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それをお金で買いますか 市場主義の限界
それをお金で買いますか 市場主義の限界
マイケル・サンデル、鬼澤忍/早川書房
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総合評価

176件)
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    すべてお金があればいいと考える現代社会に疑問を抱えているときに読んだ。値段がつくと、本当に大切な価値が失われてしまうことがある。お金で取引することは簡単だ。でもお金の本当の意義はなんだろう。この本はそんなことを問いかけてくれる。

    0
    投稿日: 2012.12.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    サンデル教授の最新作。前作より身近なことが多くて私には分かりやすかった。何でもお金に交換してからじゃないと交換できないちょっと息苦しい世の中はやっぱりここ最近の出来事なんだということを認識。某市で働いていた時、新しい事業を予算化する時はいつも予想できるすべての費用と効果を金額換算していたけれど、その時に感じた不毛な気持ちも文章化されていて、さすがサンデル教授と思いました。やっぱりすべてを経済という定規で見るのはナンセンスだよね。

    0
    投稿日: 2012.12.03
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    とてもとても興味深い本!! 読みはじめてからすぐに日常のいろんなこと、行列やお金の価値を考えるようになりました。 お金って、経済ってなんなんだろう、って未だに考えはまとまらないまま。

    0
    投稿日: 2012.12.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ある善を商品化するかどうかを決める際には、効率性や分配的正義の先にあるものを考えなければならない。 5月28日の「ここから、はじまる、民主主義の逆襲」に参加させて頂き、会場で購入。中田さんの前に座るというちょっとビックリな出来事もあり、沢山の刺激を受けました。「正義」の時より、身近なテーマを題材としているので読みやすくおすすめ

    0
    投稿日: 2012.12.02
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    マイケル・サンデル入門的な本。 誰でも読みやすく、かつ、これまで社会的に目がつくような形で大々的に論じられていなかったタイプの議論に、ほぉ!と感心させられます。 ただあくまでもサンデル教授の入門的、序論的内容ですので、深い議論が展開されるわけではありません。 この本を面白いと思った方は、さらに彼の他の著作に進むといいのではないでしょうか。さしあたって、「これからの正義の話を・・・」を次に読むといいように思いました。

    0
    投稿日: 2012.11.29
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    ゼミのとある会で尊敬している先輩が紹介して下さった本。自分のロマンを具体的にする為にも、そろばんを弾く為にも役立つはず。

    0
    投稿日: 2012.11.25
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    こんなものをお金で売っていますよ、あなたはどう思いますか?というのが初めから終わりまで続いていた印象。 こういったことについて考える機会があまりなかった人や、どういった事例があるのか知りたい人にはいいかも。 昔、ある歌手が「金で買えないものなどないが、僕もあなたもものじゃない」と歌っていたのを思い出さずにはいられなくなるような一冊。

    0
    投稿日: 2012.11.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    <概要> 市場と道徳の問題を議論。 実例を交えて、特定の財・サービスを市場取引をすることは公正の問題(その取引が本当に自由意思によるものか、一見自由に見えても貧困などに強いられたものでないか)と腐敗の問題(その取引によって取引されるものの価値が毀損されないか、例えば選挙権やセックスの売買)を必然的に発生させることを指摘。ゆえに経済学は道徳から独立していることはできないと主張。 <所感> 我々が特定の取引に対して覚える反発を公正と腐敗に分割したことに関しては良い分析にであるように思える。しかしサンデルの経済学の理解に関してはちょっと疑問を持つ部分もある。たとえばシグナリングの部分とか定義の問題を云々していて紙幅の無駄のように思える。 『これからの正義の~』も読んだけど、サンデルのいい部分は豊富な実例を取り上げて説明してくれるので分かりやすいところでしょう。

    0
    投稿日: 2012.11.20
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    市場原理や商業主義を導入すると元々あった道徳的規範がどこかに追いやられてしまうという考えはとても共感できた。ぜひとも多くの人に知ってもらいたい。 サンデル教授の本は、感覚的な問題を多くの事例を交えながら、非常に論理的に取り扱ってくれるので読んでいてすっきりする。

    0
    投稿日: 2012.11.14
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    資本主義社会って何だろう。お金で買えるもの、買っては行けないもの。とても考えさせられた。現代のソクラテスのようです。

    1
    投稿日: 2012.11.12
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    アメリカと日本の市場の違いは勿論あるが、こういった市場の流れは確実に日本に侵食してくるであろうと考えられる。 最後の章を読んでみると、昨日たまたま参加したカンファレンスにて発言されていた「広告の未来は広告ではない」という言葉と合致する部分を感じた。 とはいえ、これから様々な面で、意味で、信用という言葉が重要になってくると感じた。本書ではその信用が市場主義の面で出てきただけである気がする。

    2
    投稿日: 2012.11.10
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    アメリカって恐ろしい。(好きな国だけど)需要と供給さえあればなんでもビジネスにするのか。いや、アメリカに限った話じゃないか、人間ってそういう性質があるのか。アメリカ人のほうが発想が柔軟だからいろんなことを思いつく。だからいろんなビジネスが生まれてる。サンデル先生は危機感を感じてこれを書いたんだろうな。考え方より多様な発想に驚かされた。

    3
    投稿日: 2012.11.08
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    核廃棄物処理場は補償金を出さない方が地元市民に受け入れられる。 政府が企んだテロの先物市場はテロの予測に使えそうだが不幸な出来事の賭けを政府が主催するのは道徳的な嫌悪感を招く。 バリーボンズが打ったシーズン73本目のホームランボールの持ち主は誰かという事で法廷論争の末、二人でボールを売却して売上を折半した。 広告にふさわしい場所とふさわしくない場所を決めるにはー。 自治体マーケティング。

    1
    投稿日: 2012.10.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    お金で買えないものに値段をつけて商売する。究極的に行き着く先は不公平、不道徳、腐敗、堕落。歯止めはあるのか

    1
    投稿日: 2012.10.21
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    市場社会の問題点を①不平等、②腐敗の2点に整理し、豊富な実例を挙げて論証した価値ある評論。最初から著者の立場が明確にされているのが珍しいと感じたが、貧しい家庭で育った自分には非常に共感できる結論だった。

    0
    投稿日: 2012.10.21
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    前著『これからの「正義」の話をしよう』がベストセラーになったハーバード大学教授、マイケル・サンデル。 その最新刊が書店に平積みされていたので、読んでみることにしました。 本書のテーマを僕なりに解釈すると、「市場主義というものが、この数十年で領域を拡大し、それらがなじまない領域までに及んでいる。その問題群を取り上げ、なぜそれが問題とされるかを考えてみよう」ということ。 「行列に割り込む」「インセンティブ」「市場による道徳の締め出し」「生と死」「命名権」という5つのテーマに分け、事例を紹介し、その解説と事例から得られる教訓を、書き連ねています。 ダフ行為、会社による社員の生命保険の受け取り、あらゆるスペースに織り込まれる広告・・・。 アメリカの事例のため、日本では法律上禁止されているものもあるかと思われますが、「ここまでやりますか」と感じる事例が次々と、記されています。 「売り物」としてはいけない理由として、「不平等」と「腐敗」という問題が根幹にあると、著者は分析しています。 ただしその境界はあいまいで、1つの事例に対して複数の”正義””不正義”が対立する場合が多いことが、この本を読んで理解できました。 受け入れる人の数の多さによって、決まる部分も多いかと思いますが、この本の内容を参考にしながら、自分なりに正/悪の判断を考えたいなと思いました。

    0
    投稿日: 2012.10.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    すごく面白かった 知らない情報もたくさんあった 今までとは違う目で世の中を見ることができる 私も小さい頃に野球場に行って、ボックス席は羨ましいけれど、売り子が来なそうで嫌だなと思ったのを思い出した あと、日本の小学校や幼稚園にもマクドナルドの「食育」教材を初め、わんさか企業から教材が届くこと 幸いにもそんなのを使う余裕さえなかったけれど ぜひこのタイトルで惹かれた方は一読を

    1
    投稿日: 2012.10.14
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    お金で買えないもの&買ってはいけないものを決めるのは人の心なのかもしれない。心はお金で買えないし買ってはいけない。

    0
    投稿日: 2012.10.08
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    The content was very difficult, but I studied a lot.

    0
    投稿日: 2012.10.01
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    仏法みたい。「そもさん」「せっぱ」ちょっと違うかも知れないけど、真理の話。 ようするに正義の議論とか一般のコンセンサスはあとまわしに、経済がひどい勢いで、法の網の目と、モラルの微妙な解釈をかいくぐって、当該関係者、または、全能と勘違いしている一部の決定権者のみで、話を決めてしまった、結果的に「市場」とみなされたものが増えすぎて、その後処理で社会が苦労しているって話。 でも、後処理で苦労している人たちは別に得してるわけでもなく、結果、法の網の目と、モラルの微妙な会社をかいくぐって、話を決めた、一部の人が潤っただけ。 こうなると、法律にだめって書いてないことやらない方がばかじゃない?みたいな。。。 なんとも耳の痛い話ですが、事実なんだと思います。

    1
    投稿日: 2012.09.28
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    インセンティブ、バイアティカル、命名権、ダフ屋等々、実際にお金で取り引きされている数多くの事例が面白かった。問題は不公平と腐敗、大切なのは道徳的・市民的「善」。でも白熱教室もそうだけど、結局結論は出ないので最後はちょっとモヤモヤするんだよね。尖閣諸島はお金で買うべきではなかったのだろうか。

    0
    投稿日: 2012.09.28
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    経済学の一部しか齧れていない自分が言うのも何だが、サンデルは経済学を理解して書いているのかな?と考えてしまう。ただ、哲学者としての視点から現代経済を見た時、世界がどう見えるのかというのがそれなりにわかる本だと思う。サンデルから見た現代経済というのが表れていて、なかなか面白い一冊。

    0
    投稿日: 2012.09.23
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    「えっ!アメリカではそんな物まで売り買いするの?」と驚く事例がわんさと出てくる。例えば、不治病患者の生命保険を割引いて買い取り、保険料を肩代わりする代り、死亡時に保険金を受け取る。患者も死亡するまでの治療費と生活費を得ることができるので、損をする人はいない筈と…。因みに、患者が一日でも早く死ねば死ぬ程、利回りも良くなる為、投資家は ひたすら患者の死を願うことになる。確かにどこか狂っている。タイトル通り、市場主義には限界がある様だ。但、この本は論の展開が余り見られない。『これ正』を先に読むことをお勧めする。 『監督が投手を交代させる為にマウンドに向かう時、アナウンサーはその動きを「ブルペンへのAT&Tコール」と紹介する様、契約で義務づけられて』、『ランナーがホームに生還したと審判が判定する度に、(中略)実況アナウンサーは「セーフです。安全と安心。ニューヨーク・ライフ」』 φ(.. ) 『ミス・ユーティリティーという地元の公共事業会社に、選手の打席の命名権を売ったのだ。(中略)「さあ、バッターはプライス・ハ―パ―。この打席の提供はミス・ユーティリティーです。掘る前に811にお電話をお忘れなく」』。 道徳的にどうだとか言う前に笑える。 2012年10月19日 『「有料で絶滅危惧種のクロサイを撃ちにおいでください。忘れがたい経験を味わうと同時に、自然保護という目標に貢献することになるでしょう」』さて、質問。何故貢献することになるのでしょう? 2012年10月02日 第2章インセンティブ『ダラスでは、二年生が本を一冊読むたびに二ドルをもらえる。』←ダラスへ行こうかな。^^; 2012年09月28日 ”世の中には、お金で売り買いできないものがある”という本を読みながら、蔵書を売り払うのは愛書家として心が痛むが、下宿暮らし故仕方があるまい。本日の収支:68冊売りで+36,400ウォン、小説2冊+科学雑誌ニュートン5冊買いで▲42,000ウォン、差し引き▲5,600ウォンの赤字。 2012年09月25日 『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』、『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』に続いて三冊目。目次に目を通した限りでは『ルポ 貧困大国アメリカ』、及びⅡで取り上げていた事例とかなり重なる。そう言えば『究極の選択』に著者の堤未果氏がゲスト出演していた。 2012年09月23日

    0
    投稿日: 2012.09.23
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    世界を席巻した新自由主義経済が生み出している様々な問題を、哲学的課題、モラルや平等、公平性などとの関連から考察する。 経済を経済学者だけの問題としてはならないこと、同時に原子力や科学技術の発展課題もモラルや哲学の課題としても考察していくことの重要性が伺える。 これまで白熱教室などで語られてきた暗示的内容から、もう一歩進んでサンデル氏の考えが示されいると思う。

    0
    投稿日: 2012.09.21
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    いろいろ考えさせられた。世の中には商売(商品)にしてはいけないことがあるというのは常識(昔からの道徳)ではあるが知らない間に常識が覆され社会規範が毀損されていることに気づかされた。でもしかしではどうすれば防げるのであろうか。

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    投稿日: 2012.09.16
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    何でもお金で解決しようとする、現代日本。ほんと、それでいいの?読みやすい。大学行こうとしている人は絶対読め!英検2級受かってて多読好きな人は、英語でも読めると思う。

    0
    投稿日: 2012.09.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    あらゆるものが売り買いされている。 道徳感とはかけ離れ、需要と供給であらゆる取引が実現している。 どこまでが許されて、どこからが許されないのか?それを決めるのは誰か? 正義が規定できないように、市場主義もルールを確定することはできない。

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    投稿日: 2012.09.04
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    臓器売買や人身売買が「してはいけないこと」だというのははっきりしている。それは売り買いすべきものではないと圧倒的多数の人が思うだろう。じゃあ、お金を払って行列の先頭に行かせてもらうのはどうか?病院で優先的に診察してもらうのは?高速道路でスピード違反する権利を買うのはどうなのか?これらはいずれも他国で実際に売買されているのだそうだ。もしかしたらもう日本でもあるのかも。 本書はこのような実例を次々と挙げて、何が問題なのかを考えていこうとしている。結論から言うと、市場主義が入り込むべきでないところに進出していくと、それ自身やそれを支える社会的な規範の価値を、低級な基準で査定することによって貶め、尊厳を傷つける、ということになるのだろうか。 あげられる例が豊富で驚かされるものもあり、その点では面白いのだが、繰り返しが多くくどい感じのするのが残念。もっとコンパクトにまとめてあったらなと思う。 世の中のあらゆるものが市場の商品として取引される社会に私たちは生きている。市場を本来あるべき所に押し戻すことはかなり難しいことのように思われる。それでも「それはお金で買うものではないでしょう」という声はあげていかなくちゃ、と思う。「命名権」というものを初めて聞いたときのなんとも言えない違和感を忘れないようにしたい。

    2
    投稿日: 2012.09.02
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    結局のところ、絶対的に規定できる正義も何も市場主義にはというか世の中にはないわけで、それを常に考えながら行動する人間が集まって初めて倫理が生まれるのかしらとか逆のことを考えてみたりする。 時代によって倫理や正義も変わってゆくであろう。しかし新たなことを始めた人がその時の風潮や世相より一歩先だったりすると倫理的に正しくないとかいって批判されたりするのだろう。法はどこまで『倫理』を振りかざせるのかな。

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    投稿日: 2012.09.01
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    何でも商品にするアメリカにビックリです。有料にすることによって効果が下がる場合もあるというのも、面白かったです。 お金に換えることばかりに気を取られ、大切なものを失くしていくんでしょうね。

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    投稿日: 2012.08.29
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    序章 市場と道徳 第1章 行列に割り込む 第2章 インセンティブ 第3章 いかにして市場は道徳を締め出すか 第4章 生と死を扱う市場 第5章 命名権

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    投稿日: 2012.08.27
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    公共哲学からの経済学(特に新自由主義)批判。 公共や生命や倫理に関わるもの。 例えば、スポーツや交通や生命保険。 そういったものが、お金によって売買されている。 野球のボールはサインされ、球場は名前が売られる。 生命保険では、死ぬ前に「自分が死んだら保険金を受け取れる権利」を他人に売ることで、崎に現金を手に入れる。 こういったことは、直接的には問題を引き起こさないけれど、何か嫌な感じを受けるのは確かだ。 著者はそれを「腐敗」「善の喪失」といった言葉で表現している。 しかし、現代世界の大きな問題のひとつは財政であり、財政維持のために公共的な「お金では買えないもの」は縮小し、次々に売りに出されている。 本書の指摘はもっともだけれど、「財政問題=前世代による前借り」をどう解決するのかについては提示されていない。 この点が解決しなければ、生活破綻という、倫理よりも直接的な問題に直面するのではないか。

    1
    投稿日: 2012.08.25
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    しばらく、積ん読にしていたので、時間がかかってしまいました。学校などの公共に、どんどん入りこんでくる企業活動の実態について、大変深く考えさせられました。

    1
    投稿日: 2012.08.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    内容は云うまでもないだろうが、「道徳」と「市場」はどこまで折り合えるか、あらゆるものはカネで買えるのか?本当にそれでいいの?とサンデルは問い続ける作。 第一章と第二章は、まだ「何かを買っていることに対して、それでいいのか?それは賄賂ではないのか?」という内容。カネを払って権利を買い、行列に並ばずとも優先して商品やサービスにありつけること、球場の前でやっているダフ屋行為、またある功績を遺してもらうために、カネを渡すこと、これはいいの?ということである。 第三章は、「市場は公共道徳をどう破壊するか」である。 「贈り物を現物から現金にするほうが経済的に効率がいいが、実際はそうではないのはどうしてか。」「何か道徳的要請(核廃棄物埋め立て所や寄付、弁護士の無料法律相談)を伴う行動に、金銭的インセンティブを設けると、その行動に対する影響はどうなるか。」ということだ。これには商品化効果があり、総じて悪影響が生じる。 これは原発や軍事基地などのNIMBYにも同じことが言える。日本の場合はどうかはわからないが、選挙に行くか行かないか、ということにも同じことがいえよう。実際、罰金が「料金化」してしまうこともあるだろうと、サンデルは考える。 ただし余談として、義務投票制の場合は、オーストラリアの場合は高推移しており、なんともいえない。逆に投票による「報酬」を与えるとどうなるであろうか?投票率に反映されるであろうか?一つの示唆として、スイスのある州で(おそらくは投票率を上げる目的で)葉書による投票を実施したところ、むしろ投票率が下がった例もある。かつ日本でも期日前投票や不在者投票を実施しているが、あまり反映されているようには思えない(今まで投票日に投票していた人が利用しているだけのように思える)。 第四章以降は生と死を扱う市場や命名権について扱われている。生と死の市場は「早くこの人が死ねば高額な金銭が手に入る、ということだ。 結局は市場は「一体感」や「共同体としての価値」を減じてしまうとサンデルは結論付ける。それがいいのか悪いのかは分からないし、これはサンデルのひとりよがりであろうとも思える。もちろん我利我利亡者だらけの世の中に辟易はするが、公共道徳や共通善に訴えかけるしかないのだろうか、とも思う。

    0
    投稿日: 2012.08.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    人と人が価値を交換するところに市場は生まれる。交換の平等性を担保するには双方の持つ資産に価格を付ける必要があり、一度値付けされてしまえば、マーケットの海に放り込まれお金でそれを買うことができる。 では値付け可能で需要と供給を満たすあらゆるものは交換していいのか?というのがこの本の命題。 要するにお金は一見資産の価値を表しているようで、資産はお金とは別に発声する価値があり、それが交換対象にされることへの禁忌とも言えるだろう。それは主に「道徳」という形でも表現されるが、「人の命」や「思いを込めて名前を付ける権利」「行列に並ぶ権利というフェアネス」「何かをしようとするインセンティブ」などが禁忌の対象にあたる。 何よりも注意すべきは数値化されてしまうことで人の心も変化するということだ(主にインセンティブがこれにあたる)。もともと人を助けたいと思って始めた仕事が売上至上主義になったり、趣味で始めた仕事が金儲け主義になったり、それ自体は悪いことではないが、知らずのうちに人のモチベーションをすり替えてしまう効果があるというが非常に恐るべきところだ。 我々が求める幸せとは何だろうか?家族の幸せな顔を見たい、誰かに優しくしたい、世の中を良くしたい、そこから始まったモチベーションはいつの間にか「いいレストランで食事をすれば家族は幸せになる」になっていないだろうか、「いいレストランで食事をするにはお金が必要」になっていないだろうか。確かにお金を回すことで我々は生活している。しかしその流れに(無自覚に)心までが持って行かれては意味がない。特に売上や利益と言った数値目標を達成したり(させたり)、金銭により強いインセンティブを得ている人には面白い発見のある本だろう。

    0
    投稿日: 2012.08.16
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    チェック項目24箇所。価値あるものがすべて売買の対象になるとすればお金を持っていることが世界におけるあらゆる違いを生み出すことになる。お金で買うことが許されるものと許されないものを決めるには社会・市民生活の様々な領域を律すべき価値は何かを決めなければならない、この問題をいかに考え抜くかが本書のテーマである。お金をもらって悪習を断とうとした喫煙者の90%以上がインセンティブがなくなって六ヶ月後には喫煙を再開してしまう。以前であれば遅刻する親は後ろめたさを感じていた、保育士に迷惑をかけるからだ、今では迎えに遅れることをそのために進んでお金を払うサービスだと考えていた、罰金をまるで料金のように扱っていた。フィンランドの21万7,000ドルのスピード違反切符が示すのは社会は危険な行為による損害の埋め合わせを望んでいるということだけではない、罪に見合う、また罪人の預金残高に見合う罪を望んでいるということでもある。ビデオ店では今や延滞料罰金ではなく料金として使っている。大統領や首相は日常的にスピーチライターを雇っているしそれを批判する者はいないという反論があるかもしれない、だが結婚式の乾杯の挨拶はアメリカ大統領の一般教書演説とは違う、それは友情の表現なのだ。特定の店のギフトカードは単純に現金を送るよりは汚名の度合いが低い、ふさわしい店を選ぶことで伝わる心遣いの要素が少なくともある程度は汚名を晴らしているのかもしれない。保育所の罰金を廃止してもは上昇した新たな遅刻率はそのままだった、お金を払うことで迎えの時間に遅れない道徳的義務がいったん蝕まれるとかつての責任感を回復させるのは難しかった。球界からの永久追放を通告する文書のコピーにサインしたものを送ってくれる。子供の名前をオークションに出品してどこかの企業が子供の命名権を買い、その見返りとして愛情豊かな両親に、成長する家族にふさわしい快適な家がや施設の資金を提供してくれること。新車のパトカーのロゴスポンサー。我々は市場がふさわしい場所はどこでふさわしくない場所はどこかを問わざるをえない、この問いに答えるには善の意味と目的についてそれらを支配すべき価値観についての熟議が欠かせない。

    0
    投稿日: 2012.08.16
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    非常に良くまとまっており、面白かった。特に市場と道徳といったタイムリーな話題が扱われており、どちらを重視すべきかについて議論が非常に鮮やかに行われている。

    1
    投稿日: 2012.08.07
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    なんとなくお金で買っても良い物、悪いものの分别をつけていた事をサンデルはどのように説明をするのかが知りたく読んでみた。 米国社会での市場の行き過ぎの実例が幾つも挙げられ、中でも学校内への企業の広告やら生徒への授業前に企業のCMを見せるなど驚いた。 日本でも思い返せば、身近なところであらゆるものが市場メカニズムに取り込まれつつある。数年前のホリエモンの企業買収問題やディズニーランドの行列に割り込むファストパス、JR普通列車のグリーン車導入は違和感を覚えた。ファストパスには公平性はあるし、グリーン車は長距離で利用している人には比較的低料金で一般市民にも魅力に感じるだろうし、この辺が日本市場での限界なのかなぁと読了後にいろいろ考え腑に落ちた。 日本は米国社会に比べてまだまだ道徳的規範は失われていないようだが、市場は常に道徳を締め出そうとしていると思うと気が抜けない思いをした。 大変難しい内容で理解に苦労し流し読みをしてしまったところもあったが、それに見合ったものはあったし、たまには小難しいことを考える機会があってもいいかなと。

    0
    投稿日: 2012.08.03
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    ・市場主義が私たちの生活をどこまで侵食してきたか。 ・それによって私達が感じている「居心地の悪さ」の正体は何なのか。 自分がずっと感じていながら、巧く言葉にできていなかった市場主義の問題点を 教授が見事に代弁してくれたと感じた。読めてよかった。 様々な市場に対して「公正」の観点から、また「(善・道徳の)腐敗」の観点から考えることで 何が真に問題なのかが浮かび上がってくる。 公正の条件を満たしていても、市場が絡むことで蝕まれる公共善がある。 この2つの観点は、自分の人生にモノサシとしてしっかりと取り入れたい。

    0
    投稿日: 2012.07.31
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    ★2012年7月30日読了『それをお金で買いますか』市場主義の限界 マイケル・サンデル著 評価B あらゆるものが、金で取引される現在、失われるものは何かを議論、検討する著作。その失われているものこそ、現在の我々がより良い社会を築くために必要なものではないかというのが筆者の主張。 ファストトラック、レクサスレーン、行列に並ぶ商売、コンシェルジェドクター、カーボンオフセット、テロの先物市場、死亡債、売られるサイン、自治体マーケティング等 既に当たり前になってしまっている物も、よくよく考えてみれば、如何に我々が失っている物が大きいかが実感できる。 いまではどこにでもある野球場の超高級BOX席。その昔、貧富の差なくスポーツを楽しむ場であった球技場は、ここでも貧富の差をつけ、その間の壁は高くそびえる。ここで失われた公共の場は、今となっては取り返しようもない。 アメリカほどではないものの、今の日本も市場主義化が先鋭化しつつあり、その前に我々が考えるべきことは、非常に重く、大きいと感じた。

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    投稿日: 2012.07.30
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    貨幣経済への疑問をサンデル先生が簡単に。。。簡単にではないけど分かりやすく解説している。僕の長年考えていた事がひゃっほーーって繋がって凄い良かったです。ポイントは、関係や物自体の価値がお金に置き換わることによって腐敗するという話がメイン。『予想通り不合理 ダン・アリエリー』で書かれた不合理さがここで説明されていて凄イイかんじっす。2012/7/27現在たてにかしています。

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    投稿日: 2012.07.27
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    レビューはブログにて http://ameblo.jp/w92-3/entry-11311235501.html

    0
    投稿日: 2012.07.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ○○をお金で買うの? というのを延々書いてくださっている感じでした。 買っ、ちゃうよねー。買えるものなら、と思うものから、買わないと思うけど、と思うものまでさまざまでした。

    0
    投稿日: 2012.07.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    一言で言えば、「世の中にはカネで買ってはいけないものがある」ということを延々と説いた本。当たり前すぎることが書かれていると僕は思ったんだけど、本を読むと、経済学者はこの見方に反対しているらしいこともわかって、かなりびっくりしました。経済学者の想像力のなさって、ちょっと想像を絶していました。

    0
    投稿日: 2012.07.22
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    道徳や倫理を考える時間を与えてくれる意味でも有意義な読書が出来た。日本にいる日常生活では出くわすことはない事例が多いが、買う買わないという道徳的判断を問う一冊。自分の知らない市場(や取引)があることに気付けたし、どうしてその値段がついているのか、モノの価値を見極める=値段をつける(値段がつく)ことについても考えさせられた。

    0
    投稿日: 2012.07.16
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    「あなたはどんな社会に生きたいですか?」 市場の問題を考えることは実は私達がいかにして共に生きたいかということを考えることだと著者は伝えてくれています。 「市場と市場価値が、それらがなじまない生活領域へ拡大した」。したがって「この社会において市場が演じる役割を考え直す必要がある」。 「お金で買うことが許されるものと許されないものを決めるには、社会・市民生活のさまざまな領域を律すべき価値は何かを決めなければならない。この問題をいかに考え抜くかが、本書のテーマ」 サンデル氏はこう訴えています。 あらゆるものが売買される現代。それが善か悪か議論されることがなかった為に、市場価値がなじまない生活領域へ拡大してしまった現代。 「考えることをしてこなかった」ことに気づかせ、議論することの重要性を懇々と伝えようとしています。 本書に答えは用意されていません。 現代の市場社会において犯されざる道徳性はどのようなものか、どこまで市場経済は拡大することを許されるのか。 今、それを考え議論することが自分達がどのような社会を目指したいのかの答えに繋がるはずです。 中学生から大人まで、幅広い年代に、多くの人が読む必要のある本だと思います。

    0
    投稿日: 2012.07.15
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    一言で言うと面白い。 倫理的にお金で買っても良いものかというものの例を提示する。 例えば、医者で並ばずに診察できる権利や病人や高齢者の生命保険買って、彼らが生きている間は年間保険料払い、死んだ時に死亡給付金を受け取る権利など。 この本を読んだ人同士で自分の立場を議論すると面白いと思う。

    1
    投稿日: 2012.07.15
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    読んでいてなんかイヤになり途中からは流し読みになりました。 裏でどんな金が流れているか。 言っている事は正しいのですが素直に受け入れられませんでした。

    0
    投稿日: 2012.07.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    [読んだ理由]================== いろんな所で書名を目にしてて、気になっていたので。 [読んだ後の感想]============== 現在、どの様なものまでが金銭取引の対象になっているかの事例の紹介と、それに対して違和感を感じるか否か、感じるのであればその理由は何なのか、がたくさんの事例で繰り返し説明されていく。繰り返されていくうちに、段々腑に落ちていく(主に不公正(強制)と、腐敗(規範が変わる)の2つ)。分厚い本だけど繰り返しが多いので、掻い摘みながらサクサク読んでいくのが良いかも。 [読書録]====================== ■序章:市場と道徳 全てが売り物となる社会に向かっていることを心配する理由は2つ。 1つは不平等に関わるもの。裕福であることのメリットが、ヨットやスポーツカーを買ったり、優雅な休暇を過ごせたりするだけなら、富の不平等が現在ほど問題となることはないだろう。だがますます多くのものがお金で買えるようになると、お金を持っていることが世界におけるあらゆる違いを生み出すことになる。お金の重要性が増す。 もう1つは腐敗に関するもの。生きていく上で大切な物に値段をつけると、それが腐敗してしまうおそれがある。 市場は取引の対象に影響を与えることはないというが、それは間違い。市場はその足跡を残す。時として、大切にすべき非市場的価値が、市場価値に押しのけられてしまうこともある。 ■第一章:行列に割り込む かつては非市場的規範に従っていた生活の領域へ、お金と市場がどんどん入り込んできている。行列の代行、ダフ行為、その他の行列への割り込みの是非を考えぬくことによって、市場の論理の道徳的な力と限界を垣間見ることができる。 市場価格は、支払い意志額だけでなく支払い能力も反映しているため、特定の財を誰が最も評価しているかを示す指標としては不完全である。若いファンはボックス席を取れなくても、スターティングメンバー全員の打率を言える。 無料の公共劇場が市場の商品に変わるとき、何かが失われる。値段が高すぎて参加できない人々が味わう失望を超えた何かが。 ■第二章:インセンティブ 腐敗には広い意味がある。ある前、活動、社会的慣行が腐敗するのは、我々がそれを扱うのにふさわしい規範よりも低級な規範に従う時だ。売りに出されるべきではない何かを売買するとき、この腐敗が生じる。 生徒や教師の勉強に対して金銭的インセンティブを払う効果は、ケースによって様々。金額には依らない。効果が出るケースでは、生徒や教師は「ただ利益追求者のように振舞っていたわけではない」。お金には表現効果があった。金額ではなく、良い成績をとることを「クール」にした。成績を上げるために生徒に「賄賂」を贈ったからではなく、学業成績と学校文化に対する姿勢を変えたから。 「賄賂」は人を操るもの。賄賂は説得を蔑ろにし、本質的な理由を外部の理由にすり替えてしまう。 健康をめぐる賄賂は、我々を騙し、何としてもすべきことをさせる。間違った理由で、正しいことをする気にさせる。時には、騙されるのが役に立つ場合もある。自力で禁煙したり減量したりするのは容易ではないからだ。 移民権の販売:多額の移民料を支払う意志のある人々は、自動的に望ましい特徴を備えているはずである。若く、特殊技能を持ち、野心に燃え、懸命に働く可能性が高い。そして、生活保護や失業手当は利用しそうもない。 保育園に子どもを迎えに来るのが遅れた際に罰金を設定すると、逆に送れる親の数が増えた。これはお金を払わせることにしたせいで、規範が変わってしまったのだ。迎えに送れることを、そのために進んでお金を払うサービスと考えていた。罰金をまるで料金のように扱っていたのだ。 人口を強制的に抑制しようと決めた社会の場合、次のどちらの政策が、より受け入れがたいだろうか。 ・子どもの割り当てを固定するシステム。描くカップルがモテる子供の数を一人に制限し、制限を超えたものには罰金を科す。 ・各カップルに取引可能な出産証を交付し、それを持っている人に子どもを一人生む権利を認める。 経済学的な論理からすると、後者のほうが好ましい。しかしこのシステムは不公正。子どもを贅沢品にしてしまう。 地球温暖化に関して、各国に環境汚染権の購入を認めるのは、人々にゴミ投棄権の購入を認めるようなものだ。我々は、環境汚染に伴う道徳的汚名を、小さくではなく大きくしようとすべきなのだ。 グローバルな協力を必要とするところで、富裕な国が環境汚染券を他国から買い、自国のエネルギー使用量の十分な削減を回避するのを許せば、2つの規範にダメージが及ぶ。自然に対する道具主義的な姿勢が強まるとともに、グローバルな環境倫理の創出に必要な犠牲の共有という精神が蝕まれる。 カーボンオフセットは危機をもたらしもする。購入者が気候変動に関してそれ以上の責任はないと考えてしまうのだ。生活様式の変化をお金を払って避けるための、無痛のメカニズムになってしまう。だが、気候の問題に取り組むにはそうした変化が必要かもしれないのだ。 「インセンティバイズ」(通常は金銭的な)インセンティブを与えることによって、(ある人物、特に従業員や顧客)を動機付けたり励ましたりすること。 この言葉が登場したのは1968年のことだが、この10年でよく使われるようになってきた。 ■第三章:いかにして市場は道徳を締めだすか 贈り物は「シグナリング」の一形態。 「シグナリング」情報の非対称を克服するために市場を利用することを表す。例えば、優れた製品を持つ起業が高額な広告を打つのは、顧客に購入を直接勧めるためだけではなく、大金のかかる広告キャンペーンを展開するほど品質に自信があるという「シグナル」を送るためでもある。 インセンティブが累積するとは限らない。金銭支払が見込まれることによって、問題が金銭の問題に変質してしまうこともある。 人々のやる気を引き出すために金銭インセンティブを利用するなら「たっぷり払うか全く払わないか」のどちらかにすべきだ。たっぷり払えば欲しい物が手に入るのは確か。しかし、お金がいかにして規範を締めだすかについての教訓もある。 本質的に価値があると思う活動に携わっている人々に金銭の提供を申し出ると、彼らの内因的な関心や責任を「締めだす」言によって、動機を弱めることになりかねない。 こうした「締め出し効果」が、経済学における最も重要な例外の一つであることはほぼ間違いない。なぜなら、金銭的インセンティブを増やせば供給も増えるという、最も基本的な経済「法則」の逆を意味しているからだ。 ■第四章:生と死を扱う市場 人の死を賭けることになる投資はバイアティカルに限らない。生命保険も人の死を商品化している。だがそこには違いがある。生命保険の場合、私に保険を売る会社は私が負ける方に賭けるのではなく、勝つ方に賭けるのだ。私が長生きすればするほど、会社が手にするお金は増える。バイアティカルの場合、金銭的利害関係は逆転する。会社からすれば、私の死は早ければ早いほどよいのだ。 保険は思慮深さを示すが、ギャンブルは陶器である。しかし、2つの活動の間の境界線は絶えず揺れ動いてきたのである。 見知らぬ他人の命で賭けをすることが、金儲けと卑しい娯楽でしか無く、社会的善には役立たないとすれば、こうした行為の腐敗を招く特質はそれを制限する有力な理由になる。 市場とは、拡散した情報、更には隠れた情報を極めて効率的、効果的、タイムリーに収集するものである。濃縮オレンジジュースの先物市場は、気象局よりも正確にフロリダの天気を予測する。 ■第五章:命名権 著作中のプロダクトプレイスメント。 ここ20年の商業主義には独特の無分別ぶりが見て取れる。それは全てを売り物にする世界の象徴なのだ。 広告自体は腐敗していないにもかかわらず、社会生活全体の商業化を促してしまう場合があるのだ。二酸化炭素の排出は、それ自体は間違っていなくても、過剰な排出は環境を破壊することがある。同じように、他の場所でなら問題のない広告の領域の拡大も、小説の舞台にまで及ぶとなると、やがては、起業スポンサーと大量消費主義に支配される社会が到来しかねない。これもまた一種の堕落である。 格差が広がる時代に、あらゆる物を市場化するということは、懐の豊かな人とそうでない人が益々かけ離れた生活をおくることを意味する。我々は別々の場所で暮らし、働き、買い物をし、遊ぶ。子供たちは別々の学校に通う。それはアメリカ人の生活のスカイボックス化と呼べるかもしれない。 民主主義にはカンペキな平等が必要なわけではないが、市民が共通の生を分かち合うことが必要なのは間違いない。大事なのは、出目や社会的立場の異なる人達が日常生活を送りながら出会い、ぶつかり合う事だ。なぜなら、それが互いに折り合いをつけ、サイを受け入れることを学ぶ方法だし、共通善を尊ぶようになる方法だからだ。 結局のところ市場の問題は、実は我々がいかにして共に生きたいかという問題なのだ。

    0
    投稿日: 2012.07.14
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    「これを売買するのはいけないような…」と違和感を感じるようなことを細かく分析していて、漠然としていた理由を結構はっきりさせてくれる内容。 身近で市の命名権売却というタイムリーな問題もあったので、興味深く読めた。

    0
    投稿日: 2012.07.14
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    お金で買えないモノは無い。と言った某経営者ではないが、それでもお金で買えないモノがあることや、公共の場所、聖域とされている箇所をお金で買う事の裏にある、非道徳や腐敗に目を向けさせる為に、代理母、命名権、生命保険の買い取りなどを例に、自分の感じる、何となく嫌。と感じる原因を明らかにする。 罰金と捉えるか、費用と捉えるか。費用と捉えると、罰金では無く、免罪符に変わってしまい、そこから腐敗が始まると言う説明は、なるほどと唸った。

    0
    投稿日: 2012.07.11
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    結局のところ市場の問題は、実はわれわれが、いかにして共に生きたいかという問題なのだ。われわれが望むのは、なんでも売り物にされる社会だろうか。それとも市場が称えずお金では買えない道徳的。市場的善というものがあるのだろうか。  私たちは、あらゆるものがカネで取引される時代を生きている。民間会社が戦争を請け負い、臓器が売買され、公共施設の命名権がオークションにかけられる。市場の論理に照らせば、こうした取引に何も問題はない。売り手と買い手が合意の上で、双方がメリットを得ているからだ。 だが、やはり何かがおかしい。 貧しい人が搾取されるという「公正さ」の問題だろうか?それもある。しかし、もっと大事なものが失われることがある。これまで議論されてこなかった、その「何か」こそ、実は私たちがよりよい社会を築くうえで欠かせないものなのでは――――?(扉紹介より)  善き生とは何か?人生の根本問題と密接に関わるテーマに真正面から取り組む。

    0
    投稿日: 2012.07.07
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    現代社会のあらゆる場面に浸食している市場主義について、実際のケースを元にして様々な考察を繰り広げる1冊 サラリーマンをやっていると、マーケティング的な思考を追求してしまいがちではあるが、心の底ではその仕事の「本質的」な価値に疑問を抱くことも少なくない その根源的な違和感がなぜ沸き上がってくるのか、この本を読むことで明確に理解することができる 市場経済主義にまみれて生きて行くか、人間としての本質的な価値を追求していくのか、この本を読んでいる間はそんなことを考えてた

    0
    投稿日: 2012.07.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ダフ屋によって価格が釣り上げられたチケット、列に割り込む権利 の販売、成績の良い子供支払う報奨金、これらは問題ないことだと言えるのだろうか? 資金の様々な使われ方が、経済的な面と倫理的な面から考察されていて、両方の意見に納得できるところがあり、どちらも興味深かったです。 中でも、罰金を課すことによって、それが自然と料金となり、必ずしも行為が防止されるわけではないことが面白い所でした。 例えば、お金を払ったのだから、この違法行為をしてもいいだろうという人の心理状況には納得してしまいました。 読了後は、目からウロコが何枚か剥がれ落ちた気分になりました。

    0
    投稿日: 2012.07.02
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    「正義を語ろう」よりももっと直接的に、自由主義・市場主義を批判している書。一つの思想として、相変わらず興味深い。資本主義社会における「イノベーション」は社会の利便性を向上させるのみならず、既存の価値観を常に変革(もしくは破壊)していくものでもあること、そしてその絶えざる変革に対して、伝統的な「道徳」の観点から保守的な批判を行うサンデル、という図式が明確になったように思う。この新たな革新と保守の構造は、今後の人類の歴史にどう影響を及ぼすだろうか。 しかし、こうした反市場主義の論説は、具体的な施策に欠けるのが難点だ。この本でも、市場主義の批判に徹底してはいるが、「じゃあどうすればいいのか」という問にはほとんど答えられていない。善き生とは何かみんなで議論しよう、というだけでは説得力に欠ける。同じく資本主義批判の文脈で、モースの「贈与論」を引き合いにだす論説に対しても、同様の物足りなさを抱いたことを喚起させられた。

    1
    投稿日: 2012.06.30
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    あるものに値段をつける、市場に持ち込むことは、そのものが持っいるテロスに腐敗や堕落を持ち込まないかを考える必要がある。単に功利主義、自由主義的に問題ないということでは十分ではない。道徳的な観点での議論が必要だ。

    0
    投稿日: 2012.06.30
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    昨今の某企業の態度や生活保護の話をみて何でこうなるんだろう、と考える事があるけど、それに対する一つの回答。 お金は生きるためには必要であるが衛生要因であるかな、と自分は考えている。 心の奥底にある尊厳が経済合理性や資本主義の趨勢により薄れてしまいがちであるけど、どこかで留めておかねばならない要素であることは否定出来ない。 その尺度というかバランス感覚について改めて考えさせられる本です。

    1
    投稿日: 2012.06.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    何でもお金で取引する=市場主義の導入が良いことなのだろうか、という疑問。たとえば、結婚式のスピーチを代行で考えてくれる会社に、原稿を依頼すること。これは友情をお金で買っている様に見える。こういったことまでお金で取引してよいのだろうか、というのがテーマ。 これまで道徳的議論が行われていた領域に、市場主義を新たに持ち込むと、道徳的観点から金銭的観点に問題が変質し、(道徳的には許されないが)お金で解決されるならそれでよいか、という考えに人々が染まっていくことが大きな懸念である。 本来道徳的に節度を持つ事が人として大切なのであって、なんでもかんでも市場主義に任せればよいものではない。 本書ではアメリカの市場主義によって問題が変質した事例が多数紹介されていた。市場主義が至る所に拡大が進んでいるのが不気味に思えた。

    1
    投稿日: 2012.06.20
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    【レビュー】 欧米で浸透しつつある、日本人の目からしてえっと思うような分野でのお金儲けが事例で数多く紹介されている。わたしはそれらをえっ?と思うから立場としてはサンデル氏と同じだが、この本の中でそのえっ?を説得的に立証してもらえると思って読んだから期待外れであった。本書は事例紹介が中心で、課題解決という点では示唆程度。まあ仕方ないかとも思うが。 【特記事項】 ・本来市場原理ではないところに市場原理が浸透しつつあり、それにより、公正に関する議論と腐敗に関する議論の二種が沸き起こっている。いわゆる、資本主義の追求と、それによる倫理感との衝突は、上の二種のいずれかとなる。 ・読書を奨励するために、ダラスの成績不振校は、子どもたちが本を一冊読むたびにお金を払っている。もちろんテストをして本当に読んでいるか確認するが。 ・同じ行為に対して支払いをしなければならない場合でも、それが料金とされるか罰金とされるかで人のインセンティブは異なってくる。 ・インセンティブは、近年の経済学で隆盛を極めている。 ・何かを行わせるために金銭的インセンティブを支払うなら、たっぷり支払うか、まったく払わないかのどちらかであるべき。 ・経済学者が市場主義を礼さんするのは、利他精神、寛大さ、連帯、義務などに頼りすぎないほうがよい、なぜならそれら道徳感情は枯渇する希少資源だから、という理解がある。 ・テロが起きるかどうかを一般に問う「テロの先物市場」というべきウェブの提案がアメリカの一機関からなされたが、反対された。 ・野球で、ホームベースへの生還の際に「セーフです。安全と安心。ニューヨーク・ライフ」とアナウンサーは言わなければならない。こうした形での企業宣伝は、監督の選手交代時やバッターボックスに立つときのアナウンスにも反映されていることがある。

    0
    投稿日: 2012.06.19
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    相変わらず分かりやすい例ではあるものの、それが長過ぎて結論が見えにくくなっているのが残念。 結論自体は序章で出ていて、最後まで読んでも「そうですか」くらいの感想しか出なかった。

    1
    投稿日: 2012.06.19
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    これからの~に比べて、哲学的な内容が無かったおかげか、比較的読みやすかった。 行き過ぎた市場主義の危うさ、インセンティブに関わる効果など、とても興味深い内容で勉強になった。 日本は未だ道徳的なのだろうか。考えさせられる本だった。

    0
    投稿日: 2012.06.19
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    読了後、自分はどうする? ただ読んで終わり、ではなく、その後の自分のスタンスを決めなければ読んでいないのも同然だ。 スタンスを決めた自分のひとつの行為が、なにも変えられずとも小さな礎となることを信じて。

    0
    投稿日: 2012.06.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    マイケル・サンデルの最新作。 今回は市場経済がモラルを腐敗させるというお話。 内容とは全く関係ないけど、外国人の本はなんでこーもまわりくどい構成になっているのだろうか。 この半分のページで十分だ。 で、内容の方は冒頭にも挙げたように、市場経済が進出してはならない領域がありますよということだ。 具体例はわかりやすく、説得力のあるものばかりで読んでいると納得してしまいがちだけれど、それはあくまで著者が用意したものなのだから、それ以外にもどういう領域に市場経済は適していて、どういう領域はダメなのかをもっとツッこんで欲しいと思う。 あとは功利主義の批判で終わっていて、コミュにタリアンとしてのサンデル自身の解決策みたいなものが提示されていないのがちょっと残念。 こういう内容に興味がある人は橘玲の『(日本人)』を読んだ方がいいと思う。 では、バイちゃ!

    0
    投稿日: 2012.06.17
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    市場主義の問題点として不公正と腐敗(倫理観)の2点を指摘した本。 もんやりした自身の不快感の源は、この観点で追究すればよいのかとクリアになった。一方で、だからどうする?という提言がなかったのが残念。批評にとどまっているように感じられ、物足りない。そこは期待しちゃいけないところ?

    0
    投稿日: 2012.06.13
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    少し難解な表現の為、若干ではあるが読み終えるのに時間と労力を必要としたが、日本で数多く出回っている経済本や政治評論本を完全に凌駕するとても刺激的な内容であった。著者がこの本で語られている事はとてもシンプルで、いたって当り前の事なのだが、この当り前な倫理が、こと、おカネが絡む経済の問題になると、人間はモラルや道徳と言った、おカネを制御する大切な装置を、いとも簡単に捨て去ってしまう。もし、今後の日本において、民意が二分するような、消費税や原子力問題を判断する上で、この本が多くのヒントを私達に与えてくれている。

    0
    投稿日: 2012.06.09
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    臓器の売買やバイアティカル投資(末期疾患の人たちの生命保険を買い取り、その保険金で儲ける方法)、公共施設の命名権など、これまで馴染まなかった領域にも市場価値が入り込む時代。あらゆるものがカネで取引される市場勝利主義時代の問題点を、具体例と共に挙げている。主な理由は2つ、①不公正の問題(腎臓を売るという選択は自発的なものでなく、そうせざるを得ないケースもあるため、市場は貧しい人々を食い物にする。)②腐敗の問題(養子に出す赤ん坊に市場価値が付されれば、人間を侮辱し、道徳的に腐敗する。)。後者の方が重要。ひとたび市場で取引されると、そのものの性質は変わり、新たな市場規範が出来てしまう。我々は、市場がふさわしい場所、ふさわしくない場所を考え、お金で変えない善について考えなければならないというお話。

    0
    投稿日: 2012.06.07
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    そんなこと普通はしないよね、ってことが、年々、誰かに迷惑をかけるわけでもないんだからいいじゃんという感じになってきていることに違和感を感じていた自分としては、ああこの違和感の原因はそういうことなのよね、間違ってないよね、と整理することができた一冊。

    0
    投稿日: 2012.06.03
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    公共施設の命名権や代理母出産ビジネス、臓器売買など、市場原理の介入で嫌悪感を抱くことが増えている。その何がいけないのか、はっきりと説明できなかった部分を本著では明確にしてくれる。 市場に任せることは楽な手段である。面倒でも、道徳や人の善き生について考えるべき分野が確かに存在し、それを行っていくことが人間くさくて私には望ましいと感じた。

    0
    投稿日: 2012.06.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    市場主義と道徳という,かなり深いテーマなのだが,それほど目新しい切り口で解説しているわけではなく,期待していただけにちょっと残念だった。 でも,最後まで面白く読めたことは事実。 確かに現代社会はなんでもお金で買えるようになってきており,お金が恵まれない人たちとの距離をどんどんと隔てていく感があるのは否めない(特にアメリカは日本よりも顕著なのかもしれない)。 罰金と料金の考え方等はなかなか面白いね。

    0
    投稿日: 2012.05.31
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    書いてあることは言われてみれば当たり前、けれど内容のように考えたことはなかった 年々お金で買えるものが増えてきている、しかしその中にはどうしても認められないものが多々ある それは市場に道徳が介入しているから、感情を経済から追い出すことはできない、そうこれこそ市場の限界なんやろうなぁ

    1
    投稿日: 2012.05.31
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    "お金で買えないもの" ばかりを重視する考えには違和感がある。 対価を支払ってでも手に入れたい対象には、そこに至る願いとか努力といった価値が含まれている訳で、その価値を十分に認めた上で初めて、そうでないものの素晴らしさが成立する。両者は表裏一体であり不可分。

    0
    投稿日: 2012.05.26
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    格差時代の市場化は、生活の場・活動・交流を懐具合で分断する。民主主義に重要な、共通の生の分かち合いがなくなる。 リストアップされると改めて気づく、市場価値の生活への侵入。 背景には、細かなコントロールを可能にしたICT技術。 無意識・無自覚でいてはいけない、ということなのでしょう。

    0
    投稿日: 2012.05.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    想像以上にアメリカの拝金主義的化は進んでいるようだ。 「お金で解決できること」がこれまでになく増えている。 刑務所のアップグレード、ハイウエイの相乗りレーンを走行する権利、妊娠代行サービス、アメリカ移住権、主治医の携帯番号。教育の現場では本を読む度に2ドルを与えたり、成績優秀者に報奨金を出すなど「インセンティブ」で学習意欲をつり上げる。果ては有名人の死に投票したり、生命保険を債券化して金融機関が売るという末期的症状。これらはすべて「本人の意志で行われ」、「他人に迷惑をかけていない」以上、従来の経済学では「正しい市場経済の一貫である」と判断できる。著者はそれに異を唱える。「倫理」や「道徳」まで金に換算するべきではない。それらに値段を付けた途端にモラルは低下する。「腐敗」が始まるのだ。すなわち人間の精神を「傷付ける」可能性が高い。 その通りだと思う。だがこれでネオリベラリストたちを説得できるとは思えないのが残年だ。彼らは涼しい顔をしてこれらを称賛するだろう。 どうしたら彼らを論破できるのだろうか?

    1
    投稿日: 2012.05.21
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    以前から市場主義にはある種の”うさんくささ”を感じていたが、本書を読んで、それは”おぞましさ”へと変わった。 アメリカにおける事例を元に書かれているが、それは程度の差はあれ、日本でも同じ事。 本書に明確な答えと解決策が提示されているわけではない。それは我々一人一人が考えなければならないことなのだから。 是非多くの人に本書を読んで、これでいいのかどうか、真剣に考えて欲しい。

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    投稿日: 2012.05.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    すべては金で解決できない。 資本主義経済は世界の市場を豊かにしてきたという嘘に、市井の人たちも気づき始めている。 だからこそ、こういう本も出てきたのだろう。 スーパーマーケットで手に入るものだけがお金で売られているのではない。 驚きのあまり読むことが止まってしまうような物事さえ金額を付けて売り買いされている。 お金で取引することが行き過ぎて、恐るべき歪みが生じている。 そしてそのお金を得るために無理をして働き、心身を壊し、自殺も増え、家庭や人間関係は崩壊する。 もう、「マネー」はやめにしないか。学歴やキャリア、収入と、人として必要な衣食住を得ることを天秤にかけるのはもう終わりにしようではないか。 抑圧され続けたサバルタンの声が、この本の行間から聞こえてきそうに思えてならない。

    1
    投稿日: 2012.05.17
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    説得的だとは思わないけど知らない話も多くておもしろい。こういうのも勉強しないとな。経済学者がこういうのにどう反応・批判するのか知りたい。

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    投稿日: 2012.05.06