
総合評価
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powered by ブクログコテンラジオでも取り上げられた事もあり、キングダムの後の世界、司馬遼太郎。これは読むしかないと思い手に取る。 正統な猛将項羽と頼りないが周りの人物に助けられ大きくなっていく劉邦の対象できな動きが面白い。私の中国歴史感を強化してくれたなぁと思う。 中国では「楚漢戦争」と呼ばれている 四面楚歌 虞美人 背水の陣 国士無双 捲土重来 先ず隗より始めよ 等故事も多く生まれた話。
8投稿日: 2025.09.12
powered by ブクログ紀元前の話がこれだけの逸話と共に残っていて言葉や教訓としても現在まで伝わっていることに感銘を受けた。あとがきにあった、この後のアジア地域の停滞の背景が気になる。
0投稿日: 2025.08.18
powered by ブクログ物語の終わりが項羽の最期、壮絶だったけれど、締めくくりには良かった。覇王別姫のシーンも読むことが出来ました.人間味のある魅力的な人物が多く描かれていて引き込まれる。印象に残るシーンが多いです。 劉邦に仕える韓信の強さが際立っていて、独立心があれば「項羽と劉邦と韓信」もあったのでは、と想像してしまう。 人間の魅力とはなにか、この長編を読みながら終始考えさせられました。
28投稿日: 2025.08.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
初めて中国史の長編小説を読んだ 完璧じゃないからこそ惹かれ、助けたい、側にいたいと思わせる魅力の持ち主劉邦 武力や兵士を奮い立たせる統率力は項羽の方が勝るけど、人々に愛され、応援する力が劉邦側の勝利に導いたんだろうな 武力であれ知力であれ、どんな秀でた能力もかっこよくて凄いけど、人々に愛される人柄も時代を動かす力になるんだなと
1投稿日: 2024.07.05
powered by ブクログ『項羽と劉邦は人望とはなにかをめぐる明晰な考察の集大成なのである』 解説である通りだと思う。 この物語に描かれる劉邦は不徳で無能、でも何とも言えない可愛げがあって人を惹きつけてやまない、例えるなら大きな空っぽの袋のような人物である、と。 自分が所属する組織とその構成員に照らすと、色々と気づくことがあった。
2投稿日: 2024.05.15
powered by ブクログ局面での戦闘においてあれだけ強い項羽が、劉邦を悉く追い詰めながらも、突如として転がり落ちるように没落して、最終的には劉邦が勝つという、その流れや理由をきちんと知ることができて良かった。また、あまりに有名な四面楚歌や項羽の詩を全体の文脈の中で読むことができ、当時の項羽の心境に肉薄することが出来たように思う。この辺りは筆者の筆致のなすところであった。また、莫大な褒賞が掛けられた項羽の死体をちぎりあった話も人の欲望の逸話として、あるいは劉邦の性質を示す逸話として、非常に興味深かった。
1投稿日: 2024.02.26
powered by ブクログ武のカリスマ項羽と究極の凡人劉邦の苛烈な戦争譚だった。これで何で劉邦が天下を取るのかも不思議にも感じるくらい。 項羽と虞姫の話や無欲な張良、劉邦の部下であろうとする韓信など、人柄が分かるエピソードもこの物語を肉付けしていて、結末を胸に迫るものにしている。 これはもう再読必須ですわ。
1投稿日: 2024.01.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
初めての歴史小説、、、上中下とあり気が遠くなったけど、数ヶ月かけてやっと読み終わりました! プライドが高くジャイアン気質な項羽と 器がデカいだけで空虚な劉邦 最終的には、徳を持った劉邦が殿下を統一する。 劉邦のダメダメさを助ける将軍たちは、劉邦の人柄の良さ、素直さ、報酬の良さ、に惹かれていたそう。すごくシンプルだけど、実際にこれを持ち合わせるのはなかなか難しいんだろうなぁ。 個人的には、韓信や張良などの助演男優賞的な人物がいかに劉邦を作り上げたのか、知ることができて面白かった。また劉邦よりも天才であったろう韓信が、天下統一後に劉邦の妻によって殺される。平和になった後も続く波乱な人生に、ハッピーエンドだけじゃないリアルさを感じました。
1投稿日: 2024.01.08
powered by ブクログ年末年始休暇を使い読破。 項羽と劉邦という全く異なる2人のリーダーを軸に始皇帝亡き後の楚漢戦争を描いた司馬遼太郎の大作。 中国のスケールの大きさに圧倒されます。 歴史の勉強にもなります。 項羽の壮絶な最期は、司馬遼太郎の筆が冴え渡り。情景が浮かんできました。
1投稿日: 2024.01.07
powered by ブクログ上、中、下巻あるけれど是非。 10年以上前に初めて読んで、2、3年前にもう1回読んで普通に面白かった。 たぶんいつか、また読みそう。
9投稿日: 2023.11.20
powered by ブクログ項羽と劉邦の最終決戦までを描いている。韓信における蒯通や劉邦における候公のように自分自身で活躍するというよりも主人をもって覇者にさせようとし、言葉で天下を取ろうとする士の活躍が描かれてた。この時期の日本はまだ稲作も伝わってないのに隣の中国では高度な文明が起きていたのが伝わる。最後項羽が漢軍を一人で薙ぎ倒す描写は痺れた。強すぎた故に周りの才能に気づかずまた重宝しなかったことで劉邦に負けてしまったのか、
3投稿日: 2023.09.02
powered by ブクログようやく漢と楚の闘いに決着がつく。個人の武に頼り、戦略と兵站を軽視した項羽が亡びたのは必然といえば必然。戦下手だったが故に戦略と兵站に注力した劉邦は、今日的にも参考になるのではないか。 それにしても、漢と楚の力関係が逆転し、いわゆる四面楚歌の状況に至る過程がさらっと描かせているのが残念。もう少しドラマチックに描けなかったのか。それが司馬遼太郎的ではあるが。
2投稿日: 2023.05.23
powered by ブクログ面白かった。漫画「キングダム」と平行して読んだので、より諸行無常感が増幅された。この漢帝国も、後に腐敗し、魏呉蜀の三国志に滅びるのか・・・。 司馬遼太郎の文体の小気味よさと表現力に何度も感嘆した。 一番好きな部分が、「韓信のみるところ、愛すべき愚者という感じだった。もっとも痴愚という意味での愚者ではなく、自分をいつでもほうり出して実態はぼんやりしているという感じで、いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合、賢者よりはるかにまさっているのではあるまいか。賢者は自分のすぐれた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中にほうりこんで用いることができる」まさに劉邦像を言い得て妙である。
0投稿日: 2023.04.21
powered by ブクログ筆に勢いのある司馬遼太郎。項羽と劉邦の人格の違いが魅力の本作ですが、その違いは中国の風土・文化への丁寧な分析と構成のなせる技。特に食うに困った「流民」の概念が全体のベースになっているのは、なるほどと。各所で良い味を出している諸子百家の士や客たちも戦国期の農業生産性の向上による自立農の増加から生まれたことや、そうした思想に加えて民族的にも多様な層がおり混ざる坩堝的なカオス、その中でも共通基盤となる中国的文化などなど、中国の魅力がこれでもかと練られ項羽と劉邦に集約された名作。
1投稿日: 2022.10.26
powered by ブクログ負け続けた劉邦が何故勝つことができたのか。 「賢者は自分のすぐれた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中へ放り込んで用いることができる。」 劉邦は愛すべき愚者、大きな袋だったと言う話に、勇気付けられる。
1投稿日: 2022.06.12
powered by ブクログ秦が滅亡してから漢が誕生するまではこんなにあっという間だったのか。 天下を取る人望とは、決して完璧な人間ではなく、助けたいと思わせる人間だったとは。 食が不足するから大移動が起きて、大集団ができた。 中国の文化の歴史の深さとはそういうことか。 キングダム、三国志との時系列がやっと理解することができた。 そして、日本につながっていくのね。 コロナが収まったら、中国の史跡巡りに行きたい。
0投稿日: 2022.05.21
powered by ブクログ歴史作家、司馬遼太郎が描く楚(項羽)と漢(劉邦)の戦い。歴史作家の筆名の原点となった司馬遷が残した‘史記‘に描かれる劇的な世界(紀元前200年前後の様々な戦い)を司馬遼太郎が再構築。春秋戦国時代を経て強力な国家(秦)が生まれ、そして崩壊。その過程に生まれた様々な英雄達興亡の物語であります。参考図書として、宮城谷昌光さんの楚漢名臣列伝の併読をお勧めします。共に☆四つ。
0投稿日: 2022.02.01
powered by ブクログ将の将たる人と将たる人の違い。でもやっぱり将として優れていないと、将の将たる人にはなれないということもあるし、常に変わり続けるしかないのだなと。
0投稿日: 2021.11.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
司馬遷によって編纂された中国の歴史書「史記」を下敷きにした、中国楚漢戦争期を描いた司馬遼太郎の歴史小説。鬼神のごとき勇武で秦を滅ぼした項羽と、臆病だが人柄で優秀な人材を多く抱き漢帝国を興した劉邦の戦い。有名な「背水の陣」や「四面楚歌」という故事の由来となる戦いも収められている。 項羽と劉邦が対照的な人物として明確に描き分けられており、想像以上に読みやすかった。「史記」を漢文で学ぶ前に一読しておくと、それぞれの人物像が色濃くなり、理解が深まるはず。
0投稿日: 2021.08.30
powered by ブクログ二人の栄枯盛衰、何が決定的要因だったのか不思議である。 両者が同時期に存在したことが要因か。 この時代は、助けて成功しても王に怪しまれて命がなくなる世界であり、現代との命の扱いの違いが怖いなと思った。(HPの日記より) ※2003.12.31購入@読書のすすめ 2004.1.25読書開始 2004.2.5読了 売却済み
1投稿日: 2021.08.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
無能だが器が大きく己を知っている劉邦と、カリスマ性があり愛憎激しい項羽の対比。ものすごく勇猛で戦の天才なのに政治感覚がなく兵糧に気が回らず人心がわからず、項羽はたしかに天に滅ぼされる運命だったかもしれない。
0投稿日: 2021.08.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
p.232 しばらく関中に帰る。あとをよろしくたのむ さすが劉邦!と思ってしまいました。 普通に読んでる最中、吹き出していました。
0投稿日: 2021.02.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
項羽の死をエンディングとするために、随所に各登場人物の後日談を織り込む構成になっていたんだなあ。 漢の為に尽力した者が政争に巻き込まれて、死んでいくのも現代と変わりなく。。。
0投稿日: 2020.12.24
powered by ブクログ【感想】 大好きな『キングダム 』後の中国がどうなっていくのか知りたい。漢の成り立ちの部分について勉強したい。という思いがあった中で、どうせなら、面白く勉強したいと思い、司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』を手に取った。 司馬遼太郎さんの作品は読み切ったものでいえばこれが3作目で、これまでに『太閤記』と『最後の将軍』を読んいてその史実を踏まえ面白く物語をつくる才能に今回も大の期待をして読んだ。上・中・下を約1週間でら読めたのは、挫折しやすい僕からすると希少であり、この作品の面白さから来るのであろうと感じた。 本作で私が注目して読んでいた点は大きく二つあり、一つが「秦の衰退と漢の勃興」、もう一つが項羽と劉邦という2人の「リーダーシップ」のあり方である。 秦の衰退と漢の勃興 キングダムで見てみてきた嬴政の創った国が約15年で滅んでしまうのは非常に心痛いことであった、取りわけ、当時先進的であった法家思想を取り込んだ政治の仕方は非常に革新的であるために残念である。その中で趙高のような権力者を作ってしまったのだが、いかんせん、帝国自体が史上初であるため、この程度のミスは半ば仕方のない失敗であるとも思えた。秦が成立した時点で早く崩壊してしまうことは、ほとんど決まっていたようなことであると思われるが、漢が勃興したことに関して言えば、より多くの偶然が重って成されたことであると感じた。 リーダーシップ 項羽と劉邦という相対する2人のリーダーが登場するのである。項羽は圧倒的武力と経験、莫大な部下、良い家柄と完璧に近い男である。ただ、この項羽が天下を取れなかったということが面白かったところで、それ以上に部下に伸び伸びプレーをさせ、愛嬌とルックスを売りにした劉邦が勝利したのは、全ての人へ勇気を与えるのではないかと感じた。48歳まで一介の侠であった劉邦が高祖となったことで、僕もこれからまだまだ狙うチャンスがあるんだと言うことを再認識できた、そして、劉邦が行った部下に対するマネジメントの数々やその姿勢は大きな事を成し遂げる際の一つの頼れるロールモデルであると思う。 【要約】 韓信の躍進と劉邦のジリ貧具合が映る前半部分。中盤以降では広武山で戦いにおける両軍の対峙、そして最後の垓下の戦いへと話が大きく動いていく。その途中途中で、新たな登場人物や、彼らにまつわるエピソードが登場するなどしてストーリーに厚みを増していく構成となっている。 【引用】 P16 -出来そこないの田舎侠客、沼沢のなかの泥ぶなのような草賊の親分。 というのが、劉邦も自認しているかれの前半生であったが、その経験で学んだことといえば子分や兄弟分に対する信しかなかった。 P167 ひるがえっていえば、項羽の幕僚にはこの少年程度の者もいなくなっていたのである。 P242 むかし、かいとうがわしに説いたとおりの結果になった。あのときあの男の言葉どおりにしておればこういうばかなはめにならずに済んだろう。(韩信) P260 馬上天下を得ても、馬上で天下を治めることはできない。(陸賈[リクカ]) P261 高祖の愛嬌は道理だとわかればひどく従順になることで、その配下からみればかれの魅力はこのあたりにあったのに違いない。 P348 劉邦のような立場の男は、たとえ側近を相手に韩信のことをこぼしても、なにかの形で韩信に伝わってしまうのである。 ☆ずっとずっと強かった項羽軍が最終盤に細くなるのは、虚しく、先日読んだ『老人と海』で激闘の末に獲ったオオカジキが鮫に食われていくのに近い感覚を覚えた。 P384 しかも四面ことごとく楚歌であった。 →四面楚歌、、、こういうことだったのか。 P389 彼女が舞いおさめると項羽は剣を抜き、一刀で斬りさげ、とどめを刺した。 〜あとがき〜 P401 この大陸の場合、周辺からさまざまな暮らしの仕方を持った民族が間断なく流入しつづけたということを見ねばならないであろう。具体的情景としては、農業だけしか知らなかった民族に、牧畜を専業とする民族が接触してくると、長靴を穿くことや、動物の腱を干して弦をつくること、あるいは干肉つくり、乳製品を食べることなどが教えられる。 P404 中国史は、ふしぎなところがある。後代のほうが文化均一性が高くなるのは当然であるとして、知的好奇心が衰弱することである。後漢の末ごろからいわゆるアジア的停頓がはじまり、その停頓が、驚嘆すべきことに、近代までの長い歴史のなかに居すわりつづける。 が、いわゆる先秦時代からこの時期までの中国は、べつのひとびとによる社会であったかと思えるほどにいきいきしている。 〜解説〜 P418 『項羽と劉邦』に充満する多彩な「典型群」は、我が国と遮断された無関係の外国人ではなく、かつて日本人に人間社会とはなにかを反芻させ、さまざまな思考に資する「実例」の役割をつとめた。 →解説に書かれている通り、「左国史漢」が平安時代より教科書であったことを鑑みれば、これらを学ぶことは、日本史における実力者達の思考や考えのもとをインストールできることになる。とりわけ、夏目漱石を含め、文豪家の方々が書いたことから考えると、文壇に入っていく上でも、必読であったと改めて思える。 P425 つまり「可愛気が、劉邦の中で光っている。それが大きな光体になって劉邦の不徳も無能も、すべておおい晦ますほどの力をもっている、と蕭何はおもいはじめた」のである。 P425 「劉邦は、土俗人ならたれでも持っている利害得失の勘定能力をそなえていたが、しかしそのことは奥に秘めて露わにせず、その実態はつねに空気を大きな袋で包んだように虚であった」。 p425 劉邦は「韓信のみるところ、愛すべき愚者という感じだった。もっとも痴愚という意味での愚者でなく、自分をいつでもほうり出して実体はぼんやりしているという感じで、いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合、賢者よりはるかに優っているのではあるまいか。賢者は自分のすぐれた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中へほうりこんで用いることができる」のである。
0投稿日: 2020.12.15
powered by ブクログここまで主体性が無く戦争に弱い勝者はいないかもね。人より勝るのは仲間に慕われる事のみで中華統一、逆に不世出の英雄。劉備も曹操みたいに優秀だったら周りから担がれてなかっただろう。何も無い事を自覚して劉邦をなぞったのかもね。
0投稿日: 2020.11.30
powered by ブクログ項羽は、劉邦に負けたのではない。 天に負けたのだった。 紀元前2世紀といえば、ローマではスキピオとハンニバルが争っていたころである。 ここの歴史も読み応えがあるし、もちろん項羽と劉邦も読み応えがある。 なんと言ってもそれらの歴史が残されているというところにも特筆するべきだと思う。
1投稿日: 2020.08.17
powered by ブクログ再読。 もう少し物語然としたものを読みたかった。 その時、誰がどのようにしてどう考えてたかを作家の想像で描き切ったものを読みたい。 時にはケレン味たっぷりで。 美味しく料理できそうな登場人物ばかりのようなので他の作家の作品に期待。 北方謙三、田中芳樹作品あたりでなってないだろうか?
0投稿日: 2020.07.22
powered by ブクログついに「項羽と劉邦」完結。 下巻に入っても途中まで全く劉邦に勝つ要素が見受けられなかったのですが、気がついたらあれよあれよと逆転していました。 結局、劉邦の勝因は何だったのか。やっぱり何もかもを飲み込む寛容さなのかな。項羽は身内以外にはあまりに冷た過ぎた。 背水の陣や四面楚歌といった有名な故事成語もこのときのものだったんですね。萌えました。 てか、項羽って31歳だったんだ…若っ!! この時代の濃密さを感じます。。
1投稿日: 2020.01.30
powered by ブクログ上中下をまとめて。 どんな出来事でも、歴史の教科書のなかでは数行で語られるが、その背景にはこれだけの物語があること(どこまでが史実に基づいているかは別として)を改めて感じた。 生まれもよくエリートであるが故に、時には残虐であっても結果を求める項羽と、ゴロツキからの成り上がりでわがままだが、何故か憎めず周りからの人望が生涯尽きない劉邦。 2人の対比が上手くミックスされていて、終始わくわくしながら読み進められた。 また、鴻門の会や四面楚歌、虞美人等かつて学生時代に学んだ出来事も多く登場してその背景を知れたことも良かったと思う。 司馬遼太郎氏の作品は小説を読んでいるのに、さも漫画を読んでいるかのように登場人物の描写が頭の中に浮かび上がるのが凄い。
2投稿日: 2019.10.27
powered by ブクログ項羽と劉邦どちらも生きる道はないのかと読みながら常々思ったが、項羽のプライド的に勝つか負けるかしかないのだと思った。最後は項羽に同情してしまい、悲しくなったが、あれだけたくさんの人を残虐的に殺した罰なのだと自分に言い聞かせて納得させた。
4投稿日: 2019.08.21
powered by ブクログ有名な背水の陣や四面楚歌、虞美人なんかが出る。 話が前後したりしてすんなり進まない。 当時の人の民族の違いや考えかたなど、よく考察しているように思う。
1投稿日: 2019.08.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【感想】 中国始皇帝死後の楚漢戦争期を舞台とした大作の最終巻。 上巻の時からネタバレがあり、楚漢どちらの勝利で終わるかは明白であったが、結果よりも過程が本当に面白かった!! 「項羽と劉邦」というタイトルにも表れているように、二人の対決というよりも人物像の対比が作中に詳しく描かれており、一言で言えば「勇猛な項羽」と「任侠・人間味あふれる劉邦」という人間性の対比が作中でたくさん触れられていた。 中々の大作で、かつ登場人物も沢山いたので読了するのに難儀したが、個人的には初めての中国歴史小説だったのでとても新鮮味があって楽しめたなぁ。 読み終わった後にWikipediaで概要確認したら、イイおさらいが出来た。 前述したが、本作品は項羽と劉邦の人間性の違いがとても如実に表れていたような気がする。 スペックで言えば、圧倒的に項羽や楚軍に遥かに分があった。 ただ、劉邦には項羽にない「寛容さ」があった。 項羽があれだけの実力をもってして中華を天下統一できなかったのは、やはり項羽のマネジメントに問題があったからのような気がする。 カリスマ性はあるが、あまりにも厳しすぎる組織統制によって良い人材を沢山失った項羽。 自身の低能さを誰よりも深く自認して、ドンブリ勘定というか放任主義というか、よく言えば寛容な「緩いマネジメント」で有能な部下を取り込むことに成功した劉邦。 張良考案の「最後の大博打」含め、最後の勿論勝利を成したのには色んな要因があるだろう。 だが結局天下を治めたのが劉邦という結果になったのは、部下を信じて然るべき役目を与えたり、また報酬を惜しまないことで部下のモチベーションを保ったという事が最大の要因だったのではないだろうか? 単純に歴史小説として楽しめたのと同時に、組織のマネジメント論についても勉強になる1冊でした。 【あらすじ】 楚漢の天下争いは勝負がつかない。 圧倒的な項羽軍の前に、穀倉のある山にのぼってこれと対峙する劉邦軍。 やがて和議成って故郷に帰る項羽軍を劉邦は追撃し垓下に囲む。 ある夜、包囲軍の中から楚の国の歌が湧き上がるのを聞いた項羽は、楚人はことごとく漢に降伏したかと嘆き、天が我を滅ぼしたことを知る。 あらゆる人物の典型を描出しながら、絢爛たる史記の世界を甦らせた歴史大作。 【内容まとめ】 1.酈食其の言葉に対しての韓信の回答。 「敬愛されるということは、要するに無害な人間として愛玩されるということではありませんか」と、笑って返した。 韓信は忠誠心と利己心を持つ類の男ではなかった。 それだけに、劉邦の忠誠な側近団に油断のならぬ男と見られている。 2.「出来損ないの田舎任侠、沼沢のなかの泥ブナのような草賊の親分」 劉邦も自認している彼の前半生。 その経験で学んだことは、子分や兄弟分に対する「信」だった。 劉邦は彼自身も自認しているところだが、元来自分で何をするということもできない男であった。 若い頃から人々を連れて歩き、そういう連中がすべて事を運んできた。 かといって、劉邦の不思議さは、いつの場合でも敵の顔の見える前線に身をさらし、人々の背後に隠れるということはなかったことである。 項羽に対しても、項羽という猛獣に対し、自分自身を餌に相手の眼前にぶらさげ、それを咬もうとする項羽を奔命に疲れさせてきた。 豪胆というよりも、平気でそれができるところに、配下の者たちが劉邦についてきた魅力があるのかもしれない。 3.「力ハ山ヲ抜キ、気ハ世ヲ蓋(おお)フ」 項羽が天下に誇示するところは勇であった。それだけに、敗けることを病的に嫌がった。 戦術的勇者である項羽にすれば両城の食物を片付けるという迂遠な、あるいは戦略的なやり方よりも、劉邦という蝿そのものを叩き殺すというほうを好んだ。 4.項羽軍の欠陥 「解いてやれ」と、兵に命じ、すべての市民を自由にした。 項羽は馬を行かせながら振り返って少年をほめた。 ひるがえっていえば、項羽の幕僚にはこの少年程度の者もいなくなっていたのである。 項羽は武において誰よりも優れていたことと、性格や価値判断において黒白が鮮明すぎるために、人々は項羽に畏伏するのみで、その言葉に逆らわなくなっていた。 楚軍の見事な統制の一面、病的な欠陥があらわれはじめていた。 5.「食人之食者死人之事(人ノ食ヲ食セシ者ハ、人ノ事二死ス)」 食を分け与えられた者は、その人のために死すべきだ。 「人」とは韓信の場合、劉邦であった。 6.劉邦に対する張良の評価 陛下は、御自分を空虚だと思っておられます。 際限もなく空虚だと思っておられるところに、智者も勇者も入ることができます。 そのあたりのつまらぬ智者よりも御自分は不智だと思っておられるし、そのあたりの力自慢の男より御自分は不勇だと思っておられるために、陛下の空虚の中で皆が気楽に呼吸することができます。それを徳というのです。 さらに陛下は、欲深の者に対して寛容であられます。 欲深どもは、陛下のもとで辛抱さえしておれば自分の欲を叶えてもらえると思って、漢軍の旗の元に集まっているのです。 この連中が集まるというのも、徳というものです。 【引用】 p5 ・酈食其(れきいき)と韓信のやり取り 「お前さんには、規準というものがないよ。人としての生き方の規準、物の考え方、あるいは行動の仕方についての規準だ」 「規準を学問という。規準のない人間は、人から信用されない。美でもない。美でなければ、人から敬愛されない」 酈食其の言葉に対して韓信は、 「敬愛されるということは、要するに無害な人間として愛玩されるということではありませんか」と、笑って返した。 (この男の本質は、つまりは才能ということか) 才能だけが独立し、目も鼻も理性も抑制力も持たずに丸い物体として谷を越え、山をかけのぼり、どこまでも転がってゆく何かではないか。 韓信は忠誠心と利己心を持つ類の男ではなかった。 それだけに、劉邦の忠誠な側近団に油断のならぬ男と見られている。 p12 ・「出来損ないの田舎任侠、沼沢のなかの泥ブナのような草賊の親分」 劉邦も自認している彼の前半生。 その経験で学んだことは、子分や兄弟分に対する「信」だった。 味方の忠誠心の上に浮上している劉邦は信だけで立っており、信を失えば能も門地もない男はもとの塵芥に戻らざるを得ない。 p20 劉邦は奇策として、項羽に対し滎陽(けいよう)城の南方から刺激を試みた。 項羽は驚き、(蝿のようなやつだ)と思った。 無視しておけばよかった。しかし項羽はおどりかかって叩き潰さねば承知できず、いそぎ南下すべく陽城の囲みを解いた。 作戦という冷厳な必要から項羽は行動しているのではなく、性格といって良かった。 p45 ・「力ハ山ヲ抜キ、気ハ世ヲ蓋(おお)フ」 項羽が天下に誇示するところは勇であった。それだけに、敗けることを病的に嫌がった。 戦術的勇者である項羽にすれば両城の食物を片付けるという迂遠な、あるいは戦略的なやり方よりも、劉邦という蝿そのものを叩き殺すというほうを好んだ。 p67 韓信軍を強奪した一事は、劉邦一代での唯一と言っていい鮮やかな芸で、劉邦の人間について考えるとき、不思議な印象がある。 劉邦は彼自身も自認しているところだが、元来自分で何をするということもできない男であった。 若い頃から人々を連れて歩き、そういう連中がすべて事を運んできた。 かといって、劉邦の不思議さは、いつの場合でも敵の顔の見える前線に身をさらし、人々の背後に隠れるということはなかったことである。 項羽に対しても、項羽という猛獣に対し、自分自身を餌に相手の眼前にぶらさげ、それを咬もうとする項羽を奔命に疲れさせてきた。 豪胆というよりも、平気でそれができるところに、配下の者たちが劉邦についてきた魅力があるのかもしれない。 p85 斉王と田横(でんおう)も、ちりぢりに逃げるしかない。逃げるにあたり、斉王みずから酈食其を「この嘘つきめ」と罵った挙句、嘘でないなら韓信の来襲を制止してみろといった。 酈食其は、「煮ろ」といった。 「わしがあんたの前で述べた言葉はことごとく真実だ。あんたはわしの眼を見、言葉を聞いた。それねもなおわしという人間がわからずに煮ようとしている。つまりは腐った人間ということだが、そういう男に命乞いをするためにわしは韓信の陣営に行こうとは思わぬ。韓信はいいやつだ。それ以上に、このおれはいい士(おとこ)だ。」 酈食其は煮られた。斉王も田横も戦わずして逃げ、斉は韓信によって占領された。 p116 「おどろけ。おびえよ」 韓信は自分のまわりの親衛軍に命じた。韓信がかつて超軍に対して演じた芸であったが、関心を侮りきっていた竜且(りゅうしょ)は簡単にかかった。 敵が半ば上陸したあたりで狼煙を上げ、土嚢の壁を一時に断ち切って水を奔流させ、竜且とその部隊は孤軍になった。 竜且とその部隊をありったけの兵が囲み、けものを狩るようにして遠矢・近矢を射て竜且を討ち取った。 p142 「解いてやれ」と、兵に命じ、すべての市民を自由にした。項羽は馬を行かせながら振り返って少年をほめた。 ひるがえっていえば、項羽の幕僚にはこの少年程度の者もいなくなっていたのである。 項羽は武において誰よりも優れていたことと、性格や価値判断において黒白が鮮明すぎるために、人々は項羽に畏伏するのみで、その言葉に逆らわなくなっていた。 楚軍の見事な統制の一面、病的な欠陥があらわれはじめていた。 p192 ・項羽と韓信 「お受けできなくて残念なことである」と、結論から言ってしまった。 項羽の使いである武渉も、相手のあまりの単純さに驚いた。 「私は項王がきらいなのだ」 「なぜお嫌いなのです」 「わたしを用いなかったからです。」 韓信は、自分が楚の軍営にいたとき、身分は郎中にすぎず、仕事といえば宿衛のときの番士にすぎなかった、といった。 「進言、献策、一つとして用いられたことがない」 「項王がお忙しかったからでしょう」 「当時忙しかったのは、項王だけではない」 敗者に近い漢王は、それ以上に多忙だった、と韓信が言う。 「では漢王については、如何」 「好きです。理由は、わたしを用いてくれたからです。士とは、そういうものだ。」 p195 「水に流せないのだ。忘れることができても、流すことはできない。過去というものが積み重なって、こんにちの韓信というものがある。流せということは、韓信そのものを流せということだ」 p199 「食人之食者死人之事(人ノ食ヲ食セシ者ハ、人ノ事二死ス)」 食を分け与えられた者は、その人のために死すべきだ。 「人」とは韓信の場合、劉邦であった。 p206 呂氏を中心とする勢力が韓信を排除しようとし、様々な策を弄した。 この為、つねに針を含んだ衣服を着ているように韓信の状況を安定させなかった。 韓信が思案のすえに謀反を企てた時は、それを成功させる条件はとっくの昔に去っていた。なかばであらわれ、捕らえられて斬刑に処されるのだが、 「昔、カイ通(かいとう)がわしに説いた通りの結果となった。あのときあの男の言葉どおりにしておれば、こういう馬鹿なはめにはならずに済んだろう」といった。 p255 「項羽は大したものだ」 劉邦は、張良をかえりみて言った。 「わしはあの男に勝てなかったが、別に悔やんではおらぬ。あの男と百戦して命一つが不思議に保てたことだけがわしの幸運であり、開き直って言えば自慢のようなものだ。普通ならば、あの男にずたずたに引き裂かれてしまっている」 「それは、陛下がご自分を強者だとお思いになったことがないからでございます」 劉邦ははじめから自分を戦下手の弱者であると決め込んできたから、項羽に対して気負いたったことがない。戦いが不利になればすぐさま逃げた。張良は、それが劉邦の命を今まで保たせたもとだという。 p256 「陛下は、御自分を空虚だと思っておられます。際限もなく空虚だと思っておられるところに、智者も勇者も入ることができます。そのあたりのつまらぬ智者よりも御自分は不智だと思っておられるし、そのあたりの力自慢の男より御自分は不勇だと思っておられるために、陛下の空虚の中で皆が気楽に呼吸することができます。それを徳というのです」 「さらに陛下は、欲深の者に対して寛容であられます。欲深どもは、陛下のもとで辛抱さえしておれば自分の欲を叶えてもらえると思って、漢軍の旗の元に集まっているのです。この連中が集まるというのも、徳というものです」 「項王にはそのような徳はありませぬ。このため范増を失って今は謀臣がなく、また韓信ほどの大器の才を見抜けず、脱走させてしまっています」 p262 「待つ?待って何になる。待てば項王に勝てるというのか?」 張良の顔を落ち葉がかすめた。 「待ったところで仕方がないか」 陳平の声は、力がない。 「張良さん、あなたはこの追撃戦にいい見通しがあるのか?」 「ない」 張良が立ち止まって、正面から陳平の目を見た。 陳平は張良の温雅で淡泊な性格が好きだったし、物事を計画するにあたって歯がゆいほどに慎重であることもよく知っている。 その男が、負ければすべて失うという一か八かの大博打を打とうというのである。 「成算はないが、将来へゆけばいよいよなくなる。項王が楚の地に帰って兵馬を休めた後、戦力を充実させる。おそろしいばかりの力になるだろう」 それに項王は若く、漢王はすでに老の坂にさしかかっている。待つという時が味方するのは項王のほうで、漢王のほうではない。 「今まで漢王は物事を積み上げてきた。戦えば負けつつも外交に力を用い、天下の弱者、不平家、欲深者を洩れなく連携し、それらによってようやく項王と互角で戦えるまでになった。今が漢軍の力の絶頂だろう」
22投稿日: 2019.07.04
powered by ブクログ勝利の秘訣は勝つまでやること、という警句を思い出すくらい、劉邦の負けっぷりが徹底していて清々しい。でも、勝つまで続けられるのは、周りの支援があってこそ。この人なら助けてあげたい、と周りの人に思わせられるのが、人徳、人望、ってとこでしょうか。 純粋に個人の趣味でいうと、本の中では項羽の方がカッコいいけど、生の人間として対峙すると劉邦方にふらふらとなびいてしまうのだろうか。
2投稿日: 2019.06.08
powered by ブクログ項羽と劉邦を読み始めた時はなかなか入り込めなかったが、下まで読むとなかなかおもしろかった!水を上手く使う韓信がさすがだなあと思った。最後まで勝ちという勝ちを経験しない劉邦が、なぜか最後に項羽に不思議にも勝ってしまう、というか項羽がいつのまにか負けたことについて、負けを恐れないものというのはやはり強いのだと思った。最後の項羽の詩は高校のときに勉強したが、あらためてその詩の背景を知ることができて興味深かった。
5投稿日: 2019.01.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
遂に読み終わった。司馬遼太郎作品「項羽と劉邦」最高の軍師である韓信の背水の陣から始まった下巻。武の才もなく、知略もないが圧倒的なほどの徳と義を持った劉邦の部下たちがまた今回も活躍する。特に目立ったのがやはり韓信。彼は本当に劉邦にしてみれば都合のいい部下であり、韓信に少しでもエゴがあれば劉邦は滅んでいたと思う。さらに張良や蕭何、彼らも最後まで劉邦を見捨てず、奔走した。劉邦は項羽に相対する度に弱気になり、弱音を吐き、リーダーとしてどうなんだと感じるところはあるが愛されるべく才を持っためずらしき英雄なんだなと。麻生さんが言っていたことがわかった。一方項羽は、圧倒的武力を誇りながら次第に弱っていき、最後は自害をするという哀愁の漂う人物だが、今まで読んだ本や、物語の中で最強と言ってもいいほど逞しく描かれていた。この2人の戦いは素晴らしかった。裏切りに次ぐ裏切りや、疑心暗鬼ばかりの戦いでこの時代はとても生きづらかったと思う。が、こんな時代だからこそ活躍した将もいて歴史はよくできているんだなと感じた。この三部作で何よりも強く描かれていたのはリーダーの違いである。部下をどれだけ信用するか、どれだけ自分の弱みや逆に強みをさらけ出すか、また背中で見せつけ自分が引っ張っていくリーダーの姿もあった。結果食わせていくことが大事な世の中だが大いに学べた。自分も味方の才を思う存分引き出せるようなリーダーになりたい。そして大事なのはギブアンドテイク!
2投稿日: 2018.12.12
powered by ブクログ大河ドラマのように読み進めて最終巻。劉邦は最後まで劣勢だった。項羽は強かった。しかし、項羽のように親族を重用し、不公平と思わせる論功行賞に、現代のワンマン企業の人事を重ねてしまう。劉邦が重要視した食料補給を含めた兵站が、最終的な勝負の決め手になったようだ。
1投稿日: 2018.10.24
powered by ブクログ初めて手に取った歴史小説。元々堅苦しいイメージがあったが、読んでみると一転どっぷりとのめり込んでしまった。 何事も最後は運の要素が大きく関わってくるのだなと感じた。 人事を尽くして天命を待つ、とはよく言ったものである。
1投稿日: 2018.09.12
powered by ブクログ武も勇も器も、項羽には及ばなかった劉邦が天下を取ったのは痛快なようで、私には少し悲しくもあります。 項羽の思慮が浅かったとか韓信の驚異的な活躍があったとか、そんな理由はあるかもしれないけれど、圧倒的な力をもった個の光が運命の前に立ち消える様には同情を隠せません。 内容としては、紀元前版「ワンピース」といった感じでしょうか。面白かったです。
2投稿日: 2018.08.30
powered by ブクログ韓信の最後…そして項羽の最後など盟友たちの終焉が描かれている。特に四面楚歌の場面は感情移入して同情を誘う。司馬遼太郎さんの書籍は一回読んでもまた読みたくなるぐらいどのテーマも心を揺さぶる。
1投稿日: 2018.07.07
powered by ブクログ劉邦は人を大事にしたと言われるが、本当だろうか。臆病な限り人を信用せざるおえなかったのではないか。その意味で自分を頼むところ大だった項羽とは対照的か。この巻では韓信、彭越も焦点をあてる。特に韓信はスタート地点さえあえば劉邦の位置に立てたのではないか、とも思わせる部分も感じた。
1投稿日: 2018.07.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
百戦して百敗した劉邦の土壇場での勝利、そして強勢を誇ったはずの項羽の死により、天下が定まるまでを描き切る下巻。 無様なまでに逃げたいと思い続ける劉邦、それを支える軍師・張良、愛すべき美質を多量に持ちながら自壊していく項羽、それらの巨大な名前たちの派手な描写ももちろんのことながら、韓信の謀臣・蒯通の姿もまた凄まじい。韓信に謀反を勧めたかどで、高祖となった劉邦の前に引き出された蒯通の弁舌は激しく、哀切を帯びて心に残る。
1投稿日: 2017.10.03
powered by ブクログ運と仁徳で天下を取った劉邦。 能力が高いだけでは、大きなことは成し遂げられないのだろう。 個人的には、政治は全くダメだけど、軍事能力は抜群の韓信が興味深かった。 政治が苦手なら、外交は有用な部下に任せるべきなのな。 堕ちてゆく項羽を見るのは、なかなか切なかった。
3投稿日: 2017.05.19
powered by ブクログ項羽が圧倒的に主人公だった。 終わりを悟ったときのかの有名な漢詩が沁みる。 その前後の司馬さんの文章の区切りによって、余計に切なさが増しました。 原題が「漢の風 楚の雨」というのがまたいい。
2投稿日: 2017.01.09
powered by ブクログ下巻読了。 項羽は悲しいまでに“武人”でした。 圧倒的な強さを誇りながら、運命に逆らえずに迎える最期は胸が熱くなりました。 そして、残った劉邦。 弱くて、逃げてばかりなのに、“つい、劉邦のために智慧をしぼりたくなるような人格的ふんいきを持っている”のが、彼の強みでしたね。 この二人を中心に、登場人物達皆の生きざまが魅力的で、上→中→下巻と進むごとに面白く読めました。 それにしても、これは紀元前200年前頃の話なんですよね・・。その歴史に圧倒されます。
2投稿日: 2016.11.18
powered by ブクログ張良が劉邦に言った「『百敗の上にもう一敗を重ねられたところで、何のことがありましょう』」が衝撃的で笑ってしまった。 ↑この言葉は広武山でのにらみ合いのあと、項羽と劉邦が和睦し、約束を破って項羽を後ろから襲おうという所 遂に読み終わった。司馬遼太郎さんは、劉邦や項羽の人柄をしっかり把握しており、両人がとった行動を性格に基づいて説明してくれるのがありがたかった。 劉邦が項羽に勝てたのは、運もあったかもしれないが、自分自身が全くの無知であることを知っていることが大きいと思った。 自分自身が無知であるから、素晴らしい能力を持った人に対して、素直に話を聞くことができた。 その素直さが項羽に勝っていたから、劉邦は天下を取れたのだと思う。
4投稿日: 2016.10.26
powered by ブクログ項羽のカリスマ性に対して、劉邦のもつリーダーシップ、理解するのが難しい。少なくとも、いままでの人生で近い人を見たことがない。
0投稿日: 2016.10.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ついに最終決戦が書かれます。 しかしながら,項羽の死をもって終わりとなる結末がどうにもあっけなく感じます。この後の漢の行く末を少しでも書いあれば余韻もあるのに,と思いつつ,漢のこの後を考えると書きづらいのも理解できるしと,複雑な気持ちになってしまいます。
0投稿日: 2016.09.01
powered by ブクログ項羽の最期の描写が凄い。 長編なので中だるみもあるけど最後の方は興奮して一気読み。項羽的な人物は人気があり、憧れるけど日本の歴史を見ても現代社会を見てもやっぱり劉邦スタイルが最後は強いのかなって思う。織田信長と徳川家康とか。
1投稿日: 2016.04.28
powered by ブクログ食べるために戦った時代に、「戦い」に重きを置いた項羽と、「生き延びて食べる」ことを貫いた劉邦。 100回勝ってもたった一度の負けで命を落とした項羽と、戦闘能力が低くても生き延びるためにあがき続ける劉邦。 この時代に生きていたら、どちらに従っていただろう?
2投稿日: 2016.01.09
powered by ブクログ物語の最終盤、追い詰められた後の項羽の描写が凄かったです。 ただならぬ悲壮感に満ちていながらも、その一方で武人としての最期を遂げるべく、数騎だけで戦い続ける彼の気迫には、圧倒されてしまいました。
1投稿日: 2015.09.26
powered by ブクログ項羽と劉邦。どちらが秦が滅んだあとの中国を制するのか。 戦っては、ほぼ必ず負けるのが劉邦。 負けては逃げる。 だけど、劉邦には人徳があって。 優秀な部下が本拠地で優れた内政を行い、追加の軍隊と兵站を送ってくれます。 良く考えたら、この部下・䔥何が劉邦を裏切ってもおかしくないんですね。 で、再び戦う劉邦。やっぱり負ける劉邦。 だけど、劉邦には人徳があって。 優秀な部下が優れた謀略と知恵で、逃げ延びる術と再起の道のりを作ってくれます。 良く考えたら、この部下・張良が劉邦を裏切ってもおかしくないんですね。 で、再び戦う劉邦。やっぱり負ける劉邦。 だけど、劉邦には人徳があって。 優秀な部下が別働隊として少人数で動いていたのですが、あれよあれよという間に、この部下の別働隊が、項羽と劉邦に並ぶ第3勢力並みの巨大な軍隊になっていました。 良く考えたら、この部下・韓信が劉邦を裏切ってもおかしくないんですね。 と言う訳で。最後まで負けに負け続ける劉邦さん。 命からがら、ルパン三世みたいに逃げる劉邦さん。 実の子供まで馬車から突き落として逃げる劉邦さん。 結局最後は、韓信さんの軍隊が合流したおかげで、勇猛果敢な項羽に軍事的勝利を治めます。 まっすぐに、動物のように、オスそのもののような英雄・項羽の死でこの物語は終わります。 四面楚歌、虞美人草、といった言葉の由来なんかも学びながら、あまりといえばあまりに大河ドラマな小説、くらくらするような再読、堪能でした。
1投稿日: 2015.09.22どっちが主人公?
司馬遼太郎の作品は大好きだ。特に土方歳三、西郷隆盛、河井継ノ助、坂本竜馬、非業の死を遂げる主人公を書いた作品である。項羽はまさしくそのとうりだが劉邦は違う。そこに若干の違和感があり、判官贔屓としては項羽なのだが、劉邦を応援してしまう。この時の負けた楚の人が稲作を伝えて弥生時代を作っていたらおもしろい?
0投稿日: 2015.08.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
――漢王は能なく智なく勇なく、しかも人間が粗㒒すぎて雅馴でない。まことに不徳の人である。といってるのを劉邦は耳にしたことがある。 「陛下は、御自分を空虚だと思っておられます。際限もなく空虚だとおもっておられるところに、智者も勇者も入ることができます。そのあたりのつまらぬ智者よりも御自分は不智だと思っておられるし、そのあたりの力自慢程度の男よりも御自分は不勇だと思っておられるために、小智、小勇の者までが陛下の空虚のなかで気楽に呼吸をすることができます。それを徳というのです」 義とは、骨肉の情や、人間としての自然の情(たとえば命が惜しいなど)を越えて倫理的にそうあらねばならぬことをさす。 義は戦国期にできあがった倫理ではないかと思われる。のちに儒教にとり入れられて内容が複雑になり、また反面、義という文字から儀礼の儀という文字が作られてゆくように儒教では多分に形骸化されて礼儀作法とか、人と人とのつきあいの仕方といったものへ衰弱してしまう。 が、この時代は戦国期からほどもない時代だけに、この流行の精神は初期のたけだけしさや壮烈さをうしなっていなかった。 義という文字は、解字からいえば羊と我とを複合させて作られたとされる。羊はヒツジから転じて美しいという意味を持つ。羊・我は「我を美しくする」ということであろう。古義では「人が美しく舞う姿」をさしたともいわれるが、要するに人情という我を殺して倫理的な美を遂げる――命がけのかっこうよさ――ということを言い、この秦末の乱世では、庶民のはしばしまでこの言葉を口にした。 かつて若き日に「沛の町の飲屋で」「町中の劉邦好きの男や与太者たち」が自然に集まり、「彼らにすれば、劉邦に見られているというだけで楽しく、酒の座が充実し、くだらない話にも熱中でき、なにかの用があって劉邦がどこかへ行ってしまったりすると急に店が冷え、ひとびとも面白くなくなり、散ってしまう」のであったが、そのような場における劉邦の茫漠たる個性に、強い複雑な印象を受けぬものがあろうか。あえて一息に要約するなら『項羽と劉邦』は、人望とはなにかをめぐる明晰な考察の集大成なのである。
0投稿日: 2015.07.06
powered by ブクログ百戦錬磨の項羽は猛者、猛者以外の何者でもない。本文で覇王と度々言われていたがまさに、その通り。に対して、百戦百敗の劉邦なのだが優れた家臣の多い事。この人の人徳だな。その家臣がいたから、天下取りが現実したんだろう。日本の戦国時代でも、豊臣秀吉がそうであったように。項羽が最後に唄った楚歌、命果てる瞬間は呆気なく悲しかった。
7投稿日: 2015.01.16
powered by ブクログ負け戦がつづく劉邦は、配下の助けを借りて何度も窮地を脱出する。やがて広武山にて項羽軍と対峙することになる。 読了後、2012年に中国で制作されたTVドラマ『項羽と劉邦 King's War』(主演:チェン・ダオミン、ピーター・ホー)を観た。文章だけではわかりにくい当時の様子が視覚的に補足された。
0投稿日: 2014.12.25
powered by ブクログ上、中巻は一度に購入できて、一気読みした。 下巻だけ手に入らなくて、やっとこのたび読めた。 札幌から新千歳、そしてセントレアに着くまでに読み終えた。 項羽の滅亡でこの小説は終わる。 でも、分量としては項羽が劣勢に向かうのは、この間の後半。 滅亡への道行は、おそろしくあっけなかった。 まずそれが一番印象に残った。 もしかすると、司馬さんは項羽のことが好きなのかも、とさえ思った。 この小説の魅力は、それぞれの人間像が鮮明なこと。 酃食其とか、韓信の末路には、その人柄と合わせて読むと何とも言えない気持ちになってしまう。 張良や䔥何といった人物は、戦いに明け暮れる英雄たちの間においてみると、何かすがすがしい感じがする。
0投稿日: 2014.11.29
powered by ブクログ古代中国の話なのに、現代に生きる日本人に通じるところがたくさんあった。 どちらが勝つかはもうわかっているのに、引き込まれてドキドキわくわくした。
0投稿日: 2014.11.11
powered by ブクログ人間の魅力とはなにか?学生時代にはそんなビジネス書みたいな感想で満足していた。しかしいま読み返して感じることはそれほど単純ではない。 たしかに劉邦の周りには様々な者が集まってきた。だが蕭何や張良のような者ばかりではない。肉に群がる獣や虫みたいな輩もいた。項羽は自身の熱すぎる炎により近づく者を選び孤独だったかもしれないが、虞美人や最後の瞬間までつき従った故郷の楚兵と死ねた。まだ31歳。 『国破れて山河在り . . .』である。
0投稿日: 2014.07.15
powered by ブクログ「虞や虞や汝を如何せん」 高校の古典で習ったときは「虞や虞や」の響きが面白かった。 でも、物語を読み進めていって出てくるこの台詞は泣きそうになった。 命を懸けるとはもう安っぽい言葉になったかもしれないけれど、この時代の人は本当に一戦一戦に命を懸けた。項羽と劉邦に命を預けた。下巻では女性たちの心情描写も出てくる。男のために生きた人、裏で男を操った人、気の強い人……。 これは古代中国を生きた人々の物語。
0投稿日: 2014.06.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「(あれは、楚歌ではないか)」 ついに項羽と劉邦の決着。 今まで押していた項羽が食糧不足により一転窮地に。 項羽:崇拝され負けなし。その気迫、存在だけで楚軍の士気を盛り上げ、勝利に導く。漢軍に負けたのではなく、天に滅ぼされた。 劉邦:負け将軍。表情豊かで懐が広い。中身がなく袋のような存在で、多様な者を引きつける。項羽を恐れ最後まで攻めきれない。 どんなに強くても食べ物がなければ戦えない。劉邦は和を重んじ、項羽は武を重んじた。項羽は白黒はっきりさせるのが潔く、かっこよい。しかし、天下を治めるには潔さがかえって仇になるのか。和議からの劉邦による襲撃で追いつめられた。項羽は言う、自分は天に滅ぼされたのだ、と。
0投稿日: 2014.06.21
powered by ブクログ「劉邦と項羽」でなくて「項羽と劉邦」の理由が最後まで読むと分かった気がしました。下巻が一番面白かった。
0投稿日: 2014.02.06
powered by ブクログ韓信の「背水の陣」の戦いから 負けてばかりだった劉邦軍が、圧倒的強さの項羽軍を垓下に囲み 「四面楚歌」により「天が我を滅ぼした」と項羽が自害するまで。 おもしろかった。 時代背景...当時の文化や政治、考え方なども合わせて書かれているので 「ふむふむ」と話をよく理解しながら読み進めることができた。 愛情と惻隠の情があったものの自尊心が強く白黒はっきりさせる項羽と 彼のために知恵を絞りたくなるような人格的雰囲気を持つ劉邦 その可愛気に引き寄せられた側近たち 登場人物だれもが魅力的でお腹がいっぱいになった。
0投稿日: 2013.11.05
powered by ブクログ下巻では、各地で戦闘が勃発。劉邦の天才家臣達が、またしても項羽軍を追い詰める。その中でも輝く不屈かつ最強すぎる項羽。ラストは壮絶。
0投稿日: 2013.10.17
powered by ブクログこれを書くぼくは、もちろん項羽派なのだが、しかしそれはやっぱり負けた側だからなのかどうなのか。 潮が引くように没落していく項羽は、そうであるからこそ魅力的で素晴らしい。逆に、利だけにとらわれている劉邦陣営は醜悪そのものなのだけれど、しかしどういうもんだと納得しながら読み進めていくぼくも、やぱりその輩なのかな。 あとがきまでしっかり読ませてくれます。
0投稿日: 2013.10.12
powered by ブクログ下巻が最も面白かった。特に張良が項羽打倒を具申する場面は鳥肌が立つ。 勝ちに勝ちまくった項羽と、負けに負けまくった劉邦。両名の明暗が段々とはっきりしてくる。四面楚歌から自決に至るまでの項羽の変遷は、心が折れながらも威風堂々と豪傑さを重んじる項羽が印象的だ。対して下巻は劉邦の弱さが際立つ。しかしその弱さこそ虚心であり、虚心こそ謙虚さであり、謙虚さこそ劉邦の強さの正体だったと分かる。能無き者は項羽を選び、能有る者は劉邦を選ぶ。韓信の劉邦と項羽への評が端的にそれを指し示している。 本書は、司馬遼太郎氏自身の名前の由来となった司馬遷『史記』の「高祖本紀」を基に、司馬遼太郎氏ならではの綿密な調査と躍動感ある文筆で見事に復活させた。司馬遼太郎氏の思い入れが違う。『竜馬がゆく』『坂の上の雲』とは一味違う司馬氏をご堪能いただきたい。
0投稿日: 2013.09.09
powered by ブクログ久しぶりに読んだ。昔から歴史物には興味がなかったが、中国史だけは、何を読んでも面白いと思う。戦略要素があるからかな。
0投稿日: 2013.08.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
上巻は、漢字が多くて所々教科書みたいなところがあってちょっと読むスピードが落ちたりしたけど、中盤からどんどん面白くなった。 人望のある劉邦の不思議な感じと強そうな項羽と、どんな戦いをするのか気になって。 最後の四面楚歌のところはすごかった。 次は三国志を読んでみたい。
0投稿日: 2013.07.08
powered by ブクログ上中巻は、劉邦は情けない場面もありながら、そのカリスマ性でもって仲間を増やして戦に勝ったりと見せ場があった。今回は下巻のクライマックスなのだから、劉邦も成長して…と思ったが、全然そんなことはなかった。 どちらかと言うと、軍才があり勇敢な項羽のほうが英雄の風格がある。 劉邦は負けっぱなしで、勝ったとしても有能な部下の働きだけ。しかも随所で述べられる部下の後日談が、ますます劉邦のダメさ加減に拍車をかける。 よく考えれば、文学化された三国志と違って項羽と劉邦の話は歴史書ベースだった。 一介の農家の息子が、どうやって天下統一に至ったかという道筋が、ある意味リアルに伝わってくるような気がした。
0投稿日: 2013.05.27
powered by ブクログ最終巻。項羽と劉邦の争いの結末まで。 登場する人物像を思い描きながら、リーダーシップ、組織マネジメント力について考えさせられる。 今回の中国史に登場する人物は大胆で個性が強く分かり易いのだけれども、自分にとっては、日本の志士(侍)の精神、生き方(リーダーシップも然り)の方が惹かれることに改めて気が付く。 (その中でも韓信だけは惹かれる人物であったが) 司馬遼太郎の考察では、それは中国と日本の以下の点での違いとする。 以下引用、 ・中国の政治は、ひとびとに食わせようということが第一義になっている。流民が大発生するのは一つの王朝のほろびるときであり、その動乱のなかで流民を食わせる大首領があらわれ、食わせるという姿勢をとりつつ古い王朝を倒す・・・その姿勢があるために、中国史はありあまるほどの政治哲学と政策論を生産してきた。 日本史においては、大流民現象がなかったために、それに見合う首領もいなかったし、従って政治哲学や政策論の過剰な生産もなかった。 日本にあっては中国皇帝のような強大な権力が成立したことがないということについても、この基盤の相違のなかからなにごとかを窺うことができそうである。 *** 四面楚歌や背水の陣がここから来ていることを今更ながら発見。 *** 以下引用~ ・劉邦は、かれ自身も自認しているところだが、元来、自分で何をするということもできない男であった。若いころから人々を連れて歩き、そういう連中がすべてことを運んできた。・・・かといって、劉邦のふしぎさは、いつの場合でも敵の顔の見える前線に身を晒し、人々の背後に隠れるということはなかったことである。 ・「陛下(劉邦)は、御自分を空虚だと思っておられます。際限もなく空虚だとおもっておられるところに、智者も勇者も入ることができます。・・それが徳というのです」 ・義という文字は、解地からいえば羊と我を複合させて作られたとされる。羊はヒツジから転じて美しいという意味をもつ。羊・我は、「我を美しくする」ということであろう。古義では「人が美しく舞う姿」をさしたともいえるが、要するに人情という我を殺して倫理的な美を遂げる-命がけのかっこよさ-といことを言い、この秦末の乱世では、しょみのはしばしまでこの言葉を口にした。
0投稿日: 2013.05.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
高校以来20年ぶりくらいに読む中国史上有名な「項羽と劉邦」の争い。全三巻。記憶の中にある20年前の印象よりもだいぶ面白く、一気に読み上げてしまった。 やはり項羽と劉邦の性格の対比が面白い。自分の力のみを信じ他人をむやみに重用することをしない項羽に対して、龍邦は己の至らなさを常に自覚し、自覚しつつも本人の魅力で多くの人材をうまく使っている。 今から2千年以上も前の紀元前200年頃の事実なのに、これほど人物を生き生きと描くことができるのは、司馬遷の史記などに拠るところも大きいのだろう。中国大陸の歴史の厚みがうらやましくもなる。
1投稿日: 2013.04.19
powered by ブクログ圧倒的な武力を持つ項羽と、項羽と戦えば必ず負ける劉邦、この二人が後秦の時代に覇を争う物語。 劉邦の部下である韓信と張良が超有能で、その活躍を読むのがとても楽しい。とくに韓信。 韓信は知力で戦いを制し、どこまでもボス(劉邦)に命じられた仕事(命じられた戦い)を続ける、いわゆるがむしゃらビジネスマン。 ただ本人は無欲であったものの、その武勲の大きさ故に周りの者がそれを放っておかず、最終的には謀反の疑いをかけられ地位は転落し、本当に反逆するも失敗して殺されてしまうという最後が悲しかった。一生懸命仕事をしていただけなのになあ。 張良はとにかく世情の先の先を読む人で、誰がどう動けば何がどうなる、ということについて超人的なまでの勘が働く人だった。有能だが出世することで妬まれることを恐れ、うまく身を隠して余命を全うした。いわゆるスーパー軍師。 他にも様々な登場人物の動き方考え方が読んでいて面白い。紀元前の話なのに筆者が直接目で見てきたかのようにリアリティがあった。また読み直したい。
0投稿日: 2012.11.17
powered by ブクログ負け続けてもなお、前線に立って項羽を挑発しつづける劉邦。そしてまた負けて、命からがら落ち延びる・・・。 そのくり返しで、次第に劉邦のその様に親しみを覚えてしまうから不思議。まさに読者までその「徳」で包み込んでしまうようです。 反対に項羽は無双の「武」を誇り、兵たちは彼を畏怖しつづけるにも関わらず、話が進むにつれて哀れに見えてくる。一見華やかな戦国武将にも関わらず、劉邦側が張良、韓信をはじめ部下たちに色彩があふれており、一方で項羽がおじを失い、数少ない謀臣であった氾増にも見限られ、軍勢が孤色なせいかもしれない。 きっと膨大な史料を基に作られた小説であろうが、そうはいっても紀元前のお話。相当に筆者・司馬遼太郎の「想像」があるに違いない。それにしても登場人物たちの呼吸を感じさせるこの作品は、名作と呼ぶにふさわしい作品でしょう。
0投稿日: 2012.11.12
powered by ブクログ高校在学中、北方謙三の三国志を一旦中断していた結果、人生で初めて読み終えた本格的な小説となった。 それまでの劣勢を巻き返し、劉邦率いる漢軍がじわりじわりと項羽を追い詰めてゆく。 読み終えてから、教科書の『史記』項羽本紀の「四面楚歌」を暗誦できるまで読み込んだ。それほどまでにこの楚漢戦争−劉邦とその徒党対項羽の争い−は心を奮わせてくれた。 この小説が、自分を他の小説(特に歴史もの)を大した苦もなく読める域まで鍛えあげてくれたことは疑いようがない。(当時の語彙力では難解な箇所がかなりあった) 同じく楚漢戦争に材を取った宮城谷昌光の『香乱記』も、いずれ読みたい。
0投稿日: 2012.09.13
powered by ブクログ中国史好きになりかけた中学生の頃読み、好き度に拍車がかかった本です。 項羽と劉邦以外の人物描写も面白く、頭の中にまざまざとその世界が広がります。
0投稿日: 2012.08.07
powered by ブクログいかにして秦が滅び、項羽と劉邦が天下を争うようになったか、どんな人がリーダーとして人を引き付けるのか、非常におもしろかったです。 登場人物について説明が詳細だったので、部下にこんな人がいてこういう仕事をして、こういう風に引き立てられたという筋が見えやすかった。 中学か高校の時に漢文で接して以来でしたが、その時の記憶も交えてとても楽しく、考えながら読むことができました。
0投稿日: 2012.07.28
powered by ブクログ高校の時現代文の過去問で引用されてたのが印象に残ってて読んだ。中国史好きで古典の授業で鴻門の会を習っていたのもあり楽しく読めた。ただのストーリーではなく、歴史的背景、時代の流れ、当時の文化が裏付けされた描き方で、わかりやすい。この本の後に北方三国志を読んだが、こちらはハードボイルドな映画のシーンを切り取ったようなカッコイイだけの文章表現が強く、イメージが鮮明ではない。いかに項羽と劉邦がいい作品かわかる。三国志は絶賛停滞中...。司馬遼作品は中国史をもっと読みたかった。
1投稿日: 2012.06.22
powered by ブクログ劉邦は本当に良く負けますよね。まあでも自分が弱い事を誰よりもよく知っていたから生き残る事が出来たんでしょうか。逃げ足も速いし。でもそんな劉邦のこと絶対嫌いになれない……と思ってしまう時点で、私も漢軍の人たちと同じように彼に取り込まれているのでしょう。恐るべし人望。 あと垓下の場面はすばらしかった。中学の頃古典の時間に勉強したときもいいなと思ったけど、また小説で読むと新たな感動がありますね。
0投稿日: 2012.06.17
powered by ブクログやっと読み終わった。。。。 今年の歴史順に司馬遼太郎を読むというテーマの番外編で手を出したのは失敗だった。外国の歴史を読むにはある程度の地理や文化的な背景の理解が必要なのかもしれない。読んでいてイマイチ頭に入ってこない。どうやら以前に読んだことがあったみたい。それでも劉邦が価値残ったまたしばらく日本史に戻ろっと。
0投稿日: 2012.05.31
powered by ブクログ以前、テレビの人形劇で感激したのを覚えてます。いつかちゃんと読もうと思っていて、なかなか読めなかったのですが、やっと読めました。すごくよかった!項羽と劉邦の性格・人となりなど、2000年以上も前のことでも、今と何らかわりなく伝わってきました。中国ならではの文明の有り様も、納得的です。
0投稿日: 2012.05.16
powered by ブクログ四面楚歌、学生のころ授業で習ったが、さっぱり意味がわからなかった。この本を読んでやっとわかった。学生のころ、漢文や古文はちっとも面白くなかったが、小説や物語を見聞きし、その背景がわかるととても興味深い。
0投稿日: 2012.05.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
司馬遼太郎の代表作の一つ。有名な経営者たちが薦める1冊に揚げられる。時代は紀元前200年頃。三国志よりも古い場面設定であり、秦の始皇帝崩御後の混乱期を描く物語。 項羽と劉邦という対極をなす将(大王)がどのように国を治めて混乱を制圧するのか、大国であるが故、人種や世俗、風土などを背景にそれぞれが異なった性質を持って軍を率い、また民に向き合うのかを3巻通じて描かれている。 経営者として人を率いる場合、統率や大局、側近の質や人材活用法など参考にすべき部分は、この時代から現代まで通じる部分が多いと感じた。
0投稿日: 2012.05.07
powered by ブクログ項羽と劉邦、対照的な二人の長い争いに幕 項羽も劉邦も、短所だらけの人間なのに、憎めない 二人ともそれぞれ魅力的だと思う その魅力的な点もまた対照的でおもしろい 時代や状況が、何かのタイミングが違えば、勝っていたのは劉邦ではなく項羽だったかも、というのは、十分あり得ること 歴史って面白いね 項羽と虞美人好きなので、虞美人が登場してからは一気読み 虞美人の最期は授業で習ったのとはちょっと違ったけれど……潤色が入っていたのかなあ 圧倒的な強さで劉邦を苦しめてきた項羽の最期 覇王にしては哀れな最期だったかもしれないけれど、戦いの中で自ら命を落としたことは彼らしいと思う 韓信や彭越、縦横家の二人、魅力的な、一筋縄ではいかない登場人物てんこ盛り 乱世を戦うのは武人だけではない 陰湿とか回りくどいとかいう評価を下すこともできるだろうけれど、水面下で権謀術数を巡らせるのも格好いい 今回初めて司馬遼太郎を読んだけど、ほかの作品も読んでみたくなった 他の時代の中国の歴史小説も 項羽の武器も弱点も、「楚人であった」ことなのかな……
1投稿日: 2012.04.20
powered by ブクログ読みながら「残りページが少なくなってるのにまだ劉邦が窮地なの?」と。負ける要素が積み上がっているのはわかっているけど、項羽はわかりやすい致命傷を受けたというより衰弱して負けたんだなあ。 中国史の英雄というものは日本の枠では計ることができないのを痛感しました。
0投稿日: 2012.04.13
powered by ブクログ天は、項羽を滅ぼした! 下巻は一気に読んだ。 項羽の気概がこちらまで伝わってくるほど、壮絶なラストだった。 歴史の面白みをあらためて感じられた、素晴らしい作品でした。 *** 「人間はな」 言ってから、劉邦は言葉をとぎらせた。人が悲しんでいるときに顔をすり寄せてきて、お悲しいことでございましょう、とおっかぶせてくる奴ほどこまった手合いはない、と言いたかった。 「こういうときにはな」 劉邦はまた黙った。何をいっていいのか、言葉がない。 風が、帆をゆさぶって鳴った。 「唄だ」 上のやりとりは、百戦百敗に帰する劉邦らしくない気がしなくもないが、どこか長者の風を漂わせる彼らしくもある。 振り返ってみると、この劉邦という人物、なんとも掴みどころがない。 言動が粗暴で、感傷的であり、その内実は空虚としながらも、親分の気質を携えており、人を寄せ付ける魅力がある。正しいことには素直に従う実直さもある。 こういう人物なのだなと、とりあえず彼を掴んでみるが、どうも腑に落ちない。するとそのうち、その隙間から別の顔が飛び出してくる。 こんな具合に、最後まで劉邦の人となりを飲み込むことが出来なかった。 しかし、これこそが彼の魅力なのだとすれば、気味が好い。 *** 力拔山兮 氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う) 時不利兮 騅不逝 (時利あらず 騅逝かず) 騅不逝兮 可奈何 (騅逝かざるを 奈何すべき) 虞兮虞兮 奈若何 (虞や虞や 汝を奈何せん) 劉邦が、項羽という不出世の人物に対比されて、はじめて輝くのであれば、項羽はそれ自身で燦然と輝く恒星だと思った。 やはりこの物語は項羽がいるからこそ、映える。 有名な四面楚歌のくだりから、上の悲憤の詩、そしてその最期は、その激動の生涯を表すように、直情的で苛烈だった。 特に詩をまじえた虞姫とのやりとりには泣いた。
1投稿日: 2012.02.04
powered by ブクログ漢帝国誕生前の二人の王『項羽』と『劉邦』の息詰まる戦いに、結果を知っていながらも告白待ちと同じドキドキ感、アセアセ感を抱き、途中に『四面楚歌』『背水の陣』等の有名なお話をが入ることで、ふと大学受験を思い出し、なんか、そう、もっと早く読んでいれば得意科目が『漢語』になったんじゃなかったのか、昔の俺頑張れよって言いたくなるのは、センター試験のニュースが今流れているからだろうと、まあ、それくらい魅力的な内容でした。 経営者さんが歴史書を好むのも、かの有名な登場人物に照らしあわせて、自分はどうありたいとか、人を動かすにはどういう行動が必要か等々、まあ、受験の赤本に匹敵するからだと思いますが、今回の『項羽』は一言で言えば、俺が一番、俺に付いてこい、売上げ上げた奴は評価する、でも身内はもっと評価するというタイプですね。で、相対する『劉邦』は俺は何もないが勢いだけある、出来そうな奴はすぐ役職確定、タイマンはNG、お友達にはすぐ弱音を吐く、とまあ、今でも母性本能をくすぐるようなタイプなんでしょうね、一言では表せられません。 結局この勝利を勝ち取るのは勿論『劉邦』つまり『高祖皇帝』ですが、やはり、いい評価をしてくれる王にはいい人材が集まり、『韓信』『陳平』『平国候』等々、ドラマチックな出会いから、ドラマチックな勝利を導き、ドラマチックな展開から、ドラマチックな、、、ああ、しつこい。 つまり、『劉邦』は自分ができない事は素直にできる人に任せる、任せるからには権限を与える、そうなんですね、そりゃあヤル気でますわな。実際当時のパワーバランスから見ても圧倒的にフリーザ並みの戦闘力を持った『項羽』が強く、ほとんどの戦いは『項羽』の勝利なんですねぇ。でも、勝ち取ったのは『劉邦』。ん~ここが歴史の面白さでもあり、勿論”運”が一番あってこそなんですが、その”運”を動かすのは”周囲の人間”つまり”側近”なんですねぇ。『項羽』に『劉邦』の謙虚さがあれば中国の歴史は変わっていたと思いますよ、ホンマ。 つまり、私自信も『項羽と劉邦』二人の強さを兼ねそろえた人間になれば、もっと会社も大きくできるのではないかと思いましたが、そんなの無理なんで酒浴びるように飲んで寝ます。
1投稿日: 2012.01.16
powered by ブクログ(1985.03.20読了)(1984.10.07購入) (「BOOK」データベースより)amazon 楚漢の天下争いは勝負がつかない。圧倒的な項羽軍の前に、穀倉のある山にのぼってこれと対峙する劉邦軍。やがて和議成って故郷に帰る項羽軍を劉邦は追撃し垓下に囲む。ある夜、包囲軍の中から楚の国の歌が湧き上がるのを聞いた項羽は、楚人はことごとく漢に降伏したかと嘆き、天が我を滅ぼしたことを知る。あらゆる人物の典型を描出しながら、絢爛たる史記の世界を甦らせた歴史大作。 ☆関連図書(既読) 「項羽と劉邦(上)」、司馬遼太郎著、新潮文庫、1984.09.25 「項羽と劉邦(中)」、司馬遼太郎著、新潮文庫、1984.09.25
0投稿日: 2012.01.16
powered by ブクログ韓信の忠が、結果として身を滅ぼす事。講和を申し出ておきながら、退いていく途中の項羽の後を追う劉邦など、「侠」や「義」という価値観が重んじられる中であっても、綺麗事では済まされない過酷な闘争社会の有様がありありと描かれている。
1投稿日: 2012.01.08
powered by ブクログ3回目の読了。 1回目は20代後半で、読書好きになるきっかけとなった。 2回目は30代半ばで、どちらかといえば項羽に憧れた。 3回目は42歳。様々な人間の“型”を実体験から追認識し、劉邦の人望について考えさせられた。 次回は50歳になったら読んでみよう。 どんな感想を持つのだろうか?
1投稿日: 2012.01.07
powered by ブクログあらすじ; 秦の始皇帝の崩御。それを隠し通した宦官超高は権力を手にし朝廷を操る。また帝政下の無数の法律やシステムが人々を苦しめ、国は乱れとうとう反乱ののろしが各地で上がった。追随するように有力者項羽が加わり、また田舎で悪さばかりしていた劉邦も仲間を引き連れ戦に参加した。勝ち星を上げる項羽は自らの軍を率いるようになり、傘下に入った劉邦はやがて対立する。そして中国史上最長の王朝・漢が開かれるのだった。 個人的に司馬遼太郎の作品の中では最高傑作だと認識している。 歴史上の人物という概念的というか「架空の人物」のようにまでなり果てた項羽と劉邦に、様々なエピソード(と嘘)を交えここまで人間臭さを与えたこの作品には、輝かんばかりの力強さがみなぎっている。 何故圧倒的に有利に思えた武人たる項羽が負けたのか。何故秦が短命に終わった直後にもかかわらず、漢が最長王朝となりえたのか。簡単に比べる事が出来ないが、この作品は物語りとしての魅力を失わせることなく、様々な史実がユーモラスに語られ、またこれらの疑問の解釈を与えてくれる、素晴らしい読み物だ。それに一役買っているのが司馬遼太郎作品独特の作者自身が翁としてエピソードの導入を与える手法にある。これによって紹介されている逸話をそのまま覗いている錯覚に陥り、また次のエピソードに移動する際のぶつ切りに違和感なしでいられる。 とにかく一生好きな作品だろう、と確信している。
0投稿日: 2012.01.04
powered by ブクログ司馬遼太郎は史記と漢書をもとにして想像を織り交ぜながらこの小説を書いたらしい。司馬遼太郎では珍しい題材だが、リーダーシップの典型ということだろうか。最後は楚がへたってきて、項羽が苦しくなり、虞姫を殺して逃走するのは悲しいくだり。最後は遺体を漢兵が奪い合うのも人間の悲しい一面。個人的能力と、組織能力を発揮させる能力は違うということを強く感じる。劉邦は果たして、良いトップだったのだろうか。
0投稿日: 2011.12.30
powered by ブクログ「士(おとこ)とは絶体絶命の境地にきてはじめて真価のわかるものだが、いま自分の命惜しさに韓信のもとにゆけばわしは士でなくなる。煮ろ。煮られることによって士になりうるのだ」 荊生がいうのに、二つの国の関係というのは、双方危機にあり、しかも共同の敵を見出したとき、過去に何があろうとも一切を水に流し、兄弟以上の異常な親しさで結ばれるという。国家に理想などはない、あるのはエゴイズムだけだ 「陛下にしては、おめずらしく」よい案を思いつかれましたな、と笑うと劉邦は真顔で、おれは本来そういう男なのだ、といった。 人はさまざまだ、商人もさまざまである、自分が多弁であるからといって商人を代表することはよくない、といった。 劉邦を見ても入れようとしない。 「わしを知らぬのか」 劉邦はたまりかねていったが、張良の従者はいかにも張良好みの剛直な男で、かぶりを振った。 「漢王だぞ」 「王ならば、王らしき行装をなされておりましょう」 上、中、下通して馬鹿、四面楚歌、背水の陣、などなどの語源を知ることができた。そして笑えた。 馬鹿は馬鹿でも突き抜けた馬鹿なら皇帝にもなれる、という話だと受け取った。 劉邦の場合、不足しすぎる能力を周りが補うのだが、その能力の使い方にも戦略が必要。それを考えるのはもちろん劉邦ではないのだが…
0投稿日: 2011.12.20
powered by ブクログ劉邦は最後まで空虚だった。器が大き過ぎる空虚ってこういう人物なのか。 何故、題名が項羽と劉邦なのか?と、考えていたが、最後の章を読んで自分なりに仮説は立てられた。 器が大がかりであればあるほどいい。 爵は功をもって先後とし、官は能をもって次序となす。ナルホド。
0投稿日: 2011.11.20
powered by ブクログ若干興味のあった中国歴史。 三国志時代からの延長線上で読みました。 ラオスのルアンパバーンの宿にあったのでそこから読み始めました。 それぞれの人間性、相性、才能。 国とはやはり人なのだなと。 今までにはない感性を頂くことが出来ました。 上巻、中巻は読まずになぜか下巻だけ読みました
0投稿日: 2011.11.09
powered by ブクログなんというドラマ。脚色も当然あるだろうが、圧倒的な力を有する項羽が弱いながらも人の良さと優秀な部下に支えられた劉邦に屈する様子はいかにも人間らしい。一つの答えなど無いのだと改めて考えさせられる。あらゆる時代もリーダーシップスタイルは色々な形が存在しているのだろうが、個々人が自分のスタイルの効果を理解しているかどうかは難しい。分かったところで簡単に変えられるものでもないのかもしれないが...。後から中国人に聞いたところによると項羽と虞美人との関係は大変に人気のある話だそうだ。そこに彼の人間らしさを感じるからだろうかと勝手に想像する。
0投稿日: 2011.10.10
powered by ブクログ楚漢の戦い、ついに決着! 項羽の最期が格好良すぎて悲しくなる。二種類のカリスマ対決、といった感じだったのかなあ。
0投稿日: 2011.10.06
powered by ブクログ司馬遼太郎は難しいのではないかと思っていたが、わかりやすくて面白かったです。 前から気になってた漢創立期の話が読めて良かったです。 項羽と劉邦のキャラクターの違いも面白かったです。その才能から期せずして主君よりも大きな勢力となってしまった韓信と、劉邦との関係は切なく、歴史の深さ、難しさを考えさせられました。もちろん帳良ファンです・・・!いけませんか・・!鯨布もかっこよかったけど・・!司馬先生の描くこの楚漢攻防紀の登場人物は、どのキャラクターも個性が際立っていて、それでいてどこか剽軽な処があります。それ故かストーリーも読みごたえがあるのに重たくなり過ぎず、ちょっと爽やかな読後感(?)があります。
0投稿日: 2011.08.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
残すところあと一冊。韓信がー、韓信がー、、、(ry というわけで、読み終わるのが嫌で、半分読んでホッタラカシにしてました(汗 ようやく読み終わりましたが、まぁよく考えるとすごいですよね。劉邦は百敗ですよ、百敗。東に韓信と彭越、南に盧綰と時間を掛けて楚の包囲網が実を結ぶわけなんですけど、途中でどこで死んでもおかしくないのに、それを生き抜いてしまうのが徳というか天が望むというのでしょうか、、、けっこう劉邦は泣きごとだらけで進んできましたが、こういう勝利もあるんだなぁとしみじみ。
0投稿日: 2011.04.26
powered by ブクログ全三巻に及ぶ本作品を読了した。劉邦が項羽を破って漢帝国の高祖となるのだが、本作品は項羽の討死で幕を閉じる。私としては、楚漢戦争後の漢帝国成立時における韓信や彭越の末路なども興味が有ったため残念である。 司馬氏は、劉邦の勝因に「食」を重要視する。ひたすら武を重んじる項羽に対して、兵を食わせることを重視した劉邦。穀倉地域である敖倉を押さえた戦略は最たるものである。最も、その戦略は劉邦が判断したのではなく、優秀な部下が進言し、それに従っただけどあるが。結局のところ、部下に恵まれ信頼し有効活用した劉邦に対して、部下を信用せず独裁者とならざるを得なかった項羽という、組織力の違いが勝敗を分けたのだ。 本巻で私のお気に入りだった劉邦の部下は公侯。頑固過ぎる性格は、私は絶対付き合いたくないタイプではあるが、人物描写を読んでいて非常に心地よい。偏屈ではあるが、見事に項羽との和睦に成功する。そしてこれが垓下の戦いとなり、勝利につながるのだ。 2000年以上も前の出来事を緻密に描写出来る司馬氏の筆力の凄さには改めて尊敬するとともに、日本では卑弥呼すら登場していない時代にこれだけの政治抗争を繰り広げて「四面楚歌」という四字熟語をも残した中国という国の懐の深さに、改めて舌を巻いた。
0投稿日: 2011.03.20
powered by ブクログ★2010年28冊目読了『項羽と劉邦(下)』司馬遼太郎著 評価B 劉邦の部下である韓信は、その軍事的才能により連戦連勝。ボスの劉邦が項羽から逃げ回って連敗を続けるうちに、広大な支配地を獲得し、斉王を名乗るまでになる。このおかげで、負け続けた劉邦は、最終的に劣勢であった漢の復活を遂げ、最終的に徳のなかった項羽に勝利する。結局は、血縁を優先させ、他人を信じなかった項羽は負け、地縁、人を信じた劉邦は漢帝国を建立する。 興味深かったのは、両雄並び立たずが明らかであったにもかかわらず、項羽は劉邦を許し続ける、それは二人の間に友情といえないまでも、似たような倫理感情が存在したという司馬流の解釈。成る程そう考えなければ、歴史上の事実は理解できないと考えたのであろう。全体的に、史実をたどり、人を描いているが、躍動感がやや足りなく、迫力に欠けるシリーズであることは事実。しかし、有名な、項羽と劉邦がどのように争い、歴史的事実を招いた差は、何であったのかをこの作品は教えてくれる。
0投稿日: 2010.05.23
powered by ブクログなーんでイマイチなのかなー?って考えたら、劉邦に魅力がないからな気がする。なんか小者な人物に書かれてるよね。 項羽の方がまだ魅力的だけど、最後だけ。そこまでは全然かっこよくない。すごく馬鹿っぽく書かれてる。 あと登場人物が煩雑だよ。歴史上の史実のお話だから、仕方ないのかなぁ。
0投稿日: 2010.04.01
