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powered by ブクログ積読していたが、休み期間に通読した。 思っている以上に面白かった。 時代はまた流れているので、それを踏まえて内容を反芻すべきなのだけど、個人的には福祉を「特別」にせず、「フツウ」するということがテーマとしてはあり続けているのだろうと思う。 ドロドロしている感じはあまり好きではないけど。
0投稿日: 2026.01.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人に迷惑をかけずに生きるのが理想か。 何年か前に映画化もされた話題のノンフィクション。ページは多いが引き込まれて一気に読み切った。鹿野靖明という在宅介護を望んだ筋ジストロフィーの男性とそこに集うボランティアたちの生活を取材して書かれている。著者もいつしかボランティアの1人として痰の吸引など鹿野の世話をしていくうちに、障がい者と社会について、人と人との関わり合いについて、生きることについて、を考え込んでしまうといった内容だ。 ボランティアは何かを求めてやってくる。ボランティアに限らず人はやはりどうしても「してあげる」という上から目線からは逃れられないように思う。鹿野の「ワガママ」に対してボランティアが反論したり離れていったりした描写があったが、こちらの善意を受け取ってもらえないとき、それが大きなお世話であったり受け取る側の意図に反していたりしても、裏切られた気持ちを抱くのは想像にたやすい。「してあげる」ことでいい気持ちになりたいのだから。反対に何か欠けているのを感じていて「させてもらっている」人なら、どんな欲求にも応えたいと思ってのめり込んでしまうだろう。そのような依存から結局離れることを選んだ人がいたことも書いてあった。 健常者と障がい者で、介助する側と介助される側が、対等になれないのはなぜなのか。別に障がい者だけではなくて、女性とかLGBTQとか外国人とか高齢者とかも同じだと思うのだが、なぜ要求を「ワガママ」とされてしまったり、手厚すぎる保護(という名の囲い込み)をされてしまったりするのか。それは属性に過剰に意味を見出して、勝手に解釈するからだ。鹿野の為人はやはり障害あってのものだと思う。人格形成に筋ジストロフィーやそのために経験したことが影響していないわけはない。しかし「障がい者は」という文脈にするものではない。本文中でボランティアの1人が述べていたが、見たままの現実で付き合っていく、過剰に裏側を重視しない、という態度は何においても必要だと思った。「障がい者は」と括らずにそのままの相手と向き合うことが、たとえばちょっと乱暴なまでの態度だったり、タバコやAVなどの要求に応えたり、時に言い争ったり、そういうボランティアたちと鹿野の関係に繋がっているのだろう。 いわゆる健常者であっても生きていくのにいろいろと抱えている時代である。背後の情報だけで人を判断してしまう人間関係から理解は進まない。たとえ生々しくても向き合うことが大切である。それには大変なエネルギーが必要だとしても。しかしそもそも生きるとはエネルギーのいることなのである。鹿野が精一杯生きていたように。
1投稿日: 2025.08.07
powered by ブクログ映画を観てからこの本を読んだ。 映画やアニメを観ると、その原作を読みたくなるタイプだ。 正直、今の私に刺さるものが多かった。 映画以上に学びがあった。 医療機器や福祉サービスなど、知らなかったことが多かった。 親を遠ざけたくなる気持ちなど、共感できることも多かった。 私は、彼ほどストレートに発言したり、感情を出したりはできない。 それでも、見習うべきところが多いと思った。 私は今現在、入院中である。 呼吸器こそ必要ないが、寝たきりになってしまったし、吸引器も欠かせない。 「家に帰りたい!」と言い続け、やっと明日、家に帰れる。 「いつでも救急車で戻ってきたらいい」などと言われたが、できる限り在宅生活をしていきたい。 訪問看護と訪問医、ヘルパーさんたちにお世話になる。 訪看さんたちとは、1年以上の付き合いだが、訪問医やヘルパーさんとは初めましてだ。 私に関わる人たちはボランティアではないけど、これからみんなで、いかにして在宅生活をしていくか、試行錯誤が始まる。 鹿野さんのように、自ら行動を起こしてきた人たちのおかげで、今の福祉や制度になってきたことを知り、本当に感謝している。 まだまだ制度が足りず、苦労することも多いけど、10年前、20年前に比べれば、かなり良くなっているんだろうことがわかった。 「主張すれば与えられる。主張しなければ与えられない」 本当にそうだなと思うことが多々ある。 ダメ元で、主張してみる。 私も自立できるように、自分の人生をどうしたいか考え、行動していきたい。
0投稿日: 2025.06.29
powered by ブクログブクログのアイコンが変わった。 何かと思うと、プレミアム機能のアピール。機能の改変に賛否ありそうだが、最終的には利用者はその利用方法で態度を示すのみ。 大衆層に向けたレビューは、大衆の射程に入る言葉で語られねばならない。つまり〝転売可能なレビュー“の価値は、ポピュリズムで測られるのである。そうしたレビューは、大衆の購買意欲を擽る〝商品“として、マネタイズされる。脂の乗ったレビューは、A5ランクを与えてドナドナと売られていく。だが、ブクログには私のように、サーバーだけ利用しまくる癖に、転売できぬレビューを書く「使えない奴」が存在する。まるで売れない作家の気分だが、反省するつもりもない。 (…ブクログには感謝しているので、上記は冗談だが) さて、本書の主題でもある障がい者、それに神とブクログを合わせて類比してみたい。共通点は、それらがプラットフォームである事。そこに〝止まり木“という訳語を当てはめてみる。 本書では筋ジストロフィーの鹿野さんという方が登場する。先天性ミオパチーの市川沙央の小説を読んで、本書に至ったのだ。この障がい者である鹿野さんは、堂々と自らの生きる権利、日常生活における当たり前の主張をボランティアにぶつけるのだが、学生を含むボランティアたちは、大変な労働と疲労の果てに達成感を味わい、自身の優しい気持ちや幸福感に触れ、ボランティア同士のコミュニティに包まれていく。つまり、鹿野さんを〝止まり木“にして、他者と交わり報酬の感情に気づいていく。 それはまるで信仰であり、介護はまるで、喜捨であり礼拝のようだ。信仰告白をし、他者に尽くして、自らもまた癒されていく。 ブクログは人が集まるプラットフォームだ。私のような反大衆迎合な輩レビューは別として、多くの方の有用なレビューは喜捨であり、信仰告白でもある。また、それを通じてコミュニティが生まれ、利用者同士、利用者と神との間にも「即物的な介在物を媒介としない」愛着によるエンゲージメントが形成されていく。 で、こんな夜更けにバナナかよ。 疲れてシンドイ支援者に対し、容赦ない鹿野さんの要求。バナナを食べさせてくれ。面倒くさい。しかし記憶に残るその一場面は、ボランティアの方の人生に、確かに前向きに刻まれるのである。 さて、ブクログの改変は夜更けのバナナになり得るのか。神の最も厳しい掟とは何か。それは、「私以外の神々を信仰してはならない」という事だ。さすがに介護ボランティアのアナロジーにはならないが、プラットフォームには共通の要求。私はバナナを与えない。しかし、宗旨替えもしない。 これを私の信仰告白として、また一つ、レビューの残骸を重ねておく。
150投稿日: 2025.05.20
powered by ブクログ死ぬ事が怖いからこその強さを見せた鹿野氏の生き様を、「鹿ボラ」メンバーとの濃密な日々を通じて綴った本書。 決してお涙頂戴ではなく、筆者はリアルをリアルに伝えようとするスタンスであり、結局はバランスが取れたのでは?と思う。それこそノンフィクションである。 介護する側とされる側の微妙な人間関係や感情を自身の中で消化していく名著であり、読了後の感想については人それぞれになるだろう、「鹿ボラ」メンバーの様に。
3投稿日: 2025.05.02
powered by ブクログ2019/5/25読了 ビブリアから移行 障害者に生まれた運が悪かった。施設がどんどん増えることが障害者の為だと思っていました。 でも障害者の施設は、健常者が管理しやすいように造られたものであることを知りました。 決まった時間にご飯を食べ、寝て、遊ぶ。 自由に行動できる健常者として生まれた私は、この辛さに気づけず、施設が障害者を救うと勘違いしていました。 障害者で生まれたことは誰も悪くないのに、現状は健常者中心の世界で、窮屈に生きていかなければいけません。 しかし、障害者だって自由に生きる権利があります。 私はこの本の中で「世の中が変われば、障害は障害じゃなくなる」という言葉が印象的でした。 たしかに、障害者に対して手を差し伸べることが当たり前の心構えを皆んなが持っていれば、障害を個性と感じれるかもしれない。 でも、やはり障害者は健常者の手助けが必要だし、その心構えを持つのって、難しいなと思いました。 でも私は、健常者とか障害者とか関係なく、世の中みんな誰かに助けられている、生かされていると思います。 電車に安全に乗れてるのも、運転手や駅員のおかげ、スーパーに行けば物が買えるのも。 そういうのって、みんな当たり前に感じていて、意識もしないと思います。 障害者に対して手を貸すことを、そういう日常の中に取り込めたら、いいと思いました。難しいけど。
2投稿日: 2024.12.03
powered by ブクログ映画を見たことがあったので、小説になるとどんな感じなんだろう?と気になって購入しました。ページ数も少なくてとても読みやすいです。鹿野さんは厚かましいけれどどこか憎めない、素直な人です。「愛しき実話」というのがピッタリな作品だと思います。
0投稿日: 2024.11.03
powered by ブクログ自分が1人の人間として評価されたい。それだけ。 だれかの庇護下にあったり、憐れみの目を向けられていては、自分を出し切ることもできないんだよね。
4投稿日: 2024.09.17
powered by ブクログ非常に面白かった。障害者とボランティアと言う「綺麗な話」になりがちな構図だが、もっとずっと生々しく、生き生きとした世界がそこにはあった。 人と人が欲求をぶつけ合う、と言うすごくプリミティブなやりとりが、鹿野さんの視点からもボランティアの視点からもあって、その中でどうにかこうにか生活を作っていく、と言うその全体像が、面白い。
2投稿日: 2024.09.01
powered by ブクログ最初にこの本を読み始めたときは、わがままな鹿野の介護ボランティアをなぜするのだろうと思った。鹿野は「さらけ出さないと他人の中で生きていけない」と言っていたが、あまりにもボランティアの人の上に立とうとしていたので疑問が大きくなった。そこで、ボランティアの人に目を抜けると、自身がなく「父親が尊敬できないと自身のない子に育つ」という人や楽しそうだからや何かしたいという思いからやっている人まで様々だった。それを作者は、 「ボランティアをする若者は2000年以前は市民運動熱を持った人、2000年は自分探しの人である」と述べていた。 現在、ボランティアをしているのはどのような層なのかと疑問に思った。 この本では、西村秀雄という人が紹介されていた。戦後、戦時中に反戦主張をしていた東大総長に誘われ、東大教官になり、その時にシンポジウムを開いて障害者に接し、障害者を締め出していた事に気づき北海道の身体障害者施設で働き始めた。若者であった鹿野の意見を否定せずにどうしたいかをきいて深く相手を知ろうとした。また、障害者が無視されていたときに障害者に意見を求めるだけでなく、可能性も見出していた。その後、障碍者団体が泣きたいときに1人で泣ける部屋が欲しいという要望がでたため、西村は数々の協力を行った。北海道民政部は危険で法律上できないと言っていたが、実際に生活をしてみることで行政を動かすことに成功した。 このような活動の最前線にいた鹿野が 「主張すれば与えられる。主張しなければ与えられない。だからこそ、主張することを恐れてはいけない」という言葉に感銘を受けるのも納得であった。 本を読み進めていくうちに鹿野が自立を目指すわがままを言うのは当然だという感想を持ち始めた。ここの自立とは誰の助けも必要としないことではなく、自分が決定権を持つことである。そのために自分の生死を握るボランティアを頼るけども同時に憎む、アンビバレントな感情も持つだろうなと思った。 この本を読み切っても障碍者のわがままの範囲の明確な答えは出ていなかった。しかし、これに対処するために自分の常識でダメなことはダメと言いつつも、自身の常識を疑う2面性をもつ必要性がこの本を通して身近に理解できた。
0投稿日: 2024.06.07
powered by ブクログ笑いながら、考えながら、泣きながら読んだ。 パワーをもらいながら、パワーを使いながら読んだ。 一章ずつしか読めなかった。 語弊があるかもしれないけれど面白かった。 貪欲に、必死に、真剣に生き抜いた人の話。
1投稿日: 2024.05.31
powered by ブクログ物性研の所内者、柏地区共通事務センター職員の方のみ借りることができます。 東大OPACには登録されていません。 貸出:物性研図書室にある借用証へ記入してください 返却:物性研図書室へ返却してください
0投稿日: 2024.02.09
powered by ブクログ小説とは違って、ノンフィクションは読むのに時間がかかる。生き生きと書かれていて面白い分、読む間、その人の人生や事件が重くのし掛かってくる感じ。今回もそう。 鹿野氏を始め、いちごの会、鹿ボラの行動力のある登場人物たちに驚く。悩んでるけど常に動いていて、とてもギラギラ(あくまでもキラキラではなくギラギラ。)していて優しくて。 羨ましくもあり、私にはできないなぁとも思ってしまって。。読み終わったあと、どっと疲れてしまった。
9投稿日: 2024.01.11
powered by ブクログ衝撃的な本でした。実体験にもとづいたありのままの内容に、読んでいるこっちが冷や冷やするようなこともありました。現場で体験した人にしか分からない世界がそこにはあって、すごく勉強になりました。 ただ、映画のポスターを見かけたことがあったので、ご本人の写真が載っているにも関わらず、大泉洋さんのイメージになってしまい困りました。
3投稿日: 2023.08.23
powered by ブクログ2007年09月17日 19:14 どうしてもこういった本は、お涙頂戴になりがちな傾向にあるが本書は全くもってそうではない。 まず、作者が鹿野氏自身ではなく、フリーライター渡辺氏だということに一目置きたい。 作者自身、鹿野氏のボランティアに入り、他のボランティアに徹底的に取材し、ボランティア達が思っていることを書き綴ったところが良い。 また、鹿野氏のわがままとも言わざるを得ない性格がにじみ出ているところも、この本の良いところなのかもしれない。 ただ、いきなり鹿野氏の過去の話になって、小山内氏や「いちご会」が出てきたところなどは困惑する人もいるだろうし、全体的に少し長すぎる。 特にこの過去の部分なんかは削っても良いところがあるような気がした。 後日、この本に感銘を受けた僕は、作者の渡辺氏にメールを出したところ、 お忙しいのにも関わらず丁寧なお返事をいただきました。
1投稿日: 2023.06.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
これまで、「障害者」と触れ合う機会がなかった私にとって、いい意味で固定観念が覆される本であったと感じた。 鹿野さんのボランティア(鹿ボラ)として働く人々にもその人たちなりの悩みがあり、いわゆる健常者と障害者が密接に関わるシカノ邸は様々な葛藤や価値観のすれ違いが生じながらも精神的にも身体的にも他のどこよりも"前進"ができる場所であったと確信できた。人によって"普通"の基準は異なるが、障害者と健常者の間のそれは著しく異なる。鹿ボラの1人である斎藤さんはその"普通"境界を均すことが障害者を理解するということであるとした。長年ボランティアとして鹿野さんを支えてきた者でもそれを理解するだけでも長い年月を要してきたのに、ベテランと新米の入れ替わりが激しいこの地でのすれ違いを阻止する術はない。 ボランティアとして取り上げてきた幾人の人々の中でも考え方が異なる。国枝さんと斎藤さんがその両極端に位置するならば、その間にそれぞれのボランティアの考え方があるというのには強く同感した。 障害者を神聖な者として扱ったり捉えたりする人は少なくない。現に私もそう捉えてきた人の1人である。遠藤さんにはその考え方がなく常に鹿野さんを1人の人として付き合ってきた。例えば、鹿野さんが口にするわがままを全て受け止めずに拒否をする時は拒否をする。こうした遠藤さんらの態度は鹿野さんにとっても嬉しいものなのではないか。これまで健常者が享受してきた一般的な教育を受けてこなかった障害者にとって、どこでどのように自分の気持ちを制するのか、どこでこのように接すると人間関係が上手くいくという私たちにとってのいわゆる"普通"は通じない。それをどこまで教えるのかというラインは非常に難しいものであるが、壁を感じさせないようにする試みは必ずしなければならないものではないか。 思いのままに綴ったが文章がまとまらないので、推敲はまた別の機会にしようと思う。
0投稿日: 2023.03.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
壮絶な生き様だと思った そういう人生を選んで生まれてきて、他人の心を美しくするために生まれてきたような人 私にはそんな感じがするけど、美化してはいけないと、シカボラのメンバーさんが言っていたのでそうなのかなぁ 著者のあとがきにも、堂々めぐりと書かれていたけど、けっこう堂々めぐりだなーとは思いながら読んだ 実際答えがなくて、重度身体障害者福祉の考え方や社会としてのあり方、人としてどう生きるか、人としての主体性をどこに保つか、など考えはじめたら、無数の答えがあると思う だからノンフィクションとはいえいろいろ堂々めぐりだった 知らないことだらけど、普通に知ることからはじめればいいのだと思う 知らせないから、海外のようになれない日本がいるのではないかとも思う 本人も、家族も、知らせて助けを求めて、そして助け合っていけたらいいなと思う きれいごとみたいだけど 鹿野さんの生き様通り、そんなに日本人は悪い人たちではないと感じるから 最後まさか旅立つと思っていなかったからだいぶ泣いてしまった ボコボコにされただろうと思うけど会ってみたかった
0投稿日: 2023.03.01
powered by ブクログブクオフのクーポンがあったので、あー、映画になったやつだなー、と思って購入してみた。 ノンフィクションの賞とか取ってるけど、意外と前に書かれた本だった。 私は、まだ若き恩師をALSで亡くしていて…それもあって読んでみようと思ったんだけど、筋ジスとの違いもよくわかってなかったな。 人生、ホント人それぞれだなー。 障がい者も、ボランティアも、ただの健常者も。 鹿野さんの生き様は、なかなか真似できるものではないけど、神様はこういう人を喜ばれるのだろうなとは思った。
1投稿日: 2022.12.24
powered by ブクログ自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか?介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクション! 重度の筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんと、彼を支える学生や主婦たち約40名のボランティアの日常を描いた渾身のノンフィクション。人工呼吸器をつけた病の極限化で、人間的自由を貫こうとした重度身体障害者と、さまざまな思惑から生の手応えを求めて介護の現場に集ったボランティアたち。「介護する者、される者」の関係は、ともに支え合い、エゴをぶつけ合う、壮絶な「戦場」とも言えるものだった――。 史上初、講談社ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した大傑作ノンフィクションが、ボランティアの人々の後日譚を加え文庫化。解説は山田太一氏。 鹿野泰明が、国立療養所を退所してでもケア付き住宅でボランティアの手を借りて自立生活をすることにこだわったのは、国立療養所での嫌な思い出に起因する病院や医療関係者への不信感が原因。 国立療養所は、規則づくめで息苦しく、多くの友人と死に別れ、大学病院や医療関係者の視察の無遠慮な視線に晒され、鹿野は「俺はモルモットじゃない」「どんなことをしても生きていたい」と思いを募らせた。 鹿野は、身体障害授産施設で同期入所した我妻に刺激され、我妻と障害者の自立生活を押し進める「札幌いちご会」という団体を設立し、自立生活や外出に役立つ情報を収録した配信する情報誌を発行し、ケア付き住宅建設運動を押し進めた。 障害者の介護において壁となるのが、「してあげている」「させてあげている」という意識。 介護される側の「こうして欲しい」と介護する側の「ここまでは受け入れられるけど、ここからは受け入れられない」というエゴのぶつかり合いが、介護の場にはある。 その中で妥協点を見つけ、介護される側が出来る部分を増やしていくのが介護。介護の場では、介護する側される側にお互いに対する遠慮は、いらない。介護の場では、剥き出しの人間性が露になる。鹿野とボランティアの人間性のぶつかり合いのドラマ。 そして鹿野のように、「障害者は遠慮して生きていかなければならない」という暗黙の了解に沈黙せず声を上げた人がいるから、障害者の権利が広がったことが解る傑作ノンフィクション。
3投稿日: 2022.12.06
powered by ブクログたくさんの人の中で生きた鹿野さんとボランティアの記録。斉藤さんというボランティアの方の後半の発言が腑に落ちた。
0投稿日: 2022.11.03
powered by ブクログ「ありがち」と言われる、お涙頂戴的な本では全くない。鹿野さんの生き方も、そして、シカノ邸を書いた渡辺さんの仕事も、後世に残り、たくさんの人の心に残る。決して、失礼ながら、お二人とも器用な方ではないのだろうと思うが、そのエネルギーの計り知れなさ。確実に再読するだろう。
1投稿日: 2022.10.08
powered by ブクログ健常者と障がい者。介助する側とされる側 のあり方って無意識のうちに固定概念ができてしまっとったけど これを読んで考え方がちょっと変わった気がする がめつく生きるってなかなか今の若者にはないもの やと思う なんか自分の悩みって小さいなぁとか思った 健常者とか障がい者とか関係なしに みんなそれぞれの立場とか価値観は違うんやけ 分かり合うまで何回でも話し合っていきたいなって思った
1投稿日: 2022.09.24
powered by ブクログ筋ジストロフィーを患う鹿野靖明さんと、彼が亡くなるまで関わった多くの介助ボランティアの人たちとの物語である。 筋ジストロフィーは、全身の筋肉が衰えていく進行性の疾患であり、有効な治療法は見つかっていない。筋肉が衰えていくと、歩けなくなり、手が使えなくなり、呼吸に必要な筋肉が衰えて自力での呼吸が出来なくなる。鹿野さんは、自力呼吸が出来なくなり、人工呼吸器を装着している。使える筋肉は、両手の指が少し動く程度なので、日常生活で自力で出来ることはほぼない。唯一、自分で出来るのはしゃべることだけであり、しゃべることによって、自分のして欲しいことを、介助者に伝えることは出来る。 そういった状況のなかで、鹿野さんは、施設や病院ではなく、一人暮らしを選択する。勿論、自分の力では生きていくことは出来ず、24時間の介助を必要とする。その介助者の多くがボランティアなのである。24時間を3交代制で組むと、1日に必要な介助者は3人。実際には負担の大きい夜勤は2人体制を組むので、必要数は最低でも4人となる。1週間で28人。学生のボランティアが多いので、試験期間中や学校の休みの期間中は、人の手配が大変大きな課題となる。人の数だけではなく、習熟度も勿論問題となる。ある程度の知識とスキルがないと、鹿野さんの介助者にはなれない。入れ替わりの多いボランティア1人1人に、そういった知識とスキルを身につけてもらうための教育が必要であり、それは当たり前ではあるが、簡単な話ではない。 その介助の現場は一筋縄ではいかない。鹿野さんはして欲しいことを言葉で伝えるしか出来ないが、気が利く介助者かそうでないかにより、介助の質が大きく異なってくる。自分で何も出来ないからこそ、これは非常に大きなストレスとなる。また、ボランティアの介助者なしには、基本的に1日も生きられないが、介助に必要なボランティアを集めることは容易ではなく、これもストレスとなる。鹿野さんは、遠慮しない人である。ボランティアの介助のうまい下手について、歯に衣を着せずにボランティアに言う。鹿野さんもストレスを感じながら言っている訳であるが、言われたボランティアの方も、非常にストレスを感じる。せっかく善意でやって「あげているのに」と思うが、ボランティアをやっているうちに、それなしでは鹿野さんが生きられないこと、だから鹿野さんが、ある意味命がけでボランティアと接していることを理解する。理解はするが、納得は出来ない。更には生身の人間同士なので、相性の良し悪し等もある。 本書は色々な読み方の出来る本である。例えば。 鹿野さんというキャラの立った人物の物語として読める。鹿野さんの病気で、鹿野さんの症状で一人暮らしをするのは、ある意味では常識外れなことであるが、それを要求し続けることによって実現した鹿野さんの物語。 逆に、ボランティア、あるいは、介助者たちの鹿野さん介助を通しての気づきや成長の物語としても読める。 また、鹿野さんとボランティアを中心とした介助者の人間関係を描いた物語としても読める。 更には、日本の福祉制度に対しての問題提起の物語としても読むことが可能だ。 筆者の渡辺一史は、上記の全てを書いているが、何かに偏った書き方はしていない。本書はあとがきまで含めると546ページに及ぶ大部の本である。何か特定の視点に寄らず、色々な視点で、色々な物語を書いている。だから、分厚い、ボリュームの大きい物語となったのだと思う。 最近読んだノンフィクションでは、一番好きになった本だ。
18投稿日: 2022.04.19
powered by ブクログ筋ジストロフィーの鹿野さんがボランティアと共に自立生活を営む姿を描いたノンフィクション。 話の面白い人(著者)が過去に会った面白い人(鹿野さん)を語る時点で面白さは約束されていて、濃厚で、笑えるところもあって、面白かった。 介護という、物理的にも精神的にも人と密接に関わらないといけない現場で、支える側はある種生きる意味を求めて、支えられる側は少しでも自由に普通らしく生きたい、そういう綺麗事じゃないぶつかり合いが人を変える、みたいな。 いや、そういう雰囲気の話じゃないんだけどうまく言えないな…とりあえず、読んで良かったし、とても人に勧めたくなる本。(私も母親に勧められて読んだ)
2投稿日: 2022.04.02
powered by ブクログ質・量ともに、ずっしりとした一冊だった。 筋ジストロフィー症で42歳で世を去った鹿野靖明さんと、彼の自宅での介護を支えたボランティアをめぐるドキュメンタリー。 次第に症状が重くなっていく彼が、親元ではなく独立して暮らしたいと願う。 制度も十分ではなく、ボランティアに頼って生活する決断をする。 ボランティアなので、いついなくなっても文句は言えない。 プロではない相手に、命を預けることになる。 薄氷の上を歩くような生活、壮絶な挑戦だ。 自分ならー、と思う。 まず、治療法のない神経難病にかかった時点で絶望するだろう。 介護を受ける立場には、将来必ずなる。 おむつ交換をしてもらうとき、申し訳ないと思うだろう。 卑屈になり、生きる気を失うかもしれない。 年老いて受ける介護とはまた違うかもしれないが、自分なら、と思うと、心が平静ではいられない問題だ。 そう考えると、体が弱っていくにつれて、自我が強くなっていく鹿野さんは、只者ではない。 呼吸器をつけていても、トレーニングしてしゃべれるようになるって、いったいどういうこと? 驚嘆しかない。 筆者の渡辺さんは、取材に訪れ、そのままボランティアの一人となっていく。 ボランティアと鹿野さん、そしてボランティア同士のよくもわるくも濃い関係も、生々しく描かれる。 中には違和感を感じ、離れていく人もいたとか。 その中で、繰り返し介護する側とされる側の関係性が問われていた。 また、ノーマライゼーションとは何か、ということも考えさせられる。 十年後くらいに、もう一度読んでみたい。 この本が自分がどれくらい変わったか、世の中がどのくらい変わったかを知る試金石になるだろう。 ただ、そのころには注の字が小さくて、読む気が失せているかもしれないな、とも思う。 本の作りはもう少し何とかしてほしい。
3投稿日: 2022.02.11
powered by ブクログ最近特に、ノンフ作品の、その長さがやけに気になってしまう。もっと簡潔に纏められるのでは?という。もちろん、背景にある取材の労力には最大限の敬意を払うし、当事者からしてみれば、これでも全然物足りないというのはあると思う。けど事実として、同意反復がかなりの紙幅を占めると感じるのは気のせいか?とはいえ、エピローグの章はやっぱり感動的で、読後感はなかなかのものだった。あと、タイトルも秀逸。
0投稿日: 2022.02.07
powered by ブクログちょっと前の本だけど息子の本棚にあったので読んでみた 生きることを諦めないで周囲に迷惑かけまくって「こんな夜更けにバナナかよ」と呆れられながらも多くのボランティアに愛された鹿野さん 生きるチカラをもらうって大袈裟でもなんでもなく本当にあることなんだなと ジョギング始めたのも、難病だった母親の介護を通じてもらったキッカケでした 紅白のまふまふが妙に沁みたのもそんなせいかもしれません
1投稿日: 2022.01.22
powered by ブクログ面白そうな題名で、大泉洋で映画化されて流行った本、障がい者とボランティアの珍道中を想像したら、わりとガッツリしたドキュメンタリー。介護する者とされる者、そこは感謝される者とする者、ではなく対等に喧嘩してわがままを言っていい。人権だの尊厳だのではなく、自分らしさ。 鹿野さんと愉快な仲間たち。(これに溶け込めない人は去っていくだけだから、そりゃみんななんとか仲良くやっていくわけだけど。) 障がい者(他人に介護してもらわないと生きられない人)の「個性」をここまで知ったのは初めてだった。あの家と、障害を含めての個性なのか、その人単体の個性なのか。限りある命だから、そういう制限があったからこそ輝く強烈な人生というものはある。
0投稿日: 2022.01.11
powered by ブクログ図書館で借りてきて軽い気持ちで読み始めたが、これがホント面白くて考えさせられるんだわ 常識に基づいて対応するけど、時にはその常識も疑ってみることも必要だって
1投稿日: 2021.11.04
powered by ブクログ脳梗塞で入院してる時、教育実習で私の世話を診てくれた男子学生に贈った本 旧友に再会したかの様にすぐさま抜き取った 一生懸命さに感動し、初心忘れず真っ当に励んで貰いたい気持ちで贈った本
1投稿日: 2021.10.23
powered by ブクログ介助させていただく、とは、バイアスがかかる言葉だなぁ。 認知症と診断されたから、その人にとっては普通の行動でも、 介助者にしてみたら、奇異に思えると、必ず「あの人は認知症だから」と言う。 認知症の人は、個性を出すことも許されないのか? 障害者でも、自分らしく生活したい。 だけど、すべてにおいて人の介助が必要な鹿野さんが、自分の要望を言うと、障害者で人手がかかるからダメ。 障害があるから、高齢者だから、性欲があることは汚らわしい? 普通の人間がただ自分でやれないことが多いだけで、 障害がその人を拘束する道具ではない。 今の介護は、経営を無理して組み込むからいけない。 チームで仕事していても、仕事量が人により差があり、だから仕事量を増やさない為、気づいていてもやらない。 これもおかしい。 考えて動くことも大切だが、気づいて手を出すことも大切。
2投稿日: 2021.10.10
powered by ブクログ夢中で読んでしまった。心情的には星7くらいは付けたい。 恐らくこの本の一番のポイントは’バランス’だと思う。 著者・渡辺一史 氏がこの親本を執筆された当時はまだ30代前半から半ば、福祉や医療分野にはさしたる興味や知識があった訳ではなく、「日々を切実に、ギリギリのところで生きている人に会ってみたい」(p13)という動機から取材が始まったとある。 こういった背景だったからこそ、客観的立場かつ’ごく一般的な感覚で’シカノさんやボランティアと接する事が出来たのではないだろうか。 とりわけ難病や障害、福祉を題材にとった文章や取材だと、どうしたって当事者側に寄り添った内容になるのは当然で、ただし、それが入り込み過ぎると過剰な「美談」や障害者や福祉従事者・ボランティアを「神聖視」したものになってしまい、それはそれで偏見に繋がっているという点は改めて納得。(p141、p149、p376) そういった全てを包括していて、かつポップな印象も感じられる本書のタイトルは実に秀逸な題付けだと思う(実際に国吉氏が発言したかは怪しいらしいが…)。 惜しむらくは、もうシカノさんがいないという事。 が、「俺は死なない」という言葉通り、本作に触れた人の中にはきっと強烈に存在が刻まれる事だろう。 実写映画未視聴だが大泉洋 氏は配役ピッタリだと思う。 小山内美智子氏の著作も読んでみたい。 4刷 2021.8.27
10投稿日: 2021.08.28
powered by ブクログ長い本。何回か休憩をはさみながら、一気に読んだ。 筆者が何度も何度も考え抜いて書いたんだろうなと思わせる、とても正直な文章。無下に飾りたてることもなく、フラットな筆者と主人公の鹿野さんの関係性がそこにあらわれているよう。 様々なエピソードに共感しながら、時にはつらい気持ちになったり、くすくす笑ったりしながら読んだ。 「障害」や「病気」があることで、「本当はいつもそこにあるけれど見えていないもの」が見えてくることがあるのかもしれないと思った。 人間どうしがかかわることは、健常者や障害者といった枠組みに関係のない、普遍的な営みであることを考えさせられた。
0投稿日: 2021.05.31
powered by ブクログ鹿野さんとは違う難病持ちで、車椅子で生活している障がい者です。 いつか私も病気が進んで、もっと不自由になったときに「あれやってよ、これしたいよ、どうにかしてよ」と周りに頼れる自信がない。 厚かましいのと逞しいが入りまじる、一人の人間の人生を見せていただきました。
1投稿日: 2021.02.22
powered by ブクログ障がい者の在宅医療を切り開いた筋ジス患者とボランティアの物語 障がい者がフツウに他者と暮らす意味を突きつけつつ、僕らのフツウって何だと考えさせる それは「フツウのことができなくなったときの尊厳死」に対する強烈なアンチテーゼだ
0投稿日: 2021.02.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
障がい者福祉の知識がないので本を読みたいと言ったら、その仕事の人に勧めてもらいました。 美談にされておらず、具体的な描写から関わる人たちの心情も想像もでき、入門に良い本。 「わがまま」と見える態度について、覚えておきたいところ。 障がい者自身にとっては、周囲の望む方向と自分の欲求のズレをいかに明確に意識するかが、自我に目覚めるために決定的に重要。 健常者が「よかれ」と思ってした好意、安易な優しさを突き破るような自己主張として伝えられることが多い。介助者にしてみれば、常に好意が打ち砕かれるような、激しさと意外性を伴う体験なのだ。 とは、誰にでも、健常者同士にも当てはめられるね。
0投稿日: 2020.12.29
powered by ブクログ金曜ロードショーでやっていた映画が途中から観ただけでもすごく面白かったので、原作があると知って読んでみた。 これは障害者やその取り巻く環境や人を、ただの美談に仕立て上げたものではない。一人の鹿野靖明という人物が、剥き出しで現実と取っ組み合いながら、ボランティアと自分を曝け出しあいながら、必死になって生きてきた記録。著者自身がボランティアの一員となって数年間過ごし、鹿野さんと生身でぶつかっている。 障害者福祉について、またボランティアをすることについて、日頃自分がいかに何も考えていかということに思い知らされた。映画化されなければ自分がこの本を手に取ることもこの分野に興味を持つことも無かったわけで。「障害者を障害者たらしめているのはその人自身ではなく社会そのもの」という言葉には、社会の物理的な障壁や制度的な面もそうだけど、悲しいことに健常者と呼ばれる人たちの「無関心」も大いに要因になってしまっているのだと気付いた。 著者自身、この本を完成させるまでに長くかかったと言っているが、参考文献の多さにも、著者がたくさん勉強をしながら悩みながら書き上げたものということが分かる。各章の最後に註がまとめて載っていて、そこがすごく勉強になった。 途中出てきた小山内美智子さんの著書も何冊か是非読んでみたい。
10投稿日: 2020.12.25
powered by ブクログ作者がこの本を書き上げるのにたくさん迷ったように、私も感想を書くのをとても迷う。言葉で伝えるのがいかに難しいか。 筋ジスと共に生き続けた鹿野さんという障害者と、ボランティア達という健常者、助け助けられ、求め求められ、いつの間にかそれぞれの人の人生で生きる鹿野さんの存在力。綺麗事だけでなく、社会制度や障害者運動の歴史を知り、人と人とが関わるとは何なのか考えさせられる。
1投稿日: 2020.11.16
powered by ブクログこのへんてこなタイトルの映画を最初に観ていた。筋ジストロフィーのために24時間介助を必要としながら、ボランティアたちに媚びることなく精力的に自分の生活を生きようとする主人公と、それに振り回される周りのスタッフを描いたドキュメンタリー。2時間の映画では描き切れなかったことがこの原作では様々に語られていた。決して短くはない本だし、内容も複雑で重い。映画の中ではわがままさが強調されていたように思うけど、この原作を読んで主人公の鹿野氏に対しては尊敬の念が深まった。でもこのような人が身近にいたら、自分もボランティアとしてうまく接することができるかどうかは自信がない。
0投稿日: 2020.11.12
powered by ブクログずーっと読みたいと思っていて、でも重そうなテーマに尻込みしていました。 やっと手に取ることができたのは、最近ドキュメンタリーを観るのがマイブームということと、自分自身が入院するという想像もしていない状況に陥ったからだと思います。 読む前は、重度障害者の破天荒な生き様を描いた作品だと思ってました。あながち違うとも言えないんですが笑、なんでしょう、◯◯を描いた作品です、と一言では言い切ることが難しい作品でした。 障害者を取り巻く福祉や、ボランティアのあり方、そして重い障害を負って生きること。 生きるってなんなんでしょう。生を全うするってなんなんでしょう。 読んだ後にそんな疑問を自分に問うてしまう作品でした。
5投稿日: 2020.10.21
powered by ブクログ時間が経ってからもう一度読みたい。 ボランティアの人たちの人生模様?みたいなものが描かれていて印象的。
0投稿日: 2020.10.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
タイトルからずっと気になってたけど、重そうだなぁと思ってなかなか読めずにいた。 読み始めると思ったよりすらすら読めた。 いろんな人の人生を盛り込みすぎて慣れるまで読みにくいけど、面白かった。 「ぼくは日本の福祉を変えたい。それがぼくの欲望」(p15) このために命を捧げたことが本当にすごいと思う。 理想だけでは現実は変えられなくて、人と人とのぶつかり合いがあってやっと現実が動いていくんだというのがよくわかった。 でもやっぱりそこにはカリスマが必要。 そしてカリスマを支える名もない人たちも必要。
1投稿日: 2020.09.27
powered by ブクログ筋ジストロフィーで日常のほとんどに介助が必要な鹿野氏が送る「自立生活」の軌跡をまとめた本です。 映画も良かったのですが、こちらはもっと濃厚で、リアリティがあり、その分こちらも色々と考えさせられます。 一人の障がい者の奮闘記を超えて、人と人の関わりとか、生きることについて、自然と読者に投げ掛けられるような印象です。 鹿野氏ほど濃厚に人生を歩んでいる人はなかなかいないかもしれません。 あつかましさをもつ。 他者と対話をする。 どちらも、鹿野さんはやむを得ず身に付けたものですが、障害の有無に関わらず必要なことだと思いました。 時々読み返したいです。
1投稿日: 2020.09.02
powered by ブクログ筋ジストロフィーの鹿野氏とボランティアの生活を、取材したノンフィクション。 映画を見てから原作を読んだ。 映画を見た後に残った「何故こんな大変な事をボランティアでやるのか」という疑問に対して、著者も同じことを思って、数々のボランティアにインタビューしている。 はっきりとした答えはないけれど、ボランティアがボランティアをする個々の理由や動機からその秘密が覗ける一冊。 映画は鹿野氏にスポットを当てているけれど、原作はむしろボランティアにスポットを当ててあり、読み応えのある一冊。 映画とは別の切り口として楽しめる。
0投稿日: 2020.08.20
powered by ブクログ映画化されることになって知りました。手元に来たのはもう随分前になりますが、ようやく読了。 ここまで手に取るのに時間がかかったのは、やはりテーマの重さ。タイトルも、帯に印刷されている映画の告知、大泉洋さん、高畑充希さん、三浦春馬さん!、の醸し出す雰囲気は楽しそう、明るい雰囲気ですが。 それと、公開後に流れてきた、某国の首相と主演2人の3ショット写真。あれでげんなりしたこともあります。 しかし、実際読んでみて考えをあらためました。 文庫版の山田太一さんのあとがきの言葉が、私の感じたこと、多くの読者が感じたであろうことを的確に表していますので、ご紹介。 (重度身体障害者とボランティアの物語、というとよくあるやつ、と思うかもしれないけど、)「それは間違いです。これはまったく、よくある本ではない。凄い本です。めったにない本。多くの通念をゆさぶり、人が人と生きることの可能性に思いがけない切り口で深入りして行く見事な本です。」 本当に、凄い、これにつきます。 この原作を読んでから、動画配信サイトで映画も観ました。よく作られていたとは思います。文章ではイメージできなかったことも映像で知ることができ、映画は映画でよいと思います。 しかし、映画だけしか観ていない方は、ぜひ、この原作を。映画だけみて分かった気にならないでほしい。 映画を観ていない方はぜひ、この原作から入って欲しいと思います。 折しも、優生思想を、生命の選別を公言してやまない政治家、ALSの女性の嘱託殺人事件を機に起こってきた安易な安楽死容認の議論など、人の生命をないがしろにするこの時期に、この書籍に出会えたのは、本当に良かったと思う。 ぜひ、多くの人に読んで欲しい。
0投稿日: 2020.08.09
powered by ブクログ題名で映画からのノベライズ版に興味があったのが、きっかけだったが、図書館にあったのが、こちらだったので、読み始めた。 これだけの障害があるにもかかわらず、個性的で、図太い生き様が素晴らしかった。 分厚本の半ばで、何度か読破することを諦めそうになったが、登場人物の飾らぬ言葉に先を進ませられた。 どのような境遇に陥っても、諦めずに、生きることに貪欲でありたい。
6投稿日: 2020.08.08
powered by ブクログ筋ジストロフィーの鹿野氏とボランティアをめぐる、重度身体障害者の自立生活について、雑誌記者である渡辺氏(著者)がまとめた本。 映画化されているというので、私は映画をまず見たのですが本と映画は別物でした。 映画はかいつまんで鹿野氏の生活とエピソードをなぞらえてひとつのストーリーを作っているのですが、こちらは雑誌記者が見聞きした主観を交えたルポのような感じで、要所要所に参考文献や、当時の障害者自立支援制度についての補足などが挟まれています。 単純に映画を見て、「これを活字で読めたらいいな」という気持ちで読み始めると、「これは違う」となるかもしれないので注意が必要です。(そして本文は相当に長い!) タイトルの由来は、睡眠障害のある鹿野氏が泊まり込みで介助をするボランティアの男性に対し、(午前2時に)「バナナが食べたい!」と言って起こしたというエピソードからきているそうです。 この時代から重度身体障碍者の自立支援はどのくらい変わったのでしょうか。あるいは「変わっている」と言えるほどの変化はないのかもしれません。 私もそうですが、ひとりひとりが大層なことはできなくても(ボランティアになることはなくても)、こういったところから情報を得ること、「こういう現状なんだなと知る事」が将来を変えていくのかもしれないと思いました。 追記:映画版のノベライズがあるようです。「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 (文春文庫)」だそうで。興味があるかたはそちらをどうぞ。
0投稿日: 2020.06.25
powered by ブクログ人が生きるとは、死ぬとはおそらくそういうことなのだろう 長い長いノンフィクションを長い時間をかけて噛み締めるように読みました
0投稿日: 2020.06.20
powered by ブクログ映画から興味を持って読んだ一冊。 映画は物語になっていたけど、原作はノンフィクション、インタビューなど。 読み応えあって、時間かかったけど得るものも多かった様な。 読了からだいぶ時間経って薄れてきてるので、時間があるとき読み直したい。
0投稿日: 2020.05.24
powered by ブクログまず、障がい者についてほとんど知らない状態で読み始めたのですが、筋ジスの様な障がい者はボランティアから世話をしてもらい、「申し訳ない」スタンスが当たり前と思っていました。 しかし、それこそが偏見であり、鹿野さんの様な我が強くて、自分がボランティアを育て、教育してやっているという自負をもっている!そんな姿勢もアリなんだと知りました。 好きなことをなかなかできないもどかしさ、プライバシーを保てない事、いろいろ考えさせられ、勉強になりました。
1投稿日: 2020.05.02
powered by ブクログ生きることの意味や生きていることの意味、その正解って一体何なの?って深く考えてしまう。強く明るく、時に弱く横暴でわがままに生きられるのなら、それで十分だといえなくもないな。そのうえ愛されているなんて、さいこう。
1投稿日: 2020.02.26
powered by ブクログ図書館で、偶然見つけた本。 昨年、映画になっていて、観たいなーと思いつつも、観ずに終わった作品。 なんで観なかったのか? それは、たぶん、筋ジス患者さんの介護映画というのは、お涙頂戴。のようなものだろう。と思ったからだと思う。 そう思いながらも、本を見つけて手に取ったのは、なんでだろうか? 手に取った時、これは読んでみたいなと思ったのだ。 読み始めて、初っ端から、これがお涙頂戴。などではないことがわかったし、介護ボランティアの戦いでも、鹿野さんと病気との戦いでもないということがわかった。 介護、福祉が抱える諸問題を提起する社会派ノンフィクション。と、言いたいところだが、それも違う。 自分は、鹿野さんという個人と、ボランティアと呼ばれていた複数の人達との人間関係を描いたノンフィクションだと思った。 たしかに、問題提起をする部分もあるけれど、それだけではない。 筋ジス患者さんの余命をわかっていながら、読み進めた自分は、エピローグで衝撃を受けた。 そう。鹿野さんの最期。 亡くなっていることを想定しながら読んでいなかったので、衝撃だった。 でも、最期、鹿野さんらしかったのかもしれない。 あんな風に、多くのボランティア支援をされて、生き続けることができる人は、滅多にいないと思う。 それは、鹿野さんの凄さ。 自分がもしも、関わっていたらどうしていただろうか。 最後まで居続けることができただろうか。 自分が感じたことがないほどの「生きたい」という気持ちに、自分は負けなかっただろうか? と、読みながら考えてしまった。 『生きるのをあきらめないこと。 そして、人との関わりをあきらめないこと。 人が生きるとは、死ぬとは、おそらくそういうことなのだろう、とわたしは思い始めている。』(527頁)
1投稿日: 2020.02.15
powered by ブクログ同じ病名ではないが、これから同じ道を歩く可能性が高い病気の罹患者のため、今後のためと思いすごく勇気を持って読んだ。すごくすごく感慨深かった。明け透けなく書かれていてこれはみんなに是非読んで欲しい。自分の語彙力のなさが恨めしい。
4投稿日: 2020.01.30
powered by ブクログもうずいぶん前の話になるけれど ある人のコンサートを企画するために いろいろな人が実行委員会のスタッフとして集まって ああすれば もっと こうすれば もっと とワチャワチャやっていたことがあった さまざまな年齢、さまざまな立場の人 が集まっていた 定例的に 何日も会っているので 気心も知れていくようになっていた ご飯を食べたあとは 三々五々に しばし休憩ということが 通例になっていた その時に車椅子のスタッフも数人いて その時にスタッフの子供たちも数人いた そして ある日の いつもの休憩の時 その子どもたちが車椅子を借りて 「競争だぁー」と その場所のちょっとしたところで 車椅子レースを始めるようになった 天気のいい日は それがいつものことになっていた この一冊を読んでいる時 その時の情景を思い起こしました いろんなことが あるけれど いま ここに いま この時間を いま こうして 今を 生きているぞ 心ある人に 手渡したい一冊です
2投稿日: 2020.01.24
powered by ブクログとても面白く、勉強になり考えさせられました。鹿野さんの生きたいと強く思う気持ちは自分の胸に響きました。そしてボランティアたちと鹿野さんの間のやり取りや駆け引き、相互作用が、自分の置かれてる今の状況と照らし合わせときに、考えさせられることが多くありました。生きることをあきらめず、周りと関わることをあきらめず、鹿野さんのように図太く生きたい。
1投稿日: 2020.01.20
powered by ブクログ何度も読もうと思っては、手に取らなかった本。自分はよく分かっている、もういいんじゃないか、という思いがあったからだ。 しかし、一人の人間の多様性、障害と言っても千差万別。詳細に綴られた一人とその関係者の伝記は存在感が違う。 自立支援運動の歴史も結構詳しく押さえられている。 障害者と健常者、患者とボランティアの一筋縄でない関係の考察も素晴らしい。 最後の鹿野の死に様はドラマチックだ。涙もにじむ。 終わりに近づくにつれ、私の心はシーンと静まりかえっていく。最高の状態だ。 私は思う。この本の登場人物、著者は魅力的だ。しかし、私はさらに思う。途中で鹿野から去った人間、いわゆるボランティアを貫かなかった人間にこそ、真実はあるのではないか。
1投稿日: 2020.01.07
powered by ブクログ人間は危機を経験すると、人間の精神や社会の複雑さとタフさを知ることができる。そして危機を受容する姿は人に感銘を与える。とても耐えがたそうに思える危機を受容する人をみて、人にはこんなに複雑さを受容するタフさがあるのだと憧れることができる。
0投稿日: 2019.12.28
powered by ブクログ障がい者と言えども、人は人。 個性もあれば、意思もあり、相性もあるし、食欲も、性欲も! そんな当たり前を作者と共に気付く。 優しくしてあげなければ、などと上から目線ではなく、いろんな意味でうまく接する自信はないけども。加えて自分がいつか障がい者になるかもしれない、と考えた時に鹿野さんのように振る舞うことは多分出来ない。 きっと、卑屈に、遜ってしまいそう。 正解はないけど、生き方は自由。 障がいのある無しではなく、鹿野さんの生き様の強さに驚く。 こんな人嫌だと思う人もいるだろう。それも当然。誰しも万人には好かれない。 あぁ、やっぱり強い人だ。
0投稿日: 2019.12.22
powered by ブクログいろいろな意味で考えさせられる本。 著者は、筋ジストロフィーで人工呼吸器をつけながらも、24時間の有償・無償ボランティアを駆使して在宅で生きた鹿野靖明さんを取材。 障害者への公的支援では24時間の支援は受けられないため、その不足分をボランティアで補うのだが、そのボランティアとのやりとりが尋常ではない。 鹿野さんは在宅で生きるために、命をかけている。何気なくボランティアに来た若者たちが、いつの間にかそんな鹿野さんに惹きつけられていく。 助ける者と助けられる者。もちろん、介助する者が助ける者で、障害者の鹿野さんが助けられる者と考えがちだが、シカノ邸ではその立ち位置が逆転したりする。 介護の仕事をする私にとっては、「障害をもっていても、健常者と同じように当たり前に生活できる」というノーマライゼーションの理念がものすごく遠くに感じた。 退院を希望する鹿野さんに「どうして家に帰りたいの?」と聞く医療関係者に、「あなたたちだって、仕事が終わったら自分の家に帰るじゃないか。だったら、僕も帰りたい」と答えた鹿野さん。 鹿野さん自らが命懸けで実現させた「ノーマライゼーション」 この理念を実現させるには、一体どれだけの支援が必要なんだろう。 私は、日々の忙しさを理由に、この理念を忘れていないか? そもそも、この理念は絵に描いた餅なのではないか? 読み終わって数日経つが、考えが整理できず、ざわざわと居心地が悪い。
0投稿日: 2019.12.07
powered by ブクログボランティアって、なんだろう。 人と人の繋がりって、どこだろう。 そして、生きるって、生きていくって ...すごいことなんだと思い始めている。 気持ちを言葉にするのは、難しいなぁ。(笑)
0投稿日: 2019.10.24
powered by ブクログずっと前から知っていた本をようやく読み終えた。550ページがあっという間。自分も障害がある人の家で泊まり込み介助をするボランティアをしていたから、あの頃のことを思い出しながら懐かしく読んだ。 本作をもとにした映画もそんな傾向だったし、どちらかというと、筋ジス・鹿野靖明さんのほうに焦点が当たることが多い気がするけれど、サブタイトルが示しているとおり、もう一方の主人公はボランティアたち。鹿野さんのボランティアに通ういろんな立場の人が、それまでの人生、その後の人生にまで触れながら書いてあり、いろんな人のボランティア観や人生模様を知ることができた。 渡辺さんの視点がいい。宙ぶらりんな立場だからこそ、やさしい目線で鹿野さんやボランティアの人々を見ることができ、それをていねいに綴ることで550ページもの大著になったのだろう。あえて答えを出さないとでもいおうか、決めつけや押しつけがないのも読みやすい。それは鹿野さんの周囲の空気感とも似ているんじゃないかな。
4投稿日: 2019.09.01
powered by ブクログ8/7はバナナの日 昨年、大泉洋さん主演で映画化もされました。自分のことを自分でできない生き方には尊厳がないのだろうか?
0投稿日: 2019.08.29
powered by ブクログ筋ジストロフィーの鹿野さんと、彼を支えるボランティア達との話。その流れで日本の障害者福祉についても触れている。ボランティアの意義、意味等について考えさせられる内容。 とにかく読みごたえあり。 時間をおいて、また読んでみたい。 147
0投稿日: 2019.07.13
powered by ブクログ筋ジストロフィー患者の介助ボランティアの記録をまとめた本書であるが、500ページを超える長大なもので、読むだけでもかなりの労力が必要となる。 鹿野靖明の不思議な魅力があってこそ成し遂げられた生活であったのだろうが、重度障害者であるからといって、全てを押し殺して生活していて、それで生きているといえるのか。 やりたいことはそう言うべきだろうし、健常者であれば当然していることである。 本書の「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルも、当初なんのこっちゃと思っていたが、そうだよね。二本目食べたいときもあるよねと、そう思った。 「自閉症の僕が跳びはねる理由」で有名な作家の東田直樹のことも、当初、自閉症がよくわからない奇妙な病気であると思っていた自分にとっては、文字盤を使って自分自身を表現していく様子は衝撃的であった。 こうした、障害者や患者側から発信される情報は、非常にためになるし、面白い(失礼)ものである。 さて、次は渡辺一史氏の新作「なぜ人と人は支え合うのか」を読もう。
0投稿日: 2019.06.08
powered by ブクログ映画で話題になり、原作本があることを知り読んでみた。 筋ジストロフィーという難病と文字通り闘っている鹿野さんの生活とそれを支えながら、逆に鹿野さんに人生を変えられ、ある意味で支えられているボランティアさん達の実録(少し前の話だが)。 近頃は、普通の人間が普通に生きるのだって、何かと窮屈で閉塞を感じる。便利ではあるが、ネットによる情報網が張り巡らされ人の目や耳が気になるからだろうか。 まだ、その恩恵も悪影響もなかった頃の話だが、鹿野さんのパワーが凄い。鹿野さんによって変わった人たちの話も面白い。2019.3.31
2投稿日: 2019.04.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
映画のcmをみて、はじめて書籍を知り購入しました。 実際に映画は観ていません。 この物語は筋ジストロフィーという難病にかかった鹿野という1人の男性が、最後の最後まで自分自身を諦めることなく生き抜いていく強さとボランティアや家族など周りの人の葛藤や優しさを描いています。 病気の人が、こうしたい、という要望を 「わがまま」と捉えてしまいがちな中 その希望を周りの人たちの支えで叶えていくことの 難しさを改めて感じました。 最後まで一気に読んでしまいました。 私は医療従事者であり、実際に難病の人と接する機会も多い中、色々と考えされられた作品でした。
0投稿日: 2019.04.07
powered by ブクログ筋ジストロフィである鹿野さんと鹿野さんの自立生活をサポートするボランティアの方々についてのノンフィクション。 映画の予告でこの作品を知り、また大泉洋かー(ファンの人、すみません)と思いつつもその内容には興味があった。 しっかりと取材を重ねての文章であり、悶々と悩んでいることも伝わってくる。なかなか煮え切らず、堂々巡りをしてるところもある。究極的に、障がい者の問題は人と人との関わり方の問題に行き着くのだろう。もちろん、障がい者の方々が社会に対して自分たちの権利を認めてもらうために多くの労力を費やしていることも忘れてはならない。 映画の予告で見たら、ドタバタっぽく感じたのであえて見ないようにするつもり。障がい者の権利について今まであまり考えたことがない人へのアプローチとして、映画化という手段はありだと思う。
0投稿日: 2019.04.03
powered by ブクログこんな夜更けにバナナかよ。 読後、この一文にすべてが集約されているんだなと感じました。 こんな強い人ばかりではないと思いますが、主張し合って築かれる関係性っていいなと思いました。食わず嫌いはもったいない。
2投稿日: 2019.04.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
自分で生き方を決める。重度の障害者は、そんな当たり前のことが出来ない。そんな中、自分を24時間世話するボランティアを募集、教育して生きようとする主人公の生き様に感動した。
0投稿日: 2019.04.01
powered by ブクログ過剰でもなく無関心でもなく、自然に手を貸す、が出来たらいいのにと思う。 障害のある人だろうと妊婦だろうと老人だろうと体調が悪い人だろうと。 生活の中でどう思うか感じるか、いたるところにある「立場」に思いを巡らせた。
3投稿日: 2019.03.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
間に合わなかったことは悲しいですが、間に合ってたら、きっとシカちゃんはボロクソに言うんだろうな。でスゲー後で少しだけアッコは良かったとか言うんだろうなぁ。
1投稿日: 2019.03.26
powered by ブクログ映画が良かったのでオリジナルも読んでみようと思いました。 結果、映画よりも面白かった、正確に言うなら映画とは全く趣の異なる面白さがあった。 鹿野さんの生きざまを描いた(切り取った)のが映画だとしたら、鹿野さんを含んだ周囲の生きざまを描いたのが本著であろう。 鹿野さん(と周りのボランティアさん)を通じて、人間がより良く生きるためには制度や法律、インフラ…といったマクロ的で外部的な問題から、自己の存在を見つめようとする、マズローの自己実現理論を想起させるような哲学的で内部的な問題まで、全方位的に「生きる意味」提起している。 この本がすばらしいのは、鹿野さんだけでなく様々な人生を背負ったボランティアさんのひととなりまで描いていることである。山田太一さんがいうように「読む人の心に届く」ことである。 奇しくも、本編にて鹿野さんのことをボランティアは「尊師」といってからかい半分に呼称している時期があるが(笑)、ボラさんたちが鹿野さんの介助ボランティア活動にハマっていくさまは、かの「オウム信者」と似た構造かもしれない(失礼・笑) ただ、障害者介助関係者だけでなく、生きる意味や人間関係、他者との関係などに悩んでる人は読んでみてもいいかもしれない。 最後のほうに出てくる、斉藤大介さんの(453ページ以降)達観的な?一連のくだりは私の中で着地点として答えは出でいるような気がする。 障害者だろうと健常者だろうと「生きる」のは大変で苦悩だらけだけど、それ以上でもそれ以下でもない、そんな域まで行きたいとおもう。
3投稿日: 2019.03.09
powered by ブクログもう何年も前にタイトルの面白さと装丁のセンスに惹かれて本棚に積んでおいたのだが、最近大泉洋と高畑充希主演の映画を見て改めて本を手にした。映画も面白かったけどこの本の方が映画の何十倍も面白かった! 鹿野という強烈なキャラクターを持つ筋ジス患者の主人公と、その自立生活をサポートするボランティアたちとの人間ドラマ。 長年にわたって親の介護をしている自分としては、大概の人間は先天的な障碍者か後天的な障碍者の2種類に括られるので障碍は他人事ではないと強く思っているが、 この障碍者という既成概念を打ち砕くような鹿野の強烈な生き様に多くのことを考えさせられた。
1投稿日: 2019.02.16
powered by ブクログ鹿野さんの生き抜く力にひたすら圧倒された。 巻末の山田太一の解説も良かった。 「人に迷惑をかけない。かけられたくもないという生き方はそれぞれの孤独を深めるだけだ」。 ボランティア達が自由に本音を記す日誌のリレーも頼もしく感じた。 鹿野やボラ達の暗い部分も一人の人間として描かれていて懐の深い作品と感じた。
0投稿日: 2019.02.10
powered by ブクログ鹿野さんに会ってみたかったなあ。障害者の問題は、自分の老後問題なんだ。この本たくさんの人の目に触れますように。それにしても、ボランティアに頼らさるを得ない鹿野さんの不安を取り除く制度はどうしたら良いか。全部プロ化は非現実的なので。。明日の介護の問題でもある。
2投稿日: 2019.02.07
powered by ブクログ映画を観るなら映画を観た後に原作を 読んだ方がしっくりくる。 やっぱり原作に勝るものはないと思った1作。 看護師である自分自身すごく考えさせられた。 ほっこり、明るい気持ちになれる1作です。
1投稿日: 2019.02.03
powered by ブクログ2019年4冊目。ボリュームはあったけれど一気読み。何に感動したかというと著者の鹿野さんやシカノ邸、ボランティアに対する向き合い方。在宅介護の現実に対する思考の堂々巡りに悪戦苦闘している様子と生みの苦しみとが行間から滲み出ている。妥協のない覚悟を感じる。然し乍らテーマ含め重くなりそう話題であるにもかかわらず読みやすく、それは登場人物への愛が溢れているからだと気づいた。それだけ濃密な人間関係とそれぞれの個性が魅力たらしめているからだ。 本著は自分とその周囲の人々との関係にも置き換えられる「人と人とのつながりの本」だと思った。鹿野さんは人よりも砂時計の穴が大きい、ということが僕らが忘れがちな人間関係のすばらしさを教えてくれる。ひとにオススメしたい一冊である。
17投稿日: 2019.01.28
powered by ブクログ映画を観たあと、この本を手に取った。順番としては、それが正しい読み方であると、読んだ後に思った。そして、既観映画の人は是非、本書を読んで欲しいと思う。 ノンフィクションであるから、当然映画脚本の通りではないのは明らかだ。そうではなくて、(1)映画は様々な登場人物の名前からして違うし(鹿野以外)、第一「バナナ事件」は、当事者の性別も場所も経過も全て映画と違う。(2)映画に描かれていない多くの「事実」があるのは当然としても、映画では描き切れていない重要なテーマもある。(3)しかし、そうであっても、鹿野は正に大泉洋が演じたままのように思えるし、高畑充希のような女性は、結局ここに出てくるたくさんのボランティアの一面を代表していたと思う。だから、映画を観て本書を読むと、とてもイメージが湧いて面白い。 いい映画だったと思う。でも、原作はもっといいのである。 原作は、福祉も医療も門外漢だったフリーライターの著者が、筋ジストロフィー患者を取材したノンフィクションである。患者が自立生活する「シカノ邸」に入った約2年間で見聞きしたことをまとめた。 多くのボランティアたちが鹿野のワガママにも付き合い、体位交換をし、間違えれば命の危険もある痰吸引もし、買物代行もする。その中で彼らをは、何を考えてボランティアをするのか。それは映画でも答えにならない答えを描いていたが、原作は豊かにそれをほぼ550ページかけて描き尽くす。現在の私は福祉ボランティアこそしていないが、「金にならない労働」は週のうち多時間を割いているので、このような「様々なボランティアたち」を見て自分を見つめるきっかけになった。読者はきっと、1人は自分に似たボランティアを見つけることが出来るだろう。 鹿野は、思ったことをほとんど表に出す稀有な患者だった。それでも、死ぬ直前、最期に見せた鹿野のあまりにも優しく冷静な判断(著者の推測)は、この本を読んだぐらいで「筋ジス患者のホントの気持ち」なんて安易にわかったと思っちゃいけない。という気にさせる。 だからこそ、文庫化に当たって大幅に改稿追記された注釈や、中段部分の70ー90年代の鹿野の人生は、きちんと踏まえておくべきものだろう。筋ジス患者が自立生活するまでに、いかに多くの闘いがあったかを知るべきだ。実際、映画では原作内容を半分ぐらいしか使っていない。もっと面白いエピソードはたくさんある。この私でさえ、もう一本ぐらい脚本がかけそうだ。その時の題名はもう決まっている。「こんな夜更けにバナナかよ 青春篇」。 2019年1月11日読了
38投稿日: 2019.01.19
powered by ブクログ映画になったので 「こんな夜更けにバナナかよ!」 が書店に山積みされていて、なんか感慨深いものがある。 だって、凄い本なんだけど、こんなに売れない本もないと思うよ、日本で、だったんだもの。 誰かに助けてもらわなければ1日も生きられないほど重症の障害者が、ヘルパーにヘルプされるのではなく、ヘルパーをヘルプする話なのである。 ん??? でしょう? 強烈な自我、よく気が回り、賢く、彼をヘルプするつもりでやってきたボランティアがみんな彼にボランティアされていく。 この本が受け入れられるようになったのなら、やっぱり2017年以降、日本は変わったな、と思う。 2019/01/21 更新
0投稿日: 2019.01.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
たしかに彼の何が魅力なのか、わからない。でも現にボランティアで生活の多くを賄っていた、という事実が、本では伝わらない彼のすごいところなんだろう。 障害込での鹿野さん、なるほど。 大変な病気でも難病でも、公的支援を受けられる人ばかりじゃない。
0投稿日: 2019.01.13
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映画化されるとのことで、手にとってみた。2019年の初読書。小説なのか、ノンフィクションなのかも知らずに読み始めてみたところ、ぐんぐんと引き込まれていく。 鹿野さんの強烈な存在を記憶に刻み込んでいく「関わり」のエピソードの数々。今で言うSNSのような、ひとりひとりの想いが連なって可視化される「介助ノート」、そして、何も知らないところから始まる渡辺さんの視点は読者の目線に近いのが何よりも良い。 いろんな「介助」とは、「生きる」とは、というテーマの投げかけがあった本だったけど、わたしはボランティアの一人の斉藤さんが述べた一言が一番すっと心に入ってきた。 「介助をもっと日常的なもの、フツウのものに近づける」 ボランティアや介助のアクションに、ある種の高揚感や熱を感じてるうちは、鹿野さんが望んだような世界はやってこないのかもしれない。でも、そういった特別で優れた「意味」を探して生きる社会に私達は暮らしているのも事実だ。そんな中で、本当に必要な手助けを、平熱に近づけるためにわたしは今後何をできるんだろう?そんなことを色々と考えさせてくれる本でした。
1投稿日: 2019.01.02
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(2018/12/21読了) 実際読んだのは単行本。ずっと以前の王様のブランチの「王様のブランチが恋した本」で「衝撃本・ノンフィクション」として紹介されチェックした本で、いつか読もうと後回しにしていた。しかし偶然映画化されることを知り、慌てて借りた。(「大家さんと僕」は借りるタイミングを逃し、まだ読めてない) 重度障害者を追うノンフィクションなのだけと、読み始めてから、この本の主旨は?行き着く先は?読者にどう思って欲しいのかを考えた頃に、ちょうど作中に、作者が当初は「カリスマ障害者と迷える若者たち」と期待していたのだと書かれていて(第2章)、この先読み進めるか迷った。 主人公シカノがカリスマかどうかは別として、読み終えて今思うに、やっぱり迷える若者たちを救っていった神聖な本として書かれているように感じる。 第6章には「障害者の聖化」の問題点も書かれている。お互い対等になるためには、双方が受け入れ合うことが前提。それは同感だけど、障害者と関わっている私の現状を置いて考えると、まずは意思疎通出来る障害者かどうか。理解することが出来ない障害を持つ場合は厳しい。公の本で「障害者」と一括りにして欲しくないと、もやもやしてしまった。 この本に高評価をつけない自分は薄情だとも思う。 この本は、日本の福祉に影響を与えられるのだろうか? こんなこと考えてしまう私はやっぱり冷たいな。 (内容) 人工呼吸器を着けながらも自由を貫いた重度身体障害者と、生きる手ごたえを求めて介助に通う主婦や学生ボランティア。ともに支え合い、エゴをぶつけ合う、そこは確かに「戦場」だった―。札幌在住の大型新人が放つ渾身の長編ノンフィクション。 (目次) プロローグ 今夜もシカノは眠れない 第1章 ワガママなのも私の生き方 この家は、確かに「戦場」だった 第2章 介助する学生たち ボランティアには何があるのか① 第3章 私の障害、私の利害 「自立生活」と「障害者運動」 第4章 鎖につながれた犬じゃない 呼吸器をつけた自立生活はの挑戦 第5章 人工呼吸器はわれなり 筋ジス医療と人工呼吸法の最前線 第6章 介助する女性たち ボランティアには何があるのか② 第7章 夜明け前の介助 人が人と生きることの喜びと悲しみ エピローグ 燃え尽きたあとに残るもの あとがき
0投稿日: 2018.12.21
powered by ブクログ大泉洋主演で映画化された「こんな夜更けにバナナかよ」の原作。 同名タイトルで、映画からノヴェライズされた小説もあるが、そちらとは異なり、本書は筋ジスを生きた鹿野靖明氏と彼の生活、いや生命を支えた。そして、一緒に生きたボランティアたちの記録。 筋ジスという病気が発症すると、現代の医療には治すすべはない。そして、筋ジス患者は自分にかかるすべての事を自分自身では行うことができなくなり、生活のすべてをボランティアによって支えてもらうことになる。そして、呼吸でさえも... 多くの筋ジス患者は、病院に収容され、生命が終わる時を待つ。そんな時代に、自由を求めた筋ジス患者の記録。 自由とは、好き勝手に動き回ることではない。好きな人と結婚することでもない。自由とは、自分の事は自分で決めるということ。自分のルールは自分で作るということ。 そして、そんな鹿野氏に、なんでかわからないままボランティアを始めた人たちが巻き込まれ、自分の意志として鹿野氏と共に生きた。鹿野氏は筋ジス患者である前に、難病という個性を持った、そしてその個性によって形成された意志をもった人であった。ただ生きることが、こんなに困難な人が生きた。その記録。
1投稿日: 2018.12.21
powered by ブクログ大泉洋の主演で映画化されるという事で気軽に読み始めた。気軽に読めるような内容じゃあないはずなのに『シカノ』さんの魅力に引き寄せられグイグイ読んでしまいました。映画も楽しみです。
1投稿日: 2018.12.17
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在宅か病院かという選択肢しかない『はず』なのに『独り暮らし』を選ぶことが自分はできるだろうか。『ボランティア=感謝してもらえる立場』と思っていることに気づかされた。そこを根底から覆す本。いわゆる健常者で人に迷惑をかけてはいけないと生きてきたところに『迷惑をかけていい』という言葉。ここに葛藤が生まれた。自分が彼のような立場だったとして、あれほどワガママになれるかな。最期は皆に迷惑かけたくなかったんだね。
0投稿日: 2018.12.12
powered by ブクログ熊谷晋一郎さんの「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」という言葉を思い出した。鹿野さんとボランティア達の関係ってこういうことだよなあ、と。
1投稿日: 2018.12.06
powered by ブクログ181124.映画化を知って文庫本購入。 まさか北海道札幌の話とは思っておらず、入りやすかった。 ノンフィクションであり、障害者への認識は完全に変えられた。読んで良かった。 自分は愚かながら、障害者を何故社会的に許容せねばならないのか分かっていなかった。 障害者にスポットを当てた社会にするのとで、未然に社会が便利になる。高齢化社会の対応の先駆けになるなど目からウロコだった。 ボランティア精神のあり方についても一考あったし、映画化を通じてさらなる人に読んでほしい一冊。 にしても、著者は筆が遅い笑。
0投稿日: 2018.12.01
powered by ブクログ書店で何度も目にしていたが、タイトルだけさらっと読んで「ああ、ユーモア小説かな?ミステリかな?」くらいに思っていた。そうでないと知り、読み始めると、もう止まらない。これぞノンフィクション。これはすごい。タイトルに引っ掛けられて読むのが遅くなったのが悔しい!笑
0投稿日: 2018.11.28
powered by ブクログあーでもないこーでもない。 1人の時間は持てず、片時も離れない介助を必要とする。 物理的にはボランティアや介助者によって生きながらえている。 その主従関係をひっくり返す、我の強さ、遠慮のなさ、人間らしさ。 微妙なライン。普通の人間関係でもあるけど、背負っている荷物が違えば、それは更に複雑になり、関わっていくうちに自分の中で化学反応が起こるような発見があったりする。
0投稿日: 2018.11.03
powered by ブクログ次第に全身の筋力が失われて、最後には人工呼吸器を装着しなければ呼吸すらもできなくなってしまう難病、筋ジストロフィーに羅患した鹿野靖明氏と、彼を支える学生・主婦ら多数のボランティアの不思議な関係を描いた傑作ノンフィクション。 2011年に発表された「北の無人駅から」で、無人駅という表象から現在の北海道が抱える課題を浮かび上がらせたノンフィクション作家である渡辺一史のデビュー作が本書となる(本書から2作目の「北の無人駅」発表までは18年の歳月を要しており、極めて寡作であるが、ノンフィクション作家として彼を超える作家は日本にはいないのではないか、と思うくらいに彼の才能は突出している)。 さて、本書では、自らはほとんどの生活を自力でこなすことができない鹿野氏が、ただシンプルに「生きたい」という一念でいかに周囲のボランティアを困惑させつつも惹き付けるのかをユーモラスに描かれる。極めて秀逸なタイトルは深夜、急にバナナが食べたくなった鹿野氏に無理やり起こされた学生ボランティアが発した言葉であるが、それが普通に感じられてくるくらい、鹿野氏が生きるためにとにかく周囲の人をエゴイスティックなくらいに動かしていく様は突き抜けている。 一見、”ワガママ”に見える行動であるが、著者はいかに障害者が”ワガママ”を獲得できるか、それが障害者の自立に不可欠だということを明らかにする点に、本書の面白さや社会的な意義が表れている。障害者の多くは、「ああしたい、こうしたい」という思いがあっても、それを実際に表明すれば、自分を介護してくれている周りの健常者から、”ワガママ”だ、という誹りを受けてしまうのではという恐れから、自らの思いを表現することができない。しかしながら、鹿野氏の行動は一見”ワガママ”に見えることがあっても、それはかれ特有のユーモアや愛嬌によって、そうは見えないという点に、彼の稀有の才能がある。 鹿野氏は2002年、42歳の夏に急逝するが、彼との別れや残された家族、ボランティアの様子をまとめたエピローグ、あとがきは涙なくしては読めない。2018年にはなんと大泉洋の主演で映画化されるとのこと。出版されてから15年が経つが、本書の素晴らしさは微塵も薄れていないことを実感する。
0投稿日: 2018.07.08
powered by ブクログ多くの人のココロを動かし、人生までも影響を与えてしまう。こんな人身近になかなかいないし、それだけでもすごいことだけど…。 シカノさんの場合、カラダが自由に動かないのに、そんな影響力があるのだから、いったいどれだけ人間的に魅力がある人なんだろう。
0投稿日: 2018.06.29
powered by ブクログ著者の渡辺一史(1968年~)は、札幌市在住のノンフィクション作家。本作品は処女作で、講談社ノンフィクション賞(2003年)、大宅壮一ノンフィクション賞(2004年)をダブル受賞している。2013年文庫化。 本書は、札幌で自立生活を送る進行性重度身体障害者・鹿野靖明氏と、鹿野氏が42歳で亡くなるまでに関わった多くのボランティアの人たちを描いた物語であるが、脚本家の山田太一が解説で、「ああよくあるやつね、と内容の見当がついてしまうような気がする人もいるかもしれない。それは間違いです。これはまったく、よくある本ではない。凄い本です。めったにない本。多くの通念をゆさぶり、人が人と生きることの可能性に、思いがけない切り口で深入りして行く見事な本です。」と書いている通り、非常に複雑なテーマを我々に突きつける作品である。 本書に500頁に亘って描かれているのは、一般的な「重度の障害、そして、死と向かい合って生きる人間の、清らかで崇高なイメージ」とは異なり、「どこまでも「自分、自分」を強烈に押し出してきて、自らの“欲求充足”と“生命維持”のためにまわりの人間を動かし、世界がまるで鹿野中心に回っているかのような」鹿野氏と、鹿野氏のまわりに集まるボランティアたちも含めて、「決してやさしかったり、純粋なだけの人間集団なのではなく、ときには危ういドロドロとした、ひどく微妙な人間関係の力学の上に成り立つ世界」である。 また、それを書き綴った著者は、「私の筆の進みは遅々としていた。現実を、ただ現実として書き記すことの難しさに、身もだえする思いだったのだ。いや、本当に大切なのは、そこから先なのではないか、という気もしていた。・・・何を悩んでいるのか。私は何を悩んでいるのか。」、「さまざまなボランティアから、さまざまな話を訊いてきた。・・・しかし、私自身、ときには鹿野に対するどす黒い感情を持て余し、この本を書き進んでいくことの意味を、ほとんど見いだせなくなることがあった。いったい、この話をどこに収束させればいいというのか。」と、複雑な心境を随所で吐露してもいる。 しかし、読み終えてみると、全編には、「自分と他者」、「人が人を支えるとは何か」、「人が人と生きることの喜びと悲しみ」という、介護や福祉の問題に留まらない、人間・社会・人生に関する基本的な問題が通底していることに気付くのだ。。。 そして、著者も、「私がたどり着いたのは、とてもシンプルな一つのメッセージだったようにも思うのだ。生きるのをあきらめないこと。そして、人との関わりをあきらめないこと。人が生きるとは、死ぬとは、おそらくはそういうことなのだろう、と私は思い始めている。」と結んでいる。 “人間は社会的動物である”というが、“人が人と生きること”について深く考えさせる力作と思う。 (2017年12月了)
0投稿日: 2017.12.02
powered by ブクログ私は、以前からこの本を知っていたが、重いテーマとタイトルから、障碍者のわがままをそれとなく、非難する本と思っていたが、そうではなかった。ボランティアを無償で行う人たちも、すごい善意があふれる人たちばかりで、人間性も素晴らしい人たちだと思っていたが、そうでなかった。ボランティアたちも問題を抱えていて、それとの結びつきで、ボランティアを行っている部分もあった。と気づかされた。読むまでは、実は、ボランティアをする人たちが分からなかったです。また、24時間全面介助をボランティアに受ける身でありながら、ずうずうしく細かい要求をする鹿野さんもすごいものだと思った。ちと、恐縮して、できない部分もあると思うが、私の考えでは、また、鹿野さんの生に対する執念深さは、素晴らしいものがあり、つらい状況をユーモアを交えながら、暮らしていく鹿野さんの勇気、背負ったものの大きさを感じさせないすごさを感じ取り、人間性とはなんであるかを考えさせられました。しかし、このルポライターは、北の無人駅から で、好きになりましたが、国立八雲病院を訪問した時は、スタッフ、医師に現在の状況を聞いたみたいだが、入院中の患者の素直な意見も読みたかったです。障碍者の見方が変わりました。いろいろの性格の人がいると思いますが、しかし、この本が出版されなければ、鹿野さんとボランティアたちの生活も知ることがなかったと思うと素晴らしい本だと思います。
0投稿日: 2017.08.27
powered by ブクログ障害者ノンフィクションとして読むと、乙武洋匡が『五体不満足』で(その後、著者自身も後悔する)明るく元気な障害者像を打ち出してから 5年後の 2003年、障害者の聖化に真っ向から NO を叩き付けた快作だが、しかし、それはあまりにも浅い読み方だろう。この本は、障害者と介助ボランティアの話ではなく、人間達と人間達の話なのだ。「生きるとは何か」「人と関わるとか何か」を異常に濃密な人間関係の中で考え続けた著者の苦悩録なのだ。筋ジストロフィー患者シカノの圧倒的な存在感を背景に一気に読ませる。タイトルも秀逸。
4投稿日: 2017.03.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
筋ジストロフィーの鹿野靖明氏と彼を支えるボランティアの日常を描いた内容です が、一般的な障害者と介助者とのイメージとは大きくことなり、介助される側の 鹿野氏に一切の遠慮はなく、介助する側を教育までするというこれまでの概念が 覆される内容でした。 自分で何もできない鹿野氏にはそうせざるをない状況なわけですが、一般的な施設 には入らず、親の家での介護も選択せずに自分の力でボランティアを募って生きて いくと決めて実践したのは本当にすごいなと感じました。 各ボランティアの面々も個性的でユニークなエピソードが満載でした。 それぞれが鹿野という人を通じて自分の人生や生き方を見直し、影響を受けている 様子をみて鹿野氏が誰に対しても全力で向かい合っている結果なのだろうなと感じ ました。 印象に残ったコメントとしては、「”あつかましさ”っていうのが人にとっていかに 大事か。~、最初は嫌がられても、追い返されても、はねつけられてもね、情熱 さえあれば、結局人って動いてくれるし、最終的にはわかってくれるんだよね。」 ズバリこれです。 今の自分には足りないなぁ~と読んでいてつくづく実感しました。
0投稿日: 2016.10.19
powered by ブクログ2016.2.24 ボランティアが弱者である障害者に献身的に手を差し伸べ、障害者はその介助に感謝する。ボランティアは人のために役立つことが出来て充実感が得られる。その関係性に感動。とか、障害があってもそれを乗り越え精一杯生きる姿に感動というような日テレの24時間テレビ的なものでは全くない。 何なんでしょう?結局は障害とか関係なく、ただ人間と人間、鹿野さんと周りの人の関係性が面白いんだと思う。それにしても鹿野さんのしぶとさ、生への執着が半端ない。エネルギーそのもの。
0投稿日: 2016.02.24
powered by ブクログタイトルの雰囲気にひかれて読み始め、かなりの大著ながら、3日ほどで読み通すことになった(kindle版)。ケアをし、ケアをされることの、抜き差しならぬ状況に胸がつまる。しかし、つまりながらも、これが日常なのだ、生きるということなのだ、という声も聞こえる。平和ぼけならぬ、健常ぼけの私も、遠からずケアされる側に回る確率が高く、同じように生きる覚悟はあるのだろうか。
0投稿日: 2015.09.08
powered by ブクログおもしろい。筋ジスを患う著者の、日常から死までを本人主観の独特な文体で書かれたもの。外野から見る障害者のイメージをことごとく破壊してくれる頼もしい内容。日々の奮闘ぶり、それもかなり攻撃的な言葉遣いながらも人間らしく不思議と愛着がわく。身近にいるような錯覚にとらわれる。読後感がすがすがしい。元気のないときに た読みたいなぁと思う。
0投稿日: 2015.09.07
powered by ブクログシカノさんはとても強くて弱い。 筋ジストロフィーのシカノさんにとって1日の生活が「生きる事」そのもの。 命がけで今を生きるシカノさんと共に過ごしたボランティアさん達から、教わる事がとても多かった。 印象的なタイトル。 おしゃべりで、なんだかんだ不死身のように思えるシカノさん。 厳しいテーマを扱いながら、なんとなくユーモラスなのはシカノさんのお人柄なのか。 一生懸命伝えてくれた事を、少しでも活かせていけたらと思う。
2投稿日: 2015.05.16人間と人間のぶつかり合い
「進行性筋ジストロフィー」という障害を抱える鹿野靖明。 本書は、彼と周りのボランティアたちとのやり取りや生活を、ライターの渡辺一史がまとめ上げた1冊です。 このようなテーマだと、いわゆる"障害者とボランティアの間に生まれる暖かい絆”というイメージを抱きがちですが、ここでは驚くほどヒリヒリとした、人間同士のぶつかり合いによるコミュニケーションが描かれます。 鹿野は、ボランティアに遠慮しません。 ジュースが飲みたい、テレビが見たい、しまいにはもらったプレゼントが気に入らずもっといいのと交換してきて、と言い出す始末。 そこには、僕たちが想像しがちな控えめな世話をしてもらっているというだけの障害者はいません。 “あつかましい”鹿野の行動に始めは少し反発を覚えるものの、読み進めていく内にこれが”普通の人間”の姿だと気づいていきます。 そして、ボランティアもひとりの人間。喫煙したがる鹿野にタバコを吸わせる人もいれば、体に悪いからとタバコを渡さず、鹿野と言い合いを繰り広げる人も。 人に支えられて、人を支えて生きていくとはどういうことなのか。 徹底的な生臭さと一緒に、その問いに真正面からぶち当たっていきます。
3投稿日: 2015.01.30
