【感想】取り替え子

大江健三郎 / 講談社文庫
(29件のレビュー)

総合評価:

平均 3.6
9
6
8
4
1
  • 丁度カズオイシグロの浮世の画家を読んだ後だが…。

    死んだもののことも生きているものことも…。
    というセンドリック氏の絵本の最後の台詞だけのために、作品が構成されているのかなあと感じた。
    これは、カズオイシグロの浮世の画家にも出てくる台詞で、大江とは異なる文脈で使われているが、いや、案外同じ文脈なのかもしれないが…。
    我々、旧枢軸国に生きる人間は過去の歴史も現代の歴史もあまりに苦しくて受入れきれなくて、未来に生きる人々が許される夢でも見るしかない、というのはカズオイシグロが1980年代に示したもので、大江は緻密な読み込みと、文壇のつながりで2000年にはその時代が来たと信じる気持ちにもなったのかもしれない。事実、男と違って、政治に無縁と宣言する女にはその楽天的な思想を信じることによって一種の力が湧くものかもしれない。
    チェンジリングの良吾は本来戦後日本の十字架を背負って、男でありながら女性的な何かを担わされることになっており、ここでチェンジしている。大江の分身であるデカルトの名言と係る長江の父は天皇の転覆を狙う計画を練っていることになってはいるが、事実は地主階級、名士階級があの戦争に賛同し主導的な役割を果たした。ここでもチェンジしている。そして大江の分身である長江そのものが、ある時点からチェンジしている。そして、一般的な国での男女の役割が、最後の長江と長江の妻の独白によってチェンジしており、結局、大江はこの文学で国際的なマルクスの死と共産圏の敗北による左翼が背負う一種の業を、かつてカズオイシグロが浄化したような方法で浄化しようとしたのだと見える。この最大のチェンジに深い意味を見出す人もいるのか、いないのか…。
    個人的に天皇家崇拝の復活と国家神道の再開、戦犯の復権は苦い感覚を覚えるが、共産主義が敗れてマルクス思想が死んだのは事実であり、左翼の大物として大江がその許しを請うのはしかたないことだと思う。
    結局、日本の左翼が間違ったのは浅沼の中国訪問時の米帝宣言からであり、今の50以上の左翼はその責任を取らされるのは致し方ないという感もある。
    これから来る、資本主義社会の本当の厳しさの中、新しい左翼に大江健三郎の最後のメッセージ通り期待するのが筋だとは思う。
    星5つ。
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    投稿日:2018.09.12

ブクログレビュー

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  • よしだ

    よしだ

    五良の自殺(≒伊丹十三の自殺)の根底にあったであろう“アレ”の正体を各々模索していく物語。
    奇しくも、『万延元年のフットボール』と、自殺の原因の探究という点では同じなぞらえ方をすることとなった。

    取り替え子(Changiling)」という逸話を物語へ絡めこむ上手さ。
    終章にて、モーリスセンダックの絵本からヒントを得て主題となるこの言葉は、それまで一切出てこない。
    そしてまさにこの「取り替え子」の考えによって、五良の死を、次の世代の誕生に繋いでいく…。
    『懐かしい年への手紙』でも感じた、終章に通底する独特の清らかさ。

    ——もう死んでしまった者らのことは忘れよう、生きている者らのことすらも。あなた方の心を、まだ生まれて来ない者たちにだけ向けておくれ。
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    投稿日:2023.10.08

  • 裏竹秋

    裏竹秋

    奇妙なスルメ小説
     最後の千樫の推測のくだりで身震ひする気持になったが、なんとも奇妙な小説だと加藤典洋の書いてたままに評しよう。
     どうも前半までは平坦だとおもってゐたが「覗き見する人」以降おもしろかった。ギシギシの挿話に熱中させられるものがあった。
     かういふ小説は、事実背景を知ったうへで再読するとより面白く感じられるとおもふ。実際、いま再読して前半もおもしろい。
     まあ評判を聞かずに読むのがいい。たぶん勝手に期待するとぴんとこない。斎藤美奈子や松岡正剛がぴんとこなかったのもわからなくはない。なにしろその続篇として『憂い顔の童子』があるのだから。
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    投稿日:2023.09.22

  • しんめん

    しんめん


    この辺から後期オーケンとでも言うのだろうか。
    文から角というかクセが取れている(それでも読み易い文ではないが)。
    息子の光氏につき特に丁寧な扱いをしているが、唸る様な描写が少なく若干物足りなさを感じた。続きを読む

    投稿日:2022.09.15

  • nabechang

    nabechang

    読みにくかった。難解なのとは違う、純然たる読みにくさ。一つの文章でも、読み直さないと文全体の意味が分からなかったりして、小説の世界に没頭する事が出来なかった。
    万延元年のフットボールはとても好きだったので、おそらく前期から中期の大江健三郎さんが好きなのだと思う。続きを読む

    投稿日:2021.03.22

  • block

    block

    伊丹十三が倒錯的な性愛にこだわりつつも
    常に社会正義を踏まえて作品づくりをしていたことは
    「女」シリーズを見ればよくわかる
    そういう、きわめて人間的な矛盾が
    彼を一種の自家中毒に追いやったということは
    言えるのかもしれない
    伊丹の死後
    日本の芸術映画をリードしたのは北野武だった

    小説家の長江古議人と映画監督の塙吾良は高校時代からの親友である
    共に、教師たちから目をつけられる存在だった
    しかし同じはみ出し者といっても
    自己の内面にこもりがちな古義人に比べ、外交的な吾良は
    その分、他者のエゴイズムとまともに向き合いすぎるところがあった
    良く言えば自信家、悪く言えば鼻持ちならないやつで
    人によっては馬鹿正直と見るかもしれない
    のちに塙吾良は、社会派のコメディ映画で商業的な成功を収めるが
    それと引き換えに、ヤクザの襲撃を受けたり
    イエロージャーナリズムにつきまとわれるようになったりして
    ガタガタに疲弊してしまうのだ
    そういう苦しさは
    例えば「政治少年死す」をめぐってのごたごたを前に
    結局は、スッポンのように身を縮めることで
    やりすごしてしまった古義人には
    まったく、理解できないことだったかもしれない
    だから、2人にとって共通の苦い経験である「アレ」の受け止め方も
    実はまったく違うものだった可能性がある
    …古義人の村の右翼集団にだまされて
    米軍将校を相手の性的接待をやらされそうになったあげく
    仔牛の臓物を頭からぶっかけられたのだが
    吾良にはそれを
    単に野蛮人の狼藉として割り切ることができなかったのだろう
    ちなみに言うとあの辺は
    「アパッチ野球軍」の舞台にもなってんだけどね

    まあ吾良にはそういう
    「話せばわかる主義」みたいなものがあったのだ
    それは言ってみれば、人間の無垢に対するひとつの信仰だった
    だから、晩年の吾良から影響を受けた若いガールフレンド・シマ浦は
    別の男とのあいだにではあるが
    メイトリアークとして、吾良の「生まれなおし」をはかるわけだ
    そんなの、実際生まれてくる子供にしてみりゃ
    迷惑な思い入れでしかないと思うけど…
    続きを読む

    投稿日:2019.10.17

  • 素以

    素以

    超良かったです。こんなのも書けるのかと驚いた、なんか初期作品読んだだけのイメージではもっと文章固くて泥臭くて何書いてるのかわからないけど力押しで読め!って押し付けてくる感じだったのが、だいぶ透き通った文体になってたのも衝撃。死者と「これから生まれてくる者」との間のChangeling。なんて優しい祈りのような小説なんだ……
    個人的には終章が白眉。性描写が尊い。千樫は強い。古義人がすっと物語から身を引いて女たちだけで結末を迎えるというのが美しいね。新たな生命が託されるものとしての女性。
    時差ボケの深夜テンションで、いきなりスッポン解体しだすシーンも笑いましたが。
    続きを読む

    投稿日:2018.10.23

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