
総合評価
(24件)| 6 | ||
| 6 | ||
| 5 | ||
| 5 | ||
| 0 |
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
正直かなりよくわからなかった。ドタバタ喜劇というが、ドタバタとしているだけでどのあたりが喜劇なのかイマイチ伝わらなかった。 物語の話もよくわからない。何となくあらすじは捉えれるが、スウェインとイライザ姉弟の絆物語なのかな。うーん、物語に入り込む事ができなかった分うまく感想が書けない。 スウェイン先生が色々な困難に対してハイホーで乗り切っているのは今思うと面白いかもしれない。人工兄弟が入れば寂しくない。となると、自分は今回のお話は絆や孤独の辛さを題材にしているように思える。 今回の本は、少し自分には合わなかった
0投稿日: 2025.04.26
powered by ブクログスラップスティック=ドタバタ喜劇。 世界観がとても好み。 中国に対する見方がヴォネガットが生きていた時代と今とリンクするところがあって、興味深かった。
0投稿日: 2024.10.07
powered by ブクログスラップスティックとはどたばた喜劇を指すようです。あまり聞きなれない言葉。そもそも無声映画で作られたスタイルなので、小説で使われるジャンルではないのかもしれません。日本でいうと個人的には筒井康隆の作品にそういう匂いを感じるところですが、それとて正しいのかよくわかりません。 ただ、ヴォネガットの作品からは、全般的にこの「スラップスティック」のイメージがつきまといます。とにかくどの作品も登場人物がバタバタしている印象。まだ読了四作ですが、彼の作品はどれも普通のシナリオではありません。設定も舞台背景も、ワードチョイスも何もかもが異質。奇抜。だからといって読みにくいわけではない。舞台がわかれば、あとはなんなく物語に入り込むことができます。そんな作品だからこそ、その奇抜な展開のどこかに道徳めいた、核心をつくなにかを見つけてしまいがちです。本当にそんななにかが隠されているのかわかりませんが。。 本書もそんなわかるけど、よくわからない作品。とにかく肩の力を抜いて、シニカルでジョークな展開に、ただニヤニヤするのが楽しめる読み方かもしれません。
0投稿日: 2021.09.26
powered by ブクログ狂気や暴力を描いた前作とは打って変わって、落ち着いた作品になっている。相変わらずまえがきが素晴らしく、設定は少しSF風味。物語は題名ほどのドタバタ劇ではないが、その意味は読めばわかる。作者は奇形児でもなければ大統領でもないはずだが、どのあたりが自伝要素だったのだろう。ヴォネガットの中ではかなり好きな作品で、特に双子のキャラクターが良かった。決して明るい話ではないが、なんとも言えない著者の優しさが伝わってくる良作。
1投稿日: 2021.04.04
powered by ブクログ「チャンピオンたちの朝食」(1973)の次に発表された作品。 この作品から、ジュニアが取れて、カート・ヴォネガット名義で発表される。 「タイタンの妖女」(1959)、「母なる夜」(1961)、「猫のゆりかご」(1963)、そして代表作「スローターハウス5」(1969)に比べると、ややパワーダウンが感じられるが、それでもヴォネガットはヴォネガットだ。
0投稿日: 2020.07.19
powered by ブクログ『タイタンの妖女』よりは読めたけど、やっぱり合わないヴォネガット 。いまいち何が言いたいんだかわからない。アメリカのことしか書いてないからかな。
0投稿日: 2019.05.28
powered by ブクログ魅力のありかがどうにも分からない。分からないのだけど琴線に触れるなにかがある。そんな気持ちがしています。 無人島にもっていくとしたら? というときに上位に入ってしまうかも知れない一冊です。 傑作! だとか絶対におすすめ! などとはなかなか言えそうにないけれど。 フィクションとリアリティのバランスがよくて、シリアスとチャーミングも同じ場面に併存しています。
0投稿日: 2016.10.03
powered by ブクログ残念ながらこの作品は私には合わない 表紙 7点和田 誠 展開 3点1976年著作 文章 3点 内容 410点 合計 423点
0投稿日: 2015.12.01
powered by ブクログ考えずに読むと面白く、考えて読むと更に考えさせられて面白い作品。 シリアスな笑いとも呼ぶべき、糞真面目さとユーモアや皮肉が奇跡的に融合した文体は翻訳者に依る部分もあるかもしれないが、同氏の他作品にも興味がわいてきた。 ハイホー。
0投稿日: 2014.08.16非ナショナリズムの行方
やや長めのエッセイじみた著者の述懐形式のプロローグを経て物語は始まります。 突然変異のフリークス(奇形)な双子の姉弟。巨大でモジャモジャ髪で乳首が四つもあって、姉とセットになれば比類無い知恵を発揮するものの、バラになれば読み書き以上の事が大分覚束ない(逆に姉は単独では読み書き以外だけが達者)。そんな弟が主人公です。 そんな弟が合衆国大統領に就任。それだけでも割と大丈夫かと思いたくなりますが、更に全米が不治の病に冒されて国家としての体を失っていきます。 とはいえ、ディストピア的な重苦しさは皆無です。全編にわたって繰り返される「ハイホー」(思考のしゃっくり、と称されます)がその証。 読み解く鍵の1つは主人公の政策。ファミリーネームを撤廃させて、人為的かつランダムに決めた独自のファミリーネームを使うように定めます。血統も何も関係ない、単純にランダムにミックスされた「拡大家族」による共同体構想と言えるでしょうか。 もう2つは物語の端々に現れる「中国人」。文明として進歩も失い劣化したアメリカを凌ぎ、最早彼らには理解不能な独自のブレイクスルーを遂げています。 この2つから、本書はナショナリズムや権力、富める者が不可避的に陥る一種の貴族主義、そういったものが人々の不幸の温床になるとして、それを無効化したらどうなるか、という思考実験とも捉えられます。進歩は失われ文明の勢いは一気に消失する、でも人々は不幸じゃない。緩やかな衰退を楽しんでいる風すらあります。 中国人は、西欧文明の外部に存在する英知の象徴と考えるべきでしょうか。英知はアメリカを見放し、遙か先に進んでいってしまいます。 ニヤリとさせられる諧謔に満ちつつ、しかし読み進めるに従ってジワリジワリと侘しさを感じさせられます。
0投稿日: 2014.01.26
powered by ブクログ・愛をちょっぴり少なめに、 ありふれた親切をちょっぴり多めに。 ・愛してるよ、のことばは、 人に、本心じゃないことを言わせる仕掛け。 ・歴史にできるのは、われわれを次の驚きに対して準備させることだけである。 拡大家族に対する、彼の論文のよう。 血液型でも、星座でも、くだらないミドルネームでも。 同じものをもつだけで、親しみがわく。 孤独じゃなくなる。 どんなわかりあえないひとでも、なにか共通点を見つけること。
0投稿日: 2013.11.30
powered by ブクログ「作家の読書道」でたくさんの作家さんがヴォネガットの作品を取り上げていました。以前「青ひげ」にトライした時には全く読めなかったので、この作品で再トライ。 プロローグがなければ、何がなんだか分からない作品だったと思います。実のところプロローグがあっても、ほんの少ししか読み取れていいません。愛情ではなくありふれた親切で繋がった新しい「人工的な家族」を作り、運命と真剣に取り組む。その姿を「スラップスティック」としているようなんですが…。全然、ユーモアに思えなかったんです。自覚がないままに辛い体験をしてきた子供の話を聞いているような、寂しさや悲しさを感じてしまって。笑うとしたら、そんな自分の厚かましさや傲慢さでしょうか。緑死病やら重力の変動やら、どうやったって対処できないようなできごとの連続を受け入れて生きている人間たちは健気です。けど、ありふれた親切でどこまで対処していけるのか。実際の家族の間でも持ち得ない思いやりで人工家族を形成し続けられるのか。いやでも、そう思うのはコントの前提に真剣に突っ込んでるようなものなのか…。
0投稿日: 2013.03.19
powered by ブクログSFというより昔話、民話の趣がある一冊。素晴らしかったです。色々なものが抽象化されて詰め込まれている気がする。特にお姉さんのくだり。 それにしても本の数十年前にはアメリカにもこんなに自由な思想があったのだ。アイロニックに見えて、今の視点から見ると逆にポジティブで牧歌的。 「(略)あなた方がもし諍いを起こしたときは、おたがいにこういってほしい。「どうか--愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」」
0投稿日: 2013.03.15
powered by ブクログこの作品の「家族」ってのが心底ポジティブ。人類皆兄弟ってわけじゃないけど、ある程度多くの数の家族が必ずおり、必ず見捨てられない。そしてそれが相手を束縛する愛で成り立つのではなく、親切で成り立っているのが心地良い。
0投稿日: 2013.03.05
powered by ブクログスローターハウス5以前の作品の方が好きなんですが、これは良かった! 優しい雰囲気に包まれた小説です 色んな場面が本当に秀逸 卒業記念パーティでの姉との再会シーンが素敵すぎる 前作のチャンピオン達の朝食は陰鬱とした雰囲気でしたが、こちらはほのぼのとしてます ま、世界がほぼ終わる話なんですがね
0投稿日: 2013.01.16
powered by ブクログ世界が終わり破壊されたあとにでも、人は家族として支えあいあるいは憎み合ったり離れたり、つまりは身内として生き、自分の血を新しい生命に託そうとする。末尾を締めくくるメロディの物語が示すように、たとえ世界が滅びてもその先にやはり希望はあるのだ
0投稿日: 2012.11.26
powered by ブクログ初ボネガット。 さすがアーヴィングのお師匠様。 奇妙奇天烈、悲喜こもごもな人生譚。 ニヤリとさせられる場面がしばしば。 名字、同じ人は拡大家族かーそうかー。
0投稿日: 2012.10.11
powered by ブクログ主人公の波瀾万丈の人生を綴った手記。たとえ悲劇であってもそうとは感じさせない文章は、ヴォネガットらしくて読んでて心地よかった。 泣き笑いの人生、人の繋がりっていいなと思える作品だった。
0投稿日: 2011.12.05
powered by ブクログ最新作だが意味不明 性懲りもなくヴォネガット。タイトルは「ドタバタ喜劇」の意味。比較的新しい作品で登場人物はすべて新人。 ふたりあわせると天才頭脳を発揮する双子の男女がわかれわかれに。男は大統領になるが、その頃地球は重量変動と(なんと科学技術でマイクロ化した中国人の吸引による)病気で壊滅している令。こういう背景。 大統領のスローガンはミドルネームを強要し、同じミドルネームは大きな家族として暮らすこと。「ローズ・ウォーター…」につながる一風変わった平等と愛がここに見える。 エピローグも含め中身は意味不明蓮なんだが、プロローグは強烈。ヴォネガットの人生が数頁に綴られている。兄のこと、姉のこと・・・。 そこから生まれた創作がこの作品。トラウトも出
0投稿日: 2011.09.16
powered by ブクログヴォネガットの作品中でもこれが一番好きっていう人は、多いのか少ないのか。どうなんだろう。 わたしが思うのは、ヴォネガットの愛情深くセンチメンタルな一面がもっとも強く(あるいはもっともストレートに)出ている作品なんじゃないかなということです。 ストレートって言っても、まあ本当の意味でストレートじゃ当然ないのですが、自分の心には直球で届いた言葉がいくつもあった。 読んでいて、線を引きたい!って思う気持ちに何度かなった。これまでほとんどそういうことはなかったのだけど・・・ 手元に本がないので、はっきりと引用できないけど、 勉強にしろスポーツにしろ、才能を周囲から認められている地方在住の少年少女は故郷から出るな、そうしている限り幸せでいられる …というような趣旨の一文があって、なんかもう深くうなずいたものです。 才能ということについて、あれこれ考えていた時期だったので。 買わなきゃいけない、何度も読み返さなきゃいけない本です。
0投稿日: 2010.07.24
powered by ブクログ笑いと涙。 そこにあるのは単純な感情ではないはずだ。 壮大な舞台で見る、 一人劇のような爽快さと寂しさを 同時に感じ取れる秀作です。
0投稿日: 2009.03.11
powered by ブクログ副題は「または、もう孤独じゃない!」。ヴォネガット1976年の作品。 ここでのテーマは拡大家族。そう、ヴォネガットが生涯テーマにした「拡大家族計画」だ。 「スラップスティック」は、設定も展開も登場人物も、なにもかもがハチャメチャで奇想天外。 特に、主役のスウェイン医師と姉のイライザとの「お祭り騒ぎ」のくだりは爽快そのものだ。 この爽快感がヴォネガットらしさなんだなぁ。 テーマ的としては、「猫のゆりかご」でヴォネガットが提唱したボコノン教をうんと推し進め、 現実的にしたもののように感じた。 人びとをカラースで分類した代わりに、「スラップスティック」ではミドルネームを政府が発行し、 無数のいとこ兄弟姉妹を提案した。 アイス・ナインで人類が瀕死のふちに立たされる代わりに、重力の激しい変動を用意した。 SF的な要素が濃いながらも、「タイタンの妖女」のようなやりきれなさは感じなかったし、 「猫のゆりかご」のように突き放した絶望感も感じなかった。 ただ訪れるものを受け入れつつ、人々が変容していくことにも動じず、 淡々と生きてゆく数少ない登場人物のありようは、ヴォネガット文学を貫く普遍的なテーマに則っている。 この作品は、設定の奇想天外さにおいても、 根底に流れるテーマの普遍性においても、ヴォネガットらしさがバランスよく含まれている。秀作。 なお、訳者あとがきでは、拡大家族のヒント、星座占いがなぜこうまでも受け入れられているかについて ヴォネガットが語ったコトバが引用されていたが、 この作品を理解するうえでとても大きな助けとなった。うーん、さすがだ。
0投稿日: 2008.07.15
powered by ブクログ廃墟と化したNY。最後の奇形大統領が述懐するこの世の終わりと自伝。ヴォネガッド一流の省略と分割、累積で物語が綴られる。あっけないほど空虚で、乾いたユーモアがそこかしこにばら撒かれ、断片と変人のエピソードの重層に惹かれ、なんとなく最後まで読んでしまう。プロローグのリアルなぼやきから物語へ滑り込むあたり、何も考えて無さそうだが、細かい計算づくだろうか。最後もあまりに唐突。しかも物語の続きを匂わせる。自伝は長い時間の一片であり、さらに別の視点で先へ続くと示すがごとく。舞台仕立ては瑣末なこと。拡大家族システムこそがテーマか。孤独じゃない。ハイホー。
0投稿日: 2008.03.29
powered by ブクログどたばた喜劇っていう意味〜ある日突然,地球の重力が強まり,緑死病が現れてアメリカは御秩序状態となる。ミシガン国王やオクラホマ公爵が割拠し,マンハッタンのエンパイア・ステート・ビルの廃墟に最も身長の高い大統領が手記を綴る。顔はネアンデルタールで,双子の姉と一緒の時は天才を発揮するが,一人だと並の天才。幼くして引き離され,医者の道を進み,市民全てにミドルネームを振って家族の拡大と融和を図るという公約が受け入れられたのだったが,投票自体も少なく,権力もない〜慣れないと読みにくいなあ,特に本当の自伝から仮装の自伝に入っていく部分と,名前がくるくる変わる点。これが当時のアメリカの高校生に受け入れられたのか? スローターハウス5を読むかな。ということで,内容は分かっちゃったから,読まなくて良い。児童文学から純文学へのシフトが進んでいるのだろうか
0投稿日: 2007.09.05
