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司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰・龍馬・晋作の実像
司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰・龍馬・晋作の実像
一坂太郎/集英社
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総合評価

27件)
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5
8
8
2
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    司馬遼太郎の罪は重い。ある意味日本人の歴史を変えた人。子供の頃に読んだ司馬遼太郎を大人になって改めて読み直したら違和感を感じたので読んでみることにしましたが、想定通りでした。

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    投稿日: 2025.02.19
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    松田松蔭にも、坂本龍馬にも、高杉晋作にも全く思い入れがないので、そっかー、そう言うもんだよなとしか感じなかったのは、そもそも司馬遼太郎を読んでないからかと逆説的に気がついた。 司馬遼太郎って、燃えよ剣と、新撰組血風録しか読んだことがない。 面白かったし好きなんだが、小説だよなと言う以上に、事実として信じたこともない。 小説ってなそう言うもんでしょ。 それを、事実を差し置いて歴史として、「定着」させてしまった司馬先生の力量たるやと言うか、やばいと思ったらちゃんと否定しろよと思ったんだが、先生自身も、自分の小説を事実と信じていたのか。 その辺はよくわからないし、それを検証する内容でもない。 司馬史観を枕に、実際に資料から読み取れるのはこう言うことだよという内容。 龍馬晋作に思い入れのない人にはどうってことのない、思い入れある人には、目にも触れたくない本なんだろうと思う。 読みやすい。

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    投稿日: 2024.04.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    司馬遼太郎に絡み過ぎとも捉えられなくもないが、それだけ影響が大きくなり過ぎているとも言える。 空白を想像で埋めるだけではなく意図的に捨てている史実もあることは、もっと知られていいかもしれない。 雇い先である山口の人々に忖度が一切ないのが良い

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    投稿日: 2024.01.30
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    俗にいう司馬遼太郎の描いた幕末史・通称司馬史観に異を唱える一冊。 自分も思春期に司馬の本をたくさん読んで影響を受けてきたが、通説から飛躍しているものも多く、その記述が飛躍してたり誤っていたりするものも多いことを改めて知った。

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    投稿日: 2023.10.28
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    司馬批判が入り込んでいるのが個人的に残念。もちろん批判されるべき点はあるけれど、感情が先に立ち過ぎ。この挿話こそ小説に書いて欲しかった、とか言うのは批判にならない。もっと淡々と事実との比較で創作部分を炙り出して欲しかった。

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    投稿日: 2022.08.15
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    『竜馬がゆく』『世に棲む日日』を題材に、偉大なる国民的エンターテイメント作家・司馬遼太郎の筆力の源泉を検証する一冊。 史料のない部分について自由に想像の羽を広げ、史料の取捨選択において歴史家とは異なる選択をし、民明書房を縦横無尽に活用する。本文中にカッコつきの「司馬遼太郎」を登場させるメタ文学の使い手でもある。 そのようにして書かれた小説は、歴史をシンプルな形に再構成するので、より多くの人に受け入れられやすいものとなった。歴史の真実を知るために読むべきものではないことが、よくわかる。   司馬遼太郎が執筆を始めると神保町からその分野の本がゴッソリなくなる、というエピソードがあちこちで書かれている(1か所から拡散したのかも)。本書を読んでみて「そのエピソードは単純な感嘆ではなく、皮肉、毒舌の類なのかも」と思った。 史料の価値を判断する能力がないのか、玉石混交の資料の山から面白ストーリーを書くのに役立つ資料を選び出す能力に秀でていたのか、どちらが真相なのかはわからないが。

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    投稿日: 2018.12.30
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    タイトルを見て本屋で衝動買いをした一冊。 『竜馬がゆく』『世に棲む日日』で司馬遼太郎氏が描いた、坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作の人物像や内容などに対し、実際の資料などで判明している事実を比較しながら、司馬氏の著書の課題を提起しています。 個人的に、司馬氏の幕末に関する歴史小説は複数読んでいますが、あくまで小説であり、実際の史実とは違うことを前提に読まなないといけないことは、読む者の責任としてあると思う。一方、これらの作品は発表されてから時間が経ち、新たに発見されたことも多いはずであるし、あえて司馬氏が描かなかった内容を取り上げ、「これが書かれていないのは問題だ」ということを繰り返し述べる姿勢は、あまり共感できない。 この本に限らず、描く人によって視点が違えば内容に差があるのは当然。司馬氏はあえて描かなく、創作によって物語を作ったことで読者に支持され「国民作家」となったも言えるので、一方的に内容を信じ込む読者にも問題がある。読者のリテラシー能力にも課題を投げかけている一冊であると感じた。 <目次> 第1章 吉田松陰と開国 第2章 晋作と龍馬の出会い 第3章 高杉晋作と奇兵隊 第4章 坂本龍馬と亀山社中 第5章 描かれなかった終末

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    投稿日: 2018.12.22
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    司馬遼太郎氏の小説(あくまでも小説)は好きで 学生のころからよく読んできました。 大体のものは読んだのではないかと思います。 また今、街道をゆくを最初から読みはじめました。 確かに、氏の小説は小説であることは重々理解している つもりですが、本書にもありますが、どこまでが史実で どこからが創作なのかがよくわからない部分があり、 史実のほうがあまり面白くなかったりすることが あるのは確かだと思います。 ただ、本書にもありますが、だから司馬氏の小説の輝きが 失われることはないし、司馬氏が書いた登場人物像を 完全に否定してかかる必要もないことについては全く 同意します。 司馬氏の小説を読んだときのわくわく感や、 登場人物に対する、思い入れ、親近感や一体感は、 本当に楽しいし、また自分を見つめること、見返すこと、 その道筋を感じることが糧になるものだと思います。

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    投稿日: 2016.05.07
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    司馬遼太郎が国民的作家であるがゆえに作品に登場する人物たちの評価やイメージを決定的にしてしまい、そこには歴史家としては看過できない創作や司馬の意図が下地となって歪められていると指摘し、作品を引用しながら特に松陰、龍馬、晋作について史実をあげて丁寧に誤解を解いている。 古くから指摘されている司馬史観批判であり、大の司馬ファンの私からすると反論もあるのだが、確かに司馬の作品では司馬自身が、時折、天の声のように登場し、「翻って考えると・・・・と言っていい」などと言う表現で読者に強いイメージを与え誤解を与えてしまっているのも事実。 この本は司馬の価値を下げると考えるのではなく、ファンとしてどの部分が史実で、どこが創作なのか、一段深い作品の楽しみ方を与えてくれるものとして推薦したい。

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    投稿日: 2016.02.14
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    実は司馬遼太郎作品を一つも読み切ったことがありません。ドラゴンボールやワンピースと同系列のはずなのに、さも史実のように、日本人かくあるべし的に推されるのが違和感でして。んなわけないでしょ、と(※ただし僕が唯一最終回まで見た大河ドラマは「龍馬伝」)。本作は、司馬さんの記述にツッコむスタイルに終始するのが残念で、もっと半藤さんのように「こうです」と別筋を提起しても良かったんじゃないかと思う。

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    投稿日: 2015.07.05
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    松陰、松陰門下の研究では第一人者の一坂氏の著作。 司馬遼太郎の作品はあくまでも『小説』であって虚構がある事を丁寧にふんだんな資料で説明してゆく。 これは解っていても司馬遼太郎ファンには切ないことだろうと思う。私も司馬遼太郎は好きなので気持ちは分るつもりだ。だが、筆者は決して司馬遼太郎を否定しているのではなく、『虚構を持ち込んが背景、理由』も考え提示する。そして理解を示す。著者が司馬遼太郎を敬愛していることが解る。 一面で『維新の英雄』として小説に描かれた人物を政治家等が盲目的に尊敬し、「私の理想です」という態度には批判的だ。私も同感。小説の登場人物を理想にしてはいけないだろう。 若いときに『三国志演義』を読んでいたく感動し、その後『正史三国志』に進み、研究書にも接したが、その時の失望と新たなおもしろさの発見を思いだした。

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    投稿日: 2015.05.18
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    [ 内容 ] 国民的作家として読み継がれている司馬遼太郎。 そのあまりの偉大さゆえに、司馬が書いた小説を史実であるかのように受け取る人も少なくない。 しかし、ある程度の史実を踏まえているとはいえ、小説には当然ながら大胆な虚構も含まれている。 司馬の作品は、どこまでが史実であり、何が創作なのか? 吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作が活躍する司馬遼太郎の名作をひもときながら、幕末・維新史の真相に迫る。 [ 目次 ] 第1章 吉田松陰と開国(『竜馬がゆく』と龍馬「愚童」説;象山塾入門を無視した司馬の意図 ほか) 第2章 晋作と龍馬の出会い(晋作、佐久間象山に会う;『世に棲む日日』に登場しないもう一人の師 ほか) 第3章 高杉晋作と奇兵隊(松陰改葬に秘められた政治目的;「三枚橋の中の橋を渡った」のは本当か ほか) 第4章 坂本龍馬と亀山社中(龍馬と横井小楠の会談;亀山社中創立時に龍馬はどこにいた? ほか) 第5章 描かれなかった終末(長州藩の戦意高揚作戦;英雄に甘かった司馬遼太郎 ほか) [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]

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    投稿日: 2014.10.26
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    本書は司馬遼太郎の名作「世に棲む日々」、「竜馬がゆく」に描かれる吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬といった幕末の英雄像に対して、歴史の専門家の立場として史実に則った検証を試みているものである。 作者は国民作家である司馬遼太郎の作品を通して描かれる英雄像に対して、国会議員をはじめとして無邪気に受け入れる読者への影響を危惧しているらしい。ところどころ「司馬史観」に対する危惧が感じられる。 Amazonのレビューではかなり高評価が多いのだが、ボクとしては本書の意義が感じられない。 影響力が高いとはいえ司馬遼太郎が描いたものは歴史小説なのである。けして歴史書ではない。 小説家は『ものがたり』を紡ぐのが職業であるため、当然のことながら物語のストーリーを重視して描くものである。乱暴な言い方をすると「嘘ついて客を喜ばせてなんぼ」の商売である。 それに対して、いちいち『小説の中ではこうだが、史実は異なる。実際はこうであった。なぜ司馬遼太郎はこれを描かなかったのか?』といちいち反論することになんの意味があるのだろう? 司馬作品の時系列に対して実際の吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬の行動・判断はそれぞれこうであったという資料に基づいた検証ということであれば、そういうスタンスでまとめたほうが歴史好きなボクとしては素直に受け入れやすい。 いちいち司馬作品の中身に触れての反論というスタンスは、作者自らが危惧している司馬遼太郎の影響力を当てにしてのプロモーション的な意味合いがあるのではないかとかえって穿った見方をしてしまうのだ。 そういう意味では、ボクにとっては本書は非常に残念な印象なのである。 あくまで司馬作品に対する検証というスタンスを崩したくないのであれば、歴史家としての検証だけでなく、『史実はこうだが、なぜこのとき司馬遼太郎は異なるストーリーとしたのか?時代背景を考慮すると司馬遼太郎の思惑はこういうところにある。また、前後のストーリーを考慮するとこの流れが自然である。』とか文芸批評のような形でまとめるべきではなかったか?と。

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    投稿日: 2014.09.29
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    司馬さんの小説が事実と思っている人は案外多い。英雄視される小説上の晋作、松陰、龍馬についての文献と小説の差異を客観的に指摘している本。但し書ききってないようなので読後は、消化不良感が残る。司馬さんは英雄伝を書き、通説を事実と思わせる書き方をたまにするので、その事を理解して小説として楽しむのは良いと思う。

    0
    投稿日: 2014.09.23
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    司馬遼太郎は作家であって歴史家ではない。わかっていても読んでる間はのめり込んじゃうんだよねー。書かなかったことを列挙することで司馬の作家性が浮き彫り になって逆に凄いひとだと思えてくる。実は個人的に吉田松陰がちょっと苦手だ。理由は常にテンション高そうだから。疲れそう。実際どうかは知らないわけで、そ ういう印象のほとんどがフィクションからきてるのだろうが、松陰には大和魂で爆走して欲しいし、晋作は将軍に野次とばして欲しい。龍馬は薩長同盟に裏書きした にいちゃんぐらいの感想しかないのでわりとどういうのでもいいです

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    投稿日: 2014.09.19
  • 司馬遼太郎が描かなかったこと、例えばある”テロリスト”のこと。

    歴史小説家の腕の見せ所は、「史実」をどう味付けするかだ。当然、その「材料」たる「史実」を知っておくと、料理人の腕前に対してもよくわかるだろう。 そういう意味で、本書は、司馬遼太郎作品の愛読者にお勧めしたい。 「史実と違う」というのは歴史小説にとっては別に悪いことではない。 信長が女だったり、本能寺で死ななかったりする小説だってあるではないか(笑) が、司馬遼太郎の作品は、いささか「歴史書」のような体裁を取っている。 様々な文献を分析をし、考察をしながら物語を進めていっている。 だから、作品を読んで「歴史をわかった」ような気分になってしまうこともある。 が、あくまでも小説である。小説は自由である。 書きたいことを書き、書きたくないことはかかなくてもいい、そんなものである。 司馬遼太郎の歴史小説は個人の成長小説であり、一種の教養小説でもある。 だから、ストーリーとして必要のない「史実」は削ってあるし、実際にはなかったエピソードも挿入されている。だから面白いのだ。 だが、何がカットされたのか、何が挿入されたのかを知り、その背景を考察するともっと面白い。 たとえば、幕末といえばテロの季節だ。至る所で暗殺が横行していた。また、それを肯定し、称賛するムードがあった。 教育者・思想家として知られる吉田松陰も、明治・大正期にはテロリストとして名を馳せていた。 が、司馬遼太郎はあえてその側面を避けた。それは、司馬自身がテロ否定論者であり、また、司馬遼太郎の生きた時代事態がテロを否定するムードであったことに起因するのだろう。 だから、司馬遼太郎の描く吉田松陰はテロリストではない。それで良いではないか、小説なのだから。 「歴史書」と「歴史小説」がどう違うのかについて気になるならば、 小田中直樹『歴史学ってなんだ?』を参照されたし。(Reader Store内にあり、レビュー済)

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    投稿日: 2014.09.12
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    中学生の頃に”竜馬がゆく”を読み憧れ、何度も読み直してる。 全8巻を人にあげたことも2回あるw そして、卒論も坂本龍馬。 ”坂本龍馬日記”という当時の最新資料を読みながら、”竜馬がゆく”ではない龍馬を発見。 山岡荘八さんの”徳川家康”を読んでから司馬遼太郎さんに対する”?”も生まれたから、卒論作成時から色々想うところあり、本書も全然違和感無く読めた。 ってか、秀逸。 ただ、それでも坂本龍馬が魅力的なのは変わらない。 あ、何度も伝えてるけど、良ければ俺の卒論もw http://downpicker.com/sotsu.htm というわけで、本当に良い本でした。

    0
    投稿日: 2014.08.21
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    司馬遼太郎の著作から松陰、龍馬、晋作の事実と違う部分を書いています。司馬史観というより、完全な事実の歪曲という部分もあり見方を変える必要があります。小説として司馬遼太郎の著作は、信念を持った日本人の生きざまを示し勇気をくれるものと愛読していましたが、小説である事を再認識しました。ただそのことを差し引いても魅力ある小説であると思います。

    1
    投稿日: 2014.08.14
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    吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬、、幕末史を彩る英雄たちの活躍について、我々現代人が認識している歴史は、実は司馬遼太郎という稀代のストーリーテラーによって“創作”されたものが多い。 彼らの行動が日本の歴史を変えた、という英雄礼賛なコメントは多くの政治家や経営者から聞かれるものである。だがよくよく歴史を検証してみると、後付けで英雄に仕立て上げられたケースは枚挙に暇がない。 吉田松陰と坂本竜馬は実際には会っていないし、高杉晋作の辞世の句は亡くなる際に詠まれたものではない。。等々、我々が心を動かされるエピソードが実は司馬遼太郎による演出の結果だという。 もちろんそれは英雄たちの価値を下げることには繋がらないし、我々が得た感動が間違いだということでもない。それは個人に翻ってみても、想い出は美化されるし過去のそれぞれの点が繋がって一つの流れになる。 歴史は異能の傑物たちによってドラマティックに変えられるのではなく、市井の名もなき人々の暮らしの積み重ねこそが新しい時代をつくっていくのだ。

    2
    投稿日: 2014.07.02
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    司馬作品を数多く読み、幕末のこの国の歴史にある程度詳しく又歴史好きの読者ならば、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作らの考え方、生き方をもとにこの本を参照できるだろう。 司馬作品は小説である。小説には当然作者の考え方でつくられる場面や考え方が登場する。ゆえに、司馬遼太郎が描かなかった・・・。と考察する姿勢については面白く参考にしたが・・・?「司馬史観」を恐れすぎかな?

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    投稿日: 2014.06.03
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    琥珀色の戯言より。◆◆司馬史観の弊害を再認識する。◆竜馬も晋作も作られた虚像である。◆◆特に明治に入ってからの奇兵隊の反乱のことや、わざわざ書かなかった部分の意味を考えると、考えねばならない。

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    投稿日: 2014.05.22
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    司馬遼太郎の作品は、幕末物を中心に読んだけど、独特の呼吸を忘れるような文章の進め方と、息が苦しくなる頃に、逸話や作者の意見を織り込んでくる、話の緩急のつけかたが、話の内容にのめり込む要素の一つと思っている。一坂さんのこの本を読んで、改めて司馬遼太郎の作品を拾い読みすると、資料に裏打ちされたように、主人公達は生き生きと力強く行動している。それが、司馬遼太郎が創作した偽物の資料も混じっているとしても、「司馬さん、貴方、やってくれたね。さすが、小説家!!」と、思わずにはいられない。歴史の真実と小説の作られた部分とを、見極める目を読者はもたなければならないと、あらためて思った。

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    投稿日: 2014.03.28
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    資料を基に司馬遼太郎作品の内容について審議。史実として誤解することに警告する。フィクションであることは司馬自身も明らかにしており、歴史家でなく小説家であり、その評価が変わることはない。14.3.21

    0
    投稿日: 2014.03.21
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    一坂太郎『司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰・龍馬・晋作の実像』集英社新書、読了。「司馬で歴史を学んだ」という人が後を絶たないように、日本人の歴史観に大きな影響を与えたのが司馬遼太郎。しかし司馬小説はあくまでフィクションであり歴史教科書ではない。 http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0705-d/ 松陰はテロリストだし、龍馬一人で薩長連合を成し遂げた訳でもないし、晋作の奇兵隊も実像とは程遠い。本書は作品を読み解きながら歴史的事実との解離に迫る快著。根柢に流れるのは弱者を無視したヒロイズムで歴史を読み解く手法。英雄待望論で難挙打開への頼ろうとする精神文化は司馬遼太郎の副産物か。著者の手厳しい批判が痛快。 著者は司馬史観の問題を、特別な英雄が時代を変えてしまう「英雄史観」で貫かれていること、その人物を本人の好き嫌いで過大過小評価していること、そして重要な歴史的事件が意図的にスルーされていること。司馬遼太郎を読むなということではないし、この問題は司馬遼太郎だけに限られてしまう訳ではないが、どこか「ネットde真実」とつながっているような気もする。

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    投稿日: 2014.02.07
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    司馬遼太郎は好きで愛読しています。でも、確かに小説なので、創作していて当然なのですが、作品にのまれすぎて、その事を忘れていました。全て史実に基づいているわけではないと言うことを気づかせてもらいました。

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    投稿日: 2013.12.30
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    小説はあくまで小説であって、“史実”ではない。 “司馬史観”といわれる司馬遼太郎の作品に対して、 著者が客観的にするどく切り込む。 吉田松陰・坂本龍馬・高杉晋作の「本当の姿」が 見えてくると思います。

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    投稿日: 2013.12.22
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    龍馬さんが近江屋で亡くなってから146年が経ちました。 「もう、幕末関係の新事実は出尽くしたんじゃないの?」と素人の私などは思ってしまうのですが、ありがたいことにまだまだこうして新しい本が出てきます。 この本は今年、平成25年の9月に出版されたものです。 この本では、吉田松陰・坂本龍馬・高杉晋作を大々的に「英雄」として送り出した司馬遼太郎先生の小説を論じ、そこに描かれなかった「本当の姿」を映し出したものです。そこには松陰・龍馬・晋作だけでなく、その周りにあったものの、司馬作品には出てこない、それでも印象的な人たちも取り上げてくれています。 かく言う私は、司馬作品を今まで読んだことがありません。意識的に避けているところもあります。 私自身、趣味でとはいえ小説を書く身であるので、小説は所詮「小説」でしかないことなど百も承知です。ですが、小説であれ大河ドラマであれ、それを「史実」として受け取ってしまうひとが多いということに怖さを感じてしまうのです。それだけ「フィクション」だと言われようと、受け取る側がそう取らなければそれは「史実」となり、出典を知らないままに口伝えでそれがあたかも「史実」になっていってしまう、それはとても怖いことです。 実際、小説やドラマの中で使われた言葉がまるで龍馬さんが「本当に言ったこと」のように平然と使われ、それを商品として売られているものさえあります。 私が知りたいのはそういった「創作」ではなく「本当の言葉」なのですが、それがどちらであるのか調べるのでさえ困難なものもあります。 例えば、将軍家茂が孝明天皇の加茂行幸に随従したときの有名なくだり、高杉晋作が家茂に向かって「いよっ、征夷大将軍!」と野次を飛ばした一件。私はこれをどこで見たのか忘れてしまったのですが、すごく印象に残っていてすごく好きなエピソードでした。でもこれは実際には「創作」らしいのです。今回、この本でそのことを知り、結構衝撃でした。 一坂さんのこの本を読んで思うのは、すごく「客観的」だなあ、ということです。 研究者もひとりの人間です。個人的感情もあるかと思います。ですが、やはりそこに感情が入ってしまうと史料に対する正確な評価もできなくなります。 私の本棚の中には一坂さんの他の著書がありませんので、他の本も読んでみたいと思います。

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    投稿日: 2013.12.14