将来の供給を支える将来の需要を刺激する文句をささやきはじめた。「私は飛行機に乗るのが好き、私は新しい服が好き、わたしは...」」 「過去否定のキャンペーンも推進された。博物館を廃止し、歴史的建造物を爆破し、フォード起原150年以前に刊行されたすべての書籍を禁書にした」 「これまで強い不満を抱いていた世界と完全に和解した。こちらを重要人物と認識してくれる限り、この世界の秩序もいいものだった」 「鉄なしで自動車が作れないように、社会的不安なしに悲劇は作れないんだ」 「労働者に過剰な余暇を与えるのは残酷なことだから」 「産業文明は禁欲しないことで初めて可能になる。健康と懐具合がゆるすぎりぎりまで欲望充足を追求すべきだ。そうしなければ車輪は回転を止めてしまう」

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    投稿日: 2016.10.28
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    ディストピアものとわかっていながらもこんな世界絶対イヤだ!と思はずにはいられない。野蛮人が出てくるあたりからはスピードアップ。

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    投稿日: 2016.10.20
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    卒論関係で読んだけど、もう一度読みこみたい ラストの「二本の、のろい羅針盤の指針のように、〜南、南東、東……」の文が後味悪くて印象に残った

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    投稿日: 2016.10.08
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    書かれた時代からしても設定が秀逸。ガタカのような小説だと思っていたがまた別のベクトルだと感じた。ユートピア的不気味な世界と原始的不気味な世界との対が不気味な感覚をもたせる。訳者の技術が高いのか、とても読みやすいし、言葉遣いも心地よかった。素晴らしい小説だと思う。

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    投稿日: 2016.09.22
  • 80年前に書かれたSF作品とは思えない。

    書籍は新しければ良い訳ではないことを、改めて感じさせられた一冊だ。 今から80年前に書かれた作品であることから、現在を詳細にイメージできていたかというと決してそうではない。 詳細にイメージされているのは、人間の行動そのものだ。 このイメージを読んでいくと、80年という時代が経過したにもかかわらず、人間の進歩はないのではないかと思ってしまう。そのことから考えると、もしかして進歩が必要だと思っている我々が可笑しいのかもしれない。 日本では想像できない、気づいていない階層社会を、明確に記し、それにらについてどの階層が幸せで、不幸せであるかと言うことはないと記されている。 非常におもしろい、変かがないと言うことは、多くの人にとって幸せなことであり、それを上記のように記しているのだろうかと思えた。 何にせよ、この80年間を、そしてこれからの歴史を考える上でも読んでみると為になるSF作品だ。

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    投稿日: 2016.09.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2016/09/05-2016/09/07 星5 貴志祐介『新世界より』が好きだ、と言ったら友人に勧められたので読んだ。物語の構造が『新世界より』と同じ、というか、多分『新世界より』の元ネタだから、と言われた。 実際読んでみると、ユートピアを建設しようとする者と、その"外側"の者、対立構造、生まれる亀裂、対話、結末、その流れが同じであり、確かに『新世界より』が『すばらしい新世界』の流れを踏んでいるんだろうなあと感じた。逆にこの作品を読んだことで、『新世界より』が大人と子どもの間の話としてどのように作られたのかに想像が及んで楽しかった。 ディストピア小説の金字塔の1つとして、世界大戦頃の少し古い小説ながら、今でも通じる言葉がたくさんあった。性愛に関するイデオロギー、科学と社会、自由というものについて、僕が浅い考えしか持てていなかったことを痛感した。 "野蛮人" ジョンが「不幸になる権利を要求している」という場面で、僕は、今の日本で言うところの、ワクチン運動や自然療法、あるいは「まだ東京で消耗してるの?」を思い出した。社会における複雑性って、どういう形なんだろう。 最後に、全編を通して、とても読みやすい訳だったことに感謝します。訳註も詳しく、またその付け方も分かりやすく、とても読みやすかったです(単行本の最後にまとめてナンバリングされている訳註の索引性の低さよ!)。

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    投稿日: 2016.09.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    題名がシェイクスピアから引用しているとは思っていなかった。というかこの物語を通してジョンはほとんどのセリフをシェイクスピアから引用している。しかしジョンが言う「すばらしい新世界」はとても皮肉に満ちていて、いかにもなディストピア小説だ。 この新世界の人々の描くユートピアには家族がなく、人は生まれつき人生のレールをひかれていて、宗教もなく、ソーマという快楽剤を服用することにより感情の起伏を抑えている。階級付けされた人々もそれに疑問を抱くことなく享受している。なんとも孤独で生きがいのない人生だなぁと思いながら、きっとハクスリーはそれを伝えたかったのだと確信した。また時代はこの新世界へ向かっていくことの危険さを警告しているように思えた。機関さえ整えば、人間は簡単にこの新世界の制度に染まってしまう。 読んでて最も苦しかったのはリンダが亡くなる場面。病院というよりもむしろ収容所に入れられた患者は誰に看取られるわけもなく、孤独に死を迎える、そしてその死の間際に現れる同じ顔をした子供たち。残酷でグロテスクで、悪気がないところがさらにジョンを苦しめているのではないかと思う。

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    投稿日: 2016.08.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    安定か、芸術か 冒頭の「すばらしき新世界」の仕組みについての説明書き、 想像すると気持ち悪くなった。 同じ人間同士でなぜあんなことができるんだろう こどもをうんだ後なので余計にそう感じた 色々なことを知らない方が幸せでいられるってむずかしい

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    投稿日: 2016.07.29
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    人間社会の本質を描こうとした作品と、私は読んだ。ありていに言えば、人間なんてこんなものとも読める。育つ環境により常識も変わってしまい、人のありようも当然変わる。 問題意思を持たないと、とんでもない世の中になってもそのことに気づきもしない。お気楽といえばお気楽で、それもまた是なりか。 作者の新版へのへの前書きにもあるが、ラストに関しては、違った書き方もあると思う。個人的には違った結末のものを読んでみたい。

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    投稿日: 2016.07.14
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    未来小説の古典として1984と比較 人間が機械と同等になる 妊娠出産しない(フリーセックスと人工授精) 宗教のない世界での支配者vsインディアン=野蛮人 老いと死(の概念)がない世界で⇒自死という終末

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    投稿日: 2016.06.07
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    ディストピア小説。 『一九八四年』の比較によく出てくる小説なので読んでみました。 タイトルがステキですよね、ああ、すばらしい新世界。 天分(人分?)を何の疑いもなくわきまえて、誰もが納得して幸せな人生を送る。 ああ、すばらしき新世界。 その世界には、悩みなどないのだろうなぁ。気持ちいいこと、幸せなことが溢れて、金太郎飴みたいな人生なのだろうなぁ。 人間って快楽に弱い生き物だからねー。 ラストのシーンは、「そうなるよなぁ…」という諦めと、「もっと闘えよ!」という叱咤の気持ちがない交ぜになりました。 読んでいて面白かったのはこちらですが、『一九八四年』の方が力は強いかな。

    0
    投稿日: 2016.05.28
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     言わずと知れたディストピアの名作。最近読んだ『1984年』と比べると、あちらは「監視」が徹底しているのに対し、こちらは「管理」が徹底しているという印象を受けます。  人間をあたかも工業製品のように製造し、その製品に一定の動作を行なわせることで、社会を安定的に運営するというのがこの物語の世界観です。  管理されている人間たちは、あらゆる不快さから守られ、管理されながらただただ快楽を享受しています。いわば人間性のない生活なのですが、彼らはそれを楽しむように作られているのだから、幸せには違いありません。  じゃあこの物語はめでたくおわりではないか。そう思ったときに現れるのが、優秀な欠陥品バーナードと、野蛮人ジョン。超管理社会の権化ともいえる世界統制官ムスタファ・モンドと彼らの問答は圧巻です。  芸術や文化、宗教といったものを徹底的に排除し、ただひたすらに社会の安定性を追及していった結果うまれた社会。筆者が描くそのいびつな社会から、現代につながる技術と人間の問題が見えてきます。「やはり」と思うと同時に、その普遍性に戦慄もさせられる一冊。

    2
    投稿日: 2016.05.16
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    いわゆるディストピア小説。人間が大量生産される世界。社会に奉仕して生きることを条件付けされた世界。幸福の代償として科学と芸術と宗教を失った世界。自由を意図的に排斥した世界。 出生から、才能から、経験から、そのような世界に疑問をもつものが現れる…。 ディストピア小説に惹かれるのは、それが理性のハイエンドを描いているからかもしれない。

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    投稿日: 2016.04.01
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    ディストピア小説とSFの境目はぼんやりとしているがこの作品は十分に「科学的」なのでSFの傑作といえる。1932年に書かれたこの作品の世界はすでに現在でちょっと形を変えて実現されている。あな怖ろし〜〜。

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    投稿日: 2016.03.11
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    ❖古臭い印象はあるけれどそこそこおもしろく読んだ。同じディストピア(国家・社会の暗黒)を描いた『一九八四年』との対比より、モリスの牧歌『ユートピアだより』との近似を見る方が(逆説的に?)本作の本質は(歪も)明確になるような気もする。作品中盤から存在感がうすくなるが、バーナードの人物像はおかしかった。屈折してアウトサイダーぶっているかと思えば好機を得て俗気を露わにする・・ただの嫌なヤツである。物語の終盤(終幕)、野蛮人ジョンのたどる末路、彼を追いこむ狂気(狂躁)はそのまま現代を映していると思った。 《西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め…驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版! 》(アマゾン紹介記事)。 ●著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) ハクスリー,オルダス 1894‐1963。イギリスの作家。祖父、長兄、異母弟が著名な生物学者、父は編集者で作家、母は文人の家系という名家に生まれる。医者をめざしてイートン校に入るが、角膜炎から失明同然となり退学。視力回復後はオックスフォード大学で英文学と言語学を専攻し、D・H・ロレンスなどと親交を深める。文芸誌編集などを経て、詩集で作家デビュー。膨大な数のエッセイ、旅行記、伝記などもある ●黒原/敏行 1957年生まれ。英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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    投稿日: 2016.02.26
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    衝撃だ。 書籍は新しければ良い訳ではないことを、改めて感じさせられた一冊だ。 今から80年前に書かれた作品であることから、現在を詳細にイメージできていたかというと決してそうではない。 詳細にイメージされているのは、人間の行動そのものだ。 このイメージを読んでいくと、80年という時代が経過したにもかかわらず、人間の進歩はないのではないかと思ってしまう。そのことから考えると、もしかして進歩が必要だと思っている我々が可笑しいのかもしれない。 日本では想像できない、気づいていない階層社会を、明確に記し、それにらについてどの階層が幸せで、不幸せであるかと言うことはないと記されている。 非常におもしろい、変かがないと言うことは、多くの人にとって幸せなことであり、それを上記のように記しているのだろうかと思えた。 何にせよ、この80年間を、そしてこれからの歴史を考える上でも読んでみると為になるSF作品だ。

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    投稿日: 2016.02.21
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    本屋で勧められていたので購入、光文社の古典新訳なので読みにくいかなと思っていたけどサクサク読めた。現在自分の生活する環境や体験にも通じるところがあったからだと思う。 前半は事実を並べたように物語が進んでいくのかなと思ったが中盤から登場人物の人間性考え方や関係性が現れてとても面白かった。 よく文中にシェイクスピアなどの引用がでてくるのでまた読んでみたいとおもったし、筆者高い知性が感じられた また、解説やあとがきは考え方がのっていたり丁寧に書いてあったのでおもしろかった。

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    投稿日: 2016.01.13
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    ディストピア小説のカテゴリーは個人的には好きな類。ジョージ・オーウェルの『1984』では衝撃を受けたともいえる。そして何気なく手にしたこの本もディストピア小説ということで読み始めてみた。序盤の世界観の説明は結構入ってきたものの、後半は思想的、哲学的な内容になってきてなんとなくすんなりは入ってこなくなった。何を表現したいのかはわかる。娯楽として読みというよりも、何か深いものを感じさせる作品だった。

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    投稿日: 2015.11.03
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     図書館より  2540年の未来社会を舞台にしたSF小説。  冒頭シーン、とある科学工場に見学にやってきた子供たち。そこで工場長から工場の仕事の説明を受けます。それは生産計画通りに人間を遺伝子操作によって産み出す作業なのです。  と、まあ冒頭からとんでもない未来像が語られ、フリーセックスの推奨、日常的に使われる幸福剤、そして徹底された教育と徐々に2540年の未来社会のシステムが語られていきます。  科学や心理学で徹底的に合理化された世界は、犯罪や戦争も起こりえないある意味では安定したユートピアです。しかし、このユートピアはほとんどの読者が気持ち悪く理解しがたく感じられる世界でもあると思います。  なぜなら、安定した世界や社会には人間の自由な思想や感情のような不確定要素は危険だ、という思想がこのユートピアを形作っているからではないかと思います。  例えばこの世界はホワイトカラーやブルーカラーの階級の人間を決められた数生産し、それぞれが別の階級にならないよう徹底して教育し階級間の移動が起こらないよう、また不満が起こりそうになったら”ソーマ”という幸福剤を飲ませ、不満が収まるようにします。  なぜなら階級間の移動が起こり、ブルーカラーの人間が減ると社会の運営に支障が出るから。だから人間の変わりたい、という思考や感情が生まれえないように徹底し、個人主義といった考えが生まれないようにするのです。  人間的な思考を捨てたうえでしか、ユートピアが生まれないならそのユートピアを受け入れるべきか否か、そもそもそれは人間にとってのユートピアなのか、どうか。  思考を失った人間たちの全体主義によって作られたこのユートピアは、現代においても社会に対して警鐘を鳴らし続けているような気がします。

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    投稿日: 2015.11.03
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    ジョージオーウェルの1984年と対比されることがあるディストピア小説。 安定性を最重視するとこうなりましたみたいな。でもでも、この本の世界は突発的な事態に対してとても脆弱な気がする。人が完全に役割分担しているので、他のことは全くできなくなっているから。 安定性を担保するためには自由を認めないといけないのかもねー。

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    投稿日: 2015.09.06
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    ディストピア小説であるため、オーウェルの『1984年』とどうしても比較してしまいます。その比較が先立つためか、陰惨な印象はあまりなくて、文字通り「すばらしい新世界」…かもしれない、とちょっとくらいは思わせる社会が形成されています。 ハクスリーも執筆当時から未来を見つめて、こんな社会は嫌だ、と思いながら書き進めたのだと思いますし、特定の潮流に対する風刺や批判を込めているのだと想像はできるのですが、やや突飛な設定も含まれるせいか、コメディのような雰囲気も漂ってきます。 そのため、比較的軽い気持ちで読める、カジュアルなディストピア小説だというのが私感です。 クライマックス付近で突然始まる、シェイクスピアを軸にした文学討論会みたいなくだりは、なんだか辟易してしまいますが、それを割引いても「楽しめる」作品だと思います。

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    投稿日: 2015.06.28
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    一昨年初めて読んで、昨年再読。二度目の方が堪能できた。回数を経るごとに新しい発見がある。本物の作品とはそういうものだ。 http://sessendo.blogspot.jp/2015/02/blog-post_52.html

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    投稿日: 2015.02.09
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    『幸せってなんだろう?』と考えさせられた一冊です。 生活的な豊かさが幸せにつながるものではないのではないかと。。 生活が豊かになるよう、より良い生活に向けて昼夜問わずひたすら仕事に邁進している私たち日本人。 これだけあくせく働いて、果たして豊かさに近いているのだろうか?? 私は…否、ちっとも豊かになってないよ!と思ってしまいました。 考える時間が奪われ、大事なものをどんどん失っているのでは…と。。 私の思考に大きな影響を与えた一冊です。 日本では昭和初期の時代に書かれた本書。 試験管ベビー、触感映画(フィーリ)、ドラッグ(ソーマ)など、所々にまさに現代で実現されている。もはやSFではなくなりつつあり、とても衝撃的です。

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    投稿日: 2015.01.27
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    二十世紀を代表するディストピア小説のうちの一つ。刊行が1932年で、最後についてる「著者による新版への前書き」が1946年。ちっとも古びてないです、まるで今現在とこれからのことを風刺しているようで恐ろしくもありおぞましくもあり。もちろんディストピアSFとしておもしろく読める。光文社古典新訳の楽しみの一つ・充実の解説あとがきを読んだらもっと、ハクスリー読んでみたくなった。

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    投稿日: 2014.10.02
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    出産も遺伝子操作、教育も完全統制、感情も薬物統制された社会に、とある事件によって未開の地で育ったひとが入り込んで苦悩する物語。 こういうSFの場合、例え未開であっても人間的なシャカイデあるほうが素晴らしい、という結論になりがちですが、前半の完成された社会構造と、ソーマという薬物を読んでると、なんだかそういう社会のほうが幸せじゃないのかなねえ、て気分になる俺はきっと疲れてます。

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    投稿日: 2014.06.01
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    「ディストピア小説」と言うジャンルだそうだ。ユートピア小説の反意語で、このジャンルを代表する傑作らしい。 1932年の作品だと思えば凄い想像力なんだろう。西暦2540年のロンドン、世界は人口をコントロールし、子供は試験管(この小説では『壜』)で作り、更に遺伝子操作と睡眠療法で画一化された人格を形成し、労働者階級・知的生産階級・統制者階級にあらかじめ決められた人生を生きることが義務付けられる。(まさしくベルトコンベアーに乗せて!) 当時としては最先端の知識を駆使して描いているんだろうけど、描写が一々アナログな表現で却ってそれが面白い。 庶民の交通機関はヘリコプターが巾を利かし、空にはロケットが飛び交い、神は否定され、家族は否定され、快楽は肯定され(勿論フリーセックス!)、皆が合成麻薬を使用し、クラブ(ディスコ?)には人工楽器に依る合成音楽が流れる。しかししながら踊るダンスは社交ダンスのようであり、流れる音楽はスィングジャズのようであり、生演奏の楽器はサキソフォンならぬセクサフォンであり、映画は3Dを飛び越えて触感映画になっている。妙にチグハグだ。 あぁ、「すばらしい新世界」! ところが、この新世界は穴だらけで統制が執れていない地区が未開地区として残っており、そこは自然世界を生きるほとんど原住民さながらの人々が残っている。また極端な設定だ。 ある偶然から未開地区に残された新世界の女が子供を産み、成長した子供が新世界に連れてこられるが全く順応出来ないのが後半の主題。 16章から18章にかけての世界統制官と未開地区から来た青年との対話が当時における鋭い文明批判になっているんだろけど、シェイクスピアからの引用が多く、日本人には(私には)ピンと来ない。「ブラックアウト」「オールクリア」を読んだ時も思ったんだけど、英国人はホントにシェイクスピアが好きだね。 最後は新世界に順応出来ない青年がロンドンを脱出するが、日常生活を見世物にされ(自分を鞭で打ったり、セックスを否定したり、文明と対比させるにしても、ちょっとエキセントリックすぎるのでは)笑いものにされ自死してしまう処で終わり。あぁ、悲しい「すばらしい新世界」!

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    投稿日: 2014.04.22
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    言うまでもなく、ディストピア小説の傑作。ハクスリーの洞察は、この本が書かれたのが1930年代であることを考えると、やはり驚異的である。マルクス、ウェーバー、フロイトあたりの思想のエッセンスが散りばめられている。いわゆるフォード主義の極致としてのユートピアであるところの新世界を描くことによって、フォード主義的な消費励行とウェーバー的官僚社会のゆきつく無思考と快楽の世界を批判的に描いている。スタビリティという「至高の善」に、世界統制官自身も没入することによって、そのイデオロギー装置は(実際にはあり得ないが)完全無欠となり、すべての人は幸福のうちに生・権力に従う。 フーコーはもはや存在しないと思う。生・権力による葛藤は、もはやバーナードやヘルムホルツなど一部の人たちだけのもの。イデオロギー装置は完全で、悩むことなどソーマによって打ち消される。

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    投稿日: 2014.02.19
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    主な内容はフォーディズム批判なのだが、その批判の本質はポストフォーディズムにも当てはまっていると思う。 世界統制官によるパターナリズムを、われわれはどう受け止めるのか。 完全な充足のなかで、わざわざ自由を、自分で選択する重責を求める意味は何か。「生かす権力」が、我々のまわりを包みつつある。そういった「パンとサーカス」をどう受け止めるのか。 労力を込めたものに、価値が宿る。そのことを忘れてないか。

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    投稿日: 2014.02.17
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    すばらしい「社会」だ。だが、そんなに羨ましくはない世界である。 悩まず、苦しまず、悲しまず。ただ楽しさだけを追い求められる未来。こんな素敵な全体主義というのは、実際どうなんだろう。少なくとも『1984年』よりはましではあるが。 新世界の人びとは、社会の維持だけが目的となっている。しかも合理的に。ここにある非人間性を指摘して批判するのは簡単だ。シェイクスピアを持ち出せばよいわけだから。それに社会の維持は生物の本能でしょう。まあ、この世界は極端すぎるけど。 でも真に恐ろしいのは、そこではない。怖いのは画一化だ。違和感を違和感だと言えない恐怖。他人と違うことが当たり前でない恐怖。 みんな同じでいいじゃないか。すばらしい新世界へようこそ! ...私は嫌ですけどね。

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    投稿日: 2014.02.13
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    今らしい訳で、前世紀に書かれたとは思えなく読みやすい。古典を読むのが楽しくなりますね。 シェイクスピアの引用や対比がしつこく感じたが、ユートピアである新世界は生々しい怖さを感じさせる。

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    投稿日: 2013.12.26
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    「条件付け」と「ソーマ」の世界はとても安定していて、そこに暮らす人々はもしかしたら幸せなのかも。。 1930年代に書かれたとは思えない先見性と普遍性を持ち合わせた作品。 翻訳が素晴らしく、旧訳で挫折した自分にとっては、思わず「同じ話?」と疑いたくなる程楽しめた。

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    投稿日: 2013.09.16
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     1932年発表されたディストピア小説。工場での人間の生産、条件付け教育による社会階層の振り分け、フリーセックス、快楽薬などにより、誰もが不安を抱かなくなったユートピア。それに疑問を抱き始めた不穏分子達の末路を描く。  全体的に極端に描かれているのでシュールな劇を見ているようではあるが(シェイクスピアの引用が多いことがかなり効いている)、思ったより古さを感じず(訳のうまさのおかげだろう)、他人ごとでは済まされない話だと思った。特に日本を見ていると、ここまで極端ではないものの、着実に、大衆には見えない形で忍び寄るように、こうした社会に近づいている気がする。ただ、果たしてそれはユートピアなのかディストピアなのか。幸福を追求すべきだとするならば、ユートピアともとれる(日本はこの立場に近いと思う)。しかし科学的真理や芸術的感性を追求すべきだとするならば、あまりにも窮屈なディストピアだ(というより、窮屈さを感じることができなければ科学や芸術を押し進めようとは思わないだろう)。  私は後者だと感じたが、すると新たな疑問が浮かぶ。巻末の著者の解説を読むと、この小説では主人公が二つの選択肢しか与えられておらず、その妥協案が提示されていないというようなことが書いてある。しかしその妥協案の、謂わば希望の一縷の光のようなものが、作中に示されているような気がするのである。それは世界統制官や、彼の流された島じゃないだろうか。結局、真に理想的な社会というのは、一方で幸福な飼い犬のような人を量産し、一方でそういったところから漏れ出す人を満足させるための避難場所を用意しておく、といった構造をとるのではないか。しかし、そうなった場合、管理できる人と管理しきれない人、その両方を大きな存在(国など)が管理できてしまうということになる。つまり、一向に管理から逃れられない。  何だか、全くもって出口が見えない気分になった。

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    投稿日: 2013.09.11
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    ・あまりにも有名なオルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」(光文社古典新訳文庫)、 所謂ディストピア、反ユートピア小説である。オーウェル「一九八四年」やブラッドベリ「華氏451度」等と並ぶ名作である。久しぶりにこれを読んで、ハクスリーがかなり異質であるのに驚いた。その出自によるものか、あるいはその資質、思考によるものか。単純に物語に対する好き嫌ひといふ点から言へば、私は ハクスリーよりオーウェルやブラッドベリの方が好きである。こちらの方が物語としておもしろいし、それゆゑに分かり易くもある。 ・「新世界」前半、苦悩せるバーナードとその友人ヘルムホルツの物語になりさうである。それはたぶんオーウェルやブラッドベリに近い物語となつていくはず である。ところがさうはならない。バーナードは優生学的に失敗作のアルファといふところである。それゆゑに劣等感を持ち、憂ひに沈む。その憂ひが反体制的 な想念を生む。ヘルムホルツはそれに共感する。その共謀を阻止するために、バーナードは左遷されさうになるのだが、その前に彼は恋人(とでも言つておく) と北米のインディアン居留地に行く。インディアンとは野蛮人である。基本的に私達と同じ生活様式である。生業も生活も私達の知るインディアンである。ここで出会つたのがリンダとジョンの親子である。ここから物語後半、リンダはかつて行方不明になり、この居留地の人々に助けられたベータであつた。それゆゑに 2人は居留地から「すばらしい新世界」に連れてこられる。ここに於いて先の2人に共謀の目は完全になくなる。バーナードはジョンの世話役となつて皆の注目の的、以前の劣等感はなくなつたかのやうである。この物語がどのやうに構想されたのか私には知る由もないが、ジョンの登場により、作者は反乱よりも新世界 のすばらしさを述べることに重点を移したやうである。それを語るのが世界統制官ムスタファ・モンドである。支配階層アルファの頂点に位置する人物である。 たぶんハクスリーはこの2人の論争を書きたかつたのである。それによりユートピアのユートピアたる所以のものから、その反ユートピア性を際立たせたかつた のである。同じく全体主義を描くといつてもこれが決定的な違ひである。強固な大堤防もアリの小さな巣穴から崩壊は始まるやうに、いかなる独裁体制、全体主 義体制も必ずどこかからほころびてくる。ハクスリーはそれを信じないかのやうである。モンドの論理は完璧な独裁支配の論理である。しかも、モンドは禁書を 何冊も読破した後にさういふのである。ブラッドベリと違ふのは新世界が予め定められた階級社会であるといふこと、誰も異論をはさまず、疑問を持たず、唯々諾々として生かされてゐることである。反抗は基本的に無い。バーナードとヘルムホルツはその希少な例外であるが、最後は喜んで極地に送られていく。ここまで人を飼ひ慣らしてしまふ社会である。ジョンが違和感を抱かないはずがない。そこでジョンははかない抵抗をするのだが、最後は自ら縊死するしかない。基本的な思考のベースが違ふのである。これではなかなか物語にならない。どうしてもお説教になる。実際、モンドはジョンにお説教してゐるのである。ただし、理 解できないことを百も承知で説教してゐるのである。だからジョンを泳がせ、縊死させる。それが全体主義だと言へばそれまでである。ただ、それでも世界はまだそこまで進んでゐないことに安心はするのである。いかな中国や北朝鮮でも優生学のかくの如き利用法を知らないはずであるし、反体制的な動き、反抗がなくはないからである。この完璧な新世界、いつ実現するのであらうか。

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    投稿日: 2013.08.04
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    本屋で平積みになっているのを見かけて衝動買い。予備知識無し。 禁書になった時期があると解説にありましたね。確かにそうかもな。このSFが書かれたのが1932年(1932年と言えば日本は五・一五事件)。著者の慧眼。先見性に脱帽ですわ。もしこれが2013年に書かれましたと言われても不自然じゃないもんな。 以前も書きましたが、「こういうことになる可能性もあるよね」との文明批判。社会風刺が利いている。おぞましい。 社会主義は過去のものとされ、資本主義社会に身を置く私たちですが、さあ、次はどんな装置が導入されるのか。本書では社会主義的な資本主義というか、超福祉国家というか、そういったハイブリッドな統治機構が仮構されていますね。 面白かった(好きだった)箇所は、後半の“野蛮人”(つまり私たちとほぼ同じような価値構造を有しているある人)と“すばらしい新世界”側のボス的な人との会話、舌戦のシーン。人間とは何か(なんて手垢のつきすぎて手垢そのものになったような言葉ではあるが)的テーマを掘り下げていく。やはり、ここではないどこかを規定しておいて、つまり物語というBGMを流しつつ、この本題に入っていくあたり読まされてしまう。ぐいぐいと惹き込まれた感覚があったなあ。 決して読みやすい本とは言えないな。読まなくてもいいけれど、読んでしまう。読まなくてもいいけど、こういう本が無いとダメだとも感じる。苦しい本ではある。しかしながら、苦しむということは自分の外側から来た異物であり、新しい何かなのだろう。従ってそういうものを享受する読書は頗る刺激的で楽しいし、有意義であるとみなしています。つるつるした啓発書を読むのもそれはそれで面白いのだけれど。 http://cheapeer.wordpress.com/2013/07/16/130716/

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    投稿日: 2013.07.16
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    日本のことだな、と誰もが思うでしょう。 ジョンと世界統制官の対話が白眉。 ここはカラマーゾフの兄弟の写しなのか。

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    投稿日: 2013.06.28
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    有名なディストピア本の一冊を初読。本書を読んでいて思ったのは、自分はユートピア/ディストピア系の小説がたまらなく好きだなということ。本書は「1984年」とか「われら」に比べると、結構情緒的な側面に力点が置かれていて読後のしんみり感高い。

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    投稿日: 2013.06.22
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    ディストピア文学の最高傑作が遂に新訳。本作で描かれる未来世界では管理こそあれ、監視や抑圧、暴力等は存在しない。高度資本主義と科学的手法を突き詰めた画一的社会では禁止ではなく刷り込みと条件反射による自然反応で管理され、欲望の発散すらも国家から支給されるソーマで充足される世界。それはとても幸せそうで、どうしようもないくらいに醜悪だ。「要するに君は、不幸になる権利を要求しているわけだ」そう、だからこそ自分は不幸になる権利を要求する。大丈夫、それはとても人間らしくて、求める事自体は不幸などでは決してないのだから。

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    投稿日: 2013.06.18