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powered by ブクログ百貨店と公設市場のハイブリッドという最新型としての商店街の歴史は興味深かった。生協との政治的対立も忘れてはいけない歴史だろう。離農者が零細小売業に流れ込んだという認識はなかったのでこれも新しい発見だった。ネットで何でも買える現代において小売業の存在意義とは? 既得権益集団が切り捨てられて社会的弱者集団になった今商店街はどこに向かうのか。
0投稿日: 2024.10.18
powered by ブクログ大学院のゼミで「どうする日本の労働政策」という文献の輪読を行っている。学期に1度程度、発表の順番がまわってくるが、私は「第12章 地方の若者の仕事に未来はあるのか」という部分の発表の担当となり、準備を始めたところである。 私は経営学研究科の修士コースに通っている。ゼミの専門は人事労務管理であり、そういったことから「労働政策」をゼミで扱うこととなった。「どうする日本の労働政策」は、15章だての本であり、「賃金」「労働時間」「労使関係」「人的資源管理」「非正規雇用」といったテーマを労働政策との関係で論じる本となっている。 私の担当する「地方の若者の仕事に未来はあるのか」は下記のような内容である。 ■若者をいかにして地方にとどめるか。それが、多くの地方自治体の課題となっている。 ■一方で、現在の地方の若者を取り巻く雇用状況をまとめると、①自営業の減少②産業のサービス化③雇用の非正規化というのが、大きな流れであり、それらの帰結として、賃金の低下をはじめとした「雇用の質」の悪化が見られる。 ■そういった現実の時代の流れを前提とした上で、それに付随する問題を和らげ、地方の若者の雇用を、(かつてほどではないにせよ)「よりマシなもの」にするための方策を考えることこそ、現在の労働政策に求められることである。 ■具体的には、自営業の減少に対しては、「新しい自営業」の創出、産業のサービス化、雇用の非正規化に対しては、「キャリアラダー」の構築という政策的取り組みにより、地方の若者たちに経済的に上昇する「チャンス」を与えることを提言している。 ■「新しい自営業」については、自営業を復活させる必要があるが、「どうする日本の労働政策」では、本書の著者の新雅史の「新しい商店街」の提案を紹介している。具体的には、以下の内容である。 【引用】 新しい商店街は、地域社会が土地を管理する仕組みを考えてもよいだろう。すでにいくつかの地域でおこなわれているが、「まちづくり会社」が空き店舗を管理し、それを意欲ある若者に貸し出すという方式も有効である。この仕組みをもう少しひろげて、地域住民が土地や店舗を管理し、営業者を住民から募集することがあってもよい。この方式であれば、一部の商業者が権益をかかえこむことにはならない。 (中略)こうした提案をおこなうのは、居場所や出番が失われがちの若者に、事業をおこなう機会をつくりだしたいからである。 【引用終わり】 ■そして、「新しい商店街」の取組みの一つの事例として、京都府福知山市の新町商店街にある「アーキテンポ」を紹介している。空き店舗を回収し、それをレンタルスペースとして貸し出しているもので、本書が書かれた当時には、5店舗が継続的に出店していた。 ■なお、もう一つの「キャリアラダーの構築」については、ここでは割愛する 私が感想を書いている「商店街はなぜ滅びるのか」は、上記で「新しい商店街」の提案者であると紹介されている、新雅史の著書である。 私は過疎化が進んだ地方都市の出身であり、現在、仕事で関わっている会社も、同じく過疎化が進んだ地方都市に製造拠点を有している。そういった私自身の経験から、上記の「新しい商店街」構想には、かなりの違和感を感じた(「キャリアラダー構築」にも違和感を感じたが、本感想では割愛する)。 私の感覚では、地方の商店街が崩壊しつつあるのは、「そこにニーズがないから」という単純なものである。もともとニーズ・需要のない商店街に、若者がビジネスを始められる場所をつくったからと言って、突然、新たに需要やニーズが生まれるはずがないだろうのに、と感じるのである。「商店街にレンタルスペース」をつくる前に、その商店街、その都市に人出を取り戻し、ショッピングに対してのニーズや需要をつくらない限り、何にもならないのではないかと思ったのが、違和感の中身である。 もちろん、それがワークするかどうかは、対象とする都市の状況、主に規模にもよるのではないかと思う。例えば、地方の中核都市、人口30万人クラスの都市であれば、人口が多いだけに商店街の再生ということは現実的に何か可能かもしれない。しかし、地方の小都市では、ここでの「新しい商店街構想」はワークしないはずである。 私は、電車で旅行することが好きなので、地方都市によく行ったりもする。そこの主要駅近くの「シャッター商店街」を見た時に感じる衝撃はなかなかのものである。私が降りて衝撃を受けたのは、例えば、北九州の八幡、北九州の門司、宮崎県延岡、香川県坂出、長崎県松浦、和歌山県和歌山、北海道苫小牧など。 さて、本書「商店街はなぜ滅びるのか」であるが、本書の狙いを筆者は下記の通り、記している。 【引用】 わたしは、商店街がこの国に広がったのはなぜか、そしてどのような過程で商店街が凋落したのか、こうした問題に正面から答えようと思った。その来歴を知ることで、商店街の成立と衰退を知りたかったのである。 【引用終わり】 ■東京都の商店街に関しての調査によれば、設立時期が「昭和20年以前(すなわち、太平洋戦争終戦前)」である商店街はわずか6%であり、多くの商店街は戦後以降に形成されたものである。 ■しかしながら、商店街の誕生自体は戦前のものである。当時、繁栄していた「百貨店」に、零細小売商が対抗するために、「商店街」として組織化されたものである。一つの地域ですべての買い物が済み、消費者の利便性は高まる。また、商売に必要な物資-たとえば商品を入れる買い物袋-を共同購入したり、資金を共同で調達したり、共同で宣伝を行うこともできる。いわば「横の百貨店」として、百貨店に対抗しようとしたものである。 ■更に、戦後の日本で、商店街の形成は、社会政策の一つであったと筆者は主張している。自営業層の安定によって都市の貧困化を止め、それが安定した消費空間と地域社会の生成につながり、最終的には、社会経済上の平等化を実現することが目的であった。戦後日本社会の政治的・経済的安定は「雇用の安定」だけで実現したわけではなく、「自営業の安定」がしっかりと存在し、いわば「両翼の安定」が存在していたのである。 ■商店街の形成は、上記の通り、社会政策の一環であったので、政府は、その保護政策を実施した。それは、例えば、商店街の整備(照明やアーケード設置等)の費用の補助・低利融資や、もっと積極的には百貨店やのちにはスーパーの出店規制(大店法)等である。こうして、商店街、零細小売店は、自民党の主要支持母体ともなり、圧力集団ともなっていった。そして、商店街は「閉ざされた権益」に甘んじ、イノベーションを起こさない集団となっていった。 ■そういった中、1980年代以降の日米構造協議の中で、日本は「市場開放」を迫られ、大店法の規制も緩和されていき、商店街は、百貨店やスーパーやショッピングモールとの競争を強いられると同時に、新しい業態であるコンビニエンスストアとも戦わなければならなくなった。そういった中、補助金づけでイノベーション能力を失た商店街は、特に人口減少の激しい中小規模の地方都市で衰退をしていった。 以上が、商店街の盛衰に関しての本書の記述についての私の理解である。 そこに「人口=消費者」が存在している、大規模な大都市の商店街、例えば、戸越銀座とか谷中銀座、あるいは、地方都市で私が見た中で大きいものは、鹿児島や熊本や広島等の商店街は、今後の工夫次第によって、まだまだ隆盛を維持できるのではないかとも思うが、上記であげたような、地方の衰退都市の商店街が復活することは、経緯も考慮すると、簡単ではない、というか、ほとんど無理なのではないかとも感じる。 なお、上記で紹介した京都府福知山市の「アーキテンポ」は2019年4月に開店し、2024年3月末で閉店となっている。5年間のトライであった。
16投稿日: 2024.09.28
powered by ブクログ今は商店街って実はいいよね、のフェーズだけど、既得権益集団として見られていた時代があったことに驚いた。
0投稿日: 2024.03.24
powered by ブクログ著者は商店街を「20世紀になって創られた人工物」と定義する。この定義は、いわゆる伝統的な流通論における商店街の成り立ちに対する見方とは全く異にする。はじめは違和感を覚えたが、読み進めていくとなるほどこういう見方もありかと思う。 商店街に対する著者のスタンスは両極端である。まず、著者は商店街を痛烈に批判している。「恥知らずの圧力団体」とまで言及していることからもこのことがうかがえる。一方で、商店街の将来に可能性を感じ、応援する立場でもある。その立場から、商店街の将来へ向けての提言を行っている。 おそらく著者は、商店街を地域社会の縮図と捉えているのだろう。つまり商店街は、地域社会を写す鏡であるということだ。
0投稿日: 2021.11.06
powered by ブクログ戦後の日本は商店街の経営者をはじめ、豊かな自営業によって支えられた。商店街があることで、「自営業の安定」と「雇用の安定」という両翼の安定を生んでいたである。 近代化家族の3つの特徴 「家族の集団性の強化」「社会の衰退」家族が硬い殻のようになり、外部とのつながりを持たなくなること 「非親族の排除」とは家族集団が核家族に限定されとくに非血縁者は排除されること。 明治、大正の零細小売商は、零細規模で資金力が乏しく、営利も追求しない上に、専門性にも欠けていた。 商店街が生まれたことで、規模が拡大して資力も高め、専門性を高った。 (百貨店への対抗) 1948~1973頃 貯蓄推進運動とは、家計の貯蓄を増やす運動のことである。政府、日銀の狙いは主婦が積極的に倹約、貯蓄することで、輸入を抑制し、その資金を元手にインフラ整備や企業への貸付を行うことを目論んだ。(1948) 製造業中心にシフト、完全雇用の実現が目標。 日本の経済的成功が、生活水準の向上にはつながらない。日本では労働者が消費者になりたがらない「反消費者社会契約」が存在する(賃金増加より設備投資を優先) まとめ 商店街の理念、自営業層の安定によって都市の貧困化を止め、それが安定した消費空間と地域社会の生成につながり、最終的には、社会経済上の平等化を実現すること 「それぞれの店が専門性を高めることで、共存共栄を図ること」 両翼の安定を担う商店街の誕生⇨資本力の増加、専門性を高める 製造業中心にシフト⇨敗戦後の近代化と完全雇用、商店街が生き残るため商店街保護施策、政府への依存度を高める(考えなくなる?) 流通革命⇨スーパーをつくり、効率化、価格破壊 完全雇用の実現⇨クロヨン(自営業への批判が高まる)、終身雇用年功序列で人的資本の考えが広まる 英国病、日本型福祉社会の実現⇨依存社を大量に生み出す福祉国家ではなく、企業福祉と家族福祉を基軸としたものが日本型福祉社会(自営業や地域は入らない) アメリカからの圧力⇨流通の規制緩和、内需を刺激するための財政投融資の活用、 コンビニの登場⇨個人商店へ大打撃
0投稿日: 2021.05.29
powered by ブクログ目次 序章 商店街の可能性 第1章 「両翼の安定」と商店街 第2章 商店街の胎動期(一九二〇〜一九四五)―「商店街」という理念の成立 第3章 商店街の安定期(一九四六〜一九七三)―「両翼の安定」の成立 第4章 商店街の崩壊期(一九七四〜)―「両翼の安定」の奈落 第5章 「両翼の安定」を超えて―商店街の何を引き継げばよいか 第1章 「両翼の安定」と商店街 かつての日本の繁栄は「企業」と小売零細業を中心とする「自営業」の両翼にささえられていた。 しかし、既得権益を守るための圧力団体と化した自営業、つまり商店街陣営は数々の規制を政府に求めた。 が、その蜜月は長く続かなかった。 第2章 商店街の胎動期(一九二〇〜一九四五)―「商店街」という理念の成立 商店街の萌芽は、まずは第一次世界大戦後にみられる。離農した農民が、都市に大量に流入した。工場の労働者として雇われるものもいたが、近代官僚制が進み学歴重視の社会となったため、就職できなかったものも多くそこで食い扶持を稼ぐために、零細小売業となった。 だが彼らが増えることにより、物価の乱高下を招くとして消費者と対立することもあった。そのひとつが「米騒動」である。 消費者は小売業に対抗するため、協同組合を作り、また政府も公設市場の設置を目指した。 「協同組合」は最初は小売業のためであったが、零細業の組織化に転用され、「商店街」の理念の形成に一役買うことになる。 第一次世界大戦後、百貨店が登場した。それは買い物と娯楽を組み合わせた施設で、小売り零細業と対立した。 しかしこれら「市場の公共性」「協同組合の協同主義」「百貨店の娯楽性」の要素を合わせ、規模の拡大と専門性の獲得を目指し、「商店街」が誕生した。 誕生した背景に、物質不足を乗り切るための官の統制があった。 そこで、個人事業主を適切な地域ごとに割り振るため、免許性、距離性を実施しひとつの地域に、酒、米一軒ずつという統制を敷いた。政府には商店街を生活インフラとして整備する思惑があった。 だが、それは徐々に忘れ去られ、商店街は既得権益を主張する団体へと変貌していく。 彼らは、20世紀前半に大規模な企業が現れるまで、相対的に経済的地位は高かった。 第3章 商店街の安定期(一九四六〜一九七三)―「両翼の安定」の成立 第二次世界大戦後も闇市などが乱立し、経済はしばらく混乱していた。 しかし政府は、製造業中心の社会へと経済を立て直していく。 主婦の倹約貯蓄を奨励することで、その貯蓄を工業のインフラ投資へと回し、ハード面を整えた。 または第3次産業に規制をかけ、第2次産業に安価な労働力が回るように、ソフト面も整えたが、それは商店街の保護政策へとつながっていった。 だが、スーパーマーケットが誕生し、商店街は、流通やコスト最適化し得ていない保守的で不合理な存在だとする論が登場する。 その代表者はダイエー創始者の中内功氏であり、彼は製造業ではなく消費者が価値を決定する「バリュー主義」を唱え、商店街を旧来の悪癖の象徴として攻撃した。 すぐには商店街の既得権が切り崩されたわけではない。 第3次産業が受け皿となり、日本の完全雇用を実現しているとされていたからである。 が、社会構造は大きな変化を迎えていた。一つは、経済の復興・成長に伴い、「サラリーマンとその家族」が日本を支える典型的な有り様とされたことである。そして、男性サラリーマンと専業主婦の家庭を前提とした社会保障政策が次々と実施されていく。 その中で、商店街は旧来の悪習の象徴とされていった。 第4章 商店街の崩壊期(一九七四〜)―「両翼の安定」の奈落 1970年代、オイルショックが起こり、世界経済は大混乱となった。 その中で日本だけが欧米より一足早く立ち直った。 それは「日本的経営」の賞賛とつながっていった。 それは具体的には、終身雇用と年功序列をおもとする、企業中心の日本のイメージであった。 企業が男性サラリーマンを中心とした雇用者の家族ごと丸抱えし、国家を頼らない福祉モデルとされた。 S60年には3号被保険者が制定されている。 だが、それら、サラリーマン以外の自営業や地域が排除されたモデルであった。 そのモデルは、一定以上の成果を収め、日本は強大な貿易黒字国となる。 しかし、バブル期の終わり、日本の過剰な貿易黒字を憂慮したアメリカは日本国内の内需を促すため、「規制緩和」と「公共事業の拡大」を求めた。 アメリカの圧力に屈した政府により、商店街を守っていた、流通の規制が緩和された。 さらに「公共事業の拡大」により、高速道が急速に整備され、人々は土地代の高い都心部から、郊外へとうつっていく。 こうして、消費空間が変化をしていき、人のいない都心部に商店街は取り残さていった。 追い打ちをかけたのはコンビニである。 コンビニは1970年代の終わりから急速に増えていた。 当時のコンビニの本部は、イトーヨーカ堂やダイエーなどのスーパーマーケットである。大型店舗の出店が「大店法」という規制(大型の店舗を出店する場合には、地域の商店街の許可が必要)により、制限されたため、彼らは戦略を変え、 1大店法に引っ掛からない 2フランチャイズ 3郊外型店舗 を目指した。彼らは商店街と真っ向から対立するのではなく、スーパーマーケットの理論に塗り替えることにした。 このコンビニのチェーン展開は、商店街の後継者問題を解決するとして、跡継ぎ不足に悩んでいた商店主たちに歓迎された。 商店主たちはタバコや酒は、免許制なので、子供以外に継がせたくないと考えていたが、子供は将来性のなさから店を継がない。 そして、商店街は長時間労働が問題である。 が、コンビニ化により、パートや人材の確保が容易になった。 こうしてコンビニは万屋として、たばこ屋、酒屋、八百屋、米穀店などの存在意義を奪い、崩壊を促していった。 第5章 「両翼の安定」を超えて―商店街の何を引き継げばよいか 商店街が滅んだ理由は、圧力団体となっていったこと、免許制が制度の硬直化と権益の私物化を促したことにある。 そして、政府の政策も変化した。 1980年代以降、個人の給付と地域の給付、規制緩和は積極的に行われたが、適切な規制は両者に行われなかった。 商店街だけでなく、数々の「規制緩和」は、競争力の弱い地方を苦境に陥れる。 結果、地方を潤すためには、有力な企業を誘致するか、公共事業を誘致するしかなくなっていく。 国も地方の苦境は知ってはいるから、「景気対策」という名目で助成金をバラまき、公共事業をあてがい、それをアテにした地方はそれなしにはやっていけなくなるという、まさにマッチポンプな状態となっていった。 規制緩和が景気をよくするとは限らない。 適切な規制が今後は求められる。 ========================== 最近、政治・経済に興味の出てきたワタシです。こんばんは。 読み解くのが難しいし、ノイズが多いので敬遠してたんですが、年のせいでしょうか(多分、そう)。 滋賀県知事選挙、終わりましたね。 前カダ政権を引き継いだ三日月氏が当選しました。 一応無所属、って触れ込みだったけど、民主党が応援してた候補です。かつては滋賀県は「自民党王国」だったらしいんですけどね。 早速、テレビで「カダ前知事が以前白紙撤回をした、新幹線の駅の再誘致も前向きに検討」と言われてたけど・・・。 すでにJR東海は以前撤回された栗東駅の件があるから冷ややかなんだとか。 けど、県内では栗東以外に候補として手を挙げている場所がいくつかあるらしく、そのひとつは東近江市の「五個荘町」。 ・・・五個荘町・・・ いや、綺麗なところですよ。田園風景の広がるね。 で、そんな田んぼの真ん中に新幹線の駅、作ってどうするんだ・・・。快速の駅も止まったっけ?(五個荘町の方、スミマセン) よく田舎の「どうしてそんなとこに?」っていう場所に大仰な施設が出現することがありますが、別に、ココだけの話じゃなくて、地域振興といえば公共事業っていう発想になっちゃうんだろうなぁ・・・ 最近、読んだ本の影響ですね。
1投稿日: 2018.12.22
powered by ブクログ「商店街」という切り口から日本の経済・社会史を捉えなおす試み。 それが成功しているかどうかの判断はできないけれど、田舎出身で自分の地元にもシャッター通りがある読者は戦前・戦後の日本の経済・社会史の一側面を知るというだけでなく、いろいろな思いや感情が湧きあがってくることになるはず。
0投稿日: 2018.11.24
powered by ブクログ【要約】 ・ 【ノート】 ・商店街の「恥知らず」なメカニズムに言及。だからと言って糾弾の書ではなく、やっぱり地域に商店街は必要だよね、という視点。
0投稿日: 2018.10.28
powered by ブクログ商店街はどのような経緯で生まれたのか、そしてどのような経緯で衰退しているのかを様々な視点から述べられている。 近代商店街の始まりは、1920年代の不況や百貨店の登場による零細小売業の救済目的で生まれた。 当時の商店街の理念は個々の小売業者を専門店化し、それを地域ごとに束ねることで高い消費空間を提供しようとする目的があった。 一方で近代家族(家族の集団性の強化・社交の衰退・非親族の排除)化によって、戦後、商店街の小売業者は跡継ぎ不足に直面する。家族以外に店を継がずに閉めてしまうことで1980年代より商店街の衰退が表面化しだした。 戦後の商店街振興組合法や、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの台頭と都市計画の規制に関する話など視点は多岐に渡る。 今後、商店街はどうあるべきか、を考えるにはよい1冊。
0投稿日: 2018.06.25
powered by ブクログ地方の衰退がとまらない。 でよく象徴的に描かれるのが商店街のシャッター化に代表される衰退だ。 商店街はなぜ衰退するのか?そしてそもそもいつどうやってうまれたのか?について体型的に整理した本。 地方創生に興味ある人には一読の価値あり。 そもそも戦後日本の経済成長をもたらしたものはなにか? 戦前は国民の8割が農民や兵士であり、それが戦後一気に都市に流れ込み、また膨大な移民の人が帰国して都市へ。 で、その若い人々を第二次産業が吸収し、豊かな中産階級がうまれて高度経済成長がうまれたというのが一般的なストーリ。 が、筆者はそれだけではないという視点を提示。 もうひとつ、自営業者が激増したという点を指摘している。 都市に流入した人は零細商店、飲食店を経営していた。 雇用の安定と自営業の安定(雇用されてない人)。この両翼こそが戦後の総中流社会を形成。 を以下のように記述している。 「 自営業者(農業を含む)の数は、一九六〇年代から八〇年代初頭まで九〇〇万人台後半で安定しているが、この時期、農業に携わる層が急速に減少していた。農業層が減少していたということは、都市自営業者が増加していたということである。一九六〇年代というと、一般的にはサラリーマンの増加と思われることが多いが、増えているのは雇用者だけではなかったのだ(*5)。 旧中間層」は、大きく農業層と都市自営業層とに分けることができるが、近代化は、農業層から雇用者層への移行だけでなく、都市自営業層への移行をも進め 二〇世紀前半に生じた最大の社会変動は、農民層の減少と都市人口の急増だった。都市流入者の多くは、雇用層ではなく、「生業」と称される零細自営業に移り変わった。そのなかで多かったのが、資本をそれほど必要としない小売業であった。 」 そしていま、再び雇用の安定が叫ばれているがあわせて「自営業の安定」の是非について論じることがなかった。おそらく「自営業の安定」は、あえて議論するまでもないということなのだろうが、本当にそれは検討すべきことではないのか。という問題を提起。 ショッピングモールの増殖は、「自営業の安定」を崩壊させ、雇用ですら「雇用の流動化」を生み出した。 ではかといっていまの商店街を規制で温存すればいいのか? そもそも商店街とは二〇世紀になって創られた人工物である。 一九三〇年代初頭で、東京市内でお菓子屋が一六世帯に一軒、米屋が二三世帯に一軒と、小売業はとてつもなく過密な状況であった。 その頃に誕生した百貨店の脅威に零細小売店が百貨店に対抗するためには、質のよい商品を消費者に提供し、かつ、その場所に行けば何でも揃う空間をつくる必要があった。 しかしながらそこで膨大に誕生した零細商店はそれ以前の商店とは違う性格を帯びて行く。 それを以下のように指摘。 社会学では、親族集団の家族と区別するため、経営体としての擬似血縁組織を「イエ」と呼ぶ。親方‐子方から成る「イエ」、家元制度の「イエ」である。近世における商家は、典型的な「イエ」であった。すなわち、それは家長とその親族、そして住み込みの奉公人たちで成り立っていた。もし経営体の存続が危機になれば、「非親族的家成員」(中野卓)である奉公人が経営を引き継ぐことも決して珍しいことではなかった(*7)。 だが、近代の小売商は、「イエ」の規範ではなく、「近代家族」によって担われていた。つまり、二〇世紀以降の小売商は、近代家族の規範のもとで事業をおこなったために、近世の商家に比べてはるかに柔軟性のない組織となった。 れる。零細小売商は、イエ原理ではなく近代家族のもとで経営をおこなっているため、規模が相当に大きくならないかぎり、家族成員以外の者を経営に参加させなかった。 つまりかつては、商店ありきで家族はひもづいてなかったものが、商店=家族になっていく。 それによって軒並み商店は後継者問題をかかえることになり衰退に拍車がかかっていった。 だからいま規制を強化したとしても、後継者になり手が誰もいないという問題は解決できないと指摘。 こうしてみると、シャッター商店街の問題の根源は都市への人口の大量移動という人口問題であったことがわかる。 現在、人口を増やそうという掛け声がおおいが、1955年にはこういうことがいわれていた。 「日本政府は、一九五五(昭和三〇)年一二月に、初の政府公認の長期計画である「経済自立五ヵ年計画」(経済企画庁立案)を閣議決定した。この長期計画は、完全雇用を目標に定めるものだったが、その実現のためには、労働力人口の抑制が必要であるというものだった。 日本政府は、一九五五(昭和三〇)年一二月に、初の政府公認の長期計画である「経済自立五ヵ年計画」(経済企画庁立案)を閣議決定した。この長期計画は、完全雇用を目標に定めるものだったが、その実現のためには、労働力人口の抑制が必要であるというものだった。具体的には、海外移民の促進、家族計画による出産数の抑制、社会保障による女性・高齢者の非労働力化」 人口増やすではなく人口抑制、海外から移民受け入れではなく日本人の海外移民化、出産数を増やすより出産数の制限、女性/高齢者の活用ではなく非労働力化。 現在と真逆の政策が提唱されていたことに驚く。 人口の増減を政策的にコントロールすることの難しさをまざまざと考えさせられる。
1投稿日: 2017.09.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2012年刊。 著者は学習院大学非常勤講師(東大の社会学系大学院出のようだが、なかなか学者の道も厳しい)。 「市」の代表格たる商店街。市はそれこそ鎌倉時代まで淵源を辿れるが、実は商店街は全く違い、近代日本、正確には第一次大戦後の制度・産物で、戦前から戦後成長期まで続く、就農人口の頭打ち乃至減少と、第二次産業を基軸とする経済成長に依ったものだ。 この事実を史的に解読した上で、商店街がバブル期あたりで崩壊した事情を加え、さらに将来は商店街的な起業形態の再生・復活が望まれることを、若年層の就労の多様性確保の観点から論じていく。 一般には、第一次世界大戦後の不況期以降、①就農人口の頭打ちや減少が起き、②農村の余剰労働力は、成長を続ける第二次産業に吸収された。これは第二次世界大戦を挟んで、戦後の成長期も続いた。このように理解されているが、この点に関し、実のところ①は兎も角、②はデーター上は正しくない。 農村の余剰労働力は、都市の零細小売自営業者として転化していったという、個人的にはトリビアな事実が示される。 こう考えると、都市の公設市場や商店街に存在した八百屋・魚屋・豆腐屋といった零細小売店舗は、家族経営体で営まれ、後に生まれ出た大規模なスーパーやコンビニに成すすべがなかったこと、サラリーマン化した子息をして家業の後継者に仕向けることは叶わず、廃業し続けてきた点も頷ける。 しかも、コンビニが大規模仕入れによる価格競争力と品揃え、そしてワンストップ型的な利便性を武器にしているのに対し、専業でありながら、さほど高度な専門性を有するとまでは言い難かった商店街の各店舗を駆逐したという指摘は、非常に興味深い。また、これはコンビニ隆盛、商店街衰退を目の当たりにしてきた体験とも符合するものだ。 ただ、それならば商店街の再生は必要なのか?。その処方箋の適否は…。 勿論、就労形態・就業形態の多様性、小売業態の多様性の実現という観点で、再生されるべき業態であるとは思うし、商店街内店舗の現代的発展系として、生産者と直に繋がる近隣小売店に昇華するというコンセプトにも魅かれるものがある。 そして、商店街におけるバイヤーとしての目利きを如何に研ぎ澄ましていくか、生産者と消費者のニーズを如何にマッチングしていくか。これを事業として成立させうる程度に売り上げられるプロの地域密着型高機能小売業態は出てくるのか?。に関連してくるだろう。 しかし、それとて万能ではない。そもそもサラリーマンや主婦は、地域密着型の小売業を育てるという感覚は持っていないようにも。 まずそこにしか存在しないという希少性が極小であり、かつある程度の安全性が確保されているとの信頼の下、安さ以外の指標・判断基準をユーザーは持ち合わせていないし、重要だとも考えていないからだ。 なお、戦後の主婦層の節約志向が、銀行・郵便貯金他の貯蓄を増やし、その結果として、高度成長に必要な設備投資資金を潤沢にした。 著者の指摘するこのメカニズムには唸ってしまった(成否はまだ確信を持てないが、戦後家計の貯蓄性向につき、福祉充実よりも、社会資本充実=低所得者層の職の創出を目指した自民党型土建国家政治にあるという指摘をする書・「日本財政 転換の指針」もある。)。
0投稿日: 2017.09.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本の商店街が近代的なものでほとんど昭和初期から高度経済成長期に成立した新しいものであること。確かに肌感覚として言われてみるととても納得感があるのだが、もっと古い気になっていた。四谷あたりのイメージがあったからか。 この本も(日本農業の正しい絶望法と同じく)みごとに処方箋らしきものがない。たぶんこちらが正解なんだろう。
0投稿日: 2017.07.19
powered by ブクログ<目次> 序章 商店街の可能性 第1章 「両翼の安定」と商店街 第2章 商店街の胎動期(1920~45)~「商店街」という理念の成立 第3章 商店街の安定期(1946~73)~「両翼の安定」の成立 第4章 商店街の崩壊期(1974~)~「両翼の安定」の奈落 第5章 「両翼の安定」を超えて~商店街の何を引き継げばよいのか <内容> 「シャッター商店街」を見聞きすることが多くなった。実際、木更津の駅前や米沢の駅前など、悲惨な場所も多い。こうした「商店街」の成り立ちから崩壊までを丁寧にひもときながら、再興の可能性を指摘する。 「商店街」とは、大正期の好景気の際に、地方の農民層が都会に出てきたものの、第二次産業には従事できず、都市の零細商業者となり、戦後も家族経営をしながら(したがって後継者は家族にかぎられ)、その中で商業を巡る様々な規制緩和の対し、抵抗勢力となりながら、商店街連合会という圧力団体となって、政治に圧力をかけ、結果として消費者を敵に回し、1970年代以降はsの零細経営を子供たちに見限られ、その結果がシャッター商店街なのだという。特にコンビニが商店街を内部崩壊させたという。 分析はとりあえずスルーして、こうした歴史的経緯を知れただけで満足だった。
0投稿日: 2017.06.01
powered by ブクログ生活の身近にある商店街を社会学的に考察した本。 著者と藻谷浩介さんの対談本から。 商店街の歴史的背景など初めて知る話ばかりで、興味深く読んだ。
0投稿日: 2016.01.30
powered by ブクログ流通史を商店街を通じて読み解いていく本だった。わかりやすかった。規制の法律や政策により小売商がどのような対応をとっていったかがわかる。 商店街は必要である。若者が参入しやすい形がほしい。 商店街の消滅は起こるべくして起こった 29 次の人が立てられない問題 43 生活できさえすればいい店とそうじゃない店の差 71 商店街は新しい 93 流通の説明は車と道路でするとわかりやすい 118 松下さんは値引き反対。中内さんは値引き推進。今思うと松下さんが正しいのかな 124 バリュー主義からみる中内さんの極端さ 128 生活のための商売のこわさ 181 商店街は自滅した 191 商店街は滅ぶべくして滅んだ 196 一社が勝たないことが商店街の理念 210
1投稿日: 2015.08.07
powered by ブクログ商店街に関する書籍を探していたところ、この新書を見つけることができた。 ここでは、商店街の歴史を振り返ることで、現在の商店街の問題点などを明らかにしている。タイトルが、なぜ滅びるのか、ということであるため、商店街の再生などの言及は少なかったと思うが、それは本書ではなく、違う書籍に当たるべきである。 今まで抱いていた商店街のイメージとは違う部分も多く、商店街の再生という一言では収まりきらない、いろいろな課題が横たわっている。 では、どうするか、いい答えが見つからないのも感想である。 新しい「商店街」理念とは ・規制の見直し:業界や一部経営者を利するもの→人々の生活を支え、地域者のつながりを保証する ・地域の協同組合や社会的企業に営業権を与える仕組み →若者に事業をおこなう機会をつくりだす ・地域社会の消費空間は、けっして経済的合理性だけで判断されるべきではない→バーチャルな空間だけでは地域社会の生活をささえることはできない ・商店街の存在理由は、「生存競争の平和的解決」にある <この本から得られた気づきとアクション> ・商店街の歴史は抑えることができた。しかし、ではどうするかが見えてこない。自分の日常生活を振り返り、商店街の理念は相いれるものなのか、考えなくてはならない <目次> 序章 商店街の可能性 第1章 「両翼の安定」と商店街 第2章 商店街の胎動期(1920~1945)――「商店街」という理念の成立 第3章 商店街の安定期(1946~1973)――「両翼の安定」の成立 第4章 商店街の崩壊期(1974~) ――「両翼の安定」の奈落 第5章 「両翼の安定」を超えて ――商店街の何を引き継げばよいか あとがき
1投稿日: 2015.06.27
powered by ブクログ商店街は戦後開発されたシステム。横の百貨店。専門店の集積。 第二次産業に労働力を流すため、第三次産業の労働の安定性を確保するために規制で保護。 企業社会の浸透と、少子高齢化と、核家族かにより衰退。
0投稿日: 2015.05.08
powered by ブクログ第2~4章の商店街の胎動期、安定期、崩壊期の分析は秀逸だ.特に安定期以降は実感もあり、非常によく理解できた.商店街の将来性を考える意味で重要な観点が数多く記述されていると感じたが、もぐらたたきのような話しになる傾向は否めない.
0投稿日: 2015.04.25
powered by ブクログ商店街の歴史を概観するとともに、その意義と可能性を示した本。 著者がいうことを鵜呑みにするわけにはいかないとは思うけど、商店街がただ既得権を守る集団になっていったことが衰退の主要因だとする説は、傾聴に値する。 個人的には商店街の理念自体はまだまだ可能性があるとは思うし、若者がチャレンジする場としての商店街を提唱する著者には心から賛成。願わくは、新たな理念を持った商店街が生まれんことを。
0投稿日: 2014.12.31
powered by ブクログ商店街のあり方について興味深い考察。 石巻の商店街が震災から4ヶ月程度でボランティアの尽力にやつて瓦礫が取り除かれたのに対し、多賀城市のイオンは泥だらけ。 コンビニの存在。 新たな規制と緩和 大規模消費システムやバーチャル空間では地域社会は支えられない。
1投稿日: 2014.08.18
powered by ブクログタイトルが面白そうで即決したが、面白いと思えなくなったので、途中で古本屋に売却。 作者の方、スミマセン。
0投稿日: 2014.07.13
powered by ブクログ関東近辺の商店街を訪問する仕事を2年ほどやっていて、思うところあり購入。もう滅びるしかない、魅力がない商店街に対して、なぜ国や自治体が助成金を出すのか謎でしたが、この本でよく分かりました。(国が商店街振興組合という組織を推奨して作り上げたために、解体もしづらい構造になっているとか。)町づくり、町おこしというプロジェクトは、商店街を核にしてはできないと思うのですよ。だって、商店街の構成員自体が時代のニーズについていけてないわけなので。商店街が擁護されがちなsweetな世論に反してこのような本を書いてくれてありがとうございます、と思います。
0投稿日: 2014.07.13
powered by ブクログ商店街の成り立ちと作られた背景、そして崩壊した理由。農村からの人口の受け皿として作られた商店街、規制による保護と後継者不足(家庭に限定)、コンビニなどの対等で崩壊した。会社員と対になって中流家庭を築いてきた小売自営業者、ここの凋落で雇用先が失われている。いままで規制撤廃を続けてきたが、地域への規制(既得権駅にならない)を活用して、商店街が復活できないか。
0投稿日: 2014.04.26
powered by ブクログ商店街を基軸にして、戦後発展した様々な小売方法(生協、百貨店、スーパー、コンビニ)の発展の歴史が学べる楽しい本でした。 自民党の支持基盤としての商店街を描くことで、たくましい商店街像を覗くことができます。新しい小売のプレイヤーが登場するたびに既得権益を主張して悪役化していく商店街。終盤でついに著者から「恥知らずの圧力集団」呼ばわりされます。読んでるこっちが怖くなるよ! 私も著者と同じ北九州出身ですが。。。 未だに百貨店やショッピングモールよりも商店街が妙に強い不思議な都市です。 ショッピングモールも街の中心から外れた場所にポツンと建っていたりするので「これが財政投融資の作った風景か!」と納得したりします。 商店街誕生以前の商業区画が非効率的だったのかも気になりますねー。
0投稿日: 2014.01.27
powered by ブクログ商店街の発生経緯からこれからのあり方についてまで述べられている。 商店街は百貨店の縦のものを横にするという発想で、百貨店に対抗するためにできた。 その後、権利を主張する団体となってしまった。 コンビニが出てきて、郊外大型店舗があって、厳しい状況に立たされているのは、専門性がないのも問題。 コンビニの制限をするのも一つと述べられているが、どうなのだろうか。
0投稿日: 2014.01.16商店街に視点を置いて日本の産業構造の変化を観察している。
現存する商店街の多くは20世紀になってから作られたもので、農民の減少と都市人口の増加の中で都市流入者が始めた零細小売業が元になっている。大規模な商業街ではなく居住地域から徒歩圏で行けるところに規制産業である酒屋や同業者組合のカルテル、企業特約店制度によってエリア制限を組み合わせ、それぞれの店が専門家することでデパートに対抗する。家族経営の自営業の安定は労働人口を吸収し、都市に第三次産業の受け皿を作った。 高度経済成長とともに発展した商店街はやがてその終わりを迎えつつ有る。最初のチャレンジャーはダイエーの中内功、家族経営の小売業は生産性が上がらない割に賃金は上昇しその上昇分を価格として消費者へ転嫁したのだが、そのときにスーパーは消費者の見方として現れた。当初支持基盤だった零細小売業の安定を優先した自民党は零細小売業保護の中心だったがやがて支持基盤としての優先順位を下げて行く。そしてま日米構造協議の中での第三次産業の規制緩和特に海外企業に対する参入障壁の引き下げを行い、景気対策をかねた公共投資は郊外のアクセス道路を整備し大規模な土地を造成することで郊外型大型店を生み出した。大店法の規制がゆるみ、大型ショッピングセンターが商店街に対抗する様になって行く。 もう一つの商店街消滅の契機は核家族化による跡継ぎの問題で、例えば酒屋は跡継ぎに専売圏を引き継げると言う特権が有ったがこれが後継者不息で意味を無くさなくなった。このとき専門店の消滅の穴埋めをしたのがコンビニで、発祥のアメリカではフランチャイズが店舗を用意しガススタンドに併設されたコンビニは退役軍人などの就職先として用意されたのに対し、日本では酒屋、米屋などからコンビニへ家業の変更と言う形で跡継ぎ問題を吸収して行った。社会の変化が商店街を生み、そして無くしつつ有る。 震災後の石巻市では商店街が復興の核としてボランティアを集めた一方、郊外型のショッピングセンターにはボランティアが集まらず企業従業員頼みになっていた。商店街が買い物だけではなく生活の場として地域のコミュニティの核になり得ると言うことだ。筆者は商店街の有用性を生かすにはエリア規制を組み合わせながらも営業免許の相続については見直し、地域で管理し流動性を高めて新しい事業を始めやすい仕組みづくりを提案している。 「お年寄りの原宿」巣鴨地蔵通り商店街なんか見てるとまだまだやりよう次第だと思うけどねえ。高齢化が進む日本でどういう街が好まれるようになるかでしょうか。
1投稿日: 2014.01.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本の商店街の衰退について、歴史的な観点を主軸に据えて研究した新書です。 新しい視点として、商店街が日本の高度成長期を雇用の面で支えていて、それが衰退することで、雇用の流動化という現在の問題が起こっているというものがありました。 新しい商店街のあり方や、被災地での経験から商店街が持ちうる力なども紹介し、規制による商店街の保護を支持するという結論で終わっています。 当たり前のように問題視される商店街の衰退。それを、なぜなのか、そもそも商店街とはなんなのかが、わかりやすく丁寧に述べられていてとても勉強になりました。
0投稿日: 2013.12.21
powered by ブクログこれまで、商店街を社会、政治、経済という観点から捉えたことがなかったので新鮮だった。存在から社会的な課題を浮かび上がらせていく、まさに社会学的な要素いっぱいの本。 商店街も戦中の政策や、日本独自の福祉型の強い影響を受けてることがわかった。 筆者が言うようなバランスのよい社会政策を実現するには、やっぱり行政の動きが重要。確かになんだかんだ言って、企業で働く=安定、という図式が根強い。いろんな選択肢が増えれば、地域に貢献するような起業も増えるかもしれない。 もっと、深く読みたいなと思ったので、3点。分かりやすかった。
0投稿日: 2013.08.19
powered by ブクログサブタイトルにあるとおり「商店街」という存在を、社会・政治・経済史というフィルターを切り口として読み解いた視点が実に面白く興味深かった。 時代の要請の中で生まれた「商店街」という理念が、時代の変遷の中で、既得権益団体化していき、さらなる時代の変遷の中で、その経営スタイルも相まって衰亡の危機にある必然。 これらの状況を打破し、新たなる時代の要請の中では、本来の理念である「専門性の追求」と「経営スタイルの刷新」によりコミュニティに必要とされる「横の百貨店」的な存在として今後も成立しうる可能性について冷静な視点の中で示唆されている。 実際、一部でそういう動きも具現化しており、少子高齢化社会のコンパクトシティー化の中ではおもしろいアプローチになりうる。 しかし、これだけのことをまとめられる人財がどれだけ出現していくのかが課題かもね。 「ソーシャルビジネス」が請け負う一分野としては面白いだろうな。
0投稿日: 2013.08.04
powered by ブクログこの本はマーケティングではなく社会学の本です。 サブタイトルに「社会・政治・経済史から探る」と書いてります。 商店街を活性化させるための仕組みを考えるようなマーケティングの本でありません。 誤解なきよう。各種レビューに目を通していて気になったので、老婆心ながら書いておきます。 <目次> 序 章 商店街の可能性 第1章 「両翼の安定」と商店街 第2章 商店街の胎動期(一九二〇~一九四五)――「商店街」という理念の成立 第3章 商店街の安定期(一九四六~一九七三)――「両翼の安定」の成立 第4章 商店街の崩壊期(一九七四~)――「両翼の安定」の奈落 第5章 「両翼の安定」を超えて――商店街の何を引き継げばよいか あとがき つづき http://ameblo.jp/nakahisashi/entry-11563797780.html
0投稿日: 2013.07.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』光文社新書、ようやく読了。新書に学術書をねじ込むという荒技だが、挑発的なタイトルとは裏腹に正直、面白かった。「きわめて近代的な存在である商店街は,どういう理由で発明され,そして,繁栄し,衰退したのか?」 「社会・政治・経済史から探る再生の道」(副題)。 商店街は平安京から由来する伝統でも自生的発生でもない。戦前昭和に人工的形成された近代的な装置である。戦時統制経済と引き続く戦後の法的整備で多くの商店街が全国に創造されたが、近代家族モデルと日本型調整政治で成り立つそれは岐路に立つ。 高齢化が進む中、再生の道は協同主義と小売の公共性の刷新にヒントがあるかもしれない。著者はの実家は酒屋というから説得力に富む。非常勤講師という著者の先行きへの不安は、商店街の問題を通して,現代日本の経済社会が抱えこんでいるそれを浮き彫りにする。
0投稿日: 2013.06.14
powered by ブクログhttp://news.goo.ne.jp/article/senkei/bizskills/senkei-20120930-04.html
0投稿日: 2013.04.29
powered by ブクログインパクトのあるタイトルに惹かれて購入。 「商店街」という存在そのものの考察、できあがってきた背景、その盛衰の原因など、多岐に亘り深く考察する。 今まさに顕在化している商店街の衰退の理由に迫り、これからの時代に商店街を活かすために何が必要なのかを考える一冊。 とにかく商店街というものに対する情熱が伝わります。 いいところ、悪いところそれぞれについて、あくまで冷静な視点で進められる筆者の考察が非常に好感が持てます。 わたしたちの世代にとっては最早古き良き日本のイメージとなりつつある商店街が、実は戦後に発生した歴史の浅いものである、という事実は衝撃的でした。 内容も説明が端的で分かりやすく、読みやすい本だと思います。
0投稿日: 2013.04.21
powered by ブクログ本文に現れる「恥知らずの圧力集団」などの熱い言い回しが、20世紀の日本社会の変化から商店街を語る冷静な視点に織り交ぜられて、クールかつダイナミックな展開の新書です。その秘密は、あとがきで噴出します。「角打ち」を備えた地域の酒屋の息子として育った著者の両親に対する愛憎が本書の出発点なのです。内発的な動機を縦糸に社会学の手法を横糸に織り上げられているのが、この本の面白みですし、また、今後についての提言がスッキリしていないのも責任感を感じました。直近読了の「平成史」でも指摘された会社と家族に依存した社会構造の限界についての「商店街」版で、シンクロニシティ読書。これからの社会政策を「規制と給付」「個人と地域」で4象限に切る著者なりの見方は、自分のとってもこれからの思考のフレームワークになるような気がします。
0投稿日: 2013.04.14
powered by ブクログ「商店街、崩れおちる」の観 一見歴史がありそうに思える日本の商店街だが、実は近代に入ってから極めて意図的に発明されたものだった。商店街誕生の経緯からその発展、家族構成や社会の変化とともに衰退する現状、さらにはその再生への道を模索する。 本書の著者は北九州の酒屋の長男として生まれたそうです。「角打ち」と呼ばれる立ち飲みも行っていたというその店は家族の「生業」であり地域にも根付いた店でありながら、著者は古く汚く狭かったその家を恥じ疎み企業に勤めるサラリーマン家庭に憧れていたのだといいます。時代の変化にもれず著者は都会に出て、実家はその後コンビニに転業したのだそうです。 雇用形態や社会福祉制度など世の中がサラリーマン家庭中心にシフトして行った結果、小売店の業態、延いては商店街のあり方も変化していました。著者の生い立ちはまさに商店街の盛衰を目の当たりにしたものであり、本考察は信頼できるものと感じました。 本書で最も印象的であったことは、商店街衰退の原因を、人口の減少や小売店VS大型ショッピングセンターというような表面的な問題だけではなく、商店街自身にもあったことを公正に見ていることです。そこには、大店法(大規模小売店舗法)など法律や規制を笠に着て既得権を死守することにあくせくし、時代の流れはさておいてあくまで現状を維持しようとする商店街の姿勢が見てとれます。 ところが気がつけば、交通手段の変化で人の流れは変わる、家族構成や住宅の形態も変わる。足元を見れば店は古くなり跡を継ぐものも無く、廃業を止む無くされたり、「店」としての生き残りをかけてコンビ二のフランチャイズに乗って転業する店も次々に増える。個々の小売店が次々にそうした事情を抱えた結果商店街は自ずと崩壊していった…と見えなくもありません。 専門店としてのノウハウを積み上げたり商店街の独自性や特色を積極的に打ち出していくなど、世の中の変化を鑑みて生き残っていくための工夫がもっと早くに行われていたら、あるいは違う「商店街の今」があったのかもしれないと思わせます。 事実、全国には親の跡を継いだ若い店主たちが連携して商店街を元気にするイベントを企画したり、利用客のニーズにあった商店街作りに積極的に取り組んでいるケースもあります。東日本大震災後の東北では国道沿いのショッピングセンターが被災した当時のままいつまでも手がつけられない状態であったのに対し、仮店舗ながらも町の商店街がいちはやく立ち上がった例も記憶に新しいところです。それは単に利便性だけが求められるのではない地域の商店街ならではの底力の証明であり、そこに大型ショッピングセンターとは全く違う商店街独自の生き方を考えるヒントがあるように思えます。 自分が消費者側にいるせいか商店街側の事情というものに思い及んだことがなく、それを知ったことが一番印象深いため全体として「内部から崩れ落ちる商店街」という感想になってしまいました。誤解の無いように言えば、本書は商店街がほろびゆく原因を商店街自身にあると断じているのではありません。その発生まで遡って社会・政治・経済という3つの側面からバランスよく「商店街」を考える好著となっています。
0投稿日: 2013.04.13
powered by ブクログ戦後日本の高度成長期において、保守層としての座を勃興する都市労働者に奪われイデオロギー団体と化し、血縁という閉じたシステムの中での権限委譲を繰り返すうち、ついには自らの理念をより効率的に体現するコンビニに存在意義を奪われ衰退を余儀なくされていく「商店街」の衰勢を概観する。本文における冷静な語り口とややtouchy-feelyなあとがきのギャップが耳目を集めているようだが、これがなくとも十分一読に値する。 個人的には、今日も続く金融機関の不動産偏重融資により、金融緩和によるマネーサプライが将来性に乏しい(もしくは継続意欲に欠ける)事業体に廻っている可能性への言及が印象に残った。
0投稿日: 2013.04.07
powered by ブクログ商店街をきわめて近代的な存在だとしたうえで、その繁栄と衰退の原因を考察。そして地域コミュニティーの要となる商店街の再生を展望。1973年生まれの社会学者による画期的な考論。
0投稿日: 2013.03.27
powered by ブクログテーマはとても面白そうなのに、文章がつまらんので全く頭に入らず途中で断念。まあ、資料として置いときますわ。
0投稿日: 2013.03.24
powered by ブクログあとがきが壮絶だった。ひと通り読んだあと、序章を読むと涙が出る。 衰退の理由について、政治や権益、規制といった点で掘り下げていて、そういう理由だったんだ、と思うことがしばしば。 ネット通販への批判は特殊事例を用いているので共感は薄い。もう少し普遍的な事例であれば納得感がある。
0投稿日: 2013.03.20
powered by ブクログ商店街の誕生から凋落という歴来を中心に、社会政策における規制と給付の組合せについて論じている。詳細な感想は改めて書きたいが、新鮮な切り口で面白かった。
0投稿日: 2013.03.12
powered by ブクログ商店街が滅びていく(?)のは、やはり後継者の不在が原因のひとつ。しかし、家族経営の中で、他人を後継者にするのは難しいところでしょう。 近所に元気な商店街がほしいところです。
1投稿日: 2013.02.21
powered by ブクログ商店街に視点を置いて日本の産業構造の変化を観察している。 現存する商店街の多くは20世紀になってから作られたもので、農民の減少と都市人口の増加の中で都市流入者が始めた零細小売業が元になっている。大規模な商業街ではなく居住地域から徒歩圏で行けるところに規制産業である酒屋や同業者組合のカルテル、企業特約店制度によってエリア制限を組み合わせ、それぞれの店が専門家することでデパートに対抗する。家族経営の自営業の安定は労働人口を吸収し、都市に第三次産業の受け皿を作った。 高度経済成長とともに発展した商店街はやがてその終わりを迎えつつ有る。最初のチャレンジャーはダイエーの中内功、家族経営の小売業は生産性が上がらない割に賃金は上昇しその上昇分を価格として消費者へ転嫁したのだが、そのときにスーパーは消費者の見方として現れた。当初支持基盤だった零細小売業の安定を優先した自民党は零細小売業保護の中心だったがやがて支持基盤としての優先順位を下げて行く。そしてま日米構造協議の中での第三次産業の規制緩和特に海外企業に対する参入障壁の引き下げを行い、景気対策をかねた公共投資は郊外のアクセス道路を整備し大規模な土地を造成することで郊外型大型店を生み出した。大店法の規制がゆるみ、大型ショッピングセンターが商店街に対抗する様になって行く。 もう一つの商店街消滅の契機は核家族化による跡継ぎの問題で、例えば酒屋は跡継ぎに専売圏を引き継げると言う特権が有ったがこれが後継者不息で意味を無くさなくなった。このとき専門店の消滅の穴埋めをしたのがコンビニで、発祥のアメリカではフランチャイズが店舗を用意しガススタンドに併設されたコンビニは退役軍人などの就職先として用意されたのに対し、日本では酒屋、米屋などからコンビニへ家業の変更と言う形で跡継ぎ問題を吸収して行った。社会の変化が商店街を生み、そして無くしつつ有る。 震災後の石巻市では商店街が復興の核としてボランティアを集めた一方、郊外型のショッピングセンターにはボランティアが集まらず企業従業員頼みになっていた。商店街が買い物だけではなく生活の場として地域のコミュニティの核になり得ると言うことだ。筆者は商店街の有用性を生かすにはエリア規制を組み合わせながらも営業免許の相続については見直し、地域で管理し流動性を高めて新しい事業を始めやすい仕組みづくりを提案している。 「お年寄りの原宿」巣鴨地蔵通り商店街なんか見てるとまだまだやりよう次第だと思うけどねえ。高齢化が進む日本でどういう街が好まれるようになるかでしょうか。
1投稿日: 2013.02.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
商店街が形成された後の過程として、イデオロギーとの関連部分は今ひとつしっくりこん部分があったけど、日本の政策やら、国際政治の影響やら、時代背景の流れから、すごく興味深くおもしろかった。 序章でひきこまれて、その後難しいぶぶんもあったけど、私的なあとがきも良かった。 今後の商店街の生き残りに対するアイディアは、私の今後の仕事に活かせていけたらいいなぁ。 とても大切なヒントをもらえたような気がします。
0投稿日: 2013.02.04
powered by ブクログ商店街という理念の成立からその崩壊に至るまでのプロセスが書かれていました。商店街再生の道は若者層の開業や起業と零細小売商が家族経営から脱却することにあるのではないかなぁと思いました。
0投稿日: 2013.01.28
powered by ブクログこのタイトルはちょっと 商店街史という感じだろうか でも思いこみはくつがえされた 一番は商店街は自然発生的なものと思っていたが 違っていたこと デパートに対抗し 横のデパートとして発生したこと これからの商店街がどうなるのかな というのがわかるかと思って読んだけれども あんまり
0投稿日: 2013.01.06
powered by ブクログ疲弊する商店街を活性化しようという時、それが伝統的な存在であるということが議論の前提になっていると思われますが、現在の商店街が決して伝統的な存在ではないということが、本書を読んで分かりました。 たしかに商店街の起源は江戸時代に見ることが出来ますが、現在の商店街の多くは戦後に形成されたもの。東京でさえ設立時期が昭和20年以前の商店街はわずか6%に過ぎないとのことです(平成19年の東京都商店街実態調査)。 商店街の疲弊の原因を、郊外型ショッピングセンターの乱立に求める議論が目立ちますが、これも一面の理解に過ぎないことが分かります。むしろ、商店街側が政治に過大な保護を求め、自ら現在の惨状を招来してしまった面もあるようです。 江戸時代には丁稚奉公の奉公人が商売を引き継ぐことも珍しくありませんでしたが、近代家族化の波が自営業にも押し寄せたことで、商店主は自らの子どもに継がせる意外の選択肢はほぼ持ち得ませんでした。そのような硬直化した事業承継の在り方が、現在の後継者難の主因と著者は見ています。 さらには子供に承継させるため、将来性のあるコンビニに業態転換する商店主も少なくありませんが、これが商店街の衰退に拍車をかけているのは、皮肉としか言いようがありません。 このように本書を紹介すると、著者はまるで商店街を敵視しているように感じるかもしれませんが、そうではありません。 特に冒頭の場面は印象的です。著者は東日本大震災発生後、宮城県石巻市に調査に訪れますが、商店街では大勢のボランティアが復興活動に尽力してました。一方で、ショッピングモール地区にはボランティアの姿がほとんど見当たらない。 「商店街という場だからこそ、本来出会うことのない雑多な人たちが交差する。だからこそ、災害時に商店街の『魅力』が現れたのではないだろうか」 そんな著者の主張には、商店街の再生への期待がにじんでいます。 実際、終章で著者は商店街の再生について提言しています(表題は「再生」ではなく、「商店街の何を引き継げばよいか」とかなり控えめですが)。 中でも注目したいのは、次のような提言です。 「地域単位で協同組合が商店街の土地を所有し、意欲ある若者に土地を貸し出すとともに、金融面でもバックアップするという仕組みがつくられるべきだろう」 課題はたとえば新卒で官公庁や企業への就職にしか目が向いていない若者に、説得力を持って商店街への就職を「新たな選択肢」として提示できるかどうか。個人的には今からでも決して遅くはないと思っています。
1投稿日: 2013.01.03
powered by ブクログ今後商店街はどのようにあるべきか、というところが一番肝心な気がするのですが、それについてはあまり章が割かれていません。 著者は社会学者なので、経済的な側面よりも、もっと多角的に分析しており、その辺りが本書の面白いところでもあるかと思います。 私自身は、著者が考える商店街の可能性というのには懐疑的です。 本質的な話ではないのですが、戦前の新聞広告に「挺身隊」「進軍」といった表現が用いられているのは、時代を感じさせて面白いです。
0投稿日: 2013.01.01
powered by ブクログ日本銀行小売物価指数 1945/8 475.1 1949/5 37386.9 (79倍) 2014/6/8 2回目
0投稿日: 2012.11.27
powered by ブクログ(2012/11/25読了)正確にはkindle版で購入。日本の零細自営業(個人商店)の来歴を知るには面白い。まあただ、どのみち「再生の道」はなさそうだけど・・・・。
0投稿日: 2012.11.26
powered by ブクログ歴史や伝統の象徴とみなされがちな「商店街」。その「商店街」という概念が実は戦後の経済政策の中で作り出された、新たなコンセプトだった。そんな視点から、商店街の歴史――その生成と没落まで―をたどり、新たな社会に向けて「商店街」という存在をどのように考えていけばいいのかを考察した本である。 賛否両論あるだろうが、個人的には「あとがき」などで、著者自身の北九州の酒屋の息子であった経験が織り交ぜられている点が良かったと思う。研究者が自分自身の切実な思いをもって研究に取り組んでいる、という姿を最近あまり見ていなかっただけに、非常にしみいるものがあった。 この本で論じられていることの斬新さや意義はもちろんのこと、この切実さを、私は評価したい。
0投稿日: 2012.11.11
powered by ブクログ商店街というものが、安定雇用という政策で戦後作られ、その政策が協同組合などの欲に目が眩んだものによって自分たちの利益の為の制作へとねじ曲げられ、やがて商店街が没落していく過程が論じられている。今の政策が小手先で行われ大きな目標を持っていないことをあらためて感じ取らされる内容だった。
0投稿日: 2012.10.23
powered by ブクログ読むのにかなり苦戦しました。 自分の中の商店街は、地元の駅の裏にあるシャッター商店街と、地元で最大の権力を揮う百貨店のお膝元の商店街であり、どちらも過去の遺産というイメージです。しかしそんな商店街も実は百貨店よりも歴史の浅いものであり、百貨店とは敵対してきたというのは驚きでした。 自分は消費者の立場でしかないので、自分たちの立場を守るために、圧力団体として動く商店街を恐ろしく感じました。 タイトル通りの「商店街はなぜ滅びるのか」は詳しく説明されていて、というか詳しすぎるくらいでわかり易かったのですが、商店街の将来性については少し雑かなと感じました。
0投稿日: 2012.10.21
powered by ブクログ私は知らない街をぶらりと歩くことが好きなのですが、そこでよく目にするのがいわゆるシャッター通り。かつて賑わった街並みを想像してどうしてこうも寂れてゆくのかと疑問に思っていたところに、この本はまさにタイムリーな中身でした。学術書みたいなお硬い内容ですが、抑えるべき点はきちんと書かれています。歴史的な推移を基本として、日本の社会的変化に伴う経済や政策の変転に触れているので、だいぶ頭の中が整理出来ました。それにしても、この本の中身は商店街という地域に焦点を当てているにも関わらず、現代の社会保障システムの課題まで述べてあるので勉強になりました。コンビニは廃れないでしょうし、うまく商店街との共存が出来ればいいのでしょうが…
0投稿日: 2012.10.19
powered by ブクログ昨今の商店街の衰退は、単に時代の移り変わりに翻弄された不可抗力とはいい難い、どこか人間臭さが現れ出ているのだと感じました。 本書は、商店街の発明、繁栄、衰退を社会・政治・経済的見地から追い、商店街の未来を模索します。 注目すべき点は、商店街は、自然発生したのではなく、現存する多くの商店街は20世紀になって人為的に創られたということです。 20世紀初頭、都市部の急激な人口増加に対し、それを受け入れる雇用が十分でなく、それらの人々が生業とした零細小売商の貧困化させない目的で商店街という理念が生まれたということです。 戦後、零細小売商の爆発的な増加や百貨店業界の成長に対し、零細小売商は行政に規制や保護を求め、新百貨店法や中小企業団体法、商調法、商店街振興組合法などが制定され商店街は黄金時代を迎えることになりましたが、それは零細小売商が行政主導の保護政策に依存していくことに繋がりました。 こうした中、1960年代のスーパーマーケットの登場により、商店街はその出店に激しい反対運動を行うようになります。 さらに1974年セブン−イレブン1号店の出店を機に商店街は崩壊の道を一気にたどることとなります。 時代が移り変わっても、行政からの保護ばかりに期待し、既得権益を手放さない事業主は、結局、後継者も見つからないままシャッター店舗にしてしまったのです。 著者は、新しい商店街の理念として家族経営からの脱出と高度な専門化を挙げています。
0投稿日: 2012.10.10
powered by ブクログ商店街を前近代の残滓ではなく近代的なものである、として、農村から零細小売商が流れてきた端緒から商店街の形成、既得権益の獲得、規制緩和やコンビニによる崩壊、といった歴史を描く。近代的家族関係による商店の経営が問題、という指摘が興味深い。
0投稿日: 2012.10.09
powered by ブクログ商店街の盛衰について、戦前から戦後・高度経済成長期、そして現在に至るまで、主要な政策や法律等も合わせて解説した本です。私が住んでいる地区も含めて、商店街の衰退が起きていますが、後継者不足という問題が発生した経緯から説明してあり、興味深く読ませていただきました。 商店街が衰退しつつある現在において、今も頑張っている商店主さんには引き続きお願いしたいところですが、それらと駅に近いスーパーマーケットや、コンビニが共存してる方策について行政も考えてほしいと思いました。 また、商店街は昔からあるものでなく、20世紀初頭の都市化と流動化に対応して形成された人工物(離農者の受け皿)として発明されたもの(p26)というのは私にとって驚きでした。 以下は気になったポイントです。 ・零細小売商は、イエ原理だけでなく近代家族のもとで経営を行っているため、規模が相当に大きくならない限り、家族成員以外の者を経営に参加させなかった、商店街は地域に開かれている存在のはずが、それぞれの店舗は家族という枠に閉じていた(p29) ・離農者を中間化しようとする試みのなかで商店街という理念が形成、商店街の担い手は近代家族であり、事業の継続性で大きな限界があった(p30) ・離農者が増えた原因は、第一次世界大戦後、農村が長引く不況に苦しんだから、大戦終了後に欧州製品がアジア市場に戻ったため、離農者の多くは製造業などを営む近代的企業ではなく、零細小売業として都市で働き始めた(p53) ・第一次世界大戦後、不景気により中小企業が没落し、財閥に吸収される。1928年には法人資本金のうち、30.1%が、三井・三菱・住友の三大財閥系企業に占められた(p54) ・親方の元で働く工員は、企業が直接人材を募集するのではなく、親方が自分の郷里から集めた、親方ー徒弟という特殊な人間関係(組)を結んで、企業から発注された仕事を請負の形でこなした(p55) ・農村の人々は、単身者で都市に移動したというイメージがあるが、実際は世帯単位で都市に出ていき、零細の小売・サービス層に変わった(p57) ・三井呉服店(いまの三越)は、1900(明治33)年に本店の座売り方式をすべて陳列販売方式に変え、1904には気軽入れるようにショーウインドーを設置した(p65) ・商店街という理念は、零細小売商が対立していた協同組合、公設市場、百貨店の長所を貪欲的に取り入れつつ形成された(p69) ・明治期以来、日本政府は繰り返し酒税の増税を行った、当時の酒税収入は所得税よりも多かった、そのためそれまでタブーであった官による酒販店の統制となった(p90) ・東京都において、設立時期が昭和20年以前の商店街はわずか6%、多くの商店街は戦後以降に形成、その理由は、商店街関係の法整備(特に商店街振興組合法:1962)が進んでから(p97) ・第二次世界大戦で失われた国富は、終戦時価格で約1340億円、当時の41.5%、終戦直後の製造業生産は1935-37年平均の1割以下、鉱工業生産は1935年(昭和10)の2割強に落ち込んだ、それにも拘らず資金供給が膨らんだので猛烈なインフレとなった、闇市場では公定価格の30-40倍、小売物価指数は、1945=475.1は、1949=37386.9、つまり79倍という物価上昇であった(p99) ・終戦直後の日本は完全雇用を実現するに当たり、二つの社会的制約があった、1)労働力人口の急増(引揚者、農村の長男以外)、2)国際競争力を高めるため、第二次産業の雇用抑制(p104) ・完全雇用へ向けての努力として、1)海外移民の促進、2)家族計画による出産数の抑制、3)社会保障による女性・高齢化の非労働力化、を行ったが不十分であるため、さらに、第三次産業での労働力の吸収を行った(p105) ・ダイエーの中内は、大手製造業と特約店が協力して作った慣行を打ち破るべく、値引き販売を行った、最も強く反発したのが松下電器であった(p123) ・ダイエーと松下の戦いは、ダイエーが勝利した、消費者団体からの抗議もあり、価格統制が公正取引法に違反していることを認めた(p125) ・1970年代の猛烈なまでの人件費の高騰、1980年代の円高は日本労働者の賃金水準を高めた、これにより日本の国際競争力を高めてきた前提が崩れた(p134) ・日本の商店街が抱えていた最大の問題点は事業の継承性、商店街を支えるよりも家族の都合を優先した結果、コンビニが選ばれた(p141) ・日本の終身雇用制・年功序列的な人事考課は、資本論理というより、工業化以前の人間関係が企業に持ち込まれたもの(p145) ・大企業の男性サラリーマンは、専業主婦を抱え込むことによって、扶養・家族手当がつき、税制上も扶養控除などの優遇措置が得られた、1985年の年金改革では、男性サラリーマンと専業主婦に優遇措置が与えられた(p150) ・新しい年金制度は、その後の女性たちの働き方を強く規定した、この制度により主婦たちは年収130万円以上稼ぐことを避けるようになった、それ以上かせぐと、夫の扶養控除がなくなるだけでなく、年金保険料まで支払う必要があるから、だからパート労働の時給が上がる必要がなかった(p151) ・スーパーマーケットを経営していた大規模小売資本は、それまでの出店戦略を根本から変更した、具体的には、1)大店法の規制にかからない小型店の出店、2)フランチャイズチェーン展開、3)大店法の規制のかからない地域で大型点を出店(p179) ・日本流のコンビニの発明はみずからの陣営に零細小売商を取り込むためになされた、その特質は、1)コンビニの出店形態(土地建物を所有している零細小売商に経営まかせる)、2)情報機器を用いて顧客動向を知る必要から新製品が絶え間なく並べられる、3)30坪程度の面積、4)家族経営にあわせた長時間営業の制度、夫婦での共同経営が最低要件(p187) 2012年10月8日作成
0投稿日: 2012.10.08
powered by ブクログ商店街が滅びるまでの過程は論理的かつ分析的に述べられており十分に納得できる。 ただ、そこからの復興策については非常に曖昧でわかりづらく、実現も難しい気がする。 何よりも、時代に淘汰されつつある商店街を無理に存続させる必要性がどこにあるのか。
1投稿日: 2012.10.03
powered by ブクログ商店街を特に経済と政治の方面から分析されている。 いろいろな都市と郊外をめぐる問題の結果を知ってはいますが、その原因の一因にアメリカの影が見え隠れするのは面白い。 この本での解決策ではあくまでソフト面だけであるのは仕方が無いことだが、ハード面(建築)に繋げるヒントもなくはない。 商店街を考えるためには必要な内容が多々ある。
0投稿日: 2012.09.30
powered by ブクログ商店街は20世紀の発明物であるという著者の主張に、初めは「そんなの当たり前では?」との印象を持ったが、読み進めていくうちに、様々な政策の誘導、社会構造の変化と密接に関係していることがわかり、深みのある分析であることに気づいた。 特に商店街の衰退、後継者不足に影響した政策として、年金制度改革があったというのは新鮮であった。
0投稿日: 2012.09.29
powered by ブクログ上野先生の推薦で読みました。説得力がありました。いま、ここがどのようにして出来たのか?について立体的に理解出来ました。そして感じることは、日本の社会は政権交代してalternativeを試してみたものの残念ながら希望ではなく幻滅が多いということと、政党政治がうまく機能せず実務能力という政策選択という手前でずっこけてしまっていること、政治という大きな再分配に委ねても日本という国家が今のグローバルマーケットの中では競争力が強化できないこと、これからそのような状況打破のために地方分権が希望を持って語られるのだろうが、それは既に遅すぎる処方箋なのだろうということ、などです。しかしながら今を分析した上で、それでも尚、これからを生きていくために何が必要なのかという厚かましさというか図々しさが必要なように思うのです。だから日本はダメだなんてことは、いつでも言えるし、だから商店街は滅びたけれど、それを担った親達が悪かったかといえば、そうではなくその時の環境のせめぎ合いの中で必死だったのだ、ただもうそれだけだ、ということをこの本は伝えているように思います。企業に身分保証して貰う以外の、消費するだけではない自己表現を、東京以外の多様性を認めたり、再発見することが出来ないか?過去を否定するのではなく、それでも尚どうすれば生きていけるのか、考えていきたいと思います。
0投稿日: 2012.09.25
powered by ブクログかねてから地域社会のシンボルとしてみなされてきた商店街の衰退と凋落を、その成立と歴史を振り返りながら考察する。 商店街のレーゾンデートルをのぞき穴として個人の生活の根本である地域力を今後どうはぐくんでいくべきかを問う書。
0投稿日: 2012.09.24
powered by ブクログ商店街がたかだか1920年くらいからのものだということ。近代家族のありかたと関わっているということ。効率的ではないということ。でもそこに「災害ユートピア」のような場が出現したわけで。ではどうしたら維持できるのか。近代家族のありかたである所謂血縁だけで運営するのは無理だし、なによりサラリーマンと専業主婦と子供二人、という家族モデル自体が崩壊してるから、そういう街造りの中での存在は前提とはできない。そもそも「完全雇用」の受け皿のような役割を担わされていたところからしても、効率化とは相容れないものがあるわけだ。そもそも19世紀末の思想の田園都市構想をひきずっていては無理じゃないのか。
0投稿日: 2012.09.20
powered by ブクログ「滅びるのか」というより「滅びたのか」を論じた内容だ。商店街の勃興から現在の凋落まで、社会情勢や経済政策の変化、政治から見た日本の商店街の歴史を分析している。 古い、伝統的といわれる商店街は、実は第一次世界大戦後に零細小売商の増加のために発生した「新しい」ものとして捉える視点は新鮮だった。その後の第二次世界大戦後からの発展と既得権益化、家族形態の変化や流通革命による凋落、そして「商店街」を守らずに家族の都合を優先する商店主によるコンビニへの業態変更や過大な公共事業投資による都市の郊外化に起因する崩壊。 まとめればこれだけだが、中身では議論があっちゃこっちゃに飛んで中々読みづらい。政治や日米摩擦がどう商店街と関わるのかが一読では見えづらい。コンビニ化を商店街崩壊の要因の一つにあげてるが、商店街の中でコンビニを見ることは実は少ないのではないかという素朴な疑問もあった。 何はともあれ、歴史的な背景や位置づけの変化については興味深かった。
0投稿日: 2012.09.10
powered by ブクログ2012.08.28 商店街の歴史、生まれた背景など、これまで知らなかった商店街に関する知識を拡大することができた。
1投稿日: 2012.09.02
powered by ブクログ読了。 結構、目から鱗でした。 1. 「商店街」は古いというイメージは間違い。20世紀初め頃から百貨店の台頭と歩調を合わせて形成されて来た。(いわば「横方向」に伸びた百貨店) 2. その「商店街」が衰退する要因となったうちのひとつが郊外の幹線道路に出来たショッピングモールだが、それは公共事業とバブル崩壊の結果でもある。 3. 商店街衰退を招いたもう一つが「コンビニ」だが、大手量販店が大型店の出店からコンビニのフランチャイズに力を入れ始めた要因のひとつに皮肉にも専門店側が既得権益保護のために政治的圧力をもって推進を図った「大店法」と「小売商業調整特別措置法」があった。 4. さらに、専門小売店の「後継者難」がコンビニのフランチャイズ加盟を後押しし、商店街の崩壊を招く一因となった。 もちろん、ここで語られていることが商店街興亡史の全てではないが、なかなか新しい視点での考察を興味深く読ませてもらった。
0投稿日: 2012.09.01
powered by ブクログ新雅史のあとがきを読みながらワシは泣いていた。この感情を新と共有できたことを何よりの本書での収穫としたい。 内容的には小泉・竹中「改革」への批判が腰砕けなど著者の学問的立脚点の動揺性を反映して消化不良のところもあるが、何より生活点から商店街を把握しようとした新の学問的良心には心から拍手をおくりたい。昨今の若手新自由主義ひらめ学者の「マネジメント」洗脳から脱出する手引書。
0投稿日: 2012.08.30
powered by ブクログコンビニやスーパー,ショッピングモールに駆逐されつつある「古き良き」商店街。その繁栄と凋落の歴史,意義,将来を考える。 商店街の成立は20世紀初頭と意外に歴史は浅い。しかし20世紀日本の,豊かな都市自営業層を形成した点でその果たした役割は大だ。 近代化を経て登場した中心街の百貨店に対抗して,零細小売商が連合して地域の「横のデパート」が商店街だった。特に戦後は都市の拡大とともに,農村の余剰労働力を第二次産業とともに吸収し,自立した自営業者を数多排出していった。 それがいつしか大店法等の規制を求める既得権益層となり,消費者の心をつかめず衰退・崩潰していくことになる。実家も自営業だった著者はこの事態を憂えているが,地域の復権に商店街が果たす地元密着な関係を今も重要と見ている。 車と道路に頼る郊外型のショッピングモールにも当然限界はあるだろう。商店街の衰退にも一定の歯止めがかかるのかも知れない。
0投稿日: 2012.08.28
powered by ブクログマルクス主義を分析すると、資本家とプロレタリアート以外の、あらゆる第三者は除外される、はずであったのに、零細小売商という第三者が多量に発生し、そしていま崩壊していくというさま。 著者が商店街が「恥知らずの圧力集団」になったことが、成立から崩壊へのプロセスだった、ということを語ります。そういう表現をしながらも、著者は決して商店街憎しの人ではありません。自身も酒屋を実家に持ち、還暦を過ぎた両親はコンビニに転業して今も日夜働いていると。ショッピングモールやネット通販は、地域社会を形成できない。 ここでも、小泉構造改革による崩壊の加速と、東日本大震災による地域への揺り戻しが語られています。
1投稿日: 2012.08.26
powered by ブクログ第一に、商店街は伝統的な存在ではなく、むしろ、百貨店の成長に対抗すべく中小零細商が政府とともに作り上げてきた一つの理念であったということである。本書では「横の百貨店」についての当時の資料が様々に取り上げられている。このさい、単なる繁華街における商店街だけではなく、いわゆる街に根ざした商店街という考え方も取り込まれていったという点は、なるほど、商店街の今日を考える上で重要な意味を持つ。続きはブログ→http://hiderot.blogspot.jp/2012/05/blog-post_29.html
0投稿日: 2012.08.25
powered by ブクログ商店街はつぶれても、そこで働いていた人たちは郊外のショッピングモールで仕事をしているだろうから、シャッターを下ろしていても、中ではすき焼きを食べている。
0投稿日: 2012.08.24
powered by ブクログ日本の商店街が誕生し、現在にいたるまでまとめたものです。 近所の商店→コンビニ・スーパー→郊外型大型店と、時代とともに自分が買い物に出かける店が変化していったけれど。 それは偶然ではなく、そのように変化していった理由や時代背景が存在していて、分析されています。 自分が見てきた風景やライフスタイルの変化の様を追いかけることができました。
0投稿日: 2012.08.23
powered by ブクログ日本の小売りに限定して書かれた本。商店街の始まりと現在の衰退にかかる問題を時代背景、制定された法律を絡めて書いています。コンビニ化に関する話が面白かったです。
0投稿日: 2012.08.22
powered by ブクログ商店街とは、昔ながらの家族経営の小売店や飲食店が連なり、一大コミュニティを形成しているもの。というのが、商店街のイメージだろう。 しかし、著者はそんな「三丁目の夕日」もどきノスタルジックを一刀両断。商店街は政治・雇用政策が絡み合い、人為的に作られたものであると述べる。しかも、ここにきて「作られた」商店街の限界が露呈している。 ・家族経営のために、店舗継続ができない ・専門商店店からなんでもありのコンビニへ ・行政へ規制や補助を求める保守団体化 以上のような、要因により商店街は滅びつつある。もはや商店街は遺物なのか。著者は再生の道はある、と説くんだけど、その道はなかなか一筋縄ではなさそう。
0投稿日: 2012.08.12
powered by ブクログ実は新しい商店街(零細小売商が百貨店等の長所を取り入れ組織化し、大正期に成立)。その後の制度化・既得権益層化も沁みる。地域の自律に資する規制を再考する必要あり。
0投稿日: 2012.08.05
powered by ブクログ商店街に育ったので、興味のあったテーマ。 大規模なスーパーにつぶされたのではなく、家族経営、自民党政治による既得権益、コンビニエンスストアの展開によるものという部分には納得。 地域活性化、地元密着という点も含めて、形を変えて商店街には生き残ってほしいと感じるし、「どのみち生き残らない」という意見しかないヤツは、人間として魅力を感じない。
0投稿日: 2012.08.05
powered by ブクログ現在衰退しつつある商店街について、その衰退の理由を商店街の歴史を紐解くことによって明らかにする本。商店街の歴史は意外なことばかりだった。商店街が生まれたのが百貨店より後だったとは…。日本でのコンビニの発展の背景に商店街の跡継ぎ問題があったとは…。とにかく驚きが多い一冊だった。
0投稿日: 2012.08.03
powered by ブクログ商店街は再生しなければならない。街づくりにおいてよく聞かれるコメントだが、それは本当だろうか? 商店街の歴史的成り立ちと、農村から都市への人口流入、戦時下の統制経済といった経緯を経て、小規模小売店の集合体である商店街は一定の政治力を持つようになった。 イオンやコンビニが悪者だというステレオタイプな批判ではなく、求められる機能の変わった商店街がどのようにあるべきか。いずれにしろ、街づくりにおいて鍵となる存在であることは変わらない。
0投稿日: 2012.08.01
powered by ブクログあまり他の人が指摘していないことを多面的に追求している点で良い本だと思った。 ・高度経済成長、総中流社会の実現には、「雇用の安定」とともに「自営業の安定」が不可欠であり、両翼だった。1960-1980までに農業人口が急速に減り、都市(あるいは近郊)の雇用者(サラリーマン)と都市自営業者が増えていた図式。 ・商店街自体は戦前昭和の発明で、農村から都市に急速に入ってきた零細自営業者を統率する目的と、当時発展していた百貨店にヒントを得て専門店街をつくるアイデアだった。商店街は「横」の百貨店と呼ばれていた。 ・その後、都市計画の中で地域ごとに商店街が形成されるようになったが、零細自営業はその非効率的な経営から問題視されるようになり、既得権を主張する集団となった。自民党の強力な支持勢力となり、既存の百貨店、新興のスーパーマーケットや新規参入に対して好戦的になり、大店法による保護を受け、交付金による支援を受けた。 ・1990年以降、規制緩和により酒、米、たばこなどの自由化と、財政投融資によりつくられた道路沿いの近郊型大型商業施設の出現により、商店街はダメージを受け、コンビニ出店により危機感を募らせた小売業者は大資本に取り込まれ、壊滅的になる。 ・商店街は徒歩圏内にある(顔の見える)商業施設として重要であり、震災復興時にもそれは感じられたという。今後、自由競争の中で商店街が生き残る可能性は少なく、生活支援のための基本施設として保護、あるいはゾーニングなどの規制による保護、あるいは、若者の働きの場として運営する等の可能性がある、とのこと。 ・最後の展望は未だ苦しい感じだが、指摘されている事は重要で、大企業(あるいは中小企業)に入ることだけが就職ではないし、親の事業を引き継ぐことだけが自営業でもない。就職が困難な今こそ、働き方のバリエーションとしての自営業の誘導という視点もあっても良いと思う。 問題は、自由な市場主義経済の中で、生存意義を見いだせるかどうか、であって、それがなければ公立病院や公立施設がそうなってしまったように、理想は高いがお荷物の一つとなってしまう可能性もある。 ・商店街の対面販売はノスタルジーなのか?スーパーや大型店舗、ネット販売にないメリットとは何なのか?本当に非効率的な経営しかできないのか?これらの課題を克服できなければ、難しい。
0投稿日: 2012.07.29
powered by ブクログ自分が物心ついたときから、商店街は弱者で、大手スーパーに潰されるかわいそうな人たちというイメージだった。しかし、商店街こそ最初は利便性の高い場所を優先的に入手し、そこを家族だけで支配し、生産者(企業)と自分たちで販売価格を取り決めるなど、既得権を持っていた。そこをダイエーなどが切り込んでいき、「給料が上がっても物価を上げ続けていたら消費者はいつまでも豊かにならない。消費者の視点で価格を決定すべき。」と商店街に対抗していったそうだ。 歴史を知ったり、多面的な見方で物事は見ていったりしないといけないと教えてくれる本だった。
0投稿日: 2012.07.22
powered by ブクログ商店街というと 寂れっぷりが半端ではない 地元の商店街を思い出します。 一方で、地元になじんでいて まだまだ健在な商店街も。 「やり方」次第なのか 「運」なのか。。。 そもそも商店街というものは 古いものは江戸時代くらいから 脈々と続いてたんだろうと 思っていたのですが まあ、いろいろ国策による部分が大きいんですね。 著者の方が同年代で、似たような境遇ということもあって あとがきが、非常に印象深かったです。 大店法とか80年代くらいからの 政治の動きとの関連性をまとめたあたりも。 中内さんの本が読みたくなってしまいましたw
0投稿日: 2012.07.11
powered by ブクログ古くからあるように思われている商店街が、関東大震災から昭和恐慌へと続く不況の中で、横に伸びた百貨店という形で零細小売業の集結として誕生したというのは興味深い指摘だった。 そうして政府の規制と結びついて伸長した商店街は、しかし外からは郊外の道路整備によるロードサイド店、内からは一件で商店街の機能を代替するコンビニによって滅ぼされようとしている。それがどうした外因によるものなのかを丁寧に記述した、非常に興味深い一冊だった。 あとがきで、その商店街の一員である実家の家業を嫌っていた著者の気持ちが記されており、この本の記述の丁寧さに納得してさらに好ましく思えた次第だ。
0投稿日: 2012.07.11
powered by ブクログ名著。 社会学ありの政治経済ありの、びっくりの内容。 別に参考文献にはないけど、野口悠紀雄の1940年体制っぽく感じる所も一部。 歴史の部分に関してはほぼ異論なし。最後の解決案のところは少し議論が分かれるかもしれない。 ただ、70年代の時点でもう後継ぎがいないという状況だった理由がはっきり知りたかった。おそらく、その時期にはもう前近代的なものと見られていた、ということなんだろうけど。 あとがきは、似たような経験をしてきたのでたいへん共感できた。 新書でこのこクオリティはすごいと思った。光文社ってことで舐めてたけど、これからはちゃんとチェックしよう。
0投稿日: 2012.07.08
powered by ブクログ期待とはちょっと違った本でした…。マーケ視点ではなく、歴史と政治視点の話し。商店街というものがそういう歴史の中で生まれたもののようなので仕方がないのかな…。ちょっと読みにくく頭にも入ってきずらい…。
0投稿日: 2012.07.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
商店街は、百貨店(デパート)に対抗するために、20世紀になって「横のデパート」として発明されたものである。 流通の歴史から商店街を紐解いた一冊。 ターニングポイントだったのは、大店法。 流通の歴史を一通り学ぶにあたっては良書。
0投稿日: 2012.06.20
powered by ブクログ商店街は、1920年頃に発明された。 農村から都心に移住してきたはいいがサラリーマンにはなれなくて、しょうがなく生きるために商売を始めた人たちの生活を守り、かつ社会秩序を保つために商店街は発明された。 商店街は人々の利便から自然発生的に形成されたんじゃなく、明確な 意図でもって作られた。 始まりからしてそんなだから、後はほっておけば崩れていく商店街をどのように維持していくかということになり、大店立地法とか百貨店法とか協同組合とかで零細商店をどんどん保護していくこととなった。 保護した政府が悪かったのか(圧力はあったにせよ)、保護されたことに安住した商店が悪かったのかはわからないけれど、とにかく商店街は消費スタイルの変化に対応できず、スーパーが客を奪いコンビニが場所を奪い、商店主は家族にその仕事をうまく承継することができなかった。 「近くに商店街がありますよ」は「ここは便利ですよ」ということなんだけれど、商店街の衰退を見る限り、商店街は便利を提供しているわけではないことがわかる。実際に便利を提供しているのは商店街の中にあるスーパーやコンビニで、もはや「商店街」はイメージとしてしか機能しなくなってしまった。 シャッターになっていく商店街で、歯抜けになったシャッターのスペースに商店じゃない何かを差し込み、地域外の人を呼び込む。 そんな感じで陣取りゲームをしていって、面白い商店街ができたら面白いのにと思うのです。
0投稿日: 2012.06.15
powered by ブクログ正社員を基軸にした社会形成、家族に対する権益のため後継者が忌避。 昔からの、というイメージがあったけど、政策で作られたものだったとは。
0投稿日: 2012.05.22
