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母親になって後悔してる(新潮文庫)
母親になって後悔してる(新潮文庫)
オルナ・ドーナト、鹿田昌美/新潮社
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総合評価

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    イスラエルという国の事情もわからない 自分が男という性であるので、女性の事情が本当のところでは理解できない なんかこう インタビューを受けた女性たちの話はわからないではない 複雑な気持ちを抱えてそれでも子育てに励み、自分の気持ちを表現することで救われる人がいると信じる だけども 「後悔」という言葉が引っかかり、何か違うような気がした 贅沢者の悩みという感じ 批判的に読めたので、読書としては良かったが、、、、、

    5
    投稿日: 2025.11.09
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    やっぱ妊娠中に読むのがアツいタイトルだな、と思ったので今読みました! 読書体験含めて非常に面白かったです! 女優が「3人目はまだ?」と言われるようなイスラエルの社会性という部分には留意は必要ですが、女性への抑圧(人の親になるのが前提という規範意識、良き母であれという理想の押し付け、その上で母になる事を誘導され続けているのにいざ母になったら「望んで母になったんでしょ?」と自己責任だと突き放してくる社会)は日本社会でも類似していると思います。 いちばん印象に残ったインタビューは、子供が自分の肌の色をお風呂で無邪気に落とそうとした場面で、母親が幼少期から差別されてきたトラウマを想起してしまうシーン。 これまで生きてきた人生を、社会を愛せない人生だった人にとって、出産は苦痛の再生産であり、背負わせてしまう悲しさが胸にせまりました。 私自身の話をしますが、 両親ともに障がいのある夫婦から生まれる私の子供は、悪い言葉をあえて使えば親ガチャの大外れで、なんらかを背負わせる可能性が通常の出産より相対的に高いです。悩みました。 しかし、私はそれでも夫が人の親になれる社会がいいと思ったし、不便ではあるけれど不幸だとは思わずに今は生きていられます。 今の私には後悔はありません。 色んな境遇の方にぜひ読んでほしいと思います。 後悔したっていい。 しそうだからやめたっていい。 しなかったとしても、色んな人生に思いを馳せて、自分とは違う人に石を投げるような人にはなりたくないよね。

    1
    投稿日: 2025.10.04
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    子どもをつくるか/つくらないかで悩んでおり、「親になるとはどういうことか」を少しでも理解するために読んだ。 心がヒリヒリする内容だった。 親になる大変さは頭では分かっているつもりだったけど、終わりが見えない不安、耐え難い苦痛、重すぎる責任を訴える母親たちの声と残酷な現実が刺さって抜けない。 でも私がこの本をどれだけ読み返そうと、子なしである限りは本書で紹介される母親たちの後悔を、真に理解できることはないだろう。 「後悔してるけど、子どもを産んだことでこんなにいいことがあった!」という声や、「反対に、子育てをこんなに楽しんでいる人もいます!」といった事例は書かれていないので、これから子どもを育てたいと考えている人は自信を無くしてしまうかもしれない。 他のレビューにもあるように学術書のような文章で少し読みづらいが、多少読み飛ばしても大枠は理解できると思う。子なしを(昔よりは多少)選択できる社会、少子化社会だからこそ多くの人に読んでほしい。 絶対にこの本は夫にも読んでもらい、親になるとはどういうことなのか、二人で育児という戦場に立ち向かっていけるのか、真剣に話し合って考えたい。

    0
    投稿日: 2025.08.13
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    「母親になって後悔してる」その裏に何が隠されているのか、というような内容かと思って手にとったが、ひたすらに「母親になって後悔してる」という内容を丹念に並べた本だった。その背景に愛着の問題があるとか、生育歴がどうとか、子との関係性がとか、そういうことは、あったとしても全部付属的なことなのだ。重要なのは「母親になって後悔してる」という一点であり、それ以上でもそれ以下でもないただそのことを「ある」ものとしてこの社会で語ることが、いかに難しくチャレンジングなことであったか、ということを思い知らされた。 もちろんイスラエルは徴兵制があり多産が当然とされる社会であるとのこと、日本とでは状況が違う。それでも日本でも通ずる議論がこの本の中にはある。私自身も、「母親になって後悔してる」ことと「子供を愛している」ことが共存することに対する認識が希薄だった。子供を愛しているならば後悔してはいけないと、無意識にそう思わされていた。そう感じて薄氷を踏みながら立っている女性に、踏みしめていい大地を与えるかのようにこの本はある。女性も人として、あらゆる感情を感じていいのだと。 このような動きがあることを知れただけでも幸いだった。しかしこの本の読者は圧倒的に女性が多いのではないか…という懸念もある。そこは更に先の課題だ。

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    投稿日: 2025.08.10
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    イスラエルでの研究報告的な本。まず生んだ子供が憎いとかそういう事は言ってない。ただ『母』になった事を後悔している。多くが育ってきた社会の自然の流れで特に何も考えず母になる選択をしてしまった結果…という印象を受けた。 自分も『母』には多くを求めるけれど、それは生まれてこのかた刷り込まれた『母』の理想像があったから。 しかし私にとって必要だったのは『母』じゃなくて『温かみ』『穏やかさ』『安心感』『信頼』そういうものを与えてくれる人間だったんだろうと思う。 そういうものを与えてくれるなら誰でもよかったと思う。 もし社会から『母』が消えて一人の子供に産んだ人、育てた人、教育してくれた人がつき、子供の必要に応じてそれぞれと過ごせたらいいのに、子供の選択権が増えたらどれだけいいか… そんな事を考えながら読み終えた。

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    投稿日: 2025.06.02
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    世間が、社会が、習わしが、 「母親になったことを後悔していること=子供を愛していない」と直結してしまうから問題なのであり、 両者は分けて考えなければならない。 後悔の中身は複雑で様々だから、必ずしも悪いこととは限らない。 現代社会においては、 それは思っていても口に出すことはタブーである。 それを聞いてしまった子供の心を守るためでもあるし、世間から自分自身を守るためでもある。 けれど、後悔しているという思考は そこまで批判されなければならないことだろうか。 実際後悔した母親の全員は、「駄目な母親」ではなく、母親としてきちんと子供と向き合っていた。 もちろん、子供を持ちたかった人にとっては 聞きたくない言葉であるから むやみに公言することは避けたほうがいい。 しかし、将来家族を持ちたくないと考えている特に女性にとっては、 「そういう考えを持っていてもいいんだ」という希望になるのではないか。

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    投稿日: 2025.05.19
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    読み終え何とも言えない気持ち。母かどうかに関わらず、女性は皆社会からの変な圧みたいなのに晒されてるんだよなぁ。まだまだこの世界は女性が生きづらい。それを変えるために、私でも何か出来ることはあるんだろうか。。

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    投稿日: 2025.05.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    誰の母でもないことを選択するのは困難であるという著者の見方に同意するし(自分自身もひどい言葉をかけられたことがある)、著者の指摘する通り、子供を持っている人もその結果を考慮せずになんとなく持つことになった人も多いだろうし、後悔してると言える人は多くないだろうと思う。訳者の指摘する通りキーワードは「主体」で、女性の主体的な生き方をいかに実現するか、が著者の問題意識と思う。方向感覚を見失った時程、当たり前以外の、新しい選択肢が見えてくる、という著者の言葉に励まされた。

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    投稿日: 2025.04.13
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    第1章 母になる道筋 出産・育児は多くの社会で「自然で当然の道」とされ、女性に課せられた事実上の義務となっている。 女性が母になることを選んだように見えても、実際には社会的・文化的な圧力や期待が強く影響している。 「母性神話」(女性は生まれつき母性を持ち、母になるべきである)により、選ばない自由が事実上封じられている。 第2章 要求の多い母親業 現代の母親像は「完璧で無私の存在」として理想化されている。 母親は感情的に穏やかで、子どものあらゆるニーズに応え、社会的にも美しく、職業的にも有能であるべきとされる。 これは実現不可能な「感情労働」の強要であり、母親たちは常に自己抑圧と社会的な評価に晒されている。 第3章 母になった後悔 母になることを後悔している女性は、必ずしも「子どもを嫌っている」わけではなく、「母という役割」によって人生の自由や選択肢を失ったことを後悔している。 後悔は出産直後から、あるいは長年の育児の後に生じることもある。 子どもへの愛と母になったことへの後悔は両立しうるが、社会的には受け入れられていない。 第4章 許されない感情を持って生きる 母親にとって「持ってはいけない」とされる怒り、無関心、逃避願望などの感情が、自己否定や罪悪感を生む。 母親は思考や空想の自由すら奪われ、「母であるならこう思うべき」という感情規範に縛られる。 こうした感情を語ることは社会からの非難を招くため、多くの母親は沈黙を強いられる。 第5章 でも、子どもたちはどうなる? 母親が後悔を語ることは、子どもへの影響を考えると「残酷」だと批判されがちだが、それゆえに沈黙を選ばざるを得ない。 一方で、正直な言葉を伝えることが、子どもに「人生の選択肢は自由である」というメッセージを与える可能性もある。 「母性は義務ではない」と伝えることが、次世代への希望となることもある。 第6章 主体としての母 母親もひとりの主体であり、「感じ、考え、選び、語る」存在であるべきだという主張。 後悔の表明は、母親が自己を見つめ、社会と対話する意思表明であり、非難されるべきものではない。 母親を固定的な役割ではなく、変革を担う「主体」として捉え直す必要がある。 結論的メッセージ 「母になること」は個人の選択であるべきであり、社会的義務であってはならない。 後悔を語る母親たちは、異端者ではなく、社会の構造的問題を可視化する存在である。 母性をめぐる「沈黙」を破り、多様な母親像を認めることで、より自由な社会の構築が可能になる。

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    投稿日: 2025.04.04