
総合評価
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powered by ブクログ同時期に読んでいた「いつかたこぶねになる日」(小津夜景/新潮文庫)で漢詩の訓読について触れられていて、本書でも漢文の訓読が“日本語”に与えた影響が触れられていた。が、これは“影響”というよりももっと大きなもので、「真名」&「仮名」コンビのカタワレである「真名」は漢文訓読に始まる流れであるから、“日本語の原材料の半分”と言うのは言い過ぎか。「中国と日本の政治風土の差」(p.120~)から「漢文・漢字の「非中国化」」(p.125~)で語られる、漢文・漢字を導入したものの形式的な受容にとどまり、“形骸化した政治言語としての漢語の定着”にいたる流れは、なるほどと納得させられながら、文章としても面白かった箇所。 もう一方のカタワレ「仮名」は勿論、紀貫之の古今集「仮名序」や「土佐日記」あたりの流れとして採り上げられるけれど、本書内の言及では「係り結びは「話し言葉」的強調」(p.191~)のくだりと、「『愚管抄』の日本語論」(p.210~)から「オノマトペが〈日本語の本体〉である」(p.213~)は、妙に納得した(私の感想は「俳句」に飛び、「ああ、こういうことだから、漢語・熟語の多い俳句はいまいち面白くないのだな」という、本書とは関係のない場所での納得の仕方だったが)。 また、p.419の文の“若い世代”は、私のことかと身につまされる思いがした。私は40代で決して若くはないが、読書は苦手と自覚している。今、本書を読了したと書いている私は、読了から大して時間の経っていない状況にいるわけだが、本書の要約なんて、出来る気がしない。
0投稿日: 2026.01.31
powered by ブクログ430頁を超える結構厚みのある本である。 『ゆる言語学ラジオ』で紹介されていたので、ちょっと興味があって手にとった。 厚みもあるので、読み始めるのに時間がかかったが、序章に出てくるのはサザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』についての論で、堅苦しさはなくかなり良い感じにつかまれた。とはいえ、言語学や古文、近代文学にも疎いこともあり、そこから展開されていく論理展開について行くのはかなり難しかった。正直かなり読み飛ばして雰囲気と要所を拾う読み方をしていたので、理解度は低いと思う。けれども、興味深く感じる部分は多く、最近では取らないでいたメモ書きがはかどったのは事実だ。 日本語には標準型はあるが正書法はないという事実に、『えっそうだったの?』と今更に驚くと同時に納得した。 今後のAIの発達により、日本語の標準化は幅を失うという予見や、その一方でアーティスト・歌い手たちが紡ぐ言葉の豊かさと遊びのありように希望を持つ。そんな祈りに似た見解がとても魅力的だった。
10投稿日: 2025.12.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
近所の図書館分室新刊コーナーで出会った本。 なんだこのタイトル??と手に取ってみて、開いた序章は、「勝手にシンドバッド」の衝撃 ー ー 桑田佳祐さんの日本語なのかなんなのかよくわからないなんだか胡散臭い歌詞に対する違和感と衝撃、うんうん、わかります! しっかり掴まれて、400ページを超えるボリュームにビビりながらも、お家にお連れしてしまいました。 「難波津に〜」という、「ちはやふる」などカルタ大会開始の歌として今や自分にとってはお馴染みになった和歌が、古代の木簡に書かれた韻文(歌を万葉仮名で記したもの)として際立って多く出土しているらしい(P92より)。 この歌は、源氏物語の若紫の巻にも初学者であることを示すのに使われている。 日本における律令体制を推進するにあたり、その一環に「歌」が位置づけられた。諸典礼に「歌」が組み込まれており、その作法を習得するためのはじめの手本として「難波津の歌」が用いられた。出土物上にしきりにあらわれるのは、この事情による(P94) 遠い昔、社会の授業でいろいろ覚えさせられた和歌集のくだり、律令制において「歌」は重要なものであったが、日本においては、仮名表記とともにその政治性は変質するその一方で、漢文が日本語に取り込まれ一体化していく過程で重要な役割を果たしていたのだなぁと感じました。 最終章、「あそび」の(日本語の)未来、として、やはり現代日本歌謡曲の歌詞をあげているのは、日本社会と日本語への「歌」の起爆力・影響力を信じているからなのかなと思いました。 「国語」の中に、なぜ「漢文」があるのか。 そういう問いを立てたことがなかったので、この本で初めて、日本語と漢文の関係について認識しました。 記録する言葉として用いられた漢文がキメラのように組み込まれた日本語、ひとりでは生きていけない、というタイトルになんだか納得です。 鎌倉時代から江戸時代の内容が少々印象が薄めの気がするのはご愛嬌ですね。 (それらの時代の内容は書籍化にあたって付け加えて繋いだ部分なのですね。さまざまな学術的ソースを簡便に参照できる現状なしには、(本書を)到底執筆することはできなかった(P403)とあって、なるほど、情報を駆使してうまく繋がれたのだなーと思いました。) うん、面白く楽しませていただきました。
2投稿日: 2025.10.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「日本語はいつも上位言語を欲してきた」 曰く、古代は中国語であり、幕末維新を経て、英語やフランス語がその上位として位置づけられていた。 冒頭、「私のルサンチマンを晴らすことができればうれしい」と著者は記す。 ルサンチマン(ressentiment)…… 。 哲学者ニーチェが提唱した概念。単なる「嫉妬」や「恨み」ではなく、いやそれ以上とも言える、深く屈折した思いだ。そんな思いから発した著書だが、だからこそ、日本語の歴史や豊かさ、その奥深さが垣間見える内容となっている。 漢字の導入から、漢詩、漢文が「正」とされながらも、完全に中国語を取り入れず、和語との融合を図り、真名、仮名を生み出し、和魂洋才ならぬ和魂漢才の時代を長く過ごし、言文一致がなかなか果たせなかった時代背景や、外部環境をさまざまな文献を引いて解説していく。 そのなかでも、やはり日本語の持つ柔軟性や、不思議な寛容性など、その特異な性質が際立つ。正書法がないが故の、融通無碍な豊かさを感じることが出来る。 にしても、冒頭でサザン(桑田佳祐)の「勝手にシンドバッド」を引き、終章でも、「愛の言霊」の日本語と英語、フランス語はてはインドネシア語との融合を称賛するが、それって『神仏たちの秘密 日本の面影の源流を解く』(松岡正剛著 2008)でも同じように分析してたので、二番煎じだなあ。参考文献にも載ってないし。
2投稿日: 2025.09.09
powered by ブクログ季刊「kotoba」(集英社)あたりで連載していたのかと思いきや書き下ろしらしい。一年間の研究休暇✕2回を費やしてまとめられた分厚い日本語論。帯や目次などをぱっと見て読んどくべきと思って入手。夏休みの課題図書として読み切りたい。
2投稿日: 2025.08.02
