【電子オリジナル特典付】いやでも物理が面白くなる〈新版〉 「止まれ」の信号はなぜ世界共通で赤なのか?
志村史夫(著)
/ブルーバックス
作品情報
【電子版限定特典付】ほんとうは驚くほど面白い物理の話。理科コンプレックスがあっという間になくなる! 肉屋の肉はなぜ美味しそうに見える? 人工衛星はなぜ地球を周回できる? 朝日や夕日はなぜ赤い?カウンター・パンチはなぜ強烈? 圧力鍋はなぜ短時間で煮える? 紫外線が皮膚がんを起こすのはなぜ? 宇宙船内は無重力状態じゃなかった! ──すべての答えは「物理」が知っている!
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商品情報
- 著者
- 志村史夫
- ジャンル
- サイエンス・テクノロジー - 数学・物理学・化学
- 出版社
- 講談社
- 掲載誌・レーベル
- ブルーバックス
- 書籍発売日
- 2019.03.13
- Reader Store発売日
- 2019.03.13
- ファイルサイズ
- 20.3MB
- ページ数
- 312ページ
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この作品のレビュー
平均 4.0 (10件のレビュー)
-
おもしろかったのは、虹がなぜできるか、なぜ空は青いのかを説明してくれた点と、原子などの大きさを身近で実感できるものに置き換えてくれた点です。
逆に不満だった点は、トピックやエピソードがぶつ切りで、物理…学の全体構造や、理論の歴史的発展のストーリーなどが伝わらないことです。そういえば、この本では「物理」といってますが、「物理学」じゃないんですね。なんか違和感。
あとは印象論にしかなりませんが、超入門書を銘打っておきながら、けっこう数式を使ってます。ないほうがいいのでは?と思いました。いわゆる理系アタマはよかれとおもって書きがちで、いわゆる文系アタマの読者が拒絶しがちなパターンなんですよね。それと、ちょっと安易に我田引水しすぎですね。いくらなんでも、般若心経をもちだすのはフィールドがちがうでしょう。自分で納得するのは妨げませんが、こうした入門書で書く事柄ではないと思いました。(2019年5月4日読了)続きを読む投稿日:2019.05.11
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志村史夫(しむら・ふみお)
1948年、東京・駒込生まれ。工学博士(名古屋大学・応用物理)。日本電気中央研究所、モンサント・セントルイス研究所、ノースカロライナ州立大学教授(Tenure:…終身在職権付)、静岡理工科大学教授を経て、静岡理工科大学名誉教授。応用物理学会フェロー・終身会員、日本文藝家協会会員。日本とアメリカで長らく半導体結晶などの研究に従事したが、現在は古代文明、自然哲学、基礎物理学、生物機能などに興味を拡げている。物理学、半導体関係の専門書、教科書のほかに『古代日本の超技術』『古代世界の超技術』『人間と科学・技術』『アインシュタイン丸かじり』『漱石と寅彦』『「ハイテク」な歴史建築』『日本人の誇り「武士道」の教え』『文系? 理系?』などの一般向け著書も多数ある。
https://www.evernote.com/shard/s469/sh/4d7eaac4-79e7-880c-82ae-66884e30cbf4/
しかし、その後の数十年にわたって「物理」分野で仕事をした私にとっては、「光の正体」がだんだんわからなくなってきた、むしろ不思議さが増してきた、というのが正直なところである。学校の先生や物理学者はみな「光の正体」がわかっているのだろうか、わからないのは私だけなのだろうか、と不安な気持ちになっていた頃、たいへん勇気づけられる本に出合った。
さて、粒子でないとすると、光は何なのだろうか? 結論を先にいおう。光は、〝波〟なのである。
ニュートンの〝光の粒子説〟を「否定」する結果となった「光の干渉実験」の後、ヤングはイギリスの学界で袋叩きにあってしまった。 あの 偉大なニュートンの権威を傷つけるとは何事か! ということであったろう。程度の差こそあれ、「学界」と称する場ではどこにでもある話である。 〝マルチ人間〟ヤングらしいのは、そんな騒動に嫌気がさしたのか、さっさと光の研究から足を洗い、古代エジプト文字およびパピルスの研究に転じ、象形文字の解読に多大の貢献をしたことである。古代エジプトに関わる考古学といえば必ず登場するのが、1822年にシャンポリオン(1790~1832) によって解読された「ロゼッタ石」であるが、その解読の基礎を築いたのが、エジプト学者としてのヤングだったのである。 ヤングのような〝マルチ人間〟を見るにつけ痛感することだが、総じて昔の科学者は一人で広範囲の仕事をしている。それに比べ、近年の「学者」の〝守備範囲〟は非常に狭くなってしまった。科学も技術も「進歩」すればするほど、より細分化され、その内容も専門的で「高度」なものになる。そして必然的に、体系あるいは〝自然〟の全体を把握するのが困難になるのだ。これは、〝木〟ばかり見て〝森〟が見えなくなるという重大な問題につながる、と私は思っている。
太陽光によってつくられる美しい虹の話をする際、〝赤色の光〟というような言葉を使った。また、「虹の色は 何 色 か」という問いに対する正しい答えは「無数」であると書いたばかりである。それなのに、 光には色がない などというと、詐欺のように思われてしまうだろうか。しかし、事実として、〝光自体には色がない〟のである。
色とは、光が目に入り、大脳にその刺激が伝えられたときに生じる〝感覚〟である。いわば、光は、そのような〝感覚〟を生じさせるものにすぎない。もう少し まともな いい方をすれば、そのような〝感覚〟を生じさせるエネルギーが光である。
晴天の日の昼間の真っ青な空は、私たちをじつに清々しく、快い気持ちにさせてくれる。心も自然に晴れやかになってくる。曇天の空は、これとはまったく逆である。 ここまでの話で想像がつくと思うが、じつは、晴天の日の昼間の空が青く見えるのは、 地球上から眺めた場合 の話であって、空自体が青に〝着色〟されているわけではない。 最近は、地球上を周回する国際宇宙ステーションからの地球や宇宙の映像をテレビを通して見られる機会が少なくないが、光り輝く太陽の背景は決して青空ではなく、真っ黒である。前掲図1‐19 に示したように、月面越しに眺める空も〝青空〟ではなく〝真っ黒空〟である。
家の中を見渡してみよう。家具などのほかに、さまざまな「電気製品」が目に入るはずである。テレビ、それを操作するリモコン、ラジオ、パソコン、電話(バッグの中には携帯電話)、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、IH、……、
アインシュタインはたった一人で、きわめて短期間に、間違いなくノーベル賞に値する仕事を少なくとも三つは行った大天才なのである。私は、アインシュタインのことを、 20 世紀最高の、しかも群を抜いて最高の物理学者だと思っている。
磁石の歴史は非常に古く、鉄を吸いつける奇妙な石があることに人類が気づいたのは、紀元前7世紀頃のことと考えられている。この神秘的な石はギリシャのマグネシア(Magnesia)地方で多く見つかったので、この"Magnesia"が磁石を表す"magnet"の語源になったという説がある。
磁石をどれだけ、たとえ原子のサイズまで分断していっても、そこには必ずS極とN極が対になって現れるのである。究極の最小の〝磁石〟は1個の電子である。
いま、究極の最小の〝磁石〟について述べたが、地球が〝巨大な磁石〟であることはよく知られている。だから、羅針盤(コンパス)の針(これも〝磁石〟なので〝針磁石〟とよぼう)は、S極とN極の引力と斥力によって地球の南北を指すのである。地球の北極を指すのが針磁石のN極で、地球の南極を指すのが針磁石のS極である。ちょっとややこしいが、地球の北極には地球という巨大磁石のS極があり、南極にはN極があることになる。
ある量やデータを連続的曲線のように扱うのが「アナログ」であり、飛び飛びの数値として扱うのが「デジタル」である。デジタルは、語源の〝デジット(0から9までの数字)〟から出た言葉で、一つ一つ数えられる概念、数字化の概念である。一方の〝アナログ〟は、〝類似〟とか〝相似〟といった意味で、変化を連続的にとらえる概念である。
私たちが実感する自然界や社会の現象、色や音や像や時間などはすべてアナログ的(連続的)だが、これらをデジタル化してしまえば、情報処理がきわめて容易になる。ITは、文字や映像に限らず、色でも音でもその他なんでも、あらゆる情報をON/OFFあるいは0/1でデジタル化して処理する。換言すれば、どのような情報もデジタル化しないとIT化できない。 確かに、情報や現象を「白か黒か」という二つの両極端の性質の組み合わせに変換してしまえば処理は楽になり、誤認の確率も小さくなる。たとえば、印刷が不鮮明なため、あるいは文字が小さいために3なのか8なのか、5なのか6なのか判別しがたいような場合があるが、これらが「白」と「黒」の組み合わせで処理されれば、まぎらわしい両者の違いは一目瞭然になる。
デジタル化の根底にあるのが「2進法」である。 私たちはふだん、数を数えていくとき、 10 で桁上げをする 10 進法を使っている。 10 進法は古代から諸民族で用いられているが、起源は明らかに、私たちの手と足の指の数がそれぞれ 10 本であることに深く関わっている。日常生活で私たちが意識することはまったくないが、 これ なくして、現代の私たちの生活は成り立たないというのが2進法である。 2進法で使われる数字は、0と1の二つだけだ。したがって、2進法では2以上になると桁上げされ、たとえば 10 進法の2は 10、3は 11、4は100、 10 は1010という具合になる。私たちは2進法に慣れていないので、 10 進法の数と2進法の数との対応が直感的にはわからない。しかし、2進法の表記が少々長たらしくなるだけで、なにしろ数字は0と1の二つだけなのだから、表記法自体はきわめて単純である。
いま述べたことは、野球にせよゴルフにせよテニスにせよサッカーにせよ、一度でもボールを打ったり蹴ったりしたことがある人ならば誰でも経験的に知っていることであろう。このように、〝経験的に知っていること〟を〝理論的〟にスッキリさせてくれるのが物理学なのである。
ここで私は、移動したときにのみ〝仕事〟を行う熱は、人間が持つ 金 と似ていることに気づいた。金もまた、移動したときにのみ〝仕事〟をする存在である。つまり、金は移動したときに限って、私たちに物や楽しみや喜びを与えてくれる。世の中には、金を持っていること自体が喜びであるという人もいるようだが、一般的には、たとえどれだけたくさんの金を持っていても、それを移動させないかぎり、つまり使わないかぎり、いかなる物も楽しみも喜びも生まれない。金を持っていること自体が喜びであるという人以外の普通の人にとって、金は「目的」ではなく、あくまでも「手段」だからである。 とてもよく似た性質を持つ熱と金ではあるが、両者で決定的に異なる重要な違いがある。熱は、高温部から低温部へ移動するのみで、決して逆方向には移動しないが、人間の金の場合は、この自然界の大法則が必ずしも成り立たないのである。つまり、自然界の大法則に則れば「金は〝金持ち〟から〝貧乏人〟へ移動するのみで、決して逆方向に移動することはない」でなければならないのだが、人間社会では、これとは逆に、金が〝貧乏人〟から〝金持ち〟へ移動する(〝金持ち〟が〝貧乏人〟から金を巻き上げる)という不自然なこと、不条理なことがしばしば起こるのである。 私はやはり、自然界は美しく、人間界は美しくないという想いを強くある。
ダイヤモンドは〝宝石の王様〟だけではなく、〝材料〟という広い観点から見ても〝王様〟とよぶにふさわしい。たとえば、ダイヤモンドはこの地球上で最も硬い物質である。その比類なき硬さが珍重され、ダイヤモンドは工業的に広く利用されている。
しかし、さまざまな炭素の単体の中で、ダイヤモンドが最も稀少であり、貴重でもあり、最も高価であることは確かである。そして、炭が最も安価である。さまざまな観点から見てダイヤモンドが炭や鉛筆の芯と比べて「価値」の高い物質であることは確かなのだが、その「価値」は、あくまでも用途を考えた 人間の価値観による 価値、〝材料の王様〟としての価値であって、自然にとってはまったく関係ないことである。自然が、ダイヤモンドという宝石を欲しがるわけではない。自然が、ダイヤモンドの用途を考えるわけでもない。
私は、歴史的な遺物を見たり遺跡を訪ねるのを趣味の一つにしており、これまでにエジプト、ギリシャ、イタリア、ペルー、中国など、古代史を彩る遺跡や遺構を訪ねてきた。いずれもスケールの大きさ、技術的なすごさ、美しさに圧倒されるばかりであるが、なかでも私が特別に感動したのが、エジプト・ギザに立ち並ぶ三大ピラミッドである。そこにあるクフ王のピラミッドは現存する最大のピラミッドで、高さ約140m、底辺は約230mもある。
このピラミッドの写真は何度も見ていたが、実際に目の前にしたときの、その大きさに対する驚き、そして、それを建造した古代エジプト人に対する驚きは、とうてい筆舌に尽くせるものではない。 私は、ピラミッドの形そのものに魅了される。まことに美しい形だと思う。このように美しい形を最初に思いついたのは、どのような人間なのだろうか。何か参考になるものはあったのだろうか。不思議に思う。 じつは、このピラミッドの形は、天然のダイヤモンドや磁鉄鉱、さらには〝半導体の王様〟であるシリコン( Si)などの結晶の〝理想形〟である正八面体(図4‐12 ⓑ)を真っ二つに切った形と ほとんど 同じなのである。長らく〝シリコン結晶のピラミッド〟を電子顕微鏡で観察していた私は、 30 年ほど前、現実のクフ王のピラミッドを目の前にしたとき、両者の相似性に驚愕したことをいまでもはっきりと憶えている。 じつは、ある条件下で半導体結晶を成長させると、ピラミッドの形そのものになる。図4‐13 は、シリコン結晶の面上に成長させたシリコン・ゲルマニウム結晶の走査電子顕微鏡像である。結晶学にかかわる記号や数が書かれているが、それらは無視し、形だけに注目していただきたい。他方、図4‐14 はギザの三大ピラミッドの航空写真なのだが、図4‐13 と見比べると、互いの相似性に驚くのではないだろうか。
ダイヤモンドや磁鉄鉱のような天然の結晶や、人工の半導体結晶であるシリコンがピラミッド形になるのは、それが物理的、化学的、結晶学的に安定だからである。自然は〝安定〟を好む。不安定なものは、長い歴史の中で 淘汰 されてしまう。自然の歴史に耐えるのは、安定なものに限られるのである。 とはいえ、古代エジプト人が、その〝結晶ピラミッド〟と ほとんど 同じ形のピラミッドを建造したことを、どのように説明すればよいのだろうか。単なる試行錯誤の結果なのだろうか、それとも彼らは、自然が造り上げた〝結晶ピラミッド〟から学んだのであろうか。 私は、自然の神秘とともに、古代エジプト人に対しても、畏敬の念を抱かざるを得ないのである(拙著『古代世界の超技術』講談社ブルーバックス)
私たちの人生を考えてみると、図4‐16 ⓐのような状況に置かれることがあるだろう。先がまったく見えない状況である。壁に突き当たったり、スランプに陥ったりして、 二 進 も 三進 もいかなくなった状態だ。ブルドーザーのように、あるいはドリルで穴を開けるように、強引に突き進むのも一つの方法かもしれない。気が弱ければ諦めるか、最悪の場合は自殺してしまうかもしれない。 しかし、少し見方や視点を変えることで、図4‐16 ⓒのように、サアーッと道が開ける可能性があることを、この結晶模型は、私たちに教えてくれている。同時に、物事や人物を見るときは、一方向、一面だけではなく、多角的、多面的に見て、その姿や価値を正しく評価することの大切さも教えてくれている。
〝結晶〟に教えられることが少なくないと先に述べたが、同様に、〝宝石〟に教えられることもまた少なくない。〝宝石〟に教えられることの第一は、前掲表4‐1や前掲表4‐2を眺めていただければわかるように、「どこにでもある、ありふれたモノから貴重なモノができる」ということである。同じ素材、限られた素材でも、工夫次第で、予想もできなかったような素晴しいモノをつくり得るのである。
また、装飾品としての宝石や〝現代のスーパー宝石〟半導体を見て、つくづく感心するのは〝不純物〟、〝添加物〟の妙味である。宝石の美もエレクトロニクスも、〝異端者〟あってのことなのだ。日本のような〝均質社会〟においては、とかく〝異端者〟は嫌われがちだが、異質なモノこそが色や味を添え、また母体や組織に思わぬ力を発揮させることを知っておいて損はない。 確かに〝不純物〟は、ある意味では〝欠点・欠陥〟である。世の中に〝完璧・無垢〟な人間は一人としておらず、誰でも〝欠点・欠陥〟を持っている。〝宝石〟は私たちに、それらを活かすことを教えてくれているのではないだろう。
ここで、私が大好きな金子みすゞ(1903~ 30) の詩「星とたんぽぽ」を紹介しておきたい。
青いお空の底ふかく、 海の小石のそのやうに、 夜がくるまで沈んでる、 昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。
散つてすがれたたんぽぽの、 瓦のすきに、だァまつて、 春のくるまでかくれてる、 つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。
私は一人の人間として、特に自然科学者の端くれとして、この詩を読むたびに、〝やさしさ〟と〝謙虚さ〟が、自分自身の中に湧き上がってくるような気持ちにさせられる。これは、私にとって、とても大切な詩なのである。
20 世紀には、「自然観革命」が起こったといわれる。具体的には、現代物理学(量子物理学)の誕生を指している。現代物理学に対比されるのが、それ以前に確立されていたニュートン力学やマクスウェルの電磁気学などを基盤とする古典物理学である。もちろん、物理学に〝古典〟が冠せられるようになったのは、〝現代〟物理学が誕生してからのことである。 古典物理学は、人間的スケールから宇宙スケールまでのマクロ世界の諸現象をじつに見事に説明し、また見事に予測する。しかし、 20 世紀に入り、観測技術の進歩にともなって原子や電子などミクロ世界の研究がさかんになると、従来の物理学、つまり〝古典〟物理学ではどうしても説明のつかない問題が続出した。この新しい問題(難題!)を説明するために考え出されたプランク(1858~1947) の「量子論」が「自然観革命」、つまり現代物理学(量子物理学)誕生の契機となっている。
そのマクロ的性質を体系化したのが古典物理学であり、ミクロ的性質を体系化するのが量子物理学である。マクロ世界がミクロ世界の集積であるならば、古典物理学がミクロ世界を説明できなくても、量子物理学はマクロ世界を説明できなければならない。つまり、図4‐32 ⓐのような白黒写真を見て、その説明が〝黒点〟にまで及ばなくてもよいが、ⓒの〝黒点〟はⓐの写真を説明するものでなければならない。
現在の物理学はたしかに人工的な造営物であってその発展の順序にも常に人間の要求や歴史が影響する事は争われぬ事実である。 物理学を感覚に無関係にするという事はおそらく単に一つの見方を現わす見かけの意味であろう。この簡単な言葉に迷わされて感覚というものの基礎的の意義効用を忘れるのはむしろ極端な人間中心主義でかえって自然を蔑視したものとも言われるのである。
アインシュタインが立てた大胆な仮説は、次のようなものだった。 「光速は、光源や観測者の運動状態に関係なく、つねに一定である」(光速不変の原理) この仮説が正しければ、物理学者を悩ませてきた「光の謎」(それまでの物理学の「常識」を前提にしていては絶対に解けない謎だった)はすべて解決する。アインシュタインは、 物理学者らしくなく「光は別モノと考えればいいんじゃないか」と考えたのである。これは、一種の掟破りのような発想である。なにせ、これまで物理学者が悩んでいたのは「すべてのものに共通の法則がある」という前提で物事を考えていたからである。それを「例外があってもいいじゃないか。そう考えればすっきりする」というのだから。 だが、結論をいえば、この「光速不変の原理」は掟破りの仮説などではなく、まさしく〝真理〟であり、〝自然法則〟だったのである。図5‐1を用いて、「光速不変」の意味を確認しておこう。
常識的に、あるいは私たちの日常的感覚から考えれば、「光速不変」も光の諸性質も依然として不可解である。しかし、厳然たる事実として、光は私たちが知っているものとはまったく違ったふるまいをする特別なモノであると考えるほかはない。なんといおうが、光は〝別モノ〟なのである。つまり、光速は私たちが理解してきた 普通の 速さ、つまりガリレイやニュートンの物理学で説明されるような速さではなく、自然法則の中に組み込まれた普遍的、かつ絶対的な〝定数〟なのである。光速は、3‐1節の式3・1に示した「進んだ距離」と「それに要した時間」から求められるような〝二次的な量〟ではなく、宇宙の絶対的な真理なのである。
私にとって、光が依然として不可解きわまりないモノであることに変わりはないが、ひとたび「光速不変」を〝自然界の真理〟として否応なしに認めてしまえば、「相対性理論」は決して理解しがたいものではない。 光速の不変性、絶対性を認めてしまえば、上記の①~⑥の不可解なコトが当然に思えてくるはずである。読者のみなさん、どうか安心してください。 ノーベル賞級の仕事をした物理学者であり、数々の名随筆を遺した文学者でもあった寺田寅彦が、いみじくも「アインシュタインの相対性原理は、狭く科学とは限らず一般文化史上に一際目立って見える堅固な石造の一里塚である」と述べたように、アインシュタインの「特殊相対性理論」は物理学における革命的な理論であったばかりでなく、広く、哲学や芸術の分野にまで革命的な影響を及ぼした。たとえば、 20 世紀の天才画家・ピカソ(1881~1973) の、あの奇怪なキュービズム絵画はアインシュタインの影響なしに語れないだろう。私には、アインシュタインが「相対性理論」で論じる「時空」(後述)と、ピカソが「キュービズム」で描く「時空」がそっくりになる。
このことは、有史以来、誰もが信じていた「絶対時間」が否定されたのと同じように、誰もが共通、不変と信じていた「絶対空間」が否定されたことを意味する。つまり、時間も空間も絶対的、普遍的なものではなく、運動状態によって変化し得るということである。この世界には(物理用語を使えば慣性系ごとに)固有の時間があり、その時間は、その空間によって決まるということを意味しているのだ。すなわち、時間と空間は切っても切れない関係にあり、それらを独立に扱うことはできないのである。このあたりの時間や空間のことは、一度読んだだけでは頭に入りにくいと思う。なにせ、長年物理学に従事した私ですら、理解するのに一苦労したのだ。
ここでもし、物体が移動する速さである v が光速 c よりも大きくなると、ルートの中がマイナスになってしまう。平方根の定義から、ルートの中はある数の2乗にならなければならず、それは必ず「正の数」だから、ルートの中がマイナスの数になれば、それは現実には成り立たない式になってしまう。逆にいえば、「光速より速く動くものはない」と理論的に結論づけられるのだ。 事実、素粒子物理学の分野で最先端の大型加速器を使って光速より速い素粒子をつくり出す実験が進められているが、 それ は実現されていないし、宇宙に そのようなもの は発見されていない。もし、光速より速く動くものがあるとすれば、どのようなことが起こるだろうか。
アインシュタインが「 E = mc 2」を発表した1905年以前から、マリー・キュリー(1867~1934) やピエール・キュリー(1859~1906) らの放射能に関する研究によって、質量とエネルギーの関係は予見されていた。しかし、ハーン(1879~1968) らによって、中性子を照射するとウランの原子核が2個に分裂し、中性子と多くのエネルギーを放出する「核分裂」反応が発見されたのが1938年だった。
たったいま、「物質とエネルギーについて かなり理解できた と思う」と書いたばかりだが、じつは、 21 世紀に入った直後の2003年に、きわめて衝撃的な事実が判明した。「万物は原子からできている」という古代ギリシャ以来の私たちの常識が、いともあっさりと 覆されたのだ。しかも、私たちが知る原子が宇宙に占める割合はたったの4%にすぎず、残る大部分の 96%が「原子以外のモノ」だというのだ。つまり、数千年に及ぶ知の蓄積を通して私たちが知った宇宙は、わずか4%にすぎなかったのだ。まさしく「 21 世紀最大の衝撃的な話」だが、それでは、この宇宙の 96%を占めるという「原子以外のモノ」とはいったい何なのだろう? 結論を先にいえば、それはまだ、わかっていない。正体不明なのである。
物理学者としてのアインシュタインにとって何よりも深刻だったのは、等速直線運動しか扱えない「特殊相対性理論」が、重力がはたらく場所では使えないことだった。そして、「特殊相対性理論」は、この宇宙を支配していると考えられる重力を説明できなかった。
特に晩年の「富嶽三十六景」の中には、天才・北斎ならではの構図の絵が少なくない。その1枚が図6‐1に示す「神奈川沖浪裏」である。数ある北斎の傑作の中でも、私が「最高傑作」と思っている絵である。「浪裏」という題名も 洒落 ている。まさに〝波〟を大胆に描く絵であり、〝主役〟である富士山(富嶽)を小さく、遠景に配している。
耳に飛び込んでくる〝 音〟も、空中を伝わる波である。だが、音を波として実感することはない。それは、耳には聞こえる音が、〝波〟としては目に見えないからである。また、私たちの周囲や上空を飛び交う〝電波〟は、見ることも聞くこともできない波である。テレビやラジオは、そのような波を、私たちの目に見える像、耳に聞こえる音に変換してくれる装置である。さらに、現代物理学は、物質の構成要素である素粒子や電子が(したがって、ちょっと信じがたいことではあるが、私たちの身体や周囲の物体までも!)〝波〟の性質を持っていることを教えている。これもまた、〝物質波〟とよばれる、れっきとした波なのである。
じつは、〝津波〟は〝波〟ではない。津波は、台風のときなどに見られる高波の一種ではない。 いま述べたように、〝波〟は媒質(この場合は海水という物質)の振動が伝わる現象であり、海水という物質そのものが海岸まで運ばれるものではない。津波は、震源地の海底から水面までの巨大な体積の物質(海水)、つまり巨大なエネルギーの塊が海岸に 押し寄せてくる 現象である。ウエイビングの例でいえば、満員の観客が大挙して押し寄せてくるようなものである。したがって、津波は〝防波(潮) 壁〟などで防げるものではないのである。私は「〝津波〟は〝波〟ではない」ということを強調するために「津浪」という言葉を使うことにしている。
ところで、私は中学校の修学旅行で京都・奈良へいって以来、仏教建築や仏像を眺めるのが大好きになり、いまでも年に数回は京都・奈良の古寺を訪れている。数ある仏像の中で、特に私が好きな仏像の一つは法隆寺の 百済観音立像である。
頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。 (「科学者とあたま」) 私が敬愛する寺田寅彦の言葉である。 寅彦がいいたいことはよくわかる。これは「科学」のみならず、どのような分野においてもいえることだろうと思う。続きを読む投稿日:2023.09.19
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