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総合評価

253件)
4.0
76
85
57
4
2
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    戦争時の極限状態における人間の異常心理を克明に描いた戦争文学の傑作。戦争という人類の愚行が主人公の心の奥深くに残した禍根や、最後まで人肉に手をかけることを拒み続けた彼の潜在意識における葛藤が、朦朧とした記憶の奥に幾度となく再現される野火に投影され、眼前に不思議な情感を伴って立ち現れてきます。

    1
    投稿日: 2011.12.06
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    『野火』の舞台は、敗色濃厚となつた戦時中のフィリピンです。 田村一等兵は結核といふ因果な病に冒され、病院からも追い出されます。 分隊長からは、食糧を持たぬ病気持ちは面倒見れないといはれ、どこへも行くところがなければ死ねと突き放されるのであります。  「臓腑を抜かれたような絶望と共に、一種陰性の幸福感が身内に溢れるのを私は感じた。行く先がないというはかない自由であるが、私はとにかく生涯の最後の幾日かを、軍人の思うままではなく、私自身の思うままに使うことが出来るのである」 何といふ悲しい「幸福感」、やるせない「自由」でせうか。 田村は単身フィリピンの荒野を放浪し、緊張感の持続する体験をします。はづみで現地の女性を射殺してしまつたり。 途中から行動を共にする安田、永松らは「猿」を捕えて食糧にするといふ。ん?「猿」とは...? 緊張感のある引き締つた文章で、読者は容易に『野火』の文芸世界に入ることが出来ます。 著者のキリスト教体験が効果的に生かされてゐます。寓意をどう読み取るかは人それぞれでせうが... 難解な用語や言ひまはしもところどころに存在しますが、まことに歯応へ・読み応へのある小説と申せませう。 http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-97.html

    1
    投稿日: 2011.12.04
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    生還率3%と太平洋戦争中最も苛酷な戦場となったレイテ島において、 実際にあったと言われる兵士同士の人肉食いがテーマとなっています。 平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉喰食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学。

    1
    投稿日: 2011.10.06
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    風邪ひいてボーっとしながら読んでしまったのを後悔してます   また読まなきゃいけないな……   しかし、それを抜きにしても難しかったです  

    2
    投稿日: 2011.09.14
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    大岡昇平(1909-1988)の小説、1952年の作。 「戦争へ行くまで、私の生活は個人的必要によって、少なくとも私にとっては必然であった。それが一度戦場で権力の恣意に曝されて以来、すべてが偶然となった。生還も偶然出会った。その結果たる現在の私の生活もみな偶然である。」 「今平穏な日本の家にあってこの光景を思い出しながら、私は一種の嘔吐感を感じる。しかしその時私は少しもそれを感じた記憶がない。嘔吐感は恐らくこの映像を、傍観者の心で喚起するためである。平穏な市民の観照のエゴイズムの結果、胃だけが反応するからである。」 戦争という人為が、非人間的な極限状況をつくり出す。そこで世界は、人間的な存在秩序の被膜を剥ぎ取られてしまった。人間性の限界、その深淵を覗き込むことを強いられた。殺人、食人。狂気に陥ることを強いられた。そこに於ける自他の支離滅裂な無軌道を整序しようと、絶対者の観念を持ち出して罪悪感だの罰を与えるだのと云い募ってみたところで、もう追いつかない。何故なら「・・・、神は何者でもない。神は我々が信じてやらなければ存在し得ないほど弱い存在である」から。 人間の親しむ世界のすぐ下には、薄い被膜一枚で隔てられたその下には、神の屍骸が墜ちていった虚無の深淵が、遍在している。それはもはや非人間的とすら形容し得ない何かだろう。しかしそれを覗き込んでしまうのもまた、人間自身だ。 戦争は、人間性というものの薄皮一枚の脆さを露呈させる。「戦争を知らない人間は、半分は子供である」。しかし当の戦争が、極めて人間的で形而下的な事情で惹き起こされるのもまた事実だ。 ここに、人間というものの遣り切れなさを感じずにはおれない。 息苦しくなるほどの緊密な文章。

    1
    投稿日: 2011.08.09
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    戦争中に結核を煩い、本隊を追放され、飢えの中で人肉を食らおうとするも、自己の葛藤がそれを許さない。 捕虜になるか、それとも友軍の肉を食べるか。 物語の途中である転機が起こり、そこから主人公の内面描写の変化がその危機的状況下や、当時の生活の凄惨さを表し、戦争やその時の思考などが表れ、重いながらも何か感じることのできる作品です。 禁忌していた事が、ある日何事もなく日常に移り変わるのは、少なくとも正常でいられなくなるのではないのでしょうか。

    1
    投稿日: 2011.07.05
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    昔に買って、読まずじまい。 最近、開高健の『人とこの世界』を再読して、 大岡昇平を読んでみたいと、また思うようになった。

    1
    投稿日: 2011.05.25
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    電車の中で高校生がこの小説の感想についてしゃべっていて「何か最後のほうエヴァンゲリオンみたいになる」と言っていたことを思い出す(エヴァンゲリオンを見ていないのでそのたとえが妥当なのかよくわからないのだが…)

    1
    投稿日: 2011.05.22
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    戦争文学の金字塔。 フィリピンでの上陸戦で敗走する日本兵の極限の飢餓と人食を描く。 主人公視点で描かれていて、状況は切羽詰まっているのに関わらず、主観的な重さや醜さが感じられない。 主観的にして客観的。このアンバランスさが逆にリアルであり、そこに崇高なものさえ感じられる。 戦争後、狂人として精神病院に収容された主人公が、戦争体験を語る手記という形で書かれています。 気持ち悪くなるような過度の描写はないのですが、さらっと客観的に書いてある所に逆に怖さを感じました。 大岡昇平初読。

    1
    投稿日: 2011.04.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この本を読む前に、ある補充兵の戦いを読んだ。その時以上に非常に客観的であり、一人称であるというのに「私」ですらどこか別の視点で捉えて進んでいく。 よくある兵士の手記に出てくるような、国家や軍、戦争への憎悪は私には感じられなかった。「偶然」でしかないという感覚は、開高健に出てきたベトナム兵のシャッター反応のようなものなのだろうか。 極限状態において、何の下心もなしに人は人を助けない…というのは私の心の中のメモに留め置く。

    1
    投稿日: 2011.03.20
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    日本軍とアメリカ軍の戦いが行なわれたフィリピン・レイテ島が舞台の小説。 日本軍はアメリカ軍の10分の1程度の数の兵を武器も食料もろくに持たせずに送り込んだ。その中の一人がこの小説の主人公田村上等兵であった。 レイテ島上陸後、持病の結核が悪化した田村は5日分の食料をわたされ病院に向かった。病院に5日分の食料を出した田村は3日後に治ったと言われて復隊した。分隊では5日分の食糧を持っていった以上は5日は置いてもらえと言われ病院へ引き戻された。 病院への帰路の途中、野火を見た。現地ののフィリピン人の焚く野火だ。以後飢餓と闘う田村の頭に不安の象徴的なものとして野火がたびたび現れることとなる。再び戻った病院ではもちろん入院を拒否された。病院で受け入れてもらえない田村は、同じような境遇にある数人の兵士と病院の隣の林で過ごしていたが、その後一人で飢えに苦しみながら、熱帯の山野をさまよう。 飢えに追い詰められた日本兵の間では死体や仲間を殺して喰うことが広まりつつあった。死体の一部が不自然になくなっている多くを田村は見た。 その後病院の所で出会った永松・安田に再会し、その永松から猿の肉と称するものを薦められ食べた。田村は真相を知らなかったがそれは永松が殺した日本兵の肉だった。永松と足の悪い安田は二人でずっと生きながらえてきたが、ついに永松は安田を撃ち殺した。それを目撃した田村は銃を取り上げて永松にねらいを定めた。そのとき、後ろから誰かに後頭部を打たれ田村は気絶した。人肉を食べたい気持ちにが高まりつつあった田村であったが、最後は思いとどまったのだ。敗戦後、田村は記憶喪失になり病院に収容されたのだった。 こんな感じのあらすじである。戦争という極限下における人間性について、人肉を食べることの是非を採り上げ、書かれた作品である。この是非について私は語ることをしない。というか状況が想像を絶していて何も言えることがないのである。しかし、戦争の是非がどうであれ後世に絶対に残さなければならない作品であることは間違いないし、それゆえにこの作品を知らなければ恥ずかしいとも言えるだろう。    本文中の、 「人間はどんな異常の状況でも、受け入れることが出来るものである。」 「飢えも、食物を得る困難も、問題ではなかった。人間は何でも食べられるものである。あらゆる草を、 どんなに渋く固かろうと、虫を喰った跡によって毒草でないと知られる限り、採って食べた。」 「私はいかに自分の肉体を養う要請に出づるとはいえ、すべて有機物から成り立っている食物を食べることを、その有機物以前の所有者であった生物たちに、まず詫びるのである。私としては、むしろ少しも自責なくこれを行なっている、人間共が不思議でならない。人間同士の愛と寛大、つまりヒューマニズムについて、あれほど大言放語している彼らがである。」 「戦争を知らない人間は、半分は子供である。」 といった言葉が心に強く響く。 この本を読んでより多くの人に「生きる意味」を考えて欲しいと思う。

    1
    投稿日: 2011.03.12
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     肺を病み原隊から放り出された兵隊の彷徨。南国の、まとわりつくように暑苦しい自然の中で己について死について、そして神についての思弁が延々深まっていきます…。  「平凡な中年男」とされている主人公の、知性と教養に言葉もなくなります。肉体の苦痛から逃避しようとすると、人間ってこうなるのだろうかと。

    1
    投稿日: 2011.01.23
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    敗北が濃厚になったフィリピンのレイテ島で結核に冒された田村一等兵は、病を理由に本体から追放された。軍医たちが患者たちの持ってくる糧秣で食いつないでいる情況の病院でも、動ける田村は受け入れてもらえない。 田村は野火が立ち上るフィリピンを激しい飢餓に襲われながら彷徨い、草木を食べ、血を吸った蛭を食い、やがて死んで間もない兵の屍体へ手が伸びる。ぎりぎりのところで踏みとどまった田村が極限状態で感じたものとは…… 中学3年の時に初めて読んで、泣いた覚えがある。 戦争の話でした。極限状態で人が人を食す話。読んでいて凄く辛かった。 再読予定。

    1
    投稿日: 2011.01.09
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    これ程に無駄な文章のない小説を知らない。題材は作者の強烈な体験に基づいており、今を生きる我々には想像を超える… フィリピンやビルマなど、仕事で行くが、やはり日本人には戦争の事実を忘れてはいけない事を痛感。

    1
    投稿日: 2010.12.26
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    ・8/21 名前ぐらいは知っていたが初めて読む.確かに文学的に高尚なテーマだけに、のっけからかなり思い悲痛の篭った内容だ. ・8/22 淡々と進んでいた話がちょっと変わってきた.これからの展開が気になる.でも観念的な主人公の回想は難しいな. ・8/25 いよいよ大詰め.精神病院にいる主人公の回想の物語だったが、はらはらドキドキというよりもぐっと身に迫った感じの重い物語だった.どういう感じの終わりになるのか、今日の帰りが楽しみだ. でもやっぱり神様とかいうので締めくくられるのね.

    1
    投稿日: 2010.09.05
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    「しかし銃を持った堕天使であった前の世の私は、人間共を懲すつもりで、実は彼等を食べたかったかもしれなかった。野火を見れば、必ずそこに人間を探しに行った私の秘密の願望は、そこにあったかも知れなかった。」 季節柄タイムリーな1作。 重い!!重いよぅ。 どよんどよんとしながら読んでしまったけれど、 物語でありながら、どこか本当であるように思える。 いや、本当のことなのではないか? とにかく、そこにあるのは悲惨さ、苦しさ、悲しさ。 ネガティブな言葉が次々と並んでしまいそうだ。 そこから何を学び取るのか、、 【8/8読了・初読・先生蔵書】

    1
    投稿日: 2010.08.13
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    第二次世界大戦。レイテ島に配置された「私」は病気を理由に隊から追放され、野戦病院に厄介になることもできない。そしてアメリカ軍からの攻撃を受け、生き延びるべく密林をひとり逃げる日々が始まる。孤独と飢えと、そして殺人―― 自らを天使と信じ、狂気に陥った「私」が綴る物語。 * * * 感想は言えない。 絶句。何をどう言えばいいのか分からないくらいに凄まじい。 初読から数年経ったというのに、私はいまだこの作品について語る言葉を持ち得ない。 素晴らしい作品。 戦争物ですがこの物語の主題・核はそこではないと勝手ながら思っている。なので戦争物に興味がない人も読んでみて欲しい。

    1
    投稿日: 2010.06.26
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    戦時中、食料不足で人を食べる話 という印象からは程遠い、淡々とした興味深い内容。 已むに已まれず生き延びる為に死体の肉を食う のと 生き延びる為に人間を狩って食う のは違う気がする。 が、自主的に食べたのではなく 人に食べさせられたのだからそれはカウント外 というのは言い訳じみており 語り手を狂人としたのがミソである。 人は肉を食う時、どういう区別をつけているのか。 人は倫理にもとり、牛や豚なら良いが海豚や犬は微妙 だったり 焼き鳥屋で雀は食うが、飼っている雀は食わないだったり。 肉体のサイズだけではなさそうだ。 ある小説の主人公は、考えた末「友達であるか否かでは ないか」と答えた。 が、友達でない、赤の他人に突然襲いかかる事件はあっても それは多くの場合食べる為ではない。 ならば、何故なのか。 何故、人の肉は食べては駄目なのだろう。 遭難や戦時などの非常事態に於いて 人の肉を食ったところで、私には否定する気は全く起きない。 批判出来るとすれば、食われた本人だけのような気がする。 もし自分がその立場にいたら、倫理に反するという理由でなく、単に気持ち悪いという理由で食べない気がする。 そんな理由がどうでも良くなるほどの極限状態にいたら、 自分がどう判断するかは予測がつかないが 逆に自分が死んだら、食ってもいいよと言うだろうと思う。 ただ、食う為にまだ生きているのを殺されるのは嫌だ。 それはエゴだろう。 自分が生きる為に他の命を殺すなんて。 しかしそれなら、人は人以外の様々な命を日々殺して食いつないでいる。 それは、エゴではないのだろうか。 一生で何十万と命を犠牲にするほど、人間は生きる価値 のある生命体なのだろうか? 確かに、色々と考えさせられる作品。

    1
    投稿日: 2010.06.17
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    そんなに長くはありませんが、重く深い話でした。 著者大岡昇平の戦争体験をもとに書かれた、カニバリズムをテーマとした作品です。 描写が文学的でありながら、とてもリアルでした。 美しい自然、惨い戦争体験、そして徐々に狂っていく主人公の哲学や宗教心。 飢えた身体が求める人肉。 「食べていいよ」と許可を得た身体に伸べる右手と、その手を抑える左手。 どこからか聞こえた声に従って立ち上がり屍から遠のく。 極限状態にある人間の姿。 そんな状態からは程遠い私には理解できないほど、驚くほどそれは強く、そして弱い。 死を容認にしたはずの命の、生への衝動と神への信仰。 死を受け入れた時、人は誰も哲学者になるのかもしれない。 平和ボケした日本人にオススメです。 戦争とはこういうことなんだと。

    1
    投稿日: 2010.04.09
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    大岡昇平は、101年前の1909年3月6日、東京で生まれ22年前に79歳で亡くなった小説家。 本書は、すでに情況は敗戦の色濃い太平洋戦争末期のフィリピン戦線の話。主人公・田村一等兵は肺病にかかったことで部隊にいられなくなり、食糧不足を理由に野戦病院にも入院を断られる。やむなく熱帯のジャングルを、誰も味方のいない恐怖と飢えとも闘いながら彷徨い歩くはめになる。その飢餓と孤独の中でとてつもない崩壊感・殺人・人肉食への衝動・戦友同士の醜い争いと極限にまで達した現実と向き合うが、何ひとつ救いがないことに絶望して、ついに狂人となってゆく、という物語ですが、なかでも、このカニバリズム(人肉食)ということでは、ちょうど前後して上梓された野上彌生子の『海神丸』(1922年)や武田泰淳の『ひかりごけ』(1954年)では、美味しそうに、じゃなかった、やむを得ず実際に食べるのですが、この『野火』では、倫理的にできないと拒否して思いとどまって食べなかった訳ですが、その替わりに発狂してしまうのです。 もちろん、まぎれもなく吉田満の『戦艦大和ノ最期』も、そして野間宏の『真空地帯』も、あるいは野坂昭如の『火垂るの墓』も、戦争文学として実体験をもとに文学的昇華を遂げた傑作に違いないのですが、この『野火』は、そういう記録文学や戦争告発として優れているばかりか、それに加えて人間の極限状況における行為・心理をするどく描いた作品として至高であるということです。 『俘虜記』(1949年)、そして本作『野火』(1952年)、さらに『レイテ戦記』(1971年)と、歴史的な戦争文学の名作を立て続けにものした大岡昇平ですが、戦場でもう充分すぎるほどの辛苦をなめ苦闘したのに違いないのに、生還してからもなお死闘の続きを生きる道を選んで、体験の領域を越えた人間性の深部・暗部を考察し、それと格闘する真の作家の姿を、否、戦争体験したことによる特権的生を生き切ることに固執せざるを得なかった等身大の大岡昇平が、全人類の苦悩をたったひとりでしょって起って奮闘する姿は、まさに感動的で崇高ささえ感じます。

    1
    投稿日: 2010.03.06
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    負傷兵として戦いそのものからは外れながらも、戦争の前線をかいくぐって生き延びていく話。後半では、究極の状況で人が人を食べることの意味、是非に焦点があてられている。 著者の実話を書いているのかと思って読み進めていたが、戦争体験は活かされているが違うのかな?

    1
    投稿日: 2010.01.10
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    敗北が決定的となったフィリッピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃え広がる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の死体に目を向ける……。(裏表紙より一部引用) 生誕100周年で、何かと話題になっていたのですがなかなかお目に掛かれず。先日古本屋で発見したので手に取りました。 戦記だと思ったのですが、カニバリズムをもテーマに含んでいたとは。 そういえば武田泰淳の『ひかりごけ』を読んだときに、レビューで比べて書かれていたような気がしました。 文章自体は読みやすく、情景も細かく書かれています。 戦場は壮絶です。ありありと浮かんできました。 これまで、南方系の戦記は水木しげる氏のものしか読んだことがなかったので、新境地でした。 田村は数々の場面も生き永らえたものの、最後の安田と永松との再会以下がかなりえぐいというか、恐ろしかったです。 極限状態で生き延びるというのはこういうことか!と。 主人公・田村がフィリピン人女性を殺してしまったときのシーンから引用です。 「銃は国家が私に持つことを強いたものである。こうして私は国家に有用であると同じ程度に、敵にとっては危険な人物になったが、私が孤独な敗兵として、国家にとって無意味な存在となった後も、それを持ち続けたということに、あの無辜の人が死んだ原因がある。」 戦争ってホントなんだろう。 人の在り方も、人生も、価値観も変えてしまう。 こういう作品は絶対に読み継がれていくべきものだと思います。 今の豊かな社会に生まれた日本人は、今も、どこかで誰かが飢餓状態になっていて、人が戦場で倒れていることを忘れています。 星4つなのは、最後が個人的にあんまり気に入らなかったので・・・。

    1
    投稿日: 2009.12.08
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    教科書に一部がのっていたので、 すぐさま購入したおぼえがあります。 この本が自分に与えた影響は大きかったと思います。

    1
    投稿日: 2009.11.25
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    結構衝撃的な本。所謂カニバリスムが題材です。 これ授業で読まなきゃいけなかったんだけど、先生の解説で新たな事実を知ってしまって・・・。 当時衝撃的だったのを覚えています。 きっと全てを理解した上で読むとまた面白いんでしょう。

    1
    投稿日: 2009.11.02
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    映画の『ヒカリゴケ』を見たので読んどこうと。 戦争体験文学人肉嗜食小説として有名な一冊。 『ヒカリゴケ』の方はひどかったけども、野火は文章がちゃんと綺麗で整然で最初思っていたより面白く読めました。 文章がきれいだから教科書とかにも載ってる? こういうグロトラウマ系は自分の意思で読む方が絶対いい。

    1
    投稿日: 2009.08.27
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    敗戦が濃厚となってきた頃、フィリピンで隊から追放された田村一等兵は死ぬことを潔く決めたり、仲間に出会ったり食糧を見つけたり助けられたりしたらまた生きようと思ったり。しかし段々彼の状況は過酷に輪をかけたようになってきて、ついに仲間の兵士の肉を食べてしまおうかという境地にまで追い込まれるのだけど…… 私はてっきり人肉を食べてしまいましたな話だと思って小説を読み始めたら全く違う。死という未来を受け入れたが故に田村の至った思想や感慨、あらゆる彼の見方がまさに大正〜昭和期の純文学ってこんな感じじゃない? と思わせるものでした。ただの戦争文学じゃない! 深いなあ。しかし、やはり設定が設定ですので人を殺すこと・人が共食いをしてしまうこと・戦争ということ、などなどに大変ページが割かれている。「神」というものがなんであるか、ということを集中的に書いている感じもしました。特に最後のくだりなんかはものすごく面白かったなあ。テキスト・視点論的にもすごく面白い文章だと思いました。 八月は戦争文学読む、と決めておいて本当よかったです。大変面白かったです。

    1
    投稿日: 2009.08.11
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    既に死んでいる人間を食うことと生きている植物などを殺して食うこととどっちがましなのでしょうね。 食うことに良い悪いがないことは当然ですけど。 それでも、人間を食うという行為にはストッパーが働くようです。 経験したくはない状況です。

    1
    投稿日: 2009.07.15
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    読んだら忘れられない衝撃的な名作。 迫真するリアリティと、非現実的な戦場を経て、人肉を食すか否か。人の境界線への命題へ真っ向から突き当る。

    1
    投稿日: 2009.06.30
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    安易なカニバリスム賛美ではないが、人肉を食べるということの重さが伝わってくる作品。 戦争文学の代表作の一つで、描写と心理描写のシンクロが美しい。

    1
    投稿日: 2009.06.22
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    もっと気になる言葉がたくさんあったんだがどこら辺に書いてあるか忘れた。 とりあえず主人公の考えは私としては結構共感できるんだけど、狂人か……うーん。

    1
    投稿日: 2009.05.14
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    敗戦中のレイテ島(おそらくフィリピン)での日本兵の生存記。 もっとひどいものかと思っていたけど、場所によるんだろうな。 物資の補給も途絶えた中でも、生きるか死ぬかで殺気立ちお互いに奪い合いをするほどひどくはない。 そんなことをするより、相互に少しの不信感や反発間を持ちながら共生したほうが命をつなぐ可能性が高いのだろう。 無人の村を一人さまよう場面がひどく哲学的で、いろんな思いがめぐる。 あの場面だけは戦中の現場に一枚フィルターがかかったような感覚がした。 後半の「猿」や手榴弾の件は、どうしても主人公が彼なりの哲学を持っていた事が裏目に出たように思える。 肉体的に生きていく事と、哲学を持った人間として生きていく事の狭間を感じさせる。

    1
    投稿日: 2009.05.10
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    フィリピンのレイテ島で、敗北が決定的となり孤立した部隊から放り出される田村。 彼の体は結核に冒されており、病院も彼を受け入れる余裕などない。 戦場を彷徨いながら、やがて同じ日本兵の死体の肉に惹かれていく。 戦争の恐ろしさ、極限状態の心理状況、宗教観、そんなものが渾然一体となり、一種哲学的な内容となっている。 淡々とした印象もあるが、それでも手を止めずに最後まで読ませる力がある。 物語性がやや薄いこと、けれど結末は物語としての形を保とうとしていることが、ややちぐはぐで少しだけ残念。

    1
    投稿日: 2009.03.23
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     太平洋戦争の敗残兵の物語です。  描かれている内容は、すさまじいものです。  と同時に、描き方が、すさまじい。  描いている日本語が、すさまじいのです。  これは、大岡昇平の日本語というよりも、  『野火』の日本語です。  ここにしかない、日本語なのです。  ちょっと、とっつきにくいですが、  なめるように読んでみましょう。  日本語という言葉は、ここまで表現できるのです。  興味深いのは、アメリカへの若干の遠慮が見られる部分です。  いったん投降しようとした「語り手」ですが、  目の前で、フィリピンのゲリラに日本兵が殺されます。  アメリカ兵はそれを制止する役目になっています。

    2
    投稿日: 2009.03.17
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    高校の国語の教科書に一部が載っていたのを記憶しておられる方も多いと思います。 生々しい太平洋戦争の描写から1つの「生命」を感じることができます。 名作です。 平穏な生活に刺激の欲しい若い方にお勧めです。

    1
    投稿日: 2009.03.09
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    「何だ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」「声はなくとも、死者は生きている。個人の死というものはない。死は普遍的な事件である。死んだ後も、我々はいつも目ざめていねばならぬ。日々に決断しなければならぬ。これを全人類に知らさねばならぬ、しかしもう遅い。」

    1
    投稿日: 2009.02.25
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    いやーも…おどろおどろしくてもー…夢に出て来そうな戦時中の、、ああ、、、ぼぇぇ、、、 にほんぐん!!!萌えとかいっそ言えない、いっそ言ったほうが潔いと思うよバ、カッ!!

    1
    投稿日: 2009.01.27
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    国語の教科書に一部載っていて続きがめっさ気になって読んだ。 衝撃だった。戦争とはこうも人を変えてしまうんだと思いました

    1
    投稿日: 2008.06.14
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    ・自分は手を汚さずに「猿の肉」だと知って食べてるわけで、この主人公は生きたいのか生きたくないのかわからない。生き延びたいという希望すら持てない状況がこうさせるのか。 ・「神」の存在を持ち出しているけど生に正面から執着できない幼稚な発想の帰結にしか思えなかった。 ・人肉食に対して強いタブーを持ちながらも生きるためにその方法を選んだ「アンデスの聖餐」とどうしても比較してしまう。生きることに最後まで執着したのはアンデスの方。 ・戦場において何一つ任意では行えないってのがすべてか。

    1
    投稿日: 2008.05.28
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    なんとまぁ、重苦しくて救いが無い事か。 食べる・食べないの選択は数ある問題の一部分で、主人公は単純に諦められなかっただけなんじゃないかな。 08.04.08

    1
    投稿日: 2008.04.09
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    初めて表紙や中身がぼろぼろになるまで読み込んだ思い出の作品。戦争と云う非日常的な世界。其の中では、狂気にかられた異常者が正常だと思われていた。最後まで、正気を保ち続けていた主人公は終戦後精神病院に収容された。何が正常で何が異常なのかが分からなく世界。主人公が見たのは、真実なのか、狂気で彩られた幻想だったのか。今もその答えは見つからないまま。

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    投稿日: 2008.03.08
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    リアルだった。 絶対体験したくない。 文章がほんのり難解だが、その文章を読んでも頭に浮かぶ世界は空想。 実際の体験がないから、空想以上のものが出てこない。 実にリアルだった。

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    投稿日: 2007.12.16
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    小説を貫く得体の知れないずっしり重いエネルギーが読後も残る。文体はヨーロッパの文学や詩のようで、単純に血と汗と土の匂いしかしないような戦争文学には思えなかった。

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    投稿日: 2007.09.25
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    フィリピン島での過酷な生存状況。生きる為には食うべきか… 理性と本能の狭間に立たされた人間の生々しい姿。これが戦争の実態なのだ。

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    投稿日: 2007.05.10
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    太平洋戦争末期のレイテ島を舞台とした小説。孤独にさいなまれ、死が目前まで迫り来る極限状態において、人間はどのような心理状況に陥るのかがまざまざと描かれる。 普段の生活における前提がひっくり返ってしまうと、良識までひっくり返ってしまうものなのだと、強く印象に残った。

    1
    投稿日: 2007.04.23
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    太平洋戦争を経験した著者が、平凡な一人の男性の異常な戦争体験を描いた作品。人肉嗜食に踏み切らなかった男性の葛藤もさることながら、フィリピンの鮮やかな自然の描写も印象的。再び通らないであろうと思って見る景色は、もしそこにカメラマンが同行していても決して撮ることのできない風景でしょう。(詳しい感想は→http://blog.livedoor.jp/chako67k/archives/50916448.html)

    1
    投稿日: 2007.03.23
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    実際に戦争を体験した著者による戦争文学。 戦争が日常か非日常か判断出来ない時代の、極限の飢えの中で人食に踏み切れなかった心理と理論が心に迫る。 淡々と語られる言葉と描写は圧倒的で、私の中のありきたりの戦争心理を変えてくれた。

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    投稿日: 2007.03.06
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    戦争文学と銘打たれた実存小説。極限状態でも人間とは何か、について深く考えた結果、というお話。比喩表現が偉大。

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    投稿日: 2007.02.01
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     戦時下のフィリピンで、一等兵田村が感じた世界とは。  自らの血を啜った蛭すらも食料としてしまう飢餓。 そんな餓えと死ぬ危険、醜く殺しあう人人、血、ソシテ ―――餓えた彼の目の前には、まだ 死んだばかりの友軍の兵士のシタイ。  新鮮な、栄養のある肉。ニク、ニク。  人としての禁忌たる食人。 ニチジョウ と 言う現実から遠のいたセンジョウという異常下において、田村の歪んだセイシン 、それでも 尚 正常のような思考回路がとても上手く書かれて居ります。  人間が追い詰められた先の狂い―――そしてさらに其のサキの昇華まで事細かに書かれております。

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    投稿日: 2006.09.30
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    戦争、人食い、と壮絶なテーマで、怖い怖いと思いつつ読んでしまう。人間が人間として生きられない極限の状態をつくり出す戦争は、とてもいけないものだと改めて。

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    投稿日: 2006.09.03
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    飢えるということ、人は何故神を作ったか。吸い込まれる感じがする。なんらかの形で人生に影響するであろう、個人的戦争文学金字塔の存在。

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    投稿日: 2006.08.13
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    「人を食べるってどういうこと?」善悪に関わらず、食人に興味がある人は是非一読を。人間お腹がすいたら何食べるかわかったもんじゃないな。

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    投稿日: 2006.03.27
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    飢餓とは何か。 極限の状態とはどういったものか。 そんなものを知るゆえもない現代に生きる私に、 波紋を投げかけた本。 その表現の凄惨さは、 温い情などは許さない位である。 目を背けるな。 彼の文章がそう訴えている。

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    投稿日: 2005.12.15
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    レトリックに満ちた文章は面白い。戦争と狂気についても考えさせられる。やや読者を選びそうだが、短いし、読んでおいて損はしない。と思う。

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    投稿日: 2005.02.10