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恍惚の人(新潮文庫)
恍惚の人(新潮文庫)
有吉佐和子/新潮社
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総合評価

186件)
4.2
59
83
28
0
0
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    50年前に出版された本だが、認知症の行動、老人介護の家族の苦労は、昔も今も同じだと感じた。 舅の茂造を介護する嫁の昭子の気持ちは痛いほどよく分かる、その反面夫の信利はずるいと思った。親の介護は嫁がするものといった封建的な風習だからだ。 現在デイサービスなどがあるが、この本のなかでは健老会館での老人クラブが前身だったのか。 茂造は最後、言葉を発さなくなった代わりにニコッと笑うのに可愛さを感じた。

    0
    投稿日: 2025.12.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    共働きの夫婦が認知症という言葉もまだない時代に自宅介護をして看取るまでを描いた作品。 登場人物の考え方にはさすがに時代を感じたが、老人ホーム等の施設に簡単には入れないというところは変わっていない。今の時代に家でお世話するのが本人にとって一番幸せだなんて福祉関係者が家族に言おうもんなら訴えられそう。 旦那さんはほとんど何もしないのに一人で頑張るお嫁さんは本当にすごい。普通なら夫婦関係もっと悪化しそう。 割と早めにおじいちゃんがなくなったから自宅介護でなんとかなったけどこれがもっと長引いて更に状況が悪化したらと考えると本当に地獄だと思う。自分が認知症になって何も解らなくなったらと思うと、尊厳死とかリアルに考えてしまう。 ロスト・ケアとテーマが重なる部分があって、いくら考えても答えの出ない問題。人間ていうのは本当によくできた作りをしているのに老いるという問題はまだ解決できない。 老いて死ぬのが自然の摂理であり美しさでもあるけど、美しく終われない場合があるので難しい。人類はいつか永遠に若々しく生きられるようになるだろうか。死にたいと思った時に死を選択できるような。そういうSF小説はきっとあるだろうな。

    0
    投稿日: 2025.12.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    初版は昭和47年、1972年。50年以上前。 男は外で働け、女は家庭を守れ、という風潮が当たり前だった時代に法律事務所で働く女性、昭子目線のお話。まずはそんな「女は働くもんじゃない」みたいな思想が当たり前だった時代に、形を変えながらも仕事を辞めずに働き続けた昭子、すごすぎる。強い。 そして、本筋は昭子の舅が今でいう認知症になり、介護をする日々を描いたお話。 認知症という言葉は出てきていない。刊行より後にできた言葉なのかな。 50年以上前の作品とは思えないくらい、生々しい。50年経った今も、現状はほとんど変わっていないんじゃないか!? あと何十年もすれば、まずは昭子側、介護する側の誰がどこまでやる問題に自分も直面し、そのあとまた何十年もすれば、今度は茂造側、介護される側のどこまで世話になるか問題に向き合わざるを得ない。現状の日本社会に生きるものすべてにとっての近い将来の現実的で避けたくなるような問題をダイレクトに書いている。 正直、こうはなりたくないな、、、と思いながら読了。そして、作中でも昭子や家族が言っているように、意外といざ死ぬ時ってあっけらかんとぽっくりしているもの(自己解釈あり)っていうのにも本当そうだよなぁと共感。 あと50年経った時これを読んで、どう思うだろうか?

    0
    投稿日: 2025.12.04
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    主人公である昭子が今の自分の立場に似ていることが共感が持てた。もちろんすべて似ているわけではないが、老いを看る側や看られる側の感情のもつれを有吉佐和子らしい文章でつづっている。「彼は終わった人間なのかもしれない。ガンも高血圧も心臓病もくぐりぬけ、長生きした果てに、精神病が待ち構えているとは。」という文が心に刺さった。

    0
    投稿日: 2025.11.25
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    凄い迫力ある内容だった 現在は昭和の時代より介護制度は整えられ、介護の考え方も変わってきたけれど、長生きになって認知症になる人も増え、しみじみ老いていくのは大変だと実感している  当時とはいえ、信利のような夫には腹立たしさしか感じないし、役所の指導も正論であっても介護する人の心には全く寄り添えていない 茂造の介護をやり遂げた昭子を、ただ褒めるとか労うとかいう気持ちにはなれない 家で看取ってあげられたのは、感慨もあるし達成感もあるだろうけど、だからといって解決にはならない 介護は綺麗事ではない 死に方や老い方は選べないけれど、頭を使い、体を鍛えて、何とか認知症や寝たきりにはならないようにしなければと自分に言い聞かせるばかりです もし長生きしてしまって、家族に負担がかかるようになったら、施設に入れるように貯金しておきます(笑)

    2
    投稿日: 2025.10.20
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    昭和47年の本って。文庫も令和5年で72刷。 どれだけの人生の先輩達が読んできたのかと思うと、圧倒される。 年代の違う私でも、タイトルは知っていて、昔って認知症って言葉はなかったなとぼんやり考えた。 惚ける前に散々イビられた舅に対し、一命を取りとめたところで「今までは茂造の存在が迷惑で迷惑でたまらなかったけれど、今日からは茂造を生かせるだけ生かしてやろう。」と、主人公昭子が決意するシーンも凄みを感じる。 今は情報過多になって、自分が迷惑をかけないように終わっていくにはどうしたらいいのか、不安を抱えるばかり。

    1
    投稿日: 2025.10.12
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    毎日の楽しみだった。 主人公は立派だったから楽しく読めた。 本来ならそんな事を言ってはいけないのだが。

    0
    投稿日: 2025.09.15
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    親を持つ人なら誰もが直面する介護。徐々に変わっていく(戻っていく)茂造の姿が自分の親と重なり不安になっていく。茂造の義理の娘の昭子は、協力的でない夫に不満を持ちながら介護を行う。描写を読むとかなり献身的な対応をしているが、今の時代なら昭子の思う程度の不満でこなせる人がどれだけいるだろう。昔の作品だが、介護をめぐる家族の現状は今も本質的には変わっていない。

    2
    投稿日: 2025.08.25
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    高齢の義父とその周りの家族のお話。 有吉佐和子先生の本、2冊目完読。 高齢者との生活の大変さを、リアルに表現されている。 ストーリーは、突然の義母の死から始まる。 それと同時に舅の認知症状に悩まされる話。 恍惚の意味は、さまざまで心奪われるや朦朧とするの他に、ボケとあり、認知症の意味なのか。 1972年の作品で、この頃はまだ認知症と高齢化社会などという言葉も表現されていない時代。 今では、支援センターや、役場に行けば相談に乗ってくれるところもあるが、この当時は、すっかり見放されてる感が切ない。 舅の世話に追われながら、家事や仕事をこなす主人公の嫁に感心した。こんな嫁は、今も昔もいないだろう。小説だから、綺麗に仕上がっているが。 しかし、このお爺さんも幸せな余生を送っただろうなぁ。こんな風に変貌するくらいなら、長生きしないでねと主人公の息子が投げる言葉が印象。 ホントにね。身体元気でも、脳がこうなるとやるせないよね。 しみじみと老化現象と家族についての過程の話でした。

    11
    投稿日: 2025.08.20
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    有吉佐和子『恍惚の人』。 姑が急死。離れに住んでいる舅・茂造の老人性痴呆に。共稼ぎの嫁・昭子は義父の介護に追われることに。 しかし夫・信利は実の父にもかかわらす、介護に及び腰。『俺もこうなるのか』という始末で、息子・敏以上に役立たず。 敏も、『パパもママもこんなになるまで生きないでね』と… そんな中、昭子はほぼ一人でその役割をこなしていく… 昭子には頭が下がる。 働きながら、義父の介護をするなんて… 信利にはもう少し、昭子を助けるつもりはないのか、自分の親なのにと、思ってしまう… が、自分ならどうだろう⁇ 仕事を抱えながら、親の介護ができるだろうか⁇ 少なくとも、昭子のようにはできないだろう。 老人福祉の主事に逆らうようだが、老人ホームや病院、お金で解決できる道を選ぶだろう。 こちらの生活もあるのだから… 昭子はこの時代の人には珍しく、共働きで、周りの人にも恵まれていた、金銭的にも、環境的にも。 この時代、ここまで柔軟に対応できなかっただろう。 昭和40年代後半の話であるにもかかわらず、まったく古さを感じない。 この頃から老人介護が問題になっていたなんて。 50年経った現在でも、状況はまったく変わっていない。 高齢化がさらに進んでいるにもかかわらず。 政府は何をやっていたのだろう… 考えさせられる作品だった。

    13
    投稿日: 2025.08.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    小説というより事実が淡々と描かれているという印象だった。 いじめられた舅の介護なんて絶対にしたくないと思うが、その心境の変化が興味深い。 楽になったと思ってもそこからまた新たな問題が湧き出してくる... 働くこと、介護すること、女性とは... 色々と考えさせられ、またなにも理解できてなかったと思い知らされた。 母に読ませてしまったけど、どんな風に感じたかな? 読ませるべきでなかったか...

    0
    投稿日: 2025.08.17
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    昭和47年に刊行され、昭和57年に文庫化されたこの本だが、古いと感じることなく響いてくるのは、誰もが老いに直面するからだろう。 仕事帰りに買物をして帰る途中に義父を見かける昭子。 何処へ行くのか呼び止めて一緒に帰宅するのだが、離れに住んでいる義父は家が見えてくるなり一足先に中に入る。 そのあと再び、台所の硝子窓を叩き、婆さんが起きてくれずお腹が空いたと言う。 離れを見に行くと義母はすでに亡くなっていた。 それ以降、義父は痴呆が進み昭子が仕事をしながら介護していくことになる。 息子である信利は、自分もこの先こうなるのか…と思うと直視できずにいた。 ひとり息子も受験生ながら敬老会館の迎えなどを手伝っていた。 家庭崩壊にならなかったのは、昭子の強さと頑張りだろうか。 始めての介護とは思えないほど茂造老人に寄り添い 献身的に尽くす姿に感嘆する。 認知症であっても家で居られるのは幸せなのかもしれない、本人はわかっていないのかもしれないし、何度も何処かへ出て行くとしても戻ってくる家があって、家族がそばにいればいいのかもしれない。

    73
    投稿日: 2025.08.04
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    昭和47年に刊行されたという本作 もう50年以上前に書かれているというのに現在にも続く少子高齢化、老人福祉政策の問題にびっくりする 敷地内同居をする義母が亡くなり、残された義父の老人性痴呆に気付いたところから物語が始まる 主人公の昭子は当時においては少なかったであろうフルタイム勤務 子どもは高校2年生で受験を控えている 夫は父親の老いた姿を自分と重ね合わせ、目を背ける そんな中、ボケる前には昭子を虐められていた義父茂蔵を介護することになった この時代、夫は何もしないものであり、労いの言葉さえもなく女が全てを背負うのが当然という雰囲気 専業主婦が多かったのでそういう風潮だったのだろう 今は共働きが多く、育児も介護も手分けして行うことが多くなってきていることは良い兆し 息子や職場の若い娘は介護の必要になった祖父らを見て こんなになってまで生きたくないと老人に冷淡だが、それはある種他人事だから 自分も老いるということがまだ真に迫っていない 昭子や夫は自分もいつかそんな老人になるということをひしひしと感じ恐怖する 私も今、昭子の年くらいになったことでこの話を興味深く読んだけれど、若い時分にはやはり他人事だっただろうなと思う 物語の中の話としか思えなかったかもしれない あと50年後、この話を読む人はどう感じるのだろう?

    0
    投稿日: 2025.07.15
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    祖母から借りた本である。 茂造さんの死を心待ちにしている自分もいた気がする。なのに、なんでだろ。なんでこんなに泣きそうになっているんだろう。 急いでタリーズを出ます。

    14
    投稿日: 2025.07.12
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    認知症になってしまった義父の介護や避けては通れない身内の葬式などを描いた小説。 何もしない夫への不満とか、義父から虐められた過去の思い出とか一筋縄ではいかない感情が描かれていて良かったです。 高校生の息子がすごくよかったです。斜に構えた若者なのですが、不器用ながらに母へも祖父へも愛情のある態度がよかったです。 50年以上も前に書かれている作品らしいですが、文章も読みやすいし高齢化が進んでいる現代に読まれるべき名作だと思います。

    16
    投稿日: 2025.05.26
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    実に50年以上前に書かれたのに、まったく古びない、むしろ今日的であることに驚きながら読了。 介護保険が登場したけれど、親や近親者のボケを目の当たりにしたり介護することの辛さは変わらないということか。 働く女性の大変さもあまり減じていないように感じる。 介護を担う昭子寄りの視線ではあるが、夫、息子など複眼的な視線も描かれるために、そこはかとなくユーモアが漂うところがすばらしい。 二箇所ほど酸鼻を極める描写があって、寝しなに読んだもので夢の中に出てきた。 ずば抜けた筆力なのに、文壇であまり評価されなかったのは、才能があり過ぎたから嫉妬されたのではないか、とさえ感じた。

    1
    投稿日: 2025.05.24
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     この本『恍惚の人』は、1972年に刊行された作品である。実に50年余前の作品。発表当時、「恍惚」という言葉が流行し、この時代はまだ認知症という言葉が広く普及していなかった。日本では、「痴呆」と呼ばれており、2004年に厚生労働省の用語検討会により、「認知症」への言い換えが求められる報告がまとめられた。本書は、有吉佐和子が社会問題に鋭く警鐘を鳴らすために書き、多くの人々の注目を集めた作品である。彼女は、社会に影響を与える書籍の力を示した。『複合汚染』を生み出し、そして続いて本書を生み出した。実に巧みでセンセーショナルな編集能力を持っている。  本書の時代背景において、平均寿命は男性69歳、女性74歳とされていたが、現在では2025年では、男性83歳、女性89歳と大きく伸びている。老人の元気さも著しいものがあり、本書の登場人物である茂造は84歳であり、当時の感覚では死んでもおかしくない年齢であった。  物語は2世帯の暮らしを中心に描かれる。昭子は弁護士事務所に勤め、夫の信利は商社に勤務、大学受験を控えた息子の敏とともに暮らしている。一方、自宅の離れには信利の両親である茂造と妻の多恵が暮らしていた。茂造は昭子に対して口やかましく接することがあったので、彼女はあまり関わろうとしなかった。だが、茂造の妻は美容院から帰った離れで、倒れて死んでいた。やがて、茂造の認知症の症状が家族に明らかとなる。茂造は自分の息子信利や娘さえも記憶できず、昭子と敏だけは認識していた。  通夜や葬儀は昭子にとって初めての経験であったが、近所の人々の助けにより、なんとか滞りなく執り行われた。近隣の人々との密接な人間関係が作品の背景に描かれている。まだまだ昭和の東京の下町風情が色濃く出ている。  茂造はとにかく空腹になり食欲が旺盛であった。信利は呆れるとともに、自身も将来同じ状況になることを心配し、ただ見守るだけであった。家族の住んでいるのトイレになかなか慣れず、庭に夜尿をさせることもあった。これは昭子にとっても心配の種であった。茂造が夜中に起きて夜尿する姿に、昭子は、息子や夫に知らせるをためらった。2階に昭子は寝ていたが、1階の茂造の寝ている横に布団をひいて寝るようになった。  茂造は次第に記憶を失い、早い歩行で徘徊をする。理由は本人にもわからず、追いかける家族も苦労した。夜間、排尿のために起きることが増え、睡眠薬を処方する。よく眠れるようになったが、おむつの使用も必要となった。医療用として老人用の紙おむつが販売され始めたのはこの頃であるが、国内での本格的販売は1980年代とみられる。また、信利のことを暴漢だと思い込むようになり、暴漢が来た警察に知らせろという始末。信利が暴漢でないと茂造に納得させる努力をやめている。  昭子は茂造のために老人クラブを探し、利用させようとする。老人クラブに参加することで、茂造は色っぽいおばあさん(90歳超え)に世話をされるようになる。茂造はガタイが大きく格好良さもあった。しかし本人はぼんやりとした状態であり、最後にはその色っぽいおばあさんに振られてしまう。哀れさとともに、身につまされる思いを抱いた。  茂造は昭子に対して「昭子さん」と呼んでいたが、次第に「モシモシ」と呼ぶようになる。昭子さんという言葉も忘れてしまうのだった。また、離れに若い学生結婚した大学院生の女性エミさんが面倒を見るようになり、エミさんには特に懐く。顔立ちはやわらかく笑顔を見せるようになった。昭子は驚きとともに、その変化に心動かされた。以前は厳しく怒る茂造しか見ていなかった。家事をこなしつつ茂造の介護に当たる昭子の姿は、まさに神がかり的であり、老人介護の過酷さを痛感させられる。  老人介護について、さまざまな検討を重ねるうちに、適切な老人ホームや福祉制度の不足を痛感し、結局は自宅での介護を続ける決断をする。だが、茂造は目を離したすきに風呂場で溺れかける等、生命の危機に瀕する出来事もあった。この経験を通じて、昭子は自らの未来の老後や家族の在り方を見つめなおす。  人が死ぬことは避けられないものであるが、認知症という精神的疾患の怖さを強く考えさせられる。2022年の統計によると、日本の認知症患者数は約443万人、患者の割合は約12.3%、高齢者の8人に1人である。軽度認知障害も含めると、その合計は1000万人を超え、高齢者の3〜4人に1人が何らかの認知症またはその予備軍に該当する。この現実は、がんのリスクを超えるといえるだろう。自己管理が困難となる「恍惚の人」が増加することは、まさに大きな問題ともいえる。団塊の世代が、認知症にどんどんなっていく時代を迎え、街には徘徊する老人が激増するのだ。考えてみても、老人ゾンビ時代と言えそうだ。『恍惚の人』今読んでも怖いホラー小説である。

    4
    投稿日: 2025.05.18
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    40年も前の本ですが、現代にも通じる介護の話。 介護をしていく主人公のエネルギッシュさには感心しました。まだ若いからできることかも。寿命が延び、介護をする人の年齢が上がると、介護の負担も一段と大きくなるなぁと思いました。

    0
    投稿日: 2025.05.05
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    ■評価 ★★★★☆ ■感想 ◯50年前の本なのに、書かれている内容は今でも通用する ◯前半から中盤にかけて終わりが見えない感覚は、どんなディストピア小説よりも怖かった。 ◯情報が歯抜けになり、会話がうまく噛み合わなくなる状態は、痴呆では顕著。一方でいわゆる健常者の大人でもありうるんだろうなと思った。世代をまたいだ人から見ると、上の世代の人は健常者であっても要介護という見方もできる。この構造はすぐに自分も下の世代からされるものだと思う。 ◯有吉佐和子の作品は内容もだが風景の表現、色の表現など、リアリティが本当にすごい。 ◯最後の昭子の涙は、非常に複雑で人間的なものだったと思う。それが浄化されるカタルシスは、読者と将来の介護者に希望を与えるものだろうと感じた。

    0
    投稿日: 2025.04.14
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    若い頃読んだ時も大変だなあ、と思いながら読みましたが、今読み返してみて、とてもリアルだし自分ごととして胸に迫ってきました。昭子さんはとても立派で、なかなかここまでできないよなあーと思ってしまいますが、昭和の主婦は皆こんな感じだったのかも…とも思います。 同じ本でも読む時期によって感じ方が変わってくるな、と思いました。

    1
    投稿日: 2025.04.06
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    2025年12月の「100分de名著」で採り上げられた有吉佐和子の小説から『恍惚の人 』を読みました。まだ「介護」の大変さがあまり注目されておらず、家庭の主婦(妻や娘や嫁)に当然のようにその負担が押し付けられていた時代、声を上げず、ひたすら忍従・献身していた主婦たちの負担は如何ばかりだったか、その苦労がしのばれます。「会社で仕事をしている」ことを免罪符に、家事・育児・介護等面倒な雑務をすべてを妻に押し付け、知らん顔をしていた当時の男性の愛情・協力の欠如、愚かさは、もしその通りだとしたら最低!今の男性はそうではないと思うが・・・。

    0
    投稿日: 2025.03.07
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    人ごとではない話。でも、あまり自分ごととして考えたくない話でもあった。老人介護、これからの高齢社会をみんなでどうしたらいいのか考えていろんな人が生きやすい世の中になったらいいけれど…。

    13
    投稿日: 2025.03.02
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    自身の親の介護(頭はしっかり、身体が動かない)を思いつつ、どちらが幸せなのか…と複雑な思いで読んだ。 また自分自身の老後についても深く考えさせられる。 別の視点では、昭和の主婦の忍耐強さ、負担の大きさ、生きづらさなど興味深く読んだ。

    1
    投稿日: 2025.02.17
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    認知症老人 ぼけ老人の問題は古くて新しい 抜本的解決など可能なのだろうか? 映画プラン75も冗談ではなくなるかも?

    0
    投稿日: 2025.02.10
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    「老い」「介護」「主婦」の3つ問題から、色々と考えさせられる部分が多くあった。将来の自分自身の「老い」に向き合わなければいけないことを考えてしまった。また、自分の親を「介護」するときがやってくることも考えられる。「主婦」が家庭を全うするのではなく、家族同士で協力し合っていきたい。

    2
    投稿日: 2025.02.03
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    2025.2.3 茂造の老いも凄まじかったが、昭子の何十年後かの自分の老いを意識する内容が、身につまされた。 昭子の人物像、心模様を鋭く書き上げている。 名作でをあり、ファンになった。

    1
    投稿日: 2025.02.03
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    読んでいて休憩挟みながらなんとか読み終わりました。なかなか苦しいですし怖いです。いつか必ず自分も通る道ですし、この本は大切に取っておいて自分も昭子のようになりたいと思いました。

    1
    投稿日: 2025.01.23
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    姑の突然死をきっかけに、舅の認知症に気づく立花一家。舅・茂造の世話をするのはもちろん嫁の昭子で、夫は役に立たない。 本書は、1970年代初頭を舞台にしながらも、家族の役割や介護など現代に通じる問題を鋭く描き出した作品です。 携帯電話はもちろん無く、和式トイレや火鉢が当たり前の時代ではあるけれど、昭子が仕事にしがみつきながら家事を奮闘する様子は詳細に描かれていますが、当時の暮らしを興味深く読むと同時に女性の役割に対して共感する場面です。嫁が割を食うなどの家族の役割は今でも変わらない印象です。 昭子の体力は限界になり、ホームに入れる選択肢を模索するなか、老人クラブの職員やケアマネージャーの「家族に世話してもらうのが一番幸せ」という価値観に読んでいるこちらも胸が苦しくなり、高齢者福祉に対する認識の変遷に思いを馳せました。 家庭に留まらず、あくまで社会での居場所も保ちつつ、家事や介護をがんばる昭子を応援しながら読みました。茂造がお風呂で溺れたことをきっかけに、嫌いな茂造の介護にふっきれた昭子。茂造を好きなだけ生かそうとするところから少し明るい兆しが見えたのが救いでした。 茂造の状態を、家族は「壊れる」と表現する一方で、「お戻りになる」と表現した医師の言葉が印象的でした。十分に生きたら、あとは戻るのが人間なのか。人間の尊厳の捉え方を考えさせられました。 作中では茂造の入れ歯や、息子の歯の治療についてなど歯に関する描写が多いと感じました。入れ歯を自分で制作するほどこだわった茂造も、認知症になってからは手入れをすることもなくなり、人間の尊厳を象徴しているようでしたし、歯の治療を進める信利も、老いが確実に近づいていることを暗示しているようでした。 50年前に書かれたとは思えない、その問題提起が現代にも通じる普遍性のある作品だとおもいました。

    10
    投稿日: 2025.01.20
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    「恍惚の人」有吉佐和子著、新潮文庫、1982.05.25 438p¥660C0193(2025.01.09読了)(2013.09.24購入)(2011.03.10/63刷) 【目次】 一~十六 解説  森幹郎 (「BOOK」データベースより) 文明の発達と医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき老人国が出現することを予告している。老いて永生きすることは果して幸福か?日本の老人福祉政策はこれでよいのか?-老齢化するにつれて幼児退行現象をおこす人間の生命の不可思議を凝視し、誰もがいずれは直面しなければならない“老い”の問題に光を投げかける。空前の大ベストセラーとなった書下ろし長編。

    2
    投稿日: 2025.01.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    100分de名著(2024年12月)に取り上げられた1冊。 この本を読んで今年亡くなった祖父のことを思い出した。認知症ではなかったが、最期は寝たきりになり、祖母や父、叔母が介護していた。祖父がこれ以上苦しまないように積極的な延命治療は行わなかった。最終的には老衰であったが、それでも「もっと長生きさせてあげたかった」と皆が言っていた。 最後のシーンの敏の台詞はドキッとしたし、鳥籠を抱いて涙する昭子の気持ちも痛いほど伝わってきた。

    2
    投稿日: 2024.12.31
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    老いの先にある壮絶な人生を垣間見た気がした。認知症の介護というのはこれほどまでに大変なものなのかと圧倒された。主人公の昭子の「茂造を生かせるだけ生かしてやろう」という肝に据えたところは、圧巻だった。今、自分にできることに向き合うことの大切さを考えた。昭和のベストセラーで名著。読んでよかった。

    7
    投稿日: 2024.12.18
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    1972年のベストセラーだそうだが、なるほど時代は古いものの、介護の教科書のような本だった。 日本の老人福祉に対する話は昔も今もさほど変わらず、自分の生まれる前のベストセラーなのに、この本の昭子のように自分の介護や老後のことを心配しながら読んだ。 ピンピンコロリできたらいいけど、こんな老人になったらどうしよう、迷惑かけたらとうしようと思うが、人それぞれに先はどうなるかわからない。 生き方の知恵とヒントをもらった気がする。

    33
    投稿日: 2024.12.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    老人問題を取り上げた小説は何冊か読んでいるのに、元祖であり大ベストセラーであるこの作品をまだ読んでいなかった。 心の片隅で、もう古いのではないかと思っていたのかもしれない。 読み終えてみれば、土下座して謝りたいほど、「現代の」老人問題が描かれていた。 時代的には、私の親世代の家庭であるが、昭子(あきこ)がフルタイムで事務員として働いているという状況は、当時では比較的新しい家庭であったのかもしれない。 優しかった姑が離れで急死した日、嫁の昭子は、舅の茂造の様子がおかしいと初めて気づいた。 症状が出始めたことを息子夫婦には隠して、姑が一人で面倒を見ていたのだろう。 姑は、狷介でわがままな茂造の看護婦か奴隷のようなものであった。 立花家において、執拗な嫁いびりは茂造の仕事で、姑が間に入って取りなしていたのである。 しかし、ボケた茂造は、意地悪も忘れ、昭子さん昭子さんと頼りにするようになる。 そこからは、認知症老人の迷惑行動見本帳のように、茂造は次々と段階を進める。 介護はもちろん地獄だが、昭子と信利(のぶとし)の夫婦は、茂造の姿に自分たちの行く末を思い描いて、むしろそちらに戦慄する。 高校生の息子・敏(さとし)は介護に協力的だが、「パパもママもこんなに長生きしないでね」と言い放つ。 「老人福祉指導主事」の、「老人を抱えたら誰かが犠牲になることはどうしようもない」という言葉も、今もそのまんまである。おまけにヤングケアラーの問題まで浮上しているから、現代ではこの小説の状況より悪くなっているのではないかと思うほど。 考えれば考えるほど、ズブズブと泥濘に沈んでいく心地がする。 自分だっていずれは老人になるのだから、という言葉は、きれい事であると同時に恐ろしい呪文でもある。 こういう場合、あまりにも定番すぎるけれど、「男は役に立たない」ということもやはり書いておかねばならない。 昭子の夫であり、茂造の長男・信利は、少しは手伝ってと言われて「二言目には、自分の親だろう親だろうと言うんじゃない、当てつけか!」などど逆ギレする。 後半、昭子が聖母のように見えてくるが、そうらやっぱり女性の方が介護に向いているんだなどと言う輩が出てきそうで、女を取り巻く状況はこの昭和47年(1972年)からほとんど変わっていないと思うのだった。 そう思うにつけ、この作品は、時代が変わっても色褪せない傑作と言わざるを得ない。

    6
    投稿日: 2024.12.10
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    厳格で寡黙な舅が痴呆になり自身の娘息子の顔も忘れ、糞尿も1人では碌にすることが出来ず醜態を晒す様がなんとも惨めで情けないものか。 このような実父に対して「死んでくれ」と願う家族。 己自身もこのように老い耄碌していく未来を嫌という程突きつけられていく。 世話を妻に任せきりで、言葉では謝罪をしていても自らは何も行動しない夫に苛立ちを感じた。 「ときどき、ぺちゃッ、ぺちゃッと舌が鳴る。蟹の殻が次第に積み上げられて行く。それは生きるための凄惨な儀式のようだった。」

    1
    投稿日: 2024.12.08
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    100分de名著で取り上げると知り、初めて読んでみた。 設定は出版と同じ1972年とか執筆時と思われる前年あたりか、と思う。主人公家族は共稼ぎの夫婦と高校2年の息子。敷地内同居していた姑が脳溢血で突然死して、遺された舅がボケているのに気づく。そこから始まる”嫁”昭子のボケた舅の介護奮戦記だ。まさに昭子の体を張っての、対舅との戦争みたいだ、と感じた。だが、カラッとした読み心地と読後感。昭子は体力・気力・思考力がある人に感じ、そういういわば少し理想形なところと、なにより”戦争”には終わりがある、というところがそう感じるのか。 雪の降る日に姑が突然亡くなり、それから舅のボケは大食、徘徊、失禁とどんどん加速していく。そして自分の息子と娘の名前は分からなくなっているのに、孫は分かっており、特に嫁の昭子だけはしっかり認識している。それを息子は「飼い主だと思っているんじゃないの」、となかなかに鋭い指摘をする。 夫はすまないとは思っているものの、夜中の排尿の世話や入浴をさせるのは昭子。息子はやがて通い始めた老人クラブへの迎えをしてくれる、などけっこう協力的。夫の妹も父の陰険さを分かっており昭子に文句をいったりはしない。しかも、早くケリがつけばいい、という意味のセリフを昭子以外の人にけっこう吐かせていて、まあ、有吉さんは心の内を表に出してみました、というところだ。しかし舅は、医者に「戻りましたね」と言われ、そのボケた状態の描写がコミカルでもあり、有吉氏はあくまで尊厳を持たせている。 小説の展開の中で、近所や夫の同僚の中にも寝たきりやぼけた親を介護している人達をたくさん登場させ、介護して初めて入ってくる老人たちの実態に気づかせる。そして舞台の東京杉並にある老人集会所の様子なども書き、当時の国の老人政策の実態と、その情けなさを書く。なんといっても施設にはボケ老人は入れないのだ。こうして読んでみると、今はボケても入れる施設もあるし介護保険が始まって本当に助かったと感じる。 出版は1972年、昭和47年なので、物理的な昭和感が興味深かった。離れの舅姑は石油ストーブは使わず、炭で暖をとっている。「十能」などという言葉が出て来てきてはるか彼方の記憶を呼び起こした。方や息子夫婦宅は共働きでもあり、昭子は家事の省力化のため乾燥機や冷凍庫を奮発して買い、土曜日にまとめ買い、まとめ調理で冷凍、洗濯も土曜日にして即乾燥機を使っている、こちらは当時としてはなかなかに進歩的。 また姑の葬式では、田舎では昭和の終わりくらいまでは葬式は近所の人たちが取り仕切ったのだが、ここ杉並ではそれは無く、喪主が寺に頼み、会葬者も老人たちの兄弟は亡くなっていて、甥姪には知らせていない。舅は東北の出で分家の身で息子の就職とともに東京にやってきた、という設定。なので会葬者は同居の息子一家、娘、嫁昭子の兄夫婦と、姑が仲良くしていた近所の3、4軒位なのだ。 家族設定は舅84才、姑75才、夫はおそらく50才くらい、主人公昭子は40代前半、そして息子は高校2年の設定。出版時の1972年から逆算すると、舅は明治21年生まれ、姑は明治30年生まれ、夫50才とすると大正12年生まれ、妻昭子が41才とすると昭和6年生まれ、息子は昭和30年生まれ。姑は75才で死んで「あら、平均寿命より1年余計に生きられたのね」と言われ、・・52年前は女性は74才が平均寿命だったのかと驚く。そして夫はシベリア抑留の経験者で、妻昭子は女学校で軍事訓練で蘇生法を習い、それが舅が浴室で溺れた時一命をとりとめることになる。有吉氏は昭和6年生まれで、嫁昭子には自身の時代感覚を投影させているのではないか、とも思った。 じいちゃんには少しやさしい高校生の息子が出てくるあたり、羽田圭介の「スクラップアンドビルド」に似ていると思ったが、こちらは男親と実娘と高校生男子、という設定。こちらを読むときは介護する娘の立場で読んでいたが、この「恍惚の人」だとその72年当時になり、高校生の息子の立場で読んでいるのだった。 1972.6.10発行 1972.8.26第20刷 の当時の単行本で読む。実は実母の遺品の蔵書にあったもの。47年9月に買ったと書き込みあり。

    13
    投稿日: 2024.12.03
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    昭和の小説。古い作品たまーに読むと面白い。 老いることが、歳をとるにつれて切実になっていく恐ろしさ。

    0
    投稿日: 2024.12.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2024年9月に51歳になった。翌月10月に母親が76歳を迎えた。「親の介護」という言葉について何となくぼんやり考えていた。ただただぼんやりと。そんな思いを巡らせながら手に取った一冊。有吉さんの著書は初めて。自分の母親が認知症になったら…というふわふわした気持ちで読み進めていった。

    3
    投稿日: 2024.10.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    8月中旬に買ってバスの中とか寝る前とかにゆっくり読み進めた。 戦後10年経った東京を舞台に「老い」を書いた作品。主人公の義理の母が死んでしまい残った義父が認知症になってしまう。認知症の義父の世話を1人で受け持っている主人公の昭子の視点から義父が亡くなるまでの日常(介護という非日常が日常になってしまう。)が細かい描写で記されている。 印象に残ったメッセージは、「人は誰しも必ず老いるということを皆忘れているのではないか」だった。自分も祖父祖母と接する時、時偶面倒くさいと感じてしまう。しかし、自分も必ずその立場になる。そう思うと高齢者を無下にしてはいけないと思う。 そして老いが生々しく描かれているからこそ老いることに恐怖を感じた。どんどん幼児化していく義父が最終的には喋らなくなり意思を持っているのかわからないが嬉しいときに屈託のない無言の笑顔を見せる描写にゾッとした。 いい作品だった。

    4
    投稿日: 2024.09.23
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    所謂「痴呆の老人」と、その介護にあたる、老人の息子の妻と、その家族が描かれる。 人間が生き物である以上絶対に避けられない「老い」。それに伴い生じる問題に直面し、苦闘する妻と、老人の生々しい描写は、読んでいて見につまされる思いがした。やがては介護する側になり、そして、やがては介護される側になるのである。 しばしば、主人公たちが、老人を見て、自分がそうなるのかと思いを馳せ、老いるのは嫌だなぁと感じる描写がある。どれだけきれいごとを並べても、それが正直な感想だよなあと思った。しかしながら、老いから逃げることはできないのである。 本書の問題提起でもあるが、この問題は家だけで解決できるものではない。人が幸せに生き、人が幸せに死を迎えるには、社会の力も必要であるが、本書が発売されてから40年近く経つ今も、介護の諸問題は解決されているようには見受けられない。 ふわふわ生きている中でやがて迎える現実を突きつけられ、読んでいてしんどかったし、考えさせられる一冊でしたね。

    2
    投稿日: 2024.09.19
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    有吉佐和子文学忌、佐和子忌 1972年 第7回新風賞 50年前の作品なのです 作中にある当時の平均寿命が  女性74歳 男性69歳 そんな時代の老人介護小説 同じ敷地内の離れに暮らす老義父母 元気だった姑が突然亡くなると 何かと嫁をいじめてきた舅の行動があやしくなってきた 食事に対する言動、突然の彷徨 仕事を続けてきた嫁は、自分の仕事にやりがいと収入を得ていた 当然辞めたくない 介護は嫁に任せきりの夫 手伝わない遠方の義姉 50年経っても 日本の介護現場の現状は変わっていない もちろん制度的には介護保険法が制定され 老人クラブ以外にも デイサービスやショートステイ等使えるシステムは増えてきたけど 同居していると 介護者ありとなり 家庭内の状況は、変わらない 有吉さんが表現する女性は、自立して頑張る人 この嫁さんもすごい働き者で 頑張って情報を集めて 仕事を減らして 介護を続けた 介護者が崩壊する前に 舅は亡くなりなんとなくラストは迎えられる 当時ベストセラーとなっていたということは 既に当時の日本で共感を呼んでいたのかな とてもよく手伝ってくれていた息子さんが こんなに長生きしないでねと言っていたのは 本心なんだよね

    93
    投稿日: 2024.08.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    50年以上前の作品であるのに、令和の時代の老後問題に大いに通ずる内容であることが驚きです。 会話文も多く、さくさくと読めました。リアルな会話、口調を表現されているからこその読みやすさです。 信利が自身の親でもあるにも関わらず、介護の一切を昭子さんに放り投げて、将来の自身の老いを憂いているのみであることにいらいらした。のんびり飲み会に行ったり麻雀をしたりしてる場合じゃない。自分だったら離婚案件かも、、 昭子さんが病んでしまわなくて、本当に良かった。 また、もし最終的に昭子さんが茂造の死を望んでしまったら、読者として辛い気持ちになってしまったと思う。彼女が割り切って面倒を見て、茂造が見捨てられることなく天寿を真っ当できたこと。「パパも、ママも、こんなに長生きしないでね」と言っていた敏に最後には「ママ、もうちょっと生かしといてもよかったね」と言ってもらえたこと。フィクションの綺麗事で現実はこう上手くいかないこともあるかもしれないが、救われた気持ちになった。

    0
    投稿日: 2024.08.21
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    姑の急死がきっかけか否か、舅が認知症になっていることを知った昭子家族。自分のことがだんだんわからなくなっていって、「退行」していく身内を見ていくのは辛いというかいたたまれない気持ちになりました。敏くんの「パパもママもこんなになるまで長生きしないでね」のいう一文に共感しかない。年齢を重ねれば考えが変わるかもしれませんが。半世紀前に出版されている作品なのに古さを感じさせないむしろ、令和になってもあんま変わってなくね…?となりました。あと妻(嫁)が介護の担い手に真っ先にさせられることが多い点も変わってない…

    0
    投稿日: 2024.07.17
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    1972年に出版された作品なので52年前の作品。が!しかし時を感じさせない内容でした。50年前に既に始まっていた老人介護問題が、現在も解決されていないことに恐怖を感じました(これから更に、医療は発達し高齢化社会は加速していくと考えると…更に怖い) 認知症の老人の介護はしたことないけれど、想像以上に大変だと感じました。軽度な痴呆なら介護できても、排泄物を食べたりという重度だと正直限界を通り越し私には難しいです。 人生100年…とかいいますが、ここまで家族に迷惑をかけるなら75歳くらいでポックリ死んだ方がよさそう(選べるならこの作品でいうお婆ちゃんの死に方が理想)「長生き=幸せ」でもないなあと改めて感じました。 読んでいて呆れたのは昭子の夫、信利。認知症の父をみていると未来の自分の姿と重なる…とか意味の分からない事を言い、介護に全く参加せずに昭子に任せっきりはありえない(私なら即離婚、誰の親ですか?って感じです)役立たず 笑笑

    2
    投稿日: 2024.07.14
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    長生きするということは本当に幸せなことなのだろうか?舅の介護をする嫁の昭子が、壮絶な介護生活の末にたどり着いた境地にそのヒントがあった。 「しっかり見届けてあげよう」 もしそう思えるのなら、お互い幸せなんじゃないでしょうか。 ボケ、徘徊、お漏らしなどは老化現象であるとともに、幼児退行現象でもある。 この世に生まれ、この世に尽くした後はこんな哀れな姿で老いて行くのかと思うとやるせないですね。 でも、これは誰もが直面することなんですよね。だからこの小説を全ての人にお勧めしたいです。

    10
    投稿日: 2024.07.14
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    1972年に出された有吉佐和子のベストセラー。ようやく2024年になって読んだ。もう50年も前の本なのに、親が認知症を発症してその後の生活がこれまでと一変した世界となる現実は全く変わらない。2000年に介護保険が実施されてホームヘルパーや訪問看護、そして介護施設も当時よりは選択できるようにはなってきている。しかし現在も介護人材のマンパワーは低賃金のままであることから貧弱なままで、問題行動がある高齢者の行き先はやはり精神病院のままだ。今後も財政的にも介護現場の働き手確保の面からも、認知症高齢者行き着く先が明るいものになりそうもない。昭子と敏しか認知できなかった茂造は正しく自分に向き合ってくれている人を認知できていたと描かれている。この有吉の視点は今もそしてこれからも人と人との関係性の本質を突いている。

    0
    投稿日: 2024.07.07
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    著者、有吉佐和子さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月20日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。和歌山県和歌山市出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナ。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 文明の発達と医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき老人国が出現することを予告している。老いて永生きすることは果して幸福か? 日本の老人福祉政策はこれでよいのか? ――老齢化するにつれて幼児退行現象をおこす人間の生命の不可思議を凝視し、誰もがいずれは直面しなければならない《老い》の問題に光を投げかける。空前の大ベストセラーとなった書下ろし長編。 ---引用終了 本作は、1973年に映画化、1990年と1999年と2006年にドラマ化されています。 当時のキャストを見ておきましょう。 1973年 立花茂造 - 森繁久彌(1913~2009) 立花昭子 - 高峰秀子(1924~2010) 1990年 立花茂造 - 大滝秀治(1925~2012) 立花昭子 - 竹下景子(1953~) 1999年 立花茂造 - 小林亜星(1932~2021) 立花昭子 - 田中裕子(1955~) 2006年 立花茂造 - 三國連太郎(1923~2013) 立花昭子 - 竹下景子(1953~)

    35
    投稿日: 2024.06.19
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    小説としては何の変哲もないものであり、「文学作品」というものではない。私は「痴呆症の家族を抱えた人たちのノンフィクション」というものとして読んでみた。そういう意味ではいろいろと考えさせられる。

    0
    投稿日: 2024.03.06
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    40年も前には介護サービスもなかったが、ここ(人格欠損)まで恍惚の人も身の回りには居なかったという記憶。 そういう延命治療もない時代に書かれたお話なので、とことん生かせてやろうという気持ちにもなれたのかなぁ・・・

    3
    投稿日: 2024.02.18
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    50年以上前に発行された本ですが、ここに描かれた困難さは全く解決されていないことに衝撃を受けました。登場人物の感情を残酷なまでに正確に映し出す文章が本当に素晴らしいです。

    0
    投稿日: 2024.01.14
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    昭和47年刊行された小説。空前の大ベストセラーだったらしい。 今でいう認知症の老人(老人性痴呆と書かれていた)を介護する息子の嫁。当時は老人ホームに預ける=親の面倒を見るという義務の放棄という世論だったことがよくわかる。50年後の今は施設やヘルパーが増えて介護問題がだいぶラクにはなった。公共の老人クラブはデイサービスの原型かな。いろいろ興味深い。

    11
    投稿日: 2024.01.13
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    有吉作品の代表作として押さえておきたかった一冊。 老人の問題に自分の行く末を見るから憂鬱になる。それがよくわかった。 身近な人がこうなったらどうするかを考えておくためにも、読んでおいたほうがいい。でも現実的には全然どうしたらいいかわからない・・・。

    7
    投稿日: 2023.12.18
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    老後のリアリティを突き付けられるお話。親にも自分にも老いはやってくる、、その時どうする??と。 女性の役割が随分古めかしいと思ったら、書かれた時代が一世代前でした。老いの現実は変わってないけれど。 少しだけ、心の準備ができたかな、、?

    0
    投稿日: 2023.09.27
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    譁??縺ョ逋コ驕斐→蛹サ蟄ヲ縺ョ騾イ豁ゥ縺後b縺溘i縺励◆莠コ蜿」縺ョ鬮倬ス「蛹悶?縲√d縺後※諱舌k縺ケ縺崎?∽ココ蝗ス縺悟?迴セ縺吶k縺薙→繧剃コ亥相縺励※縺?k縲り?√>縺ヲ豌ク逕溘″縺吶k縺薙→縺ッ譫懊@縺ヲ蟷ク遖上°?滓律譛ャ縺ョ閠∽ココ遖冗・画帆遲悶?縺薙l縺ァ繧医>縺ョ縺具シ?閠?ス「蛹悶☆繧九↓縺、繧後※蟷シ蜈宣??陦檎樟雎。繧偵♀縺薙☆莠コ髢薙?逕溷多縺ョ荳榊庄諤晁ュー繧貞?隕悶@縲∬ェー繧ゅ′縺?★繧後?逶エ髱「縺励↑縺代l縺ー縺ェ繧峨↑縺??懆?√>窶昴?蝠城。後↓蜈峨r謚輔£縺九¢繧九?らゥコ蜑阪?螟ァ繝吶せ繝医そ繝ゥ繝シ縺ィ縺ェ縺」縺滓嶌荳九m縺鈴聞邱ィ縲

    0
    投稿日: 2023.08.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    恍惚の人 著者:有吉佐和子 発行:1982年5月25日 新潮文庫 初出:1972年6月単行本(新潮社) いうまでもなく、昭和時代の大ベストセラーにして、衝撃作。1月か2月ほど前、何を考えたのかこの本をブックオフで探して他の本と一緒に購入した。これをどうして読もうと思ったのか自分が分からないが、もしかして、先月、「作家の証言~四畳半襖の下張裁判」で有吉佐和子の証言を読んで何かを感じたのかもしれない。 僕は、彼女はばりばり体制側の人間だと思っていた。80年代、「笑っていいとも」のテレホンショッキングに三木のり平が出演し、翌日のゲストとして有吉佐和子を紹介して電話をした時、彼女はタモリの服装を叱りつけた。三木のり平が何とかという国家系の芸術賞を受賞しているすごい人なのに、そんなレストランのボーイみたいな格好をして、失礼ですよ!と。タモリはその時、蝶ネクタイをしていた(ジャケットなし)。今ならとんでもない差別だと糾弾されかねない発言だった。 でも、機会があって彼女の発言なんかを読んでいると、結構、体制批判的めいたことも言っているので、そうでもないのかとも思う。「作家の証言」では、言論の自由を阻害するような裁判を厳しく批判していた。 この小説に関しては、もちろん読んだ記憶はないが、有名すぎるので話の内容は知っているし、もっとも有名な場面も知っていた。だから読んで新鮮さを感じるとしたら、1972年ってこんな社会だったんだなあという面だ。70年代はやっぱり反体制というか、文化的にも新しい価値観がどんどん入ってきた、〝ついこの前〟の時代みたいに思えているが、この本を読むとそれがまったくの錯覚で、随分と〝昔〟だったんだなあと思える。 平均寿命が、当時、男性69歳、女性74歳となっている。今や81歳を超えている男性がなんと60代だったとは。「男女共稼ぎ」という言い方も懐かしい。「老人ホームへ親を送り込むって気の毒」という台詞。「老人性痴呆も齲歯(むしば)も文明病、原始時代にはなかった」という医師の話。「今から何十年後の日本では60歳以上の老人が全人口の80%を占めるという」との解説。いずれも、当時はそんな考え、そんな言い方をしていたんだなあと感慨深い。 ******** 主人公:立花昭子(40代) 夫:信利 息子:敏(高校生) 姑、舅(茂造) 主人公の家族3人は夫の実家に住み、夫の両親は昭子と信利が負担して建てた離れに住む。小説は、姑が74歳で急死するところから始まる。舅が老人性痴呆であることがそれで判明する。舅は以前から昭子の悪口を言いまくり、意地悪をし尽くしてきた。姑も昭子に同情していたが、身勝手な舅をうまくコントロールしてきたこともわかってくる。 そんなにいじめられ、恨みがあるはずの舅の面倒を見るのは、嫁である昭子。夜中に起こされ、徘徊を追い掛け、疲労困憊で限界だったが、ある日、舅が肺炎で死が近い状態になったが、必至の看病で奇跡の回復を遂げると、逆に生きがいとなって最後の最後までしっかり面倒を見ようと決意する。 離れに間借りして住む学生結婚した2人の若者。考え方は生活の違いなど、その比較なども盛り込んでいる。日本語もさすがに鮮やか(一部、それってダブっているという表現もあったけれど)。

    0
    投稿日: 2023.05.30
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    1972年出版、売上194万部、タイトルである恍惚の人は当時の流行語大賞になったようだ。私はまだ生まれておらず、恍惚の人というワードは、ミドリカワ書房が歌う「恍惚の人」で知った。 徘徊が一般的な言葉でなかった時代、老人ホームや介護施設などの制度が少しずつ形作られていく時代、姑と舅の介護生活の始まりが描かれる。 重たい内容かと思ったが、悲壮感一色ではない。最後は衰退し、知能も幼児化した舅に息子の育児を重ねる場面もあり後半は穏やかな気持ちで読み進んだ。 また、登場人物の年齢、性別、職業等によって老化する事への捉え方の違いが面白い。 正直、私も、今の自分が恍惚の人になるというイメージは湧かない‥‥

    0
    投稿日: 2023.04.02
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    久方ぶりの再読。 現在とは取り巻く社会環境が全く異なっている感じは否めない。そりゃ当然です、それなりに皆取り組んでいるんですから。 でも、それでもここに書かれていることの本質は今もって深刻な課題として克服できていないんでしょう。そりゃそうです、ある意味生物としての人間の宿命の一面でもあるでしょうから、色々な思いが交錯して当然。 この本の当時与えたインパクトはまったく分かりませんが、時代を切り取るという観点でこの作家の能力は本物なんでしょう。

    1
    投稿日: 2023.03.02
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    1972年の作品で、文庫本の後書きが82年。50年前の作品なのに、後書きでも書かれているように内容的にはちっとも古くなっていない。老人性痴呆症は認知症として多くの人に認知されたが、対処方は50年前の小説と変わらない。小説内では昭和80年(2005年)に60歳以上の人口が三千万人を超え 日本は超老人国になっているとあるが、2022年には65歳以上が3600万人になってしまった。介護保険のおかげで家族の負担が減ったといっても、認知症老人を抱えた家族の狼狽ぶりは小説と何ら変わりないのである。年をとると人間は壊れる。壊れて先祖返りした人を神様だと思える境地に至る人は少数で、ほとんどの人は罪悪感を覚えつつ早く死んでくれることを祈るばかりだ。 小説内の昭子や信利のように、自分の親がそうなったことを見、自分がそうなることも恐れ慄くのである。

    1
    投稿日: 2023.01.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    まじでリアルで共感しすぎて辛かった なんか昭子の境地に行けなくて、だったら敏のまま無邪気な悪でいた方が楽だろうなーって考えながら読んでた自分おそろしーってなった

    0
    投稿日: 2022.12.10
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    昭和57年発行とは思えない。41年前。介護保険制度も整い、痴呆から認知症と呼び方も変わった。世間の認知度も変わり、施設に預けている人もいる。ホームヘルパーから介護士、ケアマネジャー資格が登場。 お漏らし、嫁を泥棒よばわりする事も世間に話せるようになり、NHKでは認知症特集まで放送。本屋に行けば認知症の方が見えてる世界や認知症の漫画までつんであるぐらいポピュラーに。 娘孫の顔を忘れても身体が丈夫というだけで介護1の父。 昨年夏から日課のウォーキングも行かなくなり、今年から一日中寝て過ごす状態。ご飯やおかずはあまりたべなくなる反面パンは布団の中で食べたり、風呂に2時間入ったり、トイレに2時間こもったり、とうとう去年から床屋に一度も行かなかった。着ている物は食べこぼしたしみだらけでくさく、同じ物ばかり着てた。他界1ヶ月前は固形物を食べなくなり、飲むゼリーOS1 お湯 ヤクルト、牛乳。点滴を拒み、布団の上で臨終した。おむつは2回しか使わなかった。がんでも病気でもなく老衰だった。 苦痛の顔は見た事がない。口をあけてぽかーんと逝った。命を使い切ったかのような感じ。 籍を入れただけの結婚と嫁の学歴が気に食わず、無視された出会いに始まり、スーパーで会っても顔を覚えてないせいか知り合いと間違え笑顔。妻に嫁だと耳打ちされると無視。嫌われたもんだ。三越へ行き、ラウンジでお茶しデハ地下で買い物して帰る。なんだか、私は笑顔で応対したが心から笑った事は一度もなかった。時間をやたらとメモしてた。不親切な思いやりない父のためにさ時間をさき下働き的な通夜告別式。私は私を褒めたい。 私は昭子の、ようには出来ない。施設に預けただろう。

    1
    投稿日: 2022.09.29
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    一気読み。昭和47年刊ながら、高齢化社会について考えるのにとてもよい小説。認知症を患った義父のケアをする嫁の昭子を通して、高齢者のケアがどんなものかがとてもよく分かる。我が事として考えるきっかけになった。

    1
    投稿日: 2022.09.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

     妻は、私に介護が必要になったらすぐ施設に入れると。頑張って、健康維持に努めなくてはいけませんw。遅れ馳せながら、有吉佐和子さんの「恍惚の人」(1972.10)を読みました。これが、50年前の作品とは。全312頁を一息に読了しました。老人性痴呆が始まり、息子や娘がわからなくなった立花繁造84歳、息子の嫁の昭子だけはわかって、昭子さん、昭子さんと。この小説は、ボケが進行していく義父と、働きながらも義父をしっかり面倒をみる昭子が描かれています。昭子さんが素晴らしいです!

    3
    投稿日: 2022.08.27
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    今年の6月5日にオープンした有吉佐和子記念館(和歌山県和歌山市)に先日訪れた。建物は氏の東京都杉並区にあった邸宅を故郷和歌山市に移したもので書斎も見学できる。しかし…あろうことか著書を一冊も読まずに来てしまい、帰宅後多くの方からオススメの作品を教えていただいた。「大変失礼致しました…」と氏に謝意を表しながら、その内の一冊から読むことにしたのである。 ある雪の日、仕事帰りの昭子は離れで暮らす舅 茂造が、コートも着ずにあてもなく雪道を歩く現場に出くわす。この茂造の様子がどうもおかしく、タイトルの通り恍惚としていた… これは言わずと知れた認知症だが、1970年代を生きる登場人物らを見ていると、老化によって発生する自然現象とでも認識しているように思えた。実際「認知症」という名前は2004年に銘打たれたものらしい。 単なる「耄碌(もうろく)」と見られていた認知症をただならぬ病だと捉えた著者の見識たるや……作品が長く受け入れられているのも非常に納得した。 発症前から昭子をいびり倒していた茂造を彼女が主体となって世話しなきゃいけないのがまず不憫でならなかった。息子 敏を除く家族・ご近所・老人向けレクリエーション施設や福祉事務所の職員とヘルプを求める範囲が広がっても、結局は「家族が見てあげるのが一番」と振り出しに戻(され)る。 自分の近親者に該当する者はおらず、何がお互いのためになるのか今でも分からずにいるが、ワンオペがアウトなのは想像に難くない。 本書に出てくるような、健康体で頭脳明晰な高齢の方をどこでも見かける一方で『認知症世界の歩き方』といった関連本が今でもよく売れている。手に入れたのが不老長寿の長寿だけだったとしたら…? 昭子や夫の信利が、茂造の衰えを通して自分達の将来像に不安を抱くのも無理はない。人生100年時代の現在、50年も前の作品を前にしていると言うのに、やっぱり著者の見識たるや…(以下略) 昭子があの境地に至ったのは驚いたが、気難しかった茂造をあそこまで生まれ変わらせたのだと思えば、彼女の苦労も偲ばれる。 「ママ、エキスパートになったね」 たった一人でエキスパートになっても、全てが終われば今まで通りの、自分らしい人生がちゃんと返ってくるのだろうか? 涙ぐむ昭子に視線を注がずにはいられなかった。 度重なる感染拡大によって、またもや気軽に会えないご時世が続くなか、ブクログ以外でオススメ本を教えてもらえたのが今回何よりも幸せでした。勿論ブクログでもこうした交流を継続させていきたいです。今後とも宜しくお願いします! 

    55
    投稿日: 2022.07.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    何考えてるんだ、こやつは・・・ 認知症の親の瞳を覗き込む。 でもそれは、「恍惚」と言った陶然とした表情でなく、単に感情が読めない、そんな感じ。 「恍惚の人」を知ったのは、高校生だった昭和57年、文学史の教材で。 それから40年、気になっていたが、老人問題なんて・・・読むのを後回しにしてきた。 この小説のすごいところは、昭子の介護の奮闘ぶり。 僕も介護の入り口に立った経験からわかるのだが、時間的にも体力的にも精神的にも、食事と下の世話までしなければならず睡眠も妨げられる、となれば、限界はあっという間にやってくる。 介護保険が整う前、昭子のように舅の介護に全力を尽くす主婦が珍しくなかったとすれば、その献身・実行力には驚嘆するしかない。 この作品は、1972(昭和47)年に一番売れた本であり、その後の介護制度・人々の価値観の礎となった・・・ ということを先ほど知った。 この作品の小説を超えた偉大さは理解したつもりだが、読んでいて決して楽しいものではない。 老いは家族と自分、いずれは誰にでも訪れる、避けては通れない未来ではあるが、それが実際に訪れたとき、看護師やヘルパーや介護施設、病院の助けを借りて、自分らしい、充実した人生を送ることができるよう生活環境を整えていく。 これも、今の時代を生きるには、とても大切な価値観だと思う。

    13
    投稿日: 2022.03.26
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    途中、読み進めるのが辛いと思うくらい、生々しく描かれているが、だからこそのめり込んで読み切ってしまった。生きるということ、死ぬということについて考えさせられる作品。何かの答えを示してくれるというよりは、高齢社会について考えるきっかけを与えてくれる作品だと捉えています。

    3
    投稿日: 2022.01.28
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    気難し屋の義父にさんざん泣かされ、別居して暮らしていたが義母が亡くなり義父のアルツハイマーが発覚。 半年は仕事を続けながら世話もできたがどんどん悪化して施設に入れようか福祉に相談するが規約で受け入れる先が困難だと分かる。しかも家族が面倒を見るのが当たり前とも言われ、途方に暮れる。 この小説の救いは家族以外の人が手を差し伸べてくれること、一人息子も協力してくれて介護も地獄のような苦々しいものになっていないので、途中で気落ちすることなく読み進めることができた。 なる様にしかならないのはわかるがどこで諦めがつくのか、心境も綴ってあるので備えとして読むのもいいかもしれない。

    3
    投稿日: 2021.12.19
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    進んだ先か、戻っていく末か、はたまたその道半ばで。人は皆いつか死ぬとはいえ、最期をどう迎えるのかは分からない。アンチエイジングだなんだと頑張ってみても、老いていく。少しずつ、時に急激に。「老いる」ことを家族のこと自分のこと他人のこととして、考えておく。他に何かできることがあるだろうか。

    1
    投稿日: 2021.11.19
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    この本が発売された1970年代にはもう高齢者の介護問題があったことに驚いた。生々しい描写で老いた舅が書かれていて非常に興味深い作品だった。

    3
    投稿日: 2021.11.13
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    これが40年前の物語とは。 認知症によってもたらされる本人の変化、周りの苦労。 それが手にとるように伝わってくる。 心理描写が絶妙。

    0
    投稿日: 2021.11.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    まるで実在の家の出来事をそのまま移し取ったようなリアリティで、舅の認知症が始まり、亡くなるまでのごたごたを描いた作品。 茂造の認知症が進行していくのは、醜悪でありながらどこか可愛らしく、怖いもの見たさでぐいぐい読んだ。 だんだん昭子の介護は、子育ての様相を呈してくるが、どんなに大切に世話をしても、介護の最後に待つのは死だ。ラストの昭子の涙は切なかった。 自分に置き換えると、母がまず介護する側になるとして、私は信利のように、苦労に気付かぬふりで任せてしまわないだろうか、敏ほど手伝えるだろうか、この時代よりは福祉が進んだであろう今、逆にご近所がこんなに助けてくれるのか…とあれこれ考えさせられた。  

    8
    投稿日: 2021.09.06
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    パパもママも、こんなになるまで長生きしないでね。 という息子の言葉。自分が母親だったら「自分だってこんなになるなら長生きしたくない。」と思うだろうな、と思った。 だけど、老いはだれにでも訪れる。 リアルな老いを知らないまま、ある日突然親の介護に直面するから驚いてしまう人が多いのだろう。 自分もそのうちの一人だが、この小説を読んで老いによって人がどのように変化していくのか、どのようなことが起こりうるのか、少しは心の準備が出来た気がする。

    0
    投稿日: 2021.07.06
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    1972年に新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版され,1973年には森繁久彌主演で映画化された作品。 とあるが,とてもそんな枠には収まらないような気性の荒い,純文学から離れた作風だと思う。当時の文壇がどう評価したかが気になるところだが,難儀であったことは想像にかたくない。しかし人々の共感を得るには十分すぎるもので,やがてベストセラーとなったようだ。 問題意識を投げかけるという点では確かに成功している。戦後と高齢社会の狭間の風景が読み取れる。 しかし痴呆(認知症)を文学に落とし込んだにしては,それに対する書き込みが安易である印象を受ける。老いて幸せかをという問いには実は答えられていない。むしろ重点的に書かれているのは周辺の人々の反応であり(最も秀逸なのは孫の敏の少数のセリフ),肝心の当人に対しては「恍惚の人」と一括りにして誤魔化しているともとれる。 「華岡青洲の妻」と似たような,女性の使命感,がはっきり見られる作品である。美徳ととる読者も少なくないだろうが,まさにその風潮が社会の病巣なのであり,現代社会では批判的な捉えるべきものだろう。

    0
    投稿日: 2021.04.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    【ネタバレ注意】 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 読んでいて暗い気持ちになりました。 「老い」は誰もが通る道ですが、 最初にきれいなものを与えられ、 だんだん少しずつ奪われて行くというのが 生き物なのでしょうか・・・? 登場人物は老いて行く過程を淡々と受け入れ、 最後には「恍惚の人」だと言いますが、 そんな風に自然に受け入れられる強さが 素敵だと思いました。 読む時期を誤ると、とんでもなく暗い気持ちになります。 この本は、少し元気な時期に読んだ方がいいです。 いろいろ考えてしまう本でした。

    0
    投稿日: 2021.03.20
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    高校生くらいの頃から、自分が年老いたらどうなるんだろうと考え続けてきた自分にとってはとても読み甲斐のある作品だった。あまり表立って語られることのない介護の問題は、現代の日本においては年齢問わず必ず皆が知っておくべき事で、この本にはそうした学ぶべき事が多く書かれていた。それは単なる事実に依らず人間としての在り方も含めて。

    7
    投稿日: 2021.02.07
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    「恍惚の人」 タイトルに称賛を贈りたい。 そして、昭子さんにも称賛を。 時を経て、益々深刻化する「超高齢化社会」。 風化しないテーマを抱えた小説。 一読の価値ありです。

    1
    投稿日: 2021.01.08
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     若い頃のベストセラー。当時は読む気がしなかったが、この歳になって読んでみたら身につまされた。介護する主人公ではなく、介護される老いぼれ老人になってしまうのでは、という立場から。  文章が、最近の小説とは違うような気がする。読んでいてよくわかる。ただストーリーを追うだけでなく、場面場面が理解できるような気がする。  これが当時の文壇では、ヒット狙いで老人問題をもってきた、みたいな批判を受けていたらしい。小説に対する考え方がずいぶん違っていたのだ。文壇、というのも今はないか。  これはいい小説である。映画を見ると、また身につまされていやになるかもしれない。

    1
    投稿日: 2020.11.02
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    資料として。老人はアルツハイマーというよりレビー小体型認知症みたいだな。当時は謎の奇病みたいな扱いだったのかな。一時は荒れるがその後おだやかになるとか、ちゃんと取材してるなという感じ。

    0
    投稿日: 2020.10.06
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    まっすぐ胸に染み込んでくる文、深い人物描写。どこまでも現実的でありながら、幻想的な作品。 主人公をはじめ、すべての登場人物が余すところなく生きている。昭和後期から平成初期にかけての家庭の雰囲気がよく伝わる。 どんな言葉でこの作品を称賛したら良いか分からない。

    1
    投稿日: 2020.07.04
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    ◯名作。大変面白かった。 ◯現代人であれば必ず読むべき一冊。将来の自分をあらゆる意味で見通す。 ◯現代における個人の孤独を鋭く描写している。鋭角過ぎて突き刺さるほどである。 ◯文章表現・演出も巧みである。言葉の選び方が場面を活かしている。 ◯昔から認知症はあったはずである。しかし、核家族化が進む中で、認知症の存在は忘れられ、血縁である家族ですら、認知症を忌避することとなった。 ◯また、個人を尊重する世界の中では、他者のことはまさしく他人事なのである。それは家族であっても。現代の孤独の構造を先鋭化して我々に突きつけるのが認知症であり、その故に文明病なのである。 ◯この小説が描かれたのは高度経済成長の最中であり、今以上に福祉制度が発達しておらず、それを補完する形で家族制度が維持されているという悲しい幻想の中で、極めて個人・個が浮き彫りとなってしまった実態との乖離が人々を悩ませている。 ◯現代においては、介護保険制度が成立、運用され、老人への福祉制度は充実したかに見えても、今度は子育て世帯が孤立を深め、虐待へと繋がってしまう。あわせて少子化がどんどん進んでいく。現代人の孤独の構造は全く変わっていない。むしろ、制度が充実するほどに、矛盾してより深い傷となっているのではないか。現代の孤独が、現代の社会問題すべての原因とも考えられる。 ◯この小説に出てくる人間たちは、実に現実的で、それ故に我々の共感を呼ぶが、全員自分の事しか考えていない。結末で孫が言ったことは悲しい。それに涙した母は、最後に義父と家族になったのかもしれない。 ◯登場人物たちのそれぞれに共感する。しかし、その共感には違和感を覚えていいのかもしれない。我々の孤独に対してどのように対応していくのか、今もって結論は出ていないのだから。

    17
    投稿日: 2020.06.08
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    「ひとごとが自分になったとき」 と思いながら再読した 才女といわれた作家の文章はやはりすばらしい てだれている 読みやすいとはこういう文章をいうのだ 大ベストセラーになった あの時、 読んだわたしは30代だった それから40年あまり 「恍惚の人」は「認知症」と言う病気なり と世間で認知され進化しているが 老人人口がますます増え 老人問題も多角化してしまったこの時代 あの時の衝撃が 今や違った意味での衝撃と共振になった まず この小説は主人公の昭子を40代後半に設定してあるので 昭子が舅の老化現象から「老い」を看取るの大変さと 自身が「老いに向かう不安」を感じたようには まだまだわたし自身深刻に考えていなかったこと そして わたしが当年になった現在の状況を踏まえたとき どーすらゃいいのか、ひとごとではないのだから なんとも皮肉な小説であることよ もちろん 冷静なふりをして、この老後問題に 理知的な行動をとっているつもりになっているんだ けどこころのなかは不安だらけ、、、、、

    7
    投稿日: 2020.05.27
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    昭和47年(1947年)の著書。 1960年代から老耄は痴呆症と呼ばれるようになり、2005年のクリスマスイブに認知症と名前を変えた。 老耄をテーマに介護者の苦悩と福祉制度の脆弱性を示した。今とは時代背景が違うが介護者を悩ます、不治の病であることには変わりない。 長寿延命の呪いであった籾付きの米粒と老耄となった茂造を重ねる描写が興味深い。 「長い人生で大病や事故や災難に出会いながら、しかしそれらをすり抜けて生き延びてきて、癌にもならず、糖尿病にもならず、生命という米にしがみついて剥落することがなかった。その結果は火を通しても食べられず、口から吐き出されて食卓に載っている。」 昨今の福祉制度の充実は家族介護者である信利や昭子、敏を助け、茂造に幸福を与えているのか。 Social wellfareの実践について考えるきっかけとなる。

    0
    投稿日: 2020.05.05
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    何と壮絶な介護記録。 これが昭和47年に出版されたということは、50年近く前の話。。。当時これを読んだ人は、さぞかし衝撃を受けただろうな。。。。 私自身、介護に詳しいわけではないけど、この本で書かれている問題って今も結局変わってないような気がする。 介護対象者が家族に出たら家の誰かが(特に嫁が)犠牲にならざるを得ない、施設に預けるのは世間体が許さない、女は仕事をしないで家族の世話をするもの、という、もしかしたら当時は当たり前だった考え方。 それに対して、自分自身の考えや周りから得た知識を元にして、家族の理解も得られない状態にも関わらず、ちゃんと丁寧に茂造に向き合って最後まで誠意を持って対応した昭子に、敬意を表する。私なら絶対ここまで出来ない。 息子敏の『こんなふうになるまで生きないでね』の言葉も本心だろう。私自身も自分にそう思う。 読み応え満点。 すごい。

    3
    投稿日: 2020.04.05
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    優しかった姑が急逝した日、舅の痴呆が発覚した。夫が現実から目を背けるなか、昭子は仕方なく舅の面倒を見始める。 仕事との両立という壁にぶつかると同時に、初めて目の当たりにする痴呆の症状に愕然とする日々。 昭和40年代、昭子は痴呆という言葉も知らないまま介護生活を始める。令和の時代でも社会のサポートは十分とはいえない。まして当時は相談する窓口さえなく、手探りだ。 嫁というだけで当然のように荷なうことになる介護。 それでも昭子は、ある日突然達観し、逞しくなる。その強さに救われるが、やはり介護は個々の家の問題ではなく社会全体の問題であって欲しい。

    0
    投稿日: 2020.04.04
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    老人介護を巡る問題。中島京子の「長いお別れ」と「恍惚の人」の2冊を相次いで読みました。40年という時間の隔たりがあるが、前者の長いお別れが家族の大変さを描きながらも、どことなく「明るさ」が感じられるのに対し、恍惚の人にはそういった「明るさ」があまり感じられないことが印象的でした。この差は何でしょうか。介護保険制度がスタートしたのはいまから20年前、両方の小説のほぼ真ん中にあたるころです。この20年間で介護保険も紆余曲折を経ながらも、健康保険や年金と同じく、社会に根付いてきており、それを社会も受け止め始め、それが読み手の意識の根底にも無意識のうちに根付きつつあるということかもしれないと思います。2冊の小説を読み比べてみると、介護の社会化は進んできているかもしれないと思っています。

    2
    投稿日: 2020.04.04
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    有吉佐和子さんの文章力に圧倒された。まるで、私が作中の昭子、信利、敏と茂造と一緒に暮らしているかのような錯覚に陥るくらいリアルだった。この話が描かれたのは1982年だから、mommy が22の時。そう考えると敏とmommy が同世代ということになる。この頃は、まだデイサービスとか老人介護サービスが充実していなかった頃で、家で家族が老人の世話を見るべきというような価値観が世間での潮流だったんだなと思った。でも介護ビジネスはまだ未発達だったとはいえ、当時と今での家族のあり方みたいのは似通ってると思った。自分はすごく敏に似てると思った。常に家族の面倒を見ることがちょっと他人事で冷めてる。まあ冷たい。そして、介護なんて老人ホームに入れちゃえばいいじゃんとごく簡単に口にしてしまう。でも、自分は敏よりも白状かもしれない。敏のように学校帰りに迎えに行ったり、出て行っちゃった茂造を追いかけていくだろうか。どちらかといえば、信利に似ているのかもしれない。信利は昭子さんに一切の両親の世話を押し付けて、それを当然視している。自分に重なって見える。 mommyは昭子さんだと思った。すごく負担に思っても、面倒をすると思う。美味しいご飯だって作ってくれる。Daddy は、信利にちょっと似通っている。仕事は絶対休まないし、mommy が仕事をやめて当然と思ってるんじゃないだろうか。Mommyのmomの世話を見る可能性なんて考えたことがなさそうだし、でもdaddyは自分の親の世話は、休みの日は積極的にしているから、信利まで薄情ではなさそう。 まあいずれにしても自分は、人のことを批判できないと思う。自分が40になった時に読み返してみて、どういう感想を抱くのか知りたい。

    2
    投稿日: 2020.01.09
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    ハーバード大学でも講義で取り上げられている本書。 昭和47年の老人介護問題を令和元年(47年後)に読んでも、 なんの違和感もない... つまり老化に対する特効薬はなくて、介護する方の負担も変わらない。特に女性の負担はなーんにも変わらない。

    0
    投稿日: 2019.07.23
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    昭和47年に発表された長編小説。 時代に先駆けて痴呆性老人の介護問題を提起した先進的な作品。舅の世話をする嫁が主人公、それをあまり手伝わない夫、協力的な息子。このような献身的な介護は今の人ではまず出来ないだろう、だが当時は家庭内で行われていたということを知ることができる。 現在は当時は無かった介護保険制度があるが、本質的には当時とさほど変わっていないように感じる。実際の介護職の大変さが良く分かるし、これで薄給なら人手不足なのもうなずける。

    0
    投稿日: 2019.06.08
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    時代が違っても人の苦しみはおなじ…なんですが、認知症のおじいちゃんの息子がシベリア抑留経験者、ヒロインであるその妻はすいとんの味を知っている。 近所のおばあちゃんが家族がうんざりするほど繰り返すのは関東大震災の話。 そっちのが気になりました。 だって介護の苦労話なんて、身近でいくらでも聞けるじゃない。

    0
    投稿日: 2019.05.20
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    認知症が日常的に出てくる時代になったが、初めて文芸作品として描かれたのはこの作品だろうと思う。「恍惚」は1972年の流行語にもなっている。 家庭内に隠蔽されていた老人の醜態と介護の実態が、非常な抽出で社会的共感を得た。さらに、介護は、女、嫁の役割という因習打破への警鐘も鳴らした。 こおん作品により「認知症」認識と問題も変化する。隠すこと、閉ざすことという人間性否定から「受け入れる」「認め合う」へ転換していったのだ。

    0
    投稿日: 2019.01.02
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    痴呆老人を抱えた家族の苦悩の物語。1970年代にもう少子高齢化社会を予測してこんな小説を書いていたというのは驚き。この頃から半世紀経とうとしているのに未だに大して変わらない現代というのはどう考えてもおかしい。去り際は潔く去りたいと感じずにはいられない。

    0
    投稿日: 2018.12.28
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    女性が家事を担うことが当たり前の時代、 介護を一人で背負わなければならない主人公の苦悩の日々が続きます。45年以上も前に 高齢者問題を描き出した作品です。

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    投稿日: 2018.10.18
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    読了。舅と長男の嫁との壮絶な在宅介護の物語。老々介護、共働き夫婦で妻にのみのしかかる介護負担。自分の父親の介護に非協力的な夫。徘徊・便失禁・弄便・過去にいじめられた舅の介護をすることとなった主人公の複雑な心情等々、約半世紀前に書かれたものとは思えないほど、現在の在宅介護問題を考えるうえで有益な読書であった。

    0
    投稿日: 2018.10.04
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    最近読んだ中では、ナンバーワンかもしれない。すごく考えさせられるし、他の人にも勧めたい。50年近く前の作品なのに(多分舞台は60年前くらい)、テーマは全く色あせていない。老人の介護について、今も問題だけど昔はもっと大変だったんだなあ。自分や、自分の親に重ね合わせて、どう生きるか、どう死ぬか、考えるきっかけとなった。いい作品。

    0
    投稿日: 2018.03.14
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    自分が老いるってわかってる? お爺ちゃんボケちゃった。 昭和後期に書かれた、老人介護のお話。 当時はセンセーショナルな作品で、ベストセラーにもなった模様。当時から社会情勢は大分変わったものの、この問題自体は何一つ解決しておらず、そちらにショックを受ける。 主人公自らが言っているように、彼らの状況は決して最悪ではない。もっと悪い家庭はいくらでもある。それでも、本人にとっては辛く厳しい日々であり、誰にも理解してもらえない。それこそが、高齢社会の最たる問題ではないだろうか。 今や待ったなしの、だれもが関わらなければならない問題。自分が老いると頭では分かっていても実感は無い、そんな若者にこそ。

    0
    投稿日: 2017.11.27
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    自分と両親の老いの準備のため読んだ.社会問題をえぐり出す告発型の小説かとおもひきや,けっこう大変なはずの介護がわりと飄々と描かれていて,先が気になり,私には珍しく一気に読んだ.

    0
    投稿日: 2017.07.14
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    人は誰でも年をとる。誰でもがボケるわけではないが、親がそして自分がボケたときどうするか、考えさせられる小説である

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    投稿日: 2017.04.02
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    現代の介護事情を持って読むと、夫が全く役に立たず、本当にイライラする。 介護は実子であるというのが近頃の常識である。 時代が時代なのか、嫁は義父の面倒を本当によくみるので、素晴らしいと思った。 大人用のおむつを買う場面で嫁が困ってしまう描写があるが、現代では介護用品は充実しているので、本書の時代よりも介護しやすい環境にはなっているだろう。 ただ、自分の身内が認知症になってしまったことについての悲しさ、これからどうしたら良いのかという心配ごとは変わらないと思う。 現代でも十分共感を得られる本だと思う。

    0
    投稿日: 2017.02.28
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    今では当たり前に言われている高齢化を描かれた作品が当時社会的に取り上げられたのは、多くの人にとってその避けられない未来図を想像させる、生々しい描写にあったであろう。突拍子もない痴呆者の行動が恐ろしく、読んでいてしばしば、自分なら…と置き換えて考えてしまう、痴呆者及び介護者の両面から。自我を失うという、こんなにも恐ろしい現実と、それに肉親という立場で向き合わなければならない酷さと。 なるべく痴呆にならないような生活習慣を身につけるよう決意を新たにするきっかけとなる一冊ですね。

    0
    投稿日: 2016.12.23
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    老人の認知症とそれを介護する家族の問題に切り込み、社会に大きな衝撃を与えることになった本です。 ある日、舅の茂造の様子がおかしいことに気づいた昭子は、夫の実家で姑が亡くなっているのを発見します。そしてそのとき初めて彼女は、茂造が認知症を患っていることに気づきます。昭子は法律事務所でタイピストの仕事をしていましたが、茂造の世話が共働き夫婦である彼女たちの肩にかかってくることになります。夫の信利は、息子である自分のことさえも分からなくなっている父親の姿に自分の老い先を重ねて塞ぎ込むばかりで少しも当てにならず、昭子は夜中に何度も目を覚まし、少し目を離している隙に家の外に飛び出してしまう茂造に神経を消耗していきます。 厳しい介護の現実に迫った作品だと覚悟して読み始めたのですが、ところどころにユーモアが含まれていて、考えさせられる内容でありながら、むしろ落ち着いた気持ちで読み進めることのできる作品だったように思います。

    0
    投稿日: 2016.10.28
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    認知症のことを「痴呆症」「老人病」と呼び、世間に病名が知られると恥ずかしいと思われていた時代。今のように介護保険制度なんてなかった時代。そんな時代の認知症の在宅介護を描いた小説。もちろん今と比べたら「古い」と感じる部分も多いが、老人福祉や自身も迎える老いについてなど、色々と考えさせられる場面は多く、面白く読めた。

    0
    投稿日: 2016.10.07
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    40年以上も、前の作品なのに…全く古く感じる事なく、と言うか老人問題が全然解決していない!!寿命が伸びた事や増加も、あるが酷くなっている現状を鑑みればこの本がどんなに大切か解る!!私達自身が教科書として若い時代に読むべき価値が、あると思う!!

    0
    投稿日: 2016.09.16