
総合評価
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powered by ブクログさすが、面白かった!早く先が読みたくて仕方なかった。主人公がある意味諦念して為されるがまま受け入れてしまうのが実にリアルで、ラスト近くの文章の乱れ方も、オチも秀逸。こんな非人間的な馬鹿げた全体主義国家が大昔にあって潰えてね、なんて昔話になっていない現代社会への地続き感が読後をよりゾッとさせる、さすが名作。
0投稿日: 2020.11.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
キリスト教原理主義者によって、何もかもに奪われた女性たち。 侍女と呼ばれるエリート男性の子供を産むための存在である彼女たち。 その一人が書いた手記という形をとった本書。 凄まじい作品を2冊続けて読んでしまいましたね。 家畜のように扱われる女性たちの姿に、現在の世界情勢が重なる。 男性でも、女性でもなく、人として尊厳を持って生きていく事はこんなにも難しい。 国家資源として扱われる女性は人の価値がないのか? わからない。 続編である誓願を早めに読みたいと思っている。
16投稿日: 2020.10.26
powered by ブクログ1985年に発表された本作は、34年をかけた続編として2019年に出版された『請願』の前作として注目を集めている。私自身も『請願』で初めて著者を知り、その前作ということで本書から読み進めた次第。 この物語の舞台となる女性を単なる生殖マシーンとみなす狂信的なキリスト教原理主義国家、ギレアデ共和国がどれだけグロテスクなディストピア社会であるかが、そら恐ろしいほどに伝わる。 一番恐ろしいのは、女性を生殖マシーンとして機能させる実際のメカニズムである。そこでは高齢等の事情によって自らは子供を産めない妻が、子供を産む能力があるが社会では虐げられアンタッチャブルな存在である裸の”侍女”を抱きかかえ、妻の夫が”侍女”に対して性行為を行い、種付けをするのである。吐き気を催すようなグロテスクさをここまで味わわせてくれる作品はそうそうない。
3投稿日: 2020.10.24
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キリスト教原理主義者たちのクーデターによりアメリカから独立した小国、ギレアデ共和国。低下し続ける出生率を憂う支配層は、女性たちから自由を剥奪し出産を管理する社会システムをつくりだす。33歳のオブフレッドは、支配階級の老夫婦の元に代理母として派遣された〈侍女〉。ほんの数年前まで夫と娘と暮らし、自分の仕事と財産をもっていたが、ギレアデ建国と共に家族と引き離され、指導員の〈小母〉たちが侍女を教育する施設へ送られて、今は老いた〈司令官〉の子を産むためだけに生かされている。人間性を失うまいとするがゆえに周囲の人びとを憎みきれないオブフレッドの人生はどこへ連れていかれてしまうのか。現代とのリンクが多すぎて、読むのが恐ろしくなるディストピアSF。 読み終わってまず悔し涙がでた。そんな小説は初めてだった。オブフレッドの時代から150年以上経過した未来で、彼女の物語を史料として眺める男性学者のホモソーシャルな女性蔑視ジョークに、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』で知ったモダニストの妻たちとその作品の扱いを思いださずにはいられなかった。この講演録をもって『侍女の物語』を終わらせたことに、アトウッドが抱いている男性社会に対する憎しみの深さがうかがえる。 講演内で司令官の正体がほのめかされ、彼が侍女システムの創設者らしいとわかるところは、グロテスクを通り越して暗い笑いを生む。自分でつくりだした偽りの秩序を自ら破り、恩を売って侍女から〈本物の愛〉を搾取しようとするクソジジイ。彼の行動を少しでも好意的に受け取ろうとしてしまうオブフレッドの努力が泣けてくる。自分が本当にモノ同然と思われているなんて、誰でも信じたくないものだ。 読み進めるのが苦しくなるようなディストピアを描いた本書だが、暗黒で美しいイメージの宝庫でもある。侍女たちが着用を義務づけられる真紅のワンピースと、〈翼〉と呼ばれる帽子。ヴィクトリアン様式の司令官の家。その居間でおこなわれる家族の儀式。女性たちから文字を奪うため、売り物の絵だけが描かれた商店の看板。マニ車のような祈りの簡易化装置〈魂の巻物〉。頭に袋をかぶせられ鉤に吊り下げられた罪人たち。文章だけを追うぶんにはうっとりすると言ってもいい、産業革命以前に退行したかのような世界観に、唐突にカメラを下げた日本人観光客やテレビなどが出現し、ああこれは今と地続きの未来の話なのだと思いだす。 前半はオブフレッドの目を通して少しずつ明らかになる最悪になってしまった世界の姿に惹き込まれていくが、後半はオブフレッドの閉じた人間関係をめぐるスリラーになっていく。周囲の思惑に翻弄されるオブフレッドにほんの束の間、人間らしさを思いださせてくれるのが〈小母〉の施設で同室だったモイラとの再会だ。 ギレアデ社会に反抗し続けるモイラはオブフレッドにとって(読者にとっても)理想的な存在である。状況に流されるままのオブフレッドより主人公らしいと言ってもいい。〈小母〉たちから逃げおおせたモイラをオブフレッドは英雄視し、自分を鼓舞するポジティブなイメージとして思い出を反芻していた。しかし思わぬ場所での再会に、モイラなりの弱さ、彼女にも逃げ切れない現実があることを知り、そのことがオブフレッドの心を壊してしまったのではないか。その後、オブフレッドはニックとのセックスに溺れ、わかりやすくメロドラマ的な状況に陥ってしまう。 娼館に囚われた同性愛者のモイラや、フェミニズム活動家で〈コロニー〉に連行され放射性物質の除去作業をさせられている母親と比べて、無抵抗なオブフレッドを弱いと切り捨ててはいけない。同じ状況になれば、ほとんどの人はオブフレッドと同じ生き方を選ばざるを得ないだろう。それは彼女の弱さではなく、支配者たちの卑劣さゆえなのだということを忘れてはいけない。本書はフェミニズム小説だが、同時にシスターフッドの難しさを描いてもいる。権力に脅され、誰もが密告者たりえる社会での連帯は困難であり、それこそが権力の望むことなのだ。 読後に悔し涙が流れるほどリアルな肌感覚を描くとともに、ゴシック小説を思わせる陰惨な美意識にも貫かれた悪魔的な傑作。
6投稿日: 2020.10.24
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ドラマで先にS2までみて、渡辺由佳里さんの本で紹介されて原作を手に取った。35年前にかかれてたとは思えない。最後の終わり方もよかった。きっと嘘と迫害で塗り固められていたギリアデ政権は消滅したんだろうなっていう終わりかた。少しずつ自分たちが知らないまま進んでいるっていうのがリアル。
0投稿日: 2020.10.11
powered by ブクログディストピア小説というジャンルを初めて知った。名前を奪われた主人公。呼び名のオブフレットは所有格のof+主人の名フレッド。彼女の受け身の目線からギレアデ共和国を覗いている感じ。映像化される(た?)よう。見てみたい、侍女たちや妻、女中たちの衣装。救済の儀…。ちょっと前の当たり前の世界から、こんな世界に裏返る。これまでもあったこととも言える。
0投稿日: 2020.09.30
powered by ブクログ「女は産む機械」を体現したディストピア… ただただ恐怖しかなかった。もし出生率が著しく低下したらこんな未来がくるかもしれない。 リディア小母の『自由には二種類あるのです。したいことをする自由とされたくないをされない自由です。』という言葉にちょっと心を動かされそうになったけど〜やっぱりおかしいよ〜
3投稿日: 2020.09.29
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読んだら嫌な気分になると聞いて読んだ。 確かにちょっと嫌な気分になった。 "目"と呼ばれる、密かに監視している人たちや、上流階級の"司令官"、彼らに仕える"保護者"や"女中"そして"侍女"などなど…未来の階級社会の話。 侍女は、司令官の子を産むためだけに仕え、そのためだけに生きている。 宗教の名の下に、厳しく監視され制限された孤独な生活が描かれるのだが、基本的な視点は主人公である侍女なので、一見するととても穏やかな日常に思われる。語り口がとても優しいのだ。 でも、それが却って物語の静かな恐ろしさを引き立てているのが、堪らなく良い。 主人公が生まれた時から、そういった世界だった訳ではなく、彼女だって元々は夫と娘と家族と生活し、自由に仕事をし…と言う生活を送っていたのだ。 孤独な生活の中で、その日々を忘れることは出来ない。 生まれた時からそうであれば、そんな辛い思いをせずに済んだのかも知れないなと思ったりもした。 元々ないものなら仕方ない(だって知ることもないのだから)けれど、元々あったものがなくなってしまうことほど、この世界に於いて耐え難いものはないだろう。 また、侍女たちは名前を奪われる。本来の自分の名前で呼ばれることはない。その代わり、別の名前で呼ばれるのだが、その意味に気付くとゾッとする。 一番最後の歴史的背景に関する注釈も含め、ぜひ読んでみて欲しい。
1投稿日: 2020.09.21
powered by ブクログあらすじは知っていて、名作と言われていて、読みたいと思いながら放置していたが、コロナで『洪水の年』が話題になり、じゃあとりあえず最初の出世作を手読んでみようと思い立った。 あらすじだけ聞くと、よくあるディストピアものみたいなのだが、この語りの巧みさに驚かされた。この社会の成り立ちと状況、語り手の過去が少しずつ分かってくる構成も素晴らしいが、ディストピアは人間が作るものであり、これに似た世界はかつてあったし、今もあるし、未来にもないとは言えないと、読み手にはっきりと伝わるところが凄い。侍女達は赤いドレスに赤い手袋、赤い靴を履き、顔は見えないように白い翼状の布で覆われている、翼の真ん中に目が描かれた国のシンボル、壁に吊り下げられた死体の様子など視覚に訴える描写も、記憶に焼き付く。ノーベル文学賞候補と噂されるだけのことはある。 舞台はギレアデ共和国となっているが、ここは架空の場所ではなく、もとアメリカのメイン州で、時代も近未来(発表が1986年、設定は20世紀末から21世紀初頭)とは言っても、そんなに先ではないし、今となっては過去あるいは現在の話である。 書かれたのは1985年だからチェルノブイリ原発事故は起こっていなかったが、それ以前にも原子力発電所の事故はあった。ギレアデ共和国で極端な人口減(出生率の低下)や障害がある子どもの増加の原因が化学物質の使いすぎと原子力発電所の事故にあったという描写は書けるかもしれない。が、アメリカ大統領が暗殺され国会が機銃掃射され、(非常事態宣言が出されて、キリスト教原理主義を柱としたギレアデ共和国が誕生するのだが)それは「イスラム教の狂信者たちの仕業」(P317)とされた、というところ。予言者みたい。実際には政権転覆を企む軍部の仕業を匂わせているあたりも、危機的状況を作り出して「治安維持」の名目で検閲や道路封鎖が始まり、何事にも身分証明書が必要になるあたりも(もちろんほとんどの国民は納得)、本当にありそうで怖い。しかも政府は「落ち着いてください」「あくまで一時的な措置に過ぎない」と言う。その後性風俗の店が閉店させられるが、もちろん良識ある国民は「別に悲しいとは思わなかった。それがどんなにはた迷惑だったかはみんな知っていたからだ。」(P318)しかし、それを知った老女は「ああいうのを一掃しようとするのは鼠を絶滅させようとするようなものなのさ。」鼠は不潔だ。大切なものを食い荒らす。病気を運ぶ。しかし、鼠が絶滅したら?鼠の存在で抑えられていた何かがもっと恐ろしい結果をもたらすかもしれない。絶滅させたつもりでも実は生きのびていたら?あるいは絶滅させたように見せかけたら?巧妙に隠れて、より酷い状況を招くかもしれない。 使われている単語がまた、ゾッとする。子どもの産めない女性や、レズビアン、女性の権利を主張する女性を「不完全女性(アンウーマン)」、死刑を「救済の儀」と呼ぶ。(オウム真理教の「ポア」を思い出す。)妊娠中の女性をレイプし、胎児を殺した男を(実際は反政府活動をしていた)侍女たちになぶり殺しにするのは「集団制作」。 最たるものは侍女の名前。語り手はオブフレッドと呼ばれるが、これは「フレッド(主人である司令官の名前)のもの」という意味しかない。子どもができなければ「コロニー」(有害物質が蔓延する、強制収容所)に行かされ、次の侍女がまた「オブフレッド」と呼ばれるシステム。 2007年に、政治家柳澤伯夫が女性は「産む機械」だと言ったが、ということは、この物語の世界はやはり一部の政治家や男性にとっては都合のいい、あるいは理想的な社会だと言えるのだろう。 今年9月に、続編が日本でも発売されるらしいから、本当に楽しみ。
3投稿日: 2020.08.11
powered by ブクログキリスト教原理主義者にクーデターを起こされたアメリカ。生殖の政府による管理を目指して、財産と自由を剥奪された女性による独白の形を取ったディストピアSF。 言葉遊びが多く、恐らく原文で読んだ方が面白さを更に理解できるのだと思う。思考の自由を表現しているのだろう。 2195年のシンポジウムについては、個人的には少し蛇足に感じた。実際の歴史と絡めることで実在感を付与したかったのかも?歴史を語る人物も歴史として語られる人物も出てくる名前は男性ばかりというのにも嫌らしさがあった。恐らくこれは意図的なものなんだと思う。
0投稿日: 2020.08.10
powered by ブクログドラマ化で話題になったディストピア小説。 最後の章で本全体の構成に関してはすごく納得する。歴史として振り返る時、一人の人間が感じた苦しみや恐怖か小さく見えるというのも現実社会でもあることだよなっと感じた。 設定されている世界があまりにも息苦しくてキツいと感じるけど、ひとつひとつの制度は実際にあったものということがさらにつらい。 誰かのモノで出産にしか女性の価値がない差別社会は、濃淡こそあれど今の日本でもあてはまってしまうことがさらに苦しい。
0投稿日: 2020.07.11
powered by ブクログ物語の進行と共にどんどん明るみになってくるディストピア的社会システムの中で、オブフレッドの(この侍女の名前の付け方も冴えてる)押し込められ、そして高いところから低いところへ流れていくように自然と移り変わる感情や、ひとつひとつの物事の細やかな描写が抑えたトーンで綴られる。センターでの極度な禁欲・監視生活とクラブでの“自由”の根っこにある実態が同じであることを暴き出した手腕は見事。フェミニズム的にもそして調和を取りながら新しい言葉との出会いをもたらしてくれた和訳も勉強になる一冊
0投稿日: 2020.05.04
powered by ブクログ出生率が激減した未来。キリスト教原理主義、全体主義に基づく国家ギレアデ共和国。 中絶を禁止し、子供が産める女性は侍女として権力者のもとに、妻の代わりに子供を産むために派遣される。聖書が所々に引用され、特にラケルとレアは象徴的。侍女はオブフレッド、フレッドの、というような名で、さらには侍女を管理するのもまた女性の小母という徹底ぶり。 無機的に性交渉し、ただ子供を作るために生きる。ディストピアであり、恐ろしくも現実感がある。 なんと最近30年越しの続編が出たらしい。邦訳されるかな…
0投稿日: 2020.02.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ブンガク 星は暫定 かかった時間 たくさん やっと読み終わった。小説は前半に、より頭を使うもののような気がしているが、これには特に苦労した。 近未来のアメリカを舞台とした、戦争と独裁という枠組みの中で、女性が「産むための存在」として扱われているというお話。語り手はその「産むための存在」であり、タイトルにもある「侍女」がその呼び名だ。 ここからネタバレになるが、、、 語りがものすごく具体的なのだが断片的で、全体像がわからず、それも読み進めにくかった理由なのだが、最後の30ページくらいで全体がやっとわかって、語りの不完全性とか、そういった語り(広義の「記述」とも言えるか)によって歴史が掘り起こされるというか、そういった語りによってしか歴史にアクセスはできない、というのはやはり納得だった。 『1984年』や『すばらしい新世界』と並ぶディストピア小説というのは知っていて読んだのだが、どちらかといえばそれらは「全体像が(なんとなくでも)わかっている人」による記述なので、無駄がないというか、それでも読み手がほしい情報(=作中の最低限の「つくり」)が効率的に描かれていたんだな、と、この作品を読んで気づいたし、たぶん、そういうことが起こるときというのは、多くの人はこの『侍女の物語』的な視点しか持ちえないままで、あくまでそれができるのであれば、判断することになるのだなあ、と思った。 「目」はめちゃめちゃ『1984年』的だったな、あと『21世紀少年』的でもある。あと、「救済の儀」も、『1984年』の演説タイムみたいだ。私たちが支配されるとき、そのされ方って歴史のなかできっと出尽くしてるんだろうな、うん。
0投稿日: 2020.02.16
powered by ブクログ1985年の作品だが、Huluでドラマ化されたことで再び注目されている。 タイトルからヴィアトリア朝時代あたりの話かと思っていたら、近未来ディストピア小説でした。 語り手がどういう境遇にあるのか、というのは次第に明らかになっていくわけですが、最初から一種の諦念というか、何かを諦めていかないと生きていけない彼女の語りがしびれます。 設定自体がとてもおもしろいのですが、彼女の抑制された語りそのものも読み応えがあります。静かな諦めと微かな希望、悔恨あたりが混じった感じは『わたしを離さないで』にも似ている。 人間が管理社会にどうやって飲み込まれていくのか、というあたりは『一九八四年』。女性が子供を産むための器となった世界からみたフェミニズム、恋愛観というのもすごい。出産シーンの醜悪さ! めちゃめちゃおもしろくて他の本を放り出してこればかり読んでいたので、三日ほどで読み終りました。Huluのドラマも気になる。 以下、引用。 わたしの姿は何かのパロディーのようだ。危険の待ち構えている場所にわざわざ降りていく、お伽話のなかの赤い外套を着た登場人物といったところだ。血に浸された修道女のようだ。 わたしたちは軒の樋にいる鳩のように低く、哀れっぽく、悲し気な声で、静かに愚痴をこぼすだろう。 すべて赤いチューリップで、花びらの赤い色は茎に近づくにつれていっそう濃くなっているーまるでそこを切られ、その傷口が治りかけているかのように。 その爪のカーヴはまるで皮肉な笑いのようだったー彼女をあざ笑うかのように。 自由には二種類あるのです、とリディア小母は言った。したいことをする自由と、されたくないことをされない自由です。無秩序の時代にあったのは、したいことをする自由でした。今、あなた方に与えられつつあるのは、されたくないことをされない自由なのです。それを過小評価してはいけませんよ。 デート・レイプねえ、とわたしは言った。あなたって本当に流行を追うのが好きね。何かのデザートの名前みたいだわ、デート・レイプだなんて。 メーデーの語源を知ってるかい? とルークが言った。 フランス語なんだよ、と彼は言った。M’aidezメデから来ているのさ。 わたしを助けて、という意味だ。 庭の花壇のチューリップは今まで以上に赤くなっている。そしてワイングラスではなくて聖杯の形に花びらを大きく広げている。満開に花を咲かせている。でも、いったい何のために? しょせん無駄なのに。時間がたてば、花びらは裏返しになり、ゆっくりと爆発し、鱗のように飛び散るのだから。 未来はあなた方の手に、と言った。でもその手のひらには何もなかった。空っぽだった。未来でいっぱいになっているのはわたしたちの手の方なのだった。その未来はつかめたとしても見えないものだった。 彼女の歳になっても、まだ自分を花で飾りたいと思うらしい。そんなことをしても無駄なんじゃないの、とわたしは彼女に向かって心のなかで言う。もうあなたには花は役に立たないわ、あんたは枯れちゃったのだから、と。花は植物の生殖器だ。 あなたなら彼らのために天国を創ることもできるかもしれません。わたしたちはそのためにあなたを必要としているのです。わたしたちは地獄なら自分たちで創れるのですから。 脳がかつてカリフォルニアでたくさん作られていた美しい夕焼けのグリーティング・カードのように、柔らかいテクニカラーの色調になってしまうのだ。表面だけがつやつやした心。 日差しは強くはないけれど、ブロンズの塵のように重くいたる所にたちこめている。 彼女たちの視線が、素肌の上を這う小さな蟻のように感じられる。 恋に落ちたわ、とわたしたちは言ったものだ。あの人に首ったけなのよ。私たちは落ちる女だった。私たちはその落下の運動を信じていた。それは空を飛ぶのと同じことように無類に楽しく、同時にすごく寂しく、すごく極端ですごく不安な体験だった。神は愛である、とかつての人たちは言った。わたしたちにとっては愛が神だった。そして恋愛は、天国のようにいつでもそこに待ち受けていた。身近にいる特定の男性を愛するのが困難であればあるほど、わたしたちは観念的で絶対の「愛」を信じた。わたしたちはいつもそれが現実に顕現するのを待っていた。その言葉が肉体化するのを。
0投稿日: 2020.01.26
powered by ブクログとても面白かった。 出産装置として存在する「侍女」は所有を表すofと自らが仕える「司令官」の名前を足してそれを自分の名前とする。 主人公の彼女が話題をあちこちに飛ばして顛末を最後まで言わない、平気で嘘を吐く態度がよかった。世界観は完成されているのに真実は誰にもわからない。 つい最近出た本なのかと思ったら1986年刊行(日本に来たのは2001年?)だったようでそれもまたたまげている。 オーウェル『一九八四年』とはまた違うひとつのディストピアの完成形。けれどオーウェル世界と同じように、この世界もまたこの先決して起こらないとは言い切れない人間の可能性のひとつ。
1投稿日: 2019.12.23
powered by ブクログ最年長のブッカー賞受賞者カナダ出身の79歳。 受賞作は、1985年のベストセラー小説「侍女の物語」の続編です。
0投稿日: 2019.10.30
powered by ブクログディストピア小説の系譜に連なる小説で、女性が単に子供を産むための道具とみなされる社会を描いた物語、少なくともそう紹介されることが多い小説だ。けれどもそれは物語の側面の1つでしかない。主人公は自ら「これは脚色した物語だ」という。もし読めるなら「天使」や「守護者」から視た物語を読んでみたい。ラストが秀逸と個人的には思う(が好き嫌いは分かれるだろう)。
0投稿日: 2019.10.18
powered by ブクログ女性が出産の使役として扱われる社会。 帯に「トランプの社会の未来がここにある」と書かれていたけど、日本は少子化なので、むしろ日本の方がこの世界とより近いのでは?と思った。 読み終わるのに二ヶ月かかった。 挫折しても良かったけど、絶対面白いという期待がそうさせた。 読み終わって、ようやく世界観の外形が構築できたので、時間をあけて再読したい。
1投稿日: 2019.01.31
powered by ブクログme too運動と相俟って新たにドラマ化され、 再度脚光を浴びたと思しい、 1985年発表(原著)の、 当時から見た近未来ディストピアSF長編小説。 性の乱れや人口減を憂えたキリスト教原理主義勢力が アメリカ大統領を暗殺し、政権を掌握、 女性の仕事と財産を奪い(銀行預金は父または夫の名義に変更)、 出産可能な女性を教育施設に送って「侍女」に仕立て上げ、 権力者の家に住まわせて、その子供を産むように仕向ける。 「侍女」は書物を読むことも書きものも禁じられ、 情報は遮断されている。 物語の語り手は、夫とも幼い娘とも引き離され、 本来の名前を奪われて「フレッドに仕える女」の意味で 「オブフレッド(of Fred)」と呼ばれている。 彼女は生き延びるため、 従順な「侍女」を装って自らを環境に順応させようとするが、 夜、一人きりになると夫や娘や母や友人に想いを馳せ、 かつての生活を回想する。 この、読んでいて気分が悪くなるような小説が 現代において再評価されることの意味を考えたい。 執筆当時に著者が憂慮した事態は過去の問題ではなく、 これから先の世界にぽっかり口を開けて 待ち構えているかもしれない。 だが、「生む機械」だとか「生産性」があるだのないだの、 政治家などに言われる筋合いはないのだ。 一連の事件をわかりやすく整理した最終章 「歴史的背景に関する注釈」が、 あまりにクールでショッキング(笑)。 現在の我々の営みも、未来人に回顧されれば、 ちっぽけで他愛ない話として片付けられるのだろうか…… と考えると、二重に怖くなる作品である。
8投稿日: 2019.01.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
近未来、環境汚染など様々な問題が原因で女性の不妊率は上昇し、出生率は異常なほど低下している社会。 アメリカではキリスト教再建主義的な勢力のクーデターにより、ギレアド共和国が誕生する。 そこでは、女性たちは私有財産の所持を許されず、職を奪われ、教育を奪われ、文字を読むことすら許されない。 再婚の女性や、同性愛者の女性などが罪のある女性とされ逮捕され、妊娠が可能な女性たちは“侍女”として司令官の家に派遣、妊娠出産の道具にされる。それ以外の女性はマーサ(女中)に。体制にそぐわない女性たちはコロニーと呼ばれる強制収容所で汚染物質の除去などの作業にあてられる。 侍女は赤、マーサは緑、妻たちは青。その色の服しか身につけられない。 海外逃亡に失敗し、夫や娘と離され、侍女「オブフレッド」となった主人公ジューンが、その生活を淡々と語る。親友のモイラ、司令官と妻のこと、運転手のニックのこと。 彼女がどうなったのかは誰にもわからない。テープを残した後彼女はどこへ行ったのか。逃げられたとしても、捕まったとしても、失ったものはあまりに多くてたまらなくなる。 2017年にこの物語を原作にHuluでドラマ化され、シーズン1は、エミー賞やゴールデングローブ賞も受賞。 現在、シーズン3を待ってる状態。とても面白かったので原作を読みたいと思って。 ここで書かれていることはシーズン1でほぼ全て描かれている感じだった。 思うのは、なぜ妻たちはこれを許容したのだろう…ということ。あるいはさせられたのだろうか。 徐々に徐々に、少しずつ気づかれないように奪っていって、気づいたら後戻りできなくなっている…そんな感じだったのかと思う。怖い。
0投稿日: 2018.12.20
powered by ブクログ読書会のため2読目。これの何がこんなに怖いのか、と考えながら読む。 リディア小母も不気味だし、司令官も男性としての魅力がまるで感じられずよくわからない存在だし。。。 1985年に書かれたこの小説に「地下鉄道」が出てくるのは、コルソン・ホワイトヘッドが出た後に読むとまた不思議だ。 ナオミ・オルダーマン「パワー」も対になるような設定で、こうしてみると、この小説の影響がジワジワと続いているのだな。
0投稿日: 2018.12.10
powered by ブクログ原書名:The handmaid's tale 夜 買い物 夜 待合室 うたたね 一家 夜 出産の日 夜 魂の巻物 夜 イゼベルの店 夜 救済の儀 夜 歴史的背景に関する注釈 著者:マーガレット・アトウッド(Atwood, Margaret, 1939-、カナダ・オタワ、小説家) 訳者:斎藤英治(1957-、英文学) 解説:落合恵子(1945-、宇都宮市、作家)
0投稿日: 2018.11.08
powered by ブクログ女性軽視とかそういう角度から見る事もできる本だが、少子化、不妊、子供は病院にかかって作るみたいな世の中の流れが今後深刻化していくのでは?意外と現実にありえる??とそちらに思いを馳せてゾッとしていました。
0投稿日: 2018.10.19
powered by ブクログ1990年に一度映画化。小さい画面で有名な役者さんも出ていないので、印象薄だったんだけど、2017年にTVドラマシリーズになって、これはたくさん賞をもらっているらしい。原作は、かなり地味なSFというよりは普通の文学作品。作品の世界観がディストピアなので、半分くらいまでは我慢で読みました。
0投稿日: 2018.09.01
powered by ブクログディストピア小説を何冊か読んだが、私はどちらかというと「困難な状況の中でも前に進んでいこう」とする主人公が出てくるストーリーが好きなのだと思った。 主人公は全体的に見ると、流されるままに終わってしまった気がする。もう少しなんとかできなかったのか…でもあの状況ではこうするしかなかったのか…自分だったらどうするか…同じ女性として、いろいろ考えながら読み終えた。
0投稿日: 2018.08.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
アメリカがキリスト教原理主義勢力のクーデターにより全体主義的統治をされるようになった近未来を描くディストピア小説.主人公は「オブフレッド= of Fred」という名前で呼ばれる女性.この時代,汚染や環境破壊によって出生率が低下しているため,出産可能な女性は権力者の妾,いや,もっといえば出産機として,自由に行動すること,話すことすらもが全く禁止された暮らしを強いられている. こんな時代だから必読.
1投稿日: 2018.07.29
powered by ブクログディストピア小説っていうのか、こういうの。 ユートピアの反対語で反理想郷(暗黒世界)。 出産率が危機的に低下し(バースコントロールによって)すべての女性から仕事と財産を奪い、妊娠可能な女性をエリート層(司令官)の男性の家に派遣される。 ひたすら妊娠を待つ女で”侍女”。 期間が決まっていてその兆候がなければ”コロニー”というとこに送られ危険な仕事を強いられ死を待つ身になる末路が待ってる。 恐ろしい世界だった。最後は”目”のメンバーとして潜んで司令官の運転手をしていたニックによって逃げおおせたのか捕らえられて処刑されたのかはあいまいにされている。 オブフレッド(名前も一郎ののような所有物のように変えさせられてる)は国境を越えたと信じたい。 落合恵子さんがあとがきの解説だったのは嬉しかった。 Huluでドラマ化されてるらしい。 この内容をドラマ化?観てみたい。
0投稿日: 2018.07.09
powered by ブクログNetflixでドラマを観て原作があるのを知り読みました!不妊者が多くなり、そのために女性を何だかんだと理由をつけ子どもを産みための存在にするとゆうような話。トランプとかが大統領になるくらいだし、こんな国や政権が現れてもおかしくと思うとちょっと恐くなりました。面白かったですが… ドラマは原作以降もありそうなかんじですね。
0投稿日: 2018.06.21
powered by ブクログ自立していたはずの女性が、名前を奪われ、思考を禁じられ、アイデンティティが少しずつ崩壊していく。 聡明だった主人公が、生きるために無気力に何も考えなくなって、過去の記憶も曖昧に混乱し始めるのが痛々しくて怖かった。
0投稿日: 2018.06.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
怖い話だ。でも近未来のいつか、有りうる事にも思える。人は弱いもの。 主人公の最後、色んな想像ができるだろう。でも、あまり幸福ではなかっただろう。なにしろ、最愛の子供を人質に取られているのだから……。 色々な儀式が怖い。デテールが細かく描写されているから、余計に。
0投稿日: 2018.06.06
powered by ブクログ"百年の誤読”から。そして、ノーベル賞に近い作家ってことで、早めにトライ。でも、ちょっとタイミングが…って思われたのは、”1984年”と方向性が似てたこと。もちろん、細かい部分とか作品の味わいとかは随分違うけど、解説でも”1984年”について触れられているくらい、ベクトルが共通していた。本作では、タイトルにも挙げられるくらい、迫害されるのは女性。一切人権が損なわれた環境で、何を思い行動するかの物語。同じような不満を抱えた仲間との出会い、一見光明が射しそうな救いの気配、でも最後に待ち受ける過酷な運命。こう書いていくと、ますます件の作品とプロットが共通している気がする訳でありますが。でもリーダビリティは本作が上で、物語としては純粋にこっちの方が楽しめました。
0投稿日: 2018.05.18
powered by ブクログ女性の尊厳が奪い尽くされたディストピアを描く筆致の、恐ろしいまでの正確さ。時代に淘汰されない、常に新しい作品こそが古典、というけれど、これが予言として現在進行形でバリバリ有効なのは冗談じゃない、早く古びてほしい。っていうか今でさえ、日本の女性は大半が結婚したら名前を半分剥奪されているじゃないですか?
0投稿日: 2017.12.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
今年のエミー賞受賞作品の原作本ということで読んでみました。(ネット配信サービスhuluの作品ですが、日本でいつ観られるかはわからないので) 1985年のSF作品ではあるが、物語の世界が近くまで迫ってきているという気がしなくもない現代。 もし、今の自分が同じ状況の中にいるとしたらどうなっているだろうかと考えた。間違いなくコロニー行きだ。
0投稿日: 2017.12.16
powered by ブクログ図書館で。 限りなく民主主義からほど遠い所の国家のお話。近代的ではなく聖書の時代に戻そうというような辺りキリスト教原理主義国家とでも言った方がわかりやすいのかも。でも旧約聖書ってユダヤだよなぁと思ったりもするのでその辺りの整合性は欧米人ってどうやって折り合い付けてるんだろう?不思議だ。 個人的には女性を子供産みマシンにするならこんな原始的なやり方ではなく女性だけを一か所に集めて男性の精子を搾取して人工授精した方が効率は良さそう…なんて思ってしまうけど。それだと家長制度が崩壊しちゃうからダメなんだろうか。まあ主義主張をかざす人は効率が絶対ではないのだろうから…な。正義や理想を追いかけている人ってなんて言うのか…人の意見を聞かないので大変だ。 司令官もきっとこれで世界は良くなるとかこの方が良い社会なのだと信じているんだろうなぁという辺りが恐ろしい。妄信的恐怖。もっとコワイのは普通に30近くまで普通に暮らして自由を謳歌して生きてきた主人公が状況にならされてそれが普通だと思ってしまっている辺りかも。反復行動…というか習慣って怖い。 HistoryをHerstoryというほどのフェミニストではないけれども… 女性の権利と自由は私なんかに言わせると結構当然当たり前であってそれほど騒ぐことじゃ無いように思われる事でも男性社会にとっては一大事だったりするんだよな、という事を思い知らされるような気がします。くどいなぁと思う所もありましたが面白かったです。
0投稿日: 2017.08.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
SFギミックを用いて、あるいはSFギミックは別としても、「産む機械」と女性が呼ばれてしまうことに対する、痛烈な批判の書。 アメリカが聖書原理主義にクーデターで倒されて、ギレアデ独裁に。ユダヤ教徒など異教徒は国外追放。 妻が女召使を夫に差し出す。これは聖書に倣って。 さらには妻が、男召使を侍女に差し出す。夫の受精能力を疑って。 果たして夫と侍女の義務以上の情愛は? さらに果たして、妻と侍女の心理的な優劣関係は? 気にかかるのは、自由な世界を謳歌したことのあるわたしが、どうしてこの新管理社会・抑圧に順応するようになったのか?(管理社会はイコールユートピアという硬貨両面はあるにせよ) 内面は別として、基本的には従順な侍女になっているのは、なぜか、ということだ。 全体主義(現在)が民主主義(完成古)にいかに打ち克ったのか。 語り手が娘を出産するあたりで社会がおかしくなり、5年前に引き離され、3年間〈赤いセンター〉で教育され、ひとつき前に司令官に宛がわれたらしい。 たった数年で抵抗の意欲を削がれ、社会制度ががらりと変わり、かつての記憶を持ちながらも抵抗しない生き方を、いかにして強制されたのか。 いや強制されたのではなく、なかば人間の性質を活用した円滑な洗脳だったのかもしれない。 このあたり、現代に通じるものを感じる。 全体を通じて質問状や迷いや宙吊りの段階であり、答えや成果を語り手は持たない。 また、たぶんに脚色されている。のちに語ったものだから。 踏み出した先は、暗黒か、光か。 人のレビューを読んで、個人に対して「組織的に役割を与える」という暴力、という視点を知って、なるほどと。 また、白人社会で書かれた小説だからSFだのディストピアだの社会批判だのと言われているが、中東などの国ではまったく想像の産物ではないという状況も。 なんと新たにドラマ化するらしい。
0投稿日: 2017.04.28
powered by ブクログ近未来。「こどもを生む道具」とされてしまった女性主人公が、男性優位、少子化、差別、環境破壊、原発事故などのお馴染みの問題がはびこる、国家を抜け出そうとすると、どうなると思いますか?
0投稿日: 2016.12.28
powered by ブクログISの理想とする世界はこういうのかな?それとも既に現実に?あるいはどこの国でも、とりわけ日本で既にこうなりつつあるのでは?ディストピア小説と言われるけど、一部の権力を持った男性には理想の社会だったりする世界だよね、これは。
0投稿日: 2016.05.01キリスト教原理主義者による革命
映画化もされていたはず。 キリスト教原理主義者による革命が成功した未来のアメリカ。支配階級の都合のいいように歪曲された(かどうかは知らないが)聖書に基づく支配の不気味。日本人観光客との通訳を通してのやりとりは私も聞きたくなるような質問。 語り手が属する”侍女”は妊娠可能な女性で”司令官”とその”妻”の子どもを産む道具扱いされている。女は財産を奪われ、名前も奪われオブ何がしと子供を産む予定の相手の男の名前の記号で呼ばれている。読むことも書くことも禁じられている。 語り手は嘘言いました、とか言っちゃうので、すべて額面通りには受け取れないのだが、夢想もいれないとやりきれないということなのだろう。英雄的ではなく慎重なので波乱万丈な物語が語られるわけではなく、脱走を図ってひどい目に合わされるのは親友のモイラ(おそらく仮名)の役回り。 しかし、そんな地味な語りでもどうにも続きが気になって読み進んだ。 聖書を字句どおりに信じる原理主義者の世界・・・こいつはほんとのディストピア小説である。
0投稿日: 2016.04.07
powered by ブクログ全体の雰囲気は近未来というより古めかしさ、暗さを感じた。「侍女」の抑制された語り口が、この不気味な世界をよく表しているように思う。 こんなに極端なことにはならないと思いたいけれど、単純に「管理社会」という点で考えれば、現実に起こりつつあることなんじゃないか、とも思う。自由を奪う代わりに、安全(に見えるもの)を提供する、と権力者たちはうそぶく。 行き着くところへ行き着いてしまう前に、声を上げなくてはいけない、流されていてはいけない、と思わされる。
0投稿日: 2015.06.26
powered by ブクログキリスト教原理主義の独裁国家による抑圧社会の物語。 一人称の現在形の現在形で淡々と進む沈鬱な社会描写。 残酷で徹底的な細部にいたる制度設計。 救いはない。
0投稿日: 2015.04.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「♀には辛い話かも」と予め聞いていたせいか、然程とも思わず…と次の本を読み始めたら、どっと弛緩。まあ、確かに…。 虐げられし者の物語には虐げる者が必然的に配置されるわけで。その役割分担を振り分ける属性(この話では性別)が硬直的な場合、一気にその世界のテンションが上がるように思われます。 イシグロの「わたしを離さないで」は、振り分け属性=クローンか人間かなので、読者は必然的に後者に振り分けられ・・・あー、「もし自分がクローンだったら」の感情移入もアリで。は?と言われそうですが、イシグロの構築する、「xxのためにクローンを生かしている」以外は細部までリアリズムに徹している世界は、そういうファンタジー的想像力の飛躍を許してくれないのです。 あれ?えーと。現実的にはともかく観念的にはですねー、「自分が耐えりゃ済む」で解決する前者の方が「良心その他との葛藤を迫られる」後者よりラクなので、殿方のほうが辛い話ではないかと。 つーか、アトウッド女史のターゲットはどちらなんでしょ??
0投稿日: 2015.03.23
powered by ブクログテーマと主人公の感じが好みじゃないにも関わらず最後まで読ませる描写力です。訳者あとがきで著者のアトウッドが述べている事として、カナダ小説の特徴として ①主人公が運命に対して受身である ②彼らにとって「生き残ること」が至上命題である ことを上げていて、本書の特徴でもあると説明されているが、多分僕は主人公が壁や挫折を乗り越えて成長して欲しいのです。 あともう一つ。聖書原理主義的な世界なのですけれど、監視社会への恐怖が主に感じられて、神への怖れをどこからも感じない。もちろん集まって教会のような聖書の言葉が語られるシーンもあるのですけれど。その、建前は聖書原理なのに気にしているのは周りの人間と社会制度であることがまた、リアルと言えばリアルです。 ・オブグレンは何も答えない。沈黙の時間が過ぎる。でも、何も言わないことも、何かを言うことと同じくらい危険なときがある。 「ええ、わたしたちはすごく幸福です」と、わたしは小声でつぶやく。何か言わなければならない。だとしたら、他に何と言えるだろう? ・80年代のことだが、畜舎の中でぶくぶく太ってしまった豚のためにピッグ・ボールというのが発明された。それは鮮やかな色のボールで、豚はそれを鼻で突いて転がして遊ぶのだった。豚を扱う商人たちは、この発明のおかげで豚の肉が引き締まったと言った。豚は好奇心が強いので、何か考える種があると喜ぶのだった。 わたしはその話を『心理学入門』で読んだ。また、折に閉じこめられた鼠の話も読んだ。彼らは檻の中で何もしないでいるよりは、自らすすんで電気ショックを受けようとするのだった。 …わたしもピッグ・ボールがほしい。 ・わたしはエッグスタンドの位置をちょっとずらし、窓から差し込んでお盆の上に当たっている光の中に入れる。光はお盆の上で明るくなったり、翳ったり、また明るくなったりしている。卵の殻はなめらかだけど、ざらついてもいる。日光が当たり、カルシウムの細かい粒子が月のクレーターのように浮かび上がる。不毛の土地を思わせる光景、でも完璧だ。かつて聖人たちが贅沢によって心を乱されないようにと入っていった砂漠のようだ。神はこのような卵の形をしているのではないかとわたしは思う。月の生物も、表面ではなく内側にいるのかもしれない。
1投稿日: 2015.03.14
powered by ブクログある日突然女性が口座を凍結されカードを使えなくされ、何者かに支配されてモノ扱いされという設定のディストピア小説(舞台はアメリカ)。何のためにそのようなことが行われたのか、どのような思想によってというのが気になりつつ、主人公の動向や侍女たちの運命も気にしつつ読み進めていくうちになんと奇妙なことに今私たちがいる「現代」のような核が見えてきてしまった。 原発事故や環境汚染によって極端に出生率が下がった白人の人口を回復させるために権力者の元に出産能力のある女を「侍女」としてあてがい、出産させ、それが終わるとまた別の司令官(権力者)の家庭に配属され、の繰り返し。もともと出産能力を有さない女は収容所のようなとことに連れて行かれて原発事故の後処理や運が良ければ農業に従事させられ、死ぬまでこき使われる。 はっとさせられる箇所は数えきれないほどある。でも一番印象的だったのは、口座がとめられカードが止められ、夫にすべてを譲渡されたその日から夫婦の力関係が変わってしまったこと。別に夫が金でもって妻に横暴な態度をとるとかそういうことはなくむしろ優しく「何があっても君は僕を養うし守る」ということを言ってくれるんだけど、妻(主人公)は自分が守られて養われる存在になったことにショックを受ける。(ちなみに会社も軍に制圧されて解散、子供は取り上げられる。今まで築き上げてきたすべてが奪われる) で、あのエピローグ。 私は『アララトの聖母』という映画が大好きなんだけど、あの映画の唯一ダメなところはラストの字幕。あの主張は本当にいらなかった。虐殺あったなかったっていうことを直接主張するんじゃなくて説得するための物語(映画)だったのでは?と疑問を感じた。 しかし『侍女の物語』はその辺の後世の人間が持つであろう疑問や曖昧さをしっかりと汲み取っている。素晴らしい。
1投稿日: 2015.02.26
powered by ブクログ性的な接触が禁じられ、女性が子を産むための道具とされた近未来社会を舞台にした物語。 主人公となる女性は世界がそのように変革を遂げる前の時代を経験した人物であるにも関わらず、疑問を感じながらも現代に適合している(と思われている)部分が妙に不気味である。 ディストピア小説の世界は、人間から感情や愛情、道徳性や時代の倫理観を根こそぎ奪い、効率性や安全性にのみ配慮した瞬間にユートピアに思えてくるところが恐ろしい。
0投稿日: 2015.02.17
powered by ブクログ近未来ディストピア小説だとは思う。でも、いま、リアルタイムでこーゆーことが行われている国もあるように思う。 この小説はたくさんのひとが読むべきで、でもこれが正しいと思う人とワタシは付き合いたくないと思えるくらい、怖い小説だ。 また、世界は終わりに近づいた。
0投稿日: 2014.12.16
powered by ブクログ復刊されたのを見かけて、気になって手に取ってみた。 女性が主人公の『1984年』という感じ。 女性の権利がとことん無くなって、政府の高官の子どもを産むためだけの存在として過去を思い出しながら生きることに翻弄される侍女オブフレッドの話。 オブフレッドの語りは現在おかれた状況と、夫や娘と暮らしていた時代~突如財産を没収され、侍女としての教育を施される施設に放り込まれた過去の回想とがとぎれとぎれに続くのだけれど、それがまたじわじわと読み手側に情勢や世界観が見えてくることになり、息苦しさが続いて先が気になって仕方がなかった。 色々読みながら考えさせられ、久しぶりに本を読んでいない時の思考も内容に引きずられる感覚を覚えた。 最後の注釈が救い。
0投稿日: 2014.12.07
powered by ブクログカテゴリをどう分けていいのかわからなかったのでもうSFにしてしまった。想像するSFとはだいぶ違う。 タイトルから主人に恋をしたけれど妻や周りの侍女から迫害を受けそれでも愛を貫こうとするも主人から裏切られる侍女…みたいなどろどろ恋愛を想像して読んだのだがもうびっくり。SFは嫌いだがこの作品は読めて本当に良かった。 女は産む機械、それを体現した世界。恐ろしいのに一気に読んでしまった。また読み返したい。
0投稿日: 2014.08.30
powered by ブクログ侍女、は自由と名前を奪われ、不妊の妻の身代わりとして、夫のために子をなすことだけを求められる女。 ハンドローションがもらえないから、バターで代用する、文字を読ませないように、店の看板もトークンも絵が書いてある、など細かい部分まで世界観がしっかり作られていて、読んでいくとゾッとする。 今も、子供が産めない女性のために、妊娠する女性が貧しい国にはいる。この世界と全く異なっていると言えるのだろうか。
0投稿日: 2014.06.29
powered by ブクログ現代カナダを代表する作家の手によるディストピア小説。 出生率が極端に低下した21世紀ギレアデ(嘗てアメリカと呼ばれた地域)では、社会のエリートたる「司令官」に複数の女性が割当てられる。正式な婚姻の相手である「妻」、家事を司る「女中」、そして生殖を担当する「侍女」である。 此処で描かれているのは完全に役割のみを割り振られた女性たちであり(尤も、妻や侍女に面する司令官もまた男性としての役割を演じねばならない)、且つ、個別には相反する役割(妻と家政婦と母親と娼婦とが一致させられようか?)をそれぞれ別の女性に担当させる、男性=支配階級の欲望を具現化した世界なのであろう。 何より恐ろしい事に、他者に(ジェンダーに限らず)何らかの役割を要求する時、我々は同書と同じ事態を要求しているのであり、そしてそれは日常的に行われている。本書はディストピアを描く一方で、現代に至るまで歴史的・組織的に行われて来た「役割を与える」と云う暴力を指摘しているのだ。
0投稿日: 2013.01.11
powered by ブクログディストピア小説としてはオーウェルの「1984」の方がより読後感がやりきれない。しかし、たとえばカーレド ホッセイニの「千の輝く太陽」などに描かれるイスラム原理主義下の女性たちにとってはこの物語も絵空事ではないと思う。少子化の責任を女性のみに押し付けるというこの過激な反フェミニズムは現代日本にも通じるところがあるのではないか。
1投稿日: 2011.12.08
powered by ブクログ侍女の「物語」 人は物語を自分に向かってだけ語ることはない。いつでも他に誰かがいるものだ。(p80) 「侍女の物語」より。前にどこかで、人間の言葉の能力というものは、常に「相手」がいることが前提となっている、ということを聞いたことがあります。独白でも文章でも、聞き手がいるからその人は話したり書いたりすることができる。この文章のあとアトウッドは「名前のないあなたに」この物語を語ろうと続けています。実際の誰かに向けて語るのでは危険だから、と。この文章の辺りは、物語上の「侍女」というよりもアトウッド本人が語っているようにも思えてきます。たぶんだけど、この前に出てきたポルノ雑誌を燃やすシーンは実際にアトウッドが目撃したのではないか?そういう現実を見てアトウッドは何かを「複数のあなた、匿名のあなた」そう、世界に語らずにはいられなかった、のではないかと。 アフガニスタンなどの女性たちも、ひょとしたらこのような心理状態ではなかったか?と考えました。 以上です。 (2011 03/13) 待つことについての文 主人公が置かれている現在の社会の仕組み、それから主人公が遭遇した過去の回想、そういうものがわかってきてそこから立体的に物語世界が立ち上がってくる。 当時の画家はハーレムに取り憑かれていた。・・・(中略)・・・それらの絵はエロチックだと考えられていて、わたしも当時はそう思っていた。だが、今のわたしにはそれらが本当は何の絵なのかがわかる。それらは仮死状態についての絵、待つことについての絵、使われていない人間についての絵なのだ。倦怠を描いた絵なのだ。(p131−132) 19世紀の絵画についての新論? アングルの「トルコ風呂」とかからマネの「オベリスク」(だっけ?)辺りの絵を指しているのかな? こういう指摘は初めて。それだけに同じ絵でも女性が見ると違うものになるのだなあ、と認識。ハーレムの女性達は常に支配者である男性を待っている。それはこの小説の設定とも合うのだが、「使われていない人間」ともなると、そういう視点を越えてもっと一般的、現代社会全体にも当てはまりそうだ。 主人公(上記の設定を強調するように「オブフレッド」(フレッドのもの)という名前がつけられている)は、自分で何かをすることに意義を求め始めている。 小説の文体というか語り口(最近この言葉多用し過ぎている気がするのだが)は現在の物語の流れと、過去の回想(子供をさらわれる)と、内省とが入り交じって進む。今日この後読んだ「ベンヤミン」の歴史論・・・均質的な時間の流れから切り離された「現在」から「過去」の声を聞く・・・というものの具体例かのように響く。 (2011 03/16) 空を見すぎて… えーっと、「侍女の物語」ですが、物語内の現在の隔絶管理社会と、それから過去の(ということはこれを書いたアトウッドの現実を反映した)回想が平行して進行しています。んで、今日は回想のところから… 主人公の母親は女性解放運動の闘士という設定で、その娘(つまり主人公)夫妻といろいろ揉めたこともあった。そんな中の母親の言葉に、標題のようなのがあります。母親(すなわちアトウッド??)曰く、男なんて地から浮いているオマケみたいなもの。なぜなら、空を見すぎているから…空というのは未来ということでしょうか…昨日のベンヤミンの歴史論も思い出させます… 男全てがそうではないのだろうけど、自分には当たっている気がするなあ… ところで(この言葉でいいのだろうか…)、物語内現実では、侍女の一人(主人公ではない)の出産シーン。今まで説明してなかったけど、侍女とは要するに代理母ー子供を産むだけで、産んだら依頼人に子供を引き渡すーというもの。それがこの架空管理社会ではカーストみたいになっているわけです。 (2011 03/17) 動きが出てきた「侍女の物語」 人を人間らしいと思い込むのはすごく簡単なものだ。わたしたちはその誘惑にのりやすいものだ。(p268) これはナチ幹部の妻の話から。自分は全くすぐ信頼してしまうタチですが、ふむふむ「誘惑」とはね。 というわけで、「侍女の物語」はいろいろ動きの種が出てきました。ストーリー的には、主人公オブフレッドの「主人」である司令官が、主人公に非公式な触れ合いを求めてくる(そこで出てくるのがスクラブルという言葉ゲームなのが可笑しい)とか、主人公の買い物パートナーである同じ侍女のオブグレンから地下組織の話を持ちかけられたり… そんな中、メモすべきは、司令官の妻の庭の記述(これまたベンヤミン的)、昔のファッション雑誌から連想される鏡に無限に映る像の記述、「救済の儀」(っていうけど要は公開処刑)に関しての可能性の記述(そこにさらされていないだけで不安に感じる)などなど。 こういう世界が現実化しないことを祈ります…ってか、アフガニスタンなどでは現実だったんですけどね。うむ。 (2011 03/19) 言葉の逆流と夜の闇 もう長いあいだ誰ともちゃんとした会話をしていないので、言葉がわたしのなかで逆流するのが感じられる。(p339) これはこういう特殊状況でなくても、日常生活で感じられるところ。普通には「言葉を飲み込む」とか表現しそうだけど、「逆流」だと流れていったサキが気になりますね。 それから、夜の闇について。第11章「夜」(ちなみに、この小説の奇数章は全て「夜」という名前がつけられていて、比較的短く、主人公が夜に回想したり考えたりする内容になっています)の始めに… どうして夜の闇は、日の出のように昇ると言わないで舞い降りるというのだろう? 日没のときに東を見れば、夜の闇が舞い降りるのではなく、昇るのが見えるというのに。(p349) と書いています。今度見てみよっと…それはともかく、人々が「闇」と名付ける様々なものは、実は人間生活に端を発して訪れる…とこの文章から自分は考えました。 ふむ。 その他… その1、この架空管理社会はクーデターによって成立したのだけど、それを容易にしたのがお金のカード化らしい。今の世の中でも進行中の… その2、これはこの小説では避けられないテーマだと思うけど、クーデターが起こって女性の資産が全て近親男性に移行するということになった時、主人公の夫は早くも女性保護者的発言が出てしまったという場面。これ読んでいる時には、全く男ってのは…と笑えますが、実際にこんな考え→こんな社会になるのは容易に起こりうる…ということなのですね。だからアトウッドが物語を書き続ける理由もあるわけで… (2011 03/21) ジョブとタバコ さて、「侍女の物語」も残り1/3くらい。ここらへんまで来ると一気読みの衝動にかられますが、こういうところこそ落ち着いて読み進めましょう。何か穴ボコ見落とすかもしれないから… で、標題ですが、まずジョブの方。この架空管理社会ではもちろん女性は仕事を取り上げられてしまったのですが、そこから「ジョブ」という言葉の連想が続きます。それによれば、仕事という意味の他にしつけの悪いネコかなにかがトイレじゃないところにしちゃった「粗相」という場面でも使われるみたいです。一方では聖書のヨブ記。ヨブはJOB。 さて、タバコの方ですが、主人公オブフレッドは司令官の妻セリーナ・ジョイからある取引の報酬?にタバコを1本(もちろんこれも取り上げられている)もらいます。自分の部屋に向かいながら主人公はタバコを吸う感触を想像します。前に言った、女性作家には感覚の鋭い人が多い…というのも何かの決めつけになるのかな…でもやっぱりこの人は鋭い。うむ。結局、主人公はタバコを吸わずにマッチをとっておいたのか…書いてない…伏線に違いない。うむ。って、前にもそんなふうに考えて全然違ったこともあったっけ。 ちなみに「ある取引」が何なのかは小説を読んでのお楽しみ。 (2011 03/23) 女性地下鉄道 えと、「侍女の物語」ですが、いよいよ読了間近か?今400ページ台。今日のところは、やっぱりこういうところにはある「特別なグラブ」。司令官などの権力者が主人公オブフレッドを連れてきたのは、そういうグラブ。そこでかっての悪友モイラに再会し、その脱出失敗記を聞く。そこで出てくるのが標題にある「女性地下鉄道」。これはかって黒人奴隷の逃亡を助けた組織の存在をふまえているそうです。結局モイラは国境で捕まってしまうのですが、それは現在のメーン州辺りに設定されているらしいです。 (2011 03/25) 「侍女の物語」ディストピア小説でない小説との比較論 待つのもこれが最後なのかもしれない。でも、わたしは自分が何を待っているかわからない。(p527) 「侍女の物語」読み終わり。最後の章の「夜」(200年後の「注釈」除く)の冒頭部分から。ひょっとしたら、架空管理社会・ディストピア物語という外観に惑わされるけれど、この作品「女性主人公のタタール人の砂漠」ではないか?という気もする。それはラストシーンがそう感じさせるのか? で、「タタール人の砂漠」の主人公や、この間のサヴィニオの小説の主人公みたいに男性主人公は家を出て何か何処か駆け抜けていくけど、女性主人公は「待つ」?? この小説内のモイラなどは駆け抜けていくけど、より一般的(というべきかどうか)にはこの主人公みたいに「待つ」。そして闇の中か光の中へ。要するに死へ。ということか? で、この物語の語りが入ったカセットテープ(この小説は1980年代に発表された)が発見され学会で発表される、という「注釈」。ここは「語り手の言葉が届かない皮肉な結末」ということを前もって知っていたけど・・・うーん、なんだか、こういう学会の論調にアトウッド自身は批判を込めている、のはわかるが、これはこれで仕方がないんじゃないか、とも思う。でも語り手の声が伝わらないので読み手としてはもやもやしたものが残る。「過去の声を聞け」というのはベンヤミンだが、それは相当の想像力(創造力も)ないと聞こえてこない・・・んだなあ。 (2011 03/28)
0投稿日: 2011.03.29
powered by ブクログ代理懐胎そのものはもうびくともしませんが、舞台設定が素晴らしいです。いやあもう、ぞっくりとさせて頂きました。
0投稿日: 2010.12.26
powered by ブクログ一般・・・なんだよね? SFディストピアもの、に分類してもいいな。 しかし、アトウッドのフェミニズムというのは過激だと思う。
0投稿日: 2009.11.03
powered by ブクログ「侍女」が語るその話は、絵空事のようでもあるが、不思議な現実感を伴い、ずるずるとその世界に惹き込まれてしまう。読んでいる自分までもが、彼女とともに息を潜めて、監視と密告と処刑に怯える気分になる。21世紀初め、クーデターにより政権を奪われたアメリカでの話しという設定。。出産率の異常な低下に危惧をおぼえる新政権は、全ての女性から仕事と財産を没収し、妊娠可能な女性を「侍女」として保護し、監視・教育する。国家資源となった彼女らは、エリート層の司令官宅へ、子供を生むために支給され、ひたすら妊娠を待つ。語るのは「オブフレッド」という名の侍女。彼女たちは、身分財産はおろか、名前も奪われる。「オブフレッド」とは、フレッドのもの、という意味。他の侍女も「オブグレン」や「オブウォーレン」となる。人は、名を奪われて支配される。「千と千尋の神隠し」と同じだなぁ、と思ってしまった。最後に「歴史的背景に関する注釈」というのがある。これは、「あとがき」のつもりの注釈なのかと思っていたら、違っていた。22世紀、さる学会において、この「侍女の物語」の発見の経緯や、研究について教授が発表している様子を描いている。読者の疑問に、研究者が歴史的に読み解こうとしている。キリスト教原理主義など、細かいことはわからないけど、この「注釈」まで含めて、全てが「侍女の物語」になるのだと。ショッキングな内容ではあったけど、大変におもしろかった。時間をあけて、また読み返してみたいと思った。
0投稿日: 2009.10.27
powered by ブクログなんで こんな風に 変な世界になっちゃったんだろ?こんな世界で暮らすのはいやだなと でも じつは ある日突然 世界ってこんな風に変わっちゃうのかも知れない
0投稿日: 2009.05.11
