
総合評価
(12件)| 0 | ||
| 2 | ||
| 5 | ||
| 2 | ||
| 0 |
powered by ブクログ日本と日本周辺の被差別民とされる人たちの食文化に迫った作品 自分にも馴染みのあるものから全く知らないものまで、多くの料理が紹介されている 食はそのまま文化につながるし、その人たちの拠り所にもなっているのだと感じた 出自を隠そうとする思いから消えてゆく食文化もあることは、外部の人間が好き勝手言えることではない。ただフラットな視点から見るようにはしたいと思った
0投稿日: 2025.01.11
powered by ブクログ⚫︎サクッと読めるかと思いきや、アイヌ部分が長すぎてだれてしまった… ⚫︎とはいえ、具体的な体験談やら潜在的な差別意識など、ハッとさせられる記載もありよし ⚫︎中々書きにくいテーマにしっかり向き合っているのは凄いし、自分でどんどん食べているのは偉いよね ⚫︎最後の料理の半分は精神性というのはなるほどなと。
1投稿日: 2024.04.29
powered by ブクログ上原善広さんを他の著作で知ってから、ずっと読みたいと思っていたノンフィクション。 差別される料理というのは、つまるところ「ソウルフード」という言葉で表現できるような苛烈な故郷の味であるようだ。 路地で食べられてきたサイボシや、アブラカスなどのホルモン。アイヌ料理、北方少数民族の料理、沖縄の島々の料理。そして今や日本中で愛されるほどになった焼肉。それらの料理がどのように生まれて、どのように親しまれてきたか。 こうした料理が生まれた背景や由縁を知るのって、とても意義深いことだと思う。「食」がもつパワーは凄い。
5投稿日: 2023.06.20
powered by ブクログデビュー作「被差別の食卓」から10年後、今度は日本国内の被差別のグルメです。 ホルモンやサイボシ、あぶらかすなどなんだかんだ全部食べた事あるので、それくらい一般の中に浸透しています。もはや差別も相当薄れていると思うし、自分自身なんとも思っていませんが、差別された側は忘れられないし、いつまでも警戒する気持ちもわかります。 アイヌ、オロッコ(ウィルタ)ギリヤーク(ニブフ)の部分がとても印象的で、とても有名なアイヌに関しては知っていますが、後述の二民族に関してはほぼ知らないし知られていません。直木賞受賞作の「熱源」を読むとどのような扱いだったのかよくわかりますのでお勧めです。 第二次世界大戦後に日本に残った人々は、日本国籍ももらえずとてつもなく苦労したそうで、今では表立ってウィルタ、ニブフであると公表する人もいらっしゃらないそうです。 日本人は単一民族と子供の頃から教えられて来ましたが、それを聞いて日本国内の少数民族の人々はどう思ったのかなと思うとモヤモヤした気分になります。
5投稿日: 2023.06.14
powered by ブクログ「被差別の食卓」10年を経ての続編。いわゆる路地、アイヌ、更に北方少数民族、沖縄の島々、そして焼肉。 10年前と変わる景色もあれば、なくなりつつある景色もあり。「食」フィルター越しにさまざまな側面が見えて来る。行ってみたいし食べてもみたいな。あれやこれや。
0投稿日: 2023.01.29
powered by ブクログアイヌや沖縄など。アイヌ料理は気になっていたので新大久保のお店は知ってた。都内だとここしかないのは馴染みがない証拠で寂しく思った。 離島は二重で差別されていた話が印象深い。食の話だけでなく差別についてもちょこちょこ触れられてる。
0投稿日: 2022.05.21
powered by ブクログ本の中で、いくら出生を隠しても食習慣は隠せない、ことを説明しているところがある。なるほどなぁ。食文化は民族も隠せない。よな。
1投稿日: 2020.08.16
powered by ブクログ3.5 自分にとってのソウルフードってなにか考えた。食は時には差別を生むね。地域の食べ物が人とともに消えるのはかなしい。
0投稿日: 2019.10.16
powered by ブクログ前作「被差別の食卓」は世界の被差別地帯のソウルフードを紹介した本でしたが、本作は日本にスポットを当て、同和地区、北海道のアイヌや少数民族、沖縄、在日のソウルフードを紹介しています。最近ゴールデンカムイを読んだので、丁度アイヌの文化や食事のことが描かれていて興味深かった。現在では大っぴらな差別やタブー視はないらしく、食文化として受け継がれているのはいいことだと思う。
1投稿日: 2018.05.29食物の歴史書としても読める
「被差別の食卓」の続編とのことだが、こちらを先に読了した。「・・食卓」が世界の食事を題材にとっていることに対して、本書は日本での食事を重点的に記載しているとのこと。 見たことも聞いたこともない料理がほとんどで、個人的には想像を逞しくして読むことができた。 ただ冒頭に書かれていたような、提供した食事から妻の出自がばれて云々という話題は、私からはにわかに信じがたかった。確かに、アブラカスというものは、食品でなく肥料(植物性油脂を絞った残渣)の事しか知らなかったが・・・その一方、四国で肉屋で普通に売られていたイリカスという食品をみて、まさに著者の言うアブラカスと同じものと思い、ある種複雑な感銘を受けたことがある。 著者のスタンスは、特にこれらの食品や料理を淡々と述べていることにほぼ終始し、いわゆる偏見や差別意識はこの書籍からは生まれるはずはないと信じることができる。 イラブー料理は美味しいですよ
0投稿日: 2017.08.16
powered by ブクログ淡々と食事の紹介が続くという印象。 「差別」が消えゆくと共にその食文化も失われつつある。 取材した人々の多くは苛烈な差別を経験した世代ではもはやなく、ソウルフードの〝ソウル〟の部分に物足りなさを感じた。 差別はなくなっても食文化は守ってほしい、という思いは伝わってくるが、なんともパンチに欠ける、手応えがない。 たぶん、差別と食文化はもっと癒着しているのだ。 食文化を守ることは、差別そのものから目を背けないということだ。 差別がなくなることと、なかったことにされるのとは違う。 という意味では、あまりに食にフォーカスされているのが本書だと感じた。
0投稿日: 2016.06.17
powered by ブクログまだ読みかけだけと、推測多く、その根拠が曖昧。また、被差別部落を著者は路地と呼ぶ。誰かの物真似らしいがそんな言い方を聞いたことがない。あえてそう呼称するところに、作者の心の弱さを感じる。被差別部落出身者に路地と言ってわかる人がいるのだろうか。所謂路地を思い浮かべる人が大半なのでは。最後まで読むつもりだけど、駄作。食のレシピから何を言いたいのか解らない。
0投稿日: 2015.12.09
