この作品のレビュー
平均 3.7 (23件のレビュー)
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●あんまり参考にならなかった。というのも、デザインの手法といったものは解説されておらず、近代デザインがそれ以前のデザインと何が変わったのかという解説が主だったから。
投稿日:2020.11.11
880
柏木 博
(かしわぎ ひろし)
1946年神戸生まれ。デザイン評論家。武蔵野美術大学卒業。現在同大学教授。近代デザイン史専攻。著書に『デザインの20世紀』(日本放送出版協会)、『モダンデザイ…ン批判』(岩波書店)、『玩物草子』(平凡社)、『探偵小説の室内』(白水社)、『「しきり」の文化論』(講談社現代新書)など多数。
デザインの教科書 (講談社現代新書)
by 柏木博
「デザイン」っていったい何だろう。この単刀直入な疑問あるいは質問に、即座にひとつの答えを出すことは、なかなか大変なことだ。家具や衣服あるいは書物など、人間がつくりだすさまざまなものは、その良し悪しは別にしてすべてデザインされている。そして、すべてのものがわたしたちの生活に関わっている。だから生活っていったい何だろうという質問と同じほどに、デザインって何だろうという問いに対して答えをすぐに出すことが難しいように思える。
そのデザインをブランドやデザイナーに関する 蘊蓄 ではなく、もう少しだけ踏み込んで、デザインそのものについて目を向けてみよう。 まず第一に、わたしたちが何かをデザインするには、要因あるいは動機づけとして何かがあるはずだ。その要因はいくつかあるだろうが、そのひとつに「心地良さ」を求めるということがある。 第二に、デザインは、わたしたちが自然や道具や装置に関わり、それを手なずけていく一連の計画と実践だといえるだろう。もちろん、そこには技術の変化も関わってくる。 第三に、デザインは趣味や美意識と関わっている。 第四に、近代以前においてとりわけ顕著に見られることだが、デザインは地域や職業や階級の違いと結びつき、それらを表象するものとされてきた。デザインには社会的な規範が関わっていると見ることもできる。
視点1 心地良さという要因
少しでも心地良くあるいは快適に過ごすために、わたしたちは家具や食器、そしてさまざまな日用品を選び、それを工夫して使っていくことになる。そうしたことの結果として、それらのものがわたしたちの生活の痕跡となっていく。したがって、デザインについて考えるには、まずはデザインする立場からではなく、それを使う立場から考えたほうが良いかもしれない。心地良さについては、第3章であらためて考えてみたい。
視点2 環境そして道具や装置を手なずける
土木工学の歴史研究家として知られるアメリカのヘンリー・ペトロスキは、ゼムクリップのような小さな道具から巨大な橋のようなものにいたるまでさまざまな対象を技術史的な見方から、デザインとは何かについて考えるヒントを多く与えてくれる。
川底にころがる石を飛び石に見立てて、どの石が、より足を濡らさず安定して踏み心地が良いかを選んだこと自体が、すでにデザインなのだとペトロスキはみなしている。好都合な飛び石が見つからなければ、たしかに別の石や流木を持って行って置いたはずである。こうなると、ますますデザイン的な思考や行為となっていくことになる。
少し視点を変えてみよう。太古において、わたしたちが自分自身の身体のほかに道具(もの) を持たなかったとき、木を折ったり、削ったりすることを、わたしたちは自らの手や歯や爪を使って行っていたのだろう。爪のついたわたしたちの手は、ものを摑んだり、摘んだり引っ搔いたりと、さまざまなことをする道具である。手の持っている膨大な機能を、わたしたちはナイフやピンセットなどさまざまな道具として身体から独立させてきた。道具は身体の延長といえる。また、そうした道具を進化させ、複合化し、さらに新たな道具を生み出してきた。こうしたことが、デザインの進化であり、デザインのバリエーションを生み出してきたのである。
ここで、議論を少しずらさなければならない。わたしたちが自然を手なずけるということは、「自然という富」を収奪しているのだということも認識しておかなければならない。自然からの「搾取」である。カール・マルクスは『資本論』の中で「物は、価値でなくして使用価値であるばあいがある。その物の効用が、人間にとって労働によって媒介せられないばあいは、それである。例えば、空気・処女地・自然の草地・野生の樹木等々がそうである」と述べ、「人間はたえず自然力の援けをかりている。したがって、労働はその生産する使用価値の、すなわち素材的富の、唯一の源泉ではない。ウィリアム・ペティがいうように、労働はその父であって、土地はその母である」(3) と述べている。
視点3 趣味と美意識
さて、三つ目のテーマに目を移そう。デザインは「趣味」と「美意識」と深く関わっていることは、誰もが知っているところである。では、趣味と美意識をデザインはどのように扱ってきたのかという実践的方法論となると、これもまた一言では説明しにくい。実は、これがいちばんやっかいなところだといえるだろう。
ちなみに、二〇世紀前半のドイツの造形美術学校バウハウスに代表されるモダンデザインは、文字や家具などのデザインに非装飾の秩序を求める傾向があった。それはあえていえば、古典主義的、新古典主義的な流れの延長にあるといえる。ヨーロッパにおける古典とは「ギリシャ」(アッティシズム) にあることは、すでにふれたとおりである。
ついでながら、わたしたちの感覚は、等差的(隣り合うふたつの数の差が一定のもの) よりも等比的(隣り合うふたつの数の比が一定のもの) に並ぶ流れのほうに、均一差を感じるようである。典型的なものは、音階だ。いわゆる十二音階は、均一差による「平均律」に調律されている。この音のスケールは、等差ではなく、等比になっている。隣り合う音の周波数は、公比約一・〇五九四の等比数列になっている。したがって、西洋を中心とした音楽は、この等比的な音のスケールの「平均律」によって構成されている。
デザインでは、プロポーションにも関わるのだが、単位寸法あるいは寸法体系とも呼ばれる「モデュール」がある。正方形をふたつつないだ畳サイズを単位とする寸法体系も、日本の伝統的モデュールである。古くからいわれていることだが、日本の畳は、日本人の身体スケールから来ているとされている。
建築家のル・コルビュジエは、自身のモデュールを「モデュロール」という名称で提案した(図8)。モデュロール=モデュール・ド・オール(Module d'or、黄金のモデュール) である。この造語からも想像できるように、ル・コルビュジエは、身体寸法を黄金分割(Section d'or) 比に接合して「モデュロール」という寸法体系をつくり出したことがわかる。この寸法体系でデザインされたものとして、もっとも簡素でわかりやすいものは、マルタン岬につくった、彼のいわば 終 の住まいとなったわずか八畳ほどの小屋「カバノン」だろう。この小屋では、建築のみならず、家具などにもまた、彼のモデュロールによる寸法が使われている。
視点を音に向けてみよう。バウハウスでは、学生に楽器をデザインさせるという課題を与えている。音の調和もまた、目に見える比例関係にある。
こうした自然現象、自然の生み出すプロポーションを美しいとしながらも、それをかき乱すことも、もちろんデザインの自由として許されてはいるといえるだろう。
わたしたちの生活環境を構成している自然は、わたしたちの意識や感覚に深く影響を与えてきた。したがって自然現象は、わたしたちが生み出すデザインにも少なからず関わりを持ってきた。 動植物の形態やプロポーションが、一定の法則を持っており、それは、「黄金分割」などと共通性を持っていることを見てきた。それはまた、音のハーモニーなどとも共通性があるとも述べた。次に、もう少し異なった事例を見ておこう。
デザインの持つ重要性のひとつは、目に見えないシステムや関係を目に見えるものにする、つまり可視化するところにあるともいえる。
繰り返しになるけれど、デザインとは意味を目に見えるものにするための記号の実践でもあるといえる。
また、ナチスの力から逃れるためにドイツからアメリカに移った、バウハウス最後の校長・建築家のミース・ファン・デル・ローエは、箱状のユニット化された均質空間を基本にしてそれを横に連続させ、縦に積み重ねていく「ユニヴァーサル・スペース」(普遍空間) という概念を提案している。横にも縦にも箱状のスペースが連続していくというものだ。 ミースのユニヴァーサル・スペースという考え方は、多くのバウハウスのデザイナーに共有された考え方だった。たとえば、バウハウスの初代校長ヴァルター・グロピウスの積み木型の住宅の提案、あるいはマルセル・ブロイヤーのユニット・システムの家具の提案にも共通したものを見ることができる。ユニヴァーサル・スペースという概念は二〇世紀の建築、デザインに支配的なものとなっていった。
豊かさ」は、メンタルな豊かさということになる。その「豊かさ」は「心地良さ」と言い換えることもできる。 「心地良い」生活を支えるデザインとはどんなデザインなのか。そうしたデザインは、すでにふれたように、時代の技術、時代の素材、経済的計画などのほかに、新たな生活様式の提案や社会的要請、さらには美意識をふくめた感覚的な要素、また市場的な条件などなどを考慮したものの中から出現してくるといえるだろう。
わたしたちの生活の中にものが入り込んできて、あふれていったのは、一九六〇年代後半から一九七〇年代頃のことだった。もの(物質) が豊かになって、他方では感覚が乾いて貧しいものとなったといった意味の発言をよく耳にするようになったのもその頃のことだ。ものが豊かになることによって、意識や感覚が貧しくなったかどうかはわからないが、意識や感覚が変化したことは、たしかに事実である。だからといって、ものそれ自体を批判してみても、あまり多くの意味を得られないように思える。
むしろものの扱い方に、人それぞれの生活の仕方が現れるということに目を向けるほうが、有意義であるように思える。ものをぞんざいに扱い、すぐに破損したり捨てたりする人もいれば、細やかに大切に扱う人もいる。ものの扱い方に、それぞれの生活の仕方とともに人柄が映し出される。ものの扱い方が生活の仕方と関わっているとすれば、ものこそわたしたちの生活そのものを映し出しているともいえるだろう。さらには、ものの扱い方もデザイン的な行為だというべきだろう。
デザインの送り手(デザイナー) の側からの提案だけではなく、受け手(使用者) による「心地良さ」に関わるものの選択やものの使い方、扱い方があるはずだ。根源的には、ものの選択もまたデザイン行為だといえるだろう。
カバノンにおける四つの長方形と中心に置かれた正方形は、ちょうど卍形の図形を構成する。それは、生活者の動線をうながし、渦巻き形の動きを誘導する。それはカバノンの空間のプログラムであり、またシステムでもある。ついでながらこの卍形は、ヘリット・トーマス・リートフェルトの椅子の構造にたびたびあらわれる。こうした構成の中に、いくつかの家具が入ることになる。
広い住まいに、多くのものを置くような生活を否定する必要はない。しかし、最小限に切りつめてみると、本当に生活に必要なものは何であったのかが見えてくる。
そうしたことを承知のうえでのことだが、自らの生活に必要な最小限のものは何か、ということに目を向けてみると、必要のないものがあまりにも多すぎることに気づく。してみれば、身の回りのものを、最初から切りつめるように生活することもまた、心地良い生活をつくり出す(デザインする) ことなのではないか。
貧困な生活環境に生存する人々に、いかにより良い生活環境を実現するか。それは、モダンデザインの発端のひとつの要因となった課題であり、いまだ解決していない課題でもあり続けている。とすれば、あらためてデザインとして処方を描くことができるかどうかが問われることになる。
住宅に水道が完備していない南アフリカのピーターズバーグでは、ポリタンクに水を入れて運ぶことが大変な作業となっている。そのポリタンクを「Qドラム」と呼ばれる、ドーナツ形のデザインにした(図 28)。これは、ロープをつけて、ころがして移動することができる。まさにデザインによる処方の典型である。
政治的に抜け目のないやり方で、男性たちは、女性の産道(バーシング・キャナル)を彼らの所有物であるかのように専門領域にしてしまいました。まずは、一四世紀から一七世紀にかけての魔女狩りと宗教裁判において、多くの女性治療者(ヒーラー)や産婆を一掃しました。次に、女性の健康を医学の専門家(男性)の管理のもとにおきました。そして最後に、医学学校の厳しい定員割りあての実施によって、女性を医学から排除したのです。(4)
そして、その後婦人科ではスライドのプレゼンテーションをするようになったのだと述べている。それまでタブーとされていた自らの身体を観察することによって、女性たちは、自身の身体を専門家(男性) から取り戻し、自ら管理する意識を持つことになる。 こうしたことは、やがて女性だけにかぎらず、人々が自らの健康管理をすることに意識的になっていく流れをつくった。また、これは身体や健康といったことにかぎらず、自らの生活環境全般に、自分たちで自ら管理するという意識を生み出した一九六〇年代末から七〇年代の文化の特徴を見ることができる。
ゲバラをゲリラ的革命家であるがゆえに危険視する人々がいた一方で、ニューヨークなどでは彼をポップ・アイドルとして受け入れていたところが興味深い。 それは彼のパーソナリティによるところが大きい。たとえば、ボリビアでゲリラ活動をしているときに、メンバーの一人が村の女性に暴力をふるうという事件が起きるが、ゲバラはメンバーのその男をただちに射殺したといわれている。規律なしには組織を持続できないことを熟知していたのだろう。そうした冷徹さを持つ一方で、ゲバラはゲリラ活動という極限状況にあってもユーモアを持ち続けたといわれている。規律とユーモアを同時に持ったパーソナリティが、彼をポップ・アイドルにしているのだろう。
つまり重要なことは、極限状況の中でのユーモアである。ゲバラは、ボリビアでのゲリラ活動で風呂に長期間入れなかったことも笑い話にしてしまう。このユーモアを持った生き抜く力は、極限状況で事態をより良くやり過ごすためのデザイン行為とどこかで共通しているはずだ。実際、ゲバラがどのように困難な極限生活への工夫をしたかはわからないが、おそらく無数の工夫(デザイン) があったのではないだろうか。
文化人類学者のレヴィ゠ストロースは、『野生の思考』の中で、「器用仕事」(ブリコラージュ) という概念を提示した。近代のエンジニアは、ものをつくる(デザインする) にあたって、まずは概念を構築するところから始める。まずはコンセプトというわけである。それに対して、未開社会の人々は、とりあえずあり合わせの手に入るものを利用し、その可能性を考え、ものを組み合わせて、必要なものをつくるというのだ。こうした未開社会のものづくりをする人々を「ブリコルール」(器用人、bricoleur) と名づけている。 ブリコルールのデザインは、あり合わせのものが持っている「潜在的有用性」を引き出していくのである。「器用人の用いる資材集合は、単に資材性(潜在的有用性) のみによって定義される。器用人の言い方を借りて言い換えるならば、『まだなにかの役にたつ』という原則によって集められ保存された要素でできている」(9)
本来、ものや環境は、その潜在的有用性あるいは潜在的可能性をわたしたちに投げかけている(アフォードしている)。それを引き出すことは、いわばアフォーダンスによるデザインだといえるだろう。ゲリラ生活、あるいはサラエボの困窮した環境の中、さらに監獄の中では、あり合わせのもので、身を守る装置をデザインせざるをえない。それはブリコラージュ的なデザインである。
こうしたブリコラージュ的なものづくりに対して、現代社会のエンジニアやデザイナーたちは、先にも少しふれたように、概念をつくることからものづくりを始…
概念をつくるということは、身の回りにあるあり合わせの素材を前提にするのではなく、まずはどのようなものをつくるのかをイメージし、それを具体的な図面におこし、またスケッチを描くことになる。また、どんな素材が必要であるかが書き込まれたりもする。そして制作のための図面やスケッチに基づいて、計画的に作業…
今日のデザインは計画なしには実現しない。けれども、ときには、あり合わせの素材とあり合わせの道具や機材でものをつくりあげることも、大変魅力的な結果を生む。つまりブリコラージュ的なデザインもけして悪くない。多くの可能性を持っている。
たとえば、「レッド・アンド・ブルー・チェア」で知られるオランダのデザイナー、G・T・リートフェルトのデザインした家具の中に、「クレート・ファニチャー」というのがある(図 40)。クレート(crate) つまり、果物や瓶などを運ぶための木箱を素材にしてつくられた家具だ。木箱というあり合わせの素材によって家具をつくるというわけである。まさに日曜大工的なものといえるだろう。
コンクリートも古くからつくられていたが、鉄で補強したコンクリートは、フランスの庭師だったジョゼフ・モニエが一九世紀半ば頃に植木鉢をつくったことがひとつの契機になっている。その後、アメリカの建築業者ウイリアム・E・ワードが鉄筋コンクリート造りの自邸を一八七〇年代につくった。フランスでは一九〇三年にオーギュスト・ペレがパリのフランクリン街にコンクリート造りのアパートをつくっている。一八七〇年から一九〇〇年にかけて鉄筋コンクリートがにわかに発達した。また、コンクリートの素材となるポルトランド・セメントをアメリカが大量に生産したことを背景に、コンクリートは、近代建築の素材となっていった。
いずれにしても、鉄(鋼)、ガラスそしてコンクリートの製造方法と、その安定した強度のあるものの実現に、近代建築のデザインは大きく依拠したのである。人造石ともいえるコンクリートの使用によって、デザインは自在になった。建築史家のケネス・フランプトンは、「鉄筋コンクリート構造を建築言語の基本的な表現要素として使用したのはル・コルビュジエであった」(6) と述べている。
鉄とガラスとコンクリートを素材にすることで、それまでとは違って自在なデザインを実現した近代建築と同様、プロダクトもまた、二〇世紀以降、合板(プライウッド) あるいはアルミニウムなどの合金、そして何よりも膨大な数のプラスティックという素材を手に入れることで、自在なデザインを実現してきた。では、素材とデザインがどのように関わっているのかを見ておきたい。
そして、自転車は男性だけでなく、たちまち女性もさかんに使うようになる。女性にとって自転車に乗れるようになるということは、自力で遠方まで移動できる手段を手にいれるということであった。その結果、女性たちは、家の中に閉じこもることなく、解放的な生活を体験することになった。自転車という装置(デザイン) は、女性の生活とともにその感覚を大きく変化させたのである。
自動車によるモータリゼーションがもっとも早く実現したのはアメリカである。一九二〇年代のことだ。クルマが普及していくことによって、たちまち国道沿いにホットドッグ・スタンドやダイナやさまざまな商業施設が増殖していったと、フレデリック・L・アレンは『オンリー・イエスタデイ』で述べている。また、自分の住んでいる町から離れて逢い引きするカップルのためにモーテルも出現する。クルマは自転車以上に人々のライフスタイルを変化させ、都市の姿まで変えてしまった。
鉛筆がすぐれた筆記具であることは間違いない。すった墨をつける筆や、インクをつけながら書くペンよりも鉛筆は、はるかに簡便かつ長時間、書き続けることができる。エジソンはこの簡便な筆記具である鉛筆を数千本注文し、いつもベストのポケットに入れていたという。簡便な筆記具は、わたしたちが物事を考えたり記憶することを助けてくれる。
日本では、伝統的にスプーンを使ってこなかった。ヨーロッパにはもちろんスプーンがある。中国では「散り蓮華」と呼ばれるスプーンがある。韓国には、箸(チョッカラック) とスプーン(スッカラック) がある。 スプーンを持たないわたしたちの食事では、ご飯茶碗や汁椀を左手で持ち、口に運ぶことになる。スプーンのあるヨーロッパやアジアの食事では、食器を手で持つことはない。それは不作法にあたる。
趣味という概念は、フランスから来たと思われる。フランスでは、それはしばしば、サロンでの上品な議論の話題であった。イギリスでは、Virtuosi つまり、芸術や文学、古代美術や科学に慣れ親しんだ紳士たちによって、それは取り上げられた。彼らにとって、大文字のTによって綴られる趣味 Taste は、彼らが求めるものであり、そこに彼らの成功の基準を見つけるための道しるべであった。したがって、それが「処世」の術と関わっていたことがうかがえる。
一九世紀以降、現在のもの(商品) あるいはデザインにおける「趣味」もまた、ベイリイがいうように、たしかに、市場のあり方に関わり、流行や人為的なマーケティングによる操作と関わっている。そして、「良い趣味」と「悪趣味」が日常的にそれとなくものの価値判断の基準にされ続けることになる。ベイリイは、第一次世界大戦中、情報省でフランス向けのプロパガンダを担当したことでも知られるイギリスの小説家アーノルド・ベネットが「まったくの無趣味よりは悪趣味のほうがまだましだ」と述べたことを紹介している。それが市場にコントロールされたものであれ、「悪趣味」であれ「趣味」があるということは、たしかに、ある種の価値判断をする力があるということだ。
わたしたちは、何かのことが知りたければ、まず百科事典を引いてみる。また、美術や音楽その他もろもろのジャンルの細かい事柄をさらに知りたければ、それぞれの専門の事典で調べる。さらには、新書を読んでみる。新書は、一項目の記述が多くなった百科事典だともいえる。つまり、新書をたくさん揃えるとその全体が事典を構成することになるからだ。そこから先の調べ方は、多様になっていく。
生産年、メーカー名あるいはデザイナー名など基礎的データだけを付した洗濯機や冷蔵庫の展示から、その装置や道具の意味を即座に読みとることは、なかなか大変なことである。繰り返しになるが、もののデザインは、わたしたちの生活や生活様式、また、さまざまな生活行為に深く関わっている。したがって、そこから社会や時代の文化を理解することができる。デザイン・ミュージアムのコレクションの展示や解説には、デザインに関わるそうした情報を簡潔に入れることが望ましいだろう。続きを読む投稿日:2024.05.16
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