
総合評価
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powered by ブクログ結構長くてまじめな感想を書いていたのに誤操作で消えてしまい、心が折れて放置してしまった…… 改行は少ないわ主語は分かりにくいわ、読みやすさとは程遠い文体だし続きが気になるタイプの作品でもないのだが、鋭い人間観察眼があり、精細に描写された登場人物像は現代にも通じるところがあって、面白かった(と思う)
1投稿日: 2025.10.11
powered by ブクログ小説の技法?が斬新すぎて少しだけ難解に感じた。 たった2日間の出来事に細かすぎる情景描写、心理描写、人間関係が詰め込まれていた。 たいてい小説を読むと、ここが印象に残った!っていうシーンがあるんだけど、本作品にはそういうのがなくて作品全体を通じてぼんやりと印象深く、なんとなく古臭く、自分の子供時代をふわっと思い出すような、なんとも言えない読後感があった。 小説の翻訳本っていのも初めてだったし、これからも少しずつ色んな作品を手に取って、その良さに触れられるといいな〜
9投稿日: 2025.10.06
powered by ブクログ人間への観察力・洞察力がすごい。 あまりステレオタイプな見方をするのも良くないと思うが、同じ女として、ラムジー夫人の心情の揺れ動きや様々なことに気がついて細かく世話を焼く振る舞いもよくわかると思ったし、ラムジー氏の描写には権威ある立場の男性ってこんな感じだよなと思わず頷いてしまった。
1投稿日: 2025.10.02
powered by ブクログジョイスやプルーストと並び称されるモダニズム作家の珠玉の名作。 第1部と10年後の第3部はラムジー家の夏の別荘でのそれぞれの1日。それを結ぶ第2部は10年という2つの時間を家人が不在の中で語られる個人的な出来事や第一次大戦を交えた短いエピソードの中で深い悲しみとともに濃密に結びつける。 主人公一家とその知人たちの移り変わる心模様を木々や風、海や芝などと時間の流れに合わせて淡々としながらも豊かに表現された言葉の数々に心が揺り動かされ、いつのまにか心の片隅にじんわりと残る不思議な作品。 舞台となったスカイ島のスコッチウイスキー、タリスカーとともに愉しんだ一冊。
0投稿日: 2025.09.20
powered by ブクログ家族でも結局、一人一人の人間なのだから 分かりあうってことは、ごく珍しいかもしれない。 この本は第三者から見た景色や語り手から見た景色が進む話ではない。 出てくる登場人物たちが、お互いにどう思っているか、どんな感情を持っているかが延々と書いてある。 誰かのたった一言に対して、過去の記憶や複雑な感情が数ページにわたって書かれていたり、何も起こらない静かな情景の中で、人との孤独や繋がりが繊細に描かれている。 セリフだって無いようなもので、 読んでいて本でしか表現できないとは こういうことかと思った。 映画ではどうしても台詞や行動で表現する必要があるから、ここまで深く、複雑な感情を伝えるのは難しいと思う。 読書生活の中で、まだまだいろんな体験ができるなと思った。
0投稿日: 2025.09.19
powered by ブクログたぶん名作であることは読んでいてなんとなくわかる。ただ、「人情」とか「人間味」に興味のない私は、人の内的独白や「ある特定の他人についてどう思うか」を延々と読むことが楽しいと思えず、離脱。人間に興味がある人にすごく響く小説だと思う。とりあえずずっと人間の話をしている。あーでも、絶対名作なのになぁ。読み進められない自分が悔しい。
0投稿日: 2025.09.13
powered by ブクログ本当に凄い、人生ベストブックの一つ なんで凄いのかは言語化するのが難しいけど、結局自分は個人的・私的・内省的な作品が好きなんだなと あと「瞬間を永遠にする」という芸術観がめちゃ刺さる まだ何回も読み返すだろうな
0投稿日: 2025.09.06
powered by ブクログマークし忘れ。 意識の流れという手法が今回の読書で深掘りできた。また芸術の存在意義は?という作者の自問自答も作品に表れているのかなと思った。
0投稿日: 2025.08.13
powered by ブクログ最初、小説だからと追うべきストーリーを探して読んでいるうちは意味がわからなかったけれど、読み方が違うのか❗️と納得してから、一気に読み進んだ。 人の心の中は、こんなにも散らかっていて、面白い。 ある意味、すごくリアルだなと思った。
0投稿日: 2025.07.24
powered by ブクログ文学史を塗り替えた記念碑的作品という触れ込みだが、私には少々合わず。わずか二日のできごとを語り手の視点を目まぐるしく変えながら意識を流体のように繋ぐ表現手法は確かに素晴らしいと思うが、物語の全体像がいまいち掴めない。とはいえ、たしかに冒頭の「その影や光の射す一瞬を結晶のようにして」やP118の言い回しは著者の圧倒的な表現力を感じさせる。また、「窓」「時はゆく」「灯台」への変遷は、わずか二日のできごとにも関わらず、時の移ろいの儚さを巧みに描き出す。テンポや表現を楽しむような英国文学とはやや相性がよろしくなかった。
7投稿日: 2025.07.22
powered by ブクログ最後まで馴染めなかった。 単なる一つの会話でも、心理描写が掘り下げされ情緒的なところが良いかもしれませんが、面倒な人達の過剰な憶測の応酬としか思えず、物語の進みも遅く読み終えるのに苦労した。
1投稿日: 2025.06.24
powered by ブクログ●2025年5月26日、東京大学・書籍部にあった。セッションで寄った日。 「とうだい」繋がりで、どう?帯には「小説にはこんなことができるんだ。」気になる。
1投稿日: 2025.05.26
powered by ブクログ衝撃。初めは一体なにを見せられているんだと思ったが、一挙手一投足への正確な心の機微の描写が癖になり、皆で食事をする場面なんかはなんて面白いんだ! ひとつの出来事に対する意識の流れはどこか納得感があり(自分もぼんやりとこんな流れで意識が進むことがあるなあと思う場面が多々ある)、それが各々の人物で精度を落とすことなく描かれており、一体どれだけの時間や思考を費やしたのだろうと感嘆する。 本書の趣旨とは違うだろうが、人はたとえ家族だろうと、最愛の人だろうと、完全にわかりあうことはできないのだなと改めて思った。
3投稿日: 2025.05.17
powered by ブクログ意識の流れ文学というジャンルがあることを知らず読み始めたので20ページくらいまでは全然内容が入ってこず、挫折しそうになった。あまりにも難しくてネットで調べて、予備知識を入れてから読み始めるとかなり読みやすくなった。 語り手の内面描写(心情、回想、幻想)がグラデーションのように滑らかに描かれ、あえて語り手が判然としない文章がはさまったり、いつのまにか語り手が変わっていたり、斬新な比喩が出てきたり、集中して読まないと話がわからなくなってくるが、集中して読んでいるとどんどん話に引き込まれて、読むのがやめられなくなる。 普段、自分の思考の流れを意識したことはないが、何かを考えているときに他に意識がそれて思考が逸れていったり…というのを文章にした感じ。 解説にもあったが、登場人物たちの心情が悉く噛み合っていないのがとてもリアル。 人生のたった2日間を切り取っただけでも莫大な思考の流れがあり、人と人の気持ちが噛み合うことはないとしても、家族や大切な人を大事に思うことや、一緒に過ごした時間を幸せと思うことは時が経っても視点が変わっても普遍だということが、この作品の伝えたいことなのかなと思った。
5投稿日: 2025.05.01
powered by ブクログ文体が面白かった。最初に語っていた人物が話しかけると、その後は話しかけられた人から見た文体になっていて、また何かをきっかけにある人へと変わる。その繰り返しなのだが、私にはとても読みやすくて楽しかった。もっと難しい小説だと思っていたが、その文体が楽しくて一気に読んだ。内容を語れるわけはないが、なんというか好きな世界観だった。心地良い小説。
12投稿日: 2025.04.29
powered by ブクログ新潮文庫の名作新訳コレクションStar Classics シリーズで読んだ。 第1次世界大戦を挟んだ10年間の年月の推移を、2日間の出来事を描写することであらわしている。戦前の屋敷内は人があふれ、主人公ラムジー家の隆盛が書かれる。一家だけでなく、関係する老若男女が屋敷に集い、主にラムジー夫人の目線で各々の関係を描いている。 戦後の1日は、空き家状態にあった屋敷を清掃管理する描写から始まり、ラムジー夫人が亡くなり、社交の場としての機能を失った屋敷が書かれる。10年前に屋敷に集っていた画家の女性が主な語り手となり、10年前の記憶と現在の描写を対比し変化を実感させている。 幼かったラムジーの子息は、10年たってもまだ青年期で父親の気持ちを察するにはまだ早く、父子の邂逅には至らず、消化不良な感じも残る。現代小説に慣れた当方には、少し刺激が足りない感じで、抑揚なく小説が閉じていった印象だ。
1投稿日: 2025.04.26
powered by ブクログ初V・ウルフ。流石に文学史に燦然と輝く名作。思考や会話の視点が次々と入れ替わり、境界や主体をあえて曖昧にしつつ心理の描写はあくまでも細かく淡々と進む。登場人物たちはお互いのことをあれこれと考えながら話し行動しているが、わかり合えているのかというとそんなことはなくて、それでも人間関係は続いていくし、そんなものなんだろうとも思う。話の筋自体がめちゃくちゃ面白いという類の話ではないし、細かい心理描写に共感できるものが多いわけでもなかったのだけど、この先本を読み続けていっていよいよ死ぬなってなったら読み返したくなるのはこういう小説なのかもなと思った。
1投稿日: 2025.04.16
powered by ブクログ文体に最初なれず、投げ出そうかとも思いましたが、読むうちにどっぷりハマってしまいました。そうそう。人を見る、人に見られるってこうだよねっていうこと。結局自然の一部である人間ってアイデンティティというよりもこう行き来する存在なのだという考え方もあるのねと。
11投稿日: 2025.04.13
powered by ブクログ大家族と客人が住む別荘では、気持ちのすれ違いがほとんど。でもなんとかなっている。会話のやり取りや心情の読み取りが難しい。解説が役立った。2025.4.13
1投稿日: 2025.04.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
一言で言うと、圧巻の構成力と心理描写! 三部構成のうち、一部と三部はたった数時間の出来事と人間関係がめちゃくちゃ丁寧、詳細、重厚に書かれている。対して二部は、一部と三部の間にある10年の時間をつなぐ部分だけど、家主のいない家の荒廃にフォーカスし、「○○が死んだ」など衝撃の事実は非常にさらっとあっさりと述べられていく。紙の本で読むと、一部と三部の長さ(分厚さ)、二部の短さ(薄さ)に驚かされる。実際の時間の長さと、文章量が逆転しているのである。 裏主人公とも言えるリリーが、絵の構図をどう描くか悩む姿は、この物語そのものをどう捉えるか、家族の歴史をどう切り取るべきか、という作者と読者の疑問の反映だと思う。友人として家族を客観的に見つめているリリーが、画家としての視点から最後の語りを任されているという点でも、この物語の構成の巧みさがわかる。 それにしても、男性が女性に対して「憐れみ」を求めてくるというのは、古今東西変わらないんだな… 悩んでいるのはあなただけじゃないわよ、とウルフに元気づけられた気がする。 ウルフが友達だったら、とても心強いなと思う。
4投稿日: 2025.04.12
powered by ブクログ難しい。 同じ場に居合わせても、人それぞれ思っている事は違う。 何を思ってるのかも、想像と違うかもしれない。わからない。 人に気をつかって、迷惑がられるかもしれないなら、自分の好きなように、自分の気持ちが良いように生きよう。 正解は無いと思う。 訳者あとがきを丁寧に読んだら理解が深まりそうだが、読後、疲れて、その余力は無かった。 またいつかあとがきをゆっくり読もうと思う。 キラキラ輝くリゾート地セントアイブスを暗いスカイ島に置き換え。 モリスの壁紙から心明るくなる壁紙に変える。 家族の愛の形。本人はそれが愛と思って接している。相手にとっては愛とは思えなくても。 ウルフは、人は何のために生きるのか。を考え続けている気がする。 答えは無いし、考えなくていい。 今、ここを生きればいい。 作者が自殺をしたことを念頭に読んでいった。 虐待されていた事は初めて知った。 この小説では、愛が存在しているものとして描かれているが、現実の世界では愛が存在していたのかはわからない。ウルフは愛を見つけられなかったのかもしれない。
5投稿日: 2025.04.12
powered by ブクログ文字を目で追うことでしか感じ取れない作品。登場人物ではない全知の超越的な存在が、全てを記録しているかのようだった。それでいて、心情と動作が、川のせせらぎがいかにして織りなされているかがわかるほど緻密な解像度で流れていくので、その心情と動作が生み出されることに共感しながら読むことができる。
6投稿日: 2025.04.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
明日晴れれば灯台へ連れていくという話がこれでもかとあらゆる表現を使って、言い表される。急に時系列が進んだり、誰が喋っているのかわからなかったり、読みながらてんやわんやになる作品であったが、言葉が綺麗で落ち着いていて、心が浄化されていく感じがする。こんなにも細かく繊細に丁寧に言葉を選んでいける作者に尊敬しか感じない。もう少し歳を重ねて自分が成熟してから楽しみたいなと思った。
2投稿日: 2025.03.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
すごく読みづらいのに、でもページを捲る手は止まらないというか、先へ先へと進める力を感じさせる本。 何というか、絵画でいうキュビズムみたいな、時間も視点もコロコロと変わるのをあえて1つにまとめたような印象。 観ても、自分が作者の意図や描いているものを理解できているのかはわからないけど、何だか魅力を感じる、みたいな。 相互理解なんて幻想だなっていうのを別に悲観するでもなく皮肉るでもなく、たった1日ともう1日(10年後)の中で、事細かに記録するかのように。いろいろな状況が描かれているんだけど、中でも第一部で夫人が喜びに満たされていた時に、ラムジー氏はその姿を悲嘆にくれている、と解釈していたシーンが特に印象的 でも正直、帯や背表紙で喧伝されている「愛の力」っていうのはピンとこなくて、この点はよくわからなかった。
3投稿日: 2025.03.09
powered by ブクログ今の感想はようやく読み終わった、だ。 ストーリーに何の展開もなく、延々と続く心の中の独白。 しかもその独白を言う人物がころころ変わるので、追いかけるのが大変。 10年後のシーンで何かが起こるわけもなく。 一体作者は何を描きたかったのだろうか。 よく分からない…
2投稿日: 2025.03.05
powered by ブクログ難しかったです。 詩的な表現の魅力、作者が試みた人称や時空の融解という試みは理解できましたが、「おもしろい」と言えるまで、私には読解力がありません。 きっと「理解する」ものではなく、「感じるもの」なんでしょうね。
3投稿日: 2025.03.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『灯台へ』は、約100年前のイギリス、上流階級の郊外の館でのお話だ。私の中の『ダウントン・アビー 』を総動員させて読む。 ヴァージニアはページの余白を許さない。登場人物が多く会話もあるが思考の中に組み込まれていて、読者に息つく暇をあたえない。 三人称(第三者)の視点から始まる物語がいつの間にか中心人物である奥様ラムジー夫人の独白になっている。思考が文章となって流れ出ている。 ラムジー夫人の一人称で話が進むんだな、この話。と納得し始めると三人称に戻る。端役であろう登場人物の思考も展開されて、端役から見たラムジー夫人の印象も語られる。 ラムジー夫人と大学で哲学を教える旦那様ラムジーの二人のシーンでは、段落も改行もなく語り手が入れ替わった。三人称の俯瞰で会話が進んでいると思ったらラムジー夫人の脳内のつぶやきが始まり、夫ラムジーの思考に切り替わる。 集中力を持って読まないと誰が考えていることなのかわからないし、特に冒頭15ページくらいで脱落しそうな展開。 話が進み始めると周囲が見えてくるので「…もうちょっと頑張って読むか…」と読書筋力を鍛える決意をし、約370頁みっちり詰まった活字と格闘した。 ラムジー夫人は子どもたちや若者の動きをよくみている。それに続く晩餐会を取り仕切ることに存在意義を得ているようだ。 しかし強権発動するだけの女性ではない。100年前の女性として夫の機嫌を目の端で伺い、夫の無言の圧力を柔軟に受け止めている。 ラムジー夫人を表現する方法として、夫に従順でありながら、家族や他人への干渉も怠らず、いくつもの感情を同時進行させている。 会話文を思考の中に組み込み、他者の感情をも流入させるこの文体、人間の感情はこんなにも混沌としていることを表現している気がするのだ。 翻訳された鴻巣友季子さんは本当にすごい。込み入った話とヴァージニアの意図を日本語に移植する作業は気が遠くなりそうだ。 読み終えて思うことは、これからの人生で”考えること”を突き詰める時間には『灯台へ』の世界が立ち現れるのだろうということだ。 名作や名文を読むということは、自分の心の世界の土地を広げることだと思う。読めたことを幸せに思う。ラムジー夫人やリリーの思考を少しでも思い出すことは生きる助けになるだろう。
3投稿日: 2025.02.07
powered by ブクログ複数の翻訳を読むことでいろいろな解釈が読み手の中で重なり〜と訳者あとがきにもあったことだし、岩波版も読んでみようかな 掴みきれなかった、で終わらすのはもったいないような気がするんですよね
1投稿日: 2025.01.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
表紙のデザインがキレイで、文の作り方が変わってるなぁと興味で購入し読み始めました。ここに出てくるキャラクター達の頭の中を覗き込んでいるような、各キャラクターの頭の中に次々移り住むようなそんな感じの文。ただどのキャラクターがどこにいてっていうのを理解してないとついていけない。確かに革新的な文なのかもしれないけれど、読みにくい。
2投稿日: 2025.01.12
powered by ブクログ最初の2ページめまで読んだだけで、あまりの日本語の美しさに読むのがもったいないぐらいの気持ちになり、原文も読んでみたくなり、Amazonへ行って原書を買い物かごに入れてしまった。 小説のモデルは作者ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)自身の子供時代の家族。 哲学者ラムジーとその妻、ラムジー夫人と8人の子供たちがスコットランドの別荘で過ごしている。家族だけでなく、ラムジーを崇拝している学生?のタンズリー、ラムジーの親友バンクス、老人のカーマイケル、オールド・ミスの画家リリー、近所?の若者、ミンタとポールも別荘に招待されて一緒に過ごしていた。 「ええ、いいですとも。明日晴れるようならね。」 というラムジー夫人の言葉で小説は始まる。 「灯台へ行きたい」という末っ子のジェイムズ(6歳)に答えたのだ。その母の言葉を聞いてすっかり舞い上がった息子。しかし、父親のラムジーはそんな小さな息子に冷たく現実を突きつける。 「そうは言っても、まず晴れそうにないがね」 たった6歳の息子の前でも自分の判断の正しさを突きつけたい、鼻持ちならないインテリ親父に息子は手斧か火かき棒で殺してやりたいくらい腹がたった。夫人もそんな夫に苛立ち、「でも晴れるかもしれませんよ。なんだか晴れる気がしますね。」と言いながら「灯台守りさんにプレゼントする靴下」を編んでいた。 また、ラムジーを崇拝するタンズリーもわざわざラムジーの横に立って「この分だと明日の灯台行きはなしですね」と言う、イケスカナイ若者で、子供たちから「ちびの無神論者」と言って嫌われている。 ラムジー夫人はそれぞれ個性的な8人の子供たちに寄り添いながら、夫やタンズリーの自尊心も上手に「ヨイショ」し、ミンタとポールという若いカップルの誕生を横目で見守り、更に画家のリリーと男寡のイケオジ、バンクスもちょっといい感じなのでそれとなく近づけておくという、なかなかやり手?の女性なのだ。みんな揃っての晩餐会では、とっておきの「ブフ・アン・ドーブ」という料理で客人をもてなし、そんな時間を「邪魔くさい」と思っていた男性陣も絶妙に会話を回すラムジー夫人の作り出す和やかなひとときと夫人の美しさに魅了されるのだ。 また、ラムジー夫人とは全くタイプの異なる画家のリリーも「女はやっぱり結婚よ」という夫人の言葉には反感を覚えつつも、夫人の美しさ、優しさ、その存在が作る美しいオーラのようなものに慕い、同性でありながら思わずその膝にすがりつきたい衝動にかられるのであった。 さて、この小説、「何が起こるか」と言えば、特に何も起こらない。「灯台に行けるか、行けないか」の会話で始まる、ある海辺の別荘での半日での人々の意識の流れ、それだけで第一部「窓」(216p)は終わるのである。 だけど、特に何も大きなことが起こらない意識の流れだけの構成で、どれだけ人間が愛おしくなることか。 小さな子供もいるとはいえ、もう50代のラムジー夫人。人生経験豊富な彼女が、娘のローズが晩餐会に母親が付ける宝石選びをしてくれる時に思うこと 「自分の過去から推すに、ローズの年頃の女子が母の対して、口には出さず心の奥でどんな深い感情を抱くものか、ずばり分かるではないか。人が自分にむける気持ちを思うときの常で、なんだか悲しくなる。夫人は思う。こちらからはとてもそれに見合う気持ちを返せないもどかしさ。しかもローズときたら母の実像にはひどく不釣り合いな深い気持ちをもってくれている。この子もやがて大人になる。こんなに情が深くては苦しむこともあるだろう。」 ただ、「優しい」とか「感激した」とか「心温まる」とか単純な言葉では言い表せない。嬉しさと悲しさ、人生の喜びと無情など裏腹の気持ちが常に一瞬一瞬、表と裏を見せながら瞬いているのだ。 インテリでイケスカナイ権力者のラムジーが夫人と腕を組んで散歩している時に「きれいなもんだな」と突然話しかけ、花に見とれているような顔をしたシーンも好きだ。「本気で花に見とれているわけではないし、私を喜ばせようとしているだけ」だと夫人は承知しているのだが、実はラムジーの親友のバンクスは意外とラムジーが小動物を愛でたりするタイプであるのを見抜いていた。夫人の存在は「ドライな学者」肌のラムジーから意外な側面をホロっと引き出してしまうのだった。 第一部でたった半日のことが216pを使って書かれているのに対し、第二部の「時はゆく」はその後の10年間のことをたった30ページほどで書いている。その間に夫人は亡くなり、息子の中のアンドルーは第一次世界大戦で戦士し、娘のプルーも産後の肥立ちが悪く、亡くなってしまった。例の別荘には誰も訪れず、本はカビ、家の中に燕が巣を作り、キノコも生えていた。まるで、風か家が語るような10年間。そしてある日、「別荘に行くから使えるようにして」と掃除婦のところに手紙が来て、マクナブ婆さんは大慌てで片付ける。 第三部「灯台へ」は第一部から10年後。第一部で登場したメンバーのうち、画家のリリーと詩人のカーマイケルとラムジー氏と一番末っ子のジェイムズと下から二番目の娘のキャムが別荘をおとづれた。 ジェイムズとキャムは突然「灯台へ行くぞ」という父に無理やり連れてこられたのだ。10年前のあの時には「この天気では灯台には行けない」と無神経に子供の夢を壊した父が、今度は自分の権力で子供を灯台に連れて行くのだ。70代になっても頑固な権力者の父親に子供二人は渋々ついて来たが、心の中では反抗を決め込み、ジェイムズとキャムは「父には反抗する」という協定を結んでいた。しかし、キャムは弟とのこの協定を破ってしまう。だって「そこに父さんがいる」という揺るぎない。安心感があったから。そして、ジェイムズもついに「父への反抗心」が折れてしまった。だって灯台に到着したとき、ずっと船尾で船を操ってきたジェイムズに「よし、よくやった」と褒めてくれたから。 子供の時に別荘の窓から見ていた、白くてボォっと一つ目の灯がともり、幻想的だった灯台。至近距離で見ると白黒の縞模様でゴツゴツと無骨な感じだった。人間もその人を見る距離と角度によって全然違って見えると感じさせた。 ヴァージニア・ウルフはフェミニストとして有名だが、彼女の愛についての考え方について、画家のリリーが次のような言葉で表している。 「愛には一千もの形がある。この世の中には、ものごとの中からある要素を選び出して、それらをひとつに並べ、そこに現実とは違う完成度を与えるというのか、ちょっとした場面や人との出会い(みんなすでに亡くなられているか離れ離れになっても)を、あの円かで凝縮された世界にまとめあげるというのか、とにかくそんな資質に恵まれた恋人たちもいるのだろう。そうした思い出に人はいつまでも想いめぐらせ、そこに愛は戯れる。」 現代のLGBTが何%いるとかそんな議論は陳腐に思えてくる。「愛には何千もの形がある」。「どんな愛を肯定するか」ではなく、「どんな愛を選んでどんな形で生きていく」ではないか。 また、フェミニズムというと男性と同じような女性の生き方を主張しているようだが、「良妻賢母」という従来の女性の生き方で、周りの人に高感度のアンテナを巡らせ、緻密で絶妙な気配りをして、沢山の人を幸せにするラムジー夫人のような女性の能力も自立した画家のリリーのような生き方も両方をウルフは賞賛していると思った。 第三部で灯台についたとき、パルプ紙に包んだいくつもの「灯台守りへのお土産」をラムジー氏は持っていた。その中身が何かは書かれていなかったが、私は包み紙の中身はラムジー夫人が編んでいた「靴下」だったと思う。そう、ここではもうラムジー氏は「亡くなったお母ちゃん(夫人)の気持ちを届けたいおとうちゃん(夫)」ではないか。昔、高名な哲学者で自尊心が高いラムジーだったが、角が取れ、どっしりと安心感のある灯台のようなお父さんになったのであった。
97投稿日: 2025.01.11
powered by ブクログ文学史上の傑作として名高い、ヴァージニア・ウルフの代表作。今回新潮文庫より鴻巣友季子による新訳版が刊行されたことを機に読んでみたが、個人的にはこの小説を読みこなす能力を持ち合わせておらず、ハッキリいってよくわからなかった。なにが難しいかといえばなによりもまず、ストーリイらしいストーリイがないことである。表題にもなっている「燈台」をめざすところが物語のクライマックスであるとは思うが、そこに至るまでにわかりやすい起承転結もない。普段読み慣れているような小説の構造とかけ離れていることとも相俟って、余計に読みづらかったのだと思う。登場人物も多く、ラムジーには8人も子供がいるが、「意識の流れ」という手法を用いて書かれているため、多くの登場人物のあいだをいつのまにか視点が移動してゆく。テクニックとしては素晴らしいのかもしれないが、たんにリーダビリティだけを考えるならば、この表現方法もまた本作を読みづらいものとしている。しかも登場人物個個人の描写についても、なんといつのまにか「ナレ死」する人物がいるなど、十分に描き切れているとは思えなかった。その人物にかんする理解が不十分なまま視点が移動してしまい、まるで食物を消化しきれていない状態の胃の中につぎつぎとあらたに食物が摂取されてゆくような感覚を味わった。帯には「小説にはこんなことができるんだ。」とあり、まさにこういう技法もあるのだということを知れたことは学びになったが、わたしにとってはおもしろい読書体験とはいえなかった。
1投稿日: 2024.12.29
powered by ブクログイギリスの1920年代の"現代小説"。タイトルは知っていたけど、今回文庫化したのを機に初めて手を伸ばせた作品。充実の読後感。何の話を読まさせられてるの?という気持ちから、だんだん小説の全貌が分かるにつれ、心にくるものがあった。読み終わったあと、もう一度最初から読み直したくなる。生きている間の一日一日、人との関係性はすべて一期一会の奇跡の邂逅。人は決して理解し合えないけど愛に満ちている。そういう気持ちになる。 今まで読んだことがないような文体。最初はしばらく読みづらい。セリフも思考もカギ括弧なしで入り交じっている。たまに、誰かと誰かの思考の継ぎ目すらなく、読み進めていたらいつの間にか違う登場人物の思考だったこともある。それが不思議と面白い。考えてみたら、我々だって日常的に、何かを誰かに話しながら全然別のことを頭の中で考えていたりする。誰かと接しながら、思考はどこかへ漂っていたりする。それがそのまま文体に表れてる。 さらに面白いのは、登場人物それぞれの思考はすれ違いが多いこと。きっと普段から人は、相手について大いに誤解しながら会話を続け関係性を続けているのだろうな。 物語は3章からなる。 1章目「窓」は、8人の子供を持つ夫婦とその友人たちが、スコットランド沖にあるスカイ島に休暇に来ており、翌日晴れたら灯台に行こうと話し、夕飯を共にするシーンである。100-200ページほどが費やされるが、それ以外に事は起きない。午後〜夜にかけての間の、それぞれの登場人物の心の内の描写がほとんどである。そしてことごとく互いについての理解や思考はすれ違っていることが読者にはわかる。女主人であるラムジー夫人が印象的。 2章目「時はゆく」はとても短い。フラッシュバックのように、パッ、パッ、と、ロンドンに戻ったラムジー家のメンバーのその後が示唆される。時代は世界大戦をくぐりぬける。 3章目「灯台へ」は、10年後、再びスカイ島の別荘に、ラムジー家のメンバーと友人が集まっている。この10年の間に、家族の何人かは亡くなっている。喪失感がぬぐえない中、一行は、もう一度灯台を目指す。この章では、10年前もゲストであったオールドミスの絵描きのリリーの思考が大半を占める。 3章の中でリリーは、亡き人、過ぎた日を思い出しながら、この場所全てにいかに恋していたかという思考にふける。「愛には一千もの形がある。この世の中には、物事のなかからある要素を選び出して、それらを一つに並べ、そこに現実とは違う完成度を与える」ことがあるもので、「そうした思い出に人はいつまでも思いを巡らせ、そこに愛は戯れる」と気づく。 本当はどうだったかなんて、相手が生きていてもわからないもので、ましてやその人が死んでしまったらわかることなんて永遠にない、それでも、(本当のところはどうであれ)あの人はこうだったと思い出すことは愛である。それでいいのだ。生きている人でも亡き人でも、知ろうとすること、思い出し想いを巡らせることが、愛なのだ。 そういう小説だった。諸行無常であるが、想い馳せる限り愛はずっとそこにある。そして生きている人の人生やあり方や考えは様々あっていい。
24投稿日: 2024.12.01
powered by ブクログTwitterで見かけることが多く手を出した。著者の名前はみすず書房などで目にしていた。これはどうかなあ。率直な感想を書いておくと、ストーリーが全く展開しないということと、とにかくさらっと読んでいたのでは誰が考えていることかが分からず、人物も全然浮き上がってこないということ、そんなことがあって読むのはかなりしんどかった。「百年の孤独」はまだ話がどんどん展開するので読み応えがあった。ただ、父親と子どもの関係だけは身につまされた。自分も子どもたちからするとこういう父親になっているのかもしれない。「刺そう」とまでは思っていないかもしれないけれど。そう願っている。訳者のあとがきなどを読むと、当時こういう書き方は画期的だったのかもしれない。だけれど、それが受け入れられたかどうかは別問題で、芸術的かもしれないけれど、万人受けはしないのだろうと思う。ただ、夏目漱石にしろ、なんにしろ、古典作品を読むときは最初の50ページくらいは退屈でしんどくても、絶対おもしろくなるから読み続けるようにと言ってきた手前、放り出すこともできずなんとか最後まで読み通した。まあ、こういう書き方もあるのだということを知れたのは良い体験であった。前評判を見ていて、実質2日分くらいの話であるというのは知っていた。きっと、心情描写がずっと続くのだろうと思っていた。そういう心構えがあった上での読書だった。そういう設定にはとっても興味があったのだけれど、結局、10年くらい時代は飛んでいるし、両親以外は誰が誰だか分からないし、灯台にはたどり着く寸前で終わってしまうし、次の日は本当に雨で船は出なかったのかどうかも分からずじまいだし、まあ、いろいろと不満は残ったのでした。マルケスは次の作品も読んでみようとは思うのだけれど・・・
1投稿日: 2024.12.01
powered by ブクログあちらこちらに海や舟に関わるたとえが散らばって表題がリフレインして、2部へと繋がっていくのが好きだった
1投稿日: 2024.11.30
powered by ブクログとにかく夢想と回想がたくさん描写され、一人の人間が様々な思いを巡らしているかと思っていたら、いつのまにか別の人物へと視点が変わりその人の心に入り込んでいるのだが、訳文がとても読み易くて「今、誰が語っているんだっけ?」と見失うことはなかった。読むのに時間かかちゃったけど。 一人の人間には多くの感情や考えが入り混じっており、そんな多くを抱えた複雑な人間同士がコミュニケーションするのだから、そう易々とうまくいくわけがない。こうしてほしい、褒めて欲しい、あの人と仲良くしてほしい等、様々な思惑があり、誰かの言葉や態度が憎くて許せなくて長年恨むようなこともある。あの人のあそこが許せないにおける“あの人”とは、現在目の前のあの人か。それともかつてのあの人か。はたまたあの人を纏った何かか。 一瞬の想いは幻のようで儚いもの。しかしその一瞬があるときふと呼び覚まされて心に焼き付き永遠となる。背景に溶け込むかのように離れていく想いと、魂の礎となる想い。いろんな想いの中をたゆたいながら、灯台の光へと目指すように自分というものを得る。
4投稿日: 2024.11.28
powered by ブクログ最初は退屈な物語かも、と思った。 登場人物がお互いに心に思ってることをひたすらモノローグで繋いでいって、一向に何か起きる気配がないから。 悪人も完璧な人もいない。 美しい母親と、ちょっとエキセントリックなお父さん。尊敬もされてるけど面倒くさい。 子供たち、書生、家庭教師。 登場人物同士の愛憎入り混じる感情、自己愛と愛。 モノローグでお互いの気持ちをふわふわと漂っているうちに、いつの間にか登場人物とともに歳をとって、彼らをお屋敷の物陰から覗いている、そんな感じ。 三部の美しさ、悲哀はちょっと筆舌に尽くしがたい。 あと、めちゃくちゃ共感したフレーズ。 「どうやら本というのはひとりでに増殖するものらしい」
3投稿日: 2024.11.27
powered by ブクログ自分の読解力の乏しさに悲しくなった とにかく読みづらくてページを捲るのがしんどかった… 内容も全く入ってこない これを楽しんで読める人尊敬する
1投稿日: 2024.11.02
powered by ブクログ読み進めるのが難しい本だった。 場面転換が少ないなかで登場人物が多く、人と人の心理描写がいつの間にか移り変わる。で、その心理描写もやたらとレトリカル。
3投稿日: 2024.10.15
powered by ブクログヴァージニアウルフの本を一度読んでみたいと思い、9月に新訳で文庫化されたこともあり購入。前知識なく読んだので、正直、第一部は読むのがすごくしんどかった。あまりにもしんどかったので一体、どういう本なのか調べたら、「意識の流れ」という手法であることが分かり、そこから文体の流れに思考を任せるつもりで読み進めると不思議と読みやすくなった。最後はキャムやリリーの意識の中にいるような不思議な気持ちになり、爽快な気持ちで読み終えた。訳者あと書きもとても興味深かった。
9投稿日: 2024.10.11
powered by ブクログ感想 いつの時代も変わらない。光を目指して足掻き続ける。今がどれだけ暗くても。先が見えなくても。ひたすら手を伸ばし続けなくてはいけない。
3投稿日: 2024.10.02
