Reader Store
半歩の壁
半歩の壁
山折哲雄、中橋恒/PHP研究所
作品詳細ページへ戻る

総合評価

1件)
3.0
0
0
1
0
0
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    延命治療の自粛、緩和医療やホスピスケアの充実、推進に理解を示すようになってはきた。しかし安楽死そのものの核心に手を突っ込むことはしなかった。医学はそもそも人間を生かすためにこそ存在する。死ぬことに手を貸すことなどもっての外、の一点張りを通してきたからだ。人間における「死の現場」、あるいは「死に逝く場所」に立ち入ることを禁ずる思想であり、哲学であると言っていいだろう。人が病室で死ねば、医師は首を垂れ、言葉少なく静かに病室を去っていく。その最期のときが近づいたとき、病床の遺体から去っていく。そこはもはやお医者さんの立ち入る場所ではなくなっているからだ。あと一歩、あと半歩前に進めば、そこにはまだ「死の場所」があるというのに、背中を見せて去っていく。あと一歩、あと半歩を進めば、見渡すかぎり広大な死の世界が広がっているのに去っていく。お医者さんは、なぜ「あと半歩」「あと一歩」をさらに前に踏み込もうとはしないのか。 日本人には、死を心臓死という点ではなく「老病死」という流れでとらえてきた歴史があると、宗教学者の山折哲雄は言う。いま、その思想をあらためてとらえ直すべきではないかと。その考えに、ホスピスケアを専門とする医師は、どう応えるのか、高齢多死社会が加速する中の、これからの医療のあり方、そして「死生観の転換」を問う。【目次】 第1章 山折哲雄からの宿題―第四四回日本死の臨床研究会年次大会基調メッセージ詳報(最期は食をコントロールしていた;死の定義を変える;日本人の死生観;私自身のこと) 第2章 日本人の死生観について―山折哲雄講演録より抜粋(遠野物語と姥捨て伝承―柳田國男の場合;宮沢賢治―あの世とこの世を結ぶ風;三大障害と翁の思想について考える;老いて蘇る;共生から共死へのプロセス―「老病死」の素顔) 第3章 対談 老病死を考える―宗教学者・山折哲雄vsホスピス臨床医・中橋恒 第4章 子規 命の叫び―『病牀六尺』に学ぶホスピスケア(中橋恒)(正岡子規と『病牀六尺』;『病牀六尺』から読み解く最期の希望とは) 付録 人生会議について

    0
    投稿日: 2024.12.26