
総合評価
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powered by ブクログなぜ勉強しなくては行けなないのか?という問いへの答えを探している時に出会った本。 生きるとは「とりあえず」と「たまたま」の連続。とりあえずやっておいたことがたまたま役に立った。 これだ!と思った。選択肢を広げるために勉強するんだ、と言われても、そもそも選択の意思がない場合なにも響かないどころか、さらに追い詰める結果になりがち。 とりあえず、たまたま。いい言葉だ。 そのほか、死に関する考察から、儀礼と芸術まで、めちゃくちゃわかりやすく鮮やかに語ってくれる。 ラストの愛への道程は感動もの。
5投稿日: 2025.11.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
私たちは生まれてくることを選べず、目的なく偶然とその場しのぎで複製された劣化コピーの生を過ごす。しかし、死はオリジナルである。一神教や国家は死に意味を与え永続させる。たとえそうではなくても、藝術があれば、私たちは救いのない死とそれに伴う生を笑えるように自分を再設定することができる。私たちは意味のない他人の生と死に意味を与えられる。意味を与えることこそ愛である。 無駄がなく簡潔で希望のある本でした。
0投稿日: 2025.10.24
powered by ブクログ哲学書ってなんかこう、こねくり回してよくわからないイメージだったが、簡潔に、そして極力ストレートに筆者の考えに辿り着けます。苦手な人ほどおすすめかも。 ・「たまたま」「とりあえず」に身を任せて、目の前のことに全力に。 ・複製の生、劣化コピーの欲望 なんかSNS時代にはしっくりきた ・その中でも唯一、自分自身にのみ固有で、かつ万人が共有することこそが死ぬということ
3投稿日: 2025.08.31
powered by ブクログ人はみな死ぬ。あなたも。という所から始まる。そこから掘り下げられていく死についてを「そうです、そうですよね」と説教されてる気分になりながらも読み進めた。短くて章が少ないのでこの文体、内容でも読み切れた。私個人的にはすっと自分に落とし込むことができたし、素敵な結論だなと思った。だから藝術が好きだし、喜劇が好きだ。
0投稿日: 2025.07.24
powered by ブクログ「みんないつか死ぬ」ということを起点に、「死」について考えてこそ哲学だという考えの下、著者が死について語りおろす哲学入門。 自分で選んだわけでもないのに生まれてきて、いつか死ななけらばならず、いずれ誰の記憶にも残らなくなるということの理不尽さを強調しつつ、藝術という燈火により死を笑うことはできると結論づけている。 平易な文章の短い本だが、著者が死に真摯に向き合っていることがよく伝わってきた。自分もタナトフォビアで死についてずっと考えを巡らせてきたので、共感するところも多く、藝術により死を笑う、自分自身が自分の生に意味を与えるというメッセージには響くものがあった。 ただ、いかんせんページ数が少なすぎ、物足りない感は否めなかった。本書で語られている1つ1つのテーマについて、もっと掘り下げてほしかったと思う。
0投稿日: 2025.06.04
powered by ブクログ問いかけられることでまた別の問いが生まれる。 そういう意味で確かに哲学入門だ…と思った。 個人的には跋が好きで、何度か読み返してしまった。
3投稿日: 2025.05.18
powered by ブクログうーん。 自分が何を期待していたのかが説明できないから、良し悪しが正確に判断できない。 なんとなく、なんとなく思ってたのと違う、というのだけはわかる。 でも「人は死ぬ」んだよなあ。
0投稿日: 2025.05.09
powered by ブクログ死の必然性と向き合うこと: 本書は冒頭から「あなた(読者)は死ぬ」という断定的な言葉で始まり、死という避けられない現実を直視することから哲学が始まると説きます。著者は、生まれること、生きること、そして死ぬことを選べない人間の根本的な理不尽さを指摘します。「人間は生まれてくることを選べません。それなのに、生まれてきた以上は死ななければならないのです。」 人生の「とりあえず」と「たまたま」: 人生の多くは、明確な目的や計画に基づいているわけではなく、「とりあえず」目の前のことをこなし、「たまたま」巡ってきた機会によって形作られていると著者は言います。この視点から、人生の不確実性や偶然性を肯定的に捉える姿勢が示唆されます。「人生は『とりあえず』と『たまたま』で出来ている。」 幸福の曖昧さと主体性: 幸福とは主観的で曖昧な概念であり、他者によって定義されるものではないと著者は論じます。真の幸福は与えられるものではなく、自らが意味を与えることによって見出されるとします。「自分の生に意味があるかどうかは問題ではない。意味は与えられるものではありません。むしろあなたが意味を与える側なのです。」 「かけがえのなさ」の喪失と複製: 現代社会において、言語やSNSなどのメディアを通じてあらゆる経験が共有・複製されることで、「かけがえのなさ」が失われ、「劣化コピー」となってしまう危険性を指摘します。他者の欲望の模倣に陥りがちな現代人の欲望構造に警鐘を鳴らします。「それらの『欲望』はみな他人の欲望の劣化コピーでしかあり得ません。」 儀礼の重要性と両義性: 葬儀をはじめとする儀礼は、個人の死を社会的に承認し、他者との関係性を再構築するために不可欠であると同時に、国家や権力によって利用され、「死の搾取」に繋がる危険性も孕んでいると論じます。「葬礼あるいは弔いの儀式というものは、犠牲を必要とする『国家』に、『死の搾取』がなされる時だけです。」 「記憶」と「救済」の不在: 人は生まれ、生き、そして死ぬが、その生と死は誰にも記憶されず、救済されることもないと著者は言います。チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」を例に、人間の抱える虚無感と、それを乗り越えようとする希求を描き出します。「われわれは苦労して生きていて、そして無意味に死ぬ。それだけではない、その生き死にを誰も覚えていてはくれない。」 哲学とは死を学ぶこと: 哲学の根源的な問いは死に向き合うことにあり、死の必然性を受け入れ、その無意味さをも笑い飛ばす主体性を確立することこそが重要であると結論づけます。「哲学とは死を学ぶこと。」「死を笑うことを学び、その無意味さを笑うことを学び、『救いのなさ』を笑うことができる主体として、自らを再設定することはできる。」 重要なアイデア・事実: 哲学の入門は、読者自身の死という逃れられない事実に気づくことから始まる。 人生は計画通りに進むものではなく、「とりあえず」の行動と「たまたま」の出会いによって形成されることが多い。 幸福は主観的なものであり、他者から与えられるのではなく、自らが意味を与えることによって得られる。 現代社会では、メディアの発達により、個人の経験や欲望が「劣化コピー」化する傾向がある。 儀礼は社会的な結びつきを維持するために重要であるが、権力による「死の搾取」の道具にもなりうる。 人間の生と死は、永劫の記憶や救済といった概念によっては必ずしも意味づけられない。 哲学は死を見つめ、その理不尽さを受け入れ、主体的に生きる姿勢を養うための道である。 チェーホフの「ワーニャ伯父さん」は、「記憶」と「救済」の不在というテーマを深く掘り下げた作品である。 アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリア建設は、完成を見ることなく死ぬことを知っていたにも関わらず、献身的に取り組んだ行為であり、「時と死」への「さげすみ」とも言える。 芸術は、死という定めを悲劇としてではなく喜劇として捉え、笑い飛ばすための力を与えてくれる。 引用:
0投稿日: 2025.04.09
powered by ブクログ哲学についてまだら何も知らない私はこの本を評価するに値しないのだが、著者が哲学について知識の羅列から語るのではなく、これから哲学に触れていく上で必ず必要になる、芯のようなものから伝えようとしているのだということは受け取った。
1投稿日: 2025.04.08
powered by ブクログ哲学入門と銘打っているが、すごく良くできた本だと思う。 まず入門書なので短い。 考えながら読み進めていったが2時間くらいで読み終えた。 そしてメインテーマは死について。 これも哲学入門のテーマとしてはぴったりだ。 ただこの本がすごく良くでいていると思ったのが、その死の在り方から始まり、連想ゲームのように思考を進めながら色々なテーマについて考えを深める内容になっていることだ。 著者が冒頭に述べているが、哲学入門書というのは哲学史の要約か哲学の考え方の問題集のどちらかがほとんどであるが、実際は多くの人がそんなものには興味がないということだ。 これはそのとおりであり、ほとんどの人が死ぬとどうなるのか、生きるとはどういう意味があるのかなどの問いの答えを期待して哲学の世界に興味を示すのだと思う。 専門家でもなんでもない自分が知る限りだと上記の答えは人類は説明できていない。 なのでそれを色々深く考えてみようというのが哲学というものだと思うのだが、この本はどのように思考を巡らせるのかを非常にわかりやすく示しているところが素晴らしいと思った。 また著者の文章に久々に触れたが、言い回しや温度感に独特のセンスを感じてとても読みやすい。 学者の押し付けのようなものを感じることがないのでそれも変なアレルギーを引き起こすことがないと思う。
5投稿日: 2025.04.06
powered by ブクログ2月が命日の先輩の墓参りをした4日後に実父が逝去し、その10日後に同期が鬼籍に入った。この本を購入した時、まさかそんな事になるなんて、考えもしなかった。そこはかとなく涅槃の彼岸のヴァイブスが漂い読むタイミングとしては良かったと思う。何度か言っているが、生と死は表裏一体、しかし、人は生に意味ばかりを求める。死について意味を見出せないなら生についても同様。
1投稿日: 2025.03.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
そっかーだから私は死を思い馳せるんだ〜と、哲学と死の距離感が自分が思っている以上に近いことに気付きました。 自分自身の死は自分だけのもの。固有のものです。 その死を、地下鉄サリン事件のように搾取されてしまう側面や自分で死ぬ瞬間は見られない不確実性を問うたりしております。 死について考えることは途方もないことだけど、入門としてなめらかに書かれていたので終始飽きませんでした!
0投稿日: 2025.03.03
powered by ブクログ今日パンセも読み終わって、哲学は宗教と相対しているのか・寄り添っているのか、そのあたりはまだわかりませんが、いずれも死と向き合い続ける学問のひとつなのかなと感じました。
4投稿日: 2025.02.27
powered by ブクログ欲望はみな他人の欲望のコピー、自分だけのかけがえのない、オリジナルな欲望のなど存在しない。ところが、自分自身にのみ固有であって、万人に共通する体験、それは死のみ。 自分の生に意味があるかは問題ではない。意味は与えられるものではなく、大切な誰かに意味を与えること、それが愛するということ。
0投稿日: 2025.02.10
powered by ブクログ「万人のための」は「死というテーマ」に繋がっていました。 文体は少し硬めですが難解では無いので読みやすかったです。
0投稿日: 2025.01.13
powered by ブクログ自分自身に固有であって、万人に共通する体験は「死」。誰も自分の代わりに死ぬことはできない。自分が体験できるのは「他人の死」のみで、自らの死を体験することはできない。誰もに訪れる「死」をもって、「生」に意味がないと捉えることもできるが、自分で意味を与えることもできる。 「意味を与える力」を意識していこう、と捉えるべきだろうか。100ページ弱の本であるが、たしかなことと問いを突き付けられるような内容だった。 ======= ・「すべてのものに根拠がある=根拠律」ということ自体になんら根拠はない。 ・「生まれてくることを強制されて、それ以上は死なねばならず、そしてその生き死には誰にも記憶されず、無意味に消え果てるばかりである」ということを見つめ続ける、ということが「生」そのものであり、「倦怠」そのものである。 ・生きている以上はいつかは死なねばならない。(中略)ただ、われわれには藝術があり、そこでこの定めを笑うことを学ぶことができる。この定めを悲劇ではなく喜劇とsることができる。そこから、陽気に、快活に、哄笑しつこの定めを生き抜くことができるようになるかもしれない。藝術こそが、「遥か彼方で瞬いてくれる燈火」(アーストロフ)なのです。
1投稿日: 2024.12.29
powered by ブクログ「死」を考えることから哲学が始まる。 しかし「死」は常に他人のものであって、自分の「死」は自分で確認することができないから、「死」することはできない。 だれかに強制されてこの世に生を受け、そして「死」を待つだけ。その生も死もやがて誰の記憶にも残ることなく、無意味に消え果てるのを怠惰に見守るだけ。 ってことらしい。 フン。
0投稿日: 2024.11.29
