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平安貴族の夢分析
平安貴族の夢分析
倉本一宏/KADOKAWA
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総合評価

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    夢研究の先行研究と本書の位置づけ: 荘原昭英氏の一連の研究(『平家物語』の夢の説話分析など)、酒井紀美氏の中世の夢に関する著作、河東仁氏の宗教学的観点からの日本の夢信仰研究などが紹介されている。 本書は、先行研究を踏まえつつ、これまで研究が少なかった平安時代中期の貴族たちが実際に見た夢の記録を主な考察対象とし、その歴史的・個人的背景を分析することを明確にしている。 著者は、貴族たちが「ほとんど潤色を加えないまま」夢を記録したと考えている。 夢に対する人々の解釈の変遷: 古代から東西を問わず、夢は実体として捉えられ、魂が遊離する状態と考えられてきた。 夢に対する人々の解釈は時代によって変化しており、本書ではその変遷を辿ることが示唆されている。 著者は、夢に対する自身の基本的な考え方を述べるとしている。 睡眠段階と夢: 睡眠のノンレム睡眠の第一段階(まどろみから睡眠への移行期)でも短い夢を見ることが知られており、『今昔物語集』の例が挙げられている。 ノンレム睡眠の夢は、レム睡眠の夢よりも、自動的プロセス、不安、敵意、暴力、視覚的活動が少ない傾向があると指摘されている。 『栄花物語』に見られる夢の描写が、このノンレム睡眠の段階の夢の特徴を示唆している可能性が示唆されている。 文学作品における夢の描写: 『古今和歌集』や『新古今和歌集』などの和歌集における「夢」の語の使用頻度と、それが現の儚さを象徴する歌に用いられる例が示されている。 『源氏物語』における夢の多用が言及されている。例として、「総角」における夕顔の夢と横笛の象徴性、「薄雲」における光源氏と藤壺の再会と悲嘆の場面が挙げられている。 『栄花物語』における道兼の姫君に関する夢や物怪の描写、道長の吉夢(弘法大師の化身であるという夢など)が紹介されている。 『更級日記』、『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『枕草子』といった日記文学における夢の扱いの差異が指摘されている。特に、『紫式部日記』や『枕草子』では、直接的な夢の記述は少なく、比喩表現として用いられることが多いことが述べられている。 『蜻蛉日記』における予知夢のような記述や、兼家の夢の創作の可能性が示唆されている。 古記録における夢の記録: 日記文学とは異なり、男性貴族が記録した古記録には、実際に見た夢が比較的多く記録されている。 古記録における夢の記述は、「日次記」だけでなく、「別記」に詳細が記されたり、『権記』のように紙背に裏占として記録されたりすることもあった。これは夢に対する一定の認識の表れと考えられる。 藤原道長、藤原実資、源経頼といった貴族の日記における夢の記述が、本書で詳細に分析されることが示唆されている。 説話文学における夢: 『今昔物語集』における夢の説話が紹介されている。そこでは、夢を通じて過去の行いの報いを受けたり、神仏の啓示を得たり、現実世界と夢の世界が交錯するような物語が見られる。 牛に生まれ変わった女性の夢、蛇が美しい女性に変化する夢、嫉妬が夢に現れる話などが例として挙げられている。 平安貴族の夢と現実: 平安貴族にとって、夢は神仏からのメッセージや吉凶の兆しとして重要視され、夢解きが行われることもあった。 夢の記録は、単なる個人的な体験の記録に留まらず、政治的な意図や社会的な関わりを持つこともあった可能性が示唆されている(「夢語り共同体」という概念)。 古記録における夢の記述は、記録者の主観や意図が反映されている可能性も考慮する必要がある。 『九暦』と夢: 藤原師輔の記録『九暦』における夢の記述が分析されている。空海を見た夢など、宗教的な内容の夢も記録されている。 師輔自身が見た夢だけでなく、他者の夢も記録されている点が特徴的である。 『小右記』と夢: 藤原実資の『小右記』における夢の記述が詳細に検討されることが示唆されている。 道長の夢想に対する周囲の反応や、実資自身の夢、そして政治的な意味合いを持つ夢などが取り上げられると予想される。 『左経記』と夢: 源経頼の『左経記』における夢の記述も分析対象となることが示唆されている。

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    投稿日: 2025.04.11