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王将の前で待つてて
王将の前で待つてて
川上弘美/集英社
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総合評価

11件)
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    川上弘美の俳句は、何と言うか、子どものようだ。 素直、まっすぐ、一本調子…。 海の底深く潜らず、海面にゆらゆらと浮かんで空を見上げているような…。 まるで付け足しのような季語、とか。

    0
    投稿日: 2025.11.12
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    少し前から図書館へ行くと、この本と目が合って(?)「あぁ…最近、王将へ行っていないな〜天津炒飯食べたい!(*´﹃`*)」とか「今、王将では何フェアーをやっているんだろう?(*´﹃`*)」思っていた(^^;)そして遂に「読んでみようかな?」という気になって、借りてきた(^^)まだまだ知らない言葉や言い回しがたくさんあって、勉強不足だわ〜と実感(=_=;)でも好き♪

    0
    投稿日: 2025.09.08
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    一作目で好きになり続けての2冊目。 近年のものに含め、一年毎に一句選び評がついている付録付き。 前回の生活の一部を川上風にはあるものの、なんだか不穏さを滲ませるものまであって物語の始まりや転換部を読んでいるような印象。 連作?や見たことある型のものもありより生活感が増した印象。 命というものを歪にした時に、楽しんでいる風もあり突き放した感じもある?

    0
    投稿日: 2025.03.17
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    面白いんだけど、、面白いんだけども、 俳句を解する能力がないのと、俳句独特の時間軸や季語などの縛り(ルール)をきゅうくつに感じてしまうので楽しめなかった。 よって、川上さんの表現がいったいどういったものなのか感じ取れず、ただ字面を追い、意味を求める、となってしまった。 俳句の表現方法がわからないまま読むと、わからないことに焦りを覚え、余計にアタマで読んでしまう。 切れ味のよい俳句は本当に、心をサッと切ってくるように感じるけれど、 どうしても理屈で読んでしまうので、俳句という表現方法があまりに短すぎてあの五七五以外に込められた情感を感じ取るまでいかないのが残念だ。 日々余裕なく生活とか現実に追われるように生きていると、俳句を楽しむ、なんて遊びはできなくなるものかな。寂しく切ないことだ、私の生活。

    1
    投稿日: 2025.03.02
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    俳句って日記代わりにもなるんだね。 簡単に作ってるようで、これがなかなか難しいんだろうな。 巻末に載っていたように、全部の俳句に解説が欲しかった。 好きな俳句 ・別れ来てラーメン食ふや暮の春 ・花木槿 半目の写真消さず置く ・スマホ買ひ即罅(ヒビ)入れる夜寒かな

    0
    投稿日: 2025.02.21
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    著者の第二句集。2010年から2023年までの作品。後半には自選の句を作ったときの状況や思いなどが置かれている。作句を始めて三十年の節目なのだそうだ。俳句のことは何も知らないので句の出来については言えることはないが、私の知る著者の感性がいかんなく発揮されているように見えて、好感が持てる。

    1
    投稿日: 2025.02.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    作家としても著名な川上弘美さんの第二句集。 作家さんを「俳句系作家」と、「短歌系作家」に無理やり分けるならば、川上さんって、確実に「俳句系作家」さんだよね、と分かったような分からないようなことを思いながら一通り読了。 なんだか理系の言葉も散見されるな、と、思っていたら、川上さんは二十代の頃、理科の教師をされていたのだとか。 俳句はよくわからないけれど、わからんーわからんーと言いながら読んでみると、たまにすっと入ってくる表現がある。 以下は気に入った句。 アマリリスしあはせになつても負けた 永遠は青蛙にでもくれてやらう ラムネ痛しけふも朝より何もなし 白玉のくぼみや明日(あす)は金借りな ヒトやがて示準化石や冬銀河 抗生物質耐性菌も春めける おとうとの中に父をる南風(みなみ)かな 夏星や失せしものみな海底に 炎昼の女怒りて発光す つむじ見せ鰻丼食ふや会社員 蓋かぶせ黙らせる肌春浅し 春しぐれ釈迦も芭蕉も腹くだし ほたるいか明滅夢をみぬをとこ たましひも五臓六腑も春を待つ 花冷えや小声で告げるさやうなら ポケットに電話ふるへる朧かな 裏がへり表がへりて蛇泳ぐ 車輛中すべて他人や秋深む 若がへりたくなし桜降りつづく 貝寄せや池には池の気分あり 着ぶくれて近所の鳩を蹴ちらせる 囀(さへづ)れる常世(とこよ)の条理説くごとく 春の宵クローンなのにほくろがない 花木槿(はなむくげ)半目の写真消さず置く 洗濯ばさみはさみ疲れやそぞろ寒(ざむ) たはしの毛すこし寝てをり冬初め 原爆忌われらに細胞壁の無き 王将の前で待っててななかまど レンジの中の小爆発も夏の果 小春日の殺人終へし殺人鬼 C難度宙返りせる春のたましひ *** 巻末に俳句歴三十周年記念、一年一句解説あり。 あとがきも長文でうれしい。 創作論めいた言及もあり、襟を正して読む。

    38
    投稿日: 2025.02.03
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    #ヨンデルホン #王将の前で待つてて / #川上弘美(#集英社) #ドクリョウ #ヨミオワリ 冬の夜に と金となりて読み終える

    0
    投稿日: 2025.02.03
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    すっかりベテラン作家だと思っていたのですが、デビューの頃の俳句もあって、解説を読んで初々しさを感じました。 この俳句、上手く言えないけれど小説と似ている気がします、とっても良い意味で。 声に出して読んでました、なぜかとても心地よく。 数読の俳句、行き詰まり感に共感。

    9
    投稿日: 2025.01.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    川上弘美さんの第二句集。 俳句を始めて30年になるという。 今回はその、30年間の「自選一年一句」という章があり、私が好きだと思っていた句が載っていたのが嬉しかった。 この本のタイトル「王将の前で待ってて」であるが、収録されている俳句の一部である。全部は、  「王将の前で待っててななかまど」 「王将」は将棋のことではなく、餃子の有名な中華料理のチェーン店のことだろうなと思う。 (多分)異性に「王将の前で待ってて」と、待ち合わせ場所を指定しているのだろう。 しかし、最後の「ななかまど」を読んだ瞬間、・・・分からん。 色々考えてみた。 「ななかまど」を検索すると、燃えにくい木で、七度、かまどに入れても燃えないことから七竈と名付けられたという。 燃えにくいことから、「王将の前で待ってて」冷たいあなた。あるいは、私の気持ちが分からない鈍いあなた。・・・なのかな? これから話があるのよ、だから王将の前で待っててね! それとも、待ち合わせ相手の名前かニックネームが「ななかまど」なのか。 しかし「王将の前で待ってて」と言ってみたら、五、七、になっているので、なんでも良いから季語をくっつけて十七音にしてみた、ということもありそう。

    3
    投稿日: 2025.01.04
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    『示準化石とは、ある地質時代に特有の化石のことで、たいがい、すでに滅びている生物の化石であるとされる。人類は今のままではやがて滅びてしまう、という嘆きではまったくなく、なぜならどんな生物種も、いつかは滅びるものだからであり、それは悲劇でもなんでもない。むしろ、化石として残ることのできる幸運、種としてわずかな時(地球時間でいえば人類の繁栄している時間はごくごく短い)でも存在できたことの幸運をこそ、言祝[ことほ]がなければと思う』―『自選一年一句』 俳句のようなものを詠んでいると、写生を越えた何かをつい詠み込みたくなる。そしてそれがすっと言葉にできた時の達成感。どこまでも自己満足な達成感だし、他人には理解され得ないだろうと解っていても、そんな気付かれもしない言葉の端に載せられた自分でも忘れてしまいそうになる思考の端くれを、何故か面白いと思う。十七文字という制約との戯れは、短歌のそれと似たところがあると思うのだけれど、三十一文字の長さの中には物語が宿り勝ちで、そのことが何か嘘くささを呼び起こすように感じる時もある。伝わっても伝わらなくてもよいその潔さは、小説家川上弘美の芯に迫るようなところがあって、この作家が書く小説と同じような面白さを見るようにも思う。もちろん、「それ」とは「解く楽しみ」(数独好きの川上弘美だけに。。。)ではなく「作る楽しみ」ではあるので、深読みすればよいというものではないのだけれど、示準化石、という言葉に特別なニュアンスを載せてみる感覚に、理屈抜きに共鳴する。当然のことながら、それは自分が地質学を学んだ徒であることが理由でもあるけれども。地質学教室の一日目に「地質学の時間スケールはMa(ラテン語Mega annumの略)。百万年。どんな生物(化石)種も発生から絶滅までほぼ百万年で推移するから」と習ったことなどを思い出す。 『うつむいてへそ見る女春の月』 小さな付箋紙を一つ、気に入った句の上に置きながら読む。心なしか第一句集よりも写生的な句が多いように思う。それも直截的な写生の句が。しかしもちろん、所々天邪鬼的な作家の雰囲気が滲み出ている句に出会う。ははあ、そうやって内心にたりとしているな、と勝手に勘ぐってこちらもにたりとする。 『かつて野原今また野原夕凪て』 どきりとする。慌てて作年を見直す。うむ、やはり。その動揺はあとがきにも似た「自選一年一句」に添えられた文章の中で再確認される。前後の歌の漠然と灰色がかった印象が尚のこと強くなる。そう言えばこの人は「神様」の改作もしたのだった。 『手の中の琵琶潰すなりはればれと』 付箋を置いた句が自選の句に重なっていると何だか得をした気分になる。武田百合子へのオマージュであるかどうかは付箋を置いた気分とは何の関係もないけれど、はればれと、と結ぶこの作家の感覚が諧謔的で気に入っていることは間違いがない。 そして、一年一句の自選句の最初に挙げられているのは、自分が川上弘美の句の中で一番に好きな句『はっきりしない人ね茄子投げるわよ』。ただただそのことだけで嬉しくなる。大して記憶力がいい訳でもないのだけれど、第一句集から選ばれた自選句のほとんどを覚えている、そのことだけで心がはずむ。川上弘美は特別な存在だと気付かされる。  漂うてこその目線や天邪鬼

    7
    投稿日: 2024.12.26