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powered by ブクログ戦争の「戦略」を実現するノウハウを「知略」とする。それを4つの参考例で紹介している書。 独ソ戦は、スターリン バトルオブブリテンは、チャーチル インドシナ戦争・ベトナム戦争は、ホー・チ・ミン イラク戦争は、失敗も含めた当時のアメリカ政府と軍上層部 各例は、具体的戦術を含む戦争概要と戦略の推移が分かりやすくまとめられて、参考になる。ただ、終章のまとめはやや恣意的で学術風の結論語りと、文章が上手くないのが手伝っていただけないかな。 ソ連軍は性別や民族に関係者なく動員をした。ソ連内のほぼ全ての民族が動員され、女性は前線に投入され、空軍パイロットや狙撃兵もいた。一方ドイツ軍は「純血アーリア人」にこだわり、兵数がどんどん減っていた。女性兵もいたが、全て後方部隊だった。しかも「人種戦争」ゆえに捕虜を労働力に使わず餓死させていた31
0投稿日: 2025.03.09
powered by ブクログ独ソ戦やバトルオブブリテンにおける趨勢の転換、ベトナムのフランスからの独立やアメリカとの戦争におけるベトナムの戦い方、イラク戦争におけるアメリカ軍の戦い方の変遷といった実例を通じ、戦略、そして知略やリーダーシップについて分析している。野中氏が35年生まれで、一番若い麻田氏が80年生まれと、かなり年代にバラエティのある4人の著者が章別に分担執筆しているが、内容・文体はよく統一されている。 内容は多岐にわたるが、ヒトラーも気まぐれなだけでなく戦争経済を考えて戦略を練っていたこと、スターリンも兵站や補給の重要性をよく理解していたこと、米軍は正規軍どうしの戦闘ではベトナムでもイラクでも常に強力であったこと、トランプ政権を(一時的に)支えたマティスやマクマスターといった軍人が湾岸戦争や対イラク戦争の前線で活躍していたことなどが印象に残った。 知略の本質を考察する終章は、事例を展開するそれまでの記述に比べると抽象的かつ難解であるが、「失敗の本質」の出版以降、戦略に関する数々の考察を繰り返してきた著者たちの現在の到達点と思えば、繰り返し読んで理解に努めることは意義があると思われる。
0投稿日: 2021.03.04
powered by ブクログ成功経験も失敗経験も、その経緯を言語化しておくことは大切なんだということを、改めて感じさせられた。 ただ、多くのケースは、目的の不明瞭さが、失敗を導くこともわかっているのにね。 わかっていてもできないのが、人間の性なのか。
0投稿日: 2021.01.04
powered by ブクログ201228読み応えある 何度も再読して血肉化したい 失敗の本質シリーズ 1.失敗の本質=組織の失敗を学んだ →「成功の秘訣」は「知の創造」にある 情報→知識→[本質・直観]→知恵 暗黙知 形式知 実践知 2.管理過剰を批判 バブル後のつけ リスクとる、人材・仕組み・風土を喪失 再構築が必要 3.独ソ戦 読み応えある ヒトラーvsスターリン トップの資質のレベル差 ソ連の犠牲者は甚大 2,600万人! 4.組織の価値理念 「人命を守る」 ゼロ戦は防御が手薄 パイロットの軽視 損耗激しく長期的には劣勢 5.理念価値観の重要性=本音
0投稿日: 2020.12.28
powered by ブクログ知略の本質を知るため、読みました。知略とは、情況と文脈に応じて具体的戦略を実践していくことです。知略の4つの要件は①共通善(共通する目的意識)②共感(相互主観性)③本質直感④自律分散系(実践知の組織化)でふ。知略の本質を洞察し理解すれば、どんな場面でも戦略を賢く実践できます。
0投稿日: 2020.10.31
powered by ブクログ久しぶりの野中先生の戦略・知略の本。 頭に汗をかくような、難解な内容ではありますが 最終章は、読みごたえがあって非常に有用な 内容でした。内容を絶対に頭に写真としてのこして おきない内容です。 SECIモデル。実践知リーダーの必要な6つの能力 知略の4つの要件。 これは覚えておきたい。
0投稿日: 2020.09.06
powered by ブクログレニングラード攻防戦、バトル・オブ・ブリテンをはじめ、おそらく戦史オタクでないとなかなか知らないであろう内容をこの本で読むことができた。しかし、これだけ詳細に書いてあるのはさすがでした。
0投稿日: 2020.08.02
powered by ブクログ野中郁次郎先生の"本質"シリーズの4冊目です。 "戦略の本質への答えは「知略」である。これは日々変化する状況下のもとで組織員一人一人の実践知によって「いま・ここ」に相応しい行動を取らせる唯一の方法である。" 知略とは、マネジメント・リーダーシップ領域の概念だと言う説明が冒頭になされている事からもわかる通り、焦点の当て方がスターリン、チャーチル、ホー・チ・ミンのリーダーシップ論に比重を置いているように思えました。『戦略の本質』でも取り上げられていた独ソ戦、バトル・オブ・ブリテンベトナム戦争が題材です。 以下、章別の気付きのサマリーです。 ■独ソ戦 国防軍のモスクワに迫る戦いが加筆されています。カフカス攻略と二面作戦である大戦中最も過酷な戦いであるスターリングラード攻防戦、最大の戦車戦であるクルスクの戦いを描きます。二正面作戦の前に東部戦線がそもそも二正面作戦なので、四正面作戦と言えなくもありません(北アフリカ戦線を入れたら戦線はもっと増える)。 何とあのスターリンが敗戦から学び謙虚になっていくと言う点が意外だった。試行錯誤を繰り返した者にのみ運(無傷の補給や冬将軍など)は味方すると言う点も納得。 ■バトル・オブ・ブリテン 航空戦であるバトルオブブリテンに加えて、大西洋の戦いが記載されているが、新たな発見をしたとは言い難いと感じました。 チャーチルとダウディングの"戦いの本質"を見抜く選球眼とそれによる、戦略的持久、テクノロジーの採用が、1941年までの英国の優れた行動と言う理解です。 ■ベトナム戦争 ホー・チ・ミン率いる北ベトナム軍が、開放戦線及び米国に毛沢東の遊撃戦論を下敷きに戦った方法を解説しています。 『戦略の本質』を読み返してみましたが、加筆修正されていたのは、対仏国のインドシナ戦争の部分です。ベトナム戦争は、インドシナ戦争の蓄積があったが故に勝利できたと言う事です。 ■イラク戦争 これは全くの新章です。ベトナム戦争の反省から確立されたドクトリンの元で完勝した湾岸戦争とイラク戦争までを描きます。 イラク戦争序盤が、純軍事的動機から行われていたのに対し、COINドクトリンを現地住民に融和的なものに改版して行った成功事例が説明されていますが、些か"何が成功要因だったのか"の踏み込みが甘いと思いました。結局、マッカーサーが日本を統治した時代に戻ってきたと言う事でしょうか。 シリーズ全般を通じて、純粋に読んでいて面白かったのは、2冊目の"戦略の本質"なので星4つ。
0投稿日: 2020.05.02
powered by ブクログ独ソ戦、バトル・オブ・ブリテン、ベトナム戦争、イラク戦争を題材に、勝者に共通する知略について解明した本。『失敗の本質』をはじめとする本質シリーズの最終巻である。分析が精緻で、勉強になった。役立つ記述が多かった。 「『失敗の本質』の最も主要なメッセージは「過去の成功体験への過剰適応」ということであった。日本陸海軍は戦略の本質を洞察せず、日露戦争で成功した戦い方に固執したために、大東亜戦争という異なる情況では失敗してしまった、ということになろう」p5 「ドイツ軍は70個の装甲師団を有し、各地で展開している。もはや歩兵師団といえども、多数の機械化部隊を持っていなければならない。ただドイツ軍の弱点は、補給地から前線まで、400キロ近く遠ざかっていることだ。これは機甲師団が先へ先へと行くからだ。補給地と前線の間を防衛するのは至難である。スターリンは、装甲部隊と兵站こそ、この戦争の鍵を握ると分析した」p19 「(スターリンの見通し)冬の間の戦場は、モスクワ、キエフ、レニングラードの戦線で、現在の地点から100キロも離れていない場所になるだろう。ドイツ軍が疲れ、攻勢に耐えられなくなったときが、ソ連軍には最も有利な時の1つだ」p20 「ソ連側に幸いしたのは、ドイツ空軍が、モスクワへ向かう鉄道や道路での輸送が活発なのを視認していたにもかかわらず、何の攻撃も加えなかったことだ。ソ連にはすでに予備兵力はない、と信じ切っているドイツ軍首脳部は、偵察飛行の報告を真剣に取り上げなかった。代わりにドイツ空軍は、モスクワ中心部と近郊の飛行場へ、爆撃を集中させる」p30 「飢えと寒さによる極限状態での戦いを強いられたのは、独ソ両軍とも同じだった」p37 「ドイツ軍は、対ソ戦の開始から1941年末までの半年間に、戦死者62万1308人、行方不明者3万5875人という、甚大な損害を出した。その合計は、東方に展開したドイツ軍の1/4を上回る。もちろんその損失は、同年末までに死者80万2191人、行方不明者233万5482人を出したといわれるソ連軍より、はるかに少ない。ソ連末期に公表されたこの数字も、少なすぎるという指摘すらある」p47 「スターリングラード攻防戦の主役を務めた両軍の戦力は、ほぼ互角だ。ドイツのB軍集団が30個師団、ソ連のスターリングラード方面軍は38個師団で、兵力は両軍ともおよそ100万人、戦車・突撃砲はドイツ軍の675に対し、ソ連軍は894だった。航空機はドイツ軍が1216機、ソ連軍が1400機である」p53 「ソ連兵士たちの正面には、ドイツ軍がいる。後ろには、逃亡を取り締まるソ連内務人民委員部の部隊がいる。双方から銃口を向けられたソ連軍将兵は、遮二無二戦うよりほかなかった。こうした監視は、ロシア革命後の内戦でも見られたもので、軍に対する共産党の不信感を物語っていた」p55 「チュイコフは、兵士たちを過酷な前線に叩き出す。ただ、自らも最前線で砲火に身をさらし、兵士たちと生死をともにしたので信頼された。戦時中に、彼はこう言っている。「ドイツの砲弾にいちいち首をすくめるくらいなら、頭をすっ飛ばされたほうがましだ。これが指揮官の心得だ。兵隊はそういうことをちゃんと見ている(ビーヴァー『赤軍記者グロースマン』)」また、こうも言っている。「ここでは、いかなる弱さも見せてはならない」「司令官は数千人の部下が死ぬのを見るが、そのことで動揺はしない。涙を見せていいのは、一人の時だけだ。最良の友がここで死んでも、巌のように立ち続けなければ(Hellbeck, Stalingrad)」p60 「ソ連は勝利した。推計によれば、この攻防戦でのドイツ軍の戦死、病死、餓死者は合わせて14万6000人である。ソ連軍は死者47万4871人、負傷者97万4734人と、さらに多くの犠牲者を出した」p72 「(米ソで勝敗を分けたもの)1つの答えは、補給である。ドイツ軍を食い止めるには至らなかったものの、ソ連軍は各地でドイツ軍に多大な出血を強いていた。ドイツ軍は損耗が積み重なり、得意の電撃戦を繰り出すごとに弱まっていった。戦争の帰趨は、個々の戦闘でどちらが兵士と武器をより多く投じられるかという、消耗戦に移行する。両軍の戦力差が縮まった結果、国内という地の利を生かして、補給で優位に立ったソ連軍が勝利を収めた。とくに、ソ連軍の補給で大きな役割を果たしたのが、鉄道だ。モスクワとウラル以東を結ぶ鉄道が無傷だったことが、補給を可能にした。大量輸送のインフラに支えられて、シベリアや中央アジアからの援軍や食料が、モスクワの最前線に供給され続けた。圧倒的に優位な敵にも限界があることを見越して、劣勢を耐え忍び、好機を逃さず、予備兵力を一気に投入する。こうした泥臭いソ連の作戦を、過小評価してはならない。そして、その予備兵力を用意したのがスターリンである」p80 「少数部隊が劣勢を補うのに、都市は戦場として都合がよい。市街戦では、兵力の差よりも地の利を生かしたほうが有利になるからだ。そうした意味で、スターリングラードの戦訓は現代にも生きている」p82 「ソ連軍に勝利を呼び込んだのは、戦時における戦術と戦略の劇的な「進化」である。具体的には、戦争の推移に合わせ、消耗戦と機動戦を柔軟に使い分けたことだ。一方、スターリングラードまでのドイツ軍は、電撃戦よりほかに戦う術を知らなかった。より戦場に適応したほうが勝ち残る適者生存の法則は、ここでも当てはまる。ただその教訓は、2600万人を超えるソ連国民の血であがなわれた」p83 「(フランスの戦闘機増援要請)チャーチルの言葉を借りれば、それは「われわれがフランスを苦悩のうちに見殺しにするか、それともわれわれの将来の生存に必要な最期の手段までもここで使い切ってしまうか」という苦しい選択であった」p112 「1940年9月初旬以来ドイツ空軍がセクター基地への攻撃を止め、ロンドンなど内陸部の大都市攻撃に重点を移してから、イギリス戦闘機軍団は徐々に戦力を回復していった。9月半ばまでには、ハリケーンとスピットファイアの生産がその損失を上回り始めた」p133 「9月7日から11月13日までロンドンはほぼ連夜、平均160機による爆撃を受けた。こうした夜間爆撃に対する戦闘にイギリス戦闘機軍団が完ぺきな勝利を収めたとはいいがたい。ひいき目にみても、それは引き分けであった。しかし、夜間爆撃の軍事的効果はそれほど大きくなく、これによってイギリスの戦意喪失をねらったドイツ側の目的は達成されなかった。夜間爆撃は、人々を恐怖に陥れたり、眠らせなかったり、またときには、多くの死傷者を出した。1940年末までにイギリスの民間人戦没者は、ブリッツによる犠牲者を含んで2万3000人に上り、重傷を負った者は3万2000人に達した。確かにその人的・物的被害を軽視することはできなかったが、軍事的に見る限り、その効果は重大ではなかった。人々はブリッツに少しづつ慣れ始め、やがてそれは日常生活の一部のようにさえなっていった。夜間爆撃によってもイギリス国民の士気は衰えなかったのである」p135 「大西洋の戦いにより、最終的に連合国は商船3500隻、艦船175隻を失い、軍人の戦死者3万6200人、商船乗組員死亡者3万6000人という犠牲者を出した。ドイツ側は潜水艦783隻を失い、戦死者は3万人であった。Uボートに関していえば、その乗組員の3/4が戦死した。こうした数字が物語るように、大西洋の戦いは長く続いただけでなく、厳しい戦闘の連続であった」p138 「1943年3月に大西洋の戦いで連合軍がUボートによって被った被害は、船舶82隻、47万6000トンであったが、同年5月にはそれが34隻、13万4000トンに減少した。より重要だったのは、連合軍が撃沈したUボートの数である。大西洋でドイツが失ったUボートは3月に12隻だったのに、5月には34隻となった。Uボートの建造数がまだ増加していたとはいえ、これはドイツにとって重大な損失であった。その後もUボートの損失は激増する。1943年の1年間だけで、大西洋で258隻のUボートが沈められた。うち141隻は沿岸航空軍団によるものとされているので、航空機の役割が大きかったことがわかる」p165 「戦略問題は、帝国参謀総長(陸軍)、海軍軍令部長、空軍参謀長からなる三軍幕僚長委員会が担当し、チャーチルは同委員会に、首相の個人代表としてヘイスティングス・イズメイ将軍を常時出席させていた。イズメイは、同委員会の事務局長も兼ねた。要するに、チャーチルはイズメイを介して三軍幕僚長委員会をリードし、陸海空三軍の事実上の最高指揮官となったのである。正式の会議の場以外でも、チャーチルは三軍幕僚長たちとほぼ毎日会い、休日には彼らをチェッカーズ(首相官邸の別邸)に呼びつけることもあった。チャーチルにより、イギリスの戦争指導体制はトップに強力な権力を集中させた。それは、デモクラシーのもとでの戦時「独裁」と呼ぶべき体制であり、しかも、この「独裁」者に対して、戦略問題について補佐するのは三軍幕僚長委員会であった。ただし、トップはシビリアンの首相であり、それによってシビリアン・コントロールが担保された」p173 「歴史についての理解と洞察が、戦局の見通し、敵の意図や行動、そして戦時指導者としてのあるべき言動などについて、チャーチルのセンスあるいは直観を磨いていたのだろう。彼は青少年期にE・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』とT・マコーレーの『イギリス史』を暗唱できるまで読んだという。また、すでに26歳のときには3つの戦争に従軍し、5冊の本を上梓(じょうし)していた。若年の頃から、体験と思索によって戦いの本質を見極めようとしていたのである」p177 「チャーチルは常に攻勢を重視した。「可能であれば、いつでも、どこでも攻撃せよ」「攻撃されていても、攻撃せよ」というのが彼の口癖でもあった。それゆえ軍人たちの慎重さを臆病、弱気、不決断と批判するきらいがあった。チャーチルは、消極的と見えるものを嫌った。大西洋でのUボートとの戦いにチャーチルが不満であったのは、こうした彼の気質に一因があった」p178 「イギリスの防空システムは、核兵器以前の時代で最も成功を収めた軍事的イノベーションの1つであると評された」p180 「自国の存続を図ると同時に、ドイツに対する抗戦の意志と能力を示すことによって、アメリカの全面的支援ないし参戦を勝ち取ることであった。そのためには、当面、敵の上陸作戦が困難になる時期まで、ドイツの攻撃を乗り切ることができればよかった。そしてイギリスは、バトル・オブ・ブリテンを持久消耗戦に持ち込んで、勝利を収めたのである」p184 「ホー・チ・ミンは、日本が敗北し、連合国軍がベトナムに上陸してくる前の「権力の真空」を逃さなかった」p193 「(アメリカの北ベトナム爆撃)「ローラーでは蟻は潰せない」」p224 「テト攻勢は軍事的に完敗した側が、意図せざるメディア作戦で政治的勝利を獲得した、歴史的に稀有な戦闘であった」p237 「ゲリラ戦の本質は、決して負けないが、決して勝てないという矛盾にある」p247 「ナポレオン戦争の本質を明らかにしたクラウゼヴィッツは『戦争論』の第6章「戦争の天才」のなかで「coup d'oeil(クー・ドゥイユ)」という文字通り「一瞥」を意味するフランス語が天才ナポレオンの秘密であり、それは「長い試みと熟考の末にのみ得ることのできるような、瞬時に真実を見抜く直観」だと論じた」p248 「(ダニエル・ボルガー)アメリカ軍の兵力はそもそも「短期決戦の通常戦」に向けて装備を整え、錬成してきたにもかかわらず、二度も「長期にわたる泥沼の対反乱戦」というアメリカ軍兵力に適していない戦争に引きずり込まれてしまったが、ボルガー自信を含む将軍たちは戦争の現実を直視せず、戦略的な誤りを正すことができず、戦略と戦術面の両面で貧弱なリーダーシップしか発揮できなかった」p344 「軍事組織では、適応と革新を峻別する。適応と革新を分けるのは、有事に軍事組織が両者を同時に行うことが困難だからである。よって、平時に未来の戦闘を想像し、実現するための新たな概念を創造して、それらの実行可能性を演習で評価し、人事を刷新し、実戦に適応することのできた軍事組織が勝利する」p374 「実践知リーダーの6つの能力:①善い目的を創る能力。②ありのままの現実を直観する能力。③場をタイムリーに創る能力。④直観した本質を物語化する能力。⑤物語を実現する政治力。⑥実践知を組織化する能力」p380 「いかなる環境変化にも能動的に対応する国家、組織であるためには、リアルタイムで「物語り」を紡ぎ、実践するしぶとさが求められるだろう」p408 「思い(暗黙知)を言葉(形式知)にし、言葉を実践(実践知)していくダイナミック・プロセスが、危機を打破する創造の世界の扉を開くのである」p411 「リーダーが選び取ったものは、組織の成員に理解されなければならない。理解されなければ、組織として実践できない。組織成員に理解させるためには、理解してもらうためには、選び取ったものを物語らなければならない。そして、物語るためにはプロット(事実となぜの筋書き)とスクリプト(台本、行動規範、ドクトリン?)が必須である。これが「知略」である」p413
0投稿日: 2020.04.07終章の結論にズッコケた
我々の提唱する「知略」は二者択一ではなく、「中庸」を採ると宣言するが、要は「あれもこれも」のいいとこ取りで、これまでの壮絶な戦史 - ギリギリの決断と試行錯誤の連続である - を丹念に分析した結果がこれとは馬鹿にするにも程がある。 民衆を大砲の盾にしたソ連や、大砲を山に引き上げるため民衆に自己犠牲を強いたベトナムなど、ほぼ無尽蔵に人的資源を使い捨てできる国と、そうでない国とを同列に語ることも無理があれば、スターリンの行動規範や戦いぶりを成功例として称揚しているのも大いに疑問が残る。 スターリンは実践知に優れたリーダーではなかった。 モスクワを離れずにいたのは、足下でクーデターが起こるのを警戒したせいで、国民の愛国心を鼓舞するような意図を持っていたなら、それまで逮捕されるのを恐れて引きこもったりはしないだろう。 ジェーコフなど新しい人材を抜擢したのも、それまで猜疑心に駆られて元帥を含む将官クラスをほとんど銃殺してしまっていたためだし、ヒトラー以上に現場の視察を行なわず、指揮のあれこれにイチャモンをつけ、軍事行動の遅滞を招いていた。 スターリンの独裁下においてさえ、勝てたというのが実態なのだ。 むしろ4つの戦史から見えてくるのは、各国の表裏一体の強みと弱みで、弱点の克服は容易ではないということだろう。 アメリカの戦略文化である迅速な殲滅戦は、上手くいけば湾岸戦争やイラク戦争の初期のような圧倒的で完璧な勝利を生むが、イラク戦後の占領統治やベトナム戦争などの非正規戦では、強みは一転して弱みに変わり苦戦する。 別にラムズフェルドが特別なのではなく、誰がトップになっても合理的で必然的な戦略を、現場はなんとか逆転させ、COIN作戦へと転換するため悪戦苦闘するが、結果は必ずしも好転させることはできなかった。
0投稿日: 2020.03.07
powered by ブクログ知略とリーダーシップの本質に迫る失敗の本質シリーズの最終章。構成は前著群と変わらず、時系列かつ叙事的に戦闘展開を述べた後に、アナリシスを導出するというもの。 失敗の本質以上に、企業経営その他あらゆる勝負事に援用しやすいフレームワークにまとめてある点で、その有用性はシリーズ最終作に相応しいものと言える。 冒頭p7より引用。この部分こそが核心となる。 "軍事戦略をめぐっては従来、攻撃と防御、機動戦と消耗戦、直接アプローチと間接アプローチといったような二項対立的なとらえ方があるが、われわれは、そうしたとらえ方よりも「二項動態」的なとらえ方こそ、戦略の本質を洞察していると理解している。戦略現象を「二項動態」的に把握したうえで、情況と文脈の変化に応じて具体的な戦略を実践していくことが重要なのである。そのような戦略を、本書では「知略」と呼ぶ。"
0投稿日: 2020.02.24
powered by ブクログ圧倒的不利な状態から逆転した4つの戦争の事例を挙げて、リーダーシップの本質を分析した本。 歴史を分析することの大切さはよく理解出来たが、歴史に弱い自分にとっては、まず戦争の歴史を理解するところでかなりの時間がかかってしまい、最後の方は流し読みになってしまった。 じっくりと時間をかけて読むべき本であり、日を改めて通読してみようと思う。
0投稿日: 2020.02.11
