
総合評価
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powered by ブクログ人間は例えば、与えられたものについてあまり深い意味を考えずに使ったり、具体的な事象にばかり目がいってしまって抽象的に物事を考えられなったりする。そこを改善できるとより良い考えが出来るとのこと。後半、森先生の自宅の話が沢山出てきてとても良かった(こういうものを読みたかった!)
0投稿日: 2025.11.09
powered by ブクログ図書館に無し。 福岡県立図書館から取り寄せ。 いろんな抽象的な概念を他人と共有しようとすると、言語を使って具体的に表現するしかない。歯がゆい。 抽象的思考を身につける方法というものは、具体的には無い。 ここで書かれていることは、筆者が研究者であり、作家であるということの経験から書かれていると思う。 人生を楽しむためには、虚しさと親しみ、明日死ぬと思って毎日行動することだし、永遠に生きられると想像して未来を考えることだ。 もうちょっと考えよう、というのが本書の結論とのこと。
0投稿日: 2025.10.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
久々の満点。 だいぶよかった。森博嗣すごいなぁ。 インスタで知って、タイトルがなんか胡散臭いけど森博嗣だから読もうと思って、読んでよかったと心から思った。これは買いです。 何度も繰り返し読みたい。 日記に書き写しておいて、あとで日記を読み返したときにまた触れて我に返りたい。 庭のこと、首が折れるほど頷ける。 自然や植物に対する畏敬の念というか、教えられること、癒やされること、救われるということを年と共に強く感じる。 年をとってよかったと思うことのひとつ。 最後がなんともいいんだよな。 先生に褒められた気分。 ふふふ。
2投稿日: 2025.10.07
powered by ブクログ日々具体的な諸問題、課題に悩まされている。 中にはその問題のせいで(いや、自分の考え方のせいだが)感情的になったものもある。 しかし、1つ2つ上の視点から考えると、少し穏やかになり、冷静に物事を考えられるようになった。 雑多な要素を取り除いてぼんやりと考える。 そんな時間を毎日少しでも作っていこうと思う。
0投稿日: 2025.08.29
powered by ブクログ森博嗣の小説は1行たりとも読んだことがないのだが,エッセイ的なものは結構読んでる。 抽象的思考の大切さを語る1冊で10時間で書いたそうである。驚異的な速筆だ。原稿をベタ打ちするだけでも10時間では終わらないと思う。 抽象的思考と客観的思考の方向性の類似というのは新しい視点だった。何となく,客観的=数値化可能=具体的と考えていたのだが,そもそも数字というのがある意味究極の抽象な訳で,そう考えると抽象性と客観性には類似が認められる。それでもなお,両者には本質的な違いがあるように思うが,抽象化することに付随して客観性が増すということはあり得るなと思った。 同時並行で安藤昭子『問いの編集力』をAudibleで聴いていて,ほとんど同じテーマだなと思った。もうひとつ,抽象と言えば細谷功だが,具体と抽象をロジカルに説明するスタイルとは異なる語りで,その違いが面白いと感じた。 結論としては,著者の言葉そのものの「もうちょっと考えよう」というだけの話ではあるのですが,生活に余裕がないとなかなか考えられないものなのですよね。なお,著者は「考える」と「選択する」を区別するけど,「考える」と「悩む」を同視してるような気がして,その点は独特かもしれない。一般的には,「悩むな,考えろ」的な主張が多いので。
0投稿日: 2025.01.31
powered by ブクログ抽象的に考える事のメリットが分かりやすく理解出来た。 ぼんやりと頭を空っぽにしている時に良いアイデアが生まれた事を何度か経験した事があるが先入観のない無の状態からしか良い発想は生まれないのだろう。常識を疑う事から習慣化していきたい。周りに流されない自分の意見や価値観をしっかり持ちたい。 多数派の一般的な人が考えない事を思いつき内省してこれから大事に育てていきたいと感じた。
0投稿日: 2024.08.04
powered by ブクログ色々なものを抽象的に捉える人は、日頃から、抽象的にものを見ているから、頭の中に、それらがぼんやりとした広がりをもって収まっている。ぼんやりとしているため、他のものとリンクしやすい。なんとなく、あれが近そうだ、どことなく似ていないか、というように連想され、紐を手繰り寄せるように、頭の中から引っ張り出されることになる。 発想をする以前にも、この種の連想を繰り返しているので、なんとなく関連のあるものが「近く」に置かれ「似ている」ものとして認識されている。だから、 いざというときに取り出せるのである。 自分が得た情報を、別の情報と照らし合わせたり、理屈を考えて、どうしてこういったものが伝わってきたのだろう、といちいち考える人も少ない。そんな暇はないのかもしれない。しかし、ちょっと考えてみれば、「これはできすぎている」「嘘かもしれない」と疑うことができるはずだし、その情報の陰に隠れている動機、相互関係といったものを類推することもできる。真実はわからなくとも自分なりの解釈を持つことで、ものの見方は変わってくる。自分なりのものの見方を持っていることが、 客観性や抽象性を育てる。 客観的思考、抽象的思考というのは、客観的な見方、抽象的な見方によって始まる。目で見る見方でなく、頭の中でどう捉えるのかということだから、ちょっと違う面を想像してみたり、奥にありそうな見えない部分を想像してみたりする、というのは視点や視野を切り換える感じに似ている。 このへんすごく共感した、日頃していることを言語化されてる感じがした。 そしてこれを贈ってくれるのが彼女らしいなと思った。
0投稿日: 2023.07.23
powered by ブクログ読んだ感想としては、文体から結構めんどくさそうな人だなぁという気がした。でもそういう人が1番抽象化能力高そうだなぁと思いつつ読み進めていったら、最後にこんな文書をながながと読んでくれた人は読み切れたというだけで抽象的思考の素養があると言われた。わろた。
0投稿日: 2022.08.10
powered by ブクログ抽象的に考えることを、意識して訓練していこうという話。 人の脳はぼんやりとさせておくと、色々関連づけてアイデアを生み出す性質がどうやらあるようだ。具体的にしすぎた言葉は特定の物に囚われてしまう。 ぼんやりする技術を持ちたい。
0投稿日: 2022.02.05
powered by ブクログ抽象思考についての本なので、内容も抽象的になりがち。いや、それが悪いとは思わない。そんな一冊。実はかなり難しい本かと。
0投稿日: 2021.05.02
powered by ブクログずいぶんぼんやりしたタイトルだなあと思ったら、そういう内容だからなのかな。でも本人的にあんまり納得してなかったんでは?という感じのあとがきで微笑ましい。 意地悪を言えば、昔からこだわらないことにこだわってるよねあなたも、という感じなのだが、そこも込みで微笑ましい。
0投稿日: 2021.01.18
powered by ブクログ「抽象的思考」をするにはどうすればいいか、という話から、広く人生についてまで書かれた本。 前半の抽象的思考については、なるほどね、と思いつつもあまり響かなかったが、後半の著者の人生に対するフラットな姿勢に心動かされました。 結局死にゆく人生なのだけれど、自分なりに楽しんで生きればいいじゃないか、という温かく背中を押してくれるような考え方に、あくせく毎日を送る自分をなんだか許せる気がしました。 自分なりの「庭」を作りながら、心穏やかに生き、そして死んでいきたいと思います。
0投稿日: 2020.12.24
powered by ブクログ抽象思考の重要性、方法論についての本だった。 物事を抽象的に捉えることでパーツ化され他の思いもよらないことと関連付いて全く新しい発想に繋がること。一朝一夕に役立てることは難しいけど心がけて身に付けたいと思った。 庭の話、イングリッシュガーデンということで、なんとなく「裏庭」を思い出した。 最後の一文が優しく、思わず微笑んでしまった。読破してよかった。
0投稿日: 2020.10.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
疑う、考える。決める・決めないことを見極める。ぼんやりしていてもいい。方法にとらわれて目標を見失いがち。決めつけず、柔軟かつ冷静に。
3投稿日: 2020.07.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
先般、「意識・無意識」に関する本を読んだ際に、「意識」というのは非常に「思い込み」や「決めつけ」が多く、主観的になってしまいがちな性質があるということを知った。意識が働くと、「ああではないか」「こうではないか」と勝手な想像を巡らしがちだというのである。 多分それと関係するのかもしれないが、著者は「世間一般の人たちの考え方は、極めて主観的であり、大多数は具体的である」と言い、しかも「その考えがスタンダードであると思い込んでいる」ところを非常に憂いている。 「主観的で具体的」というのは、「自分はコレ」という考ええであり、簡単に言えば「決めつけ」である。しかもそれを標準と考えるのだから「狭いものの見方」となり、ときには感情的になりがちだというのである。 そこで、著者は「いろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」という命題を立て、その答えとして「客観的で抽象的に考えよ」と提案している。もちろん決めつけているわけではなく、どうでしょうかと読者に問うている。 例えば「原発の問題」「領土問題」などを例に出して、「主観的で具体的」な意見どうしを戦わせていても、議論が進まないのであり、それを「客観的で抽象的」に発想を変えてみれば、議論の幅が拡大していくのではないかというようなことを述べている。この議論の幅(=発想を広げること)の大切さを特に強調していると思う。 事件のニュース報道で「バールのようなもので壊された」というような表現がされるが、これが「バールで」と表現する場合(具体的)と、「バールのようなもので」と表現する場合(抽象的)では、断然後者のほうが発想が広がるのであり、つまりは具体的より抽象的なほうが発想が広がるというこの説明は分かりやすかった。 本書のエキスはおそらくコレである。抽象化のメリットとして、「適用範囲が広がる」とか「類似したものが連想しやすくなる」などをあげていたが、これはすなわち「考えの選択肢が広がる」とか「より適切な解決が得られる可能性が広がる」ということにつながってくる。 現在の情報社会で、我々は一見豊富な情報に恵まれているように感じるが、それらの情報の多くは、主観的で具体的な「決めつけ」情報である場合が多い。マスコミ情報も同様である。 昔の取材は、記者が自ら記事を取りに行っていたが、今はすべての記者が同じ場所に集められて、提供側から出される一方的な情報をメモしているだけで、その報道を受けている我々も「主観的で具体的な決めつけ」を鵜呑みにしているだけ、というような趣旨の話が書かれていたが、これにはハッとさせられた。 社会がそういうスタイルになっているだけでなく、現代人そのものがネット情報を鵜呑みにするというような生活スタイルとなってしまっており、「客観的で抽象的」に考える力が退化しているというような指摘もあったと思う。 著者は、作家以前は、工学系の准教授として研究者の経歴をもっており、その時代の習慣はひたすら「客観的で抽象的」に考えることであったから、自分の中にその習慣が定着しているという。それもそうだろうが、そういう経歴以前に、著者自身がすでに自由度の高い発想の人であったように思える。 著者の話を聞いているだけで(読んでいるだけで)、非常に発想の幅が広がり、生き方の自由度が広がって、人生が楽しくなるように感じられるのは確かである。 著者には、ガーデニングというライフワークがあるようだが、「抽象的思考の場は、まさに自分の庭のようなものだ」と述べている。「それぞれが自分の庭という思考空間を頭の中に既に持っているのである。そこは、基本的に他者に邪魔されることなく、自分が思い描くとおりに整備することできる。」だそうである。
16投稿日: 2020.07.03
powered by ブクログ要するに「物事を抽象する」という技術について語っているのだと思うけれど、さすがはアカデミックな世界で研究、そして教育に長年たずさわっていただけあって一般の、いわゆる市民生活とは若干乖離している象牙の塔からの物言い的なものもやや感じるわけですけれど、その思想の中に人間が幸せに生きていく上で必要な物事を示唆していると思った。
2投稿日: 2020.06.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
抽象化という言葉に対して、ぼんやりしていてはっきりしないマイナスなイメージを持っていた私からしたらこの著者の考えは目から鱗でした。 最後の章とあとがきがちょっと蛇足感。 島は自国の中の相手国側の専門家を立てればいいだとか、若者は抽象的であるだとか、前半とても響きました。
0投稿日: 2020.01.25
powered by ブクログ・客観的と抽象的 ・頭の中に庭をつくって考える ・原発に賛成か反対か、感情的な理由で決めることは危険
0投稿日: 2019.08.12
powered by ブクログ考える作業を続けるには抽象化しないと1つの具体にとらわれてしまうし、そもそも抽象化すること自体が考える事だったりする。
0投稿日: 2019.04.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
著者の説明と照らし合わせると、自分は客観的なものの見方は、まだできている方だと思いましたが、抽象的な発想に欠けている、頭が固いと感じました。 読み進めて行っても、抽象的なものの見方というのが今一つ分からないでいましたが、庭仕事の例えで、すとんと理解できました。 これまでできなかった抽象的発想が、簡単にできるようになるはずもありませんが、本書をヒントに地道にこつこつ、こつこつと土壌から作るイメージで日々過ごしていけたらと思いました。
0投稿日: 2019.04.27
powered by ブクログ・なにものにも拘らない ・人生を楽しむためには、この虚しさと親しみ、明日死ぬと思って毎日行動することだし、また、永遠に生きられると想像して未来を考えることである。 ・考えることは苦しいことだ。のんびりとリラックスしているときにアイデアが浮かぶよりも、忙しくて必死になって考えているときの方が、断然発想することが多い。酒を飲んで良い気分のときには、残念ながら、頭からはなにも出てこない。
0投稿日: 2018.11.04
powered by ブクログ「客観的に考える」ないし「抽象的に考える」ということについて、著者自身がふだんから心がけていることを紹介しながら、自分で考えるための方法を読者に向けて語っている本です。 けっして語り口はむずかしくないのですが、著者特有の概念の用いかたになれず、しばしば戸惑いをおぼえました。たとえば、「考えてみたら変な話だが、言語という具体的なもので、抽象的なことを表現するのである。きっと「~のような」という表現を多用することになるだろう」と書かれているのですが、言語というのは抽象的な概念を表現するものであり、「~のような」というのはイメージの連絡をかたちづくっていくことを意味するのではないか、といったようなことにそのつど引っかかってしまいます。 著者の日々の生活についてつづられているところは、エッセイとしておもしろく読むことができました。
0投稿日: 2018.10.15
powered by ブクログ2018.9.19 最後の庭の例え話が面白かった。 最近年のせいか何を読んでも残らない。 この本もあとがきを読み終えて「あぁ、おもしろかったなぁ」と思った矢先、「ハテ、この本はどんな内容だったかナ?」と思った次第。 我が頭の庭はすでに荒野と化して、ただ一陣の風がびょうと吹くばかり。
0投稿日: 2018.09.20
powered by ブクログ工学研究者であり小説家でもある森博嗣氏が、日常のなかでどのような考え方をしていけば豊かな精神を築けるかについてを語る本です。キーワードは抽象思考。世間では具体的なことがらに囚われすぎているとし、そこから一歩引いて客観的・抽象的に考えると発想が柔軟になりやすいとしています。本の内容を要約するのがちょっと難しいですが、とても参考になる本でした。柔軟な発想ができるひとになりたいなあ。
0投稿日: 2018.08.25
powered by ブクログp180 抽象的思考の場は、まさに「自分の庭」のようなものだ。 ーーー これが、この本のすべてだと思う。
0投稿日: 2018.08.09
powered by ブクログ抽象的思考について。 タイトルが森さんぽくないと思ったら、編集部に一任したらしい。もとのタイトルは『抽象思考の庭』とのこと。 抽象的に考えるための頭を「庭」のように捉える、という発想らしい。分かるような、分からないような…。 あとがきが、読んでよかったと思える、少し嬉しい終わり方。
0投稿日: 2018.07.06
powered by ブクログ何か物事を捉える際、思考の余地を残すため敢えて抽象的な枠組みを用いるのはそれなりに有用という事が腑に落ちた。具体化することで物事を把握するのは容易だが、その反面誤った捉え方をしているという危険を常に孕んでしまうのね。(同じようなことをタレブがブラックスワンで散々語っていたみたいだけど、言い回しが冗長過ぎて全然頭に入らなかった)
0投稿日: 2018.04.01
powered by ブクログ面白かったです。抽象的に考えるとはどういうことか、ということを様々な視点から論じられています。かなり読みやすいです。 人との関わり方、発想する、創造するなど ▽以下引用▽ 2018/03/28 15:54 p.35 だんだん文章が速く読めるようになる。これは、読む能力が増したように錯覚する人が多いが、そうではない。言葉が表していたはずの元のイメージを頭の中で展開せず、ただ言葉を鵜呑みにして処理するようになっただけだ。こういった状態で読んだものは、次第にインパクトが薄くなるし、スグに忘れてしまうようにもなる。本を沢山読む人、読むのが早い人ほど、この傾向があるように観察される。 p.37 抽象的にものを見ることで、適用できる範囲が広がり、類似したものを連想しやすくなる。 p.52 現実に見えるものの多くは、誰かによって見せられているもので、その人によって都合の良いように加工されているため、そのまま受け取ってしまうと、結果として自分の考えに合わない方は流され、渦の中へ吸い込まれていくことになる。別の言葉で言うと、知らず知らず、他者に「支配」されてしまうのである。 p.61 人間関係においても、「楽しさ」には、ある程度の苦労が必要となる。我慢をして初めて得られる、という関係だ。 個人の行動に対して、「どうしてか」が理解できないから腹が立つのだ。 冷静さに必要なのはこの「理解」なのだ。 人を理解するには、対話だけでなくその人の行動、過去の履歴などに基づいて、仮説を立て、「きっとこう考えているのだろう」と想像することで、理解ができる場合の方が多い。たとえそれが誤解だったとしても、それで自分が納得できれば良い。 p.63 他者を観察する 具体的な個々の言動にあまり囚われることなく、全体的な傾向として、大まかにイメージすれば、その人はどんな風に考えやすいか、どんな行動を取りやすいのか、という一種の「人間の型」が把握出来るだろう。 この全体的とは ・同じような人と比較する ・全く反対の人との違いに注目する ・同一の人であっても過去の別の行動を踏まえて考える というような広がりを持って、ぼんやりと関連させてイメージする、という意味である でも決めつけてはいけない あくまでぼんやりと捉える 分析結果を全面的に口に出さない方がいいし、それはあくまで仮説であるということに留意すること。 p.68 相手の身になって考える →思いやり →相手の反応を見越して、より有効な表現方法を選択するという戦術が取れる→自分にとっても有利 p.69 客観的な視点を持つには、まず主観的な自分の視点がどういうものかを把握する必要性がある。←排除すべき具体性とはなにか、を把握する必要があるから。 p.72 抽象的に人を見る人は、好き嫌いで人を判別せず、「この人からなにか自分に得られるものはないか」という興味を絶えず持っているものである。好き嫌いだけで判断していないために、「思慮深く」なる。そしてこの「思慮深さ」というものは、思慮が浅い人にはまったく認識さえできない。 p.122 注意したいのは、芸術を評価する目というのは、裏データを知る必要がないことである。 その作品は誰が作ったのか、どんな経緯で作られたものか、社会でどう受け止められたものか、というデータを知ってから評価するのでは遅い。そういったものを一切捨て去ることが、芸術を見る審美眼であり、まさに抽象である。頼りになるのは自分の感性だけだ。 p.123 これは小説、詩なども同じである。感じたものを言葉にするのは、感じたものの1面だけを表したもので、全体のイメージではない。 「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか(森博嗣)」 http://amazon.jp/dp/4106105101/ #読書管理ビブリア
0投稿日: 2018.03.29
powered by ブクログ頭の庭いじり 好きな表現だなと思った。 普段小説しか読まない私。 抽象的だの客観的だのそう言ったワードに対してなんの興味もなかった。 物事の本質とか、自己を見つめるとか、 そんなの高校の倫理の授業で聞いたきり。 この本を勧められたとき、なんか難しそうな本だなぁって思った。 ところが、とても読みやすい文章。たとえもわかりやすかった。頭がまだまだ具体的思考なので、作者の問いかけに対する答えが欲しかったり、ぼんやりとした話にモヤモヤもするけど、読んで損はなかった。
1投稿日: 2017.05.07
powered by ブクログこれは非常に大事なことを伝えている本だ。抽象的に考えることが始り。(主に)ビジネスはそこからPDCAが回るのではないか。自分としては発想はイノベーション的じゃないとっ!て思っちゃって自由じゃないな…と思った。
0投稿日: 2016.12.15
powered by ブクログ理系の研究者であり、作家である森先生のことをつい最近知りまして、強く興味を持ちまして、ここ数年で出版された新書を三冊ほど購入したうちの一冊目。 物事に対する考え方について知ることができたよ一冊でした。 付箋は12枚付きました。
0投稿日: 2016.11.23
powered by ブクログ具体的ではなく、抽象的にものごとを考えることの重要さを説いている。 多くの人が「具体的な思考法」という即効性のあるものばかりを追い求めるため、 結果として、独創的な発想や斬新なアイデアが出てこなくなるという。 知っているのと知っていないのとでは、 日々の生活の捉え方がかなり変わる気がする。
0投稿日: 2016.06.26
powered by ブクログ印象に残ったキーワード・キーフレーズ 1. 漠然と庭をいじっていて「あっ、ここいいな」と思う瞬間が見つかった 目的が漠然としていても思考をこねくり回すことで良いものを発見する(アイデアを思いつく、目的に対する具体的な手段が見つかる)瞬間がある。重要なのは「こねくり回す」の部分。 2. 他者を抽象化してもいいが、自分が他者をどう抽象化しているかは他の人に言わない方が良い はい。 3. 文系の人は理系の人より論理的だと思う 学校の勉強で論理でなく「発想」が必要になることがあるのは数学だけである。発想があるとすぐ解けるような問題は「エレガントな問題」と呼ばれるが、エレガントな問題は二度と同じような問題を出せないので滅多に出題されない、という記載が面白かった。 私も理系の人が論理的だとはあまり思わない。法則から推測しているという点では文系も理系も変わらないし、研究職をやっていると「どの法則に則った答えが正しいのかが分からないまま推測(思い込み、賭け?)で研究している」という点などは確かに理系の方が論理的の度合いが低いような気もする。
1投稿日: 2016.05.25
powered by ブクログ抽象的思考。今まで持っていなかった考え方です。尊敬する人にこの本を頂き、世の中の見方が少し変化したように思います。 ものごとを俯瞰してみて、共通点や本質を感じることはとても面白いことです。時たま読み直し、その都度の感想を楽しみたいと思います!
0投稿日: 2016.03.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
森博嗣が書いた新書のということで、思わず手にとった。 思考の庭という考え方が素敵。小説の空気感とはまた違ったが、「何もこだわらない」作者らしいと言えばそうなのか。研究者時代から作家になるまでの思考を辿れたような気もする。
0投稿日: 2015.11.06
powered by ブクログ抽象的思考法を述べていたので、図書館で借りてみたました。ただ、そういう概念を知らない人にはいいかもしれないけれど、ある程度できる人間にとっては当たり前のことしか書いてないように思え、途中で興味をなくして半分くらいで読むのをやめてしまいました。(なので評価なし) ただ、読んだ時の気分とかにもよるし、後半を読んでないのに評価するのは作者に失礼なので、時間に余裕があって気分が落ち着いている時にもう一度目を通してみたいと思っています。
0投稿日: 2015.07.10
powered by ブクログ価値観を固定化しないで自分なりの考えを持つ。 抽象的な思考が現実に応用が効くことを説く。 色々なことに疑問を持つこと感情的な反論は避けることを教わりました。
0投稿日: 2015.03.20
powered by ブクログすごく素晴らしい本だった。 森博嗣さんの著作を追っていくことになりそうだ。 抽象的に考えることによって、いろんなことを 解決することができるかもしれない。 まあ、解決出来なくてもいいけれど。 僕の中では絶対的にこの本がおすすめなんだけど、 面白くないという人もたくさんいるような気がする。 でも、読んだ方がいい、という気もする。
0投稿日: 2015.02.27
powered by ブクログみんな具体的な思考にとらわれ過ぎている。 視点を上げて、抽象的、客観的に物事をみて考えることで見えてくるものがある。 思考の庭を持とう。
0投稿日: 2015.02.25
powered by ブクログ今の社会は具体的な情報が多すぎて、人々がそれらに囚われすぎている、というのはその只中にいる人には気づけない問題。というかそれの何がいけないのか分からないくらい麻痺してしまう。
0投稿日: 2015.02.13抽象的思考がくれる自由
『すべてがFになる』(S&Mシリーズ)などで有名な著者が書いた、「抽象的思考」のススメ。具体的であることを求められがちな世の中で、あえて抽象的に思考することの大切さを教えてくれます。本書の考えでいくと、こうしてレビューを書くことは抽象化ではなく具体化になってしまうとのことですが……ほかの人にも読んでほしいので、感じたことをちょっとだけ書きます。 読後いちばんに思ったのは、「抽象的思考って自由をくれるんだ」ということ。現代人は具体的なことにとらわれすぎている、と著者は言うのですが、確かにそうだなあ……と。ものごとを抽象的にとらえれば、もっと楽に、柔軟に生きていけるのかもしれません。 本書は「こうすれば抽象的思考ができる」という具体的方法を示すものではありませんが、そのヒントになりそうなことはいくつか提示されています。すぐに変えることは難しくても、毎日意識することで少しずつ身につけていければなあ、と思います。 どちらかというとネガティヴなイメージ(「曖昧」とか)のあった「抽象的」という言葉を、この上なくポジティヴに感じさせてくれる1冊でした。
7投稿日: 2015.02.05
powered by ブクログ14.11.08読了。森博嗣の思考の礎にせまる本、森博嗣がなにをどう考え生きているか、に迫れる。 森博嗣経験者向けの一冊、大変共感できるところが多かった、書籍で買ってマーキングして読みたい一冊。
0投稿日: 2014.11.08
powered by ブクログ「世間一般の多くの人たちの考え方は(中略)主観的で具体的すぎるが故に感情的になってしまい、結果として損をすることになる」と著者は言う。本書では「抽象的」に物事を考えることを勧めている。論理的思考が「問題」を掘り下げて具体化していくのに対して、抽象的思考は「問題」を高い視点から俯瞰する。そのメリットは、①客観的に物事を見られるという点と②抽象化によって適用できる範囲が広がり、類似したものを連想しやすくなるという点である。 「抽象化→型→連想」という発想手順はTRIZやSCAMPER法を想起させる。また、抽象的思考を身につける「手法のようなもの」として挙げられている項目は、ラテラルシンキングの基本である「前提を疑う」「視点を変える」「組み合わせる」と同じである。本書独自の視点としては、抽象化度を上げることの利点を強調している点だろうか。
0投稿日: 2014.11.06
powered by ブクログ私は計量心理学の授業を受けている、実は潜りで聴講しているため今年で二回目だ。先生に授業内容を質問した際、「二年目だと授業のなかでそういう疑問がでてきますか?」と言われた。私は授業ではなく、論文を読もうとする時、読解できずに気付く旨を答えた。最近はひとつの論文を入り口に、その領域の他の論文をしらみつぶしに読んでるが、似たようなことをやりながら統計的に何が違うのか逐一疑問が生まれて気付くと。 「素晴らしいですね、そういう学生はなかなか出てこないんですよ。」嬉しかった。「ただ、あなたもまだまだの点がある。誰かの研究を思考の入り口にしていることです。もっと勉強すると、最初から自分で発想を生み出すことができると思いますよ。」目から鱗とはこのことだった。誰よりも研究に厳密に接している印象のある先生がこんなことを考えてきたとは。第4章でこの出来事をふいに思い出した。
0投稿日: 2014.10.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
抽象的に,客観的に考える~今の世は具体的な情報が溢れ出ていて,人はその情報に振り回されている様に動いているが,抑も無料の情報は何処かの誰かが利得を求めて流しているものであると疑って掛かった方が良いのではないか。大人は,もっと具体的に喋れと云うが,目の前の問題・課題を解決するためには具象化が必要なのかも知れないが,もっとゆっくり新しい発想をしたければ,客観化・抽象化が必要だ。客観・抽象は簡単に定義できないし,教えることもできないが,手法としては・なにげない普通のことを疑う。・なにげない普通のことを少し換えてみる。・なるほどな,となにか感じたら,似たような状況がほかにないか想像する。・いつも似ているもの,喩えられるものを連想する。・ジャンルや目的に拘らず,なるべく創造的なものに触れる機会を持つ。・できれば,自分でも創作してみる。~ 前書きと後書きと本文が揃って,ようやくまとまりを持つ。タイトルは編集部が付けた・・ので,この変なタイトル!夏の最高気温が25度にしかならず,冬はマイナス20度になる地に住んで,やることは午前中の庭いじりと午後の工作。庭いじりをしながらいろいろ考える。講演で,よく喋るのは客観的に考えよう,抽象的に考えよう,何事にも拘りを持たない・・・ということで,それを聞いた編集者から執筆を依頼されたってことね
0投稿日: 2014.08.20
powered by ブクログ抽象的思考のすすめ。具体的に考える,行動することで囚われる危険性。抽象的思考による一般化。抽象的思考で得たアイデアを具体的にしていくことの必要性。具体的な作業の中に発想があること。 この時期にこの本を読めて良かった。年内に再読したい。研究・教育・生き方の視点を変えられそうな気がする。 →「楽しく学ぼう」という幻想
0投稿日: 2014.08.14
powered by ブクログ抽象的に考えることについて書かれた本で、良いのだけど、こうも抽象的に内容ばかりだと感想も書きにくいなと思った。でも良かった。
0投稿日: 2014.06.09
powered by ブクログ彼の小説が好きなので、図書館で見つけて読んでみたらじっくり線を引きながら読みたくなって購入。 抽象思考の庭という考えは面白かった。後半は悠々自適に引退生活を送っている様子が書かれている。 私生活が垣間見えるのが面白いけど、私としては、小説の方が好み。
0投稿日: 2014.04.28
powered by ブクログ抽象的思考のすすめの本 事象の具体性ばかりを追い求めていても本質は捉えられない。 その背景や意味、目的を探ることによって得られる本質を見据えたうえで、自分なりの思考判断で行動することの大切さを語っている。 抽象とはあいまいにするということでは決してないという部分が、一般的にそのように思われがちな気がした分非常に印象的だった。 言葉にした時点で具体化ししばられてしてしまうという部分からも、森博嗣さんのポリシィである「何ものにも拘らない」というのが良く伝わってきた。 自分はこだわりをかなり持っている方だと思うが、抽象的思考になろうという意識はもちたくて、 好奇心からいろいろなものに手を出しては結局のところ、自分の好きなものへのこだわりを再確認するようなところがある。 でも、とにかく本質をとらえる思考、抽象的な思考が身につくように努力していきたいと思う。
0投稿日: 2014.04.27
powered by ブクログ自分というものを抽象的に捉えた時、普通の人はどれだけ自分を見つめ直す視点を得られるだろうか。 具体的に捉えることが目に見えているものを直接的に、そのものだけを表現する手段だとすれば、 抽象的に捉えることは、目に見えるものの輪郭や境界をぼかして、混ざり合ったものを考えることに等しい。 そのため、自分を抽象化した際、出てくるもの、考えられることは、ある種自分への“タグ”、あるいは“価値”を抽出する作業に近い。 このブクログだけではないが、SNSを使っている人は、パーソナルタグや自己紹介を自分で入力したことがあると思う。ある種、それが抽象化された自分と言える。 このタグが少ないと思える人は、まだ抽象化が足りていない。自らの経験、経てきた時間を細分化し、具体的に見て、抽象化する。 そして、その見つかったタグや価値で繋がり合う。それもまた新しいコミュニケーションだと思われる。
0投稿日: 2014.04.25
powered by ブクログ抽象的思考とは、考えることの必要性について書かれていた。 読んでいるなかで、自分が具体的に話しがちであることに、気がついた。具体的の方が分かりやすいと感じていたが、創造力をかきたてることがたいため、創造性をかき消していたのかもしれない。 また、考えるのが面倒で、人の意見の引用を無意識でやっていたことにも気がついた。 考えることって大事なんだなぁと改めて感じた。備忘録的に印象に残ったことを残しておく。 ・抽象的に考えるとは、ものごとの本質をつかむこと。本質を捉えるために、頭脳で考えるため、忘れない。 ・抽象的な依頼をすることで、相手は考え、発想力を持った対応が出来る可能性がある。 ・発想は考えるとはちがう。考えるは、脇目をふらず、発想は、いかに脇目をふるか。 ・似ているものにリンクをはること。 ・TVの意見に文句をいってみる。 ・もうちょっと考えよう。
0投稿日: 2014.04.13
powered by ブクログ読むのにとても時間がかかった本。 曖昧な文章のためか、理解しようと例えばを想像するとそちらに気がいってしまい…という言い訳。 頭の畑を耕します。
0投稿日: 2014.04.02
powered by ブクログp.83 歳を取ると、自分に無縁なものが増えてくるし、割り切れるようになる。そんなことに金をかけても、なんの足しにもならない(ならなかった)、と処理する。こうして、欲求はすべて小さな具体的なものばかりになり、予感や願望だけの「美しさ」は無益なものとして排除される。ついには、もう毎日の自分の身の回りの損得しか考えなくなる。考えるというよりも、ただ「こっちの方が得だ」という選択をしているにすぎない。犬や猫でもできる判断と同レベルである。 こうなってしまった年寄りは、ぼんやりと悩んでいる若者に対して、つい「はっきりしろ」「もっと具体的に」と言いたくなるはずだ。しかし、若者の「はっきりとしない思考」というものは、とても価値があるものであって、それを失ったのが「年寄り」なのである。 「まだぼんやりしてろ」「もう少し抽象的に話してくれ」と若者に言える年寄りになりたいものである。 p.91 「悩むことが損だ」というのは、僕には理解しがたい。悩んで損をしたことなんで一度もないからだ。「時間の無駄だ」と言うが、ぱっと明るくみんなと酒を飲むよりも、よほど人生にとって有意義だとも思える(おまけに経済的だ)。このような悩める問題を抱えていることは悪い状態ではなく、それを放棄して、ぱっと忘れてしまう方が、「馬鹿になるための方法」で、好ましくない方向性に見える。もちろん、馬鹿になることが絶対に悪いとも断言できない。たとえば、あまりに悩んでしまって自殺するよりは、馬鹿な振りをして、少し生き続けてチャンスを待つ方が多少は良いようにも思う(これも断言する自信はないが)。 p.186 いずれにしても、大事なことは、「もうちょっと考えよう」という一言に尽きる。これが、抽象的思考に関する本書の結論といっても良い。あまりに簡単すぎて、「え、それだけ?」と驚かれたかもしれない。 でも、なにに対しても、もうちょっと考えてほしいのである。なにしろ全然考えていない人が多すぎるからだ。みんな周りを見回して、自分がどうすればよいのかを「選んでいる」だけで、考えているとは思えない。選択肢が簡単に見つからないような、少し難しい問題に直面すると、どうすれば良いかを、「人にきく」人、「調べる」人が多くなる。でも、なかなか自分では考えない。 p.195 ただ、(どちらかに決めるということは)あくまでも、具体的に目の前にある差し迫った問題の場合だ。将来の方向性といった問題については、できる限り判断を保留した方が良い。この保留することも、抽象的思考から導かれるものの一つである。 慌ててどちらかに決める必要などない。ぼんやりとしたままの状態で良いではないか。〇か一かを決めないといけない、と考えるのは、「もう考えたくない」という生理的な欲求によるものだと思われる。生物は考えたくないのだ。人間だって、本能的、「考えたくない」と欲しているようだ。その方が楽だからだろう。 けれども、人間だけが、この「苦しい思考」というものを働かせるのである。決めないで、そのつど考えればよい。個々の条件によって違うだろうし、時が経てば、また立場が変われば、新しい情報が得られれば、考えが変わる可能性も大いにある。できるだけ「正しい」ものに近づきたいと願うのならば、とにかく、状況が許すかぎり保留して、自分に猶予を与えるべきだ。 一般的に言えることは、遅い判断の方が正しさに近い、ということだ。
0投稿日: 2014.03.15
powered by ブクログ具体的ではなく、抽象的に考えよう、という話。しかし肉体や立場は具体だったりする。そこが悩みの種であるけれど、まあ悩めばいい。 人間と石はあまり対立しない。人間と犬も。人と人は、違っているから喧嘩になるのではなく、同じことを考えているから喧嘩になる。やはり虚無感を持ちながら楽しい未来を想像することだ。 抽象的思考は論理的思考と具体的行動がセットにならなければ問題を解決できない。そして抽象的思考はたいていの場合学べない。 アタマの中の庭に生えてくる雑草は、しかし必然があって生えてくるのかもしれない。
0投稿日: 2014.03.13
powered by ブクログこの本に書かれている思考法は、ある意味、自分が目指す思考法の理想の形だと思います。 そのため、理解できるところ、納得できる表現がたくさんありました。 「友達」についての考え方や、「教育」についての姿勢は、自分にかなり近いものがありますし、「なにものにも拘らない」というポリシーにも、かなり共感できました。 ただ、「なにものにも拘らない」という点について、僕自身は実行したいと思いつつも、ほとんど実行できていませんが。 この本に書かれていることは、わからない人にとっては、まったくピンとこないんだろうな、と思います。 でも、それが不幸だとか、悪いということではなく、人それぞれ、目指すべきタイプが違う、ということなのだと思います。
0投稿日: 2014.01.31
powered by ブクログ『抽象的思考』という難題に対して、こんなにも丁寧に書き上げた筆者に、敬意を表します。 私は多大に影響を受けました。 いろんなものがすっきりした。 『自分の庭をつくる』なんて、素敵な答えです。 2014年1冊目にふさわしい本でした。
0投稿日: 2014.01.02
powered by ブクログ○人生を楽しむためには、この虚しさと親しみ、明日死ぬと思って毎日行動することだし、また永遠に生きられると想像して未来を考えることである。(155p) ○考え方がすべての基本なのだ。だから現実がどんな状態であっても肉体がどんな状態であっても、思考は自由であり、いつでも楽しさを生み出すことができるはずである。(162p) ○自分の庭は誰かのものと同じではない。どこか違う。そして違うからこそ、貴方という人間が存在する意味があるのである。(198p) ★前半は退屈で評価は★3つだった。後半は感動した。
0投稿日: 2013.12.13
powered by ブクログ私には良書です。 抽象的に思考することを解説しているのですが、解説という具体的な行為でそれを行おうとするところにそれは無理があって、いろいろと考えさせられる作品です。 自身がやはり「思索」「思考」が好きなのだと認識しました。
0投稿日: 2013.12.09
powered by ブクログ「抽象的に考える」ことの大切さについて、きわめて抽象的に悶々としたような語り口で書かれた一冊。 「具体的に」と迫られると、どうしても「具体的なこと」に焦点が絞られ過ぎて、もっと大枠で許容される範囲を見失ってしまう、そんなことが本の中の一番のポイントだろうか。 他の著作もそうだが、「もやもやとした感」が本の中に充満されており、雑談めいたような、何かをズバリと言い切るでもない調子で記述が続く。 まえがきでも「合わない人には合わない」と最初から宣言しているかのような出だしだが、本当に合わなければ読むのを放棄したくなる調子だと思われる。 でもこの語り口こそ、「抽象的」の本質を見ている様でもある。 「ふーん」と感じる所があれば十分に読み応えのある一冊、全く理解しがたければ読まずにおいてしまえばいい、そんなスタンスで臨むのが良いのだろう。
0投稿日: 2013.11.11
powered by ブクログ抽象的に物事を捉えることの有用性と、方法論。 最初から最後まで雲をつかむような、漠然とした概念論が続く。 ベースにあるのは著者の「こだわらない生き方」という考え方だろうが、自分が達成したい目標の本質や核を見極めて、それを目指す必要性を論じてた。 答えやハウツーが溢れかえっている、と言うのは全くそのとおりだと思う。 もちろんそれは悪いことではないし、それによって助かる人も多い。 でも時折、その答えに至る道筋を自分なりに考えてみるのも悪くないとおもった。 終章の「頭のなかの思考の庭」を手入れしていこう、という発想は情景が想像できてクスリとさせられた。
1投稿日: 2013.10.15
powered by ブクログ抽象化すること。あたまの中に自分の庭をつくる、ということ。 森博嗣の本に惹かれたのは、こいう考えのところが出てるからなのか。好きだわぁ…。
0投稿日: 2013.09.28
powered by ブクログ具体的な思考、論理的に考える事が、世の中で大切だと言われてきているが、そうでは無い。大切なのは抽象的思考、発想。決めつけない事が大切。悩みは、すぐに解決しなくていい。モヤモヤしてる位が良い… 人工的な思考からは新しい物は生まれない。人の脳も自然の一部なのだから。頭にある庭をしっかり面倒みて、世話して耕す事を続けて欲しい。
0投稿日: 2013.09.03
powered by ブクログ「具体的」と「抽象的」私たちの思考回路および、問われることは「具体性」しかし、「わかること」と「知っている」ことの違いは上記二つの理解があるかないか、ではないかと結んでいる。 物事の理解が大人になると早くなるが、それは知識のピースをはめ込んでいるだけで、決して「ソウゾウ」しているわけではない、と感じる。
0投稿日: 2013.08.31
powered by ブクログ「抽象性が高いものほど、展開には労力がかかるけれど、その分、広い範囲でヒットする。」 「具体的な手法を与えられると、その手法に拘ってしまい、目標を見失うことだってある。」 「発想するときの思考は、『どれだけ脇目をふるか』が重要になる。」 抽象的に考える大切さがよくわかる一冊。具体的でなく些末な事柄にとらわれない考え方は思考の本質であると思うようになった。 「抽象的なものは未完成でわかりにくいもの、どんなこともなるべく具体的に」そんな考え方は180°変わるだろう。
0投稿日: 2013.08.22
powered by ブクログこのような本を読むとついつい授業のことを考えてしまう。どんな力をつけさせたいのか?どんな風に成長してほしいのか?そのために自分に何ができるか。楽しさばかりを追いかけていたがそれではダメだとこの本を読んで気づいた。苦しみながら考えて、自分の意見を出せた時に達成感を味わうことができるような、子どもが本気になれる授業がしたい。そして、そのためにも、子どもたちに教えるのだから、僕も考えることをやめずに常に庭いじりをしかなければならない。
0投稿日: 2013.08.20
powered by ブクログ答えはない。 指針のようなものは書かれているが実践できるかは別問題。 誰もが森博嗣と同じような考え方ができれば、 争いはなく、究極に合理的な世の中ができただろうが、 まぁそうはいかない。 抽象的に何となく捉えること。 どれぐらい知らないかを知ること。 当たり前のことにも疑問を持つこと。
0投稿日: 2013.08.18
powered by ブクログ著者の「意図して中庸であろう」という意識が伝わってくる。それは、「知らない」ということを知っていて、その状態で決めつけることがどれほど危険かを知っているからだろう。 この点に関しては、非常に共感することができた。しかし、教育分野に関する考察は甘いように感じた。これは、私の持っている価値観とことなっているということがベースになっているのだろう。 しかし、考え方を見直すという点において、よく練られた本であったと思う。
0投稿日: 2013.08.13
powered by ブクログ重要なことは「人間はそんなに単純なものではない」ということ。言動は時と場合によって変わる、考え方もタイプもずっと同じではない。揺れ動いているのが普通である。さらに、深い考えをする人間ほど、なかなか本心というものはわからない。どう見せようかという事を考えて行動しているため、言動から類推できることはあくまでも作り物、演じられている外交的な型でしかない。そういう人は、場合によって全く違うタイプになることがあって、あたかも多重人格者のようにも観察されるが、それは、こちらの見方が部分的だから起こること。 重要なのは「決めつけないこと」抽象的にぼんやりと捉えることで、決めつけないという基本的な姿勢を変えない。 「悩み」について、悩ましいものを自分で見つけたことが、その人の能力であり、その発見にまず一番の価値がある。・・・この文章は、悩み多き私に大きな勇気を与えてくれる。 昔、私が中学生のとき、美術の先生が、絵を描く時には「目を細めて対象物を眺めるといい」と教えてくれた。これは、具体的にものをみないで大雑把にものを見つめると輪郭から全体像を把握しやすいということだったと思う。 具体的に詳細に物事を見るのは機械でもできる。人間の人間たるゆえんは「~のような」大きな把握をして「だいたい」のフォルダに入れるとお互いの事柄がリンクしやすいのかもしれない。 ー歳をとると自分に無縁なものが増えてくるし割り切れるようになる。予感や願望だけの「美しさ」は無益な物として排除される。ついにはもう毎日の自分の身の回りの損得しか考えなくなる。考えるというよりも、ただ「こっちが得」だというせんたくをしているだけにすぎない。犬や猫でもできる判断と同レベルであるー という文章は痛烈なインパクトだ。「犬猫と同じ」 「目を細めてみる」ことにヒントが多く隠されている。 「具体的に見ない」ことが
0投稿日: 2013.08.03
powered by ブクログ様々な問題について、著者の持論が述べられている。 論理的に物事をとらえる著者らしく、原発問題についても建設的な意見が述べられている。
0投稿日: 2013.08.01
powered by ブクログ座右の銘が「拘らない」という著者には世捨て人のニヒリズムが漂うので、吸い込まれていく若い人も多いのだろうなと思う。が、中年以上には「経済的自由を得たから酔狂な事言って余裕かましてるだけだろ?」と50歳でアーリーリタイアした著者に反発する人もいるかもしれない。(年を取ると損得ばかりを考えて具体的情報にばかり飛びつき右往左往し、客観的・抽象的思考ができなくなるには納得。)まあこれも人間を「型」にはめている事に他ならないのだが。 自殺する人の思考は主観的で具体的であり、自分を救うためには客観的・抽象的思考をせよとの事。が、客観的・抽象的思考をするための方法はなく教える事もできない。で、疑え、想像しろ、連想しろ、創作しろといったアドバイスというかヒントに留まっている。が、抽象的に見るために客観性を増して遠望する先にあるのはニヒリズムである。著者は人生の目的は虚しさを知ることであり、ニヒリズムと親しむ事で死を考える事により生も考え、結果人生が楽しくなるとまでいう。これはまさに逆転の発想力がなせる業であり、こういうところが著者の魅力なのだろうが、ちょっと読者を突き放しにかかっているように感じた。 が、抽象的思考は発想に必要であり、解決に必要なのは論理性であるとの記述で現実的な話になりちょっと安心した。こここは学校の先生らしい。文系は理系より論理的にも納得。理系に必要なのは論理の前の発想だからだ。この全く異なる発想と論理の思考方法をバランスよく身につけるために「庭を耕せ」という事だろう。今後の教訓としたい。
0投稿日: 2013.08.01
powered by ブクログキレの良い論調に、この1冊で一気に森博嗣のファンになった。具体的な時代に置いて、抽象的とは何だ? 素晴らしい考え方に、抽象的に生きる美しい生き方を実践してみようと思う。 原発は賛成か?反対か?身近な問題にどんな考え方をもとに思考を巡らすか、考えるだけでもワクワクする。
0投稿日: 2013.07.07
powered by ブクログ新書第9段。 これまでの中で一番考えさせられた。考え方や物の捉え方を見つめなおすきかけに。 「抽象的なものよりも具体的なものの方が良い」という固定概念。学校教育では特に「具体的には」という言い方を多用し、そこにあたかも重要な情報があるかの如く教えられてきた。 しかし、仕事では、細部にこだわらない抽象的視点が大事になる場面が多い。細部に拘っている人ほど、本質を見逃す。 そのための訓練法としての思考の飛躍。「意味なしジョーク」はその一部かな? 「これはちょっと思いつかないな、という喩えが優れている」
0投稿日: 2013.06.29
powered by ブクログ具体的な思考で、積み木を拾ってくる。(人に訊いたり、調べたり) 抽象的な発想で、積み木を生み出す。(頭の「庭」にて) 具体的な思考で、積み木を一段ずつ積み上げていく。(=論理的思考) 抽象的な発想で、積み木を一発崩してみる。。 「考える」とは、それらの螺旋。 という、イメージで、物事を把握することが、抽象的な思考、なのか?
0投稿日: 2013.06.22
powered by ブクログこちらを読了。 著者本人がもともとつけた原題は『抽象思考の庭』だったそうだ。なるほど、その題であれば中身そのまま。最終的に編集部がつけた題と中身は今ひとつマッチしていないが、こちらの方が売れるだろう。(笑 「抽象思考」の必要性というか大切さは私もつとに感じていること。企画なんて業務を担当していると尚更。一度、思考をこの「抽象」レベルに飛ばせるか否かは非常に重要なスキルあるいは資質なのだけれど、これを教えるのはなかなかむつかしい。ただ、これが出来る人と出来ない人がいることも確か。出来ない人と話をしているとどうもフラストレーションが溜まってしまっていけない。…と、話が余計な方向へ行ってしまった。 森博嗣さん、いいですね…
0投稿日: 2013.06.22
powered by ブクログロジカルに物事を考える一方で冷めてない森博嗣は魅力的。 ただ本の構成がロジカルでなく書き殴った印象が残念。 それも考えさせるための彼なりのメッセージなのかはわからん。
0投稿日: 2013.06.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
抽象的、客観的思考のすすめ。 実行のために、具体化の思考の大切さが強調される風潮にあって、手段としての実行を見極めるには、本質としての目的を理解する抽象化、客観化が大切だとする主張は大いに肯ける。 ただし、このようにすればそのような見方考え方ができるという安直な答えはなく、何となく地道に心の庭造りを続けること、暗喩をイメージしてみる習慣。 著者の原発や津波に関するフラットな見方にも好感が持てた。 13-83
0投稿日: 2013.06.15
powered by ブクログ普段私が考えていること、 例えば「あまり分からないことはすぐに答えを出さずに保留しておく」ということや、 「アイデアの生まれ方」等は 共感できることが多く、面白かった。 要するに、 様々な問題に対して、広い視野を持って思考を停止させるな、 ということだと思うが、「抽象的」「客観的」という言葉の使い方が少し引っかかった。特に「抽象的」という言葉の定義がちょっとずるい感はある。 「考える」とは、あくまで主体的な行いであると思うが、「客観的に考える」とはどういうことか考えさせられた。果たして可能なのか。
0投稿日: 2013.06.11
powered by ブクログ抽象的に考えることについて具体的に書いた本。抽象的に考えることでひとつの考え方が色々なものに応用できる。日記シリーズで毎日毎日よくネタが続くなーと思ってたけど、こうやって思いついていたのか。 岡田斗司夫さんと森博嗣さんって考え方が似てる気がする。今回の本でも、脳を庭に例えてたりとか、抽象的に考えるコツとかでスマートノートを思い出した。 それにしてもこのタイトルはひどい。ビジネス書だからってことで編集者さんが考えたものらしいけど、これはないなー。
0投稿日: 2013.06.08
powered by ブクログ2013年06月 02/28 抽象的な思考について書かれた本。具体と抽象の違い、それぞれが意味することを改めて意識できました。抽象をどう他の場面に適用してくのか、課題です。
0投稿日: 2013.06.07
powered by ブクログ昔、会社員だった頃、当番制だが朝礼でスピーチをしなければいけなかった。いつもネタには困っていて、ビジネスとは関係ない話もたくさんしたように思うが、その中で「たまには物事を大局的に見てみることも大事だと思う」というような話をした。それから2、3年が経ち、部署のおよそ半数の人たちが転職・退職していたのはそのせいだったり…しないと思うけど。 この本は自己啓発本にありがちなハウツーは一切無い。著者自身、本書のテーマに関するような方法論は伝えられるものでもないし、あったとしても万人に通じるようなものはない、というスタンスである。強いて結論じみたものをまとめるなら、色んな事柄をグレーのままにしておける(時間をおいて考えてみたり変えてみたりするもよし、あるいは不要になるかもしれない)頭脳を育てるのが大事だ、と著者は考えているということであろうか。 本筋とはそう関係ないが、第1章で「冷静になって考えてみると」というのは「客観的に捉えたら」と同じ意味、という記述があって、なるほどと思った。というのは、よく夫が会話の中で「冷静になってみたら」と言うのである。私は「えっ、今まで興奮してたの?」と茶々を入れていたのだが、割と一般的な表現なんだなぁ。 ちなみに、本書は北海道新聞の本の紹介記事にも取り上げられていた。さぞ、道新はこの本に共感して色んな記事を執筆・編集しているのだろうなぁ…。
0投稿日: 2013.06.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
最近巷に溢れている「思考法」の書籍は自分もいくつか読んで飽きてきた頃ではあったが、森博嗣さんが書かれた本ということで興味がわいて読んでみた。(著者のエッセイなどを読んだことがある方は、著者が常識に囚われない思考の持ち主であることは知っているだろう)。 一般的に「思考法」の書籍は、具体的な思考法、すなわち論理的思考の技術を解説するものが多いが、著者は問題解決には「抽象的思考」➡「論理的思考」➡「行動」の順で行う必要があると考え、「抽象的思考」に的を絞った内容となっている。 「抽象的思考」というのは、抽象的で難しそうに思うかもしれないが、抽象的と具体的を対比しながら書かれているので、なんとなくではあるが抽象的思考の良さや使い方が分かった気がする。(一朝一夕で身に付くようなものではないが) マインドマップ: https://coggle.it/diagram/51a8b15e23dc861c63008884/62e5618339f76d2ee21b6b3f65e222d234e2aed747d2c9b7e4cfec9d268bdb6a
0投稿日: 2013.05.31
powered by ブクログ森博嗣さんの新書が最近のお気に入り。 この本もとても面白かった。抽象的に考えることについて書かれています。 考えることをどこかで放棄したがっている(すぐに決めたがる)自分がいて、その意味について掴めた気がしました。 面白い。
0投稿日: 2013.05.29
powered by ブクログ・抽象的だからこそ他への応用が利く ・具体的な指示は思考を奪う ・発想は抽象的な考えから生まれるものであり、それを実証するのは論理的な力。これらは全く別のもの。
0投稿日: 2013.05.22
powered by ブクログ20130515 具体的であるよりも、抽象的だからこそ伝わるものがあるよなぁ と学生の頃ぼんやり思ったことがあって、それについて納得できる文章ががっつり。 マニュアルばかりだと、そのものの本質がみえにくくなってしまう、と思った。具体的すぎるもの、いかがなものか、と。 抽象的思考、大事。
0投稿日: 2013.05.19
powered by ブクログ具体的に考える事がわかりやすく、コミュニケーションを取る上では必須と考えていました。 本書を読んで、別の見方の価値にも気づきました。 抽象的に考える訓練もおそらく人それぞれで違うと思いますが、自分にできる所から始めます!!
0投稿日: 2013.05.18
powered by ブクログ森博嗣氏のいわゆる考え方の一つが書かれた作品。 同氏の作品をよく読んでるファンなら聞いたことのあるようなところも幾つかあったように思える。 個人的には共感できるが、本書から得られた教訓は「何事もあまり鵜呑みにしすぎるな」なので腹7分くらいでぼんやりと…
0投稿日: 2013.05.16
powered by ブクログ2013/05/11読了。 客観的、抽象的に捉える能力をもっと磨かなくてはならない。そう感じさせてくれる一冊。
0投稿日: 2013.05.13
powered by ブクログ抽象的に考えて行くことの大切さを説く。すべてに賛成と言うことではないが、原発に対する考えなど、今まで自分の考えをうまく表現できなかったが、こう言うことだよなと思う。下記共感した箇所。 私にはもっと関心のあることがたくさんあって、そちらまててが回らない、社会では沢山の夫々の分野の専門となって仕事を分担している。なんでもみな多数決をとるというのは考えもので、専門家が考える方が間違いがない。税金は安い方がよい人が多いので安くするのか?領土はそう主張する人が多い国のものになるのか? 大勢の「感情」を煽って、声を大きくすれば社会は動くという考え方は、民主的ではなくファシズムに近い危険なものだ。
0投稿日: 2013.05.13
powered by ブクログすごく読みやすかった。そうか、そういうことかという感じに腑に落ちるところ多々。 この人の小説を読んだことがないけど、今度見かけたら手にとってみよう。
0投稿日: 2013.05.12
powered by ブクログ森博嗣が好きなので読んだ。ただし僕はホモではない。森博嗣の小説が好きなのだ。 ややとりとめのない感じもあるが(短い時間で書き上げているからかもしれないし、森博嗣氏の性格かもしれない)、言っていることは至極真っ当だ。なにより説教臭いところがないし、知識人の書くもののようにルソーやカントが出てきたりしないところが、読みやすくていい。 書名の解答はつまり抽象的に考えればいい、ということになる。もうちょっと具体化して言えば、発想の段階で抽象的に捉えようと悩むことが貴方にとってメリットになるでしょう、とまぁそんなところだ。もっと色々書こうと思っていたが、次の予定の時間を間違えていて文章を考える暇がなくなった。このようにあまり具体的な問題にばかり囚われていると、抽象的な思考ができなくなるというのも、本書にあるアドバイスである。
0投稿日: 2013.05.11
powered by ブクログ抽象的な思考の仕方(のようなもの)を理解出来るようになる本。自分がいろいろと悩みや問題を抱えている中でタイトルだけ見てすがるような気持ちで手に取ったが、予想外の側面から、その解決の仕方も含めて、多くを考える庭を与えてくれた。
0投稿日: 2013.05.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
途中までしか読んでませんが、非常に良いです。 私の普段の考えに近いです。 でも、文章化したものを読んでしまうと、その考えに凝り固まってしまうので、まずいんですがね。 この本のテーマである、抽象化とは相反する考えですね。
0投稿日: 2013.05.11
powered by ブクログ作家森博嗣が、「抽象的思考」について書いた本。 本著に書かれている内容は、「思考法」といわれるような技術というよりも、ひとつの哲学のように思える。 抽象的な内容のせいだろうか。 読んでいるうちに、頭の中に築いてきた建造物が、ばらばらに崩れ落ちるような本だった。 読み終えたあと、私は、そのばらばらに崩れたものをひとつひとつ眺めて、使えそうな破片を拾い集め、それでもって飛行機を作ったり、井戸を掘ったり、オブジェを創ってお金に替えたりしようかなと考える。 たぶん何でもできるようになるし、どこへでも行けるようになる。 「多くの場合、自殺する人の思考は、主観的であり、具体的すぎる、と僕は感じている。」 (p.30) 「つるかめ算が凄いところは、『もし、つるの脚が四本だったら』と想像するところにある。そんな四本足のつるはこの世にいない。それでも、問題を解くために、それを想像するのが人間の『凄さ』なのである。痺れるくらい凄まじい発想ではないか。」 (p.45) 「タイトルを考えるときもそうだし、文章を書いているときも、ときどきリズムが先行することがある。つまり、『ここは、ふふん、ふふってふふいた、みたいな文章が欲しいな』という具合である。」 (p.146) 2013.05.08 読了
0投稿日: 2013.05.09
powered by ブクログ昔の日記に書いていたのとほぼ同じなのだけど、「庭」の話は今まで出てきたことがなかったので面白かった。人間は「自然」だからこそ、「発想」できる。
0投稿日: 2013.05.06
powered by ブクログタイトルが全てを物語っている。 いや、タイトルって大事。 そういうことを書いた本なのですから。 私はホントに参考になりました。 結局は、自分で訓練するしかないと。 そういうことですね。
0投稿日: 2013.05.04
powered by ブクログhttp://kumamoto-pharmacist.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-c3dd.html
0投稿日: 2013.05.03
powered by ブクログ具体的 抽象的 ストレスの主原因というのは、自分の思い込み 全てが無に帰す 人生を楽しむためには、虚しさと親しみ、明日死ぬと思って毎日行動することだし、また、永遠に生きられると想像して未来を考えることである。 つまりは、もしも明日死ぬなら、と考えられる人は、もしも永遠に生きられるなら、とも想像できるということである。抽象的思考が、このように人の「大きさ」というものを膨らませる。これがその人の「器量」になる。 ガーデニング 緩急の振幅が思考を刺激する 自分に都合の良いものだけを引用して自分の意見を主張し、それに反対する意見に対しては、「なにも知らない奴」として、情報不足だと処理する人 非国民 軍国主義の国 庭付きの頭 いっちょう‐いっせき【一朝一夕】《一日か一晩か、の意から》わずかな期間。短い時日。「これほどの大事業は―には成就しない」
0投稿日: 2013.04.27
powered by ブクログ[抜粋+感想] 具体的に考えるよりも、客観的≒抽象的に考えれば、その考えの応用が効く、というお話。一例として、北方領土問題が取りあげられています。 北方領土問題に対する、非関係者の意見です。ユニークな意見ですが、筋が通っています。筋を通さないで議論するのは怖いですね。本来あるべき姿を考える前に自分の意見や人の意見に流されるのは慎みたいところです。 「お互いの国で、その島が相手の領土だと主張する学者(専門家)を探す。少なくとも、その学者は、自国の利益を棚上げにしているだけでも、普通の人より客観的だろう。マスコミには、こういう人の意見はけっして紹介されない。マスコミもまた客観的ではない証拠である。 さて、お互いの国から、そういう学者を出しあって、会議をさせるのである。それぞれが、「この島は、貴方の領土です」という議論を戦わせることになる。それを公開して、両方の国のみんなで見ると良いだろう。」p.10 領土問題にしても、「あんな島、向こうにやれば良いではないか」という意見を、僕は何人かから直接聞いた。しかし、そういう意見を、マスコミはけっして伝えない。何故だろう? 日本人だったら、絶対に言ってはいけないことなのだろうか。 ロシアの学者で、北方領土は日本のものだと主張している人がいる。これを知ったときには、「ああ、ロシアというのは、さすがに先進国だな」と僕は思った。成熟した社会であれば、いろいろ意見が出て、それを公開できるはずだし、冷静に、喧嘩腰にならずに、議論ができるはずなのだ。それができないのは、僕には「遅れている国だな」としか思えない。 (中略) もちろん、僕は日本人だから、「あの島が日本のものだったら良いな」とは感じる。でも、そんな希望で話をするわけにはいかない。注意をしてもらいたいのは、「願い」を「意見」にしてはいけない、ということだ。 (中略) なんでもみんなで多数決を取る、というのは考えもので、それぞれの専門家が考える方が間違いがない。原発反対の人が多いから原発は廃止すべきだ、という数の理論は成り立たない。それが成り立つなら、税金は安い方が良いということになるし、領土は、人口の多い国のものになるだろう。 大勢の「感情」を煽って、声を大きくすれば社会は動く、という考え方は、民主的ではなく、ファシズムに近い危険なものだと感じるのである。戦争だって、国民の多くの声で突入するのだ。「国民の声を聞け」というが、その国民の声がいつも正しいとは限らないことを、歴史で学んだはずである。」p.55
0投稿日: 2013.04.27
powered by ブクログ考えていることに近づけば近づくほどわからなくなる場合、とっても主観的かつ具体的になってることが多い。最終的なアウトプットが具体的なものであっても、客観的、あるいは、抽象的な視点というものを忘れずに持ってなければならない。いや、ならないというよりも、そのほうが思考しやすい。……的なことが書いてあったように思える。 目から鱗が落ちるってほどではないんだけど、この思考の仕方はなかなか訓練が必要みたいだ。(本の中にもそんなことが書いてあった)ふとした時に、忘れた時に、頭がカチカチーっとなってる時に、何度も読みたいなあと思った。 あとは、単純に読み物としても面白い!
0投稿日: 2013.04.25
powered by ブクログ【動機】森博嗣なので。タイトルがアレなので。 【内容】抽象化おじさん。 【感想】下品なまえがきに書かれている「客観」という言葉の使い方が自分の感覚とズレていて本の余白をハテナで埋め尽くしたくなったけれど、見下しながら我慢して読んでいるとだんだんハテナも溶けていって、らしい浮遊感を味わえた。そしてどちらかというとこっち(抽象)側である自分にとって、鋭い戒めの言葉も得られた。
2投稿日: 2013.04.24
