
総合評価
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powered by ブクログ市場主義、資本主義ってものに漠然とした嫌悪感があるけど、結局金持ちへの嫉妬なのかもしれない。 ほぼ全てが金でどうにかなる時代、どうにかならないものに焦点を当てて生きたいけどその時点で金に囚われている気もする、難しい。
0投稿日: 2025.11.05
powered by ブクログ世の中がここ数十年でいかに商業主義に蝕まれてきたかの実例が詰め込まれた一冊。人の生命すらギャンブルの対象に変えてしまうおぞましさを見た。
0投稿日: 2025.11.02
powered by ブクログ読書録「それをお金で買いますか」4 著者 マイケル・サンデル 訳 鬼澤忍 出版 早川書房 p169より引用 “実のところ、それだけではない。一二週間 ほどしてから保育所が罰金を廃止しても、上 昇した新たな遅刻率はそのままだったのだ。 お金を払うことで、迎えの時間に遅れないと いう道徳的義務がいったん蝕まれると、かつ ての責任感を回復させるのは難しかった。” 目次より抜粋引用 “市場と道徳 行列に割り込む インセンティブ いかにして市場は道徳を締め出すか 生と死を扱う市場” 哲学者である著者による、経済学の市場原 理が人の日常生活に及ぼす影響について論じ る一冊。 行列に並ぶことについてから公共物への名 付けについてまで、値段が付くことがどのよ うに作用するかの多くの実例を挙げてかかれ ています。 上記の引用は、保育所のお迎え遅刻と罰金 に関する一節。 一度壊れてしまったものは、完全に元に戻す のは難しいようです。形のあるものでも、修 復した跡が残るのに、目に見えないものは、 ちゃんと元に戻ったかどうかも、確かめられ ません。 お金を払うことで商品として扱うようになる ことは、思っている以上にリスクをはらんで いるものなのかも知れませんね。 経済市場がどれ程人の日常生活に影響と変 化を与えるのかが、多くの実例を示して書か れているので、説得力が高く感じ取れます。 どのような物事になら、お金を使って介入し ていいのかについて、考える元になる一冊で はないでしょうか。 姿形の無いものにお金を使うときは、よく よく考えて使いたいものです。 著者は哲学者であるためか、人は考え続け ることで良い方向へ動くものだと、信じてお られるような感を受けます。 しかし、作中で示される事例を見ていると、 考えれば考えるほど強欲になっていく人々も 居るものではないかと、思わざるを得ませ ん。 ーーーーー
1投稿日: 2025.10.22
powered by ブクログ多くのことがお金になったこの時代で、大事にするべきことをよく教えてくれる本である 仮に全員が経済的に得することであったとしても、社会的規範という側面を考えていきたい
0投稿日: 2025.08.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
行き過ぎた資本主義は、全ての物をお金で取引できる市場主義へと変えてしまった。お金の為に人身売買や臓器売買までもが需要と供給によって成り立ってしまう場合だって有るのだ。そこには道徳やモラルが歯止めになる事もあるが、当事者同士が双方利益を享受出来るとしたら、そして市場として成り立ってしまったら、そう考えると恐ろしい世界になってしまうだろう。イスラエルの幼稚園では、時間になっても子供を迎えに来ない親を如何に減らすか、対策として罰金を設ける事にした。結果はどうだろう?意に反して子供を迎えに来ない親が増えてしまった。親たちは、罰金を料金と受け止めてしまったのだ。 などなど、色んな考えさせられる事例がこの本には挙げられている。「これから正義の話しをしよう」の著者マイケル・サンディルの行き過ぎた市場主義に疑問を投げかける素晴らしい本だ。
8投稿日: 2025.03.31
powered by ブクログ自分の周りにある様々な"お金に結びつくもの"(例えば広告や企業のロゴなど)やビジネスモデルについて、社会へ浸透させる上での限界点を考察した一冊。 経済的に見ると合理的な事が人間の感情によって不合理になっていく様子が書かれており、どこまでだったら自分らの生活に入り込んでも大丈夫か、お金お金し過ぎて気分を悪くする人が増えないかなど、社会へのお金(ビジネス)の訴え方について、社会/個人とのバランスが非常に大事であることを改めて考えさせられた。
0投稿日: 2025.02.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
十数年前にサンデル教授の「正義論」を学び、 議論し続けることの大事さを訴える実践的な講義に感銘を受けました。 今回この著書をあらためて読み、 政治哲学を経済学との関係で考え議論することが不可欠であることを再度学びました。 すべてが売り物になる懸念として挙げられていた2点は、 1、公正の議論:お金のあるなしがあらゆる違いを生み出す 2、腐敗の議論:あらゆる領域の価値観を侵食する 不平等、格差、公平についての倫理基準の考え方は、経済と政治を議論するうえで主要なトピックであるように思いますが、 本書では、とくに2点目の腐敗の議論に焦点を当てられています。 商品なると腐敗、堕落したりするものがある。これについて考えます。 商品とは、金銭的に取引ができるもの。 実際には、売買できるものとしてあらゆる物の価値が適切に測られるわけではない、はず。 でも現代社会は、どんどんあらゆるものやことを財務情報化したり、商品化していっている。 それにより何が失われているか、失われているものがあるかさえ、考える間もないままに。 「市場経済」が「市場社会」になるとき、私たちが被る代償は。 ___この30年のあいだに起こった決定的な変化は、強欲の高まりではなかった。そうではなく、市場と市場価値が、それらがなじまない生活領域へと拡大したことだったのだ。こうした状況に対処するには、強欲さをののしるだけではすまない。この社会において市場が演じる役割を考え直す必要がある。市場をあるべき場所にとどめておくことの意味について、公に議論する必要がある。この議論のために、市場の道徳的限界を考え抜く必要がある。お金で買うべきではないものが存在するかどうかを問う必要がある。(本文より) … - 腐敗の議論 英語だと、”corrupt”。 サンデル教授が強調する市民としての「美徳」との関係で考えると、 道徳的な価値を低減させるー”diminish their value”ことを意味しています。 ___われわれは、腐敗というと不正利得を思い浮かべることが多い。だが、腐敗とは賄賂や不正な支払い以上のものを指している、ある財(善)や社会的慣行を腐敗させるとは、それを侮辱すること、それを評価するのにふさわしい方法よりも低級な方法で扱うことなのだ。公聴会の入場料を取るのは、この意味における腐敗の一種である。(本文より) 経済学は、道徳的議論を含まない市場原理を理論立ててきた。 この領域は、公的生活を扱うものではなかったはずが、 今やこの経済理論が公的生活を支配するようになっている、道徳理論を書いた領域に公的生活をゆだねる状況になっていることを懸念しています。 あらゆる物事に効率を求める傾向にある社会状況を考えると、印章論としてもとても説得力があります。 近年はやっている行動経済学も、前提として、人間が選択肢のコストと利益を比較検討する、あらゆるものに経済的価格があると考えること。 経済学的アプローチはあらゆる人間行動に当てはまる包括的なものだという議論は、 ゲイリー・ベッカーの『人的資本』 (1976出版 )に代表される、シカゴ派経済学にたどることができ、 その合理的な人間観が、今もなお、強固なものとして現在にも浸透しているのですね。 理論の力すごい、と改めて思う。 人間の合理的判断は例外、と疑い始めてもいい状況にあるように思いますが、 金融危機など経ても、そこまでパラダイムはシフトしていないということなのですね。 - インセンティブを疑う 「インセンティブ」がますます使われるのは現代社会の特徴でもあったのですね。 もともとそうではなかったのか。 インセンティブをつけることで、 私たちが持っている本来の動機が書き換えられてしまう。 保育園のお迎えお迎え時間を有料化(追加料金を払って遅くに迎えに来る親が増えた)する事例はよく取り上げられていますが、 経済理論に則った制度設計が人の動機を動かす、重大な責任ある行為であることをあまり自覚できていないのが現状。 罰金かインセンティブか、その選択にも道義的責任を伴う。 だから、その制度設計によって、どのような姿勢が強化されるかをきちんと考慮する必要がある。 たとえば価値観に裏打ちされた制度設計がなされているフィンランドの事例が紹介されていました。 「共通善への貢献を含む道徳的配慮によって、ときとして価格効果が打ち消される」、それを象徴するスイスの核廃棄物処理施設の住民投票(補助金を払うとなると市民の反対が高まった)の事例。 動機がすり替わる場合とそうでない場合は、どのような違いがあるのだろう… 市民的義務感、教育、規範、などが関係してくるのかな、と思ったりしました。 プロセスも大事なのかもしれない。一人ではなくて、周りとのかかわりの中で行為を選択したり考えを定めていく部分もありそうだし。 だから、何が優位かきまっているわけでもないのかもしれないけれど、 価格が設定されていたら単純に一番明確な判断軸として、デフォルトで採用するのかもしれない。 たっぷり払うか、全く払わないか、のどちらか、 という話は、なるほど、そうだな、と思ったり。 ボランティアでするか、たくさん給料もらってするか、どのどちらかが一番やる気が出る。 中途半端に安い給与で働くことになったら、もともと持っていたやる気もなくなるような経験、あるなーと。 - どこまで商品化するかという倫理 本来すべてに価格をつけているわけではないのに、金銭的インセンティブにより、金銭化する、あらゆる関係性、人間関係も市場関係化する。 「商品化効果」(ヒルシュ)については、これまでも論じられてきていて、 それは、内的動機を消す、締め出し効果がある、ということ。 一方で、 商品化は性質を変えない、逆に寛容や利他、市民的義務は有限である、というような意見もあることも紹介(経済学者ケネス・アロー、デイビッド・ロバートソンなど)。 実際、商品化の闇は倫理的領域にまで浸透していて、それを人生や死の商品化を取り上げ、リアルに論じられています。 アメリカでは、従業員保険が1990sから発展し、さらに広まって2000年代頃には政府の規制も出てくるものの、歯止めかからずに突き進んでいった。 2009年のWSJ紙では、 「…結局、生命保険が遺族のためのセーフティネットから企業財務の戦略にいかにして変質したかという、ほとんど知られていない物語なのだ」 という議論がなされています。 そのほか、テロの先物市場、 バイアティカル産業、 ライフセトルメント産業、 スピンライフ型保険生命保険、とその二次市場死亡債… など、 大手の証券会社(GSなど)もこのビジネスに乗り出しているという事実。 人の生死を商品化することの倫理はどこまで考えられているのか。 と疑問を投げかける暇もなく、 さらにこの領域のビジネスは発展していっているのでしょうね…。 ビジネス戦略の倫理性を問うような問題は、日常にも広がっている。 広告プロダクト・プレイスメント、 命名権や自治体マーケティングにも触れられています。 - 市場は社会規範にその跡を残す 失われるものがないかを考える必要がある。 商品化により何が失われてしまっているのか。 この問いへの思考停止こそが、今日の資本主義の問題ともいえそうです。 サンデル教授は言います。 マネーボール市場の効率性を高めることが美徳ではない。 責任ある環境倫理にもとめられる自制や犠牲の共有の精神が蝕まれる。 世界がどう動いているのかを説明する経済学が、世界がどう動くべきか、という道徳的領域に侵食している。 まずこれを自覚し、 実際にビジネスに取り組むときには、 出口戦略としても、線引きをまず意識したらいいのかも、 そして、フィンランドの教育の例にもあったように、 金額や金銭的利益が究極の目的や決定的達成指標とならないようにすること。 それ以外に、もっと大事なものがあることを制度設計側だけではなく、利用者側にも共有されるような設計と運営をすること。 美徳。 徳ある人間として一人一人が生きるだけではなく、 徳ある社会を皆で作っていく一員でありたいと思いました。
1投稿日: 2024.08.07
powered by ブクログお金があればなんでもできる?できそう、でも何かが違う。そんな例をいくつも紹介。買えるが倫理を失う。色々な事例紹介があり、それに対する筆者の感想をまとめた本。よく言えば広い知見、悪く言えば淡々と事例を述べてるだけ。総合的な評価は普通かなぁ
0投稿日: 2024.05.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2012年刊。 それをお金で買いますか?というテーマの一例… ・刑務所独房の格上げ…一晩82ドル ・インド人代理母による妊娠代行サービス…6250ドル ・米国移住権…50万ドル ・欧州で企業が1トンの炭素を排出する権利…13ユーロ ・製薬会社の安全性臨床試験で人間モルモット…7500ドル この世であらゆるものにプライシングされ、お金さえ払えば大体のものは買えるのだ、という態度について考えさせられる。 いい指摘はしているが、翻訳本なので読みづらく、読書中何度も眠くなった。 機会あれば再読して価格をつけることのモラルについて考えたい。
1投稿日: 2023.06.17
powered by ブクログ市場主義の問題について、実際に行われている市場取引の例を挙げて述べている本。 まず驚いたのが、そんな事をお金で取引しているの?と思う事例が非常に多かったこと。じっくり読むと取引する双方にメリットがある内容なのでなるほどと思うが、道徳的には?と思うものが極めて多い。世の中は知らない事ばかりだなぁと改めて痛感した
0投稿日: 2023.05.06
powered by ブクログけっこう前に出た本だが、普遍的なテーマを扱っているので、今読んでもいろいろと考えさせられる。 これまで価値のなかったものに値段がつけられ、需要と供給が生まれたケースは、今も増え続けていると思う。 本の中で扱われた列への割り込み、命名権などは、今日本でもそれほどの忌避感もなく受け入れられているような気がするし、自分自身、ユニバーサルスタジオでファストパスを買うことや、映画館で少し高い値段を払って周りの人が気にならないボックス席をとることを、それほど疑問には思わずに過ごしている。けれど、それがもともと無料の、慈善事業コンサートなら同じことは思わない。似た事柄でありながら、その溝は以外に深い。裏を返せば精神的な違和感ほどにその事柄は相違がないのだ。そのことにはっとした自分がいた。 経済は大事だし、経済が上手くいっていればたいていのことは解決するものだと、私は思っている。しかし、鈍感になってはならない。自分を戒めた一冊だった?
1投稿日: 2022.08.13
powered by ブクログそれをお金で買いますか?汎用的なものかと思ったが、市場にウェイトのある本でした。日本というより世界向け。期待のベクトルが違かったので星三つです。
0投稿日: 2022.03.27
powered by ブクログ「実力も運のうち」が面白かったので、サンデル教授の過去本を読んでいます。 お金と道徳という問題。お金で買う・売るという行為が入ってくることで、道徳的な「善」が失われてしまう。 腎臓、幼児、入学試験、爵位、スポーツ選手のサインなどなど。名誉とされるものも売買対象になると。。。 チケットを転売する。腎臓を売る。物事の解決策として「市場」を用いる経済学者。経済学的には全員がハッピーだが、人間の道徳・心では引っかかる。。 その引っかかる部分を主張すると古いと言われてきたのが、この30年、市場万能の新自由主義時代だったのかと思いました。この市場万能主義に翳りが見え、最後の学歴万能への警鐘が、新刊「実力も運のうち」だったのかなと思いました。
2投稿日: 2021.09.08
powered by ブクログ「ハーバード白熱教室」「これからの『正義』の話をしよう」のマイケル・サランデルの経済と市場と倫理の話 何度も読み返したり、読み直したり、考えたりしすぎてなかなか読み終わらなかったけどやっと読み終えた~というか読んだだけなのかもしれん。 私たちの生活に密着した「市場主義」 世の中にお金で買えないものはない?ある? 買えるもの ・刑務所の独房 1晩82ドル ・インドの代理母による妊娠代行サービス6250ドル ・絶滅の危機にあるクロサイを射撃する権利15万ドル ・主治医の携帯電話の番号 年に1500ドル~ あとは、逆にもらえる方法 ・ダラスの学校で1冊本を読むと2ドルもらえる ・体のどこかに広告を出す777ドルもらえる などなど… 世の中に値段のついていないものはない… 「需要と供給」「ギブアンドテイク」で成り立ってるならいいじゃん~ これが市場自由主義の世界だ~ という声が世の中にある いやいや…果たしてそうなんだろうか? マイケル・サランデルはこの本の中でこういう例を出している 「国立自然公園にゴミを捨てる人に罰金を科す。じゃあ金持ちはお金を払うから国立自然公園にゴミを捨て放題でもいいのか?」 これってすごくわかりやすい お金払ってるから何してもいいだろ的なことを主張する人はたいがいこんな感じの俺なりの理屈を通す。 「道徳の売買」の恐ろしさ 後半は生命保険の話をしてるんだけど これもまた考えさせられる 知らないうちに人は「お金」と「市場」に踊らされていて 「道徳」「倫理」を売り買いしているのかも いや、結局「正義」の話なのか… いや~この本あと100回ぐらい読まないと ちょっと私では浅すぎてちゃんと理解できてないかもしれん… うむむ…また読もう。
9投稿日: 2021.08.31
powered by ブクログ2012年の作品。その時点で市場主義が蔓延る結果としての市民の分断を指摘している。 市場主義をどこまでがよく、どこからが悪いとするかは道徳の問題としており社会によっても時代によっても違うのだろうと思った。
0投稿日: 2021.05.23
powered by ブクログ【感想】 われわれはなぜ転売ヤーを疎ましく思うのだろうか? 転売ヤーへの批判は、主に次の2通りに分けられる。 1つ目は、転売を挟むことで価格がつり上がり、供給者から転売ヤーに利潤が吸い上げられているという批判。2つ目は、転売によって本当に欲しい人に品物が届かなくなるという批判だ。 しかし、この2つとも有効な批判とは言えないだろう。 1つ目の批判に対しては「自由主義的」な観点から擁護できる。モノを売る会社の一方的な値付け価格では、市場価値が正確に反映されていない。買い手の需要と売り手の供給とが合致した結果としての「転売価格」が、むしろ正統な値段であるという擁護だ。 2つ目の批判に対しては、「本当に欲しい人とはいったいだれを指すのか?」という観点から擁護ができる。本当に欲しい人とは、市場の性質を考えれば、他者よりも多くお金を払う人だ。転売ヤーから言わせれば、安すぎる商品に人が殺到することこそ「欲しい人の気持ちを考えていない」行いになる。そこで転売ヤーが適切に高い価格で再販することで、どうしても欲しい人と商品の橋渡しをするのだ。 結局のところ、どちらの言い分も一長一短である。 本書では、この2つの観点から市場主義を問うのは効果的ではないと述べている。 では、サンデル氏はいったい何に着目したのか?どうやってこの禅問答のような議論を崩しにかかったのか? それは、「善き行いか?」という観点からの批判であった。 ライブチケットを転売する人は、チケットを買うことが目的であり、ライブ自体を楽しみだとは思っていない。言い換えれば、歌手への尊敬に欠けている。 これは日用品でも同じだ。例えばマスクの転売である。マスクの転売が批判されるのは、転売ヤー本人が「マスクを自分で使おうとは思っていないこと」つまり、「マスクを買うための目的が倒錯している」ことにある。 これらはどちらも「善」に関する議論だ。買う人間に対して、「それを買うのにふさわしい態度を身につけるべき」という批判をする。この批判をもとに、あらゆることを市場化することへの警鐘を鳴らす。 当然ながら、これは経済学の領域では論じきれない。経済学では、ものを買う目的を俎上に載せることはない。また、この批判は「では、善とされるものの定義はなにか?」という道徳的な議論を行う必要がある。その難しさから、「あまりに理想主義すぎる」という反論も起こりうるだろう。 しかし、経済学に倫理を持ち込むことは、確実に必要である。 何故か。 それは、あらゆるものに価格をつけるという行為が、「下から上への再分配」を生み出し、格差を拡大するからだ。 累進課税に代表されるように、社会には多くを持つ者からあまり持たない者へと資源を再分配するシステムが取り入れられている。それは格差の是正と、資本主義を過熱しすぎないようブレーキをする役割を持っている。 しかし、今まで価値のつけられなかった(無料であった)ものに値段をつけるという行為は、持たざる者が手にしていた「機会」を、金に換えてそっくりそのまま売り渡すことになる。持たざる者の「機会」を買う値段は、持つ者にとっては微々たる金額だ。そこで起きるのは平等な「等価交換」ではなく一方的な「分配」であることは言うまでもない。 そうしてなにより、機会の値付けの際に「選択肢」を持っているのは、裕福層側であるのだ。 金による解決は、社会にとって決してよい結末を産まない。 であるならば、――日常領域に市場が侵食してきたように――善という「非市場的な概念」を市場に持ち込むことこそ、過熱した資本至上主義を止めるのに必要なものなのだ。 ──────────────────────────────────── 【本書の概要】 市場や商業は触れた善の性質を変えてしまう。われわれは、市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所はどこかを問わざるを得ない。そして、その問いに答えるためには、善の意味と目的について、それらを支配すべき価値観についての熟議がかかせない。 格差が広がる時代に、あらゆるものを市場化するということは、格差がますます広がることを意味する。市場をその持ち場にとどめておくための唯一の頼みの綱は、われわれが尊重する善と社会的慣行の意味について、公の場で率直に議論することだ。 【本書のまとめ】 1 市場が日常に侵食してきている 代理母、デザイナー卵子、環境汚染権の売買、大学への入学権など、かつては値段をつけられなかった物すべてが売り物となる社会が来ている。 お金で買うことが許されるものと許されないものを決めるには、社会・市民生活のさまざまな領域を律すべき価値は何かを決めなければならない。日常生活における市場の役割と範囲を考え直さねばならない。 最初に、この本の結論を述べる。 それは、生きていくうえで大切なものの中には、商品になると腐敗したり堕落したりするものがあるということ。したがって、市場がふさわしい場所はどこで、一定の距離を保つべき場所はどこかを決めるには、問題となる「善」――健康、教育、家庭生活、自然、市民の義務など――の価値をどう図るべきかを、問題ごとに議論する必要がある。 2 行列に割り込む 遊園地のファストパス、行列に並ぶ「並び屋」、診察券のダフ屋、コンシェルジュドクター。「先着順」という行列の倫理は、「安かろう悪かろう」という市場の倫理に取って代わられつつある。 「金で順番を買う」ことへの擁護は、主に次の2パターンが挙げられる。「市場は買いたい人と並びたい人の効用を最大化させる」という擁護と、「買い手と売り手の自由意志を妨げてはいけない」という擁護だ。 しかし、ここで財の配分方法に関して議論するのは、適切ではない。問題は「善」に関することがらなのだ。 無料で行うコンサートに「並び屋」が並べば、我々は快く思わない。これは価値無きモラルに「市場価値」をつけることで、ある財における「善」を腐敗させるからだ。無料コンサートはまったくの商品でも、市場財でもない。にもかかわらず、そうであるかのように扱えば、コンサートを貶めることになる。 だからこそ、われわれはダフ屋や行列屋を疎ましく思う。それは、かつては「良識」の範囲内で楽しんでいたものごとが、金銭によってその倫理的価値を歪められたからなのだ。 3 インセンティブ お金を払って避妊手術を受けさせる。いい成績を取った子に賞金を与える。タバコをやめた人にお金をあげる。 健康的な行動と引き換えに賄賂を渡すことは、一見winwinに見えるのに、贈収賄であるという非難が当てはまるように思えるのはなぜだろうか。 それは、金銭的動機によって、ほかのよりよい動機――学ぶことへの悦び、肉体の健康への正しい姿勢――を排除するからである。 言葉を変えれば、市場のせいで、出産や勉強や禁煙が「どう扱われるべきか」という見方が変わってしまうのだ。 ●罰金と料金の違い イスラエルのとある保育園が、迎えに来る親に罰金を科すことに決めた途端、遅刻が倍増した。今までは、遅れてきたときに「良心の呵責」を感じたが、今では「お金を払えば預かり保育を延長してくれる」という心理に変わってしまったのだ。 これと同じことが、より広範で国際的な取り組みである「排出量取引」でも起こっている。 善への罰である「罰金」が、しかじかをする権利である「料金」に変わってしまい、よりモラルから逸脱することがありうる。市場の範囲が、非市場的規範の律する生活領域に広がると、標準的な価格効果は失われてしまうことがある。 端的に言えば、規範が重要なのだ。市場に任せることで効率化が進んだとしても、ときにそれは責任ある倫理に求められる「自制」や「自己犠牲」、「良識的マナー」の意識を傷つけ、行動を悪化させる危険があるのだ。 したがって、ある善を商品化するかどうかを決める際には、効率性や分配的正義の先にあるものを考えなければならない。また、市場的規範が非市場的規範を締めだすかどうか、締め出すとすれば、それが配慮に値する損失かどうかを問わなければならない。 われわれは、金銭的インセンティブの効果を予測するだけではなく、道徳的な評価――そのインセンティブが、守るに値する姿勢や規範を蝕むか否か――を下す必要があるのだ。 4 市場が道徳を締め出す お金で買えるが、そうすべきではないものがある。友人やノーベル賞の売り買いは、お金で買えるが善が台無しになるものであり、臓器や子供の売り買いは、善はなくならない(お互いが納得した上で取引するため)がほぼ確実に腐敗するものである。 市場での評価と取引によって堕落してしまうという善がある。市場が非市場的規範を締め出し、より低俗な規範に取って代わってしまうのだ。 5 生と死を扱う市場 バイアティカル投資、用務員保険、生保賭博など、「ある人が死ぬかどうか」に賭ける金融商品がある。 たいていの人間は、死ぬ確率に賭けるギャンブルを道徳的に不快なものとみなす。しかし、ギャンブラーが当事者を苦境に陥れず、ただ遠くから賭けを楽しんでいるだけならば、なぜ非難されるいわれがあるのだろうか。 死の賭けがあるまじきものだと仮定すれば、その理由は市場の論理を超えた、そうした賭けに現れている「非人間的な態度」にある。 ときとして、われわらは道徳的に腐敗している市場慣行と共存する道を選ぶ。それがもたらす社会的善のためだ。生命保険はこの類の妥協の産物として始まった。しかし、生と死を扱う現代の巨大市場が証明しているように、保険はギャンブルとの境界線があいまいなものになろうとしている。市場の範囲が非市場的範囲を飲み込もうとしているのだ。 あらゆる「低俗」とみなされる市場還元には、2つのパターンがある、一つ目は「強制と不公正にかかわるもの」もう一つは「腐敗と堕落にかかわるもの」だ。そして、前者だけ議論しても決着はつかない。大切なのは、後者について論じる場を設け、どこまでに値をつけてよいか社会の中で決定していくことだ。 なぜそうした議論が必要なのか?それは、自由主義や功利主義といった従来の経済学のパラダイムでは、市場的思考や市場関係が人間のあらゆる活動に侵入してくる世界の何が問題なのかを説明してくれないからだ。こうした状況の何が不安をかき立てるのかを説明するには、腐敗や堕落といった道徳的な語彙を使う必要がある。そして、腐敗や堕落について語るには、「善き生」という概念を避けては通れないのだ。
8投稿日: 2021.04.28
powered by ブクログ2012年の作品。「これからの正義の話をしよう」が大ベストセラーになった、サンデル教授の1冊。こちらも面白いですね。 行きすぎた市場主義。本来は道徳的に、社会規範的に取引の対象になってはいけないはずの物事にまで、市場主義の影響が及ぶ。取引可能な汚染許可証、貴重な野生動物の狩猟権、血液や臓器の売買、公共財の命名権、生命保険の売買によって人の死までもが取引の対象に。。 リーマンショックで、行き過ぎた市場主義に警鐘が鳴らされたはずなのに、トランプ政権的な流れの中でまた、社会正義は軽視されるようになり、そしてまたバイデン政権で揺り戻しが起きようとしている。サンデル教授は、どこまでが市場主義が入っていい分野なのか、社会的な議論をしっかりと進めなければならないと主張されていますが、この大きな流れをみると、揺れ動きながらもアメリカ社会は、ちゃんと悩んでいる印象もあります。 一方で、日本はどうなんだろう。ゼロリスクを好む国民性もあって、行き過ぎた市場主義にはなっていないとは思うのだけど、正面からの議論が苦手な国民性もあるので、社会的なコンセンサスは構築されていない。だから何か起きると扇動的なマスコミの報道にも影響されて、極端な方向へ全体が流されがちということも言えるかもしれません。
1投稿日: 2021.02.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「金で買えないもの、買えるが買うべきでないものはどこに線引きされるべきか」 ハーバード大学名物教授による市場主義の問題提起。 ・良かった点 2012年出版。世相を見るに慧眼だなーと。日本はアメリカより10年遅れる、とよく聞くけど予言書みたいな現実に「おわ~~」と呻きながら読む。「金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ」って漫画にもあったよなー。 ・よくなかった点 「ファストトラック」「インセンティブ」「非市場的規範」「商業主義」・・・問題の根っこは同じなので早めにまとめに入ってほしいのですが結構堂々巡りしていて長い。あと多分「お金で買えない道徳的・市民的善というものがあるべき」という論旨なんだけど、ならばそれをどうやって普及していくか、そこまでは言及していないのであくまで端緒。 総評 切り口は面白いが話が長い。 このままだと多分市場の失敗がどうしようもなくなるまで、各々が欲望のままに非市場的領域を踏み荒らして不毛の地を作るんだろうなあと。一方最近、地球規模の良心的運動・SDGsが流行りなのは激しさを増す商業主義への揺り戻しなのかなーという気も。 とりあえず個人でできることといえば「それはちょっとね・・・」という自分のラインで都度NOということくらいかなぁ。みんなやってる、そんなのやせ我慢だ、って馬鹿にされそうな流れでも、守るべき一線があればそれは最終そんなに悪い選択肢じゃなかった、と思えるようになればいいのだけどどうだろう。
0投稿日: 2021.02.13
powered by ブクログ1.最近になってますますお金の重要性が増してきた現代ですが、豊かな人ほど「お金は必要ない」と言っています。なぜここまで貧富の差が激しくなったのか、なぜお金が人の心を惑わせてしまうのかが気になったからです。 2.市場主義が浸透し、すべてが市場原理に委ねられ始めた昨今ですが、それに伴って大きな問題が2つあります。まず、公平性の問題です。本書では行列に並ばなくてもプレミアムを払うことで先に行けるシステムが導入されています。それによって、金銭に余裕がある人は進んでそれを支払うことで、生活に余裕を持たせていきます。一方、貧しい人は永遠に待つことになります。これにより、本来は業道で会ったシステムが崩れていくことを指摘しています。次に、腐敗の問題です。昔から裏口入学が問いただされていますが、まさに腐敗の証拠と言えます。金さえ払えばどうにでもなるという考えが蔓延し、施行することや競争させることを避けてきてしまったがゆえに、生じる問題があります。 このように、お金が全てになりつつある社会に対して、改めて問いかけるのが本書の役割だと思っています。 3.貧富の差が拡大してきた大きな理由は、中流階級が貧しくなっていくことだと考えました。今まで出費をしなくてもよかった部分に出費せざるを得ない状況になりました。すると、必然的に支出が上がり、貯蓄率は低下してきます。これにより、生活費の負担が上昇し、貧しくなってしまう構図だと思いました。
3投稿日: 2021.02.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
なかなか難解な一冊でした。 社会経済と道徳をどう考えるかというのが本書の大きなテーマ。 その中で、第1章では「行列に割り込む」、第2章では「インセンティブ」、第3章では「いかにして市場は道徳を締め出すか」、第4章では「生と死を扱う市場」、第5章では「命名権」を例にあげ、経済学的に金銭でそれを購入することと、道徳的にそれはどうかということを論じている。 奥が深すぎる。 説明 内容紹介 国民的ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』のサンデル教授、 待望の最新刊登場! 現代最重要テーマに、教授はどう答えるか? 結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにして共に生きたいかという問題なのだ。 (本文より) 私たちは、あらゆるものがカネで取引される時代に生きている。民間会社が戦争を請け負い、 臓器が売買され、公共施設の命名権がオークションにかけられる。 市場の論理に照らせば、こうした取引になんら問題はない。売り手と買い手が合意のうえで、 双方がメリットを得ているからだ。 だが、やはり何かがおかしい。 貧しい人が搾取されるという「公正さ」の問題? それもある。しかし、もっと大事な議論が欠 けているのではないだろうか? あるものが「商品」に変わるとき、何か大事なものが失われることがある。これまで議論され てこなかった、その「何か」こそ、実は私たちがよりよい社会を築くうえで欠かせないも のなのでは――? 私たちの生活と密接にかかわる、「市場主義」をめぐる問題。この現代最重要テーマに、国民 的ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』のサンデル教授が鋭く切りこむ、待望の最新刊。 著者について マイケル・サンデル(Michael Sandel) 1953年生まれ。ハーバード大学教授。専門は政治哲学。ブランダイス大学を卒業後、オックスフォード大学にて博士号取得。2002年から2005年にかけて大統領生命倫理評議会委員。1980年代のリベラル‐コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミュニタリアニズムの代表的論者として知られる。類まれなる講義の名手としても著名で、中でもハーバード大学の学部科目「Justice(正義)」は、延べ14,000人を超す履修者数を記録。あまりの人気ぶりに、同大は建学以来初めて講義をテレビ番組として一般公開することを決定。この番組は日本では2010年、NHK教育テレビで『ハーバード白熱教室』(全12回)として放送されている。同講義を著者みずから書籍化した『これからの「正義」の話をしよう』は、日本をはじめとする世界各国で大ベストセラーとなった。 訳者略歴 鬼澤 忍(おにざわ・しのぶ) 翻訳家。1963年生まれ。成城大学経済学部経営学科卒。埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了。おもな訳書にワイズマン『人類が消えた世界』、サンデル『これからの「正義」の話をしよう』『日本で「正義」の話をしよう』(以上、早川書房刊)『公共哲学』、バーンスタイン『華麗なる交易』など多数。
0投稿日: 2020.10.03
powered by ブクログお金で買えることと、買っても良いということは違う。何が良くて何が良くないのか、それぞれ自分自身で考えて生きていかなければならない。
4投稿日: 2020.07.28
powered by ブクログやはり、深い著書だった。 一つひとつの事象を突き詰めると、お金で買って良いものと良くないものがあることがわかる。 普段、そのことを意識することができない。 市場の力は、とてつもなく強い。 意識することが、大切。 市場は立派な嗜好と低俗な嗜好を区別しない。 オフセットは危機をもたらしたりもする。 購入者が気候変動に対してそれ以上の責任はないと考えてしまうのだ。
0投稿日: 2020.04.26
powered by ブクログ再読。ちょうどコロナ騒ぎの時だったので、以前とはまた違って考えさせられる。JUSTICEでもそうであったが、社会、人間、その他の生物やモノに至るまで、在るべき姿、良き姿というものは、存在していて欲しいと考えるし、それを考えること、議論する事をやめてはならないと思う。マスクを欲しがる人がいる限り、どんな値段で転売しようと構わない、という意見が確かにあるこの国は、果たしてこの本に書かれている、御伽噺のような商業主義を笑えるのだろうか。
1投稿日: 2020.03.15
powered by ブクログ社会の仕組み、在り方、正義について、誰かに教え込まれるのではなく、自身で考える力を身に着ける礎になると思います。
0投稿日: 2020.03.10
powered by ブクログさすが自由の国アメリカ、経済至上主義の何でもアリ感が突出していて笑えてしまう。何でもカネにかえてしまう品の無さは華人の比ではないと感じた。テーマとしてはどこの国にも通ずるものはあるが、歴史や伝統が薄い国では道徳の規範も緩いのかもしれない。 高名なマイケル・サンデル自身も、図書館で延滞したら申し訳なく感じるが、レンタルビデオ屋なら延滞料払うから遅れても良いだろう、との認識である。日本人の道徳観であれば返却の約束を守って然るべきかと思うが・・ サブプライムローンも金融会社の何でもアリが原因であって、お金儲けが全てという道徳性の低下は社会全体に悪影響を与える。 「これからの正義について・・」よりも読みやすいと思った
0投稿日: 2019.12.18
powered by ブクログ組織としても個人としても向き合うべきテーマだと思う。 まだ途中だが、お金を払う事で様々な事が腐敗していくという点は、共感する。
0投稿日: 2019.09.02
powered by ブクログタイトル通り、世の中にこれをお金で買うものなのか?何が問題なのか? 考えさせられる。 需要と供給という経済観点だけで片付かないことが多すぎる…
0投稿日: 2019.06.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
値段がつかない、つけられないものにも広告や先物としての価値を見出だし、間接的に値付けされ始めている現実を問う。 「ランナーがホームイン。セーフです。 安全と安心の、ニューヨーク・ライフ」 興ざめしてしまう中継中の広告が、当たり前と感じる世界になるのか。
0投稿日: 2019.06.01
powered by ブクログお金で買えるものは何か、お金で買うべきでないものはあるか、あるとすればそれを決めるのは何か、そんなお話。 世界では突拍子もないものに値段がついている。驚くような例がたくさん出てきた。 一番印象に残っているのは、「薬物中毒の女性が不妊手術か長期の避妊処置を受ければ、300ドルの現金を与える」という慈善団体の話。その目的は不幸な赤ん坊の誕生を未然に防ぐこと。 当然ながら、猛烈な批判の声がある。では何が問題なのか?と議論を深めていく。 また、値段を設定することで、意図した効果の真逆になることもある。 ・(イスラエル)保育園の迎えに遅刻する親が多い問題に対し、罰金制度を設けた結果、遅れる親が増えた。お金を払うことで後ろめたさが消え、延長料金で延長する権利を買っている感覚になっている。 ・(スイス)ある山村で、核廃棄物処理場の建設を受け入れるか?というアンケートを取った。条件なしの場合と、村民への補償金を提示した場合とで、なんと後者の方が賛成は激減した。公共心(国に貢献する気持ち)が浸透している場では、金銭的インセンティブは逆効果になることがある。自分は賄賂に動かされたりしない、と。
0投稿日: 2019.02.24
powered by ブクログマイケル・サンデルによる、経済的合理性の追求が、人間本来の倫理観や慈しみを腐敗させていくという論の本。 帯からして、重厚なメッセージ。 「金融危機の際に『強欲さ』が一定の役割を果たしたことは確かであるものの、問題はもっと大きい。この30年のあいだに起こった決定的な変化は、強欲の高まりではなかった。そうではなく、市場と市場価値がそれらがなじまない生活領域へと拡大したことだったのだ。 こうした容共に対処するには、強欲をののしるだけではすまない。この社会において市場が演じる役割を考え直す必要がある。市場をあるべき場所にとどめておくことの意味について、公に議論する必要がある。この議論のために、市場の道徳的限界を考え抜く必要がある。お金で買うべきものが存在するかどうかを問う必要がある。」
0投稿日: 2018.12.09
powered by ブクログハーバードのサンデル教授による経済と倫理観について述べられた本。市場至上主義により何もかもがビジネスの対象となり、不公平と腐敗を招いていることを説いている。白熱教室で学生と討論した時と同じく、数多くのことをケーススタディ的に取り上げており、わかりやすく、かつ興味深く読めた。 「絶滅の危機に瀕したクロサイを撃つ権利:15万ドル、主治医の携帯電話の番号:1500~2万5000ドル/年、製薬会社の安全性臨床試験で人間モルモットになる:7500ドル、連邦議会議事堂前の行列に並ぶ:15~20ドル/時間、成績不振校で本を1冊読む:2ドル」p12 「あらゆるものが商品となってしまったせいで、お金の重要性が増し、不平等の刺すような痛みがいっそうひどくなった」p20 「「早い者勝ち」という行列の倫理には、平等主義的な魅力がある。それはわれわれに、特権、権力、富といったものを無視するよう命じる。われわれは子供の時分「順番を待ちなさい。割り込んでは駄目だよ」と言い聞かされたものだ」p60 「(保育所で、親が迎えに来るのが遅れることについて)この問題を解決するため、保育所は迎えが遅れた場合に罰金をとることにした。すると、何が起きたと思うだろうか。予想に反して、親が迎えに遅れるケースが増えてしまったのである。以前であれば、遅刻する親は後ろめたさを感じていた。保育士に迷惑をかけていたからだ。今では迎えに遅れることを、そのために進んでお金を払うサービスだと考えていた」p96 「われわれは贈り物として受け取る品物の価値を、費やされた1ドルにつき、自分で買う品物より20%低く評価する」p144 「全米退職者協会はある弁護士団体に、1時間あたり30ドルという割引料金で、貧しい退職者の法律相談に乗ってくれるかどうかをたずねてみた。弁護士団体は断った。そこで退職者協会は、貧しい退職者の法律相談に無料で乗ってくれるかどうかをたずねた。今度は弁護士団体も承諾した。市場取引ではなく慈善活動への取組を要請されていることがはっきりすると、弁護士たちは思いやりをもって対応したのである」p172 「(献血を有料化したことによって献血者が減少したことについて)「献血を商品にして利益を得ることによって、自発的な献血者を追い払ってきたのだ」人々が血液を普通に売買される商品とみなしはじめると、献血に対する道徳的責任を感じにくくなる」p175
1投稿日: 2018.11.04
powered by ブクログ「これからの『正義』の話をしよう」のマイケル・サンデルの本です。今回は市場原理主義の話。 しかし、何か読みづらかったですね。翻訳のせいかもしれません。 それでも書かれていることはなかなか凄いです。さすが強欲資本主義国家アメリカです。もう何でもかんでも買いまくる。アホらし。こんな国に生まれなくて良かったと思った。 でも一方でこのサンデル教授のような人もいるわけで、その辺はアメリカのバランスなんでしょうか。 世の中に金で買えないものはあるか?という問に対する答えは「Yes(ある)」です。それはこの本を読む前からわかっていることではありますが、でも、人のエゴが暴走するとこんな事になってしまうんだなぁ、と驚きながら読めます。
0投稿日: 2018.10.13
powered by ブクログ図書館で借りた本。タイトル通り市場主義が蔓延る現状に疑問を投げかけている内容。時間をお金で買うのは普通にある現在。インセンティブのやり過ぎは方向性を間違えたら道徳や倫理感が欠けてくる。死を商品として扱う市場、公共機関への民間の広告への疑問など事例紹介がたくさんあった。サンデルさんが野球好きなのは好感持ったが、レンタルビデオを延長返却で罰金払った話でビデオ屋に怒ってたけど、借りるの待ってる人がいるかもしれないから期日までに返せよ、怒るなよ。と思ったよ。
0投稿日: 2016.10.04
powered by ブクログ有名な本。遊園地の割り込み権にはじまって、いろいろなモノが売り買いされている現在の経済に関する指摘。例は豊富で非常に興味深いが、根底には次の2つに集約される。不平等と腐敗だ。というわけで、解析パートは単調だが、事例研究として考えてみるに値する問題が多く紹介されている。
0投稿日: 2016.09.18
powered by ブクログ2000年代に急速に日常生活に浸透してきた市場主義の是非 広告などの日常生活に入ってきた市場主義が道徳的にどういう問題があるのか,公正さと腐敗という二つの異論を示して問題を投げかけている。 具体的には以下のテーマを扱っていた。 * 並び屋・転売屋 * インセンティブ(学業奨励金,ビデオレンタルやスピード違反,カーボンオフセットなど罰金と料金の違い) * 贈り物やスピーチ,寄付,献血, * 生と死を扱う保険産業 * 命名権,広告,自治体マーケティング 市場主義は道徳を前提に成り立っている部分がある。 例えば,核廃棄物処理場の選定,寄付金集め,保育所への迎えの遅れ,など非市場的な状況にお金を導入すると,人々の態度が変わり,道徳が締め出される。 自由主義の強いアメリカでは,日常生活に強く市場主義が入り込んできている。具体的には,広告。施設の名前,スポーツの実況アナウンス,ドラマ,小説,学校教育,はたまたボディペイントなど。日本ではまだ入り込んできていないものまである。 こうした市場主義に対して,公正さと腐敗の2点から著者は異論を唱えている。 公正さ:不公正な取引条件が発生し,不平等な条件での売買への反対。 例:臓器売買などは,金持ち有利。 腐敗:善そのものと規範。 例:赤ん坊の養子売買。 市場主義が常に悪ではないが,市場主義が適している場面と,適さない場面が存在する。例えば,ビデオレンタルは金儲けなので延滞金を課して,利益を上げればいい(料金)。しかし,公共図書館や保育園などでそれを行うと,罰としての意味が薄れてしまう。 この「公正さ」と「腐敗」の二つの視点は,市場主義が適しているかどうか見極めてどう判断するかの役に立つと思った。
0投稿日: 2016.07.17
powered by ブクログ「ー」 これか「正義」の話をしよう、のサンデルさんの本。これからの、が面白かったので読んだ。本書は私には面白くなかった。サンデルさんは道徳が普遍的なものだと考えている。そして、それは彼が考える道徳こそが世界で通用するものだと。しかし、道徳は場所、世代、その瞬間で変わるものだと私は思う。だから、彼が本書の中で、彼の道徳を押し付けてくるのが嫌だった。 生命保険の売買を投資の道具にする話はとても勉強になった。
0投稿日: 2015.10.24
powered by ブクログコンサートの行列に割り込むために人を雇いお金を払う 生徒が読書をしたらインセンティブを払う 色々な実例をきっかけに、市場主義の広がりが公共の善を「腐敗」させるという問題を投げかけている。 お金のないひとがコンサートを見れない、裕福な人が有利になってしまう、という不平等の問題だけで片付けられない、もう一つの問題。 経済学の専門書を読んでいなくても、高校生くらいで分かる文章で書かれているので、爆発的に流行ったわけもわかった。 考えを深めるためには、経済学と倫理学の重なる境目をひもといて行かないといけないだろう。
0投稿日: 2015.07.02
powered by ブクログ市場主義が行き過ぎたらどうなるのか?市場主義vs社会道徳・市民善はどこで線引きされるのか?と言ったことを考えさせられる内容でした。 アメリカで実際にあった様々な事例(どんなものが売られていて、どんな反応であったのか)が紹介されていて興味深かった。 <覚えておくこと> ・罰金vs料金 ースピード違反の罰金→スピードを出すための料金 (お金持ちほど犯罪を買えることに繋がらないか) ー保育園の迎えが遅れることに対する罰金→延長料金 (遅れることへの罪悪感をなくす。実際遅れる人が増えた) ・値段を付けることは、公平性をなくす、腐敗を招くことにもつながる場合がある ー行列への割り込み券 ー読書した子どもにお金をはらう、臓器売買 ・値段を付けることは相手の公共的善・思いを踏みにじることにつながる場合がある
0投稿日: 2015.06.24
powered by ブクログゼミで輪読しました。 身近にある様々な市場。それはお金で取引されるべきなのかを道徳的観念や市場の腐敗などを盛り込みながら考えていくという本。 実際にアメリカや中国で行われているような市場取引などが取り上げられている。 例がいくつも挙げられているため理解しやすかった。勉強になる一冊。
0投稿日: 2015.06.23
powered by ブクログ白熱教室で提示された問題事例が、いろいろ。 お金を払って利便性を買うのか、金がある人だけが優遇されるのか・・など、考えさせられる。
0投稿日: 2015.02.23
powered by ブクログ2014/11/24読了。 市場主義の限界というテーマは、非常に奥深い。紹介されている例は議論に適した極端な例、いわば限界の境界に位置すると考えられるものであるが、議論となっている「市場が不平等と腐敗をうむ」というテーマは、全ての商品や経済に通じるものであると感じた。
0投稿日: 2014.11.24
powered by ブクログ市場原理主義に対して、具体的な事例を挙げながら、倫理的な面からの考察をしている。 事例が秀逸で、非常にわかりやすい。 倫理的に許される範囲なのかどうかの線引きは明確にはしていないが、そこはコミュニタリアニズムのサンデルらしい落としどころ。 良著。
0投稿日: 2014.09.11
powered by ブクログバイアティカルの醜悪さと、生命保険との意外な近さ。それでも厳然としてある違い。等々、お金で評価することそれ自体が価値を壊してしまうお話。
0投稿日: 2014.08.27
powered by ブクログ消費者の立場に立つと、我々の生活が徐々に市場主義に冒されてきたことを思い知らされる一冊です。 その一方で、企業の立場に立つと、市場主義の蔓延の片棒を担いできたことも、思い知らされました。 なお、この本のキーワードは「善」「公平性」「腐敗」。 すべての説明において、これらがしっくりきたわけではないですが、少なくとも、そういう視点から見えてきた市場経済の姿は、今後、消費者の立場としても、企業の立場としても、参考になりそうです。
0投稿日: 2014.06.14
powered by ブクログマイケル・サンデルの新著。正義について考えた前著に比べて、市場主義が倫理的に(正義的に?)考えて、どれだけ正しいかを検証している本。 前著の方が多くの哲学的な問題を例題を通して考えさせるような気がしたが、今回は市場主義ということで新しいことと、人間の根幹にかかわるよりも、今の少し頭の良い人がお金に換算して、考えてしまう方法についての考察かなと思った。 全5章を通して1つ言えるのは、世の中の事象では、お金に換算してはならない領域があるということは確かだと思った。あとは答えがないグレーゾーンがあることもまた確かだと思った。
0投稿日: 2014.03.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
最初は、「お金を使わず丁寧に生きる」啓もう書の類だと思って、サンデル先生ってそんなことも書いてるんやと読み出したら、ちょっと違う内容。 なんでもお金で買える世の中なんだなぁ、せやけど、それを売ったらアカンのとちゃうか?ってそういう本である ・絶滅危惧種黒サイをハンターが撃つ権利 ・主治医の個人携帯に24時間電話をかける権利 ・名門大学への裏口入学権 ・ジャンキーが避妊手術を受ける ・妊娠代理権 ・遊園地での行列割り込み権 ・渋滞時に優先車線を走る権利 ・消防車やパトカーに広告を載せる権利 ・学校を含ぬ公共施設の命名権 ・高齢有名人がいつ死ぬかをかけるギャンブル ・難病患者の生命保険を買い取る権利 これらすべて実話、金がすべての世の中になってきているなぁとうんざりげんなりしてしまう。先生は何が問題かという考えのヒントはくれるが、解決策を提示してくれるわけではない。そこは考えろという突き放し方なんだろう。 「そこには金を使いたくない、そこに金を注ぎこむあの会社の商品は使いたくない」そういう価値観をもって各個人が金の使い方をしっかり考える。今できることはそれなんだと思う。 そこはもう個人的な価値観の世界である。後は広告に惑わされないようにする。世の中広告が多すぎて俺たちの感性がマヒしてるところは否めない 、意識して広告に浸りすぎない環境に身をおいてみることも大事じゃないかと思う。 良く考えると、冒頭の「お金を使わない素敵な生き方」って類の本も、2000円ほどのお金を使って買うようになっているのが資本主義・市場主義の世の中である。矛盾や違和感なんてどこにでも溢れるぐらいに転がっている。
0投稿日: 2014.01.25
powered by ブクログ本書であげられる事例はかなり論争的なもので、多くの人が不快を感じると思う。 でも「不快だ」で終わってしまわずに、その不快感は何に由来するものなのだろう、と考える。そして、そこにある経済と道徳の本質的な問題を浮かび上がらせる。 それは著者の真骨頂でもあり、哲学のエッセンスだとも思うんだ。 哲学の「有用性(いい言い方ではないけど)」を感じることができる。 「正義」の頃はなんかタレントみたいな扱いで一般にも「ああ、なんかテレビでてるおじさんね」みたいな雰囲気が漂ってしまった感があるんだけど、実はすごい人なんですよ、サンデル先生は。
0投稿日: 2014.01.25
powered by ブクログなんでも売れる世の中。売買できるもの、できないもの、できるけどしてはいけないものに分類し、自由、平等・公正、道徳・腐敗の観点から論じている。具体例が豊富でわかりやすい。 幼稚園の迎えに遅刻すると罰金を課す制度にしたら返って遅刻する人が増えたとか。延長料金と解釈されてしまったのね。 モラルは下がるのか、道徳の概念が変わるのか、売ってはいけないものの範囲は今後もどんどん狭まるのだろう。
0投稿日: 2013.11.23
powered by ブクログ市場効率を突き詰めていくとどうなるか。今最もそれが進んでいるアメリカにあって、さまざまな事例を紹介しながら如何にそうした行為が人々や社会の規範を貶め、美徳を損なっていくかを示唆していく。日本だって今後同じような道をたどっていくのかそれはわからない。日本ではサンデルさんの役割を内田樹さんが担っているように思う。まだ内田さんの本が売れているうちは日本人の道徳観もまだ捨てたものではないと思うのだが・・・。
0投稿日: 2013.11.18
powered by ブクログ昔では考えられなかったようなものが、 現在においては市場取引の対象となっている。 本書で例に挙げられているのは、 道徳的に問題があるような商品ばかりなのだが、 効用があることを考えると 絶対にだめなものだとは否定できないなぁと。 あと、金銭的インセンティブがかならずしも有効ではないという事例は 非常に興味深い。
0投稿日: 2013.11.12
powered by ブクログ昨今、世の中の多くのことが市場でお金を介し取引されるようになってきている。 人の命、性、その他もろもろ。 お金で取引することが適切なのかどうか。 道徳・善、に関わるものはお金で取引することをやめるべきかどうか。 この本では、体系立ててこの命題に答えを出すことはしていない。 様々な例をあげて、問題を提起するのみ。 それでいいのかもしれないが、そこが不満。
0投稿日: 2013.11.01モノの価値。仕事の価値。
モノの価値とは? 基本的にアメリカの話なので、日本ではまだ起きていない市場主義による弊害であったり、起きうる問題について議論していきます。 モノの価値は?仕事の価値は?というのは、誰もが一生考えるテーマかとは思います。 基本的には、需要によってモノや仕事の価値は決まるのですが、これってこの価格でいいの? と思うことはしばしばあります。 「これからの正義の話をしよう」が幅広い話なのに対し、こちらはタイトルの通り市場主義の話メインです。サンデル教授の
0投稿日: 2013.10.22
powered by ブクログ人の生死、生命の分野を飲み込みつつある市場主義。その侵食のスピードにどんどん抵抗を感じなくなってゆく。 道徳と経済の関係性。どんな隙間にも入り込む広告。格差社会の中では自由な選択など無いのか。
0投稿日: 2013.10.17
powered by ブクログ生命保険に携わる人は、第四章は必読。保険の歴史、従業員保険、バイアティカル、保険の証券化商品などをモラルの観点から考えることができる。
1投稿日: 2013.09.29市場至上主義は是か非か
少し(結構?)前に流行った「ハーバード白熱教室」のサンデル教授の新刊。サンデル教授の本は他に『これからの正義の話をしよう』(早川書房)と『公共哲学』(ちくま学芸文庫)を読んだが、本書はちょうどその中間、『これからの正義の話をしよう』よりは硬く、『公共哲学』よりは分かり易い。なので順番としては『これからの正義の話をしよう』の後に読むのが良いかもしれない。ただし政治哲学の入門書的な位置づけであった『これからの正義の話をしよう』とは異なり、本書では具体的な思想家の名前や「○○主義」といった言葉はほとんど出てこない。より身近なテーマ、命題を扱い、そのことの是非を肯定側、否定側双方の見方から紹介している。政治哲学の歴史に興味がないなら本書から読むのも良いだろう。 本書で取り扱われている問題のなかには、そのまま日本にも当てはめることができる問題もあるが、そうでない問題もまた多い。そうした問題の存在そのものから見えてくるのは、アメリカもまた極めて特殊な国であるということだ。アメリカでは今、何が問題となっているのか、何故問題なのか、そのことからアメリカ社会の一端を窺うことができよう。以て他山の石とすべし、である。
2投稿日: 2013.09.27市場主義って一体何なのか
お金の持つ意味。行き過ぎた市場原理は世の中をおかしくしていった。だがそこに厳然たるルールがある訳でもなく違反を犯してる訳でもない。そんな現代社会において貨幣も持つ意味というのを考える機会になるかもしれない。 道徳、倫理観、ややもすると経済活動からは見失われがちなそれらの価値観は踏み外した時大きな混乱を招くことになる。そして世界がその混乱に向きつつある今一人一人が考えるべき時期にきてるのかもしれない。
0投稿日: 2013.09.25
powered by ブクログ境界線上の問題設定がうまいので考え始めるきっかけに良いが、問題解決はしないし、しようともしていない。それが哲学というスタンス。 アメリカの病巣はますます深く、一部はすでに、そしてなおも徐々に日本に侵蝕してきている。
0投稿日: 2013.09.22
powered by ブクログアメリカで売買されている様々なモノに驚愕しました。 金銭を与えることで読書を推進しようとしたり、命名権の売買だったり、有名人が自らのサインをオークションにかけたり・・・。 さらには、今年はどんな有名人が亡くなるのかをネット上で賭けたり。 行き過ぎで怖いです。 なにが正しいのか、規範意識を持つべきボーダーラインはどこなのか、そういった議論を行うことが議論されなくてはいけないのでしょう。
0投稿日: 2013.09.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
行列に割り込む権利を売ったり、成績の良い子供にお金を渡したり、人が死ぬことにお金を賭けたりといった、経済活動と倫理の関係を議論している。アメリカではこんなものまで売られているのかと驚く。訳がよく翻訳本にありがちな読みにくさがない。
0投稿日: 2013.09.04
powered by ブクログあらゆる場面で市場主義が現れることの何が問題なのか。豊富な事例を通じて、1.自由な市場を支持する立場 2.公正さを重視する立場 3.道徳を重視する立場 が浮かび上がってきます。サンデルは3の立場から、道徳や価値について熟議されてこなかったことが、市場主義の日常生活への侵蝕を招いたのではないか?と言っていると思います。
0投稿日: 2013.08.30
powered by ブクログ『これからの「正義」の話をしよう』のマイケル・サンデル教授が市場主義と倫理の問題を扱った本。原題は、"What Money Can't Buy: The Moral Limits of Markets"でもう少しストレートに道徳上の観点から市場主義を批判していることを示している。 サンデル教授の授業をTVで見たが、事例が豊富で対話での対応が非常にうまい。本書でも市場で取引される微妙な事例が多数取上げられている。『正義』では、その事例の判断を読者に委ねるところが多かったが、本書では踏み込んで市場主義を倫理によって制限すべきであるとする著者の立場を鮮明にしている。その点は『正義』の方が抑制的であった。 サンデルの問題意識は、「市場と市場価値が、それらがなじまない生活領域へと拡大したこと」にある。その事例として非常に多くの具体的な事例を挙げている。 ・刑務所の独房の格上げ ・インドの代理母による妊娠代行サービス ・絶滅危惧種のクロサイを撃つ権利 ・ディズニーランドのファーストトラック ・主治医の携帯電話の番号 ・CO2排出権 ・額のスペースを広告に貸し出す ・ソマリアやアフガンの傭兵 ・公聴会の席取りのための行列並び ・生命保険の買取り ・セックス ・腎臓 サンデルは、市場主義にその根拠として「不平等」と「腐敗」を挙げる。倫理において「腐敗」を論じるとき、何らかの論理的跳躍が必要になる。「市場はものを分配するだけでなく、取引されるものに対する特定の態度を表現し、それを促進する」という観点は正しく重要だ。保育園での迎えの時間に遅れた場合に罰金を徴収することとなったとい逆に遅刻する親が多くなったというエピソードは、意図と反対の結果になったとともに直感的には意外ではあるが、よく考えると当然のことのようにも思われる。値付けをして金銭に替えることができるものとすることで、それまでの倫理的な義務の性質が変質した例である。しかし、「生きていくうえで大切なもののなかには、商品になると腐敗したり堕落したりするものがあるということだ」ということの間にはまだ大きな間隙が存在しているようにも思う。 市場と道徳についての考え方について、サンデルの意見に完全に賛同できるわけではなく、どちらかと言えば市場にまかせてしまった方がいいと思う範囲は広いように思うが、いずれにせよ提起されている問題は切実であり、検討に値するものだ。 柄谷行人がかつて資本主義は選択できるものではないという意味で「主義」ではない、といったことを思い出した。当時の状況で柄谷がどこまでのことを意味していたのか分からないが、市場を否定しても、市場社会から抜け出ることはもはやできないという意味で捉えた。 サンデルは、市場の論理が生活から道徳的議論を排除する方向に向けることを危ぶんでいる。市場自体は倫理や道徳について判断を下さないからだ。そう主張するときに、柄谷のことを思い出す。
0投稿日: 2013.08.05
powered by ブクログ「それを売買するのはどうなの?」と思う反面「何がが悪いのか?」と言われると明確に反論できない物もあると思います。 そういった道徳と商取引の間にある疑問を色々な事例を元に紹介されています。 仕事をしていると自然と疑問に思う事から、この本で指摘されて始めて気づいた事などもありました。 社会人としてみなが意識を持たないといけない問題なのでは無いかと思います。
0投稿日: 2013.07.22
powered by ブクログ市場経済と倫理の問題をまとめた本。 サンデル教授の本は面白いのですが、自分にとっては、なぜか「ぐいぐい引き込まれる」感じはない。
0投稿日: 2013.07.14
powered by ブクログタイトルまんまというか、そんなものも売ってるのか、買えるのかというのが面白い本。経済学うんぬんより、よくそんなもの売ろうと思ったなという商売根性と、道徳的にどうなの、売る側も買う側もどういう環境でどういう経緯でどういう基準でそれを売ろうと決意したのかが気になるし面白い。 本書で取り扱っているのは、主にアメリカの市場に存在している驚くべき「売り物」に関するもの。 すべて実在するし、売る側もいれば買う側もいるという事実がちょっと日本人の感覚からすると不思議に思えてしまうようなものばかりです。 たとえば、行列の「順番」の価値。 遊園地で超人気のアトラクション、行列の最後尾には「○○分待ち」の文字。 そのアトラクションに乗るために、倍の金額を払えば、列をすっ飛ばして優先的に乗る権利を得られる。要は並べば誰でも乗れるアトラクションに対し、追加の金を払うことによって時間を買って待たずに乗るということ。 遊園地に限らず、行列に並ぶ商売、医者の予約の転売など、「時間」が必要になるものを「金」で売るという行為が、アメリカでは実際に行われている。 でも、日本ではそんな商売がないだけで、もし「順番」が妥当な価格で当たり前のように「販売」されていたら、物によっては買ってしまうのは想像できる世界かなと思います。 なんにせよ、大切なのは売る側もいれば買う側もいるということ。だからこそ成り立つわけで、適切な価格で取引をし、当事者以外に他者の権利を侵食していないなら特に大きな問題として取り扱う必要なないんじゃないかなとさえ思われる。 問題は「倫理的」にどうなのかなということ。キーワードは「不平等」と「腐敗」のふたつ。 読んでいて単純にショック、というかもう現実味さえ感じられなくなったのが、生命保険の買い取り産業。 人の命を取引の道具にできる人が市場のために実際に売り買いしている。もう、この事実だけでも「不平等」と「腐敗」のふたつは集約されているように感じます。道徳的なブレーキはどこでかけるべきか、今の行き過ぎた市場主義はどこでブレーキが壊れてしまったのか。考えさせられるし、アメリカで実際に存在しているこれらの市場、日本に入ってきたらどう思うか。そんな意味でも面白い一冊でした。
0投稿日: 2013.07.12
powered by ブクログ「実際、市場が侵入してきた領域ー家庭生活、友情、セックス、生殖、健康、教育、自然、芸術、市民性、スポーツ、死の可能性の扱い方ーの多くについて、何が正しい規範なのか、意見が一致していない。だが、私がいいたいのはそこだ。市場や商業は触れた善の性質を変えてしまうことをひとたび理解すれば、われわれは、市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所はどこかを問わざるをえない。そして、この問いに答えるには、善の意味と目的について、それらを支配すべき価値観について熟議が欠かせない。」問題提起としてはいいけど、結局、売る側と買う側の道徳的退廃や後ろめたさの起源が何で、市場主義の限界領域がどの範囲で、その境界侵犯がなぜそしていかになされてしまっているのか、その部分が明らかにされなかった印象がある。世界が自分自身に突如牙を向くとしたら、それはどこからで、その時にどうしたらいいのか、答えは見つからない。その時に自分が何を買うのか、あるいは買わざるをえないのか、または買えないのか、真剣に考えるには、リアリティがないのは、自分にそこまでの想像力がないからだろう。
0投稿日: 2013.07.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
市場の論理に照らせば、売手と買手が合意の上で、双方がメリットを得るのだから、どんなものを取引しようが問題ない。しかし、金で取引されることで失われるものがあるとサンデルは語る。それは取引されるモノが道徳に関わる時だと。 例えば人の生命に関わる話であり、医療を受ける優先順位が金銭によって取引されるべきなのか。例えば、人の死によって他人が特をするような用務員保険やバイアティカルは、他人の死を賭けの対象とし、他人の死を望むような許されざるギャンブル=デスプールと何が違うのか。 そして、興味深いのは、保育園で親が子供の迎えに遅れたら罰金を科して遅れをなくそうとしたという話で、罰金を科したら逆に遅れる親が増えてしまい、その後に罰金をなくして元に戻そうとしても、遅れる親の数は元に戻らなかったという話だ。罰金を払うことで保育園に迷惑を掛けるという罪悪感は軽減されてしまい、一度軽減された罪悪感は簡単には戻らないということだろう。つまり、金で取引されることで失われた何かは戻ってこない。これを「腐敗」という。 そして、道徳は愛情と同じように使うほどに育つものだとサンデルは語り、美徳は供給に限りがある希少資源であるから市場にできることは市場に任せて、美徳の消耗を抑えるべきだと言う経済学者達を切って捨てる。 愛情が消耗しないように愛しあうことを控えた恋人達の愛は深まるだろうか、子供に愛情を注がない親の方が愛にあふれているだろうか。そんな馬鹿なことはありえない。美徳もまた然り。ボランティアに勤しむ学生が社会貢献に無関心な大人になり、そうでない学生が社会貢献に熱心な大人になるだろうか。そんな馬鹿なこともありえない。 愛も美徳も使うほどに育ち、金銭で取引されれば腐敗する。経済学者が幅を利かせ、市場主義が支配する、損得でものを考える社会に生きたいか。それとも、美徳を大切にするような社会に生きたいか。結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにして共に生きたいかという問題なのだ。
0投稿日: 2013.06.28
powered by ブクログ貨幣経済への投影という形でしかモノの価値を測れなくなった退化した人類の姿がそこにある。美徳と言われていたものは衰退し、貧富の差は拡大する。貨幣というモノサシそのものの有効性は否定できないが、これに頼りきるのは非常に危険なように思う。
0投稿日: 2013.06.18
powered by ブクログ完全に学問の本。市場と経済、倫理観、価値と腐敗、そういう話。 売れるけど、売るべきではないもの。 何が正しくて、何が正しくないのか。 この本では正解を出しているわけではない。あくまでサンデル自身の見解を述べているだけ。 インセンティブの効果は興味深かった。お金だけじゃないよ、と。 罰金の料金化という視点も面白い。本来は罰という道徳的見地から考えるものが、お金を払えばそれをしていいんだ、という料金化の考えを生むというのは確かにそうだなと。 レンタルビデオなんて、完全に料金だもんね。 正しいようで、実は本末転倒とか、道徳的見解にはそういうものが多い。 いかにして市場は道徳を締め出すか。この章が一番面白かった。 買えるもの買えないもの。買えるけど「そうすべきではないもの」。人の生死や肉体の部品化の話などは本当に考えさせられる。 広告の進化は、時として人々の感覚を鈍くさせるものなんだなとも思う。でもこれもお金を払う人がいて、対価を受け取る人がいる限りは、そこに倫理観や価値や腐敗の話は必ず議論として起こりえるんでしょうね。 人は高尚な生き物であり、強く持っている倫理観や、道徳心、腐敗を嫌う心、本当にそういう生き物であるべきなんだなと思うんだけど、あくまでそれは「個人」や「個人が考える一般論」であって、ニーズに応える市場がある限りは、議論は起こり続けるんだなと。 なかなか考えさせられる本でしたよ。
1投稿日: 2013.06.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
お金で何でも買えてしまうのだろうか? 先日読書会に参加してきました。サンデル教授の本は「Justice」も読んで 非常に勉強になっていましたが、今回も実に考えさせられる本でした。 お金で買えないものは当然あるんですけど、その領域がどんどん狭まっていると感じる。 例えば、愛や信頼というものは絶対に買うことができないけれども、 臓器しかり、狩猟禁止領域の動物のハンティング権しかり、 何でもお金さえ払えば入手できる世の中になりつつある。 経済学的に双方が望んでいるのであれば、良い取引になるんだけれども、 例えば臓器を売るという事が倫理上許されることなのか? そんな経済学の分野に政治哲学を持ち込もうとしたサンデル教授は本当にすばらしい。 市場原理があらゆる取引に介入すると、2つの問題が起こるとサンデル教授は言っている。 一つは公平性の問題、もう一つは腐敗が起きることだ。 後者の例はイスラエルの幼稚園で起きた罰金 vs 延滞料金のだろう (ここではこの話を省略します。本に書かれていることなので)。 いったんお金で解決しようとするとその人の行動の価値観を変えてしまい 二度と戻ることがないのだ。 この本を読んで恐ろしいと感じたのは「生と死を扱う市場」という第4章だ。 アメリカではバイアティカルというものがあり、これは余命いくばくかという 人の生命保険を投資家が購入して、保険料を支払いそしてその人が 仮に死んだ場合は死亡保険を受け取るというのだ。 考えてみてください、このシステムがうまく機能するのは余命1年と宣言された人が、 予測通りなくなることが条件なのだ。 人の死を願ってしまうインセンティブが働くことになる。 信じられますか?このようなシステムがアメリカではすでに事実としてあるということを。 ではどうすれば、この市場主義を止めることができるのか? それは我々が対話を通して市場の役割は何かという事を考え、 市場が侵入してきてはいけない領域というものを作ることだ。 ひいてはサンデル教授のいう共通善とは何かという事につながるのではないか。 こういう機会を作ってくれた友人のYさんに感謝です。
2投稿日: 2013.05.30
powered by ブクログサンデル2冊目なんだけど、これもやっぱり難しかった。こんな難しく考えなくとも人のまっとうな道というもの存在し、本来そこへ導かれるものだと思うんだけど。
0投稿日: 2013.05.20
powered by ブクログ市場が社会の公的な領域あるいは道徳的規範の領域に侵入したときに何がおきるか? ひとつめは、公平性にかかわる問題、ふたつめには、腐敗にかかわる問題が発生する。 お金をより多く持つ人間が公的なサービスを受けやすくなるということは、公的サービスの公平性を損なうことになる。 また、道徳的規範の領域に市場が入り込むと、道徳的規範そのものが損なわれる。 経済学者はこう主張する。市場が問題とするのは効率性である。市場により財の分配が効率的に行われることにより、人々が享受する効用が最大化するのだ。 市場主義の限界は、功利主義の限界である。市場主義は効用の「量」だけを問題とし、その「質」は問わない。これが、経済学者が市場を価値中立的とみなす理由である。 経済学は自然科学、特に物理学を模範としてきた。自然科学であるからには、道徳的価値とは無縁だというのが、その発想の大元にある。 市場が価値中立的だというのは誤りである。 市場が侵入することによって、道徳的規範の「質」が変化してしまうことがありえる。それは単に「量」の問題ではない。 効率性の増大のみを至上原理とし、人間生活のあらゆる領域に浸透してゆく市場主義が、社会を成立させる上で重要な道徳的価値を腐敗させている。 だから私たちは、市場主義が浸透していく領域の限界を定め、それをコントロールしていかなければならない。 また経済学者は、自分たちの仕事が単に計量化できる事象にだけ影響力を及ぼしているのだけではないということに自覚的になる必要がある。 自然科学も、経済学も、それが取り扱う領域が複雑かつ膨大になるにつれて、人為的なコントロールの及ばない領域に突入してきている。 それは現代文明が直面している危機である。
3投稿日: 2013.05.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
お金で買えないもの、または買うべきでないものを議論するときには、二つの観点がある。1つは公正の観点。すなわち、売買の不平等な条件に対する不正義について。もう1つは腐敗の観点。商品化することによって規範などの道徳的・市民的な善が損なわれるというもの。商品化は触れた善の性質を変えてしまうことを理解して、市場がふさわしい場所とふさわしくない場所についての熟議が欠かせないと説いている。 公正の観点と腐敗の観点のフレームは役に立ちそう。どのように熟議を進めるかとか、人が善を善と認識する仕組みとかをもう少し掘り下げてほしかった。
0投稿日: 2013.04.21
powered by ブクログ金銭的なインセンティブや、自由な市場により大抵の問題が解決できると考えている市場主義に対して、それで良いのか自省を促すのが本作。 例えば、他人の生命保険を投資対対象として買い取るバイアティカル業界。間もなく死ぬかもしれない人は他人に対して生命保険を売ることで大金を得るられる。投資家は保険を買い取った人が死ねば大金を得られる。両者にとってハッピーではないか? しかし、保険がかかった人が長生きすると投資家は損をしてしまうので、他人の”死”を願うことになってしまう。 これは道徳的に良いことなのだろうか? 取引双方が望み、強制もされていない。それなのに、この取引に違和感を感じるのはなぜなのだろうか? 本書はこうした事例が満載だ。 日本ではあまり見慣れない、「え、そんなこともやっているの!?」といった驚きの取引例も多く、欧米の市場主義の浸透が日本よりも遥かに進んでいることが分かる。 普段、評判の店やディズニーでの行列等、金で解決したいと思うことが多々あったが、そう思う事自体、市場主義が生活に入り込んでいる証であり、改めて考えさせられる一冊であった。
0投稿日: 2013.04.14
powered by ブクログ読み終わった後の やりきった感があった、一冊。 なんでも市場主義に変えてしまう、 アメリカのやり方を紹介しながら、 「それって人として、どうなん?」という切り口で、 色んな考え方に当てはめながら、検討していく本。 アメリカの現状をよく知ることで出来る上に、 考え方も深まる、もう少し分かりやすく解説した本があれば、 もっと幅広い層に売れるかもしれない。 とにかく、何度も読み返す価値のある一冊だなと思った。
0投稿日: 2013.04.09
powered by ブクログ議論はしたいけど、議論している間も時間はとまらないしなぁ...って思ってい ると、市場が答えをだしちゃうよ。だから議論をちゃんとしようって話。 事例がたくさんあって面白かったけど、途中であきたし、このことを言いたいってことに気がつかなかった。
0投稿日: 2013.04.07
powered by ブクログある種の権利をお金で買うのは善か。行列、医者の予約、二人目の子供、CO2・・・。経済として、道徳として、法として善か
0投稿日: 2013.04.07
powered by ブクログ「民主主義には完璧な平等が必要なわけではないが、市民が共通の生を分かち合うことが必要である。大事なのは、出自や社会的な立場のことなる人が日常生活を送りながら、出会い、ぶつかり会うことだ」に同感。
0投稿日: 2013.04.06
powered by ブクログいつものように「善」「道徳」を語っています。すべてを市場化してはならず、何を市場化し何を市場化しないのか熟議を持って解決しなければならないとしています。 本書のテーマは市場化ですが、市場化してはならない領域まで市場化することを経済学者のせいにしています。しかし本書が示す市場化の例は、経済学者が市場化を提案したというよりも、民間企業な一般市民が率先して行っており、経済学者はそれを認めているにすぎません。市場化の批判は分かりますが経済学者が市場化を進めているわけではありません。 サンデルの批判は別として、アメリカにおいて、どこ領域にまで市場化が進んでいるかが分かる本として役立ちます。学校にまで広告や商業主義が浸透していることは他の本でも指摘されていますが、人の健康や生命を対象としたギャンブルの例などは、まさに道徳的問題として重要だと思います。 日本がアメリカほど市場化されていないので、本書を読んで日本の状況を考えることは出来ませんが、「道徳的に」悪い例として読めるかと思います。
0投稿日: 2013.03.18
powered by ブクログアメリカの今が日本の未来だとすると恐ろしい…。市場主義の行き着く先には、人間の尊厳がないのではと思った。
0投稿日: 2013.03.06
powered by ブクログ『これからの「正義」の話をしよう』の著者であるマイケル・サンデルの著。市場で売り買いされる対象が多様化し信じられないようなものまでが売買される世の中についての議論。正義の話と共通するところがある。
0投稿日: 2013.03.06
powered by ブクログお金で買うという行為が、どういうことを意味するのかを、再考させられました。 善悪の指標ではなくて、買う(=罰金を払うこともその一種)事によって何をもたらすのか。 ちょっと哲学的でもあり、経済学的でもあり、なかなか考えさせられる本でした。
0投稿日: 2013.02.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
難解ではないが考えながら読まなければならない。そしてそれがけっこう楽しい。「お金で買うべきでないもの」と聞かれてまず思い浮かぶのが第二章で扱われている賄賂、インセンティブに関わること。しかしそのほかにも優先権や命の賭博、命名権など様々なものがある。特に命名権は日本でも当たり前に浸透していて疑問を持ったことがなかったが、そのことでスタジアムの意味が変わってしまったとすれば残念。筆者は市場主義、商業主義に対して「公平」と「道徳」の2つの観点から異論を招くとしている。「われわれは市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所はどこかを問わざるを得ない」。さらにこの問いに答えるには、「善の意味と目的について、それらを支配すべき価値観についての熟議が欠かせない」。「市場の問題は、実はわれわれがいかにしてともに生きたいかという問題なのだ。」
0投稿日: 2013.02.18
powered by ブクログそれを望む人がいればなんでも値札が付くと安易に考えていた。逆に値段が付いているモノ、サービスに疑問を持ったりもしなかった。 しかし確かに市場主義に限界は存在し、今では当たり前とも思えるが、その限界は時代とともに変化してきたし、今後も変化していく流動的なものだ。 インセンティブにお金を紐付けすると価値と品位が下がる、罰金と料金、公正性と腐敗、多くのテーマが目からウロコで蒙を啓かれる。 自分たちが「どう生きたいか」がそこに反映されており、例え値札が付いていても「それをお金で買える世の中が望ましいか」を懐疑的に評価し続けなければならないと感じた。 「それを買えるお金があるか」「その値段は適正か」だけではない。
0投稿日: 2013.02.16
powered by ブクログ経済と道徳の境界線について考えさせられた。 答えがあるわけではないが、様々な事例が出てきて考えやすい。 時代や文化によりこれからも判断していくことなのだろう。
0投稿日: 2013.02.10
powered by ブクログ全てが経済原則に基づく市場主義。公共機関へのマーケティング侵食、人命にかけられる債券、インセンティブの好悪…様々な実例を基に市場と道徳の論理に切り込んでいます。お金が全てに優先する社会で、我々が何を失っていくのかを問いかける1冊。
0投稿日: 2013.02.09
powered by ブクログ市場を持ちこまない方が良い領域は多い。しかし、その領域は広がり続けている。少なくとも僕は、人生におけるお金の比重を減らしたいと思う。
0投稿日: 2013.02.04
powered by ブクログ市場原理と倫理観。それぞれ一方に偏らずに、どちらもこういう側面があるとした客観性が、現実味をひしひしと感じさせてくれる。 アメリカでの実例ではあるものの、いつ日本でもこういったことが起きてもおかしくないような気がした。 近未来の日本がこのような形になっていないことを切に願いたい、と思う一方でビジネスチャンスかもと思ってしまったことも事実。 シビアに市場原理を見つめたい人にはいいかも。
0投稿日: 2013.01.31
powered by ブクログ「これからの正義の話をしよう」で有名になったマイケル サンデルの本 経済的合理性と道徳の関係について考えさせられるのです。
0投稿日: 2013.01.14
powered by ブクログ推薦理由: 現代の市場主義社会では、ほとんどの物をお金で売買する事ができる。しかし、その事によって損なわれている大切な物があるのではないだろうか。サンデル教授の主張する「市場主義の限界」について、自分ならどう思うか考えてみて欲しい。 内容の紹介、感想など: 前作『これからの正義の話しをしよう』が大きな話題となったハーバード大学のマイケル・サンデル教授の新たな著作。本書では現代の市場主義について考察し、これを批判する立場で様々な検証を行なっている。 あらゆる分野に経済学が入り込み、この30年ほどの間に世の中には市場主義が蔓延した。 行列に割り込む権利、主治医の携帯電話番号、謝罪代行業者による謝罪、妊娠の代行、アメリカへの移住権、温室効果ガス排出に対する責任等々、今はあらゆる物をお金で売買することができる。更に、お金が欲しいのなら、自分の身体(額など)を広告用に貸し出す、民間軍事会社に入ってソマリヤなどで戦う、余命わずかだと思われる病人や高齢者の保険を生前に買い取って、保険料を代わりに支払い、死亡保険金を受け取る等、様々な方法がある。財政が逼迫した洲や市は公共物の命名権やそこに広告を出す権利、更に公立学校や刑務所までを企業に広告の場として提供することで財政を潤している。広告をつけたパトカーが走っている所もあるそうだ。市場主義の立場からは、売手と買手の合意によるこれらの行為はなんら問題がないにもかかわらず、これらに対して我々が感じる嫌悪感の根拠は何なのだろうか。 サンデル教授は、世の中には市場価値で判断すると本来の価値が貶められたり腐敗したりするものがあるという。お金を払って行列に割り込むのは「順番を守る」という規範を貶める場合がある。環境汚染のグローバル市場は環境倫理を腐敗させる。身体へ広告の刺青をするのは、それを付ける人を物として扱い、貶める。他人の死で利益を得ようとする「生命保険の自由市場」は道徳的な気まずさを拭えない。学校の目的は教育であり、教室の商業広告は有害だ。そして、市場主義は、持つ者と持たざる者の格差を歴然とさせる。 サンデル教授は、市場主義、商業主義の全てを否定するものではなく、それが相応しい場所はどこか、相応しくない場所はどこかを問い、その価値観を熟考することが大切だと主張している。 様々な具体的事例を挙げて述べられるサンデル教授の主張には説得力がある。それぞれの事例に参考文献が付いていることも信憑性を増す。現在の経済学至上主義の世の中に一石を投じるサンデル教授の哲学に触れてみよう。
0投稿日: 2013.01.10
powered by ブクログ(2013/1/6読了)サンデルせんせーの本。一言で言うと、倫理的にお金で売買しちゃあいけない公共の良心ってものが世の中あるでしょーというお話。例:パトカーの車体に百貨店の広告ババーンはどうよ?
0投稿日: 2013.01.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
サンデル教授の前作『これからの「正義」の話をしよう』にあった、第4章『雇われ助っ人―市場と倫理』を掘り下げていった一冊だった。 私を含め、たくさんの人が思っているであろう、資本主義・市場主義に対する嫌悪感を解説してくれたように感じた。 一つの理由は以下のものである。本質的に価値があると思う活動に携わっている人々に金銭の提供を申し出ると、彼らの内因的な関心(たとえば道徳的信念や目の前の課題への関心)や責任を「締め出す」ことによって、動機を弱めることになりかねない。標準的な経済理論では、あらゆる動機づけはその性質や源にかかわらず好ましいものと解釈され、累積するものとみなされている。しかし、こうした見解はお金の腐食作用を見落としている。このお金の腐食作用が第一の嫌悪感の理由である。 そして、第二の嫌悪感の理由は、強制と不公正に関わるものである。 選択の自由の原則を認容しつつ、市場における選択のあらゆる事例が本当に自由意志によるものかどうかがわからないところにある。本書にも挙げられていたが、例えば、子どもの薬を買うためにどうしてもお金の必要な父親が、額に商品広告の入れ墨を入れることを承諾しても、その選択は完全な自由意思によるものとは言えないだろう。このように、市場関係が自由といえるのは、売買の背景となる条件が平等で、差し迫った経済上の必要に迫られた人がいないときにかぎられる。 このような二つの理由があるから、道徳的、つまり、感覚的に市場主義について疑問が生じるのであろう。
0投稿日: 2013.01.07
powered by ブクログ2013年1冊目として読みました。 現代社会は多様な価値観が混在しますが、一方で民主主義を実現するにはある程度の平等が必要と考えます。 また、特に生については民族や経済的格差を乗り越えて共通性を分かち合うことが必要なのは間違いないと思います。 しかし人類の生を守る知恵として生まれた道徳でさえも現代では市場で取引されるとなれば、市場主義を疑わざるを得ません。しかしそのような大きな流れがあるのならば、僕自身それは受け入れなければいけないとも感じました。まだ道徳を売買することに違和感を感じる僕は正常と信じたいです。 『これから「正義」の話をしよう』のマイケル・サンデルが切り込む市場主義の限界を探る本です。
0投稿日: 2013.01.06
powered by ブクログアメリカの「先進的な」商売をネタにしている感じも。著者の言うとおり、行き過ぎの部分が多い。逆に日本でこれをすれば儲かる可能性も…。道徳的な配慮は無視して。
0投稿日: 2013.01.06
powered by ブクログ相互の合意に基づく契約ならば、また個人の自由意志による選択ならば、何を売買してもよいのか? マイケル・サンデル教授は「そうではない」と確かに言っていると思う。なぜ「思う」なのかというと、実際にはこの書のなかで、彼は「『善』や『公正』に照らしてどうか?」という問いかけ以上の言説をなしてはいないからだ。色々な見方を示して「考えよ」という講義をしているのだが、その実、論調は確かに彼は何もかもが売買の対象になっていく世を批判している。 しかし「善」や「公正」、あるいは「倫理」にどのような価値があるのかの議論が無いために、読者は投げ出されたような読後感を持つ事だろう。自分に掛けた生命保険を売って現金を得るようなリバースモーゲージは狂っていると思いつつ、それが確かに「善」や「公正」や「倫理」からくる思いなのかどうか、そうだとしてもその思いがそのような意義を持つのか、自信が持てない読者を助けることはできないようである。 その点で読後感は爽やかでないが、マイケル・サンデル教授のこの著書はアメリカで他国に先駆けて起こっている驚嘆すべき事実の事例集としてだけでも読む価値は十分にある。 自然になっているバナナをもいで食べるのと、都会のスーパーマーケットでバナナを買って食べるのは何が違うのか? 効用と価格が同期しないのが現実だ。交換価値を基準として貨幣単位を価値の単位として用いることができるのは、やはり経済学が前提としていること、たとえば情報の対称性や市場の存在など、現実には不完全なものを完全と仮定する特殊な世界において成り立つことであることを思い知らされる。 「利他的な精神には限られた量があって、それを節約するために、経済原理で決められるものは可能な限りそうすべきである。」というような、普通の人間にとっては明らかに誤っているように見える(そして利他的な精神は実際の行動によってさらに促進されるという現実に観測される事実と異なる)理屈を平気で言える経済学者のことを異常に思えるのが普通の人の感覚だ。その誤りは単なる感覚ではなく経済学以外の学問を動員せずとも証明できそうだ。(私も実際に金銭的インセンティブが逆の効果をもたらす事例をたくさん見た。)このような事が平気で言える経済学者というのは、学術上の理論のみならず自分の人格そのものを現実にはあり得ない仮定の上に構築してしまった人達なのだと思う。このような専門家達は専門家に過ぎない自分の機能を見誤って、社会における自らの機能を自ら過大評価しすぎているのだろう。 学者でない私たち個人にとって確実な事は、貨幣価値で人生を評価しても幸福になれないということだ。では社会にとってはどうなのか? 遠からずその答えが災厄となって私たちにもたらされることだろう。
0投稿日: 2013.01.02
powered by ブクログ代理母,臓器,軍事サービス,公共施設の命名権。一昔前では考えられなかったようなものが買えるようになっている。しかしすべてが売り物になる世界に,人は反撥を覚える。市場の論理と,素朴な倫理の鬩ぎあい。本書は,物議を醸す取引の実例を見ながら,この問題についても「熟議」が必要なことを説いていく。 サンデルの他の著書との重複も一部あるけど,市場と倫理というテーマでまとまってて読みやすい。 本来,契約当事者間の合意に基づいた取引は,何らとがめられるものではない。市場主義を徹底するなら,「Win‐Winの関係でみんなハッピーなのに何でダメとか言うの?」ということになるだろう。一見自由な取引が,倫理的でないとされる理由には大きく分けて二つある。公正と腐敗の観点だ。 公正の観点からは,一見して自由な取引も,背景にある不平等な事情などによって実質的には強制を含む場合があるという批判が成り立つ。例えば麻薬中毒の女性に対して,避妊手術を受けたらお金を払うというような契約は,女性側がそれを拒む選択肢を実質的に持たないから不公平とも言いうる。 同じ事例を腐敗の観点から見ることもできる。妊娠可能性という極めて個人的なものを,取引の対象にすることは,女性の尊厳を貶めることであって,自由な判断が確保されていたとしても許されない,という考え方だ。市場に対する倫理的批判は,公正と腐敗のどちらかの論理に立脚するといえる。 それにしても世界ではいろんな契約がなされているんだな。従業員に内緒で生命保険を掛ける用務員保険なんて90年代からポピュラーというし,老人や病人から生命保険を買い取るバイアティカルとか,本を読んだら生徒に報奨金あげるとか,謝罪代行業とか,医者の予約を転売するとか。 アメリカばかりじゃなくて,中国でも自由な取引がいっぱいされてるみたいなのは何だか皮肉。とはいえ,やはりこういった取引への反感というのは根強いらしい。アメリカなんかでは常識はずれのトンデモ取引も結構当たり前として通用しているというようなイメージは,どうも間違っているみたい。
0投稿日: 2012.12.28
powered by ブクログお金で買えるもの、買えないもの、買っちゃいけないもの……。色々あると思うけれど、世の中にお金が普通にあるのは、「物の価値」の指標・単位として、それが分かりやすいから。10円の紙よりも、1000円の絵のほうが価値がある。 だけれども、それが万人に共通か、どの時代でもそうか、というとわからなくなる。知らない人の写真が1000円でも、好きな人が書いた、いたずらがきのほうが大事に思えるのは普通だと思うし……。このへんで、難しいと感じてしまうぐらい自分にはセンスが無いんだということはわかった。
0投稿日: 2012.12.25
powered by ブクログ電子本で。死亡債や過剰な広告ビジネスなど、何にでも値段をつけることの問題を倫理面から説く。考えさせららる。
0投稿日: 2012.12.23
powered by ブクログ話題になった時期から少し遅れて読了しました。 現在当たり前になっていることの多くのことが、だれかが付加価値をつけて商売にしたことが発端となっている。しかし、そんなことまでお金でやり取りしてしまうのか?という事例も多数記載されている。 倫理的にどうなのか?と様々な事例から、行過ぎた市場経済への警鐘として著されたのだろう。 ただ、こうすべきではないか?という一本の軸となる提言みたいなものがあれば、もっと読みやすかったような気もする。
0投稿日: 2012.12.16
powered by ブクログ「宝くじで1億円当たったら、何が欲しい?」と問い、空想で遊ぶときがあるだろう。一方、本書のテーマは、「お金で買えないものがあるか?」だ。(あるとすれば、それは何か?) この問いに対して、「ある。」と当然のように答えて、片づけてしまうことは、簡単だ。 だが、ここで注目すべきは、すでにアメリカでは、人の生命を含めて、ありとあらゆるものがカネで取引されしまっている状況である。 幸運にも、日本では、そのような傾向はまだない。しかし、もしかしたら、それらが輸入されてくるのも、時間の問題なのかもしれない。 そうなってしまった時に、あわてないよう、テーマの問いに対して、普段から家族や友人などと議論を重ね、良い人間関係を作っておくことが、今できる最善の策だと思う。
0投稿日: 2012.12.08
powered by ブクログ商業主義はどこまで入り込んでいくのだろう。アメリカはひどいなって思うけど、そのうち日本もこうなってるかもしれない。そして生命保険みたいにお金が入り込むことが当たり前になる。嫌だけどしょうがないのかもしれない
0投稿日: 2012.12.08
