【感想】死の講義―――死んだらどうなるか、自分で決めなさい

橋爪大三郎 / ダイヤモンド社
(26件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • エプロンパパ

    エプロンパパ

    死んだらどうなるか、誰にも分からない。証言した人がいないから。では、どうするか。死んだらどうなるか、決めるしかない。あるいは、信じるしかない。それこそ宗教だ。死についてとことん考えてきた宗教の知恵を借りるしかない。この本は、様々な宗教が死についてどう考えてきたか、わかりやすく教えてくれる。私としては、ゆるい一神教であるユニタリアンがいいかな。続きを読む

    投稿日:2023.08.18

  • manndanana

    manndanana

    本当にこの本面白かった。
    この前読んだシェリーケイガンの「死とはなにか」とどうしても方向性は似るんだけど、宗教の位置付けとかを宗教別に紐解いて行って、偏りは感じるものの…橋爪氏ってキリシタンだったっけ…仏教にバイアスが掛かってる印象を結構受けたかな。
    兎に角色々な宗教観や宗教を取っ払った思想など網羅した上での死生観や日本の悪しき風習を濃縮してるような一冊だった。

    この本読んで改めて覚り(悟り)の事を思うと、誤解を恐れずに言うと、「結局やってる事ってディープラーニングしてるんかな?なら結局LLMって悟りじゃん。」とかこの本の真意じゃない所で浅い思考してて読み進むのがえらく時間掛かってしまった…
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    投稿日:2023.06.07

  • agnes

    agnes

    大分前に購入してかなりの意気込みで読み始めたがどうしても身が入らない。だから今はまだ読むときではないと思い一旦やめることにした。

    投稿日:2023.05.19

  • suzy

    suzy

    このレビューはネタバレを含みます

    死を様々な宗教はどう捉えているのかをまとめた本。
    中学生にもわかりやすいように砕いてかかれておりわかりやすいのはわかりやすいのだけど、少し砕けすぎていて読みづらさもあり。

    内容は、これまで思っていたイメージとは異なる宗教もありとても面白く読めた。インドの仏教と日本の仏教の各宗派との違いなどは特に面白かった。

    レビューの続きを読む

    投稿日:2023.04.15

  • tatsuya1921

    tatsuya1921

    死についての本というより、キリスト教・仏教・イスラム教・儒教・神道などの各宗教の考え方を教えてくれる本。

    個人的には、合理主義者が合理的に説明できない偶然の空白を埋めるために神を信じるという説明がめちゃくちゃ納得。日本人からすると一神教の考え方ってどうも馴染みがないけど、そう考えるとなんかわかる。

    何かの宗教に入信しよう、とまでいかなくても、死の捉え方含め自分の中の整理を固めておくことが善く生きることに繋がるのだと思った。


    ー自分の死を引き受けるには、どれかひとつの考え方を選択しないといけない
    ひとつの考え方を選択するからほかの選択のことがよりよく理解できる

    ー自分で決めて、そのように生きると,その通りに死んだことになる
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    投稿日:2023.01.28

  • ミ

    様々な宗教の死に対する見方、死後の世界をどう考えているかが書かれてあって、とても面白かった。一番初めに書いてあった「いよいよ死にそうになった時には、じっくり考える時間がありません。気力も体力もないかもしれない。そうするうちに、死んだらどうなるかもはっきりしないまま、死んでしまう。もったいないことです。せっかく死ぬのに。」という文が気に入った。
    もともとは人々は、小さいコミュニティの中で暮らしていて、そのコミュニティの人々は同じように生き、同じようないイメージの中で死んでいった。しかし、社会が大きく複雑になっていく中で、商人、職人、農家など人の営みも様々で、人の生き方も様々になってきた。人々の生き方が何通りもあるということは、人々の考え方も何通りもある。広い場所には、さまざまな文化をもった人々が集まる。死んだらどうなるかの考え方の違くなる。これが「宗教の違い」として意識される。複雑な社会には宗教というものができる。

    一神教:被造物はすべて神の命令で存在し、神の管理下にある。それは群れとして、存在し、個別としては存在しない。唯一人間だけが個別としてつくられ、個別のものとして存在する。人間はそれぞれ名前があって、個性あるものとして、神に創られる。
    この世界は、神の意志のあらわれである。神の意志で起こる出来事を奇蹟という。自然は奇蹟である。この自分が存在することも奇蹟である。
    神が世界を作ったのだから、世界を壊す。それが終末。

    反対に、日本の人には、自然がやがて存在しなくなる、という発想がない。中国の人々も、その発想がない。どんな変動があっても自然は変わらぬまま、という感覚府がある。

    一神教では、生命は、神が人間に与え、それが取り上げられて死ぬのは、神の下す罰である。一神教では、人間は本来死なない。

    一神教の考え方は、裁判は良いものだ、である。裁判は正義を実現し、弱者を守る。人々は、法律や裁判を、信頼する。

    一神教を緩くとらえるとき、すべての存在や、この世界は偶然ではなく、必然ととらえる。

    「可能性世界意味論」この世界を生きる私と別に、まだ私がいる。どのような可能世界でも、私である。どの可能世界でも、言葉は意味が通じるはずだ、と考えていく。
    しかし、この考え方を徹底させると、「この私」がいなくなってしまうかもしれない。例えば、学校を卒業しなかった私。2歳で歩けるようにならなかった私。犬に生まれた私。。。

    【インドの文明を考える】
    真理を覚るとは、この世界のあるがまま、すなわち因果関係の連鎖のネットワークを確認することである。それは、自然科学と似ている。自然科学も、この世界の因果関係の連鎖を確認しつくすことを目標にするからである。

    仏教は、瞑想によって現れる宇宙の実相を「真如」という。真実と大体おなじである。真如は恐ろしくて、言葉にすることができない。言葉は、精神の内側で意味を持つが、その外では有効でなくなるのである。
    真理を覚れば、人間(生き物)は人間(生き物)でないとわかる。

    【日本人は、死をこう考える】
    イザナミの死=神も死ぬ。神を前に死は無力である。神も死の穢れを恐れる。人間は、神に頼らず、自分だけの考えと力で死に立ち向かっていかなければならない。これが日本人の原体験。

    平田篤胤は本居宣長の弟子。本居宣長の国学を継承することを意識し、多くの書物を残した。国学の標準的な解釈による神道を復古神道という。それに対して、平田篤胤の解釈による神道を平田神道という。
    平田は「英霊」を発明した。平田は禁書であった聖書を読んだらしい。聖書の霊の概念をヒントにした説がある。篤胤は、人間は死んで黄泉の国に行くのではなく、霊となる。特に国のために命をささげた人びとの霊は「英霊」として、この世界にとどまり続ける。

    天皇に対する国民の義務を「大義」という。

    【死んだらどうなるか自分で考える】
    神を信じることは、合理主義のもう一歩進んだかたちになっている。合理主義は、科学を生み出す。そして、合理主義のもとは、神学(信仰)だった。
    つまり、キリスト教世界では、神を信じる→神学→合理主義→科学
    そのうち神を信じる→神学の部分がどうでもよくなり、世の中が世俗化し、合理主義と科学だけになった。

    合理主義者が神を信じるようになるとどう変わるのか?目立った変化はないが、満足感がある。偶然に惑わされず。理性を貫くことができる。自分の考えや行動を検証できる、世界をそのまま引き受けることができる。
    世界は、こうあるように起きている。それを偶然とみるか、岐津善とみるか。ささやかだが、大きな違いである。偶然とは、自分と関係ないこと。必然とは、じぶんと関係がおおありなこと。だから生き方が違ってくる。

    最終的には、これらの様々な死に対する考え方をみて、自分で実際に調べてみて、一つを選んでみてくださいと言っている。相対主義は良い面もあるが、自分自身の死を考えるとなると一つしか選ぶことができない。
    「自分の死を引き受けるには、どれか一つの考え方を選択しないといけない。一つの考え方を選択するからほかの選択のことがよりよく理解できる。」
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    投稿日:2022.08.17

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