
総合評価
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powered by ブクログ短編の名手。著者近影から、優しげで快活そうなおばあさんのイメージがある作家。この方の短編集は、なぜか癖になる。起伏の少ないストーリーだが、繊細な文章をしっかり読んでいかないと、物語はいつのまにか大きな転換を迎える。その瞬間を見逃さないように、注意深く読む。ヒタヒタとした読書感が、癖になる。 いくつも気になる話はある。どれも心が少しだけきゅっとなる、居心地の悪さがある。なのに次の話も読みたくなる。癖になる。好き。 ただ…読書の合間に、作家のことを調べていたら、再婚後の次女への、いまでいうネグレクト?のトラブルがどうやらあったらしい、ということを知ってしまった。夫にも依存気質だったか。良い作品を生み出す裏に、不安定な感性やパーソナリティがあったのかもしれない。少しだけ、続きを読み進めるのを躊躇するようになってしまった。 作家の実像なんて、調べるべきではないな。物語は物語で、一人歩きすべきだな。
11投稿日: 2025.08.09
powered by ブクログ<翻訳文学試食会>で取り上げられたのでアリス・マンローを初めて読んだ。小説としてとても良かった。 どの短編も突然始まり、時系列も混じらせて、主人公の過去、その結果の現在が見えてくる。時間の行き戻りや読者に真相を明かすタイミングは抜群で読みやすい。 短編のほとんどに「高圧的で自分の価値観以外を認めない父・夫」「不思議ちゃん女性」「振り回される女」が出てくるんだが作者の体験に基づいているの? それでも作者自身の恨みがましさはあまり感じらずうまく小説の一部分になっている。 作者自身が見える箇所といえば「賞を取った小説を手に取ったら短編でがっかり」って記載かな。多分アリス・マンローも散々言われたのかな。 『次元』 ドーリーが元夫ロイドに会いに行くには長い時間と距離を要する。彼女は精神カウンセリングに罹っているようだ。ドーリーとロイドに何があったのかが徐々に明かされてゆく。酷いことが起きた。だがドーリーはまだロイドに会いにゆく。何を期待しているのかもわからない。なぜ離れられないのかもわからない。 だがその日、道中で事故に遭遇する。それにより彼女は違う視線を持ったのだ。昔のことではなく、今の目の前で起きたこと、したこと。 かまいません。 いいえ。 『小説のように』 今はジョイスは平穏な夫を持ち、平穏な生活を送っている。まだ若い頃に、周りの人間が彼女が送るだろうと思った生活を。 かつてジョイスはドロップアウトした秀才だった。当時の夫のジョンもそうだった。それも以前のことだ。 新しい生活を送るジョイスと夫のパーティに新人女性小説家がきた。ジョイスは彼女の書いた小説を手に取ってみる。 書かれているのはジョイス自身のことだった。 作者の若い女性は、当時の夫ジョンと別れる原因になった女性の娘のクリスティーだったのだ。そしてジョイス自身の音楽教室の生徒でもあった。 ジョイスはその頃を思い出しながら小説を読む。あの時の自分の態度をクリスティーはどう思っていたのだろう?あのときの自分の嫌な面を、クリスティーに取った態度の真意を見抜かれているのではないか? だがそうは書かれていなかった。クリスティー(他者)にとってのジョイスは、ジョイス自身が見ているようには見ていなかったのだ。ジョイスが感じたのは衝撃だろうか?いや、きっといつか面白い話になるだろう。 『ウェンロック・エッジ』 「わたし」が通う大学のある町には、遠い親戚のアーニー(アーノルド)が住んでいて、たまに食事に連れて行ってくれる。「わたし」の下宿先に新しいルームメイトのニナが入ってくる。彼女は町の違う大学に通っているらしいのだが、かなり奔放な生活をしているようだ。そしてパトロンのミスター・パーヴィスに面倒を見てもらい、その代わりに監視されている。「わたし」はそのミスター・パーヴィスの屋敷に夕食に招待された。脱ぐのはコートだけではなく、一糸まとわぬまま食事をして、何事もなく家に帰った。だがニナがいない。どうやら逃げ出したらしい、しかもアーニーのところに! 『深い穴』 サリーの夫アレックスは地質学者だ。一家のピクニックに出かけた時に、幼い長男ケントが深い穴に落ちた!アレックスとサリーはケントを引き上げた。 だが秀才のケントはその「臨死体験」により、生きるための全く違う価値観をもったようだ。ケントが姿を消し、何十年も経った。サリーがケントに再会したときには、全く理解し合えなくなっている。「母さんの世界に僕はいないし、墨の世界に母さんはいない」ケントの考え、生活からしたらサリーは軽蔑されたのかもしれない。しかしサリーが息子のすべてを受け入れ抱きしめられないことが悪いのだろうか? === やりきれん。。 この母息子は「臨死体験」があってこうなったのかもしれないが、とくに原因がなくとも断絶する家族もあるよねー。 『遊離基(フリーラジカル)』 ニータは60代で、癌のため余命宣告されている。つい最近80代の夫リッチを亡くして一人暮らしだ。この家は、大学教授だったリッチが前妻ベットといたころに週末を過ごす家として買い、リッチ自らが改築していったものだ。だが妻ベットも家の改築を手伝うようになったころ、彼は大学事務員のニータに恋をしていた。地味なニーナ、役立たずでメソメソしたニーナ。そんな女に、自分が改築した家を明け渡すだなんて。 何十年か経ち、一人で暮らすニーナの家に若い男が入り込んでくる。どうやら犯罪を犯して逃亡中らしい。聞かないほうが良い。だが男は話したがっている。ニーナに二枚の写真を見せる。「ビフォー・アフター」の写真だ。 ニーナは男に「自分も始末したくなる気持ちはわかる。私も、私の夫とこの家を奪おうとしたメソメソした事務員を始末したのだから」と語る。 === ニーナは罰せられたかったのかな…。 『顔』 「わたし」(男性)は生まれつき顔の半分と上半身に紫色の痣があった。そのために父は息子と妻を役立たず扱いして過ごした。 子供の頃過ごした屋敷の庭には小屋があり、そこにはミセス・サトルズと娘のナンシーが住んでいた。「わたし」とナンシーは喧嘩をしたり、出し抜きあったり、すこし思春期めいたことをしたりして過ごした。だがあるとき決定的なことが起きて、親子は出ていった。 === 高圧的な父・夫と、地味な母・妻。体に障害がある息子のために二人は名目上は夫婦としてともに暮らしていたけれどもまったく離れていた。それを「しかし息子はよい言い訳になったのではないか。合わない二人が本来自分が進むはずだった道に戻るのは」というこの冷静な記載。 ナンシーの思惑と、「わたし」の受け取り方が全く違ったことから起きた断絶。 そして最後も決定的なことは起きない。 「わたし」の語りは、子供時代、自分の仕事のこと、学校のこと、父のこと、母のこと、使用人たちのこと、そのなかにナンシーのことと、年代も内容も縦横無尽に思いつくままに話しているようだ。しかし、読者としてはちゃんと今彼が何歳でどこにいて…ということがわかる。これは作家の力量だよなあ。 『女たち』 13歳の「わたし」の初めての仕事は、帰還兵で白血病になったブルース・クロージャー(若旦那さん)のちょっとした用事をすることだった。若奥さんのシルヴィアは大学で夏期講座を受け持って日中のお世話ができないのだ。他に家にいるのは若旦那さんの継母のドロシー・クロージャー(大奥さん)。ドシッと構えて押しが強い。この田舎の町では、世間を気にしない大奥さん、女性で働いている若奥さんは反感を持たれているような気がする。 そんな大奥さんマッサージ師を呼んだ。やってきたロクサーヌは、賑やかで大奥さんを「ドロシー!」なんて呼ぶ。大奥さんもロクサーヌとの時間を愉しんでいるみたい。ロクサーヌはブルース若旦那さんの様子も見るようになった。 最後の日。いつものように若旦那さんの部屋に行こうとするロクサーヌ。だが若旦那は、「わたし」に部屋の鍵をかけるようにお願いしていたのだ。 === 病気の若旦那さんを巡り、冷たいと思われている若奥さん(実際「わたし」のことは眼中にない)、元気過ぎるくらいの短期雇われ女性の鞘当のような…。複雑かつ単純なやり取り。さすが女性作家。 『子供の遊び』 マーリーンは、一家が借りていた家の反対側にいるアーヴァが苦手だった。アーヴァは特殊クラスに通う同じ年代の女の子。何をされたわけでもない、ただその眼差しが、その動きが不快だった。 サマーキャンプでマーリーンは、シャーリーンという少女と仲良くなった。ふたごごっこをするくらいに。しかし帰る前日、特殊クラスの生徒がやってきた。その中にはアーヴァもいるではないか。 === これまた時系列が、行ったり来たりで、それぞれが「そうなるまえの心境」「そうなったあとの心境」で書かれるのでかなり込み入っている。これでもちゃんと分かるんだよなあ、すごい作家だなあ。 『木』 初老夫婦のロイとリーア。ロイは手作業で近所の大工仕事兼便利屋のようなことをしている。リーアは親戚や友達付き合いが多かった。だがある年に体調を崩してから性格が変わったようだ。ロイは、元のような冗談を言ったり笑ったりする妻はどこにいってしまったんだと思う。そんな頃、ロイは、今まで使わせてもらっていた木材の持ち主が大口契約を結んだという噂を聞く。それなら自分はもう仕事ができなくなるのだろうか。 === ピンチになったけどそれが良いようになったというのかな。 『あまりに幸せ』 ロシアの女性数学者ソフィア・コワレフスカヤ(1850年から1891年)の日記とか伝記とかを元に、ソフィア(ソーニャ)の晩年と、その晩年に人生を振り返るようにして書かれる。 数学の才を見せていたがロシアでは、ヨーロッパでは女性が学ぶことは難しかった。 革命家(パリ・コミューン支持者)で作家の姉アニュータと、そのアニュータの夫で彼女の死後は過去の栄光にしがみつくだけの元革命家ジャクラール、二人の息子ユーリー、ロシアを出るために結婚したウラジミール、ソフィアの数学の師となったヴァイエルシュトラス、ロシア出身で共に過ごしたり離れたりの仲となったマクシム・コワレフスキー。 女性で学者ということで色目で見られたり、家族や親しい男性との実際的または精神的な別れ。冷たいこと、酷いことにたくさんであった人生。 でも死の床で聞かれた呟き「あまりに幸せ」。 これまたソーニャの意識はあっちいったりこっちいったり。 歴史背景がわからないこともあり、この短編集の中では一番わかりづらかったかもしれん…(-_-;)
38投稿日: 2025.06.21
powered by ブクログ登場するのは概ねごく普通の、どこにでもいそうな人たち。物語の冒頭はありがちな日常が綴られていて、よくわからないまま読み進んでいると、ふいに予想外の展開に引きずり込まれてしまいます。ある時点まで物語の先行きがまったく見通せない状況に置かれ、気づいたら思いもよらない場所に立たされていたというような感じです。 文章は簡潔で、無駄がなく、落ち着いていて、登場人物の感情にも過剰な起伏は見られません。作者自身がことの成り行きを静観しているような書き方です。それでいて人の心の複雑さ、不穏さがきちんと描かれています。ごく普通の人の胸の奥底を淡い光で照らし、そこに潜んでいるものをあぶり出すといったふうに。 すべてを語らない、淡々とした文章なので、登場人物たちの胸のうちを探る作業は読者に委ねられています。でもその分、たいへん読み応えがありました。 ただし、本書の最後の作品である『あまりに幸せ』だけは、主人公が実在した女性なので、予備知識がないとわかりにくいかもしれません。 自分の場合は、ロシアで最初の女性数学者となったソフィア・コワレフスカヤの人柄や時代背景を、先に少しだけ頭に入れてから読みはじめました。 さて、短編の名手、女王、巨匠と呼ばれたマンローですが、事実彼女は短篇小説しか書かなかったそうです。家事や子育てをしながら、その隙間時間を利用してキッチンテーブルの上で創作活動を行うのに、短編小説が適していたからということらしいのですが、しかし世間の評価は違っています。マンローは、ひとりの人間の人生を十数ページに凝縮させる才能を持っていたため、長編小説を書く必要をまったく感じさせないと見なされていたのです。 短篇の技術を突き詰め、磨きをかけ続けたからこそ、そこまで言われるようになり、短編作品だけでノーベル賞を取るに至ったのでしょうね。 https://note.com/b_arlequin
1投稿日: 2025.06.12
powered by ブクログどんなにつらいことがあっても、傷を抱えても、人は淡々と生きていくこともできる。感じることを拒否しても、ふとしたおかしみや、諦念の爽やかさに慰められることもある。
1投稿日: 2024.11.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
4週間も借りたのに2本目までしか読めなかった。 なんか言い回しが難しい? 読みにくかった。 でも、また借りたいかも
0投稿日: 2024.10.02
