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本格小説(下)(新潮文庫)
本格小説(下)(新潮文庫)
水村美苗/新潮社
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総合評価

43件)
4.4
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3
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    上巻はゆるゆると時間をかけて読んでいたが、下巻はすぐに読み終わってしまった。 小説を読んでいる時は、他人の人生を覗くような気持ちで読んでいるが、本格小説は殊更その気持ちが強かった。 人間の感情って複雑だな、と思わせる小説。太郎のその後を想像させるような終わり方もよかった。

    0
    投稿日: 2026.01.04
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    ▼大変にオモシロかった。読み終わりたくないくらいオモシロかった。これくらいオモシロイ、上出来の小説に、残りの人生であと何作お目にかかれるだろうか?というくらいにオモシロかったです。(いや、これまでが不勉強なので、時間を割いて本と向き合えば、まだまだあと何十冊も巡り合えると思いますけれど。まあでも、最後はひとそれぞれの好みですが) ▼何かの文章で、 「つまりは水村美苗さんが大まか日本の昭和平成を舞台に”嵐が丘”をやってみたい作品である」 とは知っていました。 そして嵐が丘は既読でした(オモシロかった)。 ところが上巻では、イマイチ物語が始まり切らなかったストレスがあって、もやもやして下巻に入ったら、下巻に入ったとたんに満を持して物語はトップスピードで驀進してくれました。そこンところの上巻エンタメ要素の薄さという課題はあります(作者としては、先刻承知なんでしょうが)。 ▼それから、タイトル。本格小説、という四文字にそれなりの思いがあるのでしょうが、こちらとしては、「本格小説」と「そうじゃない小説」の違いなんて分からないし(どうでもいいし)、あんまり魅力なタイトルぢゃ、ありません。  圧倒的に「恋愛小説」の方が読者が増えたんぢゃないかしら(余計なお世話)。 ▼もうとにかく、 「身分違いの恋」。 そして、 「長い歳月を経た、その身分の逆転」。 そして、 「思いあってるのに、心の友なのに、ソウルメイトなのに、結ばれないふたり」。 激流の奔流の甘いロマンス、格差の苦さ。それらが厚塗りのバターのように塗られます。塗られるパンに当たるのが、 <戦後の日本社会の移り変わり>。  そんなこんなが、ちょっとも説教臭くなく、ひたすら登場人物の喜怒哀楽で綴られる。エグすぎる箇所もあるにはあるけれど、それらは直截には描かれない。  その上、全て読み終われば二転三転の謎解きになっています。  ところが、それはいちばんの魅力ではなくて。いちばんの魅力は相も変わらず水村さんの語り口です。  気持ちいです。日本語って素敵。 ▼超・大傑作の、「母の遺産」以降。  新作の長編小説来ないなあ、もう書かないのかなあと思っていたら、今年2025年「大使とその妻」という新刊が現れました。  すぐに読みたいのですが、 「あっそういうえば、”私小説” と ”本格小説” がまだ未読なんだよな。あれを読んでからにしようかな」 と思って読みました。 ”私小説”も、読むか決めていません。横書きってなんとなく生理的に違和感があって・・・・。 本格小説は、読んで良かったです。 「大使とその妻」は、2025年後半のお楽しみです。 ▼ああ、そういえば、「嵐が丘」を再読したくなりました。考えたら既読って言ってももう、ウン十年前なので。今考えたらあの時代に女性が書きぬいた大長編商業小説って、それだけでも再読する価値がある気がします。 以下、物語の段取りの備忘録を兼ねて。ネタバレします。 ▼要は、「太郎という男性の、ほぼ一代記」と言ってよい。 A※幼少期【1940年代前半~?】 ①超貧しく生まれ(旧満州で) ②親戚たらい回しで小突かれて育ち B※よう子との出会いと、恋に落ちる日々 【1950年代? 10歳前後から~中学生くらい?】 ③小学生くらいから(これが戦後直後くらいだったか?戦中だったか?)ひょんなことからとあるブルジョア一族の、「下僕的な出入りの人間」になる。 ④だけど、出入りしたとあるその、分家が、 「金持ち一族の末端にいた、老婦人と同年代の娘・よう子。だけの所帯」 だったことと、 「太郎が頭の良い度胸の良い人間だったこと」 と、 「太郎が、よう子と仲良くなったこと。 &住み込みのお手伝いお姉さんの理解と味方」 の三つの理由で、身分違いだけどかなり濃く関係することになる。そして、よう子と、純精神的に恋仲になる。 C※引き裂かれた絶望期 【1960年代? 高校生年代くらい?】 ⑤だが歳月。老婦人の死。思春期。ふたりは引き裂かれる。太郎は意地の悪い親戚と暮らす。学問もさせてもらえない。よう子とは、棲む世界が違ってしまう。不遇でストレスな青春期を。悶々とする。一念発起、裸一貫渡米する。 D※裸一貫、渡米して、成り上がる時期 【1970年代?~1990年代 二十歳くらい~四十くらい?】 ⑥渡米して運転手から身を起こし、アメリカ進出したばかりの日本企業で台頭し、独立し、10年~20年くらいで?アメリカで事業家となり、大成功する。超富豪になる。 E※大金持ちになって、よう子と再会して異常な関係、そして悲劇。 【1990年代?~ 40代~50代?】 ⑦超富豪になった太郎。没落しつつある、よう子の一族。太郎はよう子の一族の軽井沢の土地別荘を匿名で買い取るなど、徐々に接近。そして「理解あるお手伝いのお姉さん」の導きもあって、よう子と再会。よう子は、結婚して子供もいる。なんだけどお構いなしに恋仲になる。よう子の夫もそれを認める。奇妙な関係。 ⑧ところが、世間の目もあるし、子供のこともあるし、気まずくなってくる。もめごとも増える。そして、よう子の突然の病死。 F※エピローグのような。太郎と、お手伝いさんしか残らなかった。 【2000年前後? 50代?】 ⑨太郎はショック。最終的に軽井沢の不動産など、要するに巨額の資産を、ずっと味方してくれてきた「お手伝いのお姉さん(今はおばさんだが)」に残す。 ・・・で、この時期に、たまたま知り合った若い男性に、「お手伝いのおばさん」は、「太郎とよう子の物語」を語って聞かせる。 G※お手伝いさんから話を聞いた若い男性が、とある初老の日本人女性学者(在アメリカ)を訪ねて、聞いた話を伝える。 【2000年前後?】 という流れ。わかりにくい。 ############## この小説の面倒くさいのは(失礼) 出だしは、上記の <Dの時期> が、 <太郎の成り上がりを距離置きながら見守った、アメリカで暮らす日本企業の社員の一家、その一家の中の思春期だった娘> の目線で描かれるんです。 「?この娘(太郎より10歳くらい下?)と、この太郎って男が、どうにかなるのかな?・・・」 と思って読んでると、なんにも起こらない(笑)。 これはエンタメ的に言うと、決してイケてません(笑)。 その次に、なんと上記の <Fの時期>が、  「今まで太郎ともよう子とも無関係に生きてきた、東京の若いサラリーマン男性。たまたま軽井沢に来て、お手伝いさんと知り合う」 という、この若い男性を語り部として、語られるんです。 ここンところが、正直、いちばん上手く書けていない。この時期に恐らく40台か50台かだった水村美苗さん。ぶっちゃけ金持ちに育って大学の職員として生きてきたのであろう水村美苗さん。申し訳ないけれど、<中流クラスの1990年代の若い男性>という生き物は、あまり活き活きと描けていません。この若者の中心的な動機のあり方がさっぱり分からない。 ・・・とにかく、この若者に、「お手伝いのおばさん」が、なんでだか、太郎とゆう子の長い長い物語を語りだす・・・というあたりで上巻が終わったような気がします。 下巻に入るとようやく、太郎とよう子の物語、が熱を帯びます。 これは、「お手伝いのお姉さん」の目線で語られます。 ・太郎 ・よう子 ・お手伝いのお姉さん どれをとってもすごく瑞々しく人間が描かれます。オモシロイ。 そして禁断の恋。引き裂かれる。 <B,C,そしてEの時期> つまり、いちばんおいしいところが怒涛に語られます。 ・・・で、最後はやっぱり、謎の若い男性との状態に戻って終わるんですが、 なんでこんな「語り部が錯綜していく物語」にしなくちゃならなかったの? ・・・と、思っていたら、ラスト近くで頓悟しました。 あんこの物語の語り部は、「お手伝いのおねえさん~おばさん」なんですが、この人が長い長い物語の中で、嘘をついていたから。なのでした。 それが嘘だったということが分かることで、この物語は完結できるのでしょう。

    10
    投稿日: 2025.08.11
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    すごいタイトルだと思って、気になっていた本。 ・本編が始まるまでに200P以上も不要ではないか ・中途半端な実写の写真を挿れる必要はないのではないか ・私小説でも本格小説でもないのではないか とか思いながらも面白かった。

    0
    投稿日: 2021.06.27
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    『本格小説』は、嵐が丘のオマージュというからにはやっぱり語り手が女中さんだったというか、そのひとが主人公のような小説であった。  タイトルが日本近代文学『本格小説』とちょっと仰々しいけど、おもしろく読める。戦後から昭和の時代、平成に入ったところを背景に、突き抜けた人物達が織り成すドラマはわたしたちがたどった時代を振り返らせてくれ懐かしく、また歴史風俗の変遷を思う。  この小説では戦後もすぐ、集団就職の時代にお手伝いさんと呼び名が変わったにもかかわらず女中になってしまったひとと、零落しつつもそのことに執着した家族と、貧しさから這い上がらなければならなかった青年のとの三つ巴のドラマがすさまじい。  その女中さんで思い出すことがある。  わたしが結婚してからだから、姑50代なかばわたし20代のころのこと。姑がよく「おちぶれた」が口癖にしていたが、もうひとつわたしはふに落ちなかった。  義母は父親がある県の名家の医者、広い敷地に大きなお屋敷、人手がたくさんのお嬢様、女学校を卒業してからも専門学校へいったそうな、つまり今の女子大卒と同じ。その後、行儀見習いとして行った先は華族のお屋敷。結婚しても女中さんが居た子育てだったという話をたくさん聞かされた。  ところが夫が39歳で早死にしてしまい、そのころ戦争も始まって実家に疎開するのだが、女中さんにもひまをだして、苦労の連続になってしまったのが気の毒だったのだった。  それから十数年、戦後の日本を皆と同じように大変な生き方をしただろうに、何かにつけて「おちぶれた」というのが、わたしにはわからない。「何をご大層な」とむしろ反感さえ持った。だって仕方がないじゃない、日本中が民主主義だの平等主義だのになってしまったのだから。  わたしなどは何もないのが普通、女中さんが(お手伝いさんが)居たら居心地悪いものと思うけども、母に聞けばやはり居たという。母が結婚してわたしが生まれた時、妹が生まれた時実家から来てもらったという。  わたしの「おちぶれた」という言葉への違和感は、何もなかった時代の子として幸いにしてその怨念のようなものを、味わわなくて済んだということだと思うとありがたい。  良かった時代に執着したり、上昇志向に執着したりそれが活力になればいいのかもしれないが、時代とのずれがあると摩擦がおこるものだ。  しかしわたしがよる年波でいまはお手伝いさんが欲しいよ~。というのも本音(笑)

    0
    投稿日: 2020.12.23
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    心震える恋愛小説か怪談話を読みたいと、10年の積ん読を経て人を食ったようなタイトルの恋愛大河小説を読んで心震わす。後にNYの大富豪になった満洲引き揚げ者の貧しい少年東太郎と裕福な隣家の娘よう子の幼い恋心から始まる幸福と悲劇、そして一族の栄枯盛衰が昭和の軽井沢を舞台に何十年にも渡り繰り広げられる。一人ひとりの行動の積み重ねが人の心に影響を与え、その結果がまた人それぞれに違う意味を持つ。それぞれが自分の居場所を探す話であり誰が幸せで誰が不幸せだったのかさえつかみきれぬまま恋愛の大河に呑み込まれる。今の日本はある人には良くなりある人には悪くなった。40年前の軽井沢ってこうだったよね、などと思いながら。

    0
    投稿日: 2020.11.22
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    上下巻とかなりのボリュームを頑張って読み進めると、最後の最後に大どんでん返しがあり読後感は面白かった…が、正直年配の女性が延々話してることをそのまま記述してあるような小説のため、やや読むのに骨が折れた。

    0
    投稿日: 2020.07.28
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    軽井沢に別荘を持つ昭和のお金持ちたちの独特の世界観にどっぷりはまった。 アメリカに渡り大成功して大富豪になった不幸な生い立ちの男と、優雅な金持ちの家族の対比によって、豊かさとは?幸福とは?と考えさせられた。

    8
    投稿日: 2020.05.25
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    この作者の第一作が『続・明暗』であるうえこの題名 手をつけるのにかなりの読書意欲を必要としたので買って2年も寝かせたが 意外にとても読みやすかった 題材からの連想でサマセット・モーム「平明な文体と巧妙な筋書き」みたいな感じかしらん 物語の面白さで読み始めたら止まらない内容 題名の「本格小説」は作中の作者から説明あるように「小説のような話」を指して 小説である以上は作者の知ることの中で書かれているから(広義の)「私小説」であり では「私小説」でない「小説のような話」はどうなるか みたいな感じらしい なるほど そういうわけで『嵐が丘』を戦後日本へ置き換えたような筋書きを 作中の作者を複数の話し手と聞き手の中に織り交ぜ 山場がいくつもある多重ミステリのような仕掛け 内容分類てきには「昭和日本のお金持ちと使用人」な「時代」を生きたひとたちの記録 みたいな感じか 「ミステリ」の舞台が現代日本か19世紀イギリスかでの分類のように この作品には意味のない分け方だけれども そもそも『嵐が丘』自体読んだのがわりと昔な上に まず「がらかめ」の絵が載って さらにクリスティのミステリでないのとか 『秘密の花園』とかダイアナ・ウィン・ジョーンズとか 極めつけに「あんざろ」で上書きされてよくわからないことになっていて そういうエンタメな味わいと比較してしまうわけだが さすがに最初の作品に『続・明暗』持ってきて評価されている作者だけに どんな方向からのつっつきに綿密な構成で答えて 『虚無への供物』みたいな積み上げっぷり そういうわけでどこで満足して本置いたらよいかわからない 細部まで抜かりなく豪勢な作品だが そういうどこまでも閉じてない感じが 「私小説」でないふうなところなのか 「小説のような話」には「私」たる主人公がなく といって(社会(人間関係)が主人公の)群像劇というわけでもなく 時代のふんいきというのも『嵐が丘』と対比するまでもなく舞台だてなのだし 結局「小説のような話」というのは 「巧妙な筋立てによるお話の面白さというもの」というところへ 行き着くものなのかもしれない

    0
    投稿日: 2018.12.09
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    うん、素晴らしかった。深く満足。 骨子を、身も蓋もないひと言で言ってしまえば、「上流階級に属する人たちのゴシップ話」だと思う。 しかし、その骨子に肉付けされている装飾がもう本当に見事で、骨子の下品さが完全に隠されている。 極論を言えば、この世で起こる様々な「ものがたり」は、その殆どが単なるゴシップでしかない。 個人的な、極めて狭い範囲での出来事であって、当人たち以外にとっては、単なる覗き趣味を満たす対象でしかない。 けれど当然ながら、それらは単にフィクショナルな「ものがたり」ではない。 当人たちにとっては、嘘偽りのない純粋な「真実」そのもの。 その「真実」を、傍観者でしかない読者に、どれだけリアルなものとして感じさせることが出来るか。 それが、「小説家」としての力量そのものが問われる場面そのものなのではないかと思う。 そして、その能力が高ければ、「ものがたり」が作り話であったとしても、読者はリアルなものとして感じ、受け止める。 それは、読者が「もうひとつの現実」を体験するという事に他ならない。 それを踏まえると、本書は「本格小説」という名に相応しい作品だと思う。 圧倒的なまでに繊細で美しく、流暢で滑らかなその筆力は、読者を完膚無きまでに幻惑する。 ぐいぐいと引き込まれて、あたかもその場に身を置いていたかのような錯覚すら感じた。 語り手が変われば、ここまで強烈な印象を読後に残すことは無かったはず。 それどころか、ぼくは最後まで読み進めることすら出来なかったと思う。 本当に切なく、どこまでも悲しいお話。 けれど、だからこそ、所々で訪れる幸せな瞬間が、本当に大切で素晴らしいものとして輝く。 とにかく、読んでいる最中の没頭感が半端じゃなかった。 読後、深い溜息をつきながら、傑作だなあ、と心から思った。

    1
    投稿日: 2018.11.13
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    下巻です。 期待を裏切らず、最後まで深みのある恋愛小説で、どっぷりと美しい世界観に浸りました。 (著者は嵐が丘のような話と言っていますが、私は谷崎の細雪、小池真理子の恋がよぎり、再読したくなりました。特に恋の主人公は同名フミコ!) そんな中ラストの冨美子の件は、一瞬小説全体の美しさを汚された気がしましたが、そういう事情のお蔭で彼女の語りには包容する力があり愛があるわけですから、生々しさも許容しなきゃな、という気持ちに変わりました。 また、上巻で感じていた三枝家や重光家等の名家の品格を、時を経て現代の富裕層である久保家には少しも感じず(だからと言って決して下品という意味ではなく)、現代日本への寂しさを感じました。 あの時代を生きた人々が、現代の、小粒で薄っぺらい人材と世の中を嘆く様を見て、確かに現実の経営者や政治家には気迫も個性も足りないかも、と考えたりもしました。松下幸之助や田中角栄に匹敵する今の人、思いつかないもの… 恋愛小説なのにそれ以上のことを考えさせられる、とても素晴らしい作品です。読んでよかった☆

    1
    投稿日: 2018.08.31
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    東太郎の人生の話と思いきや、最後冬絵の登場と語りで、この物語はフミ子の人生の話だったのではないか、と視点が逆転した。 そして、この物語に登場した、愛を交わしあった人々、本当は誰もが愛して愛されてはいなかったのではなかろうか…と、気付いてしまった。それぞれが語る愛が、交わっているようで、実は何だか宙に浮いてしまっているような。それは、語り手に話を進ませる方法をとったからなのか。もし、渦中の誰かの一人称か、まったくの三人称で小説が構成されていたら、きっと違っていたのかも。 漱石の『こころ』は、渦中の「先生」の語りを執った一人称だが、あの作品ではまさに、「先生」の主観(思い込みともいえる)で物語が進んでいく。一方この『本格小説』は、フミ子の語りでありながら徹底的に事実から第三者的な立場が貫かれている。しかし、最後の冬絵の台詞で、それまで冷静な第三者的な物語と信じ込まれていたものがガラガラと崩れ、フミ子の語りによるフミ子の人生の物語へと姿を変えたような。 そんなカラクリも仕込みつつ、文学の可能性を試している著者の仕事っぷりに脱帽する。 本当に面白かった‼

    0
    投稿日: 2016.05.22
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     これは、説明不要、とにかく面白いので読め!って感じの本です。    軽井沢に別荘を持つ裕福な家庭に生まれた少女・よう子と浮浪児同然の少年・太郎の恋が軽井沢で芽生えますが、階級の格差と時の流れによって、いつしか二人は離れ離れになる。その後、成長した太郎がアメリカで経済的な大成功をおさめて、よう子の前に姿を現します。  戦後の日本を舞台に描かれた『嵐が丘』とも言われていますね。  メロドラマにどっぷり、というような読書は普段しないのですが、これは例外。とにかくグイグイ引き込まれますので、未読の方は是非)^o^(

    0
    投稿日: 2016.04.19
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    「山荘」だとか、「アメリカ」だとか、全く縁のないキーワードばかりでした。土屋富美子さんの語り口が、ですます調が、お上品でした。

    0
    投稿日: 2015.12.21
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    小説は、主観的な内的な心象風景を物語で紡ぎながら、その中に美しさとそれから生まれる哀しみがあらわされれているもの・・かなと。 どの時代でも、文化、社会の中で人が思うようには生きていけない辛さみたいなものが澱んで、人が巻き込まれ、自分からまきついていくような人がいて、そういう時代に翻弄される劇的な物語を、人は惹かれるものである。 この本の主人公が登場しているとき、嵐が丘の冷たい暗い風がいつも感じられる。この小説が「嵐が丘」を意識していることは、最初から感じられるのだが、嵐が丘を感じながらも、この小説の舞台は戦後である。貧しい家族に恵まれない辛い子供時代を過ごした主人公は、時代背景が嵐が丘とは違うがその主人公太郎の立ち位置がヒースクリフが非常に似ているためそのように感じるのだろう。 この本の好きなところはいろいろあるが、ラストの意外性がすごいと感じさせた。嵐が丘を意識しながら、全く別の次元のものに昇華したと感じた。 小説とは、これを言うのだなと感じさせてくれる本である。

    0
    投稿日: 2015.11.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    その当時に生きた人にしか感じられなかった惨めさと華やかさ いまの時代では想像できない世界が同じ日本だったんんだ 苦しくも悲しくも悔しくもあるんだけど 読み始めると、先が気になり、どんどん読み進め 最後の最後には、単純に夢のように浮かれていた気持ちが びっくりするほど水を浴びせられたような気分になり すごい小説を読んでしまったなぁという気持ち でも、水村さんの他の小説、すぐに読みたいとは思えない 衝撃が強すぎる

    0
    投稿日: 2015.05.10
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    +++ 夏目漱石の遺作を書き継いだ『続明暗』で鮮烈なデビューを果たし、前代未聞のバイリンガル小説『私小説from left to right』で読書人を瞠目させた著者が、七年の歳月を費やし、待望の第三作を放つ。21世紀に物語を紡ぐことへの果敢な挑戦が、忘れかけていた文学の悦びを呼び招く。 +++ 上巻を読んでから時間が空いてしまったが、やっと下巻を読むことができた。上巻から持ち越された緊張感と昂揚感はそのまま続き、東太郎、冨美子、よう子、そして三枝三姉妹や関係者たちもそれぞれ歳を重ねて状況はずいぶん変わってくる。よう子は重之ちゃんと結婚し、娘も生まれたが、太郎に対する気持ちが消え去ってしまったわけではなかったのである。太郎とよう子、夫の重之三人の関係は、危うい緊張感の上に安定し、しあわせの極みとも言える時を過ごしもする。彼らが主役の物語でありながら、それよりも、語り手とも言える冨美子の一生の物語とも思われ、最後に語られる事実にその感をさらに強くするのである。人というもののむずかしさ奥深さ、底知れなさを思わされる一冊である。

    0
    投稿日: 2015.03.17
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    感想 貧乏、学歴、金持ち、努力、恋愛、上流社会の三角関係と、どのページを開いても飽きさせない話でした。 これら全てが戦後からバブル期が終わる頃までの時代の流れに合わせるように織り込まれていました。 文章は丁寧な日本語が使われていて読みやすいです。 内容が面白くてサクサク読めて、 続きが読みたくて暇を作っては読み一週間かかってしまいました。

    0
    投稿日: 2015.02.21
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    成城に屋敷を構え、夏は軽井沢で過ごす上流階級の家庭に生まれた女たちと、身分の違いすぎる男太郎の、半世紀に渡る運命の物語。 「太郎ちゃんなんかと結婚したら、ミ・ラ・イ・エ・イ・ゴ・ウなんの夢もない。恥ずかしくて死んでしまう。」と言い放ちながら、死ぬまで太郎を愛し続けたよう子。 生涯他の女性を愛する事なく、アメリカに渡り、億万長者になった太郎。 でも、ふたりが結ばれる事はなく、あまりにあっけない別れが悔しい。 周りの雑音が多すぎて、ドラマチックな盛り上がりに欠けるのだけど、人生なんてそんなものかもしれない。 太郎を子供の頃から支えてきた、女中の冨美子の目線で語られるが、最後に驚きの事実が。

    3
    投稿日: 2015.01.19
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    かなり長い話でしたが、話の世界にどっぷりと浸ることができました。 女中の視点で語られる三枝家と重光家、太郎とよう子の関係も面白かったし、舞台になっている軽井沢や小田急沿線も馴染のある場所だけに情景がすんなりと思い浮かんで、ぐいぐいと引き込まれました。 よう子視点での話も読んでみたかったけど、ここは想像するしかないといったところが残念。 冨美子視点からだと、よう子が何故そこまで雅之と太郎といった2人の極上の男性に溺愛されるのか、そこまで魅力が伝わらないのだが、そこは冨美子のよう子に対する嫉妬心みたいなものが含まれていて魅力が伝わる描写になっていないのかな、と思った。

    1
    投稿日: 2015.01.14
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    主体としての「I」が育たなかった日本で、「私」を主語に本格小説を書いた著者の姿勢に圧倒される。 主体としての「I」を書こうとすれば、自分がとるに足らないことも受け入れられる。と言いながら、これだけの量、精密さ、言葉の崇高さを維持して書きあげるって、どんなモチベーションなんだろうか。登場人物は、そこまで私であることに自覚的に暮らしているようには見えないし。主体としての「私」とは何か、何度か読み直さないといけない本。

    0
    投稿日: 2014.07.24
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    これを読み終わった知人の勧める言葉があまりに熱烈だったので、惹かれて手に取る。 まず普段翻訳ミステリばかり読んでいる目に、古風で流麗な日本語が気持ちよく、そちらにうっとりする。 そしてまた、著者の自伝らしきまえがきも面白く、これがこんなに面白いのに、本編がどのように始まるのだろうかと思っていたら。 これがもう、面白くておもしろくて、ただ、こればかりを読みふけるわけにもいかないので遅々としてページが進まない(通勤電車に持って歩くには重かった)のが何とももどかしく…。休み時間に読んだ小説の続きが気になって仕方ない授業中、のような感覚。寝ても覚めても、どこかがこの小説の世界とつながっているような感覚をずっと持っていた。 斉藤美奈子氏によると、すべてを読み終えてから冒頭を再読すべきとのこと。さあ、読み終わった今、ふたたびその楽しみに浸ることとしよう。 これからは、数十年前に読んだきりで、しかも内容をおそらくさっぱり理解していない『嵐が丘』を読み、水村さんのほかの著書を読むことを楽しみとして読書計画を進めていくことにする。 この本を教えてくれた知人にはひたすら感謝である。

    1
    投稿日: 2014.01.07
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    まさに「嵐ヶ丘」! 面白かった 読み終わったのが寂しい(´・_・`) もっとこの雰囲気を味わい続けていたい

    1
    投稿日: 2013.12.08
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    日本現代文学史に残る傑作。粗筋だけを言えば恋愛小説といって何ら差し支えはないが、ここにはそうしたカテゴライズに収斂できない何かがある。 文学の一つの楽しみ方は、後世に残された我々が文学作品を通じて当時の世相を追体験できることである。そうした意味において、この作品を読んだ100年後の人々は昭和という時代の美しさを追体験できるのは間違いがない。 そして現代に生きる我々の使命は、こうした優れた文学作品を100年後にも残すよう、適切な評価を下すことだと思う。 文学技法的に言えば、所謂「信頼できない語り手」(現代作家ではカズオ・イシグロの作品に多く見られる)を用いることにより、読者を最後の最後まで裏切り続ける手練が見事。日本語表現の持つ美しさを楽しめるという点でも、川端康成にも通じる世界観がある。また、ある一時代を舞台にした家族史という見方をすれば、北杜夫の「楡家の人びと」にも近い。 文庫本で、上下巻合わせて1200ページ弱。読了に時間はかかるかもしれないが、それに見合う価値はある作品。

    0
    投稿日: 2013.07.21
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    誰一人として満たされ尽くすことなく、時代に翻弄される。救いようのない話ではある。 とはいえその救いようのなさとそれゆえの感動を、冗長さを感じさせずにここまで喚起出来るのは、さすがの名作ゆえんか。 小田急線に乗るのが、ちょっと楽しみになるかも。

    0
    投稿日: 2013.06.02
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    果たして東太郎は実在するのか、架空の人物なのか。 著者が最初に断っているように、これは私小説ではない。本筋に入るまでの長い話は私小説の形式を取っているようだが、これはあくまで後半の本格小説への導入部と考えるべきである。 著者はおそらく、どこまでもフィクションのリアリティを表現することにこだわった。導入部の私小説に架空の人物を紛れこませることで、煙が形を持って実体化するように、その人物があたかも実在したかのように読者に錯覚させる。 そして後半の本格小説に突入する。仮に、これが東太郎の目線で語られる話だったら、リアリズムは逆に薄れてしまったであろう。旅行者、女中と話し手を介することによって、彼の壮絶な人生を巧妙に描き出すことに成功している。 もちろん、著者の美しい描写力があってこその手法なのだろうが。 戦後の古き良き時代。家督を享受して優雅に暮らす三姉妹と、どん底からはいあがる少年。その凄絶さに惹かれた少女、少女の成熟を守りつづけた青年。そして女中という身分を懸命に果たした女性。様々な人生が交錯するさまは、一大叙事詩を眺めているようでした。いつまでも心に残る、よい小説です。

    0
    投稿日: 2013.01.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    水村版「嵐が丘」の下巻。 本編のストーリーに関して言えば、正直なところ私は白けた目で見てしまっていてどうにも入り込めなかった。 見た目も性根も大して美しくない(失礼な言いぐさだけど本当にそういう設定なので仕方ない)女性に対して、とてつもなくレベルの高い男2人(しかも、片やどこまでも優しい生粋のお坊ちゃま、かたや己の実力だけで成り上がったワイルドな青年…だなんて、今どき少女マンガにも登場しなさそうな完璧度合)が共に心を寄せて、しかもその3人の不思議な不倫関係は一層の仲の良さで保たれる…とか…一部の女性の理想かもしれないけれど、私には現実感が無くてイマイチ乗り切れなかった。 ただ、最後の最後に舞台を現代に戻した時、このストーリーに一つとてつもない隠し事があったことが明らかにされる。 そのことに関しては私は全く思い至らなかったので、ここは作者の鮮やかな手口にまんまと騙されてしまった。 読み終わってから考えてみると、「本格小説の始まる前の長い長い話」は、「今から始まる話には一切の隠し事もウラも存在しませんよ」という暗示をかける効果があったということか。

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    投稿日: 2012.09.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    正に、巻をおくにあたわず、という感じ。すっごく面白かった。『風と共に去りぬ』を読んだ時のような、大河ドラマの醍醐味を体験した。 (たまに純日本文学を読むと、普段海外ミステリばかり読んでいるせいで、 すっかり頭が悪くなってしまったような気がした。) 読みやすく古風で美しい言葉に圧倒され、この小説独特の構成の妙に、 憎いくらい天晴な思いがして、ラスト鳥肌が立ち、『あとがき』すら、ひょっとして、 ギミック的な役割を果たしているのでは、等とあざとい考えが湧いてきてしまった程。 どこまでが事実で、どこまでが虚構なのか…。そんなことはこの際どうでもいいのに。 実際、タイトル『本格小説』の凄味に負けぬ、本格小説たる本格小説といおうか。 読後、すぐにでも上巻を再読したくなった。(構成柄、伏線も多いし。) そもそも、戦後の日本とか、三バアサンとか、本の紹介のそんなキイワードに ためらいがあったのに、いつしかすっかりのめり込んでいた。 三バアサンはみな美しく、華やかで、金持ちで、戦後の暗いイメージは微塵も感じず。 冒頭の『本格小説の始まる前の長い長い話』で完全に心を鷲づかみにされ、 上巻の後半からは、主人公の東(あずま)太郎が気になって気になって仕方がなくなり、 下巻は東太郎とよう子とフミエのその先が気になり、一気読み。 とはいえ、いつもの癖で勿体なくて少しずつしか読めない。 ラストは東太郎の孤独とトミコの孤独が暫く尾を引いてしまった。 何か亡霊にとり憑かれてしまったみたいに、私の魂までが追分に浮遊していく。 と同時に、長い長い一時代が終わったという重みをずっしりと感じた。 そして、NY以外はどこも知っている場所ばかり。 やはり日本の小説は、翻訳物と比較して圧倒的なリアルさで迫ってくる。 私の『脳内劇場』では、そのリアルな映像が未だにクルクルまわっていて、 一夜明けた今でも、心がざわついて止まらない。 毎度のことながら、現実との境目がすっかり怪しくなってしまった…(苦笑)。 早速、Amazonで彼女の別の作品を注文した。 『私小説』と『手紙、栞をそえて』の2冊。 (以下、ネタバレ) ラストで冬絵がたまらず吐露したフミコと太郎の関係について。 私は単に恋愛経験の薄い冬絵のフミエに対する浅からぬ羨望とも妬みともつかない潜在意識から来た思い込みじゃないかと思う。状況証拠もある上、アパートの下世話な隣人の話を鵜呑みにし、春絵の勘繰りもあり、長い歳月をかけて妄想が醸成された結果ではないかと。遂には土地贈与の動揺も手伝い、今それを言葉にしないでいると、どうかなってしまいそうな気持になり、思わずよそ者の祐介に漏らしたのだと思う。 太郎に対する恋心がフミエにあったかと言えば、あったと思う。でも保護者としての自覚から、切なくも必至に恋心を隠して母のように振る舞っていたけれど。それに、お祖母さまの遺言もあるしで、よう子と成就することは心から願っていたのだろうな。だから、ズバリ、関係はなかったと思う。(願望的憶測でしかないけれど。) 一方、太郎もフミコには特別な感情はあったと思う。母代り、姉代り、頼みの綱、それ以前に人間としての愛情や恩義ではない心からの感謝の気持ち故、土地を譲ったりせめてもの想いでお金を譲ったり、仕事を与えたりと。 それしか出来なかった太郎だから、大金を渡された時、フミエは怒ったりせずにそこは理解してほしかった。でもそれもこれもフミエの性格ね。太郎もそう。お互い不器用だなーと思った。

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    投稿日: 2012.05.27
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    下巻も前半は典雅な展開が続くが、よう子と太郎の恋愛が隠せなくなってきてから、話も激しく動くようになる。また、語り部である女中のフミ子が、次第に存在感を増し、それが「信頼できない語り手」となる様は、本家の嵐が丘と比べても見劣りしないレベルだ。 総じて見ればよくできた小説だが、改めて「嵐が丘」という150年以上前に書かれた小説の凄みを感じさせるものでもあった。

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    投稿日: 2012.04.22
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    すでにだいぶ前によんでブックオフ行き。 オリンパスが騒がれているので、この本のことを思い出した。 太郎ちゃん、大変なことになってますよ(笑)

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    投稿日: 2011.11.20
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    ニューヨークで、運転手から実力で大金持ちになった伝説の男の数十年にも及ぶ悲恋の物語。 愛するということに切なくてやりきれない気持ちになります。 読後も余韻の残る物語でした。所々に差し挟まれた写真が想像力を一層広げてくれます。

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    投稿日: 2011.10.04
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    上巻から引き続き、東太郎のこれまでが語られます。 下巻も一気に読んでしまいました。 戦後から平成まで、日本がどう変わってきたのか、日本人がどう変わってきたのか、が描かれています。 『嵐が丘』を日本の戦後を舞台に書いてみた、そこから浮き上がってくる「日本」の姿、というのでしょうか。 変わってしまった日本を考えて、まだ消化不良です。 久しぶりに読みごたえのある小説を読みました。

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    投稿日: 2011.03.29
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    まさに日本の「嵐が丘」3つのストーリーが複雑に展開し、1つにまとまる。複雑だがそれを感じさせない。それぞれの登場人物の深い思いが読者に伝わる。1世代前の日本語の美しさを思い出させてくれた。

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    投稿日: 2011.03.06
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    しっかりどっしりとした小説で、その重厚な世界観に引き込まれる。 もっともっと色んな人の語りを聞きたかった。 写真が挟まれているせいか映像をとても想像しやすいけれど、物語が軽くなってしまうのは怖いから小説のままでいてほしいような気もする。

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    投稿日: 2011.01.04
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    下巻に入るともう一気読み。そして読み終わるのがもったいなくて、いつまでもいつまでも読んでいたいと思うような。単なる恋愛ものではなく、もうこれは戦後日本のすべてというものがつまっているような感じがした。それとさまざまな人たちのさまざまな人生。人生とは、と考えさせられるような。ものすごく読みごたえがあって。まさに本格小説。すごく客観的に人やものごとをながめられる女中フミさんの語りで、人ひとりひとりの人生全体をながめられるような感じ。フミさんの、人生なんてそんなもの、っていう感じ方に共感するような。人生は、はかない。「本格小説が始まる前の長い長い話」からずっと、著者が、将来がひらけているかどうか、未来があるかどうか、とか、そして結局どんな人生だったか、なにを得られたのか、みたいなことをずっと考えている感じが好きだった。なんだかすばらしすぎて感想がうまく書けない……。

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    投稿日: 2010.12.09
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    数年前の夏、仕事で軽井沢に住んでた時に、運命的に出会った一冊。 この本をあの環境で読めたことは、いま考えても本当に幸せなできごとでした。 大げさだ昼メロだ、という人もいるかもしれないけれど、わたしは何度読んでも感情を揺さぶられてしかたない。 物語のとてつもない力を感じさせる、まさに自分好みの作品です。 土屋富美子の人生って何だったんだろう?生きる意味なんてものを、危うく考えてしまいそうになる。 ラスト近くで太郎が言う、日本人は「浅薄と言うよりむしろ希薄」という言葉には、束芋の作品(特に団地をモチーフにしたもの)を連想しました。

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    投稿日: 2010.06.20
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    よう子ちゃん、雅之さんの情愛の深さ、太郎ちゃんの子供のままの激しく深い愛情に何度も読む手を止めて感慨に浸りました。 語り手が変わるごとに登場人物の思いの深さがさらに加わり、ページを戻ります。 最後のフミ子さんの事実に腑に落ちます。 「日本人が希薄になった」は作者の感でもあるのでしょう。 作者のあとがきで現代に戻ってきますが、しばらく余韻が抜けませんでした。

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    投稿日: 2010.01.16
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    上巻の読み始め、すごく時間がかかった。その部分だけは「つまらない」が正直な感想だ。それはなにか機械化されて上がり下がりのない文章の羅列に感じた。だが、それが無いとこの作品はもっとつまらない。それぐらい必要なソースだったと思う。読み終わった後の圧倒的な焦燥感。いつまでも思い出のように本格小説の世界が頭の中で広がっている。子供の頃の世界、青年期の世界、大人になってから、その後今に至るまでなぞった部分を思い返す。そして最後の結末。本当にせつない。いつまでもあの頃の2人が遊んでいる文章が離れない。

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    投稿日: 2009.11.12
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    水村さんの仕事を一つずつ丁寧に検証していきたいと思わせてくれた一冊です。彼女を称して、「寡作な小説家」と言う人がありますが、これは現代において最高の敬称だと思います。彼女の作品を眺めると、単に物語るだけでなく、小説の可能性を常に模索し続けている姿勢が伺えます。そこに学問的な姿勢を感じてしまうのは私だけでしょうか。

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    投稿日: 2009.10.05
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    推理小説慣れしてしまったわたしの頭には かなり刺激の少ない本だった。 ただ刺激が少ないからといって 面白くないというわけではない。 軽井沢の自然や東京の昔の町並みのなかで 話は展開する。 祐介の友達が嫂やその妹のことで カルい会話をするところなんかは現実に引き戻される。 東太郎の人生が語られ始めるとあっという間に読める。 冨美子がずっとメインで語っていたのに、 最後に冬絵の登場で冨美子が語る立場から 小説の登場人物へと代わる。 ここで冨美子の悲しさ、 現実がどっとあふれ出てくる。

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    投稿日: 2009.07.03
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    やっぱり不思議。 登場人物のすべてが、どこかで私の記憶や祖母や両親の記憶とつながるような気がする。 懐かしい思い出が蘇るようで、せつなくてたまらない気持ちになる。 嵐が丘の翻案小説でテーマ自体はきわめて一般的なはず。 なのに、自分自身のルーツを強く意識させられる。 祖母と母と私との紐帯を思い起こさせる。 ワイルドスワンを読んでもこんな風には感じなかった。 日本自体が希薄になったとはいえ、私もやはり日本人だということだろうか。 堪えきれない何かをぐっと噛み締めるような横顔や、 黄色い灯の下でのささやかな微笑みを見ながら、私も育ってきた。 作者はきっと、異国の地で母国の香りを何度も何度も繰り返し蒸留して濃縮してきたのだろう。 ここまで濃縮しなければ感知できないほど、無色透明な都会の生活の中で私の日本人としての感覚は鈍くなっているのかもしれない。 愛が人生を左右することは知っている。 でも、それが人生に幸福をもたらすのか、私にはわからない。 それは、太郎やよう子や冨美子や雅之が幸福なのかどうか、当人にすらわからないことと同じ問題だ。 死ぬ間際に死を意識してはじめて、ああ私の人生は幸福だったと思う、幸福はただそれだけのことなのかもしれない。 あるいは、死ぬ間際に死にたくないと思う、それが唯一の幸福の証なのかもしれない。 しかし、よう子が幸福でないとすれば、ふみ子はどうなるのだろう。 太郎のよう子への愛は常にふみ子への罪に転じるのであり、よう子の幸福の裏返しがふみ子なのだとすれば? いずれにしろ、幸福も愛も望みどおりにいくことが全てではない。 生は死によって照らし出されるのであり、身分の際が二人の濃厚な世界を際立たせ、純粋であればあるほど残酷きわまることになる。 経済的な富に自らのルーツを断絶され希薄化してしまった日本人は、なんでも望みどおりに手に入るような気になって、表面上の幸福や愛を語ることしかできないから、自分自身が何を求めてよいのかわからずさまよっているのかもしれない。 だから結局、合理的で狡猾になり下がるしかないのかもしれない。 愛が何かわからなければ、愛されることはおろか、愛することすらできないというのに。

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    投稿日: 2009.05.31
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    余韻のある恋愛小説でした。どうでもいいことですが、主要登場人物が大体優雅で美男美女と言う設定ながら、主人公の女性が、その中ではブスっていうは作者の好みなんでしょうか。

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    投稿日: 2009.01.16
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    んー。感想はなんともいえないなぁ。 この話を後世に残すのは意味がある。 そのためにこの人はこの小説を書くために作家になったのだなとは思うが、これ以外の作品はかけないだろうという点が致命的だな。 いい意味で裏切ってくれたらと期待はしたい。

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    投稿日: 2007.07.31
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    ハードブックの頃から、読みたいなぁ〜ってインスピレーションが湧いていたのだけど、他の本に押されて後回しになってしまいました。 それが新潮文庫から出ているのを見つけて即買い〜! それでも、またまた他の本を先に読んでしまって後回し・・・ 今調べたら、買ったの、なんと1月22日! 積読期間、長かったですねぇ・・^_^; しかぁ〜〜し、読み始めたら、なんと面白いこと!! 上下合わせて1200ページ以上の大長編、本編に入る前に水村美苗さんの自伝とも思われる200ページもの序章があります。 そしてこのお話、現実にあったお話らしいです・・・ 序章に、ニューヨークに渡ったばかりの東 太郎がアメリカ人のお抱え運転手として登場、当時、父親がニューヨークに駐在していた水村美苗一家と関わってきます。 20世紀後半にニューヨークの日本人社会に住んでいた人なら、知らない人はいないらしい『東 太郎』 時代背景は戦中から20世紀の後半まで・・ エミリー・ブロンテの『嵐が丘』のような話と作品説明にはありますが、そこにジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』と立原正秋の『恋人たち』を足したような・・あれ?それって私の大好きな作品ばかりではないですか! 舞台は成城学園辺りと、夏は軽井沢・・推測するに六本辻辺りではないかと思うのだけど、そこの洋館に集まる人たち、前半は美人三姉妹が中心になり、中半は三姉妹の次女の末娘と中国から引き上げてきた一家の末息子、これが東 太郎なのだけど、の、道ならぬ恋物語、ニューヨークに渡った東 太郎の立身出世物語を長年に渡って一族に仕えた女中:フミ子のとわず語りで進んでいきます。 私自身、最近は居続けるってことはないけど、物心つく前から親のいう事を聞いている間は、夏はずっと軽井沢で過ごしていたり、1980年にNYにいたり、物語の時代背景や舞台の2/3位を共有している気分で、知ってるお店や景色が次々に出てくるので、読んでて頭の中で易々と映像化されていきました・・・もお、とにかく面白い!! これ、そう言っちゃうと俗っぽくなってしまいますが、お昼の1:30からの連続ドラマの原作になりそうなお話です。 そう言えば、恋人たちも根津甚八、大竹しのぶでドラマ化されましたし、ケインとアベルも映像化されましたね〜 少年期に柳楽優弥、成人してからを豊川悦司・・がいいけど、これだと1:30枠では実現しないか^_^; 他にも女中さん役、よう子役・・三姉妹の少女時代、壮年時代・・頭の中で色々と映像化しながら読んでいました。これもまた楽しい♪ 東 太郎さん、1947生まれだそうですが、今、どこでどうしていらっしゃるのやら・・・・・ 私の惹かれる男性像:道太郎さん、ケインに東 太郎さんを追加したいと思います。 なんか久しぶりに、強く惹かれる男性像に出会ったなぁ・・・(〃∇〃)

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    投稿日: 2006.06.27