
総合評価
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powered by ブクログ●ウクライナ戦争の原因とこれからの世界の構図を分析した本。 ●筆者は、ウクライナは歴史的に東西の分裂があり、この国内の歪みがウクライナ戦争を引き起こした最大の要因と語る。その上で、冷戦終結時に米ロで約束されたはずの軍事同盟の不拡大を破って、NATOやアメリカによる東方拡大政策もウクライナ戦争の一因だと繰り返し述べている。日本は西洋諸国側の立場だからか、メディアなどではロシアが悪といった風潮があったが、そう単純なものではないのだと改めて思い知った。
0投稿日: 2025.11.10
powered by ブクログウクライナ情勢への関心が下がっている事は至近の支援件数や寄付、報道の減少からも明らかなようだ。個人的には、国益最大化を求め合った故のバグという為政者の身勝手な論理が透け、善悪二元論で片方を擁護しようという気持ちが冷めてきている、というか成立しないままだ。特にトランプのディールの介入がそうさせた気がする。唯一、戦争という手段を選んだプーチンは先に手を出したから悪いという論理くらいだ。 長期化するのかも知れない。また、だからといってマンネリ化して受け止め、日本には影響がない事とも言えない。本書のタイトルにあるような〝戦争後“なんて考えられるのか、覗いてみたい気がしたのだが。だが、正直いうとその事について明確に書かれているかは微妙だ。 ー 「ウクライナ」という国名は、スラブ語の「クライ」を内包しているが、これは「辺境」「地方」を意味する言葉である。本来、カトリック側であるポーランドから見た「辺境」という意味であって、東方正教会、つまりロシア側からの視点ではない。現在のウクライナ戦争において、日本はウクライナへ武器を提供しなかった。そうした意味でも、日本にはロシアとウクライナの和平を積極的に仲介する資格があると言えよう。本書がウクライナ和平の一助になれば幸いである。 ー ウクライナの首都キーウ(キエフ)は、ドニプロ(ドニエプル)川のほとりにある美しい町だ。今から一〇〇〇年以上前、キーウを中心都市として栄え、ヨーロッパ最大の版図を誇った大国が「キエフ・ルーシ(キエフ大公国)」である。このキエフ・ルーシが、ウクライナとロシア双方の歴史的起源とされる。キーウのなかでもひときわ美しいと言われるのが、西暦一〇五一年に建立されたキーウ洞窟修道院だ。最も古い正教の修道院と言われているが、現在は「モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会」と、コンスタンチノープル総主教庁系の「ウクライナ正教会」とに分裂し、その資産をめぐる論争が国際的な事件にまで発展している。 ー 現在のロシアとウクライナとの関係は、「主権国家」同士ということで言えば、ソ連崩壊から三十数年という短い歴史しかない。だが、民族的・宗教的な観点から眺めると、両国の関係には一〇〇〇年以上に遡る長く複雑な歴史が存在する。西暦九八八年、キエフ・ルーシの統治者で、プーチン大統領と同じ名前を持つウラジーミル大公が、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の皇帝バシレイオス二世の妹アンナと結婚し、キリスト教の洗礼を受けた(キリスト教受洗)。これがロシア正教の原点とされる。その後ルーシ国家が枝分かれし、「マロ(小)ルーシ」「ベラ(白)ルーシ」「ベリコ(偉大)ルーシ」という三ルーシ国家が生まれたのである。この三ルーシ国家を合わせて「全ロッシースキー」と称する。これが「ウクライナとベラルーシ、ロシアは三位一体だ」とするプーチン大統領の「ロシア世界」へのこだわりにつながっている。 歴史や成り立ちについては勉強になった。気を逸らさずに意識して情勢を見ていきたい。
80投稿日: 2025.10.06
powered by ブクログウクライナ戦争計画は最初から漏れ気味だった、スターリンが核兵器開発を優先したことで日本本土、特に予定されていた北海道へのソ連軍の侵攻は中止された等、興味深いことが書かれていました。
0投稿日: 2025.09.26
powered by ブクログロシア政治史研究者の、ウクライナ侵攻論。ウウライナから見た戦争はもちろん、ロシアから見た世界、ロシアの言い分、も書かれている。ウクライナとロシアの歴史的関係、ヨーロッパ、アメリカとの関係、台頭するグローバルサウスとの関係などウクライナと他国との関係と、ウクライナ自身の抱える内在的問題の特徴を提示する。 著者の名前は初めて見るかなと思ったが、フクロウの本で「図説ソ連の歴史」を書いていて読んだことがあった。 巻末に人名索引あり。 2025.6.30第1刷 図書館 メモ <序章> 米ソ冷戦の時代から1991年のソ連崩壊、その後のロシアとウクライナの変容、2022年からのウクライナ戦争、さらに「グローバルサウスの台頭」と「パクス・アメリカーナの終焉」、そしてウクライナ戦争の停戦案について論じる。 このウクライナの戦争は、アメリカ大統領ビル・クリントンがはじめたNATO東方拡大に由来する。冷戦末期1990年2月、アメリカのベイカー国務長官とソ連のゴルバチョフ大統領とのああいだで、ドイツ統一をソ連が許容する代わりに、NATOは東方へ「1インチ」も拡大しないと取り決めた。が、クリントン政権(1993.1.20-2001.1.20)は、ソ連が崩壊したあとでもロシアを「敵」とみなし、対ロシアの攻撃拠点として、分離したばかりのウクライナをNATOに取り込もうとした。「兄弟国家」に「兄弟殺し」を強いる政策であった。 筆者は「ウクライナ戦争へと至る対立の種子は、アメリカの内政に宿っている」と以前から主張してきた。”戦争”という結末へと至ってしまった原因を、3年余の戦争の展開だけでなく、ソ連崩壊から30数年の間に起こった東西関係の変容から考えたい、というのが本書の目的である。 <第1章 ウクライナ戦争はなぜ起きたのか?> 開戦から3年が経ったウクライナ戦争の現状を詳細に分析。戦争へと走ってしまった「文明の衝突」について、4つのレベルに分け解説。 ・カール・シュミット「政治の基礎にあるのは友と敵の関係だ」著書「陸と海」で世界史とは「陸の国」と「海の国」の戦いの歴史。・・ロシアは一見陸の国だが、大河で海とつながる『河の国』だ。 ・文明の衝突 1.ウクライナ国内の「東西の分裂」ウクライナの東部と西部では、歴史観・宗教観・文明観において様々な差異や分裂がある。 2.「国家間の戦争」の観点:今回のウクライナ侵攻はプーチン大統領がいくら「作戦」と叫ぼうと、国家的戦争であることはいうまでもない。 3.NATO対ロシアの「代理戦争」という視点。ソ連が崩壊してもロシアも依然敵である、というアメリカネオコン系勢力の思想の存在。マイダン革命以後CIAによってウクライナ・ロシア国境には12カ所の秘密基地が作られた。 4.「アメリカの内政問題」:1996年のアメリカ大統領選でクリントンはミシガン州など激戦州のカトリック・ポーランド系移民の1000万票のために「東欧諸国をNATOに加盟させる」と公約した。 <第2章 ウクライナから見た戦争> ウクライナは大きく3つの地域に分かれる。地域の歴史的経緯と信仰の違いからウクライナは東西に分断している。 ①旧ロシア帝国領内であった中心部から東部で、『東方正教会』信仰地域、②ポーランド領、ハプスブルク帝国領であった西部で第二次世界大戦後にウクライナになった、『ユニエイト・東方典礼カトリック教会』信仰地域、③クリミア半島、である。 同じウクライナといっても、レーニンが定義したウクライナなのか(1922のソ連制定時にレーニンがウクライナ国境を決めドンバス地方をウクライナにした)、それともソ連より前の時代、ロシア帝国には一度も入ったことのない地域も含めたウクライナなのか。これがウクライナ内部における「二つのウクライナ」問題、東西間の「文明の衝突」である。 ※ドンバス地域には石炭があり、多くのロシア人が移入し工業生産に従事。ウクライナ人は周縁で農業をしていた。 著者は、スターリンの1939年の西部ガリチア地方の編入と、フルシチョフの1954年のクリミア半島の帰属替えは、『二つのウクライナ』問題を生んだという点で、大きな過ちであったとする。 〇「ネオ・ナチ」:ウクライナ西部はポーランドからみた「辺境(クライ)」。1944年にウクライナをドイツから「解放」したソ連赤軍に対し、ナチス・ドイツに協力した(協力してソ連から独立を図った)ステパン・バンデラ率いるウクライナ民族主義組織の残党が、この西部でソ連への地下抵抗運動をした。・・この経緯がプーチンの言う「ネオ・ナチ」の起源だ。(バンデラはリヴィウで独立宣言を発したがドイツはそれを認めず、バンデラらはゲシュタポに逮捕、拘禁されてしまった。その残党) 〇ミンスク合意 2014.9:マイダン革命2014により反ロシア派の政権になると、ロシア語が公用語からはずされた。するとロシア語話者の多い東部ドンバス地方で武装反乱が起こった。この紛争を収めるべく「ミンスク合意」が結ばれた。=ウクライナ東部のルガンスク州、ドネツク州の自治を憲法上認める。停戦や二州への自治権の付与を模索。だが2015.1に合意は破られ戦闘が発生 〇ミンスク合意Ⅱ 2015.2:戦闘を受け、フランスとドイツが全面にたち「ミンスク合意Ⅱ」がまとまる。しかし「二州の自治を承認する連邦制への移行は、ウクライナという国家の崩壊を招く」という民族右派からの批判もあり、憲法改正は進まなかった。 <第3章 ロシアの論理> ウクライナ戦争の萌芽は、ソ連崩壊過程からすでに内在していた。 1991年12月8日、ソ連解体。ロシアのエリツィン大統領、ウクライナのクラフチュク大統領、ベラルーシのシュシュケビッチ最高会議議長はソ連解体とCIS独立国家共同体の形成を宣言。ロシアは「地政学的現実」「ポスト・ソビエト空間の再統合」、ウクライナは「離婚の文明的形態」と考えた。 ・・ウクライナはCIS憲章の批准を拒否し、加盟を見送る。ロシア系住民が大多数を占めるクリミア半島と核戦略関連の黒海艦隊のゆくえは宙にういてしまった。 ウクライナの「ロシア語使用を制限し、ウクライナ語を国語にする」という厳格な言語政策を重く見たプーチンは、2011年にウクライナ東部におけるロシア語話者への支援に関与し始める。 <第4章 冷戦終結再考> ウクライナ戦争の原因であるソ連崩壊をより深く理解するには、冷戦がどれほど核戦争の危機を招き、どのように終息したのかを知る必要がある。 <第5章 分裂する文明・ウクライナ戦争の展望> ウクライナ戦争が「新冷戦」とよばれることについて論究。ボーダーライン国家をめぐる争いをどう理解するかは、現代を生きる我々には最大の政治的問題だ。 <第6章 ブローバルサウスの台頭とパクス・アメリカーナの終焉> <第7章 トランプ停戦から新世界へ> ドンバス地方やクリミア半島を放棄した形での停戦であれば、そもそもミンスク合意を誠実に実行していればよかっただけの話である。領土分割案もアメリカのウクライナ研究者たちは2014年から提唱していた。避けられたかもしれない戦争で双方合わせて100万人単位の犠牲者を出した。 <おわりに> ウクライナ戦争の背景には、1000年来の「ロシア正教・ロシア語世界」と「カトリック・ウクライナ語世界」との分裂があることはいうまでもない。 1991.12にロシア、ウクライナ、ベラルーシの首脳はソ連解体を決め、独立国家共同体(CIS)形成の新協定を締結した。が、ロシアとウクライナで条文の解釈の違いがあった。それは当時の日本の東ドイツ大使からも外務省にその訳文に差異があると報告が上がっている。・・ロシアは包括したいのに対し、ウクライナは独立を望んでいた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <表紙見返しの文> 2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、2025年6月時点ですでに3年以上続く戦争となった。2025年1月に誕生したアメリカのドナルド・トランプ政権は停戦へ向けた交渉を進めるが、その先行きは依然として不透明である。 なぜロシアはウクライナに侵攻したのか? なぜ国際社会は、戦争を防ぐことができなかったのか? ロシア研究の第一人者が、世界秩序のゆくえと、新たな「文明の衝突」の核心に迫る。 いまいち理解できなかったので、長々とメモしたが、こうしてみると、ウクライナの国境の線引きが問題だったのか? ソ連邦時代は連邦内は全部ソ連のもの、というソ連首脳部の領土拡大の考えにより、西部を第二次大戦の割譲地として取り込み、東部はレーニンが線引きした。中央部だけの国境線であればよかった? 東部をロシアに含めた線引きにレーニンがしていればどうだった?
10投稿日: 2025.08.29
