
総合評価
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powered by ブクログ一見すると山村の生活誌に見えるこの著作は、実際には日本人の精神世界の深層に迫る、極めて野心的な試みとなっている。 本書の中核を成すのは、山の神をめぐる深遠な考察である。なぜ山の神は女性として表象されるのか。その神格には、いかなる両義性が潜んでいるのか。 たとえば木地師たちは、樹木を伐採する前に山の神に祈りを捧げ、伐採後は神を慰める儀式を行う。その背後には、恵みを与えつつ畏怖をも呼び起こす山の神の複雑な性格が垣間見える。 柳田は丹念な調査と鋭い洞察により、狩猟民と農耕民それぞれの山の神観の差異を明らかにしながら、そこに通底する日本人の自然観を浮かび上がらせる。 とりわけ注目すべきは、山人(やまびと)の存在への着目である。 山中に住まう異界的存在としての山人は、時に現実の山民の姿を借りて顕現する。ある村の狩人は、見知らぬ老人から狩猟の秘術を授かったという。その老人は後に姿を消し、誰も見たことがないという。 柳田はこうした不可思議な関係性を論じる中で、可視と不可視の境界に揺らめく日本人の他界観の核心に迫っていく。 山を他界として捉える日本人の死生観において、山は単なる地理的存在ではない。 深山に分け入った人々の体験談には、時間や空間が通常とは異なる様相を見せる「異界」の記述が散りばめられている。たとえば、わずか半日のつもりで山に入ったはずが、里に戻ってみれば三日が経っていた、という話が各地に残る。 柳田はそうした事例の背後に、生と死が交錯する磁場としての山の本質を読み取っていく。
0投稿日: 2024.11.22
powered by ブクログ遠野で起こった不思議な出来事が、柳田國男の美しい筆致で次々描かれている。 先日、遠野旅行へ行ってきたので、とても興味深く読んだ。
1投稿日: 2024.08.31
powered by ブクログ遠野だけが特別ではないのだろう。 ここでもどこでも聞かれそうな話ではあるけれど、著者の書き様がとってもいい。
0投稿日: 2023.09.28
powered by ブクログ我々が空想で描いて見る世界よりも、 隠れた現実の方が遥かに物深い。柳田国男『遠野とおの物語』1910 諷刺の笑いというのは淋しいもので、それの出しゃばる時世はきっと明朗でないのだが、 また一方に牽制するところがあって、我がおろかを棚へ上げている者を自粛せしめる。柳田国男『不幸なる芸術』 魂になってもなお、生涯の地に留まるという想像は、自分も日本人である故か、私には至極楽しく感じられる。柳田国男『魂の行くへ』 仏教が新しい考えを日本にもたらしたというより、日本固有のものが仏教に触れて変質していった。柳田国男 ****************** まれびと。海のかなた、別世界から村にやってきて人々に恵みを与えて去っていく。折口信夫おりくち・しのぶ『まれびと(稀人)の歴史』1929 あの世は抽象的なものではなく、自分の生活している世界の「あの山」の向こう、「あの海」の彼方に聖なる世界(仏の世界)がある。▼「しぬ」の漢字は「萎ぬ」。生気が無くしなしなになること。その逆は活く(いく)。折口信夫『死者の書』1943 ****************** 庶民の生活を描き出すことで、今日の文化を築き上げてきた生産者のエネルギーはどういう人間関係や環境の中から生まれて出てきたのかを探る。宮本常一『忘れられた日本人』1960 ✳︎性に奔放な庶民の女性たち。cf. ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』1585 ヨーロッパでは都市(生活領域)の中心に教会が建てられ、神がまつられる。日本では生活領域の端(自然との境界)に神がまつられる。山の奥(オク)と海の沖(オキ)はともに聖なる領域への志向性をあらわす同じ語源の言葉ではないか。オギュスタン・ベルク『日本の風土』1986 ******** ○付喪神つくもがみ。道具は長い年月が経つと精霊が宿る。神社で人形・もの供養をする。 ○道祖神どうそしん。外から悪いもの入ってこないよう村を守る。
2投稿日: 2023.07.26
powered by ブクログ昔話というデータを収集し、そのような話が誕生に至った経緯を考察。その結果、山男・山姥・天狗・鬼なども「やまびと」に還元される。便利な機器のない時代にもかかわらず恐ろしいまでの研究魂に圧倒。
0投稿日: 2023.04.12
powered by ブクログ河童とか座敷童のでてくる遠野物語読んでみたかったのですが早池峰山とかは一度登ってみたいとおもいました。 山の人生の方は神隠しとか山の神に嫁入り、山姥とか奇怪な事例と考察があっが平地に暮らす人々とは違う文化や暮らしぶりが窺われた。サンカのことにも少し触れていましたが流浪の民が日本にもいたことにロマンを感じました。 けれども飽きてしまい最後まで読めませんでした。
4投稿日: 2023.01.06
powered by ブクログ「願わくばこれを借りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ」 近代化への憂いと山人文化への期待が、序文のこの二文から強く感じられる。リズムもよくてとてもかっこいい! 実際読んだのは青空文庫の序文だけで概要や時代背景は別の本や動画を参考にした。 メモ代わりに投稿させてもらう 結局山人文化の思想は崩れることとなったが、遠野で怪奇的な体験が生まれ、伝わり、広まったことは「現在の事実」だった。 今もなお文化を継承したいという想いから遠野市で遠野物語が語られていることは、事実である。 西洋文明が中心の現代でも、実証できない主観的なものは文明の発展に役立たずに思われてしまうがそうではないのだ。 大切なものは合理性も客観性もないところにある。どんなに主観的であり得なそうな現象や想いにも、今を読み解くキーがある。 人の想いだってほとんど主観的で自分から見れば他人は理解し得ないことばかりだが、他人を意味が分からないと撥ね退けることをせず、その人の主観に寄り添う生き方をしていきたい。 世界は単純なものではなく、神秘的な偶然の出会いが常に作用し続けている。合理性よりも直観を大切に生きていきたい。
1投稿日: 2022.08.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「遠野物語」を目当てで購入したのだが、それを加味して読む「山の人生」での考察が面白かった。 鬼や天狗などは初めからその存在の伝承が囁かれていたのではなく、前提となる事情があり、それに説明がつけられたものだという風な指摘が印象に残った。だから別の妖怪でも特徴が一致していたり、また、地域によって異なる風貌で言い伝えられていたりする。 神隠しや山男の発祥についても触れられている。自分では考えてもみなかった可能性や背景が示唆されており、膝を打った。
0投稿日: 2022.08.28
powered by ブクログ1910年の『遠野物語』と1926年の『山の人生』を1冊にしたもの。 桑原武夫が解説で指摘しているように、『遠野物語』はあくまでも「今日」や「近頃」の話として語られているのが、興味を惹かれる。実際、「西洋人」の風習や1896年の三陸大津波に関する話も収録されているし、マッチ工場も登場する。家産が傾く話も目立つが、これも明治期のことのように思われる。伝説や民話集としてだけではなく、幕末~明治期の急激な社会変動のなかでの人びとの記憶としても読める作品なのだろうと感じた。
14投稿日: 2021.12.09
powered by ブクログごく短い物語ばかりたんたんと続くのだけれど、読み進むうちに不可思議な酩酊感に襲われる。文語のリズムが心地よい。京極夏彦のリミックス版と平行して朗読してみたら面白いかもしれない。例えば宮沢賢治との関連を読み解きながら。
2投稿日: 2021.06.05
powered by ブクログ柳田国男 (1875-1962) の『遠野物語』(1910, 明治43年) は、日本文学史上に長く残る逸品である。岩手県遠野郷に伝わる神、妖怪、世間話、習俗を簡古かつ気品ある文で書き留めた比類のない作品であり、興味深く魅力のある話の宝庫である。例えば、ザシキワラシについては、次のように記している。 「橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢えり。物思わしき様子にて此方へ来たる。お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸(きのこ)の毒に中(あた)りて一日のうちに死に絶え、------」
0投稿日: 2021.05.13
powered by ブクログ短い章で区切られた遠野物語は口碑の書き留めなので、一方的な言い伝えや噂話にすぎないが、山の人生は論文として書かれているので、山人の存在は純粋に好奇心をくすぐられる。山人は日本の先住民族で大和民族と同化して我々になったのか。山窩とも呼ばれた漂泊民ともう一つの山人もいたと思える。むしろ岡本綺堂が「くろん坊」に書いたのは「人ではなく猿でもなく、からだに薄黒い毛が一面に生えているので、俗に黒ん坊と呼び慣わしているのであって、まずは人間と猿との合いの子ともいうべき怪物である」。岡本綺堂の描く黒ん坊は人語を話さない。「享和雑記」にも書かれているそれは濃州の黒ん坊であり、言ってみれば広島比婆山のヒバゴンのようなものか。そして時に山の神と同一視される。民俗学への興味が一気に増す一冊。
0投稿日: 2021.03.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「山に埋もれたる人生あること」 柳田国男は、歴史として農民の厳しい現状を様々な人たちに伝えたかったのではないかと考える。この本が出版されたのが1926年 また、本文の初頭に「三十年あまり前」 と書かれていることから、この本に書かれている時代として1896年以前に起こった貧困問題が書かれているのではないかと考える。なぜ、柳田国男はこのような文章を何のために書いたのか、という事だが、この時代背景として1880年代半ばに起きた日本での産業革命を中心に、政府が農民に負担をかけた地租改正などが、農民から餓死者を増やし、貧困や不景気の問題を巻き起こしていた一つの問題ではないかと考える。また、柳田国男自身が農民の貧しい生活に触れ、感じた経験から、社会的問題の貧困や不景気が人の闇に触れたり、精神的に追い詰められたりすることで自らのこころを失い、人を殺してしまうという事の恐ろしさを伝えている。さらにまた、人間が想像する空想の世界と現実の世界とでは理想の落差が大きく、空想を見つめ現実に目を向けようとしない現実逃避者が多いために、こういう事実があるというのを伝え、改めて農民における貧困や不景気の苦しさを、国民を始め政府に伝えたかったのではないかと考える。このことから、柳田国男は、農民の厳しい現状を伝え空想の世界と現実の世界で巻き起こっている問題について歴史的に伝えたかったのではないかと考える。
0投稿日: 2020.11.24
powered by ブクログ遠野物語・山の人生 (和書)2013年07月10日 21:47 1976 岩波書店 柳田 国男 人間という存在を吟味することへの一つの道筋であり、語られるエピソードの数々もよかったけれど国男さんの吟味されたコメントが面白いです。 前から読んでみようと思っていましたがなんだか読みづらそうに思えて避けていましたが、この岩波文庫は凄く読みやすく創られていて感動しました。 岩波文庫はいいですね。全集とかから持ってきて読みやすく配慮されていていいです。岩波文庫永遠なれ。
0投稿日: 2020.09.27
powered by ブクログ取材して聞き書きした、短編。 その取材感がそのまま出ているので、 なかなかリアリティがあって、 そのリアリティが感じさせる怖さが、魅力的。 現地も訪れると、より世界観が広がります。
0投稿日: 2019.10.21
powered by ブクログ前段の「遠野物語」はいつか読んだ。でも後段の「山の人生」と合わせて読むことで、改めて感心せざるを得ません。 興味ポイントは2つあります。 ひとつは、山に、実際に人がいたという事実。古くに渡来民族に追いやられたと思われる日本の先住民族ではないかという指摘です。彼らは顔赤く、背が高く、目が爛々と光る異人であった。 かれらが、里人とある時には接触したり小ぜりあいを起こしたり同化したりしつつ、やがて「山姥」「河童」「デェラボッチ」「天狗」の伝説に昇華していったと推論するわけです。 「山の人生」というタイトルはよくつけたもので、山にあった異形のものでも、それはかつて「普通の人間」であったという示唆ですね。 もうひとつは、この書が書かれた大正から昭和にかけての時代…まだ神隠しやらが「実際に」起こっていた同時代に、伝承や民間の文書をたんねんに冷静に読み解くことで、その裏に潜む「事実」をあぶりだそうという、柳田国男の先見性というか、科学の萌芽への驚きです。 * ところでちょっと突飛な連想ですが、次のようなことを思う。 ときは現代。 むかしのような迷信はなくなったろうか。実は今もあるんじゃないか。 ある種の都市伝説とか、スピリチュアル系・宗教系のもろもろとか、あるいはチェーンメールとか、「祟り」のような不思議譚や恐怖譚は今も事欠きませんやね。 そういう怪異系に限らず、インターネット上でささやかれる数多の情報、データ、ウワサは本当にそれと信じていいものかどうか。 山の魑魅魍魎と、情報の海の魑魅魍魎…人間は大して進歩していないんじゃないかしら。 それらを読み解くリテラシーというものを、当時の柳田国男以上に、現代人こそ持つべきなのかも知れません。
3投稿日: 2019.06.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
中学校の修学旅行で岩手に行くことになり、事前に研究発表会が行われたとき 発表内容に一部を調べるのに使ったのが遠野物語でした。 様々なフィクションで、メタファーとして、目にしてはいましたが、きちんと通して読んだことがなかったので読んでみることに。 民俗学としてはもちろん、単純に、物語としてもとても面白いです。 『遠野物語』が目当てでしたが、『山の人生』も非常に興味深い内容でした。 様々な逸話を考え合わせて事実を突き止める作業にとてもロマンを感じます。
1投稿日: 2019.04.11
powered by ブクログ遠野物語を読みたかったため、山の人生はほとんど読まずに読了。 旧仮名や言葉遣いなど読むのに多少時間がかかりますが、日本に古くから伝わる妖怪や不思議な話がたくさんありとても面白かったです。 昔の東北地方の農村地帯の生活を垣間見ることもでき興味深いです。 河童や座敷童の話が有名ですが、天狗や山の人の話なども楽しいです。たまにちょっと怖いですが。
0投稿日: 2015.03.02
powered by ブクログ伝承文学の原石そのままの魅力を抜き出したような(しかし実際には意図的に漂白された)遠野物語も素晴らしいが、柳田自身の考察が前面に出ている山の人生が抜群に面白かった。日本各地の地方に伝わる神隠しの口頭伝承、それと同時に山の人(つまり、仙人だ)について語られた説話を結び付け、山の人とは日本民族が定住する前からこの地に住んでいた先住民の末裔ではないかと推測するその論はとても刺激的だ。「我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遥かに物深い」という一言は、物語の起源に向き合い続けた者が持つ説得力がある。
1投稿日: 2015.01.20
powered by ブクログ100分de名著で「遠野物語」を読んでいる。その第二回について、こちらに書く。 三人の女神が統べる遠野三山(早池峰山、石上山、六角牛山)は、女神の嫉妬を恐れて女性は登らない。反対に男性の成人儀礼の山となっている。 面白いのは、他の山は男の神様が統べるようになっている。混沌とした神様の体系。ギリシャの神々ともまた、違う。恐ろしい部分と豊かな部分を見せる。まさに自然そのもの。 里や家の中に神様がいる。 オシラサマ、座敷童。 家に福をもたらす神様。 実際にあった豪農の盛衰を語る。孫左衛門の家のことが繰り返し語られる。 柳田は神様は本当にいたと思っていたか。 「不思議であることをそのまま認めていた」 九六 遠野の町に芳公馬鹿とて三十五六なる男、白痴にて一昨年まで生きてありき。この男の癖は路上にて木の切れ塵などを拾い、これを捻りてつくづくと見つめまたはこれを嗅ぐことなり。人の家に行きては柱などをこすりてその手を嗅ぎ、何ものにても眼の先きまで取り上げ、にこにことしておりおりこれを嗅ぐなり。この男往来をあるきながら急に立ち留り、石などを拾い上げてこれをあたりの人家に打ちつけ、けたたましく火事だ火事だと叫ぶことあり。かくすればその晩か次の日か物を投げつけられたる家火を発せざることなし。同じこと幾度となくあれば、のちにはその家々も注意して予防をなすといえども、ついに火事を免れたる家は一軒もなしといえり。 知的障害の人々にも人を超えた能力を持つ人がいる。経済原理のの中の合理主義ではなく、居場所をもたせる。この白痴の男の嗅覚は非常に高かったのか、それともたまたまいつもの奇行が火事の家に当たり、それに尾ひれがついたのか。それはどうでもいい。ともかく、それが人々に語り継がれて、「許されている」しかも本人が去年まで生きてる、ということに、日本人の「人智を超えたもの」との付き合い方がある。 しかも、この男の能力は火事を防げなかった。人間の能力を超えたものは防げない。自然災害に対する日本人の諦めの良さはここから来ているだろう。 自然に対する態度は、それでいいと思う。私だってミサイル程度で殺されるゴジラは見たくない。神々とつながる人々はどうか。白痴の男は、共同体の中では人智を超えた者になった。共同体の中の居場所を与えていることは素晴らしい。しかし彼は自然そのものではない。白痴の人間は、一方では毎日家族が世話をしていた人間だっただろう。しかし、遠野物語の中では自然そのもののように扱われている気がする。神々と人々との付き合い方ではなく、人々と人々との付き合い方はどうするか、その答えを求めるのは、遠野物語の任務ではないのかもしれない。 明治から昭和にかけて、日本は史上稀に見る変革期を迎えた。政治体制の変化だけではなく、生活、民俗の変化が著しかった。その中で失われたものを大切にし、そのエッセンスはもしかしたら、現代に脈々と受け継がれているかもしれない。いや、受け継がれているのである。だからこそ、そこから得るものを探して行きたい。 ずっと昔、常民文化研究会の指導教官だった高桑守史先生との「論争」を、今しきりに思い出している。 (2014.6.17記す)
6投稿日: 2014.06.19
powered by ブクログ岩手県遠野地方の民話、伝説、伝承、言い伝え、怪談話。昔こんなことがありました的な短い話がたくさん。古い文体で読みにくい。オチのはっきりしない話も多いが、昔話ってそういうもの。
0投稿日: 2014.06.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「遠野物語」は、伝承を百数十個収録している。短いものも多く、歴史的、資料的価値はともかくとして、読み物としてはイマイチ。 「山の人生」は、平地に棲む人間とは異なる山の人間(山男、山姥、大人etc)についての逸話を集めたもの。
0投稿日: 2014.02.13人間の根源に関わる事
遠野地方に住む人がその地方に語り継がれている話として語ったものを、柳田国男が記したものです。素朴で簡潔な文体で、脚色などなく、なるべく語られたままを伝えようとしてあります。山男や山女の話、マヨイガと言って山中に現れる富の館の話など、様々なものがあり、一つ一つの話を丹念に見ていくと、物語としても面白いものが並んでいます。 柳田国男によれば、伝説や俗信には必ずや深い人間的意味があるはずで、柳田国男はそれらを根気良く収集し、掘り起こして行ったのです。これらの話を単なる田舎者に伝わる他愛もない話と片付けるのではなく、話が長い年月に渡って伝わっているからには何らかの意味がそこに隠されている、それは何だろうかと著者は問うています。 現代の科学的な基準で、切り捨てられてしまった世界が、当時の遠野にはまだ残っていました。科学的な視点で見たときに、合理性がないと切り捨てられた世界の中に、何か心の中の世界に、実は人間の根源に関わる事柄が潜んでいるのではないのでしょうか。科学的合理性からいうと、幽霊などは全く見向きもされない存在となっていますが、しかし、深夜の山奥に一人取り置かれたとしたら何か得体の知れない恐怖を感じるでしょう、それは幽霊という説明とは違うかも知れませんが、我々が実体験する何かの現象を現していると思います。そのような科学的には分析できないけれども、確かに人間が経験している世界が存在しているのではないでしょうか。そういうことを、遠野物語のような本を読むときに改めて考えさせられます。
1投稿日: 2013.12.28
powered by ブクログ昔の精神錯乱と今日の発狂との著しい相異は、実は本人に対する周囲の者の態度にある。我々の先祖たちは、むしろ怜悧にしてかつ空想の豊かなる児童が時々変になって、凡人の知らぬ世界を見てきてくれることを望んだのである。
0投稿日: 2013.09.05
powered by ブクログ前々から読んでみようと思っていて、長らく手を付けてなかった。 民俗学はキライではないけれど。 今回読了に至ったのは、 此度、父親の故郷である岩手県釜石市に父母が墓参りついでに観光で遠野迄足を伸ばすとのことで、急遽読んでみた次第である。 遠野物語を読んでいて、佐々木姓がふんだんに登場したとき、岩手って、本当に佐々木姓が多いんだなと今更ながら思った。父は婿養子だが、婿養子になる前は佐々木姓である。 繋がりがもしあるのであれば、辿るのも面白そうだと思うが、父の実家は既にない。おそらく家系図などもないだろう。歴史的背景を調べられないのは非常に残念だ。
2投稿日: 2013.04.19
powered by ブクログ日本に先住民がいたという前提で論を進めることで日本の民俗を分析していこうという書籍だと思う。 非常に興味深く読むことが出来た。
1投稿日: 2013.04.05
powered by ブクログさかしいとか賢いという古い時代の日本語には、普通の児のように無邪気でなく、なんらかやや宗教的とも言うべき傾向をもっていることを、包含していたのではないかとも考える。
0投稿日: 2013.03.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
一度読もうとして挫折した本。今回めでたく読了です。 以前から、遠野物語には興味を持ってましたが、文語体の文章はスラスラとは読めません。勉強不足の自分の場合、理解するのに通常の1.5倍はかかりました。それと比較して「山の人生」は読みやすいうえに様々な伝承から理論的に推察し最終的に「山人」の存在を浮かび上がらせていくなど、非常に興味深く、面白かったです。 個人的に印象に残ったのは2つ。一つは現在と近代化以前の庶民の感覚が全く違うこと。特に人の「死」に対する考え方がやはりというか、違うものだと改めて感じました。冒頭にある名文「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」。まさに戦慄を覚えた部分も多くありました。 もう一つは終盤にある「これを下品だとして顧みないような学者は、いつまでも高天原だけを説いているがよい。」の文。今では、この高天原すら論ぜられなくなった現代。進みはしていいるものの、まだまだ埋もれたままの歴史を地道に掘り起こすことが大事なのかな、なんて思いました。
3投稿日: 2012.11.05
powered by ブクログスコヒ、ペィジヒラヒテ、ハゲシク、ココロヲ、ユサブラレタリ、トオノノクニノ、ブンタイニ。 岩手県遠野市に限らず、怪談、民話は日本に流れ着いた異国人や奇形、狂人の起こした実話がもとになっていることも少なくないはず。
0投稿日: 2012.10.24
powered by ブクログ遠野物語は子供の学校の読書リストに入っていて,彼女は読もうとしたがすぐに挫折してしまったらしい.それで私が読んでみることにした.これを読んでいると,私が子供の頃は家の外にも中にもあった真っ暗な闇を思い出す.一種のノスタルジーのようなものも感じる.子供が読めなかったのは文語文のせいだけではなくて,明るい都会に育つとこういう話には心情的に入りにくいこともあるのかなと思った.こういう本が昔は新潮文庫の百冊に入っていたのだ. 「山の人生」は興味がわかず途中でやめてしまった.
0投稿日: 2012.10.20
powered by ブクログ現在では真偽の程を確かめる術がないかもしれませんが、地道な取材によって得られた様々な証言がまとめられている点で、文化人類学上貴重な資料なのだと感じました。 ビックフット(?)は実在したのではないかと少しだけ思いました。 ただ、前半は文語体で読むの大変です。
0投稿日: 2012.08.30
powered by ブクログ【ブッククロッシング待機本】読みたい方はご連絡下さい。 伝承をまとめて、検証した 読み応えあるも 面白い本。 ホントに座敷わらしや 山男に逢えそうな気がしないでもありません。
0投稿日: 2012.07.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「遠野物語」 "願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ" 冒頭文がすばらしいの一言。 「共同幻想論」の後に読んだので、 共同体の抑圧の強さが民話の中から窺える。 たぶん、 小規模だからこそ共同体の幻想が強固にあったのだろうし、 国家が「父的」になればなるほど、 ムラ社会が解体されていったのは必然の帰結なのだろうな。 今はまた、 新たな共同幻想を構築する時期なのかもしれん。 「山の人生」 「遠野物語」のような文語体のほうが、 郷愁の念というか今は昔感というか、 味わい深くて好き。 解説に書いてあるように、 「遠野物語」は学問的というよりも、 文学的な色合いが強いのでしょう。 今では「トンデモ」な設定や話に聞こえるけれど、 当時の習俗に照らし合わせて考えると、 民話と科学的事実の間にある、 共同体の無意識が浮かび上がってくる(ような気がする)。 そういったいわゆる「共同幻想」は、 現在まで活きる「想いの科学」とでもいうのか、 そんな視座を与えてくれる、 という点で本書の試みは、 当時の実証主義的な歴史学への警鐘でもあり、 また活きる学問への啓蒙でもある。 今の日本人というのが、 もともと日本にいた土着の「国つ神」と、 海からの渡来の「天つ神」の混血という話は他の本にも出ていたけれど、 この本で言う「山人」が国つ神の末裔ではないかという考察は、 肯んずるに吝かではない。 というのも、 日本の律令制の導入には、 渡来の人たちが大きく関わっているわけだから、 (天皇家には朝鮮半島から来た人の血が入っているらしいし) 「古事記」や「日本書紀」にある、 国つ神から天つ神への「国譲り」もそのような文脈で捉えると、 結構わかりやすいんじゃないかしら。 そうしてヤマトタケルの東征の話にあるように、 天つ神の勢力が大きくなるにつれ、 国つ神が平地からどんどん追いやられていった。 それが「山人」なんじゃないかな、と。 それから、 天狗が坊さんの格好してるのは、 修験道の開祖である役小角からくる山岳信仰が影響しているみたい。 ナウシカの「森の人」も「山人」の影響下にあると思う。
0投稿日: 2012.05.03
powered by ブクログ遠野物語:1910年(明治43年)。 日本民俗学の開拓者・柳田国男の代表作。陸中遠野郷(岩手県の遠野盆地近辺)に口承で伝わる民話を柳田が編纂したもので、本邦民俗学の発展に多大な貢献をしたとされる名著である。民間伝承を、その原型を尊重し余計な装飾を排して聞いたままに記したとされるが、簡素ながらも気品のある美しい文語体で綴られており、日本民俗学の記念碑としてのみならず、その文学性も高く評価されている。 土の匂いのする物語だ、と思った。混沌が、混沌のまま残されている。のどかな民話集かと思って読むと、結構な衝撃を受けるだろう。座敷童、天狗、マヨイガなどノスタルジックな怪異譚も多いが、神隠しの話などは超常現象ではなく何者かによる拉致監禁ではないかと疑われる節もあるし、息子による母殺しという明らかな刑事事件も混在しているし、お伽話として片付けるにはあまりに生々しく泥臭い。閉鎖された寒村の心の闇をのぞいてしまった気がして、ちょっと背筋が寒くなった。「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という序文の言葉は、あながち誇張でもないようである。 しかし、慣れてしまうと妙に心惹かれるものがある。お酒に例えるならば、泉鏡花などに代表される純文学としての怪異譚は大吟醸で、こちらは地元の民家で作られるドブロクという感じだろうか。最初は飲みにくいが、いったん慣れると癖になる。これが民俗学という学問の「味」なのかもしれない。好き嫌いが分かれると思うが、私はこの味が嫌いではない。それを発見できたのが本書を読んでのささやかな収穫だった。折をみて、この分野のほかの本も読んでみたいと思う。
14投稿日: 2012.02.29
powered by ブクログ遠野という土地にまつわる口承の物語。 ある作家が指摘していたように、 これは一つの研究の成果であるのに、 まるで一つの文学を読んでいるような気分になるのだ。
0投稿日: 2012.01.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『遠野物語』はずっと前に角川文庫で「補遺」まで読んだが、『山の人生』は読んでいなかったので、読んでみた。愛知県や岐阜県の例もたくさん引かれていて面白かった。柳田によれば、天狗や鬼というのは、山に住む漂泊民を平地人がうやまった者で、古代では国津神と呼ばれていた。彼らは平地人よりも大きな身体で、斜面を非常に早く移動することができた。凶悪な者は鬼として武力で討伐されたが、なかには里に買い物にきたり、山小屋でこっそり火にあたっていたり、米の飯をねだりにきたりしていたらしい。また、時には輸送に使役されたりもしていた。山人が配偶者を求めて連れ去ったのが「神隠し」だが、神隠しのなかには自ら山に入った者も多く、女性が産後に山に入ってしまったり、鋭敏な子供が山に迷いこんだりしたらしい。柳田の記述は脱線が多く、これがまた面白い。「カゴメカゴメ」は、鋭敏な子供(申し児)に神の言葉をしゃべらせるため、村人が集団で囲んでマジナイを唱えた行事が子供の遊びに変化したとする。「ゴヘイモチ」は今では「五平餅」と書くが、「御幣餅」「狗賓餅」(ぐひんもち:狗賓は天狗)などと書き、木を伐採する時に天狗や山人に供えたもので、岐阜の鵜沼などではこれを焼くと「天狗が集まってくる」から、村で焼くのではなく、山小屋で焼いたと伝えられている。
0投稿日: 2011.12.16
powered by ブクログ柳田国男の代表作の一つ、東北の遠野地方に伝わっていた伝説や民話などを集めたもの。その地方出身の知人から聞いて書いたということで、内容は(当時からみて)割と最近に起きたらしいことも含まれている。今から見ると全て遠い過去の話だが…。 かつて読んだケルトの妖精物語などに近い印象。読んでいて、向こうのものと似たようなエピソードもあり、日本ではこういう解釈、アイルランドではああいう物語になるのか、などと想像して面白かった。 同時収録の「山の人生」について。こちらのサイトで「山の人生」が面白いという意見を多く見かけたので、この岩波版を読むことにしたのだが、確かに面白かった。こちらは、神隠し、天狗、山姥などの日本全国の山にまつわる伝説や物語、地方に伝わる習慣や祭などから、山に住んでいた(とされる)人々についての全体的な考察をエッセイとして纏めたものとなっている。
1投稿日: 2011.10.20
powered by ブクログ小林秀雄の「信ずることと知ること」(「考えるヒント3」に収録)、三島由紀夫の「小説とは何か」(「小説読本」に収録)を併せて読むことをオススメ。 読まない先から、のどかな民話集だと思っている人もいるようですがww、序に、山神山人の伝説を「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という強い言葉が書かれているのを見れば、そういった類のものではないことが判るでしょう。 この序が「名文中の名文」であるという三島由紀夫のコメントに何らの異論も覚えない。
0投稿日: 2011.10.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
伝承から想像?分析していく人々の生活、風習。山間部での文化。 日本人が単一民族でなかったことを考えさせられる。 これから世界的にも単一民族化していくのかなぁと思ったり。
0投稿日: 2011.08.27
powered by ブクログ数千年来の習慣・俗信・伝説には必ずや深い人間的意味があるはずである。それが記録・攻究されて来なかったのは不当ではないか。柳田の学問的出発点はここにあった。陸中遠野郷に伝わる口碑を簡古かつ気品ある文章で書きとめた「遠野物語」、併収の「山の人生」は、そうした柳田学の展開を画する記念碑的労作である。
0投稿日: 2011.07.04
powered by ブクログどんなに面白いと思った本でも、何年もの間、何度繰り返して読んでも全く飽きないというのはなかなか無いものですが、自分にはこの本がそういうごく希な出会いの一つです。ルーツがこうしたところにあるわけでもなく、自分でも説明つかないんですが。
0投稿日: 2011.01.22
powered by ブクログ歴史にはならないこと。でも歴史よりずっと生々しいことが沢山あるのだと改めて感じた。 彼の語り口はこういう曖昧な現象を昔話としてではなく人々が生きた現実としてぼんやりと浮き上がらせるには、とても効果的だと思う。
0投稿日: 2010.09.20
powered by ブクログこの『山の人生』という本も、改めて読み返してみるとつくづく不思議な本です。論文とも、エッセイとも、ルポともつかぬ捉え所のなさを感じます。 昔の人は発狂して山に姿を消すことがあった、そしてその人は何年も後に一度だけ人里に姿を現して、後はそのまま完全に行方不明になってしまうのであった…これは遠野物語の「サムトの婆」を思い出させる物語ですが、こういう物語が全国に共通してある。 ではそうした物語に込められた、人々の精神構造とは一体どんなものなのか――。少々単純化して言えば、この本はそういう問題意識から出発して書かれたもののようです。 では作者の柳田國男はどういうスタンスでその問題に解答をあたえようとするのか。 最初、その視点は、いわば現象学的です。そういう物語が現実に有り得たのかどうか、という科学的な視点でもなく、単なる物語の歴史的系譜の分析に留まるでもないのです。 柳田の視点は、その物語が生まれた世界、あるいはその時代に生きていた人々にとってその物語はどういうものであったのか…を探ろうとする視点に他なりませんでした。 ところが読んでいくうちに、だんだんその視点もおかしくなっていきます。古の人々の心情がどうとかいう以前に、柳田自身が物語世界に首まで漬かってしまっているのです。 本の中で紹介されている「山に消えた人々」に関する昔話や伝承が、いつしか全て実際にあった出来事のように語られ出しているのです。 だからと言ってこの本は論旨や趣旨が破綻しているかというとそうではなく、むしろこのような奇妙な歪みやブレが、この本を魅惑的なものにしています。 そこに、かつて「山人」の存在を証明することを夢見てそれに挫折してしまった柳田國男という学者の姿を透視することは簡単です。しかしそれは、この本の魅力を理解するためには補足的な要素でしかありません。 『山の人生』は、かつて「山」という異世界に惹かれ、呑み込まれていった人々が存在していた(らしい)という伝承を通して、一人の詩人が自らの中にある詩情を吐露している。そんな印象を受ける本であります。
1投稿日: 2010.08.14
powered by ブクログ遠野物語刊行100周年ということで、図書館で借りた本。2月17日読了、と言いたいところですが、「山の人生」が途中で飽きてしまって、読み切らずに返却。 遠野物語は、意外に面白かったけど、聞き書きをまとめるでもなく書き連ねているのって、小学生か中学生ぐらいの宿題のレポートみたいだなぁという印象を持ってしまいました。とはいえ、遠野物語といえばカッパくらいしか思いつかなかったけど、そのカッパさえワタシの思っていたカッパと違っていることがわかったりして、なかなか興味深い本でした。
0投稿日: 2010.02.17
powered by ブクログ学生時代に授業で読んだ本。 そんなに遠くない昔の日本のこととでもいいますか。 神隠しとか、物の怪なんかがまだ身近だった頃の様子がうかがえます。
0投稿日: 2010.01.31
powered by ブクログ三島由紀夫氏の言葉をお借りして。 「これ以上は無いほど簡潔に、真実の刃物が無造作に抜き身で置かれてゐる」 表面を撫でるだけでも伝わる寒村の生々しさ、けれど文語体はどこまでも都会的に洗練されていて、それだからこそ戦慄が走ったものです。空恐ろしくて。
0投稿日: 2010.01.09
powered by ブクログ2009/ 2009/ 【東北旅行】 一日目: 旅館 http://www.oosawaonsen.com/access/ 宮沢賢治記念館 http://www.miyazawa-kenji.com/kinenkan.html 宮沢賢治童話村 http://www.city.hanamaki.iwate.jp/sightseeing/dowamura/index.html 二日目: 岡三沢旅館 http://www.oka-on.com/ 寺山修司記念館 http://shuji-museum.misawasi.com/ 奥入瀬渓流 http://www.net.pref.aomori.jp/~towada/koutsuu/oirase/keiryuu.htm 斜陽館 http://www.goshogawara.net.pref.aomori.jp/16_kanko/dazai/syayoukan.html#1 三日目: ホテル http://www.jalan.net/jalan/jweb/yado/YADS_334029.HTML
0投稿日: 2009.09.07
powered by ブクログ遠野出身の知人から聞いた説話を文に起こした作品のはずだが、文章が非常に簡潔で趣があり、読ませる。文語体であることも、説話の臭みのようなものを落として味わいやすくしてくれているのかもしれない。 都会が西欧ばりの近代化を目指していた時代である。一方では、山村では野山から受ける心的な影響を祖先代々の方法で解釈し、伝えていたのだということが、とても地に足のついた暮らしぶりに感じられて、少しうらやましい。 遠野物語などに載せられた拾遺の直接の考察である『山の人生』に関しては、興味深い洞察と感覚的想像との混在が見られ、もったいないように感じた。
0投稿日: 2009.06.27
powered by ブクログこれは、見落とせない本で。本棚には、あって欲しい。 柳田國男(1875−7−31〜1962−8−8)が岩手県遠野地方の人に聞いた説話集。119編の話が入っている。 河童・天狗・座敷童子・神隠し・等々の「日本のファンタジー」が展開される。ペラペラめくって読むには最適の本である。 後半に、山窩(サンカ)と言って里(平地)からなんらかの理由で追い出され。山の中で、定住する住まいも持たず全国の山を渡りあるく人々のことが書いてある。山窩(サンカ)同士は、出会うことも少ないが「木に傷をつけたり」「植物を、結んだり」といろいろと情報の伝達手段はあったという。 幼いころ母親から聞いた「狐にだまされ一晩中歩いた話」などもこのサンカの仕業ではなかったのだろうか? ちなみに、私の母親が育った和歌山の山の中には「大きな水晶」の結晶がごろごろと転がっている場所もあったとか。 祖母や母親に聞いた不思議な話の詰め合わせ。知らない人には、お奨め。 カテゴリーは、無理やりのノンフィクション。
0投稿日: 2009.03.22
powered by ブクログ柳田國男の本は暇があるとボヤっと読みます。 「遠野物語」は岩手県遠野市の昔話を集めた有名な 話ですが、この本のポイントは「山の人生」のほうです。 昔、社会になじめずに山に入って行って生活していた人、 農耕せずに山で生活していた人たちの話を集めたものです。
1投稿日: 2008.08.09
powered by ブクログ遠野物語から、山の人生へ、そして山人論へと展開していきます。柳田國男の名作ですね。味わい深い良い作品です。個人的には後半の山人論が好きです。
0投稿日: 2008.08.05
powered by ブクログ柳田国男の人生にあこがれます。 公務員の傍ら全国各地を回って民間伝承を集め、体系づけた偉人。 あたしもこんなんやってみたいなぁ、と思うことは多いです。
0投稿日: 2008.06.01
powered by ブクログこの本に書かれている日本と、今の日本が同じだとはとても思えない。僕はこの本に書かれている日本こそが本物の日本だと思う。
0投稿日: 2007.04.08
powered by ブクログ「遠野物語」「山の人生」「山人考」の三篇が収められています。 「遠野物語」は岩手県の遠野という土地の民話を集めたものです。面白い話に富んでおり、それをしっかりとした文章で伝えてくれます。文語なので慣れていない人は若干戸惑うかも知れませんが、読んでみるとそんなに難しくはありません。 二つほど面白く感じたものを挙げてみます。 「大同の祖先たちが、始めてこの地方に到着せしは、あたかも歳の暮れにて、春のいそぎの門松を、まだ片方はえ立てぬうちに早元日になりたればとて、今もこの家々にては吉例としえ門松の片方を地に伏せたるままにて、標繩を引き渡すとのことなり。」 「オクナイサマを祭れば幸い多し。土淵村大字柏崎の長者阿部氏、村にては田圃の家という。この家にて或る年田植の人手足らず、明日は空も怪しきに、わずかばかりの田植え残すことかなどつぶやきてありしに、ふと何方よりともなく丈低き小僧一人来りて、おのれも手伝い申さんというに任せて働かせて置きしに、午飯時に飯を食わせんとて尋ねたれど見えず。やがて再び帰りきて終日、代を掻きよく働きてくれしかば、その日に植えはてたり。どこの人かは知らぬが、晩にはきて物を食いたまえと誘いしが、日暮れてまたその影見えず。家に帰りて見れば、縁側に小さき泥の足跡あまたありて、だんだん座敷に入り、オクナイサマの神棚のところに止りてありしかば、さてはと思いてその扉を開き見れば、神像の腰より下は田の泥にまみれていませし由。」 いかがでしょうか?なんだがわくわくしてきませんか。 遠野物語はこのような民話をただ収集しただけのものです。著者の柳田国男氏はこのような民話が形成された背景を探ろうと考えました。その考えを述べたのが「山の人生」、「山人考」です。遠野の民話に限らず日本全国の民話から、そこにどういう意味があるのかを考えようとしています。ただし、結論には至っておらず、どうしてこういう研究を始めたか、そしてどのような問題が考えられるのかということを中心に書かれています。この後研究は進んでいくようなので、これを読んで興味をもたれた方は氏の別の著作に当たってみるといいと思います。 私は「遠野物語」は面白かったのですが「山の人生」「山人考」はあまりぴんときませんでした。逆にただ民話が並んでいるだけでは物足りず、その意味を考えたいという人には後者が面白く感じられるかも知れません。
0投稿日: 2006.10.18
powered by ブクログああ、民話から辿る民俗学の古道。そうそう。遠野の河童は赤い顔をしているのだった。【古060621購入/060909】
0投稿日: 2006.09.10
powered by ブクログ「遠野物語」は有名ですから、一度読んでみようか、と手に取ったのですが、これが面白かった!シンプルな文体で淡々と”採録”された伝承民話は、そんな抑えられた文体でも十分に遠野地方の空気・民俗を伝えてくれました。それ以上に私にとって興味深かったのが「山の人生」。全国に伝わる山人/山姥/天狗などの山の暮らしに密着した言い伝えの考察です。それら”異界の住人達”を通して、かつての日本人の精神性というか、物の味方・考え方などに想いを馳せてしまいました。表題になっている上記2編の他に、著者による講演の手稿「山人考」を収録。ここでは日本の先住民族にまで話が及びます(笑)。「山の人生」がかなり気に入ったので、星は4つにしました。
0投稿日: 2005.02.05
powered by ブクログ河童、座敷童子、へんな馬等々、奥州遠野に伝わる物語を集めた作品。 実際に行って見た遠野は、なんだか寂しげでいかにも何かいそうな気がした。
0投稿日: 2004.11.22
powered by ブクログ日本民俗学の祖、柳田国男が遠野地方の習慣、言い伝え等を聞き書きした書。研究書としても興味深く、また文学作品としても一流。さらっと描き出されている女性の悲哀に胸が痛む。
0投稿日: 2004.11.03
powered by ブクログ民俗学。ちょっとぞくりとする話もあって、私はどっちかというと、「山の人生」の方がすき。神隠しのこととかが載ってます。科学では分からないことってあるんだなぁやっぱりと実感。
0投稿日: 2004.09.24
