【感想】一人称単数

村上春樹 / 文春文庫
(154件のレビュー)

総合評価:

平均 3.5
15
60
50
11
4
  • ハルキらしさ

    8作からなる短篇小説集。
    これはエッセイでなくて小説なの?という作品(『「ヤクルト・スワローズ詩集」』)も含まれているし、作者の趣味嗜好が色濃く反映された作品が多いように思った。
    文体もすぐ作者と分かるもの。
    それでも、どの作品も飽きさせないし、特に『品川猿の告白』が面白かった。
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    投稿日:2023.06.14

ブクログレビュー

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  • NEW PEACEFULLY BOOKSTORE

    NEW PEACEFULLY BOOKSTORE

    この本で感じたのは『リアル』と『虚構』の境界線のあやふやさだ。
    村上春樹のエッセイとして読者は読み進める。
    しかし誘われるのは村上春樹の妄想による創造の世界だ。
    この世界で彷徨う読者をほくそ笑んで眺めているのだろうか。
    どの話も終わった後は跡形もなく消えてしまって
    かわりに余韻だけはずっと心に残り続けるような
    不思議な読後感を味わった。

    そもそもこの本に興味を持ったきっかけは
    『ヤクルトスワローズ詩集』が収録されているからだった。
    村上さんがヤクルトファンだという事は噂レベルで知っていたが、
    村上春樹という存在とヤクルトスワローズの世界があまりにもかけ離れすぎていて
    同じ世界線にこの2つが存在することに現実味を感じられないでいた。

    なのに『詩集』って、、、そんなに好きなの?
    もしかしたらヤクルトが得点する度に傘を振り回し、東京音頭を熱唱する村上春樹に出会えるかもしれない。
    あの村上春樹が本当にヤクルトスワローズを愛しているのか明らかにしたかった。

    結果、居住の条件は神宮の徒歩圏内、観戦は基本現地というガチファンだった。
    そして弱いチームを応援することに独自の美学を持っていた。
    とはいえ、これまで実体験と虚構が入り混じる中で
    村上春樹の遊びごとにさんざん振り回されてきた。
    『ヤクルトスワローズ詩集』が本当に存在するのかも疑わしい。。。
    そこで調べてみたらヤクルトスワローズのファンクラブサイトにたどり着いた。
    https://www.yakult-swallows.co.jp/pages/fanclub/honorary_member/murakami
    ここで村上さんがファンクラブ名誉会員として寄稿しているものによると
    どうやら『ヤクルトスワローズ詩集』は本当に実存するものらしい。
    そして同じ村上姓として村上宗隆選手を「うちの宗隆くん」と呼び、まるで親戚の子みたいにひときわ期待を寄せていた。
    世界に誇る「2大村上」が人知れず繋がっていたことに興奮を覚えた。
    この寄稿が書かれたのは宗隆選手が19歳の頃だ。
    私が思うに現在24歳の宗隆選手は日本を代表するスラッガーに成長したと思うが
    果たして春樹さんのお眼鏡に叶う「ほんもののスラッガー」になっているのか、その後の宗隆論が気になってしまった。
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    投稿日:2024.07.14

  • えみりん

    えみりん

    品川猿の告白が一番よかった。

    古い宿の素晴らしい温泉につかっている時に現れた一見普通の猿。その猿が丁寧な言葉遣いで突然「お寒うございますね」と話しかけてくる。
    主人公は驚きながらも、もっと話が聞きたいと思い、部屋でその猿が持ってきてくれた気の利いたおつまみをつまみながら瓶ビールを一緒に飲み、猿の身の上話を聞く。
    村上ワールドという感じで個人的には好き。
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    投稿日:2024.07.13

  • Janat

    Janat

    3月に買って途中で読みかけのまま本棚に放置し、今日やっと読み終わった。
    村上春樹の短編小説は初めて読んだが、個人的に長編小説の方が好きだった。
    淡々とした雰囲気の話が多く、寝る前に読むのがおすすめ。

    投稿日:2024.07.12

  • セシルの夕陽

    セシルの夕陽

    何のジャンルに入るのだろうか。エッセイのような私小説の8話短編集。

    どこか不思議な話が綴られている…春樹氏にかかれば、全て謎めいた話になるのだけど。

    ジャズやビートルズ、クラッシックの音楽に絡んだ作品もたくさん。私は疎くて残念ながらも『謝肉祭』はシューマン♪ 謝肉祭♪を聴きながら読んだ。

    『品川猿の告白』は「東京奇譚集」にも出てきた話とリンクしていた。『ウィズ・ザ・ビートルズ』が1番好き♡ 今後も春樹氏の文章リズムに時々触れたい。
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    投稿日:2024.07.07

  • 本ぶら

    本ぶら

    これ、書いたのが村上春樹じゃなくて、たとえば町上夏樹っていう新人作家だったら、たぶん、評価はみんな、5割減だったんじゃない?(爆)

    『女のいない男たち』、『神の子どもたちはみな踊る』という短編集がよくて。
    村上春樹は、むしろ短編の方が小説らしく小説を書くんだなーと読んでみたのだけれど、これは全然小説らしくない。

    ていうか。
    これ、実は買ってから読み出すまで、数週間かかった。
    ていうのも、買ってすぐ、ペラペラめくっていて、1話目「石のまくらに」が例によって、いくのいかないの、他の男の名前を呼ぶからどーとかという話だったからだ(^^ゞ
    村上春樹のエッチはてろんとしているから、何のコーフンも呼び起こさないwから、ほぼ、どーでもいいんだけど。
    最初に目に入ってきたのが例によって例のごとくの内容なことに、「また、その話なのぉ?」とさすがにウンザリしてしまったのだ。
    ていうかー、世のハルキストの方たちが常に村上春樹の小説を絶賛するのは、村上春樹がいつもそれを書くからなんだろうか?
    まぁ、自分も去年の暮に『みみずくは黄昏に飛びたつ』買って読んで以来、村上春樹の小説ばかり読んでいたので、一応はファンの端くれなんだろうけど。
    村上春樹の小説を礼賛しまくるファンが村上春樹の小説のどんなところを評価しているのか、未だにわからない(^^ゞ

    てことで、★は本来なら2つ。
    一つ増やしたのは、村上春樹はこれを書くことで、今の日本人に問うてるんじゃないのかな?という気がしたから。
    いや、そうなのかはわからない。
    たんに、そういう風にでも思わないと、ツマンナすぎてやってらんないからかもしれない(^^ゞ
    というのも、3話目「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」の出だしはライナーノーツなのだ(ただし、空想のレコード)。
    ライナーノーツって、大嫌いなんだよね。
    自分が買ったレコードのそのミュージシャンがいかにスゴイか、そのアルバムがいかに傑作か、ズラズラ、ズラズラ書いてあって。
    それを読むことで、「あー、やっぱり、これ大傑作なんだ。俺って、やっぱりセンスがよくてカッコイイよなぁー」と、一人悦に入るためのものって気がしちゃってさ。
    ていうか、あかの他人である音楽評論家のツマンナイ興に無理やり付き合わされているようで、ハラが立ってくるのだ(爆)←なら読まなきゃいいだろ!w


    1話目、「石のまくらに」は上記にも書いたように、ペラペラめくっていて目に入ってきた「またこれ?」な内容にウンザリしちゃったんだけど。
    読んでみると、「またこれ?」でありつつ、ビミョーに違うようにも思えるお話。
    例によって20歳の学生の主人公が、バイト先の年上の女性の送別会(のようなもの)の後、いつものごとく、するするとエッチに至るというお話wなんだけど、その後がなぁ〜んか違う。

    余韻かな?
    違うのは。
    たぶん、その余韻は、送られてきたその女性がつくった短歌の歌集が影響しているんだろう。

    どうでもいいことだけど、著者はエッチの場面で女性の胸とソコについては書くけど、それ以外の部位についてはほとんど触れない(描写しない)。
    もちろん、そういうのは人それぞれだから、それをとやかく言うことではないんだけれど。
    ただ、村上春樹のエッチシーンにウンザリする人が多いのは、そういう即物的に感じる書き方にあるんじゃないのかな?

    2話目、「クリーム」は意味深。
    ただ、お話としては面白くない(^^ゞ
    浪人中の「僕」が、昔同じピアノ教室に通っていた女の子から独奏会の招待状を受け取る。
    行くんだけど、そんなものは開かれていない。
    そんな「僕」は公園で老人と話をすることになって……、
    みたいなお話。
    つまり、その老人の話の内容というのがいろいろ示唆に富んでいるという、よくあるパターンのお話だ。

    そういえば、社会人になって、すぐの頃。
    上司から「これについて考えてこい」出された課題を数日後に見せた時、「キミは考えるということがどういうことなのか、わかってないんじゃないか?」と怒られたことを思い出した(^_^;)

    3話目、「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、上にも書いたように冒頭が空想のレコードのライナーノーツになっていて。
    ライナーノーツを読むのが大嫌いな自分としては、それだけでウンザリ。
    というか、さすが村上春樹。
    そのライナーノーツを、まさにライナーノーツって感じで書いている(爆)
    個人的な興にノリまくって、たかがレコード一枚のことを世紀の大事件みたいに浮かれまくって書いているだ(^^ゞ
    自分も音楽はかなり好きだから、そう書きたい気持ちはわからなくないけど。
    ただ、自分は音楽ファンがそういうノリや興をあらわにしているのを見るのが好きじゃないのだw

    お話そのものは、収録曲まで架空で作ったアルバムを主人公はある時……、
    みたいなお話。
    そういえば、中古盤屋巡りをよくしていた頃、グラム・パーソンズのバーズ加入前のバンドである「インターナショナル・サブマリン・バンド」のアルバムを3種類見つけたことがあった。
    その内一枚は、ジャケットからして私家盤ぽかったこともあって。
    「もしかしてライブだったりする?」と、ワクワクしながら3枚とも買ってしまったなんてことがあったが(^^ゞ
    それを踏まえると、これって、音楽ファンあるあるなお話なのかもしれない。

    4話目、「ウィズ・ザ・ビートルズ」は、例によって、魅力的な女の子が出てくるシーンから始まるwのだけど、お話の本筋にその人は関係ない。
    そのガクっとする流れは結構好き(^^ゞ

    お話そのものはその女の子ではなく、最初に付き合った女の子とのデートの約束の行き違いで始まる、その子のお兄さんとのおしゃべりのお話だ。
    18年くらい経って、そのお兄さんとバッタリ会った主人公は思わぬことを聞かされる……、
    みたいなお話。
    これも、意味深。

    そういえば、アマゾンのレビューとかに「その時代にパナソニックはない」と書いていた人がいたけど。
    それを見た時は、「どーでもいいじゃん。フィクションなんだもん」と思ったんだけど、実際読んでみると、「パナソニック」の文字(というより、その音感かもしれない)にすごく違和感があった。
    そう考えると、さすがは村上春樹。さり気なく時代の空気まで表現しちゃっているってことなのかな?と、ちょっと感心したんだけど。
    ただ、その後で、その頃、スニーカーって言ってたのかな?と再び違和感を覚えたのも確かだ。

    5話目、「ヤクルト・スワローズ詩集」は村上春樹信奉者以外は、ほぼどーでもいいお話(^^ゞ
    野球を観に行くのが好きで、ヤクルト・スワローズが好きで。
    あの時はどうこう、この時はどうこう…。
    村上春樹だろうが、名のない一般庶民だろうが、人はみな、その人ながらの愉しみを楽しむことで日々を暮らしている。
    そういう意味で、この本のテーマに、ちゃんと沿っているお話なんだと思う。

    6話目、「謝肉祭」はこれまでと違って、引っかかるという意味で小説らしいお話。
    恋愛感情抜きで楽しいおしゃべりが出来る、ある女性の回想(?)のようなお話なのだが。
    似ている価値観に基づいて語り合う音楽のおしゃべりの場面が心地よい。
    ただ、その女性が……、
    みたいなお話。

    前から感じていたけど、村上春樹って、女性の外見にすごくこだわるよね。
    身も蓋もない言い方しちゃうならば、ブスは徹底的にこき下ろすみたいなさ(^_^;)
    ま、男にしても、女にしても、誰だって、心の中に多かれ少なかれ、そういうこだわりはあって、その価値観で他人を切り捨てたりしているっていうのはあるんだろうから。
    世間で今言われているキレイゴトや正しいっぽいこと言って、「俺/わたしは偉いよね?」と思うことで気持ちよくなっているよりはマシなんだけどさ。
    ただ、思うに、学生の時、村上春樹が身近にいたら、絶対仲良くならなかった気がするなぁー(^^ゞ
    ていうか、ジャズファンって時点で「アイツ、ダセぇよ」と陰口叩き合う仲だったと思う(爆)

    このお話の中に出てくる、“仮面”という例え。
    あるいは、“幸福というのはあくまで相対的なものなのよ。違う?”という言葉。
    それらを読んでいて、初めて、「あ、つまり、著者はこの短編集をそのテーマに沿って書いたのかな?」と思った。
    これは、あくまで自分が感じた、いかにも自分っぽい想像wだけど。
    著者がこの短編集でしたかったのは、SNS等ネットの中にある幸せや楽しさを、幸福や興の価値観(スケールと言った方がいいかもしれない)としてしまっている現在の世の中に対する、皮肉を込めた問いかけなんじゃないのかな?
    毎日、ごきげんにビール飲んで試合に一喜一憂することが楽しいヤクルト・スワローズのファンの人が、SNSでたまたま見た、どこの馬の骨とも知らない他人の一年で唯一の(なおかと、盛りに盛った)イベントを見て、「俺/わたしって、ツマラナイ人生おくってるんだなぁー」と意気消沈。
    粛々と不幸せを消費している……、
    今って、なんか、みんなそんな感じじゃない?みたいに(^^ゞ

    このお話のその女性のその一件も、無駄に他人を羨むことで粛々と不幸せを消費した果ての結果なんだとしたら哀しい。
    ていうか。
    最後まで読んで思ったんだけど、冒頭にある、その女性の容姿の否定的な言及は全く逆なのかもしれない。
    つまり、その女性の容姿というのは、一見して普通にキレイ、あるいは、人目を引くほどキレイだった。
    ただ、そのキレイさというのは、今の最大公約数的なキレイさ、つまり、今(現在)、世間にあるキレイの流行りを集めて作ったみたいなキレイさで(ナンチャラ姉妹みたいな?w)。
    その人本来持っていたキレイを、今のキレイの基準通りに化粧等で塗り潰したような顔だった。
    あるいは、そこまでいかなくても、取り繕った顔を普通の顔として見せている?
    そう、営業スマイルが地の顔になっちゃった人と言ったらわかりやすいのかもしれない。
    その人本来持っていたキレイを化粧等で塗り潰した顔、営業スマイルが地の顔になっちゃった人、いずれにしても、主人公はそれが「仮面」ように感じて、その無機質さに嫌悪を覚えたことで「醜い」という、かなりキツい言葉で表現したということなのかもしれない。

    つまり、その人が「仮面」をつけているのは、裏にその理由(ネタバレになるので書けない)があったからということになるんだけど。
    ただ、個人的には、主人公とその女性の音楽をめぐるおしゃべりが面白かったこともあって。
    その女性は容姿にすぐれなかったからこそ、魅力的な感性を磨いた。
    でも、その一方で……、みたいに、女性の豊かな感性と裏にあったことは、誰もが多かれ少なかれ持つ二面性と思いたいかなぁー。

    7話目、「品川猿の告白」は、にっぽん昔話みたいなお話。
    寓話なのかな?
    ただ、何を寓しているのかわからない。
    個人的にはこの短編集は、6話目の「謝肉祭」に出てきた、“幸福というのはあくまで相対的なものなのよ。違う?”という問いかけが一つのテーマになっているような気がすることもあって。
    こんなことだって、人々の愉しみを楽しむ幸せなんだから、それを楽しむことで満足する。
    それこそが幸せなんじゃない?ということなのかと思わないでもないのだが。
    ただ、なぁ〜んか違う気がするかなぁー。
    ていうか、これ、落語にしたら面白そうだ。

    お話は、ある温泉地を訪れた主人公が温泉に浸かっていると、猿が「背中をお流しましょうか?」と話しかけてくる。
    猿の話の面白さに、主人公が仕事が終わったらおしゃべりしにこない?と誘うと。
    猿はやってきて、ビールを酌み交わす。
    その後、猿は奇妙な自らの愉しみを話し出す……、
    みたいなお話。

    どーでもいい話だけど、村上春樹の小説に出てくる猿だけあって。
    猿が以前、飼われていた家の夫婦の夫婦生活を話しだしたところでは「猿よ、お前もか…」と大笑い(^^ゞ

    8話目、「一人称単数」は意外や意外、結構面白かったw
    お話は、ある春の宵、きまぐれでスーツを着た主人公がバーに入る。
    すると、そこに居合わせた50歳くらいの女性客が「失礼ですが…」と話しかけてくる。
    読んでいた本がつまらなかった主人公がそれに応じると、その女性はいきなり「そんなことをしていて、なにが愉しい?」とからんできて……、
    みたいなお話。

    なにが面白いって、世間にある著者の小説のエッチシーンの不快さを訴える人の多さを思えば、これ、実際にあってもおかしくないかも?wと想像できちゃうところが面白い(^^ゞ
    (ただ、お話の中で女性が言うそれはウィキペディアにある、女性作家の村上春樹評と似ている気もする)
    いや、著者の小説に(アホな)エッチシーンは付きもの(憑き物?w)なんだから。
    それはわかりきったことなんだから、なにも世の流行りに素直に従うことなく読まなきゃいいじゃん!って話なんだよね。
    とはいえ、つい読んじゃって。
    やっぱりそこにあるエッチシーンに不快さをもよおすというのが一般庶民というか、消費社会というものなんだよね(爆)
    ただ、著者はいくらなんでもそういうお話としては書いていない。
    たぶんw

    それは、お話にその女性が登場する前、バーの鏡に写っている、普段着ないスーツを着ている自らを見ていた時、それが自分でないような気がしてくるシーンがあるのを見てもそんな気がする。
    その女性が、主人公が思うように(その女性が知っている)誰かと勘違いしているのか。
    その女性が言うように、知り合いの知り合いとして一度会っているのかはわからない。
    ただ、その女性が言う、「(前略)よくよく考えてごらんなさい。三年前に、どこかの水辺であったことを(後略)」という言葉は妙に意味深だ。
    だって、その女性は主人公を責めているのだ。
    であれば、「どこか」みたいに曖昧な言葉を使ったり、水辺みたいに抽象的な言葉を使わないはずだ。
    もちろん、「どこかの水辺であったこと」に主人公が関係しているのであれば、当然それがどこかはわかるはずだから、「どこかの水辺」とあえてぼかして言っているのかもしれないが。
    ただ、だとしたら、「あの川」や「あの湖」、「あの岬」みたいな言葉を使うんじゃない?
    (とか書くと、「あれはメタファーだ」とかなんだとか、ハルキストにバカにされるんだろうけどさw)

    おそらく、このお話というのは、6話目の「謝肉祭」に出てきた“仮面”というテーマを引き継いでいる(そして、それは7話目の猿も同じなのかもしれない)ような気がするんだけど、その入れ繰りはわからないなぁー(^^ゞ


    ていうか、この本。
    8話目の「一人称単数」を一話目に持ってきてたら、全然印象が違った気がするんだけど?
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    投稿日:2024.07.02

  • hazukibooklog

    hazukibooklog

    最後の一編にいろんな意味でぞわぞわした。
    作品の好みで言うなら品川猿の告白が1番好き。謝肉祭も良かった。

    本人の身に本当に起こったことなのか、そう見せかけた物語なのかはわからないけど、登場人物が違っても8編全てが地続きになってる感じが良かった。
    ヤクルトスワローズ詩集も久しぶりに読めて嬉しかった。
    続きを読む

    投稿日:2024.06.13

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