
総合評価
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
クレア・キーガン2冊目。 映画「コット、はじまりの夏」の原作。映画は観てないけど。 ほんのささやかなこと、がとても良かったのでこちらも購入。 アイルランドの子沢山な農家の女の子、わたしがお母さんが赤ちゃんを産んで安定する前までに親戚のおばさん/おじさんに預けられて 愛情を受け、ケアされて成長するお話。 とても切なくて、悲しくて、泣きながら読んだ。 おばさん/おじさんは、子沢山で貧乏な…農家で育ったわたしをケアしてくれる。街に出て綺麗なお洋服を買い、言葉遣いを教え、体を綺麗に洗ってお風呂に入れて。 中盤、おばさん/おじさんには実は子どもがいて、不慮の事故で亡くなってしまったことがわかる。わたしは幼児(7歳くらいなのかな?)、服のサイズからするときっとその子どもの方が少し大きいのかな。 お父さんは、子どもや家族をケアしていないように見える。この作品においては。わたしを預ける時も、むかえにくるよ、など安心させる言葉は言わない。お母さんはきっと、子どものお世話でいっぱいいっぱいなんだろう。 アイルランドでは1980年まで(!?)避妊具やピルが非合法で、中絶も禁じられていたらしい。子どもが労働力として見込まれるということもあり、農家…第一次産業では多産は珍しくなかったらしい。 つまり、お父さんやお母さんは怠惰や愛情不足でわたしのケアをしていないのではない。それが、辛い。社会構造が理由。 そう思うと、ケアしてくれる側のおばさん、おじさんの発言がやや無神経にも思える。お母さん、お父さんは〜をしてくれなかったの?とかね。 物語の中盤で、わたしはおじさんと手を繋いで散歩をし、そのとたんに一度もお父ちゃんに手を繋いでもらったことがないと気がつく。 この感じをを思い出さなくていいように、手を離してくれないかなと、わたしは思う。 この子は家に帰って、日常を過ごしながら、どんな思いでいるんだろうなぁ?と考えてしまった。 おじさん、おばさんによるケアで精神が成長した、心が豊かになったのは確かだろうけど。 待っているのは現実で、続いていくのも現実。 一度得たものをまた得られない(かもしれない)ことで、辛くならないかな。わたしの両親に対して、叶わないwillを抱いて、小石を飲み込むような気持ちになったりしないのかな。そうだといいな。 おばさん、おじさんは? 喪失を抱え続けて生きていくのは、どんな気持ちなんだろう。 淡々とした文章で、かつ描写しすぎないからこそ、想像する余地がある。 近々、再読すると思う。 読みながら、フェアポート・コンヴェンションが1969年にリリースしたアルバム「Unhalfbricking」を聴いていたら 物語の終わりに合わせて、「時の流れを誰が知る?」が流れた。とても良い組み合わせ。 フェアポートはアイルランドじゃなくイギリスのフォークロックだけどね、、、 And I am not alone while my love is near me I know it will be so until it's time to go そしてわたしは、愛する人がそばにいれば孤独じゃない 時が来るまではそれが続くことを知っている この歌詞がぴったりで、なんというか…さらにグッときた。 あとは、サニーデイ・サービスの海岸行き。良い読書体験でした。
0投稿日: 2025.11.12
powered by ブクログシェーンの「カムバアアアック!」とか、時かけの「いっっけええええ!」見たいな。 しかしおじさんおばさんいい人すぎて、その反動で、父ちゃん母ちゃん含め周りの市井の人たちがなかなかのイヤな感じだったな。。
1投稿日: 2025.11.11
