この作品のレビュー
平均 3.8 (14件のレビュー)
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ゲームで流行り神というのがありますが
呪い、人の心の闇、闇をコントロールするシステムと変遷。
ただ、超常的な事はそれだけでは語れないとも思います。
ですが、人の心が積極的に生み出し枠にはめていく過程と歴史は現代社会にも強く結びつくと思い…ました。
これを悪用するのが
ステルスマーケティング、DNなんとかと言う会社がやらかしたこと、ガチャコンプ、催眠商法などだと。
知っていると知っていないとでは、警戒の仕方が違う。また、クレームに対応するという「心の縛り」もこれらの呪いの流れにあると感じました。
思考判断の材料として凄く参考になった。
続きを読む投稿日:2016.12.09
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紫綬褒章受章した、シャーマニズムとか妖怪論とか民間信仰が専門の研究者の本なんだけど、すごい面白い。こういう分野こそ日本が凄く表れてるなと感じる。狗神っていう天海祐希の映画に出てきた狗神の話も…実話として出てきた。
小松和彦
1947年、東京都生まれ。国際日本文化研究センター所長。埼玉大学教養学部教養学科卒業、東京都立大学大学院社会科学研究科(社会人類学)博士課程修了。専攻は文化人類学・民俗学。2013年、紫綬褒章受章
私が調査のとき出会った、村外から祈禱をしてもらうためにやってきた女性は、犬神に取り憑かれて二十年以上も苦しめられたという。その症状をくわしく聞くことはできなかったが、犬神が暴れるときには、自分の身体が自分の意志でコントロールできなくなるのだそうである。いろいろな病院を回り、評判の高い各地の祈禱師にも祈禱をしてもらったが、まったく効果がなかった。そこで、 一縷 の望みを託して物部村の祈禱師に憑きもの落としをしてもらい、やっとのことで犬神から解放されたという。 憑きもの筋のなかでも圧倒的に数が多いこの犬神統の起源について、物部村で広く語り伝えられているのは、次のようなものである。 むかし、ある人間に激しい恨みをもつ者がいて、その恨みを晴らすために、自分の飼い犬を首だけ出して土のなかに埋め、犬が空腹に苦しみだしたころをみはからって、「どうか私の恨みを晴らしてくれ」と頼んで首を切り落とし、その霊魂を憎むべき敵に送りつけて殺したという。その子孫が犬神筋だというのだ。
物部村の人によれば、犬神は神とはいっても犬の霊を神として祀り上げたもので、偉い神様にくらべればはるかに 位 が低く、頭もそれほど良くないという。だから、善悪の判断があいまいで、結果的に悪行を犯してしまうというのだ。そして、いったん人に取り憑くと、トランス状態に陥らせてふだんの意識を失わせ、その結果、憑かれた人は犬神の意識になって異様な言葉をしゃべったり、犬のように四つんばいになって動き回ったりするという。 こうした犬神をはじめとする動物霊を祀っているとされた家筋は、血を通じて広がるというので 婚姻 を忌避されることも多かった。差別された家筋だったのである。
しかしながら、物部村でも、人間にふりかかる災厄・不幸の原因がすべて呪いのせいにされるわけではない。「神秘的なもの」の一部に呪いがあるということなのである。村びとは、災厄の原因を知り、それを除いてもらうためにいざなぎ流祈禱師をやとう。祈禱師は、求めに応じて「神秘的なもの」についての信仰知識のなかから、いかなる「神秘的なもの」が災厄をもたらしたのかを確定したのち、その災厄を除くための儀礼、つまり「治療」を行なうのである。そして、その治療の基本にあるのが「 祓い」である。
「呪い」とは敵意の表明であり、殺意の表現でもある。もし、面と向かって誰かから「おまえを呪ってやる!」という言葉を浴びせかけられれば、誰だってなにがしかの不安感や恐怖心をいだく。
なにしろ、「神秘的なもの」に対して、科学的解釈は無力である。いや、「非科学的」というレッテルを 貼って、はなから相手にしない、といったほうがはるかに正確かもしれない。
まえにも述べたが、法は集団としての秩序維持のために、千差万別の感情をもつ人の行動を処するために生まれた。しかし、最初から、人は法と感情の 乖離 に悩まされることになる。法は、人間の感情までも処することはできないからだ。いままでみてきたように、支配者がいくら呪いのパフォーマンスを摘発し、処断しても、発生を予防することも裁くこともできない人の呪い心は、次々と新たな呪詛事件を生み出していった。
胸に手を当ててよく考えれば、あなたもこれまでに一度や二度は誰か憎らしい相手に「呪い心」をいだいたことがあるだろう。それが人間というものである。そうした呪い心をいだき、さらには実際に呪いのパフォーマンスを行なったとしても、それ自体をただちに不当で邪悪なことだとはいいきれないのである。 たしかに、たとえ自分に呪われてもしかたのない理由があったにせよ、呪われる側にとっては好ましいことではない。しかし、立場変わって呪う側にしてみれば、その呪いはけっして邪悪なものとはならないはずだ。正当な攻撃、つまり 復讐 なのである。
これは、これまでみてきた政治的呪詛事件でも同じことだ。もし、私たちが菅原道真を失脚させた側にくみするものであれば、道真が陰謀を恨んで怨霊となり、災厄をもたらしているとすれば、その祟りは邪悪な攻撃であり、防ごうと躍起になるはずである。逆に、道真の側に立てば、祟りは当然の報いであり、正当な制裁ということになる。
前章で紹介した高知県物部村に、次のような例がある。高知市内からやってきた人に呪いを依頼された、いざなぎ流の 太夫 から直接聞いた話である。それによると、依頼者が誰かに大金を盗まれた。だが、警察の調べでは犯人はあがらなかった。彼は犯人に対する復讐の念を消すことができず、呪いを引き受けてくれる者を探し回った末に、物部村にやってきたというのだ。太夫はいたく同情し、犯人に向けて呪いをかけてやったという。
さらに、それは、国家が個人の殺人は「邪悪」だと判定するいっぽうで、自分たちが遂行する大量殺人つまり戦争に対しては、つねに「正義」だと主張しようとするのと同じことである。
この両者の性格の違いによって、生者の呪いは否定的にみられてきたのに対し、死者の呪いはどちらかというと肯定的に、つまり為政者の悪政への批判としてとらえられてきた。菅原道真や崇徳上皇の怨霊が、たんに社会や自然の混乱・異変の原因としてではなく、人びとの世直し・御一新願望とドッキングして登場してくるのは、そのあらわれでもある。
蛇、犬、狐、 蜥蜴、 蝦 蟆、 蟷螂、 蜈蚣、 蝗 などの動物を何十匹もひとつの容器に閉じ込めて共食いをさせ、最後まで生き残ったものを呪術に用いる。生き残ったものの生命力と、殺されていったものの恨みの念を呪術的パワーに用いようというわけである。この先の具体的な呪法はよくわかっていないが、中国の 明 の時代に 著 わされた有名な『 本草綱目』には、生き残った動物を殺し、干して焼いた灰を呪うべき相手に飲ませる、と記してある。 用いる動物によって、蛇ならば 蛇 蠱、犬は 犬 蠱、狐は 狐 蠱 などと呼ばれていた。1章で紹介する 物部 村に伝わる犬神の製法も、これと同質のものである。
ほかにも、独特のテクノロジーを保持するスペシャリストがいる。たとえば、日本古来の巫女の流れをくむ口寄せ巫女・梓巫女の系統がそうである。口寄せ巫女というと、現在では死者の霊をこの世におろすことで知られる東北・下 北地方の イタコ ぐらいしか思い浮かばないが、巫女たちもまた呪詛を引き受けていたらしい。次のような話がある。 延喜 三年(九〇三)、 醍醐天皇の子どもを 身 籠った太政大臣藤原基経 の娘 穏 子 は、臨月のころ、しばしば邪気(物の怪)に悩まされた。見兼ねた兄の 時 平が、天台の験者として知られた 相応 和尚に不動明王法を修させたところ、無事、 東 五条 殿で皇子 保 明 親王を出産した。 このとき、陰陽師に難産の原因を占わせた。すると、この出産を妬んで 厭魅 している者がいるためとわかり、調べてみると、白髪の老婆が東五条殿の板敷きの下で 梓弓 に歯を立てて呪っているのが発見された。この老婆を引きずり出すと同時に、皇子が誕生したという。 まさしく梓弓を呪詛の道具にした梓巫女による呪いである。しかし、私の乏しい知識では、これほどはっきりした巫女による呪詛の記録はほかに見当たらないのである。それには理由がある。
男女和合の願い、その対極にある男女の縁切り、そしてそれがさらに過激となった恋敵への呪詛──そうしたもろもろの願い、とりわけ男性中心社会のなかの女性の私的領域で生じた呪い心を、神に仲介する役割をもつ者として巫女がいたのではないだろうか。だが、まえにも述べたように、文献のなかではその姿はあまりにおぼろげであり、歴史の闇に吸い込まれてしまっているのである。
恋の恨みをいだき、「無言電話」程度では気がすまないから、「丑の時参り」をしてまでも思いを晴らしたいと願う現代の女性がいたら、なにも江戸後期に形式化された作法にこだわることはないのだ。日本の「近代」が準備されたのは江戸時代であり、ポストモダンがプレモダンにつながるという考え方に立てば、いままで紹介してきた江戸以前のいろいろなやり方で、恋敵を呪えばいいのである。ブランド好みの人は橋姫風や鉄輪風がいいかもしれないが、てっとり早い無印良品を望む向きは、釘と金槌を用意して夜中に神社に出向き、神殿の近くの人目につかない木に釘を打ち込めばいいのだ。
さて、ここで注意しておかなければならないことがある。こうした儀礼では、天下の「ケガレ」、すなわち天下 触穢 が天皇に凝縮され、天皇の個人レベルの「ケガレ」のようにみなされているが、実は、天皇の身体の「ケガレ」は、国家の「ケガレ」と対応している。 つまり、天皇が病気を患うことは、国家が病気になっているということであり、天皇の死は国家の死を意味している。それゆえに、朝廷は異常とも思えるほど天皇の「ケガレ祓い」を行なったのだ。続きを読む投稿日:2023.11.17
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