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総合評価

254件)
4.0
76
86
57
4
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    ”小説だけど、かなり史実にもとづいた生々しいストーリー。 レイテ島での日本兵がどんな極限におかれていたか、想像しながら読み、「自分だったら…」と考える体験。 8月に読むべき一冊でした。 <抄録(抜き書き)> <きっかけ> 人間塾課題図書 2018年8月”

    1
    投稿日: 2019.08.15
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    田村本人の視点で語られる淡々とした文章はどこか現実味がない。人間が禁忌を犯す様を目前にしながらも「思考する人」であり続ける田村。常人が狂人へと変貌する姿は眼を見張る。価値観をがらりと変えられた一作。

    5
    投稿日: 2019.08.13
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    著者が体験したからこそ湧き出てくる感情や感覚が洪水のように押し寄せてきて、受け止めるだけでも大変な一冊であった。子供にはまだ読ませられない・・・

    1
    投稿日: 2019.04.24
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    平成の終わりに戦争文学の傑作を読む。 レイテにおける敗兵の狂気、飢え、諦め、執念。理不尽な死と直面して究極の選択を迫られる、 そこに美しさなどあるはずが無い。 ただ「野火」の詩のような表現、風景の鮮やかな描写。 主人公「私」が自分と向き合う言葉、啓示のようなもの、それらの表現がとても美しく、 文学として読むことができる。 主人公「私」が友軍と時おり出会っては交わす言葉が、ここは戦場なのだ と生々しく、 その他の詩的な表現との対比が際立つ。 主人公「私」は結局誰と戦っていたのだろう。

    8
    投稿日: 2019.03.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    戦争をしらない人間は、半分は子供である」胸に刺さった… 「どうせ、彼等は私もの言うことを理ないであろうが」無理… 現地にいる兵士のような感覚になる。後半は、怒涛のように読んだ。 死に直面した兵士の物語。淡々と兵士の感情を難しい文体で難しいが、短いのに内容は壮絶…食物の有難さ、こんなんで戦争に勝てない…極限を体験した人に専門家でも絶対に理解できな!家族でもである。同じ体験をした者同士しか理解出来ないだろう…戦争体験した人達に、私達の頭の中の常識や物事なんて、小さな事象に過ぎない事が理解できる。凄い表現力で表してこの小説家の凄さを味わった。極限の中では、私達の理論や論理なんて統一的な物でしかないのがわかる。でも。ある程度統一していかないとダメなのもわかる。難しい…っす!この物語は事実みたい…

    5
    投稿日: 2018.10.22
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    よくわからなかった。あらすじは至極簡単なのだけれど、田村が頭の中で考える神だとか、自分の心の動きかだとかは難しかった。 戦争、そして飢餓という極限状態の中で人間はどうなるのか。その一端がわかりとても興味深かった。

    1
    投稿日: 2018.10.21
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    かねてより、今日8月15日の終戦記念日に読もうと決めていた。ダイエー創業者の故中内功氏の著書に、太平洋戦争で補給路を絶たれたフィリピン戦線における敗走が原体験として書かれていた。そこで見た情景は、大岡昇平の「野火」の世界そのものであったという。 よくある戦記物とは一線を画する、哲学的な文学である。屍体やバラバラになった手や足なども、あえて淡々と描くことで、戦場の光景と平和な世界で営まれる日常での光景は同じ現実であることが思い知らされる。そして、迎える運命が死であることが確実な状況でも、人間としての理性を保つことの意義は何なのであるかを問いかけてくる。

    1
    投稿日: 2018.10.08
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    2018.09.15.読了。 む・つ・か・し・い。 評価出来ないくらい難しい内容。 私の読解力ではとても追いつかない。 人肉嗜食に踏み切れなかったとあるが、永松に勧められて食した猿の肉は人肉ではなかったのか? 狂人日記。戦争は民間人や兵士たちを殺戮するだけじゃない。心を殺す。今で言うPTSDに罹った人の数は計り知れない。 その中には狂人と化した方々も少なくないと想像できる。

    1
    投稿日: 2018.09.15
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    210頁余りですが、その何倍も濃い内容で、読むのに予想外に時間がかかりました。病気になり、本隊からも病院からも追い出された田村。熱帯の日差し、誘う植物、雨、身体から立ち上る水蒸気、いたるところに討ち捨てられた死体。そのなかで常に感じる神の存在。「帰らしてくれ」と言った兵士は、帰ることができたらどんな生活を送ったのだろう。復員した方々が多くを語らなかった理由が察せられます。

    1
    投稿日: 2018.08.22
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    戦争文学といわれるけれども、本作で主人公たちが戦うのはもはや敵国ではなく、飢餓と、味方であるはずの者と、崩壊しかける自身の理性。全編を通して誠実で美しい文章。フィリピンの雄大な自然、荒廃した景色は目の前に拡がるよう。その風景の一部のようにして、主人公の内的うつろいもまた淡々と綴られる。簡潔な文章のなかに、状況の悲惨さと、ゆえに麻痺せざるをえなかった感情の悲鳴を感じる。繰り返し読みたい作品。

    1
    投稿日: 2018.08.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    フィリピン戦線での、絶望的な状況の中で何度も死のうと思いながらも、生き残ってしまったものの物語。終盤に、精神病院患者の回想だと明かされる。 圧倒的な描写力と生死について見つめた形而上学的観念が、素晴らしい。 地名がよく出て来るので、地図を片手に読むのがベター。 どこかニーチェの永劫回帰を思わせる描写が印象に残った。 「比島の林中の小径を再び通らないのが奇怪と感じられたのも、やはりこのとき私が死を予感していたためでろう。我々はどんな辺鄙な日本の地方を行く時も、決してこういう観念に襲われない。好む時にまた来る可能性が、意識化に仮定されていためであろうか。してみれば我々のいわゆる生命感とは、今行うところを無限に繰り返し得る予感にあるのではなかろうか」 「人間は偶然を容認することができないらしい。偶然の系列、つまり永遠に堪えるほど我々の精神は強くない。出生の偶然と死の偶然の間にはさまれた我々の生活の間に、我々は意志と自称するものによって生起した少数の事件を数え、その結果我々のうちに生じた一貫したものを、性格とかわが生涯とか呼んで自ら慰めている」

    1
    投稿日: 2018.08.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    太平洋戦争末期、敗北が決定的となったフィリピン、レイテ島。肺病を患ったためわずか6本の芋を渡され追放された田村は、つねに行く手に死を見据えながら熱帯の丘陵を彷徨う。 糧食は尽き、飢餓の中少しの幸運(不運か)に導かれ生き延びていく。そこにあるのはただ、飢餓と、孤独と、絶望のみ。実際に米軍のレイテ俘虜収容所に収容された作者だけに、その描写は真に迫る。 孤独と絶望の中、死と対峙する田村の内面の彷徨が丁寧に描かれ、この作品がただ戦争文学という分類で語られることを拒否している。 特に後半、人間としてのタブーを犯す同胞たちに直面し、深く哲学的な思考に入っていく田村の精神が次第に壊れ、幼い頃に接した神を意識し多分に宗教的になっていくあたりはもはや哲学。 木の根を食い、自分の血を吸った山蛭を喰った田村が、最後まで人喰いを拒否しながら、「猿」の肉を喰うまでの葛藤、自分の肉なら喰えるという論理、「人間はどんな異常な状況でも、受け入れることが出来るものである。」という彼の精神の到達点に、今の世にある自分の思考が追い付かない。「平穏な傍観者」の自分を思い知らされるなかなかハードな作品だった。 この作品は、あまたある戦争をテーマにした作品のように「戦争は悲惨だ。戦争は起こしてはいけない。」というありがちな感想を拒む作品であるように思う。 重く、深く、人間という生き物を人間たらしめているもの、孤独と絶望のもたらすもの、人間が人間でなくなる瞬間などをじっくり考えさせられる読書体験だった。 さて、塚本晋也監督の映画も見に行こう。

    4
    投稿日: 2018.08.05
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    戦争時のレイテ島での極限の状態が伝わる壮絶な本だった。 田村一等兵も健康なら戦いで死んでたかもしれないからわからないもんだ。

    1
    投稿日: 2018.06.17
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    主に、中心(部隊)ではなく、周辺(傷痍兵達)を小説に描いています。周辺・私的な事象から、中心を、直接的ではなく、風刺、皮肉、恨み等を、織り交ぜて描く。その際小説は、周辺を押し潰す中心の力を逆に包みこむ作用を持っている。これらは、文学の基礎であり、核心だと思います。映画では「ダンケルク」が、周辺(一人の兵士)から、中心(戦争)を描いた一例だと思います。大岡さんの「レイテ戦記」はこれと反対に、三人称(神の視点)で、中心(戦争)を描いた作品だと思います(あらすじしか知らないので、推測です)。 人間を食うか食わないかの主題は、「the road」を類推しました。また、小説の後半に、主人公が、何者かに視られている感覚に囚われるのは、「虐殺器官」の主人公と似ていると思います。「虐殺器官」の主人公は、他者(母親)は自分を見ていなかった、この結論に達した後、反社会的な行動をとります。「野火」の主人公は、何者かに視られている感覚に囚われたまま、「闇」≒「虐殺器官」の「死者の国」に行きかけます。「何者かに視られている感覚」は、この二作品では重要な主題です。 余談ですが、今読んでいる柄谷行人さんの「漱石論集成」に、おそらく上の二作品と同じ意味で「闇」や「死」が、使われています。柄谷さんによると、夏目漱石はこれらをなんとしてでも、小説に描こうとしたとの事。「それから」、「門」、「行人」では、「闇」や「死」の描かれ方が適当ではなく唐突であるとの事。この主題に真正面から挑んだのが、「心」であるらしい。僕は、柄谷さんの作品(批評)を読むのはこれが初めてです。「心」の批評で、「先生は誠実であり、誠実たることを苦い経験からほとんど決意のようにつらぬこうとした男である」この一文を読んで、この批評家へのイメージが変わりました。

    1
    投稿日: 2018.04.08
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    昔からいつ死んでもいいと思っていた。 それは死ぬほどの恐怖を味わったことがないからでは?と反論する自分もいて、その度に、もし戦場に立たされたら自分がどうするか、ということをよく考える。 できれば誰も殺したくはない。それを選び取れる強さが欲しい。 身体が弱くて戦争に行かなかったじいちゃんに「もし戦争に行ってたら人を殺してたか」という質問をしたことがある。 じいちゃんは「殺さんなあ。草むらで寝とるわ。」と言っていて、やっぱりこの人好きだなと思った。 この小説はそのもう一歩先の極限状態を描いていて、とても辛くなった。 明らかに自分より頭が良くて冷静な田村がの感情が少しずつ極まって行く。 前半の戦争に対する客観的な視点も良かった。

    1
    投稿日: 2018.02.08
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    読了。 映画を観ての再読なのだが、原作はやはり哲学的且つ難解な純文学で、二度目でも読後悶絶。人間同士が共喰いするような極限状態で、信心深い主人公が「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じる様は圧巻。単純な反戦小説ではなく、人間の生とは何かを投げかける問題作…なんだけど、映像化するとスプラッタームービーになってしまう。残念。

    1
    投稿日: 2018.01.31
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    戦争という極限状態の中で狂わない人間はいないんだろうな。主人公の思想がどんどん狂っていく様が生々しく恐ろしかった。宗教的。

    1
    投稿日: 2017.12.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    思い返すと、この本は芸術作品なんだと思うようになってきた。ぬるっとした本編の流れと、なぜか強烈な鮮やかさを感じさせるのは芸術なんだと思う。 ただし私の読解力の問題だろうけど昔の文章だからか、フィリピンの自然の描写がとつとつと書いてあっても、どうも頭の中で鮮明に綺麗に描けずに、頭の中でビジュアル化しきれなかったのがもったいないなと思いながら読み進んだ。 敗残兵がどんななのかなんて全然知らなかったし、読んでよかったなと思う。死んだ人の体を食べるかどうなのかという迷い?の部分や、誰もいない教会のあたりの記述なんかは、今思い出しても生々しくて(決して生々しいうようには書いていないんだけど)、心に残った。 ところでいつも思うんだけど、昭和の前半までに書かれた文学は、誰か現代作家の手を入れて書き直してリバイス出版するわけにはいかないのかな。翻訳みたいな感じで。海外文学の昔のとかも。

    1
    投稿日: 2017.10.20
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    今月の猫町課題図書。この手の陰惨な戦争の話はあまり好きではないので、課題図書でなければ読まなかっただろう一冊。小説としての構成がわりと工夫されているため、まあ面白かったと言えば面白かった。吉田健一の解説が秀逸。

    1
    投稿日: 2017.09.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    短い薄い文庫で読むのは大変ではないが、描かれる描写はすごく重い。自分の心がとことん、追求されている。おびただしく身近に起こる「死」と同じくらい、むせかえるほど濃厚な南の島の「生」静かに深く描かれる。 タイトルの野火、ジャングルに燃える火の描写は暗い。 心の中にくすぶる暗い闇の中の火、生への執着であったり、肉を喰い生き延びたいという欲望だったりが心の中で燃えていて、自分の心を見つめるとその火を見つけてしまう。 とうとう食べねば死ぬだろうというとき、目の前の死体の死は自分のせいではなく、魂とは別のものだと心に折り合いを付けた時に、なぜ田村の左手は剣を持った右手を止めたのだろうか?この左手は何なのか?そしてこの声は何なのか?戦争は人を殺す場であると思うのだが、人肉食は「殺人」を越える禁忌なのだろうか? 疑似親子関係を形成して当初一緒に逃げていた安田と永松のエピソードが、やりきれないほど重い。同じようなテーマが描かれる場合でも、私の想像の範囲や過去に読んだものなどだと、もう少し救いがあったように思う。「もし人間がその飢えの果てに、互いに食い合うのが必然であるならば、この世は神の怒りの跡にすぎない」(p.160)と怒りを感じた田村は銃を取り安田を殺しさばこうとする永松に向ける。この怒りと銃口は何に向けられているのか? 「この田舎にも朝夕配られてくる新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に騙されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。」(p.165)1951年にこの作品は描かれたそうだが、今の時代に恐ろしいほどピッタリな警句ではないだろうか。

    1
    投稿日: 2017.09.19
  • 平和な今からは想像もできない極限

    作者の実際の戦争経験を基にしているとのことなので、極限において私たちは殺人でも人食いでも、何でもしてしまう。 平和な現代に生きる自分には、想像を超えた世界であるし、その状態を形容することもできない。 読みやすい文章ではないが、戦争とは何であるか、私たちは知っておかなければならない。

    0
    投稿日: 2017.09.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    流されていく田村が、延々屁理屈(殺したのはこの銃のせいだ)をこねながら、状況的には堕ちていく。 生きるか死ぬか、ではなく、死ぬことを前提としていたのに流されるままに生きてしまう、という展開の中で、 人肉を食べること、だけでなく、その周辺に人が生きること、人間とは何か、といった思考が繰り広げられる。 状況的な堕落の中でしかし、青春時代に(主に性の絡みで)憧憬を持っていたキリスト教が、折りに触れて蘇えってくる。 内容は自己流、異端。 この極限の状況で、神や救世主を思考するとき、自己流の宗教が生まれてくる。 戦争はダメ、でもなく、道徳や倫理からも一歩退いて、思考思考思考がやがて混濁してくる。 もはや花が振り向いて食べてもいいわよと言い出すくらいだ。 そこにセイントが登場する。右手を止める左半身こそが理性であり神でありセイントと言えるのではないか。(そして現在執筆している私自身) 「もし人間がその飢えの果てに、互いに食い合うのが必然であるならば、この世は神の怒りの跡にすぎない」 という終盤での結論は、自己流宗教の開祖でもある。そして狂人でも。 天使すなわち「神の怒りの代行者」として、殺したかどうか。 猿肉をなかば予想しつつも食べ、猿肉のために殺人が行われていると目撃したあとも、知らなかったのだから自分は人肉食をしていなかったのだ、 と書かせるほどの自己欺瞞を、せざるをえない人間の心理。 終盤で唐突に、この手記は精神病院にいる私が(医師の勧めもあり)書いているもの、と明かされる。 途切れた記憶の部分を書き継ぐことからもわかるように、完全な記録として、ではなく、精神病院にいる現在の想起という行為が、内容にまで絡みついてくる。 この読みが正しいかどうかは不明だが、再三現れていた「見られている」という感覚は、現在書いている私が、過去の私を「見ている」、その裏返しの感覚なのではないか。 とすると、右手を制止した左手の動きは、超自我でもあり、現在の私でもある。 タイムスリップ? 文芸技巧? ともあれ小説でしか果たせなかった部分である。 もとは「100分de名著」に取り上げられていて、中学以来再読したのだが、番組でその精神病院の現在がしっかり扱われていなかったのは、2015年に実写で監督した塚本晋也の作品では「小説の達成」には触れられなかったのではないか。 もちろん映画も見てみたいが、小説ならではの偉業に着目して、読み込んでいきたい。 「ライ麦畑でつかまえて」「河童」「人間失格」など同種の構造の小説でも、もちろん。 ネットで感想を漁っていて、 信仰の書であると同時に背信の書であるという捉え方、宗教文学というよりも超自我とエゴイズムとの葛藤の書であるという捉え方、をそれぞれ読んだ。 個人的にはそれらに重なるようにして、新しい宗教観を身につけざるを得なかった人の書、とも主張したい。

    5
    投稿日: 2017.09.06
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    おやつ食べながら読んでごめんなさいと心の中で田村に謝っていた。不可抗力で猿の肉だと言われて、人の肉を食べたことよりも、人殺しをしたことと食べていいよと言った男のこと、自分の肉なら自分のものだから食べたこと、神かもしれない何かがずっと見ていると言った田村。戦争はアメリカと戦っていたはずなのに、この『野火』ではそんなことはあまり書かれていなかった。人間の尊厳とかそういう言葉にしたらありがちすぎて、もっと違うもののようにも思った。怖くてずーっと読めなかったことも、ごめんなさい。塚本晋也監督の『野火』もみないといけないなと思った。心を殺すぐらい何であろう。私は幾つかの体を殺して来た者である。ずしんとした。 心が死んでも生きているのかな。深すぎてまた最初から読み返したくなる。

    4
    投稿日: 2017.08.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この作品は戦争小説とされているけど、むしろ本質は「集団遭難小説」じゃないかと思う。けっきょく、戦争はまっとうに働かないことを強制されることだと思う。銃などという役にたたないものを持たされて、よその島に上陸し、生産せずに食うものだから、乏しく奪いあうことになり、けっきょく、カニバリズムになる。  戦争の悲惨のそもそもの根源は、生産活動を破壊活動にかえて、この暴力を思想でかざっているところにあるのではないだろうか。レイテ島をさまよう兵士の回想という形式のためか、この修飾物である理屈やら思想やらが多い。『戦艦大和の最後』などとは大いに異なる。  「戦争を知らない人間は子供である」といういい方もみられるが、むしろ、こういう理屈をこねているところには幼児性がみられるんじゃないだろうか。最後の狂気は悲惨ではあるが、虚飾も感じる。人間はまともな頭で人間を食うかもしれない。

    1
    投稿日: 2017.08.22
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    キリスト教者の話とは思っていなかったので意外。 文学文学したこのような文体で虚ろになった無感覚、弱反応の人物の一人称というのがしみてくる。 私の大好きな安部公房の作品のにおいがする(手記、という点もそのにおいを濃くしている)。 まがまがしい色使いの水墨画とでもいえるか。 にしても。 私のじいさん世代はホント、よくあんな戦争を生き延びてくれたものだ(もちろん亡くなった方々も多いが)。 ひるがえって、自分なぞにはこの小説に出てくるような状況で生き延びられるとは到底思えない。 閉塞感満載の作品なのに、なぜか強い生命力を感じさせられた。

    1
    投稿日: 2017.08.18
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    100分で名著で紹介あったので読んでみた。 想像以上にシニカルな内容で 戦争の恐ろしさを考えさせられてします。 戦争は殺される恐怖はもちろんだが 殺す罪悪感・生き延びるための苦しさなど すべてにおいて非人道的である。 現在、北朝鮮の核問題もあり 今一度、戦争というものに対して 考える時期に来ているのかもしれない。

    2
    投稿日: 2017.08.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    作者が戦中に兵隊として遠征したフィリピンでの経験をもとに書かれた小説。 一応、分類的には戦争文学に該当するかもしれないんだけど、決して“戦争にょる犠牲”や“戦争の悲惨さ”にフォーカスを当てているわけではないし、 ましてや、死に直面し飢餓に苦しみ極限状態に陥った人間が食人行為(グロ注意!)に至るまでの心理状態が見どころってわけでもないと思う 肺結核を病み、中隊からも野戦病院からも見放された主人公(田村一等兵)が、疲労と飢餓・それにいつ敵兵に殺されるかわからないという過酷な精神状態の中、 殺人・食人・僚友との殺し合いなど残酷な現実を経て、独自の死生観を、神(キリスト)への信仰を交えつつ、編み出してゆく作品のように思える。 作中の、死を自然なものとしてすぐそばに感じ受け入れる姿勢と、そうであっても矢張り生を選択して行動してきたその結果の相克が面白い。

    1
    投稿日: 2017.08.08
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    塚本晋也版の映画を観て衝撃を受け、原作を読もうと思い手に取った。 人間であることの意味を考えさせられる。極限状態でも生き抜こうとする動物としてのヒトと、それでも単なる動物になりきれない人間との境目にある葛藤が、俯瞰的に描かれている。 この作品に触れる前と後では、自分の中で何かが変わってしまったように感じる。

    1
    投稿日: 2017.07.08
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    戦争を取り扱った作品で本当に心に残るものは、過激な銃撃戦でも戦友の死でもなく、極限状態に人が何を考えていたか、日常に戻り、自分を振り返ってどうなるかを緻密に描いたものだと思う。 本作は太平洋戦争中に、敗北が濃厚な戦況の元、フィリピンの島に置かれた男性が主人公となり、彼の生存が確定する描写は割と序盤で表れるが、ここで死んでおいた方が良かったのでは…と考えさせられる。 飢えと極限状態、人間の倫理観が融合した壮絶な話が、僅か200ページしか無いのも凄い。一切無駄の無い、潔い大作と言っていいだろう。

    1
    投稿日: 2017.04.26
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    読み進めるのが辛い本だった。再読予定 戦争の地獄を描いた小説。今の自分と 戦時中の自分を 切り離して 戦争を話している。自分と非自分を 分けたかったのでは ないかと思う 生への執着や 死への恐怖は 小説からは感じなかったが、人間の尊厳は感じた。ヒトを食べなかったことで 人間の尊厳は守ったと思う。極限の状況でも 宗教心により 尊厳を守ることは できるのだと思う

    1
    投稿日: 2017.04.19
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    第二次大戦中、結核のため部隊から追い出され、フィリピンの森の中をさまよう日本兵の話。 戦時の極限状態で、人肉を食べるか否か葛藤する主人公。 とても気軽に読める内容ではありません。戦争について、人間の倫理観について、色々と考えさせられる話です。非常に重いテーマを扱った話ですが、戦争を実際に経験された世代の方達が少なくなってきた今、若い世代の人達に一度は読んでもらいたい話です。

    1
    投稿日: 2017.03.26
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    主人公の田村。比島での生と死の狭間。極限状態の中で他の兵士と協力したり争ったりしていてなんとか生きながらえる。しかしどうやって日本まで戻れたのか記憶はない。過酷な状況。そして、戦後の精神病院へ自ら望む。想像を絶する経験であったのであろう。

    1
    投稿日: 2017.02.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ネタバレ 1954年(底本1952年)刊。補給がままならない昭和19年末のフィリピン。戦死者よりも餓死者・戦病者の死が蔓延していた現実。田村一等兵はそのフィリピン戦線に駆り出される。そこで、見聞きし体験したことは、理性と善意を持ち合わせているはずの人間の所業とは思えぬ地獄絵図であった。自らのことなのに感傷と感情の伴わない表現、特に主人公田村のモノローグに顕著だが、そこから醸し出されるのは、臨死体験時の如き俯瞰絵図。十字架に架けられたキリストに準える地獄がどこか遠くの夢幻の世のよう。しかし、重ねられる情景はリアル。 大本営に居たような高級将校・参謀、将官の大半が経験しない、想像もしない模様が、圧倒的に心を捉える。怪作の名に恥じぬ戦争文学作品である。

    1
    投稿日: 2017.01.23
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    大岡昇平氏による戦争文学の代表作。その文学性の高さは日本文学史においても名作といえよう。 筒井道隆氏は「良質な小説には迫力が必要だ」と語っていた。本作品の迫力たるやなんたる物か。結核に冒され死を覚悟し荒涼とした敗戦間近の比島を彷徨う田村一等兵の渇望は読む者さえ息苦しくさせる。そして自ら殺めに給したときから生に執着する様は逆説的といえよう。後半、極限状態に至り禁断の果実に触れる描写の異常性、最後の白昼夢の如き狂気的描写は正気とは思えないほど鬼気迫るものがある。

    1
    投稿日: 2016.12.19
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     読んでから気付いたが、太平洋戦争が関係する小説を自分で読んだのは『火垂るの墓』以来初めてかも。義務教育で戦争についての情報は一方的に与えられてきたので、食傷気味だったからかも。  「戦争を知らない人間は、半分は子供である」と文にあるが、戦争を知る人間は、半分は人間じゃなくなってるかも知れない。そのくらい、主人公はぶっ壊れてる。現地人打ち殺したり同胞が撃たれるのを見て滑稽だと笑ったり、人肉喰ったり。  それから、神がどうだとか言い出したり。70年以上前なら、割と自然に超自然的なものに何かを求めるのも普通だったのか、それとも現代の日本人であっても戦地に赴いてぶっ壊れたら神がどうとか言い出すことになるのだろうか。その辺興味がわいた。  押しつけがましさはさほど感じないので、あえて日本人が描いた戦争が読みたい、ということであれば読んでよいとは思うが、数多の戦争文学の中でこれを選ぶ理由というのは、まだ私には見えてこない。

    1
    投稿日: 2016.09.17
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    物語のちょうど半分(の、ちょっと手前あたり)で一つ目の山場を迎えるのだけれど、ここの前後での主人公の変化がとてもドラマチックだと思う。 直接的な「教会」や「十字架」という象徴のみならず、鶏の鳴き声や「野火」という題名そのものや、文体の所々にも「神」の影が見え隠れしていた。主人公の田村一等兵は、飢え、渇き、水を求める人のように神を渇望し、ひかりかがやく十字架に導かれて歩き続けていた。それが物語の序盤である。 しかし実際に教会で「神」に対面しみた時、「私」の中に起こった感情は意外なものだった。そして後に起きる「事件」を経て、同胞と再会すると、もう「神」は「私」には何も語らなくなっていた。そして、「人肉まで食って生き延びた」と噂される部隊と行動を共にするようになる。まるで悪魔との軍行である。 この二つの対比がとても印象的だった。 人が在ってこその神であり、人が居なければそもそも神は現れなかった。 しかしその「神」によって、人は人で在らせられている。 死者を弔い、そこに神を見るのも人であれば、 死者を冒涜し、これを遠ざけるのもまた人だ。 人と獣の絶対的な違いが2つ、この中に示されていた。

    3
    投稿日: 2016.08.31
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    無謀な作戦のために南方で野垂れ死にした数多くの若い兵士たちが、田村一等兵が見たような美しいもの見て死んでいったはずがなく、もっと惨めで、もっとあっけないものであったはずだ。 史実を無視して、作者の経歴も無視して、これは完全なフィクションだと決めつけて読めば、案外面白く読み進められるのかもしれない。

    1
    投稿日: 2016.08.16
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    実際に多くの餓死者を出したレイテ島の戦場で問われる人間の尊厳。“生きること”の意味を改めて考えさせられる。

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    投稿日: 2016.08.14
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    名作。 戦争の一番の被害者とも言える、前線の兵士。現場の事を知らない、あるいは知っていながら、助けようとしない幹部達。こんな時代に戻らないよう、よく見ていきたい。 当時の生々しい状況が伝わる。究極のサバイバルゲーム。生きるには、体力、気力、知恵、運が必要。

    1
    投稿日: 2016.07.10
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    敗戦色濃い大戦下、一負傷兵の生き残るための葛藤。戦争とは関係のないフィリピン市民や同僚を殺し、人肉ではないかと疑いながらも仲間から差し出された猿肉を食して生き延びる。先の見えない極限状態で下す一つ一つの判断が生死を分ける孤独で苦しい毎日。それでも人は必死に生きようとする。 前評判ほどに強い衝撃を受けなかったのは、戦争映画に毒されているせいだろうか。

    1
    投稿日: 2016.03.03
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    異常な戦争体験なのだろうか、戦争という異常な状況にとっても普通ではないのか。なぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかではなく、どう生きたかを辿っている。文庫の説明に違和感。

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    投稿日: 2016.02.22
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    第二次世界大戦末期のレイテ島、田村一等兵は肺病を患い、部隊からも野戦病院からも追い出されてしまう。 行く宛も無く彷っていた田村は日本兵が撤退のためパロンポンへ集まっている事を知り向かうが・・・。 大岡昇平の野火 読了。 塚本晋也版の映画、市川崑版の映画と比べて読む/観ると“野火”が示すものの違いもあって興味深い。 宗教的という話を聞いていたがそれよりも、 左右で暗示される知性と感性について、 カニバニズムに限らない“食べる”ということ自体についての問いかけが原作小説では描かれているのではないかと思う。

    1
    投稿日: 2016.02.08
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    読み終えた。本編は無論なのだが、解説が凄い、小説とはなんぞや、フィクションの中のリアルとはなんぞや、と言う事がそっくり書かれている。リアリティがあるではなく、作中の登場人物の心情がその作中の中に於いてリアルである事と、所詮虚構である、の境界線は果てしなく広い。フィクションだから何してもいい、はフィクションですらないのだ…人の脳内で繰り広げられる奇想天外な妄想の域でしかない。娯楽としての小説、つまりフィクションもその世界の中では整合性や論理がブレてはダメなのだ。そこで思い出すのが木原音瀬さん、この人はやっぱ小説家としてスバ抜けている。どんなに現実味のない世界観を描いていても、人間の感情や、それに伴う行動に説得力がないと、中二病的世界観からは抜け出せない。人間は理性と感情が合致しない。そこが人間としての葛藤であり「在る様」で、作中の人物を「キャラ」と読者が表している限り、それはフィクションですらないのかもね。ゲームの様に「選びようでどうとでもなる」と言う思考回路が当たり前だと、キャラと表してもそれは「人間だ」なのかもしれんね。ゲームやらない私などから見ると「やり直し」が効かないからこそドラマが生まれるし、間違ったり迷ったりするのがフィクションの中のリアルだと感じるからなぁ。喰種絡みで「人肉食」と言う事を考えたくて『野火』読んだんだが、本能として「飢え」に飲み込まれるか、食べるものそうはないんだけども、一応食べられるものがあったとして、人間として食って生きるか、食わずに死んでも構わないと言う境地まで行ってしまうか、食わずに餓死を選ぶのが尊いではなく食うにしろ食い方に「生き物を頂く」と言う「生」に対する「尊重の気持ち」を欠いて食ってはいけないんじゃないか、とか色々考えたわ。自分がカネキくんなら葛藤はあるが「食うだろう」と考えた所から喰種狂いが始まったんだが、もう一度1巻から読み返したくなった。とりあえずアニメ見る!!

    1
    投稿日: 2016.01.30
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    戦地で結核を患い、わずかな食料のみで隊から追放された男。 あてなくさまよい、飢えに襲われ食べられそうなものなら手当たり次第に口に入れる状況での物語。 人間は生きるためには、死んだ人間の身体でも食べてしまえるのか。 戦争を扱う作品で、実際戦争を体験された作者の言葉は読者に突き刺さってくる。 宗教めいた描写もあり、危機的状況にあると心理として神や仏といったものが近く感じられるものなのかもしれない。 特定の信仰を持たないひとの多い日本人であっても、そう思うものなのだなと思いながら読む。 映画にもなっている作品らしいが、映画はまだ観ていない。 いつか映画も観てみたいと思わせる一冊だった。

    1
    投稿日: 2016.01.18
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    大岡昇平が、自らの戦争体験を基に極限状態に追い詰められた人間を描いた、戦争文学の代表作。終戦間もない1951年に発表されている。 舞台は第二次大戦末期のフィリピンのレイテ島。主人公は、結核を患って所属部隊を追われ、ジャングルを彷徨うが、途中で出会った敗残兵は空爆、飢餓、病気で次々と倒れていく。そして、食料欲しさに現地人の女を撃ち殺し、遂に、再会した戦友から与えられた「猿の肉」を食べることになる。。。 記憶喪失の状態で復員した主人公が、精神病院で次第に識別と記憶を取り戻していき、医師から療法のひとつとして勧められて綴った戦地での体験は壮絶なものであった。 そして、レイテでの体験を書き終えた主人公は、家族と普通の生活を送ることを拒否し、「朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。(中略)戦争を知らない人間は、半分は子供である。」と語る。 ロラン・バルトは、「文章はいったん書かれれば、作者自身との連関を断たれた自律的なもの(テクスト)となり、多様な読まれ方を許すようになる」と説いたが、私は本作品のメッセージを、極限状態に置かれた人間の生に執着する逞しさとして捉えることはしない。 先の戦争が生んだ悲劇・惨劇は、南方や沖縄での地上戦、広島・長崎への原爆投下、終戦間際の特攻隊、戦後のシベリア抑留など、最前線における敵との殺し合いに留まらないものであるが、その極限状態のひとつとも言える地獄絵図を描き出した本作品は、多くの人に読まれるべきものと思う。 (2008年7月了)

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    投稿日: 2016.01.16
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    2016.1.10 戦争が起こったら人間はこうなるんだ。 壮絶な体験。人が人を殺す、それが戦争。そこには理性なんて存在しないんだろう。 大西鉄之助はだから、ラグビーをしなさいと言った。ここを越えたらいかんという、難しい判断を鍛えるのがラグビーだと。 大岡昇平と大西鉄之助が繋がっている。 とても、重い本です。

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    投稿日: 2016.01.10
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    2015年に読むべき本の一つかと思い立ち再読。 小説としては復員後のくだりを入れるのはどうかと思う、折角の冷徹さが消えてしまったなぁ。 ただ今の時代から読み返すという観点では極めて意味ある構成かもしれない。 『戦争を知らない人間は、半分は子供である。』 本作、人肉嗜食にまで筆が及ぶ異常性が描き出されていて、その辺りにスポットも当たるんだろうが、究極この一文に尽きる気が。重いです。

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    投稿日: 2015.12.31
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    鮮やかなフィリピンの密林の様子と血肉のコントラストが、私の脳内で忠実に再現されて、読み進めなければならない気持ちを駆り立てられた。主人公の語り口の冷静さが、凄惨な戦争末期の兵士達の過酷でむなしいサバイバルの様子をリアルに伝えてきて、胸が苦しくなった。映画が見られなかったので、せめて本で読みたいと思い手にとったが、おそらく映像で観るのはかなり苦痛を感じることが容易に想像できた。

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    投稿日: 2015.11.15
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    あの「野火」である… 存在は知っていた、でも避けていた。 そして2度目の映画化、もちろん興味はあるのだが果たして自分にこの衝撃の映像が直視できるのか…たぶん出来ないだろうと言うことで原作で誤魔化すヘタレ者。 しかし誤魔化されませんでした、強烈なインパクトです。 本筋は倫理観と人間の本能との闘いを極限的状況のなかで問うているのだがそれ以上に読みどころは満載で特に死を達観した人間の眼に映る景色はこれほどまでに美しいのか、そして考えることはこれほどまでに哲学的になるのかなどその臨場感は半端なく心を掴んで離さない。 歩兵が這いずり回る戦争はもうない、今やボタンひとつで世界が滅びる世の中でこの事実を伝えていくべきかは疑問にも思う。 押し付けることなく感じる人が感じればいいのではないだろうか

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    投稿日: 2015.11.13
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    映画公開に寄せて「野火」を読んだ、読売文学賞受賞作。新潮文庫のあらすじに書いてあることは作品の本質に迫っていないと痛感。 第二次世界大戦末期の日本兵の悲惨な状況が描かれるが、手記という形式をとり、戦争を振り返るという作品の構造によって作品には当時を分析する私が存在する。この私の手記の最後をどう読み取るか、大岡昇平の本心に迫る上で非常に重要なものだと考える。 ただ、作品のタイトルは「野火」であって、野火は私の戦争の記憶に直接結びつくが、手記の最後との関連は一見感じられない。ただ、野火を小説内の記述のみに依拠し、そこで思考を止めるのはたやすいが危険なことにも思える。吉田健一が解説で述べるように幾通りにも読めるからこそ、ただ一つの作者の本心を知りたいのも事実。 興味深いのはこの作品はポォの作品が元にあるという事実、「野火」をより楽しむためにも併せて読みたい。

    4
    投稿日: 2015.11.10
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    その感情も、今自分に見せている表情も、その人間の一部分でしかないのだ。極限状態に置かれれば、愛した人もどう豹変するかはわからない。だから人を愛するなど何の意味も持たない。 命を奪い、それを自分の命として取り込んでいくこと。その行為に対する自責の念。 全部、戦争がなければ生み出されなかったものだ。生み出されずに済んだものだ。戦争を推し進めようとする人は、半分は子供なのだと主人公は吐きすてる。その通りだと全身で思う。主人公が見て、体感したこと。みんな読めばいい、と思った。これを読んでも、それでも戦うの?戦わせるの? 誰かに優しくあるためには、自分が満たされていることが必要だ。自己犠牲で人に愛を注げる人などきっとごく僅かだ。だからこそ尊いのだけれど、人はそんなに強くできていない。誰でも、人間をハントし、その肉を食べ、仲間と争う者になり得てしまうのではないかと思う。あなたも、私も。例外などそうない。 その中で彼の手を押しとどめたもの。それは彼の崇高な精神でも、屈強な意思でもなく、神の力だとした作者に感服した。人間というものへの諦観ではなく、その体験をした人だからこその結論だと思う。

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    投稿日: 2015.10.14
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    美しい言葉で大岡昇平自身のおぞましい戦争経験を語った作品。その語り口は淡々としており、誰かがその様を「虫瞰的」と書評していましたが、まさにその通り。 戦争の凄まじさやカニバリズムだけに着目するには勿体無い。卓越された言葉選びは勿論、著者の生死に対する哲学や、人間の浅はかさに対する冷徹な分析、高尚と野卑の境界の曖昧さが興味深く、新しい価値観を覗き見ることができました。この現代文学の宝のような作品に出会えたことに感謝します。 (ただし、戦争に行ったことのない半分子供の私には、著者の言う「任意」の意味するところや、究極の状況下において神学に目覚めて以降の「彼」の存在を理解するに足らず、消化不良です。しかし数を重ねれば理解できるものでもなさそうです。)

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    投稿日: 2015.10.07
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    フィリピン戦を舞台として書かれた小説。野火の燃え広がる原野を彷徨う田村は極度の飢えの中、なんとかして生きようとしていた。人間が死の淵に立たされるとどうなるのかが描かれている。雑草や蛭を食べる事でなんとか食い扶持を繋いでいた。飢えが最高潮に達した時、彼が人肉を食べるかどうかで悩んだ心理描写が印象に残った。

    1
    投稿日: 2015.09.28
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    息苦しい。辺りに漂う死臭、焼け焦げた臭い、自身から感じる死の臭い。心身ともに傷つき、自分の血を吸った蛭を食べる程の極度の飢えに襲われた田中は、人間の屍体に目を向ける。屍体を食べようと伸ばした右手を止めたのは、自分の左手だった。極限状態で、彼を思いとどまらせたものは何なのか。田中はそこに神の力を感じた。

    1
    投稿日: 2015.09.22
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    トラウマ。 これが現実に起きたこと。 これが戦争なのか。 戦争ができる国にしようと 理屈にもならない論理を振りかざす安倍政権。 久しぶりに国会をみてるとつくづく怖くなってきた。 ただ、防衛のためにアメリカ人が死ぬのならよくて、日本人はダメっていうのもおかしい。 そもそも人は戦争する生き物、人の世では戦争せざる終えないと思っている、そこに闇がある。 バランス感覚が問われているのではないか。 この本を再び映画化した塚本晋也監督。 ありがとうございます。 今まで観たどんな戦争映画よりも怖かったです。

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    投稿日: 2015.09.13
  • 戦争の悲劇◎ でも、ちょっと哲学的な文章が多い

    戦争の悲惨さは十分に伝わってくるけど、主人公が時折つぶやく哲学的な表現は、ちょっと頭が疲れる。極限状態の日本兵、戦争経験のない私でも安易に想像していたことが、一般文庫の活字で遂に公になったのかな。虫が食べてた跡のある草を食べるところなんか、ちょっとした一文だけど、鳥肌立ちます。 しかし、よく、この哲学的なつぶやきの多い話を映画化したなと思いましたが、予告を見る限り、映画の方が悲惨さをわかりやすく伝えてそうな印象です。

    1
    投稿日: 2015.09.11
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    ルソン島で戦病死している伯父がいる。もちろん、会ったことはない。大学を出た人で、その後、軍隊に行った。足があまりよくなかったと聞く。たぶん乙、それも第二だろう。 この本の前半は、それまであまり思いを致したことがなかったその伯父と物語が重なって、苦しかった。しかしそれどころか、戦争に行った人は、多かれ少なかれこのような、または別の、苦しい体験をしているはずだ。 父が買っていた、同じ著者の『レイテ戦記』が実家にあるが、初めのほうしか読んでいないと聞いた気がする。兄のフィリピンでの知らぬ姿を追って読み始めたが、苦しくて続かなかったのかもしれない。 後半の展開はおぞましく、卑近ななにかになぞらえて考えることもできなかった。 戦争というものの一つの現実として、多くの人が読むべき作品だろう。

    1
    投稿日: 2015.09.05
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    衝撃的な戦争体験 「雨が降り、木の下に寝る私の体の露出した部分は、水に流されて来た山蛭によって覆われた。その私自身の血を吸った、頭の平たい、草色の可愛い奴を、私は食べてやった。」 なんか可愛い。 文章可愛いのに内容えげつない。

    1
    投稿日: 2015.08.29
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    社会において、人が人を信頼することは幻想なのかもしれないと思ってしまった。極限状況における人間のエゴイズムを経験してしまった人は信頼という安易な信仰を捨ててしまったらしい。しかし、猜疑心にまみれた集団は社会ではない。そう考えると、無用の用というか、人を信頼することは真理ではないにせよ、社会が社会たるためには必要だと思う。しかし、やはりその基盤の弱さから信頼に対する信仰を持たない人を狂人として囲い込むことでしか信頼に対する信仰によって成り立つ社会は継続できない。野火は戦記ではあるが、とても文学的で、非日常から見た日常の歪みとか異常性をあらわにしているという点で学ぶものが多い。人は死ぬ理由がないから生きているという言葉はやけに印象に残った。彼の壮絶なる臨死体験がそう言わせしめているなら承服せざるを得ない。野火が書かれている段階でも、少数の紳士が戦争を始めようとしていたようだが、少数の紳士はいつの時代もいるし、騙される国民も一定数いる。彼らは野火を読み、再考すべきであるとひしひしと感じた。

    3
    投稿日: 2015.08.16
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    なんとも言えない重さ。映画の影響で本も読もうと思い手を出すも、やはり重い。「人間はどんな状況にも適応していく」「戦争を知らない人は、みな子ども」。このご時世にずしりとくる言葉が多い。 自分があの島にいたらどうなるんだろうか、あそこまで極限に追い込まれることが無いのでわからない。 ただ、戦争だけはイヤだなと、強く思う。終戦記念日の前日にというこの日に読めてよかったな。平和を願います。

    1
    投稿日: 2015.08.14
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    人間とは何か。天とは、自然とは、様々なことを考えさせられる過酷な戦場での大岡氏の体験に基づく記述は、戦争とは無縁に感じる現代の若者に様々な感覚を与えます。

    1
    投稿日: 2015.08.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    フィリピン戦線で結核に侵され、本隊を追放された田村一等兵。飢えと渇きに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の死体に目を向ける…… 極度の飢えの中、人肉を食べることに対して葛藤を続ける田村一等兵と、「俺が死んだら、食べてもいいよ」という仲間の最期の言葉。腐敗していく仲間の死体とは対照的に、神や天使を見る幻想的な描写が強く印象に残った。

    1
    投稿日: 2015.08.10
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     敗戦間近のフィリピン、レイテ島の戦線で、肺病にかかり 部隊から追放された田村一等兵の姿を描く戦争文学。  著者の大岡昇平さんは従軍経験があり、フィリピンにも戦闘 に行った経験もあるためか、情景描写がとても濃密だったのが 第一印象として強いです。  また食料を持たない傷病兵が治療どころか医療所に 入ることすらできないというのも驚きました。 人間を人間扱いさせてくれなくするのがやはり戦争なの だろうな、と改めて思います。  印象的な場面は飢えの中、田村が死体の肉に手を 伸ばそうとする場面。 死体の肉を切る刀を持った右の手首を半ば無意識的に つかむ左手。そしてその左手を奇妙な思いで眺める 田村の姿に、極限状態の中で揺れる人の理性と本能の 姿を強く感じる場面でした。  そしてその理性と本能の戦いがどのような結末を迎える のか、というところはとても読みごたえがあり考え させられるところでもあります。  概念や宗教的な場面もあって難しいと言われれば、 難しい作品でもあるのですが、純粋に戦争の悲劇を知る という単純な意味で読み継がれてほしい作品です。  ちなみに、この作品は田村の回想形式で書かれていて、 終盤は病院に入院する田村が今、思うことが書かれて いるのですが、それがとても印象的だったので、引用文の 登録ページとは別にレビュー内でも引用させていただ こうかと思います。 『この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、 私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとして いるらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、 それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたい らしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の 山中で遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時 彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は 子供である。』  これからの日本がどの方向に転ぶかは分かりませんが、 この言葉だけは全ての日本人の心に刻み込まれてほしいな と強く思います。

    6
    投稿日: 2015.07.05
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    太平洋戦争の激戦地として有名なフィリピンのレイテ島で、病気のため部隊から放り出された一日本兵が、復員後の精神病院で当時を振り返って書いた手記。極限状態で食人に駆られるが、誘惑に打ち勝つ。 フィクションだがこれと同様のことは実際に起こっていたと思う。自分の声が聞こえるだの誰かが見ているだのおかしな記述があるのは、精神に異常がある状態で記しているからか。一度はキリスト教を捨てた主人公が、最後にキリスト教に回帰するようなラストは印象的だが、ちょっと唐突な気もした。 これの映画化なんてとてもじゃないけど見られない。

    0
    投稿日: 2015.06.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

     異国の島の情景や極限状態における心理描写が濃密に描写されていて、私の人生経験では到底消化しきれないものが詰め込まれているように感じた。  美しく生命力に満ちた草木の中で、点々と転がる同胞の屍体。自分もやがてそこに行き着くのだという予感が、どれだけ人間性に影響を与えるか。  飢餓に苦しみ、人肉食いの欲求と抵抗を繰り返していくことによって、しだいに主人公の自我は分裂していく。人肉を食べようとする右手と、それを抑え込む左手。もはや自分の意志だけでは抑えきれなくなっても、神の存在を作り上げてまで彼は抵抗を続ける。  しかしそんな、人肉を拒む平凡な良心を持つ男であっても、異常な状況に順応できてしまうのだ。結果的に彼は人を殺し、「猿肉」も食べてしまった。  彼にとって、唯一残された人間性…自分の意志では人肉を食さなかった、という事実が、どれだけ救いだったのか。しかしそこに神の導きを見出そうとするラストの文章に、どことなく不安な気持ちを誘われるのはどうしてだろうか。

    4
    投稿日: 2015.05.30
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    芥川龍之介は「羅生門」のなかで 生きるための悪が正当化されうることを書いているが 大岡昇平の「野火」においてもやはり 同じことは繰り返される 生きるために共食いをする自由が、人間にもあるのだ 主人公は最終的にそんな現実を、狂気において拒絶するが それは、戦場の中で、死こそ救済であると感じるような体験を 経たことによるのかもしれない しかしその結論も実は 社会性を保つためにおこなわれた演技かもしれず 本当のところは本人にもよくわからないのであった 恐ろしい小説です

    3
    投稿日: 2015.05.17
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    祖父の弟がカンギポット山付近で戦死している。その人がどんなところで亡くなったのか。ある程度、把握できたような気がした。「生きてゐる兵隊」を読んでいて思ったことだけど、日本軍、現地人からしたら迷惑な存在だよなあ。にしてもこの読みやすさはすごい。直接的な経験をしていないとはいえ、よくもこんなに間を置かずに書けたものだと思う。

    3
    投稿日: 2015.04.24
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    フィリピンのレイテ島を生き残った主人公が精神病院で自分の事の体験を手記に残すという設定で書かれたフィクション。 架空の主人公が自分の体験談を語ったフィクションだが、著者自身、戦地に赴き、レイテ島で捕虜となった過去があるから、もしかしたら著者自身の経験や考えがベースになっているエピソードも多いのではないかなと感じた。 P166の偶然と必然に多雨する考え方が心に残った。 ひとたび国家が戦争に参加すれば、自分の意志の為ではなく他人(権力を握る小数)の意志の為に生きなければならず、あらゆる行動が偶然になると。そこでは生と死すら偶然という他人の必然に支配される。けがをしても、食料を持っていなければ治療あhおロア、病院にも入れてもらえない、などなど。 戦争以前、被戦時の時では、少なくとも、自分の意思があり、すべての行動は自分の必要によって駆り立てられた(好きなくとも個人にとっては)必然であったと。それが戦争の本質であるといっているようであった。 ただ、被戦時であっても、人間は生と死というもの以外に偶然というものを見分けることはできず、意外と、偶然の生を生きてしまっていたりすると。 文体が古く読みにくいのが難点。でも、ところどころ、哲学的な思想が出てきたが、よくわからない部分も多かった。なので、★★。もう少し年を食ってから読んだらわかるようになるだろうと思い、是非時間を空けて再読したい。

    1
    投稿日: 2015.01.31
  • 野火

    戦争の悲惨さを伝える文学は沢山あるが、敗戦国側の一兵士の目から見たこの作品は国産では最高傑作だろう。 戦艦大和やゼロ戦にビルマの竪琴などの物語が甘い夢物語だと、戦争を経験していない自分にも理解できる気がする。 ちなみに市川崑監督が映画化した傑作は原作と結末は違っている。

    2
    投稿日: 2015.01.18
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    結核、飢えと屍体――。 戦争とそれによる極限状態がリアルに描かれている。 かつて感想文の課題として読んだものだが、 いつか時間に追われていない時にもう一度読み返したい。

    1
    投稿日: 2014.10.13
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    塚本晋也監督が映像化するということで、読んでみようと手に取った一冊。移動中の高速バスに揺られながら一気に読み切ってしまった。著者の文章力の高さにただただ圧倒される。「私の運の導くところに、これがあったことを、私は少しも驚かなかった。これと一緒に生きて行くことを、私は少しも怖れなかった。ただ、私の体が変わらなければならなかった。」死ぬために生きるという矛盾した戦時下で、それでもただ体は順応し生きようとする。その手段がどんなものであっても。生きるとは何か、というよりは死ぬとは何なのかを考えさせられた本。(S.D)

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    投稿日: 2014.10.03
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    高校生のとき読んだ。ショッキングな内容のわりになんか、終始透明な感じを受けたのをよくおぼえている。映画にするなら、ぜひテレンス-マリック監督に撮ってもらいたいなぁ。

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    投稿日: 2014.09.18
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    実は中学2年生の時に読んだが…今考えるとこれを中2で読むのは容赦ないな。 最後に状況が紹介されるように、戦後の病院における手記だけあって、描写がリアル。読んでて気分が重くなるよう。

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    投稿日: 2014.01.02
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     はじめて大岡昇平の本を読んだ。これは第二次世界大戦中のフィリピンでの日本兵の体験を描いた小説で、人肉嗜食というかなり重いテーマを扱っている。  主人公は戦場で結核に冒され、自分の部隊から追い出されてしまう。そして、死体が散乱するフィリピンンの密林をさまよい続ける。凄まじい飢えに苦しむ主人公の脳裏に、「人間の屍体をを食べる」という考えがよぎる。しかし、そんな彼に話しかける姿の見えない「誰か」がいた‥。  戦争小説というジャンルに収まりきらない本だと思う。生と死、倫理、宗教など、人間の根本にかかわるものが凝縮されている。

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    投稿日: 2013.12.03
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    戦争小説。 吐き気がする。 なんのための戦いなのか? 味方同士で殺しあう? それで生き残ればいい? なんのために生きているのか?

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    投稿日: 2013.10.13
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    『俘虜記』から3年程後の作品だけど格段にパワーアップしている・・・。 類稀な心理描写・風景描写に黄金比のようなストーリー構成。 終盤「猿」の章は正に圧巻の5頁。 数々の表現が心の深い部分に刺さる、久々に傑作だと感じた一冊。

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    投稿日: 2013.10.04
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    フィリピンでの戦争において、病のために前線を退き、軍から不必要とされた一人の兵士の生き方を表した作品。 自分にとって初めての戦争文学だったが、戦地の生々しい描写がその悲惨さを感じさせてくれました。 この作品の大きなテーマは、殺人と人食と神。 追い詰められた状況、いつ死んでもおかしくない状況、人間すら敵になる状況で、最後に人食を拒ませたものは何か、考えたい。 正直なところ、この細かい描写で、頭ではその悲惨さが理解できるが、実際にはその半分以下程度しか深刻さが理解できていないように感じた。

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    投稿日: 2013.08.08
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    (1992.08.15読了)(拝借) 第3回(1951年) 讀賣文学賞小説賞受賞 内容紹介 敗北が決定的となったフィリッピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的名作である。

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    投稿日: 2013.06.17
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    投入された人数は8万4千人、うち戦死者は8万人近くにも及ぶと言われるレイテ島の戦い。死者の大多数は戦死ではなく病と餓えによって倒れていった。剥き出しの自然、剥き出しの人間、そして無残に朽ちて行く屍体。そんな極限状況の中、人は果たして禁忌を回避し倫理を保つことができるのか。出来るのだ。ただし、それは平時では少しばかり狂気に似ているものによってだが。そして、現代の日本でも未だ餓死は存在していることを忘れてはならない。これは戦争文学であると同時に、現代で人間らしく生きる為に書かれた文学だ。凄まじく、素晴らしい。

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    投稿日: 2013.05.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読んで最初に思い出したのが、 遠藤周作の『沈黙』。 極限状態・葛藤・選択・信仰というキーワードかな。 もっとも、『沈黙』は★5なんだけれど。 まあ、基本的に戦争物は得意じゃないです。 あまりにも辛すぎるから。 カニバリズムは、 私の場合他の人が言うほど食欲には影響を及ぼさないんだけど、 それよりもそれが選択肢として思いつく状況に目を瞑りたくなる。 人肉食の行を読んで食欲をなくす、 というのはやはり環境に余裕があるからなんだろうなーと、思うし。 そんな場合じゃないってどれだけ酷い状況か。 人は民族・時代を問わずタブーが三つあるんだそうだ。 インセスト・タブーと、 殺人と、 カニバリズム。 もっとも古代ギリシャでは近親結婚はあたりまえだったし、 人肉食を行っている民族も、恐らく、実在するし、 殺人なんて日常茶飯事だ。 が、多くの文化が、この三つをタブーとしている。 そして、この『野火』で出てくるのはこのタブーのうち二つなわけだ。 戦争は殺人を正当化するが、 ここで描かれているのは その正当化のための大義名分をももはや意味を失い ただ自分を守るために人を殺してしまう極限状態であり、 人肉に惑わされるほどの飢餓と、 ついには一度それを口にしてしまったという恐怖。 ...これで狂気に陥らない方がおかしい。 この物語が語られる時、 人肉食がメインとされることが多いんだけど、 主人公を狂気の側に一歩踏み出させる原因には やはり罪なき人を殺してしまった、 という罪の意識もあるのだと思うのです。 段階的にはまだまだ手前ではあったけれど、 確実な一歩だったと思う。 殺人と人肉食、 この二つが、この物語のキーワードではないかな。 最後に主人公田村は 「野火に見て人間を探しに行ったのは、 実は自分は彼らを食べたかったのかも知れなかった」、 と述懐しているが、 それはきっと、 心のどこかで知りながらあまりの空腹故に意識的に気づかないふりをして 一度人肉を口にしてしまったという事実、 その後悔と怖れから自分を糾弾しているに過ぎないのだと思う。 事実は、ただ仲間や食料を求めていたはずなのだ。 淡々と語りながらも言葉の端々に出るこういった歪みが、 実に痛々しくて読んでいて苦しくなる。 戦争ってするもんじゃないねー、 と改めて思ったさ。 で、たくさんの人に読んで欲しい。 特に好戦的な今の若人に。

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    投稿日: 2013.02.05
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    情景描写が美しく、的を射た表現で書かれています。 戦火の記憶、人としての矜恃と欲望が生々しくそこにはあって、兵士は一人の人間として描かれていました。 極限状態でも集まりの中で社会の構図が成り立ってしまう人間は愚かであり、田村の食人への本能的な罪悪感、それを失いたくないという貪欲な姿勢はある種の神なのかもしれないと思いました。

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    投稿日: 2013.02.03
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    敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野をさまよう田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。 平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品である。

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    投稿日: 2013.01.06
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    神を否定も肯定もせずに、このテーマを扱うこと自体に違和感を感じるんだけど、そもそも書き手も読み手も信仰を持たない日本人なんだからこれが自然なのかな。 自分の感じた違和感が、宗教的な観点からくるものなのか、それとも正気と狂気の狭間にいる主人公の不安定から齎されるものなのか、ちょっと良く分からなくて、内容云々は関係なく気分が悪くなりました。多分、この作品を評価する妥当な表現を私が知らないだけだと思うんだけど…。 結核に冒され、数本の芋を渡されて部隊を追い出された田村。彼は行くあてもなく戦場を彷徨う中で、無辜の命を奪ったことに煩悶しながら嘗ての戦友と出会う。蛭を食らうほどに飢えた田村は、やがて物言わぬ死体に目を向けるようになるが…

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    投稿日: 2013.01.03
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    敗戦濃厚なフィリピン戦線で生を諦め、生に執着する一兵士を綴る。野火に興味を持ち、野火を怖れていたのは、人がいることを期待していたのではないかと述懐しているが、本当はどうだったのか。極限まで人間は追いつめられると、本当のことが分からなくなってしまうのだろう。そうなってしまった後は、精神病なのかどうなのか。自分だったら一体どうなるか、そうはなりたくはないが、考えさせられる内容だった。

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    投稿日: 2013.01.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    第二次世界大戦時の話。 人肉を食べようとした自分の右手を、自分の左手が止めた。 そのときの描写が印象的だった。 戦争ものにありがちな戦争の悲惨さ・残酷さのみを 強調しているのではなく、人間というものについて、 人間を人間たらしめているものについてが重要なテーマとして 挙げられているように感じた。

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    投稿日: 2012.11.27
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    読むのを楽しみにしていた作品ですが、どうもしっくりきませんでした。 もう少し戦争小説に慣れ親しんでから読むと、印象がちがっていたかもしれません。

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    投稿日: 2012.09.13
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    フィリピン行軍の著述の細かさ!地図を見ながら読むとまた面白い。だんだんと狂気にかられていく描写が凄まじい。死ぬ理由がないから生きているにすぎないという最後の独白。細かな動作や、印象の述べ方によってうまく人物造形や心境の変化が表現されていると思う。 26/163/166/82

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    投稿日: 2012.09.08
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    『大学新入生に薦める101冊の本 新版』の63番目の本。 第二次世界大戦、フィリピンに送られた日本人兵士が、敗北が目に見える状況下で病気を患い、数本の芋を渡されて部隊から追放される。 洋画でよくあるような、サバイバリティ溢れる人たちが協力して生き伸びる話ではない。死を目前にして、自分のいるこの状況を笑い、偶然発見する教会に対する宗教心の芽生え、殺した人間の亡霊を恐れ、兵士を食らう戦友を見、神の出現を意識するなど、狂気をリアリティ溢れる描写で表現する戦争文学である。

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    投稿日: 2012.08.18
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    ダイエー創業者の故中内功氏の著書に、太平洋戦争の激戦地、生還率3%であったと言われるフィリピンのレイテ戦線における過酷な敗走が原体験として書かれていた。そして、そこで見た情景は、大岡昇平の「野火」の世界そのものであったという。食料、日用品を庶民に安く提供したいという強い思いは、ここから、来たという。かねてより、今日8月15日の終戦記念日に読もうと決めていた。

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    投稿日: 2012.08.15
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    初版が60年前。少しも古さを感じさせない。狂気の視点に置くことで免罪させているが、結局、戦争というものが狂気なのだ。 現代なら、さしずめPTSDと診断させられるものだろう。 この狂気はアメリカ兵のイラク派兵でもあった。 主人公は人肉食を思いとどまったように書いているが、どこで線引きをするかという「言い訳」に終始している。 彼は神の使者として、永松を撃ったのだろう。

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    投稿日: 2012.07.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    何度も挑戦したがそのたびに挫折していた小説だ。今回は最後まで字面を追うことはできた。が、読めたというには程遠い。 生きるか死ぬかの極限状態において、人間は人間の肉を食べることができるのかを問うている。 その時変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。この奇妙な運動は、以来私の左手の習慣と化している。私が食べてはいけないものを食べたいと思うと、その食物が目の前に出される前から、私の左手が自然に動いて、私の匙を持つ方の手つまり右手の手首を、上から握るのである。p131-132 人間は人を殺せてしまう、人を犯せてしまう、人の肉を食べれてしまう。ではなぜ日ごろ私たちはそれらをしないのか、あるいはできないのか。法律で罰せられるからしないというだけではないだろう。そうさせない何かがあるのではないか。レヴィナスならそれらの行為を押しとどめるもの(右手首を握る左手)を倫理と呼ぶだろう。

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    投稿日: 2012.07.02
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    自分の意志で人肉を食べなかったことを正当化しようとしているようだった 人間の極限状態の一つなのか

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    投稿日: 2012.07.01
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    戦場となった島で飢餓に苦しみながら生きた兵の話。…とは少し異なる気がするが、この本の内容を短く、わかりやすく表現することができなかった。 文章量はそれほど多くないが、丁寧に読みたくなり思っていた以上に読み終わるまでに時間がかかった。 情景のリアルな描写と細かく書かれた心情とで、じっくり読むと頭の中が支配されてしまうような小説だと感じた。 戦争小説を読み始めたばかりの私には少し早かったような気もする。

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    投稿日: 2012.06.29
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     小説というものが、人間をある状況下に投じる実験であるならば、戦争という状況は人間を破壊か転生にしか導かない単純なものに成る気がする。それも破壊と転生はどちらとも解釈出来る変化である。殺されるという恐怖と不安、殺さなければならぬという強迫と罪悪感、この究極においてはひとは遅かれ早かれ狂人へとなるしかない。    問題は狂人と一括りにされるなかには、実は多種多様な「狂い」が存在していて、しかもそれは一個の人間の体内でさえ分離した自分ないし他人がいるということだ。  時間による精神浄化作用によって、瘡蓋の如き傷跡は消えても、深く抉り取られた心の傷はむしろより鮮明に心像に徴を残す。 「その時彼等は思い知るだろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。」

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    投稿日: 2012.05.06
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    「病気は治癒を望む理由のない場合何者でもない。」と死を覚悟していた私は、比島の女を殺し(私によると事故による殺人)、その現場で見つけた塩を林の中を彷徨い歩くうちに出遭った同胞に分け与えることで、彼らと行動を共にすることを可能にし、そして彼らによって内地に生還できる可能性のあることを知らされる。生への執着が芽生えることで、いままでまったく生じることの無かったエゴイズムが姿を見せ始めた。ある程度、私は予期していたであろうが人肉を食い、やがて同僚も殺してしまう。(私の記憶は欠けている)私は最後は神に逃避したか?

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    投稿日: 2012.04.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    戦時下という極限状態における、人間の狂気を描いた名作。人間はここまで壊れてしまうのかという様子を、もう1人の「私」の視点で語ることで、その恐ろしさはさらに増している。

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    投稿日: 2012.04.09
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    最後の数ページの思考がすごい。ブルブルする。 神様・宗教・戦争・カニバリズムに感心があるわけではないが、 この小説を読んだことで、自分が何気なく行った事柄・見てきた物にも、 意味があったのか考えてしまうようになった。

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    投稿日: 2012.04.06
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    戦争文学は今まで色々と読んできたけれど、加賀乙彦の帰らざる夏と双璧をなす重厚さと衝撃。そんなに長い物語ではないがあまりに多くの要素が詰め込まれている。負傷、飢餓による極限状態はどんなにおぞましい言葉を尽くして語られても、実際問題としてわたしの身体がここまでの極限状態に陥ったことがないため残念ながら実感として受け止めることができない。しかしながら、本来ならば仲間であるはずの日本人同士の細かな削り合いのような会話には、極限状態における生きている人間の恐ろしさ、むしろ死んだ人間より生きた人間のほうが恐ろしいということをまざまざと感じさせられて背筋が凍った。 猿の肉、の衝撃。仄めかされるキリスト教信仰のかおり。『目を上げてわたしは山々をあおぐ。私の助けはどこから来るのか。』この聖句の続きは『私の助けは来る、』だったと記憶しているのですが、残念ながら小説中では最後の最後になって、あらぬ形で助けか来たとも言えるかもしれないな、と思った。

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    投稿日: 2012.02.25
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    以前、一度読み始め、わりと早い段階で中絶した作品。 決して長い作品ではないのだが、何故か読むのが遅々として進まず、読み終えることにかなりの困難を感じた。 その頃、他のことで忙しかったのと、余裕がなかったことが、原因の一つとしてあったかもしれない。 そして、再び、今度こそは読み切ろうと一念発起した。 どうしてあの頃、私は読めなかったのだろうか。 晦渋な用語が並ぶわけでも、文体が読みにくいわけでもなく、当然変らず長くもない。 では、どうして――。 描かれる田村一等兵の極限状態が、あるいは私にも類似した精神状況を要求したのかもしれない。 だとすれば、私はそれに応じるだけの体力を、あの頃持っていなかったということなのだろう。 今、読み終えてみて思うのは、この作品がこちらに働きかけてくる運動の力強さである。 それを適切に言語化することがすぐには出来ないのだけれど、とにかくそれは作品の運動に連鎖するように、私にもまた新たな運動を始めさせるような力である。 しかし、やはりまだ言葉に出来ないのだ。 大岡が言葉によって表現されるものを確信して表現した『野火』を、対等に表現する言葉を、私はまだ持っていない。 それは私自身の力量が足りないせいもあるだろうが、同時に、むしろ押し寄せる言葉の波があまりに過剰であるために「絶句」(蓮實重彦)せざるを得ないからなのである。

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    投稿日: 2012.02.10
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    戦争文学の代表的作品とされている。描かれているのは戦局ではなく、主人公である田村一等兵の極めて個人的な体験だ。スペインのレイテ島において結核を病んで部隊から追い出され、食料を持っていないから病院にも受け入れてもらえない。さらに病院自体が砲撃を受けて、田村の戦争はひたすら放浪することに行き着く。 極限状態の描写は、その状態を経験したことがある人間でないと想像もできないほど生生しいが、それ以上に、主人公の心の中がちょっと冷静過ぎるほどに分析されている。

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    投稿日: 2012.02.08