
総合評価
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powered by ブクログ出生による選別という自己努力では決して外すことができない鎖に繋がれて、虐げられ、否定されるのはどれほどの辛さなのだろう。
0投稿日: 2026.01.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
丑松の思い悩むところ、共感するところがあり、その我慢と悔しさと葛藤がすごく刺さってしまって、最後銀之助とお志保と別れるところ泣きそうになった。 母が「藤村ってすごく真面目で思い詰めるよね」って言ってたのがすごくよくわかった。
0投稿日: 2026.01.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「穢多」が明確に差別として描かれているのに、明らかに差別でありながら作中全くそれとして描かれていないものが存在する。「女性蔑視」である。 主人公の丑松は穢多という差別階級に置かれながら女性に対して軽薄に見下した描写をする。「女のことだから到底秘密は守れない」などetc。それを差別として意識して発言しているようでもないし作者も意識して描いているとは思えない。丑松の秘密を言いふらすのが高柳や町会議員といった「男」であるのがまた皮肉である。 7人もの子を抱えて生活が苦しいのに定年を待たずして己の身勝手で退職する先輩教師に同情を寄せる丑松。そこには我が子義理の子の面倒を見ながら働いているのに腐されるその妻への同情は一切見受けられない。その娘も父親の身勝手な理由で寺へと預けられるのにそれを疑問に思う節も一切ない。 時代がそうだった、と言われればまあそうなんだろう。しかし穢多がその時代においてきちんと差別として描写されているのに女性はそうではなく現代においてようやく、いや現代においてもなおこの明治時代の価値観から抜けていない人間が散見されるのがなんとも。
0投稿日: 2025.12.20
powered by ブクログ叔父が好きだった本だよ、と祖母が私にくれました。 丑松に人並みに仕事も恋愛も交友も楽しんでほしいと思いました。
0投稿日: 2025.12.03
powered by ブクログ部落に生まれた人々の悲しさがよく分かると言うと、この本の趣旨からずれてしまうかもしれない。丑松は本当にたくましい男だと思う。 丑松はその父親の死で、穢多であると言う素性を「隠せ」という生前からの教えがさらに重くのしかかるものの、尊敬する部落解放の運動家の猪子蓮太郎の壮絶な死をきっかけに、自分が部落出身であることを周りに告白することにした。結果的には、丑松は勤めていた学校から追放されてしまうが、彼を慕っていた大勢の学校の生徒や、友人で同僚でもある銀之助などが、丑松が東京へ出発するときには見送りに来たし、心が通じ合っていたお志保とも気持ちよく別れることができて、テキサスという新天地に向かう丑松は自分なりになんだかんだ幸せでもあったんじゃないかと思う。 登場人物全員がそれぞれ問題を抱えていて物語中でそれに変化が起きていき、面白かった。最初なんでもないように思われた人が実は結構重要だったりして、読み応えもあった。 島崎藤村の本は初めてだったが、情景描写がこんなに上手い人を今まで読んだことがない。特に山の描写は眼前に山々の姿が浮かんでくるようだった。それも良かった点だ。 部落差別は不条理なものであってはならないものだが、今も残る。当時は穢多への風当たりもいっそう強烈だったろうから、丑松の苦労は大変なものだったろう。部落問題には僕は一切関心がなかったが、これを機に数冊部落問題に関する本を読みたくなった。書店やブックオフで部落問題の本があったらぜひ購入したい
1投稿日: 2025.11.30
powered by ブクログこれは傑作だ……。人の醜さも美しさも全て入っている。とてつもなく残酷な世界だけれど、それでもきっと誰かが見てくれているから、前を向いて歩いていけるはずだと、そう強く信じ願う作品だ。そして今も、文学の必要性を示し続ける作品だ。 丑松は周りの人々をしっかり見ていた。そんな誠実な彼を周りの人々も見ていた。それが、差別を乗り越えて絆となった。今の社会も、この作品の時代と何も変わっていない。差別は吹き荒れ、人は権力に惑わされ、苦しむゆえに他者を傷つけてしまう人もいる。そんな社会で、この作品の彼らのように、私は誰かを見ることができるだろうか。前を向くことができるだろうか。
1投稿日: 2025.11.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
長野県 小諸城址 懐古園にある島崎藤村記念館を訪れた際に、藤村が小諸で教師生活を送りながら初めて小説に挑戦した作品であることを知り読んでみたいと思った。 明治期、近代化が進んでいる中でも差別や身分制度が残っていた。被差別部落出身の青年教師 瀬川丑松の葛藤と戒めを破ったことで起こる真実が心を揺さぶる。現代の自分たちも決して他人事ではないことも知るきっかけとなった。 被差別部落出身でありながら「我は穢多なり」と公言し、差別と戦う猪子蓮太郎に打ち明けようか悩む様は胸が締め付けられる。蓮太郎は丑松の出生についてなんとなく気づいていたのではないか・・・ また、学校の子どもたちに穢多であることを打ち明け、陰ながら子どもたちの幸福や出世を祈っていると伝えた場面は切なさとようやく真実が言えたことに胸がいっぱいになった。 お互いに慕っていた丑松とお志保が最後の別れとなってしまったのは悲しいが、真実を知っても見送りに来てくれたことは丑松にとって幸せだったろう。また、銀之助の丑松への変わらぬ友情はとても尊い。銀之助の存在が救いだ。 藤村の風景描写はこの小説を読んでいてとても心に響いた。映画化もされているとかで、納得。
2投稿日: 2025.09.16
powered by ブクログ土屋君にまさか丑松が穢多ではあるまいとバレそうになったシーンでは本当にヒヤヒヤして、何となく好きだった土屋君を嫌いそうにもなったが、ラストでの土屋君の行動は胸を衝いた。 しっかり二度涙を流す程感動したし、いちいち丑松と一緒に心を動かしたりするくらい感情移入する良作だった。風景描写も精緻で景色が頭に浮かんできて綺麗だった。読んでよかった
1投稿日: 2025.09.11
powered by ブクログ感涙必至!また、日本文学史を少しでも意識するなら、社会性を問うている斬新さから、完全に必読書。 『破戒』が問うている世界は、日本社会そのものの危うさ。関東大震災の時に韓国人を虐殺していることや現代のsnsにおいても人が「これが正義だ!」と思った瞬間、一歩踏み込んで容易に人を傷つけること。人々の「安心」は、隠された攻撃なのかもしれない。 重要なことは、それらと向き合う人々から「人間性」が表出すること。別の世界を目指すことや苦しんだからこそ平然と向き合える新しい世界。たしかに、私たちはそうやって生き延びてきた側面がある。 大江健三郎の『個人的な体験』のラストにも通じる生の可能性は必見。 いや、もう…悔しくてかんぺき泣きましたわ。日本社会は変わってない。だが一方で、文学が希望をひねり出すことも変わってはいない。それらをつつみこんだ世界でどうふるまうか、これは読者がどう生きるかという問題。
15投稿日: 2025.09.10
powered by ブクログ日本人のタブー穢多非人を題材にした小説。 恐らく今の若い人は穢多非人と聞いてもなんのことか分からないのではないか。なぜなら学校で教えていないから。そういう私自身も学校で詳しく習った記憶はなく、地域的にも縁が薄かったため、大人になるまで詳細は知らなかった。 江戸時代の身分制度の名残が令和の現代にまであるなんて思いもよらなかった。 本書は明治期に書かれた小説。 穢多非人へのあらゆる差別は明治政府により廃止されたが、当たり前だが制度として廃止されても人々の差別感情はそう簡単にはなくならない。差別とはそういうもの。 本書の主人公は学校教師で生徒にもよく慕われているが、出自が穢多のために、その人生はくらい影を落とす。 出自をいかに隠して生きていくか、前半はそこに焦点があてられている。後半では隠すことに限界を感じ、なぜ隠さなければならないのかの苦悩が丁寧に描かれている。 最終的に、穢多であることを周囲に打ち明け、アメリカに渡り、人生いちからやり直すという展開で幕を閉じる。 一見ハッピーエンドのように見えて、穢多と知れたらもう日本では真っ当に生きていけないことの表れでもあると感じる。 穢多というのは、そもそも穢れが多いと書く。動物や人の死に関わる仕事の人たちを穢れた仕事を担うことから穢多と呼んだのが始まりだそうな。 江戸時代より前から、そういう人たちはいて、身分としてはっきり線引きしたのが江戸幕府。 これはもちろん、庶民たちの不平不満を幕府に向けさせないための策略のひとつであった。 穢多非人の人たちは、そもそも同じ人間として扱われなかった。しかし、その仕事は死に関わることからも分かるようになくてはならない仕事。 杉田玄白の解体新書には多大な貢献をしたし、太鼓や草履など、当時の人たちの生活必需品を生産していた。 知れば知るほどあまりにも理不尽な差別と感じる。 日本に差別はなかったと未だに言う人がいるが、きちんと歴史を学ぶべきだと思う。 日本人は、自分たちの国の歴史をあまりにも知らなさすぎる。
2投稿日: 2025.07.14
powered by ブクログ最初はビビるくらい読み辛くてKindleの辞書機能にありがたみを感じる日々だった。 いやそこ漢字使わんくていいやろみたいな接続詞がことごとく漢字なの辛かったけどだんだんそれが堪らなくなってくるやつ。 部落差別については遥か昔に教育を受けた気がするけどやっぱり意味がわからない…他人の先祖の職業とか割と興味なくない? と思えることこそが差別をなくす運動の成果なのだろうなと思った。 物語自体は令和の感覚だと何かトリッキーなことが起こるわけではないけど被差別者の感じる苦しみとかやるせなさみたいなのが丁寧に描かれていて最後の銀之助が丑松を助けるシーンや子供達が校長に掛け合うシーンでは涙が出た。 素直に素晴らしい作品だと思った。
1投稿日: 2025.06.06
powered by ブクログ読み始めは言葉が少し難しいかなと思ったけど、読み進めていくうちに慣れていった。部落差別がテーマ。主人公が自身の身分を打ち明ける前に噂が広がって行く中で、それに丑松が怯える描写が肌で感じ取れるように書かれていた。告白をしてからも、気の毒に思って助けてくれる友人や旅立ちに会いに来てくれる生徒もいて、全ての人が非情な人でなくてよかった。
0投稿日: 2025.05.30
powered by ブクログ引っ張りに引っ張られ、その度に集中力が途切れてしまい、読み終えるのに1ヶ月以上かかってしまいました。 これを読んでいなければ何冊読めていたんだろう…。でも読めてよかった。
0投稿日: 2025.04.17
powered by ブクログテーマは重いですが、情景描写のゆったりどっしりした感じと、主人公の内面の焦燥感がそのまま社会問題にも当てはまってるようで感慨深い。信州の冬は体験したことないのでぜひしてみたい。
8投稿日: 2025.03.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
森達也氏の「いのちの食べかた」で知り、読んでみたいと思い3年ほど過ぎていた。「破戒」は差別的用語を他の言葉に言い換えた改訂版が出版された過去がある。 「『破戒』初版本はそれがなまの形でなされる限り、差別を温存させ、挑発しようとする日本のマス・コミュニケーションに一つの大きな援助をさしのべることになる」 この一文に現代のマスコミを取り巻く諸問題を思い出し、歴史を繰り返しているのだと実感を持った。
1投稿日: 2025.03.10
powered by ブクログ明けましておめでとうございます! 昨年暮れから読み始めて、本日までかかってしまいました。 主人公の丑松は師範学校卒の小学校教諭。子供の頃は何も意識していなかったが、活動家の猪子蓮太郎との交流を通して父の戒めの意味を知り、独り思い悩む日々を送る。その戒めとは穢多に産まれた自分の境遇を隠し通せというもの。 本編の後に当時の差別問題の記述があり、想像を絶するものがあっただろうと思います。 物語の9割は辛く苦しい内容で新年に読むには何度も心折れそうになりました。 猪子蓮太郎の死後、自分の境遇を打ち明けた後、学校はろくでもない校長たちに追い出されるも、最後は同期の土屋銀之助や猪子蓮太郎の妻たちの助力もあり、希望の光が見えるラストに救われました。 最後まで読んで良かった。 今年もよろしくお願いします!
50投稿日: 2025.01.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
めちゃくちゃ時間はかかったがやっと読了。 物語は引き込まれるような魅力があったが、とにかく今の自分には難しい内容だった。日本に実際にあった穢多の差別。差別と言えばアジア人や黒人差別ぐらいしか知らず、穢多の事は教科書でサラッと習ったぐらいで実態はよく分かってなかった。だけどこの本では差別がいかに根深いかそして当事者が暗く澱んだ考えをしてしまうかがとてもひりつくような感じで書かれており、最後読み切った時はなぜか涙が出てきてました笑。 内容は一貫して薄暗い感じだけど所々にある自然の描写はとても綺麗で読みながらこの景色を見てみたい!と強く思った。
1投稿日: 2024.12.22
powered by ブクログ読了まで1ヶ月、色々なことを考えながら読んだ日本の傑作。 現代でも差別意識(偏見等)があって、困ることも多い中、当時の概況を考えると筆舌に耐えがたい。
2投稿日: 2024.09.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
丑松が自分の出自を告白した後の展開が気になって読んでみました。 まさか宿屋から放逐された大日向が最後に丑松に絡んでくるとは思っていなかった。 最後の展開も、身分に関わらず慕ってくれる丑松の生徒やお志保、身分が穢多であれ友達思いの銀之助たちのお陰で、丑松が報われていて良かった。
1投稿日: 2024.08.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
丑松の苦悩と葛藤が伝わり今まで読んだ本の中で1番、一度本を読む手を止めて考えたり、悩んだりする時間が多かった。 丑松が生徒や銀之助に自分の身分を打ち明ける場面は彼の覚悟が伝わりとても心に響いた。 最後はうまい事いきすぎている気もするけど、個人的にはそれくらい報われてもいい程丑松は思い悩んで苦しんできたので、丑松良かったね!!って感じでした。 日本の歴史をまた差別について知る上でも、人生で一度は読むべき一冊だと思う。
2投稿日: 2024.07.17
powered by ブクログ著者、島崎藤村、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日(明治5年2月17日) - 1943年(昭和18年)8月22日)は、日本における詩人又は小説家である。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。帝国芸術院会員。 ---引用終了 本作が刊行されたのは1906年。 同年に漱石の『草枕』が刊行されています。 そこで、生年没年の確認。 島崎藤村(1872~1943) 夏目漱石(1867~1916) そして、本作の書き出しは、次のとおり。 ---引用開始 蓮華寺では下宿を兼ねた。瀬川丑松が急に転宿を思い立って、借りることにした部屋というのは、その蔵裏つづきにある二階の角のところ。寺は信州下水内郡飯山町二十何ヵ寺の一つ、真宗に附属する古刹で、丁度その二階の窓に倚凭って眺めると、銀杏の大木を経てて飯山の町の一部分も見える。 ---引用終了 それから、本作は数回映画化されているので、公開年と主演(瀬川丑松)を少々見ておきます。 1948年 池部良(1918~2010) 1962年 市川雷蔵(1931~1969) 2022年 間宮祥太朗(1993~)
46投稿日: 2024.07.09
powered by ブクログ被差別部落問題の本は、他に“橋のない川”を読んだことがある。それとは違いこちらは、当事者の丑松のカミングアウトまでの長い長い心のうちをあの手この手で描いている。
1投稿日: 2024.07.04
powered by ブクログみんなに「新平民だけど、でもあの人は」みたいな言われ方をしてて、生まれでなく個人として評価されてることは良かったと思うけど、新平民そのものに対してはまだ偏見があるって感じがするから、やっぱりそこを拭い去るのは難しいんだね〜〜〜
1投稿日: 2024.06.24
powered by ブクログまず述べておきたいのは、本作は解説を含めて読むことで当時の時代背景や差別の実態を把握しなければ、真に理解することはできないという点である。 本作は被差別部落出身者である主人公が素性を隠して教員として勤務するが、尊敬する同じ被差別部落出身の思想家の横死を経て、父から与えられた素性を明らかにするなという戒めを破るまでの葛藤を描いた物語である。 解説にも指摘されているように、本作は藤村の差別意識が無意識に表出している部分もあり、また結末も差別からのある種の逃避になっているため、社会派的小説としては極めて不完全ではあるものの、逆にそのこと事態が思想的な理想を描いた空虚な小説ではなく、ヒューマンドラマとしての凄みを付与しているように思える。
1投稿日: 2024.05.13
powered by ブクログほぼ裏表紙の説明通りではあったが、穢多であることを隠しながら生活していた丑松に関する物語。 新平民という言葉はあれだ、実態はまたまだ差別が当たり前のように存在した日本が描かれており、当時の状況が垣間見える作品。 文章自体は現代のものに慣れていると読みにくさはあるし、いろいろ保管しながらでないと理解が難しいところもあるが、ゆっくり時間をかけてでも読んでおきたい作品だと感じた。 先日読んだ蟹工船と合わせ、日本の歴史を学びたいと感じる一冊。
1投稿日: 2024.05.10
powered by ブクログ★★★★ 何度も読みたい これは地元から離れ、普通の生活を手に入れた穢多の青年が、たった一人で抱えた自身の出自の秘密に苦しむ話である。 主人公瀬川丑松は部落出身であり、その身分を隠して教員として生計を立てていた。彼は堂々と己の出自を明らかにして活動する、部落出身の猪子蓮太郎を慕っているが、如何なる時も誰に対しても家系の秘密を隠し通せと言う父の言葉や恐れがあり、蓮太郎にすらも自分の秘密を伝えられていなかった。なぜなら彼は自分が穢多であるという事実が知られれば、今の生活は到底続けられないと知っていたから。 部落差別という、現代では表立って騒がれなくなった問題だったが、写実的な描写や何気なく穢多を貶す友人との会話などにより、容易に自身のことを詳らかにできない丑松の苦悩がよく伝わってきた。最初から馬が合わない同僚より、師範校時代からの親友から拒絶かもしれない方が堪える。 蓮太郎に自分が同胞だと伝えようとしていつまでももたもたとしている部分はひどくじれったかった。また学校内に噂が広まりだしてから蓮太郎の本を手放すのも悪手に感じた。古本屋から情報が漏れることもありそうだし、何より事実が露見しかけてから後悔するなら、最初からそういった本は購入せず、蓮太郎の思想に賛同しているという姿勢を外で見せなければよかったのにと思った。 しかしこれもまた、たった一人で戦う丑松の心を支えていたものなのだと思うと、どうにも完全には否定できない。進撃のライナーみたいな人間らしさを感じる。 この小説にはかなり長い解説がついている。そこで批判として、クライマックスで丑松が自分は穢多であると告白するシーンで、彼が謝罪という形をとったことが言及されていた。丑松は蓮太郎のように「我は穢多なり。」とは言わず、ただ穢多である自分がこうして身分を偽り、生徒や同僚に接していたことを懺悔するのだ。彼がこうしたやり方で自分のことを話したから生徒は彼が穢多だと知った後も彼を慕っていたのだろう。しかし、この部分はどうしても瀬川丑松というキャラクターの一貫性の無さを感じた.
0投稿日: 2024.04.23
powered by ブクログ2024.04.07〜05.09 情景描写が美しい。「青白い闇」なんて言葉、素敵だ。丑松の辛さ、絶望感が手に取るようにわかる。 当時の生きづらい世の中を、丑松を通して描かれている。が、生きづらい世の中は、今でも変わらない。対象が身分ではな無くなっただけだ。
3投稿日: 2024.04.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この作品は社会小説でも自己告白でもなく、紛れもなく「瀬川丑松」の物語なのだ。穢多として生まれ、それを隠して教員となり、葛藤の末打ち明けた青年の物語なのだ。 私がこの本の感想を語るとすると、自分を認めるのが大事だとか、自分を抑えるのが1番辛いだとか、そういうありきたりで薄っぺらなことを言いたくなってしまう。そんな風に瀬川丑松の凄絶な人生を一言で表してしまうのは、彼に失礼ではないだろうか。 私は瀬川丑松が好きだ。銀之助がいてよかった。それでいいのではないか。 この先丑松はどうなるのだろう。彼のことだからテキサスで真面目に働くのだろうが、また思い悩まないか心配だ。いつか丑松が、研究者となった銀之助に、テキサスの経験を楽しく話せる日が来ることを期待している。 (エンドロールにその1枚絵を載せてくれ)
2投稿日: 2024.03.10
powered by ブクログ差別と偏見の中で生きてきた丑松(うしまつ)。 明治時代、穢多という卑しい身分の部落で生まれ育った彼は、やがて教師となるが、父から身分を隠せと堅く戒められていた。 上手く隠しながら生きていたが、隠さず正々堂々と戦う先輩に憧るようになり、何度も打ち明けたい衝動に駆られ、葛藤の末ついに父の戒めを破戒してしまう。 秘密を一人で抱えて生きることも、自白して差別されながら生きることも、どちらを選択しても苦しい。ただそこに生まれただけなのに。正義感だけでは生きていけないのが人間社会なんだな。 多様性が叫ばれる現代においても、差別や偏見が完全になくなることはない。どうしても多数派の意見が強くなってしまうところがある。 時代の常識にとらわれず、物事の本質を見極めて生きていきたいな。
48投稿日: 2024.02.25
powered by ブクログ昨年から細々と読み続け、やっと読了。一気読みするには苦しくなる作品。 凄く良かった。 自分の努力ではどうにもならない部落という偏見。 父からの戒めを破った時、新たな人生がはじまる。 丑松の内面の葛藤が、言葉巧みに描かれてあって、感動した。改めて昔の文学作品は今も尚素晴らしいと思う。 日々揺れ動く感情。出来そうで出来ない。今日こそ!でも結局…自分の頭の中での葛藤が痛いほど伝わった。 そして、信州の四季折々の風景や、生徒との関わりも、素晴らしく書けている。 勤勉さと日々を真面目に積み重ねた結果の、友情や恋や、新たな人生。 後ろ表紙のあらすじの印象が、中身を読んでみると少し違って、自分的には残念。自力でテキサスへの道を切り開いた訳じゃないし、あ、ここで終わるんだ…結末まで書いてるやん…みたいな。でも、分かった上でも、読んで損なし。 読めて良かった。素晴らしい。
32投稿日: 2024.01.27
powered by ブクログ内面描写が丁寧すぎて、ただただ丑松に感情移入してしまった。それでいてハラハラドキドキ感もあり、全く飽きさせない展開の連続で、スラスラ読めてしまった。日本人として、語り継がないといけない作品。忘れることができないと思う。
0投稿日: 2023.12.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
19世紀中盤、300年以上続いた江戸時代は終わりを迎えた。明治新政府は四民平等を目指し、法令によってそれまで社会に根強く蔓延っていた差別は撤廃された。 しかし、理想と現実は異なるのが世の常。社会には、新たに平民の身分を与えられた旧被差別階級、別名「新平民」に対する差別が根強く残っており、彼らは人々が忌避する食肉加工業などに従事させられ、一般人と同じ職業に就くことはおろか、一般人との交流さえ拒否され続けていた。 そんな明治期、自らが新平民であることを隠して教師となった、瀬川丑松という若者がいた。彼の心には、父親の言葉が刻み込まれていた。「自分の出自は絶対に隠せ」――そうしないと生きていけないのだから。丑松は一般の平民として教壇に立ち続けた。 しかし、次第に丑松の心に葛藤が生まれていく。平民でいるためには「新平民」を差別しなくてはならない。それは自分自身を、自分の親を差別するのと同義――しかし差別と闘ったら、自らが新平民だと知られたら、自分はもう教師としては生きていけない…。平民の中に混ざり、平民たちの側から新平民の境遇を見るにつけて、丑松の苦しみは増すばかり。 そしてある日、ふとしたことから丑松の出自は周囲の知ることとなり……。 字面だけ見ると縁起の良い「明治」、西洋文化が流入した明るい新時代と思われがちな「明治」、富国強兵の旗印の下、現代の基礎が作られたと認知されている「明治」…… それらすべてが事実である一方、明治期の日本社会の暗部はあまり知られていない。関東大震災で崩壊するまで、東京には巨大なスラム街が存在し、そこでは東京市内(※当時は東京は都ではなく市だった)の残飯が量り売りされ、その残飯は、大都市東京を支える肉体労働者の日々の食事となっていた…このエピソードだけでも十分ショッキングだろう(詳しくは松原岩五郎『再暗黒の東京』を参照)。 こうしたスラム街は明治期に導入された資本主義経済が生み出したものだが、一方の「新平民」に対する差別は、明治はおろか、江戸期以前から存在し続けていたものだった。不可触民扱いだった彼らを救済しようと明治政府が発した法令等はどれも焼け石に水で、新平民の世間からの扱いは江戸期と何ら変わることがなかった。 本作は、そうした差別に晒され続けた一新平民の若者の姿を描いた、比較的社会派な小説といえる。藤村らしい美しい風景描写は、ある時は物語を明るく希望に満ちたものに、またある時はこの上なく悲壮なものに、自由自在に雰囲気を醸成している。であるがゆえ、本作の悲壮な部分はトコトン悲壮である。何度丑松に感情移入し、胸が張り裂けそうになったことか。出自による差別を筆者は経験したことがないが、だからこそなおさら、想像できない苦しみを背負わされた者の感情を想像させられ、胸が詰まる(またまた歴史的な話になるが、新平民が自らを否定せず、肯定して生きようという路線の差別撤廃運動が始まるのは昭和に入ってからのことで、丑松が生きた時代には、まだ江戸時代の閉鎖的な空気が色濃く残っていた。彼らは本当に、苦しみ続けるしか道が無かったのだ)。 なんだかとても長くなってしまったが、本作は上述したような歴史的背景を知っていたら、なおさら楽しめる作品である。藤村の作品である以上、魅力的であることは言うまでもないが、そうした歴史も知っていればより一層『破戒』の世界を味わえる、ということを、一歴史オタクとして伝えておきたい。 最新の所在はOPACを確認してください。 TEA-OPACはこちら→ https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00185470
0投稿日: 2023.12.12
powered by ブクログ初めの方はよくわからなかったが、お父さんが死ぬところあたりからだんだんわかるようになった。 獣医として牛が屠殺される情景があるのがよかった。 感想としてはこれで終わり!?という感じ。ハッピーエンドの続きが読みたい。
0投稿日: 2023.11.09
powered by ブクログ大満足の一冊。穢多の家系に生まれた主人公の物語で、差別問題に目を向けた作品ともとれるが、個人的には、主人公の豊かな感情と揺れ動く心の模様を巧みに表現している作者の文章力そのものに非常に魅力を感じた。 また舞台である信州の情景などが、よく表現されており聖地巡りをしたくなる一冊。
24投稿日: 2023.10.31
powered by ブクログ明治後期、被差別部落に生まれた主人公・瀬川丑松は、その生い立ちと身分を隠して生きよ、と父より戒めを受けて育ちました。 その戒めを頑なに守りながら成人し、丑松は小学校教員となります。 そんなとき同じく自らが(えた)であることを公言している解放運動家、猪子蓮太郎の本の影響を受け彼を慕うようになります。 丑松は、猪子にならば自らの出生を打ち明けたいと思い、口まで出掛かかることもあるが、その思いは揺れ、日々は過ぎていきます。
0投稿日: 2023.10.27
powered by ブクログ表紙の絵のように主人公は暗中を彷徨っている。 僕はこの問題を述べる言葉をおそらく持っていない。 それは自分の中にある差別意識を慎重に点検しなくてはいけないと思うから。 この作品は1人の人間が境遇に苦悩し立ち向かおうとする物語として、それがいかに過酷であるか、読む人にその覚悟を求める。 ラストシーンは心残りである、 それがこの問題を考え続けることを促している。
6投稿日: 2023.08.31
powered by ブクログラストシーンが良かった。 主人公は自分が穢多であることを気にしていたし、実際ひどく差別する人間もいた。でも、学生たちや友人など、主人公を一人の人間として慕う人たちも、実は主人公の周りにたくさんいた。 穢多という言葉は廃れても、色々な差別が今の時代にも残っている。それをひしひしと感じる今、いろいろと考えさせられる小説だった。 また、「苦しんで戦ってそれで女になるように生まれてきた…人の知らない悲しい日もあるかわりに人の知らない楽しい日もある」という言葉が心に残った。
3投稿日: 2023.08.25
powered by ブクログ人は差別という言葉の存在を無くさなければならない。同時に差別という言葉が存在したことを忘れてはならない。私はこの矛盾を破壊したい。
23投稿日: 2023.08.14
powered by ブクログ穢多である瀬川丑松の苦悩を描いた作品。父親から身分を隠すよう戒めを受けた丑松は身分を隠しながら長野で教員をしていた。丑松が部落出身であると言う噂が流れかつ師匠と仰いでいた穢多の猪子蓮太郎が襲われ死んでしまったことを受け自身の身分を打ち明けることとなる。題名である破戒とは父の戒めを破るということで、実際に生徒に身分を打ち明け得たであることを隠していたことを詫びる場面はとても悲哀に満ちた描写となっていた。今では部落差別なんてものはほぼ存在しないが明治頃は頻繁に起こっていたと考えると恐ろしいことである。出身だけで能力関係なく社会から追放される世の中が実際にあったんだなと。銀之助やお志保のように丑松の身分を知ってもなお否定せず受け入れる人も実際にはいただろうが少数だったんだろう。校長や文平は身分はあるが心が卑しいように描かれてて身分でなく一個人として人を見る必要があると感じた
4投稿日: 2023.07.31
powered by ブクログ【読もうと思った理由】 直近で読んだ三木清氏の「人生論ノート」の感想欄(雑感)にも書いたが、本書を読もうと思ったきっかけは、ロシア人YouTuberのAlyona(アリョーナ)氏の「これって渋い?好きな日本文学作品について語ってみた」の動画がきっかけだ。その動画では、島崎藤村氏の「破戒」以外の日本文学作品も、いくつか紹介してくれているが、僕が一番興味関心を惹かれたのは「破戒」だった。またAlyona氏が、別の動画で紹介してくれていたが、ロシアでは、文学と国語(現代文)は、そもそも教科(科目)が別々に別れているとのこと。日本だと現代文の中で文学作品も学ぶが、ロシアでは、文学は独立した教科になっているんだとか。なるほど。国家として、文学にそこまで力を入れているので、稀代の小説家や小説好きが多い理由に、深く納得できた。 実はこの動画を見る前から日本近代文学も、そろそろ本格的に読み進めていかないとなぁと思い始めていた。最終的に理解したいのは、もちろん夏目漱石氏の世界観だ。ただその前にもう何人か近代小説家を読んで、もう少し慣れてからの方が良いかなぁと思っていた矢先だったので、ちょうど良いタイミングだと思い、読もう思った。 【島崎藤村氏って、どんな人?】 明治5年(1872)3月25日、筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。本名:島崎春樹(しまざき はるき)。明治14年、9歳で学問のため上京、同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。明治学院普通科卒業。卒業後「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍。明治30年には第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人としてその文学的第一歩を踏み出した。『一葉舟』『夏草』と続刊、明治32年函館出身の秦冬子と結婚。 長野県小諸義塾に赴任。第四詩集『落梅集』を刊行。『千曲川旅情のうた』『椰子の実』『惜別のうた』などは一世紀を越えた今も歌い継がれている。詩人として出発した藤村は、徐々に散文に移行。明治38年に上京、翌年『破戒』を自費出版、小説家に転身した。続けて透谷らとの交遊を題材にした『春』、二大旧家の没落を描いた『家』などを出版、日本の自然主義文学を代表する作家となる。明治43年、4人の幼い子供を残し妻死去。大正2年に渡仏、第一次世界大戦に遭遇し帰国。童話集『幼きものに』、小説『桜の実の熟する時』、『新生』、『嵐』、紀行文集『仏蘭西だより』『海へ』などを発表。 昭和3年、川越出身の加藤静子と再婚。昭和4年より10年まで「中央公論」に、父をモデルとして明治維新前後を描いた長編小説『夜明け前』を連載、歴史小説として高い評価を受ける。昭和10年、初代日本ペンクラブ会長に就任、翌年日本代表として南米アルゼンチンで開催された国際ペンクラブ大会に出席。昭和18年、大磯の自宅で、『東方の門』執筆中に倒れ、71歳で脳卒中で没。 【感想】 日本近代文学の礎を築いたという夏目漱石氏をして、「明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思う」と、森田草平氏宛の手紙に書いたという。そう、あの夏目漱石氏も絶賛した小説が本書「破戒」だ。 日本近代文学って、もっと読みにくくて、暗くて、読むのにパワーがいる作品ばかりだと思っていた。ただ少なくとも今作は、僕が過去読んだ近代文学の中では珍しく、読後感が前向きになれて、最後に希望を感じられるエンディングだった。これはいわゆる、ハッピーエンドと言っても良いのではと思う。誇張でも何でもなく、最後数十ページはラストが気になり、家まで待てずに帰宅時の最寄駅のホームのベンチに座って、読み切ってしまった。 今作であれば、日本近代文学にアレルギーを起こしてしまっている人でも、チャレンジしてみる価値がある作品だと思った。それほどに読みやすい。仮名遣いもほぼ現代と変わらず、漢字率は確かに高いが、難しい漢字にはルビを振ってくれているので、誇張ではなく、現代文学と比べても、遜色なく読み進められる。また島崎藤村氏は、もともと詩人でもあるので、文章が非常に流麗で、また凄く感情移入がしやすい文体だ。なので、藤村氏の世界観に比較的簡単に没入できる。 このあたりで簡単にあらすじを書くと、以下となる。 主人公は長野県の山奥で教師をしている瀬川丑松。若い彼にはたった一つの秘密があった。それは彼が穢多(えた)という身分の生まれであること。時代は明治後期、法改正がなされたとはいえ、身分による差別は、日本中にまだまだあり、ほとんどの穢多が蔑まれながら生きていた時代。よって丑松は父親から口酸っぱく「身分を何があっても隠せ」と言われ続けてきた。丑松は、真面目に父親の教えを守っていたため、周りに身分を知られることなく、穏やかな教師生活を送れていた。だが丑松には、心惹かれる人物がいた。それは同じ穢多出身であり、穢多であることを公言している、猪子蓮太郎という思想家だ。猪子の書籍をずっと読んでいた丑松は、猪子にかなり感化されていた。猪子にだけは、自分が「穢多」であることを打ち明けてもいいんじゃないかという、葛藤に日々苛まれてゆく…。 そう、この物語のもっとも大事なポイントは、自分が世間で蔑まされている身分である「穢多」であることを、告白すべきか、言わざるべきか?ある事件をきっかけにして、その葛藤がより強くなり、丑松は苛まれてしまう。その丑松の心の機微を、ときに繊細で、ときに大胆に、われわれ読者に訴えてくる。丑松の苦悩する心情に、とても自然な形で導いてくれる。その筆致が、まさに島崎藤村氏の唯一無二の世界観なんだろうなと感じた。 最近小説を読んでいて思うのだが、その小説を面白いと思えるかどうかの境界線って、まさにさっき書いた没入感だと思っている。もっと下世話な言い方をすれば、ハマれるかどうかだ。売れてる作家とそうでない作家の違いって、実はそんな難しいことではなく、つまりは、自分の世界観にどっぷりハマらせられるかどうかなんだろうなぁと。特に最近そう感じている。 そういう意味でいうと、今作では、島崎氏はどっぷりハマらせてくれた。今までの他の書籍の感想でも何度か書いてきたが、ハマらせるためには、読み手の感情をいかに動かせるかがカギなんだろうと。それは多分読書だけでなく、普段のコミュニケーションにおいても同じで、聞き手の感情を揺り動かせるかどうかが、ポイントなんだろうなぁと、つくづく思う。そういう意味でいうと、本書のような、長年読み続けられた名著を思考しながら読むと、色々なヒントが散りばめられていたりする。それに気づけたとき、やっぱり名著は良いなぁと深く腹落ちできるので、個人的に古典の名著が好きだ。 【雑感】 次は、半年ほど積読で読めていなかった、浅田次郎氏の「壬生義士伝」を読みます。この本は会社の同僚で本好きの方から、勧められて購入した本です。その同僚の方は、浅田次郎氏の本だけは、極力単行本で購入するようにしているほど、浅田氏のことがファンなんだそう。「その浅田氏の本の中で最も感動する本ってどの本?」と聞くと、即答で「壬生義士伝」と返ってきた。新選組の吉村貫一郎が主人公の話ぐらいしか知らないが、まぁ、なにせ感動するんだと太鼓判を押されたので、期待して読みます!
155投稿日: 2023.07.13
powered by ブクログ日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁しむ、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放っているのを見る▼武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。国木田独歩『武蔵野』1901 長野県で部落出身を隠して生きる教師の葛藤。出自を明かし、新天地の東京、テキサスに旅立つ。島崎藤村『破戒』1906 弟子の若い女の子を好きになるが、気持ちを打ち明けられない。女の子は去り、女の子の使っていた蒲団に顔をうずめて鳴く▼夫の苦悶煩悶には全く風馬牛で、子供さえ満足に育てればいいという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。田山花袋『蒲団』1907 毎日掃いても落葉がたまる。これが取りも直さず人生である。田山花袋『田舎教師』1909 老年の不幸は、友人がなくなることと、死の近づくことだろうが、しかし大自然のなかに生きている寂しさを味わいつめたものには、それも大した悲しみではない。徳田秋声しゅうせい『人生の光と影』 働いても働いてもなお、私の生活は楽にならない。じっと手を見る▼ふざけて母を背負ってみると、そのあまりの軽さに涙が出てきて三歩も歩けない▼人という人の心に、一人づつ囚人がいて、うめくかなしさ▼書斎の窓から見たり、頬杖ついて考えたりするよりも、人生はもっと広い、深い、もっと複雑で、そしてもっと融通のきくものである。石川啄木『一握の砂』1908 必要はもっとも確実な理想である。石川啄木『時代閉塞の状況』1910 ※朝日新聞の校正係として採用されるも、ド貧乏生活を送る。大逆事件(社会主義者・幸徳秋水の死刑)後、社会主義に傾斜。岩手出身。 ************* ※自然主義。日露戦争前後。
6投稿日: 2023.07.08
powered by ブクログ何故、自分は学問をして、正しいこと自由なことを慕うようなそんな思想を持ったのだろう。同じ人間だということを知らなかったなら、甘んじて世の軽蔑を受けてもいられたろうものを。 この箇所に胸が締め付けられる思いがした。
3投稿日: 2023.06.02
powered by ブクログ古い文章ですが、丁寧な注釈のおかげで読みやすかったです。部落問題については詳しくありませんが、主人公の人に明かせない身の上に対する葛藤は共感できるところがありました。 また、当時の差別の描写は、人間の愚かさが感じられます。時代が変わっても、形を変えて差別は残っていますが、本作を通して、その愚かさを学ぶことができました。 巻末の解説では明治に本作が生まれ、一度は廃版になった経緯を知ることができます。その経緯を知ると、初版の状態で読めることがありがたく感じられるでしょう。
3投稿日: 2023.05.05
powered by ブクログいつまでもこうして生きたい、と願えば願うほど、余計に穢多としての、切ない自覚が湧き上がるのである。 平民として生きてきた人間が、穢多であることをあえて公言することは余計なことと思うが、あえて公言したいと葛藤する苦しみの描写は、差別の問題にどう切り込んでいるのか。べつにそんなことは問題ではないのか。 敬之進はどういるのかと思っていたが、実生活上不幸な平民と、羨望の中にある新平民との対比。いよいよ追い込まれた敬之進に、あなたはいいと言われ出た絶望した笑い。 丑松は穢多じゃないと弁護する者たちの根拠が、逆に彼らの差別意識を浮き彫りにしている。匂いや目つき、気質などを疑わず根拠にして主張できるところが興味深い 死か、放逐か 終末のこの晴れ晴れとした描写よ。アニメの最終回みたい。父の戒めが枷になっていたというのはなんとも皮肉
4投稿日: 2023.03.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本史の先生がおすすめしてたから読んでみた。 まず言い回しとかも難しくなく大変読みやすい。ただ扱ってるテーマが穢多、部落問題で重く、主人公丑松が悶え苦しむ姿が読んでいて辛い。彼が生徒に向かって穢多であることを隠していた事実を謝る場面は泣きそうだった。丑松の謝罪を受けて校長室にお願いをしに行った生徒たちを、規則を理由に拒絶する校長や先生たちは、決まりに囚われすぎている現代の人々のことを表しているのかなと思った。 題名の「破戒」は読む前は何を表しているのか全く分からなかったが、それは文字通り「決まりを破ること」だった。丑松は父親の「穢多であることを隠せ」という戒めを破り、お志保も父親の「帰ってくるな」という戒めを破った。 日本に被差別階級があったこと、そして今も地域によっては差別が残っていることを忘れてはいけないなと思った。また読み返したい
4投稿日: 2023.03.16
powered by ブクログ今まで色々純文学を読んできたけど、その中でも1番好きだなあと思った。昔と比べて今の時代は部落差別が少なくなってきたのかな、と思うけど、色々なところに、いろんなものへの差別が残ってることを、この本を読んでから感じる。 「差別」という問題に敏感に、身近に興味を持つようになったし、巻末に載っていた解説で「随所では、藤村が持つ部落民に対する差別意識のようなものも見受けられる」って書いてあったけど、自分はほとんど感じなかった。 むしろ部落出身でないのに、この時代にここまでのものを書き上げる藤村は本当にすごいと思う。 他の藤村の作品も読んでみたい。
6投稿日: 2023.02.11
powered by ブクログ穢多(部落民)出身の主人公にまつわる話。 少なくとも私の知っている限りでは出身地や住んでいるところに対して差別的に判断することは聞いたことなかったので馴染みのある内容ではありませんでした。ですが昔から賎民と言われる身分の人、封建制の時代には対等に扱われていなかったということを習ったことがあり、その意識はきっと昔ほどではなくとも今も続いているのではないかと思いました。決して許されてはいけない社会問題の1つとしてもう少し詳しく勉強したいと思います。
3投稿日: 2023.01.12
powered by ブクログ身分差別はいつの時代もどこの国でもある極めてありふれた問題だ。瀬川丑松が自分はエタであることを告白するシーンが感動だ。自分の生き方に自信を持っているからだ。人生は残酷、差別と貧乏、人種差別、偽善との闘い、いろいろな観点から勇気をもらえる小説だと思う。
1投稿日: 2022.12.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
67/100 半端ない時間をかけて読んだ本。昔の文章にしてはとても読みやすいものではあるが、内容が内容だから雰囲気が重くて電車のスキマ時間にチョコチョコ読む感じではなかった。読むぞ!って思って一気読みした方が絶対にいい作品。 生徒たちに自分が穢多であることを告白するシーンが感動する。それまでの穢多に対する丑松の心の機微が細かく表されているからこそ、自分の存在がどのようなものであるかを皆の前で言語化する辛さがありありと伝わってきた。 存在するだけで「悪」という感覚にならなきゃ行けないのはどんなに辛いことか考えさせられる 最近古い本沢山呼んでたから、また軽いものを読み始めたいと思う
1投稿日: 2022.11.08
powered by ブクログ「人の世に熱あれ、人間に光あれ」。全国水平社は今年で創立100周年だそう。 難しい内容&文章のため時間はかかったものの、間宮祥太朗さん主演の新作映画も事前に観ていたおかげか、イメージを思い浮かべながら読み進められました。 人間は、命は、いつどんな時代であっても差別されることなく平等にあらねばならないと強く思う。 出自を必ず隠し通せ、忘れるな、と父親に言われ続け、教師となった後もその戒めを忠実に守る丑松だったが、やがてその戒めそのものに苦しめられるようになる。 誰にも心を許してはならない。当時の社会において、身分制度とはそれほど重たい鎖だったのだ。 北小路健さんによる同時収録の「『破戒』と差別問題」がとても勉強になった。 破戒が一度絶版となって、昭和14年に改訂本として再び世にでたとき、差別語がどのように書き換えられどのように排除されたかの膨大な例を、初版本と見比べられるようになっている。 事実は事実として、差別の実態は曖昧にするべきではない。当時再販にこぎつけるまで様々ないざこざがあったんだろうけれど、今はこうして新潮文庫として初版本のままを読めるというのは、有難く貴重なことなんだろうな。言葉の持つ力を感じる。
6投稿日: 2022.11.02
powered by ブクログ日本近代文学の名作。百年前の本ですが、人種差別や、汚い政治権力など、現代からみても時代遅れにならない描写に感心しました。説教臭くもなく、会話などを用いて登場人物の苦境がありありと目に浮かび、差別は本当に許せないと読みながら思いました。 しかし、この小説においては、差別についての批判はそれほど徹底的でもないと言わざるを得ません。それは、丑松の生徒に謝るシーンを読めばわかるでしょう。また、たとえ丑松が「告白」しなくても、秘密はすでに人に洩らされ、いつか必ず世間に暴露されるという物語の流れからみると、この小説の見ものは、果たして丑松は「自ら」破戒するのか、ということ、そしてそれにかかわる「告白」ということにあると考えます。 ほかに、ところどころに表れている女性に対する描写も差別の問題につながり、またいろいろな議論の余地のある作品です。
0投稿日: 2022.09.28
powered by ブクログ衝撃 島崎藤村は学生時代に若菜集でかすかに記憶にあったくらい もう100年以上もの作品 社会環境いろいろ変わるけど人の感情は変わらないのね にしても差別は人類のもっとも醜い部分だな
3投稿日: 2022.08.21
powered by ブクログ解説のおかげで少し理解が深まったけど、近代文学史上での位置づけや「自我」の問題を踏まえてもう一度読んだらまた違った面白さがありそう。 きっと当時にしてはすごく驚きの作品だったんだろうな… そこまで破戒の苦悩は感じられなかった…残念。
1投稿日: 2022.07.29
powered by ブクログ部落差別問題を描いた小説だとは知っていたが、まさか主人公が最後に亜米利加のテキサスに旅立つとは! 近代自然主義文学の代表。藤村は詩人でもあったので、信濃の描写が非常に美しい。例えば 千曲川の水は黄緑の色に濁って、声もなく流れて、遠い海のほうへ……その岸に蹲るかのような低い柳の枯れ枯れとなった様… とか 北国街道の灰色な土を踏んで、花やかな日の光を浴びながら、時には岡に登り、桑畑の間を歩み、時にはまた、街道の両側に並ぶ街々を通り過ぎて…… などの描写。 信濃の人々の素朴で勤勉で貧しい人柄や生活の描き方も味わい深い。 だけどまた、「俺は武士の家系の末裔だ」とか「あいつは実は新平民らしい」などということで、人を蔑み、優越感を感じることでアイデンティティを得てしまうのも、悲しいかな、人間という生き物の自然。 そして、主人公のように被差別部落出身の者がその親の「出自を隠せ。絶対に喋るな。」という教えと“尊敬する同族の先輩のように堂々と生きたい”という思いの狭間で苦しみもがき続けるのもまた、人間の“自然”であり、(現在はまた、色んな差別があるが)この時代を隠さずに写実したものだろう。漱石や鴎外だけを読んでも、明治の現実は理解出来ないだろう。 主人公は被差別部落出身であることを隠して、小学校教員をしており、生徒から慕われているが、権威主義の校長一派に貶めよう、貶めようとされ、出自の秘密を掴まれて、噂を流されてしまう。精神的に学校に出勤することが耐えられなくなってきたとき、尊敬していた被差別部落出身の思想家が壮絶な死をとげ、彼はカミングアウトする決心をする。 生徒たちの前で「私は卑しい穢多です。どうぞ許して下さい。」と土下座した。そんなことしなくていいのに。だけど、生徒達は元から慕っていた教師のそのような姿を見て、却って尊敬の気持ちを高め、「どうか瀬川先生を辞めさせないで下さい。」と校長に訴える。 父親からの「出自を隠せ」という掟を破り、カミングアウトした瀬川丑松は、それまで自分を取り囲んでいた心の壁も世間の固定観念も“破壊”し、“テキサスへ”とい自由な行動に出ることが出来た。旧態依然として、固定観念の枠の中で守られることを選んでいた、校長達のほうが、ちっぽけに見えた。 間宮祥太朗主演で映画が公開されているらしい。だから読んだ訳ではないが。あの人、不良の役も真面目な役も出来るんですね。
54投稿日: 2022.07.29
powered by ブクログ被差別部落出身の小学校教師、瀬川丑松。 『身の素性を隠して生きろ』という父からの戒めを守り、生活してきた。 しかし、隠し続け生きてゆくことに葛藤し、苦悩する… 『我は穢多なり』と、素性を明かし、生きる、猪子蓮太郎。 先生と仰ぐ蓮太郎にすら、自らの出自を明かすことができず、苦悩する丑松。 丑松の出自に対する差別から、異分子として、丑松を追いつめる校長と文平。 丑松の出自よりも、人間性をみた、お志保や銀之助や生徒たちには救われる。 出自による差別、現代社会でも残り続けている。 隠し続けて生きるしかないのだろうか… 差別はなくならないのだろうか…
2投稿日: 2022.07.15
powered by ブクログ今から100年程前を舞台にした話。 時代が変わっても、名称が変わるだけで何某かの差別は続いている。 その差別が、自身の努力では変えることができないものほど苦しいものはないであろう。主人公丑松は「戒めを破る」ことで、果たして確たる自分を表現できるようになったのであろうか。父からの戒めを破ることは、自身が生を受けてから身に付けた価値を行使する権利でもあり、またその価値を自らの心とともに破壊させてしまう恐れもあると感じた。 「我は穢多なり」という言葉を発声することにどれ程の不安があったであろうか。 「我は穢多なり」という言葉を発声するのであれば、そこから続く行動についてもっと潔い道筋が、決心があったのではないか。いや、とりあえず東京へ向かう。という中途半端な迷いある態度がとてもリアルなのではないか。 とりあえず東京へ向かうのは逃げともとることができるかもしれないが、出てしまえば良いと思う。世界は広いのだから。 という希望をもって読み終えたい。
2投稿日: 2022.06.23
powered by ブクログラストのカミングアウトのところで感動してしまって、最後の最後に子供たちを学校へ返すところも丑松のお人柄がよく表れていた。 印象に残ったのは雪の中で1人慟哭するところで、正しく生きてきた事実を否定して死ぬ所まで精神が彷徨っていたシーン。 それでも周りから愛されていた丑松、最後銀之助が必死で助けようとしているところが良かった。
4投稿日: 2022.06.07
powered by ブクログ丑松の自分を偽りながら生きていく苦悩を感じながら読み進めるのは苦しかった。当時の身分制度によって虐げられた人々の過酷な運命を思い知らされた。特に丑松が身分を隠していたことを生徒の前で膝をついて詫びる場面はここまでしなくてはいけないことなのか、と当時の最下層の身分に対する差別の過酷さを痛感した。身分を告白した後の丑松の人生はきっとあからさまな差別を受け続けただろうが、それでも自分を偽らずありのままでいることを選んだ人生にきっと後悔はなかっただろう。
2投稿日: 2022.04.14
powered by ブクログ2022年再映画化決定とのこと。この小説が、令和の時代に理解されるのか、共感されるのかと再読。 ロングセラーにまだ作品名が残るが、教科書や国語便覧等に必ず登場するからではと思っていた。 出自の隠蔽という理不尽な背徳感を抱え続けて生きる青年・瀬川。父の教え「隠せ」は、彼の絶対だった。彼は、身分を隠して教員となっていた。 同輩への世間の非常な風当たり。 周囲の人の何気ないその出自に対する蔑みの会話。 彼は、いつかその事実が白日の下に晒されることに恐れ、常に緊張と束縛の中にいた。 隠し続ける苦しさの中、同輩の先輩の理不尽な運命をも退けようとする生き様に、感銘を受ける。 そして、遂に、教師であった彼は、生徒達の前で、自ら出自の告白をする。差別を受ける瀬川自身が頭を下げるのだ。 この身分差別の問題が、理解できなくても、自分が隠して生活しなければならない事柄、出生・経歴等として、読んでも見ても共感できると思う。 だが、日本の各地に残っていると思われるこの人種差別について考えて欲しいとは思う。日本のこの制度は、同民族間で歴史も長い。この問題を抱える地域では、未だ根深い。 瀬川が、その葛藤からの脱却だけでなく、何を破戒しこのラストを迎える事ができたか、何を破壊できなかったのかを想いたい。
36投稿日: 2022.03.30
powered by ブクログ身分差別が未だ残る時代、部落出身の教師丑松が父から授かりし戒めとは自身の出自を隠す事。理不尽さに対する義憤、周囲に知られる事を恐れる気持ち、同輩の為に声を上げる者達を横目で見ながら日常を過ごす心苦しさ、内面の葛藤が生々しい。現代においても、辛い過去の経歴、LGBTQ、宗教的な信条を持つ方々がおり、彼らの中にはアウディングや差別に苦しんでいる者もいるかもしれません。丑松の苦悩は時代を超えた普遍的な物であり、それ故に価値がある小説だと言えるのかもしれません。
6投稿日: 2022.03.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
島崎藤村『破戒』 部落出身の瀬川丑松が、「穢多であることを決して口外してはならぬ」という父の「戒め」を破ってしまうまでの話。 部落出身者であるとカミングアウトするまでの激しい葛藤と苦悩とが緻密に、力強く描写されている。 世間一般の差別の眼が、抗い難く、強力に、瀬川自身に内面化されてしまっている。それゆえ、「理性」の次元では穢多であることを恥じる必要はないと分かっているけれど、「本能」の次元では自らが穢多であるという事実が露顕することをどうしても恐れてしまう。 穢多が差別される現実を目の当たりにし、また「瀬川が穢多である」という噂が周囲に広がっていく中で、「世間の非難」と「社会的放逐」とに対する恐怖が募り、じわじわと丑松の精神を追い込んでいく。 同時に瀬川は、穢多である自分には世間一般の人と同じ幸せを願うことはできないのだという、とてつもない孤独感に苛まれていく。 そういった被差別者の内面に真に迫るような筆致が魅力的だ。 作中の巧い仕掛けとして、「父」と「猪子蓮太郎」という2人の登場人物がいる。 父からの「戒め」は、呪いのように瀬川の人生につきまとう。その一方で、自らの師と仰ぐ、同じ被差別部落出身の思想家である猪子蓮太郎への憧れを募らせ、その人物に自らを同一化させていく。 そのことが「自己の分裂」を瀬川にもたらすのである。 すなわち、「破戒」を《禁忌》だと考える自分がいる一方で、「破戒」を《使命》だと考える自分がいる。 その「二つの自分」の狭間で激しい葛藤に苛まれるのだ。 凄まじいほどの「文学の力」というやうなものを、感じた。 教科書には絶対に載せられないだろうけれど、現代に於いては批判されるべき価値観が小説の中に保存されてはいるけれど、ーいや、むしろそうであるが故に、ーこの作品はスゴいと感じた。 物語の結末はこれでよかったのか。落とし所が他にあり得たようにも思う。
5投稿日: 2022.03.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
まだ身分制が残っている時代。身分によって差別されるということが行われた。その階級に生まれるということだけで、人に後ろ指を指される。主人公もそういう生まれの人物である。 主人公が、同じ階級の人々が受けてきた境遇を見てきた。そのような状態に自分も置かれてしまうという恐怖があった。 主人公の同じ人として扱われない自分の身分を見つめている様子は、胸に迫ってきます。
1投稿日: 2022.03.04
powered by ブクログ人には言えない秘密に苦しむ主人公。いい奴すぎる親友キャラと薄幸のヒロイン。古き良きギャルゲの世界。 筋はともかくとして、とにかく文章が素晴らしい。
0投稿日: 2022.02.27
powered by ブクログ穢多という重いテーマの作品、100年以上前に書かれたとは思えないほど読みやすかった。親しい先輩や友人に言い出せない葛藤は読んでいてとても共感できた、どうか救いのある結末になって欲しいと思いながら読みました。
2投稿日: 2022.02.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
主人公である丑松の自分の生まれ持った「穢多」という身分に対して、後悔し、懸命に生きていく様子がよく表現されていた。序盤から最後まで暗く重いテーマで非常に読み応えのある本だった。
0投稿日: 2022.02.02
powered by ブクログ思っていたよりも、読みやすかった。 丑松の心情が揺れるたびに、こちらもドキドキハラハラ。 こういった問題は、形は違えど、時代が変わってもなくならないのだろうなぁ、とも感じた。 銀之助やお志保のような心を持ちたい。
1投稿日: 2022.02.01
powered by ブクログ学校の授業ではたまに触れることもあったかと思いますが、島崎藤村の破戒をまともに読むまでは自然主義文学ってなに?という状態でした。 じっくり読んでみると本書が自然主義文学の名作と呼ばれる理由がわかりました。 主人公の丑松だけでなく、恐らく誰にでも抱いたことがある、内にある微妙な感情を見事に文章だけ表現しきっています。 主人公が抱く、哀しみや怒り悔しさなど克明に伝わります。 島崎藤村のほか作品も読んでみたいです。
1投稿日: 2021.10.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
差別がある時代に、自分が差別対象者(穢多)であることを隠して生きている丑松。 同じく穢多でありながら、身分を明かして堂々と活動している思想家・猪子を師と仰ぎ、彼にだけは素性を打ち明けたいと思いつつも中々打ち明けられない状態…。 彼なら受け入れてくれるだろうと思いつつも、父から「絶対言うな」と言われていたのもあり、中々言い出せない気持ちは分かるので、「いつ明かすんだろう」とドキドキしました。 最終的に自分は穢多であると勤め先の小学校にて告白した時、『卑しい穢多なのです。』との言葉に、それが当時の世情だったとしても「そこまで卑下しなくても…」と少し胸が締め付けられる思いでした。ここの告白シーンは強く印象に残っています。 穢多であるとカミングアウトすることで周りの態度がどう変わるかと思いきや、散々穢多を否定していた銀之助は変わらず丑松を助けようとし、穢多の子を煙たがってた学校の子供たちは変わらず丑松を慕い、学校を去る丑松を見送りに来る。思いを寄せていたお志保とはここにきて思いが通じる。素直に良かったなあと思いました。 自分の素性を告白し、今までの世界を破壊した丑松のこれからは明るいなと感じることができる良いラストでした。
2投稿日: 2021.07.06
powered by ブクログあまり使わない言葉が沢山出てくるので、読了に時間が掛かりました。 文章や内容は、とても素晴らしかったです。 親の教えを破る、勇気あるお話でした。
1投稿日: 2021.05.15
powered by ブクログ「蓮華寺では下宿を兼ねた」の、書き出しがいい。 「全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です」という、破戒のシーンも秀逸。 日本に根深く残る部落差別の問題を、切ないほど見事に描きだした作品。社会問題に対する正義とは何なのか?破戒の果てに光が見えるのか? 再読必至。
11投稿日: 2021.03.24
powered by ブクログ差別など社会問題を描く作品を好きだと公言するのはなんだか気が咎めるけれど、好きなんだよな…映画版もよかった。
0投稿日: 2021.02.23
powered by ブクログまさしく「破戒」でした。 破戒の先の世界は自由で素晴らしいものであって欲しい。世間体や周りの目を気にするあまり、自分を押し殺して、無難に生き長らえることを是とする社会、さも息苦しいでしょう。 ほんの少し前まであった苛烈なる部落差別、想像以上でした。現在では逆差別のような利権になっているけど、どちらか極端に振り過ぎているような気がします。特に意識することも無く、普通の在り方は出来ないものでしょうか?
1投稿日: 2021.02.06
powered by ブクログ読んだのは文庫本ではなく「名著復刻版」ですが、島崎藤村はすごい作家であると再認識しました。夏目漱石に比べると実際にはあまり読まれていないのじゃないでしょうか? 実際に読むとこれは漱石級ですね。風景や心理描写の巧みさは半端ないですね。「夜明け前」も読まなきゃと思いメルカリでポチりました。日本人として生まれたからには読まなきゃならない本の一つでした。
6投稿日: 2021.01.29
powered by ブクログ人生は無慈悲な、残酷なものだ。ーー 穢多(えた)に生まれた教師である主人公が、紆余曲折あって、その身分を隠せという父の戒めを破るお話。(本の後ろのあらすじにも書いてあるからネタバレではない) 差別描写が理不尽で胸くそ悪くて、そのまますっきりせんまま終わるバッドエンド。いち読み手としてはすっきりせんけど、学問的にはその時代の考察できる資料として価値があるやろし、上述の「紆余曲折」の部分での主人公の葛藤がええ感じに描かれててその点はいいんやろなあって思った。 ただやっぱり、胸くそ悪いまま終わるし、びびるくらい話進むん遅いから、本としては、読むん疲れるなあって感じた。
2投稿日: 2021.01.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
被差別部落出身の主人公。 そのことを世間に知られぬよう、父の言葉を胸に、学問に励み、小学校の先生をしながら、長野の雪深い町飯山に暮らす。 言わまいと決めていたはずなのに、少しずつその秘密が周囲に知られはじめ、耐えきれず最後には自分の教え子や身の回りの人に告白する。 それにも関わらず、教え子は先生を続けて欲しいと、共にに暮らしていた寺の娘はいつか一緒になりたいと、友はできることなら何でもしてあげようと、彼を大事な人のひとりとして見ることをやめない。 日頃から良い行いをしていれば、その人にどんな過去があろうと、人はその人を今までどおりに受け入れようとする。 嫌な奴もいるのが人生だけど、信頼できる人には最初から頼ったほうが、道は開けるのかもしれない。
3投稿日: 2020.06.04
powered by ブクログいつも通り、図書館のリサイクル市から入手。長年、積読状態。このところ、休みが多く、本屋に行く機会は少なく、よって手に取ってみた次第。昔、母は「破壊」って部落の話やろ、などと言っていた。だから、そのことだけを知っていた。三島の本を読んでいると言うと、「えー」という反応であった。昭和1ケタ生まれの母親のことである。さて、本書の内容に引き込まれるうちに、私自身も本書を読んでいることを隠すべきではないかと思えたりしてきた。電車の中では、表紙の文字が見えないようにしないと、と気にしたりもした。変な話である。中盤過ぎまで、私は「丑松、隠し通せ」と胸の奥で思っていた。それが、良い悪いは別として。しかし、最終盤、生徒の前で告白する場面に至っては、「よくぞ言った、丑松」と、心の中で拍手をしていた。時代背景を知ることで、いろいろと読み方が変わる部分はあるかもしれないが、いまでも、自分の全存在を否定されるような場面に出くわすことはあるし、自分のために、家族のために、何か隠し通さなければならない秘密を抱え込んでしまう状況に陥ることもあるだろう。自分がそうでなくとも、誰かがそうなることもあるだろう。「想像力を養う」これが小説を読むことの一つの効用でもあるのだろう。
2投稿日: 2020.05.24
powered by ブクログ「蓮華寺では下宿を兼ねた。」 という簡潔な出だしが秀逸 「部落出身者」に対する世間の差別と 本人が出身を隠して世間に出て(教師をして)いることを 見つかる恐れと、正直に言うべき正義感とに 迷い悩みにゆきくれるという 明治時代の自然主義文学の先駆け作品 文章は簡潔にして歯切れがよいし、今読んでも解りやすい 近代国文学史で皆が習うが、読む人は少ないかもしれない まえに読んだのは20代であったから いろいろ世間を知った今は複雑な思いになる 連綿として差別はあるし、あるからこそ差別に怒りを覚えるのだが この藤村の作品を 丑松という主人公個人の悩みを描いていると見るか 社会的問題提起を作者がしていると思うのか どちらにウエートをおいているのか 解説では 作者は個人の悩み「隠しているつらさ」の憂鬱を表現したいのであって 差別問題提起しているのではないと言っている むしろ藤村自身も差別意識があったのではないかと しかし 読み手が差別といじめに義憤するならそれでいいと思う 丑松が父親の戒めを破ってついに 自分は「エタである」「不浄である」と告白して土下座する場面の 不愉快さがなんとも言えないやりきれなさのパンチが 読み手に生きてこないと思う この21世紀 差別やいじめは亡霊のごとく現れたり消えたり 世間には、あいもかわらずあるのである
10投稿日: 2020.05.04
powered by ブクログ隠せ。 部落差別問題の渦中で身を焼く瀬川丑松。父の教え。活動家猪子の生き様。「忘れるな」。狭量な社会。不遇の娘お志保。友の存在。 丑松が破戒した瞬間、暗く惨めな過去から新しい未来へ放たれた希望の音が聞こえた気がしました。
6投稿日: 2020.03.28
powered by ブクログ日本人とは、無意識に洗脳されまいと、日頃強い警戒心をもって自分の言葉で主張する人を冷めた目でみるが、その実不覚にも洗脳されやすい集団だという思いを新たにした。その時代に生きていたら、聡明さと勇気に欠ける私もそのうちの1人であった可能性は高い。現代でもその差別が残っていると聞いたが、信じられない。明治の時代にあって、島崎藤村が普遍的ヒューマニズムの視点を持っていたこと、それを小説として発表したことの偉大さを再確認。
4投稿日: 2020.02.23
powered by ブクログ2020/1/5 初めて島崎藤村の作品読んだけど、読み応え抜群でした。 ストーリーはよく知られている通りで、穢多の出である瀬川丑松という主人公が自分の身分を隠しながら教師として生活する話です。 と、これだけ書くと簡単な話なように思うけれど、主人公の思いや葛藤が書かれた文章に飲み込まれたって感じでした。 穢多を隠さず世間に堂々と公表している猪子蓮太郎先輩の本を読んで丑松も色々自分の出自について考えている様子がとても丁寧に描写されています。また、周囲の人々のキャラも中々。銀之助は本当に仲間思いで最後までいいヤツ…!!校長や文平は中々に嫌なヤツに振り切ってるなーという感じです。 まだ、穢多非人の差別があった時代の人々の考えや思い、行動というのはこういう感じなんだというのがありありと伝わってきて、丑松サイドとしてみると最後までやりきれないというか、悔しいというかそんな思いなんじゃないかと思います。丑松がずーっと自分のことについて黙っている一方で、周囲から彼についての噂が広がっていく…というのは村社会に限らず、今の世間や世の中でも多分にあることではないかと。 また、人間の本質というか、内面の醜いところも書かれています。 お志保ー!!!という感じもありますが、だんだんと物語に引き込まれる不思議な感覚で読むことができました。
3投稿日: 2020.01.05
powered by ブクログこの作家は初読であったけども、とても読みやすいし感情移入しやすかった。テーマが差別というところで自分が想像していたものとは大分に違いがあった。それは多分、海外からのニュースで見ていたものが先入観としてあったからだと思う。しかしこの本では差別を問題に考えるというより、1人の人間としての苦悩が書かれているように自分は感じた。巻末の解説も自分にはとても参考になった。ネタバレではないのでここから読んで、本編を読むのもアリと思う。
3投稿日: 2019.06.22
powered by ブクログ正直言って、この本がなぜ多大な評価を受けているのか、よくわからなかった。しかし、教養の一環として読むべき本だとは思う。 解説を読んだ後にもう一度読み返したいと思った。
0投稿日: 2019.06.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
思ったより読後感のイイ感じの作品だった。丑松が教室で子供達に告白するシーンは圧巻だった。前振りが長い割には告白の部分の分量が少なかったのが若干残念だった。あそこまで我慢してた読者ならもっと長くてもたのしめたんじゃないか。
0投稿日: 2019.03.08
powered by ブクログ印象は、24の瞳に近い。 しかし、物語が具体的で、悲しく、胸を締め付けるような気持ちになることが多かった。 これが数十年前に当たり前の価値観としてやり取りがされていたというは、、ショック。 現在でも地域性かもしれないが。 小説として、素晴らしい出来だと感じた。
1投稿日: 2019.01.13
powered by ブクログ主人公の丑松は、生徒や教師仲間からも信頼される20代の学校教師である。しかし、周りからは常に考え事をしていて何かに苦悶してるかのようにも思われていた。その苦悶の原因は、丑松の生まれは部落であり、彼自身がその事実について世間から隠し続けてきたことであった。小説の中には、穢多という今では差別用語とされている直接的表現が何度も出てくる。他にも、新平民、賤民などといった言葉が平然と使われており、差別を是としていた当時の時代背景と空気感が垣間見え21世紀に生きる我々にとってはショッキングですらある。 部落民として苦悩とともに生きてきた丑松の父は、どんなことがあろうとも自分の身分を他人に打ち明けてはならないと丑松に戒める。人々から隠れるように山奥で牧夫として細々と暮らしていたその父が死に際に、丑松に残した唯一の遺言は、「忘れるな」であった。丑松は、父のこの戒を心に刻み込みながらも、同じく部落出身で自らを「我は穢多なり」と告白した思想家である猪子連太郎に傾倒する。連太郎と個人的にも親交をもつようになった丑松は、自らの身の上を連太郎に打ち明けたい気持ちと、父の戒めとの間での葛藤に苦しむ。そして、自ら打ち明けざるとも、周辺が丑松の出身について疑問を抱き始めるのである。 タイトルの破戒とは、戒めを破ることだ。周囲が薄々気がつき始めたのと時を同じくして丑松はついに周りに自らの生い立ちを告白するのである。授業中、自分の生徒に対して土下座をし、穢多であることを詫びたのである。穢多であることそのものが罪であるかの如く、人格者としてそして教育者として自他共に認める者ですら差別に抗う事が出来ない現実をあからさまに、かつ残酷にも描き出す。 同じ読みの言葉で破壊という響きが重なり、告白のよって丑松の行く末が破壊的な結末を迎えてしまうのではないだろうかという心配が、読み進むにつれて付きまとう。しかしながら、藤村はそこまでは残酷ではなかった。学校を追われ町を出て行くことになり、その身の上を知っても尚、丑松を慕う、お志保の存在。そして、授業を抜け出し、見送りに来た生徒達。これによって、我々は差別の暴力性に打ち勝つ人間性は存在することを読み光明を見出すことが出来るのである。 有島武郎は、「生まれ出ずる悩み」で、才能があっても不遇な労働を余儀なくされ、搾取される立場から抜け出すことのできない田舎の若い労働者の苦悩を描いたが、この物語もまさしく生まれ出ずる悩みである。有島の描く「悩み」は、健全な資本主義と民主主義の発展によって解決の道が開けるかもしれない。しかしながら、丑松の悩みは、それらを持ってしても解決が困難な問題である事を突き付けるのである。
1投稿日: 2018.10.08
powered by ブクログ「穢多」に対する謂れのない差別にゾッとした後、もしこの「穢多」を「同性愛」なんかと読み替えてみたら、と考え寒気がした。 まだ隠し通す「戒め」を守り続けねばならぬ人々がいる。
1投稿日: 2018.08.30
powered by ブクログ日本版の『罪と罰』だと思っている。 より身近に感じた分、『破戒』の方が考えさせられた。 生まれながらにして、家柄という罪を背負い、差別をおそれ、それを隠しながら生活する様子、戒を破り告白するまでの苦悩、苦痛が、私の中でラスコーリニコフと被った。 努力や根性ではどうしようもない”家”という罪や、残酷な差別に、やるせなくなる。 救済できるのは、”家族”や、”宗教”や、”お金”ではなく、 ”友人”、”愛情”であるという教訓を得たことも、『罪と罰』と重なった。 ”師弟愛”が『破戒』では加わっている。 また読みたい。また考えたい。
3投稿日: 2018.05.29
powered by ブクログ部落差別自体に興味はないが、藤村の代表作なので一度読んでみたかった。徳冨蘆花の『不如帰』もそうだが、絵に描いたような校長らのヒールっぷり。『坊ちゃん』もそうだが、この頃の教師はみなこんなものか。
0投稿日: 2018.05.23
powered by ブクログ112年前の作品ながら、現代にも通じる問題を取り上げている。 明治後期、部落出身の教員瀬川丑松(うしまつ)は父親から身分を隠せと堅く戒められていた。丑松と同様に部落出身ながらその出自を公表している解放運動家、猪子(ゐのこ)蓮太郎と接する中で、丑松は出自を打ち明けるべきかどうか思い悩む。 丑松はもちろん、その周囲の人たちや、信州の情景なども克明に描写されており、圧倒される。 あまりに過酷な運命を辿る丑松。読みながら、人は差別をすることでしか自分を保てないのかと憤りが生じてくる。差別について深刻な問いを投げかける傑作。
5投稿日: 2018.05.20
powered by ブクログ高校の時に読みましたが、今読み返してみると、また感慨深いものがあります。 「橋のない川」とついつい比べてしまいがちですが、破戒にはまた違った良さがあります。 最後の、父の戒めを破り告白する部分は、以前は「なぜ謝る」と思いましたが、今読むと、複雑な心境も理解できるような気がします。 名作です。
1投稿日: 2018.01.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
穢多非人の子どもとして生まれた主人公の悩みと、周囲の心無い誹謗中傷ふってわく苦難、辛い現実描写が心に刺さります。ただ、風景描写はくどく思えた。後半200ページはうわあ、と目元を抑えながら一気読みしました。
1投稿日: 2017.11.26
powered by ブクログ明治後期、元「穢多」の新平民であることを世間に隠せと父から戒められていた教員瀬川丑松は、同じ境遇の解放運動家・猪子蓮太郎に心を動かされ、新平民に対する世間の差別と芽生えた自意識との間で葛藤する。自然主義文学の嚆矢となった小説。 世間から批判の的、差別の対象とされることを分かっていながら、自ら進んで秘密を暴露し、声高に自己の主張を叫び信念の赴くままに生きていく。こんな生き方ができる人物は稀代の英雄と呼ばれる。本作の猪子蓮太郎がそれにあたるだろう。比べて主人公・瀬川丑松は決して英雄ではない。最後には父からの戒めを破り告白をするが、泣きながら板敷に跪く姿は猪子蓮太郎のそれとはかけ離れている。 しかし私は、丑松が好きだ。彼の人間らしさに心を打たれた。彼は多くの人が持つ人間の心の弱さをそのまま持っている。秘密がばれたくないという想い、一方で英雄的人物から刺激を受け「本当に自分はこのままでいいのか」と自己の在り方に疑問を持つ。尊敬する猪子氏の死により「破戒」の決意を固めるが、クライマックス、担当する学級の生徒たちの前で震えながら告白する丑松の姿に、私は強く強く胸を打たれた。生徒たちに「全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です」と頭を下げる丑松。なんと弱く、強く、醜く、美しい姿ではないか。こんなこと、猪子蓮太郎にさえできない。きっと彼の生徒たちは、丑松のこの告白を生涯忘れないだろう。穢多、新平民と自分たちは何が違うのだと疑問を持つことであろう。新しい時代を担う子供たちへの、人生を賭けた「授業」なのだと思うのだ。社会が抱える「業」を、丑松は子どもたちに身をもって示したのではないだろうか。 一人の人間を描くことは、その人物を取り巻く複数の人間を描くことになる。複数の人間を描こうとすれば、そこにはその時代の社会思想が顔を覗かせる。つまり、個人を描けば社会を描くことになる。本作品は社会問題小説か、個人の自己告白小説かという論争があったらしいが、答えは「どちらも」なのだろう。全てを包括するからこそ、本小説はどんな角度から見ても多様に反射し、文学作品としての深みを獲得しているのだ。
3投稿日: 2016.12.25
powered by ブクログ丑松がエタであるところを告白するところは圧巻だったけど、ちょっと自虐的な感じがするが、明治のころの視点ではこうなるのか。
0投稿日: 2016.12.04
powered by ブクログ丑松が自分が新平民であるということを隠し続けて最後にはそれがバレてしまう話。最後に丑松は生徒に新平民であったのを隠していたことを謝ってテキサスに行くわけだが、結局新平民であるのは悪いことだと認めているような気がして何とも言えないと思った。
0投稿日: 2016.11.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
明治後期の話。部落出身の主人公が教師をやっていて解放運動家によって。 父の戒めを破って自分の素性を告白してしまう。 東京にいって暮らす。兄は不明
0投稿日: 2016.10.10
powered by ブクログ日本文学を代表する作品として有名な本作。いわゆる部落出身の主人公が、自分の生い立ちをひた隠しにして生きる様が描かれる。部落差別などあまりピンとこない世代の私がこの小節を読んだのには理由がある。文学にあまり明るくない私は、選書に際して、ある大変な読書家の音楽家のブログを参考にしている。その中で、本書はこう紹介されていた。 志を立てた人間の人生は毎日が闘いである。それを感じるために本書を勧めると。読み終えた今、改めて自分の生を見つめなおしているところである。
1投稿日: 2016.06.25
powered by ブクログ物語のクライマックスで、登場人物の口から作品のタイトル名が出てくるor謎が明かされる展開は激アツ、と個人的に思っているのだが、この作品もその魅力を持っている。 日本史の授業で出てくる所謂「穢多・非人」の身分の出である主人公がその身分と、それを隠して小学校教諭に勤めるギャップに悩む様が実に人間らしくて良い。 主人公の尊敬する思想家は同じ穢多出身という身分にありながら、それを隠さず、自らの背出に臆さないところが、神聖なアウトローという感じで惹きつけられる。 作中に出てくる彼の思想「どんな苦しい悲しいことが有ろうと、それを女々しく訴えるようなものは大丈夫と言われない。世間の人の睨む通りに睨ませて置いて、黙って狼のように男らしく死ね」は実に潔くて良い。 狼を引用しているせいか、ヘッセの「荒野のおおかみ」を思い出した。
1投稿日: 2016.05.13
powered by ブクログ体制をゆるぎのないものとするためには、反乱などおこさせないように 民衆同士のいがみあいを煽るのにかぎる そんなわけで日本の権力者はうまくやった…士農工商にそのまた下の 「穢多」というものをくっつけた じぶんより劣るものを叩くことで、お上に認めてもらおうという あさましい奴隷根性をつかむのが帝王学ってものだろう しかしその差別は、明治維新によって建前上の平等が実現した後にも 水面下でおこなわれ続けてきたのであった それがひょっとすると、治安の維持に役立っていた側面は あったかもしれないにせよ 近代社会というものの、市民に対するひとつの裏切りには違いなかった 「新平民」と呼ばれる被差別民たちは 出自をごまかすことで身を守るしかなかったが それに対して、この小説に登場する猪子蓮太郎という人のように あえてのカミングアウトをおこなうことで 差別の醜さを抉り出そうとした人もいたのかもしれない 主人公の瀬川丑松は、それに追随する形で 自らの出自を告白するのだが ただまあその結末に関しては、是非のわかれるところだろう 死ぬまで戦った猪子という先達を横目に 海外へ逃亡したということはできる 一方でそれは、グローバルに目を向けようとする民衆の 最初の一歩でもあったわけだ
1投稿日: 2016.04.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2016.2.4 丑松さんの苦しみが辛かった。何かを隠して生きていくというのは、本当に苦しいことなのだと思った。そんな時代があって、それを本にしてくれた島崎藤村さんは、すごいと思った。銀之助の友達を思う気持ちが一番胸に響いた。
1投稿日: 2016.02.04
powered by ブクログ2015/10/10 素晴らしかった。 こんなに丁寧にページを括るのは、 サガンと先に読んだサリンジャー以来かも知れません。 非常に深い想いを持って瀬川丑松の心情を描いており、 丁寧で無理がなく、表現がとてもお上手です。 丑松の想いが、私には心寄せてしまうものであったり、 心の奥底を掻き立てられるようで、 心なしには読めませんでした。 私が純粋に好きなシーンは、 第五章の(四)にて、丑松が仙太の為に羽織を脱ぎ捨てる場面です。 情景が、目に浮かぶようです。 彼の、思わず熱くなってしまう想いや、 生徒へ深い同情を寄せ、心で励ますシーンには、 心を動かされました。 心の内奥に、ゆっくりと沈んでのこるような、 そんな作品です。
1投稿日: 2015.10.10
