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山の音(新潮文庫)
山の音(新潮文庫)
川端康成/新潮社
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総合評価

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    10/29/2025 川端康成の鋭い感性、日本語の美しさが際立った作品だった。話は家で主に進むのだけれど、娼婦、男娼、アメリカ人など戦後の闇の部分も入れていた。ただ、修一は最低だと思った。確かに戦争は精神を崩壊に近い形にさせたかもしれない。でも、やっていいことと悪いことがある。絹子には同情しかない。勝手気ままに生きてきたとあるが、そうしなければ生きていけなかっただけであって、自分から望んだわけではないのではないか。 菊子に対する慎吾の思い、恋心というか親心寄り。保子の姉に憧れていたが、義兄に憧れていた似ても似つかない妹と結婚した。こんな始まり方でも夫婦は続いた。子供達は失敗しているのに。戦後の人々の変化も影響してるだろうし、女性は支配するものではなくなったことも大きいと思った。 老いと死は誰しも避けられないこと。今までと何ら変わらない日常の中でそれは突如として襲ってくる。どう生きるのが正解なのか、正解だったのかは考えてもわからないだろう。

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    投稿日: 2025.10.29
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    ある時代の一つの家族の日常が家長の目線で描かれたストーリー。その舅と嫁の相互の愛情が描かれている。舅は嫁を見守り、嫁は舅を慕っている光景が浮かぶ。また、舅の妻、息子そして娘の性質や関係性などが何となくわかる。 いずれにしても、1つの家族の日常が描かれている。この先どうなって行くのかを示唆するような終わり方でもないし、このストーリーが何を訴えたいかはわからなかった。

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    投稿日: 2025.08.29
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    音(聴覚)の描写が多い。 全体的に非常に読みやすかった一方、筆者がなにを言いたかったのかについて明確な答えが出せなかった。また再読する必要がある。 家族をテーマとして扱った小説であり戦後直後の家族を描いた斜陽と少し似ている部分があるかも。 また、ところどころに主人公信吾と同年代の友人が亡くなるニュースが挿入されていて、主人公にもは死期が近づいており、徐々に周りが寂しくなっている様子が間接的に表現されていて印象的だった。 長編であるにも関わらず、一章一章が独立している感じがして、あまり物語の流れを掴みやすいものではなかった。(もちろんよみ進めるにつれて話はちゃんと展開していくが)

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    投稿日: 2025.03.22
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    作者の描く女性の表現が気持ち悪いです。男にいやらしく品定めされる女の表現は読んでるだけでぞわぞわとするのにまあまあ出てきます。題名で内容はわからないものですね。

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    投稿日: 2024.11.01
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    美しい四季折々の鎌倉を舞台に、初老の尾形信吾目線で、悩ましい家族のあれこれや死への恐れと哀愁が、情緒豊かに描かれていた。 『雪国』の時も感じたが、川端康成は人の心の機微を、情景に写し込むのが本当に上手い。 例えば、信吾が栄螺を3つ買うシーン。 自分と妻・保子と嫁・菊子の分で、ここに息子・修一の分は含まれていない。 息子は別の女の元へ通っているのだ。 『…三つの貝の身が入りまざって、それぞれの貝の身が元通りの貝殻にはかえらないだろうと、信吾は妙に細かいことに気がついた』 私には三つの貝の身が三人のことに重なり、もう元の鞘には収まらないだろうことの暗示に思えた。 また、信吾が急にポツンと人肌恋しくなるシーン。 『月のまわりの雲が、不動の背の炎か、あるいは狐の玉の炎か、そういう絵にかいた炎を思わせる、珍奇な形の雲だった。 しかし、その雲の炎は冷たく薄白く、月も冷たく薄白く、信吾は急に秋気がしみた。』 もう、THE哀愁。 『秋気がしみた』って表現がこちらにも染みた。 信吾の心情だけではない。 「巴里祭」のレコードをかけた菊子が口ずさむシーンがある。 歌詞の和訳を検索すると、 「パリでは どの界隈でも 日ごとの太陽が いくつかの人生に 恋の夢を花開かせる 人々の群のなか 恋は とある二十歳の魂に宿る」 「二十歳になると ひとは夢をみる すべては 恋の色だ」 「彼女のほうも口には出さず彼を愛していた」 「感動をおぼえた魂はいつでも 愛の夢を思い起こす」 などとあり、修一のことで苦悩しながらも愛しているという菊子の気持ちを代弁しているように思えてならなかった。 術があるのなら是非読者の皆さんも聴いてみて欲しい。 シャンソンの明るい響きが菊子の立場と重なる時、胸がキュンとするほど切ない。 『…信吾は八つ手の葉の厚い青がなおいやだった。この八つ手の群さえなければ、桜の太い幹は一本立ち、その枝はあたりに伸びをさえぎるものもなく、先きが垂れるほど四方にひろがるのだった。しかし八つ手があっても、ひろがっていた。』 この八つ手は後に切られるのだけれど、 邪魔するものがなければ、もっと伸び伸びと花を咲かせられるのに…と、菊子を重ね合わせた信吾の目線のように思えた。 一方、修一の醜悪さといったらこの上ないが、彼もまた心に痛みを抱えている。 池田の言葉を借りれば「心の負傷兵」なのだった。 『山の音』、悪くなかったのだけど、どうも川端本人の美への執着が作中に溢れていて…苦笑 上手く作品に落としこまれていたので違和感はないのだけれど、気になった。 美への執着を深く突きつめれば、もっと『山の音』も別の側面まで見えてきたのかもしれないが、私には難しかった。 また、作中で信吾が暗示的によく夢を見るのだけれど、これも不眠症であった川端本人が反映されているのかしら? その他、心にとまった表現を幾つか。 『忘却と喪失とが、信吾の歩く首筋にある感じだった。』 『旧友に向って言ってみたい、そんなつぶやきが、どうしたはずみか、信吾の胸に次々と浮かんだ。 寺の門の屋根で、雀の群がしきりに鳴いていた。』 『お互いに若いころを知られているのは、親しさやなつかしさばかりではなく、苔むした自己主義の甲羅がそれをいやがりもした。』 『またしかし、夫婦というものは、おたがいの悪行を果てしなく吸いこんでしまう、不気味な沼のようでもある。』

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    投稿日: 2024.03.08