
総合評価
(212件)| 56 | ||
| 73 | ||
| 38 | ||
| 10 | ||
| 3 |
powered by ブクログ面白いけれど、自意識が強すぎて読むのが大変だった。 欲しいものを欲しいと言えない天邪鬼は、結局自分を不幸にする。プライドもほどほどにしないと。 (その折り合いがつけられれば苦労はしないか) ドストエフスキーを「★」の数なんかで評価して良いものか躊躇してしまう。 せめて石で出来た★をイメージして、つけます。
0投稿日: 2015.05.04
powered by ブクログ現代でも真新しい内容。 むしろ時代が追いついたとでも言うべきか。 でも、主人公が「駄目人間」なのは、外因だけでなく 本人の生まれつきの欠陥に由来する点も大きいように思えた。 半分くらいは共感を覚えられた一方で、引っ掛かる内容も多い作品だった。
0投稿日: 2015.04.30
powered by ブクログドストエフスキーの転換点となったと言われる中編小説。 『白痴』『悪霊』そして『カラマーゾフの兄弟』と、大作ばかりが話題に上ることが多いドストエフスキーだが、この本は何年に1回か読みたくなる。別に焦燥感や閉塞感に囚われているとかではないのだが、再読頻度は一番高いかも……。 新潮文庫は江川卓訳。古典新訳文庫でも出ているようだが、うちにあるのは新潮文庫版のみ。古典新訳文庫版も買った方がいいのだろうか……しかしロシア文学の古典は訳も古い方が良い気がするんだよなぁ。
1投稿日: 2015.02.08
powered by ブクログ狂人地味ていて、陰鬱で作品としては好きになれないけれど、リーザに語った主人公の 人間というのは不幸の方だけを並び立てて、幸福の方は数えようとしないものなんだ。ちゃんと数えてみさえすれば、だれにだって幸福が授かっていることが、すぐわかるはずなのにね。っていう言葉は好き。
1投稿日: 2014.09.07
powered by ブクログ理解に苦しむ一方でなんかこういう一面というか、ごくたまにこういう乱暴なことを考えるときもあるし、ここまで極端でなくとも時々いらだちに身をゆだねてしまうとこうなるなと少し怖くなった。 これの一人芝居とかあれば面白そうー。
0投稿日: 2014.08.23
powered by ブクログ自分にちかいものを、いやむしろ同じ匂いをかぎとった。特に去年までとリンクしてる 決して悪人ではなく、むしろやさしいところがふこうであるのかも。ずうっと堂々巡りしているところとか似てる
1投稿日: 2014.08.16
powered by ブクログ正直、初めの100ページはまさにチラシの裏と呼べる内容で、ただただひたすらに自意識過剰の引きこもりの独白が続く。 しかし、その山を乗り越えた後に現れる外部との接触後の展開が素晴らしい。 学生時代にクラスから浮いていた人物が、誘われてもいない同窓会に突如出席したらどうなるのか?? ネットの世界で良く見かける、◯◯したったwwwを、100年以上前に描いていた恐ろしい作品。 Facebookなんて絶対やらないという気分にさせてくれること請け合いである。
4投稿日: 2014.08.08
powered by ブクログドストエフスキーの全作品を解く鍵と評された作品だけに期待して読んでみた。 内容はというと、自意識過剰で社会不適合者のいい歳したおっさんが地下室に引きこもって、誰かに読んでもらうことを前提としてない手記を愚痴愚痴と執筆するという物語。 太宰治も恐らく影響を受けて人間失格を執筆したんだろうけど、よく比較されるだけあって内容は似ている。似ているけど人間失格のほうが面白かったなぁ。 地下室の手記がきっかけとなって、後の罪と罰や白痴という大作が出来たらしいので読んでみたいけどたぶん読まない。だって内容はともかく、僕はやっぱり洋書が苦手だということに気づいたから。
0投稿日: 2014.05.15
powered by ブクログ私なんかのちっぽけな悩みは既に悩み尽くされていて、そのことにがっかりすると同時にほっと肩の力が抜けたような笑いが漏れた。
1投稿日: 2014.04.20
powered by ブクログやべーわ、面白すぎて全然先へ進まんタイプの本だわーすげーわ!パンチがすごい重たい。が、その後の名作と比べるとまだ読みやすいと思う。 前半のちょいちょい出てくる「諸君、」っていう語りかけが読んでいて楽しみになってくる。日常の微かなこと、意識や羨望、特殊性について、自分じゃあ気になっても意識しないことを題材に、掘り下げて書くのがこんなに面白いとは。 読了。一回だけじゃわからない。主人公は我々自身であり、リーザとの最後の場面はとても気に入っている。文句なし。さすが。 小説といわず、人間の営みはすべて人生を肯定するためにあるとして、このようなある種人間の絶望的な側面を暴くことでかえって肯定感を喚起する、開き直りの境地が一番パワフルだと思う。
2投稿日: 2014.04.05
powered by ブクログ実は52ページまでしか読めなかった。多くの人がこの本を賞賛しているが、私は読み進むのが苦しくなった。自分自身が本書の冒頭に書いてある、病んだ、意地の悪い、ひねくれた、人生から逃げた人間になってゆくように感じて嫌だった。
0投稿日: 2014.03.28
powered by ブクログ再読。ドストエフスキーの自己を含めた卓越した批判精神、そして鋭い観察力は比倫を絶するが、出てくる人間はシニカルな余裕というよりは、自己欺瞞にすら目を背ける傲慢と自虐の極致を両取りしているかのような弱さを併せ持つニーチェ的な「カッコ悪い」人たちである。 一方、主体を重んじる実存主義のようなスタイルはアクティブなところもあって、例えば同じ絶望を論じるにしてもどことなくスタイリッシュで「カッコいい」気がする。何より謙虚だし。キルケゴールやサルトル。カフカ、カミュもそうかもしれない。それでも自分は「かっこ悪い」方にどうしようもなく惹かれるのだ。 自称自意識過剰人間はこれを読めば、自己の過剰さの不徹底ぷりを反省するか、自己の健常さを認識し胸を撫で下ろすこと請け合いである。
0投稿日: 2013.12.29
powered by ブクログ自分にとらわれすぎるあまりのドストエフスキー的内向。軽蔑する「活動的人間」との葛藤や娼婦に対する狂熱的自己開示は、強烈な不安の外在化だろうか。 自分を改めるではないという明瞭な確信がパラノイアの入り口である。枠にとらわれる神経症圏との境界にも思える。 絶望の分析は「意識は病気である」を枕詞とする。
0投稿日: 2013.10.24
powered by ブクログ第2部から、普通の小説っぽくなって、読みやすくなる。 一応読み終えたが、ほとんど理解できないと思う。 それとまったくと言っていいほど共感もできなかった。 読み終わった帰りに本屋で亀山 郁夫訳の地下室の記録の解説を少し読んだが、やっぱり全然理解できていことがわかった。。 アポロンはアポロン神で主人公は鼠? 鼠がアポロンを追い出し、どうのこうの書いてあったけな。 そんなことわからんわ。 気になる本なので、解説をよんでから、もう一度読んでみよう。 それと2ちゃんに一部をわかりやすく説明した書き込みがあった。 263 : 吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 12:33:09.08 一部はよくわからなくて構わない。 人間は理性だとか合理性だとかだけで動くわけじゃねぇんだよ、クソがっていうのが要点だから。 その辺は二部読めば、よくわかる。
0投稿日: 2013.09.27
powered by ブクログなんかとっても現代的で、というか中二的。 自分だけが孤独で、救われない人間だと思い込む。 自意識過剰で、人の目が気になる。 自分より弱いものには当たる。 一方であまり自分のことなんかみんな気にしてないと気づいて 絶望する。 自分のことを気にしてくれるような女には、 好きなんだけど、なんか素直になれない。 なんか自分のことのように思える、 というか、実はこういうのはみんなにあるような気さえして、 タクシードライバーが共感呼ぶのもそういうこと。 でも、なんか、優しい人に思えるのはなんでだろう。 おもいっきり生きている気がする。 うすっぺらな幸福の毎日よりも、 おもいっきり苦悩する毎日のほうが、 価値があるように思える。
0投稿日: 2013.08.24
powered by ブクログ「自意識の病気」。その丹念な観察記録。対人関係に臆病で、そこからくる緊張・恐怖は自意識で増幅されて憎悪になり、その憎悪の対象に勝利する妄想に突き進む。しかし実際にそれを行動に移す勇気はないものの、それが非常に見苦しい形でたびたび暴発する。読んでいると、自分の若い頃の苦い思い出がよみがえる。 ドストエフスキーの主人公のやりきれない独白を味わうには、これで十分な気がする。『罪と罰』はそれが延々と続く感じ。
0投稿日: 2013.08.11
powered by ブクログ人間失格の書評を見て、読んでみたくなったので読んでみました。前半は正直訳がわかりません。まだドストエフスキーに挑戦するのは早かったか…。でも後半は意外とすらすら読めました。 「苦痛こそ快楽」ふーむ。 この人間の弱さ、どうしようもなさ。苦笑いする感じです。 今の自分にはあまり共感できなかった。
0投稿日: 2013.06.25
powered by ブクログロシアの大文豪の確かな文章力で紡ぎ出される厨二病をこじらせた話。コメディとして読んだという感想がネットに転がっているのも頷ける。 ノーベル賞作家だと思ってたけど、違うのね
0投稿日: 2013.06.03
powered by ブクログドストエフスキーではない人間が本書を書いたら(という仮構そのものがナンセンスですが)、もう少し社会的・集団的評価は下がるのだろうなあ。 後の『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』に通ずる思想がちりばめられている、ようです。 目まぐるしい場面の変化・移動はなく、ひたすらに主人公の奥処の吐露が続く本書は、哲学書にも似た趣がありました。 ページ数の割に長く険しかったのです。 ちょっとだけ、はてな匿名ダイアリーを連想しました。
0投稿日: 2013.05.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
第1部では、理性によって全てが方程式のように形作られたとしても、人間であるからにはその方程式の中から抜け出そうとする。そしてその抜け出そうとすることも方程式の中に組み込まれていても、更にそこから、ということで「理性」「合理的」であることを否定している。 第2部では、その第1部での表現を体現しているかのような人間が出てきている。「理性」「理屈」によって自分や周囲を納得させ、いかに体裁を繕うかということに腐心しているにも関わらず、途中からそれをぶち壊そうという謎の行動をとってばかり。最後の最後まで何も上手くいかなかった。 そしてその性格、性質はどうしようもないという状況で終わってしまう。 さすがロシア。
0投稿日: 2013.05.10
powered by ブクログ「ぼくは病んだ人間だ・・・・ぼくは意地の悪い人間だ」 この記述から始まる自意識過剰で空想的な、自分自身についての手記。 現代風に言うと引きこもりの手記。 行動がなく、何もしない人間と自分で呼びながら 誰よりも賢いのだという優越感に浸って繰り返される自問自答。 苦悩の時のお供に。 こもりすぎは良くないね。
1投稿日: 2013.04.22
powered by ブクログ初のドストエフスキー作品。 「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などを読むための 準備運動にと思って挑戦してみたのだけれども、、、 読み進めるのがとても大変だった。 特に第1部の「地下室」が特に読み進めるのが大変。 ぼくは病んだ人間だ…… で始まる文章に象徴されるように、それまでの人生における 不幸さや、不満を延々と綴っているような文章。 この件が読んでいて、とにかくしんどかった。 第2部の「ぼた雪にちなんで」になると、 今までが何だったの? と思うくらいに面白くなる。 変わらず病んだ嫌な男である点は変わらないのだけど。 読んでいて太宰治作品を想起した。 次なるドストエフスキー作品は何にしようか?
1投稿日: 2013.04.21
powered by ブクログ自分を卑下しながらも周りを見下すことは忘れず、それができなくなるような現実に突き当たると逃げ帰るように地下室に潜り、また自愛が溢れ出るような手記の執筆に耽る。平凡な男を簡潔かつ正確に描いていると思った。
0投稿日: 2013.04.16
powered by ブクログ個人的な感想としては、とにかく、難しい。 思想の部分の説明が、ドストエフスキーを初めて読む身としては恐ろしく難解でした。 しかし、読み解いていくほどに、ひどく胸の内から細い爪でかきむしられているような切情が。 他の作品を読んでから、再びこれに戻ってきたとき、自分はどう感じるのだろうと、今から楽しみです。
0投稿日: 2013.03.23
powered by ブクログはじめの方は読み返さないとわからないところも多く(読み直してもわからないところもあったが)、考えながら読んでいくのが大変で数ページ読むたびに眠くなってしまうような有様だった。有名な本だから読了しようという思いで読み進めたが、だんだん読みやすくなっていき、主人公の実際のエピソードの部分に入ってしまえばすらすらと読むことができた。初めの数十ページが読みにくく難しい。 主人公の行動、考えには共感するところもあり、ここまで主人公の醜さというか、そういうものを描き出すドストエフスキーのすごさを感じた。
0投稿日: 2013.03.17
powered by ブクログチェルヌイシェフスキーの「何をなすべきか?」の反駁としても描かれたのが本書「地下室の手記」。人間の本質とは何なのか、地下室に閉じこもった主人公のモノローグによってペシミスティックにそれを示す。 「僕は病んだ人間だ…僕は意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。」という独白で始まる本書は、主人公のこの言葉が示す通り、自意識過剰かつ自傷的な語りが延々と続き、私たちに人間が如何に愚かで汚れた存在かという考えが頭に浮かんできても仕方がないように感じさせます。この作品はジッドによればドストエフスキーの全作品を読み解く鍵だそうです。 人間の本性は非合理的である。それこそが、ドストエフスキーの深淵なテーマの一つであったのかな、と思っています。
0投稿日: 2013.03.12
powered by ブクログ初期の愛と人道にあふれた作品と、後の大作の間にはさまれた作品。数々の大作の原型となる何かがこの中に含まれています。
1投稿日: 2013.03.03
powered by ブクログ確かにドストエフスキーの後期の作品のカギになる作品。 「ぼくは病んだ人間だ……。ぼくは意地の悪い人間だ。人好きのしない人間だ。」この現代っぽさよ。 40年社会とかかわらずに生きてきた「ぼく」の迸る思想と物語とで紡がれている手記。 ラスト付近で提示される安っぽい幸福と高められた苦悩とどちらがいいかという疑問に尽きるんだけど。 折り合いのつかなさが私としては共感できるというか。 あー、怖いなあ。
0投稿日: 2013.02.21
powered by ブクログきみにとって、きみ自身の脂肪の一滴は、本質的には他人の脂肪の数十万滴よりも貴重なものであるはずだから、したがって、いわゆる善行とか義務とかいったさまざまな妄想や偏見も、けっきょくのところは、すべてそこに帰着するのだ。
1投稿日: 2013.02.14
powered by ブクログ「明日から本気だす」人びとや、みうらじゅん氏のいう「童貞」の精神を、余すところなく伝えている。 この本を読んで怒れる者は幸いである。なぜなら、その人は理性的であり、利己的である、すなわち「経済人」(アダム・スミス的な)であるから。 この本を読んで冷や汗をかいた者は救われる。なぜなら、その人は鏡合わせの自分を見つめることができたから。 この本を読んで笑った者は少々危険である。なぜなら、その人は苦悩に囚われる恐れがあるから。
0投稿日: 2013.02.05
powered by ブクログからめ手によるドスト文学拡散。19世紀ソビエト興隆・帝国衰退の中の混乱ロシアで、いわゆるニート・引きこもりの存在の予見をしていたドストエフスキーはやっぱりすごい。
0投稿日: 2013.01.27
powered by ブクログ一番すきな地下室の手記で、これまで読んだ ドストエフスキー作品のレビューを。 どれをとっても死なない文章、生きた文章を感じる。 どの時代にも新鮮と色鮮やかさをもって生き続けるだろう。 真夏に読んでほしい。むせかえるような生の色、かおり、蝉の声。 忘れかけた、強烈な自意識の存在をまた、思い出してほしい。 今、生きている。そして今まで、生きてきた。 これを読むと特に、私には十代だった。 あの頃がよみがえってくるようです。 いつの間にか、懐かしい記憶となっていたんですね。
0投稿日: 2013.01.09
powered by ブクログ他の人から見た自分を自分がみているような、自分を他人の目線で見ているような、やっぱり自分で自分をみているような、そんな気持ちになりました。
0投稿日: 2013.01.07
powered by ブクログ最後までドキドキしながら一気に読んでしまった。 過剰な自意識と虚栄心に満ちた主人公の手記。 自分に当てはめてしまうし、外界に触れる自分の殻を剥がした生身の部分を言い当てられたような気持ちになる。 純粋にとても良かった。
0投稿日: 2012.10.24
powered by ブクログ"ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。 およそ人好きのしない男だ。 ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う。" 先日紀伊國屋本店でおこなわれた ほんのまくらフェアにて 購入した一冊。 退屈でまどろっこしく いっそ苦痛でもある 第一部の一人語りを超えた先には すべての人間が持ちうる 醜悪で劣悪な感情が待っている。 ……これは、自分を投影せざる得ない(; ・`д・´)…ゴクリ…
0投稿日: 2012.10.18
powered by ブクログ自意識過剰なひきこもり中年の手記。 自虐的でふんだんなナルシシズム。古典だが現代にも通じるテーマ性。読み手によってはひねくれ者が世の中を逆恨みした毒づきともとれるが、どこか哲学的であるのは自問自答し続ける主人公であるためだろう。日本においては現代人の方が受け入れられるかもしれない。しかし読み方によっては危険な文章である。 以前新訳版を読んだことがあるが、個人的にはこちらの方がおすすめ。
0投稿日: 2012.10.13
powered by ブクログドスト後半の登場人物の感情を読む手がかりとなる話とのこと。確かに。悩んでる内に、何が正しいのか疑い始めてしまう、て話、身にしみる。確かにドストの登場人物って、ヒステリーや感情をコントロール出来なくっても、それで問題があっても、それでも自分はこうなんだ、という感じが強いように思う。それはいいのか悪いのか。特に序盤が好き。退屈、快楽、利益、善とは?…辛い!辛いよね!そのうち自分の言葉だって信じられ無くなっちゃうよね!俺これ好きだ!
0投稿日: 2012.09.15
powered by ブクログ自意識過剰でちっぽけな独りよがりのプライドを持つ主人公が地下室で書いた手記というスタイルの古典。はるか前に読んだがその時はこの本の毒に気がついていなかった。いたたまれない・・・ 最近私小説を集中して読んでいたがそれに共通する痛さを感じた。心情の腑分けというかストリップというか。 あとドストエフスキーの「語り」を再確認した。独りよがりの男の一方的な告白を手記ということでワンクッションおいている。この工夫が題材に最適な手法なのかと考える。
0投稿日: 2012.08.19
powered by ブクログ久々の更新。いろいろと生活環境が変わったこともあってか、細切れ時間を作って本を読む等「ささやかながらも、かけがえのない貴重な時間」の位置付けが変わってきた…w 前置きはこの辺にして、だいぶ前に読了した「地下室の手記」について一考。 ジャンルの違いはあるにせよ、この種の気質/感性を持った人こそが、偉大な作品を残せる作家なのだろう、いやむしろ、この種の気質/感性を持った人にしか、偉大な作品は残せないのかもしれない。 世間一般では、こうした人たちを現実に見い出すと「考え過ぎ。自意識過剰な人。」などと、一笑に付すことがことが多い。 ただ言えるのは、この種の人たちは「見えなくてもいいことまでが、見えてしまう人たち」なのだろうと思う。偉大な作家に、自らの手で生涯に幕を閉じる人が多いのも、この辺りに理由がある気がする。
1投稿日: 2012.06.14
powered by ブクログドストエフスキーはずっと読めなかった。あまりにも言い訳がましい独白をひたすら受け止めなければならないのが苦痛でならなかったから。そんなに必至になって他者を求めて、世界に積極的にかかわろうとしたって、もう現実は変わらないのだし、他者も世界も結局無関心なのだから、と厭世を決め込んで鬱鬱と安逸に浸るぼくには、ドストエフスキーは秩序を乱すならず者に他ならない(という印象を持っていた)。 至ってまともな社会的人間だったドストエフスキーがなんでこんな作品を書いてしまうのだろう。ようやく受容できる年齢になった今となっては笑いながら読むことが出来るが、しつこくしこりとなって尾を引く思春期の残滓の残滓を開けっぴろげにされたのではたまらないではないか。 カントなんてチャンチャラおかしい、はい論破しましたよ。なんていった直後に、あまりの自説の凡庸さに深く深く恥じ入ってみせて、それでもまだ自説にあきらめがつけられずに道化を演じながら、泣きながら自らの情けなさを告白し出すなんて! 嘘をつかないって言った後に、ホントに嘘をつかないような人間を演じてみせて、その上嘘をつかなかったことを詫びてみせるなんて! ぼくは頭がいいんだよ。それでも寂しいから頭悪い振りをしなくちゃならないんだ。でもぼくの言ってることは本当なんだよ。本当さ。リーゼのことなんか愛していないし、友達なんかいらないんだ。 ドストエフスキーは、本当のことを登場人物に語らせる。本当に生きようとすれば、それだけ人は生きていることがわからなくなってしまう。怒っているときに自分が怒っているんだなんて口にすればそれはたちまちのうちに喜劇になってしまう。言い訳をしているようで、その言い訳をしなければならなくなった原因が真実であることは変わりない。 それはとても困ることだ。でも困らなくなってしまったみたい。『地下室』をまじめに、笑い転げながら読めてしまったのだから。
0投稿日: 2012.04.28
powered by ブクログ以前に読んだ本を読みなおしてみた。はじめて読んだ時と同じく、やるせない気持ちになる。主人公が物すごく痛々しい。そして、その気持ちも理解出来る。 主人公は完全な自意識過剰で、周囲の人々の些細なリアクションにも敏感に反応してしまい、自縄自縛に陥っている。そして引きこもり状態となり、絶望的な自身の哲学を読者に語りかける。 自意識過剰による引きこもりという現代的な題材を、今から100年以上前に小説として取り上げたドストエフスキーの力量は計り知れない。現代に通用する小説だからこそ、ドストエフスキーの小説は支持され続けるんだろうなあ。
0投稿日: 2012.03.25
powered by ブクログ昔から「一度読まねば」と思っていました。想像より軟派な内容でしたが、やはり読み継がれるべき本でしょう。
0投稿日: 2012.01.18
powered by ブクログエゴイズムと自尊心が暴かれたときの羞恥心。 そこからにじみ出る哀愁。 読んでいくごとにそれらが目の前に突きつけられてとてもやるせない。 と同時に200ページ足らずの中に無限の思想が詰まっていたりもする。
0投稿日: 2011.12.11
powered by ブクログ「僕は病んだ人間だ・・・」 冒頭から「負の自意識」全開である。 恐らくこの出だしを一読しただけで、あなたの本書に対する好き嫌いがはっきりするだろう。果たしてあなたはどちら側の人間だろうか。 元官史で人一倍自意識の強い主人公「ぼく」は、ある出来事をきっかけにかれこれ20年近く地下の自室に閉じこもっている。物語は彼が地下室で手記を書いているという体裁で進められ、自身の哲学の披歴の後、徐々に彼の過去へと物語は推移する。 おもわず苦笑してしまうのは、とある軍人との路上での擦れ違いを巡る自意識だろう。電車内や車の運転中によく似た気持ちを覚えるのは私だけだろうか? ネガティブシンキングを得意とする私は、終始激しい感情移入と同族嫌悪に苛まれながら本書を読了した。 もう苦笑が止まらない。 ここに描かれているのは20年後の私なのだろう。 願わくば苦悩よりも幸福を・・・。
0投稿日: 2011.12.07
powered by ブクログドストエフスキーの思想的転換が表出した作品です。 地下に潜った男の長い独白が第一部を構成していて、読み通すのはなかなかしんどかったのですが、第二部の「手記」の部分を読むことによって、第一部でぶちまけられた語り手の憤り、蔑み、矛盾、自己憐憫の情について深く考えることになります。 合理主義に傾倒していく19世紀ロシア社会への単なる糾弾ではなく、自意識を抱えた人間存在の根源的な悲痛さ醜悪さを直視した、普遍的価値を持つ作品なのだと感じました。
0投稿日: 2011.11.06
powered by ブクログなんなんだろう。 心の葛藤を文字にするとなんとも生々しくて陰鬱な感じだけど、みんなもっている。ニヒリズムに浸り苦悩するが、それはいつからか快楽を帯びてくる。そのための自己破壊。 壊れちゃだめだな。
0投稿日: 2011.09.05
powered by ブクログドストエフスキーの全作品を解く鍵と位置付けられている作品。 極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、 地下室に籠った男の独白から始まる、なんとも異質な作品。 前半の独白部分は読みづらさもあってか解釈に時間がかかるが、 第二部からの「ぼた雪に寄せて」はその究極の自己というものに対して 我々の現代社会においても、誰もが抱える闇なのではないだろうか。 初期の人道主義的作品から、後期の大作群にシフトチェンジしていく そのドストエフスキーの移り変わりが確かに垣間見える。
0投稿日: 2011.09.01
powered by ブクログ最初の数ページを読んでは挫折し、時が経ってから再挑戦するもののやっぱり挫折している作品。 読み終える日は来るのだろうか……。
0投稿日: 2011.08.05
powered by ブクログ主人公の男、かなり危険。精神的に問題。 どこまでも、懐疑的。どうしようもない。 女性を太陽のように描き、恋愛小説的な要素もある。 この本で描かれているのは、主人公の定まらない大きな思想。 読むと、主人公の思想に魅了、共感、反発を抱くだろう。
0投稿日: 2011.07.28
powered by ブクログ全てが自分のことを言ってるようで読んでて辛くなる いつの時代も変わらない「自己」という普遍的なことに気付かされる
0投稿日: 2011.06.23
powered by ブクログやっと読み終わりました。 終始よくわからなかったが主人公にたいしてイライラしたり同情したりした。 と、言うことは、よくわからないにしても人の心を動かす作品だったという事。 本当につまらない作品だったらきっと何も感じずにペラペラページをめくって読んだ気になっていたと思う。 感受性の強い人や頭の良い人はきっともっと色々と感じたり考えたりするのだろう…。 ただ、理解力が足りない私でも一つだけわかったことがある。 以下本文より抜粋 <この女にいやらしいやつと思ってもらえりゃ、本望さ。ありがたい話さ……> 主人公がドMだって事。 数年後にもう一度読んでみればもう少し何かわかるかもしれないね^^
0投稿日: 2011.06.13
powered by ブクログ序章がすき。ロシアの社会主義のなかの、地下層的な部分での、フィクションと葛藤の、引きこもり。自意識過剰を理解しながらも思考をとめられない、ひとの本質的部分
0投稿日: 2011.05.28
powered by ブクログ「ドストエフスキーの作品を解く鍵」とも評される、引きこもり小説です。 某小説とは違い、「デカダンス」ではなく「ルサンチマン」を核に、主人公の手記の形で描かれます。 主人公を通して、著者の思想が見受けられますけど、 物語として見てしまうと、様々な矛盾や葛藤から結局のところ、 何にもない(無価値と言った方がいいのかしら?)男の話になってしまうのかも? 読む人によっては、確実に不快な思いにさせること間違いなしなのです♪
0投稿日: 2011.05.09
powered by ブクログなんかキャーキャー言ってる人がいるってビックリした。半狂乱の思想家が地下室で、一人問答しているのですが、まぁ思想とスピード感は大したものです。やっぱドストはすごいし。地下から這い出してきた時は笑った。
0投稿日: 2011.05.09
powered by ブクログこの作品の主人公は陰鬱な精神を背景に、過剰なまでに卑屈になったり、自分の尊厳を守るために他者を仮想の中で打ちのめしたりするのである。ある時には相手の考えを故意に自分と敵対する者として受け取りすらしてしまう。 誰しも気分が落ち込んでいるときに以上のような思考に陥ることがあるだろう。特に感受性が強く人とうまく接することができないという人ならなおさらである。 作者の投影であろうが、人間の暗鬱とした精神をまざまざと見せつけている作品と言える。この作品を全く理解できない人がいるとすれば、その人は考える過程を無視してきた不幸な人間でしかない。 読者の気分が落ち込むかもしれないが、中編の作品としておすすめではある。
0投稿日: 2011.05.03
powered by ブクログやっぱりドストエフスキーは難しい。しかしなんとなく納得する部分もあり、なかなか楽しめた。 いずれ改めて読むつもり。
0投稿日: 2011.04.26
powered by ブクログ――僕は病んだ人間だ、意地悪な人間だ。 ――僕は意地悪な人間にすらなれなかった。 自らをつぶさに観察し、自らを中傷し、しかし、その自らを自己否定する。 それは理性的な人間の最終形とも言えるし、究極のロマンチシズムとも言える。ドフトエフスキーは、こうも述べている。 「本物のロマンチストとは、いいところも悪いところも全てを観る人間のことだ。それは合理的な人間すらも超えて、である」 これはどういうことになるのか? ロマンチストとはいいところを観るだけではなくて、悪いところをも観るひとのことを言う、そして、そこには必ず虚栄が介在し、しかし、その虚栄を否定する過程すらも含まれるのだ。しかし、これこそがある種の理性の最終形とは言えまいか?つまり、自己否定こそが自己擁護であり究極的な理性による理論武装である。だが、それは合理性とは異なるのだ。そこには合理などない。ただ自らを残酷なまでに睥睨し、身悶えすることなのである。だが、そのために、主人公は地下室に四十年もこもることになってしまっているのであろう。恐らくはかの「自意識」を守るために、そして、その「自意識」によって責めさいなまれ苦しむために――。 「ひとはときにある種の自らに有利に働く事柄に反して行動することがある。しかし、その行動こそが自らにとって最も有利となりうることがある。自らが有利になるという状況に反して行動できる自由を確保できるという点において――いや、そもそも、合理的に行動することが自らに有利だなんてそれは誰が決めたのだろうか?」 理性による批判の繰り返しによって、真理を導こうとする一つのサイクル。 「苦悩こそが自意識の第一原因であり、人間にとっての最大の不幸であるが、僕は自意識に満たされているし、愛してもいる」 自意識=つまり、自らを意識する時点で苦悩が始まる。つまり、自らを意識しないことこそが楽となりうるのだろう。しかし、そこに快さはない。自らを意識しない快さというのはむしろ惰性なのではないか?そして、自らを意識する苦悩こそが快楽となりうるのではないか?だが、苦悩を快楽と解してしまうことこそが人間の持つ最大の不幸なのではないか? 「正確な自叙伝などありはしない。ひとはときには虚栄のためにもありもしない罪を被るものなのだ。ルソーのように」 地下室の手記はドフトエフスキーの自伝であり、そして、シニスム(皮肉)であり、虚栄である、全ての分析と批判は自らに帰する。 「ぼくはならしてもらえないんだよ……ぼくはなれないんだよ……善良な人間には!」この台詞を読んだときには思わず涙が流れそうになった。自意識にとらわれる時点で、それを残酷なまでに詳細に見つめる時点で、善良な人間にはもはやなりえない、それが一つの真理なのではないか?考えた時点で、もう、善良からはかけ離れてしまっているのだ。 ――安っぽい幸福と高められた苦悩。どちらがいいのか? この二択がもし、高められた幸福と高められた苦悩であったとしたら、一体どちらを選ぶべきなのだろうか? 地下室の手記の構成は、エッセィ部分(手記者のエッセィ)+自伝小説部分(手記者の自伝)との二分構成となっている。エッセィ部分はわりかし難解で読みにくいが、ここにこの小説の要所、そして、著者の主張や思想が集約されている。その後の自伝小説部分は手記者の対人関係とそれに伴う思考や心理の流れをつぶさに追っている。エッセィ部分では理性と批判によって、思索を続けてきたと思われる手記者であるが、自伝的部分に進と彼は酷くちっぽけな人間に思われ、辟易させられる。だが、読み終えてみると、それは道理であるとも感じられる。なぜなら、エッセィ部分は地下室にこもった後に考えたものであるが、自伝部分は彼の過去の回想なので時系列的には逆になるのだ。また、エッセィ部分はあくまで彼ひとりの思索であるが、それが対人関係を挟んだ場合には脆くも崩れるという、あくまで自分が自己完結しきれるのは、ひとりでいる間だけ、それはつまり、主人公が地下室にこもるようになった原因へと繋がってくるのであろう。完成された思想、そしてそこに到達するまでの思索の旅、圧倒的なまでに生々しい心理描写とその人物への強烈なまでの嫌悪、ドフトエフスキーは地下室の手記が始めてだが、彼の思索の旅についていってみたいと思われる。彼の価値は少なくとも文学という次元だけでは測りえないだろうと感じる。
0投稿日: 2011.04.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
古本市場でまとめ買い第3弾。 なかなか面白かった。 前半は独白形式ですすむ。 色々な悩みが示されていたように思う。 合理的思考、自然法則の解明によって信じるべき価値観がなくなってしまった悩み。何者にもなれなくなってしまった悩み。このへんはロシアの作家さんであることが影響してるのかなと思う。 この時代のある種の典型的な人物を描き出したかったとドストエフスキーさんは序文で言っていた。ある程度こういう人物と距離を取って、時には冷笑的に見ているように感じられる部分もあったと思う。けど、その悩みの切実な雰囲気からは作者の強い感情移入を感じた。なかなか複雑な思いで書かはったんじゃないだろうか。 正義が見いだせるから復讐が出来る。正義がなければ復讐はただの憎悪になるんだって。「圧倒的な偏見に基づいて人を殺す」っていう村上春樹さんの『海辺のカフカ』での場面を思い出した。そういえばドストエフスキーさんの小説って「現代の予言書」みたいな紹介されることもあるみたいだし、こういうのは今でも全然通用するテーマなんだろうな。 後半は物語。 前半で提示された人間像の典型としてネクラーソフが現れ、感情の不安定な小役人の浮き沈みが描かれていた。 主人公の言う、自分の屈辱を鮮明に意識することからくる快楽っていうのがいまいちぴんと来なかった。カラマーゾフの兄弟のフョードルとかもそんなことを言ってた気がするけど。でもなんだか印象に残っているのは、よくわからない原理で動いてる人物達だけどその行動が真に迫っているからだと思う。 印象に残ったシーンは以下。 •ソファでのみながら談笑する友人達と暖炉の間を、行ったり来たりする場面。話しかけては貰えず、自分からも話しかけられない。プライドから立ち去ることもできない。 •干し魚で広場の階段を叩きながら不幸を嘆く娼婦。 •枕に顔を埋めるリーザ。半狂乱のような微笑
0投稿日: 2011.04.05
powered by ブクログ自己意識が、あらゆる概念的規定・目的合理的連関への従属を拒否すべく常に自己否定/自己超越の無限運動を繰り返し、この否定の無限運動自体をも自己対象化し続け、渇望しながらなお峻拒せずにはおれないその実生活に於いて、終ぞ何者にもなり得ない――一切の広がりも外部ももたない一つの点たる以外の何者にもなり得ない、何事も為し得ない――ことこそ、実存の地獄だ。 そんなとき、自殺を決断することも実生活に居直ることもできない大抵の人間は、無為を遣り過ごそうと、生理的存在に堕していく。 何者にもなり得ないのならば、他者とお互いの真情を交わし合う関係性も築き得ない。そもそも自己の真情なるものに対してさえ、何の確信も抱き得ない。 本書で描かれているのは、この出口なき無間地獄という実存の不可避的な機制、無際限の絶望――予め一切の救いの可能性が必然的に絶たれているという点で、まさに言葉の真の意味での絶望――である。 「安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?」 実存とは、常にあらゆる規定を超越する可能性へと開かれた不定態のことであろう。
3投稿日: 2011.03.27
powered by ブクログ初ドストエフスキー。 すごく難しくて、 薄っぺらいけど 読むのになかなか時間がかかる。 というか、 この本を読む環境というのをちゃんと整えないと、 例えばテレビがついてる部屋なんかでは 文字を追っても頭に一切入ってこない。 静かな部屋で、 ひとりきりで、 文章を何度も咀嚼しないと ことばがすうっとこぼれおちていってしまう。 だから読みきるのに、 ほんとうに労力を使いました。笑 でも、こうやって一生懸命読んでも、 難しくってほとんどよくわからない。 わかるところもあるし 共感した部分もあるけど、 果たしてそれが 本来の意味を読み取ってのことなのかわからない。 うーん難解でした。 時代背景をよくしらないと、 この本はまったく理解できないと思う。 でも、ドストエフスキーが 人間の本質を描くのがうまいということだけは わかりました。 徹底的な人間観察というようなものを感じました。 再読しようと考える人が多いみたいですけど、 私は…多分もう読まないと思います。笑 もし時代背景を勉強することがこの先あれば、 そのときはぜひまた挑戦してみたいです。
0投稿日: 2011.03.23
powered by ブクログ私のバイブル。これをバイブルにしちゃ駄目だろって自分でも思うけど、これが私の理想です。でも同時に絶対こうなりたくないとも、思う。
0投稿日: 2011.02.01
powered by ブクログ自意識過剰から社会との隔離を試み、地下室に引き籠もりながら主人公が淡々と自己葛藤を手記に記した、という作品。 難解すぎる表現はさすが文豪だと。私の頭では意味不明な所も多々。 けれども「罪と罰」を読む前にこれを読んだ方がいいとは思いました。 生きることに絶望しながら、しかしそれでも「生」に執着する。人間のあり方を的確に表現している、秀逸な作品です。 基本ドストエフスキーは再読することで様々な発見を見出せる作家なのではないかと。
0投稿日: 2011.01.31
powered by ブクログ高校3年で、大学受験の直後に読んで、半端ないインパクトを受けたことだけ覚えているが内容はほとんど覚えていない。これをきっかけにドストエフスキーの長編にはまって抜け出せなくなった。
0投稿日: 2011.01.20
powered by ブクログ身につまされる。 「いまぼくは四十歳だ。以前は勤めていたが、現在は無職。」 この設定だけで泣きそうになる。 プライドと理想が高く、孤独な「ぼく」が地下室の中に引きこもって書き綴る手記。 「ぼく」は自分以外の人間を見下し、社会に迎合することができないためにいつまでも出世できずに貧しい身分に甘んじる自分自身をも嫌悪する。 手記はやがて、「ぼく」が二十四のとき、友人からこけにされ、娼婦を打ちのめした夜のことへと溯る―。 自分の価値を認めてもらえない、と感じ続ける「ぼく」が手記の中に吐き出す粘着性の高い怒り。 ときどきうんざりもするけれど、自分自身にこういう側面がないと言い切ることもできない恐さがある。
0投稿日: 2011.01.06
powered by ブクログ地下室にひきこもりしてる元小官吏の人生論。 人間とはなにか…人間とは「2×2=4」の方程式に永遠に苛まれる弱き生き物である。2×2=4は死の始まりである。人間は恐怖から2×2=4の探究に一生を費やし歴史を築き上げた。このこと自体滑稽に他ならず(基本的に人間の人生そのものが喜劇)2×2=4はこれからもまた人間を苛むであろう。 僕はこんな方程式大きらいだ!…けどたまには、2×2=5もいいではないか? ↑ほらね、意味わかんね (作中の『2×2=4』が一体なにを表するのかは個人の判断によると思います) はっきりゆって何が言いたいのかよくわからんかった。支離滅裂もいいとこです。(まぁドストエフスキー文学なんて概ねそんなもんですが…←誉め言葉) 共感とかでなく客観的に読んだほうが面白いです。 まぁ狂人日記みたいなものだと思います。深く考えるとドツボにはまりそう。 3年ほど前に東京大学でロシア文学シンポジウムがありまして聴講させていただいた折に安岡先生(ロシア文学助教授)のご高説を賜って読むに至りました。 個人的に秀逸だったなと思うのが 『芸術とはつまり、詩人や小説家たちから勝手に剽窃してきて、どんな注文にも要求にも応じられるようにした、まったく出来合の美的な生活形態のことである。…』 このへんの文章かしら。 なんとなく徳富蘆花のいう“美的百姓”(BY『みみずのたわごと』)を思い出したのは、彼がトルストイの小説を剽窃した、晴耕雨読の美的な生活形態を営もうとしたから
0投稿日: 2010.11.01
powered by ブクログ登場人物はたくさんいるけど、それらの心象はすべて一人称の語り口で語られる。つまり「彼はこう考えてると僕は考える」という思い込みだ。 そこに他者は存在しない、地下室に入る前も、その後も。 偏屈で理屈家の地下室の住人(一人称だから名前は出てこない)は人のイヤな所の塊みたいな人間だ。しかし、屈折しているからこそ自らの孤独を容認している。この孤独こそが幸せだとも言っている。そして、自分は賢く、先行きを冷静に洞察できるから行動しないのだと言い、周りにいる情熱に溢れた行動する人間達を、後先を考えず行動するだけの馬鹿だと喝破する。 さて、こんな人物をどう見るのかは人それぞれだろう。僕は自分に≒と思った、地下室は確かにある。 なぜ地下室にこもったのか。直接的には書いてないけど、その理由はコレだ。 僕は《安らぎ》がほしかった。地下室に一人きりになりたかったのだ。《生きた生活》が、不慣れなために、息をするのも苦しいくらい、ぼくを抑えつけていたのだ。 赤ん坊は鏡を見ることで自分の存在を知る。そして大きくなっても他者という鏡によって自分の存在を確認し続ける。存在とは、その始まりからすでに危ういのだ。
0投稿日: 2010.10.27
powered by ブクログ理性によって生きることを宿命付けられた現代人の悲劇を、これでもかというほど鮮やかに描き出している。 まさに自意識は病だ。自分もこの地下室の住人に近い人間なので、余計にそう感じる。
0投稿日: 2010.10.18
powered by ブクログ自らに苦悩しながらも、自分ではどうしようもできない。その螺旋に苦しむ人間・・・でしょうか。この螺旋から出られなかったからこそ、地下室での生活という発狂に住むことになったのだと思います。 その発狂を救いうるものが、リーザとして出てきたのでしょう。後のソーニャのように。 ドストエフスキーの転換点となった作品です。 後期の著作を全て読んでから、また読みたいです。
0投稿日: 2010.10.15
powered by ブクログドストエフスキー作品の中ではとても読みやすいですね。 ここまで暗いと、笑えます。あの時代のロシアでしか書けない本という気もする。コミュニケーション能力×、という感じ。 ドストエフスキーは歴史背景を考えながら読むと面白さが増します。特に本作はドストエフスキー世界の始まりの作品と言ってもいいですから。ここから『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』が世に出されることになります。暗く寒い、閉ざされた世界で描かれた物語を先駆けているのです。
0投稿日: 2010.09.13
powered by ブクログ別に暗いとか思わなかった。 ぐねぐねとしている自分の内面に対してのみ誠実に書いたらこうなる気がする。 不愉快になる人も多そうだけど、私は読んでてなんだか落ち着いてくるように思えた。
0投稿日: 2010.07.29
powered by ブクログ初ドストくん体験。ニート文学と銘打たれた根暗っぷりにそそられる。台詞と地の文の濃密な情報量の多さにまいったが、なんだか嫌気のさす面白さ。 世界が滅びたって自分が茶さえ飲めりゃあ良し!と言い放った主人公の屈折ぶり、わからなくない。というか行動と自意識の矛盾や自問自答だらけの愚痴を最後の一文まで聞き届けた以上、私も同族的な卑屈さはあるんだと自覚している。だからこれを内的地下室を有さない人に積極的に薦める気はさらさらない。
0投稿日: 2010.06.06
powered by ブクログ難解。とくに手記部分に当たる第一章は。 19世紀のロシア社会やその頃の文学について勉強してから読まないと、ただ読んでいるだけになり、筆者が何を伝えたかったのか見えてこない。 ドストエフスキーを読む前には、下準備も大切。
0投稿日: 2010.05.17
powered by ブクログあぁなんでそうしてしまうの!!と思いました。哀しいよぉ。 人間は矛盾を抱えている存在なんですね。好きなのに傷つけて、友達になりたいのに嫌がらせて、善くありたいと思いながら罪を重ねるなんて。
0投稿日: 2010.04.12
powered by ブクログ極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。 作品時代はすぐ読めるページ数だが、内容が難しく、かなり読みづらさを感じた。一度読んだだけでは理解に苦しむ小説だと思う。 いつか再読する機会があれば、その時はじっくり内容をかみ砕いてみたい。
0投稿日: 2010.04.11
powered by ブクログ100ページも過ぎると、話にのめりこみ、それまでに何とか読んでみた100ページがなんとなく理解できるようになってきます。しかし読み進めていくうちに地下室の男に対して「もう、お前いいよ」と思う感情が生まれ、そして唐突に・・・。この話の続きはどうぞお読みください。100年前の本の中で風刺されている事柄が現在にも通じている事にも驚かされます。
0投稿日: 2010.03.21
powered by ブクログ前半部分。結構うんうんって思ってしまった。共感できてしまう自分って、、、 割と合理的にできている人間だから、自由を確かめたくて非合理的な行動をする衝動にかられてしまうのか。 とにかくものすごい洞察だと思います。 こんな難解な内容を文章にできる力もすごいし、これを翻訳できる力もすごいと思う。 安っぽい幸福or高められた苦悩 難しい。とりあえずどちらか一方だけじゃ生きていけない気がする。 またしばらくしたら読み返したい。
2投稿日: 2010.03.12
powered by ブクログ主人公の思いが空回っていて可哀想だった。けれども、 きっと、誰しもがこういう感覚を体験したことがあると思う。 でも、理解はできるのだけれど、実際、回りにこういう人間がいたら僕は うっとうしく感じてしまうのだろう。僕も自分勝手で厭な人間だな。 この本が初ドストとなったけれど、とても面白かった。 「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」などの代表作からどんどん読んでいきたいな。
0投稿日: 2010.03.11
powered by ブクログ2009/12/19購入 2009/ ・官能のよろこびは、こうした各種さまざまな自意識やら屈辱のなかにこそ含まれているのだ。 ・いったい自意識をもった人間が、いくらかでも自分を尊敬するなんて、できることだろうか? 5 ・ところで、聞きたいが、自分自身の屈辱感のなかにさえあえて快楽を見出そうとするような人間が、果して、果して多少なりとも自分を尊敬したりできるものだろうか? ・ぼくが自分でさまざまなアバンチュールを案出し、人生を創作したりしたのは、せめてなんとか生きているという実感を持ちたかったからである。 ・
0投稿日: 2009.12.19
powered by ブクログドストエフスキーが自分と同じ誕生日ということで、手に取った本。あと、世界的に有名な作家の本は読まないでおくことは絶対無いと思ったので。 1ページしか読めてない。読まないと!
0投稿日: 2009.12.15
powered by ブクログ19世紀の引きこもりの小説。 地下室で世界に呪いを吐いてる主人公が、現代のネットで呪いを撒き散らしてる人とダブってみえる。今こそ読むべき本。
0投稿日: 2009.12.12
powered by ブクログ初、ドストエフスキー。 ロシア文学によく登場する「余計者」の主人公。 一人称で描かれる世界なので、主人公を通した他者からみた自分の世間での浮き具合が楽しい。 幸せを切望すれど、幸せが怖い。 だから、幸せにはなれない。 外の住人と、地下室の住人の、どうしても越えられない壁が切ないです。
0投稿日: 2009.07.31
powered by ブクログうわ〜、イタタタタ。 自意識過剰で、他人に相手にされず、怒りを胸に秘めた引きこもり体質の元小役人。 ある意味自分に正直すぎて、空気を読んでへらへら周囲に合わせられない人なのかな。 身に覚えがあるからイタく感じるんだろうな。
0投稿日: 2009.07.24
powered by ブクログドストエフスキーはこっち側の人間を書くのが巧い人だ <おまえは空想していただけだが、彼らはそのころすでに現実生活を理解していたのだ>
0投稿日: 2009.06.18
powered by ブクログ引きこもり元官吏が延々と綴る手記。ドストエフスキーはこの小説によって、引きこもりの文学を確立させたと言えそうだ。いわば元祖引きこもり。 作品の構成としては、まず64ページにわたる哲学的独白があり、その後ではこの男の若い時分の話、またこの男がいかにして地下室に引きこもるに至ったか、と言うような話が赤裸々に語られる。 冒頭からして秀逸である。『僕は病んだ人間だ』と来ていて、医者と医学に対する毒舌が入る。そもそも19世紀ロシアの文学では『病んだ人間』と言う表現はここ以外まずお目にかかれないわけだが、その表現は現在の文学界のあちこちで散見される。つまり、病んだ人間だらけの現在を、まさに予言していたといえそうだ。ドストエフスキーの小説群は『現在の予言書』と言われているが、この切り口だけで見てみても、この小説が見事に予言書のひとつとしての役割を果たしていることが分かる。 医者や医学に対する呪詛、と、ここでも医者が出てきたことに留意したい。ドストエフスキーは小説内の様々なところで医者を重要なテーマとして出してくるのだ。例えば『カラマーゾフの兄弟』のコーリャ・クラソートキンの医者嫌いや、『死の家の記録』の人間味溢れる温かい医者達。ドストエフスキーが医者をよく出すことの背後に、彼の殺された医者の父親がいることはまず間違いない。 話が脱線したが、始めの64ページは形としては哲学書に近いと思う。ただ全体的に毒づいており、理性万能主義を徹底的にけなし、人間の利益でもっとも重要なものは恣欲であると解く。この大筋さえ理解しておけば、始めの64ページの哲学の理解は飛躍的に容易になるだろう。 第二部は、と言うより僕はこの小説を学生時代に読んだ時には、引きこもり、またそのような人の考える世捨て人的な論と言うものに対する興味が薄く、ただ単に「風俗嬢に説教する話」ぐらいにしか考えていなかった。しかし、再び読んでみて、とかく始終主人公が毒づいている様子に、また、一般的な常識とはかけ離れた、逆と言ってもいい論を展開していることに引かれた。 話の大部分が陰気ではあるものの、陰気な人が生活上で起こす滑稽なエピソードも色々と詰め込まれていて、吹いてしまうところもあった。唯一明るい光がさしているかのように見えた部分は、例の、リーザに説教をするシーンであるが、これもリーザを陥れようという主人公の企みに過ぎなかったと言うのだから、怖さと滑稽さが半ば入り混じった感情に襲われる。 安っぽい幸福と高められた苦悩、大半の人ならば無難に前者を取ると思うが、あえて後者を極めようと生きる主人公。簡単な言葉で表現できる幸福と、哲学的なテーゼを交え複雑に入り乱れた文章でなければ表現できない苦悩、と言い換えることができそうに思う。人を引き込もらせるに至るその苦悩が、果たして実際的な意味で役に立つのだろうか。しかし、この小説が世界的に読まれているところを見ると、文学的には大いに有用なようである。 召使なのにアポロンなんて気高い名前の彼が面白い。
0投稿日: 2009.06.14
powered by ブクログ前半部主人公が自分の意見を述べる部分は自分にはあまり理解出来ませんでした。 後半部のストーリ部分は読んでていたたまれない気分になりました。 この作品に限らすドストエフスキーの作品には読み手がいたたまれないような気持ちに させる作品が多く、そのへんにこの作者の力量、個性が現れています。 文学を敬遠してる人にもドストエフスキーだけは読んで損はないと思います。
0投稿日: 2009.04.19
powered by ブクログ人間の地下室の部分を描いた作品。読み終わった感想としては、取りあえず俺はこの主人公が嫌いだなとw しかし最後に、主人公がリーザに対し自分をさらけ出す場面は、なんとも言えないカタルシスを感じた。爽快感と、それと相反する後味の悪さ。妙な感覚だった。人間なら誰しもが持っている部分…と言うことなのかも知れないが、どうなのだろうか。人を2つだけの種族に分けたとしたら、俺は間違いなくドストエフスキーと同じ側の人間である。しかし、何というか、人間の心根はこうだと言われても、やはりこうはなりたくないと思うのである。
0投稿日: 2008.09.25
powered by ブクログ第一章ではこんな時代からして引きこもりは存在したのか・・・と妙に驚かされ、後半では自尊心から空転していく主人公が妙に生き生き描かれ、その結果が暗暗としているのにどうなっちゃうのと手に汗を握りました。 面白かったなあ。
0投稿日: 2008.09.08
powered by ブクログガイキチ度数200%。巨匠ドストエフスキーの「困ったちゃん」な部分が満載の一冊です。「カラマーゾフの兄弟」とか「罪と罰」みたいな長編も良いんだけど、この短編に凝縮されたガイキチ要素はすごいです。
0投稿日: 2008.08.04
powered by ブクログこの手記の筆者も『手記』そのものも、言うまでもなく、フィクションである。しかしながら、ひろくわが社会の成立に影響した諸事情を考慮に入れるなら、この手記の作者のような人物が我が社会に存在することはひとつも不思議でないし、むしろ当然なくらいである。(省略) −フョードル・ドストエフスキー 私にとってはじめてのドストエフスキー。他の作品に比べたら圧倒的にページ数が少ないので、と言う理由でこれを選んだ。ストーリー自体は地下室に引きこもった主人公の独白が大部分で、他人と他人に移る自分と、自分の織り成すヴァーチャルな世界。ただこれは現実に今の世の人にも通じる人生における内面の葛藤を描写しながら、ドストエフスキー本人にも、また私自身にも見え隠れする意識の影なのだということは否定できない。この不健全さがリアルすぎる。 08/7/5
0投稿日: 2008.07.05
powered by ブクログ自己中心、というより主観のみの主人公の思考の様がリアルで、身近で恐かった。それがとても面白い。 【2008年5月16日読了】
0投稿日: 2008.06.07
powered by ブクログこの主人公とわたしはかなり似てると思う。 すっごく些細なことをずっとぐちぐち悩んでたり、天邪鬼なことをしたりするとことか。 で、天邪鬼な自分を自分なりに正当化するため理論武装するとことか。 要はひねくれもんですね(*´-ω-`)
0投稿日: 2008.06.01
powered by ブクログこれは現代の「引きこもり」青年の人々に通じる物語かもしれません。 ▲ぼくはならしてもらえないんだよ・・・ぼくにはなれないんだよ・・・善良な人間には!▲ 読了 2007/9/16
0投稿日: 2008.05.16
powered by ブクログ初ドスト!!! 結果・・・撃沈。 でも感じるものもすごく多かった。 時代の代弁者はやはり極度のナルシシズムから生まれるんだろうね。 ドストと物語の主人公は違うけど。
0投稿日: 2008.04.27
powered by ブクログ3回くらいトライしたのだけど、やはり数ページで挫折。 ドストエフスキー独特の読み辛さの集大成(笑)
0投稿日: 2008.02.07
powered by ブクログ3月26日購入。 3月29日読了(2日間) 1864年、ドストエフスキー42歳当時の作品。ドストエフスキー作品はこれが初ですが、どうやらこの作品は、著者の文学に転機を画したものだそうです(解説で訳者はこれに懐疑的ですが)。人道主義的な作品から、<悲劇>の領域へと踏み入れたと。主人公「地下室の逆説家」は絶望的な人間です。自意識過剰で臆病で無口で意地悪にもなりきれず、相手をただ恨み、空想にふけり、愛は征服であると考えている。主人公は自分で「意地悪にもなれやしない」とかいってるけれど、送別会の席で嫌味を言ったり、リーゼにきつい事を言ったりと、結構強いとこもあった気がします。「苦痛は快楽」ってのはよくわからなかった。でも自虐的なこと言うと安心するというか、落ち着くってことは誰しもあるから、雰囲気は分かる気がする。転向前の作品も読んでみたくなりました。
0投稿日: 2008.01.30
powered by ブクログ心の中の地下室なんて表現が若干小恥ずかしいが、そんななかでドスちゃんも病みながら考えたんだろうなぁ。 究極的に病み、そんな世界の究極的な救いとなるのだろうか。
0投稿日: 2008.01.02
powered by ブクログ「自意識は病気である。」 ごもっとも!中2病の友達にすすめてあげてください。大笑いしながら読みました。傑作。
0投稿日: 2007.12.23
powered by ブクログ過去の自分と重なるところがあり、読んでいて少々しんどかったです。いつの日か笑って読めるよう成長せねばと思いました。
0投稿日: 2007.11.19
powered by ブクログこの主人公のように自己の殻に閉じこもり、他人から見たらつまらないことで独り輾転反側している様は自分を見るようで痛々しくもあり、滑稽でもある。
0投稿日: 2007.11.07
powered by ブクログ長い間積読だったが、2ちゃんねるの「孤独な男性」板のスレで一番頻繁に登場してあるので読んだ。第一部は一文ごとの繋がりが明瞭でなくて読みづらかった。もてはやされる程のものだとは感じなかった。
0投稿日: 2007.06.09
