
総合評価
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
主人公は無職の中年男性で、かつては役人として勤めた。現在、彼は一般社会とは交わらず、地下に籠った生活を送る。しかも彼は自意識過剰なため、周囲に対して斜に構えた見方をしており、年齢の割に痛い。このように、本作は彼の言動を追い、人間の実存について迫る。
0投稿日: 2025.10.26
powered by ブクログまだ読んでる最中だけど先に感想。 内容は光文社読んでるので分かってはいるものの、翻訳者が違うと「こうも違うか!!」というぐらい読みやすいです。 初心者には江川さん訳がおすすめな気がします。
0投稿日: 2025.10.25
powered by ブクログ巷にあまたの自意識コンテンツがあふれかえる現代だけれどもとうの昔にこれだけのことがやってのけられていたのだからひとまずはこれを読めばいい
0投稿日: 2025.08.12
powered by ブクログテスト期間終わって、久しぶりに読書した。 最初読みにくかったけど、めっちゃ面白かった。 難しかったからまた読み直したい。
0投稿日: 2025.08.10
powered by ブクログ人間の意識について考えさせられる。 手記の著者、すなわち主人公は、自意識が過剰と言うべきか、自己から少しだけ離れたところから自己を見つめていて、恥ずかしさにまみれている。その恥ずかしさのために、他者に対しても憤怒の連続(他者からすると、本当に訳が分からない)が沸き起こっている。 この主人公のように顕著な行動に出る人は少ないかもしれないが、自意識が過剰なための恥辱は、ごくあり触れると思うし、そこに苦しむ人も少なくないように思える。 また、自己を少し離れたところから客観的に見ていると思いきや、感情的に湧き起こるものに支配され、全く理路整然としていなくて、いつのまにか意識は自己の中にあって、突拍子もない事をしでかす。 それが、合理主義と反して、自由な事なんだ!とドストエフスキーが訴えているわけではないのは、訳者江川卓氏のあとがきを読めばわかります。 病的とも言えるレベルの振る舞いをする手記の主人公ではあるけど、程度の差はあれ、似たような事は自分を含め、周囲にもあるかもしれないと、無視はできない。 地下室に籠って、ねちねちと自己から少し離れたところから、けど離れきれないところで、自分を辱め、他人を敵視し続けるのは、全く幸福ではないと思う。手記の主人公はそれをやりすぎた。 自己から離れず、自意識を感じないような、動物的とも言える時間、あるいは自己から大きく離れて、他者によく傾聴する時間、はたまた、禅的に無になるような時間。そういう時間ももっと過ごすべきで、地下室に籠りすぎだ。
1投稿日: 2025.07.04
powered by ブクログよく分からなかった、というのが正直なところ。人生、誇り、愛憎に対する屈折した感情が描かれているが、自分はそれを理解できるだけの人生のステージに達していなかった気がする。
0投稿日: 2025.06.14
powered by ブクログ罪と罰を読んだ時はずっと鬱屈とした感じやどうしようもない主人公にイライラしっぱなしだったけど、今回は読み方がわかったのか楽しめた。気分が健全な時に見ても一切共感できなくてイライラするばかりだけど、落ち込んでる時に見るとかなり共感できて救われた気持ちになる。この滑稽なまでの自意識過剰と空回りと孤独。孤独の裏返しである頑固。誰にでも精神的にマウントを取ろうとする臆病さ、特に同級生とのパーティーでの描写はリアルだった。
1投稿日: 2025.05.29
powered by ブクログ自意識過剰に見える男の物語。かなり難しい。人間ってなんなんだ、愛ってなんなんだと考えさせられる。死ぬことを意識したことのある人間と、生きることを楽しむ人間と、真に生を知るのはどちらだろうか?
0投稿日: 2025.05.23
powered by ブクログ第一部は難しくて途中で挫折しそうになった。でも歯痛の話は笑った。 第二部はずっと面白かった。コントみたい。でもこの捻くれすぎた主人公にイライラすることもあった。ってことは私はそこまで捻くれてないのか?と思わせられた(笑) ドストエフスキー3冊目だけど、今まで全部面白い。
0投稿日: 2025.05.04
powered by ブクログ圧巻。手放したくない1冊。表面的な美しさや謎のステータスとやらに踊らされているこの社会に、この本を突き刺してやりたい。 刑事裁判を彷彿させるシーンもあれば、AIを彷彿させるシーンも。150年近く経つけれど、この本が問うていることや描かれていることは、色褪せない普遍的なテーマで、我々人間は、人間の愚かさや汚さ、そして不合理さをしっかり理解した上で、拗らせながらも自分なりの幸せを見つけて生きていくことが大切なのかもしれない。
1投稿日: 2025.03.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
自分を受け入れてほしい崇拝してほしいという気持ちをもうやめてくれと思うくらい爆発させる。そうでない自分を受け入れる事がどうしてもできない。見ててやめた方がいいのにと思っていると鬱屈した思いは弱者へ向けられる。自分も若いころよく知りもしない男性からこんな態度をとられたことがあるような気が。。嫌な男だと読んでいたら最後の言葉で自分を振り返る事になった。 いつかまた時間がたったら読み直したいと思った。ドフトエフスキーは面白い。
0投稿日: 2025.02.28
powered by ブクログ『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を読み、ドストエフスキーにハマった。『地下室の手記』は彼の転換点とも呼ばれている本だったため、手に取ってみた。 まるで主人公を実際に見ているかのように引き込まれた作品だった。ぶっちゃけるととてもクズな主人公だと思うが、その中にも共感した部分はたくさんあった。し、文中でも触れられていたが、クズでない人はいないと思う。 腹を立てる理由など何もないと、自分で承知しながら、自分で自分をけしかけているうちに、ついには、まったくの話、本気で腹を立ててしまうことになるのである。 この部分が好き。幼少期に悲しいふりをしていたら、実際に泣いてしまったことを思い出した。
3投稿日: 2025.02.22
powered by ブクログ久々の再読。 ドストエフスキーって、ホントしつこいというか、まあ最初の「地下室」で今時の読者は挫折すると思う。地下室に引きこもっている40代の語り手が、とにかく俺はこう思うって話を、情景描写も人物描写もほとんどなく、延々と熱く鬱陶しく語るんだから。もう、うんざりという気持ちにほとんどの人がなると思う。しかし、ここは我慢して読む。 次の「ぼた雪にちなんで」になると、彼が24歳の時のエピソードとなり、他の人物も出てきて読みやすくなる。彼がなぜそうなったのかが徐々にわかってくる。 しかし、貧しく、見た目も悪いだけでなく、自意識過剰でプライド高く、あらゆる人をバカにしているので、決して読者が好きになれるタイプではない。自分より弱い立場の人には教養とプライドをひけらかし、強く人にはなんだかんだで反抗できないいやらしさもむかつく。 語り手とぶつかりそうになっても決してどかない(というか語り手がびびってどいてしまう)将校に対する恨み、誰も彼を友人と思っていない連中の集まりに呼ばれもしないのに参加してぼっちにされ、内心怒りまくる話、どれもまあ酷くて、こんなやつにロックオンされた人たちは本当に気の毒だと思う。最後の、貧しさから親に売られた売春婦リーザとのエピソードがとりわけひどい。 が、しかし、彼の主張に真実がないとは言えない。彼の言っていることを自分が言っていない、思っていない、やっていないとも言えない。語り手にうんざりしながらも、自分の中にも彼と同じものがあることを認めないわけにはいかない。そこがこの本の面白さじゃないかと思う。 とにかく愛すべき点が全くない人物で、同じ自意識過剰でも太宰治なんか本当に可愛いと思えるくらいである。しかし、一人称で書かれ、いかにも作者と似た人物と思わせながら(実際そうだろうとは思うが)、そこを突き放して嗤っているのも、彼の末路を冷静に見ているのもまた作者なのである。それができるかどうかが、作家と一般人を分けるものではないかという気がする。 最初の「地下室」をじゃあ「ぼた雪にちなんで」の後に持ってきたら良かったかというと、それは違うと思うし、やっぱりこの形しかないのではないか。 現代の作家なら、読者に配慮して40代の地下室の語り手の視点を混ぜながら20代のエピソードを展開して行くだろうが、ドストエフスキーはそんなことはしないのである。そこが彼の作品の読みにくさでもあるが、魅力でもある。ここまで一人語りで暴走していながら、読者に深い感慨を与えるのは、誰にでもできることではない。 いい作品は、我慢して読んでも必ず報いられる良い例である。
3投稿日: 2024.12.29
powered by ブクログ2024年12月14日、グラビティの読書の星で「ドストエフスキー再読しようかな」と紹介してる人がいた。
0投稿日: 2024.12.14
powered by ブクログロシア文学特有のはじめのまどろっこしさは否めないが、そこを乗り越えれば終盤に向かってどんどん面白くなるところ。 ダメな主人公の描写が秀逸で、さすがドストエフスキーだと思った。
0投稿日: 2024.11.04
powered by ブクログ難解だし、ほとんど主人公の保身じゃんって内容で溢れてるからいろんな意味でしんどかった、、 かつての仲間?間柄にもなんとな〜く序列あるよなぁって読んでいて納得できた。
0投稿日: 2024.09.14
powered by ブクログ個人的には今年1番と言えるくらい理解するのが難しい作品でした。 自意識過剰さやプライドの高さ・こだわりの強さ故に、周りとうまく付き合えない主人公の姿は一瞬面白おかしく感じられるのですが、ふと立ち止まって考えてみると自分にも少なからず当てはまる部分がある気がして心がひやっとしました。 当時のロシアの文明・文化に対する意見も記されており、単なる主人公の面白い話なのではなく筆者の価値観が強く反映された物語なのかもしれません。 あれこれ書きましたが、正直なところまだ内容をうまく掴みきれていません。 もう少ししっかり読んでみようと思います。
6投稿日: 2024.07.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
陰鬱、という言葉が良く似合う小説 何の得にもならない無駄なことを延々と考え続ける主人公。最悪な読後感と疲労は感服に値する。 やはりこのような人間は嫌いです。こういった感想が出てくる自分はきっと安直な人間なのでしょう。 人間の未熟で愚かな部分が嫌というほど見える。 ただ、哲学的思考の自分と重なる部分があった。空想の世界に逃げていては駄目ですね。 以下:印象に残った文章を一部抜粋します ああ、諸君、ぼくが自分を賢い人間と みなしているのは、ただただ、ぼくが生涯 何もはじめず、何もやりとげなかった、 それだけの理由からかもしれないのである。 毒にも薬にもならない いまいましい饒舌家 人間というものは、不幸のほうだけを並べたてて、幸福のほうは数えようとしないものなんだ。ちゃんと数えてみさえすれば、だれにだって幸福が授かっていることが、すぐわかるはずなのにね。
1投稿日: 2024.06.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ネガティブな人はきっと好きだと思う でも、社会不適合者じゃない大多数の人にこそ読んで欲しい 安っぽい幸福と高められた苦悩と、どっちがいいか? ぼくらは死産児だ のところ、僕もずっとそんなことを考えていたんだ!って泣きそうになった。 ずっと考えてた人に言えないモヤモヤを言い当ててくれたみたいな清々しい気持ち ありがとう
0投稿日: 2024.05.04
powered by ブクログ自分の世界に閉じこもってしまうことの気持ち悪さを感じる反面、自分にも全くそんなことがないとは言い切れないような気持ちを呼び起こされて終始読み進めるのがしんどかった。 最近内面的世界に向き合うことがとても大事であると思っていたが、そのことに入り込みすぎてしまうことがないようにしなければ、この主人公とおなじような境地に至ってしまうに違いない。
0投稿日: 2024.03.10
powered by ブクログ再読ですが、ほとんど覚えていないので ほぼ、初読みです。 正直、読むのに苦労しましたし、 読み終えての満足感は得られませんでした。 ただ、相手は全然、眼中にないのに、 自分だけが気になり、その挙げ句に ストーカーになる姿は、少し、 共感してしまいます。。。
26投稿日: 2024.02.23
powered by ブクログ肥大化した自意識と逸脱者の自覚に苛まれる苦悩が徹底的に描かれている特異な名作。どこまでも内向的で否定的でありながら、超然と構えることもできず、外界の些細な出来事に惑わされ、人間関係において言動のすべてが裏目にでてしまう様は、読んでいてヒリヒリする。思考にほとんど飲み込まれながら現実の肉体や情念がそれに抵抗し、退屈や人恋しさ、屈辱に耐えられない。そんな齟齬の内に懊悩する様子は、積極的価値をどこにも見出だせない消極的な否定性の恐ろしさをあぶり出す。 主人公が縁のあった娼婦と感情をあらわにしあう劇的なクライマックスさえも、もつれきった否定的性格ゆえにカタルシスに昇華することのできない「どうしようもなさ」が辛かった。 思考を披瀝するだけの前半にしても、見てられない失敗を回想する後半にしても、やや誇張が過ぎる気もするが、自らの中にいくらかのアウトサイダーの意識がなければ書くことのできない小説だと思う。この主人公にリアリティを全く感じない人があれば、その人は幸せなんだろう。そして、本作自身が、自らが単なるヒューマニストにとどまらないことを示す、ドストエフスキーの自己顕示にも思われる。
1投稿日: 2024.01.29
powered by ブクログ<ぼくは病んだ人間だ。…僕は意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えではこれが肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなどぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いかも正確には知らない。(P6)> 元官史の語り手は、おそろしく自尊心が強く、極端な迷信家で、あまりにも自意識過剰で、とても臆病で、際限なく虚栄心が強く、他人との交流もできず、心のなかで鬱屈を抱えている。 遺産によりまとまった資産を手に入れた語り手はペテルブルクの片隅のボロ家に引き込んだ。そんな生活をしてもうすぐ20年にもなる!やることといえば心の鬱屈を手記にぶちまけるだけ。 あれも気に食わない、これも嫌い、人から嫌われることばかりするのに人に尊敬されるだろうと思っている、昔のことばかりグジグジ繰り返している、この手記だって自分のために書いているけれど、世間の諸君が読むかもしれないではないか! …という感じのグジグジぐだぐだウジウジした語りが続き、「この話全部この調子なの…(´Д`) 」とえっらく読むのに時間がかかった。 しかしその語りは最初の60ページまでだった。その次の章からは、自分の鬱屈した正確を示すものとして、まだ引きこもる前の若い頃の出来事が語られる。これが「なにやってんのーー」と、けっこう笑えてきた。 ●語り手は、ある将校に無視されたことから数年に渡り一方的に恨みを持つ。いつかあの将校に自分がどんなに重要な人物かを認めさせ、詫びさせてやる!語り手は将校の後をつけて彼のことを調べる。通りでは何度もすれ違った。だが将校は自分を認識すらしない、こんな屈辱があろうか!こうなったらあいつをネタにして誹謗中傷小説を書いてやる!出版社に送ったのに無視された!悔しい!!こうなったら決闘だ!語り手は決闘申し込みの手紙を書く。我ながらなんたる美文!将校がわずかでも<美にして崇高なもの>を解する男だったら、ぼくの素晴らしさがわかるだろう!この手紙はかろうじて投函されなかった。だって何年も経ってるんだもん、さすがにわからないかもしれないよね。 それでは通りであの将校に道を譲らせてやる!それにはまずぼくのことを認識させないといけない、では身なりを整えないとな。上司に給料の前借りをして、あらいぐま…いやビーバーのコートを買って、手袋はレモン色…いや黒のほうがいいだろう。 自分を認識していない相手に何年も執着し、独り相撲して、勝手に苦しみ、誹謗中傷小説まで書き(無視されたが)、やったことは「通りですれ違う時に、ぼくの方から避けずに肩がぶつかったぞ!ぼくの勝ちだ!!」 ⇒そ、そういうことにしておこうか… 現代で言えばネットに誹謗中傷書きなぐるタイプだな、妄想の中で満足してまだ良かった。 ●ぼくはあらゆる空想をする。自分自身が空想の中ではあまりにも素晴らしく幸福の絶頂を味わい、全人類と抱きあいたいたい気分になる!!そこで学生時代の友人を訪ねた。 そこではかつての学友たちが集まっていたんだが、語り手の姿を見ると明らかに嫌そうな雰囲気になる(語り手の一人称だが、それがわかる)。学友たちは、遠方に将校として赴任するもう一人の友達ズヴェルコフの送別会を計画していた。このズヴェルコフは語り手は全くタイプが違い、出世街道に乗り、女を口説き、仲間と酒を飲み明かす生活を楽しんでいる。 そんなズヴェルコフの送別会なので当然語り手は招かれない。そこで語り手は「ぼくを忘れちゃ困る!!ぼくも彼の送別会に行く!!」と突然のアピール。あっからさまに嫌がる学友たち。うん、気持ちはわかるぞ!! ⇒現代で言えば「自分だけ同窓会に呼ばれない」エピソードですね(;^ω^) ●送別会では自分の偉大さを認識させてやる!…と、乗り込んだが誰もいない。そう、時間変更していたのに知らされなかったのだ。 ●それでもみんなもやってきてズヴェルコフの送別会が始まる。あっからさまに無視される語り手!それでも現代の待遇を馬鹿にされたり、嫌味丸出しのスピーチをして場を険悪にする。元学友たちに完全に無視された語り手は、送別会の三時間の間部屋を有るき回る語り手!ずっと無視される!だが語り手は「自分の存在はみんなに刻み込まれたはずだ」とうそぶく。 ●送別会の二次会で娼館にしけこもうという元学友たち。語り手は「ぼくも行くぞ!金を貸してくれ!!」あまりのみっともなさに、学友の一人が「恥知らず!」と投げてよこした金を手に取り娼館へ向かう。道中でも頭の中では「あいつらに思い知らせてやる!」などと考えているが、この勇ましい言葉も有名ロシア文学からの受け売りでしかないんだ。 ●娼館でも取り残された語り手は、残り物の娼婦のリーザと部屋へ。事後のベッドで語り手はリーザ相手に御高説をぶちまける。 娼婦の君の人生とはなんだ!?きみはこの仕事と魂を引き換えにしたのさ! リーザは答える。「あなたの話って、本を読んでいるみたい」そう、語り手がどんな演説しようとも、受け売りが見透かされてしまうのだ。それでもリーザは我が身を振り返り号泣する。 ●娼婦リーザは、自分が娼婦と知らない男からもらった手紙を語り手に見せる。自分をちゃんと扱ってくれる男だっているのよ、という拠り所だった。 ⇒リーザは見かけとしては可愛げない様子だが、この大事な手紙を語り手に見せる場面はとてもいじらしい。 ●語り手はリーザに自分の住所を教えて「訪ねてこいよ」なんて言う。しかし帰ってから後悔する語り手。本当に来たらどうしよう、リーザは自分が語った言葉を聞いて、自分が崇高な人間だったと思ったに違いない、だがこんなボロ屋見せられないし、事後でもないのに格好いいことなんて言えない。リーザのところに行って「やっぱり来るな」っていおうか、いやそうもいかない、うぎゃーーーーー、と葛藤しまくる語り手。 ●語り手にはアポロンという中年召使いがいる。非常に態度がデカいらしいが、読者としてはそりゃーこんな雇い主だったらばかにするよねとは思う。このアポロンに月給を渡さなければいけないんだが、「アポロンが自分に『給料をください』と平身低頭しないのがムカつく!!!」と、金は用意するが渡さない。しかしアポロンに舌打ちされたり睨まれたりすると「待て!!金はあるんだ!支払ってくださいと頼め!!」とか言ってますますバカにされる。 ●三日後にリーザが来るが、語り手は非常に悪い態度を取り、ひどい言葉を浴びせる。リーザは、語り手に握らされた金を拒絶して去っていくのだった。 …ということで、「現在でもいるよね」とか、「ここまで極端でなくても気持ちはわかる部分もある」とか、「こんな奴に関わった周りの人のうんざりさがわかる」などと言う気持ちになってなかなか楽しめた。 語り口は、引きこもり男が勝手にグダり続けだけなんだが、これが小説として読めるものになっているのがさすがの大文豪だよなー。今でもこんな事を考えている人はたくさんいて、たまたま誰かがそんなことを言っているのを聞いてしまったり、ネットでうっかりそんな人の文章を読んでしまうこともある。そんなときはかなり嫌な気持ちになる。 しかしこの小説ではそのような嫌な気持ちにはならず「あるわー」「なにやってんだーーー」と、語り手と、語り手の周りの人双方の気持ちがわかりながら読んでいけるんだ。その意味では実に面白い小説だった。(最初の60ページ以降は) 語り手は自分のような人間は自分ひとりだと思っている。<だれひとりぼくに似ているものがなく、一方、ぼく地震も誰にも似ていない(…略…)ぼくは一人きりだが、やつらは束になってきやがる。P70>というわけだ。 だが語り手のような考えを持つ人間は当時も、今も、世界中にたくさんいる、ある意味人間の心の普遍的なものでもあるだろう。この「自分は孤独だ!」と思っていても、周りから見たら「たくさんいるよ」という感覚もいつでもあるものだ。 なお、語り手は読書について<ぼくの内部に煮えくり返っているものを外部からの感覚で紛らわしたかったのである。(P75)>と言っているのだが、ドストエフスキーの考えでもあるのかな。この読書への取り組みは何となく分かるんですけど。頭が混乱している時にも読書ってしますよね。するととっちらかった脳を一つに収集するのがなんだか分かったりして。
35投稿日: 2023.12.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
何よりもまず、読めて嬉しい。 最初は「こんな難しいの読めっかな〜〜( ; ; )」とか言ってたけど主人公が22が4にバチギレしてるあたりから笑いが止まらなくなった。 それで面白半分でスルスル読み進めたあたりで、主人公の自己弁護からの更にその自己弁護への自覚を語るレベルの病的な自意識過剰とメタ認知にちょっと共感を覚えてしまって、それからはもう虜だった。 「こいつは私だ」と思ってしまった。 本当に、身の程知らずなことだけど。(心の俳句) 私も自意識過剰でプライドが高くて腰抜けだから彼の気持ちがよく分かったんだ。 私みたいな10代の読書好きの少女(?)が自意識過剰でないわけないからね。 自意識過剰は若者の専売特許だ! まあ、主人公は40にもなって自意識過剰なんだけど。あいつ最高だよ。 ♢♢♢ 本編を通して感じたのは、頭が良すぎて考えすぎるが故に他者が簡単に信じている幸福とか自然の法則さえも疑ってしまい、そもそも人間が絶対に満足できる幸福なんてなくってそもそもどこか矛盾してるんだって俯瞰して、でもそれと同時に俯瞰して発見した自分自身のみじめさに耐えられなくて必死でそれを取り繕ってどうにか「らしさ」を演出してしまうような、他者を見下しながら他者に必死で弁解をするような、どうしようもない主人公の無限ループする自意識の苦しみだった。 自分を見てる自分がいて、頭の中がバカにするのとされるのとでもうめちゃくちゃになってしまう感覚、本当に、おこがましいとは思いつつめちゃくちゃ「わかる」……。 苦しいよね。苦しいんだよ。私も苦しい。 頭の中がやかましいんだよ。私は誰に向かって言い訳なんかしてるんだろう?ってね。 ああ、これってもはや感想じゃない。私信だよ。 二部で主人公の実際の生活とか他人との関わりについての話になったときの主人公が情けなさすぎて面白かった。 友達っていうか知り合いにめちゃくちゃ邪険にされとるやんけ。泣ける。 そのあとがもっとダサい。 風俗で説教しておいて帰って泣くな。 その説教すらも本心から出た言葉じゃないの泣ける。 さらにその後リーザに「君を辱めたくてやったんだよ!」って自分から告白しちゃう、その道化ぶりにも涙が出る。 リーザにお金を握らせたのは「お前に高潔に生きろみたいな事言ったけど所詮はお前は金で男に抱かれたんだぜ!」ってことなのかと思った。 でもリーザはそれを拒否した。 金を与えられたことに彼女が屈辱を感じたのなら、それは彼女が卑屈になっていないということだから、少なくとも魂の誇りみたいなものは思い出せたのか……?と私は解釈した。 ちょっと好意的すぎる解釈かな? でも、常に作り物みたいな理屈と言い訳に苦しめられてる主人公の汚い動機による行動が一人の女の子の有り様を少し高潔にしたのなら、それはすごく奇妙で皮肉で美しいことだとも思うんだ。 そして、終わり方が神がかっている。 主人公は手記を「ここで終わりにする」と書いているくせに、結局終わらせられず、読者に彼の手記の続きは明かされないまま終わる。 つまり、私たちはそこに彼の手記と、彼の濁流のような思考の広がりを見ることができる。 手記が続いてると明かすことで主人公のどうしようない滑稽さを徹底して演出し、ものごとを俯瞰しているがゆえに苦しんでいる主人公の手記を、小説を読んでいる我々が本当に別の次元から俯瞰してみせる、大胆で立体的な構成になっている。 手記という設定だからこそできる演出。 私はもうクラっときたよ。最高。 主人公のキャラクターを、そんな、そんなメタ的な演出まで使って完璧に作り上げるんですか。 解釈一致です。 そう、彼がスッキリと手記を終わらせるなんてできるわけがないんだよ! こんな形でキャラクターを完成させるとは思わなかった。彼は最後の釈によって完全に完成したのだ。この尿漏れのような醜い手記のもつれた終わり方。本当に素晴らしい。 彼は、手記を、終わらせられない‼️ なんてキャラクター造形が一貫してるんだ。 そしてそれを……あんな注釈でスマートかつ大胆に表してみせるなんて! 私は酔いしれた。未成年だけど酔った。 ♢♢♢ 自分の行動の意図を常に他人に弁解してなきゃいけないような気持ちになることって本当によくあるよね。大好き。クソわかる。 なんというか、主人公がずっと「体育の授業でペア作れなかった時の私」をやっていたな。 本当に、あの針のむしろに座ってるような気持ちを思い出した。 脳みそではもう情報の洪水が起きてて自分がどんなに滑稽なのか自分でよくわかってるはずなのに自分の素直な感情なんてものはとうてい無くて信じられなくて、とにかく他人に何かを取り繕わなきゃいけない気分になって平静とかもっともらしい態度とかを装ってるけど内心は冷や汗ダラダラでパニックになって一人で大騒ぎしてるのに周りはそんなこと知りもしないで私のこと変な人間って思ってる…………っていう、このつらすぎる羞恥と自意識がこの本に書いてあったように思えた。 気に食わないやつとすれ違いざまにぶつかろうとしてどうにか準備したのに何度も失敗するところとか、ちょっと成功してバカみたいに喜ぶところとか、他人との交流を求めずにいられないところとか、レストランでうろうろするところとか、本当に他人と思えなかった。 本当に他人と思えなかった。 私はドストエフスキーの作品を読むの実は2回?1.5回?くらい失敗してて、だからTwitterでこの小説の一文を見かけて気になりだしてタイトルをリマインダーに登録したはいいものの別に積極的に読もうとはしてなかったんだ。 いつか読みたいとは思ってたけど罪と罰とかが先になるかもなんて思ってたくらいだった。 でも私は最近ずっと気持ちがめちゃくちゃで、大学をサボって夕方に駆け込んだある日の市立図書館で、本当にたまたま、ちょうど目線の高さにあったこの本を見つけた。 かつて読んだ別の本に「なんでもない時にドストエフスキーにチャレンジしたら全く読めなかったけど、入院した時にはスルスルと読めた。ドストエフスキーはどん底にいるときに読むものなんだ」というようなことが書いてあったのを覚えていたから、私は手を伸ばす気になった。 というか、今の私の惨憺たる気持ちをじっくり味わわせてくれるような、そういうどん底で巡り合って共に過ごせるような小説を求めてたんだ。面白くて明るい小説や、優しいだけのぬるま湯みたいな小説なんてごめんだった。 だから「まあせっかくだし」って思って、読み通せるか不安になりながらも借りたんだ。 そしたらこんな素晴らしい出会いが待ってた。 いい読書体験ができた。 っていうか「今」読めてよかった。 幸福な頃の私ならこの本はきっと読めなかったか、読めてもここまでは感じ入ったりしなかっただろう。 大好き。大好き。会えてよかった。 本当に、あの日の私がたまたま図書館で出会って、たまたま立ち読みした本の記憶に背中を押されて、自分の最低な現状もあってそれを借りて、なんかすごく運命みたいって思えてる。 この小説の主人公なら運命なんて!運命なんて!って言うかもしれないけど。(彼は安易にものを信じて馬鹿みたいに喜んだりはしないのだ) 私はこの本が大好きだ。 難しかったし、理解しきれてるわけはないけど、それでも読めてよかったと心から思う。 読書の楽しみってこういうことだったって久しぶりに思い出した。 「すごいものを読んだ」「理解できないけど最高だった」というこの高揚感。 こんな気持ちになれる読書体験は滅多にないから、全く私は幸せ者だといえる。 主人公はあんなに苦しんでるのにそれを読んで私が嬉しくなるなんてだいぶおかしいけど、まあ人間の本性なんてそんなものだよねってことで、私の手記ならぬ感想を終わらせたいと思う。
0投稿日: 2023.11.18
powered by ブクログ自分の中に主人公がいるし、主人公の中に自分がいる……、、。 個人的には1週回って笑えた所もあった。 同族的な所も勿論感じるが、新しい感覚というか、考え方、そういうものにも出会えたと思う。 読んでよかった。
2投稿日: 2023.10.03
powered by ブクログ虚栄と自己正当化を極めたことで生まれる他者への敵意(そこはかとない同族嫌悪も感じる)、なのに湧き出る人恋しさ。極端ではあるけど、たぶん多数の人が通ったり留まったりしている心理状態だと思うんだよなあ。自分を顧みるきっかけにもなったし。書き手自身が鬱屈した自分を客観視して分析している描写もあるのが面白い。
2投稿日: 2023.08.21
powered by ブクログ他人と正常な関係を持てないことを他人のせいにするしか自分を守る術を知らない哀しい男の物語。 醜悪だが、多かれ少なかれ誰もが持つ側面でもあるからこそ、共感性羞恥を感じる人も多いのだろう。
0投稿日: 2023.08.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
地下室の住人の捻くれたものの見方への嫌悪感と尊大な自尊心への共感性羞恥に心が掻き乱された。 ただ、リーザと夜を共にしていながら「こんな世界にへたばっているんだな」と講釈を垂れる男の存在はは現実世界の夜の住人からも聞くし、この地下室の住人が特別醜い人間というわけでもないのでしょうね。 それにしても、リーザがどうにも従順すぎると感じたのはこの本が随分前に書かれたものだから?
1投稿日: 2023.05.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【ある本に記載されていた《1800年代のロシアにおける投獄中の労働内容》】と【職場の大先輩が話した《現代の日本自衛隊の精神強化訓練》】がキッカケとなって読む事になった『地下室の手記』(ドストエフスキー)。 以上2つのキッカケ内容というのが、どちらにも「穴を掘って埋めて掘って埋めて…という作業が連続するシーンがある」という事であり、 前者は「一人の人間を潰して破滅させる最も恐ろしい罰」として、 後者は「精神強化訓練」として…という事になっているそうです。 この2つを知った出来事が直近の間で起こり、「こりゃなんかあるな!」と思って手に取り読んでみたら、 「引きこもりニートの暗い話!そしてどこにも投獄中の労働なんて書いてないやんけィ!!!」という感想に至りました。 本の中で紹介された本とその内容に誤りがあったのは今回が初めてで、わかった時には笑ってました。 じゃあ今回の目的である内容は一体どこに載っているのか?と調べてみたら、 『死の家の記録』との事。 これはこれでまた読んでみようかと思いますが、 なんせ暗そう。 それまでにポジティブ系の本読んでエネルギーをためよう。 今回は【教科書に載るぐらい有名な作家の本を自分で読もうと思って手に取った本の第1号】という記念となりました。
2投稿日: 2023.04.18
powered by ブクログ地下室:この手記の筆者も「手記」そのものも、いうまでもなく、フィクションである。 始:ぼくは病んだ人間だ…ぼくは意地の悪い人間だ。 終:しかしわれわれもまた、もうこのあたりでとめておいてよかろう、と考えるものである。
0投稿日: 2023.03.17
powered by ブクログ書いてる言葉や言い回しは分かりやすいんだけど、話が重く、感情が生々しいせいで読むのにかなりの体力を消費した。しかしその分主人公の気持ちに感情移入出来て、読み終わったあと大きな満足感を得ることが出来た。 呼ばれてもないパーティーに無理やり主人公が参加するシーンは読んでて凄くムズムズした。共感性羞恥というか、、、 苦痛で死んでしまいたいという絶望の中に快楽がある~みたいな話はめちゃくちゃ共感した。そこそこの気分の時に、中途半端に失敗して落ち込むのが1番嫌なんだよね。 何もかもが決定された世界では人間は生きる意味を見出すのだろうか?意外とそんな世界でも楽しくやって行けるものなのかな?
0投稿日: 2023.03.15
powered by ブクログ何とも心にずっしりと重い。その重さの原因は、まるで自分自身の事を誇張して語られているような主人公の語り。自分が何故苦しみながら生きないといけないのか?知能が低い故にその苦しさに気付かない人たちは羨ましい。自分は優れているが故にその苦しみに気が付いてしまう、というのが主旨かと思うが何か共感できる。 このような面倒くさい主人公に共感できてしまう事は何とも心地悪いが、そういえば『賭博者』でも賭け事好きな人の心理を極限まで突き詰めたような感じだった。人の心にあるドロドロした部分に焦点をあてた内容は通じるものがある。 今はまだうまく咀嚼できてないけど、心にズーンと来るものがある小説には中々出会えないが、これは言葉にできないインパクトがある。キューブリックの映画を映像でしか伝えられないものがあると感じるが、ドストエフスキーは小説でしか伝えられない何かがあると思う。
10投稿日: 2023.02.04
powered by ブクログ「おそらく他者を、さらには他者の意識に映る自己を意識していないような文章は、一つとしてないだろう。かくして意識は、二枚の合わせ鏡に映る無限の虚像の列のように不毛な永遠の自己運動をくり返し、ついになんらの行動も踏み出すことができない」 解説のこの文章が「地下室の手記」の形式の面白さを的確に説明している。「諸君ははこういう反論してくるんだろう?」という前置きの頻出が、主人公の自意識過剰さの特徴であり、そんな性格が「不毛な永遠の自己運動」としての鬱々とした精神世界に彼を引き摺り込んだのである。自分は頭でぐるぐる巡らしているだけで、行動していく他人が無神経に見えるという捉え方が、彼の自尊心を肥大させ、「自分は知的」という傲慢さを生み出した。しかしそう思ってしまう気持ちは共感できる。このような人間の詳細な心情が文学というジャンル以外で表面化することは絶対にない。彼のような人間を社会と一番下から掬い上げて世間の目に晒したドストエフスキーの功績は大きい。
2投稿日: 2023.01.29
powered by ブクログなんか、めっちゃ共感性羞恥を煽ってくる。 ビリヤードのところのちょっと邪魔者扱いされただけで、ストーカーして個人情報集めて道端で肩ぶつける為に良い服用意して、そんでようやく肩ぶつける事が出来て満足してるとこ、もう哀れ過ぎて涙出てきた。 でも文章はユーモア?というか、面白くてめっちゃ読みやすい。 プライドエベレスト超えて大気圏突破してるとことか、苦笑い溢れるけどまぁそれはそれで楽しめる。 いじくり回した思考回路も、興味深いなぁって思いながら読んでた。
4投稿日: 2023.01.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
生きづらさを抱える主人公が孤独に耐えきれなくなって、親しかった同級生を訪ねるが、歓迎されず、それでも同級生たちの集まりに誘われてもないのに参加する場面。主人公は仲良くなかった同級生たちを見下しながらもわざわざ参加する。 だが、待ち合わせの時間に行っても誰も来ず、あとで時間の変更を知らされてなかったことを知る。その後も職業を訊かれ、答えたら給料が少ないのではないか?とバカにされる。 屈辱を受けて怒る主人公。 この集まりに参加しなきゃよかったのにって思ったけど、それ以外につながりがなくてしょうがなかったのかな。今はインターネットでいろんな考えの人を知ることができるけど、昔はもっと閉ざされていて、生きていくには狭いつながりの中でうまくやっていかなきゃいけなかったのかと思うと、主人公が病むのもわかる。
7投稿日: 2022.09.11
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2015.03―読了 1864年、ドストエフスキーが42歳の時に書いたという「地下室の手記」-江川卓.訳- フランスの作家アンドレ・ジッド-1869~1951-は、この中編を「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評し、 ロシアの思想家レフ・シェストフは、その著「悲劇の哲学 -ドストエフスキーとニーチェ-」で、 ドストエフスキーを見舞った「最もはげしい転機が突然現れている」と指摘し、ドストエフスキーの小説世界をキルケゴールやニーチェと繋がる実存主義的理解に道を開いた。 このシェストフの発見は、30年後の日中戦争前夜の昭和10年頃、日本に紹介され、思想弾圧下の転向問題に直面していた知識人たち-正宗白鳥、小林秀雄、三木清、亀井勝一郎ら-を強く捉え、大正期白樺派の人道主義的ドストエフスキー受容とは異なる、所謂<シェストフ的不安>が流行語にさえなったドストエフスキー観が成立していく。 ドストエフスキー自身は、「地下室の手記」執筆の10年後、長編「未成年」の創作ノートに、 「私は、ロシア人の大多数である真実の人間をはじめて描き出し、その醜悪な、悲劇的な面をはじめて暴露したことを誇りに思っている。悲劇性はその醜悪さを意識しているところにある‥‥苦悩と、自虐と、よりよいものを意識しながら、それを獲得することが不可能な点に、また、何よりもそういう不幸な連中が、みんなそんなもので、したがって、自分を改めるまでもないと明瞭に確信している点に存在している地下室の悲劇性を描き出したのは、ただ私だけである‥‥偏見をもたぬ未来の世代はこのことを確認するだろうし、真実は私の味方にちがいない。そのことを私は信じている。」と、書きつけた。
0投稿日: 2022.08.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2022.06.12 図書館 読もうと思って読めてなかった名著。 やっと読んだ。 ドフトエフスキーは罪と罰依頼2冊目。たしか。 読みづらい回りくどい文章で人の闇が延々描かれてるイメージ。 罪と罰より本が薄いからまだ読みやすいかな、と思って読みはじめたけど、ちゃんと読みづらかった。 前半は本当に哲学的で手記だからひたすらに地の文で難解な部分が多かった。 中盤から回想で物語的になったからそこからは最後までスラスラ読めた。 完全に拗らせた人の生き様? 共感する部分もあり、見てられない様なむず痒いような部分もある。 極端に他人を見下しているけど、その人は何も成していない。 刺さるものがあった。
2投稿日: 2022.06.12
powered by ブクログ先日文喫というブックカフェに訪れ、前から触れていなかったドストエスフキーの作品が目に留まり読んでみました。40歳で地下室に閉じこもった主人公の手記を読まされました。基本自分語り(登場人物は一応出てくるが相槌とか引き立て役程度)だったので、仲良くもない話も通じない、社会に絶望している人が怒りで書いた手記を読めと言われたらそれは苦痛なわけで…笑正直よくわからずに読了しました。読み返したくもないんですが、作品としてよくなかったかと言われればそうではないです。鮮明に心理状態を描写する表現力や、250ページ近くも自分語りで作品を完結させる力(完成度も高い)は圧巻でしたし、わからないけどなんとなくこれは凄い作品だなと思わされるなんらかの力も…笑 時代を超えて評価される理由の一端を知ることができて満足でした!
0投稿日: 2022.06.05
powered by ブクログ「 たまたま何かのきっかけで勇気をふるうことがあったとしても、そんなことでいい気になったり、感激したりしないがいい。どうせほかのことで弱気を出すにきまっているのだから。」 「 だれかに権力をふるい、暴君然と振る舞うことなしには、ぼくが生きていけない人間だということもある……」 「 安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?」
2投稿日: 2022.02.12
powered by ブクログ面白かった。こういう類いのひねくれ文章だいすき。なんとも言えない見えない感情とか思考の端から端までが全て拾われて文字として形になって表現されている感じに感動した。あまり認めたくはないけど、共感できる部分もかなりあった。
0投稿日: 2021.11.13
powered by ブクログ最初から最後までインターネットにいるキッッッッッッッッッッショい自我の話が繰り広げられていて、ここまで普遍的な実存の苦しみを、「エッセイ」じゃなくて「小説」として書けるドストエフスキー天才か?となった。今まで読んだドストエフスキー作品の中で一番楽しめたかもしれない。 自分以外の全ての人間が鈍感で野蛮に見えて、まともな人間はこの世で自分だけなんだと思ってんだけど、そういう風にしか他人を見られない自分のことが惨めでたまらなくて、さらにここまでの思考の道筋を他人の視線に目配せしながら曝け出してしまうの完全にTwitterにいる人(私含む)じゃん…「かくして意識は、二枚の合わせ鏡に映る無限の虚像の列のように不毛な永遠の自己運動をくり返し、ついになんらの行動にも踏み出すことができない」(解説より)耳が痛すぎるだろ。たぶんオーパーツなんじゃないか、この小説は
4投稿日: 2021.09.28
powered by ブクログいわゆる古典で声を出して笑うことって自分にとっては中々無いことだったけど主人公のあまりに膨れ上がった自意識と側からみたらぶつぶつ神経症のように独り言を呟いているだけで何も行動せず、誰とも交流できない様があまりにもリアルで、滑稽で笑ってしまった。序盤の自意識や理性、恣欲についての文章では彼が何年もかけて理論武装してきた毒々しい文章が不思議と身近に思えてきた。 随所で見られる「読者は〜だと思うかもしれない。しかし、〜」構文はいかにも自意識過剰な自分の意見をメタに見ている感じがして本当に面白い。 イギリスで始まった産業革命の波がロシアにも確実に押し寄せている19世紀中盤において、科学がきっと人類全体を善き方向に導いてくれるという漠然とした期待があったに違いない。それを嘲笑うかのようなドストエフスキーの筆致。理性で人間を導くことは不可能だし、科学が発展を極め、人間の根源的な欲求さえも計算できるようになったら、それこそ糞面白くもないのだ。 後半の同窓会に行くシーンはそのまま今クールのドラマで描かれていそう。膨れ上がった自意識でどこか生きづらさを感じ、直情型の体育会系に引け目を覚える多くの現代人にとって、この「地下室の手記」は秘蔵本になるだろう。決して、救いの書ではない笑。
4投稿日: 2021.09.24
powered by ブクログプライド高く、斜に構えた叙述。 人間は、抽象的帰結に弱いようにプログラムされており、合理性よりも”自分独自の私欲”を優先するとか、、 理性、名誉、効用に無意識に逆らい、もっと本源的な利益に対して動くとか、、 ネガティブに世の中を捉え、やや拗れた世界観を持つが、どこか本質を突く部分はある。 直情で活動家な体育会系とかドストエフスキーは大嫌いだったんだろうな〜 変に自信のある自尊心の強い若者の事も嫌いだったんだろうな〜 スラスラ読みたい人には、向かない。 個人的には展開が遅く、ネチネチ述べたこの小説はわりと大好物
1投稿日: 2021.07.28
powered by ブクログ主人公のプライドの高さ、自意識の過剰さや独占欲の行き過ぎに苦笑する部分もあったものの、それでも人との関わりを渇望してる内面を見て人間味を凄く感じた 内容的には第一部が難し過ぎて正直理解出来ていない部分かほとんどだと思う、、
1投稿日: 2021.07.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ドストエフスキー作品の読みづらい感じを集約したような難解さを感じたが自伝だと思えばまだ入り込めた。あとがきにもあるようにこの作品が後のドスト作品の名作につながってるらしい。主人公が一貫してこじらせている。こじらせた主人公による手記、日記調だから途中の読みづらさがすごい。ドストエフスキーらしさが集約されてる。読みのが辛くなるくらい人間のクズな部分が晒し出されてる。
0投稿日: 2021.05.14
powered by ブクログ■憎悪、偏愛、嫌悪、復讐、執念、侮蔑、屈辱、恥辱、虚栄、悔恨、演技、腐敗、自虐、臆病、傲慢、苦悩、エゴイズム…病的なおもしろさ■ 「僕にとって愛するとは、暴君のように振る舞い、精神的に優位を確保することの同義語だからだ」 手記の著者である主人公は、自身で認めるとおり、虚栄心の塊みたいな男である。 精神の病み具合、頭のイカレ具合が尋常ではない。それでいて自身の虚栄心、病的心理、過剰なまでの自意識を冷静かつ精緻に分析して記述している。なんという自意識か。 高すぎる知性ゆえ、プライドを傷つける者に対し懲罰を与えたいという執念にも似た欲求と、虚栄心を満たすことへの渇望が彼の原動力である。そしてそれを完全に認識しつつも止められない。むしろ止めることをよしとしない。 「僕にはならせてもらえないんだよ…僕にはなれないんだよ…善良な人間には!」 悲痛な心の叫びのように聞こえるが、彼自身、本気で善良な人間とやらになりたいと思っている節はない。仮になったとしても、翌日には100%偽善であることを自ら認め、笑い飛ばすに違いない。 さて、本書前半は非常に読みづらい。主人公の御託が延々と続く一方で、ストーリーに動きがないため、文字の上を目線が滑っていく。楽しむための読書であれば、それで全く構わないと思う。 一転して後半、ようやく人物とストーリーが動き始めてからの主人公の病的な言動と心理描写。このおもしろさは圧巻だ。 本書を読み、自分の性格のひねくれ具合など、まったく取るに足らない、かわいいものだと妙に安心してしまった。はてさて、これでいいのやら…
0投稿日: 2021.04.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「正常な人間はもともと頭が弱いはずのものかもしれない」って言葉がずっと引っかかって、友人とずっと話してた。生物的に優れているのはどちらなんだろう。大馬鹿者で、理性的でないようなとんでもないことをしでかす人間の方が長期的な目で見ると優れているのかもしれない、だから生存選択で生き残って、この本が共感を集めているのは結局このタイプの人間が多数で、倫理を説く人間より優れてるんだろう。そうしたら人間って可愛いしすっごく天才的な選択された生物な気がしてくる……?かも。 ドストエフスキーはこういう一般的なこういうものを持っている人間に対して何を思っていたんだろう。きっと自分の中にも持っていたのだから「これが一般的なものと気付いている私の方が世間より少しだけ上だ」って思ってたとか。けれど手記中の見透かされたような語りかけを読んでいると、そんな単純に推し量れるものではないのだと思う。頭が良い人が本当に羨ましくなる……。 「とんでもないことをするのは自由なことを選択する権利が自分には残っているって証明するため」ってあって、自分の中のもやもやした気持ちを言語化するのがなんて上手なんだろう……!って感嘆してた。言葉のセンスも好き。「しゃぼん玉と惰性」って言葉すごく惹かれる。ごみ溜めの中に1つましな言葉があっただけの事かもしれない……。 通りで道を譲ることに耐えかねて、肩をぶつけて将校と対等であることを示すために給料を前借りして立派な服を用意するエピソード、好きすぎる。
0投稿日: 2021.03.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ひたすら社会や周囲を見下して自分はえらい間違っていないなどと自意識がやたらに強く後悔もしない悲劇的で醜悪な人間をえがきだした作品。 とはいえ、出だしから『ぼくは意地の悪い人間だ。』『これは肝臓が悪いのだと思う。』でも医者が嫌いだから『いっそ思いきりそいつをこじらせてやれ!』という無茶苦茶なことを言い出したからこれはギャグか??と笑ってしまった。 絶対に絶対に帰ってやる!!!→だが、帰らなかった、のように心で毒づきまくって勢いのいいことを言うくせに実際には実行にもうつせず余計に事態を悪くさせていく様は滑稽で醜悪。 第一部は主人公がぐだぐだと思想(とはいえないとおもうけど)を披露し続けるだけなので、読んでて多少きついところがあるけど、第二部になり同窓生たちと会う場面以降になると一気に読みやすく面白くなる。 同窓生たちのことも見下してバカにしているから向こうからもそれ以上に嫌われる。 それなのによばれてもいない送別会に無理やり出席して、皮肉を言い、喧嘩し、暖炉から椅子の間を三時間にもわたって靴をカツカツさせながら歩き回り、しまいには娼館にいく金を借りようとする始末。 あまりのひどさに笑いが止まらなかった。 実際にこんなひとがいたらまぁ恐怖のほうが強くでるだろうけど、読んでるぶんにはシュールなギャグと紙一重。 その後娼婦との事後、態度が気に入らなかったことと同窓生たちに冷たくされた苛立ちから『きみなんかの人生はどんどん落ちこぼれてひどくなって最後は広場で男に殴られながら客をとる始末になるし、しめった墓地にうめられるときは墓堀人たちにめんどうくさがられるだろう』的なことをダラダラとひとりでしゃべり続けたあたりで私は本格的に引いた。 生意気な女には身の程をわきまえさせてやろう、自分はいいけどお前はこれだけ身分が低くて卑しい人間なんだと思い知らせてやろう、というゲスな男によくいるような典型で本当にどうしようもないやつだとおもった。 そんなことを言っておいて、その女を助けてやった、感謝されるだろう、自分は救世主だ、みたいな考えなところが全く解せない。 なぜそう思えるのか。 でも、私もあまり人間生活が得意ではなく息苦しさをいつも感じているから心当たりがある部分もあった。 『《生きた生活》に対してある種の嫌悪を感ずるまでになっている。』や、『自分の臆病さを良識と取違えて、自分で自分をあざむきながら、それを気休めにしている。』などは読んでいて辛かった。 だからこそ、《生きた生活》が苦手だとしても決してこの主人公のようにだけはならないように気を付けようと自戒できたのでよかった。 私のように心当たりを感じるひとは楽しめるだろうけど、生きるのが楽しくてあまり悩みもないようなひとは読んでも自己愛の強い人付き合いの下手な主人公が奇行にはしったり文句言ってるだけのうっとおしい話にしかうつらないのかもしれない。
0投稿日: 2021.03.09
powered by ブクログ喧嘩を吹っかけてその場を台無しにしておいて、その相手に金を借りる図太さというか厚かましさというか、理解に苦しむ場面が多い。しかし、世間の冷たい視線が多少理解出来てしまうのが主人公の不幸だと思った。
0投稿日: 2021.02.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
初めてのドストエフスキー。 果たして、これから入って良かったのだろうか… ただ、人間誰しも持っていると思われる、ドロドロとした部分が非常によく書かれていると思った。 本当はあまり笑える話ではないのかも知れないが、私はこれを所々笑いながら読んでしまった。 主人公、本当にどうしようもないな…本当は友達と仲良くしたいのに、酔っ払って逆ギレし、挙句にお金を貸せ!とか言うし、お店の女の子に説教をし出す(しかも長々と)し…何だよ、コミュ障のぼっちかよ…と思ったが… 一歩見方を変えれば、自分もこうなのかも知れないと、ちょっと思った。 本当はもっと素直に、そして人と仲良くしたいのに、それが出来ない自分がもどかしい。地下室に篭ってしまいたい。うわあああああ!となる時がある。 こういう風に言えばよかった、ああすれば良かったという後悔に苛まれることがある。 そして、私は本当にどうしようもないな、駄目人間だなと思い、どこかに隠れてしまいたくなる。 そうやって、そこからキャンキャン吠えたくなる。 そういう意味では、この本をこのタイミングで読んで良かったと思う。 この作品を境にして、5大傑作が書かれたそうだが…私に、カラマーゾフを読めるのか。 地下室に篭って読んだ方がいいのかな、そんな気持ちである。
5投稿日: 2021.02.09
powered by ブクログ誰にも愛されたことがない。人を愛したこともない。社会から隔離された暗闇の部屋で綴られる、どす黒き魂の軌跡。 極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。人間の行動と無為を規定する黒い実存の流れを見つめた本書は、初期の人道主義的作品から後期の大作群への転換点をなし、ジッドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評された。
0投稿日: 2021.01.29
powered by ブクログこの主人公、私じゃないの!!!!!!!!と思ってめちゃくちゃに共感しながら読んでたら、解説で「この主人公はドストエフスキーではないし、彼はこういう人物を正しい人間として書いてはいない」とか言われて凹みました。 娼婦にクソ長説教垂れるあたりが好きです。図に乗るな。
0投稿日: 2021.01.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「意識は病気である。。。かくして意識は、二枚の合わせ鏡に映る無限の虚像の列のように不毛な永遠の自己運動をくり返し、ついになんらの行動にも踏み出すことができない。ただ、その無限の像の彼方に、これまで誰ものぞき見たことがないような実存の深淵を見いだすだけである。」 (訳者解説より) 自意識という地下室に閉じ込められてしまった男のモノローグ小説。前半ではひたすら彼の心情やら思想やらが、ああでもないこうでもない的に延々と語られていて、よく理解出来ないし読み続けるのが苦痛だった。 後半は、さすがに部屋に閉じこもっているのに飽きて人恋しくなった彼が久しぶりに同級生を訪ね、天敵のように嫌っていた他の同級生の送別会に無理矢理割り込んで参加し思いっきりその場を白けさせてしまったり、置いてきぼりにした同級生をしつこく追いかけて行った娼館で娼婦に高邁な説教を垂れて、下手な同情心から自分の住所を教えてしまい、本当に彼女が訪ねて来ると自分のみすぼらしい姿を見られてしまったことに逆上し彼女を徹底的に侮辱する。。。そんな娼婦との別れの最終シーンは美しい映画のシーンのように感動的で、私の脳裏に焼きついた。 まあやることなすことトンチンカン。その彼のぎこちない姿にそこはかとなく可笑しみを感じることもあるのだが、とにかく見ていて痛々しい。若かった頃の自分につながる部分もあったりして後半は結構面白く読めました。
0投稿日: 2020.12.16
powered by ブクログ大学時代、とある論文を評価してくださった教授から本書をいただいた。 全編を通して重くて暗いが、 1人の男の独白の中に実存の重みを確かに感じた。
0投稿日: 2020.09.22
powered by ブクログ恐怖。フィクションではあるけれど、リアルな描写で一気に引き込まれる。読むのに時間がかかったけれど、内容がとにかく深い。 何回も読んで理解できそう。すごく考えさせられる本。
0投稿日: 2020.06.25
powered by ブクログ親しくもない友達の送別会に無理矢理参加して逆ギレし、酔って風俗嬢に説教するという、この主人公のやってることは最悪なんだけど、こいつのことが可愛そうで可愛くて、抱きしめてやりたくなる。 あーでもないこーでもないと考えを巡らせ、リーザの考えを勝手に想像していきなり怒り出したり泣き出したりする。これは鬱状態の人間の思考、意識をものすごく克明に描いていると思う。
0投稿日: 2020.06.23
powered by ブクログ自意識が強くて、偏屈で、それゆえ「虫けらにさえなれなかった」男の手記である。 友人にかまって欲しくて、でも素直になれなくて、暖炉とソファの間を3時間行ったり来たりしている様子がなんとも滑稽で、でも他人事ではないような気がした。 あれはダメだ、これは嘘だ、そんなの自分じゃない、などと考えすぎてしまうと、結局この男のように地下室に閉じこもる羽目に陥ってしまうということなのかな。 「ぼくは病んだ人間だ」という書き出しで始まるこの手記には、太宰治の「人間失格」に非常に近いものが感じられる。
0投稿日: 2020.05.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
地下室 前書き 「私」という虚構を虚構として記述しようという宣言? cf.『孤独な散歩者の夢想』におけるルソーの一人語り宣言 ー他者の消極的受容。他者なしではもはや語れない。 ーしかしその他者は偏在する。誰でもない。「ぼく」を見るという行為の結晶のようなもの。「ぼく」をその外部として存在せしめる他者。永遠に迫りくる他者。 無限循環 ー無限の弁明、無限の(空想の)他者 ー社会の、他者の名前付け(意地悪、お人好し、英雄etc)に対する拒否。ぼくはぼく。事実確認的次元でしかなりたたないわたしのアイデンティフィケーション。行為遂行的次元の引力で永遠に連鎖する事実確認的次元のわたし。 ー偏在する他者、「ぼくは何者?」(⇔革命家) ー偏在する他者はしかし感情の対象にはなりえない。相手にするべき対象は存在しない。空想。しかし空想しないわけにはいかない。何もできないぼく 自意識過剰 ーぼくは”病的”で”アブノーマル”で”いやしい” ーしかし、そうした異常である性質が自らの正常な状態であり、そういう意味で”病気””憑きもの”と切り離すことはできない。 ー不完全なぼくこそぼく。 ーそれを不完全と認識できるだけの意識はドストエフスキー(の主人公)にはある。潔白の証明よりも、そうした限りなく社会不適合的なわたし、抑圧されるわたしを含みこんだほんとうのわたしの探究。他者化(社会化)以降のわたし。言語以降のわたし。 ーぼくも知らないぼく。わたしに対する不安。 (⇔≪l'homme de la nature et de la vérité 自然と真理の人≫ ルソー) 他者が与える名前が「わたし」ではないし拒否したい、 でも同時に他者が与える美しい名前で「わたし」を受け入れたい。 ー「他者」の中に生きたいから、「他者」からの評価を求めるが、それは「わたし」を他者が望むように置き換えて、飾りつけ、偽ることで、「わたし」をよく理解してほしいという欲望は結局満たされない。という矛盾。 ー「他者」からの愛など望んでいないとうそぶいたところで、「他者」は偏在しており、「他者」を切りはなすことなど到底できない。「他者なしのわたし」は「ありのままのわたし」ではもはやない。 ーわたしが「わたし」を知れる、知りたいのは「他者」がいるから。わたしが「わたし」を知るのもまた「他者」の言語によってでしかない。 わたしも「他者」に名前を与えて、それによって決めつけているのだという理解と、自戒。【リーザ】 ーわたしは「ありのままのあなた」を知りたい。それこそが愛。本当のつながり。でもそれがままならない。わたしはどこまでも「あなた」を知らない。 ー「ありのままのあなた」と「ありのままのわたし」ならばつながれるはずだというユートピア的想像。【ズヴェルコフ、リーザ】
0投稿日: 2020.05.23
powered by ブクログこの本を45歳の今初めて読んだけど20歳の時に読んでいたらどんな気持ちになったかな? どんな人生になったかな? そんなことを思う。 若いとき、この上なく「正解」みたいなものに疑問を感じてた。両親は熱心な信仰宗教の信者だったのが影響したのかもしれない。信じることになんとなく胡散臭さを感じたんだと思う。だから正解なんてないんだと。 23の時、それまで多分「正解」とされていた生き方に我慢が出来なくなって、会社を辞めた。 今思うと、反動とか夢追いとかではなく無限に思われるような疑問に我慢が出来なかった。 自分の中で「なんで?そうなるとは限らんやろ?誰が言い切れるの?」が爆発寸前のような爆弾を抱え込んでいた。
7投稿日: 2020.04.11
powered by ブクログ久々に、心に重々しく迫ってきて、余韻を残してくれる本に出会えた。第一部を最初に読んだ時は、思考の飛び方が腑に落ちないことが多々あったが、第二部のエピソードを読んでから再び第一部を読むと、主人公の人間性からだいたい納得できた。 主人公の心の中に築いてきた地下室は、醜悪で屈折していて、下劣で独りよがりだが、ただただせせら笑うことができなかった。内容が違うだけで、自分も地下室を持ってることに変わりはないから。主人公に共感できてしまう部分もあったし、自分が主人公の地下室を醜悪だと思うのと同じように、他人からみた自分の地下室も醜悪な部分があると思う。 共感した部分の一部。 ・理性が感情や欲求に勝てずに馬鹿げた行動をとるのが人間だ ・欲求に従うのは人間が物質的に扱われることへの抵抗である ・あまりに意識しすぎるのは病気だということ ・逆らえない性や運命がある、自然の法則がある ・理性で理解すればするほど、欲求との乖離を自覚してもがき、それ故に何を選択しても自分を苦しめる ・何か言い切ったくせにすぐに掌を返し、自分を守るために反対の主張をし始める ・自尊心は高いくせに自分を劣悪とみなしている矛盾、その他矛盾に満ちている内面 1番共感したのは、誰かに復讐する場合の記述だった。直情型の人間は復讐を正義と盲信して行動するが、自意識が強い人間は正義を否定し様々に考えて醜悪さにまみれた挙句、行動する。そんなものは根源的理由などではないと分かっているにも関わらず感情に身を任せてみると、万事を承知の上でわれから自分を欺いたことで、自分で自分を軽蔑する結末になる。行動しない場合には、復讐の妄念に悩まされ続ける。 絶望の中の快楽の話は、逆境で燃えるとか、追い込まれて頑張っている時の楽しさとか、頑張ったからこそ生じている痛みとかを考えたら、一部は分かるけど、一般化できるほどには共感できないし、嫌悪感9割といった感じだった。 主人公の醜悪さを見て、自分だけの理論を持って、理解し難い価値観を持っている人間は、他にも腐るほどいるということに辟易するし、私もそういう部分を持っているから余計に嫌気が差す。 思考か行動かについて、二極論を提示し、一方を貶して一方を崇めているが、考えて行動するのが最善だと思う。思考が完全であることなんてほとんどないんだから、ある一定値で妥協して、行動して、修正する、そう割り切るしかないよな、と。他にも二極論チックな部分が多くあって、その二択にしたくなる気持ちは分かるけど…と思いながら読んだ。 主人公はひたすらに自分の有能さを語っているが、その根拠は全くないし、語られるエピソードは主人公の馬鹿げた行動を物語っている。この小説は、ドストエフスキーが主人公を軽蔑しているからこそ一種の安心をもって読むことが出来ると思う。
6投稿日: 2020.04.08
powered by ブクログ安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか? 不幸にしがみついて生きる書物的人間 「僕はならしてもらえないんだよ…善良な人間には!」
0投稿日: 2020.01.16
powered by ブクログ情緒不安定でヒステリックな主人公が、自分にも周りにも、腹を立てまくり続けるお話でした。 でも、自分の心に正直にしか動けなければ、誰しもこんな感じかもしれない。 考えされる作品でした。 とはいえ、楽しい作品、ストーリーを楽しもうといった自分のようなライトな読者にはちょっと楽しめない作品かも。 読書上級者やドストエフスキーについて深く考察したい方向けの本だと思います。
0投稿日: 2020.01.09
powered by ブクログ読もう!と決心してから…腰を上げるまで時間がかかるのだドストエフスキーの作品は! 「地下室」と「ぼた雪にちなんで」の二部構成 ※以下軽くネタバレ有ります 「地下室」は40歳の元役人がペテルブルグの片隅の住居・地下室になんと20年近く籠城しながら、社会に溶け込めない自分の不満(彼なりの思想だか哲学)が「俺は病んでいる……。」から始まり、延々60ページ近く言葉を変え変え独白するという内容 逆に言えばよくもまぁ同じことを手を変え言い続けられるものだ 60ページも!(まぁ20年と考えれば少ないくらいか(笑)) 思想も理論もへったくれもない ただただ自我剥き出しの醜悪な内容 他人を一切信じずに見下しているくせに、全て裏を返せば自分をわかってくれる人を心の奥底から求めている ここを読むのはかなり大変だが、乗り越えた次の構からもうそれはそれは一気に面白いのである そのための助走として頑張って読むのだ(笑) (ここが面白くなったら本物のドストエフスキーファンと言えるのかなぁ…) 「ぼた雪にちなんで」 こちらは24歳の主人公に起きた出来事 大きく3つの内容に分かれている(と思う) 1つ目 「地下室」の独白された主人公の具体的な行動により、彼を読者がよりわかりやすく知る序章的内容 独りよがりの妄想決闘とでも言えようか… ここはパロディ的に面白い(相手が全く気付かない決闘なんて!そして自分が勝ったのだ!と歓喜するのである) 2つ目 学生時代の同級生との出来事(ある人物の送別会) みんなと仲良くやりたい本心があるのだが、もうそれはそれは真逆の態度で戦闘モード 皆に嫌われて、引っ込みがつかないとわかってもと言い訳を考えては「帰る」という選択肢を取らず居座り続ける まるでスポイルされまくった駄々っ子のような最高の醜態をさらしまくるのである 3つ目 娼婦であるリーザとの出会い ロマンチックな自分を演出しながら「君は間違っているんだ」と偉そうに正しい道を諭すようなことを言ってみせる しかしながら再会した折に、うっかり自分の脆さをみせてしまい、ついついそんな自分をぶちまけはじめ、隠していたはずの内面をマグマが噴き出すかのごとく暴露してしまう そして……… 現代なら一体何という名の精神病であろうか… 妄想癖、誇張癖がひどく虚栄心が異常に高い 自分の殻に閉じこもって悪態をついて憂さ晴らしをしたかと思うと、自己嫌悪に陥らないための言い訳だらけのストーリーを組み立て自分を納得させる 人恋しいクセに異常なプライドと自分を守るために人を見下し陥れようと常に考えているのだが、所詮器が大したことは何もできない たまに少し攻撃姿勢を見せるのだが、途端、亀が首を引っ込めるように言い訳して逃げる まぁとにかく呆れること甚だしい ここまで人の醜悪性や滑稽さをむき出しにした作品も珍しい気がする しかもそれを全く負としてのオーラを出すことなく、悲劇のヒーローにも全くならず洗いざらいの醜態を読者にみせつける もしかしたら、心に全くの闇のない澄んだ人にはさっぱり理解できない作品だのではないだろうか 最初あまりにもパロディじみた内容に笑ってしまったりしていたのだが… 主人公にまったく共感したくなんかないのに、まるで誰にも絶対に見られたくない自分の心を見透かされ、ズルズルと日の当たる公の場所に引きずり出される…そんな激しい心の痛みを覚え愕然とする 読むのにこんな意味で辛くなる作品があるのかと正直驚いた 人間の心の底とか魂とかではなく、なんというか「核」みたいなものにズドンとくる ズドンときたら穴が開いてそこにすきま風が遠慮なく吹きつける 何が起きたのか…としばらく放心してしまう… そんな何とも言えない衝撃作品だった くる人にはくる(堪える)やばいヤツである やっぱり凄いぞドストエフスキー これは本当に読む価値がある どこにも逃げ場がないほど、とことん自分と向き合える恐ろしい作品 ちなみに主人公の名前は「ネクラーソフ」 (日本人しか笑えないが…)
33投稿日: 2020.01.06
powered by ブクログこの手の、といったら何だけど、昔の偉い小説家?の本を読むと、このどうしようもないダメ人間っぷりをさらけ出すのが大事って思うよね。みんなダメ人間だけど、それを赤裸々に語るのは結構厳しいわけで、ある種の黒歴史的な。 というわけでこの偉そうなおっさんの本も読んでみればどうってことないっていうのを分かるためにも良い本じゃないか。何しろどうしようもないおっさんの日々を読んでもどうでも良いじゃないかっていう感じがすごくて、もしかしてわしも本を書いても良いかもってなる罠。
0投稿日: 2019.12.29
powered by ブクログ表層的な快楽を求める生き方と悶々と自己に向き合い内省を深める生き方がある。 はたして、博識は幸せに行き着くのか? 私たちは理論の上ではなく、現実世界に生きていることを認識しなければならない。
6投稿日: 2019.12.26
powered by ブクログロシアの文豪・ドストエフスキーの、 五大長編へ続くターニングポイントと位置付けられるような作品。 人間は不合理な本性を持つものであることを暴くように描いています。 著者は、ゆえに、理性できれいに作られる世界なんて絵空事である、 というようなことを第一部では主人公に語らせている。 人の不合理性と世の中が合理性へと進んでいく、 その齟齬を見つめているところは、 現代の僕らがあらためてなぞっておいたらいい。 また、私欲とか理性のくだり、 人間の行動原理についてのところですが、 著者と議論したかったなあと。 <人間は自分にとっての善しか行わない(それは周囲からしたら悪だとしても)>、 <悪だとわかるには無知を克服していくことが必要>、 <人は他律性を嫌う>、 それら三つをドストエフスキーにぶつけてみたいと思いました。 きっとスパークするものがあったはず。 というか、僕のこういった思考の源泉、基盤となっているものの多くには、 たぶん以前読んだドストエフスキーの五大長編があるのでしょう。 だから、彼に育てられて、後を引き継いだところはあるのだと思います。 この『地下室の手記』を書いたドストエフスキーの年齢と、 それを読む今の僕の年齢がいっしょ。 だからこそ、わかる部分や響く部分ってあるかもしれない。 でも、僕も著者くらいわかっていることはあれど、 彼ほどうまくプレゼン(独白調文体でのだけれど)はできないかな。 すごく饒舌なんですよね。 私語を慎みなさい、と口を酸っぱくして言われ、 それに従わなきゃと、自分を抑えて大人になったぶん、 そういった「饒舌の能力」は育ちがよくなかったです。 言葉の巧みさと、 パソコンでたとえるならメモリの容量の大きさ、 そこが強いと思いました。 また、「地下室」のたとえも、 「こういうことなのか」と読んでわかると、 村上春樹氏が地下室のさらに地下みたいなことを言ったその意味が、 より確かにわかってくる。 それにしても、主人公の自意識がすごいのです。 自意識のすごい描写や独白部分を読むと、 自分の自意識の強い部分が刺激され、 いくらか客観的といった体で知覚されて、 恥ずかしくなります。 小さくなりたい、自分もバカだ、と思い知るような読書になりました。 第二部では、主人公の青年時代の回想になります。 バランスを崩しながら、 そのバランスをうまく平衡状態にもどすことができずに(いや、しようともせず)、 そのまま生きていくことで、 雪だるま式に不幸と恥を塗り重ねていくさまを読み、たどっていきます。 著者は「跛行状態」と書いていますが、 跛行ってたとえば馬の歩様がおかしいときにそう表現します。 なんらかの肉体的なトラブルを抱えてしまった時なんです。 それを、人生が跛行している、というように形容するのは、 バランスを崩している、というよりも上手な表現だなあと思いました。 もう、醜悪で、みっともなくて、性悪で、露悪的で、 どうしようもないアンチヒーローな主人公なんですけども、 それこそが人間だろう、とドストエフスキーは言っているんじゃないかな。 利己的だったり支配的だったりするし、 また、他律性を嫌っているのだけれど、 かといってそれを自覚できていないから、 心に引っかかるものがある状態でうらぶれる。 そして、うらぶれていると癪に障ってくるので他人を攻撃しだす。 そうすることでしか、自分を確かめられなくなっている。 つまり、それが、さっきも書いた「跛行状態」なのでした。 自律に失敗している。 自制がきかない。 そこまでバランスを失ってしまった人間が、 たどり着いてようやくなんらかの安定を得たのが、 「地下室」でもあったでしょう。 それは醜悪な自分を許容することで 入室することができた地下室だったのではないかと思います。 第一部は思想をぶちまけていて、それはそれで面白いのですが、 第二部の後半への、一気に膨らんで破裂するような、 物語がほとばしる感覚、そこはすごいなあと感嘆しましたし、 エキサイティングでした。
4投稿日: 2019.09.27
powered by ブクログこの手記の著者も手記そのものもフィクションである。「彼」は社会の特徴的なタイプの一つの可能性であり、一世代の代表者だという。しかし、国も時代も違うのにどこか自分自身にも通ずる点があった。それだけに、「彼」の哀れさには鈍痛のように心に響く。
3投稿日: 2019.09.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「好きと公言できない本」というのが本書に対する一言の感想です。内容はだいぶ違うけれど、好きなツボ的に太宰の本に似てるからでしょうか。個人的には大好物です。 「この箇所ちょっと共感する」なんて不注意にも言ってしまえばたちまちドン引かれること請け合いです。注意してください。ごく親しい友人だけに、ニヤニヤしながらお勧めしたい本です。 以下、少々ネタバレを含みます。 本書は、元役所勤めで現在無職の40の主人公が、地下室に閉じこもって長年ぐるぐる思い巡らせていた自意識を思いのままに書き殴った手記です。ここまでの紹介だと、まだ敷居の高い感じがするでしょうか。しかし、実際内容が終始イタイイタイです。特にイタイイタイ箇所をご覧に入れたいと思います。 主人公は学生時代に周りを見下していたため、周りからも毛嫌いされていました。だから卒業後はほとんどの学生と絶交状態にあったのですが、その中でも道を歩いていたら挨拶するぐらいの関係にある友人は2、3人いました。ある日孤独に耐えられなくなった主人公は、その中の1人を訪ねていきました。そこには他の学校仲間2人も集まり、街を離れる友達の送別会の話し合いをしていました。出し抜けに現れた主人公は「え、おまえかよ……」みたいな塩対応をされたことで、怒り狂います。みんながお祝い金を出し合ってる中、勢いで自分も金を出すと言ってしまい、家に帰ってから猛烈に後悔しました。お金を持っていなかったのです。でもプライドが高く、退くに退かれません。やむなく上司に借金してパーティに出席します。そこでも自分が貧乏なことを暗に皮肉られ、激怒した主人公は、みんなが自分を無視してワインを飲むのを尻目に、独りその場から離れることにしました。向こうが申し訳なくなって話しかけてくれるまで、意地でも話さないことに決めたのです。ただ、じっと座ってるのでは格好がつかないので、部屋の一画を足音高く響かせて歩き、彼らになど相手にされなくても平気だと装いながら、声をかけてもらうのを待つことにしました。しかし、彼らの目の前を歩いているというのに、ガン無視され続けます。「ああ、俺がどんなに知的に発達した人間かを、思い知らせてやれたらなあ!」頻繁に方向を変えるせいで、目が回ってきながらも、やせ我慢から歩みを止めませんでした。実に3時間、彼らのうちの1人が話しかけてくれるまで、主人公は暖炉とテーブルの間を行ったり来たりし続けたのでした。 いかがでしたでしょうか。少しでも本書の敷居の低さを感じていただけたら幸いです。 最後に、私が本書を単なる滑稽本に貶めて面白がっているわけではないということをご承知おきください。
5投稿日: 2019.06.10
powered by ブクログドストエフスキーの処女作『貧しき人々』から後期の5大傑作長編『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』への転換点となるのが本書。 うだつの上がらない自意識過剰な中年の小役人が世間に悪態をつき続ける文体の本書。 第一部はひたすら世間を呪っているばかりで非常に読むのが苦痛だったが、第二部の主人公の回想パートになり、同窓生と会うというところになってからは主人公の他人との関わりが感じられ、まあ、共感はできないものの分かりやすく読み進めることができた。当時のドストエフスキーの心情を推し量ることができた作品だった。 本書が執筆されたのが1864年、日本で言えば慶応元年(明治維新の4年前)、新撰組の近藤勇、沖田総司らが池田屋に踏み込んで長州藩らの尊王攘夷派の志士達を切り倒していた幕末の荒れた時代だ。 この時代に活躍した日本の作家を調べてみたら河竹黙阿弥(かわたけもくあみ・1816年~1893年・江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者)が出てきたが、名前くらいは日本史で習ったことあって知っているが、当然、その作品は見たことも読んだこともない。 この時代の文学が今も変わらず読み継がれていることについて、ドストエフスキーやトルストイの偉大さを再認識するとともに、文学のすばらしさを改めて感じたひとときだった。
13投稿日: 2019.05.09
powered by ブクログドストエフスキー 「 地下室の手記 」 驚きの読書体験だった 主人公が著者の思想から独立している *著者は 主人公の自意識を悲劇的に描き *主人公は 合理主義者(無神論者、自然科学崇拝者)の理性を批判する 2つの場面が 1つのメインテーマ(おそらく反キリストの悲劇)を 照らしている *過剰な自意識による自閉な世界(地下室) *誤った人間観を持つ合理主義(無神論、自然科学崇拝) 人間観の秀逸さ *道は〜どこかに向かって 続いている〜大事なのは方向でなく、それが続いていること *人間が破壊と混沌を愛するのは、目的を達し完成するのを恐れているから 合理主義への批判 人間は 自分の欲するまま行動するのであり、理性や利益ではない〜人間に必要なのは自分独自の恣欲
2投稿日: 2019.03.01
powered by ブクログ40歳の男は地下室で鬱々と手記を書く、過去の事を段落もなく、思いを垂れ流すように書いていく。 彼は、大柄な将校に、体を持ち上げて脇に置かれたことを恨み、その将校を主役にした暴露小説を書く。彼が決闘を受ける人間ならばと、2年後に果し状を書くが投函はしない。道をすれ違う時に、なぜ自分が避けるのかと悩み、肩がぶつかれば対等になれると信じて、幾度も怖じ気づきながら、給料を前借りして買った服を着てぶつかり優越感を感じる。1章では、彼とは1年半戦争状態で最後は自分の勝利に終わったと書いてある。 馭者は叩けるし、風俗嬢には9Pに渡って説教をできるが、昔の旧友たちには強く発しても言葉に詰まり、殴ろうと思うが理由をつけて回避する。 矮小で偏執的で、妄想で勝って自尊心を保つ。 1800年代のロシアに詳しくないが、この本は現代に置き換えても理解できるだろう。学もなく金もなく大した仕事にもつけず、部屋でマンガを読んで、たまに女を買いに行く生活。同窓会に参加したら嘲笑され、意味もなくレストランを歩いても見向きもされない。酔っ払って風俗に行って、嬢に説教する。妄想は肥大して、自己弁護を繰り返す。時が経ち何となく自伝小説でも書いてみるが、恥ずかしい。 ドストエフスキーは地下室の男のイメージに何を入れ込んだのか。金もなく格好良くもない男が持つ感情を極大にして書いているだけなのか。今の私には全てを理解するのは難しい。
4投稿日: 2018.10.31
powered by ブクログ地下室にこもっりきりの話かと思ったが、そうでもなかった。 最初、グダグダした自分語りが続く。サリンジャーとか、太宰とか、こういう奴の話って筋道立てて話してるようなんだけど、さっぱりその筋道が判らなくてウンザリする。当方の頭が悪いんだろうけれど。 自分が地下室に引きこもったら、こんなに喋らないだろうな。そういう点が違和感があるなあ。まあ、饒舌でなければ小説にならないだろうけれど。 古い知り合いの懇談するレストランに押しかけ、醜悪な態度を見せ、他人を罵倒したかと思うと、友情を懇願し、言ってることやってることが支離滅裂。この辺は馬鹿かと鼻で笑ってられたが、娼婦のリーザのその身の不幸を偉そうに知らしめる物言いに頭に血が上った。 何だ、他人の気持ちに沿う想像力のかけらもない馬鹿は。ぶん殴ってやりたいぐらい不快。それでいて、リーザは自分を尊敬するはずだと考える。ホント、何なのコイツは。 最後のリーザとの顛末も醜悪。自分が汚した相手に救済を求まる心情が理解できない。ワーグナーも同様だけど女性に救済を求めるって男の勝手な心情だと思う。 40過ぎでこんなもの書いたのかと、ドストエフスキーのイメージが崩れそうになったが、解説を読むと、主人公は著者を投影したものではなく、当時のロシアを観察をして、絶望の分析をしたとある。 こんな勝手な事ほざいている奴が絶望のモデル?。絶望はもっと無言なものではないのだろうか。
1投稿日: 2018.09.29
powered by ブクログ初めてドストエフスキーを読んだが、第一部は頭がこんがらがってついていけなかった。第二部を読み進めながら、第一部に行きつ戻りつで読み終えた。 主人公の自意識の高さから自分の本心と逆方向の行動をしてしまうもどかしさを感じながら、自分が共感できる部分と出来ない部分を感じつつ、新鮮な刺激で、考えさせられる作品だった。
0投稿日: 2018.01.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
〈地下室の男のださすぎる言動一覧〉 ・24歳なのに他人の殴り合いを見て羨ましくなり、よし、殴り合ってみよう!と思う ・しかし、2mの大男を前にあえなく退散(無念の涙) ・その日からそいつを付け回し、決闘を申し込む妄想をする ・肩をぶつけてやろうと画策するも、目の前にすると道を譲ってしまう ・ついに肩をぶつけた!(しかし相手は気にも留めず) ・学生時代友だちなぞいなかったのに、同級生の壮行会に無理やり参加 ・謎の自意識爆発スピーチ披露 ・飲み食いしたくせに「金なんてないですね!」(清々しい) ・翌朝酒のせいにする弁解の手紙をしたためる ・娼婦に説教(自分より弱い存在だから?) ・下男への給料を出し渋りして自尊心を満たす ・救いを求めてきた娼婦に卑屈すぎる謎理論を展開 痛い。痛すぎる。ページを1枚めくっただけで言ってることがかわったり、人を遠ざけるくせに求めたり。卑屈で軸がぶれぶれで、身近にいたらとにかく面倒臭そう。 でも自意識や自尊心は誰の心にもあるもの(であろう)で、ここまで極端でないにせよ誰の心にもネクラーソフはいるのかも。
5投稿日: 2017.11.18
powered by ブクログ再読。確か貰い物のはず。笠井潔御大の『テロルの現象学』を読んで「これは読まねば……」と思っていたところ、偶々友人宅にて発見し譲り受けたもの。チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか』に対する反論としての側面もさることながら、抑圧され肥大する自我を書かせたらこの人の右に出る者はいないだろう。考え過ぎというのは病気なのである。
0投稿日: 2017.04.13
powered by ブクログⅠ 地下室 の感想。いつの時代から比喩の意味での「地下室」で生活する人々が生み出される社会になったのか分かりませんが、同時代的には、社会規範が強いところ・それに従うのが是とされるところほど、「地下室」とそこで生活する人々を生み出していると思います。人々の生活の糧を得るところ・それの前の教育を受けるところがシステマティック≒「二二が四」「水晶宮」「自然法則」なところに変わりだした時代から、少しずつ「地下室」とその住人を生み出してきたのだと思います。 村上さんの「壁と卵」のスピーチの比喩を借りると、ドストエフスキーはほとんどの作品で卵側の人間を主要登場人物にしていると思います。一つの卵側の人間の性格がⅠ 地下室で描写されていると思います。壁にぶつかって卵が割れないようにするには壁に対して回れ右をすれば良い、こういった示唆を与えてくれた最初の小説家がドストエフスキーらしい。彼の作品を読むと、壁にぶつかって卵が破裂する結末がほとんどだと思います。卵を破裂させる壁から距離を置いたり、回れ右をする、そういった事を作品から感じて欲しいという事でしょうか。 作品を読んで、一番気になったところは、地下室側の人間が社会を根底から変える力が在るという主張です。壁≒社会に対して距離を置いたり、疑問を感じたりする人々が地下室側≒卵側の人々だと思います。壁≒社会に対してのアンチテーゼはこういった人々しかいない事になるので、この主張はある意味当たり前だと思います。「地下室」を快適にする事・他の「地下室」と連携をする事・「地下室の住人」を孤立させない事等が同時代の地下室≒卵側の人々達が出来るスクラムでしょうか。
2投稿日: 2017.03.13
powered by ブクログすごく「痛い」本で、強烈な自意識に振り回されるあまり、自ら幸せの反対方向へと全力で突き進んでしまう男の話。論理的にはかなりヤバイ行動原理の彼だが、感覚的にはけっこうすんなり共感できてしまった。ので僕もヤバイのかなと思ったが、レビューを読んでたら結構みんなそう書いてたので安心しました。
1投稿日: 2017.03.11
powered by ブクログドストエフスキーの岐路となる作品 として読み、ドストエフスキーへの関心の再燃、他の作品網羅への意欲、両者を通じて得ることのできる“今の自分への答え”を知り得たいという意欲、この本に掻き立てられました。 この本を通じて、ああ、分かる、と受け取る人が一体どれほどいるのか知りたいと強く思いました。 ※今の自分へのぴったり度という意味で星5つです。
1投稿日: 2017.03.09
powered by ブクログ面白い。ドストエフスキーときくと、何やら重苦しい感じがして敬遠していたが、この本は割と平易で純粋に面白く、出来ればもっと若く拗らせていた、中学二年生くらいの頃に読みたかった。今の自分にもこの語り手のような自意識過剰さがなくなったわけではないけれども。
1投稿日: 2017.02.27
powered by ブクログ『罪と罰』よりも早く書かれたので、この書き方もいくばくか不自然だけれど、あらすじ・形式は、『罪と罰』の、随筆バージョンとして良さそうだ。 ドストエフスキーは、物語もさることながら、本人が魅力的に崩れた人だ。ある人から聞いた話の受け売りだが、ロシヤ語の性数格の一致すらままならない(トルストイのロシヤ語は、その芸術性の半分も分からないですが読みやすい)。そして何と言っても倒錯した概念の割り込みが極めて多い。 私は音楽ばかりやってきたから、ふとこういう音楽が無かったものかと記憶の中を捜して回ってみたが、それはおそらく論理的に存在しえないだろうという話に落ち着いた。音楽には論理関係を表す道具がないからだ。音楽には理論があっても論理がない。例えば、音符に not とか because とかを言わせることができるだろうか。ある動機が変化を受けたとき、その変化について「矛盾」という位置付けはまずなされず、基本的には「変奏」と見做される。変奏は、種々の理論で説明がつけられる(むろん、その理論は論理「的」なだけであるが)。 文学は論理の表現がいとも容易に「できる」、専用の単語がその道具となるからだーソシュールなどを持ち出されては困るけれど。そういうわけで、解釈以前のテクストのレベルにおいて、音楽が持ち合わせない危ない魅力を持ち合わせているということに気づかされた。新鮮な体験だった。
4投稿日: 2016.11.19
powered by ブクログ真実を描くことが、ある人には救いになる。ときにそれがあまりに醜く、世間の反感を買うことが分かっていても、描き切ることができる作家は、奇跡的な存在だ。視野狭窄に陥った鬱状態の思考をここまで的確に言葉にした文学を私は知らない。ランクの付けようがない。別格である。
1投稿日: 2016.10.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
初めて読んだドストエフスキー。鬱々とした話が始まるのかと思い、最初はこわごわと読んでいたつもりが、あっという間にページが進み、すんなり読み終えてしまった。人間の心理の移り変わりや、説明のできない感情のあるところを現場で見られたような話だった。心理描写や着眼点が人間を捉えすぎて、まるで見透かされそうで怖くもあるが、他の作品も気になる。
1投稿日: 2016.08.13
powered by ブクログ自意識過剰の惨めな男の人道主義・理性主義批判……みたいな話か。人はダメな自分、ダメなままの人生を生きなきゃいかんのだなと思うが、割り切れないよね。死にてえ
1投稿日: 2016.07.28
powered by ブクログ【印象】 自意識の檻に囚われた人間の末路。 なにごとにおいても振りきるのが苦手、そのような人へお薦めする作品です。 また、孤立に関して心を抉られたい人へもお薦めします。 【類別】 小説。 【構成】 思想を語り、その後に回想を始める構成です。 読後の充足感はないかもしれません。 【表現】 地の文は一人称視点。 文体は平易。 好みな表現の箇所は頁161「……どこか仕切り壁の向うで、まるでだれかに強く圧しつけられ、首をしめられでもしたように、時計がかすれ声を立てはじめた」です。ただし当該箇所前後の文脈も踏まえたうえで。
0投稿日: 2016.04.09
powered by ブクログ大きすぎる自尊心、強すぎる自意識。自分の思想を人に聞いてもらって認めてもらいたくて仕方なくて、でもそんな自分の卑しさにも気づいていてでも止められなくて…を繰り返す主人公のことを誰が他人事と笑えるんだろう。もう見るからにイタいんだけど、ほとんどの人はそういった面が表出しないよう無意識のうちに細心の注意を払って社会生活を送っているだけで、その差は紙一重なのでは?と思った。
6投稿日: 2016.01.28
powered by ブクログあかんおっさんのはなしやったーーーー!(//◜◒◝//) で終わるものではないのだろう、と思ったので考察等を読んでみたところ、なるほど、この作品は前後作品から見て境界線上、ドストエフスキーの信念の転機と見られると書いてあった。 第一部の水晶宮批判と第二部がどう繋がっているのか最初はわからなかったけど、前者が総論、後者が各論の例示というかたちだったのかな?と読み終わってから少し思った。
1投稿日: 2015.11.29
powered by ブクログとても他人事とは思えない内容だった。 この「地下室の住人」の惨めな虚栄心や友人から受ける屈辱感というものが凄くリアルで、19世紀に描かれたものと思うと驚かずにはいられない気持ちになる。 また、解説の方も面白く、ここで言及されたシェストフなる思想家の本も読みたくなった。
2投稿日: 2015.10.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
地下室の手記と言っても投獄された訳ではなく、一般社会との関係を絶って、地下の小世界に閉じこもった独白である。 自分が頭の中で創作したようなふうに想像する習慣」を持つ主人公がひたすら考えている。 女性が出てくる。
0投稿日: 2015.09.09
powered by ブクログ荒あらと書き綴られた手記の内容に前半で挫折しかけた。 個人的には読みにくく読了まですごく時間がかかった。
0投稿日: 2015.07.07
powered by ブクログ面白いけれど、自意識が強すぎて読むのが大変だった。 欲しいものを欲しいと言えない天邪鬼は、結局自分を不幸にする。プライドもほどほどにしないと。 (その折り合いがつけられれば苦労はしないか) ドストエフスキーを「★」の数なんかで評価して良いものか躊躇してしまう。 せめて石で出来た★をイメージして、つけます。
0投稿日: 2015.05.04
powered by ブクログ現代でも真新しい内容。 むしろ時代が追いついたとでも言うべきか。 でも、主人公が「駄目人間」なのは、外因だけでなく 本人の生まれつきの欠陥に由来する点も大きいように思えた。 半分くらいは共感を覚えられた一方で、引っ掛かる内容も多い作品だった。
0投稿日: 2015.04.30
powered by ブクログドストエフスキーの転換点となったと言われる中編小説。 『白痴』『悪霊』そして『カラマーゾフの兄弟』と、大作ばかりが話題に上ることが多いドストエフスキーだが、この本は何年に1回か読みたくなる。別に焦燥感や閉塞感に囚われているとかではないのだが、再読頻度は一番高いかも……。 新潮文庫は江川卓訳。古典新訳文庫でも出ているようだが、うちにあるのは新潮文庫版のみ。古典新訳文庫版も買った方がいいのだろうか……しかしロシア文学の古典は訳も古い方が良い気がするんだよなぁ。
1投稿日: 2015.02.08
powered by ブクログ狂人地味ていて、陰鬱で作品としては好きになれないけれど、リーザに語った主人公の 人間というのは不幸の方だけを並び立てて、幸福の方は数えようとしないものなんだ。ちゃんと数えてみさえすれば、だれにだって幸福が授かっていることが、すぐわかるはずなのにね。っていう言葉は好き。
1投稿日: 2014.09.07
powered by ブクログ理解に苦しむ一方でなんかこういう一面というか、ごくたまにこういう乱暴なことを考えるときもあるし、ここまで極端でなくとも時々いらだちに身をゆだねてしまうとこうなるなと少し怖くなった。 これの一人芝居とかあれば面白そうー。
0投稿日: 2014.08.23
powered by ブクログ自分にちかいものを、いやむしろ同じ匂いをかぎとった。特に去年までとリンクしてる 決して悪人ではなく、むしろやさしいところがふこうであるのかも。ずうっと堂々巡りしているところとか似てる
1投稿日: 2014.08.16
powered by ブクログ正直、初めの100ページはまさにチラシの裏と呼べる内容で、ただただひたすらに自意識過剰の引きこもりの独白が続く。 しかし、その山を乗り越えた後に現れる外部との接触後の展開が素晴らしい。 学生時代にクラスから浮いていた人物が、誘われてもいない同窓会に突如出席したらどうなるのか?? ネットの世界で良く見かける、◯◯したったwwwを、100年以上前に描いていた恐ろしい作品。 Facebookなんて絶対やらないという気分にさせてくれること請け合いである。
4投稿日: 2014.08.08
powered by ブクログドストエフスキーの全作品を解く鍵と評された作品だけに期待して読んでみた。 内容はというと、自意識過剰で社会不適合者のいい歳したおっさんが地下室に引きこもって、誰かに読んでもらうことを前提としてない手記を愚痴愚痴と執筆するという物語。 太宰治も恐らく影響を受けて人間失格を執筆したんだろうけど、よく比較されるだけあって内容は似ている。似ているけど人間失格のほうが面白かったなぁ。 地下室の手記がきっかけとなって、後の罪と罰や白痴という大作が出来たらしいので読んでみたいけどたぶん読まない。だって内容はともかく、僕はやっぱり洋書が苦手だということに気づいたから。
0投稿日: 2014.05.15
powered by ブクログ私なんかのちっぽけな悩みは既に悩み尽くされていて、そのことにがっかりすると同時にほっと肩の力が抜けたような笑いが漏れた。
1投稿日: 2014.04.20
powered by ブクログやべーわ、面白すぎて全然先へ進まんタイプの本だわーすげーわ!パンチがすごい重たい。が、その後の名作と比べるとまだ読みやすいと思う。 前半のちょいちょい出てくる「諸君、」っていう語りかけが読んでいて楽しみになってくる。日常の微かなこと、意識や羨望、特殊性について、自分じゃあ気になっても意識しないことを題材に、掘り下げて書くのがこんなに面白いとは。 読了。一回だけじゃわからない。主人公は我々自身であり、リーザとの最後の場面はとても気に入っている。文句なし。さすが。 小説といわず、人間の営みはすべて人生を肯定するためにあるとして、このようなある種人間の絶望的な側面を暴くことでかえって肯定感を喚起する、開き直りの境地が一番パワフルだと思う。
2投稿日: 2014.04.05
powered by ブクログ実は52ページまでしか読めなかった。多くの人がこの本を賞賛しているが、私は読み進むのが苦しくなった。自分自身が本書の冒頭に書いてある、病んだ、意地の悪い、ひねくれた、人生から逃げた人間になってゆくように感じて嫌だった。
0投稿日: 2014.03.28
