
総合評価
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
トラウマに関するトピックが網羅されており、読ませるための構成も洗練されている。最初の一冊として最適。当事者、当事者を支援する人にはここから先に進むことが必要。 <メモ> ・DSMは統計的なエビデンスを出すためだが、時間経過や潜在的な病理が見逃されがちという意味で浅い、という批判もある。P30 ・家庭に責任を押しつけ、うまくいかないときだけ批判するという社会の風潮は百害あって一利なし。かえって孤立をもたらし、虐待がはびこってしまう。P64 ・アダルトチルドレンという呼称は言い得て妙な部分がある。P67 ・PTSDを持つ人に薬物依存が多い。P68 ・リストカットの心への鎮痛効果は高い。P70 ・恐怖を感じると抵抗するより凍り付く場合が多い。 ・性加害をした男性はDV家庭で育っていることが多く、本人の性被害の有無はそれほど関係しない。P128 ・自宅での被害は回復が遅れる。P133 ・疑似恐怖と恐怖を混同してはいけない。P143 ・体は自動で反応することを忘れてはいけない。P144 ・性的虐待に際して司法面接、チームアプローチが神奈川で導入。P149 ・男性は過覚醒を起こしやすい。P153 ・女性の対処法として「いたわって仲間になる」というものがある。P154 ・ブルデュー:女らしさ・男らしさというのはこの世の中でどれだけ空間を占めていいかという構え。P161 ・トラウマに慣れることはない。P176 ・『戦争における「人殺し」の心理学』。人は本来、殺人に心理的抵抗をもつ。P190 ・共感:女性、公正:男性。P193 ・トラウマに限らず、多くの身体、精神疾患が事例化することなく、処理される。P204 ・沖縄。医者は医者ごと。ユタはユタごと。P207
0投稿日: 2025.06.17
powered by ブクログ「ははがうまれる」が素晴らしすぎて、 流れてきました。 トラウマ、というタイトルですが、 トラウマ界隈の人だけでなく、 人間関係に悩む全ての人がよむべき内容だと思う。 社会的生き物であり孤独、という相反する特徴を持った”人”という生き物の行動を理解するのにきっと役出つ。 人に対する想像力を掻き立てられる。 そばに置いて何度でも手に取りたい本。 新書ですが、宮地先生の柔らかさ、温かさが滲み出ており、読みやすいです。
2投稿日: 2025.03.04
powered by ブクログ何でみたのだったか、また忘れてしまった。何かの本の中で本書が参考文献で挙がっていて、環状島について言及があった。興味を惹かれて読んだのだけれど。 素晴らしいのひと言につきる。トラウマについて、一個人のミクロの視点から社会全体、グローバルな環境全てを俯瞰したマクロの視点まで、見事にトラウマについて、わかりやすく、過不足なく、ここまで説明し切っている著作は読んだことがない。 とりわけ、第6章が秀逸。最近の私にありがちだが、感銘のあまり泣けてきた。実際に支援者として関わっている個人が、何人も思い浮かぶからというのもあるだろうけど。 いつも思っている、人は1人では生きられないということを著者も言っていて、そしてだからこそ傷つきからは逃れられないこと、でもそれでも人は、傷つきを包み込みながら人生を生きていくことができること、それは誰かがいるからできることでもあり、同時に、それでも人は孤独でもあることを、今一度深く心に刻んだ。 傷ついて、でも誰かがそばにいる、そんな誰かになりたかったから、私はこの仕事をしている。 他者のケアに、ほんの少しでも関わりのある人全てに読んでほしい。 追記 ブックリストで今年のベスト3選んじゃったけど、最後の一冊は本書だなー。 作り直そう。 それから、文化結合症候群は以前何かでも読んだなあ、なんだったかな。中井久夫だったか?思い出せないよ、、、ほんと困る。気になった時にメモしないとなあ。
2投稿日: 2024.12.30
powered by ブクログ同著者の「傷を愛せるか」に感動して読み始めた本。素晴らしい本です。 読み終えてしまうのが勿体なかったと感じたほど。 『トラウマ』を通じて人と心の関係が様々な視点から考察されている。 「研究費補助金助成」の研究成果の一部でもある。ということで内容は学術的なレベルのはずだが、とても読みやすい。 以下はまだメモだが、特に第5章「社会の傷を開く」を読んだ際に書いたもの… …… これは「トラウマ」だけに終わらない。 心の傷全てに対して、傷を負う者、負わされる者、なぜそのような事が起きるのか。 誰でも『他人を傷つけることは悪いこと』という共通認識を持っていると錯覚しているが、それは錯覚でしかない。 差別は『分ける』から存在するのかと単純に思っていた自分が恥ずかしい。 トラウマの無い人はいない。 トラウマを負う人がトラウマに慣れることはない。しかし与える側は慣れていく。 その行為が正当化され日常と化せば、ごく普通の風景となる。仕方がないこと。当然のこと。負う方に責任があるのだから。 『差』があるのは当然であり、差があるからと言って『差別』が生まれる訳ではない。 違いを認識しながら共存している。肌の色などと言わずとももっと微細な差であっても、それを認識し正当な理由さえあれば差別になっていく。 『正当化された理由』があるから差別は存在するようだ。 ……
4投稿日: 2024.10.13
powered by ブクログトラウマという語は最近では気軽に使われるけれど本来は言葉にできないことなのだろう。読み進めていく内に誰もが被害者にも加害者にもなり得ることに気付かされて辛かった。またこの本では割愛されているものの被害者の加害者性や加害者の被害者性についても何時か読んでみたいと思った。最終章で語られた創作という過程を通しての回復はとても人間的で希望を感じる。
0投稿日: 2024.03.14
powered by ブクログ回復の道のりが新たなストレスをもたらすこともある。 安全な場所で、共感性をもったよい「聞き手」に話を聞いてもらうことで、気持ちの整理がついてくる。 とまどいながらそばによりそい続けることには、計り知れない価値がある。 自己尊重感や試行錯誤の経験抜きには人間は成長していけません。 安心できる場所とは、自分がそのままでいていい場所、存在証明から解放された場所でもある。 ただ誰が、誰を、誰から救済しようとしているのか、救済されるべき人たちはそのことを望んでいるのか、ということを考える必要があります。 トラウマも「耕す」ことによって、豊かになっていく。柔らかく混ぜ返し、外から空気を入れれば、ふくよかになっていくのでないか。重く凝り固めるのではなく、水分を含んだ、ほぐれるようなものになっていく。「耕す」とは、〈内海〉の揺らめきに目を凝らしたり、波打ち際のざわめきに耳を澄ますことと重なっている。言葉にならないもの、見えないものがそこにあると気づくこと、時には水を掻き出し〈水位〉を下げ、時には網を投げて沈みかけていたものを引き上げること、時にはそっと足を踏み入れ、貝殻のような何か足裏に触れたものを拾い上げること。そんなイメージ。 トラウマは、人間の弱さと不完全さを認識させてくれる。圧倒的な外力に対して、「同じ人間として」「人が傷つくのは同じ」という事実は、何があろうと揺らぎません。たとえ個人の気質や体力の差や、周囲の反応や使える資源によって、傷からの回復の程度が実際には変わるとしても、人間の存在自体の脆弱性は、誰もが共通して持つもの。 人間は皆、不完全です。弱さだけでなく、愚かさや身勝手さを抱えています。そもそも、人は皆、人生の初心者です。すべて人生は一回目です。たとえ人間社会で知識が蓄積され伝達されるとしても、学び、成長していくには時間もかかるし、努力も必要です。 トラウマは、人間の持つ復元力への信頼と尊重をも学ばせてくれる。つらい経験をしながらも前向きに生きて行く力、困難を適切に切り抜け、乗り越える力です。つらい体験をしても、それと向き合い乗り越えることで、成長につなげ、人間としての豊かさを広げること。こういった考え方は、外から押しつけられると、つらくなってしまいます。 トラウマは創造力や理想像、知恵の源になる。 表現者として自ら発信するとき、人は力を取り戻します。「私はここにいる」と発信する行為なのです。 自己を表現する手段を持たないために、社会に受け入れられず失敗することを繰り返してきた。自分の思いを表現することは、自己イメージの回復にもつながります。 あなたが何を言っているのかは分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。 何かを作ってみようという気持ちになること、何かを表現してみようという意欲が出てくること、自分が何かを表現してもいいと思えること、何か表現すべきものを自分が持っていることに気づけること、誰かが受けとめて興味を持ってくれるかもしれないという希望を持てること、そこの部分が重要なのです。 「何者」にもならなくていいということ。それがトラウマからもたらされる想像力や創造性の帰着点です。そして、それがまた新たな想像力や創造性の原点となるのです。
0投稿日: 2023.07.04
powered by ブクログこの本は図書館で借りて読んだ。トラウマについての説明、事例、乗り越えて生きている人の話などが紹介されていた。「トラウマ」というだけあって読んでいて精神的にきつかった。 印象に残ったのは作者がトラウマを環状島をモデルにして説明しているところだ。これは作者オリジナルのたとえでトラウマ専門家のなかで特に知られているわけではないのだが、被害者が簡単に口にできないようなトラウマをこうしたわかりやすい形で説明されるとありがたい。同著者の本に『環状島=トラウマの地政学』という本があるのでそちらも読んでみたい。
1投稿日: 2021.03.19
powered by ブクログ烏兎の庭 第六部 1.11.21 https://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/doc/trauma.html https://ss675396.stars.ne.jp/uto06/doc/trauma.html
0投稿日: 2021.01.11
powered by ブクログトラウマとはどのような状態のことを示すのか、誘発される病気は何か、どのように向き合うべきか、などを知りたかった。今現在トラウマのようなものにとらわれているが、それに関して一般的な知見を得たり言語化したりすることで回復の糸口がつかめればいいなと思った。 世間には自分よりもっと過酷な状況、深刻な症状の人がいて、それに比べれば私は軽いほうなんだ、と感じた。これぐらいの症状で精神病だなんて言っていて、本当に苦しんでいる人に対しておこがましかったかも。 p44の環状島の説明、わかりやすかった。 自分にとってなんでもない言葉が相手にとってそうであるとは限らない。自分が加害者の側に無意識のうちにならないように注意しないといけないと思った。 また、悩みを抱えた人に対する接し方についても記述があり参考になった。
1投稿日: 2017.01.19わかりやすいけど奥が深い、そして答えはみえない。
例えばなんでもないときに、ふと心のなかで「それ」がよぎって「あぁ~」とか「うっ」とか声がでてしまったり。 例えばシャワーを浴びているときに、ふと心のなかで「それ」がよぎって「おれバカおれバカ!」とかいいながら頭をゴシゴシしだしたり。 「それ」は誰かに傷つけられた記憶だったり、誰かを傷つけた記憶だったり、他人とは関係のない自分のなかだけの恥ずかしい思い出だったりで、どうってことのない過去のあれこれだけど、本当に突然想起されて、心にべったりと張り付いて心のコントロールがきかなくなる。 そんなことがあります。 想像するにトラウマは、この延長線上にあるもの(はるか先ですが)、これのもっと強烈でもっと頻繁におこるもの、なのでしょうか。 そうであるならこれは確かにしんどいです。 ちょっと身がもちそうにありません。 トラウマについて、またトラウマを抱えた人のそばにいるということについて、この本はよくまとまっていると思います。 この「まとまっている」というのは、教科書的という意味とはちょっとちがいます。 おそらくは、著者が手探りで調べ考えた言葉をつかっている、すでに評価が定まっているオーソリティの言説のコピー&ペーストといった借り物の言葉を埋め草的に使ったりしていない、そんなかんじです。 著者の矜持というか誠実さというか、そういったものが伝わってきます。 この本は、読めば自分が抱えている問題が一刀両断で解決する、といった種類の本ではありません。 「こうすれば楽になるよ」とか「こういうふうに接するべきですよ」とかの具体的なアドバイスはしていません。 そう簡単に解決策・処方箋をだしえない問題ばかりです。 処方箋を求める向きにはモヤモヤが残るかもしれません。 とはいえ個人的には、トラウマを抱えている人の近くにいる人たちに対しての章すなわち第三章でもう少し解決策・処方箋的なものを提示してもらいたかった、とも思います。 傷ついている人が目の前にいて、その人をなんとかしてあげたいと思う。 自分がセカンドレイプをするようなまねをしてしまうこともある、あるいは、その人の苦しみを丸抱えして自分自身が深く傷ついてしまうこともある。 確かに気づきにくい点であり、大事なことです。 オーケー、了解しました。 では、どうすればいいのでしょうか。 専門家ではない身として、そばにいるにはどうしたらいいのか。 そばに居続けるだけでいいのでしょうか。 もうちょっとなにかしらのヒントがあったら、というのが本音です。 なかなかむづかしいな。
1投稿日: 2016.03.21
powered by ブクログトラウマについての理解を深められる一冊。 トラウマとは一体何か、心、身体、社会の3つの視点から、述べられています。 個人的には、ジェンダー、DV、マイノリティ、性被害、正当化の危険性についての部分が興味深かったです。
0投稿日: 2015.02.07
powered by ブクログ社会がトラウマを作り、トラウマが社会を更新していくという本書の主張に納得した。トラウマから社会を見ると、見えてくることが色々あるなと思った。汎用性の高い主張。勉強になった。
0投稿日: 2014.05.10
powered by ブクログ良書。 トラウマと気軽に使うことが間違いだと判る。そんな生易しいものでは無い。 幸運なことに、トラウマを経験したことがない。でも、いつでも、どこでも自分がトラウマになりうる。また、トラウマを抱えた方に出会うかもしれない。対応が非常に難しいことが判る。本書はこうした時のヒントになりうる。
0投稿日: 2013.06.15
powered by ブクログ心の傷であるトラウマについて書かれた入門書的1冊。疾患の基本的な事項から、心のケアに関すること、そして芸術との相関についてまで平易に解説されています。
0投稿日: 2013.04.22
powered by ブクログトラウマについて、少し分かった気がします。 クライアントと向き合うことって、大変なことだと感じました。 もちろん、当事者が一番大変なのですが。
0投稿日: 2013.03.21
powered by ブクログトラウマという言葉は、「PTSD」で有名になったが、逆にこのことで「医学化」されてしまい、問題が矮小化されすぎてしまっているきらいがある。何か大きな問題が起こると、すぐに「こころのケア」が叫ばれるが、いつも微かな疑問を感じてしまう。この著者の本を読むと、いつも何故かホッとする。いろいろな意味で幅広い臨床経験と、幅広い視野から「トラウマ」をとらえておられるからだろう。依存症の問題、ジェンダーの問題、マイノリティの問題、など勉強になった。沖縄の問題では蟻塚先生の記述も見られ、更に親近感を持った。
1投稿日: 2013.03.17
powered by ブクログ[図書館] 読了:2013/3/16 トラウマ体験の具体的な描写は少なく、あまり、辛くならずに読み進められた。 本人のつらさ、よくある周りの無理解からくる無神経な言動、その影響、研究の進み具合、など、よくまとめられているとおもう。 最後の「トラウマを耕す」の章だけは、ちょっと散漫な印象。 p. 10 頭で「常識的」に考えて、外傷的事件にあったら「こうするはず」、そのあと「こうなるはず」と思い込むのは、とても危険です。 曽◯綾子氏に読んで欲しい… p. 12 裁判などで「事件の次の日も平気で仕事に行ったのは不自然」ということで犯罪被害の事実が否定されることがありますが、被害者が事件の次の日に仕事に行くというのは珍しいことではありません。どうしていいかわからず、とりあえずは誰にも知られたくないので、予定通りの行動をこなすという人もいます。事件の衝撃のために思考能力が落ち、習慣的になった行動をとり続ける人もいます。あまりに衝撃が強く、感情が麻痺してしまうために、事件後の被害者や遺族が「冷静」に見えるということは、少なくありません。 p. 21 DSM-IV-TRの麻痺について、「未来が短縮した感覚」というのがあった。そういえば、20歳ぐらいの頃って、「もう人生の終盤だなぁ」とか、「人生の余白がもうない、私はこのまま終わるんだ」とか思っていたけど、今は自然に、40代、50代の自分のことを考えることができる。少しは、改善してきたのかなぁ。 p. 169 あたりに、言語的な抑圧の話。かつて、琉球民族やアイヌ民族に対して行われ、現在でも東北方言などに対して暗黙裏に行われている。 東京生まれ東京育ちで、他人がちょっとでも方言使うと、「○○って、なーにそれー?やめてよー」とか言う人に会ったことあるけど、他人をコントロールすることに全力を注いでるような人で、あれはすなわち言語への抑圧、支配の一手段だったんだな。 p. 181 日本の刑務所って、加害者更生プログラムの実施ってあるんかな?
0投稿日: 2013.03.17
powered by ブクログトラウマとは何か。 傷を抱えた人とともに生きることも、苦しい。話せないことも、苦しい。しかし、話すことも苦しい。 ジェンダーの観点もからんでくる、複雑な問題。 いろいろな視点から、専門的な内容を多く盛り込みながらも、語りかけるような口調で読みやすく書かれている。 トラウマという言葉が軽く扱われている傾向があるからこそ、こういった本で学ぶことには意義があると思う。 全員が正面から向き合うことまでは求められていないけれども、知っておいた方がいい。
0投稿日: 2013.02.20
powered by ブクログPTSDが西洋的概念であることを始めて知った。 それにしても、心に傷を持つ・・ということは言葉としては古いでしょうから、その困難を克服しながら(克服できなかった者は排除され、淘汰されたのでしょうが)生きてきたのでしょう。 それもまた進化の歴史だったのかもしれません。 とはいえ、戦争や原爆、原発のような人的なトラウマはなくそうと思えばできること。 その上、自然災害にはない、さらに深くて、長期にわたって解決できない心の傷を負うこともある。 著者は、トラウマの説明に終始せず、それと如何に関わっていくかということまで言及している。 医学的立場で書かれているというより、人道的、人間的立場に立って表現されている感じがする。
0投稿日: 2013.02.06
