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女たちの太平洋戦争
女たちの太平洋戦争
朝日新聞社/朝日新聞出版
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総合評価

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    女性の方々の戦争体験記。語るのもお辛いこともあったでしょう…そんな気持ちで読みました。実際見たものもあれば、聞き伝えもありますがそれぞれの立場からどのようなことがあったのか語られています。 一人一人短く読みやすいものでした。 大陸のこと、日本人ではない方の体験記もあり、日本が起こした戦闘とその命令がいかに酷いものだったか考えさせられました。 人はみな命の重さは同じ。

    27
    投稿日: 2025.09.21
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    朝日新聞の編纂なので、信用できないと思ってしまうというのが読み始めの本音だが、吉田清治の慰安婦捏造も本書で取り扱っていたはずとページを捲る。その修正をしての改訂版だ。見ると、ホームページでは謝罪文。お詫びと訂正。それなら他所からツッコミを逃れたものが本書かと、多少、信用する気を取り戻して読む。 朝日新聞の読者投稿欄で女性の戦争体験記の募集が始まり、4千におよぶ手記。カタカナの外国人の海外からの投稿もあり、「おいおい見え透いた捏造はやめてくれよ、海外で朝日新聞など読むはずないだろう」と思うが、募集は日本に限らず海外まで手を広げたとの説明。 子供を産めず「非国民」の声におびえる。敵は日本人だった。搾取される性。男たちの戦争への巻き添え。女性の選挙権獲得は戦後のこと。まさに、男たちの巻き添え。いい加減にしてくれ。だが、投票できる今なら、女性は戦争を抑止できるのか。それは分からない。次は女性も加害者だ。 ー 最初のうち、時間割りには国語(朝鮮語)の時間が週に一時間ずつあった。しかし校門に「日本と朝鮮は一体である」という意味の標語が掲げられてからは、朝鮮の言葉は一切禁止された。「アボジ」(お父さん)「オモニ」(お母さん)とたった一度書いたきり、六年間習えなかった。国語を一言でも使うと、罰金一銭を払わなければならず、それは日本への国防献金として集められた。 ハングルを再発掘して朝鮮人に文明を与えたかのような言説は、「時期と相手」によってトーンは異なる。再発掘の事実はあるかもしれないが、後に言葉を禁止したなら、良い方だけ美化して語ってはならない。右や左は、こうした偏りがある。 ー 朝会では、全校生が「一つ、私どもは天皇陛下の赤子であります。この体は陛下に捧げ奉った体です」(後の文章は覚えていない)を暗唱し叫んだ。昭和十九年三月、進学するための入試の口頭試問で、私は答えた。「どうして体を丈夫にするのですか」「天皇陛下のおんためです」。 戦前は、紛れもなく宗教国家だった。 ー また、中国戦線で私は会ったことはないが、ロシア人や中国人の売春婦がいたという。この女たちは、私の見聞では自発的で金目当てであったことはその通りかと思う。しかし、男たちが恩恵を受けながら、一方で、「朝鮮ピー」と呼んで蔑視した女性たちは、ほとんど軍によって徴発された略奪に等しい仕打ちを受けた人たちなのである。その悲惨さは、戦後になってやっと明らかにされたのである。 中国、韓国に対し公平に扱う日本人なんて、戦前にも殆ど存在しなかった事は、今の日本人の彼らに対する嫌悪感からも地続きで容易に想像されよう。自分たちを聖人君子のように語りたがるが、それは欺瞞であり、他国と同様に排他的な民族である事を認める所からではないか。極端同士では会話にならない。

    86
    投稿日: 2025.08.21
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    当時も「狂っている」と感じてはいた.何が狂っているって,憲法を変えてまで戦争準備をしようとしている政党が,日本の最大勢力として支持され続けていることだ.当時すでに,憲法を変えてまで——いや,最終的には憲法を骨抜きにする法律を作ってしまった訳だけども——湾岸戦争に自衛隊を派遣したあの衝撃.憲法を骨抜きにする「法律」など本来あってはならないのに.10代半ばの僕には,本当に恐ろしかった. そう考えると,1990年代にこんな本が,そしてこんな連載が企画されていたこと自体が「なんとまともだったのだろう」と思わされる.驚きは,存在を知らなかったことではなく,その企画の健全さに向けられている. 当時の僕は若く,このテーマはあまりにも重く感じられ,自然と避けてきたのかもしれない.朝日新聞を購読していたはずなのに,この連載の存在すら知らなかった.当時の自分は,分かったふり,知ったかぶりをして,いったい何を見ていたのだろう. この本で特に際立つのは,沖縄戦の悲惨さだ.本書を読んだ直後に訪れた南部戦跡巡りは,その衝撃を補完する体験となった.日本からもアメリカからも救われなかった島.戦争被害に優劣をつけるつもりはないが,沖縄に対する構造的差別がもたらした凄惨な被害と,その後の戦後処理,現在の基地偏在,辺野古問題へと続く「捨石政策」を無視することはできない. 父の姉は,米軍の空襲で負傷し,逃げる途中で「足手まとい」と日本兵に刺されたという.住民が必死にかくまった井戸底のガマで,負傷者や亡くなった人から流れ出た血が腐り,濁った井戸水をすすりながら息絶えたと伝えられている.その日本兵だって,誰かの息子であり,誰かの父であり,誰かの夫だったかもしれない.人を愛することも,痛みを知ることもできたはずだ.それなのに……. 戦争は人を狂わせる——まさに「人の罪」以外の何ものでもない. イスラエル−パレスチナ,ウクライナ−ロシアなど,戦争は今も続いている.その根底には差別や格差,分断がある.それが国内の構造的問題として是正されるのではなく,「外に敵を作る」形で暴力的・非人間的に噴出する——それこそが戦争の本質だと思う.そして,その敵意や差別心を煽って台頭する政治集団が雨後の筍のように現れる光景は,ナチスの再来を思わせ,背筋が寒くなる.特に日本の場合,明治維新そのものが軍国的要素を多分に含み,突っ走る危うさを内包しているだけに,強い懸念を抱かざるを得ない.

    10
    投稿日: 2025.08.17
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    戦後80年、戦争の記憶は年々薄らいでいく。 忘れたい、消し去りたい記憶 書くか書かないか迷いに迷い 子や孫に同じ辛い思いをさせたくないという 強い願いからやっとの思いで筆を執った。 戦争に翻弄されやっとの思いで生き抜いた 女性や子供達が伝える戦争の真実の体験談。 当時、口に出したくてても出来なかった心の重い叫びを勇気を出して語ってくれた平和へのメッセージ。  戦争の中での生活がどんなに大変だったか、どの体験談も身につまされる思いで読みました。 戦争で多くの若い男性の命を奪い、戦後の数年間「花婿一人に花嫁はトラックいっぱい」という結婚難で幸福な結婚への夢を打ち砕かれた女性達。結婚だけでなく自分の子供の顔も見たかっただろうし子供の成長、幸せな家庭を夢見ていただろう。 幼い頃から日中戦争、満州事変、太平洋戦争と 戦争に明け暮れ、娘らしい装いも恋も娯楽もすることなく戦争に青春を奪われた女性達。 家族の「名誉の死」を望んだ間違った教育、言論統制で表現の自由を奪われ何かあれば非国民と言われ、情報統制で間違った情報を信じ込まされ自分の頭で考え、正しい判断も出来なくなってしまう恐ろしさ。 ひめゆり学徒隊をはじめ多くの学徒隊員が犠牲になった沖縄の地上戦は悲惨でまるで地獄のようだ。 兵隊や学徒隊員達の最期の言葉が「お母さん、お母さん」というのが忘れられない。 米軍の馬乗り攻撃、壕へのガス弾だけではなく、日本軍による集団自決の強要、住民虐殺、 スパイ容疑で殺害、投降の拒否、壕のなかで泣くと米軍に見つかるという理由で泣く泣く我が子を手に掛けた母親の悲劇。 沖縄は日本軍と米軍から両方から攻撃を受けた。沖縄島民の絶望は計り知れない。 中国や韓国、朝鮮、フィリピン、台湾、インドネシア、シンガポール、ソ連と実に多くの国で の辛い悲しい体験談が書いてありました。 日本軍が植民地で行っていた数々の悪行や仕打ち、終戦を機に立場が逆転し日本人が迫害される立場に。 いつだって犠牲になるのは小さい者や弱い者。 日本軍は日本でも海外でも仕事を偽って女性達を慰安所へ連れていき、慰安婦として働かせていた。 またソ連でも多くの日本人女性が無理矢理妓女にさせられました。 多くの女性が戦争に人生を奪われ傷つき愛する人を失いました。 このような辛い体験談は入試には出てこないものばかりです。 自分が知ろうと思わないと、なかなか知ることが出来ません。 何のための勉強でしょうか?都合の悪いことには蓋をする、これでは戦時下の日本と同じではないでしょうか。 原爆のことは知っていても日本が犯した罪を知らない。 自国が犯した罪を知らずに平和を語るのは違和感を感じます。 このような過ち、悲劇を二度と繰り返さないためにも今のままでは危機感を覚えます。 先の参院選でも核武装を肯定する候補者が25万票を集め当選したのと、台湾有事を想定した自衛隊の日米机上訓練で「米国も核の脅しで対抗を」と何度も求めた。非核三原則を掲げている立場の日本が核廃絶と逆行するような言動に危機感を感じずにはいられない。 全世界で戦争体験者の語り部が減り平和教育の機会が減った。 プーチン大統領は核使用を否定せず、中国の核武装増強も盛んに報じられている。 だからこそ本書のような実体験からくる生の声が持つ圧倒的な存在感のような媒体がこれからの平和教育には必要なのだと感じました。 語り部の方達の思いを無駄にしないためにもこれから何ができるのかを考え、一人一人が心の中に平和の願いを育んでいく事が大切なのだと学びました。 戦争で悲しい辛い思いを誰もしなくてよいように地球市民として平和な世界が一刻も早く来るように願うばかりです。 ノー モア ヒロシマ ノー モア ナガサキ  ノー モア ウォー

    34
    投稿日: 2025.08.10
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    朝日新聞社・編『女たちの太平洋戦争』朝日文庫。 太平洋戦争勃発から50年に朝日新聞の読者投稿欄で募集した女性の戦争体験記をまとめた朝日新聞社刊の『女たちの太平洋戦争①〜③』を再編集し、128編を収録、復刊。 主に戦争当時15歳前後だった市井の女性たちにより50年後に綴られた戦争の記憶が生々しく刻まれる。中には戦地に赴いた男性たちの告白も収録されている。 戦時中、一銭五厘の葉書1枚で戦地に赴いた成人男子たち。男性に代わって家庭を守りながら、青春時代を犠牲にし、過酷な勤労奉仕に携わった若い女性たち。様々な立場の人びとの生々しい告白は、これまでに読んだ戦争ノンフィクションや戦争小説など足下にも及ばない。 徹底した軍国主義は戦後、突如として民主主義、自由主義へと転換する。軍部により祀り立てられた天皇陛下の御名の元、軍国主義に同調しない者は非国民となじられ、過剰な暴力や不条理がまかり通る時代から、主権は国民に移り、平和が重んじられ、自由に発言出来る時代へと180°転換したのだ。 戦時体制下の強圧。戦地の父親に宛てた手紙や私物のメモなどが憲兵隊や法務官の目に触れたために、呼び出されて長々と尋問され、さらには説教される様子が書かれている。今の世の中はSNSなでで匿名で好き勝手な発言が出来ることを考えると、当時は異常な時代であったのだろう。 可哀想なのは挺身隊として、御国のために懸命に働いていたにも関わらず、スパイ扱いされた女性の告白であった。彼女の父親がもはやこの老体では御国に尽くすことが出来ないと自殺する。そして、戦後、女性は極端な男性不足により結婚を諦めるのだ。現代の日本は戦中、戦後にも関わらず少子高齢化が加速している。いつの時代も国を統治する者たちの愚かさが、こうした状況を作り出しているのだろう。 フィリピンや中国など異国で様々な苦難を味わった方の告白もあった。米軍の攻撃を受けた日本軍とその家族は泣く泣く我が子を手に掛けたという。 挺身隊として風船爆弾の製造に携わったという方の告白が複数ある。嘘か真か解らぬが風船爆弾の1つは偏西風に乗り、アメリカ本土に到達し、戦争とは無関係の少年の生命を奪ったという。 結婚しても翌日には夫が入営したり、離れ離れの生活を余儀なくされたりと束の間の新婚生活の体験談もあった。 中でも、沖縄の国内戦の描写は悲惨極まりない。あちらこちらに日本兵や民間人の死体が転がり、野戦病院には薬も無く、腕や足、顔を失い、ウジにたかられた兵士が呻いているのだ。ひめゆり学徒隊の仲間が、米軍の馬乗り攻撃で1人また1人と亡くなっていく描写には背筋が震えた。 戦後から20年余り後に岩手県の盛岡市に生まれた自分が戦争というものを意識したのは幼稚園の時である。両親に連れられ、八幡宮の秋祭り見物の帰り道に手足が欠損し、白い衣装に身を包み、軍帽とゲートルという出で立ちで、足元に募金箱を置き、ハーモニカを吹く男性たちを初めて見たのだ。父親にあれは何者かと尋ねると、『傷痍軍人』だと話し、戦争で怪我をした人のことだと教えてくれた。 父親は昭和一桁生まれで、兵隊として戦地に送られることは無かったのだが、戦争により青春時代を台無しにした世代である。父親からはよく戦時中の大変な生活の様子などを聞かされた。父親は6人兄弟の3番目で、兎に角食べる物が無く、県南に米や野菜を買い出しに行ったりしていたようだ。また、父親によれば、比較的被害の少なかった盛岡でも終戦間際に駅前に焼夷弾が落とされたということだ。 岩手県の沿岸部に位置する釜石に製鐵所があったので、艦砲射撃の標的にされた。自分が父親の転勤で移り住んだ釜石の小学校の裏山には艦砲射撃の砲弾の跡が多数あった。父親の話や戦争の痕跡を目にすると、日本の今の世が平和であることに安堵する。 しかし、世界では各地で戦争が続いており、平和に見える日本もいつ戦火に包まれるか油断は出来ない。 本体価格1,090円 ★★★★★

    78
    投稿日: 2025.07.11