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powered by ブクログ●2025年5月30日、チャットGPTに質問「優秀なトップ層の男性から慕われて頼られる女性になりたい。ホステス的なのでなく、女王様」と話しかけてたら、「あなたにおすすめの書籍(知の主 導権を持つ「女王」タイプ向け)」という項目で、これらの本をおすすめされた。 「マキャベリズム」 権力を持つ者の心理と支配の技術。知的戦略思考 の基礎に。 「影響力の武器/ロバート・チャルディーニ」 支配・操作を受けないための心理戦の仕組みを学 ベます。 「サピエンス全史」 人類史の大局から、思想と構造を見る。言葉に深みが出ます。 「メディチ・インパクト」 異分野をつなげることで唯一無二になるための戦 略的発想法。 → マキャベリの君主論は、多数の本があるので、とりあえずこの本をチェックした。マンガとか新訳で、もっと分かりやすいものを読んだ方がいいと思う。
0投稿日: 2025.05.30
powered by ブクログ優れた君主はどう動くべきかが書かれた本。 内容はすごく面白かったが、これを現代で活かせるかと言われるとまた難しい。 何故かと問われれば、内容がかなり過激なものであるためである。 例えば、自分に反対する勢力は潰さなければならないが、一気に纏めて弾圧しなければならないなど、ポジティブな統治ではなくネガティブな要素をいかに無くしていくかという現実的な方法が書かれている。 ただ経営者としての考えを育むひとつのいい機会にはなると思う。 これが正しいとは言えないが、ではなぜ正しく無いのか、どうしたら良いのかを考える機会になると思う。
0投稿日: 2024.09.15
powered by ブクログそのまま読んでしまうと只の昔の君主マニュアルだが帝王学として自分がどう読み取るか、そこで評価が別れるし、人によってこの本に見出す価値も違うだろう
0投稿日: 2024.07.22
powered by ブクログ君主としていかに臣下や人民を抑え統治するか、歴史上の君主の事例から言及されている。その方法には、人を恐れさせる、反逆されないための残忍な方法も説かれているため、現在を生きる自分からは賛同しにくいと感じられるような方法も多い。とはいえ、必ずしも否定できるようなものでなく、当時の時代背景からそのような方法が取られてきたこととその合理性に対する理解はできる。 また、考え方として、相手に恐れられるような存在であること、且つ、相手に憎まれたりしないことが大事であることと、それを維持するためにどのように振る舞うか、どのような施策を打つことが重要であるか、自分の影響力の与え方を考える上での新たな視点としての学びがある。
0投稿日: 2024.05.02
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1753590094836170970?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
0投稿日: 2024.02.03
powered by ブクログ5年ほど前に読んだ時と比べてかなり理解して読むことができたと思う。とは言え自分に思考的な進歩があったかと言えばそうではなく「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」を先に読んだのが大きい。あの本は君主論の導入本としてはこれ以上なく最適だと思う。 本編は「運命」と「力量」が君主にとって最も大事な要素である事を説明し、「運命」とはどのような影響を及ぼすか、「力量」とはどのように形成されていくかを歴史の実例(主に古代ギリシャ・ローマや中世イタリア)を元に紐解いていく。君主が助言を聴くのはあくまで君主側のタイミングであり、判断は君主に委ねられると言う部分はその通りだと思った。あととにかく舐められたら負けということか。 理想は理想だが、この本の内容を上手く使いこなせた時管理職として上手くいくのかもしれないーと月並みなことも考えたりもした。
0投稿日: 2023.11.22
powered by ブクログ君主は国民や軍隊、あるいは他国・他勢力に対してどうふるまうべきかに関して、権力者に上申するという形式で書かれた著作。ちょうどロシア国内で反乱があった時期に読み始めた関係で、「傭兵は自分の利益しか考えてないからあてにならない(意訳)」という記述が現代においても引用されることが興味深い。読者のほとんどは君主にならないが、政治的に、また上司・先輩として部下・後輩にどう振舞うかという点では少し参考になるかもしれない。
0投稿日: 2023.08.05
powered by ブクログ「君主は必要に応じて悪人にもならねばならぬが、その悪を行うときは全て一気に行い、その後は善人に戻るようにすること」という言葉が印象に残りました。また、君主が自らの利益や安全を守るためには必要に応じて人を裏切り、反逆者を排除しなければならないということも、深く考えさせられました。 マキャヴェッリが16世紀初頭に書いた政治論の古典。君主としての成功のために、強さ、知恵、権力の行使を重要視する。その手段は道徳的に正しいとは限らないが、目的に合わせた選択をすることが必要とされる。個人の意見にとらわれず、国家を導くために必要な判断をすることが求められる。そのためには、一定の「虚心坦懐」と「愛されることよりも恐れられること」が必要であると説く。政治家やリーダーにとっての一助になる本だが、倫理的な観点から批判されることもあると思う。 権力者に必要な思想と行動についての指南書であることは間違いないと思うのだが。
0投稿日: 2023.05.03
powered by ブクログ職務に任じられた官吏が財を着服しても知られることはない。水中で泳ぐ魚が水を飲んでも知られることがないように▼射手に放たれた矢はせいぜい一人を殺すか、殺さないかである。しかし、知者により放たれた智謀は、胎内にいる者をも殺すことができる。 カウティリヤChanakya『実利論』BC4世紀 ※マウリヤ朝チャンドラグプタの宰相 民衆を指導する者は正義(社会維持の徳)・知恵・勇気(精神の高邁さ)・節度をもつべき。キケロCicero『義務について』BC44 倫理・道徳と政治は別。善き主君、善き政体を考えるよりも、現実の欲望渦巻く混沌の世界にどうすれば秩序を与えられるか、を考えるべき。「人間はいかに生きるべきか」だけに囚われて、政治の現実の姿を見逃すべきでない。政治は醜く、権謀術数が渦巻く世界。君主は人として善い人であっても、有能であるとは限らない。時として冷酷な判断もしないといけない。君主が善良、敬虔、慈悲深くあろうと理想を追求すれば、いずれ没落してしまう。君主は愛されるよりも恐れられる方がよい。人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷付ける。君主は獰猛なライオン・狡猾なキツネでなければならない。ニコロ・マキアヴェッリMachiavelli『君主論』1516 市民が活発に政治参加し、公共の問題に自ら取り組み、実践することで市民は人格を発展させられる。公共の善によって、個人の利益追求を制約できる。共和政が理想だ▼傭兵は自分の利益のために国を裏切るが、自国愛に支えられた市民軍は国を裏切らない。古代ローマでは市民軍があったから強かった。市民には共和国のために戦う意識を持ってもらい、軍事力を高めるべき。それにより対外的に拡張政策を取る。古代ローマが模範。ニコロ・マキアヴェッリMachiavelli『ディスコルシ』1531
0投稿日: 2023.04.17
powered by ブクログ君主とはどうあるべきか。必ずしも聖人君子のように振る舞うのではなく、時に非道に、時にケチになるのもヒエラルキーの上位に立つ時には必要な資質であると理解した。 人々からあえて嫌われることもいとはない、リーダーはどの時代でも寂しい側面があるものなのだと思う。
0投稿日: 2023.04.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
イタリア、ルネサンス期の政治思想家で、 29歳で外交官に就任し、様々な国王と交渉を重ねる中で、 43歳の時に国家の在り方や、強い君主について説いた本が君主論。 強い君主の条件 1.恐れられること 2.憎まれないこと 3.軽蔑されないこと 4.尊敬されること 5.ケチであること ケチであることがなぜ必要か。 これは、何でもかんでも気前よく散財するな、と言う意味。 評判や信頼のために気前よく与え続けると、必ず資産や富を使い果たし、いずれ国家存続のために重税など、結果的に民にも負担を強いることとなる。 すると、尊厳を失う。 「君主は、たとえ愛されなくてもいいが、人から恨みを受けることがなく、しかも恐れられる存在でなければならない」(17章) 「加害行為は、一気にやってしまわなくてはならない。恩恵は、よりよく人に味わってもらうように,小出しにやらなくてはいけない」(第8章) 「君主は恩恵を与える役はすすんで引き受け,憎まれ役は他人に請け負わせればいいということだ。」(19章) →人のもの(金、恋人・家族、地位など)に手を出すと憎まれる。憎まれ役(会社なら、減給やリストラなど)は誰かに請け負わせた方が得策。 「君主は,戦いに勝ち,ひたすら国を維持してほしい。そうすれば,彼のとった手段は,必ずやりっぱと評価され、誰からもほめそやされる.大衆はつねに,外見だけを見て,また出来事の結果で判断してしまうものだ。」(18章) →表面的に良いことや、結果の伴わない愛情、道徳的なことだけでは長く続かない。 勝つこと、結果を出すことが最重要で、厳しいこと、残忍なことなしに結果を出すことが難しい場合は、悪評を気にしてはいけない。 「人間とは利己的で偽善的なものであり従順であっても利益がなくなれば反逆してしまう一方で、君主を恐れる人々にはそのようなことはない。君主にとって信義は、間違いなく重大。しかし、実際には信義を気にせず、謀略によって大事業をなしとげた君主のほうが信義ある君主よりも優勢である場合が見受けられる。戦いには謀略によるものと武力によるものがあるがこの二つを君主は使い分けなければならない。もしも信義を守った結果、損害が出るならば、信義を守る必要は一切ない。重要なのは君主が立派な気質を備えているという事実ではなく、立派な気質を備えているという評価を持たせること。」
0投稿日: 2023.04.10
powered by ブクログ序盤の政体論や軍制論はいまいちだったが、15章からの君主の資質に関する話は面白かった。 チェーザレ・ボルジアに強く影響を受けた内容なのでチェーザレ・ボルジアについての本を読んでから本書を読むとより分かりやすい。
0投稿日: 2023.02.12
powered by ブクログ不道徳教育講座に近い感覚を覚える。 目的に照らし合わせた時に最も効果的な手段を考えるべし!というメッセージと受け取った。 ただ、時代背景と君主という立場を認識しないとならない。誰でもどの場面でも活用できる代物ではない。 例えば、「慕われるより恐れられた方が良い」は本当にミドルリーダーに必要かと言われれば怪しい。トップなら必要な気はするが。 現代の一般論に流されがちな人は対局の意見として取り入れても良いと思う。
0投稿日: 2022.01.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
君主を社長に読みかえて読んでみた。君主論は上に立つ人にとっていい本だと思うけど部下にこれを薦めたいとは思わない。 君主がみずからの地位を保持したければ、善からぬ者にもなり得るわざを身につけ、必要に応じてそれを使ったり使わなかったりすることだ。 →手を汚すことも必要だと解釈した。ただこれはやりたくはない。 気前の良さとけちについて →権力の座に着くまでは他人の所有物を惜しみなく与える者との評判を取るように行動し、権力の座に着いたら倹約を旨とし自分のものや社内のものを大事にしなければならない。 冷酷と慈悲について →性悪説に立つべき。慕われるより恐れられよう。人間は恩恵を施している間だけ味方になっているから。全幅の信頼を寄せるな。 どのようにして信義を守るべきか →慈悲深く、信義を守り、人間的で、誠実で、信心深くといった資質を身につけて離れない。が、必要たあらば狐となって罠を悟り、獅子となって狼を驚かす。 どのようにして軽蔑と憎悪を逃れるべきか →憎悪は強欲になって社員の給料を減らしたり名誉を傷つけることで生まれる。軽蔑を招くのは優柔不断な態度である。 運命はどれほどの力を持つか。私たちの諸行為の半ばまでを運命の女神が勝手に支配しているのは真実だとしても、残る半ばの支配は、あるいはほぼそれぐらいまでの支配は、彼女が私たちに任せているのも真実である。 →運命に全面的に任せてはいけない。時代に自分の行動を合わせることで幸運な結果を導くことができる。
0投稿日: 2021.11.20
powered by ブクログ【推薦者】 体育学部 体育学科教員 市川 純 【学生へのメッセージ】 激動のルネサンス期イタリアを生きたマキアヴェッリは、人間に対する冷徹な視点に基づき、君主による統治の秘訣を大胆に披露する。現代でも一種のリーダーシップ論として参照されることもあるが、実際、リーダーになる者は少数である。大多数は、リーダーのもとでグループの成員となる。しかし、そのような立場の者こそ『君主論』を読むべきであり、このリーダーの行動をよく見ていなければならない。「ブラック企業」や「社畜」といった悲惨な表現が蔓延る現代にあって、私たちが都合よく使い捨てられないよう、統率者の権謀術数を見抜くための書の一つとして、本書を推したい。 ▼配架・貸出状況 https://opac.nittai.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&AL=9784003400319&EXIT=2&i=1636338208329
0投稿日: 2021.11.08
powered by ブクログ100分deナショナリズムの課題図書だったので読んだ。学校で要約を習ったよりもずっと国を憂う熱い思いと文学的な背景をもって書かれていたことが分かった。
0投稿日: 2021.10.04
powered by ブクログ共和制の国を占領するのは難しが、もともと君主制の国を征服して支配することは容易。住民が自由を知らず、支配されることに慣れているから。 加害行為はまとめて短く、恩恵は少しずつ長く。 君主には、良き土台が必要=傭兵と援軍は約立たず。自己の軍が必要。君主は、みずから陣頭に立って指揮官にならなければならない。 ギリシャは援軍をトルコに求めたため、異教徒に隷従する始まりとなった。ローマ帝国の滅亡の始まりは、ゴート人を傭兵にし始めた時。 君主は、戦争と軍制と軍事訓練のほかに業務はない。 君主は高い地位にあるため、誹謗中傷の的になりやすい。 君主はけちん坊と呼ばれることを気にしてはいけない。気前の良さを示すことは滅亡につながる。他人の所有物を分配するときは気前の良さが大事。 冷酷という悪評を意に介してはならない。口先だけの言葉を信頼してはならない。恐れられることと憎まれないこと、は両立する。 信義を守らなくても、勝ることがある。統治には法と力とがある。両方の性質を使いこなすことが必要である。 誠実を身につけて実践することは有害だが、そのようなふりをすることは有益である。 君主は訴えられる、または裁かれる場がないので、結果だけが注目される。ひたすら勝つことが必要。 征服したときは、された側の武装を解除する必要がある。徐々に一体化するよう整える必要がある。 尊敬され名声を得るためには、偉大な事業を起こすこと。力量の愛好者であることを示す。 側近の選定が大事。自分よりも君主のことを考える側近。 追従者から逃れる。自分のききたいことだけを訊ね、決断は必ず自分がする。余計なことは言わせない。 運命には半分くらいが委ねられている。半分は運命が自分に任せている。運命は時代を変転させるのに、自分の態度にこだわり続けると、合致しなくて不運になってしまう。運命は女性だから、慎重であるよりも果敢に組み伏せようとしたほうがよい。
0投稿日: 2021.04.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
著者以前の時代に生きた人物の事例を挙げつつ、君主としていかに振舞うべきか説得的に説いた名著。 【気になった諸点の抜粋】 ●いかなる君主においても民衆を味方につけておくのが必要である。…賢明な君主は、いついかなる状況の中でも、自分の市民たちが政権と彼のことを必要とするための方法を、考えておかねばならない。 ●持つべき土台の基本とは、良き法律と良き軍備である。軍備は自己の軍が最善。傭兵軍と援軍は役に立たず危険。君主ならば自ら陣頭に立って指揮官の役割を果たさなければならない。 ●武装した君主と武装した共和制体だけがきわめて大きな進歩を遂げた。 ●なすべきことを重んじ今なされていることを軽んずるは破滅を学んでいる。 ●慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在を目指すべき。 ●同盟は全て疑わしいと考えるべき。 ●数々の不都合の特質をよく見分け、最悪でないものを良策として選び取ること。 ●側近が有能かつ主君に忠実であるとき、その君主もまた有能であると見なして良い。
0投稿日: 2021.01.31
powered by ブクログ世界の政治家や大企業のトップ経営者は、このような本の知識を得てことに当たっているのか、と理解しました。
0投稿日: 2020.12.19
powered by ブクログ約500年前の時代を生きていた人物の著作とは思えないくらい、その内容に説得力があった。彼が唱える君主論は、彼が時代の流れの中で身をもって経験したことが元となっているため、戦争に明け暮れていた当時の情景が思い浮かぶかのような迫力があった。彼が唱える君主論は、どのようにすれば人心を掴むことができるのかを教えてくれると共に、巨大な権力を扱い方がどれだけ難しいことなのかを教えてくれるものであった。
0投稿日: 2020.10.09
powered by ブクログ『君主論』というちょっと恐れあるタイトルに反して、所々美しい比喩や文学的表現が施されている。ギャップ萌え。 マキャベリズムに残忍で冷徹なイメージしか持っていなかった。ただ、君主が民衆を率いるためにはそうなるざるを得ない、というは必須条件なのだ。 それはマキャベリが「人間というものは…」と頻繁に用いることから垣間見える、彼の人間への鋭い洞察力が証明している。 つまり、マキャベリはその鋭い洞察力によって人間(大衆)の本質を見抜き、君主が彼らをコントロールするには、マキャベリズムに則る必要がある、ということ。 言い換えれば、彼は冷徹なほど現実的なのだ。 君主論以外にもローマ史について語られ、また注釈も詳しいので、読んでいて学びが多い一冊!
0投稿日: 2020.04.08
powered by ブクログ「国を守るために悪事を行わざるをえないときは、非難されてもひるんではいけない。あらゆることを考え合わせてみると、美徳と見えた物が実際は命取りになったり、悪徳と見えた物が安全と繁栄につながったりするからだ」ーー『君主論』 マキャヴェッリの『君主論』は無数の名言を世に残った一方、その批判も数え切れない。「マキャヴェリアニズム」という言葉すら存在しているように、マキャヴェッリの言論は、統治のために大衆を操作し、道徳的な関心を持たない政治思想の代名詞ともなっている。こうした先入観を持っていた私は、次の言葉を読んだ時に驚いた。「窮屈。死。恐れることはない。私は古人に魅了された」。40歳の頃に、やむを得ず隠遁生活を過ごしていたマキャヴェッリが言う。その言葉は、私が『君主論』、そしてそれを書いたマキャヴェッリが置かれた時代背景をもう一回読み直すきっかけとなった。先人の知的蓄積を人生のエネルギーの源にしていた彼は、決して冷酷非道な人ではないと考えたからである。 メディチ家はどのような時代背景の中で登場したか。マキャヴェッリの時代の「大衆」はどのようなものなのか。彼が話しかけている「君主」とは誰か。『君主論』の背景を調べてみれば、解説の本や文章はたくさんある。マキャヴェッリがそれを書いた動機に対しても様々な分析が行われてきた。それらの説明を省略して、『君主論』と開発について2つの側面から考えていきたい。 1つ目は、開発のメカニズムを誰の立場から解明すべきかである。人類学的な調査で一般大衆の「声なき声」を描き出すのは、一種の研究者の「正義」といえる。しかしそれと同時に、弱者が自分の戦略がばれてしまったことで被害を受ける可能性も高い。それに対して、マキャヴェッリは一見民衆を操作する技法を書いたものの、実は権力側の働きかけや操作の解明ともなっている。結果的に、民衆が権力者の技を看破し、その統治から脱出するに役立つのではないかと考える。知を武器にする研究者の矛先に、実は意図せざる相手が立っている。 第2に、開発援助の「脱道徳化」は可能か、必要かどうかである。世界中の開発援助、なかでも村レベルのボランティア活動などは「善意」のもとで行なわれているように見える。「活動経験の共有」や「教訓」などの言葉は多く聞くが、プロジェクトを成功させるために、どのように「相手を上手く操作するか」に関する議論はあまりない。例えば、ラオス政府を動かすためにどのようにプレッシャーをかけたら効果あるか、のような経験を必要とする援助側が多いかと思うが、どこか耳ざわりが悪いと感じる。道徳感覚は、結果的に開発援助の「失敗」につながると言いたいわけではないが、それを議論できる空間が存在すべきではないかと考える。 振り返ってみて、15世紀頃のフィレンツェに、人類の星の時間がながれていた。後世に政治学の父と呼ばれているマキャヴェッリは、そのながれの中で輝いている知的巨人であることは間違いない。 (東京大学大学院新領域創成科学研究科 博士課程 汪牧耘)
0投稿日: 2020.03.23
powered by ブクログ”冒頭に献辞あり。 <読書メモ> ・私といたしましても、偉大な殿下の御前にささやかながら私の忠誠の証の品を携えて参上したいと願いはしましたが、わが家財のうちに、ことさらに貴重な品物はなく、わずかに価値あるものとして私が見出したのは、近き世の事象については積年の経験で身につけ、また遠き世の事象については不断の読書によってみずから学んだ、偉大な人物たちの行動をめぐる認識だけでした。それら古今の事蹟について長らく検討した結果を、いま一巻の小著にまとめて、偉大な殿下に献呈申し上げる状態です。(p.9:献辞:「偉大なロレンツォ・デ・メーディチ殿下に」) #へ?、君主へ献上したまとめ本だったんだ!? <きっかけ> ・古典を読もう?(震災の1週間後に購入しているなぁ…)”
0投稿日: 2019.08.15
powered by ブクログ君主(リーダー)が権力、組織を維持・伸長するためにとるべき行動を研究した本。現在でも、この本の通りに行動していれば、リーダーシップを発揮できるだろう。国家を統治するくらいの人全てに読んで欲しい本。というか、皆さんすでにお読みになっているのでしょう。。
0投稿日: 2018.10.17
powered by ブクログ訳者は薔薇の名前も翻訳しているが正直文章がわかりづらい。直訳でいかにも岩波文庫のお高い訳文。「厳しい原典批判をへた画期的な新訳」。これが新訳?学者向けです。一般の読者は中公クラシックスの方が絶対に正解です。 本の内容は読むに値する古典。
0投稿日: 2018.07.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
時代錯誤だったり、いまの価値観にそぐわなかったりするところも多々あるけれど、上に立つものがこういう行動をした場合民衆はこういう行動をするという観点においては、学ぶところも多々あった。まさに世を動かす側の視点。
0投稿日: 2018.03.25
powered by ブクログ支配階級と被支配階級があるとすれば、 支配階級側の人間が読む本。 君主たるもものの心がけ。 善行が必ずしも良いというわけではなく、その逆もしかり。 運命によりかかるのでなく、人間の力量によって策を講じることで、運命にも逆らえる。
0投稿日: 2017.11.21読了しました。
政治学の名著とは言え、イタリア、そしてローマの歴史書に近い本です。イタリア共和制の讃歌と言える本ではないかと、感じました。
0投稿日: 2017.09.12
powered by ブクログ言わずと知れたニッコロ・マキャヴェッリのあまりにも有名な国家政治論。 その序において、フィレンツェの君主家であったロレンツォ・デ・メディチに献呈したというスタイルを取っている。 16世紀イタリアは群雄割拠しており、さらにフランスやスペインといった強国が介入する争乱の場と化していた。一度は理想君主の一人としたヴァレンチーノ公(チェーザレ・ボルジア)によるイタリア統一を願ったマキャヴェッリであったが、彼は早々に失脚してしまう。こうした中、時の教皇レオ10世はメディチ家出身のジョヴァンニ・デ・メディチであり、メディチ家によるイタリア統一という希望を託すという意味において本書は執筆されたということである。 解説によればマキャヴェッリはフィレンツェ共和国時代の政府書記官であったが、メディチ家の復権とともに投獄され職を失うという経歴を持っている。メディチ家へのこうした接近は彼の処世術の一環でもあったことだろう。 本書を語る上で外せないのが有名なマキャヴェリズムである。最終的な勝利のためには、ありとあらゆる手段を講じ、どんな汚いやり方でもその目的のためなら容認し推奨する究極の権力第一主義!その思想は人間の心理や思考、行動パターンの鋭い洞察や分析に根差したものであり、今日なおも胸に突き刺さってくるものがある。 そして、本書に通底するマキャヴェッリの視角は「力量」と「運命」である。この視点は姉妹編といってもよい『ディスコルシ』でも特に強調されていたもので、「力量」と「運命」を持つ者が君主の座に着きこれを維持できるとし、さらには「運命」の女神を従わせるのは人間の「力量」であるともいい、君主の座に登るものが備えるべき決意と方法を過去の事例を丹念に紐解きながら訴えるのである。 本書の内容からすると『ディスコルシ』と被る部分も多々見られ、同時期に構想した内容をテーマに沿う形で整理・分類して二書に分けたものであったのだろう。 本書の前半は、君主の政体(つまり国)のパターンをひとつひとつ取り上げた上でその長短を述べ、次に君主政体が持つ軍隊のパターンを取り上げてその長短を述べる。 そして後半では、君主が褒められることと貶されることとか、気前が良いこととケチであることとか、あるいは信義を守るべきやいなや、軽蔑と憎悪を免れるには?、名声を得るには?などなど、君主が採るべき姿勢や態度とその効果について述べる。 訳者解説によれば、前半部分は「君主政体論」で後半部分は文字通りの「君主論」に分けることができるという。 確かに前半はそのテーマの趣旨からいって、様々な古今の政体や軍隊のありようの事例を上げながらその末路について解説しているのに対し、後半は君主たるべき者への進言が基本となっているといえ、後半こそ本書を著したかったマキャヴェッリの真骨頂が述べられているといっても良いであろう。 中でも自分なりにずっしりときたのは、君主は冷酷でなければならない!普段はケチでなければならない!普段から考えていなければならないことは戦争のことであり他はどうでもよい!信義は守らなくて良い、必要とあらば悪の中にも入っていけ!しかし、普段は慈悲深く誠実で宗教心が篤いように見せておけ!信義を破る時は一気呵成に!ということである。 前近代の国と権力者の役割は現代の国家に比べかなり限定的なので、究極的にはこのような思想に辿りつくのだろうという考えがある一方で、人間心理や行動に根差した普遍的な思想であるが故に現代でも立派に通用するのではないかとも思える。 ということで、早速、日ごろの生活に取り入れよう!ひひひ。
22投稿日: 2017.07.03
powered by ブクログ今から500年前の著作だが、現代にも十分に通用する名作。リーダーを目指す人には必読ではないだろうか。
0投稿日: 2016.12.17
powered by ブクログ中世ヨーロッパにおける政治生体や様々なリーダーの栄枯盛衰を俯瞰的に分析し、リーダー(君主)とはかくあるべき というものを記している。特に、憎悪と軽蔑は避けるよう努めるべきであるが恐れられことは必要である、助言は必要なときに自ら得れば良く、それ以外に進言される助言は不要であるといった内容が心に残った。リーダーの多くの資質について述べられているが、とどのつまり社会情勢や自分や他社の能力や性格をつぶさに分析し、臨機応変に対応する必要があるということだと理解した。今から500年前に記された書物ではあるが、現在の組織にも十二分に適用できる内容となっている。
2投稿日: 2016.10.24
powered by ブクログ会社での人間関係を理解するために、参考になる記述が多い。理不尽な状況が生まれる背景もある程度は理解できた。
0投稿日: 2016.09.29
powered by ブクログ知り合いに読むよう勧められたが、超面白かった!これは、大学の時ではよくわからなかったな。。今だから、現実味がある。君主たる者、臣民の結束と忠誠心を保たせるためには冷酷たれとか、狐と獅子を範とすべきとか、憎しみを招くもとが善行でもあり得るとか、すべての面において善い活動をしたいと願う人間は、たくさんの善からぬ者の間で破滅するしかないとか、なるほどな視点満載です。
0投稿日: 2016.08.19
powered by ブクログ111君主論 ・企業買収の際等、ビジネスにおいても貢献するような考え方が書かれてある ・新しい領土を得た場合の方策1征服者が当地へ赴き、居を構える2植民3軍隊の駐屯(復讐の恐れがあり、ダメ) ・人間は、寵愛されるか、抹殺されるかそのどちらかでなければ→クロップ監督の哲学もこれ? @cpa_1992 ・反乱を起こされる可能性を常に排除する必要あり →買収後に、取締役だけ派遣よりも、植民(取得企業側の様々な従業員を被取得企業に派遣)すべきということ?
0投稿日: 2016.03.15
powered by ブクログ教科書ではルソーの流れで登場していたが、こんな内容だったとは、、、群雄割拠するイタリアにおける統治論を過去の事例をもとに、展開している。君主を経営者、国を企業に置き換えると、リーダーシップ論やポジショニング理論といった現在の経営学に通じる。先行論文が少ない当時でこの洞察には驚嘆。賞賛と批判が多いのは、感情を湧き立てる書なのであろう。
1投稿日: 2015.09.15
powered by ブクログ500年前の実用書、今も健在。 君主はこんな風に国を治めなきゃいけませんぜ、ってのを王様に教えた本。 今で言うとこの「社長の流儀」みたいなもの。 ・反乱分子は徹底的にボコボコにするか、恩をきせなければならない。中途半端にイジメると禍根を残すから。 ・誠実さや人間味あるふりをして、裏で悪行をするべし。 ・民衆を敵に回しちゃダメ。 素人の王様にアドバイスしたものなので、素人の僕たちにもわかりやすいです。
0投稿日: 2015.07.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
中世ヨーロッパの国家の状況を鋭く観察し、君主とはどうあるべきかについて論じた書籍である。マキャベリの君主論は良く知られていたが、実際の内容はあまり知らなかった。今回一通り読んでみて感じたことは以下の通り。 ・君主は、優柔不断であってはならない。 ・大衆は結果しか見ない。その途中で何があっても、結果を示せば最終的には許されるものである。 ・大衆を味方につける方が、貴族を味方につけるよりも国を維持していきやすい。 ・傭兵軍、外国支援軍をあてにしてはならない。 ・恩恵はよりよく味わってもらうために小出しに行うべきである。 ・大事業はけちな人物によって成し遂げられている。 ・説得することは簡単だが、説得したままの状態に維持するのが難しい。 ・人は、自分が危害を加えられると恐れている人に親切を受けたときには、特に恩義を感じるものだ。 ・民衆は、頭をなでるか徹底的に排除するかのどちらかにするべきである。ささいな侮辱は恨みを残し復讐心を生むからである。やるなら徹底的にやる。 ・君主は、人間と野獣の両性を持つべきである。どちらかを欠けても地位は守り得ない。 ・信義を守ることが自分にとって不利益になるならば、その信義は守らなくて良い。なぜならば、人間は邪悪なものであり、あなたへの約束を常に守るとは限らないからだ。 ・君主としてのよい気質(信義・人情味・誠実・慈悲深さ)を備えていることは重要であり、周囲にはそう思わせなければならない。しかし、国を維持するためには、事態の変化を見て、時には断固として悪に変わる変幻自在さも必要である。公明正大で誠実なだけでは生き延びることはできないし、大事を為すことはできない。 特に最後の方にマキャベリの現実主義的なところが見てとれる。今のような平和な時代に生きていては想像が難しいが、誰が敵になるか分からない、一寸先は戦争という時代では、上に立つ者はそのくらい緊張感ある心構えが必要だったのだろう。現代では間違いなく少数派の、批判されそうな考え方であるが、混迷、乱世の中を賢く生き抜き、自国と身分を維持していくためにはこのような強さが必要だったはずである。 読書後は、中世ヨーロッパを泥臭く生き抜いてきた人々の心中を垣間見れたような気がして嬉しくなった。
1投稿日: 2015.05.21
powered by ブクログ思慮深く勇敢たれ。 こういう矛盾を起こしそうな二律背反的なメッセージだけれども「攻めなきゃやられる!」という時代状況を考えると、どちらかというと〈後者〉に強調点がある。
0投稿日: 2015.03.30
powered by ブクログ有名な本であるが、特に感銘を受けるような箇所はなかった。訳は日本語らしくなく、多少の違和感を感じた。
0投稿日: 2014.10.07
powered by ブクログ自分は素直で正直、どんなことにも一所懸命、他者には誠実に愛情深く、いつもポジティブ……なんだけど、どうも変だ。騙されたり、裏切られたり、損ばっかりしている。これって単なるお人好しで利用されてるだけじゃねえの?! そんなあなたのマキャベリ…なのかな? 神への信仰はまあ半分程度で、人にたいしては性悪説、支配にとって大切なのは武力と人心掌握という権謀術数。目的のためには手段を選ばず。う~ん。 面白いのは理屈を述べるに際して必ず歴史や現在の事例があげられるところ。つまり空論ではないってところがこれだけ世界で読み継がれている鍵なのかな。真実は現場にあり、ってこれも一種の信仰かもしれないけれど。 兵力は自前のものでなければダメ、傭兵や援兵などには信を置けぬ、と繰り返し出てくる。要するに、アウトソーシングとか非正規とかじゃダメってことか。う~ん。
0投稿日: 2014.09.02
powered by ブクログ乱世の中、国を安定させることを目的としたリーダーのための指導書である。チェーザレ・ボルジアをモチーフとし、内外から恐れられるものの恨まれもしないことを理想としている。そのために、内外に対して厳格な態度をとり、正義のために力を発揮できること、自身で考え判断できる(少なくとも判断するために情報・提案を得られる優秀な部下を持ち人の意見を聞くことができる英明さを持つ)、などが要件として挙げられている。500年も前に書かれた作品だが、現代のリーダーシップの在り方の1つとして捉えることもできる。当時のイタリアの状況、フィレンツェの置かれた状況、チェーザレ・ボルジアに関する情報を把握した上で読めば良く分かるし、一般的に言われているマキャベリズムとは違った印象を持てるはず。
0投稿日: 2014.07.26
powered by ブクログ2014 5/5読了。三月書房で購入。 高校時代に塩野版の『チェーザレ・ボルジア』読んで以来、ずっと読みたいと思いつつ、なんでかなかなか読まずにいた本。 ついに読んだ・・・結果、今度はチェーザレの軌跡がうろ覚えになっていて、っていうか一時は妙に詳しかった15-16世紀のイタリア半島の状況をかなり忘れていて、豊富な脚注に頼りながらでないと意味がとれないという情けなさ・・・。 もう一回、塩野七生版でもいいからチェーザレとかヴェネツィアとか追っかけなおしておくか。
0投稿日: 2014.05.06
powered by ブクログヨーロッパ政治思想史の参考文献として読まねばならず。 重~いページをめくったら、その日のうちに最終ページをとじました。 政治家の言っていることがこんなによく分かるなんて!と政治に通じた気を起こすところだったが、マキアヴェッリの分かりやすいレトリックのお蔭なよう。 人間など所詮自分のことしか考えていない、という前提に則った所論の展開は説得力十分で筋道の通った裏のない言葉はとても気持ちがよい。 女の子が電車の中で読むにはあまりに可愛気のない本ではあるが、イタリアでは学生の必読図書だそうで、世紀を越えて読まれるだけの価値が大いに感じられた。
1投稿日: 2014.03.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
国を奪って君主になりたい人,必読。 メディチ家に向けて書かれたものだったのか。 15-16世紀のイタリア史を知っていた方がよく読めそう。分からないところは読み飛ばしてもいいとは思うけど。 軍備の重要性を説き,横暴さと狡猾さの双方を君主に求める一方で,民衆の力を侮るなとも。 チェーザレ・ボルジア推し。 翻訳は,学術的な立場を重視してなされたよう。 訳文が読みにくいのも,訳注が充実しているのもそのためだろうが,個人的には,もっと読みやすく意訳してほしかった。
2投稿日: 2014.03.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
序盤は君主らしいなぁと思ってたら 18章からやたらはっきり言うね(笑) マルクスのことを褒めて、こいつはすごい奴だったからさずっと良かったわけ、と言った後のその息子の表し方が、対照的だったからなんだろうけど酷い。 客観的な意見に笑った。 本の中で、いいんじゃないの?そんな奴に誠意はいらないよ、見捨てちまえよ。みたいな所は驚いた。哲学書で初めてみた。セネカだったら、人に使われる人生ではいけないよ。自分のために生きなさい。とか言いそうなところを。 あと運命について何回か話が出てくるが、その中でも運命はさ女だからにハッとした。そっか、運命好きだけど女ならしょうがないよねと思った。
0投稿日: 2013.11.02
powered by ブクログ「人間は邪悪だから、信義を守る必要はない」。「君主は愛されるより憎まれるべきである」。これらの衝撃的な言葉の裏に隠された、冷徹なリアリズムと祖国への情熱。危機に立ち向かうために欠かせない一冊。 九州大学 法学研究院 政治思想史 教員 木村俊道
0投稿日: 2013.10.08
powered by ブクログ読み終わったのはちょっと前。仕事で羽田空港に行った時、途中で持参した論文コピーが読み終わってしまったので、川崎で京急から南武線に乗り換える途中に駅ビルに入っていた有隣堂に寄って購入した。『君主論』は以前から読んでみたいと思っていた。この手の本は、複数の出版社が訳者を違えて出しているため、どれを読んだらいいのか悩む。中公クラシックス版がいいかなと思っていたのだが、結局岩波文庫を買ってしまった。まずは目次から。 第1章 君主政体にはどれほどの種類があるか、またどのようにして獲得されるか 第2章 世襲の君主政体について 第3章 複合の君主主体について 第4章 アレクサンドロスに征服されたダレイオス王国で、アレクサンドロスの死後にも、その後継者たちに対して反乱がおきなかったのは、なぜか 第5章 征服される以前に、固有の法によって暮していた都市や君主政体を、どのようにして統治すべきか 第6章 自己の軍備と力量で獲得した新しい君主政体について 第7章 他者の軍備と運命で獲得した新しい君主政体について 第8章 極悪非道によって君主の座に達した者たちについて 第9章 市民による君主政体について 第10章 どのようにしてあらゆる君主政体の戦力を推し量るべきか 第11章 聖職者による君主政体について 第12章 軍隊にはどれほどの種類はあるか、また傭兵隊について 第13章 援軍、混成軍、および自軍について 第14章 軍隊のために君主は何をすべきか 第15章 人間が、とりわけ君主が、褒められたり貶されたりすることについて 第16章 気前の良さとケチについて 第17章 冷酷と慈悲について。また怒られるよりも慕われるほうがよいか、それとも逆か 第18章 どのようにして君主は信義を守るべきか 第19章 どのようにして軽蔑と憎悪を逃れるべきか 第20章 城砦その他、君主が日々、政体の維持のために、行っていることは、役に立つのか否か 第21章 尊敬され名声を得るために君主は何をすべきか 第22章 君主が身近に置く秘書官について 第23章 どのようにして追従者を逃れるべきか 第24章 イタリアの君主たちが政体を失ったのは、なぜか 第25章 運命は人事においてどれほどの力をもつのか、またどのようにしてこれに逆らうべきか 第26章 イタリアを防衛し蛮族から解放せよとの勧告 結局、私が手に取った岩波文庫版はかなり新しいものであり、読みやすさよりも学術的な精確さを重視しているものだといえる。先に読んだ非常に注釈の多い『ドイツ・イデオロギー』と似ている。といっても、本書は訳者が追加した注釈は少ない。しかし、注自体は多く、それらのほとんどは外国のこれまでの版につけられた注釈から、訳者の判断でより正しい、あるいは著者マキアヴェッリの執筆意図にかなったものを掲載しているといえる。 本書の原著は1532年に出版された。ヨーロッパにおける出版事情が大きく変容する時期だといえる。これまでの、手書きで写す「写本」というものから、活字が発明されることによる印刷というものに移行する時期である。訳者の解説によれば、本書の著者原稿は存在せず、多くの写本が残されているという。1532年の出版自体はマキアヴェッリの死後5年後に出版されたということで、本書の編集自体も他人がやっていることになる。こういう状況だから、現代にさまざまな言語で本書を出版するという行為自体が一種の歴史解釈だといえる。なので、訳者はそこのところを非常に慎重に訳出作業を行っている。 さて、訳者によれば、本書は前半と後半に分けることができるという。目次をみても分かるように、前半は本書のタイトル「君主論」というよりは、「君主政体論」だという。君主そのもののあり方よりも、国の政治的あり方について論じたもので、15章辺りから君主そのものに焦点を当てていく。その以降として、政体のなかの軍事という側面に集中している。 訳者も基本的に本書の構成を、著者本人の意思に沿うものだと評価している。そのせいか、時代的な理解しにくさはあるものの、また本書が歴史的な精確さを重視しているが故の読みにくさもあるものの、基本的には論旨を理解することは難しいことではなかった。そして、現代は君主的政治よりも民主的政治が歓迎されているわけだが、決して本書に独りよがり的な暴君や独裁的な政治を感じ取ることはない。確かに、例えばある政体が別の政体を戦争などの手段を経て吸収したとしたら、その新しい君主は古い政体のあり方を残さずに主要な人物を一掃しなくてはならない、みたいな主張は現代的には残酷ではあるが、それは当時としてはやむをえない気もする。後半では特に君主の人間としてのあり方を論じていて、現代のビジネス界のリーダー論としても利用されるような内容を含んでいる。 私が本書に関心を持ったのは、よく「マキャベリズム」という言葉を目にするのだが、その言葉について説明している文章はあまり読んでいなかったからだ。あたかも自明のようにその言葉が使われる。ということで、Wikipediaで調べてみたが、日本語版では『君主論』の内容を都合のよいように解釈していると明確に書いており、その意味する内容は「目的のためには手段を選ばず」ということらしい。まあ、他人を踏み台にしてのし上がるリーダーといったところだろうか。マゾッホとサドの小説とは無関係な次元でSMという言葉が使われているのと似たようなものなのだろう。まあ、ともかく「マキャベリズム」という言葉が私のなかで自明なものになる前に本書を読んでおいてよかった。
0投稿日: 2013.10.04
powered by ブクログルネサンス期イタリアの政治的混乱を辛くも生きたマキアヴェッリ(1469-1527)は外交軍事の実経験と思索のすべてを傾けて,君主たるものが権力をいかに維持・伸長すべきかを説いた.人間と組織に切りこむその犀利な観察と分析は今日なお恐るべき有効性を保っている.カゼッラ版を基に諸本を参照し,厳しい原典批判をへた画期的な新訳.
0投稿日: 2013.09.16
powered by ブクログ君主たるものどのような振る舞いが重要か,過去の権力者を分析した書籍である.訳者の注釈および解説も充実している.
0投稿日: 2013.09.11
powered by ブクログ君主論 今風に言えばリーダー論になるのかもしれない。 性悪説的な考えに基づきいかに人をまとめ、集団と己の権力と安全を保持するかについて、多少の熱はあるものの観察と分析とがなされている。 またもう一度読みたい。
0投稿日: 2013.04.28
powered by ブクログ宗教の権威が落ちていく時代、政治と人間の本質を冷静な目で観察しきった名著です。あまりに厳しい政治の現実と愚かすぎる人間の本質を鋭く抉る本書は、私たちに自分たちの弱みをこれでもかと見せつけてくるため、少し構えてしまいますが、この現状を認識するところから対処を考えなければいけないことには変わらず、政治学を考える際には最初に読むべき本だと思います。
0投稿日: 2013.03.21
powered by ブクログ世界をもっと知るために、一度は読んでおくべき本。 かなり古い本だけど、読んでいてわくわくします。 久しぶりに、本に線をひきました。 私は、政治に興味がわきました。
0投稿日: 2013.03.01
powered by ブクログ未完成 [偉大なるロレンツォ・デ・メーディチ殿下に] そこで、私といたしましても、偉大な殿下の御前にささやかながら私の忠誠の証の品を携えて参上したいと願いはしましたが、わが家財のうちに、ことさらに貴重な品物はなく、わずかに価値のあるものとして私が見出したのは、近き世の事象については積年の経験で身につけ、また遠き世の事象については不断の読書によってみずから学んだ、偉大な人物たちの行動をめぐる認識だけでした。それら古今の実蹟について長らく熟慮し検討した結果を、いま一巻の小著にまとめて、偉大な殿下に献呈申し上げる次第です。 [第三章 複合の君主政体について] そしてこのように新たな政体を獲得した者が、そこを保持したければ、次の二点を守らなければならない。その一は、古い君主の血筋を抹消してしまうこと。その二は、住民たちの法律も税制も変えないこと。そうすれば、彼らにとって古くから続くことになる君主政体と、ごく短期間のうちに、そこは一体化していく。 だが、言語、風習、制度に差異のある地域で政体を獲得したときには、さまざまな困難が生じてくる。この場合にはそれらを維持するために大きな幸運と器量とが必要となる。そして最上かつ最強の手法の一つは、支配地を獲得した人物がみずからそこへ赴いてすみつくことだ。 最上の手法のもう一つは、新しい支配地のいわば足枷(コンペデス)となるように、一、二箇所に植民兵を送り込むことである。 [第四章 アレクサンドロスに征服されたダレイオス王国で、アレクサンドロスの死後にも、その後継者たちに対して反乱が起きなかったのは、なぜか] いま一つはひとりの君主と封建諸侯たちによって治められる方法で、この場合には諸侯たちが、支配者の恩顧によってではなく、古くからの血筋によって、その地位を保っている。このような封建諸侯たちは彼ら固有の領土や臣民を持っているから、臣民たちは彼を主君と仰いで、生まれながらに親愛の情を寄せている。 [第六章 自己の軍備と力量で獲得し新しい君主政体について] なぜならば、人間というものはつねに他の人びとが通った道を歩むものであり、彼ら先人の行為を模倣しながら進むものだが、先人の道は完全に辿ることができないし、あなたが真似しようとする人物たちの力量まで達することもないので、賢明な人ならばつねに偉大な人物たちが通った道から入って、甚だしく抜きん出たそれらの人びとの真似に徹すべきである。たとえおのれの力量が及ばなくても、せめて高貴な香りの幾分なりとも身に受けるために、そしてあたかも賢明な射手たちがするごとくに、すなわち射抜くべき的があまりにも遠くに見え、自分たちの弓の力がどこまで届くかを知っている者たちが、目指すよりもはるかな高みへ向かって的を定めるときのように、振舞うべきである。それは自分たちの矢をさほどの高みへ当てようとするのではなく、そのような高みへ狙いをつけることによって、何とかして彼らの標的へ到達したいと願うためである。 [第九章 市民による君主政体について] 結論として唯一言っておきたいのは、いかなる君主においても民衆を味方につけておくのが必要だということである。 [十三章 援軍、混成群、および自軍について] したがって、私の結論を述べるならば、自己の軍備を持たなければ、いかなる君主政体も安泰ではない。それどころか、逆境のさいに自信をもってこれを防衛する力量を持たない以上、すべては運命に委ねることになってしまう。そして賢明な人間の抱く見解にして金言はつねに同じであった。ずなわち「自己の戦力に基礎を置かない権力の名声ほど不確かで不安定なものはない」。そして自軍とは、臣民か市民かあなたの養成者たちから構成され、それ以外のすべては傭兵軍か援軍である。 [第十四章 軍隊のために君主は何をなすべきか] まさにそれゆえに、君主たる者は、このような戦時訓練を念頭から離してはならない。そして平時にあってこそ、戦時におけるよりもいっそう、訓練に励まねばならない。その方法には二つがあり得る。一つは、実践によるものであり、いま一つは、精神によるものである。 ところで、精神の訓練に関しては、君主は歴史書を読まねばならない。そしてその内に卓越した人物たちの行動を熟慮し、戦争のなかでどのような方策を採ったかを見抜き、彼らの勝因と敗因を精査して、後者を回避し前者を模倣できるように努めねばならない。 [十五章 人間が、とりわけ君主が、褒められたり貶されたりすることについて] 必要なのは、ひたすら思慮ぶかく振舞って、自分から政権を奪い取る恐れのある、そういう悪徳にまつわる悪評からは、逃れるすべを知っていなければならない。また自分からそれを奪い取るほどではない悪評からも、可能なかぎり、身を守るすべを知らねばならないが、それでも不可能なときには、さりげなく遣り過ごせばよい。またさらに、これらの悪徳なくしては政権を救うことが困難であるような場合には、そういう悪徳にまつわる悪評のなかへ入り込むのを恐れてはならない。なぜならば、すべてを熟慮してみれば、美徳であるかに思われるものでも、その後についていくと、おのれの破滅へ到ることがあるのだから。また悪徳であるかに思われるものでも、その後についてゆくと、おのれの安全と繁栄を生み出すことがあるのだから。 [十七章 冷酷と慈悲について。また恐れられるよりも慕われるほうがよいか、それとも逆か] それゆえ、君主たる者は、おのれの臣民の結束と忠誠心を保たせるためならば、冷酷という悪評など意に介してはならない。なぜならば、殺戮と掠奪の温床となる無秩序を、過度な慈悲ゆえに、むざむざと放置する者たちよりも、一握りの見せしめの処罰を下すだけで、彼のほうがはるかに慈悲ぶかい存在になるのだから。 したがって、恐れられることと慕われることへ戻り、結論を下しておく。すなわち、人々が慕うのは自分たちの意に叶うかぎりであり、恐れるのは君主の意に叶うかぎりであるから。賢明な君主は自己に属するものに拠って立ち、他者に属するものに拠って立ってはならない。ただ、すでに述べたごとく、憎しみだけは逃れるように努めねばならない。 途中
0投稿日: 2013.01.20
powered by ブクログ性悪説を前提にした論調ですかな。マキャヴェリズム・権謀術数… よくわからない個所も多々あったので、歴史を復習したりもしました。そういうきっかけをも与えてくれる。 自己啓発書-研磨されていない岩石みたいな-と捉えてもいいかも。
0投稿日: 2012.11.11
powered by ブクログ「社会契約論(ルソー)」を読んだ直後に読んでしまったせいか、君主政体に限ったハウツーを語った本書の内容を非常に陳腐に感じてしまった。 ただ、君主論と言いつつも民衆の力には言及しており、「城塞を築くよりも、民衆の忠誠を維持せよ」ということを語ったりもしている。 また、優秀な君主の例として度々挙げられるチェーザレ•ボルジアにはたいへん興味を惹かれた。
0投稿日: 2012.07.04
powered by ブクログ人が集まる時、役に立つ考え方が満載。読み方を間違えると極論に走りそうな内容は劇薬。ボリュームのある訳注も面白い。
0投稿日: 2012.06.16
powered by ブクログ歴代の統治者を分析し、君主の在るべき姿を説いた古典。 含蓄のある言葉がたっぷりで面白く読めた。 後世の為政者に多大な影響を与えたのも頷ける。 伝説的な西海岸ラッパーの2pacが獄中で出会ってアルバムのタイトルにしちゃうほど影響を受けた一冊でもあったり。
0投稿日: 2012.06.11
powered by ブクログ一般に評価されているほど、残虐な君主論はほとんど論じられておらず、意外と普通の内容だった。 征服地の統治の理論の部分は、理論が少し飛躍し過ぎている感があった。
0投稿日: 2012.03.10
powered by ブクログ正直言うと、「一部だけ抜粋して読んだ」というのが正しいです。 君主が、いかにして権力を保有・維持するかを解説した本ですが、 読み進めるのが苦痛で、ところどころ抜粋して斜め読みした程度 です。 何が苦痛だったかというと、まず文体。 「君主は....すべきである。なぜなら、....であるから。」 この調子で、延々と続く文章。各々の主張の裏付けとなる エピソードも語られていますが、西欧の権力闘争史で、 日本人の私には正直ピンとこない。 内容も、あくまで君主目線で、どうやって統治するべきか、 が描かれていますが、基本は「恐怖政治・上意下達」スタンス。 時代性を考えれば、それが妥当なのかもしれませんが。 では、同じ手法が現代社会で有効なのかというと、私には 合意できない部分が多々ありました。 あくまで統治・抑圧の対象として民衆を描いていますが、 恐怖で組織を操るのは長続きしないように思います。 強烈すぎるカリスマリーダーが引退したあとで会社がガタガタ になる、なんてのも、トリマキが盲目的にYESマンになっていて、 その背景に「評価されない恐怖」があるのかもしれません。 恐怖による統治では、結果として、リーダーの指示以上のアウト プットを組織が生むことを期待できないように思います。 変化が激しく、情報が溢れる現代社会において、 組織統治のツールとして「恐怖」に変わるものは何か? ファクトとロジックで結論を出す「合理性」と、組織の構成員 による「目的遂行への共感・共鳴」、このあたりに、統治のみ ならず、組織全体の英知を生かすヒントがあるように思います。 解説として、マキアヴェッリが何故、この本を書いたのか、 その経緯が描かれています。政治的理由で失脚したマキアヴェッリ が、時の権力者に取り入ってもらおうと書き留めたものらしい。 その人間クサさのほうが、本編よりも面白く感じました。
0投稿日: 2012.01.11
powered by ブクログ構えたほど難解でなく、分かり易いです。 勿論すべてに賛同できるわけではありませんが、現代でも十分に通用するリーダー論だと思います。
0投稿日: 2012.01.02
powered by ブクログ君主、つまり人の上に立つ人間は、基本的にドSじゃないとムリなんだな・・・そう感じる一冊でした。君主論の前に「ドSになる方法論」なるハウツー本が必要ですねwそれにしても、「原文に忠実」らしいのですが、非常に読みにくく、頭の中に入りにくい一冊でした。
0投稿日: 2011.11.14
powered by ブクログ君主の資質について、なるほどと思える分析。憎まれないこと。そして、恐れられること。侮られ、軽蔑されないこと。 信長は憎まれたから、滅ぼされたような気がする。
0投稿日: 2011.09.14
powered by ブクログモデルはオスマントルコ皇帝らしい。要するに、リアル・ポリティークであり、カウティリア実理論の近代版みたいなものであろう。
0投稿日: 2011.09.01
powered by ブクログ古典とは思えないほど明快、わかりやすい。とても500年も前の本だとは思えないぐらい、瑞々しい現代的な感性で書かれている。 リーダーの心理学を目指したが学問的素養がなく、リーダー論と言う名のエッセイになっちゃった本にみえる。でも、そんなふうに現代の本だと思って読める所がこの本の素晴らしい所なのだ
0投稿日: 2011.08.27
powered by ブクログ「~である。なぜならば、~であるから。」といった風な読みづらい日本語訳がお気に召さない人もいるようだけど、自分は逆にそこが好きだった。 マキアヴェッリの目を通して、その時代に生きた知識人が当時の世相をどう見ていたのかを疑似体験してイタリア史を補完するにはうってつけの本。
0投稿日: 2011.08.22
powered by ブクログ歴史の教科書にもでてくる古典。 元日本マイクロソフト社長の成毛真さんは、社長指名された時ちょうどこの本を読んでいたので、書いてある通りレイオフしたとか。 関連語:マキャベリズム 件名:君主政治
0投稿日: 2011.06.17
powered by ブクログローマ帝国崩壊後、長い間政治的混乱に陥っていたイタリアをどう立て直すか、という非常に時代状況に則した関心の下に書かれたマキアヴェッリの処方箋。 古代世界の歴史から当時のイタリア半島における治乱興亡に至るまで、多くの実例を引用しつつ、君主はいかにあるべきかを説いたこの著作は、マキアヴェッリの意図を超えて、普遍的な価値を思想史において持つことになった。政治を必要悪としてではなく、運命をも変転させる「力量」の問題として扱うこの著作こそ、近代政治思想の始まりといえよう。
0投稿日: 2011.06.02
powered by ブクログ権謀術数主義だとか目的のためには手段を選ばないだとか、マキャベリズムというとなんとも腹黒いイメージがつきまといがちですが、はたして当のマキャベリが何を言いたかったかを現代風にいうと、 「善からぬ者たちの中で大切なものを守るためには、全ての面において善い行動をしたいと願ってはならない」 ということに尽きるような気がします。 大切なものなんて言うと陳腐な香りがそこはかとなく漂いますが、要するに道徳だとか信念だとか、情といったところでしょうか?時代が時代で、私が君主なら、それは「自国」になるでしょう。 個人的に座右の書と言いたいところなのですが、如何せん読んでモノにできている気がしないので、周りの人には内緒です。
0投稿日: 2011.01.25
powered by ブクログ塩野七生さんの「わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡」を読んだ後であれば、内容がすんなりと理解できた。が、思った以上に民衆を味方につけることの重要性を問いている箇所が多く新たな発見でした。
0投稿日: 2010.12.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『君主論』(マキアヴェッリ、河島英昭、1998年、岩波文庫) ルネサンス期のイタリア(当時は小国分立状態にあって、常に外国からの侵略の危険にさらされ、またイタリア内においても強国どうしの争いがあった)のフィレンツェの外交官であるマキアヴェッリが著したリーダー論。君主(リーダー)とはかくあるべしという論点を、イタリアの、あるいは歴史から学びとる手法で、語っていく。 「君主は歴史書から学べ」とマキアヴェッリは言う。過去の歴史から、現代にも通じる教訓やリーダーの資質が存在する。しかし、一方では、「権謀術数」「マキアヴェリズム」とも言われる、目的のためには手段を選ばないとする考えがここから生まれた。良きにつき悪きにつき、本書は現代のリーダーシップ論にも通じるところがあるのは確かである。したがって、一定の読み応えがあるのと同時に、読む価値は多分にあると考える。 ちなみに、一言触れておくと、マキアヴェッリは君主はかくあるべしと主張したのであって、マキアヴェッリ自身はマキアヴェリストではない。むしろ「可能なかぎり、善から離れる」なと言っている。 (2010年11月9日 大学院生) (2011年11月26日 大学院生)
0投稿日: 2010.11.09
powered by ブクログナポレオン、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンにも読まれた問題の書。これが読まれて何人の命が奪われただろう。
0投稿日: 2010.11.09
powered by ブクログずーっと読みたいと思ってた本です。 マキャヴェリさんって世界史やってるときはとても冷たいイメージだったのですが。 臣民に慕われることが一番であるとか傭兵を使うことはどんなに愚かであるかとか様々な話がでてましたが、一番印象に残ったのは、やはり「冷酷であれ」ということ。 日本でも多くの社長がこれを読んでいるとのことですが、「社員は家族です」な日本的経営?とはまた違ったルーツがここにあるような気がする。 国・会社の統制には「気前が良い」「慕われる」「みんなの意見を聞く」ではダメだというのが彼の考え方。自分以外のその他とは一歩も二歩も距離を取り、「ケチ」と言われても倹約につとめ後に還元することを考え、「恐れられ」ても自分の進む道を貫き、「限られた信用に足る人の意見のみを聞く」ことで優れた助言だけを採用する。そして優れた功績を残した者には余すことなく賞を与える。これもまた一理ある経営方針だとは思う。 読みながら強いリーダーシップを感じていた。
0投稿日: 2010.10.10
powered by ブクログ君主論は、君主政体について、それを維持する軍隊について、君主の資質について、君主の取り組みについて、新しい君主の出現について、という構成なわけですが、内容は最高のリーダシップ論とですね。「ひとつは、・・・、いまひとつは、・・・」、という形式の、マキャベリの一刀両断していく文体が、歯切れが良く気持ちよい。
1投稿日: 2010.09.26
powered by ブクログマキャヴェリの代表的著作。 君主はどうあるべきかを、26章にわたって述べている。 500年くらい前の本だけど、すらすら読める。ただ書いてある内容を現代にそのままあてはめるのは、ちょっと無理がある。歴史的著作としてわりきって読むべき。 本文よりも注釈の方が多い(笑
0投稿日: 2010.08.06
powered by ブクログ東洋が「孫子」なら、西洋はこれだろうか。君主政体や、君主自体について、どうあるべきか、というものを解説。 君主には、狐の謀略と獅子の力が必要とされる。 中間項を許さない、明快な論をずばずば突きつけてきます。歴史的な人物を多く例として引用しますが、注釈も本編より盛り沢山にあるので、安心です。
0投稿日: 2010.07.02
powered by ブクログこれを読んでいて、どこかの国がまるでこれを読んでそのまま実行したかのような感じがした。君主というか時代の覇権を握ったもののとるべき行動としてはこれほどわかりやすく抜け目のないことはないのかもしれない。 しかし、君主たるものに向けてであって、君主になるために読む本ではないと思った。ようするに、時代を創る人と時代を変える人が同じでないことが多い例に見ても、なぜそうなるかは君主になって君主たる行動をとれてないことにその原因がある。 君主になる道は複数存在しても、君主でいることには余り多くの-極端な話一つしか-道はないのかと考えさせられるような論。 本分冒頭にもあるが、この著は君主に向けてマキャベリが贈ったもの。君主ではない者が君主に向けて書いた君主論。言わば金儲けの理論を資本家ではなく経済学者が説くようなもの。それが信用に足るものか。ただ言えることは、人は自分を客観視することはとても現実的なことではない。なぜなら、主体と客体が混在してしまうから。それに、重要なのはこの場合、なることではなくいることである。従って、その辺に並ぶハウトゥー本と一緒の感覚では読まないほうがいい。 まあ、今君主で悩んでる人って極わずかだから、適当に使えそうなとこだけ抜粋するのも一つだろうけど。
0投稿日: 2010.02.18
powered by ブクログ読みかけ。 電車の中でちまちま読む本。 感想という感想は難しいので多分このまま。 読んでおいて損はないというものではなく興味があれば詠むのにいい だいたいそんな位置づけだよね、岩波全般。
0投稿日: 2010.02.17
powered by ブクログ全二十六章のうち 1章~14章が君主政体論 15章~26章が君主論 になっている。 君主政体論については世襲の政体or新興政体のように対立的に分かりやすく書かれており、その政体はどういう傾向があるのかについて例を出しながら書かれている。 チェーザレ・ボルジアが出てくるのは主に7章~9章。 物語的におもしろい本というよりは、使える本だと思って買った。 チェーザレを読んでふと読みたくなったから。 P.43 「人間というものは常に他の人々が通った道を歩むものであり、彼ら先人の行為を模倣しながら進むものだ。賢明な人ならば常に偉大な人物達が通った道から入って、甚だしく抜きんでたそれらの人々の真似に徹すべきである。」 P.116 「なすべきことを重んずるあまりに、今なされていることを軽んずる者は、自らの存続よりも、むしろ破滅を学んでいるのだ。」 P.172 「頭脳にはおよそ三種類がある。第一は自分の力で理解し、第二は他人の理解を聞きわけ、第三は自分の力でも他人の力でも理解しない場合だ。第一は格段に優れ、大にも優れているが、第三は無能である。」 こういうのを読むと素直に感服する。今も500年前も大して変わっていないのだ。 倫理的には良くないと思われることも多く書かれていたりするが、それも含めて真理であることが多い。決して口に出しては言えないが、正直正しいと思うことがかなりある。 管理職の人なんかは実際に使えそうなことも書かれている。今の僕には全くと言っていいほど関係が無いけど、こういう考え方も大切じゃないかなとは思う。
0投稿日: 2009.12.31
powered by ブクログ高校のころ2PACに影響されて読んだが、旅の共にもう一回読み直した。 ひたすら論理的で帰納的。 確かに普遍的に通じるものが多いが、条件をよく考えてから応用しないと危険だ。 それくらい世の中は成熟した。
0投稿日: 2009.11.22
powered by ブクログ会社とかで馬の合わない上司とかに当たってしまったとき、使えそうなワザがちらほら。 面従腹背ぜんぜんあり。マキアヴェッリが言ってたんだ、と思えば心強いかも。
0投稿日: 2009.07.24
powered by ブクログ国を率いる君主が持ち合わせるべき要素とは。「ずるい」代名詞のように名前が使われるマキャベリですが、現代のリーダーシップ論につながるところもあり、実は大変興味深い著作です。
0投稿日: 2009.07.17
powered by ブクログずっと読んでみたかったんですけど。意外と薄い本だったのでびっくりしたんだったり。 そこまで面白いとも思わなかったかなぁ。読みやすかったけど。君主政体にはいろいろな形があって、それぞれの場合にどのようにふるまえば長く統治をすることができるか、ということを、作者の経験の観点から書いてある本です。
0投稿日: 2009.07.04
powered by ブクログHIPHOPの2パックにはまっていた頃に彼が獄中でずっと読んでいたということから興味を持ち、ずいぶんと読んだ。 非常に現実主義的であり、おそらく政治の世界や戦国を生き残るにはこういった考え方がなければならないであろうが、それは現代においても同じ。 自分もいろいろな場面でリーダーシップを執ることが少なくないが、そのときの基本的な信念はここから培われたと思う。まぁ、中学から読んでますから。笑
0投稿日: 2009.05.10
powered by ブクログ半分が注釈だったもんで、案外に早く読み終わってしまった。 君主制と現在の日本を比べてもしょうがないのかもしれないけど、為政者はやっぱり多かれ少なかれ狐の狡猾さとライオンの獰猛さを持ってなきゃならんと思うわけね、つまり、全体にとっての善を成しえるためには瑣末な偽善は必要であると。現在でもこれは当てはまるよね。為政者は誠実で正直な善である必要はないが、そう見せかけることは必要である。 ここまでメディアが発展し、大衆化が進んだ現在、それが困難なことは昨今のニュースを見ても明らか。政治家にとっては、ある意味かわいそうな時代になったよね。まあ、だからといってその行為を黙認はできないんだから、更なる狡猾さを身につけていくんだろうなあ、政治家は。
0投稿日: 2008.07.21
powered by ブクログ手厳しい。偏見が入ってるような気がしなくも無い。 中国で覇王と呼ばれる偉人と比較すると面白い。参考とするなら伊藤肇の「現代の帝王学」かな。西洋と東洋の『王』の定義がなかなかに。
0投稿日: 2008.04.14
powered by ブクログ15世紀イタリアの混迷を背景に、安定した支配を成しうる君主とはいかなるものかを説いている。 歴史的事実(注によればかなり著者の視点で選別されているようだが)を基盤に、政体の獲得・維持に必要な要素を整理し要点を述べ立てている。現在の政治学や政治的事象に通じる部分も多く、「今なお色褪せていない」という評価は言い過ぎではないだろう。 文中しばしば大衆の幸福の実現(財産の不可侵等)について言及している箇所があり、彼に対する「冷酷非情」という短絡的な評価が必ずしもあたらないことを示している。最小限の犠牲としての「冷酷さ」を志向していたのであり、現代の北朝鮮のような独裁・弾圧型の政権と結びつけて考えるのは早計だといえる。 現代に応用する上で補われるべき要素としては、支配装置としてのメディアの操縦法があると思う。人口規模等を考えると当時情報伝達・流布装置に関して深く考える必要は必ずしもなかったのかもしれない。 訳文は平易で読みやすい。訳者の10年越しの苦労が伺える。
0投稿日: 2008.04.07
powered by ブクログ政治家の必読書ということで読んでみた。現代とは時代背景が異なるか。時に非情さも必要かも知れないが、一人一人の国民の感情も無視はできない。
0投稿日: 2008.01.03
powered by ブクログマキャベリズムを理解する一助となるかと思って読んだが、同じ著者の『戦術論』および『ローマ史論』も読まねば、万全は期し得ないようだ。 書かれた当時の情勢を引き合いに出す事で分かり易く書いたのであろうが、世界史を浅くしか学んでいない僕には却って理解を迂遠にした。だが、論旨は正鵠を射ていると思う。 訳文については、逐語的で理解しづらい面が多い。アマゾンレビューを参照する限り、純粋にマキャベリズムを学びたいのであれば他の本が有用な様である。ただ、脚注が多いのはかなり評価できる。 【0603古/060529了】
0投稿日: 2006.05.29
powered by ブクログ高校時代の世界史の先生に影響されて手を出した本。当時は時代背景もあやふやなまま読んだため、「ふーん」という程度の感想しか持ちませんでしたが、メディチ家との関わりを知ってから読むと、妙に納得。
0投稿日: 2006.02.19
powered by ブクログイタリアのメディチ家と縁のあるマキャベリの、帝王学。 君主とはこうあるべきという、モデルが書かれています。預言者の出現によって衰退する直前の人生の絶頂期に書かれた作品。経営者になりたいなら、読んどくべき。
0投稿日: 2005.08.01
