
総合評価
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powered by ブクログ自分の記憶にある時代劇といえば暴れん坊将軍くらいで、なぜかと言うと父親が見ていたから。気になっていたのはなんだかいつもみんな服やら何やらピカピカだったので、本当にこんなに綺麗だったのかなーとは思っていた。それがファンタジーと言われればそうなのか、単に手を抜いていたのか。 とかなんとか、時代劇の諸々の裏話みたいなものが書いてあるので、時代劇ファンじゃなくても楽しげ。ジジババが見つからいつも同じ展開になったわけじゃないのかー。 この本から時は流れて、今はハリウッド経由で時代劇が注目されているらしいので、また新しい時代になったら面白いのかもしれぬ。でもほっとくと中国になってたりするから気をつけんと。 しかし岸谷五朗への評価がやたらと手厳しい。
0投稿日: 2025.10.03
powered by ブクログ画時代劇を考察した本。 国民的エンタメだった時代劇が瀕死の状態だという。 要因は、エンタメの多様化、制作側の甘え、表現の制約、時代考証の厳格化、役者の不在、監督の質の低下、プロデューサー脚本家の問題など。 時代劇はある意味、過去の出来事を題材にしたファンタジーなのだが、時代劇ファンは高齢化し、オタクはより正確でリアリティのある表現を求めるようになった。 制作側は、世代交代が進まず人材育成制度がない、予算などの制約も多く、企画はマンネリ化してしまう。 視聴者に飽きられたのが現状だ。著者は、時代劇研究家だがその将来は悲観的に見ている。 この本は、2014年発行で人気時代劇水戸黄門が終了した後に状況を考察したものだ。 著者が危惧していた通り、その後も時代劇の人気番組は登場していない。 自分も時代劇を見ていたのは1990年ごろまでで、その後はほとんど見なくなった。 理由は、この本に書かれている通りで、勧善懲悪のストーリーに飽きてしまったからだ。 でも実写版の時代劇は廃れても、アニメの世界ではまだまだ生き残りそうだ。 鬼滅の刃のヒットは新たな時代劇表現に先鞭をつけたと思う。でも 実写版は、中国や韓国の時代劇作りに習って勉強し直した方が良さそうだ。
0投稿日: 2021.10.05
powered by ブクログ半年くらい本を読んでなかったのか? 前々から借りては読めずが続いていた春日太一の本です。 時代劇はなぜ滅んだのか? 本当に年寄向けのコンテンツなのか? 小気味良く現在売れている役者をぶった切り、その刃は時代劇の制作者にまで及ぶ。 常に新しい事が出来るコンテンツなのにもったいないと訴え、時代劇の復興をもくろむ。 私はこの本を読み、タイムボカンシリーズを思い出してしまった。 大いなるマンネリと自虐しつつ、常に新しいことに挑戦していたはずなのに、気が付けば同じネタのルーティンで最後は打ち切りになるという…。 話はずれてしまったけど、ちゃんとやれば時代劇はまだ復活できる。 そんな期待はこの本を読めばわかる。 他の書籍も読んでみたいものです。
0投稿日: 2021.04.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
なぜ時代劇は滅びるのか 著者 春日太一 2014年9月20日 発行 新潮新書 水戸黄門が終わり、時代劇のレギュラー枠が消えた時(大河ドラマと毎週ではないNHKの時代劇枠を除く)、マスコミは「時代の変化」と言っていた。演歌が廃れたのと同じ、時代劇を若い人が見なくなった、とつい思ってしまいがちだが、この本を読むとそういう単純なことではないようだ。著者は今、40才手前の時代劇・映画史研究家。芸術学博士の学位を持つ。高校生の時まで再放送を含めた時代劇の放送がとても多く、大好きで見ていたそうだ。 1950年代、時代劇映画は全盛だったが、60年代に一変。成長経済でレジャーが多様化した上、64年の東京オリンピックでテレビが普及、映画が斜陽産業になった。時代劇を撮ってきた各映画会社の京都撮影所は、60年代半ばからテレビ時代劇を積極的に手がけるようになり、下請化していった。 テレビの時代劇全盛は、1991年正月。1月2日には、民放4局が大型スペシャル時代劇を同じ時間帯で放送し、激突した。しかし、90年代後半になると事態は一変、時代劇枠をなくすことをまず決めた局、サラリーマンの帰宅前である午後7時からの枠に繰り上げてわざと視聴率を落として終わらそうとした局など。理由は1996年に始まった視聴率調査の世帯視聴率から個人視聴率への移行。自動車など大口スポンサーが、購買力の弱い高齢者が多い時代劇を嫌い始めた。 この本は、プロデューサー、監督、俳優、脚本家など、実名をじゃんじゃんあげて批評をしている。その一つとして、2003年にフジテレビの編成局長に、時代劇に何の思いもない山田良明が就任したことで「何かが終わった」という記述がある。山田は、時代劇のレギュラー枠を外し、不定期放送のスペシャル化へと持って行った。この流れが、大変な負のスパイラルを招いた。時代劇をつくってきた京都のスタッフは、レギュラーを失って普段は他の仕事をしなければならない。大がかりなセットを年に何回かのためだけに維持するのは非常にお金がかかる。かといってやめるわけにはいかない。後継者も育てられない。 一方で、それまでに、つくる側の甘えもあった。テレビでレギュラーを持っていれば、予算がテレビ局からもらえる。当たるか当たらないかというギャンブル性のある映画と違って、どうしても緊張感がなくなる。 時代劇がパターン化していったのも、そのあたりに原因があるようだ。安定して視聴率を取るためには、無敵のヒーローが最後に決めぜりふを言ってやっつける、というパターンでフォーマット化することが、一番よかった。撮影準備の時間も、お金も節約できる。80年代のそういう動きが、時代劇は年寄り臭いものという雰囲気にしてしまった。 役者も、かつては映画会社の専属や新劇の劇団出身者が中心だったが、芸能プロダクションがイニシアティブを取るようになってから、芝居の基本を練習させないで人気があるだけの俳優を出してくるようになった。芸能プロダクションは拘束時間が短くて儲かるCM契約を重視するので、好感度をあげることに力を入れ、異世界を演じる時代劇にはふさわしくない俳優が並ぶようになってしまった。 監督もいなくなった。黒沢明に象徴されるように、かつては監督が俳優を徹底的にしごいて育てたが、今やそんな構図はなく、俳優を育てられる監督がいない。俳優はますます素人化する。 プロデューサーもいなくなった。だから、テレビ時代劇制作の手順、プロデューサーが大体の筋書きを決めて、脚本家と打ち合わせて書かせるということもなくなった。 最後に、大河ドラマがなぜダメになったかという考察も行われているが、これはあまり面白くなかった。著者がいうには、大河をダメにしたのは2002年の「利家とまつ」らしい。この年、大河立て直しのため、女性にうけるホームドラマのような内容で「利家とまつ」を制作。視聴率も取れてヒットした。しかし、それ以後10年、これにならって優しい大河ばかりが作られてきた。それ以前は、独眼竜政宗、徳川家康、信玄など、ダークサイドの部分をも描いてきた戦国ものだったが、天地人や功名が辻など、いわばきれいごとばかりが描かれる大河になった。しかし、最近、また戻ってきてはいるとのこと。 なお、著者が、近年、最悪の大河としてあげているのは「江」、最悪の役者は岸谷五朗。どちらも、私と意見が一致する。 なお、もう一つ忘れていけないのは水戸黄門。これだけはちょっと事情が違う。あの放送枠は、TBSが一切内容に口を出さないという約束のもとで放送しているパナソニックの買い切り枠であり、プロデューサー自身が、パナソニックの社員、逸見稔が務めてきたためである。最後まで残ったというのは、そうした事情によるものであり、この本に詳しく紹介されている。 時代劇が廃れていったいきさつがちゃんと紹介されていて、大変ためになる一冊でした。
0投稿日: 2021.03.17
powered by ブクログスバラシイ 著者にリスペクトだぜ❗ 時代劇 懐かしい思い出も。 憧れもあり。 何よりも一番がなくしてしまった。 いままでの経験があるのではないだろうか。 水戸黄門 ストーリーの固定性が良かったよね。
0投稿日: 2020.02.11
powered by ブクログ時代劇は嫌いではない(でなければこんな本は読まない)。 できればこの先も良質な時代劇が創られ続けて欲しいと 思っている。だが現在の状況では、国なり公共機関なりが 保護であったり人材の育成であったりをきちんとしなければ 存続が難しい、まるで絶滅危惧種のようなジャンルであると 言えるのではないだろうか。もちろんそれによって創作の 範囲が狭められるなんてことはあってはならないのだが。 この本が出版されてから数年が経つ。今の状況は実際どう なのだろう⋯。
0投稿日: 2019.03.06
powered by ブクログ時代劇は古臭いという印象がある。この本を読むと、本来の時代劇は、ファンタジーを作ることであり、作り手としては挑戦的なものであったことがわかった。そのような、本来の時代劇が復活して良質なものをつくれば、私を含めた視聴習慣がない層が食いつくかもしれない。この著者に、大河ドラマを復活させるサポートをしてほしいと感じた。
0投稿日: 2019.01.28
powered by ブクログ時代劇が面白くなくなったことについて検証していた本。 若い世代が育ててもらえる機会が減り、即戦力を求められて、育たないのは教育現場においてよく耳にすることだけど、どの業界も同じなんだなぁ…。 最近、芸人がドラマに出ることが多くなってきているのは、芸人はちゃんと修行してきてるからなのね。あと、舞台からの人もうまいよね。 何回巻き戻して聞いてもなんて言ってるかわからないことがよくあるけど、ベテラン俳優はそういうこと無いもんなぁ。私の耳が悪いだけじゃなく、発音が下手なんだね。 どの業界でも、若者が育たない、個性が潰される、質の落ちる状況を聞くけど、失敗を許さない風潮が日本に蔓延しているからなんだろうなぁ。 札幌市の図書館で借りた本。
0投稿日: 2018.12.24
powered by ブクログどこの国でも歴史劇(時代劇)は、人気ジャンルだし傑作もある。なのに何で日本だけは衰退しているのか。それは今の日本社会の姿そのままだったんだ・・と理解出来た1冊です。
1投稿日: 2018.11.03
powered by ブクログ【由来】 ・図書館の新書アラート 【期待したもの】 ・ ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。 【要約】 ・ 【ノート】 ・「水戸黄門」も終了し、もはや瀕死の時代劇。ヘタな役者、マンネリの演出、朝ドラ化する大河…。凋落を招いた“真犯人”は誰だ! 圧倒的な熱量で放つ、時代劇への鎮魂歌。『新潮45』『オール讀物』掲載を大幅加筆し再編集。 【目次】
0投稿日: 2018.10.28
powered by ブクログ内憂外患でゾンビと化した昨今の時代劇について、その衰退の歴史をわかりやすく記した好著。昔の時代劇って、ホントにめちゃくちゃ面白かったんだぜ(過去形になるのが悲しい)。
0投稿日: 2018.01.08
powered by ブクログ時代劇がなぜ終わったのか。 とにかく演者、スタッフともに人材不足。 これにつきると思いました。 ただ現代劇やバラエティも同じことなんですけどね。 著者の岸谷"SET"五朗の評価はまことにその通りですが、火野"チャリ"正平の評価はちと高すぎませんか? TV時代劇はもうNHK以外は新作はムリでしょ、なんて思ってたら水戸黄門復活のニュースが⁉︎ しかもまさかの金八っつぁんですって。 TBSも無茶しますね〜。 金八っつぁんには昔世話になったからですかね? きっと印籠出してから長いですよ、説教入りますからね
0投稿日: 2017.10.01
powered by ブクログ帯文:”作家(『村上海賊の娘』など)和田竜氏も驚愕!この毒舌!やり玉に挙げられた人たちが気の毒になるほどである。” ”圧倒的な熱量で放つ、時代劇への鎮魂歌” 目次:はじめに、第一章 時代劇の凋落、第二章 時代劇は「つまらない」?、第三章 役者がいない!、第四章 監督もいなくなった……、第五章 そして誰もいなくなった、第六章 大河ドラマよ、お前もか!、おわりに
0投稿日: 2017.07.03
powered by ブクログ多作は「新進気鋭が腕試しをする試験場」でもあり、「粗製濫造で視聴者離れを引き起こす要因」でもあった。 かつて全盛を極めた時代劇の凋落はいつから、なぜ始まったのか。現状に至るまでを時代劇・映画史研究家が解説する。 1955年の時代劇映画は174本。50年代は毎年150本以上あり、1960年にも年間168本が製作されたが、わずか2年後の1962年には77本に、1967年には15本まで減少する。50年代は他に娯楽が少なく映画館入場者数が10億人を超えていたが、60年代に入って急激に落ち込み、東京オリンピックに合わせて普及した家庭用テレビの影響がさらに重くのしかかる。そこから半世紀以上続く、時代劇映画の「不振」が始まった。 著者は時代劇の危機を「映画での時代劇の危機」「テレビでの時代劇の危機」「京都での時代劇製作の危機」「表現手段としての時代劇の危機」に分類し、それぞれ抱える背景が異なると指摘する。確かにこの手の話ではよく混同される所であって、冒頭でそれを明確に区分けしたのはわかりやすい。 あえて加えるなら「映画そのものの危機」「テレビそのものの危機」なんてものも時代劇を取り巻く環境に拍車をかけているのかもしれない。 「時代劇は年寄りの娯楽」と思われがちなのは、「時代劇が面白かった時代を知っている人」の大多数が年寄りになってしまうほど最近の時代劇が面白くない、ということでもある。面白かった記憶をよすがに、なんとなく惰性や愛着で時代劇を見続けている、そんなイメージだろうか。 新しい時代に沿った作りをすれば、若い人でも十分に楽しめるのが時代劇であるし、実際往時の時代劇は若者も含めて楽しまれていたのである。 著者は近年の大河ドラマについても苦言を呈している。特に「江」が決定的に酷かったと名指しで指摘する。「利家とまつ」に始まる女性の活躍を無闇に押し出す製作姿勢が大河ドラマのホームドラマ化を招き、陳腐で軽薄なものに成り果てた。 2016年の大河「真田丸」はネットでもかなりの好評を博したが、本書は2014年の発行であり、著者は果たしてどう評価したのだろうか。本書の中では寺島進を実力不足と酷評しているものの、彼は真田丸ではかなりの高評価を博している。この辺も著者の言う「喜んで謝罪したい」という誤算であればよいなと思う。 さて、粗製濫造とも言われがちな状況から一変、本数が絞られる状況となって、しかも連続ドラマでなく一話完結のスペシャルものが主流となると、製作陣としても失敗が許されず、自然と「固い」構成になる。監督も脚本も役者も皆ベテラン(役者についてはアイドルなど人気だけで選ばれる場合も)で固め、演出も無難なものになる。新人が挑戦する機会は減り、また撮影も単発になるため「腰を据えて新人を育てる」という環境でもなくなる。 とにかく「余裕がなくなる」のである。プロデューサーの果たす役割と責任は大きいが、このプロデューサーも雇われ根性というか、時代劇への思い入れの有無とは関係なく、予算その他のしがらみで、とにかく枠を埋めることを最優先にせざるを得ない。 細かいことは本書を読んでいただくとして、時代劇の苦境はアニメの製作現場に通じるものも感じる。大きく違うのは「本数だけはとにかく多い」という点である。確実に視聴率を見込める人気俳優、アイドルを配役するとギャラで制作費を押し上げてしまう実写ドラマと違い、制作費を低く押さえ込めてしまうために本数だけは増やせるようではある。 「本数が多い」というのは、先述の通り新進気鋭が挑戦できる機会も増えるということである。一方でアニメーターや声優などの待遇改善が叫ばれ、制作費が増加していけば自然と本数は減る。時代劇はこの「本数の減少」によって多様性を失い凋落した。アニメでいえばジブリとドラえもんとワンピースなどといったビッグネームしか残っていないという状況である。 将来性を含めたクオリティを維持しつつ製作者達へ還元していく仕組みをどう構築していけるかが課題であろうが、主戦場であるテレビの製作環境に改善の兆しは薄く、管轄である経済産業省の「クールジャパン政策」とやらはそれ自身がお寒い状況である。アニメの明日はどっちだ。
0投稿日: 2017.04.06
powered by ブクログ時代劇を瀕死に至らしめた人々への訴追状。著者が自らの一生の生業として名乗っている時代劇研究家としての心の底からの叫び。この熱さは一絡げで時代劇と呼んでしまっているものを成立させてきた人とシステムを徹底的に現場で取材しているからこそ、そしてそのクリエイティブを愛してしまっているからこそ派生しています。誰もやっていないことを選んでいる男の覚悟も感じます。ただ、本書が滅びゆくものの挽歌としてではなく再生への檄文として書かれている印象からすると、今後、著者は研究者としてではなく当事者としてこの芸能に関わるのではないか?と予感するのですが…
0投稿日: 2017.02.04
powered by ブクログ時代劇が滅びた原因の一つに、今の俳優の力不足を挙げているが、その中で特定の俳優の名前を挙げられて、「時代劇なのに自然体の演技をするとは何事か!」的な、事を書かれているが、実にごもっとも。小気味よい文体で楽しめました。
0投稿日: 2016.06.11
powered by ブクログ水戸黄門が時代劇に果たした役割の大きさを再認知。 もはや滅びゆくジャンルなのか…。個人的には映像の雰囲気は70年代のフィルム感が好き。
0投稿日: 2016.04.17
powered by ブクログ面白かった時代劇がいかに衰退したか?時代劇をこよなく愛する著者が鋭く分析するとともに,実名入りの批判も行っていて,時代劇好きとしては共感する部分が多々あった。2014年9月刊行なので『花燃ゆ』は対象外なのだが,ぶった斬りを読んでみたいと思ったほど,ご都合主義の作品はぶった斬っているのが良い。熱い思いが,やや空回りしていると感じるのは自分と著者との温度差かもしれない。 この著者の本は2冊目(どちらもkindle)。新著(紙)が積読。楽しみにしよう。
0投稿日: 2016.02.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
時代劇の危機の原因は何なのか、ひとつずつ整理されている。 「今のプロデューサー・監督・脚本家が『七人の侍』を作ったら、野武士個々の生活背景や内面・彼らの内部の細々とした人間関係まで丁寧に描きかねない」(169P) 本当にありそうで怖い…。 大河の迷走っぷり(6章)は今も(花燃ゆ)なので、いやはやその通りですね、という感じ…。
0投稿日: 2015.07.04
powered by ブクログ著者はかつて『時代劇は死なず!』といふ、まことに勇ましいタイトルの本を書いてゐますが、ここへ来て『なぜ時代劇は滅びるのか』とかなり弱気になつてきました。 著者は1977年の生れと若いこともあつて、時代劇といつてもテレビ番組中心に研究してゐるやうです。 国民的長寿番組といはれた『水戸黄門』が打ち切りとなつた時に、マスコミも俄かに「時代劇の危機だ!」などと、取つて付けたやうに騒ぎましたが、無論危機はとうの昔からやつてきてゐたのです。 春日氏によると、テレビ視聴率の調査法が変つたことが大きな転換点であると述べます。即ち、従来は世帯ごとの視聴率しか分からなかつたものが、個人の情報まで分かるやうになり、年代性別すら判明するのださうです。 すると、スポンサーがカネを出してゐた番組は、実は自社商品のユーザーとは異なる層が観てゐたことが分かつた。ぢやあ、そんな番組にカネを出す意味はないよね、となつてしまふのだとか。 スポンサーの問題だけではありません。何より作る側に問題が大有りなのであります。第三章以降、役者もゐない、監督もゐない、プロデューサーもゐない、もう誰もゐないと、実名を挙げて指摘します。否、批判します。攻撃します。こんなに実名を出して、今後の時代劇研究家としての活動に差障りがあるのではないかと心配するほどです。 「自然体」と称して時代劇の作り込みをしない俳優の怠慢、時代劇の所作を知らない監督が「新しい時代劇」と誤魔化して作る不勉強、サラリーマン化して時代劇への情熱が皆無の、数字だけ追ふプロデューサー...... 確かに人気タレントやアイドルが出てくる「時代劇」は、衣装を替へ鬘を被つただけで、動きや台詞はまるで現代劇、といふものが多いと存じます。演ずる人の所為といふより、それを教へられる人がゐないことが悲劇なのですね。 さういへば松平健さんが「今の時代劇は殺陣ではなくてアクションです。本当の殺陣をやりたいですね」と語つてゐました。(もつとも『暴れん坊将軍』の殺陣はまつたく単調で、何のスリルもありませんが、これも演出側の問題なのでせう) かかる状況に、時代劇の展望に関して著者はかなり悲観的です。さもありなむ。ただ、作品を通して「お前は間違つてゐるぞ」と反論して貰ひたいとも述べてゐます。そんな作品に出会へたら、その時は謝罪すると。否著者の本心は、是非謝罪したいのだといふことです。心からの叫びですなあ。 わたくしの感想としては、(極極一部を除けば)一から十まで「その通り!」と言ひたい内容であります。ただ、やはり時代劇の再生は無理でせうね。わたくしの実感では、時代劇はすでに(著者が生れる前の)昭和40年代に死んでゐると考へます...... http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-545.html
0投稿日: 2015.05.17
powered by ブクログ役者・監督・プロデューサー・脚本家、実名を出して歯に衣着せぬ評論を展開している。著者の時代劇に対する熱い思いを感じる。
0投稿日: 2015.05.09実名批判だけでない、「時代劇」再興に懸ける熱情の面白さ
時代劇とは「現在と異なる世界を描くファンタジー」である。 そこで大切なのは「ウソを本当に見せる技術」で、時代劇の芝居にはある程度の「作り込み」が必要だ。 役者が「昔の人っぽく見える」ことと同時に、「現代人が違和感なく受け止められる自然」な芝居でなければならない。 今後、問題になるのはこの「現代人」の部分だろう。 史実を改変しすぎてほとんど創作と化した大河ドラマの一定の支持を見ていると、著者などを筆頭に古き良きコアな時代劇ファンは、ますます眉をひそめることになりそうだ。
3投稿日: 2015.04.09
powered by ブクログ面白かった。目から鱗というか何というか。このまま時代劇がなくなってほしくはないが、最近の民放ドラマの惨憺たる有り様を見るとあり得る話だな。
0投稿日: 2015.04.04
powered by ブクログ熱い、熱すぎる・・・! 著者の時代劇への溢れんばかりの想いの丈が、 詳細かつ丁寧に綴られている良書。 「水戸黄門」のくだりなどは、なるほど、 と目から鱗が落ちることばかり。
0投稿日: 2015.03.27
powered by ブクログ基本的には、この本、映像関係の職業に関係が無い人がどういう興味を持って読めるのか、面白いのかしらん。そこはサッパリ判りません(笑)。 207頁、一気読みでした。 春日太一さんというと、ここのところ活発に活動していらっしゃる、「2010年代の邦画評論家」。まっとうな意見をお持ちと思いますが、それもそのはず、映画評論家と言うよりも映画史研究家。 映画史をちゃんと勉強されているので、日本や世界の近現代史もそうそうは踏み外さずに把握していらっしゃると見えます。 蓮見重彦的な、総毛立つような興奮、フランス現代思想直輸入的な刺激はありません。一方で実に地に足着いた意見と活動だと思います。 要点で言っちゃうと ●時代劇の滅んで行った足跡を、テレビ番組の枠数など、客観的なデータから振り返り、分析する。 ●96年の視聴率調査方法の変動。個数から年代別まで分かる人数への変更により、「時代劇=超高齢者」が露見。以後凋落。 ●水戸黄門の特殊事情。パナソニック劇場の舞台裏。松下幸之助の希望で生まれた「水戸黄門」。その後の例外的な松下広報部の直接支配。 ※これは知らなかった。「へえ」と思って面白かった。 ●一方で、「時代劇の典型が水戸黄門だ」という誤解。昔はそうじゃなかった的な、過去の時代劇礼賛。 ●じゃあ、いつそうなったのか?というところで、「1980年代~1990年代前半にマンネリ化した」という仮説。半分くらい納得です。 ●結局は、「自社制作ではなくなる」⇒「下請けになる」⇒「予算の余裕はない・時代劇は金がかかる」⇒「目先の視聴率が欲しい」⇒「70年代以降、世代ごとの好みの分裂化」⇒「80年代、若者文化が経済の余裕と共に開花」⇒「若者たちは、大人たちと異なるものを求める」⇒「時代劇を今、見てくれている人に媚びる」⇒「高齢者に媚びる」⇒「制作の保守化」⇒「つまらなくなる」。 ●一方で、仕事がなくなる訳だから、京都時代劇産業の衰退。 ※これについて、フィルムコミッションによる、新しい関東産時代劇、という視点があるのは、非常に的を得た指摘だと思った。 ●相も変わらず、時代劇を担える演出が、プロデューサーが、俳優が、脚本家が、スタッフが、いない。という人材の欠如の嘆き節。ただこれも、「どうやっていなくなったか」という解説はやや詳しい。 ※また、この本の過激部分の白眉?ともいえるのは、具体的な個人名を出しての攻撃(笑)。岸谷五朗さんがボロボロに貶されています。 ●全く別線で、NHK大河ドラマへの、非難と評価。内容はともあれ、この章に限らず全体に是々非々の理性的な語り口が魅力ですが、特にこの章は、考察としては正しいと思いました。 ※「利家とまつ」以降の、おばさま向け大河ドラマの魅力の無さ。 ※その一つの悪しき頂点としての「江」 ※女性を主人公にすることで、何かと偶然や立ち聴き、強引な設定。 ※「平和を願う戦国武将」みたいな、お子ちゃま的甘口ドラマの詰まらなさ というあたりなんですが。まあ、むつかしい。それで視聴率取っちゃったら勝ちだもんなあ、とか思ったり。 まあでも、評論と言う地点から、ロングスパンな理想論を、客観的な歴史の分析に基づいて述べることは、大事なことですね。 全体に、「時代劇が凋落しているのは事実だけど、時代劇がある時期以降、面白くなくなったのも事実だけど、ジャンルとしての時代劇が面白くない訳じゃない!」という情熱、伝わりました。 まあでも、アメリカにおける西部劇も同じなんですよね。 軽く読めて、まあ大まか知ってることなんですけど、多少の「へー」があって素敵な本でした!
0投稿日: 2015.03.16
powered by ブクログいまも細々と作られ続けられてはいますが、凋落した「時代劇」の現状に至った理由を辛過ぎる眼差しで次から次へと指摘するとともに、逆にそこから著者の「時代劇」に対する深い愛情が感じられる一冊です。 自分もこどもの頃から時代劇は大好きでして、よく観ていた記憶があるのは大川橋蔵の『銭形平次』、東野英治郎の『水戸黄門』、中村梅之助の『遠山の金さん』『伝七捕物帳』、里見浩太朗の『大江戸捜査網』、杉良太郎の『遠山の金さん』『新五捕物帳』、高橋英樹の『桃太郎侍』などで、そのほか観ていた憶えがあるのは中村敦夫の『木枯らし紋次郎』や勝新太郎の『座頭市』、萬屋錦之介の『子連れ狼』『鬼平犯科帳』などがあります。また、NHK大河ドラマも記憶がある加藤剛の『風と雲と虹と』以来、毎年ずっと見続けていまして、こうやってみると自分もかなりの「時代劇」ファンであることを再認識しました。(笑) 振り返ってみると、錚々たる俳優による時代劇ドラマを、昔は数多く放送していたのだなあとしみじみ思うところでありますが、著者の言う通り、いまでは演技もおぼつかない、自分の知らない若手俳優陣ばかりが主役を張っていて、明るい画面でアットホームな雰囲気のドラマをたまに見せられても、ちっとも面白さに浸ることができないです。 著者は「時代劇」とは時代設定を過去にすることでファンタジーな世界として魅せることができる現在進行形のエンターテインメントであるとしていますが、自分も全く同意するところで、かつての多作や脚本のマンネリ化により、時代劇=ワンパターンなドラマと捉えられてしまったのは、製作の怠慢であり誠に残念なところであります。 本書では時代劇の構造、役者、監督、製作などといった様々な切り口にて、「時代劇」の問題点を小気味よいほどに明らかにしていますが、これは日本のテレビドラマそのものの問題点であるといってもよく、ドラマ制作に携わる人々の大いなる欠陥を示したものであるともいえます。「時代劇」に限らず、このような質の劣化がところどころでみられるのも構造的であるがゆえに、今後もテレビ界では繰り返されていくのでしょうね。 個人的には『水戸黄門』を成立させていた構造とか、京都撮影所の話とか、NHK大河ドラマの路線変更の話や、使えない俳優の名指しなどがとても興味深く面白かったですが、特にNHK大河ドラマについては、昨今のファミリー路線はまあほどほどなら許せるとしても、刹那的な楽しみのみ追求するアホな評論家の口車に乗ったのか、演出の大仰化、脚本のご都合化や不自然な物語展開、主役不在の若手大量投入など、ドラマそのものの質の低下を苦々しく感じていまして、1話完結のもはや「大河」なドラマとはいえない状況に暗澹たる気分となっています(特に『天地人』『江』あたりは酷過ぎて噴飯ものだった)・・・。いや、昔の大河も脚本のご都合化や不自然さはあるにはありましたが(山岡荘八原作の場合は特に目立った)、これは主演俳優の演技力というか魅力というか器量でカバーされていたものと思いますが、いまはそのようなこともないですね。(泣) 気が付いてみると、いまもCSで時代劇専門チェンネルを観ていることが多く、著者の示す通りやはり昔の時代劇は面白さが満載されていたと思います。多様化の時代に「復活」ということまでは無理としても、せめて質の高いドラマの提供だけでも何とかならないものだろうか・・・。
10投稿日: 2015.03.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
なぜ時代劇がつまらなくなったのか、というとひとことでいえば『慢心』と『放棄』だと思う。 これらが複合して、今のような時代劇がつまらなくなったという状態になったのではないかと本の中に答えとしてある。 【本文】http://ameblo.jp/skycafe-ac/entry-11991012159.html
0投稿日: 2015.02.17
powered by ブクログいいね。 視聴率至上主義、まあ、スポンサーが付く以上しょうがないところはあるが、そこからスタートして、あらゆるレベルので人材不足を招いてしまった。 何が起きるかというと、受け取る方の質の低下と、均質化ではないかという気もする。 そのフィクション仕立ての考え方はSFと通じるところがあると思うのだが、日本の映画、ドラマがもうちょっとマシになるためには、この分野で鮮やかな何かが起きることが必要なのではないかと思わせる。
0投稿日: 2015.02.15
powered by ブクログ時代劇を深く愛するがゆえの痛烈な批評。 もはや死に体の時代劇を延命するよりもむしろ介錯することを選択した筆者の断腸の思いが伝わってくる。 費用対効果ばかりを追求し、目先の数字(視聴率)にとらわれるあまり、小手先で制作され続ける時代劇の劣化再生産のサイクルは、現代社会のシステムそのものにも当てはまると思った。
0投稿日: 2015.02.10
powered by ブクログ時代劇がほとんどやらなくなった今どうしてこんなに衰退したのかどうか論じた本。役者と制作サイドを経済的な支えみたいなものがなくなったせいでどんどんとクオリティーが下がったという意見はほぼ同意。まあ、それは時代劇だけじゃなくて、他のテレビ番組に言えることだけどね。あと、大河がどんどんと朝ドラ化している、主人公中心過ぎてつまらなくなっているという批判も頷ける。特に去年の軍師官兵衛はとてもひどくて見れなかったよ。
0投稿日: 2015.02.01
powered by ブクログ内容こそは時代劇について書かれていますが,エンターテイメント業界の盛衰について幅広く適用できる書物です。 例えば今はイケイケでクールジャパンとまで呼ばれているアニメ業界ですが,低賃金で酷使されるアニメーターや売上重視の会社など,問題がそのまますぎて,時代劇の歴史をトレースするのでは!?と思います。 時代劇と言う一分野に長く身を置いてきた作者だからこそ,このように深く考察した本が書けるのだな,と思いました。 時代劇好きじゃない人でもお勧めです。
0投稿日: 2015.01.29
powered by ブクログなぜ時代劇は滅びるのか。この手のタイトルの新書は疑問に答えないものが多いが、この本はずばり(とはいえ、たくさんあるが)滅びるべくして滅びる時代劇の理由を語っている。 「水戸黄門」の終了で一部の人たちが少しの時間だけ騒いでいたが、それもノスタルジックを言いたいだけであり、普段行かなかった店の閉店時だけ顔を出すようなものである。 時代劇衰退の納得いく理由はたくさんあげられているが、その中でも水戸黄門はちょっと別格で、松下幸之助が開始に関わり、テレビ局も手を出しづらい(いや、引っ込めづらい)あったことを初めて知った。 時代劇、という言葉は、ステレオタイプとして捉えてしまいがちだ。そうなったところから時代劇の凋落が始まった。わかりやすくする、ウケたやり方を繰り返す。 時代劇は、わざわざ視聴率的にも予算的にも厳しい枠に追い込まれて、最後はテレビ局自身が止めを刺したようだ。 娯楽が生まれ、育ち、集約して拡散していく一連の歴史を見るにつけ、全てのテレビ番組は同じ道を辿るのではないか、という気もする。 水戸黄門に過度の投影をするのは間違っているかもしれないが、やっぱり時代が終わった、ということを実感させてくれる本である。水戸黄門が終わりではなく、もっと前に終わっていたのだ。 同時に、時代劇以外の、いろんなものが終わりに向かっているという寒気も感じる。はじまれば終わるのは当然だけど。時代劇に当てはめれば、まともな役者もいない、教養のある監督はいない、育てるシステムはない、と。 もう、これからははじまりさえもしない、そんなふうな気持ちになる。 かつては僕もよくテレビを見ていたが、かれこれ10年ほど前にお別れした。奇しくも本書で時代劇が花形からお荷物に転じた、とされるタイミングである。なんだか時代劇が凋落したのでテレビから離れたような気にさえなってきた。 けれど、時代劇に限らず、よく噛まなくても飲み込めるようなものばかりでちっとも面白くないのだ(と思う、今は知らないけど)。 すべてのテレビマンはこの本を読んで反省したらいい。
0投稿日: 2015.01.07
powered by ブクログ過激だと言われているのかもしれないが、時代劇ファンなら大抵の人が以前から思っていたことを書いてくれたまでの内容だと思う。全面的に同意。時代劇ファンの気持ちに、時代劇を作る側の人が気づくことはあるんだろうか。
1投稿日: 2015.01.02
powered by ブクログ著者の「時代劇への愛」を感じずにはいられない。 愛を持つ、ということは、トコトン研究することだと思い知りました。
0投稿日: 2014.11.29
powered by ブクログ数年前にテレビ時代劇、「水戸黄門」が最終回を迎えた。これで時代劇のレギュラーテレビ番組は全滅した。かつて「銭形平次」、「遠山の金さん」、「大岡越前」、「暴れん坊将軍」などテレビ欄を占めたこともあった時代劇は滅びつつある。なぜそんな状況になったのか。著者の分析によれば、視聴者側と製作者側の問題がある。 視聴者側の問題とすれば、近年になってテレビ視聴率が年代別に算出されるようになったことだ。時代劇はそれなりの視聴率を取っていたが、その視聴者は50代以上であることが数字上はっきりしてしまった。企業は、お金を使いたがらない高齢者しか見ないテレビ番組には提供したがらない。スポンサーがつかない番組が消えていくのは必然だ。 そして、製作者側。著者いわく、時代劇とは一種のファンタジーであり、時代考証はほどほどにして悪い奴を正義がやっつける。そんな単純な展開が観る側に爽快感や感動を与えるのだ。それは、テレビ時代劇もクロサワや勝新の映画もそうだ。しかし、今はリアリティーにこだわり、当時の社会を忠実に再現し、悪役の都合までも描いてしまう。「正義は勝つ」ことにこだわらなくなった時代劇は、それだけを望むファンも失ってしまった。 と、冷静な分析をする著者だが、時代劇愛があふれるあまり、実名で俳優や監督、作品を貶しまくってるのもご愛嬌か。岸谷五朗に対しては、相当お怒りのようだ。
0投稿日: 2014.11.21
powered by ブクログ時代劇は好きだったが,観なくなった.今でも骨太の時代劇があれば,観ることもある.この本に書かれていることは,何となく時代劇に魅力を感じなくなっていた自分の感覚とすごくフィットする分析だった.
0投稿日: 2014.11.15
powered by ブクログ分析は平板なのだが、個人的には色々考えさせられた。時代劇が本質的にファンタジーなら、今、その遺伝子は漫画やラノベに息づいていて、「るろうに剣心」がその後継者なんだろう。
0投稿日: 2014.11.03
powered by ブクログ愛ゆえの苦言。 時代劇の現状について、厳しくも冷静なる分析。 が、これはおらが国の邦画全体について、テレビ番組について、いや芸能界全体についての諸問題に対しての警鐘でもある。たまたま時代劇が炭鉱のカナリアだっただけで。 時代劇そのものに対しての需要は、決して落ちてはいない。それは封切り映画に足を運び、場内な雰囲気を体感しているからわかる。 がっかり時代劇を連打していたら、そういったファンがどんどん去ってゆくのではないか。そりゃあかんって。 海外にも愛好家はたくさん居るのだし、製作側にはもっと広い視野で臨んでいただきたくもあり。
0投稿日: 2014.11.03
powered by ブクログ日本映画の盛衰と一蓮托生だった時代劇。失われたものへの憧憬を綴るのでなく、実証をあげて羅列された多くの問題点は強い説得力を持って存続の危機を訴え、エンターテインメントとして維持するための処方箋にもなっている。なにより行間には時代劇への愛着が溢れんばかりだ。
0投稿日: 2014.11.01
powered by ブクログ時代劇がマンネリ化していった原因、大河ドラマが平板化していく過程、時代劇が陥っていった衰退の渦をひとつひとつ解きほぐし、唇を噛み締めながら詳述した本。論評対象が実名なのも素晴らしい。
0投稿日: 2014.11.01
powered by ブクログいやあ、久しぶりに熱いのを読んだ! 高野秀行さんが「こんなに悲しくも面白いレポートは珍しい」と紹介していたのだが、まさにその通り。著者の悲憤がストレートに伝わってくる。 著者は1977年生まれ。おやまあその若さで時代劇研究家?と思うのだが、その「時代劇=高齢者向け」という状況こそが今日の惨状を招いたのだと著者は言う。若者が見ない番組に大手スポンサーはつかない。何故若者は時代劇を見ないのか? ずばり「つまらないから」。じゃあ、何故時代劇はつまらなくなったのか? 撮影所が下請け化し技術も停滞している・時代考証をやかましく言い立てることで表現が窮屈になっている・人気者に頼るドラマ作りで、時代劇をやれる役者がいない・プロデューサーも監督も脚本家も、時代劇というものをよく知らない人が多くなっている……、著者のあげる理由にはすこぶる説得力があって、こりゃほんとに時代劇は瀕死だなあと思わされる。 確かに近年の時代劇といえば、「水戸黄門」に代表されるお約束的ワンパターンのものばかりが思い浮かぶ。かつてはそうではなかった、現在を舞台にしたのではありえない絵空事になってしまうような、ギリギリの厳しい状況での人間ドラマを描ききった秀作が数多くあった、滅びようとしている時代劇について、ノスタルジーではなく語りたい、この思いを共有したい、という気持ちがほとばしる一冊だ。 俳優や監督、番組等について、名前を挙げて厳しく批判している。でもそれは「ためにする」ものではないから、イヤな感じがない。最終章に書かれた、このところのNHK大河への批判には、うなずくところが多かった。まったく「江」はひどかった。上野樹里ちゃんが主演するというものだから久しぶりに大河を見る気になったのに、なんじゃこりゃ~!これ本気?ギャグじゃないよね?って感じで。まあテレビドラマが見るに堪えないのは時代劇だけではないわけだけど。 このままだとそう遠くないうちに時代劇は死ぬと著者は言う。それでも自分なりにこの状況と闘いつつ、「春日。お前は間違っている!」と現場から(作品という形で)声が上がることを願っていると書かれていて、心からの言葉なのだと思った。
0投稿日: 2014.10.21
powered by ブクログタイトルのとおり、時代劇衰退の要因を抉っている本。 もう見応えのある時代劇の新作は出てこないのかもしれない。そうならないことを期待はするが。 しかし、本書が指摘した諸問題は、時代劇だけに留まらず、現代劇にもかなりあてはまる。 だから、最近の地上波ドラマは見る気がしないのである。
0投稿日: 2014.10.21
powered by ブクログ著者の時代劇に対する熱い気持ちがひしひしと伝わる。気がつけば時代劇を見なくなっていた。単調でお決まりにのパターンで飽きたことに理由があるが、その原因がよく分かった。監督、脚本家、役者の不在…。 技術の承継ということも念頭において頑張って欲しい
0投稿日: 2014.10.21
powered by ブクログ本来なら、こういう言論はあまり好きではない。 時代や人材に恵まれていた黄金時代、そのレベルを求めるあまり、(結果はどうあれ)今頑張っている人達を無能と切り捨て、少なからず存在する「今のファン」を観る目が無いとなじっているよう思うからだ。 しかし作者自身もその点は覚悟の上で本著を描いているわけで、時代劇の置かれている状況は本当そこまで危機的なんだろうなぁと言う気がしてくる。 作者自身も、多くの俳優や裏方の人々に直接聞いた言葉の上に本論を挙げているのであり、単なる「いちファンの思想」と切り捨てるのも難しいだろう(少々意見は裏方より…技術を残す的な…な気はする)。 個人的な意見としては、「時代劇」というジャンルは残ると思う。数々の創作を見ていると、やはり「時代劇」的な舞台や設定を用いた物語はいまだ老若男女惹きつけている。ただそこには"京都で培われたノウハウ"は残ってはいないかもしれないけど。(それが良いか悪いか、それを判断できるほどの思い入れは正直言えば無い) また、本著は「一つのジャンル、組織が先細っていく過程」を描いた本としても興味深い。どんなに苦しくても、未来への投資を怠ればこのようになっていくのだろう。
3投稿日: 2014.10.18
powered by ブクログ水戸黄門の放送終了をもってマスコミはこぞって「時代劇の危機」を記事にした。 しかし、時代劇の滅びへの道は、30年前から約束された道だった。 時代劇への愛ゆえに、時代劇の危機を徹底して分析した一冊。 指摘する項目によっては「それは時代劇に限らず、普通のドラマも抱えている問題では?」と思うものもいくつか。
0投稿日: 2014.10.12
powered by ブクログなんで時代劇がつまらなくなったのか、はやらなくなったのかと感じている人は多いはずで、それがああ〜、やっぱりか〜!と一章読み進めるごとに、納得&悲しみが襲ってくるという、非常に辛い一冊でした。 82年生まれの私は時代劇オタクではないものの、時代劇は普通に観ていて普通に好きだった類いの人間です。座頭一でかつしんってすっげえかっこいいんだあああ!と思ったり、必殺仕事人の前口上にたまらねえと思ったり、名前も覚えていない(たぶん八丁堀とかだと思われ)結構な量の時代劇をミーハーに楽しんできました。 で、女子高生時代だの女子大生時代だのにも、周りの女子にはけっこう時代劇スキーが居て(私よりはるかに詳しかったり)、時代劇って普通にいいよねってモンだと思ってたんですけど。 どうにも元気がないじゃないですか。何でだろうって悲しんで、それにしたって役者がひでえよなんでそれで飯喰ってんのに始めて時代劇入るなら所作とか歴史的背景とか学ばねえの?イミフ!とか、きっとカネとか局とか人とかいろいろあるんだろうなあとか適当な予想を立てては嘆息したりしてるわけです、こんな素人でも。 それがきっちり証明されてしまって、ああ辛いなって。そういう一冊でした。 あと、なんて言うかミーハーファン的には、ファン層のめんどくささはやっぱ…。時代劇ならこれ観なきゃ嘘でしょ的な。自分の好き嫌いのフリをして「やっぱ」とか言う人は本当にそのジャンル・業界・世界において垣根を高くし駄目にしてると思う。迷惑なマニアックさいらないんですよ、ミーハーなくらいでいいんですよ、コレおもろいよーってそんなんでいいんですよ…たのしむものなんだから。自己肯定の道具にされるとほんとしらけるんですよ。 言うても、時代劇モノに挑戦したいなあと思ってもできないくらいの不勉強は自戒しかないです。時代劇はファンタジーですよね。時代劇好き女子は軒並みロードオブザリングとかのファンタジー愛好家でもありました。 そして、今我が家にはおかーさまの(漫画経由での)鬼平&剣客商売ブーム到来により、延々と池波正太郎アワーが録画されては上映されています。それでいいんじゃないと思ってしまうと滅びるのかしら。。。時代劇チャンネルは昔から重宝しております。はい。 時代劇観たくなります。テレビでいっぱい流れてたころには自分で好き嫌いで観ることができていたけど、そうじゃなくなるととんと離れてしまっていたので、新たな好き時代劇を発掘したくなります。ので著者次回作の時代劇100作だっけか、これも楽しみに買います。 なんとかならねえかなあ、時代劇。
3投稿日: 2014.10.09
powered by ブクログかつて、時代劇は娯楽劇の王道であった。 しかし、映画で衰退し、そしてテレビでもレギュラー枠から消えてしまったのが、偽らざる現在。 その現状を憂い、そして原因を、様々な視点から著者は徹底的に追究する。時に厳しく、時には弾劾も。 正鵠を射るその指摘は、とりもなおさず著者が時代劇をこよなく愛するが所以。 そして、「おわりで」で著者はこう記す。 「恐らく、時代劇はこのままではそう時間がかからないうちに『死ぬ』だろう。人を育てることを放棄し、若者が希望を持てない業界に未来はないからだ。」 この文言の「時代劇」あるいは「業界」という言葉の裏に、日本あるいは社会という言葉を、連想してしまった。
1投稿日: 2014.10.07
powered by ブクログ日経夕刊のレビューで文芸評論家の縄田一男さんが五つ星を付けて絶賛していた。「この書評コーナーの最高点は星5つだが、この一巻に限り、私は10でも20でも差しあげたい。……(中略)本書を読んでいる間、私の心は泣き濡(ぬ)れていた。いや、時に号泣していた。春日よ、死ぬ時は一緒だぞ――。」。著者のあとがきに縄田さんの批評が引用されているのを読んで、このレビューの真意が分かった。著者が2011年に出した「時代劇の作り方」の縄田さんの批評に対する返歌がこの本であり、それに対して縄田さんが再び、日経のレビューで答えたということになる。 映画・テレビで盛んだった時代劇はなぜ衰退したのか。著者はかつて視聴率30%以上を誇った「水戸黄門」終了の理由から説き起こして、さまざまな要因を挙げていく。製作費がかかる割に時代劇は視聴率が取れなくなった。その理由は内容のマンネリ化だ。テレビのレギュラー番組は徐々になくなり、次第に時代劇が分かる役者も監督も脚本家もプロデューサーもいなくなった。レギュラーがないから時代劇のスタッフは時代劇だけでは食べていけない。人材を育てる場もなくなる。こうした負のスパイラルが進み、今や時代劇は風前の灯火なのだそうだ。 今年2014年は映画「るろうに剣心」2部作や「柘榴坂の仇討」「蜩ノ記」という良質な時代劇が公開されたのでそんなに衰退している感じは受けないのだけれど、時代劇を巡る状況は相当に深刻らしい。時代劇の分からないプロデューサーが作ったNHK大河ドラマ「江」や時代劇の演技を拒否した岸谷五朗主演の仕事人シリーズを著者は強く批判する。時代劇を愛する著者の危機感は大きいのだ。 ただ、時代劇衰退の理由と現状はよく分かるが、ではどうすればいいのか、という提言がこの本にはない。テレビでレギュラー枠を復活させるのがいいのだろうが、視聴率が取れない以上、いきなりは難しいだろう。単発で質の高い面白い時代劇を作り、視聴率の実績を挙げ、レギュラー化を勝ち取っていくしかないと思う。これは相当に困難な道だ。
1投稿日: 2014.10.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
時代劇の衰退を嘆いて、その現状を分析する。時代劇への熱い思いがあるだけに痛切だ。 作品名や実名が出ている点で手厳しいと感じる部分もあるが、それも現状への憂いの強さの表れだろう。 確かに大河ドラマぐらいしか見なくなったなとの思いはある。 時代劇はファンタジーであるとは思わずうなづいてしまう説である。
0投稿日: 2014.09.27
powered by ブクログここ1年ほど昭和40年代頃までの日本映画を集中的に観ていて、当時の時代劇の面白さにびっくりしていたが、なぜそれが衰退してしまったのかはよく分からず、本書を読んで腑に落ちた。時代劇が衰退した原因はいくつも挙げられているが、これはアニメやマンガ・音楽・TVなどの他のメディアにも共通するリスクだと思う。興味深いのはマーケティングの細分化・効率化であり、たとえば1996年から視聴率調査の細分化が行われて年齢別の視聴率が明らかになり、それによって時代劇のターゲティングが大きく変わっていったなど、これはアニメや音楽にも通じるのではなかろうか。また、TV産業が肥大化するにつれて効率化から過度のリスクヘッジを行うようになり、企画がどんどん無難になっていき、結果的にコンテンツが貧しくなるという流れも興味深い。コンテンツを持続可能な形で生み出すエコシステムというものを考えてゆかねばならず、たとえばディズニーなどは(成功しているかはともかくとして)そのような視野を持って世界戦略を行っているが、日本のTV・映画産業ではそこまでグランドデザインを持つことができなかった。これは戦略的な無知による必然的な結果であり、時代劇が衰退する布石はいずれも十数年以上前に蒔かれていて、昨今になって生じたものではない。人材が豊富である時期に、その豊饒さに甘えて、焼き畑的なコンテンツ制作方法に陥ってしまうリスクを乗り越えることはできないのだろうか。
1投稿日: 2014.09.15
powered by ブクログ『あかんやつら』で書かれていたようにひとつの文化やジャンルの衰退は人気がなくなりやがて次世代がいなくなっていくことであり、消滅していくことである。 次世代を育てられない文化は継承されていかないから終わる。この新書では現場の人たちに時代劇への想い故に挑発をしてかかってこいと言っている。もちろん作品を作って俺をひれ伏せさせてくれと時代劇を愛している人間がここまでいろんな人から文句が出そうなことをガッツリ書いてしまうほどに終わりが近いのだとも読んでいて感じる。 僕のように時代劇に親しみのない人間ですらここに書かれている時代劇の凋落の原因はわかりやすく時代の変化と共にあったことがわかる。大事なのはやはり人なのだ。現場にいる人たちがいかに機能するか。 監督にしろ脚本家にしろ役者にしろ、理解あり知識のあるプロデューサーにしろ、それらは現場があってこそ熟成され育っていく。これはどんなジャンルにおいても共通することであるはずだ。 春日さんは本当に介錯しようとしているのだと思う、怒りながら泣きながらも。 そういう想いのある本はジャンルを越えて伝わると思う。
0投稿日: 2014.09.14
