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powered by ブクログ経済小説の雄 高杉良が描くノンフィクション小説。 日系二世のアメリカ人 フレッド・和田勇は幼き頃の苦労を乗り越え、青果店を営んでいたが太平洋戦争が始まり肩身の狭い思いをしていた。 戦争が終わり、敗戦に打ちひしがれる日本だが、国際水泳連盟に復帰した日本水泳連盟は全米水泳選手権大会に日本選手を派遣することとなった。その選手たちの宿舎を求める新聞記事を見て、和田は私費ですべての選手を大会期間中、自宅に滞在させた。フジヤマのトビウオと呼ばれることとなる古橋、橋爪ら選手たちは、世界新記録を出すなどアメリカ人を驚かせた。古橋たちの活躍により「ジャップ」と蔑まれていた日系人たちは「ジャパニーズ」と呼ばれるようになる。 これが和田とスポーツの初めのつながりであった。 そして、ついに日本はオリンピック開催に名乗りを挙げることになった。 和田は、持ち前の面倒見の良さを発揮し、中南米のオリンピック委員の得票を目指し、各国を行脚した。その甲斐あって東京は断トツの得票数でオリンピック開催地に決まった。 和田は、東京オリンピックを実現させただけではなく、実業家として、祖国 日本を愛する一人として、アメリカと日本の懸け橋となって日米の交流を発展させた。 今の日米関係の礎を築いた偉大な人物としてこれからも語り継がれたい。
0投稿日: 2020.04.18
powered by ブクログ東京オリンピックを読んだ男、というテレビドラマが、2014年の10月頃に放送されました。そのドラマに感動して、その原作を買い求めたのが、今年(2015年)の初めころです。 普段は読みたい本がどんどん出てくるので、海外出張の飛行機の中で少しずつ読み進めました。映画を先に見ているからでしょうか、途中から読み始めても、すぐにその映画を見ている気分になれる、不思議な体験をしました。 この本は、フレッド和田という太平洋戦争が始まる前から米国に移民していた日本人が、自らの苦しい経験をバネにして事業を成功させるだけにとどまらず、自分の時間や資産を割いて、焼け野原になった東京へオリンピックを誘致した男の物語です。 テレビドラマは東京オリンピックまでの誘致に焦点が当てらていますが、原作であるこの本は、その後のフレッド和田氏の様々な活躍も詳しく述べています。 自分の寿命が尽きるまで、米国で働く日系人の幸せを願うだけでなく、それに向かって実行した力には頭がさがります。素晴らしい日本人を持つことができた我々の誇りですね。 感動した素晴らしい本でした。 2015年6月28日作成
0投稿日: 2015.06.28知られざる東京オリンピック(1964)開催の立役者
日系二世の実業家フレッド・イサム・ワダ(和田勇)。 和田は、出稼ぎ漁夫としてバンクーバーに渡った両親のもと、1907年にワシントンで生まれる。17歳で農作物の小売チェーン店に勤務し、二年後にオークランドで独立。日系人コミュニティの中心となって活動するも、太平洋戦争が勃発すると一部地域で日系人の強制収容が行われることになる。それに抗うようにユタ州へと移り、大規模農園を仲間と経営。 そして戦後、ロサンゼルスへ戻ると日本スポーツ界との交流が始まる。1949年、全米水泳選手権に出場する古橋廣之進ら日本代表チームの滞在先として自宅を無償で提供。食事や滞在中の一切の世話を行い、“フジヤマのトビウオ”古橋らが世界記録で優勝するなど、和田の支えのもと日本は戦後からのいち早い復興と存在を印象付けることとなった。 そこから和田は、日本からの様々な依頼に応える形で活動。58年、東京オリンピックを実現しようと動いていた東京都知事東龍太郎(60年からIOC委員)や日本水泳連盟の田畑政治らに頼まれ、日本への愛とオリンピックへの熱意、そして交渉力と日系人社会のコネクションを活かし、南米9ヶ国のIOC委員へ賛同依頼の行脚を行ったのだ。 結果として、その得票がポイントとなり、東京開催が決定。和田は知られざるヒーローとなる。 アメリカに生まれ、その土地に溶け込んで生きていきながら、一方で強烈に日本を愛し、私財を投げ打ってでも東京オリンピック実現しようと奔走した男。バカがつくほど正直でいい人である和田勇という人物を、日本人は忘れてはいけない。
1投稿日: 2013.11.05
