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知的生産の技術
知的生産の技術
梅棹忠夫/岩波書店
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総合評価

307件)
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    名著ということで少し前に買っていた。置いていたが気になってふと読んだ。 知的生産とは、頭を働かせて新しいことを人にわかる形で提出すること。そして、そのやり方を教わらないので、自分なりの技術を持っていない人が多い。それを考えていこうというのが主題。 フィールドワークのごとく日常の発見をカードに書き、それを後で見て複数のカードの関連をみて、自分の関心を理解したり新たな発想を得たりすることが人間らしさをもたらす。仕事ではこの流れは定着していたが、それを日常に広げていくと、視野が広くなり物事の前提から捉えるような視座の高い思考ができるようになりそう。下手な旅なんかより、カードを使った日常の記録とその振り返りの方がよっぽど自分探しだと思った。こういうのをしていると、好きな領域が分かっていきキャリアの歩み方にも良い影響がありそう。 カードは一旦買ってみたので試す

    10
    投稿日: 2025.11.01
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    半世紀以上前の知的生産(情報のアウトプット)のための技術について筆者の経験をもとに書かれた本で、当時のエッセイ的に読むと興味深いが、どうしても情報としては今には通用しない部分が多いため⭐️2とした。 ただ、個人的には積読という単語が当時(※この本の中でもさらに「むかしからいわれている」とある)から存在していたことに驚いた。ただし現在と使い方が異なり、「一度読んだ本を積んでおき、しばらく経ってからノートをつける」という文脈であった。

    4
    投稿日: 2025.10.17
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    大変ためになった。Twitterでおすすめの本としてツイートされていたのを見て購入。 会社のデータ整理が下手で、いつもどのデータがどこにあるか探し出すのに時間がかかる。パソコンなど普及してない時代にかかれたものだが、現代においても使える思想が多い。本を読んで考えた内容をもとに、フォルダ整理してみようと思う。ひらがなタイプライターなど新しい試みをされた著者の貪欲な精神を見習い、AIなどを積極的に使ってみようと思った。知的生産の活かし方は無限大な気がして、早く仕事に活かしてみたいなと、楽しみな気持ちになった。

    0
    投稿日: 2025.07.27
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    知的活動の技術の考察エッセイ メモのとり方、カードの利用法、整理の仕方、読書論、印字方法、手紙、日記、原稿や文章の書き方について。 現在では既に様々なノウハウやツールができているが、当時のそれにまつわる過程が窺えるのが興味深い。

    1
    投稿日: 2025.06.19
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    > かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら─情報─を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ...今日おこなわれている読書論のほとんどすべてが、読書の「たのしみ」を中心に展開しているのは、注目してよいことだとおもう。今日、読書はおもに知的消費としてとらえられているのである。(知的生産とは) > あらゆる現象に対する、あくことなき好奇心、知識欲、包容力。そういうものにあこれていたのである。そのあこがれから、わたしたちはわたしたちなりに、手帳に書くことがらの、内容と形式とを開発していった。私たちの手帳は、単なる実用メモではなかったし、また、日常生活の記録でもなかったのだ。(ダ=ヴィンチの手帳) 本書はおもに読書とメモを手段として、そのような活動を著者がどのように知的生産に繋げているかを記述する。共感するところが多い。 > 読書においてだいじなのは、著者の思想を正確に理解するとともに、それによって自分の思想を開発し、育成することなのだ。(創造的読書) 読書を、情報の収集と整理を通じて、読み手の思考を開発する手段としてわかりやすく紹介している。それらの活動を生産にいかに繋げられるかは各人の能力の差によるのだろうが、時代によらない普遍的な頭の使い方をうまく表現していると感じた。

    0
    投稿日: 2025.06.08
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    半世紀前の本なので、今のテクノロジーがあったら著者はなんというか聞いてみたかった。 全体を通してイチオシは京大カードだな。

    3
    投稿日: 2025.06.05
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    メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1922550510596588012?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

    0
    投稿日: 2025.05.20
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    1969年に書かれた、京大の大学教授が書いた、「知的生産」の技術の本。 マメだな…というのが第一印象。 自分の発見や考えを、規格化したカードに記載して、それを材料として整理、分類して論理としてまとめ上げる方法をとっている。 よく、グループワークなどで用いられるKJ法を日頃からこなしているイメージ。 ここまで几帳面なこと、できないよ…。 そして、コンピュータが全く普及していない時代背景があるからこそ、面白い記載もある。 「垂直式ファイリングシステム」が整理に一番適している、と書かれている。これは、キャビネットに耳のあるファイルを入れて、そこに書類を整理していくやり方だが、ペーパーレスが叫ばれるいま、こんなことをやったら卒倒ものだろう。また、「できることなら、いまの漢字かなまじり文を、そのままタイプすることができれば、それにこしたことはないのである。それができないから苦労するのである。」と書かれている。当時はタイプライターすら貴重品で、手書きが主流だった。なんと、書き言葉をローマ字やひらがなだけに統一しようとする人すらいたのだから驚きである。 しかし同時に、技術の発展に自分たちがいかに毒されているかも思い知った。こうした情報整理術ができることも、当時の知識人を知識人たらしめていた理由だったのだと思う。しかし、Windowsのエクスプローラーがあれば、ファイル整理なんてなんのそのだし、outlookやら teamsさえあればスケジュール管理やタスク管理なんて楽勝。officeさえあれば文書の規格化だって簡単。ましてやタイプで漢字ひらがな混じり文を打つのなんて当たり前。こうした「情報整理」が簡単にできるようになったからこそ、逆に自分たちの情報一つ一つに向き合う姿勢が蔑ろになっているのかもしれない。もしかしたら、我々がPC上でやっているのは、整理ではなく、単なる整頓なのかもしれない。だからと言って、昔のように手書きに戻ることなんてさらさらないが。 読書は線を引いて二度読む、参考になります。

    0
    投稿日: 2025.05.04
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    【琉大OPACリンク】 https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BN01455205

    0
    投稿日: 2025.04.01
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    情報をインプットし、アウトプットすることについて述べた本。キーワードは、京大型カード、整理、読書、タイプライター、文章など。 本書で扱っている範囲は、『考える技術・書く技術』 (板坂元/著)と同じだが、本書の方が、問題提起が多く、より啓蒙的である。 この本はハウツーものではない。問題に目を向けさせ、読者自身でその問題を解決するように促すのが目的だ。そのことは本書の「まえがき」に明確に書かれている。 よんでいただいたらわかることだが、この本は、いわゆるハウ・ツーものではない。この本をよんで、たちまち知的生産の技術がマスターできる、などとかんがえてもらっては、こまる。研究のしかたや、勉強のコツがかいてある、とおもわれてもこまる。そういうことは、自分でかんがえてください。この本の役わりは、議論のタネをまいて、刺戟剤を提供するだけである。 (中略) 知的生産の技術について、いちばんかんじんな点はなにかといえば、おそらくは、それについて、いろいろとかんがえてみること、そして、それを実行してみることだろう。たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。(p20) 本書が書かれたのは1969年。もう半世紀以上も前なので、ここで挙げられている問題のほとんどは、テクノロジーの進歩によって解決している。特に、書く、印刷するなどの問題は、パソコン、スマホなどの電子機器の普及によって鮮やかに解決されている。 よって、本書の価値は発行当時と比べ、だいぶ下がっている。現代人がこれから本書を読む価値があるかと言えば目的による。 「知的生産の技術」を身に付けようとするのであれば不要だろう。自分なりの「知的生産の技術」を考えたいのであれば、ヒントが得られるかもしれないので読む価値がある。 私のお勧めは、楽しみのための読書だ。昭和の知識人の戦いの一コマを、垣間見るためであれば十分に読む価値はある。近ごろの新書に比べると内容は濃い。ローマ字国字論、ひらがなタイプライターの開発など、興味深い話も多い。 楽しみのための読書なら、本書の価値は変わることがないだろう。50年以上も、版を重ねているのもその証拠だ。 読書の技術では、「読む」と「見る」を峻別していたのが印象的だった。 本は、「はじめからおわりまで読む」ものである。はじめからおわりまで読んだ本についてだけ「よんだ」という。ななめよみで一部分だけ読んだ場合には「みた」ということにしている。そして、「みた」だけの本については、批評をつつしむ。しかし、世の中には「みた」だけで本がかたられることが少なくないようである。新聞や雑誌の批評・引用・紹介の中には、とうてい全部を読んだうえでなされたとは信じがたいものが出てくる。なかには、その本でのべられていることの正反対が「紹介」されたり「引用」されたりする。(p101-102を編集) 最後に、このレビューは、本書を「はじめからおわりまで」読んで書いたことを付け加えておく。

    0
    投稿日: 2025.03.24
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    内容は、時代が時代だけに半分くらいは古びて今はもうどうでも良い(タイプライターとか) ただ、本質的に学び、考え、出力するという大きな一連の流れとしては普遍性がありそう。

    0
    投稿日: 2025.01.02
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    方法論として読むと内容が古すぎるけど、知的生産に関する昔のエッセイだと思うとかなり面白かった。理論的には現代にも通じるものはあるし、手法も使えそうな部分はあるっちゃある。 著者が挙げている問題はPCやインターネットの普及によってかなり解消されたと思うけど、どうだろう。

    0
    投稿日: 2024.10.25
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    #85奈良県立図書情報館ビブリオバトル「先生」で紹介された本です。 2017.12.16 https://m.facebook.com/events/1495981577190237/?acontext=%7B%22action_history%22:%22null%22%7D&ref_source=newsfeed&ref_mechanism=feed_attachment

    0
    投稿日: 2024.10.02
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    最近の情報整理本も、結局はこの本と大差ないことが書かれている。 古い本ではあるが、現在における、PC、スマホやiPad等での情報整理に置き換えれば、まだ読む価値があるかも知れない。

    0
    投稿日: 2024.09.02
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    まえがきに1969年とあり、今とマッチしない知的生産術も多い。しかし後半の「手紙」「日記と記録」「文章」の生産術については、いかに自身の生活でのつれづれなる考えをまとめ発信するか苦心しているので、とても参考になった。

    0
    投稿日: 2024.08.13
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    知人が絶賛していたので、どんな本かと読んではみたのですが、 古い時代背景ですが、今読んでも面白いし、良いと思える部分はありました。 内容が薄いので、正直私にはいまいちでした。

    0
    投稿日: 2024.08.03
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    日本を代表する科学者による読み・書き・記録の指南書。情報技術が進歩した現代ではそぐわない点が一部あるものの、そのエッセンスはあまねく知的生産活動の一助となるように感じる。

    1
    投稿日: 2024.06.02
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    現代にも通ずる内容と、時代が古いのもあり、若干アナログである面を感じる。 読む章の取捨選択をしても良いかも。

    1
    投稿日: 2024.05.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    中野明氏の『IT全史』を過去に読んだ際、梅棹忠夫氏の『文明の生体史観』を参考書籍として挙げており、梅棹氏を多大にリスペクトしていたことから、いつか梅棹氏の著作を読んでみたいと思い、代表作のひとつと言われる本書をまず購入。 本書は、知的生産(=人間の知的活動が、新しい情報の生産に向けられること)の考え方から方法論に至るまでのエッセイである。 1960年代に書かれたことから、現代の書評の多くに書かれているように、具体的な方法論、とりわけ紙のカードやファイリング、タイプライタなどの活用法に関する内容自体は、デジタル全盛の現代においてはあまり役には立たないだろう。 しかしながら、著者自身も冒頭でハウツーものを書くつもりは全くなかったと述べているように、本書の価値は「○○をやれば誰でも知的生産ができる!」的な、巷にあふれる陳腐なハウツー本のような表層的なところにはない。 著者は、知的生産の定義を「頭を働かせて何か新しい事柄(情報)を人に分かる形で提出すること」としており、そのための技術的方法論について、「知的消費」や「知的生産以外のものの生産」と対比しながら実体験も含めたうえで持論を展開している。 このような、いわば「情報処理論」について今から50年以上前の時代(第1次オイルショック以前)に述べているのは、来るべき情報化時代を予見し、情報のフローとストックをどのように知的生産活動に活かせば次なる時代を生き抜いていくことができるのかという問題を、持論を述べたうえで読者にも考えさせたいからであろう。 改めて、著者の先見の明には敬服するばかりである。 本書がデジタル真っ盛りの令和の時代になっても読み継がれているのは、やはり「情報処理に対する本質・普遍性」を説いているからにほかならない。 著者は知的生産の技術の要点を「日常の知的活動に伴う"情緒的乱流"を取り除くこと」とし、ひいては"精神の層流状態"を確保する技術だとしている。 取得した情報を、同サイズのカードに記録する方法やそれらを決められた方法でファイリングする方法について述べられているが、これはインプットされた情報を単に整理するためだけの技法ではない。 デジタル全盛の現代と道具・技法は異なっていても、著者が実践している方法は、いわば「情報処理の標準化」ということができ、これを徹底していくことで、知的生産活動における情緒的乱流(欲しい情報が見つからない等によるイライラ・モヤモヤ)を取り除くことができるというのである。 デジタル時代であってもフォーマットやプロセス(ネットワーク分野ではプロトコル)の規格化・標準化は当然のように行われている。なぜなら、扱う情報がアナログだろうがデジタルだろうが、情報処理が滞ってしまえば迅速かつ質の高い生産活動が困難になるからだ。 著者は本書を個人の知的生産活動のために著したとしているが、組織の活動についても学ぶべき点は多い。 特筆すべきは、著者は(記録する目的で利用する)コンピュータもカードも、それらは「忘却の装置」であると断定していることである。 知的生産活動で入手した情報は、いつでも検索・参照できるように標準化された形で外部の記憶装置に記録する時点で、頭の中に記憶する必要はないというのである。つまり、頭の中、ノートへのメモ書き、新聞の切り抜きをスクラップしたものなど、一時的な保存領域に様々な形式で格納されている情報を、情報処理用語でいうところの外部記憶装置に標準化した形でストアする。そしてその結果、雑多な情報を整理・記憶するために満たされた(頭の中の)ワーキングメモリを忘却することで解放し、別の知的生産活動に有効利用していく、と考えると分かりやすい。 この考察は、近年の認知科学による効果的な勉強に関する研究でも実証され、また外山滋比古氏の大ベストセラー『思考の整理学』で述べられている忘却の重要性にも通じており、まだコンピュータが一般的に使われていない時代の考察であることを考えると驚嘆に値する。 カードを利用した情報の記録法については、著者は「歴史を現在化する技術」であり「時間を均質化する技術」であるとも述べている。 これは、「生産性の向上目的による情報の標準化」などという漠然としてかつ浅薄な言葉よりも、よほど簡にして要を得た、本質を突く言葉だといえよう。 標準化され記述領域が限定されたカード(本書ではB6サイズの京大型カード)について、著者はカードを使うことによる情報の有限化とその恐怖に対する超克の必要性にも言及しており、これら実体験を伴う考察は、有限化に伴う強い制約があるがゆえに、かえってアイデアを広げていくことができると提唱している、千葉雅也氏の『勉強法の哲学』の記述とも符合する。 また本書では、整理と整頓についても言及しており、当時はこれらの言葉の違いを誰も教えないと指摘したうえで、「整理は機能の秩序の問題」であり、「整頓は形式の秩序の問題」としている。 つまり、整頓は見栄えをよくすることで、整理はどこに何があるのかを明確にすることだということができ、これは情報についても、そして現代においても当てはまる指摘である。 さらに本書では、いわゆる読書法についても言及している。 著者曰く、読書とは「著者の思想を正確に理解するとともに、自分の思想を開発し育成すること」としている。より砕けた表現では、「本を出汁にして自分なりの考えを育てる」というのである。自分の思想を開発し育成するための本を出汁と表現するところは、いかにも梅棹氏らしいと感じる。 特に学術分野における本については、何かを「言うために読む」のではなく、むしろ「言わないために読む」とも述べている。 つまり、論文における参考文献に多くの著作が列挙されていたとしても、それらは既に公になった内容であり、それらについて述べても論文を書く意味はなく、むしろ自分の論文で既知の研究内容について言及しないために、すなわち自分の考えに新規性があるかどうかを確かめるために文献を読むというのである。 この見解から、引用した文献が少ないことを恥じることはないと著者は断じており、論文の草稿を書いた際に参考文献が少ないと指導教官から指摘された経験がある自分としては、非常に勇気をもらえる言葉であった。 本の前半は、知的気活動から得られた情報の整理や読書など、情報のインプットに主眼が置かれていたが、後半は、タイプライタの有効性から始まり、手紙、日記と記録、原稿、文章についてなど、情報のアウトプットやライティングの考え方について述べられている。 特に、日記と記録については、「時間を異にした”自分”という”他人”との文通である」という言葉は含蓄に富み、電子メールやチャットによるコミュニケーションが普及した現代における日々の仕事にも役立つ。 また、ワープロが無かった当時において、アウトプットを標準化するにはタイプライタに頼るしかなかったということが、著者のタイプライタへの執念ともいえる試行錯誤の描写でよく理解できた。逆説的に、さまざまなシーンでアウトプットの標準化や効率化が熱望されていたからこそ、1980年代にワープロ専用機が爆発的に普及し、後にPCが普及した際も日本語ワープロソフトと日本語変換プログラムが併せて売れたのだと、ようやく納得できた。 最後に、著者は日本の国語教育について私見を述べている。 日本の教育現場における国語の授業は、国文学の授業と混同されていると問題提起し、文章を書く教育は、文学とは別で切り出した方が良いのではないかと提案している。さらに、文章の問題は、情報工学の問題として考え、工学部に情報工学や言語工学なりの学科を作り、その出身者が担当すべきと述べている。 後に、工学部には情報工学科や言語工学科が誕生することになるのだが、これらの学科はコンピュータ科学と密接に関連した形で発展してしまったため、広義の情報に基づいてどのように分かりやすい文章を書くか、などを追究するものではなくなった。 しかしながら、「学校の国語の授業で”文章を書く教育”に時間が割かれていない」という事実は、令和の現代まで続いているのも事実である。 読書をせず文章も書かない若者を嘆く論調は多いが、本書が著された時代から半世紀が過ぎても解決していないということは、根深い問題なのかもしれないと考えさせられる。 とにかく、情報化時代の到来や情報産業の勃興を1960年代から予見していた著者だからこその問題提起といえよう。 ちなみに著者の文章にはひらがなが多いが、アウトプットの効率化を真剣に考えたうえで、漢字交じりの文章は非効率であるという主張からであるということが後半に述べており合点がいった。また、本書のタイトル決めの際にもいろいろと腐心されたようで、かの湯川秀樹氏の助言により"技術"をテーマにして、それまでに書き溜めたエッセイを再構成しながら書き著したとされるが、"技法"ではなく"技術"としたところにこだわりが感じられる。 本書は、タイトルから効率的・効果的な知的生産の方法について述べられたハウツー本を連想させるが、あくまで”知的生産に対する著者なりの考え方”が述べられるに留まり、あとは読者の試行錯誤にゆだねられている。 そして何より(当然ではあるが)、本書で述べられている方法論を実践するためには、既に何らかの情報インプット活動がなされていることが前提である。 それだけに、著者が定義するところのアウトプット活動を実践するためには、一般の読者にとってはハードルが高いかもしれないが、学術系のみならず、近年探究学習を実践している学校やビジネス現場においても、本書の考え方や方法論は役に立つであろう。 今後は、本書を折に触れて再読しながら梅棹氏の他の多くの著作も熟読していきたい。そして何かを学ぶ際は、先入観や既成概念に囚われずに時代を超えた普遍性を追究した梅棹氏を、我が心の師(私淑)として仰いでいきたいと思える一冊であった。

    1
    投稿日: 2024.05.04
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    本質的なところはおもしろい。ロストテクノロジー的な話も多いが、カードを使った情報整理は見直されるべきかも。インターネット時代、AI時代に適応した版が読みたい。

    1
    投稿日: 2024.03.31
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    友達の公演を観に大阪へ。どうせ呼ぶなら京都にしてくれよと思いつつ、夜行バスの中でさほどワクワクせずどこに行こうか考えていた。きた、「そうだ、太陽の塔を見に行こう!」ワクワクしてきた。行って大正解、万博公演楽しすぎた。しかもびっくりここに国立民族博物館てあるんだ!いつも面白そうな展示してるとこ!しかしその時には公園を満喫しすぎて公演の時間が差し迫っていた。「見る時間はない…」惜しかった。せめてグッズショップは見た。そこでなんか面白そうだし見れなかった悔しさから買ったのがこの本。これも正解だった。そうそう勉強ってめちゃワクワクするし超楽しんだよね!でもそれって学校教育ではそんな分に感じないのよね。中身は教えてもやり方は教えない。

    1
    投稿日: 2024.03.09
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    1969年の初版から、第103冊を超えるベストセラー。AI時代に最も必要なのは、生身の人間が行う知的生産だと思い読了。日々の気づきをメモするノートやメモの使い方、その整理、読書の仕方、手紙の書き方、日記、原稿の書き方やお作法など、頭に浮かんだことを如何に言語化して整理し、価値あるもの(文章や原稿など)にするかという工夫が列挙されている。流石にやや古い印象の箇所もあるが、文房具が電子デバイスに変わっただけで本質は変わらない。何やら古風なやり方が、かえって本質を思い出させてくれる気がする。「知的生産に最も必要なことは考えることと実行すること」。ぼうっとスマホを見るのはやめて、考える時間をちゃんと確保したい。

    1
    投稿日: 2024.03.02
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    規格化と標準化が必要。 乱雑な規格だと分類が整理できない。 切り抜きなど現代ではアナログな方式ではありますが、紙書類があふれてしまう人は試す価値があります。

    0
    投稿日: 2024.01.20
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    パソコンやインターネットが普及する前のノウハウだったので、そのまま活かす、ということにはならなかったが、色々工夫をしながら情報を整理して新しいことを生み出す、という理念は今も昔も変わらないんだなぁと思った

    0
    投稿日: 2023.12.26
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    学校ではあまり教えてくれないが知的生産に必要なこと~メモの取り方、カードの作成の仕方と活用法、読書法、日記と記録、文章の書き方など~について、梅棹忠夫先生がまとめた本。 まだワープロも一般に普及する前の1969年発行だが、"京大型カード"の利用法や、将来"情報科"のような科目が必要だということなど、著者の先見の明に驚くばかり。

    30
    投稿日: 2023.11.06
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    50年以上前の本だが、今でも参考になることがたくさん書いてある。そしてそれはどれもすぐに実践しやすいもの。そして、自分自身が新しいことを学んでいる、いま、このタイミングで読んで良かった。子どもにも読んでもらいたい一冊。

    1
    投稿日: 2023.07.21
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    ・表面上の技術は今の時代もっと適しているやり方があるとは思うが、考え方という意味で学びは多い。 社会人になりたての者に是非読んでもらいたい。 ・この様な考え方を今から50年以上前に持っている人がいた事に驚く。

    0
    投稿日: 2023.06.07
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    ●一分野マスター読書「情報収集・活用」13冊目。メモは京大式カードに書く、1枚に一項目というのは有用そう。ただ記録はノートを使いたいので「カードを使う」こと以外を活かそうと思う。読書記録は著者にとっての大事なところではなく、自分にとって面白いことを記入するというのは、自分の頭で考えるというのを意識しないとだと感じた。

    1
    投稿日: 2023.03.02
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    知的生産への敬意。梅棹先生でさえ物忘れをして何度でも【大発見】をしてしまう、だからカードでの整理が必要、との話に安堵する。 デジタル化の時代、どう情報を整理すべきか。

    0
    投稿日: 2023.01.29
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    時代を越えて参考になる!と手放しでは言い難く、さすがにデジタルに取って代わられた部分も多い。 カードという単位で情報を管理する考え方は大変すばらしいものと賛同はできるが。 タイプライターで頑張っているところなどは微笑ましく読める。 日本人が手紙を書かなくなったのは内容第一主義で形式を否定してしまったからではないか、 特別な才能のない普通の人間にとっての情報交換手段として手紙が復権するには、形式を再建するしかないと書いていて、 これは「お世話になっております」のビジネスメールを完全に予見していると思って感動した。

    0
    投稿日: 2022.11.07
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    文章の執筆など、あらゆる知的生産について、筆者なりのコツをまとめた本。 メモ術に関する内容は、Zettelkastenに通じるところも多い。 かつて途中で断念していたものを再読し、読了。 出版から時を経てなお色褪せない内容もある。

    0
    投稿日: 2022.10.15
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    本を読んでいると、知識が定着していないことに気がついた。最近は、メモを取り定着しやすいように心がけていたがなかなか上手くいかない。本書は、同じような悩みをもつ人が問題点を認識するのに役立つだろう。 そもそも、私が無意識に求めていたことは、著者の言う、「追随的読書や批判的読書ではなく、創造的読書の方法」だと思った。本書には、知的生産の技術、その中でも整理についての技法がしっかりと書かれており、整理することの重要性を再認識した。 現在ではIT技術の発展により、Eメール等が普及しており、この本が書かれた当初の環境と大きく異なっている。それでも、著者の考え方が通用しない訳でなく、この考え方を基に、新しい技術を取り入れていくことで有効に活用できるのではと思う。 「独学大全」や「ライティングの哲学」等とあわせて読みたい一冊である。

    1
    投稿日: 2022.09.07
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    現代における反知性主義の起源をアメリカにおけるキリスト教の変遷を軸に読み解く書。 ニューイングランドにおけるピューリタニズムの運営上の変遷を基盤として起こったアメリカの独立戦争。 独立宣言にも代表されるように、そこから根付いていった「特権を認めない」という形でのラディカルな平等への熱狂が反知性主義へとつながると筆者は主張する。 本来の反知性主義とは既存体制に対して別軸を打ち立てることによる建設的で知性を要求する行為であるはずが、反知性主義が大衆化することで既存体制を破壊することだけが目的と化している事態を憂慮している点では私は筆者と考えを一にする。 本書は、オルテガ・イ・ガセットが「大衆の反逆」にて憂いた「ヨーロッパのアメリカ化」についてその歴史的成立について考察した本であると位置づけられよう。 大衆的反知性主義が世界的なうねりとなり、経済的貧困と格差が顕在化してきた日本においても目立つようになってきている。 多くの人に教養と知性が共有され、本質的な反知性主義が運用されるまでには時間がかかりそうだ。

    1
    投稿日: 2022.08.28
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    学校は知識は教えるけれど、知識の獲得の方法はあまり教えない、という部分に共感。 学びの場において、学びの方法について教えることに関して、疑問を持つ先生は多いのかもしれない。 しかし、中学になったとき、高校になったとき、それぞれの教科担任が、習得方法を伝えることで、学びが定着しやすいと思う。成績の良い子は頭が良いだけではなく、学び方を知っている。 本書では、知的生産の技術をマスター出来ると思われては困る。刺激を受け、自分でいろいろ考えて、実行し、試行錯誤して、自分なりの知的生産の技術を編み出してもらいたい、という願いが書かれていた。 考え、実行し、改善し、オリジナルな技術を発見することが、知性習得において欠くことが出来ない行為だと、改めて1969年出版の本から学んだ。

    1
    投稿日: 2022.07.10
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    著者にとってのだいじなところではなく、わたしにとっておもしろいところ、の読書。そして、書くときは、かんがえをまとめることが、ひじょうにたいせつ。 50年以上前なので古いところもあるけど、参考にしたい。

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    投稿日: 2022.04.17
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    おもしろかった。 昨今のハウツー本のご先祖さまみたいな本。1969年刊。 1ページ目から「ひらがな多いな!」と思ったけれど、ひらがなタイプライターが日本にやっと3台だけある時代らしい。 手書きからタイプライターに移行できた喜びが伝わってくる。 学校に「情報科」という科目を置くようになるのでは、と予見されている。 京大カードの使い方が知りたかったんだけれど、もっとずいぶん広い範囲における話だった。 とりあえず ・日付と見出しをつけよ ・一項目一枚 ・書いて終わりではない、並べよ というのは分かった。

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    投稿日: 2022.03.01
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    読了。著者は2010年頃亡くなったようだ。スマホが普及され始めたころだろうか?スマホでほとんどできるのを知って著者はどんな感想を持つのか知りたくなった。

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    投稿日: 2022.02.16
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    知的生産の技術とはどういうことかを深掘りするために読みました。 印象に残ったの2つ ①整理の本質 整理とは、綺麗に並べる・収納すること。否、それは整理ではなく整頓。本来の意味は、必要なものが必要な時に取り出せる状態になっているか?ということ。そしてあり場所が決めることが整理の1歩目。 今までの自分は整理では無く、整頓して満足していたことを実感しました。手段の目的化を情報整理の面から得られることができました。 ②他人に見せる書き方 筆者は「文章は俳句のように書け」と習ったそうですが、読んで分からないような文章では意味がないことを述べています。短くシンプルにまとめることも大切ですが、まずは分かりやすいか?読者が一回で頭に入れられるか?が優先なのかと思いました。 この本1969年出版とのことですが、その時代にこの内容が書かれていることに驚きました。本質は変わっていないと思います。 これまでは履歴書や職務経歴書、論文など一定層しか文章を書いて伝えることはしなかったです。 しかしSNSで誰もが発信できるようになった今、誰にでも必要不可欠な技術だと思います。

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    投稿日: 2022.02.09
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    國學院大學「大学生にこそ読んで欲しい」おすすめ本アンケートより。 https://opac.kokugakuin.ac.jp/webopac/BB00264455

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    投稿日: 2022.01.14
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    日本では知識は教えるが知識獲得の方法やましてや知的生産の技術は大学ですら教えないということで、筆者のその技術をエッセイ風に書き記したもの。 情報を記録、整理する方法、読書、日記、原稿の書き方などを解説。 ネットのない時代なので使っているツールについてはやや内容が古いが、 「情報×知的処理→知的生産」など、概念は今でも十分通用するし、 未だにできていない人がほとんどと思いました。 必ず読む必要があるわけではないが時間があればどうぞ。 それにしても京大型カードの存在に京大にいた時は全く気づきませんでした。 周囲の同級生も誰も使っていなかったと思います。

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    投稿日: 2022.01.05
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    友達に、仕事に使えそうな考え方とかを鍛える本はないか、と聴いたところ、この本を薦められた。内容は、学術寄りで形式的な部分への言及が多く、私が求めていた内容ではなかった。

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    投稿日: 2021.11.21
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    「知的生産」(人によって捉え方の違う言葉だと思う)何かをつくりだす、あるいは研究する技術について「考察」された本。 古い本で現代では解決されている問題(タイプライターなど)についても語られているのだが、 人の抱える悩みはいつの時代も同じなんだと、気付きを得られる部分も多かった。 例)整理と整頓の違い など 「創造することを突き詰めた人の意見」として参考になる。 昔を知るという意味では「ローマ字国字論」の話も面白かった。

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    投稿日: 2021.10.10
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    Obsidianを使い始めるにあたりZettleKasten(≒京大式カード)について知りたくて読んだ。 仕事や研究の際、誰もが身につけるべき共通の基礎技術的なものになる、情報の検索、処理、生産、展開(と、記録)。 これらについて学校で教わることもなく、職場で他人と共有することもないのがほとんどではないだろうか。(約50年変わってないってどういうこと?) この本で語られるメモの取り方と利用の仕方、日記の書き方は大いに参考になった。

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    投稿日: 2021.09.19
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    古典となって久しいが、個人における莫大な断片的知識情報を管理することの有用性という基本的な構想は、パーソナルコンピュータ、スマホ時代にも通用する。

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    投稿日: 2021.06.14
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    再読。 飲み込みが悪くなったと感じてた去年出会って、それ以来折に触れて読み直してるが、読むたび学びがある。

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    投稿日: 2021.05.04
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    一言でまとめると、 「現代に通じる、情報整理→知的生産の方法」 が学べる本です。 現代は様々なデジタルツールが存在しています。 大概の人はササっと扱えると思います。 ただ、その根底にある「基本的概念」を意識された方は少ないのではないでしょうか? 本書を読めば、先に上げたデジタルツールを一つ上の次元で利用できるようになる、そう思いました。

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    投稿日: 2021.03.20
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    もう既に古典なのではないか、と思いながら読んだ。初読なのに読んだことのある内容が……と思ったのは、恐らく以前読んだ「はじめてのGTD ストレスフリーの整理術」と重なる内容があったためだと思う。最後の方で言及していた「情報」の教科化は、うち一部は「論理国語」で実現されたような感じがする。「手紙の書き方」は、各種学校(義務教育~大学以降含む)で必ず1回は取り上げるとかしてもいいような…と、就活頃からメールの書き方に悩んだ身としては思う。 ふかし芋(図書館職員 所蔵情報: 品川図書館 002/U73

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    投稿日: 2021.02.08
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    おわりに、『ここにあげたさまざまな知的生産技術者の教育は・・・わたしは、やがては『情報科』というようなな科目をつくって、総合的・集中的な教育をほどこすようになるのではなきかもかんがえている。』と結んでいる。先見の明に感服しました。

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    投稿日: 2021.01.11
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    自分の読書を知的生産につながるものにできないかと読みました。 今はもっとその目的にあった本がありそうだと感じましたが、書かれていることは概ね納得です。 知識だけでなく、知識獲得の仕方や知的生産の仕方を教えることの重要さはこんなにも昔から語られてきているのに・・・と憤りや不甲斐なさも感じるところであります。

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    投稿日: 2021.01.01
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    いまふうに言えば、インプットとアウトプットの方法といわれる、その方法論について、そのような考えが一般に出回っていなかった時代に、それを行おうと書かれたものです。著者が、手探りの中で見つけ出した方法というものですが、通常はこういったものは個々人の工夫で各オリジナルでと考えがちのものを、そうではないとして、マニュアル化できる部分をきちんと考えたうえで詳しく紹介されています。そういえば日本にはこういったものを、きちんと教えてくれるものが無いという、著者の動機がところどころ顔を出されますが、それが本書が書かれたきっかけだと分かります。現代でしたら当たり前に考えられる、IT化という解決策の無い時代だからこそ出てきた知見はとても重要だと思います。いまは勉強法といってもある程度確立されてしまっている感を覚えますが、そもそもそれが正しいのか、その歴史を振り返ることで考えることのできる貴重な一冊だと思います。

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    投稿日: 2020.12.27
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    知的生産の「原子」となるメモを常に作成し続け、それを組み立てることで知的生産を行う。メモはふとした発想から読書、日記に至るまで幅広く記録をする。 メモは「忘却の装置」であるため、忘れた自分が読んで理解できる内容でなければならない。そのため、走り書き、単語の羅列ではいけない。また、メモには整理学が必要。体系的に整理されていないメモは引き出すことができない。 文章は探り出すものではなく、組み立てていくものである。知的生産のための文章は、芸術ではなく、わかりやすく人に伝達するための「機能」である。

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    投稿日: 2020.12.02
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    知的生産のコツが書かれてあった。記録をつける、記録の保管法、文章の作り方。 この本は相当昔に書かれたものであるが、今も通じる技術が書かれてある。古今に限らず通用するこの技術は本質的なものだろう。 私は文章を書くのが苦手なので、文章の書き方のところは特に参考になった。

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    投稿日: 2020.11.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    非常に有名な本。なのでカードを使った整理法は知っている状態で読んだ。 学んだのは「規格を統一する」ということ。新聞記事のスクラップをするきに、どんな大きさの新聞記事も同じ大きさの紙に貼り付けることで、全て同じ大きさになる。これで規格の統一ができる。 カードにまとめるときも、余白がもったいないなんか考えず1カードに1つの内容。 これが大事だなあと感じました。 後半はタイプライターの話。 アルファベットで入力できる言語の国はタイプライターにより情報の高速な出力が可能だ。 それに対して、日本語はかな漢字まじりなので、タイプライターでローマ字で日本語を書く・ひらがな(カタカナ)タイプライターを使う、などの工夫をしているという紹介である。 日本語は本書刊行時の技術ではタイプライターでかな漢字まじりの文を書くのは不可能であると考えられていたのだ。そのためカタカナですべて書こう・ローマ字にしよう・いやまったく違う日本語表記体系を作ろうなんていう運動がおきた。 技術の進歩によりリアルタイムで漢字に変換して編集もできるようになって、過去のこんな運動は歴史に埋もれてしまった。 そんな文字入力の歴史も分かる本だった。

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    投稿日: 2020.11.23
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    ノートやカードの作り方が熱く語られているので、そこに目が行きがちだと思うけど、大切なのはこのように「試行錯誤すること」なのだと思います。 せっかく得た知識やアイデアを無駄にしないように書き留め、形式を整え(整頓)、論理的なつながりで纏める(整理)にはどうすれば良いか?これでもかというほど考えられている。世の中に存在するものをそのまま使うのではなく、あくまでも「自分に合ったもの」を考えて使われていることが興味深い。知的生産は継続的に行われるべきだが、自分に合わないものは継続できない、という点をきちんと踏まえている。 今やPCやプリンターが簡単に使える世の中ですが、それを活用して考えを深められているのかというとどうなのでしょう。考える量・質は関してはあまり変わってないのではないのかもしれない。

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    投稿日: 2020.11.15
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    今のワープロを見たら、どんなコメントしたのか? 日記は記録。確かに。コロナで緊急事態宣言の時の在宅メインの生活は記録にしておくべきだったと後悔。

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    投稿日: 2020.09.14
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    思考の整理学を読み直そうかと思って、並んでいたこちらを先に読み直そうという気持ちになった。 7, 8, 10あたりは、この本が最初に書かれた時代からの技術の発展によって、そもそも問題が問題でなくなってしまっているような気がするけれど、それ以外のところは今にも違和感なく通じると思う。 創造的な知的活動のための情報の整理、保存、活用術、といった感じ? カードシステムは、やってみたい気もするものの、物理的な媒体はあんまり持ちたくないし、こういうことをスマートフォンとかデジタルでできるようになると良いのだけれど。カードをくる、という操作が再現できないかな。 200908

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    投稿日: 2020.09.08
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     今やITが発達して、WEBサービスやアプリで大方片付く問題ばかりだが、考え方が間違っていないことに気づかされる。  わたしたちが「手帳」にかいたのは、「発見」である。毎日の経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいとおもった現象を記述するのである。あるいは自分の着想を記録するのである。  カードは、わすれるためにつけるものである。このことは、カードのかきかたに重大な関係をもっている。カードにかいてしまったら、安心してわすれてよいのである。そこで、カードをかくときには、わすれることを前提にしてかくのである。つまり、つぎにこのカードをみるときには、その内容については、きれいさっぱいわすれているもの、というつもりでかくのである。…自分というものは、時間がたてば他人と同じだ、ということをわすれてはならない。  わたしは、なるだけ記憶をたよりにしないようにしている。…だいたいにおいて人間の記憶はあてにならない。

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    投稿日: 2020.07.19
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     自分の知識や考え方を整理する方法について書かれたエッセイ。約半世紀前の1969年にリリースされたにも関わらず現在の情報化社会を予期したような情報整理の考え方がたくさん書いてあって興味深く読んだ。かなり具体的な記述が多いもののまえがきに記載されているとおり、いわゆる「ハウツー本」ではないから古びないのだろう。自分が何かに接したときに考えたことを逃さないように記録することの重要さが良くわかる。そして記録する方法はアップデートされていく。そこに合わせて自分を変革・訓練していく必要性が説かれていてテクノロジーをキャッチアップすることは昔から仕事をする上で必須だったことがうかがい知れる。よく年配の人が今のテクノロジーについて行けないと聞くが、本著を読むと年齢は関係ない気がした。(この著者がもし現代に生きていたらスマホのアプリ開発していたに違いない)文章から伝わってくる嬉々として自分のテクニックを紹介したい!という熱量も最高なのだけど合間に挟まれる人間味も好きだった。たとえば新聞の切り抜きについて。以下引用。 未指定の古新聞が山のようにたまって、すてることもならず、そのおき場をめぐって、妻とのあいだに紛争がたえないのである。  一番興味深く読んだのは読書記録と日記のくだり。両方とも自分が日々実践していることなので昔の人がどのように考えていたのか知れて参考になった。読書記録は自分がどう感じたかが重要で単なる引用にしていては意味がないと。”読書は、「発見」のための触媒作用” と書かれていて本を読む理由としてこれ以上の言葉はないように思う。日記について過去の自分に関する報告書と思って書くという心持ちと、客観的事実の記録と主観的考察を分けること、もしくは客観的事実だけでも良いのでは?という形式の提示が個人的には助かった。後半にかけて著者が懸念する多くの部分がテクノロジーで解決してるので多少退屈になる部分はある。しかし、逆に考えると今「面倒だな」「手間だな」と思っていることもテクノロジーがいずれ解決するのだろう。超間接的に本著は未来の技術者に対するエールになるかもしれない。

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    投稿日: 2020.07.12
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    古典的名著ながら今まで読んだことがなかったので、100刷到達記念(!)に読んでみました。初版は1969年ですが、知的生産に関わる記録の取り方やその残し方、読書の仕方など、ところどころ用語や道具が古いところや著者の強いこだわりがあるものの(タイプライターなど)、その思想は21世紀現在から見ても新鮮な気づきを与えてくれます。 著者が本書を著した当時よりも、今は数多の情報で溢れかえっています。思想が徹底しているからこそ、世の中が変化しても著者のいう知的生産技術のシステムがこれからも有効なのだろうと思います。高校生にも薦めたい、おもしろい一冊でした。

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    投稿日: 2020.06.28
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    1969年発行の本ですが、情報の収集・整理・活用術として、今でも十分通用する内容でした。 京大型カードとその使い方、切り抜きと規格化、整理と事務、読書、文章に関する論述が特に参考になりました。 なお、ひらがなが多めの文章に慣れるまで少し時間が掛かりましたが、「7. ペンからタイプライターへ」のひらがなタイプライターの記述を読んで、敢えてひらがなを多く使っている理由がわかり、納得しました。

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    投稿日: 2020.06.04
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     知的生産を行なうために私たちは入手した情報をどのように整理し、利用すべきなのか。その技術についてまとめられ、また何よりそれらの諸技術についての著者の見識が述べられている。  著者は他者に先立って「情報」というものを数理的側面に限らず社会的、人間学的な側面を含めた総合的な概念として研究した学者である。したがってこの本の中で述べられている技術はどれもプリミティブでありながら現代にも通用するものばかり。著者の所見を通じて「情報」というものの本質に触れることも可能な、HOWTO本の域を超えた思想的な側面を持つ本、とすらいえる。  残念であることには、そんな著者ですら「ワープロ」という存在を予見することは不可能だったようである…本文ではタイプライターによる規格的な書類製作を見越して、ひらがなを多めに用いている。  とはいえ「機械による規格文字を用いた文章の作成」を考えただけでも凄まじい先見の明を持っている。個人的にこの本の真骨頂・最大の山場は、第4章・5章の事務作業と規格化についての部分であろう。  ITが溢れかえる現代であっても、いやそんな現代であるからこそこの本は光り輝くと言える。

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    投稿日: 2020.05.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    先見の明。知的に誠実に世の中や学問と向き合って日々工夫して考え続ける人は、その思考の先の当然の流れとして、これからの時代に必要になることがわかるのだなと思った。 実行すること。考え工夫しつづけること。 いまのIT全盛のこの時代ならどんな先が見えたのだろう。晩年の書籍もあれば読みたい。

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    投稿日: 2020.04.20
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    知識はただ増やすよりも、整理していつでもその知識を引き出せる状態にしておくことの方が大事だなーと思った。

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    投稿日: 2020.04.14
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    知的生産の技術という考え方を、自分で考えるきっかけになる。自分なりの方法で考えるにあたって参考になる。 あと、本は全部読んで世界を理解すること、引用より自分で考え抜くことの重視などは、今のイノベーションの組み合わせの考え方やビジネスのスピード・効率重視の考え方とは相反する部分が多く、新しい知識を創造する仕事である研究者との違いか?と考察。 ・知的生産の技術であり、ハウツーではない これは自分で考え抜くものであって、教えられるものではない ・発見の発見のためのメモ ・忘却のための装置 ・カードはメモではない→1枚のカードにひとつ ・書物は精神の糧、食事のアナロジー ・本全体の世界を理解するためにも、全部を読む、部分は見た ・著者の文脈と自分の文脈の交差点

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    投稿日: 2020.03.07
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    古典なので読んだ。ここでいう技術はまさに技術で、ハウツーものではないと言うものの、ほとんどハウツー本。手帳、ノート、整理整頓…。さすがにちょっと古いかな。

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    投稿日: 2020.02.26
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    タイトルから想像した内容と違って目から鱗だった。 これまでひとり四苦八苦してきた情報や知的消費をどう生産に生かすかのアレコレ。こんなにも深く考え向き合っている人がいるというのが、ばかみたいだけと、深く感動した。 創造的読書というのはおおいに共感。 人の作品を観ながら曲を作るという作曲家もいるぐらいだし、みんなそうなんだろうなあ。 自分の知的生産活動についても改革しようと決心。 このクラウド時代、PC、スマホで色々試してきたけど、やっぱり手帳とメモに戻ってナウ。 著作は時代と自分にあったやり方を模索せよということだろうけど、とりあえず物は試し。やらねば分からない脳なので、情報カードをさっそく買ってみました。 知的生産をあきらめないよう頑張りたい。

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    投稿日: 2020.02.07
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    ちょっと古くて、私にはあまり参考になるとは思えませんでした。新しいもので、参考になるようなものほないですかね。。。

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    投稿日: 2020.01.21
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    たしかアウトプット大全(樺沢著)で引用されていて積読していた一冊。やや個人の主張がつよい気がしなくもないし、タイプライターや手書きの原稿など時代を感じるところもあった。カード式の思考法は思考の整理学?か何かでも聞いたことがあるけどどうにも手を出す気になれない。。なにか思うことはスマホか手帳にメモってしまう。しかし、全体通して考えることと文字に残すことのメリット・デメリットや主観的に本を読む創造的読書、日本語の流動性と正語法など著者の考えは面白かったし、知的生産の内容ではなく、そのメソッドの方に着目したのは50年前には新しかったのかなと思う。あと50年前にしてプログラミング教育の必要性に触れているのはすごい。

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    投稿日: 2019.12.23
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    得ることばかりであった。 全ての整理がカードにいきつくのは笑った。 読み返したい一冊だ。 2020/3/26 再読したらカード分類法の意義がよくわかってきた。 後で「使う」という観点からはカードが最適なような気はする。ちょっとやってみる。一万枚の前に千枚にした。

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    投稿日: 2019.12.14
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    【読者ログ1冊目】知的生産の技術 京都大学で教授をされていた梅棹忠夫さんがインプットからアウトプットに至るまでに必要な技術、守るべき様式について書いた本。 本を読むまで知らなかったのですが、戦後の文化人類学の大家として数々の著作を残された方です。 個人的にこの方の天才ぶりを感じたのは下記の文章。 わたしは、たとえばコンピュターのプログラムのかきかたなどが、個人としてのもっとも基礎的な技能になる日が、意外にはやくくるのではないかとかんがえている。(中略)社会が、いままでのように人間だけでなりたっているものではなくなって、人間と機械とが緊密にむすびあった体系という意味で、いわゆるマン・マシンシステムの展開へすすむことが必至であるとするならば、それも当然であろう。(p.15) 情報の時代における個人のありかたを十分にかんがえておかないと、組織の敷設した合理主義の路線を、個人はただひたすらにはしらされる、ということにもなりかねないのである。(p.18) この書籍の初版が1969年。今から50年前に書かれた文章です。おそらく当時これを読んでピンと来た人はそう多くはなかったのでなないかと思います。 50年後の今まさに議論されていることを言い当てられていて、その未来予測力にただただ驚かされました。 本題の「知的生産の技術」についても、非常に勉強になる部分がたくさんありました。 いかんせん50年前の本なので、内容をそのまま適用するのが難しい場合(例えば切り抜きやタイプライターの使い方など)もありますが、今あるITツールに置き換えて実践することも十分可能です。 アイデアを発想し、それをかたちにする技術や心得について学べるので、興味がある方はぜひ読んでみてください!

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    投稿日: 2019.11.20
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    たまたま国立民族学博物館へ行った際、著者のことを知ったので読んでみた。 著者は同博物館の初代館長を務められた梅棹忠夫先生。 まず、50年も前に書かれたものとは思えない新しさに驚愕した。 同時に、細部に至るまで、僭越ながら自分も同じようなことを考えていたので、とても勇気を得た。 (そしてこれをきっかけに梅棹ワールドにはまっていく・・・。) この世代の京大・東大出身者は優秀な人が多い。 戦後の高度経済成長の背景には、こうした学者さんたちの活発な議論があったのだろうということが推察される。 停滞している今こそ広く読まれるべき本。

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    投稿日: 2019.11.08
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    当時なら参考になったと思うが、これほどに技術が発達していると、カードではなくてスマホやパソコンに頼ってしまいたくなる。前田社長の「メモの魔力」を思い出した。メモの方が私には向いてるかも。日記について、“自分への業務報告”と捉える考えに対しては、なるほど!と思った。

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    投稿日: 2019.10.21
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    京大式カードの創始者である著者による、知的生産の方法論。初版が1969年でスマホもパソコンもない時代だが、今でも通用する内容ということに驚かされる。文章を書く上で情報を集めて組み立てるには、地道な鍛練を積み上げていくのが一番だ、ということに、改めて納得。

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    投稿日: 2019.08.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

     なんとも古風なタイトルですがそのはず、本書の初版は1969年。「ぱそこん」なるものが主流になるはるか前の時代に書かれた作品です。  中身を見れば、その技術の表現対象は紙、紙、紙。紙のオンパレード。しかし本書で紹介される技術は、現代でもそのモデルやメカニズムは様々なシーンで応用できるでしょう。  ちなみに私は仕事は99%パソコンで行っているものの、そのような紙を用いた知識整理や応用が何かと好きです。モレスキンのメモ帳を手にしたらうれしくなるようなタイプ。なぜそうなのかというと、本書にはその考えをよくとらえた記述があります。 (著者やその仲間たちが、メモ魔であったレオナルドダヴィンチをまねてしきりにメモを取ったことを紹介したうえで) 「ダヴィンチの手帳の実際がどうであれ、わたしたちはかれの精神に魅せられていたのである。あらゆる現象に対する、あくことなき好奇心、知識欲、包容力。そういうものにあこがれていたのである。(「1. 発見の手帳」より)」  とっさのメモはやはり紙でなければ都合が悪い。その意味でも本書を楽しく拝見しました。  本書の構成を勝手におおまかに分類すると、おおむね以下のような構成です。    ・手帳(メモ)の残し方    ・カードを用いての情報整理術    ・資料の整理術    ・読書の技術    ・タイプライターに関する考察    ・用途ごと(日記、原稿など)の文章の技術  「手帳(メモ)の残し方」では、手帳をつける姿勢、それは「どんなささいなことでも、また役に立つとは思えなさそうなことであっても手帳をつける」ことを述べたうえで、後々振り返るうえで便利な「お作法」などが紹介されています。  「カードを用いての情報整理術」について、著者は何事もカードに記録をつけて、それを著作に用いていたそうです。これは参考になる。個人的にはカードではなくEvernoteでこの技術を応用しています。  私はよくパワーポイントでプレゼンテーション用資料を作るのですが、ここで紹介されている技術をよく用います。  資料のテーマについて、それに関係するカード(Evernoteですが)を一通り引っ張り出し、それを俯瞰します。  そうしたのちにストーリーを考え、それに沿ってカードを並べると、それでもう資料の骨子はできているわけです。これは非常に使えます。  似たような技術は『0秒思考』(赤羽雄二/ダイヤモンド社)に紹介されています(この本もおすすめ)。  「資料の整理術」については、紙媒体の資料が多い人には参考になるでしょう。パソコンが中心ならそれほどでもないと思います。  しかし知識という意味ではなく、文章という意味で、個人的にひかれた箇所がいくつもありました。たとえばプリントボックスをもちいた資料整理法を取り上げた部分では、 「・・・親切に手に取って教えてくれた先輩がいた。その人は、可児藤吉さんといった。 ・・・可児さんは、召集を受けて戦場にいった。そして、かえってこなかった。戦後、可児さんの戦死が確定してから、したしかった人たちのあいだに、遺品が分配された。わたしは、可児さんのプリント・ボックスをたくさんもらった。」  時代を感じさせます。  また、旧制高等学校のバーキンズ先生の紙フォルダー資料整理法を参考にした箇所では、 「・・・これが、その後の私の書類整理のすべてのシステムの出発点となった。私はこれを、閑静な日本座敷で、きもの姿の外国人からおそわったということで、とりわけ強い印象を受けたのであった。」  などなど。  「読書の技術」については、現在でも多くのHow to本が巷に出回ったいるので不自由ないでしょうが、内容はそれらと似通っています。  著者も書いています。 「しかし本というものはたくさんあるものだ。自分の創造物とおもっている思想でも、すでにだれかがどこかでかいているかもしれない。 ・・・ここにかいた「読書法」だって、じつは、大部分はどこにもかいていることで、私が知らないだけかもしれない。それをおもうと、全く身のすくむ思いである。ああ、はずかしい。」  しかしここで紹介される「読書ノート」のつけ方は少しユニークで参考になります。  つぎは「タイプライターに関する考察」です。このパソコン全盛の時代にあってこの章は丸々飛ばしてしまってもよさそうですが、ここは非常に面白い。ここを読み飛ばす人は間違いなく損をする。  当然技術として参考になる点は少ないですが、ここで紹介される著者の「私とタイプライター」的な物語はとても面白い。読んでいて私もタイプライターが欲しくなってしまいました。  最後は「用途ごと(日記、原稿など)の文章の技術」になりますが、やはり学者さんだけあって文章構成のお作法には厳格です。  日記の書き方については、どちらかというと「後で振り返ることを考えた場合の便利な書き方」といった趣旨が強いですね。まあ、日記ですからお作法も何もないでしょう。日記について著者は「記録」に近い記述を勧めています。  原稿については参考程度の内容と受け止めましたが、著者は原稿用紙を特注しており、そのこだわりの強さもやはり学者さんですね。  前述のとおり、本書は古い作品なので、時代的にそぐわない内容もあります。しかし普遍的応用できる技術も多々あるので、その意識で読めばいくつもの発見があるでしょう。  また、著者の昔気質な考えが要所要所でみられるので、そんなときはニヤニヤします。

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    投稿日: 2019.06.08
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    noteにて感想文を書くため、数年振りに再読した。 何度読んでも驚かされるのは、古典にも関わらず非常に読み易いのと、現代での知的生産活動でも通じる手法が提案されていることである。 流石にタイプライターは「時代だなあ」と苦笑いせざるを得ないが、今では高性能はパソコンがある。データや情報の管理もクラウドやアプリでチョチョイのチョイ。メモだって、カードを使わずスマホのメモアプリが使える。Evernoteなら尚のこと簡単に効率よく、写真も文章も纏められる。 ただ、余りに便利すぎるので知的生産活動の幅が、著者が生きた時代よりも窮屈なのではと不安にもなる。本書はあくまでも指南書で、ハウツー本ではない。寧ろ知的活動をテーマにしたエッセイだ。 故に、より一層不安と少しの焦りが募る。自分も享受するだけの身から脱して、新しい何かを見つけたり生み出したりしなければ。

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    投稿日: 2019.05.22
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    川喜田二郎の発想法を読んだのはもう2、30年前で、この本に紹介されたブレーンストーミング、KJ法にはかなり衝撃を受けた。そのKJ法の祖とも言えるのが梅棹忠夫先生の知的生産の技術、京大式カードだったとは、今週この本を読んで知った。  あまり目新しさはないというか、45年も前の本なのに古くさい感じはしなかった。でも、発想法ほどの感動もなかったので、発想法を読み返してみるかな。

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    投稿日: 2019.05.05
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    ・勝間和代さんの紹介文より図書館で借りた。 1986年の本だが、情報化の創出が必要など 先進的な著者の意見に驚いた。 ・1枚1葉のカードを使う→「京大型カード」 ・整理と事務→「ファイリング」 ・読書法 ・『読書論』小泉信三 ・『私の読書法』大内兵衛・茅誠司 →”読むこと”と”食べること”は似ている。 様々な本を読むこと →著者の思想を正確に理解し、自ら「発見」する。

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    投稿日: 2019.05.04
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    情報の蓄積の容易さのための最適なまとめかた(タイプライターで書く、カードで持ち歩く、フォーマット決める)、活用のやり方(カードでの整理)のエッセンスをつかんだ。 残すことの芸術性でなく、中身を大事にしなさい、というメッセージを受け取った気がする。 なお、ひらがなカタカナタイプライターのくだりは、ビジネス書云々でなく普通に読み物として面白かったです。

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    投稿日: 2019.04.14
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    なるほど良い本だと思います。自身でもいろいろ工夫してきましたが、まだまだだったようですね…( ̄▽ ̄;)。少し反省しました

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    投稿日: 2019.03.31
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    「知的生産の技術」とうたった本はいくつもあるが、知の巨人である梅棹忠夫が書いたものだけに、本書は類書を寄せ付けない説得力を持っている。 知的生産とは、「人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合」のことと定義づけている。梅棹の知的活動は、知識の吸収に向けられるよりむしろ、新しい創造に向けられているのである。 1969年に出版された本であるが、内容はまったく古びていない。

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    投稿日: 2019.02.23
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    学校では勉強は教えてくれるけれど、勉強の方法・やり方は教えてくれない。 であるならば、その方法を確立し、卒業してからも使える知的生産の「技術」についてを広めていこうという想いを発端として書かれた本。 著者自ら様々な工夫を実践し、そこから得られた技術を読みやすい文体で学ぶことができる。 この類の本で非常に引用として登場する機会も多い作品で、名著といわれる本作。 1969年初版で内容は頗るアナログ、ペーパーベースで進んでいく。 機械で出てくるのはタイプライターくらい。 ただ、にも関わらず、名著と言われるのにはワケがある。 まずは、知的生産の技術を身につけようという考え方の説得力の強さ。 そしてところどころに出てくる、ペーパーレスが進む現代にも通用する技術習得のポイント。 『知的生産の技術の一つの要点は、 日常の指摘活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといっていいだろう。 努力によってえられるものは、精神の安静なのである。(中略あり)。』 このような知的生産の技術に対する考え方も非常に参考になる。 より効率的に優れた方法を身につけたい考えるあなた。 デジタル化、スマートフォンブームなど、そのような方法での作業がしっくりとこないあなた。 早いうちに読むことをおススメします。

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    投稿日: 2019.02.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    知的生産、習慣に関する名著。 特に1章から6章までは、現代の人間においても参考になる部分が多い。 カード法というのは特殊ではあるが、非常に理にかなっていると感じたので 再度本を読み返しつつ、実践してみたい。良書です。

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    投稿日: 2019.01.16
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    1969年から今も増版を続けるロングセラー。 肉体労働から知能労働へシフトする時代には、 従来のタブーがこれからの常識となり得る。 知性を使ってアイデアを創造するには、 遊び心が大事であり、楽しく仕事をすることが重要。

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    投稿日: 2019.01.05
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    京大カードを買ったので読んだ。文献の管理のやり方がわからず困っている。あれこれ試行錯誤するしかないよねえ。えらい。

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    投稿日: 2018.12.09
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    京大カード考案の梅棹忠夫氏著。 パソコンはもちろん日本語タイプライターも無い時代に「コンピューターがもっと個人利用できるようになればいい」という記述があり面白い。 たまたま「スティーブジョブス驚異のイノベーション」と続けて読んだので 2人の思いがリンクしているようだった。 原尻淳一氏おすすめの古典本。 ・コンピューター時代がはやく個人に浸透すればよい。と、1960年代に切望している。どの時代も目的は同じ。目的を達成するための手段が進化しているのだと感じた。 ・読書は知的消費である。消費から生産につなげるべし ・「発見の手帳」をつけるべし →文中に実名はでてこないが、ほぼモレスキン最適な仕様といえるような記述あり →そして「発見」は突然にやってくる ・日本人に近眼が多いのは、直輸入ノートの罫線にあわせて無理に日本語を詰め込んだからではないか。 ・「発見の手帳」は「発見のカード」となった →初めて発見のカードを使ったのは新井白石らしい ・事務が片づいただけでは創造的な仕事は何一つしていない ・「整理」と「事務」は効率の問題ではなく、「秩序としずけさ」がほしいからである ・引用に頼っている本は信用ならない →創造的な部分が少ないと解釈すれば ・日本語をタイプライターに乗せられれば知的生産技術は大きく進歩する(1960年) ・石川たくぼくはローマ字で日記を書いていた ・不思議なことだが一群の人間がそれzれまったく独立におなじような経過をたどって同じような結論にゆきつくことがある ・アイデアの断片をつなぎあわせる思考法=KJ法 ・文章は俳句のつもりで書け(簡にして要) ・今日のしつけや教育は、物質の時代にはうまく適合していただろうが、あたらしい情報の時代には情報の生産・処理・伝達について基礎的な訓練を小中学校のころからみっちりと仕込んでおくべきである。「情報科」

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    投稿日: 2018.12.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ●メモに感想を交えて はじめに 「知的生産とは、人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合」と定義されている。頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら-情報-を、ひとにわかるかたちで提出することだと、さらに述べている。 そして、いちばん肝心な点は、いろいろと考えて実行してみること、たえざる自己変革と自己訓練が必要だと述べて、本文へつなげている。 1 発見の手帳 「神々の復活」という本に登場するダ・ヴィンチは、なんでもポケットに入れている手帳に書き込んでいたらしい。これが、筆者が手帳を通して情報を処理し、知的生産を行うことを考えることになった原点。 「発見の手帳」の使い方の中で重要なもの。「一ページ一項目」と「索引をつくる」。知的蓄積のための手段にするなら、「一ページ一項目」として、あとで利用しやすいようにするべき。「索引」を作る作業を通じて、重複のチェック、発見や知識を整理して相互関連を見つける、などができる。また、自分自身の思想が自然に形をとって現れてくることになる。 2 ノートからカードへ 筆者は学生時代の調査旅行の際に、「野帳」を使ってこまめに記録を取ることを身に付けた。この習慣が身についていないようでは、野外科学者としては全然はなしにならないという。 調査資料としての数十冊の「野帳」をまとめるにあたって、筆者は資料全部を項目別にばらして、カードにしてしまうという方法を思いついたという。そのうち、現地にカードを持ち込んで、最初からカードに書いてしまう方式を取り始めた。しかし、最初のメモはノートの方がつけやすいと述べている。 3 カードとそのつかいかた カードはB6判、12.8x18.2cmとかなり大きいものを使う。単語カードに代表されるように、カードは記憶のための道具だという考えが一般的だが、カードに書くのは頭のなかにあることを忘れるため、「記憶するかわりに記録する」という。カードの基本も「一枚一項目」、経験によって何が「一つのこと」であるかを会得すること。思い切って小さい要素に分けたほうが成功する。 カードは分類することが重要なのではなく、くりかえし「くる」ことがたいせつ。要はカードを活用して、何かを産み出すことが目的であると言っている。 知的生産のためにカードをつかうというアイディアが長続きしないのは、たいていは「カードをかく」という習慣が確立しないことだという。何事も継続して、習慣となるまで続けることが重要であるということか。 4 きりぬきと規格化 新聞や雑誌の切り抜きを保存、整理することが述べられているが、今の世の中にあてはめるとすると、Web上の情報を集めて、保存、整理することに使えるのではと感じた。 もっとも重要なのは、資料を規格化することだという。Web上の情報収集にあてはめるなら、何か一つツールを決めて、そこに情報を集約することと読むことができるだろうか。 5 整理と事務 垂直式ファイリング・システムが最も効率的な方法であり、その際の問題は分類項目の立て方にあるという。そして、そのコツは「徹底的に細分化する」ことだと。数は増えることになるが、知的生産に利用することを考えると、カードシステムと同様に、とにかく細分化して活用しやすくすることが重要だということだろうか。 整理や事務の技法について考えるのは、能率の問題ではなく、精神衛生の問題だと述べられている。そういったシステムを整えるのは、「時間」がほしいからではなく、生活の「秩序としずけさ」がほしいからだという。精神を落ち着けて、知的生産のための障害をとりのぞくことが重要。 6 読書 読書ノートの書き方について。筆者は鉛筆で気になる部分に線を引いておき、本を読み終わったら、もう一度最初から印をつけたところに目を通していく方法を取っている。そして、ノートにする価値のあると思われる部分だけを、カードに記録していく。 筆者は読書ノートには、自分にとって「だいじな」ことだけで、本の著者にとって「だいじな」こと、すなわち要点や要約は記さないという。著者にとって「だいじな」ことは本そのもので、読み返せばよいからだと言う。でも、読んだ内容を要約でも忘れてしまうことを考えると、やはりそういうものも読書ノートに含めるべきではと感じた。 7 ペンからタイプライターへ ペンからタイプライターへの移行、ローマ字表記やかなタイプライターについても述べられている。今の世の中では、すでにその先の漢字、かな表記ができるパソコンに移行済み。 8 手紙 9 日記と記録 日記と言うのは、要するに日づけ順の経験の記録のことであって、その経験が内的なものであろうと外的なものであろうと、それは問題ではない、と述べられている。昔の日記はかなり文学的なものと考えられていて、そうではないと主張している。 日記をかきやすくするための工夫、はじめにあらすじだけを書き、時間があればくわしい記述を書く。また、記述はパラグラフに分けて、後で検索しやすいように「みだし」をつける。 知的生産のための基本的な心得として、筆者が述べているのは、「ものごとは、記憶せずに記録する」ということ。そうすると、後に検索したり、他の項目と合わせて活用するために、「みだし」をつけたり、利用しやすいように細かく分けておいたり、ということが必要になる、と理解した。 筆者は日記もカードに書いている。一日の出来事を一枚にまとめている。そうなると、日記はあくまでも経験を記録するためだけに使い、思いついたアイディアや気付きなどは、日記と分けて記録する必要があるということになる。 筆者は「すべての経験は進歩の材料である」という考えを実行している。自分自身の経験の記録をつくるのは、資料の蓄積ということのもつ効果を信じているからだという。 10 原稿 11 文章 文章の書き方について述べた章。 「才能より訓練」 文章をまとめる作業は、「かんがえをまとめる」と「文章にかきあらわす」の二つの段階から成り立っている。もちろん、より重要なのは「かんがえをまとめる」段階である。 「かんがえをまとめる」作業として、「こざね法」という方法が紹介されている。論理的なつながりで、項目をまとめて順序にならべていく。その「こざね」をさらに並べて、文章の構成を考えていくという。 おわりに 「やがては『情報化』というような科目をつくって、総合的・集中的な教育をほどこすようになるのではないかと考えている」とあるが、まだまだ多くの人を対象にしたそのような教育は行われていないと思う。

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    投稿日: 2018.12.02
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    40年前の出版とは思えないほど、今でも通用する考え方が多数。道具に関する記述は、まあ当時のものだけど、それでも先進性は感じられる。

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    投稿日: 2018.11.12
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     著者は京大型カード発明者だけあって、なかなかのアイデア収集家である。前半では、その著者が、京大型カードに至るまでのメモの方法やそのファイリングの進化の歴史を振り返る。生物学の「個体発生は系統発生を繰り返す」という有名な法則を引き合いに出し、自身の進化の歴史と比較しているが、まさにそんな感じ。 後半では、「読書」と「書くこと」について。読書の解説中、「つん読」なる造語が出てきた。最近は時折見られる言葉だが、この本の出版年から考えて、著者発の造語かもしれない。読書については、あっさりした解説のみでそれほど参考になることはない。一方、「書くこと」については、著者独特の思い入れがある模様で、「ペンからタイプライターへ」、「手紙」、「日記と記録」、「原稿」、「文書」と幅広く解説。驚きなのは、日本語タイプライターを一般普及させるために漢字を捨てる、という企てが行われていたことである。これが一般普及していたら、ひらがなの情報保持力が漢字より著しく劣るため、本は分厚く、読みづらくなっていただろう。

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    投稿日: 2018.10.23
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    特にこれが読みたいと思ったわけではなく、メディアマーカーの読みたい本リストにあるもので図書館の予約待ちが無いものと思ったらこれでした。そして、本を読むまで何の内容の本か分かってなかったわけです。 ところが、読み始めてみると、何と、情報整理の本じゃないですか。 書かれたのがちょっと古いので、主体が京大式カードによる情報整理なんですが、今も昔も情報整理というのは一大テーマだなというのは大いにうなずけます。 しかも、数日前にevernoteの本を2冊読んでいるように、今、ちょっと情報整理がマイブームだったんです。 ここでもやっぱり偶然力(セレンディピティ)!!! この本で書かれているのは物理的に情報ソースをカードや台紙に貼り付けて規格化してフォルダ分けするという手法ですが、今はデジタル技術が発達してきて、フォルダ、タグ、日付など様々な軸で一つの情報ソースを管理できるようになったのが素晴らしいです。 そしてgoogleに代表される強力な全文検索機能などを使えば、ため込んだ情報をさがせないということはほとんど無いでしょう。 私 は特に記憶力が悪く、暗記物の勉強は苦手だったんですが、中学生くらいから暗記なんかしなくても、何をどう探せば必要な情報が得られるかさえ知っていれば いいはずだとうそぶいていました(笑)。重要なのは正確な暗記ではなく、コンセプトというか、実というかそういうものを脳の中に溜めておいてそこから新た な発想を生み出すこと、そして必要であればそのコンセプトの出展や正確な表現ぶりが探せることではないかと思います。 だからといって、整理整頓が得意なわけでもないので紙の書類をきちんと分類・整理するのは苦手。 仕事の書類なんて、活用できない書類は無いものと同じだというコンセプトの元、書類は究極まで捨てて、手元に置いておくものを厳選するという本末転倒ぶり(笑)。 私のような暗記が苦手な人間にとってイイ時代になってきたと思います。

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    投稿日: 2018.10.20
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    "私の生まれた年に出版された本。古典?にしては、まだあたらしい?(自分を若いと思っているのでね) メモ、カードの使い方、整理、手紙、読書などいろんな提案が示されている。自分で改革しながら、自分の知的生産を構築してほしいというメッセージが込められている。"

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    投稿日: 2018.10.17
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    1969年7月21日 初版 今からなんと40年前の本である。そして「知的生産」という言葉のスタートでもある。 メモやカードの使い方。読書方法、原稿の書き方などなど知的生産のための基本的な技術が詰まっている。 現代のビジネス書の原本といっても良いだろう。 現代においてPCの一般的な普及があり、知的生産を囲む環境は大きく変化しつつある。しかし我々はこの基本的な技術からどれだけ飛躍できたかを考えるといささか苦笑してしまう。 いまでも、この本を読めば大抵の事は足りるだろう。 なんといっても「基本的」な技術なのだから。 おそらく求められているのは、この基本にPCの基本も加えた本なのであろう。しかも新書サイズで。

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    投稿日: 2018.10.09
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    民博で開催されている、「ウメサオタダオ展」に行ってきました。事前学習として本書を読みました。ここに書かれている手段(情報カード)はPCなどを活用するともっと洗練されるのでしょうが、情報を地道に記録していく姿勢は、知的生産の根幹で、決して古くなることはないと思います。

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    投稿日: 2018.10.06
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    初版は、1969年7月、ほぼ半世紀前の本でありますが、第98刷を重ねたベストセラー。改めて読む、梅棹忠夫。読み返しつつ、新鮮な問題提起に、そうだそうだ、であります。

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    投稿日: 2018.09.08
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    1969年発行 "知的生産"は著者が作った言葉とのこと。現在に通じる内容が多くて先見の明がすごい。情報時代のあたらしい教育という章で、昔は"物を大切にする"教育がされていたが、情報時代は"情報を大切にする"教育が必要という事が述べられていたのが印象的。情報を大切にして知的生産の技術を高めていきたい。

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    投稿日: 2018.08.12
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    仕事用のノートを作る時に、参考にさせていただいたのですが、今でも、たいへん重宝して、仕事用ノートを使っています。ノートの取り方や、メモの取り方、記録の残し方など、たいへん勉強になりました。オススメの一冊です。

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    投稿日: 2018.06.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    以下、ネタバレ含む要約。  『知的生産とは、さまざまな情報に人間の知的情報処理能力を作用させて、あたらしい情報をつくりだす作業』。このような精神活動は『個性的と思っているけれど、精神の奥の院でおこなわれている儀式は、あんがいおなじ』、『なにかあたらしいことを、ひとにわかるかたちで提出することなのだ、くらいにかんがえておけばよい』が、『人間の頭のなかというものは、シリメツレツ・・・「おもいつくままに」かいていったのでは、まったく文章の体をなさない』のだ。  そこで『こざね法』だ。 要約すると『つかえそうなものを紙きれにかき・・・紙きれをならべ・・・論理的につながりがありそうだ、とおもわれる紙きれを、まとめ・・・論理的にすじがとおるとおもわれる順序に、その一群の紙きれをならべて・・・文章全体としての構成をかんがえる』というものだ。  紙きれは『毎日の経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいとおもった現象を記述』するのだ。 いくつか注意点がある。 ①『すぐにわすれてしまう』から『感動がさめやらぬうちに、文章に』ということ、 ②『わすれることを前提』に『ちゃんとした文章でかく』こと、 ③『ばらばらの素材をながめて、いろいろと組みあわせ』るため『一枚のカードにはひとつのことをかく』だ。 あたらしい関係を発見するには、『くりかえしくる(組みかえ操作)こと』がたいせつで、しかも『客観的な内容によって分類するのではなく、むしろ主体的な関心のありかたによって区介する』など、『分類は、ゆるやかなほうがよい』とのことだ。  ただし、これら実行においては大きな前提がある。『知的生産の技術について、いちばんかんじんな点は(中略)、いろいろとかんがえてみること、そして、それを実行してみることだろう。たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。』、『だいじなことは、カードをかく習慣を身につけること』、『習慣になるまでは、自分自身を訓練しなければ、うまくゆくものではない』。 要は、なにごとも日々の研鑽が大切だとうことだ。  「読書は『自分の思想を開発し、育成すること』にあり『本は、一気に』よむ」であったり、「文書をかくという作業は『伝達するにたる情報が、頭のなかにできあがっていなければ、そもそも伝達しようという情熱がわいてこない』」から『「かんがえをまとめる」ということがひじょうにたいせつ』などの構えや、『ものの「おき場所」をきめる』、『おくときには、つんではいけない』、『とりだしたら、あとはかならず、もとの位置に「もどす」』など、『生活の「秩序としずけさ」』を得るために『整理や事務のシステムをととのえる』、『みた目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐとりだせるように』整理しておくことの重要性が説かれている。  著者は『日本人には、自分のしとげた仕事の記録をのこすという習慣が、あまり身についていない』ことを指摘している。  『知的生産の技術の体系がしっかりできていなければ、機械はねむってしまうだけ』だそうだ。 人生は修行ということか。

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    投稿日: 2018.05.14
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    日々の生活をいかに生産的な活動へと結びつけるか、当時と現在で状況は異なるが大きな示唆を与えてくれる。現在使える強力なツールへと応用したい。

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    投稿日: 2018.04.25
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    50年前に、初等教育でのプログラミングの必要性やコンピューターが家庭に入り込む等々の先見の明には敬服に値するが、流石に内容的には古臭くて使い物にならない。こういう類の書籍を古典として有難がるのは著者の本意ではないだろう。

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    投稿日: 2018.02.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    もう半世紀前に上梓された本ながら、現代でも充分通用する内容。 一言で言えば、情報処理と伝達の技術ということになると思います。 冒頭で「これはハウツー本ではない」という趣旨のことが書かれていますが、読んでいると具体的な方法が紹介されていて、どちらかというとハウツー本に思えます。 筆者は最後に、「読むだけではなく実践が大事」と書いているので、紹介されていたカードによる情報整理とかシンプルで分かりやすい文章の書き方など、参考に出来るものはその考え方を参考に自分なりに取り入れていきたいと思います。 溢れる情報に溺れる現代、自分もそうですが、情報整理と情報活用に困っている人は、ぜひ。

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    投稿日: 2017.12.05
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    1969年が初版なので内容が古いのかなと思いながら読み始めたのですが、いろいろと興味深い内容が多く楽しく読めました。 特にタイプライターの章では、ひらがな入力やローマ字入力など試行錯誤している様は、今後起きようとしていることでも参考になるのではと感じました。 シンギュラリティーが近づいていると言われて、AIが伸びてきているが、やはり日本語の問題で出遅れている感がある。身近に感じているのが、例えば、GoogleホームだったりAmazonのEchoなど日本での製品化がなかなかされていなかったりする。 ただ、タイプライターでも乗り越えてきているので楽観視してもいいとも思えるし、また一度日本語そもそものあり方を今一度議論してもいいのではとも思いました。

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    投稿日: 2017.05.13