NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ
西研(著)
/NHK出版
作品情報
私たちはなぜ生きるのか。既存の権威と価値観を痛烈に批判し、神による価値づけを剥奪された人間が、いかにして自身を肯定すべきかを考えた哲学者ニーチェ。その言葉は時代を越え、いま私たちの深い共感を呼ぶ。二大思想「超人」「永遠回帰」を軸に、本書に込められた「悦びと創造性の精神」を紐解く。NHK放送で大好評を博したテキスト2011年度シリーズを単行本化! 本文、詳細な注釈に加え、番組4回で放送されたゲストとの対論、読書案内などを新たに収載した完全保存版。
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この作品のレビュー
平均 4.1 (38件のレビュー)
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【読もうと思った理由】
ツァラトゥストラ(光文社古典新訳文庫)の上下巻あるうち、下巻の2/3ほど読み進めて、ふと我にかえった。このまま最後まで普通に読み進められるけど、「なんかイマイチ心に響かない」。…このまま読了しても良いのだろうか?いや、ダメだろうと。このまま読了すると、ニーチェに対して苦手意識を持ってしまうかもしれないし、下手をすると、「やっぱり哲学って、こ難しいから、今後哲学を読むのは控えようかな」と認識してしまう可能性が高い。それは避けるべきだと思い、以前ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟のときに行った「100分de名著」に解説してもらおうと思った。
一昔前の自分なら一冊の本を読了する前に解説本を読むのは卑怯だと思い、読了するまでは、何がなんでも他の関連書籍は読まないと、頑なになっていたと思う。ただ以前、村上春樹氏に対して20年以上も苦手意識を持ち続けてしまった経緯があった。その時の反省を活かし、20年も心にトラウマを持ち続けるよりは、一人の哲学者を理解するために、複数の関連書籍を同時並行で読み進めていくのは、まったく問題ないどころか、むしろそれで理解が深まるなら、絶対そうするべきだろうと。
よく考えたら、僕が好きなCOTENの深井龍之介氏も一つのテーマに対してコンテンツを作る際、大体5万円ほどの書籍を購入し、関連書籍を読みまくるらしい。また、今は亡き司馬遼太郎氏も「竜馬がゆく」を執筆した際は、神保町の古本屋からその関連書籍がほぼ無くなるほど、書籍を爆買いしたらしい。その数、軽トラック一台分で当時の価格で1,000万円なんだとか。
僕が今後読もうと思っている書籍は、哲学書や古典思想書などで、世間一般にも難しいと思われている本だ。なので今までの本の読み方とやり方を根本から変えるべきだなと思った。一人の著者(作品など)を読もうと決めたら、その著者を知るために複数の書籍を同時並行で読むことをある種デフォルトにするべく、考え方をシフトチェンジしようと決めたため。
【ニーチェの生涯】
やはり解説書を読んで良かった。
ニーチェ個人に対して、まだまだ知らないことが多すぎた。村上春樹氏のときもそうだが、その作品を深く知るのに最も手っ取り早いのは、作者自身のことに興味を持ち、出来るなら作者本人を好きになってしまうのが、最短の道だと改めて思った。
ニーチェの経歴について、今回新たに知ったことを詳細に書くと、以下になります。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、1844年に生まれて1900年に亡くなる。その人生を一言でいうと「若くして成功に恵まれたが、後半は挫折と苦悩を抱えつつ執筆し、最後は精神を病んでしまった」と言える。
ニーチェはドイツの東部ザクセン州ライプツィヒ近郊の村レッケンに、両親とも牧師の家系の息子として生を受ける。父親が5歳のときに亡くなると、一家は中都市ナウムブルクへと移り、ニーチェはそこで母と祖母、叔母である父の姉二人と自身の妹、それから小間使いという、女性ばかりに囲まれて育つ。
成績は子供の頃から優秀で、音楽もナウムブルク一の先生のもとに通い、ピアノの腕は相当のものだったんだとか。ただ小さい時から集団生活が苦手で、本当に気持ちの通じる仲間が一人か二人と付き合うスタイルで、そのスタイルは生涯にわたり変わらなかったんだとか。1858年、14歳のときにプフォルタ学院という有名学校に入学。ここで20歳になるまでの6年間を過ごす。その間詩を書き、作曲をし、哲学論文を記し、ゲルマン英雄伝説の形成についての文献学的研究まで行っており、若い頃から極めて突出した存在だった。ワーグナーを初めて聴いたのもこの頃で当初は音楽家になりたかったんだそう。のちにインド哲学の研究で有名になるパウル・ドイセンとは親友であった。
プフォルタ学院を卒業したニーチェは、一度ボン大学へと入学するが、翌1865年にライプツィヒ大学へと移り、高名な学者であったリッチュル教授のもとで古典文献学を学ぶ。
ちなみに古典文献学とは端的にいうと「ギリシャ・ローマの古典を研究する学問」だが、当時のドイツでは大きな意味を持っていた。それは一種の憧れといってよいもので、ゲーテ・ヘーゲルその他のドイツの知識人たちは「ギリシャ・ローマをモデルとしてこれからの人間社会を考える」という姿勢を一貫してとってきた。その背景としてプロテスタントの国ドイツには厳しい掟があり、人間は禁欲的につつましく生きなければいけないとされていたという。若者はそうした生き方に抵抗がある。そこでギリシャの古典を読むと、たとえばソクラテスは色々な若者たちと自由に語り合い、心から納得できる考えを取り出そうとする。哲学とは本来そういうもので、自由闊達な議論が大前提だ。
ドイツの学生や知識人はこうしたギリシャの自由な生き方に大きな憧れを抱き、それを人格形成の礎にもし、また今後の社会の模範にもしたいと考えた。しかしニーチェの生きた19世紀後半になると、古典文献学では厳密で実証的な文献研究が進み、自分で自由に大切と思える部分を取り出して解釈する読み方は、受け入れられないようになる。
ニーチェは大学の懸賞論文で、三世紀前半の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」の典拠をめぐる研究をするが、彼は同時期に、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」を読んで衝撃を受けているので、自分の思いを大胆に書き出したい気持ちがあったのではないかと思われる。はやる気持ちを抑えて、厳格に学問的に古典を正確に読むという訓練を行なっていく。その甲斐あって、この論文は学内で賞を獲得し、リッチュル教授推薦のもと、ニーチェは24歳の若さにして、スイスのバーゼル大学の古典文献学員外教授に就き、出世を遂げる。
この頃ショーペンハウアーに夢中になっており、特に「生は苦悩で、音楽だけが忘れさせる」という言葉に真実があると考えていた。しかしそのことは恩師リッチュル教授には伝えず、ひたすら真面目に文献学の修行をする。1869年、24歳の若さで古典文献学の員外教授に就いたニーチェは、翌年あっという間に正教授に就任。これは当時でも異例の抜擢とのこと。
この頃ニーチェが特に交流を求めたのがワーグナーだ。この頃のワーグナーは、50代半ばで、すでに名声を確立しスケールの大きなカリスマ的人物としてたくさんの人々から称賛を浴びていた。ニーチェはワーグナーとその妻コジマの別荘に訪れては、入り浸っている。ニーチェはワーグナーをさして「アイキュロス(古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人)が現代に生きている」といったそう。古代ギリシャの精神をドイツとヨーロッパにもたらしてくれる「文化改革者」として捉えていたことになる。ワーグナーもニーチェのことを、自分の音楽のことを理解し支えてくれる若く知性ある若者と捉えていたようだ。そして二人はともに、熱烈なショーペンハウアーの支持者でもあった。
1872年、28歳のときに処女作「悲劇の誕生」を出版。しかしこれが問題の書で、その後のニーチェの人生を決定づけることになる。なぜなら、この書物は厳密な古典文献学の研究というよりも、ニーチェ自身の芸術論をギリシャ悲劇に託して書いた面があったからだ。そのため学会からは、総スカンを喰うことになる。
ニーチェは、古典文献学は実証的な精密さだけではだめで、古代ギリシャ人の精神の核心に迫るものではなくてならず、そうすることで初めて自分たちの生をよくすることに役立つと考えていた。ニーチェはさらに、悲劇を滅ぼしたのは、知や理論によってすべてを理解できるとするオプティミズム(楽天主義)であるという。悲劇詩人エウリピデスはディオニソス的なものを滅ぼしたと批判しつつ、最終的にはソクラテスを批判することへと向かう。ソクラテスは「よく生きるためには何がよいことかを知らねばならない」と説くが、ニーチェにいわせれば、知ができることは限られており、人間が生きる上でぶち当たる深遠な苦悩には届かない。苦悩を無視してこしらえた理屈など何ほどのものでもない、という。これはもちろん、時代状況の批判にもつながる。つまり、理論と技術を万能とする進歩主義、平板に知的に人生を理解する見方への批判でもあった。
このような「悲劇の誕生」はワーグナーやそのサークルの人々には激賞されるも、厳密な文献学研究とはまったく認められず、ニーチェは学会は言うまでもなく、自分を推薦してくれたリッチュル教授にすら見捨てられてしまう。義務はあるので大学には勤めなくてはならない。でも、授業を開講しても学生がまったく来ない。学生にまで見放されたニーチェの大学人としての生命は、28歳にしてほぼ終わってしまう。
それでもニーチェには、まだワーグナーへの期待があった。ところがその関係もしだいに崩れ始めていく。理由は、ニーチェのワーグナーに対する「違和感」だった。ワーグナーこそは、自分たちの今いる世界と文化を本気で作り変えていく人間だと思っていたのに、もしかしたら彼はたんに自分の名声が欲しいだけの俗人なのではないか、それに彼はキリスト教に戻ろうとしている。その不信感は、1876年、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場を建設したときには確信へと変わっていた。
でもワーグナーからすれば、ニーチェの心変わりは奇妙に思えたことだろう。これまで自分を礼賛していて、自分も目をかけて親切にしていた若い学者が、突然手のひらを返したかのように、著書「人間的な、あまりに人間的な」で悪口を言い始めたからだ。ニーチェはこうしてワーグナーを批判し自ら離反していったのだが、ニーチェにとってワーグナーは生涯通して「すごい人」であり続けた。ワーグナーと彼の妻コジマと過ごしたときの幸福はいつまでも覚えていた。
ニーチェのここからの後半生はひどいものだ。もともと目は悪かったが、さらに悪くなり、頭痛や吐き気、胃痛が続くなどほとんど病人で、何度か自殺を考えたこともあったようだ。学会はダメ、ワーグナーもダメ、体調もダメ。友人もますます少なくなる。それでもニーチェは、思想家として書き続けようとする。
まだ体調がましだった頃に刊行した「反時代的考察」はそこそこ評判になったが、体調が悪化してからの「曙光」(1881年)、「悦ばしき知」(1882年)と80年代に入ると、誰も見向きもしなくなる。79年には体調悪化で大学も辞めてしまう。ニーチェとしては文筆業で身を立てたいという希望があったのだろう。でも書くものはまったく売れない。大学からの年金があったので生活は成り立ったが、以降はイタリアやスイスのあちこちを巡りながら、売れない原稿を書き綴っていくことになる。
そんな中、1881年8月にニーチェは突然「永遠回帰」の思想が、インスピレーションとして到来する。また1882年にルー・ザロメとの失恋を経験する。この2つの体験が「ツァラトゥストラ」執筆にあたっての大きな動機づけになったことは、間違いないとのこと。翌1883年、ニーチェは2月3日〜2月13日までのわずか10日間で「第一部」を書き上げる。そして続く1884年には「第二部」「第三部」、1885年には、ほとんど私家版ともいうべき「第四部」を完成させる。
その後の著者は、「ツァラトゥストラ」に込められた思想を別のやり方で補足・解説していくという感が強く、1886年の「善悪の彼岸」と1887年の「道徳の系譜学」はまさにそうしたもの。
そして1888年「ワーグナーの場合」「偶像の黄昏」「アンチクリスト」「ニーチェ対ワーグナー」と、まるで蝋燭が消える前の明るさのごとく、急ピッチで本を書き上げるが、翌1889年の初めには精神に異常をきたしたと診断され、その後は母親と妹に看病されながら10年ほどを過ごす。
ところが運命とは皮肉なもので、それとほぼ時期を同じくして、ニーチェの名声が少しづつ高まっていく。かつての教え子で音楽家のペーター・ガストが全集刊行のために奔走するところへ、南米から妹のエリザベートが戻り、兄の著書の出版に対して積極的に関与していく。彼女は「ニーチェ文庫」と呼ばれる施設をつくって、次々とニーチェの本を出していくが、ニーチェ本人はもはや認識しておらず、印税もすべてこの妹の独り占めだった。そして1900年8月25日、ニーチェはワイマールで息を引き取る。満55歳。孤独な男の寂しい生涯だった。
【本書を読んで得た気づき】
ここまで詳しくニーチェ本人のことを知れば、知る前と比べて当然「ツァラトゥストラ」を読んだときの思い入れも違ってくるし、読後に受ける思考の深さも大きく変わってくる。村上春樹氏のときは、エッセイから入り、村上氏のことに対して好意を持ったが、世界的に著名な哲学者や思想家であれば、入門書や解説書も多数出版されている。今後僕が読もうと思っている哲学書・思想書は、その著者の考え方の奥の奥まで入り込まないと本当に理解したとは言えないだろう。そう考えると、その著者本人のことを深く知ることは、哲学書・思想書を知る上では必須事項だと思った。今後哲学書・思想書を読む際は、まずはその本人の生涯を詳しく書いた入門書か解説書から読んでいこうと思う。
【雑感】
この後は「ツァラトゥストラ」本編を読了し、感想をアップします。今回本書巻末で、より適切なニーチェ入門書を紹介してくれていた。今後も海外の古典文学は光文社古典新訳文庫をベースに読んでいきたい気持ちは変わらない。ただ哲学書・古典思想書に関しては、他の出版社からの選択肢も増やしていこうと思う。続きを読む投稿日:2023.05.28
自分に蔓延るこの心の在りようはニヒリズムかと考えた。ニヒリズムについて調べたところ、ニーチェが関わった概念らしい、と聞いた。詳しく知りたくなって、書籍をAmazonで調べたら100分de名著のシリーズ…があるじゃんと読みはじめた。
かなり読みやすい。100分 de 名著から派生した書籍だけはある。
ニーチェの思想の1つである「永劫回帰」の解説と引用されていた「われわれの魂がたった1回だけでも絃のごとく幸せのあまりふるえて響きをたてたなら、このただ一つの生起を引き起こすためには、全永遠が必要であった。」というフレーズ(孫引きなので行儀は悪いが)には心が震えた。
第4章ではニーチェの思想を現代に持ち出そうという思索について語られている。
そこでは竹田青嗣さんのいう「表現のゲーム」や批評という行い(「なにが善く、なにが悪いのか」について他人と語る行為、さらに「表現のゲーム」では加えて他人と善悪について確認する行為)が必要なのだ、という話はもう少し深く掘り下げたくなった。
ニーチェの考えをただ伝えるだけではなく、「ニーチェの孤高を尊ぶ姿勢はどうなのかなあ」と訂正する西さんの姿勢には共感した(ニーチェの超人思想がヒトラーに利用されたという面もあるだろうけれど)。
頭では理解できるけど、腑にはまだ落ちてない感覚。西さんも言ってたけど腑に落ちるまで時間がかかるのかな?少しして読み返したい書籍。最後の読書案内で紹介されていた書籍たちも読みたいな、と思えた。続きを読む投稿日:2024.05.21
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