この作品のレビュー
平均 4.0 (2件のレビュー)
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入門書ってなっていますが、読み物として面白いです。アラブ文化やイスラーム世界の慣習などのちょこっとしたお話が載っています。
投稿日:2006.07.20
880
宮本 雅行(みやもと・まさゆき)
1957年千葉県館山市生まれ。1981年上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。同年外務省入省。シリアでのアラビア語研修の後、在外では、サウジアラビア、シリア、…米国、イラク(サマーワ)、リビア、モーリタニア、ヨルダン、サウジアラビア(ジッダ)での勤務を経て、2021年よりバーレーン在勤。 著書に『分野別 アラビア語単語帖』(中東調査会)、『はじめてのアラビア語』(講談社現代新書)、『日本語・アラビア語 動詞用例辞典』(国際語学社)、『アディゲ語(西チェルケス語)文法入門』(私家版)が、論文に「ハッサーニーヤ語における仮定文の形式について」(『言語研究』)、「ハッサーニーヤ語詩の形式とその分類について」(『中東学会年報』)がある。
はじめてのアラビア語 (講談社現代新書)
by 宮本雅行
「アッサラーム・アライクム」 さて、マルハバンと並んで、いやそれ以上によく知られているアラビア語の挨拶の言葉が、 です。これは、「サラーム(平和) があなたがたの上にあらんことを」という意味で、これも一日の時間帯や初対面・旧知を問わず使われる言葉です。
この「サラーム」(ここでは定冠詞の「アル」が付いて「アッサラーム」となっている) という言葉は、いわゆる世界平和という時の「平和」だけではなく、心の「平安」という意味合いも持った、とても重要なアラビア語です。 「アライクム」は、「上に」を意味する前置詞のアラーに、「あなたがた」の意味の人称代名詞のクムが付いた形です(ただし、アラークムとならずアライクムと発音が変化する)。実際の発音は「アレイクム」に近いかもしれません。なお、相手が一人でも、同じ言い方をします。 「アッサラーム・アライクム」と挨拶すると、ほぼ間違いなく相手から、 「あなたがたの上に(こそ) 平和があらんことを」という言葉が返ってくるはずです。ここでは、アライクム(あなたがたの上に) が文の先頭に立つことで、「あなたがたにこそ」の意味が込められています。
発音については、アライクムの「ア」は、のどの奥で発する音で、表現は悪いですが、 吐き気 を催した時の音に近いものがあります。ただこれを強調しすぎると、かえって不自然になるので、のどにちょっと力を入れるだけのほうがいいでしょう。 アラビア語には「アル」という定冠詞があり、名詞や形容詞の語頭に付きますが、定冠詞の発音は、定冠詞に続く単語の語頭が特定の子音の場合、アルの「ル」がその子音に同化されて、二重子音(日本語の促音便) で発音されます(つまり、アル・サラームではなく、アッサラーム)。また、アルの「ア」のほうは、先行する単語の末尾の母音に同化されて無音化されます。 したがって、返事のほうは「アライクム・アル・サラーム」ではなく、「アライクムッ・サラーム」になります。 この…
アラビア語は日本人にとって複雑でむずかしい言語に見えますが、必要に応じて文法規則を一つずつ学んでいくと、規則的で精緻な言語体系を持っていることがわかってきます(文法から学ぶ人がいるくらいです)。
動詞文の語順はVSO アラビア語では、動詞を用いる文は、動詞文が基本です。英文法流に、主語をS、動詞をV、目的語をOとすると、動詞文の基本的な語順VSOは、世界の言語の中でも珍しい部類に属するようです。 SOVの日本語や、SVOの英語を話す人間にとっては、どうしてそんな語順になるのか不思議な感じもします。
ある人によれば、アラビア語は広大な砂漠で生まれた言語なので、たとえば遠くの砂丘に何かを見つけた時、まずわかるのは、それが「動いている」とか「倒れた」とかいう動作であり、その後で、それが「ラクダ」だとか「人間」だとかという動作の主体がわかるからだ、とのこと。この「学説」の真偽のほどはわかりませんが、言語の起源の問題ともからんで、興味深いところです。
「母」や「花嫁」が女性名詞なのはわかりますが、どうして「目」や「手」が女性名詞なのかはわかりません。「大地」が女性名詞なのは、ドイツ語(die Erde) やフランス語(la terre) も同じで、やはり「母なる大地」というのは、民族を超えた発想なのかもしれません。 大半の国名・都市名も女性名詞として扱われます。アラブの国名の中では、なぜかレバノンやイラクは男性名詞扱いになっています。
アラブ文学で最も有名な『千夜一夜物語』は、アラビア語で「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」と言います。
さしずめ、ユーミン(松任谷由美) の名曲『14番目の月』は、直訳すれば、
話が動詞の活用にきたところで、アラビア語の話からちょっと脱線します。 筆者が中東で出会った諸言語の中にチェルケス語があります。これは主に北コーカサスに居住するチェルケス人の言語ですが、チェルケス語の動詞は、動詞の短い語幹に、さまざまな短い接辞を付けて、行為者の人称や時制はもちろんのこと、行為の対象(代名詞の場合) や行為の程度やその様態まで表現してしまいます。
ある民族の一般的な気質や性格を表すものとして、その民族独特のことわざが引用されることがよくあります。ことわざは、風土や文化・社会の中で育ったいわば知恵の結晶であり、実際、アラブ人が会話の中でしばしば口にすることわざには、彼らのものの感じ方や考え方を知るうえで役に立つものが少なくありません。
文字どおりの意味は、「水の流れが川岸の高さに達した」、つまり、水量が増して川が 氾濫 しはじめる瞬間に達した、ということで、比喩的には、日本語でいう「頭にきた」「堪忍袋の緒が切れた」に当たります。
日本人から見ると、アラブ人はいわゆる「押しの強い人」が多くて、自分の主張や願望は何としてでも通そうとします。しかし同時に、非常に忍耐強い人々で、他人の主張や願望によく耳を傾け、自分を抑えることもよくあります。ただし、場合によってはその忍耐にも限度があり、その時にアラブ人が発する言葉が、このことわざです。
アラブ人は、個々の人間の能力に差異があることをよくわきまえています。 ですから、ある能力に優れている人を誉めることはあっても、その能力が劣っている人をただそれだけの理由で馬鹿にすることはありません。学校の勉強だってできるに越したことはありませんが、できないからといってその子が否定されるわけではないのと同じです。
文字どおりの意味は、「あなたの 絨毯 の広さに合わせて足を伸ばしなさい」。何とも中近東らしい表現で、何かと無理を重ねてアクセクする日本人にとってジンとくる言葉でもあります。そして、このことわざには、人間の能力なんて全知全能のアッラーに比べたら取るに足らないちっぽけなもの、というイスラムの考え方も反映されているのかもしれません。
そのまま訳せば、「蜂蜜の日、 玉葱 の日」となります。 イスラムの考えでは、人間の一生はアッラーによってすでに定められています(アラビア語では「書かれている」という) が、人間のほうはそうと知ってか知らずか、毎日をアクセク生きています。当然いろいろなことがあるから、楽しいことばかりはない、むしろ 辛い日のほうが多いかもしれません。
ところでアラブ人は、日本人以上に世間の評判や風聞を気にします。自分がある人の悪口を言っていたなんて、本人にはもちろんのこと、あまり親しくない人にも知られたくないことです。他人の悪口を言っても大丈夫なのは友人(サディーク) の間でだけかもしれませ
このことわざはふつう、日本の「うわさをすれば影」に当たるものだとされています。アラブ人の間にも、「狼という言葉を口にすると本当の狼が現れる」という、いわゆる 言霊 信仰に似た考え方があるのかもしれません。
直訳すれば「靴屋は裸足、裁縫師は裸」で、日本で言う「医者の不養生」に当たることわざです。
直訳すれば、「メッカの道のことはメッカの住民がいちばんよく知っている」という意味で、日本の「餅は餅屋」に当たります。
直訳すれば「濁った水で釣りをする」という意味で、日本で言う「漁夫の利」に当たることわざのようです。
直訳すると「人を殺して、その人の葬式に出る」という意味で、いわゆる「厚顔無恥」の極みを表すアラブのことわざです。
直訳すれば、「へりくだった人間は、豊かに実が 生った木のように頭を下げる」という意味で、すぐに思い浮かぶのは、「実るほど、 頭 を垂れる、稲穂かな」という日本の俳句です。
しょせん、他人に話せる「秘密」など大した秘密ではないのです。「秘密というものは、2人以上が知ればたちまち広がる」というこのアラブのことわざは、本当に秘密にしたいことがあるなら、誰にも漏らしてはならないという教えで、アラブ人の「秘密」に対する洞察を見事に表しています。
「胃袋は病の温床、食生活は薬の王者」とでも訳せるでしょう。日本や中国にも同じようなことわざがあるかもしれません。 アラブ諸国は、近年、国民の健康問題に対する意識を高めようと努力しています。
話はそれますが、筆者は昔、十二指腸潰瘍なるものを患い、海外で3度ほど胃カメラをのんだことがあります。最初がシリア人、次がドイツ人、3度目がサウジ人の医師でしたが、最も上手だった(つまり苦痛が少なかった) のはサウジ人の医師で、次が僅差でシリア人でした。いちばんダメだったのはドイツ人医師で、あまりの苦しさに、途中でチューブを引き抜いてやろうかと思ったほどです。
「夜の言葉は、昼が消す」。こんなことわざに出会うと、日本人もアラブ人も同じなんだとうれしくなりますね。 日本でも、夜書いたラブレターを昼間読み返してはいけないというではありませんか。いや、日本とアラブに限らず、古今東西、人間というのは昼間は理性的であっても、夜は感情的になる動物のようです。「昼はロゴスが征し、夜はパトスが征する」とでもいいましょうか。 まことに、「情につけ込むなら、夜」です。
「怒らされて怒らない奴はロバ」。日本人とアラブ人の違いを痛感させられることわざの一つがこれです。
「歯向かうものには鞭」。これもまた強烈なアラブのことわざです。日本人なら、たとえ頭ではわかっても、感情的にはかなりの抵抗感があるのではないでしょうか。
古代バビロニアのハムラビ法典の中に、「眼には眼を」という有名な文言があることはご存じですね。今でこそこの文言は、「眼をつぶされた者が相手に(代償として) 求めることができるのは眼だけである(つまり、眼をつぶされたからといって、相手の命まで奪うことは認められない)」という「同害報復」を定めたものと解釈されていますが、一昔前までは、中東のいわゆる「力の論理」を表す言葉として受けとめられていました。
「沈黙を 悔いたが一度なら、多弁を悔いたは数知れず」というこのことわざ。単に話題をつくるためだけにペラペラしゃべるな、という教えなのでしょう。今でも初対面のアラブ人に会う時は、このことわざを肝に銘じています。
サウジの日本大使館に、とても小柄なレバノン人の女性職員がいました。ある日、身長のことが話題になって、筆者がからかい半分に、「日本には、 山椒 は小粒でもぴりりと辛い、ということわざがあるよ」と言ったところ、すかさず「アラブでは、身長はヤシの木、知能は子羊というのがあるわ」と彼女が切り返してきました。 そういえば、日本にも「ウドの大木」というのがあります。どうやら、アラブでも事情は同じようですね。
コーランの中に、知識を得るためには中国へでも出かけていけ、というくだりがあります。紀元7世紀にアラビア半島で 興ったイスラム教は、知識・学問・科学を非常に重視し、教育という問題に多大の関心を払ってきました。
「小さい頃の学問は、石に刻んだ碑文のごとし」というこのことわざは、教育の中でも、特に初等教育の重要性を訴えるものです。 このことわざを教えてくれたのは、あるシリア人の学校の先生で、初対面の筆者に、とにかく勉強しなさい、と何度も言ったものです。当時二十代半ばであった筆者も、アラビア語については小学生同然だったのです。
アラビア語はむずかしいという声をよく耳にします。これは日本人や欧米人ばかりでなく、アラブ人自身が、自分たちの言葉はむずかしいと考えていて、時には難解であることを誇りにしているように感じられることさえあります(この点は、どこかの国民と似ているかもしれません)。 たしかにアラビア語はむずかしい言葉です。特に日本人にとっては、アラビア語の文字や発音が異質であることや、文法が精緻であることから、取っつきにくく、一定のレベルに達するには相当の時間とエネルギーを必要とします。
アラビア語は文法がきわめて精緻にできているので、その習得には相当の努力を要しますが、アラビア語を使えるようになるためには、文法は避けて通れない道です。 また、特に会話力をつけたいという場合には、文法の習得と同時に、習得したアラビア語のアウトプット、つまり話す練習に努めることが大事だと思います。 話すといっても、最初から高尚なことを話せるはずはありません。 筆者が試みたのは、自己紹介です。名前や職業はもちろんのこと、「私はアラビア語を勉強している。アラビア語はむずかしいけれど、なんとか頑張っている」みたいなことを、アラビア語の先生に文章で書いてもらい、それを暗記して、日々、はじめて会う人ごとに繰り返しました。ダマスカスでは何人のタクシー運転手が、筆者の自己紹介を聞かされたことでしょうか。続きを読む投稿日:2024.05.10
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