【感想】論語と算盤

渋沢栄一 / 国書刊行会
(7件のレビュー)

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ブクログレビュー

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  • shosho

    shosho

    智恵、情愛、意志のバランスが取れている人のことを常識の人と呼んでいるのはすごくまともな考え方だと思う。何かひとつ非凡なものがある偉い人も必要だが、一般市民や為政者はこのバランスをなるべく高いレベルで持ち続けて欲しいと思う。
    国自体がまだ上を目指す段階にあった日本で国益を事業で成し遂げようとしたこの人は立派である。私利私欲を刺激して会社の業績を伸ばそうとする今のやり方はどうなんだろう、とも思う。結果にこだわるのは分かるが、手段を選ばずに数字だけ作ってしまえばOK、みたいなのはダメだろう。そういうところにもっと監査が入るべきだ。
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    投稿日:2024.02.08

  • toshi1217

    toshi1217

    明治から昭和の変革期に大活躍した渋沢栄一の言葉であるが、今の平成から新しい元号に変わる時代にも古臭くなく非常に為になる言葉が満載である。歴史は繰り返すと言うが、正にその通りであり、心構えも昔も今も変わることがないと実感した。続きを読む

    投稿日:2019.02.22

  • スミスの本棚

    スミスの本棚

    GUEST 022/アルビレックス新潟 会長・池田弘:スミスの本棚:ワールドビジネスサテライト:テレビ東京 http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/blog/smith/2010/12/post115117.html続きを読む

    投稿日:2012.11.09

  • watanabenaoki082

    watanabenaoki082

    「士魂商才」 - 武士的精神のみ偏して商才というものがなければ、経済の上からも自滅を招くようになる。

    100の事業を興したとされ、かの一橋大学を創立した渋沢栄一。
    その経験を総括し、市場経済の世の中で自立するには「士魂商才」を持たなければならないとする。そしてそれはタイトルの通り、論語で説かれているような道徳心に基づき、算盤を弾いて商売に勤めるということだ。

    文語体に近く読みやすいとはいえませんが、その語り草を追っていると、不思議と力が沸いてきます。以下に、印象に残ったフレーズを記録しておきます。

    ・初めて会った時によくその人を観れば、一斎先生の言のご如く多くは誤たぬもので、度々会うようになってからする観察は考えすぎて、かえって過誤に陥りやすいものである

    ・ただ私の素志は適所に適材を得るに存するのである、適材の適所に処してしかしてなんらの成績を挙げることは、これその人の国家社会に貢献する本来の道であって、やがてまたそれが渋沢の国家に貢献する道となるのである

    ・青年時代に正義のため失敗を恐れておるようでは、到底見込のない者で、自分が正義と信ずる限りは、あくまで進取的に剛健なる行為を取って貰いたい

    ・(秀吉が「本能寺の変」の後2週間で明智光秀を討ったことを指して)全く秀吉が尋常ならぬ勉強家であった証拠である、勉強がなければいかに機智があっても、いかに主君の仇討ちを報ずる熱心があっても、かくまで万事を手早く運んでいけるものではない

    ・かの木下藤吉郎は匹夫から起こって、関白という大きな御馳走を食べた、けれど彼は信長に養ってもらったわけではない、自分で箸をとって食べたのである、何か一と仕事をしようとする者は自分で箸を取らなければ駄目である。
    ※秀吉の例が何度か出てきましたが、秀吉を見てると、受付からHPのCEOにまで登りつめたカーリー・フィオリーナと行動と出世プロセスが似ていることに気づきます。こういう精神は、国に関係なく通用するのかもしれませんね。

    ・小事を粗末にするような粗大な人では、所詮大事を成功させることはできない

    ・立志の当初最も慎重に意を用うるの必要がある、その工夫としてはまず自己の頭脳を冷静にし、しかる後自分の長所とするところを精細に比較考察し、その最も長ずる所に向かって志を定めるがよい

    ・心の善悪よりも行為の善悪の方が判断し易き故に、どうしても所作の敏活にして善なる者の方が信用され易い

    ・怠惰の結果はやっぱり怠惰で、それがますます甚だしくなる位が落ちである、ゆえに人は良き習慣を造らねばならぬ、すなわち勤勉努力の習慣をうるようにせねばならぬ

    ・真に理財に長ずる人は、よく集むると同時によく散ずるようでなくてはならぬ、よく散ずるという意味は、正当に支出するのであって、すなわちこれを善用することである

    ・西洋人は言う、「信念強ければ、道徳は必要なし」と、その信念を持たせねばならぬ。

    ・古来各国の実例を観るに、多く文化の進歩が先にして、実力が後より追随するように思われる

    ・版図は小さく人口が多く、なおおいおいに人口が増加してゆくのだから、そんな引っ込み思案ではおらぬ、内を整うると同時に、外に展びるということを工夫しなければなるまい、耕地の面積は小さいけれども、農法は改良して耕地の効用を増すことができる
    ※まるで現在の日本の農業を見透かしたかのような一文ですね。人口増加は頭打ち局面まで来てしまいましたが。

    ・何人も問題の起こらぬときにおいてその心掛けを練って置き、しかして事に会し物に触れた時、それを順序よく進めるのが肝要である。

    ・すべからくその原因を究るべし

    ・毎日人よりも早く起き、善い工夫をなし、智恵と勉強とをもって他人に打ち克つというは、これすなわち善競争である

    ・私は実に国民の大自覚を望むのである、我々は今日ただいま、心酔の時代と袂別せねばならぬ、模倣の時代から去って、自発自得の域に入らねばならぬ
    ※しかしこの後日本は、Visionなきままに高度経済成長なんてものを遂げてしまう。

    ・信州の孝子「何でも自然のままに任せて、母の思い通りにして貰うところが、或いは世間に、私を孝子孝子と言って下さる所以であろうか」
    ※近江の孝子が信州の孝子を訪問した際に、仕事から帰った信州の孝子は身の回りの世話の大部分を母に任せていた。それに対し近江の孝子が批判したところ、上述のような回答があった。

    ・風邪や腹痛という結果の来る前に、身体さえ強壮にして置いたならば、なにもそれらの気候のために病魔に襲わるることはないであろうに、平素の注意を怠るがために自ら病気を招くのである。

    ・細心にして大胆なれ
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    投稿日:2011.07.31

  • ご隠居

    ご隠居

    2008年10月に発売された角川ソフィア文庫版の『論語と算盤』と同様に、旧漢字や旧仮名遣いを改めて読みやすくした、つまり余計な言葉が混じっていない渋沢栄一翁の『論語と算盤』である。

    角川ソフィア文庫版と比べると、こちらは読点「、」の数が少なくて原文に忠実であること、本来漢字で書かれた部分を極力平仮名に置き換えていないことが挙げられる。ただ、残念なことには、単行本でありながら角川ソフィア文庫版に文字の大きさで若干劣っていること。しかし、行間は、こちらの本がゆったりと取ってあるので、読み易さという点では優れているように思う。

    さて、論語をネタにしたビジネス書や人生指南書の類は掃いて捨てるほど氾濫しているが、自分に都合のいい解釈を並べ立てている作品が大半で、渋沢栄一翁の『論語と算盤』に勝るものは無いと思っている。

    この本は経営道徳を説くだけでなく、家族や対人関係、そして自身のあり方にも言及している。だから、論語を基本に据えたビジネス書という括りに止まるものではない、論語を基本に据えた人間学の書であり人生哲学の本といえる、それが渋沢栄一翁の『論語と算盤』である。

    なお、この作品に少しでも得るものを感じられたら、渋沢翁の『論語講義』に進まれるのも良いと思う。これを購入して読むには値が張るので、図書館で借りるのも一考。
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    投稿日:2011.02.25

  • genpoudou

    genpoudou

    現在大河ドラマ『竜馬伝』が人気です。幕末の混乱期に颯爽と登場し、疾風怒濤のようにその生涯を駆けた竜馬の姿が、この混迷する時代に重なるのかもしれません。また、福山雅治のかっこよさも人気の秘密なのでしょう

     この『竜馬伝』で、ストーリーテラーとして登場するのが三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎。演ずるは香川照之。香川照之の演技があまりにも印象的なため、そちらにばかり目が向きがちになます。

     岩崎弥太郎と同じ時代に活躍した“日本資本主義の父”とも称されるのが、渋沢栄一。渋沢栄一はもともと徳川慶喜に仕える幕臣でありましたが、様々な紆余曲折を経て大蔵省に入り、その後は大蔵省も退官して実業界へと転進していった方です。実業界に転進してからは、第一国立銀行(現・みずほ銀行)の設立をはじめ、東京ガス、帝国ホテル、王子製紙など多種多様な企業の設立をしていき、その数は500以上にものぼるといいます。また、実業界だけではなく、日本赤十字社の設立や、関東大震災の復興に全力を尽くすなど、社会活動家としての面も強い方です。
     実業と社会貢献という二つのバランスをうまく取りながら生きた渋沢栄一の名著が、
    『論語と算盤』です。実業という世界は、とかく利益優先になりがちなところがあり、その行為は他者を追いやることにもなりかねません。そこで渋沢栄一は、実業の世界を生きていくうえで、自らに課した倫理的よりどころを『論語』に求め、その経済方針は、「道徳経済合一説」とも言われます。
     『論語』と言いますと、とかく融通が利かない時代遅れな思想と思われがちで、最近でもあまり省みられることが少なくなってきたように思います。しかし、『論語』が経済を批判する思想だという指摘は、決して妥当ではありません。『論語』の思想をうまく活用することで経済を活かすことができる、それを実際に渋沢栄一が体現しています。
     経済が加速しながらグローバル化し、人々の生活を脅かす存在になりました。巨大な経済、つまり無軌道になってしまった巨大なお金の力が、普通の生活を破壊している時代です。そこに歯止めをかけるには、経済界にも“思想”が必要なのではないでしょうか。

     人間の心と経済の豊かさをバランスよく求め、そしてそれを実現した渋沢栄一のエッセンスがつまった本書は、現代を生きる指針として今に通じるものが多々あります。


     本書の中からの抜粋です。

    事柄に対していかにせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える、そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、世は断然自己を捨て、道理のあるところに従うつもりである。


    自己よりも他者を考える・・・道理、道に従う・・・実業も生きるヒントも、ここにあるのかもしれません。
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    投稿日:2010.08.31

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