
総合評価
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powered by ブクログ虫を描く女−描くだけではなく、採取して育てて、観察して、標本にして…そして絵に描いて、銅板を彫って版画にして、出版した女性!その上、南米まで出かけて熱帯の虫まで描いたというからビックリです。 なぜ、マリア・メーリアンはこんなにも虫に情熱を傾けたのか?その生涯と作品を紹介した一冊。 オランダ東インド会社とか、植民地政策とか、世界史で習ったな〜など思いながら、当時の出版の事情なども面白く読みました。 ちなみに、新書版なのにカラー挿絵が印刷されていて、最近の印刷技術すごいなと感心しました。
0投稿日: 2025.11.22
powered by ブクログ300年以上も前にこのようなパイオニアの女性がいたことに驚かされる。しかも当時の昆虫学と絵画の両方を極限まで突き詰めて。 マリア・シビラ・メーリアンという女性の生涯、出生から子供時代、結婚、離婚、病気、母親、画家であり商人、そして南アメリカのスリナムへの冒険ともいえる挑戦はどこを切り取っても魅力があります。 17世紀ヨーロッパの「見たい、知りたい、集めたい」という空気と、この方の絵の凄さが伝わる素晴らしい内容でした。
1投稿日: 2025.10.19
powered by ブクログ古くは『堤中納言物語』内の10話ある短編の一つとして、「虫めづる姫君」が紹介されている。化粧をすればそこそこなのに、、身なりに構わず昆虫に夢中である。ちょっかいをかけようとした若君は退散するが、西洋の虫めづる女性は結婚し、子供も産み、昆虫の絵を書くことを職業にさえした。しかしやはり、女性ならではの差別や理不尽とは無縁ではなかった。その女性とは、マリア・ジビーラ・メーリアンだ。 メ―リアンは実家の姓だ。実家は銅版画で有名なメ―リアン一族で、マリアの父は版画工であり「メーリアン出版社」の経営者スイス人マテウス・メーリアンだ。マリアが生まれた3年後に死去し、亡くなる前に、マリアを指して「あれはメ―リアンの娘だ」と宣言するも、長男と母親の折り合いが悪く、あっけなくメ―リアン家を出されてしまう。オランダ人であった彼女の母は静物画家のヤーコブ・マレルと再婚。しかしマレルの死後、再び母親は婚家を追い出され、裁判沙汰になる。マリアもまた働かないぐうたらな夫を捨て、メ―リアン家で唯一マリアの面倒を見てくれた次兄カスパル・メーリアンの紹介で、ソンメルデイク家が所有するワルタ城のラバディ派のキリスト教コミューンに行く。近代の夜明け前、フンボルトやリンネ、ダーウィンより昔、昆虫学という学問が存在しない時代に、独学で研究を行う。メタモルフォーゼ(変態)の概念を絵によって表現し、大西洋を渡って南米を調査旅行。昆虫や植物の姿を生々しく描いた。彼女の絵は、かのピョートル大帝も好んで取り寄せたくらいである。次女夫妻はその縁でロシアに招かれた。「女性は引っ込んで家庭を守りなさい」と母親に何度言われても「いやでもあなた失敗してるからね…」とその逆を行き、成功した。但し金を持っていた割には無縁墓に葬られている。子孫に金を残すためと徹底している。 2002年刊の『情熱の女流「昆虫画家」──メーリアン波乱万丈の生涯』復刊。
3投稿日: 2025.08.09
powered by ブクログマリア・シビラ・メーリアン。 ダブリン大学の蔵書に関する勉強中、不意に出会った女性。 ドイツではお札の顔にまでなっているとのことだが、日本ではこの手の分野は、ファーブルおじさん一択である。 ボタニカルアートが好きで、魅入られるまま関連書物を検索すると、なんと中野京子大先生の著作。読むしかなかった。 人生というものは、”そうなるようになっている“というのが私の持論である。マリア・シビラの人生も、幸、不幸を問わず、すべてのことが、少女を“虫を描く女”へと変容させていく。偶然に見せかけた神のお導きであろう。 マリア・シビラの人物像は、地味でひたむき。自分が信じたものに言葉少なく、それでも恐ろしいエネルギーで取り組んでいく。また不思議なのは、取り立てて美しくもなく、社交的でもないのに、センスが良い、大胆でビジネスも上手い。現代の昆虫図鑑は、彼女から大きく影響を受けたと言っても過言ではないほど、学者としても優れている。 父親の遺言、「おまえはメーリアンの娘」 を実証し切った。まさにイモムシ、実はアゲハチョウ!といった女性なのである。 彼女の作品の魅力は、中野先生が語るように、自然に対する素直な尊敬と畏怖の心である。この時代、花や虫を美しく描いた作品はいくらでもあった。だが、根本的な生物学的誤解があっただけでなく、寓意画のように人間の妙な概念を生物に塗り込めた、”生きているようで死んでいる”作品が多い。しかし、マリア・シビラの昆虫たちは画面上で、もそもそ動き、孵化や脱皮を乗り越える息吹を観者に与える。 花が開いているのに葉が枯れていたり、植物より圧倒的に繭玉が大きかったりと、1つの画面に見たものすべて織り込んで、生物の成り立ちをダイナミックに伝え切る作風も圧巻である。 さらに彼女の人生で面白いのは、バリバリのキャリアウーマン、でも働かない夫からDVを受け(たと思われ)、コミュニティに身を移す。しかもこの時代において離婚にまでこぎつける。妙に現代社会的なのである。 そして、さらには・・・。 それにしても時代を的確に読み手に伝える中野先生のテクニック、そして主人公の心の変遷を嗅ぎ取る力に、毎回、敬服する。客観的で出過ぎた姿勢がない、時代を映す額縁に徹している。 実はこの著作、大ヒット作「怖い絵」前のもの(復刻版)。 名画の歴史をヨーロッパの歴史とともに丹念に描き続ける中野先生、ある意味、あなたもメーリアン!
4投稿日: 2025.08.04
powered by ブクログ小さな虫の中に「神」を見た、植物画家で昆虫学者 マリア・シビラ・メーリアン(1647~1717) ドイツ紙幣、500マルク札と切手の肖像画の女性。私は名前どころか、存在さえ知らなかった。 今でこそ女性が堂々と昆虫好きなどと言えるが、 昆虫どころか薬草を摘んで煮ていても怪しい女と 見られ、魔女だと密告されるような時代、 そんな時代に独学で虫を研究し、メタモルフォーゼ(変態)の概念を絵によって表現した、 マリア・シビラ・メーリアン、 彼女は52歳の時に、憧れの南米スリナムに娘と 共に渡る(あの時代にその歳で!)マラリアで 死にかけながらも精力的に研究を続け、昆虫や 植物の姿を生き生きと描写した。 恐ろしいほどのバイタリティだ。 彼女が描いた生命力に溢れた細密画の植物や 昆虫達を、本書の挿絵でぜひ見てもらいたい。
20投稿日: 2025.07.23
powered by ブクログ17世紀、ゴシック期のドイツに生まれたマリア・メーリアン。 彼女の虫を愛で、描き、探究する、波乱の、不屈の人生を 精密で美しい作品を添えて紹介する。 ・はじめに 第一章 フランクフルト時代(~18歳) ――小さき虫に神が宿る 第二章 ニュルンベルク時代(~38歳) ――科学と芸術の幸福な融合 第三章 オランダ時代(~51歳)――繭の中で変化は起こる 第四章 スリナム時代(~54歳)――悦びの出帆 第五章 アムステルダムでの晩年(~69歳) ――不屈の魂は何度も甦る ・あとがき ・主要参考文献 ・復刊に際してのあとがき 「すごい博物画 歴史を作った大航海時代のアーティストたち」 デイビッド・アッテンボロー/著 グラフィック社で 初めてマリアの絵に出合い、驚き、興味を抱いて探した 「マリア・シビラ・メーリアン作品集 Butterflies」 グラフィック社で、彼女の作品を堪能していました。 で、更にマリアの人生が知りたいと思っていたところ、 復刊したのが、この人物伝でした。 著者ならではの、マリアの人生の歩みを辿りながら、 彼女の内面や心理を深く探ってゆく内容になっていました。 時は17世紀。メーリアン出版工房を営む父の後妻の娘に 産まれたマリアは、心身共に複雑な家族関係の中で育った。 だが彼女は虫に出会う。虫愛でる娘は、 蚕の飼育から虫のメタモルフォーゼを知る。 亡き父の出版工房と義父の絵画工房での学びも、彼女の基盤に。 結婚後、フランクフルトからニュルンベルクへ。 処女画集「花の本」出版。第二作目「虫の本」出版。 夫との別居でフランクフルトに戻り、 次兄の影響でオランダのラバディストのコミューンへ。 そこでスリナムの動物や昆虫の標本と出会う。 離婚と母の死からアムステルダムで再始動。 52歳で娘とスリナムに渡り、精力的にフィールドワークを 行うが、体調を崩して53歳でアムステルダムに戻る。 その成果は大センセーションを巻き起こす。 58歳で最高傑作の「スリナム本」を出版。 69歳での死。1771年頃までが最盛期で、その後18世紀に 批判が起こるが、20世紀半ばに再評価され、現代に至る。 昆虫学の先駆であり、研究者、画家。更に商人としての才。 バロック期、女性の第一の仕事が家事の時代に、 見たい・知りたい・集めたいをこれほどまでに追求した 生涯は、力強いものでした。そう、作品もインパクト抜群! ただ、一度忘れ去られた彼女がどのように再評価されて いったのかの言及が無かったのが、少し残念。
19投稿日: 2025.06.04
powered by ブクログ植物昆虫学者としてまた画家として素晴らしい業績を残し、また2人の女の母としての行動力など生命力に溢れたマリア・メリーアンの人生。 沢山の挿画ありその素晴らしさが伝わってきました。
0投稿日: 2025.05.31
powered by ブクログ1. はじめに 本ブリーフィング資料は、提供された複数のソース(「1.pdf」の抜粋)に基づき、マリア・シビラ・メーリアン(Maria Sibylla Merian)の生涯と業績に関する主要なテーマ、重要なアイデア、および事実をレビューすることを目的とする。資料には、関連箇所からの引用も含まれる。 2. 主要テーマと重要なアイデア 提供されたソースから読み取れる主要テーマは以下の通り。 科学と芸術の融合: メーリアンは、昆虫の変態という科学的観察に基づいた芸術作品を制作した。当時の規範において科学的探求と芸術表現、特に女性によるものは分断されていたが、彼女はその垣根を越え、両者を融合させた。彼女の作品は、単なる美麗な絵ではなく、緻密な観察に基づいた科学的記録でもあった。 「科学が芸術に奉仕すべし」という考え方が示唆されている箇所がある。(1.pdf、40ページ、100ページ) 彼女の作品が「単なる美麗な絵」ではなく「緻密な観察に基づいた科学的記録」であったことが強調されている。(1.pdf、43ページ、101ページ) 昆虫の変態に対する当時の一般的な見解(醜い虫ケラが見た目の良い蝶になるという奇跡的な変化)に対し、メーリアンは実証主義的な観察に基づき、その過程を詳細に記録した。(1.pdf、46ページ、226ページ) 女性としての自立と挑戦: 17世紀から18世紀初頭にかけての社会において、女性が芸術家として、あるいは科学者として自立し、名を成すことは極めて困難であった。メーリアンは結婚や家族の期待といった制約の中で、自身の情熱を追求し、困難な状況を乗り越えていった。 当時の女性が芸術家として成功することの困難さが示唆されている。(1.pdf、21ページ、28ページ、88ページ) 結婚後も、夫の工房の手伝いをしながらも、自身の芸術活動を続けたことが述べられている。(1.pdf、64ページ、108ページ) 再婚相手や家族からの反対に遭いながらも、スリナムへの旅を決行したことは、彼女の強い意志と自立心の現れとして描かれている。(1.pdf、109ページ、167ページ、168ページ) 昆虫への情熱と探求: メーリアンは幼少期から昆虫に深い興味を抱き、その生態や変態を観察し続けた。当時の多くの人々が昆虫を「醜い虫ケラ」と見なす中で、彼女は昆虫の美しさと生命力を見出し、その魅力を作品を通して表現した。 幼少期からの昆虫への情熱が描かれている。「彼女は新しい家では、昆虫への飽くなき興味を追求し、困難な状況を乗り越えていった。」(1.pdf、43ページ) 当時の昆虫に対する一般的な見解が「醜い虫ケラ」であったことが述べられている。(1.pdf、43ページ、46ページ) 彼女の作品に描かれた昆虫は、「強烈な生命力」「猛々しい生命力」をもって表現されている。(1.pdf、40ページ) 家族関係と葛藤: 母親との複雑な関係、義父との関係、そして再婚後の家族との葛藤が彼女の人生に大きな影響を与えた。特に再婚相手ヤコブ・マレルの家族との関係は、彼女にとって耐え難いものであったことが示唆されている。 母親との関係が「複雑な状況」であったと述べられている。(1.pdf、16ページ) 再婚相手ヤコブ・マレルとの関係や、その家族との葛藤が詳細に描かれている。(1.pdf、38ページ、108ページ、109ページ) 再婚相手マレルの家族との関係が「耐え難い」ものであったことが示唆されている。(1.pdf、16ページ、38ページ) スリナムへの旅とその成果: 晩年、メーリアンは娘と共にスリナムへの危険な旅を決行した。これは、ヨーロッパでは見られない珍しい昆虫や植物を自らの目で観察し、記録するためのものであった。この旅で得られた成果は、彼女の代表作となる『スリナム産昆虫変態図譜』に結実した。 スリナムへの旅の目的が、「ヨーロッパでは見られない珍しい昆虫や植物を自らの目で観察し、記録するため」であったことが述べられている。(1.pdf、130ページ、167ページ、168ページ) 旅で得られた成果が『スリナム産昆虫変態図譜』に結実したことが示唆されている。(1.pdf、168ページ) 『スリナム本』は、当時の社会において「斬新そのもの」であったと評価されている。(1.pdf、40ページ、208ページ) 3. 重要な事実と詳細 幼少期と家族: メーリアンはドイツのフランクフルトで出版業者マテウス・メーリアンの娘として生まれた。父親は早くに亡くなり、母親は画家のヤコブ・マレルと再婚した。義父マレルも画家であり、メーリアンは彼の工房で芸術の基礎を学んだ。(1.pdf、16ページ、20ページ、38ページ) 芸術家としての活動: メーリアンは幼い頃から並外れた才能を示し、特に花や昆虫の絵を得意とした。再婚相手の工房で働く一方で、自身でも作品を制作し、販売していた。彼女の作品は、単なる写実的な絵ではなく、昆虫の生態や変態を正確に捉えたものであった。(1.pdf、28ページ、43ページ、101ページ) 昆虫への傾倒: 彼女は幼い頃から昆虫の観察を始め、その生態を記録した。特に、毛虫が蝶になる変態の過程に魅せられ、それを緻密に観察し、絵に描き起こした。当時の多くの人々が昆虫を嫌悪する中で、彼女は昆虫の美しさを見出した。(1.pdf、43ページ、46ページ) 結婚と家族生活: メーリアンは、義父の工房の徒弟であったヨハンナ・アンドレアス・グラフと結婚し、二人の娘をもうけた。しかし、結婚生活は困難を伴い、夫との間に亀裂が生じたことが示唆されている。(1.pdf、64ページ、108ページ) ワルタ城でのラバディスト・コミュニティ: 結婚生活の破綻後、メーリアンは娘たちと共に、敬虔主義的なラバディストのコミュニティであるワルタ城に移り住んだ。ここでは労働が重視され、自給自足の生活が営まれていた。メーリアンもここで芸術活動を続け、コミュニティのために貢献した。(1.pdf、144ページ、145ページ) アムステルダムでの生活: コミュニティを離れた後、メーリアンはアムステルダムに移り住み、再び芸術家として活動を始めた。ここでは多くの学者や収集家と交流し、スリナムへの旅の準備を進めた。(1.pdf、145ページ、148ページ、150ページ) スリナムへの旅: 1699年、52歳で娘と共にスリナムへの航海に出発した。この旅は、ヨーロッパにはいない昆虫や植物の生態を観察し、記録することを目的としていた。現地の先住民からも情報を得ながら、ジャングルでのフィールドワークを行った。(1.pdf、166ページ、167ページ、168ページ、191ページ) 『スリナム産昆虫変態図譜』の制作: スリナムでの観察に基づき、帰国後に『スリナム産昆虫変態図譜』を制作・出版した。この作品は、緻密な観察に基づいた正確な昆虫の変態図とその食草を描いたものであり、当時の科学界や芸術界に大きな影響を与えた。作品は、単なる絵ではなく、科学的な記録としても価値が高かった。(1.pdf、168ページ、208ページ) 晩年: スリナムから帰国後も芸術活動を続けたが、健康を損なったことが示唆されている。娘たちに看取られ、アムステルダムで生涯を閉じた。彼女の作品は後世にも高く評価され、科学と芸術の分野に貢献した。(1.pdf、207ページ、231ページ) 4. まとめ マリア・シビラ・メーリアンは、17世紀から18世紀初頭にかけて、科学的探求と芸術表現という二つの分野を融合させた革新的な人物であった。特に昆虫の生態と変態に関する彼女の緻密な観察とそれを正確に描き出した作品は、当時の常識を覆すものであり、後世の科学者や芸術家に大きな影響を与えた。女性としての困難な時代において、自身の情熱を追求し、スリナムへの危険な旅を敢行するなど、その生涯は挑戦と自立の精神に満ちていた。家族との複雑な関係や社会的な制約の中でも、彼女は芸術と科学に対する深い愛情を貫き通し、不朽の業績を残した。
0投稿日: 2025.05.10
powered by ブクログ葉を食べる芋虫が、蛹となり、蝶や蛾になり飛び立つ。メタモルフォーゼ。本能の赴くままに動いて、時が来て、変態する。偶然おかれた環境で、生き物がそれぞれ行動し、自然界を成り立たせている。…フランクフルトの版画工の後妻の子として生まれる。父の死後、実家を追い出され、母の再婚相手の元で暮らす。孤独な少女が出会ったミクロな世界。虫さえ追っていれば幸せだった。成長し結婚する。出産し離婚する。その後、スリナムを目指す。娘とのフィールドワーク。歴史に残る「虫の本」の出版。バロック期の女性。それぞれの中の1人として生きた。
0投稿日: 2025.05.08
powered by ブクログ売り文句として「昆虫学の先駆」、「リンネ、ダーウィンよりも昔に研究を行い~」という人物の伝記であり、「マリア・メーリアン」という名前は一切知らない状態で読み始めたが、非常に興味深く読むことができた。 まだ近代科学が発達する前で昆虫学もない(おそらく生物学もなく、博物学が大勢を占める)時代に、変態含めて自然観察を前提として書籍を作成した女性であり、その生涯の業績だけでなく、関係者や親類とのやり取り方から、時代の背景を知ることができ、興味深く読むことが出来た。 レーウェンフックとの関係とやり取りはちょっと笑ってしまった。
0投稿日: 2025.05.04
