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powered by ブクログ11冊目『春宵十話』(岡潔 著、2006年10月、光文社) 1963年2月に刊行された、大数学者・岡潔による随筆集の新装文庫版。表題作を含む23篇を収録。 数学とは学問芸術の一種であり「情緒」がわからなければそれを理解することは出来ない。絵画、文学、音楽、仏教など、知識よりも情操の教育の重要性を説く岡の言葉は、勉学がただの受験勉強になってしまっている現代にこそ広まって欲しい。 〈よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている〉
10投稿日: 2025.02.27
powered by ブクログおすすめ。 #興味深い #鋭い考察 #読みやすい #名著 書評 https://naniwoyomu.com/30745/
1投稿日: 2025.02.02数学の結果の確かさへの信頼
ここに数学者と画家がいる。 どちらもノートを広げ、片方は証明問題を、もう片方はデッサンに取り組み、切りの良いところで手を止めタバコを手に取る。 一服しながらノートを見返す時、画家はこれまでのデッサンはこれで良かったかを確認しているが、数学者は見返しながら以後どう進めるかを考える。 なぜなら数学の結果は常に「確か」であるからで、間違っていいるかもしれないというあやふやな状態にはならない。 これは天才数学者の言だからではなく、学校で数学を習い教える教育者に共通したものだ。 この「確かさ」は数学の属性の第一だからである。 過去を調べるのは何も画家だけではなく、すべての芸術家、他の学問の研究者も同じだろう。 だが、数学者の目は、過去を振り返りながらも目は常に未来を向いている。 この結果に対する「確かさ」への揺るぎない信頼が、本書を読んで一番心を打った箇所。 岡は、重ねてこう強調する。 この確かさへの信頼があるからこそ安心して足を踏み出し、前に進めるのだと。 数多くの数学的発見を成しているが、その時も同じである。 放心状態や一種のゆるみ、自然の風景を前に恍惚とした弛緩状態で突然訪れる気づき。 発見に至るまでに苦しい緊張状態と成熟の準備ができるまでの時間を要するのだが、見えた時にはすっかりわかってしまうので、正しいかどうかなど疑心暗鬼になりようがない。 喜びに体中が満たされ、恍惚となって帰りの列車で車窓をぼーと眺めているが、もう一度確認するなど不要で、あとはただ書き出すだけの状態になっている。 結晶化したものを拾い出すような感覚で、手に持った結晶の「確かさ」は揺るぎようがない。 数学の問題を解いている時の感覚は、確かに他の学問の問題を解いている時とは少し違っていたかもなぁとぼんやりと考えながら読んだ。 教育の目標が個人の幸福の追求になってしまっている。 個人の幸福とは、つまるところ動物性の満足に他ならず、獣性の侵入は何としても食い止めねばならない。 日本の秩序が古来保たれてきたのは法によってではなく、ひとえに人々の道義心によっていた。 安心して暮らせるのも、「人が法律的な責任を持つことに信頼しているのではなく、道義的な責任を持つことに」信頼を置いていたからである。 他人の善行に心打たれ、それを美しいと感じることで自然と情緒が育まれ、自分も善行を行わずにいられなくなる。 そこには少しも打算や分別は働いていない。 「これが古くからのこの国の国柄であり、こうして日本的情緒が出来あがったので、この色どりはちょっと動かせない」 純粋直観に導かれた真情の力はややもすれば「直観から実践へ」転じる傾向があり、情緒中心の日本人は、直観を疑わずすぐに実践に移してきたため、歴史的にはそれで数多くの失敗もしてきた。 いま道義心が失われているのは、学校で育まれていないからでもあるし、そもそも両親が6歳までに道義の根本をしつけていないからでもある。 1963年に毎日新聞社から発刊された本書は、毎日新聞に連載されたものをまとめたもの。 "至極の随筆"と評判だったから、まさか口述筆記のような形の本だとは思わなかった。 新聞連載中から大変な評判を呼び、本も出版されるやベストセラーになったらしいが、この執筆が当人でないというのは、どこか養老孟司の『バカの壁』を思わせる。 国際的な天才数学者が、あるいは有名な解剖学者が世相を斬るのも同じなら、読みやすく平易な文体で書かれ、どちらも大ヒットしたというのも同じだ。 「国が滅びる」という言葉も安易に使われるが、一向に滅びず、しぶといなと思ってしまった。 「日本民族絶滅の崖の淵」だと言いながら、50年以上たった後世の日本人もこうして普通に手に取って読んでいるという。 なにしろ進駐軍による義務教育制度にも心情的に反対で、新学制の下に始まった義務教育の10年間は「大変な失敗」だと語っているのだから、さらに50年以上過ぎた後の読者は、失敗に失敗を重ねた末の残滓にすぎず、もう手遅れではないのかと思わなくもない。 情緒や情操中心の教育に戻せ、初潮の低年齢化が心配だ、若者の間の動物性(獣性)の侵入を許すなと繰り返す。 実はオリンピックにも反対で、スポーツは若者にとって害悪だと言いながら、そのくせ自分は相撲や野球のテレビ中継を噛りついて観ているというチグハグさ。 小林秀雄との対談『人間の建設』は、もっと深遠な禅問答ぽくて、奥深かったんだけどなぁ。
0投稿日: 2024.09.15
powered by ブクログ面白論かったという本ではなかったが、この数学の有名な先生のことを知らなかったので読んでみた。当時の文化芸術、教育、日本人の価値観がどうだったのかが書かれていた。 昔と今では、大切に思うものの方向性が違っていたのかな、、とか考えるキッカケとなった。
1投稿日: 2024.09.10
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1822188388260180349?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
1投稿日: 2024.08.10
powered by ブクログ理性は感情と共に働き, 感情の満足不満足を直観という. 直観なしには情熱は生じない. 発見の前に緊張とそれに続くある種のゆるみが必要. 三河島惨事 列車多重衝突事故 Sex, sports, siennaに反対らしい笑 ピエール・ラプラード ゴッホ 心の動き(情緒)を描いた画家らしい
1投稿日: 2024.01.28
powered by ブクログ表題にもなっている春宵十話は面白く読んだけど、教育についての話はピンとこなかった。多分これが書かれたときと今とでは子どもを取り巻く状況が変わりすぎているのだと思う。そして、私を含めてピンとこない人間が親になって子どもを育てると、もう岡の考える「子ども」も「教育」も次第に存在しなくなっていくんだろう。
0投稿日: 2024.01.14
powered by ブクログ読書会でお借りした本、その2。 岡潔という数学者のお名前は、SNSか何かで見かけたことがあるようなないような…、程度の知識で読み始めた。 何やらその分野ではもの凄い偉人であるらしい。 数学者の大偉人…。 さて、どんなエッセイだろう…、とページをめくった1行目。 人の中心は情緒である。 おおっ。 …えっと…、この場合の情緒とは わたしの思っている情緒と同じなのかしら。 読んでいくうちに自分の持っている概念が岡先生と同じものなのかわからなくなってくる。 少し古めかしさも残る美しい日本語、 突然引用される俳句、連歌。 1960年代には当たり前に持っていた、もしくは人によってはギリギリ弁えていた知識や教養がないと、真の意味では理解が難しいのかもしれない。 それでもなんとなく朧げだけどわかる部分もある。諸手を挙げて先生の意見に全て賛成はできないけど、この作品が書かれて半世紀後から読んでも、 「ああ、ホントその通りだ」 「今まさにこんなふうに言われている通りになってるな」 と思える内容も少なくなかった。 ざっくりした印象だけど、仏教に傾倒しておられた面も見受けられ、ところどころ唯識的なお話もあり、情緒を大事にされる部分もあわせ、論理先行のイメージがある数学者なのに振れ幅が大きくてとても魅力的だなと感じた。 一方で、やたらと日本民族に固執する記述、主語の大きさ、懐古的な批判が多いようなところも少し食傷を感じたりも。 解説にあったけど、一芸に達した人の言葉なら、まあ そう言うのもアリなんだろう。 まさに何を言っているかよりも誰が言っているか、なのかな。
1投稿日: 2023.08.24
powered by ブクログいつだって私のバイブル、指南書である。日本語をここまで美しく書ける数学者はこの人くらいだろう。日本の未来を憂いて様々なことを書いているが、本人が今の日本を見たらどう感じるのか。私は常にそう考えている。
0投稿日: 2023.01.19
powered by ブクログ数学者、岡潔の随筆書。彼の生い立ちや、考え方が記されていた。 一貫して主張されているのは、「人間の中心は情緒である」ということ。 事物との接し方について、考え直すきっかけとなった。 何かに取り組むとき、何かの目的のもと目的達成のためのあくまで過程としか考えていなかった。 例えば勉強はあくまで試験に通過するためのもののように。 目的が主体となり、現実の事物を軽んじてきたことに、中身の無い物足りなさを感じていた自分の感覚が明確なものになった。 目的への執着、色々な欲を一旦置いて目の前の事物と純粋に向き合いたいなと思った。 向き合った上で自分が納得することが大切だと分かった。 また、以下のフレーズに共感した。 「このくにで善行といえば少しも打算を伴わない行為のこと」
2投稿日: 2022.09.18
powered by ブクログ漠然とした研究者としてのイメージや実際の刊行時に比べると文体に関しては一切の古臭い部分がなく整然と読みやすい。 それでいてエピソードや周辺の人物を見るにやはり時代の隔たりを感じずにはという感覚にもなる。 主義主張の筋に関しては、現代にも尚交わされる議論であるために賛否があるものだろうが、一つの道を突き進んだ先人の言葉として受け取りたい。
2投稿日: 2022.09.01
powered by ブクログ日本を代表する数学者岡潔さんのエッセイ。 ”数学者“と聞くと意味のわからない文字や式とずっと睨めっこをしているイメージしか湧かなかった。岡潔さんは情緒を大切にされているそうで、情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗すると言う。 心に響く言葉もあればこれはちょっと、、となるような強い主張もちらほら。
2投稿日: 2022.06.15
powered by ブクログこれほど心を揺さぶられるエッセイに出会ったことはない。 そう言い切れるほど、読了後、深い感動に包まれている。 数学を極めた筆者が、自分の仕事に対する信念、人生観、人間論を述べ、さらに教育、社会への警鐘までもが綴られている。数学ほど論理的な学問はないと思い込んでいたが、人の中心は「心」であり、数学こそ「人間の心」「情緒」を極める学問なのだと。「数学は情緒である」と定義した筆者の潔さにただただ感服する。ここでいう「情緒」は豊かな感情というような、普通の意味ではない。宇宙を貫く「真・善・美」の理念に共鳴する各人の心の調べのことだ。学問の本質とは何かを考える指針となる良書である。
2投稿日: 2022.05.01
powered by ブクログ情緒を磨きなさい。今の教育は急かしすぎている。人の中心は情緒であるからゆっくりと健全に育てなければならないのだ。そうでないと数学も人も社会の心もわからないのだ。損得感情抜きに、自分がこれだと思う直観を大切に理路整然とした行いをしなさいー現在の教育問題にも通ずる大数学者の人間論。 自明のことを自明としてみて(=純粋直観)、少しも打算を伴わない理路整然とした行い(=善行)を人生の中で大切にしていたい。 10年後、子育ての際にも参考にしたい。 「数学の本体は調和の精神である」とポアンカレーはいう。数学者である岡潔がこんなに素晴らしい人間論をかくものだから、数学にも興味が湧いてしまった。
2投稿日: 2022.03.14
powered by ブクログ〈本から〉 自然の感銘と発見とはよく結びつくものらしい。 自然の風景に恍惚としたときなどに意識に切れ目ができ、その間から成熟を待っていたものが顔を出すらしい。そのときに見えたものを後になってから書くだけで、描写を重ねていけば自然に論文ができあがる。 情操が深まれば境地が進む 何事にもよらず、力の強いのがよいといった考え方は文化とは何のかかわりもない。むしろ野蛮だと呼ぶべきだろう。 「楽しむ」というのが学問の中心に住むことにほかならない。 理想とか、その内容である真善美は、私には理性の世界のものではなく、ただ実在感としてこの世界と交渉を持つもののように思われる。 略 理想とはおそろしくひきつける力を持っており、見た事がないのに知っているような気持ちになる。 略 基調になっているのは「なつかしい」という情操だといえよう。これは違うとすぐに気がつくのは理想の目によって見るからよく見えるのである。そして理想の高さが気品の高さになるのである。 情緒の中心の調和が損なわれると人の心は腐敗する。 社会に正義的衝動がなくなれば、その社会はいくらでも腐敗する。これがいちばん恐ろしいことである。 「衣装して梅改める匂いかな」と蕉門の句にある。およそひきしめるものはすべてみな礼に属するといってよい。礼を抜きにすることはなれることであり、ここからやはり獣性がはいってくるのである。 数学教育の目的は決して計算にあるのではない。かたく閉じた心の窓を力強く押し開いて清涼の気がよく入るようにするのにあるのだ。数学教育は大自然の純粋直感が人の子の情緒の中心によく射すかどうかに深くかかわっているのであって、計算が早い、遅いなどというのは問題ではない。 アンリ・ポアンかれー 「数学の本体は調和の精神である」 数学の目標は真の中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。 「浅きより深きに入り、深きより浅きに戻る心の味なり」 (芭蕉)
0投稿日: 2022.02.16
powered by ブクログ本書は、天才数学者である岡潔さんが書かれた本です。 「数学に最も大切なのは、情緒である❕」というのは、とても深い言葉だなーと思いました。 数学博士としての「人生論」「教育論」が書かれており、参考になりました。 ぜひぜひ読んでみて下さい。
12投稿日: 2021.12.28
powered by ブクログ【琉球大学附属図書館OPACリンク】 https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA79617799
1投稿日: 2021.08.27
powered by ブクログ2021/1/9 現代の教育の在り方に警鐘を鳴らしている。なお暗黒のローマ時代にいる令和にも十分すぎるほど通じる。これから先の未来に真善美を基軸とするギリシャ文明が復興することを信じたいが、何百年先、いや何千年後になることやら。 これを本当に実現したいと世が強く願うのならば、「一生思い続けて駄目だったら、二生目も、三生目も思い続けなさい」と岡は言うだろう。
2投稿日: 2021.01.09
powered by ブクログここで語られる教育論や、情緒とそこに根差す情操と言ったものは今もって説得力があると感じる。 数学と芸術の類似性についての語りは、あぁこの人天才なんだな、と感じる次第であるが、実際に物事を深く探求するといことは、そうした境地に近づくといことなんだろう。その意味で、文学を含めた芸術に批評的であるというのは、何かを極める上でも必要な資質なんだと理解した。
2投稿日: 2020.09.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
数学者岡潔のエッセイ。 子どもを育てるものとして参考になることがたくさん書いてあった。 1901年生まれなのでかなり昔の方なのだけど、教育にとって大事なのは情緒的な感情や心の成長だと終始書かれていて、今まさに非認知能力が注目されているのを見ると間違っていないなと思う。 そしてこの方、数学者でありながら芸術的なもの、文学や絵画、音楽なども楽しむ心を持っており、目的に通じるわかりやすい何か一つを突き詰めるだけでは物事への理解を深めるには限界があって、いろんなことを楽しむ心を育てることでそれが深まっていくということがよくわかった。 わたしも兼ねてから、人生のいわゆる成功(学歴や職種)に直接関係のない芸術やら何やら好きなものを深めることで人生を豊かにする一助になると思っていて無駄はないはず!といろんなことをやっていたので、この方の人生や考え方を通してそれは間違っていなさそうだと確信できた。 今子どもにできていることできていないことたくさんあるけど ・学校の成績のようなわかりやすいゴールだけを目的に勉強を詰め込ませない ・たくさん遊ばせる(特に自然に触れて綺麗なものをたくさん見せる) ・興味のあるものをどんどんやらせる ・否定しない ・裏切らない ・一つだけ教えてあとはそっとしとく これは守っていきたいな。
2投稿日: 2020.08.30
powered by ブクログ久し振りの著者のエッセイ集。情緒、道義、真理、自明。自発的な学びの重要性と成熟を忍耐強く待つ姿勢。それまでまったく辿り着けるように感じていなかったものが、突然舞い降りてくる感覚。自然の流れの中に身を委ね、動物性を除去することで得られるものもあるだろうと...。借り物でない自身の考えを生み出すには必要な時間だと実感できた。
16投稿日: 2020.06.28
powered by ブクログ天才数学者岡潔の人生に触れられた。 内容は比較的簡単に書いてあったと思うが高校生には難しく感じた。天才の世界観に少しだけ入り込め、情緒とはどういうものかを理解できた。 また、岡潔は現代の日本の教育について心配されており、読んでみると納得できる内容ばかりだった。
2投稿日: 2020.01.11
powered by ブクログ人が知的に発達するモデルが独特で、びっくりした。 残念ながらそれほど知的な発達を遂げていない自分には、自分の体験に照らして、思い当たる節があるとか思えることがない。 直観(平等性力智、真善美を判断する智、妙観察智)が合わさって智力を構成している。 情緒は感情のうち、外界の影響を受ける上澄みの部分、下のほうの動かない部分を情操と呼び分けられている。 そしてこれが感覚、知性、情緒(こころ)の順に多く「差し込む」。 大筋、こんな体系のようだ。 つまり、まず人間教育が必要で、それは人を優先することを徹底する道義教育で培われる、とか。 岡先生を訪ねてきた戦後世代の中学生との間に、深い溝があったようだが、私も同じものを感じる。 岡先生のような天才にしか当てはまらない教育論なのかなあ、と思っちゃうのだが。
2投稿日: 2019.05.11
powered by ブクログ低評価の理由(意味)は、そもそも岡潔さんてどんな人だったかに触れたかったのがそうではなかったので。単に期待した内容の本ではなかったていうこと、なのでほんとにこの作品を評価したものではない。
1投稿日: 2019.04.25
powered by ブクログ著者、岡潔は、この本の中で「なつかしい」という言葉を多用している。そして、数学は情緒であるという。岡潔は、日本的情緒が失われることを今でなく、ずいぶん昔に危惧している。でも、私個人としては、この本の読後感としては、のどかで、温もりを感じ、こころが洗われた。そして、過去のこととは思えなかった。同時に生きている生々しさがあった。 また、芥川龍之介や夏目漱石、ドストエフスキーといった文豪を好みにしているところが私と一致していたことに驚きを感じた。
2投稿日: 2019.02.11
powered by ブクログ数学だけでなく芸術や教育についても多く触れられている。特に日本の教育の行く末について非常に心配している。50年以上前に書かれた本だが今の時代にもかなりあてはまるような鋭い指摘が多数。
1投稿日: 2019.02.05
powered by ブクログ"こんな本に出合えることが、読書をやめられない理由の一つ。 自分自身がこれまでの人生の中で、ありとあらゆる外界と接触して培ってきた感覚と、本書の著者である数学者の岡さんのものは、全然違うもの。 新たな視点、気づき、驚きを与えてくれた。岡潔さんの目線と同じ場所に到達するには、まだまだ精進が足りない気がする。 人間を見つめる視点、日本人をとらえる感覚は、深く洞察したうえで到達する高みにあるようだ。数学と芸術はとても似ているという感覚は、今の自分には持ちえない感覚だ。また、前頭葉の使い方で戦前と戦後では日本人の顔までも変化しているという観察など、思いもつかない。 人の顔なんて、それぞれで、こんなもんだなぁと思うだけ。俯瞰して大きな時間軸で観察していないと気が付かないし、思いもしないようなことが、この本にはいっぱい書いてある。 繰り返し読み返し、言葉をかみしめて、読んだ時の自分が感じた感覚を大切に生きていきたい。"
2投稿日: 2018.11.23
powered by ブクログ往来堂書店「D坂文庫 2013夏」からピックアップした一冊。先達の言葉に耳を傾け、背筋をピシッと伸ばしてもらおうと思って手にした。 数学者が書いた本だが、のっけから「人の中心は情緒である」と来る。この情緒を豊かなものにしないことには数学も何もない、という思いから、幼児教育や義務教育などについてひと言もふた言も申している。「何よりいけないことは、欠点を探して否定することをもって批判と呼び、見る自分と見られる自分がまだ一つになっていない子供たちにこの批判をさせることである。」1963年に刊行された本だが、今の時代にもそのまま突き刺さる言葉が耳に痛い。 ところで、なぜ数学者には数学以外の教育のことを述べる著書が多いのか。この岡潔しかり、藤原正彦しかり。その答えをこの本の「数学の本体は調和の精神」「数学の目標は真の中における調和」というくだりに見た。数学者は美しい図形や数式に調和を見い出し、その美しい調和というものはそもそも人間が基本的なところで持つべきものだという考えに行きついた。そして、それを持つには教育が重要だ。彼らの中にはこういうロジックがあるように思う。
3投稿日: 2018.11.18
powered by ブクログ数学者というと論理的思考のエキスパートという印象があったが著者は芸術家に近いと思った。 それにしても、著者の小説や絵画など文化への造形が深くて驚きだ。 解答を導き出すためのひらめきの導き出し方は共感できた。 「…緊張がゆるんだときに働くこの智力こそ大自然の純粋直感とも呼ぶべきものであって、私たちが純粋無雑に努力した結果、真情によく澄んだ一瞬ができ、時を同じくしてそこに智力の光が射したのです。 …絶えずきれぎれの意志が働き続けるのが大脳の過熱で、この意志が大脳前頭葉に働くのを抑止しなければ本当の智力は働かないということです。」
0投稿日: 2018.10.08
powered by ブクログ春宵の知への誘い。日本に警鐘を鳴らす。人の中心は情緒である。発見の前に緊張と、それに続く一種のゆるみが必要ではないか。智力も、冷ましているときに働くものだ。春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいい思っている。人生において必要なセンスが至るところに散りばめられている。天才と呼ばれる人のセンスを感じることができる一冊。「人間の建設」にしろ著者写真にいつも惹きつけられるのは私だけだろうか。
0投稿日: 2018.03.23
powered by ブクログドラマを見た。どちらかといえば、岡の奥さんが主人公か。湯川秀樹壮行会でのスピーチはたまらない。涙が止まらない。彼女がいなければ、岡は今に残っていないかもしれない。しかし、日本国内に1人くらいは彼の論文を理解するものがいてもよさそうなのに、誰もいなかったのか。出会いがなかったというだけか。上司であるところの教授が本当に悪者に思えてしまう。それにしても貧しい。あれだけ貧しい生活を家族に強いていながら、本書には家族の話がほとんど出て来ない。まあまあ、いろいろと立派な考えが書かれている。しかしながら、生活力のなさ。まあそれを差し引いても、天才的であったのだ。十分におつりがくるくらいか。本書の中身については、教育についても一家言もっていらっしゃったようだが、あまり印象に残っていない。残っているのは芥川についてだけ。夏目漱石や寺田寅彦はある程度読んでいるが、残念ながら芥川龍之介は教科書以外で読んだことがない。いつかは読んでみたい。できれば芭蕉も。本書はずいぶん前に購入していたのに、どういうわけか読んでいなかったようだ。今回ドラマに感動して本書にも手を伸ばした。
0投稿日: 2018.03.04
powered by ブクログ日本が誇る大数学者岡潔氏のベストセラー随筆集。論理が最重要な数学者が「最も重要なものは情緒」と語っているのは興味深い。岡氏の主張として教育の重要性を謳っているが「質がどんどん劣化している」というトーンはいつの時代もご老体が語る言葉であり、柔軟な発想を持った岡氏の発言としてはやや違和感を感じながら読んだ。 本書内で特に好きな文は「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。」。物事の是非を図るのは人間の驕りであり、良し悪しは自然の摂理が決めることである。
0投稿日: 2017.11.06
powered by ブクログ以下全て、この本よりの抜粋。 ●近頃は集団として考え、また行動するようしつけているらしい。だが、人の基本的なアビリティーである、「他人の感情がわかる」ということ、物を判断する、ということ。これは個人が持っているアビリティーであって、決して集団に与えられたアビリティーではない。 ●集団について教え、集団的に行動する習慣をつけさせれば、数人寄ってディスカッションしないと、物を考えられなくなる。しかしそれでは少なくとも深いことは何一つわからないのだ。 ●集団的に怒りの気持ちを持って行動するのは疑問だ。人というものが怒っているときに正常な判断を下せるかどうか、だれにでもわかるはずだ。 ●集団をつくらせると、ボスができるばかりである。ボスができてからは、道義道徳を入れようがない。 ●クラス活動、グループ活動。そんなひまがあれば放任して、遊びに没入させるに越したことはない。子供を小学校に入れる際にどうしたらいいか、と母親に質問されると、しばらく入学させないで待っていなさいと教えているのだが、違法だろうか。 ●何よりいけないことは、欠点を探して否定することをもって、批判と呼ぶこと。 ●根性なんて心の垢に過ぎない。 ●どの人がしゃべったかが大切なのであって、何をしゃべったかはそれほど大切ではない。 # 岡潔(おか きよし)さん。 1901−1978の、数学者さんです。 もう、40年ほど前に亡くなった方ですし、なにしろ数学者さん。 ただ、随筆を多く書かれていて、「名随筆だ」という評価も高い。 と、いう噂だけ知っていて、ふらっと衝動買い。 いやあ。 強烈な変人さん(笑)。奇人。個性的。 なあなあの集団生活、追従、空気を読む、とか、できないんだろうなあ。 ただ、上記抜粋したような内容は、僕は好きでした。素敵! # 一方で、この本。批判的に言うなれば。 ものすごい主観的で一方的な意見を、なんだか圧倒的な確信でおっしゃる(笑)。 そして、ええええっ!っていうくらい驚愕の精神論。精神主義な意見も多々。 そして、頻発するのが。 「最近の若いものはだめだ。僕の頃はこうだった。僕はこうやって豊かな心を養った」 という要約が可能な、 「偉そうな爺さんのほろ酔いループ自慢話」…。 # ただ、内容と論理にただよう、ただなるオリジナリティー…。 「秀才」ではない。「天才」…。 # そんなトデモナイ内容の、その一方で。 はっとするくらい、「なるほどなあ」という言葉があったり。 エッセイが素晴らしい、というより、警句、アフォリズムというか。 文学芸術のことまで、この人はまあ、とにかく考えに考え抜いているなあ、という感心があったり。 「高等数学っていうのは、つまり哲学だ」 という言葉があるのは知っているのですが、この人はもはや数学者というより哲学者なのでは?という佇まい。 というわけで、読んだ自分の中で毀誉褒貶、難しい評価の一冊ながら、興味深い発見であったことは確かでした。 # ただ、この本の編集のボリュームで言うと、岡潔さんの初心者には分量が多かったかな、とは思います。 所詮随筆を、後年寄せ集めて編集した本なので、もっと厳選して薄いほうが食べやすいのでは。 # それから、この本の「今時の若いもの批判」というのは、時折吹き出してしまうくらい理不尽でヒドイなあ、と思ったのですが。 でも考えてみると、ここで批判されている「若いもの」っていう人々は、2016年現在、「今の若いものはなっとらん」といちばん発言しているであろう、60代〜70代の人々なんだなあ、と思うと、なんだか微笑ましかった。 # いくつもの随筆、社会批判、若者批判が、そのあまりにも無邪気なまでの横暴、暴論、依怙贔屓内容に、「これぁ、2016年に発表したら、即座にネットで炎上するんだろうなあ」とにやにやして読みました。 # 数学者としての岡潔さんがされてきた研究内容っていうのは、この本の随筆のいくつかでも触れられていますし、ネット検索しても縷々と説明されています。 なんですけど、一言半句たりとも、僕には分かりませんでした…。 ただ、欧米の研究者が、「あんなすごい質と量の研究を、個人が、それも日本人ごときが出来るわけがない」という感想から、「オカキヨシ」というのは、研究者のグループの名前だと思っていた、という逸話があるそうです。すごいですねえ。わかりませんが。
0投稿日: 2016.12.29
powered by ブクログ世界大戦後の日本を憂慮して教育に関して自身の経験を交えつつ書いたエッセイ. 読み始めたときは数学者とは思えないほど表現力に富んだ柔らかな文章だなと思ったが,数学者だからこそ,特に筆者の言う"情緒"に富んだ方だからことこのように興味深い文章が書けるのだと納得した. 歴史や昆虫採集など,幼いころから多方面への興味を筆者がもっていたことが興味深かった.一方で集団行動,詰め込み教育に重きをおく現状では筆者の言う真の智が生まれることは難しいのではないかと感じた. 何度も再読したいし,友人にもおすすめしたい一冊.
0投稿日: 2016.07.16
powered by ブクログずっと読みたい…と思っていた岡潔さんの本。 50年以上前の著作だが、全く古さを感じず、現代にも通じる点が多く見られました。
0投稿日: 2016.06.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
数学者として天才の人が、大切なのは情緒であると語られるのがユニークです。「そうだと思ったら何でも本当にやってみることである。徹底してやらなければいけない。それでこそ理想を描くことができるのであって、社会通念に従って生きていこうなどと思っていて理想など描けるものではない。」岡氏の発言であるだけに説得力があります。
0投稿日: 2016.05.28
powered by ブクログ岡潔。薦められて読む。 以下はメモとして。 道義の根本は人の悲しみが分かるというところにある。自他の別は五才くらいからわかり始めるが、人の感情、特に悲しみの感情は一番わかりにくい。だから、小学校へ入るくらいまでは、人が喜ぶからこうしなさいということは教えられるが、人が悲しむからこうしてはならないという教えかたはできない。本当はこの教え方の方が徹底的なのだけれども。 (90頁) 感情というものをお話しますと、水が溜まっているその上の方は波立ち騒いでいる。これが情緒です。下の方は変わらないでいる。これを情操と名付けるわけです。(97頁) だいたい、ことばを聞いてわかるというが、それで内容までちゃんと分かるということはない。たとえば秋の日射しといっても、秋の日の射し方ということではないが、それは自分が本当に秋の日射しの深さがわかるようにならなければ、ことばでいってもわかりはしない。してみると本当に分かるのは簡単なことではない。(183頁)
0投稿日: 2016.01.18
powered by ブクログ世界的数学者・岡潔(1901~1978年)の代表的な随筆集で、1963年に発表され、その後何度も復刊を重ねているロングセラー。(本書は2006年光文社文庫で復刊) 岡潔は、京大時代には後のノーベル賞学者の湯川秀樹や朝永振一郎に講義を行い、広中平祐のフィールズ賞受賞業績にも影響を与えたといい、また、自身の数学上の業績は、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられなかったほど、強烈な異彩を放つものであったという。 また、岡氏は、日本人のもつ「情緒・情操」の大切さを繰り返し述べ、本書以外にもそうした思いを綴った多数の随筆を残しており、一般にはむしろそうした実績で有名かもしれない。 「人の中心は情緒である。・・・数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。」 「数学の目標は真の中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。どちらも調和という形で認められるという点で共通しており、そこに働いているのが情緒であるということも同じである。だから、両者はふつう考えられている以上によく似ている。」 「文化の型を西洋流と東洋流の二つに分ければ、西洋のはおもにインスピレーションを中心にしている。・・・これに対して東洋は情操が主になっている。・・・木にたとえるとインスピレーション型は花の咲く木で、情操型は大木に似ている。」等 「数学は美しい」とは数学者がしばしば口にするフレーズであるが、日本の数学界には優れた数学者が現れるべきして現れていることを実感する、素晴らしい随筆集である。 (2008年4月了)
0投稿日: 2016.01.11
powered by ブクログ人生について、学びについてを追求しつくす 迷うことがあったときにはじっくり向き合って、頭の中を整理するときに再読したい
0投稿日: 2015.08.08
powered by ブクログ力不足で理解に及ばない箇所もあった。。が、教育への警鐘はわりとわかりやすい内容で、現代にも通じるものだった(当時の傾向が変わらなかったということやけど)。動物的・競争的な性格をのばし、情操・道義を疎かにしていると批判している。詰め込み過ぎで隙間がないという指摘なども。 芸術論も面白かった。
0投稿日: 2015.02.07
powered by ブクログ筆者の意見が良くも悪くも尖っているため,いろいろなことを考えさせてくれる本.数学者だが,本の内容はほとんど日本という国とその未来のための教育について. もともと偏った意見や考え方をしている人だとは知っていたが,それにしても偏っている.しかしながら,その偏った意見や考え方の中に多くの人が同意できるものも含まれている. 筆者の意見を鵜呑みにすることも,遮二無二批判することもせず,極力フラットな気持ちで考えながら読むと良いと思う.
0投稿日: 2014.09.16
powered by ブクログ数学者、岡潔氏のエッセイ。 情緒の大切さ、教育の大切さが話の中心となっている。 その気持ちの裏側には、「近ごろのこのくにのありさまがひどく心配になって、とうてい話しかけずにはいられなくなったから」という危機感があった。とくに戦後教育により加速度的に「動物性」が入り込み、人々の情緒が失われているという。 『数学と芸術』において筆者は、「両者はふつう考えられている以上によく似ている」といい、それは、両者が求めているものは「調和」であり、数学においては「真の中における調和」であって、芸術においては「美の中における調和」であるからだ。 「調和」を感じるためには情緒を働かせなければできない。ゆえに情緒が大切なのだという。 また『一番心配なこと』での以下の言葉は興味深い。 「人の基本的なアビリティーである、他人の感情がわかるということ、これは個人の持っているアビリティーであって、決して集団に与えられたアビリティーではない」 一人でじっくりと考えることから情緒が生まれる。集団によるディスカッションでは深さに到達できないという筆者の言葉に、めまぐるしく情報が飛び交う中で、自分に立ち戻って考える時間を持つことの大切さを教えられた。 春宵一刻値千金 (春の夜は、なんともいわれぬ趣があり、一刻が千金に値するような心地がする)
3投稿日: 2014.03.23
powered by ブクログ人には情緒を表現する方法が一つあれば良いと岡さん。 印象深かった文章はここ。 "自然の風景に恍惚としたときなどに意識の切れ目ができ、その間から成熟を待っていたものが顔を出すらしい。そのとき見えたものを後になってから書くだけで、描写を重ねていけば自然に論文ができ上がる" ある問題(課題)を考え続けて思考の発酵を待ち、緊張に続く自然に誘発された一種のゆるみを体験することが発見に繋がるコツらしい。 これは数学の問題に限らず、いろんあ問題に適用できるはずだから挑戦してみたい。
0投稿日: 2013.11.13
powered by ブクログ本書は、人には情緒が大切であると言っている。 自分は、しかしそもそも情緒って何だろうかということから考えてしまったが、、 全般的に教えられることが多かった。 ―はしがきより引用 人の中心は情緒である。情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。 …私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えてきた。 著者は1901年生まれ、'78年没。 自分が生まれるよりも前に生きて死んだ人の書いた本を読むとはなんだか変な気分だった。死んでもなおその思いは本として残り、読む人に影響する。
0投稿日: 2013.10.26
powered by ブクログ高名な数学者である作者が、論理よりも計算よりも「情緒」こそが大切であることを説いている本。 私は以前から謎に思っていたことがある。それは、世に名を残すほどの天才たちは皆申し合わせたように「自然への畏敬の念」が顕著である、ということ。利休、ニュートン、ダ・ヴィンチ、諸々。この本を読めば、その謎を解明する手がかりが掴めるかしらと思って着手した。結果は惨敗、自分の読解力・国語力のなさを再認識しただけだった。 自分の知力の限界を超えて読み進めながらも、名言のようなものがそこかしこに散らばっているのはかろうじて理解できた。あと松尾芭蕉がただの旅好きなポエマーではなかったのだということも。 「数学的発見」へ至る思考のプロセスに関するお話はあまりにも独創的な気がしたけど、作者のwikiに『その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず、「岡潔」というのはニコラ・ブルバキのような数学者集団によるペンネームであろうと思われていた事もあるという』と書かれてるのを読むと、あながちバカにできないなあと感じた。しかしむずかしい~。
0投稿日: 2013.09.06
powered by ブクログ数学者が書いたエッセイ集。63年に出版されており、古い部分もありますが、人間性、情緒、宗教、藝術などに幅広い関心を持っていたことが伺えるほっとするような本です。「宗教はある、ないの問題ではなく、いる、いらないの問題」という説明はこの方自身の宗教性を物語っています。1901年生まれで京大卒の方だけに、その当時の京都を感じさせる記述が多く、これもこの本の喜びです。50年前から日本の教育に対する強い道義教育が失われる!という危機感、を持っておられたとは驚きです。シューマンの音楽、相撲の柏戸の負けっぷりが好きなども人柄を感じました。
0投稿日: 2013.08.15
powered by ブクログ大数学者 岡潔氏のエッセー。エッセイストとしても相当だったらしくこの文庫本も毎日新聞、角川文庫、光文社と出版社を変えて復刊されている。 数学者という理系の大元締めの視点をお伺いしようと思っていたが、まったく逆。数学こそ情緒という。文化芸術に対する造詣の深さはそれを裏打ちする。そうやって両立というかたしなむというか、理想像を見た気がする。また教育についても大いに一家言があり、戦前戦後の教育の良し悪しをすぱっと切るが、実はいまこの社会にも全く持って通用する批評であった(つまりは当時から全く進歩していないことなのかもしれない)。ローマ時代に対する厳しいコメントが1つ2つあったがそのあたりを掘り下げて知る機会があればと思う。
2投稿日: 2012.10.08
powered by ブクログ数学者が書いた本。 数学者になったくらいだったから、神童とでも呼ばれたような幼少期かと思いきや、実はちょっと反応が遅い子供だったらしい。 留学するときに、ある教授にあこがれてフランス行きを希望するが、役人からドイツに留学するように勧められたり、情報教育が抜け落ちている戦後の教育制度に疑問を提示したりしている。 自分にもっと深い背景理解があれば、もっと楽しめる本だと思うので、いつかまた読みたい。
0投稿日: 2012.07.06
powered by ブクログエントロピー増大法則に従って、世の中はどんどん乱雑になってきてるんだろうなぁ~ 言い方を変えるとこの世は汚れる一方ということもできる。 エネルギーを使えば使うだけエントロピーは増大して世界は汚れていくのだから、その解消のためには戦争しちゃうしかないんだけれども、戦争も純粋な消費、破壊行動にならなくなっちゃってるから、またまたエントロピーは増大して汚れていくという結果に… でも、ごくまれに岡さんみたいな純粋さを内に養える人も出てくるから、この世の中も何とかもっているんだろうな。ありがたい。 自然というか宇宙というか…まぁ自分の外部から差す光みたいなのがあって、心に塵が積もってしまうと、それが心の奥底まで届かなくないのだそうである。 そういった心の奥底まで届いた光に照らされることによって、自然や宇宙の真の調和を見出すのが数学というものらしく、岡さんは、そういうことの鍛錬に日々暮らしておられた方で羨ましい。 そんな感じのものを真智というのだそうだけど、このように羨むような気持ちは、もちろん、心の塵の一つなので私は盲智、邪智をなかなか取り去れないでいる。 それにつけても、自分の子供を筆頭に若い人達には誠に申し訳ない世の中にしてしまったと考えずにはいられない。せめて、まずは自分から少しは心の垢を取り去りたいなと思う。
0投稿日: 2012.07.01
powered by ブクログわたしはどうも数学者が好きみたいだ。偉そうに教育を語る教育者よりもよっぽど確かな教育者なんじゃないかな。
0投稿日: 2012.04.17
powered by ブクログ日本の誇る数学者、岡潔(おかきよし, 1901-1978)の有名な随想集。 岡潔は世界中の数学者が挑んでも、1問解くのに100年はかかるといわれた「多変数函数論」の三大難問を一人で解いた大天才で、文化勲章受章者。 数学者の随想というと、藤原正彦の記した「国家の品格」は読んでいたけども・・・。 この本は、毎日新聞に掲載された「春宵十話」に併せて、「春宵十話」後に出された随想も掲載されている。 『情緒』の重要性を繰り返し述べておられ、岡潔の愛した絵や小説、音楽や歴史など、かなり多くの方面に対する岡潔の『情緒』が紹介されている。 時代も違うし、分からないことも多々あったのだけども、本当に魅力的な人だと感じた。 また、この時代からも、やはり教育に対する憂慮を吐露されており、また、明確な形での提言もされている(もはや現代では実現不可能な提案だが・・・)。 岡潔の、そうとは言わずとも、日本を愛する気持ちが滲み出ている気持ちのよい書だった。 僕自身の浅はかさを確認する上でも、繰り返し読みたい本。 ---------------- 【目次】 春宵十話(「人の情緒と教育」「情緒が頭をつくる」「数学の思い出」「数学への踏み切り」「フランス留学と親友」「発見の鋭い喜び」「宗教と数学」「学を楽しむ」「情操と智力の光」「自然に従う」) 他 宗教について/ 日本人と直観/ 日本的情緒/ 無差別智/ 私の受けた道義教育/ 絵画教育について/ 一番心配なこと/ 顔と動物性/ 三河島惨事と教育/ 義務教育私話/ 数学を志す人に/ 数学と芸術/ 音楽のこと/ 好きな芸術家/ 女性を描いた文学者/ 奈良の良さ/ 相撲・野球/ 新春放談/ ある想像/ 中谷宇吉郎さんを思う/ 吉川英治さんのこと/ わが師わが友 ----------------
0投稿日: 2012.04.07
powered by ブクログ最近読んだ複数の本の中で、引用されていたり紹介されていたので、「原本を読もう」と思い、手にとりました。 著者は1901年生まれの数学者。 困難な課題に取り組み、1960年には文化勲章を受けています。 今から50年近く前に、この高名な数学者が毎日新聞社に連載した文章をまとめたのが、この一冊です。 キーワードは、「情緒」「教育」そして「数学」。 日本が他国より秀でていたのは情緒であったのに、戦後の日本の教育は、理性に偏っている。 理性に偏った教育を見直さなければならない。 このような主張が骨子にあり、著者が感じた(当時の)事例や危機感を、書き出しています。 そして数学とは、真の中にある調和を見出すことであり、美の中の調和を見出す芸術と合い通じるものがあると、説明しています。 僕は、冒頭の「数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。」という一文を読んで正直、「理解できない」と白旗をあげてしまいました。 文章が難解であること、そして数学は理性の代表的な表現形態であると、僕は捉えていたので、根底から理解できなかったのです。 しかし諦めずに読み進めていくうちに、著者の考えが繰り返し、表現を変えて説明されているので、おぼろげながら理解することができました。 その上で感じたのは、冒頭の一文を読んで理解できなかった自分などは、戦後の教育が理性偏重だという、まさにその事例だなということ。 戦前に成人した人の文章を読んでいて、「何かが根本的に違うな」と感じていたのですが、その理由の一部が、この本を読んでつかめた気がします。 戦後の、「経済的な豊かさ(のみ)を求める」という社会、教育は「欲に生きること」の変形、それに対して、戦前の教育というのは、「正しく(美しく)生きる」ことを目指していた。 単純化してはいけないのでしょうが、そのように考えることで、日本人の考え方がどのように変わったか、イメージすることが出来ると感じました。 大震災の後、「日本らしさ」「日本の良いところ」といったことが改めて議論されていますが、表面的な議論にしないためには、この本に書かれている「情緒」というものを、今一度見直す必要がありそうですね。 自分が生まれる前に書かれた本ですが、新たな視点を与えてくれる、刺激的な一冊でした。
0投稿日: 2012.03.18
powered by ブクログ完全な主観ですね。 自分の経験側をもとに,人間の本質は情緒だと断言している。 子供にどう教育すべきかなどが書かれている。 こういう本好きです。
0投稿日: 2012.01.02
powered by ブクログ「人は動物だが、単なる動物ではなく、渋柿の台木に甘柿の芽をついだようなもの、つまり動物性の台木に人間性の芽をつぎ木したものといえる」 なるほど、なかなかわかりやすいですね、先生、ってことで先生がどんな主張をしてるのか読んでみると。 ・戦前と比べて初潮が平均して三年早くなったのは、栄養状態の改善などではなく、人間性を軽視して動物性を伸ばした教育の結果。 ・最近の学生の智力を測るために先生が友人の一人と得意な連句を試みた結果10秒、先生が学生にただちにわかるはずの問題を出した結果三日かかったので最近の学生の智力は1/27000。 ・近頃の若者は大脳前頭葉に良くない刺激を与えた教育の結果、鼻のかたちが以前と著しく変わってしまった。 ・等々。本当まだまだあるので等々。 ……なるほど!先生は実例をもって冒頭の主張を証明してくださってるわけですね!どんなに知的素養を持っていたところで学問という接ぎ木をしなければ良い実がなることはない、すなわちこのようになってしまうと!思いて学ばざれば即ちあやうし!まさにあやうし! と、まあ、そんな本。あるいはただの妄言。老人ホームの介護士な気分。
0投稿日: 2011.12.31
powered by ブクログなんで購入したか失念。 自分の母が、岡先生のいる奈良女子大に行きたかったが、学資の関係であきらめたと言っていたのが記憶にある。昭和一桁の母の年代では人気の教授だったらしい。 自分は、正直いって、数学は高校まではクイズのように解いていたが、大学ではまったくついて行けず挫折した。 数学は、ちょっとトラウマになっている。 岡先生のこのエッセイを読むと、数学者が、難問を考え込んでいて、ふと筋道がみえるといった、解法をみつけたときの状況がわかりおもしろい。 自分も、法制局の宿題、財務省への説明方法など悩んでいるときに、ふとしたときに解決策が思いつくことがある。みんな、頭の使い方は一緒だなと思う。 (1)私の生活のやり方は、一言でいえば自然に従うということである。(p51) (2)私の場合はこの垢(智力の垢)を除くのに念仏が役立っており、念仏につれて身も心も軽くなり騒音を騒音と感じなくなる。(p67) (3)こまっしゃくれたクラス活動、グループ活動もいっさいいけない。そんなひまがあれば放任して、遊びに没入させることに越したことはない。(p139) 岡先生は、とても靜かな心でこのエッセイを書いていることがわかる。読んでいて心が静まってくる。 自分も最近、ふとこころが静まることがある。明鏡止水の精神ということか。これも毎朝読書を続けているおかげかもしれない。
0投稿日: 2011.12.25
powered by ブクログ角川文庫版、昭和44年の五版だが、内容は同じとする。 ■内容 ポイントは二点と感じる。 ①日本の情緒的感覚と情操 ②情緒教育 おおよそ、以下を主張する。 ・数学の根本は調和である。 ・日本の情緒感覚は調和を理解するには大変によろしい ・日本は、情緒情操を教育でよくよく育てるべきである ・芸術と数学は「調和」という観点で共通する。 ただし芸術は要所で過去を振り返り、いままでの道筋を確認する 数学は、先の道筋を考える点が異なる。 ■感想 ご意見は、その通りかと思う。 数学者らしく、大変にもの言いがよい。これは最近で言えば養老孟司のような感じだ。 「昔より今のほうが、どんどん悪くなってきている」という主張は、昔からある。いわゆる世を憂う気持ちであろう。現実、そんなにも悪くなっているのかはなんともいえないなぁと改めて思う。 幾分宗教的な部分があるが、ここは差っ引いて読んだ。
0投稿日: 2011.12.17
powered by ブクログ「情緒」を中心として書かれたエッセイ。タイトルもそうだが、一つ一つの言葉がきれいで、読みやすい。 あまりエッセイは好きではない方だが、最後まで楽しく読めた。 気に入った言葉は、「春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいい。」「咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。」
0投稿日: 2011.11.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
何をするにしても「情緒」が醸成されていることが重要 →同意見。教育には一番重要なことだと思う。 【その他、印象的な点,言葉】 ・人が悲しいと自分も悲しいと言う洋服屋さんがいた。岡潔によると、これは宗教的な考えらしい。 ・よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのではおのずから違うというだけのことである。 まだ途中までしか読んでませんが、小林秀雄との対談「人間の建設」を読んでみたいと思いました。
0投稿日: 2011.10.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
自分はこの本に出会うまで岡潔という数学者を知らなかった。 本屋でたまたまこの本を見かけて、本の題名に魅かれて手にとってしまっただけのこと。 『春宵十話』 魅力的な題名だなと思う。 数学者ってどんな事を考えているのか気になって、本を開いていてみる。 なんか理屈っぽいような、まるで数式のような文章があるのかと思いきや、 情緒豊かな人間の随想録だった。 学者っぽくないw 野を歩いて、その中で草花を見つけるかのように、 数学を発見する姿がなんとなく目に浮かぶ。 この人が、この『春宵十話』で言わんとすることは、 はしがきに要約されているのかなと思う。 ▽▽▽▽▽▽▽ 人の中心は情緒である。 情緒には民族の違いによって色々な色調のものがある。 例えば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。 ・・・ △△△△△△△ 情緒が重要だということ。 情緒が欠けた人間が、 人の心の悲しみをわかるだろうか? 人の心が分からなければ、 緻密さがなくなり、粗雑になる。 粗雑。 それは、対象を見ずに観念的にものを言っているだけ。 つまり、対象への細かい心配りがない。 それで学問ができるだろうか。 そして、戦後の教育は子供たちの情緒をを育んではいないのではないかという不安。 以上のことを中心に語られていたと思う。 ・・・とりあえず! なかなか、どうして、情緒豊かな数学者の話だった(笑) あと、数学なんて何の役に立つの?なんて言う人が時々いるけど、 この人はこう答えていた。 ”・・・スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ” 役に立つ立たないなんて、考えるまでのないことだと、そう思う。
0投稿日: 2011.10.01
powered by ブクログこういうお話は、もう少し若い頃に読みたかったです。が、若い頃だと理解不能だったかも。 高校生の頃に、この随筆に触れていたら、たぶん進路は変わってたかな。上手く言葉にできないでいるもやもやしたことのいくつかを、すっきりしてもらえたとも思います。必ずしも全てに対して、なるほどとうなずけるわけではないのだけれど、こんな視点もあるのかと、別の意味で頷けるところがいくつもありました。
0投稿日: 2011.06.04
powered by ブクログ昭和の大数学者である岡潔による随筆集。 岡潔という一芸を極めた大数学者を通じて改めて本質的な教育の在り方であったり、敗戦を経て変化した日本人の様子がよくわかる一書。 子供の頃から与えられる表面的な教育ばかりだからこそ、子供は育つ過程で情緒や感受性を失い、結果的に創造性を喪失し単なるシステムに従事する人材しか生み出さない世の中になった。 岡潔の指摘するところは戦後から現在に至るまでの戦後教育の弊害と本質的な教育の在り方の部分であり、昔の日本人が如何なる気質で学問に打ち込み、幾つもの偉大な業績を残すまでに優秀だったのかがよく理解できる。
0投稿日: 2010.07.09
powered by ブクログジアスニュース編集長有福さんとGreenTV編集部長岡さんが二人同時に読んでいたらしい岡潔さんの本。「絶対好きだと思う」と奨められた。ロマンス力に溢れているらしい。楽しみ!
0投稿日: 2010.04.10
powered by ブクログ昔の角川文庫でぱらぱらと再々再読してます。研究者のMotivationをあざとい形ではなくさりげなく高めるには良い本です。情緒的・詩的という面では寅彦に比べきもありませんが..(比べる必要も無いし)
0投稿日: 2010.01.07
powered by ブクログ実感覚から滲み出た、スパリスパリと切れるような論は、数学者だからこそ書けるものなのであろうと感心。嘘くささや媚びがまったくないのもいい。 それでいてユーモラスでもある。 「ちなみに○×試験であるが、あれは一体何だろう。パチンコの一種だろうか」
0投稿日: 2009.12.07
powered by ブクログ21/10/21 数学の美は分かりづらい。今も昔も教育は難しい。 本当の数学は黒板に書かれた文字を普通の目玉で見てやるのではなく、自分の心の中にあるものを心の目で見てやるのである。これを君子の数学という。この方法でちゃんとやれば、白昼の光の中に住むことができる。自分で自分がわかるということなのだから、計算などというまだるっこいことをしなくても、直観でわるのである。 教育>何よりいけないことは、欠点を探して否定することをもって批判と呼び、見る自分と見られる自分がまだ1つになっている子供たちにこの批判をさせることである。 人は壁の中に住んでいるのではなくって、すき間に住んでいるのです。むしろ、すき間でこそ成長するのです。 本当によいものとはこうしたもので、つまり自分で自分が良くわかるということにつきるのだろう。
0投稿日: 2009.10.21
powered by ブクログ数学者・岡潔のエッセイ集。専門の数学のほか、教育、社会、人生などについて語った一冊。もとは新聞連載だったそうだが、数学者としての人生の歩みなど興味深い箇所が多々あった。 数学者の藤原正彦の本は以前から読んでいたが、こちらがその源流か。論理より情緒を重要視する視点は数学者に共通なのかもしれない。とはいえ、少々古めかしく、かつ説教臭くもある。
0投稿日: 2009.09.24
powered by ブクログ非常に深い一冊である。数学者の本というのは、なぜこれほどにまで含蓄があるのだろうか。「数学の本体は調和の精神である」という指摘、「数学は語学などではない」、「数学と物理は全く異なる」という認識などは深く深く染みてくる。 調和の精神とは何か?数学を専門としている自分には(ほとんど勉強してないけど。。)さっぱり分からない。 数学と語学は何が異なるのか?個人的には、数学は世の中の事象を数式という共通言語で描写したものだと考えていたが、この大数学者は違うと言い切ったのだ。検討してみたい。 この本を最も感じた事は、やはり数学も自然科学なんだ、という事だ。個人的に、物理や化学・生物とは異なり、自然に立脚しているのか?という疑問があったのだが、なんとなく分かった気がする。自然のリズムを最も反映しているのが数学なのではないか。 教育に対しての考察が多いが、あまり詳しくないのでここには書かないが、教育に興味ある方はご一読をお勧めします。
0投稿日: 2009.08.16
powered by ブクログ【2008/09/23】 数学者の岡氏の随筆集。毎日新聞に連載された春宵十話に始まり、教育、宗教、数学の極意といった話題にうつっていく。詩的な言い回しが多いだけでなく、一芸に秀でた人だけあって洞察が鋭く、目の覚める思いだった。 ●春宵十話 ・p33「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。」 ・p36「種子を土にまけば、生えるまでに時間が必要であるように、また結晶作用にも一定の条件で放置することが必要であるように、成熟の準備ができてからかなりの間をおかなければ立派に成熟することはできないのだと思う。」p38「発見の前に緊張と、それに続く一種のゆるみが必要ではないか」 ・p51「私の生活のやり方は、一言で言えば自然に従うと言うことである。」
0投稿日: 2008.09.27
